旋法とモード 中世ルネサンス音楽の理論には十二旋法があったが、クラシック音楽では長調(イオニア旋法) と短調(エオリア旋法)を除いて他の旋法は廃れたのであった。 他方、ジャズでは旋法を使うのは全く普通のことであり、面白いことに中世ルネサンスの教会音 楽理論からそのままギリシャ語の旋法名を引き継いでいる。中世ルネサンスの教会旋法には以下 の十二種類があった。(当初はイオニアとエオリアを除く八種であった。) 中世ルネサンス音楽の旋法 これらのうち、正格と変格の違いというのは、中世・ルネサンス音楽特有の終止音と支配音の位 置の違いから来る区別であって、音階としては半分の六種しかない。また、クラシック音楽の和声 学では増四度を嫌うので、主音と第四音が増音程となるリュディア旋法は使われなくなり、クラシッ ク音楽ではバロック期頃までに、既にイオニア、エオリア、ドリア、ミクソリュディア、フリギアの五種し か使われなくなっていた。また、H から始まる旋法は、主音と第五音が減音程となり、そもそも音楽 理論の中にも取り入れられなかった。 他方、ジャズ奏者は増四度音程も減五度も気にせず使うため、上記の正格旋法六種に加えて、 シ(ドイツ音名では H だが、以降は英音名の B と呼ぶ)から始めるロクリア旋法を加えた七種を旋 法 (modes) と呼んで使っている。 それぞれのモードで、第一、第三、第五、第七音をとって四和音を作ると、次のような結果になる。 I. II. III. IV. V. VI. VII. C△ D-7 E-7 F△ G7 A-7 Bø (F△#4) つまり、主音を根音として作った七の和音は、イオニアアン・モードとリュディアン・モードでは長 七の和音、ミクソリュディアンでは属七の和音、ドリアン、フリギアン、エオリアンでは短七の和音と なり、ロクリアンでは導七の和音となるのである。 中世の教会旋法とは順番が異なり、イオニアン・ モードが第一に来ているが、これは現代の音階の影響であろう。しかし、古代のギリシャ語の名前 がそのまま残っているのは面白い。ルネサンス音楽の文脈では旋法という言葉を使うが、ジャズの 文脈においては、英語をそのままにモードと呼ぶ方が妥当であろう。 さて、ジャズ奏者は基本となる「七の和音の形」を考えるのに、旋法の名前を使うことも普通であ る。 “What's the chord in the second bar?” “F Lydian.” のような会話は日常的である。リュディアは 付加七の四和音だけでは普通の長七和音であるが、繋留の付加四和音(sus と呼ばれる)にする 場合にはリュディア旋法の特徴である F-B の増四度が形成されることになるので、和音記号に#4 と書き足す場合もある。実は、#4 のような付加記号は、付加和音を使う場合の便宜というだけでな く、ジャズ奏者にとって、音階と和音はしばしば同義であるという事情に基づく。クラシック奏者に は理解しがたいこのような事情は後の項で説明するが、ジャズにおいては基本となる四和音だけ でなく、そのモードがすぐにわかる(つまり音階列に含まれる 7 つの音全てがわかる)ような和音記 号の書き方が好まれるのである。 和音をモードで考える方法は、クラシック奏者が調性と移調の二つを使って考える方法と根本的 に異なる。モードの特徴は、1オクターヴを形成する 7 つの音の中のどの二箇所に半音の部分が あるかという、全音と半音の配列にある。例えばフリギアン・モードは「半全全全半全全」という並び であり、この音度に従って E 上に付加七の和音を作れば E-7 になるのであり、ミクソリュディアン・ モードは「全全半全全半全」という並びであるから、 “C でミクソリュディア” と言われれば、その順 番に音を重ねて結果として C7 の和音になるのである。 ただ、クラシック奏者のような調性ということに関連づけて考えれば、次表のような関係になる。 Phrygian Aeolian Dorian Mixolydian Ionian Lydian Locrian A D G C F H 例えば、「F でエオリアン」と言えば、それはフラットが4つついた音階であり、変イ長調あるいは ヘ短調の音階に等しい。 この表を見ているとモード(あるいは旋法)の性格というものがよく分かって興味深い。所謂、短調 と長調はエオリアンとイオニアンだが、その間にあるドリアンとミクソリュディアンは、それぞれ「少し 短調っぽい」「少し長調っぽい」性格を持った旋法である。つまり、表では右に行くほど長調的性 格が、左に行くほど短調的性格が強くなると言えるであろう。 イオニアンを典型的な明朗快活な調、エオリア旋法を悲哀に満ちた調とすれば、ミクソリュディア 旋法は少し翳りのある知的な感じの長調、ドリア旋法は毅然としたところのある短調といった性格 である。 では、表を左端まで行ったフリギアンになると、これは人間の感情の悲哀や落胆というレベルの 暗さを越えて、もっと幽玄で幻想的、荘厳で神秘的な雰囲気を帯びる。バッハなどが宗教曲に用 いた旋法であることも納得がいく。 表を右に進むと、リュディアンンではルネサンス時代の音楽理論では「悪魔の音程」と呼ばれた 増四度が出てくる。これは長2度が三回続くことで出てくるのだが、明朗快活の域を越えて、どこか しら軽躁・多弁、あるいは調和を破壊する暴力的なエネルギーを感じさせる。(これはルネサンス 時代の音楽家の忌避するところであったが、ジャズ奏者にとっては魅力的な響きである1。) ロクリア旋法まで行くと、分裂的な傾向が深まり、通常の会話も難しい域となるが、これを敢えて 好むジャズ奏者も少なくない。 ジャズにおいても調性や和声の機能といった知識や理解は必要だが、先ほど掲げた表におい てクラシック奏者はイオニアンとエオリアンしか使っていないのに対し、ジャズのモード奏法はすべ てのモード(旋法)をカバーしているという言い方が出来る。この点に関しては、ジャズの方が視界 が広いだけでなく、包括的であり、 理論的にも一貫しているとさえ言える。 1 しかし、Bebop という形が出てくる以前にはジャズ奏者といえども増四度(あるいは減五度)の響きは忌避していた。 チャーリー・パーカーやセロニアス・モンクなどが増四度を使い始め、わざわざ IV を半音あげてリュディアン・モー ドにすることまで行ったが、彼等のスタイルについては 1960 年代までは議論があり、「増四度によってジャズは荒 廃してしまった」とまで真面目に論じる者があったのである。現代のジャズ奏者にとっても、リュディアン・モードは他 のモードに比べて新しいという感覚は多少残っている。
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