森 裕介・森村成樹 京都大学熊本サンクチュアリ 【要旨】 「いつ・だれが」という情報は、動物の飼育管理で最も基本的かつ重要な情報である。 熊本サンクチュアリでは2003年以降雄のみの集団を形成し、1集団が5~15個体の比較的大 きな集団を安定維持してきた。概ね良好な社会関係で生活している一方で、個体の相性が 原因と考えられる攻撃交渉による負傷が低い割合ながら続いてきた。いつ、だれが、闘争 に関与しているのかをモニタリングすることは、社会関係の変化を把握するために重要だ が、そもそも闘争頻度が低いために目視による観察は困難である。またビデオカメラを設 置したとしても、死角のないように放飼場全体を監視するには多数のカメラが必要で、そ れらに録画された映像を見直すのも現実的ではない。一方、音声による個体識別が可能で あれば、遮蔽物に遮られることはなく、長時間録音も可能である。そこで闘争の際に発せ られるスクリーム音を採集し、音声スペクトル分析による個体識別法を試みた。 ©Kumamoto Sanctuary 【方法】 ©Kumamoto Sanctuary ©Kumamoto Sanctuary 【結果】 ジョージ ©Kumamoto Sanctuary ■対象:京都大学熊本サンクチュアリで飼育されている雄17個体 ■音声の収集:チンパンジーの「スクリーム」と呼ばれる不快な音声を各個体について収集した。 音声は、デジタルレコーダー(Korg MR-1)に指向性マイク(Sennheiser K6/ME67)を接続して 録音した(WAV 44.1kHz/16bit)。攻撃的交渉がおこるたび、スクリーム音声をできるだけ記録 した。発声個体は目視によって確認した。 ■音声の分析:本研究では、音声の0~6000Hzの周波数帯についてフォルマントを定量化し、個体 間で比較した。音声の定量的分析ではPraatソフトウェアversion 5.3.52 (www.praat.org)を用いた。 統計解析はRソフトウエアversion 2.13.1(www.r-project.org)を使用した。 チンパンジー雄17個体の音声スペクトル シロウ 第1~第4フォルマントの個体間比較 ミコタ 第1フォルマント ジョージ ゴロウ カナオ カナオ ケニー レノン ミコタ ミナト ミズオ ムサシ ナオヤ ノリヘイ ノリオ サトル シロウ ショウボウ タカボー トーン 1.00 1.00 1.00 ケニー 0.05 <0.001 0.02 レノン 0.00 0.88 0.00 ミコタ 1.00 ミナト <0.001 ミズオ ムサシ Hz ゴロウ ジョージ ナオヤ 1.00 1.00 <0.001 1.00 1.00 0.07 0.00 <0.001 <0.001 0.06 1.00 1.00 1.00 1.00 0.04 0.00 1.00 <0.001 0.00 <0.001 1.00 1.00 <0.001 <0.001 1.00 1.00 0.82 1.00 0.20 0.00 1.00 <0.001 1.00 1.00 ノリヘイ 1.00 1.00 1.00 0.00 0.04 1.00 <0.001 1.00 1.00 1.00 ノリオ 1.00 0.36 1.00 0.48 <0.001 1.00 <0.001 1.00 1.00 1.00 サトル 0.08 1.00 0.20 <0.001 1.00 0.06 0.02 0.00 0.16 0.02 1.00 1.00 1.00 0.01 シロウ 0.88 1.00 1.00 <0.001 1.00 0.65 0.00 0.01 1.00 0.26 ショウボウ 1.00 1.00 1.00 0.08 0.00 1.00 <0.001 1.00 1.00 1.00 タカボー 1.00 1.00 1.00 0.00 0.13 1.00 <0.001 0.80 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 トーン 0.01 1.00 0.02 <0.001 1.00 0.01 0.31 <0.001 0.02 0.00 0.21 0.00 1.00 1.00 0.00 1.00 0.10 1.00 1.00 0.05 0.61 0.53 ※黄色は多重比較(Holm法)でP<0.05を示す ノリヘイ タカボー ケニーが低い周波数、 トーン・ミナト・レノンが高い周波数 の特徴を示した。 ショウボウ 第2フォルマント ジョージ ゴロウ カナオ ケニー レノン ミコタ ミナト ミズオ ムサシ ナオヤ ノリヘイ ノリオ サトル シロウ ショウボウ タカボー トーン ジョージ ゴロウ カナオ 0.00 0.09 0.00 0.04 ミナト ムサシ ト-ン Hz 1.00 0.82 ミズオ ナオヤ 1.00 0.44 ミコタ サトル 1.00 ケニー レノン 1.00 0.09 1.00 1.00 1.00 1.00 0.18 0.03 1.00 1.00 0.10 0.04 0.82 <0.001 <0.001 1.00 0.44 1.00 1.00 1.00 1.00 0.77 1.00 0.48 0.00 <0.001 1.00 ナオヤ 0.80 0.00 0.08 1.00 1.00 0.10 <0.001 1.00 ノリヘイ 1.00 1.00 1.00 0.16 0.07 1.00 0.55 1.00 ノリオ 1.00 0.06 0.74 1.00 1.00 0.80 <0.001 1.00 0.69 0.15 1.00 1.00 1.00 サトル 0.05 1.00 0.53 <0.001 <0.001 0.47 1.00 0.00 <0.001 <0.001 シロウ 0.71 1.00 1.00 <0.001 <0.001 1.00 1.00 0.01 0.00 <0.001 0.10 1.00 0.32 1.00 1.00 <0.001 0.00 0.82 1.00 ショウボウ 1.00 1.00 1.00 0.10 0.05 1.00 0.74 1.00 0.50 タカボー 1.00 1.00 1.00 1.00 0.84 1.00 0.06 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 0.03 0.47 1.00 トーン 1.00 1.00 1.00 0.21 0.10 1.00 0.64 1.00 0.80 0.20 1.00 1.00 0.39 0.46 1.00 1.00 1.00 1.00 ケニー・ナオヤ・レノンが低い周波数、 サトル・シロウ・ミナトが高い周波数の 特徴を示した。 ゴロウ レノン 第3フォルマント ノリオ ジョージ ゴロウ カナオ カナオ ケニー レノン ミコタ ミナト ミズオ ムサシ ナオヤ ノリヘイ ノリオ サトル シロウ ショウボウ タカボー トーン 1.00 1.00 1.00 ケニー 1.00 1.00 0.81 レノン 1.00 1.00 1.00 ミコタ ミナト ミズオ ムサシ Hz ゴロウ ジョージ 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 ナオヤ 1.00 1.00 0.48 1.00 1.00 0.81 1.00 0.81 1.00 ノリヘイ 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 ノリオ 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 0.00 サトル 0.59 0.37 1.00 0.00 0.02 1.00 0.25 シロウ 1.00 1.00 1.00 0.14 1.00 1.00 1.00 1.00 0.30 ショウボウ 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 0.00 0.07 0.81 1.00 1.00 1.00 1.00 0.06 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 タカボー 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 0.21 1.00 1.00 トーン 1.00 1.00 0.42 1.00 1.00 0.72 1.00 0.73 1.00 1.00 1.00 1.00 0.00 0.07 0.73 1.00 1個体(サトル)のみが高い周波数で、 他の個体に差は見られなかった。 カナオ ミズオ ミナト 第4フォルマント ジョージ ゴロウ カナオ ケニー レノン ミコタ ミナト ミズオ ムサシ ナオヤ ノリヘイ ノリオ サトル シロウ ショウボウ タカボー トーン 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 ミズオ ムサシ 1.00 レノン ミコタ ムサシ ケニー カナオ 1.00 ケニー ミナト Hz ゴロウ ジョージ ナオヤ 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 ノリヘイ 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 ノリオ 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 サトル 0.19 0.34 1.00 0.19 1.00 1.00 0.36 1.00 1.00 シロウ 0.36 0.67 1.00 0.38 1.00 1.00 0.71 1.00 1.00 ショウボウ 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 0.06 0.13 1.00 1.00 0.68 1.00 1.00 0.10 0.20 1.00 1.00 1.00 1.00 タカボー 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 トーン 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 0.10 0.20 1.00 1.00 個体差は見られなかった。 個体名 ©Kumamoto Sanctuary 【考察】 ©Kumamoto Sanctuary ■スクリーム音声の第1フォルマントにおいて個体差が顕著となり、高い周波数帯になるほど個体差が消失した。 ■人間が聞いて「声が高い」と感じる個体(ミナトやレノン)では、第1フォルマントが他の個体より高い傾向 を示した。 ■フォルマントの特徴は、チンパンジーの個体識別の手がかりなると考えられた。しかし、多数の個体を識別する には不十分で、音声のその他の特性(刺激強度、持続時間、周波数など)における個体差について今後詳細に検 討する。 【謝辞】本研究は、 JSPS科学研究費助成事 業奨励研究#25924006 (森)の一環として実 施した。熊本サンク チュアリのスタッフに 深く感謝したい。
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