コーポレート・ファイナンスの将来

NSAM 研究レポート 15-1
2015 年 3 月
コーポレート・ファイナンスの将来
ペンシルベニア大学ウォートン・スクール
ジョン・パーシバル教授
フランクリン・アレン教授
ビルゲ・ユルマズ教授
ブラント・グルテキン教授
東京大学金融教育研究センター
新井 富雄 副センター長
拡大経営財務研究会(2015 年 1 月 21 日)における講演録
本レポートは「内外の企業経営に関する教育及び研修、研究調査、情報の収集及び提供等を行うことにより、企業経営に関す
る国際的な相互理解の増進と人材の育成を図り、もってわが国経済社会の健全な発展及び国民生活の向上に寄与する」という
公益財団法人野村マネジメント・スクールの設立の趣意に則り、その研究調査活動の成果の一端を広く公開することを目的にし
ております。
目次
1.パネル・ディスカッション ............................................................................................. 2
日本と米国におけるコーポレート・ファイナンスの変化 ................................................2
グローバルな視点からのコーポレート・ファイナンスの変化 ......................................3
金融イノベーション .................................................................................................................6
最近のファイナンス研究のトレンド ....................................................................................8
CFO の役割の変化 ...............................................................................................................9
CFO の役割とコーポレート・ガバナンスの関係........................................................... 11
CEO と財務の関係 ..............................................................................................................12
2.Q&A セッション ........................................................................................................ 13
日本におけるプライベート・エクイティの発展 ...............................................................13
今後の日本における金融危機の可能性 .......................................................................14
富の偏在問題に対して、コーポレート・ファイナンスが果たすべき役割 ................15
3.パネル・ディスカッションを終えて(講評:新井 富雄) ............................................ 20
コーポレート・ファイナンスの将来
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「コーポレート・ファイナンスの将来」
パネラー:
ペンシルベニア大学ウォートン・スクール
ジョン・パーシバル 教授
フランクリン・アレン 教授
ビルゲ・ユルマズ 教授
ブラント・グルテキン 教授
モデレーター:
東京大学金融教育研究センター
新井 富雄 副センター長
(以下の文章は、2015 年 1 月 21 日に開催された、公益財団法人野村マネジメント・スクー
ルの「野村・ウォートン経営財務講座」を受講された方々を対象とする「拡大経営財務研
究会」の講演録およびその講評である。
)
コーポレート・ファイナンスの将来
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1.パネル・ディスカッション
日本と米国におけるコーポレート・ファイナンスの変化
【新井】
本日のテーマは、「コーポレート・ファイナンスの将来」です。最初に、「野村・ウォー
トン経営財務講座」において、過去 30 年以上にわたりご講義いただきましたパーシバル先
生に、
「日本と米国におけるコーポレート・ファイナンスの変化」についてコメントしてい
ただきます。
【パーシバル】
私は将来をうまく予測で
きるわけではありませんの
で、まず、既に起こってい
るコーポレート・ファイナ
ンス分野における変化につ
いて触れたいと思います。
次に、トレンドとして将来
的にも続くのではないかと
考えられる事項について話
してみたいと思います。
日本よりも米国の話の方
が心は落ち着きますので、米国から始めたいと思います。まず、この数年間起こっている
非常に重要な変化として、米国企業の経営陣が企業規模は常に大きければ大きいほど良い
のだという考え方を捨てつつあるということが挙げられます。実際小さい方が良い場合が
多いかもしれないということです。
非常に多角化した大規模企業ではなく、より特定事業に絞った小さな企業体に分割した
方が良い、という考え方を受け入れつつあります。スピンオフや事業撤退、会社分割は、
ありふれた施策となっています。
その動機として考えられることは、米国企業の経営陣が、この「野村・ウォートン経営
財務講座」で取り上げた経営財務の考え方を受け入れてきたということの反映かもしれま
せん。すなわち、「価値創造」の考え方は本当に重視されつつありますし、「資本コスト」
はある意味では文化のような存在になりつつあります。
「資本コスト」はただ単に「コンセ
プト」というよりも、「実践できる手法」となっています。
あまりうまく遂行できないような広範な領域を手がけ、資本コストを下回る利益しか得
られない事業は絶対に実行すべきではない。むしろ、本当にうまく遂行できる領域を絞っ
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て、資本コストを上回る利益が得られる事業に特化する方が良いという考え方は、非常に
重要だと思います。
我々の講座で取り上げた、いくつかの経営財務のツールは、世の中で広まりつつあると
考えています。その中でも、特に広く受け入れられているツールとして、例えば EVA や経
済的利益(EP)があります。資本コストの概念を単なるコンセプトではなく、財務の専門
家ではない事業責任者、オペレーションの人材でも理解できるツールとして本当に実践に
活用されています。
もう一つ、米国で起こっている興味深い変化は、米国企業が貸借対照表に相当の現金を
積み上げようとし、また実践していることです。これは、各社の個別の考え方で自発的に
行っている場合もありますし、慣行として行っている場合もあります。この変化の理由と
して、私は、過去に比べてリスクが非常に多様化してきた点が挙げられると考えています。
過去には、リスクと言えば、為替リスクや金利リスクが一般的なものでした。しかし、
現在はもっと広範なオペレーション上のリスクが含まれます。オペレーション上のリスク
は、従来のヘッジ手法では容易にヘッジできません。そのため、予測できないような困難
な状態になったときも、手元に現金があれば安泰であるということで、手元に現金を積み
上げる手段が採られているのです。そのため米国企業の一部には、強い意思のもとで現金
を保有している企業があります。
また、実は、米国では上場企業の数が減少しつつあります。私にとっても非常に残念な
のですが、毎年減り続けているのです。このような事態に陥った理由を挙げると、まず、
オーナー側のリスク、規制と上場維持関連のコストが非常に高いことが原因と考えられま
す。
一方で、多額の現金を保有し、これ以上株式市場で公開を続け、資金調達の必要がない
と考えている企業の場合に、コスト費用分析をして、非公開企業である方が良い、という
意思決定を行うこともあるでしょう。現在生じている残念なトレンドであると思います。
さて、日本の企業でも、大きな変化、重要な変化があった、と言いたいところですが、
日本での変化はより遅く、時間がかかっていると言えます。私は日本に何度も来ているの
で、その理由については理解しています。日本において、大きく変化するのは難しいとい
うことも理解しています。しかし、
「野村・ウォートン経営財務講座」の卒業生も 2,000 人
を超え、多くの皆さんが日本企業の中でも重要な地位を占めるようになってきました。日
本企業が事業の構造改革を行い、企業価値向上をより重視するために、皆さん自身が、変
革の担い手としての役割を果たしていただきたいと考えています。
グローバルな視点からのコーポレート・ファイナンスの変化
【新井】
初期の本講座の講師を務められた後、母国のトルコに帰られまして、トルコ中央銀行の
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総裁も務められましたグルテキン先生に、新興国も含めたグローバルな視点から、コーポ
レート・ファイナンスの変化についてコメントをしていただきます。
【グルテキン】
最初に私がパーシバル講
師およびウォルター講師と
一緒に教鞭をとったのは、
1984 年です。30 年前、私は、
こんなに白髪ではなかった
ですが、多くの変化があり
まして、今は白髪になって
しまいました。覚えてい
らっしゃる方がいるかもし
れませんが、私は昔、口ひ
げを蓄えていました。今は、
それもなくなりました。私
には娘がいますが、15 歳になると娘というのは父親に対してファッションコンサルタント
になりますから、娘には逆らえずひげを剃ったというわけです。皆さんにも、子供さんた
ちが要望を出すかもしれません。日本に戻れるのは、大変うれしく思います。本当に 20 年、
30 年来の友人といるという感じで、若返った気がいたします。
20 年前、私がこの講座を去ったときですが、日本はバブル経済が崩壊したばかりで、苦
闘をしていました。ある意味では、日本は同時にトレンドの先行者でもあったわけで、そ
れ以降、実はいろいろな金融危機が世界で起こりました。
1994 年はトルコ。1995 年はメキシコ。1997 年はタイ、インドネシア、韓国、これは東ア
ジア危機と呼ばれました。1998 年がロシア。2001 年は米国。2008 年も、また米国。2009
年はユーロ地域で、アイスランド、アイルランド、英国、スペイン、イタリア、ギリシャ、
ポルトガルといった国々が危機を迎えたわけです。一部には、トルコ、メキシコ、タイが
そうでしたけれども、通貨危機というものがありました。同時に米国の 2001 年の場合のよ
うに、ハイテク企業のバブルによる株式市場発の金融危機もありました。2008 年の米国の
金融危機は、住宅ローンの負債市場から生じたもので、住宅市場における過剰投資による
ものでした。
そしてユーロ危機については、EU が財政同盟を構築することなく、通貨同盟を先行させ
たことが主な発生原因であったと思います。1990 年にベルリンの壁が崩れ、そして 2008 年
までの間、主に欧米、西欧に非常に安定的な期間が訪れました。エコノミストの中には、
「グ
レート・モデレーション」
、すなわち「大いなる安定」と呼ぶ人もいました。しかし、この
安定期が後の大恐慌以来の経済危機である「グレート・リセッション」、すなわち「大いな
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る景気後退」と言われた事態をより悪化させるものに繋がっていくとは、その当時は誰も
予想していませんでした。
現在、金融市場は非常に変化の激しい状態になっています。代表的な中央銀行、すなわ
ち米連邦準備制度理事会(FRB)
、欧州中央銀行、日本銀行といったところが、グレート・
リセッションに対して、現在、量的緩和と呼ばれる金融政策で対抗しようとしています。
このような非伝統的金融政策は明確な出口戦略というものが示されていません。ですか
ら今後、金融市場はまだまだ変化の激しい状況が続くだろうと考えます。
新井先生から新興市場においてコーポレート・ファイナンスがいかなる役割を果たした
のか、そしてこれから何が起きそうなのか、についてもコメントをしてほしいとの話が出
ました。
私は米国においては、コーポレート・ファイナンスの専門家ですけれども、一方で多く
の時間を新興市場に費やしました。教授というものは誰しも同じだと思うのですが、必ず
しも常に専門家である必要はない。分からないことがあれば、OJT で学んでいくということ
になります。少しデータを使って、過去 10 年間、最も経済規模の大きな 10 ヵ国を見てみ
ましょう。順に、1 位 米国、2 位 EU、3 位 日本、4 位 ドイツ、5 位 中国、6 位 英国、7
位 フランス、8 位 イタリア、9 位 スペイン、10 位 カナダとなります。
30 年後、「野村・ウォートン経営財務講座」の 60 周年記念の研究会を行ったとしたら、
このランキングは大きく変わっているものと思われます。そのときには 1 位は中国。2 位 米
国、3 位 インド、4 位 EU、5 位 ブラジル、6 位 ロシア、7 位 インドネシア、8 位 メキシ
コ、9 位 英国、10 位 トルコになるでしょう。
興味深いのは、EU 全体は別にして、米国と英国のみがトップ 10 に名を残しているとい
うことです。もちろん、これだけ長期の展望となると、誤る確率は高いだろうと言われる
かもしれません。30 年後は私はおりませんので、間違っていたと指摘する人もいないでしょ
うから、私の思うように予測を立てさせていただきます。
1 つ言えることは、これらの順位になるような成長は、必ずしもスムーズに達成されるわ
けではないだろう、ということです。大失敗もあるでしょうし、新たな経済危機や新しい
ショックもあるでしょう。しかもここでの順位は、1 人当たりの GDP ではなく、絶対的な
GDP 額です。必ずしも生活水準が非常に高くなるわけではないかもしれません。
ただ、今後 30 年、新興市場の成長が非常に大きな影響を及ぼすということは、事実とし
て考えていかなければいけないと思います。この事実は避けられないでしょうし、おそら
くはある種、祝福すべきものでもあると思います。
その結果、つまり、新興市場の成長ということ自体が、金融市場に対して深淵なるイン
パクトをもたらすということは避けられないと思います。その成長資金の調達のために、
中国以外の国は、かなりの資金調達が必要になると思います。また、おそらく新しい金融
センターが出現すると思います。ニューヨークやロンドンは重要な金融センターであり続
けるだろうと思います。それに加えてシンガポール、香港、どちらがより大きくなるかは
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分かりませんが、少なくともこのアジア地域に 1 ヵ所大きいところが出てくるでしょう。
向こう 30 年間となると、なかなかどこということは言えないですが、中東も候補になりま
す。中東というのは、将来予測を立ててはいけない地域なのですが、ドバイか、アブダビ
か、もしかしたらイスタンブールあたりが有力候補になるでしょう。中東のコンスタンティ
ノープル(イスタンブールの前身)は、過去 2,500 年にわたり、商業の中心都市でした。で
すので、再びイスタンブールが中東の金融センターになる可能性はあるかもしれません。
それから、南米サンパウロも重要な金融センターになる可能性があると思います。その
動きというのは、2 つの要因によって更に加速化するでしょう。まず 1 つは技術の普及。こ
れは更に加速をするだろうということ。それから、もう 1 つは教育を通じた知識の広まり
です。1 つの例を挙げると、ウォートン・スクールの MBA クラスの 30~40%の人材が米国
外から来ています。そして、そのうちの 95%が新興国からの留学生です。そして、工学や
数学といった科学系の学部になると、その割合は容易に 100%に近くなります。卒業して、
半分くらいは自国に帰国しない人もいるかもしれませんが、彼らの多くが自国に帰るとす
れば、新興国で知識が普及していくのは明らかです。
向こう 30 年というのは、大いなる転換期になると思います。また、先進国と新興国の間
で、コーポレート・ファイナンスの実践がなされると思います。と同時に、国際的に高い
水準で統合された資本市場では、より大きな脆弱性が出る可能性もあると考えられます。
以上が、私の水晶玉をのぞき込んだ結果です。
金融イノベーション
【新井】
次に、2014 年 9 月に、邦題『金融は人類に何をもたらしたか』
(原書:Financing the Future)
を出版されたアレン先生に、金融イノベーションについて、お話を伺います。
【アレン】
金融イノベーションというのは、もう既
に過去(経済厚生の改善に)かなりの貢献
をしてきましたし、また今後も大きな貢献
が期待される領域だと思います。ある特定
の領域で、ファイナンスが大きな貢献を果
たした例を挙げてみましょう。それは、ベ
ンチャーキャピタルとプライベート・エク
イティです。
マイクロソフト、グーグル、シスコ、インテルといった米国の大手企業を考えると、そ
のうちの多くが、最初はベンチャーキャピタルの資金によってスタートしました。技術が
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もたらす我々の日常生活の劇的な変革は、この金融イノベーションが引き起こしたとも言
えるのです。ベンチャーキャピタルはその中で非常に大きな役割を果たしました。
世界の他の地域を見ていきますと、一部の地域にはベンチャーキャピタルが存在します。
例えば英国やスウェーデン、イスラエルを見ると確かにベンチャーキャピタルが存在し活
動しています。ですが、それ以外の地域では米国ほど活発な働きはしていません。新しい
会社を新しい技術に基づいた形で立ち上げるような活動形態とは非常に異なるものになっ
ています。
生活を変えてしまうような、圧倒的に他社とは異なる企業を生み出す国は米国だけです。
すなわち、米国以外の地域では、グーグルのような会社は見受けられません。
これはまさに金融イノベーションの力を表していると思います。しかしながら金融サー
ビス部門の中で、ベンチャーキャピタルが占める割合は非常に小さいことが分かります。
つまり、資金調達の全体の中ではごくわずかな額しか提供していません。ですが、考えて
みればリンゴの種やどんぐりのようなもので、種だったものが非常に重要な大きな会社へ
と成長していき、雇用も創出し私たちの生活も変えてしまうのです。
マイクロソフトの発明した PC ソフトがなければ、あるいはグーグルが検索技術を提供し
てくれなければ、私たちの生活はどのようになっていたでしょうか。私自身はフェイスブッ
クを使いませんが、フェイスブックによって生活が変わった方は多いと思います。私の友
人も、朝起きるとまずフェイスブックを見て、世界で起きている事象を整理しています。
しかしながら、金融イノベーションが必ずしも良い面ばかりでないことも事実です。金
融危機の際、金融イノベーションがあったがために、悪いことが起きたと非難されること
も多かったと記憶しております。確かに、金融サービス業界には暗い側面もあることは強
調しておいた方が良いでしょう。例えば、金融イノベーションを起こした人たちが生み出
したものを見てみると、複雑な商品で、しかも意図的に何が起こっているかが分からない
ようにしている事例は相当な数に上ります。そして、それらの金融商品を高値で提供し、
身ぐるみをはがすようなことも行われてきました。このようなことは金融業界にとって大
きな問題であると思います。願わくば、あまりこのようなことが起こらないように、また、
イノベーションがもっともっと進む世界を期待してやみません。
もう一つ、イノベーションの重要な点を取り上げ、私の発言を結びたいと思います。も
ちろん、コーポレート・ファイナンスにおけるイノベーションとして、前述したベンチャー
キャピタルや、プライベート・エクイティは、とても重要です。ただ、今後、金融イノベー
ションが貢献できるであろう 1 つの領域として、環境の保護、および地球全体の保健衛生
環境の創造や改善を実現する領域を挙げることができます。
例を挙げてみましょう。欧米で現在開発されている医薬品の多くは、主に肥満などの、
いわゆる生活習慣病の治療薬です。残念ながら最も命を奪っているエイズや結核は、新興
国で起きています。結核は悲惨な病気であり、毎年約 170 万人が命を落としています。そ
の大半が新興国で起きているのですが、問題はそこに市場がないということです。結核に
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罹病してしまう方々はあまりお金がない人が多いため、高額な医薬品を手にすることがで
きません。肥満などの生活習慣病の治療薬に、多くの製薬会社が重きを置いてしまうのは、
その医薬品を買う人たちがお金を持っているからです。
金融イノベーションがもたらした成果の 1 つが、例えば結核撲滅のための資金調達の機
会を拡げたことです。考案したのは、米国のロックフェラー財団だったと記憶しています。
こういった医薬品は、それだけでは商業的には成立しません。ただ、市場がないわけでは
なく、収入を得ることも可能です。資金調達の源泉は他にも数多く存在します。例えば、
ゲイツ財団、ロックフェラー財団自身、そして多くの国の政府も資金を出す意向を持って
いました。そこで、彼らはバイエル社と共に、
「結核(TB)アライアンス」を作り、結核の
治療薬を開発しようとしています。
以前は、相当昔に開発された結核の治療薬しかありませんでした。治療期間も長く、あ
まり有効性もありませんでした。しかも生涯にわたり飲み続けなければならないものでし
た。なぜなら、飲むのを止めてしまうと耐性菌ができてしまったからです。
この「結核(TB)アライアンス」で有効に機能した金融イノベーションにより、新たな
医薬品を開発していくことが可能となりました。
最近のファイナンス研究のトレンド
【新井】
最近のファイナンス研究のトピックスやトレンドについてユルマズ先生に伺います。
【ユルマズ】
このようなことを学者に問えば、きっと
何時間でも話してしまいますので危険です
が、簡潔に話したいと思います。
グルテキン先生もおっしゃったように、
実際に大きな変化が起こっています。新興
国では、非常に高い成長率を示し、富を蓄
積し、様々な事業機会が生まれています。
日本や米国のような先進国市場の企業に
とっても、個人にとっても、大きな事業機
会になるかと思われます。ただ、機会であると同時に挑戦でもあります。
過去数十年間を振り返りますと、米国や日本の企業が新興国に対して投資を実行し、今
や新興国市場での売上が、各企業にとって相当の割合を占めるまでに至っています。
今後、新興国が先進国を上回る速度で富を蓄積していくと考えるのは、合理的なことで
すし、企業がそのような環境に対応して行動するのも正しいことです。富を蓄積した個人
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にとっても、同じように機会があると思います。すなわち、新興国に比べ先進国の成長率
が低く、将来数十年、新興国でより富を生み出しうると考えれば、企業同様に、新興国に
投資を振り向けたいと考えるでしょう。
ただ、かなり問題点もあります。新興国市場への投資はボラティリティが非常に高いこ
とです。さらに、現地市場で現地通貨ベースの株価が下がると、現地通貨の価値も下がっ
てしまいます。例えばインドで株式市場相場が下落すると、ルピーも下落します。そのた
め、先進国の個人投資家や企業にとっては、新興国の資産はボラティリティの高いものに
なってしまいます。
これに対して、ファイナンスの視点からは、分散投資を行えば、一方が下落しても、他
方が上昇するので、ボラティリティを引き下げることができると考えるかもしれません。
しかし、残念ですが、現在のようにグローバル化が進むとこれはうまく機能せず、成立し
ません。新興国同士の相関関係が非常に強く、例えば 2013 年の 5 月に、米国金利が正常化
された際、新興国諸国の通貨は一斉に下落しました。
こういった環境下ではどのような解決策があるでしょうか。残念ながら、完璧な解決策
はないとしか申し上げられません。一方、ポートフォリオを構築する際、グローバル化が
状況を悪化させる可能性があります。つまり、分散投資をしたい、新興国に資産を保有し
たいと考えても、かなりの取引コストがかかります。例えばインドの株式市場に投資する
と考えたとしましょう。インドの株式市場における、いくつかのメジャー・プレイヤーは、
実際にはインド経済そのものとはリンクしていません。彼らは、実際には米国企業からの
アウトソーシングにより収入を得ていたり、ヨーロッパ人にジャガーを売っていたり、そ
の他の富裕国に物を売っています。したがって、インド経済に対してリスクを取っている
つもりが、予期せぬ形でヨーロッパや米国の経済に対するリスクを取っていた、というこ
とがありえます。
さて、その場合、この問題にどのように対応したら良いでしょうか。おそらく今後、実
務的な観点から、企業にとっても個人にとっても、どのようにポートフォリオを構築し、
分散投資を図るかという課題が、注目される研究分野になると思います。
CFO の役割の変化
【新井】
経営財務ということで、話題を経営にシフトしたいと思います。CFO の役割について、
今後どう変わるのか、最初にパーシバル先生に聞いてみましょう。
【パーシバル】
ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、これは私がここ数年多くの時間を割いて
きたテーマです。先ほどもお話ししました通り、米国の企業は、少なくとも単なる規模拡
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大を追求すべきではないと判断するようになりました。彼らは、より優秀になる必要があ
るのです。成長を求めないというわけではなく、正しく選択した利益ある成長、価値を生
み出す成長を追求することの大切さを認識したということです。利益ある成長であるか、
価値を生み出す成長であるか、競争優位性を維持する領域での成長であるか、を常に問う
姿勢です。ですから、CFO の役割が非常に重要になってきているということになります。
現在、彼らは、財務以外の事業部門長やユニットリーダーに対して、信頼されるアドバ
イザーとならなければなりません。また、正しく追求すべき成長機会の選択を支援しなけ
ればなりません。
しかし、我々が調べたところでは、財務畑の人材は、えてしてこういった役割に対して
居心地の悪さを感じるようです。彼らは社内で会計専門職として訓練されてきたため、私
が呼ぶところの「財務の過去を振り返る」ことは得意です。過去に何が起きたかを、非常
に透明性の高い財務情報を使って振り返ることは得意です。しかし、財務的視点に基づき、
現在から「将来を見通す」ことは得意ではありません。前を見て、正しい成長機会を見い
ださなければなりません。
財務の専門知識のない人に対して、財務分析手法を、より絶対的で意味のある手法とし
て理解させる能力を、財務畑の人材が身につけることは大切です。財務畑の人材は、専門
知識のない人間と、業績についてコミュニケーションを取る際に、より役に立ち、より意
味のある方法を見いだす必要があるということです。
彼らの仕事は、特定の成長分野や案件を提示されたときに、単にノーと言うだけではあ
りません。むしろ、正しい成長機会であるかどうかについて、その理由を、役に立つ形で
理解させることです。
また、ユニットリーダーから何か聞かれて初めて分析するのではなく、企業にとって重
要な戦略的な問題を認識する。そしてその分析結果を、同僚に対して、きちんと意味が伝
わるとともに、使えるように説明していく必要があります。
しかし、これは非常に難しいことです。というのは、自社の財務について「過去を振り
返る」ことも忘れてはいけないからです。ひどい会計上の不祥事がありましたし、提出し
なければならない財務情報についての規制も増えています。
現在の CFO は、この 2 つの側面を同時に考慮しなければなりません。すなわち、今まで
行ってきた以上に、しっかりと過去を振り返るとともに、将来を見通すことが求められて
いるのです。そういう意味では、現在の CFO はとても面白い時代にいるとも言えます。CFO
の役割の変化というものは、今まさに生じているものなのです。
米国だけでなく、日本でも同様の変化を迎えてほしいと思います。日本企業の財務の方々
は、残念ながら経理屋だと思われています。もちろんそれも重要な役割ですが、日本の会
社の経営層は財務担当者を、会社の企業戦略の策定、実行といった、より積極的な役割に
参加させるべきです。また、正しい成長機会を追求すべく、価値を生み、利益を伴う成長
を模索する役割を、財務担当者に担わせるべきです。世界の CFO にとって、非常に興味深
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い、エキサイティングな時代になっていると私は思います。
CFO の役割とコーポレート・ガバナンスの関係
【新井】
日本のコーポレート・ガバナンスは近年変化を遂げています。日本企業の株主の構成に
おいては機関投資家が増加しています。一方、日本企業による海外企業の買収が増えてき
ました。社外取締役の導入が進み、スチュワードシップ・コードが注目を集めています。
コーポレート・ガバナンスを巡る大きな環境の変化が日本企業の経営スタイルや CFO の役
割にどのような影響を与えるかお聞きします。
【アレン】
私が日本を大好きであることは、皆さんもご存知かと思います。本当に素晴らしい国で
す。なぜなら、世界のどの国とも全く異なる国であるからです。何百年にわたって鎖国を
してきたことも影響しているかもしれません。ペリー提督が黒船で来日し、明治維新があ
り、そして日本は開国し、劇的に変化していきました。その後は世界中に日本人を送りベ
スト・プラクティスを探し、結果として最も成長率の高い、最も強力な国の一つになりま
した。
今日においても、社会のあり方が異なっています。それは良い面もありますが、長期的
には良くないことかもしれません。新井先生より様々なトピックのご紹介がありましたが、
それこそが 1 つの例です。コーポレート・ガバナンスの観点から見ると、日本はかなり長
い間閉鎖的でした。敵対的な TOB が数件ありましたが、日本で実現させることがいかに困
難かということを明らかにしたと思います。
これは最も極端な例の 1 つですが、スティール・パートナーズがブルドックソースを買
収しようとしました。スティール・パートナーズは米国の投資ファンドであり、10%の株
式を取得しました。そして敵対的な買収を試みました。ファンドのトップであったウォー
レン・リヒテンシュタインはとても傲慢で、
「日本人経営者たちを教育し、啓発する」といっ
た発言をしました。
しかし、実際には、想定外の事態により買収は成立しませんでした。ブルドックソース
は、ポイズンピルという手法を使い、スティール・パートナーズを除く既存株主に対して、
1 株当たり 3 株を発行したのです。この手法は、米国では合法でないため、リヒテンシュタ
インは日本でも訴えれば無効であると考えました。ですが、日本の裁判所はこの手法が合
法であるという判断をしたのです。興味深い問いは、この判断が良かったか、悪かったか
ということです。議論はあるでしょうが、本件の場合、良いことであったと思います。ス
ティール・パートナーズがブルドックソースの買収に成功していたら何を行ったか、想像
するだけで恐ろしいです。
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一方で、買収が成立せず、良くなかったと言える事例もあります。王子製紙、日本製紙、
北越製紙の事案です。王子製紙は当時製紙業界で最も大きく、北越製紙の買収により業界
全体の生産能力を削減しようと考えました。それにより価格を上げることが可能となり、
健全な業界の統合が進むと考えました。皆さんもご存知なので詳細は省きますが、北越製
紙はこれに抵抗し、結果として買収は成立しませんでした。私は、この買収が成功した方
が日本にとっては良かったのではないかと思います。
新井先生もおっしゃったように、現在は様々な変化が起こっています。最も興味深い問
題は、今後日本がどちらに進んでいくかです。外国人投資家による日本企業への投資は増
えています。米国や英国の投資家が日本のコーポレート・ガバナンスのあり方を変えよう
とすると思いますが、大きな抵抗を受けるでしょう。私自身の推測では、物事がそれなり
にうまくいけば大きな変化はないでしょう。しかし、もし大きな危機が起これば変化が訪
れるかもしれません。安倍首相や黒田総裁の思惑通り、アベノミクスが成功すれば、この
ような変化は起こらないでしょう。しかし、もしうまくいかず、政府の債務が増加し続け
れば、どこかで大きな金融危機が起こりえます。その起こり方にもよりますが、様々な制
度に影響が及ぶと思います。その一つがコーポレート・ガバナンスになるのではないでしょ
うか。日本が変わるか、あるいは閉鎖された状態が続くかは、今後の動向に左右されるも
のと思います。
CEO と財務の関係
【新井】
最後に、財務戦略と経営戦略のインテグレーションについて、皆さんも学んだエマソン・
エレクトリックのケースでは優秀な CEO の役割が描かれていたと思います。CEO と財務の
関係について、最後に総括的にお話しいただけますか。
【パーシバル】
多くの皆様もご存知のとおり、エマソン・エレクトリックは私の一番好きな会社の 1 つ
です。この講座でもよく取り上げましたが、それは私たちがこのプログラムで語る内容の
大部分を体現している企業だからです。驚くべきことに、この会社は過去 55 年のうち 54
年、資本コストを上回る利益を上げてきました。これが重要と考えるのは、一部の方々、
特に日本企業では、
「価値創造」という言葉が、短期間のもので、非戦略的なものと捉えら
れているからです。54 年にわたって資本コストを上回る利益を生み出すのは、短期的な見
方ではあり得ず、長期的な視点が必須です。
同社では、CEO と CFO の関係も、とても大切なものとなっています。長い期間を通じ、
CEO は 3 名しかいませんでした。トップの任期は非常に長いと言えます。彼らは皆、叩き
上げのエンジニアでしたが、財務に対する認識を次第に深めていきました。これができた
コーポレート・ファイナンスの将来
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のは、彼らは CFO と緊密な協力関係を構築しており、CFO の発言を脅威と捉えるのではな
く、よく耳を傾けたことが理由だと思います。CEO 自身が財務的な認識を高めることで、
非財務的な意思決定においても、財務上の示唆を理解することを重視していったのです。
戦略策定は重要ですが、最終的に企業の成功を決定付けるものは、戦略の実行です。い
かに素晴らしい戦略を策定できても、実行の段階で失敗すれば何にもなりません。戦略を
策定する際は、会社の能力、得意分野、どこに競争優位性があるかを正しく理解する必要
があります。さらに、効果的に実行・執行できる戦略を立てなければなりません。それこ
そが、毎年資本コストを上回る利益を上げ続けることができる唯一の方法なのです。
この会社は、私たちがこの講座で教えている内容のかなりの部分を 1 社で体現している
と申し上げました。私は、日本の企業にもこの会社と同様のことをやっていただけること
を期待しています。質の高い製品を作り続け、生産技術の面で卓越するのは当然のことで
す。しかし、それだけでなく資本コストを超える価値を生み出す努力を続けていただきた
いと思います。世界中どこの企業であっても、価値を生み出すためには、重要なことです。
繰り返しになりますが、本講座の 2,000 人以上の卒業生が、必ずや日本企業にその見方を浸
透させていってくださると確信しています。
2.Q&A セッション
日本におけるプライベート・エクイティの発展
【新井】
ここで会場から質問があればお受けいたします。
【質問1】
私は現在メザニン投資に携わっています。欧米ではプライベート・エクイティ・ファン
ドによる買収が積極的に行われていますが、日本ではまだ市場が大きくありません。要因
は色々ありますが、私がメザニン投資をする中で日々感じているのは、欧米と日本でのメ
インの貸し手となる銀行の貸し出しの姿勢の違いです。今後どのように変わっていくとお
考えでしょうか。また、先ほどアレン教授より、米国ではベンチャーキャピタルの投資に
よりグーグルやマイクロソフトが生まれたという話がありました。日本では、ベンチャー
キャピタルだけでなくバイアウト・ファンドが企業を買収し、その企業が成長を遂げると
いう顕著な例はありません。うまく発展するにはどのような環境の変化が必要でしょうか。
【アレン】
国により異なる興味深い例だと思います。明らかに言えることは、法的な制度が異なる
ため、ある種の資金調達が不利になるということがあります。日本ではどうかは分かりか
コーポレート・ファイナンスの将来
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ねますが、メザニン投資ができているということはそれほど大きな問題ではないのかもし
れません。一方で、文化の違いが与える影響は、大きいと思います。リスクそのもの、あ
るいはリスクに対する報酬をどう考えるかについては、文化的に異なると思います。極端
な例で見てみると、日本と米国ではリスクの捉え方がかなり異なるようです。大きな問題
が起これば変わりうるものですが、現在の状況が続くようなら、それほどリスクをとるべ
きでないという考え方が続くことになります。そうなると、現在の状況は継続することに
なってしまいます。
【グルテキン】
私からも回答いたします。私は同様の問題に、トルコおよび UAE という、市場自体も、
そして発展段階も異なる市場で、取り組んでいます。
日本はアングロサクソン圏とは異なり、企業の経営権の買収を公開市場で行うのが非常
に難しい国です。これは恐らく文化に関係があると思います。一方、新興国市場では全く
同じではありませんが、似たような状況です。つまり、創業者が売りたがりません。最も
成功している会社をみると、大きな企業はコングロマリット形態ですが、基本的に創業者
が起業したオーナー型の企業が多いです。
こういった環境で、プライベート・エクイティは非常に困難ですが、一方でメザニン・
ファンドはかなり可能性があるのではないかと思われます。成長に必要な資本が不足して
いる市場においては、中小企業ではまず創業者は支配権を手放したくありません。だから
メザニン・ファイナンスには関心が集まりやすくなります。
念のためメザニン・ファイナンスについてご説明します。まず資金調達の手段として、
銀行からの借り入れがあります。これは通常、最も弁済順位の高い手段です。その次に社
債発行があります。そして、LBO のように負債比率を高める場合には、ジャンク債、もし
くはハイ・イールド債を発行します。これらの弁済順位は 3 番目になります。メザニン・
ファイナンスは最も弁済順位が低く、ほとんど株式に近いのですが、債務に分類されます。
実際の活用には困難を伴うものであるため、担保を設定する銀行が組成した方が良い場合
も多いストラクチャーです。そのような意味では、日本は他国に比べて、メザニン・ファ
イナンスの活用可能性は高いと思います。なぜなら日本企業では、ストラクチャー組成の
判断に用いる財務報告が、他国に比して充実しているからです。成長のための資本を提供
する一方で支配権を買収しない方法ですので、今後増えていくのではないでしょうか。
今後の日本における金融危機の可能性
【質問2】
アレン教授にお聞きします。先ほどのご発言で、アベノミクスに触れておられました。
現在の異常な低金利と通貨供給量の増加を見ていると、日本発の大規模な金融パニックが
コーポレート・ファイナンスの将来
Page 15
起こることを危惧せざるを得ません。それについてのご意見をお聞かせください。
【アレン】
我々はもちろんアベノミクスが成功し、再び日本経済が成長軌道に乗り、かつての 80 年
代のような素晴らしい経済、素晴らしい国になることを期待しています。一方、うまくい
かない可能性も否めません。皆が望む形での日本の再生は起こらないかもしれません。過
去 20 年以上にわたり負債を積み上げ続けてきたため、債務が膨らんでいます。ある時点で
維持できなくなるかもしれません。成長していないにもかかわらず、純債務残高の GDP 比
が 200%、300%ある経済は、維持することがとても難しいと思います。成長せず負債だけ
が積み上がっていってしまった場合、非常に重篤な金融危機が起こりえます。その場合、
世界中に大きな影響を与えるでしょう。例えば、インフレはあっても成長がなく、それで
いて金利が低いままであれば、資本の逃避が起こります。1、2 年前の時点で、資本を国外
に持ち出した方が得であると人々が判断すれば、資本の逃避が起こりえます。
このプロセスが継続し、多額の資本逃避が生じた場合、非常に深刻な金融危機が予想さ
れます。これは深刻な危機の場合ですが、同時に大きな負の連鎖を生み出す可能性もあり
ます。例えばユーロ圏で深刻な金融危機が起こった場合、何が起きるかを考えてみましょ
う。この場合、ドイツのような経済力のある国がユーロ圏を離脱してしまうかもしれませ
ん。そうなれば、ヨーロッパだけでなくグローバルに大きな影響を及ぼすでしょう。深刻
な危機になります。実際に起こる可能性はかなり小さいとは思うものの、起きてほしくは
ないとしても、可能性はゼロでもないと言えます。
富の偏在問題に対して、コーポレート・ファイナンスが果たすべき役割
【質問3】
昨日ニュースで世界の富の偏在について耳にしました。世界の人口の 1%の富裕層が、世
界の富の 48%を握っているという内容でした。私自身、上場企業に勤務しておりますので、
ROE の向上を目指すべきということは承知していますが、ROE の向上は本当に社会の幸せ
に繋がっているのでしょうか。お金を持っている株主には富は渡りますが、コーポレート・
ファイナンス、あるいは我々のような財務部門の人間は社会に対してどのように貢献でき
ているのでしょうか。また、社会の中でのコーポレート・ファイナンスの学問としての意
義についてお考えをお聞かせください。
【パーシバル】
価値創造は、企業が製品やサービスを人々に提供し、人々がその生活を向上させていく
一連のプロセスです。その中で唯一財務が関わってくるのが、価値の創造により得られた
富の、資本提供者への適正配分を担保する部分です。資本提供者は富を受ける権利があり
コーポレート・ファイナンスの将来
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ます。価値が創造されれば、世界中の人々の生活が向上します。顧客の人生が向上します
し、従業員を幸せにする原資も生まれます。創造された価値の少なくとも一部は、将来的
にこのプロセスが継続すべく、資本を提供した株主に配分されることは倫理的に正しいこ
とだと思います。価値創造を求めることが人々の幸せに繋がっていない、などとは言えな
いと思います。私は、適切に実行されているという前提であれば、価値創造は最終的には
人々の幸福を目指すものだと思います。ただし、投資家も、価値は自動的に手にできると
思ってはいけません。成果を得られるように戦略を実現して初めて、価値創造はなされる
のです。一つの大きな価値創造のプロセスが構築されれば、皆が幸福になれるのだと思い
ます。
【アレン】
私は英国に引っ越しましたが、経済的にとても興味深い国です。かつて緊縮財政を行い、
幸運にも再び成長軌道に乗り始めた国です。将来は必ずしも非常に明るいとは言えません
が、例えばユーロ圏と比較するとそれほど暗くもありません。英国は、価値創造の重要性
を考えさせてくれる国です。緊縮財政ということで、政府は予算を大幅に削減しました。
福祉だけでなく、軍備もかなり縮小しました。ご存知のとおり、かつて英国は軍にかなり
の予算を割いていましたが、現在は NATO の推奨値である 2%を下回っています。ウクライ
ナでのプーチン大統領の行動を見ると軍事費が減っているのは怖くもありますが、国防費
は減少しています。今後、福祉も国防費も消費活動も成長させるということになると、我々
に必要なことは、理想的には価値創造ということになると思います。
おっしゃったとおり、最近富裕層はさらに富裕になりつつあります。しかし、この問題
は価値創造というよりも、金融政策に関係があるのではないでしょうか。金利が下がると
資産価値は上がります。大半の方々は資産を保有しないため、資産を有する人だけに富が
偏在していく。これが今起こっていることです。再び金利が上がれば、この実態は明らか
になっていくでしょう。将来、富の分配は、より平等なものに変わっていくものと考えま
す。
【ユルマズ】
違う視点からお話しします。富を創造し、労働者であれ資本に対してであれ、その努力
に報いるというのは、あくまで 1 つの側面です。別の側面は、両者は常に創造された富を
分かち合わなければならないということです。
政治がこの点について大いに関係してきます。米国経済から一例を提示しましょう。米
国で、19 世紀、20 世紀にどのように富が創造されていったかというと、富の大部分は当時
「ロッバーバロン(robber baron)
」と呼ばれていた、わずかな産業資本家に集中していまし
た。
それに対して、社会が反旗を翻し、民主党政権によって政府が富の配分権限を決定する
コーポレート・ファイナンスの将来
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力を得ることになりました。そして、政治や選挙を通じて、他の人の富を自身のものにで
きるようになったのです。一部の人にとっては冗談のような話に映るかもしれません。し
かし、これもまた、価値創造のすべてとは言いませんが、一部分であるとは言えると思い
ます。
例えばスカンジナビアを見てみると、富の量こそ少なかったものの、非常に効率的に分
配されていました。しかし、第二次世界大戦後の米国の経済を見てみると、中産階級がか
なりの富を手にし、皆が十分に満たされた生活をし始めました。しかし、経済政策が再び
変わると、状況は一変します。共和党が政権を握り、税率の引き下げなどによって、再分
配に歯止めをかけることで、アレン先生がおっしゃったような世界に変わりました。
金融政策の視点で見ると、世界中、同時に変化は続いています。もちろん、そのような
動きに対する反動もあり、従来の政策への回帰もあります。これは、受け入れるか否かで
なく、富の分配自体が不当であると考える人々の反応です。以上が、政策を通じた富の分
配という、政治的な観点からの示唆です。
【グルテキン】
最後のパネリストですと、言いたいことは既に言われてあまり残っておりません。ただ、
この問題は非常に重要だと思います。エコノミストというものは、いわゆる「プロとして
の偏った見方(プロフェッショナル・ディフォーメーション)」に陥る傾向があります。つ
まり、我々は自分では価値判断の影響を受けないと信じているのですが、それゆえに社会
全体を見ることがないということにもなりかねません。ということで、もし価値が創造さ
れたのであれば、何らかの形で社会全体に浸透していくであろうと信じている部分もあり
ます。市場や資本の市場原理がうまく機能してくれるはず、という非常にナイーブな前提
に立っているのです。
私は、1989 年以降、ポーランドと旧ソ連でも助言してきました。エコノミストとしては、
ソ連の崩壊を受け、世界の全ての問題が解決できた、皆が豊かになれると大喜びしていた
ものです。確かに市場はある時期うまく機能していた部分もありましたが、一時的なもの
でしかありませんでした。長期的には市場は機能しない方向に変化していきました。富の
分配は必ずしも理想的なものにはならず、常に何らかの問題をはらむものになってしまい
ました。
富の分配に関する問題のもう一つの原因は、結果的にはレーガン政権から始まった米国
での税法が大きなものだと思います。税率が引き下げられたことが、富の再分配効果に対
する大きな制約となりました。近年の GDP の増加や富の増加を考えると、富の偏在度合い
は、質問者が指摘した先ほどの数字よりもさらにひどくなっている可能性があります。人
口の 1%、いや 0.1%が最も大きなパイを占めています。
また、経済改革を終えたばかりの国でも、同じような構造を見ることができます。皆さ
コーポレート・ファイナンスの将来
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んは、東欧諸国やロシア、新興国において、市場は問題を解決できると思われるかもしれ
ませんが、同じような事態が生じているのです。結局のところ、資本を有する者は、すぐ
に資本を逃避させることができます。そしてすぐに、価値観にもよりますが、非常に不公
平な状況を生み出すのです。
しかし、私はこのような状況は長期的には持続可能なものではないと考えます。問題は、
人々がどのように反応するかです。政治的な手段を通じてどのように反応するか、それこ
そが現代の社会が直面する最も挑戦しがいのある問題の一つだと思います。
例えば税引前の水準で見ると、北ヨーロッパと米国の所得分配の公平さは同じです。し
かし、税引後の水準で見ると、所得分配は米国の方がより偏っています。もちろん皆さん
は、ヨーロッパはそれゆえにいくらか苦しむことになるかもしれない、と指摘することも
できるでしょう。長期的に見て、社会保障に対する支払いを継続することはできないかも
しれない、というのが理由になるでしょうか。
この話が示すのは、結局のところ政策の意思決定というものは、あまりにも道具がない
のに様々な目標を達成しようとするものなのです。政策は、ある種その場しのぎの行為で
あり、何らかのトレードオフの関係にあるものという目線で注意深く見ていく必要がある
と思います。
ただ、この論点が最も重要な問題であることには変わりありません。答えは持ち合わせ
ていませんが、このような富の偏在はある意味ではグローバル化の産物なのかもしれませ
ん。企業がある国から別の国に非常に簡単に移動するということは、グローバル化の影響
と言えます。製造機能が、ある国から別の国に移動するということになると、生産拠点は
労働力の最も安い所に集中してしまいます。国境を開くということは、全ての国が安い労
働力で競争することになります。繰り返しになりますが、それゆえに中国が競争力を持ち
ました。
かつてウォートン・スクールに、中国人の同僚でサンディ・グロスマンという方がいま
した。彼はノーベル賞に値するほどの人物であったと思いますが、その後ヘッジファンド
のマネジャーに転身しました。本当に頭の良い方です。15 年前の話ですが、彼はよく 6 億
人の中国人が 1 日 1 ドルで働いている時に、米国で 1 時間 15 ドルももらえるわけがないと
言っていました。平等という概念とは何かを考えざるを得ない話です。
もちろん、歴史をひも解いてみれば、上下はあるものの、富の水準は上昇傾向にはあり
ます。それは、経済が及ぼす影響もあれば、技術が及ぼす影響もありますし、まだ我々が
分からない何かが影響しているかもしれません。
今後も、人々の生活は以前よりも良くなっていくでしょう。先ほど私が申し上げたよう
に、新興国がより良く、大きくなっていけば、人々はまた変わっていくでしょう。
いずれにせよ、我々は今、変革期におり、長期的な予測を行うことは極めて難しいと言
えます。我々が言えることは、ケインズが言っていたように、
「長期的には皆、いずれ死ぬ」
ということだけです。誰しも生きている間に苦労をすることは楽しいことではないと思い
コーポレート・ファイナンスの将来
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ますし、我々がこの世を去ってから何が起きるかも分かりませんので、このような予測は
神が取り扱うべきことかもしれません。エコノミストとしては、現在何が起きているかに
注目するしかありませんね。
コーポレート・ファイナンスの将来
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3.パネル・ディスカッションを終えて(講評:新井 富雄)
20 年から 30 年という長年にわたり「野村・ウォートン経営財務講座」で講師を務められ
てこられたパーシバル先生とアレン先生が、2015 年 1 月の上級管理者向け講座を最後に引
退されました。そして、2015 年 5 月の講座からウォートン・スクールのユルマズ先生、グ
ルテキン先生、ムスト先生の 3 人の先生方にバトンタッチされます。このパネル・ディス
カッションは、この節目の機会に、ご都合で参加できなかったムスト先生を除く 5 名の先
生方をお招きして、新井の司会で進められました。
最初に、コーポレート・ファイナンスの将来を展望する、ということで先生方の意見を
お聞きしました。冒頭、パーシバル先生からは次のような発言がありました。

「価値創造」の考え方は本当に重視されつつありますし、「資本コスト」はある意味
では文化のような存在になりつつある

財務の専門家ではない事業責任者、オペレーションの人材でも理解できるツールと
して活用されている

日本での変化はより遅く、時間がかかっている

2,000 人を超える「野村・ウォートン経営財務講座」の卒業生に、日本企業の変革の
担い手としての役割を果たしていただきたい
パーシバル先生は、講義やエマソン・エレクトリック等のケース討議を通じ、オペレー
ションと財務が一体になった経営が行われて初めて、見かけ倒しでない真の価値創造型経
営が可能になるのだ、ということを一貫して訴え続けてこられました。冒頭のパーシバル
先生のこの発言は先生の主張を再確認する発言でした。
過去 30 年間に世界経済に起こった変化のうち最大の変化のひとつは、中国を筆頭とする
新興国の台頭でしょう。トルコの中央銀行総裁を務めた経験もあるグルテキン先生からは、
こうした新興国の経済発展は今後も続き、30 年後には世界の主要経済大国の大半を現在の
新興国が占めることになるという見通しが示されました。今後の世界経済は、先進国と新
興国のパワーバランスの大きな転換期であると同時に、金融的には一層の脆弱性をはらん
だものになるという前提に立って企業経営を行わなければならない、という趣旨の発言で
した。
アレン先生からは金融イノベーションに関して発言がありました。

金融イノベーションは、過去様々な貢献をしてきました。例えば、ベンチャーキャ
ピタルがマイクロソフト、グーグル、インテルなどの企業の揺籃期を支え、これら
の企業の製品やサービスが我々の生活を大きく変えるのに貢献しました

今後は、環境保護、新興国での結核撲滅のための新薬開発など、従来採算に乗らな
いということで進んでこなかった事柄を推進するために、金融イノベーションが貢
献することが期待されます
次に、新進気鋭のファイナンス研究者であるユルマズ先生からは、グローバル化の進展
コーポレート・ファイナンスの将来
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や新興国の台頭が金融資本市場に与える影響の分析が、今後のファイナンスの学術的研究
の大きなテーマになるだろうという発言がなされました。
続いてパネルでは「経営財務」のうち「経営」に焦点を当てて先生方の意見を求めまし
た。ここでパーシバル先生は、CFO の役割として、受け身的に行動するのではなく、戦略
的な問題を予見、分析し、オペレーション部門の同僚に分析結果を分かりやすい言葉で伝
えていくことが重要だ、との発言をされました。残念ながら、日本の経営者は財務担当者
を経理屋としか見ていない。会計数値で過去の実績を把握することも大切だが、将来に向
かって価値を生む成長を模索するにあたり、日本企業は財務担当者の役割をもっと増やす
べきである、と述べられていました。
アレン先生からは、日本のコーポレート・ガバナンスについて次のようなコメントがあ
りました。

2000 年代の後半には、日本でも数件の敵対的 TOB が試みられたがいずれも失敗に終
わりました。この例が示すように、現在までのところ日本のコーポレート・ガバナ
ンスに大きな変化は見られません

今後、日本のコーポレート・ガバナンスに大きな変化が見られるかどうかは、アベ
ノミクスや黒田総裁の大胆な金融政策が成功するか否かに掛かっています。こうし
た経済政策が成功して日本が成長軌道に戻れば、日本のコーポレート・ガバナンス
に大きな変化は見られないでしょう。しかし、アベノミクスが失敗して金融危機が
勃発すれば、日本でもコーポレート・ガバナンスも含めた様々な大制度改革が起こ
ることになる
以上が、パネル・ディスカッションの概要です。司会者として先生方の発言を聞いてい
て強く感じたのは、今後、日本企業でも forward-looking な考え方のできる財務担当者、そ
して財務にも強い経営者がますます重要になるだろうということでした。
経営環境の不確実性は従来に増して増大しています。世界経済に目をやりますと、金融
危機以降の世界的超金融緩和政策が出口を模索しはじめ、そのことが世界の金融資本市場
のボラティリティを高めています。原油安は経済にプラス効果をもたらすだけではなく、
新たな波乱要因になるかもしれません。アジアでは中国の高成長に明らかな陰りが見られ、
日本では慢性的な低成長に対する起死回生策として打ち出されたアベノミクスの成否に注
目が集まっています。確かに安倍政権誕生後、円安にも助けられて日本企業の業績は改善
し株価も上昇しました。しかし、実物経済面ではまだ明確な回復基調に戻ったわけではな
く、危機的な財政状況も改善したわけではありません。将来の国債の大暴落や日本発の世
界的金融危機勃発を懸念する人もいます。ミクロ的に見ると、アジアの近隣諸国企業との
激しい競争にさらされている家電業界などでは、依然多くの企業がより一層のリストラを
迫られています。
このような厳しい経営環境のなかで、企業経営者はリスク管理を徹底した上で新たな成
コーポレート・ファイナンスの将来
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長を模索しなければなりません。積極策一点張りの冒険主義的経営では、新たなショック
が発生したとたんに経営破綻する可能性が高くなります。一方で、過去 20 年多くの日本企
業がそうだったように、慎重居士を決め込みリスクを取らない経営を続ければ、長期的に
生き残れません。こうしたとき求められるのは、NPV、EVA や資本コストなどの数字に基
づき冷静に事態を分析して、経営戦略立案に積極的に関与する forward-looking な財務担当
者、さらには、エマソン・エレクトリックの元 CEO チャック・ナイトのように財務にも強
い経営者になります。2,000 人を超える「野村・ウォートン経営財務講座」の卒業生のより
一層の活躍に期待したいと思います。