宮城遠征、宮城フェニックスサッカークラブ交流会の記

宮城遠征、宮城フェニックスサッカークラブ交流会の記
名古屋から仕事の関係で東北大学教授として仙台に赴任されたVクラスの
川瀬さんから仙台に遠征に来ませんかと誘われたのは昨年の初め頃でした。
川瀬さんは仙台着任後の早い時期に宮城フェニックスサッカークラブに所属
し、O-60 クラスで活躍されていたようです。ネンリンピックも仙台市の代表として参加さ
れています。仙台と言えば遠く、費用もかかります。他の大会の日程もあり昨年は実現で
きませんでした。今年になって再度誘われ 4/25、4/26 の日程でようやく実現し、約束を果
たせたかなと思っています。
宮城フェニックス SC と名古屋 500CR の関係は東北大震災にあります。大震災時、21 年前
500CR の 20 周年記念行事として主催したスーパーエイジ大会に第1回から第4回まで参加
してもらった宮城四十雀サッカークラブに何か
できることはないかということで、会員に寄付をつのり、端数はクラブ費から補てんし
\300,000.-を寄付させていただきました。
宮城四十雀サッカークラブは第4回大会から四十雀を母体に O-60 のチームとして宮城フ
ェニックスサッカークラブと改称されました。現在会員は O-60 で 120 名とお聞きしました。
会長は新山武志様、事務局は亀田様です。宮城四十雀は40代、50代のチームとして別
行動をされているようです。60になるとフェニックスに入会されます。
以上のような経緯のため寄付先は宮城フェニックスさんへ\150,000.宮城サッカー協会
シニアの部へ\150,000.寄付させていただきました。
今回の遠征ではそのときのことを大変感謝していただき、宮城サッカー協会会長大久保
から\10,000.をいただきました。また四十雀クラブさんより日本酒2本をいただきました。
手元にありますので何かの機会にみなさんに飲んでいただきたいと思います。
今回の遠征参加者は小林、佐藤、丹羽、城、森、香西、森永、奥村、萩野、八尋、松崎、
公文、川瀬の13名(敬称略)R7名、V6名でした。
試合は20分を4本しました。私が2週間前の肉離れのためプレーできずフィールドプ
レーヤーはフル出場となりました。相手は O-60、O-65、O-70、O-70.結果は0-0,1-
0,3-1,0-0でした。意外と O-70 にてこずっていたような気がします。
仙台への行き方もさまざまでした。フェリー4名、新幹線、6名、飛行機2名。フェリ
ーが往復約\10,000.と一番安いようです。新幹線ジパングを使うと\24,720(自由席)。フ
ェリー組と私、川瀬さん6名は前日に仙台に入り、川瀬さん行きつけの、居酒屋さん(行
きつけを何軒か持っているらしい)で前夜祭。びっくりするほど安く美味しかった。
試合終了後は仙台市内が二つのイベントのため宿が取れず、1時間ほど車に乗せていた
だき、フェニックスの人とともに松島フットボールセンター内にある宿泊施設(2段ベッ
ド)にて宴会とともに宿泊。ふとんも運んできて中学生に戻った気がしました。中学生も
泊まっていました。なおここは今年秋フェニックスさん主管の O-75 大会が行われる会場の
ひとつです。
試合前の午前中、川瀬さんの研究室に案内してもらいました。仙台に行ってからサッカ
ーの腕を上げ、500CR の参加する大会にも出席し、大学で何をやっているか知りたいと同時
に、本当に仕事をしているのかどうか疑念があったからです。もちろんその心配はありま
せんでした。その内容は添付の日経東北版に掲載されていますので読んでみて下さい。次
の日は震災の被災地のひとつ女川町へも川瀬さんの車で案内してもらいました。その他の
人もそれぞれに観光を楽しまれたようです。
今回の遠征では事務局の亀田さんはじめフェニックスの皆さん、川瀬さん、
そして準備段階での羽田さんには大変お世話になりました。終わってみて皆さんの感想は
ぜひ今後も続けてほしい。また来たいでした。フェニックスさんからもぜひまた来てほし
いということでした。遠距離でもあり他の大会との兼ね合いもあって難しいとは思います
が、続けられればいいなと思います。
H27 年 5 月 3 日
今回の団長役 森 洋造