リリオだより 5 子供が好きそうなものを食べると、わが子にも食べさせてあげたいと思う 雑学シリーズ 107 2015/3/17 「子等を思ふ歌」を考察する 3 憶良が筑前国守として今の大宰府に赴任してきた神亀 5 年(728 年)に詠 作詞は万葉歌人山上憶良(660~733 年 奈良時代初期の人)です。 子等を思ふ歌 でも 68 歳のお爺ちゃんにそんな小さい子供がいたのかな?と思います。 歌にこんな歌もあります。 栗食めば まして偲はゆ 憶良らは 今はまからむ子泣くらむ いづくより来たりしものぞ それその母も 我を待つらむそ (意味)幼い子やその母親が、私を今か今かと待っていますので、宴の途中では 目交ひに もとな かかりて 安眠し寝さぬ ありますが、 私はここらで中座させていただきます。 さすが模範的なパパや! やっぱり憶良爺には幼い子供たちがいたのです。 くがね 銀 も 金 も玉も 何せむに まされる宝 んでいるので、68 歳ごろの歌のようです。(万葉集巻 5-802・803) 若いときに亡くした子供のことかな?とも思いましたが、同じ頃に詠んだ 瓜食めば子どもおもほゆ しろがね 親心は、いつの時代も変わらないものです。 子にしかめやも 「子ども」とは、単数の「子供」ではなく、複数の「子ども」です。 福岡の大宰府政庁跡にこの歌の歌碑があります (大意)瓜を食べるとそれが好きだった子供たちのことが思われる。 古今を問わず世の中には達者な人がいるものですね。 石田純一は 58 歳で、 三船敏郎は 62 歳、上原謙は 71 歳でパパになっているのですから、憶良爺に だって幼い子供がいても驚くことではありませんね。 栗を食べると一層子供たちのことが偲ばれる。 子供たちはどこから来たものであろうか。 目の前にむやみにちらついて、安眠させてくれることがない。 銀も金も玉も子供への愛に比べれば、何になろうか。 どんな秀れた宝も、子供には及ばない。 唐突ですが、「海行かば」という戦時歌謡があります。 戦争中に育った私にとっては、つらい悲しい思い出の歌 ですが、「子等を思ふ歌」と4つの共通点があります。 ∘作曲者は共に信時 潔(明治 20 年~昭和 40 年)です。 わが子を愛しむ親の心情が率直に詠まれています。 ∘歌詞は共に万葉集から採っています。 「眼交(まなかひ) 」 目の前 「海行かば」は大伴家持の長歌(万葉集巻 18)です。 「もとな」 ∘また、昭和 12~13 年に共に「国民歌謡」 (ラジオ歌謡の前身)として放送さ わけもなく やたらに れました。これは月曜から土曜までの毎日 5 分間の週変わりの番組でした。 「かかりて」 目にちらつく 「安眠(やすい) 」 作曲者 信時 潔 ∘そして、昭和 13 年にはコロムビアからレコードが発売されました。 落ち着いて寝ること 「寝さ(なさ)」眠らせる A 面が「海行かば」 、B 面が「子等を思ふ歌」(混声四部)でした。 奈良時代、まだ砂糖はないので、甘い瓜や栗な こう考えると「海行かば」と「子等を思ふ歌」は夫婦みたいな歌です。 夫は大君のために(まさか!)、妻は愛しい子供たちのために‥‥。 どは子供たちの大好物でした。瓜とはマクワ瓜と 思われます。マクワ瓜は奈良時代からありました。 山上憶良 亀岡弘志(記)
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