利他のこころ - 山本武夫の ホームページ

国際ロータリー第 2610 地区
2015-2016 年度地区大会
特別講演「利他のこころ」
講師:五木寛之
私は、1932 年(昭和 7 年)生まれ、石原慎太郎さんと同じ誕生日〈9 月 30 日〉ですが、性格などは全く違いま
す。
最近、面白かった本に『シルバー川柳』というのがあります。面白いことは読んでもすぐ覚えて、忘れません。
こんなのが、載っていました。
「デジカメは
「お迎えは
どんなカメかと
祖母が聞く」
どこからくるのと
孫が聞く」
「複雑だ 孫がよろこぶ 救急車」
「おいお前
はいてるパンツ
おれのだぞ」
「昔は恋に
今は段差に つまづいて」
、などなど。
昨日、北陸新幹線でたった 2 時間余りで、金沢につき、ホテルで 1 泊しました。昭和 28 年、初めて金沢を訪れた
時は、長野県から、新潟県に入り、糸魚川を通り日本海の海を眺めるコースで、中でも親不知子不知の絶景を見て
来ました。また、ある時は、米原から入り、敦賀から小松あたりで、白山の姿を眺めながら来る山のコースで来ま
した。白山に通過儀礼を行うのが通例でした。この、2 つのルートは、何か相反するものの、何か元をたどれば同
じという意味合いが感じられます。
さて、日本語の「常用漢字」の改定が時代の合わせて見直されますが、1981 年の改定には、戦後から使わなくな
った「死語」というものが外されたり、新しく使いだした「新語」が追加されたりして、なかなかいい改定と思い
ました。
『猫』
『蛍』などが追加され、さらには、日本人にもゆとりが見えてきたか、『悠』という字が入りました。
しかし、昨今は何か世情を映し出すかの如く、2013 年の改定では、なるほどというような『虎』
『熊』などが追加
され、また、
『怨』
(オン・うらむ)
『潰』(カイ・つぶれる)『怪』(カイ・あやしむ)『嘲』(チョウ・あざける)といっ
た字、そして、
『鬱』(うつ)まで、新語として加えられました。
この『鬱』という字は、文字通り「うつ病」から来ているもので、日本人には大変自殺が多く、この病気が大変
広がっていると言われています。ネガティブな風にとらえられています。しかし、私は果して本当に「うつ病」は
そうなのだろうか、疑問に思っています。病院へ行くと「心療内科」を受診することになり、薬をもらいます。で
も、治りません。これは、お寺の問題、心の問題をそちらで解決すべきです。ある時まで、順調な道を歩んでいた
人が、突然、深い想いにとりつかれ、憂い、悩んだ時に「鬱」と言われるが、そんな時に自分自身を見つめ、とこ
とん苦しむことが大事で、決してマイナス思考に走らず、それを乗り越えることができた時が悟った時です。
本日のタイトル「利他のこころ」は、仏教語の「自利利他」から来ています。自利と利他は相反する言葉のよう
ですが、仏語では、自らの悟りのために修行し努力することと、他の人の救済のためにつくすこと、この二つを共
に完全に行う事といわれています。
このような別々の言葉が一つになって、相補うような、区別せずに両方を含んだような言葉に仏語の「慈悲」が
あ り ま す 。『 慈 』 は 、 サ ン ス ク リ ッ ト 語 で 「 マ イ ト リ 」、「 慈 し み : 相 手 の 幸 福 を 望 む 心 」「 For
you
:Friendship :Humanism」という言葉が当てはまります。
『悲』は、サンスクリット語で「カルナー」、とこ
ろが、現代の日本語には、この意味を表す言葉がありません。世界中には、これに当てはまる言葉があります。中
国の「悒〈ユウ〉
」という言葉で、これは何処からか湧いてくる一抹の不安・悲壮感が同時にあるものを著していま
す。韓国の「恨〈ハン〉
」という言葉では、1 つの民族が、何千年も外国の勢力の中で虐げられてきて、人々の心の
中にできた暗い重いものを著しています。ロシア語の「トスカ」という言葉では、同名のゴーリキーの中編小説が
あり、辞書では『憂愁』や『鬱屈』と訳されたが、二葉亭四迷は『ふさぎの虫』と訳し、
「人の心の中に隠れており、
その人がピンチの時に、心臓に毒針を刺して、何もかもやる気を失せさせるか如く、破滅に追いこむ」という表現
で表しています。ポルトガル語にも、
「サウダーデ」という言葉があり、『郷愁』や『哀惜』など、多面的な意味を
もっています。
そして、このような気持ちになった時どうすればいいのかというと、友人のお母さんの言葉として、韓国では「お
前も大きくなったら、ある時突然落ち込んでしまったり、どうしても思うようにできなくなることがあるだろう。
誰もがそんなことがある。そんな時は、背中を丸めてじっと待つのだ。ため息をついていい。無理に叱咤激励をし
てもダメだ。時間が過ぎれば解決できる。大人になるとそのことがわかる」と教えるそうです。
私は、これらの言葉に合う日本語に、40 過ぎにようやく巡り合えました。山陰出身の国文学者、小島憲之が書い
た本にありました、
『暗愁〈アンシュウ〉
』という言葉です。これは、もともと中国の言葉で、奈良・平安時代に、
日常生活の言葉として入ってきました。文人、書家、芸術家という文化人は万葉以来、慈悲の「悲」の気持ちをぴ
ったり著してきました。明治維新以降、大正時代まで、小説家や詩人も広く、しきりに使ったことがありました。
夏目漱石や森鴎外なども、手紙や日記に、また女学生までもが使いました。明治の富国強兵の光の部分に対する、
陰の部分として、言い表されました。大正に入って下火になり、最後に使ったのは、永井荷風で日記の中に、軍国
主義の暗い時代に、岡山にハイキングに行ったことを書いた中で、記したものです。こうして、昭和には、死語と
なった中国からの渡来の『暗愁』ですが、深い意味があります。それは、
「原因がわからない、なぜそんな思いにと
らわれるのか、いずこかより出現する不安な悲しい気持ち」を著しています。まさに、「鬱」に繋がっています。
現在、第 2 の経済成長を経て、少子化や未曾有の不況で、将来は人口が 7000 万人、80 歳以上が 1000 万人の超
高齢社会を迎えようとしています。そんな中で、高齢社会の「鬱」をどう感じるか、マイナスと考えるか、人間の
元々ある底から生じるもので、当たり前の事ととらえるか、考え一つだろうと思います。「登山」は上手に「下山」
をするから、また昇ろうという気が起きるものです。つまり「登山」と「下山」は一体です。戦後日本は、70 年か
けて成長しました。これからが如何に下山していくかが大事です。これからは「慈悲」の心を持っていかなければ
なりません。昔は一つの集団ともう一つの集団の縁は、血縁で繋がっていました。しかし現代のような都市型社会
では、血縁だけでは上手くいきません。人間としてお互いに尊厳を持って繋がっていかねばなりません。すなわち、
『慈』
、ヒューマニズム、励ましの心と、
『悲』、慰めの心を持たねばなりません。その時の慰めは、並大抵のもので
はありません。例えば、傷ついたり、肉親を亡くしたりして苦しんでいる人を慰めようとしても、その人の痛みを
1/3 でも背負ってあげたくても不可能だし、その苦しみを変わってあげることができません。己の無力感を知り、そ
の人の悲しみ、苦しみを背負えない事を分かることが理解できて、自分も同じ思いであることを伝えてあげること
が慰めとなります。ともに苦しもうと思っても、どうしようもないと悟った時の無力感が現れた時、ホントの慰め
となります。こんな例があります。オウム真理教の元信者が留置されていて、両親が面会に来られ、父親は、
「罪を
償って、出て来て社会のために尽くしなさい」と息子を励ましたそうですが、母親は、ただ泣くだけだったそうで
す。父の激励〈慈〉と母の涙〈悲〉は、
「慈父」
「悲母」という表現がされますが、
『慈悲』は親として一体のもので
す。悲という支えのない慈はないのです。
「利他のこころ」とは、共感する気持ちです。慈悲の悲は、戦後 70 年で忘れ去られてきました。柳田国男は「涕
泣史談」という言葉で表しますが、日本人はこの「鼻水を垂らして泣く」ことが少なくなったと言っています。日
本人はよく泣くことを大事にした国民でありました。最近、日本人は泣かなくなった、果たして良いことでしょう
か。泣くことで、免疫力が上がります。西田幾多郎〈金沢ゆかり:四高出身〉は宗教的自覚として、
「人生の悲哀に
直面した時、思想的にも、哲学的にも新しい得心をする」そうです。演歌、歌謡曲で、日本人はちゃんとなく、悲
しい曲を歌っています。泣く値打ちが大事であることをもっと痛感すべきです。
戦後、だいぶ経ってから、敗戦時の満州からの引き上げの話をある老人に聞こうとマスコミがお願いをしたそう
ですが、その方は一言も話されなかったそうです。それを見て、漢詩の「君看双眼色
不語似無憂」、つまり、その
方は言わないけれど、目を見てると、心中に抱いておられる憂いが伝わってきたといいます。これは、日本人が明
治から、
「坂の上の雲」を掴もうと、精励してきたが、坂の上まで来たが掴むことができないと知ったとき、夢で逢
ったことがわかった「暗愁」の気持ちなのです。今の日本は成長して山頂にいます。これから人口減少で、緩やか
に下山をしなければなりません。イタリアのルネッサンスは人口が減少する時に文化が成熟しました。同じように、
戦後忘れ去られた「慈悲」の心を持って、
「うつ病」を薬で治す誤りを犯さず、『鬱』は人生の深みを知る大事なこ
とととらえ、それを知った人が初めて本当の笑い、腹から笑えるのです。峠にいる日本を成熟に向って歩ませよう
ではありませんか。(山本武夫:講演記録)