カンテレ史年表 TERESIAN KANTELE Vuosi 日 世 フィンランド音楽史

カンテレ史年表
TERESIAN KANTELE
Vuosi
日
1190
1200
1210
1220
1230
1240
1250
1260
1270
1280
1290
1300
1310
1320
鎌
倉
世
フィンランド音楽史/カンテレ史
フィンランド史
フィンランド、バルト海沿岸国を中心にカンテレ、カンテレに類似する楽器は
2000年以上前から存在したと言われている。この頃カンテレで演奏されるのは
「カレワラ」に代表するようなルノラウル(詩歌)のメロディと伴奏であった。
トゥルクに大聖堂聖歌学校が誕生(1155年)
1330
1340
1350
1360
1370
1380
1390
1400
1410
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1500
1510
1520
1530
1540
フィンランド作曲家/音楽家
スウェーデンよりキリスト教伝来、これを機にスウェーデン王国の一部となる(1155年)
トゥルクが首都となる(1229年)
パハキナサーリ条約によってスウェーデンとノヴゴロド(ロシア)が和解し、フィンランド東部はノヴゴロドへ、フィンラ
ンド西部と南部はスウェーデンに割譲される(1323年)
室
町
スウェーデンで宗教革命、これに伴いフィンランドもルター派を国教とする(1527年)
M.アグリコラによる「信仰の本」の中で”Kantele(Candele)”という単語が M.アグリコラによってフィンランド語で書かれた最初の本『ABCの本』が発行される(1543年)
用いられる(1551年)※ただし、竪琴を指す楽器の名称として使用されてい M.アグリコラによって聖書のフィンランド語訳出版(1548年)
ると考えられる
1550
1560
1570
1580
Jaakko Finno(Jacobs Finno, Jaakko Suomalainen;
1540頃~1588年頃)
ヘルシンキの町が誕生(1550年)
Theodoricus Petri Rutha(1560頃~1617年前)
J.フィンノ、T.ぺトラにより「ピエ・カンツィオーネス」編纂(1582年)
J.フィンノによって讃美歌が編纂(1583年)
1590
1600
1610
1620
1630
1640
1650
1660
1670
1680
1690
1700
スウェーデンが30年戦争に参加、フィンランドもスウェーデンと共に戦う(1618~1648年)
フィンランドで最初の大学、 王立トゥルク・アカデミーが設立(1640年)
バ
ロ
ッ 現存する最古の5弦カンテレが製作される(1698年)
ク
1710
1720
1730
1740
スウェーデンとロシアの間で大北方戦争が勃発、これによりフィンランド東部の一部がロシアに割譲される
(1700~1721年)
スウェーデンの対露報復戦争により、フィンランドの東部がロシアに割譲される(1741~1743年)
ロシアは、割譲された土地に住むフィンランド人の宗教的自由、不動産、法律や特権を保障
1750
1760
歴史学H.G.Porthanが著した「De poesi fennica」で5弦カンテレとルノラ
ウルについて言及(1766~1788年)
E.トゥッリンベルイ/Erik Tulindberg(1761-1814)
Pietari Wäänänen(1764-1846)
1770
1780
T.ビュストレーム/Thomas Byström (1772-1839)
C.L.リタンデル/Carl Ludvig Lithander (1773–1843)
F.E.リタンデル/Fredrik Emanuel Lithander (1777–1823)
B.H.クルーセル/Bernhard Henrik Crusell(1775-1835)
Jaakko Juteini(1781-1855)
Onteri Malinen(1781 1856)
江
1790
カンテレ関連人物
戸
トゥルク演奏協会(1927年以降、トゥルクフィルハーモニー管弦楽団)創立
(1790年)
1800
イタリア出身のGiuseppe Acrebiが著した「Travels through Sweden,
Finland and Lapland to North-Cape」の中で5弦カンテレとルノラウルに
ついて言及、またカンテレとルノラウルの楽譜を添付(1802年)
1810
1820
J.J.Pippingsköld(1792-1832)
Carl Axel Gottlund(1796-1875)
Jaakko Parppei(1792-1885)
Elias Lönnrot(1802-1884)
F.パシウス/Fredrik Pacius (1809-1891)
1800年代に入り、弦の数が徐々に増え始め、最大で15弦にまでなる
首都がヘルシンキに遷都(1812年)
音楽アカデミーがトゥルクからヘルシンキへ移転、F.パシウスが音楽教師として迎
えられる。(1828年)
箱型カンテレへの発展、弦の数が20弦以上となり、それぞれの地域で異なる
フィンランド文学協会(SKS)設立(1831年)
演奏方法が編み出され始める(Saarijärviのスティック、Haapavesiでのスル E.リョンロットによる「古カレワラ」が編纂、これにより民族ロマン主義が大いに花開く(1835年)
クソイントゥ、Perhonjokilaakso)
C.A.ゴットルンドによる「フィンランドの羊飼い:カンテレ、角笛のための曲集」出
版(1831年)
Kreeta Haapasalo(1813-1893)
Sven Jeremias Huntus (1825 - ?)
K.コッラン/Karl Collan(1828–1871)
1840
E.リョンルートにより「フィンランド人の歌と詩の楽譜集」が編纂(1840年)
J.L.ルーネベリの詩にF.パシウスが曲をつけた「わが祖国」が初演され、後にフィ
ンランド国歌となる。(1848年)
Sanna Purola(1848 - 1891)
Sofia Kreeta Räisänen
M.ヴェゲリウス/Martin Wegelius (1846–1906)
1850
F.パシウスによるオペラ「カール王の生還」初演。(1852年)
オペラ「カール王の生還」にてカンテレが用いられる(演奏:Kreeta
Haapasalo)(1853年)
Teppana Jänis(1854-1921)
Timo Lipitsä(1857-1950)
Pietari (Pekka) Juhani Hannikainen(1854–1924)
R.カヤヌス/Robert Kajanus(1856-1933)
J.シベリウス/Jean Sibelius(1865-1957)
O.メリカント/Oskar Merikanto(1868-1924)
A.ヤルネフェルト/Armas Järnefelt(1869-1958)
F.V.シャンツが「カレヴァラ」を題材とした初めての音楽作品である「クッレル 言語宣言によりフィンランド語は公式に行政の場で用いられる言語となる(1863年)
ヴォ序曲」を発表。(1860年)
フィンランド議会が召集(1863年)
ロシアの通貨ルーブルに代わって、フィンランド独自の通貨マルッカが導入される(1865年)
Akilles Ockenström(1867-1897)
Pasi Jääskeläinen(1869-1920)
E.メラルティン/Erkki Melartin(1875-1937)
H.クレメッティ(1876-1953)
E.ミエルク(1877-1899)
S.パルムグレン/Selim Palmgren(1878-1951)
1830
1860
明
治
1870
1880
ヘルシンキ・オルガニスト養成学校設立、M.ヴェゲリウスがヘルシンキ音楽院を
創設、R.カヤヌスがヘルシンキオーケストラ協会を設立(1882年)
1800年代後半には、箱型カンテレの弦数は28弦にまで増える
1890
1900
1910
大
正
1920
1930
昭
和
1940
第1回ソルタヴァラ音楽フェスティバル開催、カンテレ奏者が招かれ演奏を行う
(Pedri ja Ilvana Jehkinpoika Shemeikka, Pelogia SotikainenHeroila, Iivana Bogddanoff)
シベリウスがカンテレ用の楽曲『Två miniatyrer för kantele(カンテレのた
めの2つの小品)』を作曲(1896-98年)
シベリウスが画家Pekka Halonenの5弦カンテレにあわせ、バイオリンパートを
加えた小曲「子守唄(Kehtolaulu)」を即興で演奏(1899年)
フィンランディア初演(1899年11月)
「わが祖国」の歌詞がP.カヤンデルによってフィンランド語訳される。(1890年
頃)
Pasi Jääskeläinenが積極的に国内外で演奏、レコード収録を行う(アメリ
カ、コペンハーゲン、ロンドンなど)
OskarMerikantoがPasi Jääskeläinenのために「Helkähdys」を作曲、
Antti Rantonenと共にヘルシンキで開催されたアンサンブルコンサートで披露
(1904年)
Erkki Melartin作曲、Jalmari Finne脚本のオペラ「アイノ(Aino)」初
演、初めてオペラにカンテレが用いらる。ただし、初演ではカンテレの代わりにハー
プで演奏された(1909年)
Pasi Jääskeläinenが週刊誌ヨカミエス誌の「フィンランドで最も重要な人物」
投票でトップ3に入る(1910年)
ヴァイオリン奏者Heikki Halonenが伝統詩歌奏者であった母Vilhelmiinaの
5弦カンテレレパートリーを紹介、翌年兄のAnttiがサヴォ地方の5弦カンテレ楽
譜集をまとめる(1917年)
フィンランド作曲家協会が設立(1917年)
カレワラ協会が設立、多くの芸術家たちがカレリア地方へ赴き民謡、民話、詩、
まじない等の採取を行う(1919年)
互いの母語(スウェーデン語/フィンランド語)をめぐっての言語論争の影響を
受け、各オーケストラでの競い合うオーケストラ戦争が頻発。(1910年代)
1920年代Paul Salminenによるメカニックカンテレの考案、以降、発展を遂
げていく
これに伴い、箱型カンテレの弦の張り方がストレートラインから巻き方へと変化、
楽器の向きも長い弦(低い)を手前にすることが定着化
Salminenがヘルシンキ音楽院にてカンテレ教師をはじめる。最初の生徒は
Ulla Katajavuori、Väinö Hannikainen、Arvo Kilvensalo(1923年)
スウェーデンとロシアの間でフィンランド戦争が勃発、フィンランドはロシアに割譲される(1808年)
フィンランドはロシア自治公国となる(1809年)
E.リョンロットによる「新カレワラ」完本出版(1849年)
徴兵法、フィンランドは独自の軍隊を持つ(1878年)
アレクサンドル3世、ニコライ2世の統治下、ロシアはフィンランドへの締め付けを強める
パリ万博にてフィンランドブース出展(1900年)
第1回国会選挙(1907年)
Väinö Hannikainen(1900-1960)
Eino Tulikari (1905 – 1977)
Viljo Karvonen (1906 – 1994)
Toivo Venetjoki (1906 – 1988)
Ulla Katajavuori(1909-2001)
U.クラミ/Uuno Klami(1900-1961)
S.ランタ/Sulho Ranta(1901–1960)
H.レイヴィスカ/Helvi Leiviskä(1902–1982)
T.エロヴァーラ(1907-1978)
ロシア革命に乗じ、フィンランド独立(1917年)
内戦(1917~1918年)
憲法採択、大統領を元首とする共和国となり、K・Jストールベリが初代大統領に就任(1919年)
Yrjö von Grönhagen(1911-2003)
Arvo Kilvensalo(1917-2006)
E.ベルイマン/Erik Bergman(1911-2006)
T.マルッティネン/Tauno Marttinen(1912-)
E.エングルンド/Einar Englund(1916-1999)
E.アールトネン(1910-1990)
T.ピュルッカネン/Tauno Pylkkänen(1918-1980)
A.ソンニネン/Ahti Sonninen(1914-1984)
Martti Pokela(1924-2006)
Toivo Alaspää (1929 – 2007)
J.コッコネン/Joonas Kokkonen (1921-1996)
E.ラウタヴァーラ/Einojuhani Rautavaara(1928-)
冬戦争、これによりフィンランドの南東部(カレリア地方)がソビエト連邦に割譲(1939~1940年)
継続戦争、北極海沿岸のペッツァモをソビエト連邦に割譲(1941~1944年)
J・K・パーシキヴィ大統領に就任、ソビエト連邦との関係の改善に努力(1946年)
ソビエト連邦との間に「友好協力相互援助条約」締結(1948年)
カリフォルニアのフィンランド系移民の団体「カレワラの兄妹の会」よりシベリウスに 夏季オリンピックがヘルシンキで開催(1952年)
コンサートカンテレが贈与される(1950年)
国際連合に加盟(1955年)
北欧理事会に加盟(1956年)
ウルホ・ケッコネン大統領に就任(1956年)
1960
Ulla Katajavuoriがソプラノ歌手Sylvia Aarnioと共にニューヨークのカーネ
ギーホールでコンサートを行う(1963年)
第1回カウスティネン民族音楽祭開催(1968年)
欧州自由貿易連合(EFTA)に準加盟国として加盟(1961年)
1970
タンペレ音楽院のシラバスにカンテレが加わる(1970年)
Ilomantsiで第1回カンテレキャンプが開催(1970年)
フィンランディアホール完成(1971年)
シベリウスアカデミーにてカンテレが教えられ始める(1975年)
カンテレ協会(Kanteleliitto ry)設立(1977年)
欧州経済共同体(EEC)と自由貿易協定を締結(1973年)
1980
シベリウスアカデミー民族音楽学科にカンテレコースが設立される(1983年)
マウノ・コイヴィストが大統領就任(1982年)
Erkki LeskeläがSulo Huotariより技術を継承し、カンテレメーカーを設立
(1983年)
カレワラ150周年(1985年)
伝統音楽復興プロジェクトにより、全国の学校へ5弦カンテレが贈与される
(1985年)
シベリウスアカデミーにカンテレソロ科が設立される(1987年)
シベリウスミュージアム(トゥルク)にてシベリウスが作曲したカンテレ用の楽曲の
楽譜『Två miniatyrer för kantele(カンテレのための2つの小品)』が見 欧州連合(EU)に加盟(1995年)
2000年代に入り、エレクトリックカンテレが開発される
初の女性大統領Tarja Halonen就任(2000年)
日本カンテレ友の会設立(2008年)
通貨がユーロになる(2002年)
第1回国際カンテレキャンプ(クフモ室内音楽祭プログラム)開催(2008年)
2010
平
成
第1回国際カンテレコンクール(ソロ)開催(2011年)
第2回国際カンテレコンクール(アンサンブル)開催(2013年)
T.クーラ/Toivo Kuula(1883-1918)
A.ラウニスArmas Launis(1884–1959)
H.カスキ(1885-1957)
E.ピンゴウト/Ernest Pingoud(1887-1942)
L.マデトヤ/Leevi Madetoja(1887-1947)
V.ライティオ/Väinö Raitio(1891-1945)
I.ハンニカイネン(1892-1955)
Y.キルピネン/Yrjö Kilpinen(1892-1956)
A.メリカント/Aarre Merikanto(1893-1958)
1950
1990
2000
Paul Salminen(1887-1949)
Armas Otto Aapo Väisänen(18901969)
Yrjö von Grönhagen、ドイツで後のナチス親衛隊指導者ハインリヒ・ヒム
ラーに会う(1935年)
Yrjö von Grönhagen、アーネンエルベ(ナチスドイツの研究機関)の活動
としてラドガ湖周辺、カレリア地方へ研究へ赴き、ルノラウルやカンテレに関する
調査、録音、撮影を行う。(1936年~)
1940年代Fazer-musiikki社がPaul Salminenのメカニックがついていない
カンテレを「ホームカンテレ(Kotikantele)」という名称で販売を始め、その後
この名前が定着する。
Yrjö von Grönhagen、アーネンエルベでの研究活動やヒムラーのカレリア文
化への興味について述べた本「Himmlerin salaseura(ヒムラーの秘密結
社)」を出版。(1948年)
Jaakko Östermark (1836 – 1883)
Larin Paraske(1834-1904)
サウリ・ニーニストが大統領に就任(2013年)
U.メリライネン/Usko Meriläinen(1930-2004)
A.サッリネン/Aulis Sallinen(1935-)
P.ヘイニネン/Paavo Heininen(1938-)
J.パヌラ/Jorma Panula (1930-)
I.クーシスト/Ilkka Kuusisto (1933-)
K.リュドマン/Kari Rydman (1936-)
K.シュデニウス/Kaj Chydenius (1939-)
H.O.ドナー/Henrik Otto
Donner (1939-)
E.サルメンハーラ/Erkki
Salmenhaara(1942-2002)
P.H.ノルドグレン/Pehr Henrik Nordgren(1944-2008)
L.セーゲルスタム/Leif Segerstam (1944-)
K.アホ/Kalevi Aho(1949-)
J.ティエンスー/Jukka Tiensuu (1948-)
K.サーリアホ/Kaija Saariaho(1952-)
M.リンドベルイ/Magnus Lindberg(1958-)
E.P.サロネン(1958-)
E.ハメーンニエミ/Eero Hämeenniemi (s. 1951)
T.ランシオ/Tapani Länsiö (1953-)
O.コルテカンガス/Olli Kortekangas (1955-)
J.カイパイネン/Jouni Kaipainen (1956-)
E.P.サロネン/Esa-Pekka Salonen ( 1958-)