(11) 第 30 回若手研究者のための健康科学研究助成成果報告書 2013 年度 pp.11∼15(2015.4) 1 回の運動がもたらすメンタルヘルスへの有益な効果は どの程度続くのか? 安 藤 創 一* 小 見 山 高 明** 畑 本 陽 一*** THE EFFECTS OF A SINGLE BOUT OF EXERCISE ON MENTAL HEALTH Soichi Ando, Takaaki Komiyama, and Yoichi Hatamoto Key words: exercise, mental health, lactate threshold, catecholamine, cortisol. 緒 言 響を及ぼすのかについて推察することを目的とし た。 身体の健康だけでなく、心の健康であるメンタ 研 究 方 法 ルヘルスを維持することは、年代を問わずクオリ ティ・オブ・ライフを維持するうえで欠かすこと A.被験者 ができないものである。これまでの研究から、運 被験者は健康な若年男性 7 名(平均値±標準偏 動が身体に対してだけでなく、メンタルヘルスの 差,身長1.70±0.08 m,体重67.7±6.2 kg,最高酸 維持や改善に対しても有益な効果をもたらすこと 素摂取量(VO2peak)42.6±5.9 ml/kg/min)であった。 が示唆されている4)。運動がもたらすこの有益な すべての被験者は、実験の参加に対する同意を 効果は、 1 回の運動であってもみられることが期 行った後に実験に参加した。本研究は、福岡大学 待されるが、運動がもたらす有益な効果がどの程 倫理委員会の承認(14-12-01)を受けて行った。 度の時間、継続されるのかについては明らかと ● B.実験方法 なっていない。そこで、本研究では、乳酸閾値で 被験者は、本実験の前に自転車エルゴメータに の強度の運動がメンタルヘルスに及ぼす効果がど よる漸増負荷運動を行い、乳酸閾値に相当する強 こまで継続するのかについて検討することを目的 度および最高酸素摂取量を決定した。漸増負荷運 とした。運動がメンタルヘルスにもたらす効果の 動の運動負荷は、10 W で開始し、 1 分ごとに20 検討には、質問紙による感情状態の評価により W ずつ増加させた。運動は継続できなくなるま 行った。更に、血中のカテコールアミン(アドレ で行った。運動中には、 1 分ごとに耳朶から採血 ナリン,ノルアドレナリン,ドーパミン)、脳由 を行い、血中乳酸濃度(ラクテート・プロ TM2, 来神経栄養因子(BDNF)、セロトニン、および アークレイ,京都)を測定し、乳酸閾値を決定し コルチゾールの濃度変化を併せて測定すること た(108±16 W)。 で、運動がどのような機序でメンタルヘルスに影 実験は午前 9 時から開始した。被験者は、空腹 * ** *** 電気通信大学情報理工学研究科 Graduate School of Informatics and Engineering, University of Electro-Communications, Tokyo, Japan. 福岡大学大学院スポーツ健康科学研究科 Graduate School of Sports and Health Science, Fukuoka University, Fukuoka, Japan. 福岡大学スポーツ科学部 Faculty of Sports and Health Science, Fukuoka University, Fukuoka, Japan. (12) 状態で実験開始の 1 時間前までに研究室に到着 エース R,三和化学研究所,名古屋)を測定した。 し、実験開始まで安静を保った。被験者は、運動 運動終了から 1 時間後、 3 時間後、24時間後の測 前、乳酸閾値強度での30分間の運動終了直後に質 定でも、質問紙に対する回答後に血中乳酸濃度と 問紙による感情状態の評価を行った。併せて、前 血糖値を測定した。静脈からの採血による血中の 腕の静脈から採血を行った。運動後の測定は、運 カテコールアミン濃度(アドレナリン,ノルアド 動終了直後に加えて、運動終了から 1 時間後、 3 レナリン,ドーパミン)、血清 BDNF 濃度、セロ 時間後、24時間後に行った(図 1 )。運動終了か トニン濃度、コルチゾール濃度の測定は、外注に ら 3 時間後までは、水の摂取のみ可とした。運動 よる臨床検査にて行った(SRL,東京)。 D.統計検定 終了から24時間後の測定についても、被験者は空 腹状態で行った。 統計検定には、繰り返しのある一元配置の分散 C.測定項目 分析を用いた。多重比較にはダネットの方法を用 本研究で用いた感情の状態を評価する質問紙 いて運動前の値と比較した。有意水準は 5 %とし は、坂入ら による二次元気分尺度(Two-dimen- た。 6) sion mood state; TDMS)および橋本と村上 によ 2) 結 果 る改訂版ポジティブ感情尺度(Mood Check List- A.RPE、血中乳酸濃度、血糖値、収縮期血圧、 short form 2 ; MCL-S.2 )であった。二次元気分尺 および拡張期血圧(表 1 ) 度では、活性度、安定度、快適度、および覚醒度 を評価した。改訂版ポジティブ感情尺度では、快 RPE および血中乳酸濃度は運動終了直後に運 感情、リラックス感、および不安感を評価した。 動前と比較して増加がみられた(それぞれ P < 運動前および運動終了直後には、耳朶から血液を 0.001,P < 0.01)。しかし、運動終了から 1 時間後、 採取し、血中乳酸濃度および血糖値(グルテスト 3 時間後、24時間後には運動前と比較して差はみ Exercise at LT (30 min) Post Pre 1 hour 24 hours 3 hours Measurements 図 1 .実験のプロトコール Fig.1.Experimental protocol of the present study. LT represents lactate threshold. One hour, 3 hours, and 24 hours represent the time after the exercise. 表 1 .RPE、血中乳酸濃度、血糖値、収縮期血圧、および拡張期血圧の変化 Table 1.Alterations in RPE, blood lacatate concentration, blood glucose concentration, systolic blood pressure, and diastolic blood pressure. Variables RPE Pre 6.3 ± 0.5 Post 12.3 ± 2.2 *** 2.5 ± 1.0 ** 1 hour 6.4 ± 0.5 3 hours 6.1 ± 0.3 24 hours 6.1 ± 0.3 Blood lactate concentration, mmol/l 1.3 ± 0.4 1.3 ± 0.2 1.1 ± 0.2 1.1 ± 0.3 Blood glucose concentration, mg/dl 80.1 ± 9.0 79.1 ± 4.8 77.0 ± 3.9 75.7 ± 4.8 82.6 ± 5.0 Systolic blood pressure, mmHg 121.6 ± 6.4 122.0 ± 7.2 113.4 ± 7.9 110.3 ± 6.1 * 115.0 ± 9.6 Diastolic blood pressure, mmHg 73.1 ± 7.5 76.4 ± 7.1 68.1 ± 6.6 65.6 ± 6.6 * 69.9 ± 9.4 Values are expressed mean ± SD. *P < 0.05, **P < 0.01, ***P < 0.001 vs. Pre. (13) られなかった。血糖値には実験を通して差はみら 運動終了から 1 時間後および 3 時間後には不安感 れなかった。収縮期血圧および拡張期血圧は、運 に低下がみられただけでなく(それぞれ P < 0.05, 動終了から 3 時間後に運動前と比較して低い値を P < 0.01)、 3 時間後には、安定感が上昇する傾向 示した(それぞれ P < 0.05) 。 がみられた(P < 0.1)。 B.二次元気分尺度(TDMS)および改訂版ポ C.アドレナリン、ノルアドレナリン、および ドーパミン(図 2 ) ジティブ感情尺度(MCL-S.2 ) (表 2 ) 運動終了直後には、快感情が上昇し(P < 0.01)、 運動終了直後には、アドレナリン、ノルアドレ 活性度にも上昇する傾向がみられた(P < 0.1)。 ナリン、およびドーパミンの血中濃度に上昇がみ 表 2 .二次元気分尺度と改訂版ポジティブ感情尺度により評価した感情状態の変化 Table 2. Affective state assessed by Two-dimension mood state(TDMS)and Mood Check List-short form 2 (MCL-S.2). Variables Pre Post 1 hour 3 hours 24 hours TDMS Vitality 4.8 ± 0.9 7.5 ± 1.3 # 5.8 ± 2.0 5.5 ± 2.5 Stability 6.0 ± 3.1 6.3 ± 2.1 7.0 ± 1.6 8.2 ± 0.9 Pleasure 10.8 ± 3.8 13.8 ± 3.2 12.8 ± 2.7 13.7 ± 3.1 8.8 ± 2.8 Arousal −1.2 ± 2.3 1.2 ± 1.3 −1.2 ± 2.3 −2.7 ± 2.1 −0.8 ± 3.2 4.0 ± 2.1 4.8 ± 2.2 # MCL-S.2 Pleasantness 2.8 ± 2.8 6.8 ± 1.7 ** 4.5 ± 2.9 4.2 ± 2.4 2.7 ± 2.1 Relaxation 4.8 ± 3.8 5.0 ± 3.7 5.5 ± 3.4 6.0 ± 3.0 5.3 ± 3.9 −8.3 ± 3.7 −11.0 ± 1.0 Anxiety −11.5 ± 1.1 * −12.0 ± 0.0 ** −10.5 ± 2.3 Values are expressed mean ± SD. P < 0.1, *P < 0.05, **P < 0.01 vs. Pre. 40 Post 1H 3H 30000 20000 24H *** 800 400 ** Post 1H 3H 15 * 5 Post 1H 3H 24H 図 2 .アドレナリン、ノルアドレナリン、ドーパミンの 変化 Fig.2.Alterations in adrenaline, noradrenaline, and dopamine. *P < 0.05, ***P < 0.001. 1H 3H 24H 1H 3H 24H 120 100 80 Pre Post 25 20 15 ** 10 5 0 Pre Post 140 24H 10 Pre 160 60 Pre 20 0 40000 0 Pre 1200 0 50000 10000 Serotonin(ng/ml) Noradrenaline(pg/ml) *** 80 0 Dopamine(pg/ml) BDNF (pg/ml) 120 Cortisol(μg/ml) Adrenaline(pg/ml) # Pre Post *** *** 1H 3H 24H 図 3 .BDNF、セロトニン、コルチゾールの変化 Fig.3.Alterations in BDNF, serotonin, and cortisol. **P < 0.01, ***P < 0.001. (14) られた(それぞれ P < 0.001,P < 0.001,P < 0.05)。 含めたさまざまなストレスに応答する5)。運動終 運動終了から 1 時間後には運動前の水準まで低下 了後にみられたコルチゾールの低下が、不安感の し、 3 時間後、24時間後も運動前と比較して差は 低下および安定感の上昇と関係がある可能性が考 みられなかった。 えられる。しかし、コルチゾールは日内変動する D. 血 清 BDNF、セ ロ ト ニ ン、コ ル チ ゾ ー ル ことが知られており、特に早朝に高い値を示すこ とが指摘されている1)。本研究では、午前 9 時に (図 3 ) 血清 BDNF 濃度は運動終了から 1 時間後に安 実験を開始し、運動後はそのまま安静状態を保っ 静時と比較して低下した(P < 0.01)。血中セロト ていた。そのため、本研究でみられたコルチゾー ニン濃度は、実験を通して差がみられなかった。 ルの低下が運動だけの効果によるものではない可 一方、血中コルチゾール濃度は、運動前と比較し 能性が考えられる。この点については、今後の検 て、運動直後および運動終了から 1 時間後、 3 時 証が必要である。 間後に低下がみられた(それぞれ P < 0.01,P < 本 研 究 で は、 運 動 終 了 か ら 1 時 間 後 に 血 清 0.001,P < 0.001) 。 BDNF に低下がみられた。この血清 BDNF の低 下は、運動の影響であると考えられる。運動後の 考 察 血清 BDNF の変化は、運動負荷によって違いが 本研究では、運動前と比較して運動終了から24 みられることが報告されている7)。血清 BDNF の 時間後に差がみられた項目は認められなかった。 生理的意義については明らかではないが、本研究 このことは、自転車エルゴメータを用いた乳酸閾 でみられた感情状態の変化に対する影響は大きく 値の強度での30分間の運動の効果は、翌日までは ないのかもしれない。セロトニンは気分の調節に 継続されないことを示唆している。本研究では、 関与することが示唆されている8)。しかし、本研 運動終了直後には、RPE および血中乳酸濃度が 究の実験条件では、運動により血中のセロトニン 上昇し、血中のアドレナリン、ノルアドレナリン、 濃度に大きな変化はみられなかった。 ドーパミンの濃度にも上昇がみられた。更に、快 本研究では、予備実験として運動を行っていな 感情が上昇し、活性度にも上昇する傾向がみられ い群に対して、同様の時間経過で改訂版ポジティ た。これらの変化はすべて、運動終了から 1 時間 ブ感情尺度測定を行ったが、感情状態に変化はみ 後には安静時の水準にまで低下した。したがって、 られなかった。そのため、今回は生化学的解析を 運動による快感情と活性度の変化には、カテコー 行わなかった。しかし、運動が感情状態に及ぼす ルアミンの一時的な上昇が関与している可能性が 効果をより明確にし、生化学的指標の日内変動を 示唆された。特に、青斑核のノルアドレナリン分 明らかにするためにも、今後は対照群に対する測 泌ニューロンは脳の広範な領域に神経線維を投射 定も必要となることが考えられる。本研究は、被 して覚醒レベルを上昇させ、精神活動や心的状態 験者を若年男性のみに限定して行ったものであ を全般的に制御していることから 、本研究でも る。今後は、中高年者や女性などに対しても、同 快感情と活性度の変化に対して大きく貢献してい 様の結果がみられるのかについて検討することが ることが推察される。 課題であろう。また、本研究ではメンタルヘルス 運動終了から 1 時間後および 3 時間後には、不 の指標については、質問紙により定量化を行った 安感の低下がみられた。また、 3 時間後には、安 のみである。そのため、測定手法としての限界が 定感にも上昇する傾向がみられ、収縮期血圧およ あると考えられる。更に、今回測定した生化学的 び拡張期血圧もともに低下していた。これらの結 指標は静脈血中から計測したものであり、どこま 果は、運動終了後も運動の有益な効果が継続する で脳内での濃度を反映しているのかについては更 可能性を示唆している。運動終了から 1 時間後お なる検討が必要であると考えられる。 3) よび 3 時間後には、コルチゾールの低下がみられ た。コルチゾールの機能は多岐にわたり、運動を (15) 総 括 本研究では、乳酸閾値の強度での30分間の運動 が、メンタルヘルスに及ぼす効果がどこまで続く ティブ感情尺度(MCL-S.2 )の信頼性と妥当性.健 康科学,33, 21-26. 3)御手洗玄洋総監訳,小川徳雄,永坂鉄夫,伊藤嘉房, 松井信夫,間野忠明監訳(2010):ガイトン生理学. 原著第 11 版,エルゼビア・ジャパン,東京. のか検討した。その結果、運動直後には快感情や 4)永松俊哉(編) (2012) :運動とメンタルヘルス.公 活性度が上昇し、運動終了から 3 時間経過しても 益財団法人明治安田厚生事業団(監修) ,杏林書院, 安定感の上昇や不安感の低下がみられることが示 東京. された。これらの変化には、血中のカテコールア ミンやコルチゾールの濃度の変化が関係している 可能性が示唆された。 謝 辞 本研究に助成いただいた公益財団法人明治安田厚生事 業団に深く感謝申し上げます。また、本研究を遂行する にあたり、ご協力いただきました福岡大学スポーツ科学 部の檜垣靖樹教授ならびに被験者の皆様に厚く御礼申し 上げます。 参 考 文 献 5)Powers SK, Howley ET(2012) : Exercise Physiology: Theory and Application to Fitness and Performance, 8th ed, McGraw Hill, New York. 6)坂入洋右,徳田英次,川原正人,谷木龍男,征矢英 昭(2003) :心理的覚醒度・快適度を測定する二次元 気分尺度の開発.筑波大学体育科学系紀要,26, 2736. 7)Schmidt-Kassow M, Schädle S, Otterbein S, Thiel C, Doehring A, Lötsch J, Kaiser J(2012) : Kinetics of serum brain-derived neurotrophic factor following low-intensity versus high-intensity exercise in men and women. Neuro, 889-893. report, 23(15) 1)Budde H, Machado S, Ribeiro P, Wegner M(2015) : The 8)Sekiyama T, Nakatani Y, Yu X, Seki Y, Sato-Suzuki I, Arita cortisol response to exercise in young adults. Front Behav H(2013): Increased blood serotonin concentrations are Neurosci, 9, 13. correlated with reduced tension/anxiety in healthy postpar- 2)橋本公雄,村上雅彦(2011):運動に伴う改訂版ポジ (3) , 560-565. tum lactating women. Psychiatry Res, 209
© Copyright 2024 ExpyDoc