中国と日本におけるマルグリット像 ―劇『椿姫』の翻訳と上演をめぐって

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中国と日本におけるマルグリット像
―劇『椿姫』の翻訳と上演をめぐって
王 虹
0. は じ め に
マルグリットはフランス十九世紀の作家デュマ・フィスの作品『椿
姫』のヒロインである。パリの高級娼婦マルグリットと青年アルマン
の 恋 を テ ー マ に し た こ の 物 語 は 、ま ず 小 説 の か た ち で 1848 年 に 発 表 さ
れ た 。1852 年 、作 者 自 身 に よ っ て 脚 本 化 さ れ た 劇 は 、パ リ で 上 演 さ れ 、
大 成 功 を 収 め 、第 二 帝 政 時 代 (1852-1870)の フ ラ ン ス に お け る 代 表 的 な
劇 作 と な っ た (本 庄 、 1969:38-40)。 こ れ を フ ラ ン ス 「 近 代 劇 」 の 出 発
点 と 見 な す 学 者 も い る( 渡 辺 、1999:298− 299)。 一 方 、共 に ア ジ ア に
位 置 す る 日 本 と 中 国 で も 、十 九 世 紀 後 半 か ら 、「 近 代 化 」を 求 め る 風 潮
の 中 で 、演 劇 界 の 近 代 化 運 動 が 始 ま っ た 。「 椿 姫 」は 当 時 ヨ ー ロ ッ パ で
注目されていた劇として、この二つ国の演劇界の「近代化」に影響を
与えた。日本では、十九世紀七十年代から、シェクスピアをはじめ、
数 々 の 西 洋 演 劇 が 翻 訳 翻 案 さ れ 、上 演 が 試 み ら れ た 。『 椿 姫 』も そ の 一
つ で あ る (河 竹 、 1982:134-139)。 中 国 で は 、 1899 年 、 林 纾 に よ っ て 、
小 説『 椿 姫 』が 翻 訳 さ れ 、1907 年 東 京 で 、中 国 人 の 留 学 生 た ち に よ っ
て上演された。彼らが『椿姫』を演じたことをきっかけに、新しい演
劇 の 様 式 で あ る 「話 劇 」の 歴 史 の 幕 を 開 け た と 言 わ れ て い る (葛 、
1990:3)。し か し 、中 国 に お い て も 、日 本 に い て も 、娼 婦 の 恋 を テ ー マ
とした『椿姫』を舞台に載せることは容易ではなかった。本論では、
中国と日本における劇『椿姫』の翻訳、上演の歴史をたどり、十九世
紀パリ独特の「高級娼婦」族に属するマルグリット像が、十九世紀末
から二十世紀の初頭にかけて、中国と日本において、どのように捉え
られ、表現されたかを解明したい。
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1. 原 作 に お け る マ ル グ リ ッ ト 像
1.1 劇 『 椿 姫 』 の 粗 筋
『椿姫』は五幕から成る。第一、第二幕の場所はパリにあるマルグ
リットの華やかな家であり、いずれも十三場から成る。椿の花を愛す
る こ と か ら 「椿 姫 」と あ だ 名 さ れ る 高 級 娼 婦 マ ル グ リ ッ ト は あ る 日 、 友
人と一緒に訪ねてきた青年アルマンと出会う。アルマンは二年前から
マ ル グ リ ッ ト を 愛 し て い た が 、彼 女 の 家 で 初 め て 自 分 の 愛 を 告 白 す る 。
肺 病 に 罹 っ て い る に も か か わ ら ず 、 「高 級 娼 婦 」と し て 絶 望 的 な 歓 楽 の
日々を送っているマルグリットは、アルマンの暖かい言葉に感動し、
愛に目覚める。彼女は豪奢な生活を捨て、アルマンと二人でパリを離
れ、田舎で静かに暮らそうと計画する。第三幕の場面はパリ郊外のあ
る別荘へ移る。豊かな自然の中で、マルグリットとアルマンが幸せに
暮 ら し て い る が 、そ の 幸 福 は 長 く 続 か な い 。ま ず 経 済 的 破 綻 を 来 た す 。
生活費を得るために、マルグリットは密かに自分の宝石や馬車などを
売る。一方、アルマンもマルグリットに内緒で、母親の遺産を生活費
に当てようとする。やがて、アルマンが留守の間に、彼の父が突然マ
ルグリットを訪ねてきて、息子の将来と家庭の名誉のために、息子と
別れてくれと懇願する。ついに、二人の恋に破局が訪れる。マルグリ
ットは不本意ながらアルマンと別れ、元の生活に戻る。第四幕では、
パリにある友人の豪奢な客間で、真相を知らないアルマンはマルグリ
ットの突然の別れに激怒し、公衆の前で彼女を責める。第五幕はマル
グリットとアルマンが死別する場面を描く。傷ついたマルグリットは
肺病を悪化させ、死にかけている。一方、父親の手紙で真相を知った
アルマンは、彼女のところへ駆けつける。マルグリットは彼を許し、
恋人の腕の中で死ぬ。
1.2
小説と劇の相違点
小説と劇における物語の粗筋はほぼ同じであるが、筋の展開の仕方
が違う。まず、物語の発端であるが、前述した粗筋からもわかるよう
に、劇のはじめは非常に満ち足りた雰囲気である。その中で、アルマ
ンがマルグリットと出会う。しかし、小説は椿姫マルグリットの死後
からはじまる。最初に描き出されたアルマンとマルグリットの対面の
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場所は、マルグリットの墓地である。アルマンはどうしても「あれほ
ど愛していた女を神様がどんな姿にしておしまいになったか自分で見
な く て は な り ま せ ん 」(吉 村 訳 :53)と 思 い 、マ ル グ リ ッ ト の 墓 を 訪 ね る 。
死んだマルグリットの無残な姿を見て、彼は悲痛のあまり人事不省に
陥る。
劇の第三幕は、アルマンの父親デュヴァルが突然、マルグリットを
訪問するという場面が中心に描写され、マルグリットがアルマンのも
とを去る理由をはっきりさせるが、小説では、父デュヴァルとマルグ
リットとの出会いの場面は直接描かれているわけではない。その経緯
は、マルグリットの死後、アルマンに宛てた日記で、ようやく明らか
にされるのである。
劇 と 小 説 の 最 も 異 な る と こ ろ は 物 語 の 最 後 の 場 面 で あ る 。小 説 で は 、
マルグリットは一人で、孤独に死んだという悲劇的な結末になってい
るが、劇においては、真相を知ったアルマンはマルグリットのもとに
戻り、マルグリットは恋人の腕の中で死ぬ、という結末に変わってい
る。
もう一つの相違点は、人物構成である。劇では小説に存在しない女
工ニシェットと若い弁護士ギュスターヴが加えられた。ニシェットは
昔マルグリットと同じ店で働いていた同僚である。彼女の存在は、マ
ルグリットもかつて普通の女であったということをアピールする。そ
して、婚約中のこのカップルはマルグリットらと対照的である。娼婦
でなく、普通の女であれば、幸福な結婚生活への道もあることが示唆
されている。父デュヴァルも、小説と違って、最後にマルグリットと
アルマンを別れさせたことを、後悔し、自らアルマンに真相の一部を
知らせるのである。
1.3
小説と劇におけるマルグリット像
デ ュ マ・フ ィ ス は 1867 年 、自 ら の 全 集 を 出 版 す る に あ た っ て 書 い た
序文にこの小説と劇のモデルがマリ・デュプレシであると明言してい
る 。マ リ は 娼 婦 で あ る が 、十 九 世 紀 フ ラ ン ス の 批 評 家 ジ ュ ー ル ・ジ ャ ニ
ンの言によれば、彼女は娼婦でありながら、つねに貴族のお嬢さんに
見 違 え ら れ 、 貴 婦 人 の よ う な 品 格 を 備 え て い た ( Janin、 1851:249)。
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デュマ・フィスは同じ序文にマリ像をこう描いている。
彼 女 は 背 が 高 く て 、非 常 に 痩 せ て い た 。黒 い 髪 で 、白 く て バ ラ 色
の 顔 色 を し て い た 。頭 が 小 さ く て 、日 本 人 の よ う な 細 長 い 目 を し
て い た が 、生 き 生 き と し た 鋭 い 目 だ っ た 。さ く ら ん ぼ の よ う な 唇
を し て い て 、世 界 中 で も っ と も 美 し い 歯 を し て い た 。( Dumas fils、
1867:1)〔 引 用 者 訳 〕。
劇『椿姫』において、マルグリットの容姿については詳しく描かれ
ていないが、小説の中では、作者がマリの姿とまったく同じと言って
もよいほどのマルグリット像を作り上げた。小説において、マルグリ
ットの背丈、髪の色、頭のかたちなどが以下のように書かれている。
背 丈 : Grande et mince jusqu’à l’exagération , ( 高 く て 、 極 度 に 痩
せていて)
頭 :La tête, une merveille, ...Elle était toute petite( 頭 は と て も す ば
らしい、非常に小さい)
髪 の 色 : Les cheveux noirs comme du jais ;( 漆 黒 の 髪 の 毛 )
ところで、マルグリットはマリ像の単純な写しではない。作者は、
マリの原型を理想化し、芸術化し、清らかな心と愛を持つ女性マルグ
リット像をつくりあげようとした。マルグリットの顔の描写に作者の
このような意図ははっきりと示されている。
言 葉 で は 言 い つ く せ ぬ 優 雅 な 卵 な り の 顔 に 、黒 い 二 つ の 目 を 入 れ 、
その上に絵のようにきよらかな弓形の眉を引いて見たまえ。この
眼をおおう長いまつげは伏し目になれば薔薇色の頬に影を落とす。
それから上品で、筋の通った才媛らしい鼻。その鼻孔は淫蕩な生
活への激しいあこがれにすこしばかりふくらんでいる。口もとは
形よく整っていた、口びるがしとやかにほころびると、牛乳のよ
うにまっ白な歯並びがのぞく。そして最後に、だれもまだ手を触
れない桃を包んでいるあのびろうどのような細かな毛で肌を色ど
る ― ― (吉 村 訳 :13-14)〔 下 線 は 引 用 者 に よ る 。〕
「き よ ら か 」、「上 品 」、「 才 媛 ら し い 」、そ し て 、
「 牛 乳 の よ う な ま っ 白 」、
「だれの手も触れない」という言葉はマリの顔の描写には見られない
が 、 こ れ ら に よ っ て 作 者 が マ ル グ ッ リ ト の 「純 潔 さ 」を 強 調 し て い る と
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い え る 。 さ ら に 、 小 説 の 語 り 手 で あ る 「私 」は 、 こ う 言 っ て い る 。
あんな情熱的な生活を送っていながら、マルグリットの顔にどう
してまた、処女のような、むしろほかの女に見られない子供っぽ
い 表 情 が 残 っ て い た の で あ ろ う か ( 吉 村 訳 :14)。
娼 婦 と し て 、「情 熱 的 生 活 」を 送 っ て い た マ ル グ リ ッ ト は 実 際「 処 女 」
のような、純潔な一面を持つ女性である。マルグリット像にはこのよ
うな二重性格が混じり合っている。特に、アルマンと出会って、パリ
郊外の自然の中で、暮らし始めたマルグリットはアルマンの愛によっ
て、より一層清純な女性となる。小説では作者がこう描写する。
……人は、白いきものに大きな麦藁帽子をかぶり、川風で冷えな
いようにと小ざっぱりとした絹地の外套を腕にかけたこの女が、
四か月前にはその豪奢と放埓で鳴らしていたあのマルグリット・
ゴ ー チ ェ だ と は よ も や 思 い は し な か っ た で し ょ う (吉 村 訳 :201) 。
劇 は 小 説 と 多 少 相 違 が あ る が 、「 真 白 」な 服 を 着 る マ ル グ リ ッ ト は 娼
婦でありながら、清純な愛を求め、愛によってより純潔となる、とい
うマルグリット像は変わっていない。以上の描写は、劇において、マ
ルグリットの台詞では次のようになる。
と き ど き 、私 は 昔 の 自 分 が ど ん な 人 だ っ た か を 忘 れ て し ま う の よ 。
今の私は昔の私とまるで別人みたい。昔の自分と今の自分の距離
はほんとうに大きい。白い着物を着て、大きな麦藁帽子をかぶっ
て、夕方寒くなるといけないと思って上着を持って、アルマンと
船 に の っ て 、 (中 略 )、 誰 だ っ て こ の 白 い 姿 が マ ル グ リ ッ ト ・ ゴ ー
チ ェ だ と 思 わ な い で し ょ う 。 自 分 で も そ う 思 え な い の (原 文 :344)
〔 引 用 者 訳 〕。
小説に現れたマルグリットの服装と劇に現れたマルグリットの服装
は 同 じ で あ る こ と は 以 上 の 二 つ の 引 用 か ら わ か る 。 特 に 、「 白 い き も
の 」 と い う 表 現 に 注 目 す べ き で あ る 。 一 般 に 、 「白 」は 純 白 で あ り 、 多
くの文学作品には「処女」を象徴する色であるが、ここでは、娼婦マ
ル グ リ ッ ト が 「白 い 姿 」で 登 場 す る 。 作 者 が 創 っ た マ ル グ リ ッ ト 像 は こ
こで、よりいっそうはっきりとする。心から愛する愛人アルマンと一
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緒 に 暮 ら し は じ め て か ら 、マ ル グ リ ッ ト は 変 わ っ た 。「 誰 だ っ て こ の 白
い姿がマルグリット・ゴーチェだと思わないでしょう。自分でもそう
思 え な い の 」、と い う 台 詞 で 、小 説 よ り 、愛 に 目 覚 め た ヒ ロ イ ン の 幸 せ
をより良くあらわしたのである。
マルグリットはどの国でも汚れた女と見なされる娼婦であるが、愛
によって、純白となり、ただ真の愛を求めるというだけではなく、愛
する恋人のために自分を犠牲にする、という女性である。劇『椿姫』
は マ ル グ リ ッ ト の よ う な 、 い わ ゆ る 「半 社 交 界 」の 「高 級 娼 婦 」を 描 い た
た め 、は じ め は 上 演 を 禁 じ さ れ た が 、1852 年 、初 演 か ら 大 成 功 を 収 め 、
十九世紀後半のフランスにおいて、最も人気のある作品の一つとなっ
た 。現 実 社 会 に 存 在 す る「 高 級 娼 婦 」を そ の ま ま 舞 台 に 載 せ る こ と は 、
フ ラ ン ス の 演 劇 の 歴 史 に お い て 初 め て で あ っ た (渡 辺 他 、 1977:360)。
周 知 の よ う に 、『 椿 姫 』が 成 立 し た 時 の フ ラ ン ス で は 、文 学 面 か ら 言 え
ばロマン派演劇が主流となっていたが、デュマ・フィスは父デュマ・
ペールと違って、歴史の中の王侯や、英雄や女神などを描写するので
はなく、身近な社会に存在する人物を描き出し、現実の生活を舞台に
載せたのである。その意味では、マルグリットは十九世紀のフランス
の 舞 台 に 現 れ た 新 し い 女 性 像 で あ る と も 言 え よ う 。『 椿 姫 』は 後 に 、ア
メリカ、ヨーロッパ各地で、二十世紀初期まで、上演し続けられたの
である。
2. 中 国 に お け る マ ル グ リ ッ ト 像
2.1 中 国 に お け る 『 椿 姫 』 の 翻 訳 と 上 演
中 国 の 翻 訳 史 に お い て 、『 椿 姫 』の 影 響 は 大 き な も の が あ っ た 。1899
年、中国人翻訳者林纾がフランスに留学して帰ってきた王寿昌の口述
に し た が っ て 、『 巴 黎 茶 花 女 遺 事 』 と い う タ イ ト ル で 、 デ ュ マ ・フ ィ ス
の小説『椿姫』を古文調の中国語に訳し、出版した。それは中国にお
けるデュマ・フィスの受容の始まりでもあれば、中国人を主体とする
本格的な西洋文学の翻訳の始まりとも言える。今日では、そのタイト
ルは『茶花女』となったが、林訳『椿姫』はかなり人気があって、中
国国内だけではなく日本にいた留学生たちの間にも広く読まれたとい
う 。1920 年 、フ ラ ン ス に 留 学 し た 劉 復 (字 半 農 )が 帰 国 し て 、劇『 椿 姫 』
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を翻訳した。それ以後、この翻訳を、上演脚本として、何度も上演さ
れ た 。1930 年 代 に な る と 、劇『 椿 姫 』は 陳 綿 に よ っ て 、新 し い 訳 が 出
さ れ 、 後 に 中 国 の 旅 行 劇 団 の 主 な 上 演 項 目 と な っ た (洪 、 1987:137)。
しかし、はじめて中国人によって中国語の『椿姫』が上演された場所
は日本であり、その初演は大きな結果をもたらした。周知のように、
十九世紀末まで、中国には歌と音楽を中心とする伝統的な演劇が存在
していたが、十九世紀末から、西洋の演劇様式、いわゆる新劇も登場
する。その一つは、上海にあるキリスト教会付属学校の学生劇であっ
たが、もう一つは、東京で留学生たちによって上演された翻訳劇であ
っ た 。そ の う ち 、『 椿 姫 』は 最 初 に 上 演 さ れ た 劇 で あ る( 欧 陽 、1958:7)。
『椿姫』の上演は大成功を博し、中国新劇の歴史の出発点となった。
2.2 春 柳 社 の 『 茶 花 女 』
東 京 で 、『 椿 姫 』 を 演 じ た の は 、 春 柳 社 の メ ン バ ー で あ る 。 明 治 39
年 (1906 年 )、東 京 の 中 国 人 留 学 生 李 叔 同 、曾 孝 谷 ら は「 春 柳 社 」を 結
成 し た 。こ の 組 織 は「 詩 文 、絵 画 、音 楽 、演 芸 」な ど を 研 究 し 、特 に 、
中 国 演 劇 の 改 良 に 力 を 入 れ た( 中 村 、1956:18)。1907 年 、国 内 の 水 害
を受けた人々の支援のために、彼らは『椿姫』を上演したといわれて
い る 。「春 柳 社 」が 上 演 し た『 椿 姫 』の 脚 本 は 、林 訳『 巴 黎 茶 花 女 遺 事 』
を も と に 作 ら れ た と 推 測 さ れ て い る が ( 中 村 、 1956:25)、 上 演 さ れ た
のは原文の第三幕に相当するアルマンの父親がマルグリットを訪問す
るという場と原文の第五幕に相当するマルグリットの臨終の場であっ
た。一説では、アルマンの父がマルグリットを訪問する場だけであっ
た と い う (欧 陽 、 1958:7)。 マ ル グ リ ッ ト (馬 克 )を 演 じ た の は 春 柳 社 の
創 立 者 で も あ る 李 叔 同 で あ り 、 ア ル マ ン (亜 猛 )を 演 じ た の は 唐 肯 で あ
った。曾孝谷はアルマンの父の役を演じたという。いずれも男性であ
るが、東京美術学校に留学していた李叔同、曾孝谷らは、服装やしぐ
さ を よ く 研 究 し た と い わ れ て い る (陳 、1987:21)。後 に 春 柳 社 の メ ン バ
ーになり、中国演劇界の名優となった欧陽予倩氏は当時の感想につい
て、こう語った。
こ の 公 演 は 、中 国 人 が 話 劇 を 演 じ た 最 初 の も の と い う こ と が で き
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る。私がその時受けた刺激は、非常に大きかった。北京にいた
(1902 年 )と き 、 私 は 『 椿 姫 』 の 訳 本 を 読 ん だ こ と が あ る の で 、
こ の 劇 で は た だ 亜 猛 (ア ル マ ン )の 父 が 馬 克 (マ ル グ リ ッ ト )を 訪
ね る 場 が 演 じ ら れ た だ け だ が 、私 に は そ の 物 語 の 内 容 が よ く 分 か
っ た 。そ の 時 、私 は 非 常 に 驚 い た 。演 劇 に は 、こ ん な や り 方 も あ
っ た の だ 。し か し 私 は 、も し 私 に あ の 女 役 を 演 じ さ せ て く れ た ら 、
き っ と 李 先 生 に 負 け な い と 心 の 中 で 思 っ た ( 欧 陽 、 1958:7)〔 引
用 者 訳 〕。
春柳社の男優たちは『椿姫』をどのように理解して演じたのか、そ
し て 、 な ぜ 亜 猛 (ア ル マ ン )の 父 が 馬 克 (マ ル グ リ ッ ト )を 訪 ね る 場 を 選
んだかについては、今日では知ることができないが、確かに、マルグ
リットが自己を犠牲にして、アルマンの父の要求を受け入れる場面は
人を感動させるところであるが、春柳社がほかの場面ではなく、ただ
この場面を選んだことは興味深い。春柳社は後に、上海へ移り、国内
でも『椿姫』を上演し続けたが、中国における『椿姫』というと、や
は り 1930 年 代 に 成 立 し た 中 国 旅 行 劇 団 の『 茶 花 女 』の ほ う が 有 名 で あ
る。
3. 日 本 に お け る マ ル グ リ ッ ト 像
3.1 日 本 に お け る 劇 『 椿 姫 』 の 翻 訳 紹 介 と 上 演
日本において、デュマ・フィスの劇『椿姫』をはじめて紹介したの
は 成 島 柳 北 で あ る 。 明 治 6 年 ( 1873 年 )、 彼 は 洋 行 日 記 『 航 西 日 乗 』
に観劇後の感想とともに、当時フランスで「極メテ看客ノ喝采ヲ得タ
ル モ ノ ト 云 フ 」デ ュ マ ・フ ィ ス の『 椿 姫 』を 紹 介 し た が (木 村 、1972:408) 、
劇『椿姫』の翻訳および上演はかなり遅れていた。松本伸子氏の研究
に よ る と 、明 治 期 の 日 本 に お い て 、『 椿 姫 』の 上 演 は 僅 か 二 回 し か な か
っ た 。一 回 目 は 明 治 36 年 (1903 年 )6 月 、中 村 仲 吉 が 長 田 秋 涛 の 指 導 を
受 け 、真 砂 座 で マ ル グ リ ッ ト を 演 じ た と い う 。二 回 目 は 明 治 44 年 (1911
年 )4 月 、松 居 松 葉 の 翻 案 に よ り 、東 京 の 帝 国 劇 場 で 上 演 さ れ た (松 本 、
1980:385)。し か し 、筆 者 の 調 査 に よ れ ば 、そ の 以 外 に 、少 な く と も も
う 一 回 の 上 演 が あ っ た 。 同 じ く 明 治 44 年 (1911 年 )の 2 月 、 大 阪 の 帝
国座で、当時有名な新派劇団川上座によって上演された。マルグリッ
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トを演じたのは川上音二郎の妻貞奴である。
3.2
長田秋涛の『椿姫』
松本氏によると、真砂座で上演された『椿姫』は『遺物の手帳』と
翻 案 さ れ て い る が 、 実 際 、 長 田 秋 涛 は 早 く も 明 治 29 年 (1896 年 )に 劇
『 椿 姫 』の 翻 訳 を 試 み た 。彼 は 雑 誌『 白 百 合 』の 創 刊 号 に 、『 椿 姫 』の
第 一 幕 の 最 初 の 十 場 を 訳 出 し た 。後 に 翻 訳 し た 小 説『 椿 姫 』と 違 っ て 、
この翻訳においては、彼は人物の名前や地名など固有名詞を日本化せ
ず、フランス語の読み方でそのまま音訳している。つまり、マルグリ
ットをマルゲリット、アルマンをアルマンとしている。特に注目すべ
きことは、一幕に原文と同じような場の番号をつけている点である。
訳者の真面目な態度はその短くまとまった訳文に窺える。例として、
第一幕第二場の訳文の一部を見てみよう。
(二) ニシェット(マルゲリットの朋友)
「ニ シ ェ ッ ト 」 マ ル ゲ リ ッ ト は 居 ら な い の ?
「ナ ニ ー ヌ 」
ま だ 御 帰 り に な り ま せ ん が 、何 か 御 用 で 御 座 い ま
すか?
「ニ シ ェ ッ ト 」 門 口 を 通 っ た か ら 、一 寸 挨 拶 (接 吻 )し よ う と 思 っ
て 寄 っ た け れ ど も 、 留 守 な ら ま た 来 ま し ょ う (長
田 訳 、 1896:30)
長田秋涛は簡潔で分かりやすい言葉で、劇『椿姫』を訳そうと努力
し た が 、『 白 百 合 』雑 誌 の 廃 刊 に 伴 っ て 、翻 訳 は 未 完 成 の ま ま で あ っ た 。
彼の訳した題名『椿姫』は今日に至ってもそのまま定着している。明
治 36 年 (1903 年 )に 上 演 さ れ た 翻 案 劇 『 遺 物 の 手 帳 』 は 恐 ら く 長 田 秋
涛訳小説『椿姫』に基づくものであろう。資料の不足で考察すること
が で き な い が 、当 時 の 都 新 聞 に 載 っ た 青 々 園 の 記 事『 真 砂 座 の 女 芝 居 』
に 、そ の 上 演 の 様 子 が 述 べ ら れ て い る 。彼 の 記 述 に よ る と 、「 序 幕 の 熱
海温泉と二幕目の愛想づかしまでは、残念ながら中ぐらいの出来、三
番目の珈琲店だけは悉皆衣装道具とも西洋風にして眼先の変わりしの
みならず、洋服なれば、身体の格好のよくなればにや前とは観変わり
て よ し 」と あ る 。特 に 、彼 は 仲 吉 が 演 じ た マ ル グ リ ッ ト の 役 に あ た る 「国
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香 」と い う 女 性 を「 顔 の つ く り 可 惜 な れ ど 裾 を 引 き た る 洋 服 姿 と な り て
一きは美しく、胸の宝石のキラキラしたるさまさまで如何にも時めき
し 役 者 の や う に み え た り 」 と 評 し た (青 々 園 、 1896:261)。 熱 海 と い う
と こ ろ で 、洋 服 姿 の マ ル グ リ ッ ト( 「国 香 」)と い う 場 面 を 想 像 す る と 、
滑稽に感じるかもしれないが、明治時代の日本人がその西洋の娼婦を
演じることを通して、西洋の演劇を受け入れようとした試みは今でも
特記すべきであろう。特に、男性が女役を演じるという伝統があった
日 本 の 演 劇 界 に は 、 仲 吉 の 「椿 姫 」は 大 き い 意 味 を 持 っ た と 思 わ れ る 。
3.3
帝国劇場のマルグリット像
昭和女子大学近代文学研究室が編集した『近代文学研究叢書』に載
っている松居松葉の著作年表に『椿姫』の翻案がないことから、松居
松 葉 の 翻 案 は 出 版 さ れ て い な い と 推 測 で き る が 、明 治 44 年 (1911 年 )4
月 11 日 の 萬 朝 報 に お い て 、帝 国 劇 場 の 第 二 回 興 行 の 広 告 が 載 っ て い る 。
そ の 中 に 、「 五 幕 の 場 割 」 が こ う 書 か れ て い る 。
(序 幕 )椿 姫 の 居 間
(二 )同 上
(三 )鶴 見 花 月 園
(四 )日 本 ホ テ ル の 一 室
(大 詰 )向 島 椿 姫 の 住 居
周 知 の よ う に 、 明 治 44 年 (1911 年 )に 開 場 し た 帝 国 劇 場 は 第 一 回 興
行 か ら 、昭 和 39 年 (1964 年 )の 1 月 に 、最 後 の 興 行 の 幕 を 閉 じ る ま で 、
五 十 年 あ ま り の 歴 史 を も つ が (帝 劇 史 、 1966:99-152)、『 椿 姫 』 は 早 い
時期に取り上げられており、当時の人々が『椿姫』にかなり興味を持
ったことが窺える。ところで、帝劇の『椿姫』は、それほど大きな評
判 は 得 ら れ な か っ た 。同 年 4 月 19 日 の 都 新 聞 に 青 々 園 の 劇 評『 帝 国 劇
場 の < 椿 姫 > 』で は 、椿 姫 の 役 に つ い て 、「河 合 の 椿 姫 は 姿 も 科 も 白 も
カ ッ キ リ し て 居 る 」と い う 批 判 が あ り 、最 後 の 椿 姫 の「 臨 終 」の 場 面 は
「 < 不 如 帰 > の 趣 が あ る 」 と 書 か れ て い る (青 々 園 、 1911:317)。 河 合
武 夫 の 椿 姫 は 、言 う ま で な く 、男 が 演 じ た 女 性 で あ る 。日 本 語 脚 本『 椿
姫 』を 書 い た 松 居 松 葉 は 、こ れ を 翻 案 す る 前 、「 佛 国 に 出 版 さ れ て 居 る
中国と日本におけるマルグリット像
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二種の脚本と、英訳が一種、米国訳が二種とを参考に致しました」と
述べている。彼が主に参考したのは、イギリスの翻訳版とアメリカで
訳された『椿姫』であったようであり、翻案を「すべて日本の事情に
適 す る や う に つ と め ま し た 」 と い う (松 居 、 1911:60)。 原 作 の 「椿 姫 」
が ど の よ う に 見 ら れ て い る か に つ い て 、松 居 松 葉 は か つ て こ う 言 っ た 。
此の椿姫といふと西洋では怪い商売の女で、脚本の方には何をし
て 居 る か は 明 白 に は 書 い て 居 ま せ ん 。 (中 略 )
その素性を日本の世界に引き直せばまず芸者でなければならぬ
(松 居 、 1911:57)。
マルグリットは日本において、日本の芸者のように変えられたので
あ る が 、帝 劇 の 舞 台 に 現 れ た の は「 日 本 の 芸 者 」で は な く 、実 際 に は 「女
優 」で あ る 。 松 居 は 前 述 の 文 章 に 続 け て こ う 言 っ て い る 。
そ う な る と 、舞 台 面 が 、( 中 略 )あ ま り 特 殊 の 人 物 を 示 す こ と と な
って、原作とは筋道が違ってきます。そこで、私は反対だが、日
本人は女優と云ふと何か怪しい商売のやうに思って居る。世間が
さ う 云 ふ 心 持 で あ る か ら 女 優 に し ま し た (松 居 、 1911:57)。
日 本 の 近 代 劇 運 動 の 先 駆 者 で も あ る 松 居 松 葉 は 、 「椿 姫 」を 「娼 婦 」に
し な か っ た 。彼 は デ ュ マ・フ ィ ス の マ ル グ リ ッ ト を た だ 「怪 い 商 売 の 女 」
と見なしていた。ところで、デュマ・フィスの『椿姫』はフランスで
大成功を収めた重要な理由は、ヒロインであるマルグリットが近代フ
ラ ン ス の 現 実 社 会 に 存 在 す る「 娼 婦 」だ っ た か ら で あ る 。「 女 優 」に し
た 松 居 の 「椿 姫 」像 は 原 作 の マ ル グ リ ッ ト 像 と は 違 う で あ ろ う 。 明 治 末
の日本において、現実社会に存在するマルグリットのような娼婦を主
人公として舞台に載せるのにはまだ抵抗感があったものと思われる。
その意味では、明治末とはいえ、日本の近代劇運動はまだ草創期にと
どまっていたといえよう。
3.4
帝国座のマルグリット像および田口菊汀の『椿姫』
大阪の帝国座で上演された『椿姫』は田口菊汀の脚本によるもので
あ る 。上 演 は 2 月 で あ っ た が 、彼 は 明 治 44 年 (1911 年 )3 月 の『 文 芸 倶
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王虹
楽部』に脚本を発表した。多くの資料では田口の『椿姫』を翻案劇と
見なしているが、松居松葉の翻案と異なり、彼は人物の名前を日本化
しただけで、物語の発生地は原作と一致させている。五幕のタイトル
を見てみよう。
第一幕:巴里に於ける麻理代の室
第二幕:麻理代の化粧室
第三幕:巴里郊外の別荘
第四幕:利喜子の室
第五幕:麻理代の寝室
実際、原文と対照してみても、これは翻案より翻訳に近いといって
もよいものであるが、上演する際にはどういうわけか四幕となった。
しかし、貞奴の椿姫は洋服を着る姿であり、その雰囲気も原作と似て
い た 。 大 阪 毎 日 新 聞 の 明 治 44 年 (1911 年 )2 月 15 日 の 紙 上 に 、 彼 女 の
椿姫像を「これはサラ・ベルナールの直傳かもしらぬが、自然な科が
女 で あ る か ら と い う こ と が 力 に な っ て 居 る 、姿 を 作 ら ず に 天 真 の 妙 だ 」
と 評 し た (白 川 、 1985:490-491) 。
終わりに
ロ ー ラ ン・バ ル ト は『 椿 姫 』を 一 つ の 神 話 と 呼 ん だ (バ ル ト 、1967:132)。
神話的ヒロインとして、マルグリットは原作を越えて、ヨーロッパや
ア メ リ カ 、そ し て 、日 本 と 中 国 へ と 広 が っ て い っ た 。原 作 の 小 説 に は 、
マ ル グ リ ッ ト は 単 に 「純 愛 の ヒ ロ イ ン 」と し て 描 か れ る で は な く 、 娼 婦
と し て 、 「情 熱 的 生 活 」を 送 っ て い た マ ル グ リ ッ ト の 一 面 も 書 か れ て い
る 。 た だ し 、 マ ル グ リ ッ ト は 普 通 の 娼 婦 と は 違 う 。 彼 女 は 「処 女 」の よ
うな、純潔な一面を持っている女性でもある。彼女はときどき、一般
の娼婦と同じように、金のために、男に身を任せるが、一旦真実の愛
に目覚めると、自己を犠牲にして、恋人を守る。劇『椿姫』は物語の
展開の仕方や人物構成など、小説と異なるが、マルグリットが娼婦で
あることは変わっていない。小説より、劇におけるマルグリット像は
よりいっそう理想化され、清らかになったと言える。マルグリットの
物語は、世界各地で、上演され、オペラや映画、バレエにも取り上げ
中国と日本におけるマルグリット像
155
られた。その中に、原作と一致しないマルグリット像もあるかもしれ
ないが、さまざまな姿のマルグリットは、世界中の人々に愛されてい
る。二十世紀初期の日本と中国を例としていえば、当時の人々は、マ
ルグリットの魅力に感動し、彼女を、原作のモデルであるマリのよう
に、娼婦というイメージより、むしろ、真の愛を求め、愛のために自
分を犠牲する、という女性像として捉えられたのである。
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156
王虹
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図版の出典は以下の通りである。
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② 『 演 芸 画 報 』 第 5 年 第 3 号 1911 演 芸 画 報 社
③ 帝 劇 史 編 纂 委 員 会 編 『 帝 劇 の 五 十 年 』 東 宝 株 式 会 社 1966
中国と日本におけるマルグリット像
①春柳社のマルグリット像
157
② 帝 国 座 (貞 奴 )の マ ル グ リ ッ ト 像
③帝国劇場の『椿姫』