公開講座「日本人と海外移住」 横浜海外移住資料館 4F「かもめ」 第 8 回「満洲への植民」 2015 年 6 月 20 日(土)13:00-14:30 いま振り返る「満洲移民」の歴史と記憶 蘭 信三(上智大学:[email protected]) はじめに (1)本日の目的 ・ 「満洲」に農業移民として渡った 27 万人の「歴史と記憶」 ・敗戦で植民地を失い、そこで生活していた人びとは戦後と戦後の逆転を経験 ・ 「戦前と戦後」の内地・外地の状況の変化と意味の変化を、 「満洲移民」から考察 (2)報告のポイント ・日本社会、戦後日本社会にとっての「満洲」 、 「満洲」への植民 ・東アジアにとっての「満洲」+世界にとっての「満洲」 (グローバル・ヒストリー) 1. 三つの出会いによる私の研究の転機 (1)1984 年 8 月元「満洲移民」との出会い ➡ 「満洲移民」の戦後研究へ (2)1989 年 5 月中国残留婦人との出会い ➡ 中国残留日本人研究へ (3)2001 年 3 月満蒙開拓を語りつぐ会との出会い ➡ 「満洲引揚者」への聞き書き活動へ 満蒙開拓を語りつぐ会編『下伊那のなかの満洲 聞き書き集第 1 集~10 集』2003~12 年 2. そもそも「満洲」、「満洲国」とは (1)「近代満洲」の成立 (安富歩・深尾葉子編『 「満洲」の成立-森林の消尽と近代空間の形成』名大出版、2009) (2)日清戦争(1894-95)・日露戦争(1904-05)と東アジア (古谷哲夫『日露戦争』中公新書、1966 年) (3)1905 年韓国の保護国化、1907 年関東州の租借 (塚瀬進『満洲の日本人』吉川弘文館、2004 年) 関東州の日本人の脆弱性 (4)1910 年韓国併合 (木村健二『在朝日本人の社会史』未来社、1989 年) (5)1931 年「満洲事変」 、1932 年「満洲国」の建国=「キメラ」としての「満洲国」 (山室信一『キメラ-満洲国の肖像(増補版)』中公新書、2004 年(初版は 1993 年) ) (6)1945 年敗戦・帝国崩壊と引揚げ、残留 (加藤聖文『 「大日本帝国」崩壊-東アジアの 1945 年』中公新書、2009 年) (蘭信三編著『帝国崩壊とひとの再移動-引揚げ、送還、残留』勉誠出版、2011 年) 3. 満洲移民、中国残留日本人、中国帰国者 図1.満洲(農業)移民、中国残留日本人、中国帰国者の経路図 <中国> 在満日本人 ( 満洲農業移民 | 中国定着した残留日本人 (日系中国人) | | 中国残留日本人 ---1907---32-----45---------72---81---------→ 帰国(来日) | 引揚げ 再帰国 | 内地の日本人 | 集団引揚者 | <日本> 中国帰国者の定住化 国内開拓地へ (日本籍+中国籍) 都市移住 (戦後海外移民へ) 4. 「満洲国」の建国と「満州移民」事業 (1)「満洲国」の多様性;生態的・民族的多様性、漢族の爆発的人口増・朝鮮族・日本人も 日本人の分布;近代的大都市部 83% vs 環境の悪い農村部・17%の農業移民 (2)「満州移民」事業の展開と実態;治安維持➡日本人の屯田兵的移民案 (3)加藤完治と関東軍の移民事業;農本主義的移民案 (4)北米移民知識人と移民事業;北米型近代農法・大規模農法の導入(Azuma,Eiichiro) (5)満洲移民の送出状況 ・試験移民期(1932-36) :在郷軍人+屯田兵的移民+<満洲熱> ・本格移民期(1937-41) ;普通移民+分村移民+分郷移民+満蒙開拓青少年義勇軍 ・移民事業崩壊期(1942-45) ;自由応募➡「割り当て」=動員としての送出 (6)敗戦後の「満洲」における日本人 ・逃避行+難民収容所+17 万人死亡(半数は農民)+都市部の日本人居留民会 ・1946 年からの引揚げ+8 年間の留用+数 10 年の中国残留 5. 集団引揚者と中国残留者 (1) 集団引揚げ者の戦後;ノスタルジアとしての満洲+理想国家としての満洲国+偽満 (2) 中国残留者の戦後;ノスタルジアとしての日本+偽満+スティグマとしての満洲 結びにかえて-戦後日本社会にとっての「満洲」 (1) 戦後日本社会にとっての「満洲」;「傀儡国家」 ⇔ 「理想国家」 満洲の語られ方;対立する記憶+時代状況によって変化する記憶 (2) 東アジアのなかの「満洲」 ; 「傀儡国家」「偽満」 (3) 世界にとっての「満洲」 ;ロシア革命時の亡命者+東欧ユダヤ人の避難
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