平成27年度 社会人入試問題 【小論文】

平成27年度
問題
社会人入学試験
小
論
文
次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。
見返りを求めない行為を、われわれはときどき見かける。電車のホームから誤って落ちた子どもを救おうと、
電車が迫ってくるのに自分の身の危険をかえりみず線路に飛び降りるというような人のことを新聞で目にする。
そういう場面に遭遇したら、「すばらしいこと」、「勇気あること」と称賛したい。しかし、いつもそれを期待する
ことはできない。
通常の人にとって、純粋に利他的な行為は、日常的な活動の一部としてではなく、たま たま自分にそういう機
会が訪れたとき、結果としてそうしていたと気づくといった性質のものであると思う。日常の社会関係の要素と
して人の行為を「モデル化」して考える場合には、われわれは必ず何かしらの「報酬」を期待して行動するもの
だと想定するのが無理のない、納得のゆくアプローチだろう。
「ボランティアってのは、自分にとって一銭の得にもならないことを一生懸命やっているみたいだ。だから、
ボランティアは偉い、感心だ」。こんなふうにいう人は好意的な人だ。その気持ちが少し皮肉な側に傾けば、ボラ
ンティアは「変わった人だ」、「物好きだ」となるかもしれないし、反発心が混じれば、ボランティアは「偽善的
だ」となりかねない。
「偽善的だ」と言われたとき、ボランティアは考え込んでしまうかもしれない。自分がしていることが「見返
り」を求めない「尊い」行為だと言う自信はない。もしかすると自分は、自分の力を誇示したいだけなのではな
いか、弱いものと接することで優越感を感じたいだけではないか、「こんないいことをしましたよ」と周りの人に
自慢したいだけなのではないか……と考え出すと、自分でも不安になってしまう。
私は、ボランティアが行動するのはある種の「報酬」を求めてであるからに違いないと考える。私自身の限ら
れた経験からもそう思うし、考え方の枠組みとして、とりあえずそのような想定をしてから出発することが有効
なアプローチであると思う。(中略)問題は、「報酬」をどう考えるかということである。
ボランティアにとっての「報酬」とは、もちろん、経済的なものだけとは限らない。その人によっていろいろ
なバリエーションが可能なものである。私は、ボランティアの「報酬」とは次のようなものであると考える。そ
の人がそれを自分にとって「価値がある」と思い、しかも、それを自分一人で得たのではなく、誰か他の人の力
によって与えられたものだと感じるとき、その「与えられた価値あるもの」がボランティアにとっての「報酬」
である。
ボランティアはこの広い意味での「報酬」を期待して、つまり、その人それぞれにとって、自分が価値ありと
思えるものを誰かから与えられることを期待して、行動するのである。その意味で、ボランティアは、新しい価
値を発見し、それを授けてもらう人なのだ。
ボランティアの「報酬」についてわかりにくいところがあるとしたら、その本質が「閉じて」いてしかも「開
いて」いるという、一見相反する二つの力によって構成されているからではないだろうか。
人が何に価値を見いだすかは、その人が自分で決めるものである。他人に言われて、規則で決まっているから、
はやっているからとかという「外にある権威」に従うのではなく、何が自分にとって価値があるかは、自分の「内
にある権威」に従って、つまり、独自の体験と論理と直感によって決めるものだ。その意味で、価値を認知する
源は「閉じて」いる。
「内なる権威」に基づいていること、自発的に行動すること、何かをしたいからすること、きれいだと思うこ
と、楽しいからすること、などが「強い」のは、それらの力の源が「閉じて」いて、外からの支配を受けないか
らだ。しかし、ボランティアが、相手から助けてもらったと感じたり、相手から何かを学んだと思ったり、誰か
の役に立っていると感じてうれしく思ったりするとき、ボランティアは、かならずや相手との相互関係の中で価
値を見つけている。つまり、
「開いて」いなければ「報酬」は入ってこない。このように、ボランティアの「報酬」
は、それを価値ありと判断するのは自分だという意味で「閉じて」いるが、それが相手から与えられたものだと
いう意味で「開いて」いる。
「外にある権威」だけに基づいて行動すること、つまり「開いている」だけの価値判断によって行動するのは、
わかりやすいことであるとともに、楽なことだ。うまくいかなくとも、自分のせいではないし、いつでも言い訳
が用意されているのだから。また、自分の独自なるものを賭ける必要がないから、傷つくこともない。しかし、
「外
にある権威」だけに準拠して判断をするということは、物事をある平面で切り取り、それと自分との 関係性をは
じめから限定してしまうことになる。それでは、何も新しいものは見つけられないし、だいいち、楽しくない。
一方、「閉じて」いるだけのプロセスも、複雑なところはなくはっきりしているし、周りのことを考えなくてい
いわけだから楽なことである。しかし、そこからは排他性とか独善しか生まれない。つまり、
「開いている」だけ、
または「閉じている」だけの行動は、わかりやすく、楽であるかもしれないが、力と魅力に欠けるということだ。
新しい価値は「閉じている」ことと「開いている」ことが交差する一瞬に開花する。
ボランティアの「報酬」は「見つける」ものであると同時に「与えられる」ものであるということは、新しい
価値が「報酬」として成立するには、ボランティアの力と相手の力が出会わなければならない、つまり、つなが
りがつけられなければならないということだ。
(金子郁容『ボランティア
問一
もうひとつの情報社会』岩波書店、1992
による。一部改めたところがある。)
筆者は問題文でボランティアについての意見を展開しているが、その大前提として、人の行動についてどの
ように考えているか。問題文中の 30 字以内の表現を抜き出すことで答えなさい。
問二
問題文の3,4段落にはボランティアの人が自分たちの行為について「偽善的」だとか、
「見返りを求めない
尊い行為だという自信はない」など、不安になることが述べられている。筆者はそのような不安に対してどの
ような意見を持っているのか。「報酬」ということばについての考えに触れながら、500 字以上 600 字以内で
説明しなさい。