国際教養大学課題解決型科目授業報告書 Online edition: ISSN 2188-4153 Print edition: ISSN 2188-4145 Farmer’s Life Stories from Akita 地域発展論 2014 秋田県仙北市 農家民宿経営者の ライフストーリー 椙本歩美[編] 国際教養大学 平成23年度国際化拠点整備事業(文部科学省) 大学の世界展開力強化事業 Farmer's Life Stories from Akita 地域発展論 2014 秋田県仙北市 農家民宿経営者のライフストーリー 椙本歩美[編] 国際教養大学 平成23年度文部科学省国際化拠点整備事業 大学の世界展開力強化事業 ロセスにおいて学生の主体的な学びを大 生 十 五 名 が 履 修 し ま し た 。二 年 生 以 上 を 対 ( Community Development )」 の 成 果 報 告 書 で す 。 今 回 は 、国 際 教 養 大 学 の 学 部 タ ー に 私 が 担 当 し た 授 業「 地 域 発 展 論 学 省 ) の 一 環 で、 二 〇 一 四 年 度 秋 セ メ ス 「 大 学 の 世 界 展 開 力 強 化 事 業 」( 文 部 科 本 書 は、 国 際 化 拠 点 整 備 事 業 費 補 助 金 す 。 し た が っ て 、地 域 の 固 有 性 や 多 様 性 を あ り 、発 展 の あ り 方 も 地 域 ご と に 異 な り ま こ と で す 。地 域 に は そ れ ぞ れ 固 有 の 状 況 が し た 。 地 域 発 展 は 、地 域 資 源 を 活 か し て 、 のライフストーリーの聞き取りを行いま 分 か れ、 そ れ ぞ れ 異 な る 農 家 民 宿 経 営 者 で 実 施 し ま し た 。学 生 た ち は 四 グ ル ー プ に はじめに 切にしています。 フ ィ ー ル ド ワ ー ク は、 秋 田 県 仙 北 市 グ 象 に し て い ま す が 、実 際 に は 二 年 生 か ら 四 理 解 す る こ と が 、重 要 に な る の で す 。 ラ イ 椙本歩美 年 生 ま で 学 年 は 様 々 で し た 。そ の う ち 秋 田 フ ス ト ー リ ー は 、授 業 の 課 題 文 献 で は 扱 い リ ー ン・ツ ー リ ズ ム 西 木 研 究 会 の 農 家 民 宿 県 出 身 者 は 一 名 と 、こ れ ま で で 一 番 少 な い き れ な い 、個 人 の 生 き 方 か ら 社 会 に 迫 る 調 フィールドワークを行った際には、より多様 が で き ま し た。 そ の 後、 秋 田 県 仙 北 市 で は 、日 本 各 地 の 状 況 と 秋 田 を 比 較 す る こ と 事 例 や 、出 身 地 の 人 口 変 動 を 調 べ る 授 業 で え 、既 存 の 議 論 を 問 い 直 す 姿 勢 を 持 っ て 欲 し て、 学 生 た ち に は、 足 元 か ら 社 会 を 考 う こ と 。ラ イ フ ス ト ー リ ー の 聞 き 取 り を 通 と り の 語 り に 耳 を 傾 け 、そ の 人 生 に 寄 り 添 査 手 法 で す 。 現 場 に 足 を 踏 み 入 れ 、一 人 ひ に お い て 自 然 、文 化 、人 と の 交 流 を 楽 し む グリーン・ツーリズムは、農山漁村地域 できましたことを感謝申し上げます。 さ ん と と も に 授 業 を つ く り 、報 告 書 を 完 成 経済・社会・文化的に豊かな社会をつくる 人 数 で し た 。 そ の 結 果 、地 域 づ く り の 先 行 な視点から議論を深めることができました。 滞 在 型 の 余 暇 活 動 を 指 し ま す 。図 一 の よ う 論 、理 論 と 現 場 の 比 較 、フ ィ ー ル ド ワ ー ク れ ま す 。 授 業 目 標 は 、地 域 発 展 論 の 基 礎 理 よ る 特 別 講 義 、フ ィ ー ル ド ワ ー ク で 構 成 さ 宿 経 営 者 、N P O や 県 庁 な ど 、多 く の み な 験 を さ せ て い た だ き ま し た 。 学 生 、農 家 民 取 り 調 査 だ け で な く 、農 作 業 な ど 色 々 な 体 一泊二日の滞在中、農家民宿では、聞き タイルとしても期待されています 交 う 、両 者 の 共 生 に 基 づ く 新 し い ラ イ フ ス の 魅 力 を 認 め 合 い 、双 方 向 で 人 び と が 行 き に 、交 流 形 態 は 様 々 あ り 、農 山 漁 村 と 都 市 ※1 。 技 法 を 修 得 す る こ と で す 。す べ て の 学 習 プ 授業は、課題文献、ゲストスピーカーに しいと考えました。 図1.都市と農山漁村の共生・対流とグリーン・ツーリズム 出典.農林水産省より作成 2 このなかで農家民宿は、農林漁業体験民 宿 業 の 総 称 で、「 施 設 を 設 け て 人 を 宿 泊 さ せ 、農 林 水 産 省 令 で 定 め る 農 村 滞 在 型 余 暇 活 動 又 は 山 村・漁 村 滞 在 型 余 暇 活 動 に 必 要 。 つ ま り、 都 市 住 民 な ど に 農 林 漁 業 ※2 な 役 務 を 提 供 す る 営 業 」と 定 め ら れ て い ま す に 関 す る 作 業 、加 工 や 調 理 体 験 、生 活 文 化 に 触 れ る 体 験 を 提 供 す る 宿 泊 施 設 で 、交 流 を受け入れる農村側の柱になるような施 設といえます。 秋 田 県 で は グ リ ー ン・ ツ ー リ ズ ム に 関 す る 様 々 な 活 動 が 行 わ れ て い ま す。 平 成 一.農林漁業の相互理解 二.農林漁業者の誇りと自信(この地を 守り、暮らし続ける) 三.農林漁業の新しい経済活動(経営の 第二の軸足→他業種とのつながり) 花まるっGTは、グリーン・ツーリズム の 推 進 事 業 を 行 い 、元 気 で 活 力 あ る 農 山 漁 村の想像と人間性豊かな地域社会の形成 に寄与することを活動目的にしているそ う で す 。 農 山 漁 村 に と っ て グ リ ー ン・ツ ー リ ズ ム は 、地 域 づ く り の ひ と つ の 方 法 で あ り 、農 家 民 宿 は そ の 拠 点 と な り う る 存 在 な 二 〇 一 三 )。 農 家 レ ス ト ラ ン や 農 家 民 宿 の (秋田県観光文化スポーツ部観光振興課 は 十 六、 農 家 は 二 一 六 戸 に の ぼ り ま す ま す。 ま た 教 育 旅 行 を 受 け 入 れ る 団 体 軒、 農 林 漁 家 レ ス ト ラ ン は 四 十 九 軒 あ り 二 〇 一 四 年 八 月 に は 、正 会 員 と 賛 助 会 員 合 村 、一 団 体 、県 の 合 計 十 八 会 員 で し た が 、 に 任 意 団 体 と し て 始 ま っ た 時、 十 六 市 町 す る た め に 設 立 さ れ ま し た。 一 九 九 九 年 し、 秋 田 県 の 農 山 漁 村 地 域 の 活 性 化 に 資 活動に必要な人材育成や情報発信を整備 加 し て い ま す 。二 〇 一 四 年 の 主 な 活 動 は 、 で 、二 十 代 か ら 七 十 代 ま で 幅 広 い 世 代 が 参 民 宿 を 経 営 し て い ま す。 会 員 は 主 に 女 性 家 二 十 軒 が 参 加 し て お り 、う ち 七 軒 が 農 家 は 、三 十 七 年 の 歴 史 が あ り ま す 。 現 在 、農 さ っ た グ リ ー ン・ ツ ー リ ズ ム 西 木 研 究 会 今 回、 フ ィ ー ル ド ワ ー ク を 受 入 れ て 下 のです。 件数は、年々、増加しています(図二)。 わせて一五六会員を数えるまでになって 二 十 五 年 時 点 で、 農 林 漁 家 民 宿 は 七 十 六 秋田県のグリーン・ツーリズムの推進に 授業では、花まるっGTの藤井絹子さん 同 研 究 会 代 表 の 門 脇 富 士 美 さ ん は 、授 業 の お 玉 手 箱 列 車 、も ち っ こ バ イ キ ン グ で す 。 国 内 外 か ら の 農 業 体 験 の 受 入 れ、 ご っ つ 秋 田 花 ま る っ グ リ ー ン・ツ ー リ ズ ム 推 進 協 に 特 別 講 義 を し て い た だ き ま し た。 そ の 特別講義で「女性同士集まって話したり作 います。 議 会 が あ り ま す( 以 下、 花 ま る っ G T )。 際 、 グ リ ー ン・ツ ー リ ズ ム の 目 的 と し て 説 貢 献 し て き た 団 体 の ひ と つ に 、N P O 法 人 花 ま る っ G T は 、 グ リ ー ン・ツ ー リ ズ ム 関 ※3 業するなかで、世代間で技術を伝えあってい 明されたのは、以下三点です 。 係 者 間 の 情 報 交 流 を 進 め る と と も に 、そ の はじめに 3 図2.秋田県の農家レストラン及び農家民宿の軒数 出典.秋田県観光文化スポーツ部より作成(藤原絹子氏提供) た 。 グ リ ー ン・ツ ー リ ズ ム の 訪 問 者 に よ っ こ と を 目 的 と し て い ま す。「 1. 学 生 が 拓 本報告書は、授業成果を社会に還元する て欲しいと思っています。 て 、地 域 に 暮 ら す 人 び と が 、生 活 や 生 産 に く 学 び 」 で は、 学 習 プ ロ セ ス を ま と め て る」と活動の意義を説明して下さいまし 関 す る 技 術 を 発 揮 で き 、自 信 や 意 欲 を 回 復 い ま す。「 2. 農 家 民 宿 経 営 者 の ラ イ フ ス ト ー リ ー 」は 学 生 の グ ル ー プ レ ポ ー ト で 、 。 農家民宿などグリーン・ツーリズムは、 学 生 個 人 の レ ポ ー ト は「 3 . ラ イ フ ス ト ー ※4 女性が担うことが多いといわれていま リ ー か ら 学 ん だ こ と 」に ま と め て い ま す 。 する契機にもなるといわれています す 。 今 回 の 語 り 手 も 、女 性 ま た は ご 夫 婦 で 「4.ともに学ぶ」は、授業に協力くださっ 【参考資料】 農林水産省ホームページ 「グリーン・ツー ※1 リズム都 市 と 農 山 漁 村の共 生・ 対 流 」 http://www.maff.go.jp/j/nousin/ kouryu/kyose_tairyu/k_kyotai/ (二〇一五年三月二日閲覧) index.html 農山漁村滞在型余暇活動のための基盤 ※ 2 ン・ツーリズム推 進 協 議 会 二〇一四 年 十 月二十二日 「 秋 田 県 グリーン・ツー し た 。 女 性 た ち の 活 躍 の 背 景 に は 、家 族 の 整備の促進に関する法律 平成七年 専門的な文章を読み、知識を得たと思っ リズムの取り 組みについて~支 援 組 織か た 方 々 の 感 想 で す 。 そ し て「 5 . 忘 れ ら れ て い て も 、フ ィ ー ル ド ワ ー ク で は そ れ が 全 らの視点」(特別講義資料) 協 力 や、 地 域 住 民 と の 関 係 が 見 え て き ま く 役 に 立 た な い こ と も あ り ま す 。し か し 、 な い 出 会 い 」 に は 、私 が 授 業 の 回 想 を 書 き 学生は、それぞれの農家民宿で、異なる 現 場 の 理 解 を 深 め る た め に は 、先 人 た ち の す 。 授 業 で 、 グ リ ー ン・ツ ー リ ズ ム と く に 特定非営利活動法人秋田花まるっグリー 体 験 を し ま し た。 経 営 者 の ラ イ フ ス ト ー 知 見 が 必 要 に な り ま す 。こ の 報 告 書 を 通 し 荒 樋 豊 二 〇 〇 八「 日 本 農 村 に お け る グリーン・ツーリズムの展開」日本村 ※3 リ ー は 一 人 ひ と り 異 な り ま す が 、み ん な 山 て 、学 生 た ち が 現 場 と 文 献 の 間 で 格 闘 し た 落研究学会編『グリーン・ツーリズム ま し た 。 最 後 に 付 録 と し て 、英 語 の 学 生 レ あ り 谷 あ り で す 。 本 報 告 書 は 、講 義 や 文 献 姿 が 見 え て く る と 思 い ま す 。 そ し て 、地 域 農 家 民 宿 を 取 り 上 げ る ね ら い は 、こ こ に あ で は 分 か ら な い 、地 域 社 会 の 多 様 性 や 複 雑 の新展開』農山漁村文化研究会 ポートと授業シラバスを載せました。 さ の 一 端 に も 触 れ る こ と が で き ま し た 。住 の 方 々 と 学 生 が 共 に 学 ぶ 可 能 性 も、 見 え り ま す 。 地 域 発 展 の あ り 方 は、 家 族 や 地 域 民 一 人 ひ と り 、家 族 一 つ ひ と つ が 、か ら み てくるように思います。読者のみなさまか 社会の理解なくして考えられません。 合 い、 地 域 社 会 を 紡 い で い ま す。 学 生 に ら、ご意見ご感想をいただければ幸いです。 ※ 4 は 、地 域 発 展 に つ い て 考 え る 根 幹 で あ る 、 地 域 社 会 へ の 眼 差 し を 養 い 、現 場 と 先 行 研 究 を 往 復 し な が ら 、問 題 意 識 を 深 め て い っ 4 成果発表会ポスター 地域発展論授業 成果発表会 秋田×地域づくりの最前線 ~ 農家民宿経営者のライフストーリー ~ 平成26年12月6日(土)13時30分~16時 国際教養大学D102教室 【語り⼿】*50⾳順 グリーン・ツーリズム⻄⽊研究会 【プログラム】 ⾨脇征志さん・昭⼦さん 富⼠美さん (星雪館) 13時15分 開場 13時30分〜15時 学⽣発表 15時〜16時 懇親会 佐藤⼆郎さん・由井さん (⾥の灯) 髙橋由希⼦さん・佳⼦さん (のどか) 藤井けい⼦さん(泰⼭堂) 5 成果発表会ポスター 【問い合わせ】 国際教養⼤学助教 椙本歩美 [email protected] 目 次 は じ め に ………………………………………………………………………………………… 2 成果発表会ポスター … ……………………………………………………………………… 5 細く長く出逢いを大切に 佐藤二郎さん・由井さん … ……… 西木と世界の架橋 門脇征志さん・昭子さん … ……… 2. 農家民宿経営者のライフストーリー 学生のグループレポート … ………… 21 13 12 ………………………………………… 8 1. 学 生 が 拓 く 学 び 学 習 の プ ロ セ ス … 足を運ばずして得られるものは無し 髙橋由希子さん・佳子さん … …… 27 6 Syllabus… ……………………………………………… 参加者一覧 … ………………………………………………………………………… おわりに … …………………………………………………………………………… 5. 忘 れ ら れ な い 出 会 い 教 員 の 回 想 ……… … … … … … … … … … … … 4. ともに学ぶ 地域協力者の声……………………………………………… 3. ライフストーリーから学んだこと 学生の感想………………………… 持続可能な地域発展 藤井けい子さん … ………………… 60 59 54 50 38 33 付録 授業シラバス … Student Papers ………………………………… 64 学生の英語レポート 目次 7 114 1 . 学生が拓く学び 学習のプロセス 椙本歩美 8 グループワーク 1.教室での学び 学生とゲストスピーカーの質疑応答 理論・事例 グループワーク 地域開発や発展に関わる諸理論、日本や 秋田県の地域づくりの事例について課題 文 献 を 読 み 、学 生 に よ る 発 表 や デ ィ ス カ ッ ションを行いました。 調査法 質的調査法やライフストーリーについ て 、課 題 文 献 の 学 生 発 表 お よ び デ ィ ス カ ッ シ ョ ン を 通 し て 学 び ま し た。 聞 き 取 り 調 査 の 向 上 を 目 指 し て、 学 生 同 士 で イ ン タ ビ ュ ー を 行 い 、文 字 起 こ し を し ま し た 。 ま た 、映 画 や 過 去 の フ ィ ー ル ド ワ ー ク の イ ン タ ビ ュ ー 映 像 を 用 い て 、ラ イ フ ス ト ー リ ー の記述練習も行いました。 ゲストスピーカーによる特別講義 あきた県庁出前講座 二〇一四年十月二十日、秋田県観光文化 スポーツ部の武藤正子氏と赤田有佳氏よ り 、秋 田 県 の 観 光 業 の 現 状 と 課 題 、ま た 県 の 政 策 に つ い て 、統 計 資 料 を 元 に 講 義 い た 1. 学生が拓く学び 学習のプロセス 9 あきた県庁出前講座 農家民宿での夕食 門脇富士美氏の講義 だきました。 藤原絹子氏の講義 NPO職員および農家民宿経営者 二〇一四年十月二十二日、NPO法人秋 田 花 ま る っ グ リ ー ン・ツ ー リ ズ ム 推 進 協 議 会 ( 以 下 、花 ま る っ G T ) の 藤 原 絹 子 氏 と 柴 田 桂 子 氏 、そ し て 今 回 フ ィ ー ル ド ワ ー ク にご協力くださる農家民宿星雪館の門脇 富 士 美 氏 に 、講 義 を し て い た だ き ま し た 。 秋田県のグリーン・ツーリズムの実 状や、グ リーン・ツーリズム西 木 研 究 会の活 動につい て、 より 具 体 的 な 事 例 を 紹 介いただきまし た。 この特別講義については、花まるっGT のブログに紹介されています。 http:// 「 国 際 教 養 大 学 × 秋 田 の グ リ ー ン・ ツ ー リ ズ ム!( 地 域 発 展 論 授 業 )」 www.akita-gt.org/blog/?p=27203 フィールドワーク 二〇一四年十一月二十二日―二十三日、 学生たちはグループごとに異なる農家民 宿 に 一 泊 し 、経 営 者 の ラ イ フ ス ト ー リ ー の 聞き取りを行いました。 西明寺栗ランチ 10 まず全員で、四軒の農家民宿を訪問した 後 、か た く り 館 で 、西 木 地 域 名 産 の 西 明 寺 成果発表会 二〇一四年十二月六日、本学で学習発表 宿 へ 移 動 し 、ラ イ フ ス ト ー リ ー の 聞 き 取 り その後、グループごとに担当する農家民 し 、そ こ か ら 考 え た 地 域 発 展 の 現 実 に つ い ち は、 語 り 手 の ラ イ フ ス ト ー リ ー を 紹 介 者 三 名 が 、参 加 し て 下 さ い ま し た 。 学 生 た 会 を 開 催 し ま し た 。語 り 手 の 農 家 民 宿 経 営 調 査 を 行 い ま し た 。聞 き 取 り 調 査 以 外 の 時 て 、グ ル ー プ 発 表 を 行 い ま し た 。 学 生 の 発 栗を使ったランチをいただきました。 間 に は 、農 作 業 体 験 、郷 土 料 理 づ く り 、い 表 は 、パ ワ ー ポ イ ン ト と ビ デ オ 映 像 を 用 い て 行 い ま し た 。発 表 会 終 了 後 に は 懇 親 会 を ぶ り が っ こ の 燻 製 見 学 、犬 の 散 歩 を し な が ら の 集 落 散 策 な ど 、そ れ ぞ れ の 農 家 民 宿 で 行 い 、学 生 と 語 り 手 と の 親 睦 も よ り 深 ま り ました。 特色ある体験をさせていただきました。 データ分析 フィールドワーク後、学生は聞き取り調 査 の 録 音 を 文 字 に 起 こ し 、語 り 手 の フ ィ ー ル ド ノ ー ト を ま と め ま し た。 語 り に は 時 々 、秋 田 弁 も 出 て き ま す 。 学 生 た ち は 秋 田 弁 で 聞 き 取 っ た 内 容 を 、教 室 に 戻 る と 英 語で整理・分析し、議論しました。 農家民宿経営者のライフストーリーをと お し て 、学 生 た ち は 地 域 の 暮 ら し や グ リ ー ン・ ツ ー リ ズ ム の 実 状 を 考 え ま し た。 ま た 、語 り 手 の 人 柄 に も 触 れ る こ と が で き 、 その生き方からも様々なことを学びました。 1. 学生が拓く学び 学習のプロセス 11 語り手との会話 成果発表会 2 . 農家民宿経営者のライフストーリー 学生のグループレポート 12 星雪館 かど わき せい じ かど わき しょう こ 門脇征志さん・門脇昭子さん 西木と世界の架橋 ~現状維持と挑戦~ 調 査 目 的 は、 に行きました。 さ れ て い る 星 雪 館 が 、秋 田 県 全 体 の グ リ ー は 何 が 違 う の か 。 ま た 、た っ た 三 名 で 運 営 他 地 域 の グ リ ー ン・ツ ー リ ズ ム と 西 木 町 で 地域発展の調査ということで、当初は、 年間二五〇名と な困難を乗り越 星 雪 館 が ど の よ う に お 客 さ ん を 集 め 、ど れ ン・ツ ー リ ズ ム の な か で 代 表 的 に な っ た の え、どのように だ け 多 く の 時 間 を グ リ ー ン・ツ ー リ ズ ム に いう来客数を誇 グリーン・ツー 費やしているのかについてうかがう予定 は 、ど の よ う な 理 由 が あ る の だ ろ う か 、と リズムを支え、 で し た 。 ま た 今 後 の 展 望 と し て 、ど の よ う る星雪館が、こ 日々どれだけの な 案 を 考 え て い ら っ し ゃ る の か な ど 、将 来 いう疑問も持ちました。 準備をしている の見通しについてもうかがおうと意気込 れまでどのよう の か を、 星 雪 館 の 門 脇 昭 子 さ ん、 征 志 さ んで調査に向かいました。 作成:栄利美波・藤田崇弘 安田幾磨・和田龍之助 秋 田 県 の 中 央 に 位 置 す る 西 木 町 で は、 ん 、そ し て 娘 の 富 士 美 さ ん の ラ イ フ ス ト ー 泰山堂に続き開業した星雪館という農家 が 滞 在 し た の は 、一 九 九 八 年 に 、西 木 町 で ツ ー リ ズ ム を 盛 り 上 げ て い ま す。 私 た ち 農 家 民 宿 に 支 え ら れ 、 秋 田 県 の グ リ ー ン・ 地 か ら 旅 行 者 を 集 め て い ま す。 西 木 町 は て 、こ の 地 域 は 日 本 国 内 に 留 ま ら ず 世 界 各 農村の心落ち着く体験ができる場所とし が で き ま す 。 秋 田 県 の グ リ ー ン・ツ ー リ ズ という地域発展の実践例として見ること が 向 上 し 、地 域 住 民 の 関 わ る 機 会 が 増 え る ン・ツ ー リ ズ ム に よ っ て 、 西 木 町 の 知 名 度 完 結 さ せ て し ま う と い う 方 法 で す 。グ リ ー 業、 つ ま り 一 次 産 業 か ら 三 次 産 業 ま で を で き ま し た が、 星 雪 館 の 事 例 は、 六 次 産 授業を通じて様々な形の地域発展を学ん ム は 、日 々 の 生 活 の な か か ら 生 ま れ た 副 次 館 の オ ー ナ ー に と っ て グ リ ー ン・ツ ー リ ズ 家 民 宿 を 運 営 す る と い う も の で し た 。星 雪 サ ー ビ ス を 提 供 し な が ら 、楽 し み と し て 農 か し 実 際 の 富 士 美 さ ん た ち の 目 標 は 、日 々 ス ト ー リ ー を 通 じ て 学 ぶ こ と で し た。 し の 準 備 を し て い ら っ し ゃ る の か を 、ラ イ フ を 支 え て い ら っ し ゃ る の か 、毎 日 ど れ だ け 西 木 地 域 の 質 の 高 い グ リ ー ン・ツ ー リ ズ ム ■ はじめに 日本の情緒ある景色を望むことができま リーを通して学ぶことでした。 民 宿 で す 。 星 雪 館 が ど の よ う に グ リ ー ン・ ム は 質 が よ い と 評 さ れ て い ま す が 、一 体 、 調査目的は、門脇さん一家がどのように す。 大 き な 都 市 か ら 離 れ た 場 所 で す が、 ツ ー リ ズ ム を 盛 り 上 げ て い る の か 、調 査 し 2. 農家民宿経営者のライフストーリー 13 土 地 を 所 有 さ れ て い た こ と か ら 、こ の 地 へ 征志さんのご両親が現在の西木町に広い 家 は 、優 し い 話 し 声 と 笑 顔 で 迎 え 入 れ て く 入 植 し ま し た 。 当 時 の 主 な 収 入 源 は 、豆 あ 地 が 広 が っ て い ま し た 。 ま た 、門 脇 さ ん 一 は「 現 状 維 持 も 挑 戦 の 連 続 だ 」と 語 っ て い だ さ り 、私 た ち は 到 着 後 間 も な く 安 心 感 で ず き の 栽 培 で し た 。 一 九 七 〇 年 十 一 月 、征 的 な も の で し た 。富 士 美 さ ん の 母 昭 子 さ ん ら っ し ゃ い ま し た 。 確 か に 高 齢 化 、人 口 減 満たされていました。 志 さ ん と 昭 子 さ ん は 、そ れ ぞ れ の 親 戚 の 紹 少 、米 価 の 下 落 に あ る 西 木 町 で 、質 の 変 わ ら な い サ ー ビ ス を 提 供 し 続 け る の は 、努 力 を結ぶ架け橋になりたいと願っていらっ 日 々 の 生 活 を 続 け る 一 方 で 、田 舎 と 都 会 と ん を は じ め 星 雪 館 の 門 脇 さ ん ご 家 族 は、 本 の 不 利 な 戦 況 を 受 け て 、門 脇 さ ん ご 家 族 生 ま れ ま し た 。第 二 次 世 界 大 戦 に お け る 日 六人兄弟の二番目の子どもとして樺太で 門脇征志さんは一九四二年十一月十日、 が 求 め ら れ ま し た 。こ の た め 門 脇 さ ん は 、 伴 い 減 反 政 策 を 進 め た た め 、米 農 家 も 対 応 し か し 一 九 八 五 年 、日 本 政 府 が 米 価 下 落 に か な 土 地 で 、米 の 栽 培 を 続 け て き ま し た 。 十 五 年 間 ほ ど 、二 人 は 祖 先 か ら 引 継 い だ 豊 介 で お 見 合 い し 、結 婚 し ま し た 。 結 婚 か ら し ゃ る よ う で し た が 、そ の よ う な 謙 虚 な 姿 は、 征 志 さ ん が 三 歳 の と き に 日 本 本 土 に 他の種類の作物栽培にも携わるようにな 農家に生まれて 勢 が 、 秋 田 の グ リ ー ン・ツ ー リ ズ ム を 支 え 移 住 し ま し た。 妻 の 昭 子 さ ん は 一 九 四 九 り、 減 反 政 策 が 施 行 さ れ た と 同 時 に、 ビ を 要 す る こ と で あ る と 思 い ま す 。富 士 美 さ ているのだろう、と感じました。 年 六 月 十 一 日、 ニールハウスでの野菜栽培を始めました。 宅から車で三十 西木の現在の自 ■ 門脇さん一家のライフストーリー と、 温 か み の あ る 内 装 と、「 お か え り な さ し た。 し か し 一 歩 な か に 足 を 踏 み 入 れ る 地に囲まれた普通の民家のように見えま 星 雪 館 を 訪 れ た と き、 民 宿 は 大 き な 土 である富士美さ り星雪館の代表 在、 娘 さ ん で あ し た。 二 人 は 現 地域で生まれま 初 の 農 家 民 宿 泰 山 堂 を 開 い た 、同 じ 西 木 町 が あ っ た と 言 い ま す 。 一 つ 目 は 、秋 田 で 最 た 。 昭 子 さ ん は 、こ の 決 断 に は 三 つ の 要 因 宿星雪館を開業することを決意されまし が、 何 か 新 し い こ と を し よ う と、 農 家 民 星雪館のオープン 〜挑戦と困難〜 一九九八年、昭子さんと娘の富士美さん 分 ほ ど の、 戸 沢 い 」の 文 字 が 私 た ち を 迎 え 入 れ て く れ ま し んと一緒に住ん 星雪館を訪れて た 。 宿 の 二 階 に 歩 を 進 め る と 、そ こ に は 大 の 藤 井 け い 子 さ ん の 行 動 力 で し た 。二 つ 目 は 、農 業 体 験 の た め に 訪 れ た 小 学 生 か ら 送 でいます。 一 九 五 〇 年、 きな薪ストーブが楽しげな音を立ててい て 、向 か い の 和 室 の 窓 の 外 に は 、広 大 な 土 14 た こ と で し た 。地 域 の パ イ オ ニ ア に 刺 激 を す る た め 、落 ち 着 け る 場 所 を 必 要 と し て い は 、都 市 に 住 ん で い る 人 た ち が 田 舎 に 帰 省 を 積 極 的 に し て い ま し た )。 そ し て 三 つ 目 脇さん一家は学生の農業体験の受け入れ の カ ー ド で し た( 星 雪 館 開 業 前 か ら、 門 る こ と は 、か な り 大 変 だ っ た よ う で す 。 ま さ ん 書 か れ て お り 、そ れ ら す べ て を 理 解 す 際 、申 請 書 に は 初 め て 見 る 専 門 用 語 が た く え ば、 宿 泊 施 設 の 許 可 申 請 書 提 出 な ど の な ら な い 困 難 は 、他 に も あ り ま し た 。 た と 士 美 さ ん で し た が 、二 人 が 対 処 し な け れ ば 征志さんのサポートを得た昭子さんと富 す 。 私 た ち も 星 雪 館 を 訪 れ た 際 、畑 で 採 れ いろいろな野菜をたくさん栽培していま さ ん と 征 志 さ ん は、 ほ う れ ん 草 を 中 心 に 来 る 仕 事 だ か ら な、 も の づ く り は。」 昭 子 ら れ る っ て 言 え ば 、自 分 で 誇 り を 持 て ば 出 「やっぱり何で自分たちがここまで続け ■ 門脇さん一家の志 受 け 、小 学 生 か ら の 感 謝 の メ ッ セ ー ジ に 支 た 、県 職 員 が 施 設 の 耐 震 審 査 に 来 た 時 、家 た野菜をふんだんに使ったとても美味し 政面で二人をサポートしました。 え ら れ な が ら 、都 会 に 住 む 方 々 の ニ ー ズ に の 外 周 を 一 周 し 、そ の 建 物 の 土 台 が ブ ロ ッ い食事を頂きました。 ら れ た、「 あ り が と う 」 と い う メ ッ セ ー ジ 応 え る べ く 、一 九 九 八 年 、昭 子 さ ん と 富 士 ク で 作 ら れ て い る の を 見 て 、宿 泊 施 設 と し 宿やグリーン・ツーリズムと れ渡っていなかった農家民 さんは、当時それほど広く知 ませんでした。そもそも征志 的に、征志さんは賛同してい と富士美さんの考えと対照 戦に向かって進む昭子さん 農家民宿の経営という挑 を増し、県から農家民宿の開 の土台は補強用の素材で強度 よ う に、 最 終 的に は、 そ の 家 昭子さんの心配を吹き飛ばす 続いた」と言っていました。 は、「 当 時 は 寝 ら れ な い 日 が のことを話しながら昭子さん 言われたそうです。この審査 ての基準を満たしていないと て い く よ う に せ ね ば 」 と 、現 代 人 の 添 加 物 ためにも自分の食べ物は自分の手で作っ く ね ぇ 。 そ れ は 残 念 だ し 、体 を 大 事 に す る て 食 べ て 、そ れ に 慣 れ て 一 生 は 終 え て ほ し て あ る か も し れ ね ぇ 。常 に コ ン ビ ニ で 買 っ が い て く れ る の が、 そ う い う こ と を 含 め い し 、男 女 問 わ ず 先 祖 代 々 い ろ ん な 子 ど も も の は 食 べ て も ら い た く ね ぇ な 。体 に も 悪 征 志 さ ん は、「 な る べ く 添 加 物 の 入 っ た ものづくり 美さんは星雪館を開業したのです。 いう概念を、すぐに理解でき う い う 思 い か ら 、星 雪 館 を 訪 れ た 人 び と に に 頼 っ た 生 活 を 残 念 に 思 っ て い ま し た 。こ と富士美さんの挑戦が、自分 は 、門 脇 さ ん た ち が 栽 培 し た 健 康 で 、安 心 業許可がおりました。 にとって未知の世界である な 、信 頼 出 来 る 美 味 し い 食 べ 物 を 食 べ て も なかったそうです。昭子さん にも関わらず、征志さんは財 2. 農家民宿経営者のライフストーリー 15 い ま す。 ま た 征 志 さ ん は、 自 営 業 の 強 み 五 千 円 か ら 六 千 円 と か 」 と 、昭 子 さ ん は 言 た 手 間 に し か な ら な い じ ゃ な い 、そ の 一 日 う の は 、時 間 か ら 時 間 ま で で 、そ の 決 ま っ 手 く い く と 思 っ て る 。人 に 使 わ れ る っ て い と 思 う 。 そ し て 農 家 も 、や り 方 次 第 で は 上 こ さ い た ら 、や っ ぱ り 好 き だ っ て の も あ る う」と、昭子さんは言います。さらに、 「こ 自分たちに入ってくるんじゃないかと思 か。 「農家では、頑張れば頑張った分だけ、 家民宿を続けることが出来たのでしょう な ぜ 門 脇 さ ん た ち は、 長 い 間 農 業 と 農 お で ん 、煮 物 、里 芋 の 揚 げ も の 、ほ う れ ん 野菜の天ぷら、 鍋や玉ねぎなど た、きりたんぽ 作ってくださっ 富士美さんが も、昭子さんと います。私たち 征志さんは言 もらいたい」と て思って帰って になるっけなっ 館さ行けば満腹 し 、畑 で 作 業 を は じ め ま す 。 門 脇 さ ん 一 家 番 早 起 き の 征 志 さ ん は、 早 朝 四 時 に 起 床 ん た ち は 朝 早 く か ら 活 動 を 開 始 し ま す 。一 が 、星 雪 館 の ス タ イ ル で す 。 毎 日 、門 脇 さ 決まった体験メニューを設定しないこと で 、お 客 さ ん に 窮 屈 感 を 与 え な い よ う に 、 ン は あ り ま せ ん。 普 段 通 り に 振 舞 う こ と 星雪館に、訪問客のためのサービスプラ 番間違いないと言います。 ま ま 周 り に 伝 え て く れ る か ら 、口 コ ミ が 一 客 さ ん が 実 際 に 経 験 し 感 じ た こ と を 、そ の が 星 雪 館 を 訪 れ て い ま す 。 昭 子 さ ん は 、お ん が 増 え て い き 、年 間 二 五 〇 名 も の 人 び と は 、時 間 を 自 由 に 使 う こ と が 出 来 る こ と 、 草 の お ひ た し な ど 、と て も 美 味 し い 料 理 を は 農 家 民 宿 を 経 営 し て い ま す が 、本 業 は 農 べさせて、雪星 と お っ し ゃ っ て い ま し た 。こ こ ま で 続 け 来 た く さ ん 頂 き ま し た 。 も ち ろ ん 、す べ て の 業 で す 。 毎 日 毎 日 、そ の 日 に や ら な け れ ば らいたいそうです。 ら れ た の は 、本 当 に 農 業 が 大 好 き で 、自 分 野菜が星雪館で採れた新鮮なものです。 普段通りに たちの仕事に誇りを持っていらっしゃる よ う で す 。そ う い っ た お も て な し の 結 果 、 た い と い う 思 い で 、農 家 民 宿 を 営 ん で い る 人にお腹いっぱいになって帰ってもらい 験 メ ニ ュ ー が あ る の で は 、と 期 待 し て い ま る こ と が 多 い よ う で す 。 実 際 、私 た ち も 体 体験メニューやスケジュールを求められ 昭子さんによると、お客さんから一日の いけない必要な作業を行います。 星雪館は、真のおもてなしによってお客 星雪館での食事や体験に満足したお客さ し た 。 し か し 、農 業 は 天 候 に 左 右 さ れ や す やはり門脇さん一家は、星雪館を訪れた さ ん た ち を 迎 え て い ま す。「 こ こ ま で さ、 ん た ち が 、帰 っ て か ら 口 コ ミ を し 、リ ピ ー く、 そ の 日 に 出 来 る こ と を 予 想 す る こ と からではないでしょうか。 来 て も ら っ て よ 、お 腹 空 か さ せ て は 返 さ れ タ ー だ け で な く 、た く さ ん の 新 し い お 客 さ おもてなし ね ぇ っ て 思 う ん だ 。だ か ら お 腹 い っ ぱ い 食 16 館 で は ス ケ ジ ュ ー ル を 決 め て い ま せ ん。 は 、と て も 難 し い の で す 。 そ の た め 、星 雪 だそうです。 んたちが常に心がけていらっしゃること を 与 え な い よ う に 」 と い う こ と が 、門 脇 さ からのお客さんもたくさん受け入れてい シ ア 、カ ン ボ ジ ア 、マ ダ ガ ス カ ル な ど 海 外 また星雪館では、韓国、台湾、インドネ ま す 。海 外 の お 客 さ ん と の 間 に は 言 語 の 壁 て る 作 業 を 、一 緒 に や る っ て い う の が い い 変 わ っ た り す る の で 。そ の と き 我 々 が や っ で す が 、や っ ぱ り 農 家 だ か ら 、雨 降 っ た ら ニューって決めておけばいいって思うん ら 何 で も や る よ っ て 感 じ で す 。そ の 体 験 メ て み た い と か 、も し 私 た ち に 出 来 る こ と な じ ゃ な く て 、こ こ ま で 来 た か ら こ れ が や っ 子 さ ん は、「 や っ ぱ り こ っ ち か ら 勧 め る ん て の 生 活 に 飛 び 込 む こ と が で き ま す。 昭 は征志さんと昭子さんの普段の農家とし を 立 て な い こ と に よ っ て、 お 客 さ ん た ち 種 を 蒔 く 作 業 を 手 伝 い ま し た 。あ え て 計 画 私たちは大根を洗ったり、ほうれん草の は 、餅 の 加 工 所 の 設 立 に と ど ま ら ず 、直 営 ま で 新 し く 作 り ま し た 。門 脇 さ ん の 行 動 力 さ ん は 、正 式 な 許 可 を 取 得 し 、餅 の 加 工 所 ば い け な い と 注 意 を 受 け た そ う で す 。昭 子 の 理 由 に よ り 、正 式 な 許 可 を 取 得 し な け れ し た 時 、民 宿 外 で の 飲 食 物 販 売 に は 、衛 生 うれん草の生地のおやきを販売しようと け て い ま す 。 数 年 前 の こ と 、昭 子 さ ん が ほ ま す 。 現 状 維 持 す る 一 方 で 、常 に 挑 戦 も 続 しを星雪館で提供することを目指してい 門 脇 さ ん た ち は 、常 に 変 わ ら な い お も て な こ と は 、非 常 に 難 し い で し ょ う 。 し か し 、 題 と な っ て い る 西 木 町 で 、現 状 を 維 持 す る 方 か ら 若 者 が 消 え て い く こ と が 、深 刻 な 問 い ま す 。 少 子 高 齢 化 社 会 が 進 ん で い き 、地 「目標は現状維持だな」と征志さんは言 高 校 や 大 学 で の 講 演 へ 参 加 し た り 、ご っ つ 海外からの観光客の受け入れの他にも、 た。 え た 架 け 橋 に な る と 、自 信 を 持 っ て い ま し と世界中のあらゆる国との言葉の壁を超 で す 。 征 志 さ ん は 、星 雪 館 が 仙 北 市 西 木 町 を 広 げ ら れ る こ と が 、何 よ り も 喜 び だ そ う 目 と 心 で 通 じ る 。新 し い 人 に 会 っ て 人 の 輪 シ ョ ン を は か り ま す 。言 葉 は 違 っ て い て も に海外から訪れた人びととコミュニケー さ ん た ち は 言 葉 の 壁 を 恐 れ ず に、 積 極 的 て 思 っ た 」と お っ し ゃ っ て い ま し た 。 門 脇 違 く て も 、目 が 合 え ば 人 は つ い て く る な っ だ そ う で す。 征 志 さ ん は、「 人 間 っ て 言 葉 市 と 海 外 を 繋 ぐ 架 け 橋 と な る こ と が 、理 想 一 切 感 じ な い そ う で す 。西 木 町 そ し て 仙 北 そ う で す が 、門 脇 さ ん 一 家 は 、言 語 の 壁 を が あ り 、コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン が 非 常 に 大 変 んじゃないかなって」と教えてくれまし 所 で の 干 し 餅 の 販 売 、地 元 ス ー パ ー へ の 卸 お 玉 手 箱 列 車 に 料 理 を 提 供 し た り と 、様 々 現状維持 もしお客さんがゆっくりくつろぎたけれ ば 、ゆ っ く り く つ ろ い で も ら い 、何 か 農 業 体 験 を し た け れ ば 、征 志 さ ん と 昭 子 さ ん が た 。お 客 さ ん が や り た い こ と を サ ポ ー ト し し 、さ ら に は 都 市 に 住 む お 客 さ ん へ の 野 菜 な 活 動 を 行 っ て い ら っ し ゃ い ま す。 こ う その日に行う農作業を体験してもらって て あ げ る 、こ れ も 門 脇 さ ん た ち の お も て な の配送なども行っています。 います。 し だ と 思 い ま す。「 お 客 さ ん た ち に 窮 屈 感 2. 農家民宿経営者のライフストーリー 17 と に よ っ て 、一 日 の ス ケ ジ ュ ー ル を 自 由 に 時 間 に 束 縛 さ れ て お ら ず 、そ の 日 し た い こ は 、農 家 と い う 職 業 が 、他 人 に 決 め ら れ た おやきを販売など様々なことができるの 農作業にくわえて、直売所で野菜や餅、 がっているのでしょう。 田 の グ リ ー ン・ツ ー リ ズ ム の 質 の 向 上 に 繋 ま す 。こ ん な プ レ ッ シ ャ ー と 戦 い な が ら 、 任 は 分 散 さ れ ず、 全 て 本 人 に 降 り か か り 失 敗 を し て も 、誰 も 守 っ て く れ ま せ ん 。 責 散 さ せ る で し ょ う 。 一 方 、自 営 業 の 場 合 、 た 場 合 、社 員 の 上 司 や 会 社 全 体 で 責 任 を 分 失 敗 を し 、責 任 を と ら な い と い け な く な っ ま せ ん。 も し、 あ る 会 社 の 社 員 が 仕 事 で は 違 い 、自 営 業 の 方 々 に は 何 の 保 証 も あ り い で し ょ う か 。あ る 会 社 の な か で 働 く 人 と う こ と を 、き っ と 多 く の 人 は 思 う の で は な 験 、田 舎 の 自 然 の 魅 力 や 農 家 の 人 び と が 、 ン・ ツ ー リ ズ ム の 一 形 態 で あ り、 農 業 体 て い る と 学 び ま し た。 農 家 民 宿 は グ リ ー 少子高齢化の進んでいる地域を活性化し 星雪館に行く前、農家民宿は、過疎化や い、自由だったのです。 任を果たした者にしか得ることのできな の は、 ま さ に 大 き な 責 任 を 負 い、 そ の 責 が で き る 。門 脇 さ ん た ち が 享 受 さ れ て い た と 同 時 に 、一 方 で は 一 つ の も の を 得 る こ と 変 え ら れ る か ら で す 。農 家 の 時 間 に 束 縛 さ 生 活 を 保 ち 、家 族 を 養 え る 程 の 収 入 を 得 る 体 験 し た 人 を も う 一 度 、引 き 寄 せ る 。 そ れ な責任を常に負いつつ働かれているとい れ る こ と が な い と い う 特 徴 は 、門 脇 さ ん 一 こ と は 大 変 で し ょ う し 、多 く の 人 が 会 社 の が結果的に地方を活性化させるのだと学 い っ た 門 脇 さ ん た ち の 挑 戦 す る 精 神 が 、秋 家があらゆることに挑戦し続けられてい な か で 働 く 理 由 も 、驚 く こ と で は あ り ま せ び ま し た 。 農 業 体 験 、田 舎 の 自 然 や 人 の 魅 に つ い て ま と め て き ま し た 。こ こ か ら は 、 至 る 経 緯 や 、農 業 や 農 家 民 宿 に 対 す る 姿 勢 これまで、門脇さん一家の星雪館開業に の 姿 で し た。 昭 子 さ ん は 言 い ま す。「 お 金 業の楽しさを享受している門脇さんたち い た 私 た ち が 、星 雪 館 で 見 た も の は 、自 営 このような考えを自営業に対して持って よ う に 人 を 惹 き つ け る の か 、私 た ち は 理 解 理 解 し つ つ も 、田 舎 の 人 び と の 魅 力 が ど の や自然の魅力が人を惹きつけるものだと と が 目 的 で あ る と 考 え ら れ ま す 。農 業 体 験 力 が 手 段 で あ り 、人 を 田 舎 に 連 れ て く る こ 農家民宿の魅力 る鍵かもしれません。 ん。 星 雪 館 に 行 っ て 実 感 、発 見 し た こ と を 述 べ が管理されている会社で働くのとは違っ できていませんでした。 ■ 考察 たいと思います。 て 、頑 張 れ ば 頑 張 っ た 分 だ け 、自 分 の 手 元 自営業という言葉に皆さんは何を思い浮 が で き る。」 自 営 業 に は 大 き な 責 任 が 伴 う い る け れ ど も 、好 き な 時 に 時 間 を 使 う こ と に 返 っ て く る 。時 間 も 会 社 で は 管 理 さ れ て 子 さ ん 、富 士 美 さ ん が 私 た ち に し て く れ た や を か き 消 し て く れ ま し た 。 征 志 さ ん 、昭 しかし、征志さん、昭子さんは、このも 自営業としての農業にある責任と自由 か べ る で し ょ う か 。 自 営 業 の 方 々 は 、大 き 18 が い る か ら、 私 た ち は 田 舎 に 帰 る こ と が え。」 私 た ち を 思 い、 待 っ て い て く れ る 人 言 葉 が あ り ま す。「 金 を 使 う よ り、 気 を 遣 昭子さんが言った、今でも忘れられない せてくれたのです。 作 り 、私 た ち を 満 腹 に 、幸 せ な 気 持 ち に さ れたての作物をふんだんに使った料理を 力 を 伝 え る だ け で な く 、自 家 製 の 新 鮮 で と 一 言 で 言 い 表 せ ま す 。農 業 体 験 や 自 然 の 魅 こ と 、そ れ は す べ て 、お も て な し 、と い う たちは想像していました。 守りの姿勢で農業に取り組んでいると私 を避けるためにリスクをとらないという り 、あ る 一 定 の 利 益 を 確 保 し た 後 は 、失 敗 ら な い で し ょ う。 大 体 の 農 家 は 作 物 を 売 作 物 を 育 て 、そ れ ら を 売 り 切 ら な け れ ば な の 収 入 を 得 る た め に は 、た く さ ん の 上 質 な で い ま す 。 生 活 を 保 ち 、家 族 を 養 え る ほ ど 業 で し ょ う し 、そ れ も 自 営 業 で 農 業 を 営 ん も 、門 脇 さ ん 一 家 の 主 な 収 入 源 は や は り 農 農家民宿で収入を得ているとは言って 分が食べておいしいと感じればお客さん 売 れ て 味 の 悪 い や つ は 売 れ な い 。正 直 に 自 た。「 そ れ な り に 店 に 出 せ ば、 い い や つ は 門脇さん夫婦は最後におっしゃいまし の絶え間ない努力がうかがえました。 う 言 葉 の 裏 に は 、人 知 れ な い 門 脇 さ ん 一 家 続 け て い ま す 。 征 志 さ ん の 、現 状 維 持 と い こ と は 難 し く 、彼 ら は 新 し い 何 か に 挑 戦 し の期間に体を同じコンディションで保つ フ ェ ッ シ ョ ナ ル の ア ス リ ー ト で さ え 、一 定 る 下 地 を 作 る こ と が 出 来 る の で す。 プ ロ 食 べ て も お い し い と 感 じ る だ ろ う し 、あ く 現 状 維 持 だ な。」 現 状 維 持 と 聞 く と、 簡 単 し か し、 星 雪 館 で 目 の 当 た り に し た の 星雪館は秋田県で二番目に古い農家民宿 な こ と の よ う に 思 え ま す が 、現 状 維 持 こ そ ま で も 、も の づ く り だ か ら 自 信 も っ て や ら と い う だ け で な く 、ほ う れ ん 草 を 中 心 と し 現実では成し遂げることが難しいことの 今回幸いにも、成功している農家民宿の は 、常 に 挑 戦 を さ れ て い る 、攻 め の 姿 勢 の で き る 。授 業 で は 見 え づ ら か っ た も の が 、 こ の 農 家 民 宿 体 験 を 通 し て 、一 層 明 ら か に なった瞬間でした。 た 、お い し い 作 物 を 収 穫 し て い る 農 家 と し 一 つ で も あ り ま す 。現 状 維 持 を 成 し 遂 げ る 方 々 と お 会 い す る こ と が で き ま し た 。門 脇 ね ば 。苦 労 し て や ら ね ば 。だ か ら 常 に 挑 戦 て も 有 名 で す 。こ の 事 実 を 初 め て 知 っ た と た め に は 、や る べ き こ と を た だ 繰 り 返 し や さ ん 一 家 に お 会 い し た こ と で 、ど の よ う に 農 家 の 姿 で し た 。征 志 さ ん は 繰 り 返 し 言 っ き、 私 た ち は 驚 き を 隠 す こ と が 出 来 ま せ り 続 け る だ け で は 不 十 分 で す 。何 故 な ら 現 農家民宿がその地域を発展させようとし せねば。人生は一生勉強。」 ん で し た 。 な ぜ な ら 、門 脇 さ ん 一 家 に と っ 状 と い う も の は 常 に 変 化 し 、そ の 変 化 に 適 ているかを見ることができました。 て い ま し た。「 普 段 ど お り に や る。 目 標 は て 、上 質 な 野 菜 を 育 て る こ と と 、農 家 民 宿 応 し な け れ ば い け な い か ら で す 。何 か 特 別 現状維持ということ を営むことを同時にするということは難 な こ と に 挑 戦 し て 初 め て 、現 状 を 維 持 で き 星雪館は、大きな責任を負いながら自由 ■ さいごに しいに違いないと感じたからです。 2. 農家民宿経営者のライフストーリー 19 を 享 受 し て お り、 来 た 人 び と へ の お も て な し を 常 に 考 え 、リ ス ク を 伴 い な が ら も 、 お客さんのために常に挑戦し続けている 農 家 民 宿 で し た 。 こ の 三 点 か ら 、星 雪 館 は 西木地域と外の世界をつなぐ上で重要な 役 割 を 果 た し て い る と 確 信 し ま し た 。星 雪 館 に と っ て の 地 域 活 性 、そ れ は 西 木 地 域 と 外の世界の架け橋になることと結論付け て、報告を終わりたいと思います。 Information 農家民宿 星雪館 代表 門脇富士美 〒014-0602 秋田県仙北市西木町桧木内字大台野開 404 TEL 0187-48-2914 20 里の灯 孤独を感じてい こと学んだことをふまえ、それが地域発展に 流に重きをおいた持続可能な発展である い る子どもやお年 さ とう ゆ おいて根本となる重要な概念であることを論 さ とう じ ろう 佐藤二郎さん・佐藤由井さん 寄りがどんどん じたい。 どが社会問題に なってきている 切 に で き て い る か と い う 問 い に 対 し て 、自 な が り や 出 逢 い 。こ れ ら の こ と を 本 当 に 大 問 題 が な い と 言 え る の だ ろ う か 。人 と の つ さ れ て い る が 、東 京 や 大 阪 の 大 都 市 は 全 く る 。人 口 の 減 少 が 著 し い 地 域 の み が 問 題 視 今 日 、政 府 は 地 方 の 再 生 に 躍 起 に な っ て い 地方創生という言葉が一人歩きしている な い も の の 、地 域 住 民 一 人 ひ と り が 続 け る う と し て い る 印 象 を 感 じ た 。完 全 と は 言 え は 持 続 可 能 な 地 域 発 展 を 意 識 し 、実 践 し よ に し て い く も の で あ る 。 ま た 、西 木 地 域 で く、 あ く ま で 人 と 人 と の か か わ り を 活 発 こでの地域発展とは経済的なものではな ん な 温 も り が 仙 北 市 西 木 町 に は あ っ た 。そ 情 味 に あ ふ れ た 人 と の ふ れ 合 い で あ る 。そ ある。それが人 めているものが そ、人びとが求 の中だからこ このような世 ど が み ら れ る 。 ま た 、き れ い な 水 質 を 利 用 は 、日 本 で は 珍 し い 植 物 で あ る カ タ ク リ な て い る。 山 々 に 囲 ま れ て い る 西 木 地 域 で 田沢湖町とは異なる長所を生かそうとし 大 限 に 利 用 し 、歴 史 的 風 情 の あ る 角 館 町 や る( 国 土 交 通 省 二 〇 〇 九 )。 西 木 町 は グ リ ー ン・ツ ー リ ズ ム 等 で 、 豊 富 な 自 然 を 最 セントが六十五歳以上の高齢化地域であ 疎 化 問 題 を 抱 え て お り 、住 民 の 六 十 五 パ ー 去 三 十 年 で 二 〇・九 パ ー セ ン ト と 深 刻 な 過 木 町 と な っ た。 西 木 町 の 人 口 減 少 率 は 過 年 に 角 館 町 、田 沢 湖 町 と 合 併 し 、仙 北 市 西 か ら 比 較 的 近 い 距 離 に 位 置 す る 。一 九 九 五 秋田県仙北市西部にある西木町は田沢湖 ■ 西 木 町 の 歴 史 と 地 理 増え、孤独死な 細く長く出逢いを大切に 人との交流に根ざした持続可能な 地域発展 信を持って答えられる人は今日の日本に こ と の で き る 地 域 貢 献 を し 、ま た 、グ リ ー し た 稲 作 や 農 業 が 活 発 で あ る 。実 際 に こ の のが現状だ。 は 少 な い だ ろ う 。経 済 的 発 展 や お 金 に 対 し ン・ツ ー リ ズ ム を 次 世 代 へ つ な げ よ う と す 地 域 に 行 っ て み た と こ ろ 、昔 な が ら の 駅 舎 作成:杉村夢芽・鶴田斗希生 て人びとの関心がどんどん高まっていく る 動 き が み ら れ る 。 今 回 、佐 藤 さ ん 夫 妻 が や壮大な山など古き良き日本を彷彿とさ 福間寛子・森島夢実 な か で 、確 実 に 人 と 人 と の つ な が り は 薄 く 営 む 里 の 灯 を 訪 問 し 、地 域 発 展 が 人 と の 交 ■ はじめに な っ て き て い る よ う に 感 じ る 。そ の 結 果 、 2. 農家民宿経営者のライフストーリー 21 た 。当 初 は 農 作 業 体 験 を 希 望 す る 学 生 に 対 た の は 、役 所 か ら の 依 頼 が き っ か け で あ っ は そ う 語 る。 農 業 に く わ え て 民 泊 を 始 め る ほ う が い い か な と 思 っ て い る 」由 井 さ ん れ な い け ど 、私 た ち は 自 分 た ち の 好 き に す にそろってやっている夫婦もあるかもし ろ ん な 夫 婦 の 形 が あ っ て 、ど っ ち も お 互 い の秘訣は、この分業にあるそうである。 「い だ 。 あ れ ど う か し た の っ て 言 っ た ら 、カ ン す れ ば 、な ん か 、掃 除 機 興 味 あ り そ う な ん 片 付 け て い た そ う だ。「 掃 除 機 で 取 ろ う と ガ ラ ス を 割 っ て し ま い 、掃 除 機 で そ れ ら を ら の 留 学 生 を 迎 え た が 、佐 藤 さ ん が 誤 っ て で き た 。 あ る 時 、佐 藤 さ ん は カ ン ボ ジ ア か こ の 点 に 関 し て 、興 味 深 い 話 を 聞 く こ と が ン・ツ ー リ ズ ム を 続 け て い る の だ ろ う か 。 佐藤さんは何をやりがいにしてグリー 人とのかかわりの重要性 し 、民 泊 と い う 形 で 宿 を 提 供 す る と い う こ ボ ジ ア で は 、す ご く お 金 の あ る 人 で ね ば 掃 話 し て い た の が 印 象 的 で あ っ た 。夫 婦 円 満 と を 年 に 三、四 回 ほ ど 行 っ て い た が、 民 宿 また、農家民宿を通して秋田の自然や生 除 機 な い の っ て 言 っ て た 。私 た ち か ら す れ る そ う だ 。里 の 灯 で は 農 作 業 体 験 の 他 に 、 活 を 体 験 し て も ら う 一 方 で 、お 客 さ ん か ら 経 営 の 規 制 緩 和 に 伴 い 、民 宿 の 許 可 を 取 っ 二 郎 さ ん の 三 味 線 演 奏 や「 旬 の 野 菜 を 食 べ 学 ぶ こ と も 多 い と 由 井 さ ん は 語 っ た 。都 会 ば 、信 じ ら れ な い っ け な 」 由 井 さ ん は そ の て ほ し い 」と い う 由 井 さ ん の 思 い を 形 に し から来る人は東京のマンションなどにぎ て 農 家 民 宿 を 始 め た 。今 で は 日 本 各 地 か ら た 、採 れ た て 新 鮮 な 野 菜 を 使 っ た 料 理 を 楽 や か な と こ ろ で 暮 ら し て い る 人 が 多 く 、由 せ る 風 景 が 広 が っ て い た 。 今 回 、西 木 地 域 しむことができる。 ように言っていた。 て 運 営 さ れ て い る 。佐 藤 家 は 田 ん ぼ と 畑 を だ と 思 っ て い る も の で も 、そ れ が 貴 重 な の だ け で な く 、外 国 か ら の 来 訪 客 も 増 え て い 有 し て お り 、二 郎 さ ん は 田 ん ぼ で 米 作 り 、 今回、里の灯でのフィールドワークを 通 じ て 気 づ い た 、地 域 発 展 に 関 わ る 二 つ の だ と 気 づ か さ れ た そ う だ 。 由 井 さ ん が「 空 にある里の灯にお世話になった。 由井さんは畑で季節の野菜を育てるとい ラ イ フ ス ト ー リ ー 、人 と の か か わ り の 重 要 気 が お い し い と か 、星 空 が き れ い だ と か 、 ■ 佐藤さんと里の灯 う よ う に し て 分 担 し て い る 。互 い に 別 の こ 性 と 持 続 可 能 な 発 展 、に つ い て こ れ か ら 説 水 が 流 れ て い る と か 。そ う い う の を や っ ぱ 里の灯は佐藤二郎さん、由井さんによっ と を や っ て い る た め 、そ れ ぞ れ の 作 物 に つ 明分析を行っていきたい。 井さんが西木町に暮らしていて当たり前 いては自分自身で責任を持って育てると 22 て 感 じ る こ と は 様 々 で あ る 。農 作 業 体 験 を 同時に来訪者も、里の灯での体験を通じ だ。 認 識 さ せ ら れ る こ と も 、し ば し ば あ る よ う んから改めて自分たちの地域の魅力を再 う 教 え ら れ た さ 」 と 言 っ た よ う に 、お 客 さ 我々はいいとこ住んでいるなと改めてそ れ だ と か っ て そ う 言 わ れ て 。そ う い え ば 、 ん な、 す ご く 気 持 ち い い と か、 空 気 が あ だ っ て 思 っ て い た の よ 。そ し た ら 来 る 人 み り 教 え ら れ た よ 。 そ れ ま で 、た だ の 山 の 中 送り、今でもかかわりが続いている。 ふ れ て い た 。こ の 家 族 と は 米 や 旬 の 野 菜 を か っ た 」と 語 る 由 井 さ ん の 目 は 優 し さ に あ な っ た の か な。 農 家 民 宿 を や っ て い て よ れ ら れ る こ こ で の 体 験 が 、何 か き っ か け に で は な い け ど 、全 く 異 な る 環 境 や 生 活 に 触 は 言 う ま で も な い。「 特 別 な こ と を し た 訳 た そ う だ 。何 か が 彼 の 心 の 琴 線 に 触 れ た の 会 う や 否 や 、膝 を 折 っ て 泣 き 崩 れ て し ま っ が、 里 の 灯 の 玄 関 先 に つ い て 由 井 さ ん に からお礼を言いに訪ねに来たそうなのだ る 。 一 年 後 、そ の 子 の 父 親 が は る ば る 東 京 ベーションとなっている。 ご夫妻がこの取り組みを続けていくモチ か ら も 分 か る よ う に、 出 逢 い は 佐 藤 さ ん る と 感 じ て い る そ う だ 。佐 藤 さ ん 夫 妻 の 話 をやっていたから楽しい人生を送れてい 分 に な れ る の が 、す ご く 楽 し く 、農 家 民 宿 学生の話を聞いて旅行に行ったような気 な り 、家 族 み た い に な れ た り 、海 外 か ら 留 て 、若 者 が 色 ん な 話 を 教 え て く れ 、仲 良 く 次郎さんも農家民宿のやりがいについ た。 こ の 体 験 の 後 に、 そ の 子 は 再 び 学 校 な ど 、そ の 変 化 に は 目 を 見 張 る も の が あ っ 子 だ っ た。 さ ら に は 立 派 に 班 長 を 務 め る よ う に 、里 の 灯 で の 滞 在 を 楽 し ん で い る 様 不安とは裏腹に実際は他の子たちと同じ け 入 れ る こ と に 不 安 を 感 じ て い た が 、そ の ん に と っ て 初 め て の 経 験 で、 そ の 子 を 受 ど も を 受 け 入 れ る 機 会 が あ っ た。 由 井 さ う だ 。 民 泊 事 業 を す る 中 で 、登 校 拒 否 の 子 が変わっていくのを感じることが多いそ い る 由 井 さ ん は 、体 験 を 通 し て 子 ど も た ち グ リ ー ン・ツ ー リ ズ ム を 利 益 目 的 で 行 う と を 聞 く こ と が で き る 。そ し て 里 の 灯 で は 、 く な り 、自 分 た ち は 気 付 か な い 外 か ら の 声 外部から来た来訪者と話すきっかけが多 の 来 訪 客 で あ る 。農 家 民 宿 を 経 営 す る と 、 良 さ を 気 付 か せ る の は、 都 会 や 外 国 か ら )。 とである( Robinson & Green, 2001 里 の 灯 の 場 合 、佐 藤 さ ん ご 夫 妻 に 西 木 町 の け出して伝えて行く必要があるというこ で 、外 部 の 人 た ち が そ の 土 地 の 良 さ を 見 つ では自分たちの町の良さに気付かないの 書 に も あ っ た よ う に、 地 元 の 人 た ち だ け て 、改 め て 感 じ た こ と が あ る 。 そ れ は 教 科 佐藤さんご夫婦へのインタビューを通し 目 的 に 、数 多 く の 子 ど も た ち を 受 け 入 れ て に通うようになったというから驚きであ 2. 農家民宿経営者のライフストーリー 23 インタビューから佐藤さんご夫妻が地域 た こ と と 現 実 の 差 が 強 く 感 じ ら れ た 。こ の る と の 説 明 も あ っ た 。 こ の 点 で 、学 ん で 来 で あ り 、産 業 と し て 成 り 立 た せ る 必 要 が あ い る 。 教 科 書 で は 地 域 発 展 を 、経 済 的 発 展 を 、よ り 充 実 し た も の に す る た め に 行 っ て と い う 、無 理 を し な い 方 針 に 変 え た 。 こ の 度間をあけて次のお客さんを受け入れる お 客 さ ん を 受 け 入 れ た ら 、そ の 後 、あ る 程 し て 受 け 入 れ る こ と を や め 、適 度 な 人 数 の 反 省 を 生 か し 、た く さ ん の お 客 さ ん を 連 続 し ま う と 思 っ た そ う だ 。今 年 は そ の と き の は表情や行動からお客さんにも伝わって た の だ 。 ま た 自 分 が 疲 れ て し ま う と 、そ れ の 日 そ の 日 や っ ぱ り 大 事 」二 郎 さ ん の こ の つ な が る。「 初 め て だ っ て い う 気 持 ち。 そ として人との出逢いを絶やさないことに ん を 集 め る こ と は 、現 状 、つ ま り 農 家 民 宿 い る の だ 。新 し い 取 り 組 み に よ っ て お 客 さ 客さんも注目してくれるはずだと考えて 西 木 町 特 有 の 体 験 が 里 の 灯 で で き れ ば 、お り 組 み に も 目 を 向 け て い る 。次 郎 さ ん は 、 し た ス ノ ー モ ー ビ ル の 体 験 な ど 、新 し い 取 で い る 一 方 、二 郎 さ ん は 、秋 田 の 雪 を 利 用 発 展 を 通 じ て 求 め て い る も の は 、新 し い 人 や り 方 に よ っ て 、佐 藤 さ ん ご 夫 婦 は 農 家 民 言 葉 は 、一 日 一 日 を 大 切 に 生 き る 姿 勢 を 反 ることができなくなってしまうと気づい との出逢いを通して人生や地域を豊かに 宿の経営と農業を無理なく続けてこられ 映している。 い う 理 論 と は 異 な り 、人 と 人 と の か か わ り することであると分かった。 たのだ。 井 さ ん は 、こ の ま ま た く さ ん の お 客 さ ん を ど 、体 が つ い て い か な く て 」 そ の と き 、由 返 っ た。「 自 分 で や れ る つ も り で や っ た け お客さんを受け入れたときのことを振り 十 一 月 の 頭 に か け て、 連 続 し て 民 宿 へ の で あ っ た。 由 井 さ ん は 昨 年 の 十 月 末 か ら と 農 業 の 両 立 は 、予 想 し て い た よ り も 困 難 は う ま く い か な い こ と も あ っ た 。農 家 民 宿 る 佐 藤 さ ん だ が 、民 宿 を 始 め て 間 も な い 頃 がら農家民宿と農業を上手く両立してい 今となっては、人との出逢いを楽しみな 今まで通りのことを続けていくスタンス く 、細 く 長 く ね 」 と 答 え た 。 由 井 さ ん が 、 き、 由 井 さ ん は「 私 は 現 状 維 持 」「 広 く 浅 夢 は あ り ま す か?」 と 私 た ち が 尋 ね た と が な い と い う こ と で は な い。「 次 の 目 標 や は 佐 藤 さ ん ご 夫 婦 が 、将 来 に 対 し て 向 上 心 と い う こ と を 強 調 し て い た 。 し か し 、こ れ の経営と農業を細く長く続けていきたい ン タ ビ ュ ー の 間 、由 井 さ ん は 常 に 、里 の 灯 く こ と を モ ッ ト ー に し て い る の で あ る 。イ 戦 心 を も つ の で は な く 、現 状 を 維 持 し て い 由井さんは、自分に対してより厳しく挑 け る グ リ ー ン・ツ ー リ ズ ム を 築 い て い る 一 しかし、佐藤さんご夫妻が長く続けてい に、佐藤さんが出した答えでもある。 切 に し 、こ の 上 な い お も て な し を す る た め た 、一 人 ひ と り の お 客 さ ん と の 出 逢 い を 大 て 必 要 で あ る と 気 づ い た こ と で あ り、 ま こ れ は 、佐 藤 さ ん ご 夫 婦 自 身 が 経 験 を 通 し い、という思いは共通である。 「細く長く」 か し 、お 客 さ ん に 最 高 の お も て な し を し た 干 違 う 思 い を も っ て い る か も し れ な い 。し グ リ ー ン・ツ ー リ ズ ム の 将 来 に つ い て 、 若 「 挑 戦 と 現 状 維 持 」 佐 藤 さ ん ご 夫 婦 は、 持続可能な発展 無 理 に 受 け 入 れ て い て は 、農 家 民 宿 を 続 け 24 く の が 難 し く な る だ ろ う 。 グ リ ー ン・ツ ー バ ー も 年 々 歳 が 上 が る に つ れ て 、続 け て い だ 。 し か し 、 グ リ ー ン・ツ ー リ ズ ム の メ ン め、 前 ほ ど 積 極 的 に 誘 わ な く な っ た そ う く な く 、後 継 者 が な か な か 見 つ か ら な い た い た 由 井 さ ん だ が 、周 り の 反 応 は あ ま り よ リ ー ン・ツ ー リ ズ ム を 広 め よ う と 努 力 し て が い な い。」 五、六 年 前 ま で は、 近 隣 に グ て い く し 、話 出 し て も ま ず 入 っ て く れ る 人 は 、勇 気 が い る 。 我 々 も だ ん だ ん 歳 も と っ 状 を 話 し て く れ た。「 は じ め 取 り 掛 か る に き か と い う 質 問 に 、由 井 さ ん は 、難 し い 現 リズムを将来広めていくにはどうするべ め に は 課 題 が あ る よ う だ 。 グ リ ー ン・ツ ー 方 で 、町 全 体 と し て は 、現 状 を 維 持 す る た す ぎ な い こ と が 、長 期 的 な 地 域 発 展 の た め 必 要 と し て い る も の が 何 か を と ら え 、や り の に な っ て し ま い か ね な い 。自 分 が 本 当 に ば 、長 く 続 け る こ と は で き ず 、短 期 的 な も り 、自 分 の 力 量 に あ っ た 取 り 組 み で な け れ る だ ろ う。 由 井 さ ん が お っ し ゃ っ た と お り 組 む 姿 勢 は、 他 の 地 域 の 模 範 と な り う が 、将 来 も 続 け て い け る 活 動 と な る よ う 取 を 含 む 西 木 地 域 の グ リ ー ン・ ツ ー リ ズ ム る 。 こ う し た 社 会 的 背 景 が あ る 中 、里 の 灯 通しを立てていなかった反省からきてい 目先の発展ばかりに目を向け長期的な見 の 必 要 性 が 高 ま っ て い る の も 、こ れ ま で 、 し い こ と で あ る 。 今 、持 続 可 能 な 社 会 作 り す る 今 日 の 日 本 に と っ て 、実 際 は と て も 難 の大変さなのか分かるような情報発信が 兼 ね な く 参 加 で き 、ま た 、実 際 ど れ く ら い に は 、由 井 さ ん の 言 っ た と お り 、も っ と 気 い く こ と が 出 来 る だ ろ う 。 ま ず 、そ の た め 軽 減 さ れ 、よ り 気 軽 に 参 加 で き 発 展 さ せ て 住 民 に よ っ て 運 営 さ れ れ ば 、個 々 の 負 担 が バ ー が 加 入 し 、そ の 活 動 が よ り 多 く の 地 域 い 。 グ リ ー ン・ツ ー リ ズ ム に 、 新 し い メ ン だ 、将 来 的 に 維 持 で き る と は 十 分 に 言 え な こ と、 若 い 世 代 が 少 な い こ と が あ り、 ま メンバーを増やす取り組みが十分でない 木 地 域 の グ リ ー ン・ツ ー リ ズ ム 全 体 で は 、 は 、現 状 維 持 を 実 践 で き て い る も の の 、西 結 果 に 大 き く 影 響 す る。 佐 藤 さ ん ご 夫 婦 を ど の よ う に 巻 き 込 む か が 、活 動 の 維 持 や が 必 要 で あ り 、そ れ ぞ れ に あ っ た 無 理 の な 必 要 だ ろ う 。地 域 発 展 に は 持 続 可 能 な 発 展 新しいものを取り入れる前にすべきこと い 貢 献 、そ し て 、周 り 、次 世 代 を 巻 き 込 む に必要なことである。 る た め に 、由 井 さ ん は 、今 い る メ ン バ ー が は 、今 ま で 続 け て き た こ と 、守 っ て き た も リズムにより気軽に参加できるようにす 新しいメンバーが入りやすい雰囲気を作 ための努力が必要である。 考 え る こ と で 、し っ か り と し た 発 展 の 基 盤 の を 見 つ め 直 し 、自 分 た ち に 必 要 な も の を 地域発展と現状維持は、対照的な言葉の を 作 る こ と で は な い だ ろ う か 。 さ ら に 、世 る必要性を指摘する。 よ う に 思 わ れ る が 、実 は そ こ に は 深 い つ な 代 を 超 え て 現 状 維 持 を し て い く た め に 、地 日本では近年の過疎化、少子高齢化、核 まとめ が り が あ る 。単 に 現 状 を 維 持 す る こ と は 容 域住民全体の協力による後継者の確保が 家 族 化 、そ し て ネ ッ ト 社 会 の 影 響 を 受 け 、 易 な こ と の よ う に 思 わ れ が ち で あ る が 、誰 必 要 で あ る 。 そ の 際 、無 関 心 層 、非 参 加 層 ■ が 予 期 す る こ と も な く 、め ま ぐ る し く 変 化 2. 農家民宿経営者のライフストーリー 25 難 に な っ た 。 し か し 、こ う し た 社 会 問 題 を は 、今 ま で ど お り の 生 活 し て い く こ と が 困 例 外 で は な く、 米 価 の 低 迷 を 受 け て か ら と な っ て い る 。秋 田 の 農 村 に あ る 西 木 町 も とくに地方の農村部において深刻な問題 い 、孤 独 死 に つ な が る と 懸 念 さ れ て お り 、 れ は、 コ ミ ュ ニ テ ィ の 持 つ 団 結 力 を 損 な に 、持 続 可 能 な 地 域 づ く り を し て い く こ と リ ズ ム の よ う に 、人 と 人 の か か わ り を 大 切 予 想 さ れ る 中 、 佐 藤 さ ん の グ リ ー ン・ツ ー の 深 刻 化 が 危 惧 さ れ、 現 状 維 持 の 困 難 が り 組 め る 可 能 性 を 持 っ て い る。 人 口 問 題 で 、さ ら に 効 果 的 で 長 期 的 に 地 域 発 展 に 取 の 参 加 が 課 題 で あ る が、 参 加 を 促 す こ と こ と 大 切 さ を 示 し て い る 。周 り の 地 域 住 民 灯の経営において持続可能なものである 抱 え る 中、 佐 藤 さ ん ご 夫 妻 の 営 む 里 の 灯 は 、こ れ か ら の 日 本 の 地 域 発 展 に お い て 、 人 と の つ な が り が 希 薄 に な り つ つ あ る 。こ を は じ め と す る 西 木 地 域 の グ リ ー ン・ツ ー ますます重要になっていくだろう。 グリーン・ツーリズム推進協議会 NPO法人秋田花まるっ ※二十一ページ写真提供 リ ズ ム は 、今 ま で の ラ イ フ ス タ イ ル を 維 持 し つ つ 、人 と の 出 会 い を 大 切 に す る こ と を 軸 に 、西 木 地 域 の 発 展 に 大 き く 貢 献 し て き た 。 農 業 体 験 に 来 る 子 ど も た ち や 、日 本 の 農 村 生 活 を 体 験 に 来 る 留 学 生 、都 市 か ら の お 客 と の 交 流 を 通 じ て 、西 木 町 全 体 に も 張 り 合 い や 活 気 が う ま れ、 さ ら に 佐 藤 さ ん 自 身 の 生 活 も 、よ り 豊 か な も の に な っ た 。 近 年 に な っ て 、持 続 可 能 な 社 会 作 り の 重 要 性 が 高 ま っ て い る が 、地 域 づ く り に お い て も 、こ う し た 交 流 を 充 実 さ せ 、継 続 さ せ て いくことが必要である。 由井さんの「細く長く」という言葉と、 二 郎 さ ん の 新 し い こ と へ の 挑 戦 心 も 、里 の Information 里の灯 代表 佐藤由井 〒014-0513 秋田県仙北市西木町小渕野字小渕野 194 TEL 0187-47-2732 26 のどか ていており、地 旅行会社で働い ズムに携わった る。 西 木 地 域 の 農 家 民 宿 の オ ー ナ ー の 平 農 家 民 宿 の ど か は 、仙 北 市 に あ る 西 木 地 域 の 中 で も、 極 め て 新 し い 農 家 民 宿 で あ ■ 「のどか」と西木地区の特徴 こ と が あ っ た。 均年齢は約五十から六十歳であるのに対 たか はし よし こ そのため、地域 し 、の ど か の オ ー ナ ー で あ る 由 希 子 さ ん は こ 発展とツーリ 二 十 九 歳 と、 非 常 に 若 い。 由 希 子 さ ん は、 き ズムについて はじめから農業を手伝っていたわけでは たか はし ゆ 髙橋由希子さん・髙橋佳子さん 足を運ばずして 関心を持ってい な い 。専 門 学 校 卒 業 後 に 地 元 の 小 さ な 会 社 方都市のツーリ 得られるものは無し た。 佐 藤 は、 地 で 働 い て い た 。 し か し 五 年 前 か ら 、彼 女 の る 。な ぜ 彼 女 が 若 く し て 農 家 民 宿 を 始 め た で な く 、全 国 的 に 見 て 若 い オ ー ナ ー と い え ナ ー で あ る 。 こ れ は 、秋 田 の 仙 北 地 域 だ け 子 さ ん は 、二 十 代 で 農 家 民 宿 を 始 め た オ ー 私たちのグループは農家民宿のどかを 訪 問 し た 。の ど か の 経 営 者 で あ る 髙 橋 由 希 家 で あ り、 米 と 食 文 化 に つ い て も 興 味 を を 持 つ よ う に な っ た 。 さ ら に 、祖 母 は 米 農 ア ジ ア の 途 上 国 に 行 き 、そ こ で 発 展 に 興 味 ギャップイヤー(九月入学)制度を利用し、 の か、 興 味 を 持 っ た か ら で あ る。 田 中 は れ 、発 展 を い つ 誰 が ど の よ う に し て 始 め た 田中風夢 作成:倉田あかり・佐藤歩 域と発展に興味 の か 、そ の 家 族 構 成 、さ ら に 私 た ち が 最 も 持 っ て い た 。三 人 は 異 な る 関 心 を 持 っ て い があった。とい 関 心 の あ っ た 将 来 の 目 標 に つ い て 、お 聞 き た が 、そ れ ぞ れ の 経 験 や 関 心 を 共 有 し た 結 ■ はじめに することができた。 至った理由について質問を構成した。 果 、髙 橋 由 希 子 さ ん が 、の ど か を 始 め る に う の も 、震 災 後 、福 島 へ ボ ラ ン テ ィ ア で 訪 農家民宿でのフィールドワークに参加 す る に あ た り 、グ ル ー プ メ ン バ ー は そ れ ぞ れ 異 な る 関 心 を 持 っ て い た 。 倉 田 は 、以 前 2. 農家民宿経営者のライフストーリー 27 場 は 毎 朝 雪 か き を す る 必 要 が あ る た め 、最 仙北市にある西木地域は冬の積雪量が 多 く 、二 メ ー ト ル を 超 え る こ と も あ る 。 冬 るが、農業が主な収入源ということであった。 い る 。農 業 と 農 家 民 宿 と で 生 計 を 立 て て い お り 、由 希 子 さ ん は 民 宿 の 業 務 を 主 と し て 宿 を 始 め た 。佳 子 さ ん は 米 や 野 菜 を 育 て て れ る 人 と の 交 流 も、 い わ ゆ る 田 舎に住むこ の よ う な 美 し い 自 然 や 、そ れ に よ っ て 生 ま を 誇 ら し げ に 思 っ て い る よ う で あ っ た 。こ ど か を 訪 れ る そ う で 、佳 子 さ ん 自 身 も そ れ の 住 民 が 、し ば し ば こ の 湧 き 水 を 求 め て の て お く た め の 、小 さ な 貯 水 庫 が あ る 。 近 隣 の 農 場 に は 、裏 の 山 か ら 湧 き 出 る 水 を た め て 、農 場 の 清 掃 、整 備 を 経 験 し た 。 の ど か よ っ て 先 端 の 形 状 が 変 化 し 、餅 米 を す り つ る す り こ ぎ は、 繰 り 返 し 使 用 す る こ と に さ ん に よ る と 、き り た ん ぽ 作 り に 用 い ら れ 一 〇 〇 年 近 く 使 っ て い る そ う で あ る 。佳 子 ら ず っ と 使 い 続 け ら れ て い る も の で あ り、 す り こ ぎ は、 由 希 子 さ ん が 生 ま れ る 前 か 米 を す り つ ぶ し た 。の ど か で 使 わ れ て い る は 、大 き な す り こ ぎ と す り 鉢 を 使 っ て 、餅 に 体 験 さ せ て も ら っ た。 米 を 潰 す 行 程 で 民 宿 客 が 体 験 す る き り た ん ぽ 作 り を 、実 際 も 忙 し い と い う こ と で あ っ た 。西 木 町 の 隣 との魅力の一つではないかと感じた。 こ と は で き な か っ た 。こ の と き の 仕 事 と し に あ る 角 館 は 、春 の お 花 見 で 名 の 知 れ た 大 ぶ す の に 適 し た 形 状 に な る 。す り こ ぎ の 先 祖母である髙橋佳子さんと一緒に農家民 き な 町 で あ る 。 し か し 西 木 地 域 は 、そ こ ま 端 と す り 鉢 の 表 面 が 、う ま く 噛 み 合 う か 否 フ ィ ー ル ド ワ ー ク の 一 環 で 、農 家 民 宿 の か は 、き り た ん ぽ 作 り に お い て 重 要 な こ と で 栄 え て い な い 。世 帯 数 は 徐 々 に 減 っ て お り、空き家が目立つようになった。しかし、 髙橋由希子さんがのどかを始めるまで であるとも語った。 髙 橋 家 の 家 族 構 成 は 、祖 父 母 、両 親 、妹 二 人 か ら 成 り 、由 希 子 さ ん は 祖 父 母 と 妹 さ ■ 美 し く 、昔 な が ら の 日 本 の 自 然 の 風 景 が と て も 魅 力 的 な 土 地 で あ る 。一 度 西 木 地 域 を 訪 れ た 人 は 、日 本 が 失 い つ つ あ る そ の 原 風 農家民宿のどか 景を求めてまた戻ってくる。 ■ る 髙 橋 家 で は 、お じ い さ ん と お ば あ さ ん は ん と と も に 暮 ら し 、両 親 と 末 の 妹 さ ん は 角 フ ィ ー ル ド ワ ー ク で は 、佳 子 さ ん の 日 頃 の 仕 事 の 一 部 を 経 験 さ せ て 頂 い た 。残 念 な 農 業 に い そ し み 、孫 で あ る 由 希 子 さ ん と す が ら 十 一 月 は 、す で に 稲 作 の シ ー ズ ン を 過 ぐ 下 の 妹 は、 そ れ ぞ れ 高 校 卒 業 後、 進 学、 館 に 離 れ て 暮 ら し て い た 。山 と 畑 を 所 有 す ぎ て お り 、農 業 そ の も の を 実 際 に 体 験 す る 28 ん が 運 営 さ れ て い ま す 」 当 初 、こ の よ う に 「今回の地域発展でお世話になる農家民 宿 オ ー ナ ー の な か で 、最 も 若 い オ ー ナ ー さ は自分たちの力で流通にも携わっている。 の 駅 な ど )で 販 売 す る こ と も あ る 。 髙 橋 家 校 へ 給 食 用 に 出 荷 す る 。 ま た 、直 売 所 ( 道 け て い る 。 出 来 の い い 農 作 物 は 、近 く の 学 時に一年で約五十種類もの農作物を手掛 い た 。 農 業 は 米 作 を 中 心 と し て い る が 、同 そして農業とは関係のない職業に就いて や 雪 か き と い う 重 労 働 を 、お ば あ さ ん だ け げ ら れ る 。 雪 深 い 秋 田 と い う 土 地 で 、農 業 由希子さんが農家民宿を始めたきっか け は 、お じ い さ ん が 鬼 籍 に 入 っ た こ と が あ 識が向いていたということであろう。 も 実 家 を 手 伝 う こ と に 対 し て 、以 前 か ら 意 で 、そ う い っ た 点 で は 、由 希 子 さ ん 自 身 に に本人がするかしないかということなの あ っ た 。 し か し 、選 択 と い う の は 、最 終 的 家を継ぐという選択を後押ししたようで 述 )、 そ し て 外 部 か ら の 働 き か け が、 実 わ け で は な く 、彼 女 の 家 族 構 成 の 変 化 ( 後 さんは小さいころから農業を志していた 実際にオーナーである由希子さんにイ ン タ ビ ュ ー し て わ か っ た こ と は、 由 希 子 問もオーナー自身のことに集中した。 人 物 で あ る 。 私 た ち の 関 心 の 高 さ 故 に 、質 由 希 子 さ ん は 、そ れ と は 真 逆 の 選 択 を し た て い る 。 し か し 、の ど か の オ ー ナ ー で あ る 学 、就 職 、そ し て そ の ま ま 都 市 部 で 生 活 し くの若者が生まれ育った土地を離れて進 の 動 機 に 集 中 し た 。 地 方 都 市 に お い て 、多 て い る と い う 印 象 が 漠 然 と 強 く 、質 問 も そ か で は 、比 較 的 年 の 近 い 方 が 民 宿 を 経 営 し か け は 、由 希 子 さ ん 自 身 の 意 思 決 定 と 周 囲 イ ン タ ビ ュ ー で 分 か っ た こ と は 、由 希 子 さんが農家民宿のオーナーになったきっ 周 囲 の 盛 り 上 が り も 、由 希 子 さ ん の 決 断 を る ケ ー ス は 全 国 的 に 稀 で あ っ た 。役 場 な ど 二十四歳という若さでオーナーをはじめ し な い か と い う 打 診 が き た と い う。 当 時、 に 必 要 な 規 制 が 緩 和 さ れ 、民 宿 と し て 申 請 だ さ っ た 。 そ の な か で 、民 宿 を 始 め る た め ち の か わ い ら し さ に 惹 か れ た 」と 語 っ て く る。 由 希 子 さ ん は、「 宿 泊 に く る 子 ど も た 人を受け入れることができる仕組みであ い う。 民 泊 と は、 民 宿 の 資 格 が な く て も、 め る 前 か ら、 民 泊 と い う 形 式 で 子 ど も た も と も と 農 家 で あ っ た 髙 橋 家 は 、由 希 子 さんが農家民宿として正式にのどかを始 択を後押ししたようであった。 械 の 扱 い を 知 っ て い た こ と な ど も 、そ の 選 と し て 、職 場 の 理 解 が 得 ら れ た こ と や 、機 う 。 家 に 入 る に 至 り 、由 希 子 さ ん 側 の 状 況 希 子 さ ん は、 家 業 を 継 ぐ こ と に し た と い にまかせることに不安があったという由 促したともいえる。 ちの受け入れを数年前から始めていたと 紹 介 が あ っ た た め 、グ ル ー プ メ ン バ ー の な 2. 農家民宿経営者のライフストーリー 29 は 、そ の 密 な 関 係 に 苦 し ん だ こ と も あ っ た あ っ た の か ど う か は 定 か で は な い。 時 に で、 由 希 子 さ ん に 最 初 か ら 選 択 の 余 地 が が 叫 ば れ る な か 、西 木 と い う コ ミ ュ ニ テ ィ も 重 要 で あ る。 農 家 の 深 刻 な 跡 継 ぎ 不 足 中での役割を以前から意識していたこと る が、 由 希 子 さ ん が 長 女 と し て、 家 族 の りの影響ということも要因の一つではあ 化 の 一 つ で あ っ た に 違 い な い 。 し か し 、周 家民宿としてやっていくための大きな変 で あ る 。 く わ え て 、民 宿 の 規 制 緩 和 は 、農 ずねると、 「現状維持」という回答だった。 は 語 気 を 強 め た 。 さ ら に 、今 後 の 目 標 を た た ち の 生 活 は ま ま な ら な い 」と 由 希 子 さ ん も し 農 業 を 軽 視 す る 様 な こ と が あ れ ば 、私 な し に 民 宿 を 経 営 す る こ と は で き な い し、 か し 「 農 家 あ り き の 農 家 民 宿 だ か ら 、そ れ く 、地 域 の 発 展 に も 貢 献 で き る だ ろ う 。 し が で き れ ば、 生 活 も 豊 か に な る だ け で な れ 、現 在 よ り も 多 く の 顧 客 を 獲 得 す る こ と た 経 験 も あ る 。た し か に 民 宿 経 営 に 力 を 入 に 力 を 入 れ て み て は ど う か と 、話 を も ら っ ム 推 進 協 議 会 の 方 々 か ら 、民 宿 経 営 に さ ら 実 際 に 西 木 地 域 を 訪 問 し、 農 家 民 宿 の オーナーであり、 そ の 地 で 長 く 生 活 し て き のだ。 域 発 展は複 雑 な だ か ら こ そ、 地 も 事 実 で あ る。 れ ば な ら な いの ど も 考 慮 しなけ の情 報 や 問 題 な 意 見であ り、 他 こ れは 理 想 的 な するか」 である。 状 をいかに 維 持 る発展とは、 「現 よ う で あ る 。 し か し 、家 業 を 継 ぐ だ け で な こ の 言 葉 に は 、農 業 の 大 切 さ や 大 変 さ が 伝 た 方 か ら お 話 を 聞 い て み て、 は じ め て わ 職 員 や 、 秋 田 花 ま る っ グ リ ー ン・ツ ー リ ズ く 、民 宿 を 通 し て 人 と の 出 会 い の お も し ろ わ っ て く る 一 方 で 、今 後 も 農 業 と 農 家 民 宿 からのサポートが大きかったということ さを実感していると語ってくださった由 か っ た こ と が あ る 。私 た ち は 地 域 発 展 論 の そ の 解 決 方 法 に つ い て 学 ん で き た 。ど の よ 授 業 の な か で、 さ ま ざ ま な 地 域 の 問 題 や、 を続けたいという意思がこめられていた。 のどかを訪問して得た気づき 希 子 さ ん の 、実 直 な た く ま し さ を 、イ ン タ ビューのなかで感じることができた。 ■ う な 地 域 に お い て も 、確 実 に 問 題 は 存 在 す い 、地 域 住 民 で あ る 。 こ の よ う に 、授 業 の 私たちは授業とフィールドワークを通じて、 理 想 的な地 域と発 展の定 義を発 見した。 地 なかでは結論付けられることが多かった 由希子さんの想い 域とは集 団のことではなく、 人が集まってく よ う に 思 う 。 秋 田 県 が 人 口 減 少 、後 継 者 問 ■ イ ン タ ビ ュ ー の な か で 由 希 子 さ ん は、 「自分たちの生活の根幹となっている農業 る場 所である。 発 展は経 済 的 発 展、 便 利な 題 、高 齢 化 な ど の 問 題 を 抱 え て い る の は 事 る 。 そ し て 、そ れ を 解 決 す る の は 他 で も な の 手 を 休 め て 、民 宿 の 経 営 に 精 を 出 す こ と 生 活、 技 術 的 な 発 展ではない。 秋 田におけ は お そ ら く な い 」と 話 し た 。 過 去 に 県 庁 の 30 本 は 、前 述 の 定 義 に あ る よ う に 、そ れ ら の 様 々 な 要 因 が 複 雑 に 絡 ま り あ っ て い る 。日 が な い と い う こ と で あ る。 地 域 の 問 題 は、 組 ん で い く だ け の 経 済 的 、ま た 物 理 的 余 裕 い う こ と と 、諸 問 題 に 対 し 、積 極 的 に 取 り こ の 考 え は、 二 つ の 気 づ き に 由 来 す る。 地域住民が現状の生活に満足していると る。 理やり解決に導く必要はないということであ つ い た こ と は 、地 域 が そ れ ら の 諸 問 題 を 無 実 で あ る 。 し か し 、西 木 地 域 訪 問 後 に 気 が 職 員 の 方 は 、地 域 の 発 展 に さ ら に 力 を 注 い 際 、授 業 の な か で お 話 を し て 下 さ っ た 県 庁 組 ん で い る も の だ と 思 い 込 ん で い た。 実 方 は 皆、 地 域 の 発 展 に つ い て 熱 心 に 取 り 私 た ち は 、こ の 授 業 を 履 修 し て 間 も な い 頃 、農 家 民 宿 を 経 営 す る 方 や そ れ に 関 わ る 要となるであろう。 め に は 、地 方 行 政 の き め 細 や か な 支 援 が 必 る こ と を 望 ん で い る の で あ る 。そ う す る た く の で は な く 、自 分 た ち の 暮 ら し を 維 持 す 域 住 民 は 、生 活 基 盤 を 向 上 、発 展 さ せ て い も は や 最 善 策 で は な い の か も し れ な い 。地 も、 単 純 に 経 済 を 発 展 さ せ て い く こ と は、 お い て 、ま た 日 本 の 他 の 地 方 都 市 に お い て と で 乗 り 越 え て き た 。 し か し 、西 木 地 域 に 問題解決のアプローチではないだろうか。 仙北市と秋田県にとって当てはまりうる 合 う こ と で 問 題 の 解 決 を 図 る こ と が 、今 の 場 合 、両 者 が 互 い の 考 え を 理 解 し 、譲 歩 し ) と い う も の が あ る。 第 一 存( Pluralism 者と第二者との見解の間に差が存在する り う る と い う こ と も ま た 事 実 で あ る 。こ の の 一 つ で あ り 、発 生 す る 問 題 の 解 決 策 に な において早急に行われるべきである課題 え る 。 そ の 反 面 、開 発 は 過 疎 化 が 進 む 地 域 を押し付けるべきではないと私たちは考 え と の 間 に 差 が あ る 以 上 、県 は 自 身 の 考 え じ る 。 し か し 、地 域 に 住 む 当 事 者 た ち の 考 解決策に繋がるという考えは正しいと感 大 き な 利 益 を あ げ 、地 域 を 悩 ま せ る 問 題 の ■ おわりに 授 業 で 取 り 扱 っ た 内 容 の な か に 、多 元 的 共 問題を経済発展や製造業を活性化するこ で い く よ う に 見 え た 。し か し 実 際 に 農 家 民 宿 を 訪 ね て み る と 、当 の 農 家 民 宿 の 関 係 者 は 、そ こ ま で 強 く 地 域 の 発 展 の 必 要 性 を 感 の ど か を 訪 れ る 前 、私 た ち は 、オ ー ナ ー で あ る 由 希 子 さ ん は 、何 か 特 別 な 理 由 や モ じ て い る 様 子 は な く 、む し ろ 現 状 に 満 足 し 方 と、 実 際 に 地 域 に 住 む 当 事 者 と の 間 に チベーションがあって農家民宿を始めた て い る、 と い う 声 も 聴 こ え、 県 庁 職 員 の ギャップがあるように感じられた。 め 、若 く し て 農 家 民 宿 の 道 を 選 ん だ と う か と 考 え て い た。 な ぜ な ら、 他 の 仕 事 を 辞 た し か に 県 庁 職 員 の 方 が 話 し た よ う に、 地 域 発 展 に さ ら な る 力 を 注 ぐ こ と で 、よ り 2. 農家民宿経営者のライフストーリー 31 農家民宿を続けていきたいと展望を語っ 子 ど も た ち の 受 け 入 れ を 中 心 に 、長 期 的 に 裕 が 生 ま れ た と い う 由 希 子 さ ん は 、今 後 も け 、だ ん だ ん 仕 事 が お も し ろ い と 感 じ る 余 に な っ た と 語 っ て い た 。農 家 民 宿 を 数 年 続 客様とコミュニケーションも取れるよう う だ が 、今 で は そ れ を 乗 り 越 え 、外 国 の お かつてとても恥ずかしがりやであったそ 興 味 を 持 つ よ う に な っ た と い う。 彼 女 は、 て 、人 と コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン を と る こ と に 希 子 さ ん は 、お 客 さ ん を 受 け 入 れ る に つ れ 私 た ち が お も し ろ い と 感 じ た こ と は 、由 希 子 さ ん の な か で 起 こ っ た 変 化 で あ る 。由 の影響も大きく関係していた。 は 、彼 女 自 身 の 意 思 だ け で な く 、周 囲 か ら か し 実 際 に は 、彼 女 が 農 家 民 宿 を 始 め た の あ る の か 」と い う こ と に 興 味 が あ っ た 。 し そ の 仕 事 を 始 め た の か 」、「 ど ん な 目 標 が があるということを発見した。 る た め 、ギ ャ ッ プ が 生 ま れ て し ま う 可 能 性 の農家とで観点や重要視する対象が異な ン・ツ ー リ ズ ム も 、 企 画 者 の 役 所 と 運 営 者 様 に 、地 域 発 展 と し て 行 わ れ て い る グ リ ー た た め、 違 い が 生 ま れ た の で あ ろ う。 同 し 、私 た ち は 自 分 た ち の 観 点 か ら 考 え て い を 始 め る こ と は 自 然 な こ と で あ っ た 。し か の 基 盤 が 既 に 整 っ て い た 。彼 女 が 農 家 民 宿 は 農 家 で 育 ち 、ま た 農 家 民 宿 を 始 め る た め じ み の な い 職 業 で あ る 。 そ れ に 対 し 、彼 女 ル ー プ メ ン バ ー に と っ て 、農 業 は あ ま り な 観 に 気 が つ い た。 比 較 的 都 市 部 出 身 の グ た ち が 誤 解 し て い た こ と で あ っ た 。イ ン タ だ さ っ た こ と は 紛 れ も な い 事 実 で あ り 、私 ら で あ る 。 し か し 、由 希 子 さ ん が 語 っ て く ち の 予 想 と は 、大 い に 反 す る も の だ っ た か も あ っ た 。 と い う の も 、彼 女 の 答 え が 私 た た ち は 驚 い た と 同 時 に 、少 し 残 念 な 気 持 ち て く だ さ っ た 。最 年 少 で あ る 由 希 子 さ ん が が っ て い た か ら で あ る。 そ の た め、「 な ぜ こ の よ う に 意 思 を 持 ち 、農 家 民 宿 を 続 け て 授業の最初に、椙本先生がおっしゃって いた「実際に足を運んでみてわかることが 域の人と共に生きる由希子さんから学んだ。 ビ ュ ー を 通 し て 、私 た ち の 中 に あ っ た 先 入 い く こ と で 、ま す ま す 地 域 住 民 に と っ て 頼 ある」ということを、西木町の自然と、地 正 直 な と こ ろ 、話 を う か が っ た 直 後 、私 れる存在になるであろう。 Information 農家民宿 のどか 代表 髙橋由希子 〒014-0512 秋田県仙北市西木町上荒井字下橋元 97-2 TEL 0187-47-2540 32 泰山堂 ん夫妻は、もと という。藤井さ で暮らしている 農 業 体 験 の 受 け 入 れ を 行 っ た こ と が 、農 家 ん の ピ ン チ ヒ ッ タ ー と し て 、東 京 の 高 校 の た わ け で は な い 。 た ま た ま 、隣 町 の 農 家 さ さ ん だ が 、も と も と 農 家 民 宿 に 興 味 が あ っ こ 藤井けい子さん もと高校の同級 民宿を始めるきっかけとなった。 ふじ い 持続可能な地域発展 生であった。け い子さんのお父 さんは西木町出 身、お母さんは ■ けい子さんにとっての泰山堂 農家民宿経営者の視点をとおして 作成:小菅葉月・小林まりか 鳥山遥夏・西尾加奈 角館の方であ 今 日、 秋 田 で は グ リ ー ン・ ツ ー リ ズ ム が ま す ま す 盛 ん に な っ て き て い る。 今 回 多 く の 種 類 の 作 物 に 挑 戦 し て い た そ う だ。 だ と い う 。果 物 や 野 菜 か ら 花 に い た る ま で い子さんいわく、 「ちょっとかわった農家」 地 域 発 展 や 地 域 づ く り は 、結 果 と し て つ い や り た い と 思 っ て や っ て い る の で あ っ て、 泰 山 堂 を 経 営 し て い る の で は な く 、彼 女 が に 、け い 子 さ ん は 西 木 地 域 の 発 展 の た め に 私たちは地域発展について学習する目 的 で 泰 山 堂 を 訪 れ 、け い 子 さ ん の ラ イ フ ス 私 た ち は、 地 域 発 展 論 授 業 の フ ィ ー ル ド け い 子 さ ん に は 弟 が 一 人 い て、 現 在 は 弟 てくるものであると気づかされた。 る。けい子さん ワ ー ク と し て 、 秋 田 の グ リ ー ン・ツ ー リ ズ が 家 業 を 継 い で い る。 直 市 さ ん は 大 工 で、 トーリーを地域発展に関連づけて考察を ムの先駆者である藤井けい子さんへのイ 美しい泰山堂を建てたのも直市さんであ 彼 女 の 生 き 方 は、 多 く の こ と を 教 え て く れ る。 ま ず、 け い 子 さ ん が 私 た ち に 伝 の実家も農家を ン タ ビ ュ ー を 行 っ た。 け い 子 さ ん は 来 年 る 。 四 匹 の 猫 の う ち の 一 匹 コ コ は 、イ ン タ え て く れ た、「 な ん で も や っ て み る こ と だ 試 み た。 し か し イ ン タ ビ ュ ー を す る う ち 二〇一五年に二十周年を迎える農家民宿 ビ ュ ー の 時 間 も 含 め 、も っ と も 私 た ち と 多 べ な、 無 駄 に は な ら ね 」 だ。 け い 子 さ ん やっており、け 泰 山 堂 の オ ー ナ ー で あ る 。泰 山 堂 は 秋 田 県 く の 時 間 を 過 ご し た 。 さ ら に コ コ は 、イ ン 自 身、 若 い 頃、 外 で 少 し 働 い た 経 験 が あ ■ はじめに で初の農家民宿である。 タビューのときの雰囲気を和らげるのを を し て い た そ う だ。 農 業 に 思 う よ う に 時 る 。わ ら び 座 で 配 膳 や 部 屋 掃 除 な ど の 仕 事 西木地域の農家で生まれ育ったけい子 助けてもくれた。 け い 子 さ ん は 素 敵 な 女 性 だ と 思 う。 現 在 、夫 の 直 市 さ ん 、息 子 さ ん 、四 匹 の 猫 と 共 に 暮 ら し て い る 。 長 男 は 結 婚 し て 、東 京 2. 農家民宿経営者のライフストーリー 33 け い 子 さ ん の メ ッ セ ー ジ が 表 わ れ て い る。 か ら ね も ん だ ね 、人 生 な 」 と い う 言 葉 に も だ で?」 さ ら に、「 ど こ で ど う 変 わ る か わ ろ う と 思 っ て 、こ う い う 生 活 が 広 が っ た ん 六 十 五 だ ろ ? 四 十 五 間 近 に な っ て 、こ れ や か、 そ れ が 間 違 え で ね え か? 私 だ っ て 今 いことにありつくと思う 述べた。「最初からやりた けい子さんは強く意見を り で い る こ と を 話 す と、 予定の会社を辞めるつも 一 人 が、 卒 業 後 に 勤 め る た。 グ ル ー プ メ ン バ ー の 立っていると彼女は言っ が、 そ こ で の 経 験 は 役 に なくなりやめてしまった に働いているのか分から の 生 活 に な り、 何 の た め 宿をやっているから健康でいるんだよな」 ま た け い 子 さ ん は 、泰 山 堂 を 続 け る た め に 健 康 に 気 を 使 っ て い る そ う だ。「 農 家 民 に変えたのだろう。 在 が 、け い 子 さ ん の 人 生 を 大 き く い い 方 向 は な か っ た と い う け い 子 さ ん 。泰 山 堂 の 存 を 博 す 。 し か し 驚 く こ と に 、料 理 が 好 き で け い 子 さ ん の「 無 国 籍 勝 手 料 理 」で も 人 気 で い る よ う に み え る。 泰 山 堂 は、 さ ん だ が、 現 在 の 生 活 を 楽 し ん 不安を抱えていたというけい子 言 っ た。 農 家 民 宿 を 始 め る と き、 ら与えてくれたかもしんね」と い い 仕 事 を、 私 に 四 十 過 ぎ て か う。 昔 を 振 り 返 り な が ら、「 一 番 の時間を費やしていたことだろ い、 趣 味 で あ る 和 裁 に よ り 多 く け れ ば、 お そ ら く 農 業 だ け を 行 もし農家民宿をはじめていな て ら っ た か も し ん ね 」 と 答 え た。 ン ジ 賞 特 別 部 門 賞 を 受 賞 し た 。総 理 官 邸 ま のチャレンジ精神をたたえる女性チャレ 取 り 上 げ ら れ 、さ ら に は 内 閣 府 よ り 、女 性 泰 山 堂 の 活 動 が 認 め ら れ 、広 ま る と と も に 、メ デ ィ ア が け い 子 さ ん に 注 目 す る よ う とができるだろう。 したいからやっているのだと理解するこ 家 民 宿 を し て い る の で は な く 、彼 女 が 挑 戦 は西木地域の発展を一番の目的として農 ん だ か ら さ。」 こ の 言 葉 か ら、 け い 子 さ ん た。「 う ち の 父 さ ん と 私 と 好 き で や っ た も て ど う 考 え て い る の か 疑 問 に 思 い、 聞 い を 持 っ て い る よ う に 感 じ た 。後 継 者 に 対 し に対して責任を持っていたいという意志 と 感 じ て い る わ け で は な く 、む し ろ 泰 山 堂 た 。 け い 子 さ ん は 、や ら な け れ ば な ら な い とに対して責任を感じているのだと言っ は 跡 を 継 ぐ 人 が い な い か ら 、健 康 で い る こ 泰 山 堂 の 予 定 を 考 え な が ら 決 定 す る 。彼 女 た と 感 じ た と き も、 今 休 む べ き か 否 か を、 る よ う だ 。 た と え ば 、け い 子 さ ん は 、疲 れ た と え あ る も の ご と が 悪 く 見 え て も 、見 方 と 、 何 度 か 「 健 康 の・・・」 に 続 く 言 葉 を で 赴 き、 授 賞 式 に 参 加 し た。「 け い 子 さ ん ん は「 も っ と 腰 ま げ て 小 言 い っ を 変 え れ ば 、考 え よ う に よ っ て は 、よ く 見 さ が し て か ら 、質 問 に 答 え て く れ た 。 彼 女 今 で は 有 名 人 だ ね 」と 私 た ち が 喜 ん で い う 間 が さ け ず、 買 い づ く し える。「考え方ひとつ」だと続けた。 は 生 活 の す べ て を 、泰 山 堂 と 関 連 さ せ て い に な っ た 。け い 子 さ ん は 旅 行 雑 誌 や 新 聞 に も し 泰 山 堂 を は じ め て い な け れ ば 、何 を し て い た と 思 う か と い う 問 に、 け い 子 さ 34 を意味しているように思える。 ス的な目的ではやっていないということ 宿 を 拡 大 し て い こ う な ど と い っ た 、ビ ジ ネ た い こ と を や っ て い る の で あ っ て 、農 家 民 と い っ た 。 け い 子 さ ん は 、た だ 自 分 の や り どっちが自分だかなーと思うときあるな」 彼 女 は、「 自 分 で は ね え っ て 感 じ す る … と、 け い 子 さ ん の 表 情 が 少 し 暗 く な っ た。 うか。 当に持続可能性を兼ね備えているのだろ 花 開 く 可 能 性 が あ り そ う だ が 、は た し て 本 将来的に効果的な地域発展策としてより と に 成 功 し て い る。 農 家 民 宿 経 営 の 方 が、 で は な い が 、多 く の リ ピ ー タ ー 客 を 得 る こ 利益を得ることに重点を置いているわけ る と も 言 い 難 い 。 他 方 で 、農 家 民 宿 経 営 は それが効果的であるとも持続可能的であ シ ョ ン・ キ ャ ン ペ ー ン の 結 果 を 見 る 限 り、 せた。 域発展の持続可能性について疑問を抱か グ リ ー ン・ツ ー リ ズ ム が 導 く 西 木 地 域 の 地 れ る か も し れ な い と い う 事 実 は 、私 た ち に て 今 も 人 気 の あ る 泰 山 堂 が 、近 い 将 来 失 わ あ り 、開 業 当 初 か ら 二 十 年 に も 渡 り 、そ し だ 。記 念 す べ き 秋 田 県 で 最 初 の 農 家 民 宿 で 山堂は閉鎖される危機にあるということ と い う こ と は 、け い 子 さ ん が 引 退 す る と 泰 期待していた効果は十分に得られなかっ 講 義 に よ る と 、こ の キ ャ ン ペ ー ン に よ っ て か し な が ら 残 念 な こ と に 、県 庁 職 員 の 特 別 十 月 か ら 三 ヶ 月 間 に 渡 っ て 実 施 さ れ た 。し も 増 え る と さ れ る 紅 葉 シ ー ズ ン に 合 わ せ、 の キ ャ ン ペ ー ン は 、一 年 の 中 で 観 光 客 が 最 い う 大 型 観 光 キ ャ ン ペ ー ン を 実 施 し た 。こ て 、 デ ス テ ィ ネ ー シ ョ ン・キ ャ ン ペ ー ン と 二 〇 一 三 年 、よ り 多 く の 観 光 客 を 秋 田 に 呼 び 込 む た め 、秋 田 県 全 体 と J R が 共 同 し も、 二 ( 人とも ) 東京さ行ってし さ嫁さん来たど 語 っ た。「 長 男 そうな声でこう さんは少し寂し た と き、 け い 子 についてたずね 私たちが後継者 は ま だ い な い。 で 、こ う い っ た け い 子 さ ん の 前 向 き な 考 え 問 題 は 、も は や 重 要 で は な く な る 。 と こ ろ 可 能 性 は 保 障 さ れ て い る と 考 え ら れ る 。そ 世 代 が 増 え る な ら 、西 木 の 地 域 発 展 の 持 続 宿経営や農家体験の受け入れを担う若い さ ん の 言 う と お り 、西 木 地 域 全 体 で 農 家 民 視 す ら し て い な か っ た 。 た し か に 、け い 子 的 に と ら え て い な い ど こ ろ か 、も は や 問 題 き こ と に 、け い 子 さ ん は 後 継 者 問 題 を 悲 観 育 っ て る ね 」と け い 子 さ ん は 言 う 。 驚 く べ ■ 西木における地域発展の持続性 し か し な が ら 、こ の 疑 問 に 反 し て 、け い 子 さ ん は 現 状 を 懸 念 し て い な か っ た。「 西 た そ う だ 。 は た し て 、直 接 経 済 を 後 押 し し ま っ た か ら …」 方 は 、前 述 し た 「 物 事 は 見 る 角 度 に よ っ て の 考 え 方 で は 、泰 山 堂 単 体 と し て の 後 継 者 木 全 体 を 家 族 だ と 思 え ば 、ち ゃ ん と 後 継 者 ようとするキャンペーンだけが地域発展 後継者がいない 現 時 点 で、 け い 子 さ ん に は、 泰 山 堂 を 引き継ぐ後継者 に と っ て 重 要 な の だ ろ う か 。デ ス テ ィ ネ ー 2. 農家民宿経営者のライフストーリー 35 け い 子 さ ん は 言 う。「 後 継 者 が い る こ と に 子 さ ん は、 自 身 の 悲 観 的 な 考 え を 改 め た。 で あ り 続 け る こ と が で き る 。こ う し て け い 責 任 感 を 刺 激 す る た め 、結 果 と し て 、健 康 経 営 者 で い る こ と は 、絶 え ず け い 子 さ ん の 悩 ま せ る 必 要 が な く な る 。 ま た 、泰 山 堂 の し て 、経 営 権 を 譲 渡 す る こ と に つ い て 頭 を ま れ る も の で は な い か と 考 え ら れ る 。こ う い な が ら 活 動 し よ う 」と い う 雰 囲 気 か ら 生 リ ー ン・ツ ー リ ズ ム の 考 え の も と 協 力 し 合 に な る の で は な く 、一 つ の 統 率 の 取 れ た グ は 、関 係 者 が 共 有 す る 「 秋 田 県 が バ ラ バ ラ も 取 れ て い る と い う。 こ う し た 連 携 の 輪 木 の 中 だ け に 止 ま ら ず 、仙 北 市 全 体 の 連 携 臨 機 応 変 に お 客 様 の 受 け 入 れ が 可 能 だ 。西 強 い 連 帯 感 が 存 在 す る た め 、連 携 に よ っ て 越 し た こ と は な い と 思 う ん だ け ど、 私 に した農家民宿に携わる人たちの良好な人 か ら の 解 放 だ っ た 。 ま ず 、泰 山 堂 の 代 表 と と っ て は 、こ れ は ま る っ き り 悪 い こ と で も ま く い っ て る と こ そ う ね え よ な ぁ。」 農 家 間 関 係 や 人 び と を 包 む 雰 囲 気 も ま た 、秋 田 何 事 も 良 い 側 面 を 持 つ 」と い う 彼 女 の 考 え 民宿経営における後継者問題について考 ね ぇ ん だ な ー っ て 。 …( 西 木 地 域 の グ リ ー 方の、実用的な一例である。 く 、西 木 地 域 を 一 つ の 単 位 と し て 考 慮 す る け い 子 さ ん は 、自 分 が 信 じ た 方 向 性 に 向 か っ て 人 生 を 歩 ん で き た よ う だ っ た 。農 業 の地域発展の持続可能性を高める重要な 現 在 は 、泰 山 堂 の 後 継 者 問 題 に つ い て 何 の 心 配 も 抱 い て い な い け い 子 さ ん だ が 、か という広い視野で考えている。 ン・ ツ ー リ ズ ム 全 体 が 家 族 だ と 思 え ば ) つてはこの問題に悩まされていたことも こ と、 農 家 民 宿 を 始 め た こ と な ど、 そ れ 要素のひとつである。 事 実 だ。「 よ く( 誰 か に ) 後 継 者 後 継 者 っ けい子さんがまるで家族のように感じ る と い う 、農 家 民 宿 経 営 者 た ち に よ っ て 構 らは必ずしもけいこさんが最初から予想 ち ゃ ん と 後 継 者 育 っ て る ね 。… こ れ ほ ど う て 聞 か れ て や、 息 子 も 嫁 さ ん も 出 て っ た 成されている西木コミュニティについて し て い た こ と で は な か っ た。 し か し そ の 体 験 の 受 け 入 れ や 、わ ら び 座 で 仕 事 を し た おわりに し な ぁ っ て 悩 ん だ と き あ っ た ん だ け ど …」 彼 女 は こ う 語 る。「 い や 〜 面 白 い よ 〜、 仲 時 々 、置 か れ た 状 況 の 中 で 、自 分 が 何 を し と 、け い 子 さ ん は 語 る 。 し か し 、け い 子 さ 間 っ て ! 仲 間 が い た か ら 、こ こ ま で や っ て た い の か 、何 を 優 先 さ せ た い の か を 考 え 行 ■ んは後継者がいないことで生まれる良い こ れ た よ な。」 西 木 地 域 の 経 営 者 た ち に は え る と き、 け い 子 さ ん は 狭 い 視 野 で は な 点 に 気 づ く 。 そ れ は 、権 利 問 題 と 無 責 任 さ 36 民 宿はグリーン・ツーリズムの名の下に県 全 訪 れ る 人 気 の 民 宿 と な っ た 。 そ の 後 、農 家 家 民 宿 泰 山 堂 は 、熱 心 な リ ピ ー タ ー が 多 く 人 柄 も あ っ て か 、秋 田 県 で 初 め て 開 い た 農 と 、幸 せ そ う に 語 っ て い た 。 け い 子 さ ん の 宿という仕事が自分にとって最高である 向 き に 受 け 止 め た 。 け い 子 さ ん は 、農 家 民 視 点 を 変 え る こ と で 、さ ま ざ ま な こ と を 前 ず だ が 、け い 子 さ ん は そ の 都 度 、考 え 方 や 動 し て き た 。困 難 に 出 会 う こ と も あ っ た は が、もっとも現実的であるように思えた。 の地域に根ざした無理をしない範囲の活動 す サ イ ク ル が 成 立 す る 場 合 に お い て は 、そ 活 動 し 、か つ 、そ の な か で 後 継 者 を 生 み 出 心地よいと思えるコミュニティのなかで 位 で あ ろ う 。 と く に 、そ の 地 域 の 人 び と が ほ う が 、持 続 可 能 性 と い う 点 に お い て は 優 り も 、長 期 的 に 内 部 の 人 た ち が 行 う 活 動 の 期的で外部の人間が行うキャンペーンよ 有 効 で あ る わ け で は な い こ と を 学 ん だ 。短 域に拡 大し、 現 在では地 域 発 展の可 能 性を 大きく秘めた明るい兆しとなっている。 も ち ろ ん 、け い 子 さ ん や 周 囲 の 農 家 民 宿 の 経 営 者 た ち 自 身 に は 、地 域 発 展 の 役 割 を 担 っ て い る と い う 意 識 は ほ と ん ど な い 。け い 子 さ ん は、 た だ 目 の 前 の お 客 様 に 対 し て 、十 分 に 訪 問 を 楽 し ん で も ら う こ と を 考 え て い る よ う だ っ た 。 た だ そ う い っ た 、人 と 向 き 合 い な が ら 、自 然 に 安 ら げ る 場 所 を 提 供 で き る 農 家 民 宿 と い う 営 み が 、都 市 化 さ れ て い な い 地 域 に と っ て 、発 展 の 躍 進 力 2. 農家民宿経営者のライフストーリー 37 につながることは間違いないだろう。 今 回 の 聞 き 取 り を 通 し て 、私 た ち は 国 や 県が行うキャンペーンだけが地域発展に Information 泰山堂 代表 藤井けい子 〒014-0513 秋田県仙北市西木町小渕野字落合 56 TEL 0187-47-3103 3 . ライフストーリーから学んだこと 学生の個人レポート 38 地域発展と復興 佐藤 歩 し 、様 々 な 読 み 物 を 読 ん で い く う ち に 、い た も の と は 違 う の か な と 思 い ま し た 。し か 味を抱いていなかったので私の求めてい 変わってきたかを表す図が載っていまし なかで一九二六年から Development 二〇〇七年の間に地域発展がどのように の が あ る と 感 じ ま し た 。こ れ ら 二 つ が 似 て い て 、こ れ は 発 展 と い う 単 語 と 似 通 っ た 部 分 は 興 味 深 い ト ピ ッ ク だ と 思 い ま し た 。そ し 人 も い ま し た 。 そ の 話 を 聞 い て 私 は 、こ れ で見やすい町を作ることが復興だという こ と が 復 興 と い う 人 も い れ ば 、新 し く 綺 麗 が 違 う と い う こ と を 知 り ま し た 。立 て 直 す は一人ひとり復興に対する思いや考え方 害 に あ っ た 福 島 に 行 き ま し た。 そ こ で 私 経 っ て か ら 、私 は ボ ラ ン テ ィ ア で 震 災 の 被 な る 部 分 も 見 つ け ま し た 。震 災 か ら 三 年 が 西木町へのフィールドワークを通して異 二 つ の 重 な る 部 分 を 見 つ け ま し た 。し か し る と 思 い ま す 。授 業 の 活 動 を 通 じ て こ れ ら は 復 興 と は 言 え な い と い う の で す 。な ぜ な た 。 行 動 を 起 こ し て い る 人 は い る が 、そ れ はまだ始まっていないという人もいまし て い て 、今 も な お 続 い て い る の で す 。 復 興 彼 に と っ て は 、復 興 は 地 震 直 後 か ら 始 ま っ い ま す。 つ ま り、 震 災 で 全 て を な く し た 失ったもののほとんどが元に戻ってきて は 作 り 直 す こ と だ っ た か ら で す。 今 で は 言 い ま し た 。 な ぜ な ら 、彼 に と っ て の 復 興 と変わった時から復興は始まっていると は 地 震 が 起 こ っ て 、私 た ち の 生 活 が が ら り 験 談 を 聞 く こ と が あ っ た の で す が 、あ る 方 る こ と に 戸 惑 い ま し た 。四 名 の 震 災 後 の 体 まった時期が人によって解釈の違いがあ 私 が 福 島 に 行 っ た と き、 私 は 復 興 が 始 で 異 な っ て し ま う 。こ の 考 え 方 は 復 興 も グ 期 に 関 し て 、人 そ れ ぞ れ と ら え 方 が 違 う の た よ う な 活 動 を し て い る 人 が い た 。開 始 時 始 め た の か は わ か る が 、そ れ よ り も 先 に 似 わ か ら な い と 言 っ て い ま し た 。政 府 が い つ ズムがいつ始まったのかは門脇さんにも 来 て く だ さ っ た 時 に も 、 グ リ ー ン・ツ ー リ く あ り ま す 。門 脇 富 士 美 さ ん が 出 張 授 業 に 始まったのかわからないということはよ で 正 式 に 活 動 と し て 認 め ら れ る た め 、い つ ま り 、そ れ を 社 会 政 府 が サ ポ ー ト を す る 形 た 。地 域 発 展 と は 通 常 個 人 的 な 活 動 か ら 始 のかは教材には記載されていませんでし れ た 年 な の か 、実 際 に 活 動 を 開 始 し た 年 な け ら れ て い る の で し ょ う か 。組 織 が 構 成 さ た 。 し か し 、こ の 図 は 何 を 持 っ て 年 号 が つ A Historical View of Community くつかの共通点を見つけました。 るのかを知りたかったのがこの授業を取 ら 、彼 に と っ て 復 興 と は 地 域 の 人 で 構 成 さ リ ー ン・ツ ー リ ズ ム も 発 展 も 同 じ だ と い う 地域発展は復興と意味が重なる部分があ るきっかけでした。 れ 、整 頓 さ れ た グ ル ー プ で 行 わ れ る べ き だ 最初の授業の内容は私が予測していたも その他にも Introduction to Community の Chapter 四から 六の資 Development ことを知りました。 授 業 の 教 材 の な か の Introduction to の二小節目 Community Development と考えるからです。 の と は 異 な る も の で し た 。 ま ず 、初 め に コ ミュニティとはいかなるものかというこ と を 考 え ま し た 。私 は コ ミ ュ ニ テ ィ に は 興 3. ライフストーリーから学んだこと 学生の感想 39 の 話 を 聞 く 機 会 が あ り ま し た 。 こ れ は 、被 福島で実際に復興屋台を運営している人 復興の場面でも使われていました。 が 紹 介 さ れ て い ま し た が 、こ れ ら は 実 際 に 分 も い く つ か あ り 、地 域 発 展 は 復 興 に つ い 理 由 が 分 か っ た 気 が し ま し た 。共 通 す る 部 復興について違う考え方が生まれるのか 使 わ れ て い ま し た 。授 業 の な か で 私 は な ぜ )この し た。( The Technical approach 活 動 の な か で 、二 つ の ア プ ロ ー チ が 自 然 と し て い ま す 。 し か し 、被 災 地 の 方 た ち は 今 る方々はその土地のいい物を自然と発信 つ き ま し た 。地 域 発 展 の 活 動 を 楽 し ん で い 当事者の方の感じ方が異なることに気が これらの、異なる二つの考えから、私は 化や高齢化が大きな問題として取り上げ 災地に新しい商店街をつくろうという動 て考えるのにも適しているトピックだと の 状 況 に 満 足 し て お ら ず 、変 え た い と い う り て 、こ の 活 動 を 成 功 さ せ る こ と が で き ま き で 、被 災 地 を 活 性 化 さ せ る の が 目 的 で し 思 っ て い ま し た 。 し か し 、フ ィ ー ル ド ワ ー 気持ちが強かったです。 料のなかからもう一つ同じ点を見つけま た。 テ レ ビ の 注 目 を 浴 び、 少 し の 間 日 本 ク を 通 じ て、 私 は 異 な る 点 も 見 つ け ま し 手 段 の 確 保 な ど が あ っ た と い い ま す 。し か や 、お 店 の 経 営 を 持 続 さ せ る こ と や 、交 通 ととしてはお店とお客さんを集めること か っ た と 話 し ま す 。始 め る 前 か ら 困 難 な こ ん で し た 。 と く に 、お 年 寄 り の 方 た ち は 安 しを送っているというわけではありませ で い る 人 も も ち ろ ん い ま す が 、幸 せ な 暮 ら れ る 若 い 人 が た く さ ん い ま す 。福 島 に 住 ん 福島では原子力の問題が原因で福島を離 ました。 私は福島で出会った人に伝えたいと思い 分 も 存 在 し ま す 。こ の 授 業 で 学 ん だ こ と を 部 分 が あ り ま す 。 し か し 、や は り 異 な る 部 地域発展は復興という切り口と似ている おっしゃっていました。 ら れ て い て も 、そ の 場 所 に 住 み 続 け た い と で も 大 き な ニ ュ ー ス と な り ま し た 。彼 は 、 た。 し ど ん な に 大 変 な こ と が あ っ て も、 彼 に 全 な 場 所 に 移 り た く て も 、な か な か 難 し い し た 。こ の 教 材 の な か で 三 つ の ア プ ロ ー チ この活動を始めるのは容易いものではな 賛同して協力してくれた人たちがいまし 地域発展は幅広い定義を持っており、唯 地域発展とはなにか しかし、私たちが訪れたのどかの方は西 西尾加奈 と 聞 き ま し た 。 ま た 、仕 事 の 関 係 で 移 動 で 派なのかそうでないのかはわかりません き な い 人 も い ま し た。 こ れ ら の 人 が 少 数 た 。さ ら に 彼 ら は い ろ い ろ な 経 験 が 有 り 専 門性もありアドバイスをくれました( Self- を 決 意 し ま し た 。 そ し て 、長 期 間 の 予 定 を 木で農家民宿や農業を営みながら暮らす 一 の 完 全 な 定 義 は あ り ま せ ん( Robinson )。私は地域発展を「人の & Green, 2011 が、ひとつの事実ではあります。 組 ん だ と き 、プ ロ の 助 け が 必 要 に な る こ と の は 楽 し い と お っ し ゃ っ て い ま し た 。過 疎 と Interactional approach の融合) 。 Help そ の お か げ で 、彼 は こ の 活 動 を 始 め る こ と に 気 が つ き ま し た 。 そ こ で 、政 府 の 力 を 借 40 し た。 地 域 発 展 と 経 済 発 展 を 混 同 す る 人 展についての新しい観点を教えてくれま 思 い ま す 。し か し な が ら 彼 女 の 話 は 地 域 発 の意見に影響されていることも大きいと め 、フ ィ ー ル ド ワ ー ク の 分 析 は け い 子 さ ん の聞き取りという調査方法を選択したた 山 堂 の オ ー ナ ー で す。 ラ イ フ ス ト ー リ ー 私たちの調査対象は藤井けい子さん、泰 います。 力を持っているのか示していきたいと思 住民の協力が地域発展にどれほどの影響 に 思 う 人 も い る か も し れ ま せ ん 。こ れ よ り がりが地域の活性に貢献するのかと疑問 り だ と 気 づ き ま し た 。単 な る 人 び と の つ な 換えると地域のなかでの人びとのつなが 大 切 な も の は 属 し て い る と い う 感 覚 、言 い フィールドワークで地域の発展のために ズ を 通 し て し か 見 て い な か っ た の で す。 ま し た。 私 は 地 域 発 展 を 経 済 と い う レ ン で あ り 、観 光 業 が 最 適 な 方 法 だ と 思 っ て い も活性化するために経済的な刺激が必要 す 。 私 は 現 地 に 行 く 前 、ど の よ う な 地 域 で つ な が り の 発 展 」と 言 い 換 え た い と 思 い ま から農家仲間として仲がよかったでしょ じ ゃ ね え の 」も ち ろ ん 農 家 民 宿 を 始 め る 前 としてるから喋ることも悩みも同じなん い、 助 言 し あ っ て い ま す。「 み ん な 同 じ こ 別 々 の 家 に 暮 ら し て い て も 、お 互 い 助 け 合 緒 に 過 ご す の が 好 き だ と も い い ま し た。 は他の農家民宿のオーナーと集まって一 れ ず に 答 え が 返 っ て き ま し た 。け い 子 さ ん た と こ ろ、「 面 白 い よ、 仲 間!」 と 間 髪 い 活動の広まりについてどう感じるか聞い で 、そ こ か ら 周 り に 広 ま っ て い き ま し た 。 農家民宿に初めて挑んだのはけい子さん り を 深 め た よ う に 思 え る の で す 。秋 田 県 で を 以 前 よ り 活 発 に 、そ し て 人 び と の つ な が し れ ま せ ん 。 し か し 、農 家 民 宿 が 西 木 地 域 の活動は地域発展と何の関係もないかも で す 。経 済 発 展 の 点 か ら 見 れ ば け い 子 さ ん 始めたことに経済的な理由はなかったの ん だ け ん さ 」、 け い 子 に と っ て 農 家 民 宿 を め ま し た。「 父 さ ん と 私 で 好 き で や っ た も をも受け入れられるようにと泰山堂を始 生の農業体験の受け入れから学生の家族 あ り ま せ ん 。 偶 然 参 加 し 、続 け て い た 中 学 も農家民宿から儲けようと思ったことは な り ま す( 前 掲 書 ひきつける確立されたイメージが必要と )。しかし観 なります(前掲書 p.340-385 光による経済発展を目指すには観光客を 域にお金を落とし経済を刺激することに 所 を め ぐ り 、食 事 を し 、宿 泊 す る こ と で 地 る 、県 庁 の 考 え 方 は 健 全 で す 。 観 光 客 が 名 た 。観 光 は 地 方 を 発 展 さ せ る 力 を 持 っ て い 中心にした考えであるように聞こえまし シ ョ ン キ ャ ン ペ ー ン 」 の 話 は 、ビ ジ ネ ス を 巻 き 込 ん で 県 庁 が 行 っ た「 デ ィ ス テ ィ ネ ー 目 的 で 農 家 民 宿 や グ リ ー ン・ツ ー リ ズ ム も せ ん 。秋 田 に 観 光 客 を 呼 び 込 み 活 性 化 す る 庁などの外部団体と矛盾するかもしれま は 、地 域 発 展 を 経 済 発 展 と 認 識 す る 秋 田 県 も人のつながりが大切だという私の結論 地域発展は経済状況の改善というより 違いないでしょう。 地域発展を学ぶ一つの方法であるのは間 てそこに住む人びとの意識を考えるのは う 意 識 を 高 め る の に 貢 献 し た の で す 。そ し 意味で農家民宿は地域に属しているとい 実 が 関 係 を さ ら に 深 め た と 思 い ま す 。こ の う が 、農 家 民 宿 の オ ー ナ ー で あ る と い う 事 )。 そ の 過 , p.388-421 も い ま す が( 前 掲 書 )、 け い 子 さ ん は 一 度 3. ライフストーリーから学んだこと 学生の感想 41 説 明 し て い る と 言 え な い 。ウ ィ ル キ ン ソ ン ( 一 九 九 一 ) に よ る と 地 域 発 展 と は、「 地 す 。で す か ら 地 域 発 展 は 人 び と の 協 調 性 や 地域に属する感覚を発展させていくこと 域の組織を通し個々が活動のために役割 程に地元の人全体の理解と協力がかけて いれば地域の経済状況の改善はその地域 であると定義します。 を 果 た す ネ ッ ト ワ ー ク 」 の こ と で あ り 、地 に住む人にとって何の意味も持たなくな るでしょう。 Jerry W. Robinson, Jr., and Gary Paul ン と グ リ ー ン ( 二 〇 一 一 ) は 、地 域 発 展 に 定 め ら れ る こ と を 説 い た 。 ま た 、ロ ビ ン ソ 域 発 展 に お け る 地 域 が 、地 理 的 な く く り で 地域発展とは何かという問いに対する唯 Green, Introduction to Community 【参考文献】 一 の 答 え は 存 在 し ま せ ん 。 し か し 、地 域 発 お け る 発 展 と は「 地 域 住 民 の 生 活 の 質 を 向 地域発展は多様に定義されうる言葉で、 展 の 根 本 に は 常 に 人 び と の つ な が り、 又 Development: Theory, Practice and 社会的プロセス」であるとした。 上するために行われる住民を巻き込んだ は地域に属しているという気持ちがなけ ( London: Sage Service-Learning ) , 1-8. Publications, 2011 これら二つの定義からわかるのは、地域 れ ば な ら な い と 思 い ま す 。フ ィ ー ル ド ワ ー クにおいて私たちは西木の人びとの強い たなかで地域住民の生活の質を向上する 発 展 が 、住 ん で い る 地 域 に よ っ て 分 け ら れ 西木グリーン・ツーリズムのもつ可能性 信 頼 と 協 力 的 な 関 係 性 を 感 じ ま し た 。そ の 地域に対しての気持ちが農家民宿に挑む た め に 行 わ れ る も の と い う こ と で あ り、 こ と を 可 能 に し 、ま た 同 様 に 新 し い 挑 戦 が これ自体が地域発展の難しさをあらわし て い る 。地 域 住 民 は 同 じ 趣 味 趣 向 で 集 ま っ 木は地元の人が願うならば経済面におけ し 、こ れ ま で に 経 済 的 な 発 展 や 近 代 化 と い 「地域発展とは」という問いかけに対 い 地 方 市 町 村 も 多 い 。こ う し た 問 題 が あ る あ る か ら だ 。 ま た 、地 域 の 個 性 を 見 出 せ な めるものを提供できないという難しさが 福間寛子 る更なる発展をとげる可能性を持ってい う 考 え が 多 く あ っ た 。 実 際 に 、今 日 の 地 域 な か で 、秋 田 県 仙 北 市 に あ る 西 木 町 は 新 た た 地 域 で は な く 、ま た 、そ れ ぞ れ 生 活 の 質 る と 思 い ま す 。し か し な が ら 前 に 述 べ た よ 発展の多くはビジネス主体で新しい技術 な 地 域 資 源 を 見 つ け 、ま た 人 口 減 少 に 伴 い ~交流を通じた 地域住民のための発展~ 人 び と の つ な が り を 強 め た の で す 。も ち ろ ん西木は独自性のある地域のイメージを 確 立 す る こ と や 、よ り 多 く の 人 を 迎 え ら れ う に 、発 展 の た め に は 地 元 の 人 び と の 参 加 を 取 り 入 れ た も の が 多 く 見 ら れ る。 し か 町全体が必要としている交流の場を供給 の 向 上 に 対 す る 価 値 観 が 違 う た め 、皆 が 求 や 理 解 が 欠 か せ ま せ ん 。地 域 内 の 人 び と の し 、こ の 考 え は 地 域 発 展 の 根 本 的 な 概 念 を る よ う に 準 備 し な け れ ば な り ま せ ん が 、西 つながりは地域発展の核であると思いま 42 域 発 展 に つ な げ る こ と が 多 か っ た( マ タ ー 光 文 化 ス ポ ー ツ 部 二 〇 一 四 )そ れ ら を ブ ラ ン ド 化 し 売 り 出 す こ と で 利 益 を 得、 地 事 や 自 然 風 景 、行 事 な ど で あ り ( 秋 田 県 観 観 光 資 源 は 地 域 特 有 の 文 化 や 伝 統 工 芸 、食 く 広 げ た と 思 わ れ る 。こ れ ま で 一 般 的 に 、 と し た こ と は、 地 域 発 展 の 可 能 性 を 大 き が住民を観光における重要な魅力である まず、西木地域のグリーン・ツーリズム もとに話したい。 について西木町でのフィールドワークを リズムからどれだけの恩恵を得られるか な る か 、 そ し て 地 域 住 民 が グ リ ー ン・ツ ー ン・ツ ー リ ズ ム に お い て ど れ だ け の 魅 力 と 案 し て い る 。 本 文 で は 、地 域 住 民 が グ リ ー することで地域発展のひとつの方法を提 ワ ー ク か ら 、西 木 町 の 地 域 住 民 が 人 び と を か ら な か っ た が、 里 の 灯 で の フ ィ ー ル ド が人を呼ぶほどの魅力を持っているか分 つ い て 気 づ か せ て く れ る 。は じ め 地 域 住 民 欲主義によって忘れがちな精神的幸福に 方農村部の生活を通して食への感謝や物 の 交 流 は 心 を 癒 し て く れ る だ け で な く 、地 性 を 再 認 識 さ せ て く れ た 。西 木 町 の 住 民 と 触れたことは私に人と人との交流の必要 て 、里 の 灯 を 営 む 佐 藤 さ ん 夫 妻 の 温 か み に た人との交流が少なくなった社会におい た 要 因 と な っ た と 述 べ た と お り、 そ う し を増やしたものの交流を減らしてしまっ り 、日 本 の 産 業 化 や 経 済 成 長 は 人 び と の 富 従って人びととの交流を減らす傾向があ ( 二 〇 〇 〇 ) が、 人 び と の 富 が 増 え る に ニ ー ズ に あ っ て い る 。社 会 学 者 パ ッ ト ナ ム が め っ き り 減 っ た こ と で 、ソ ー シ ャ ル キ ャ 若者の人口流出によって人びととの交流 で も 出 生 率 の 低 下 に 都 市 部 へ の 出 稼 ぎ、 産 業 化 で 人 び と の 交 流 が 減 っ た な か 、地 方 ま り 意 義 を 持 た な か っ た 。 し か し 、都 市 の 置 が 重 視 さ れ 、ソ ー シ ャ ル キ ャ ピ タ ル は あ 価 す る 際 、社 会 で は 経 済 的 そ し て 社 会 的 位 の 重 要 性 は 認 め ら れ て き た が 、幸 福 度 を 評 の が 始 ま り で あ る( 世 界 銀 行 年 不 詳 )。 このように長い間ソーシャルキャピタル で 地 域 の 生 産 性 や 幸 福 を も た ら す 」と し た 会ネットワークなどの人びとのかかわり ピ タ ル の 概 念 は 一 九 一 六 年 に 生 ま れ、「 社 の に な る と い わ れ て い る 。ソ ー シ ャ ル キ ャ すことで人びとの人生がより充実したも シ ャ ル キ ャ ピ タ ル 」 と し て も 知 ら れ 、増 や と つ な が る の で あ る 。 人 と の 交 流 は「 ソ ー グ リ ー ン・ツ ー リ ズ ム を 通 し て 提 供 し て い ピタルの価値が再認識されるようになっ 次に西木地域のグリーン・ツーリズムは る 。 グ リ ー ン・ツ ー リ ズ ム は 地 域 住 民 が 地 惹きつけて止まない魅力を持っていると ン・ ツ ー リ ズ ム で 住 民 の ユ ニ ー ク さ を 活 地域住民全体に交流の場を提供すること 域 に い な が ら に し て 、さ ま ざ ま な 国 や 地 方 ナ ル 他 二 〇 一 一 )。 し か し、 地 域 に と っ てはなかなか独自の観光資源を見つけ出 か し た 観 光 の 創 出 は、 他 の 地 域 で も 手 本 で 、交 流 を 通 じ た 生 活 の 質 の 向 上 を 可 能 に の人びととの交流をする機会を与えてく た 。西 木 町 は そ の ソ ー シ ャ ル キ ャ ピ タ ル を と な る 取 り 組 み だ ろ う。 ま た 人 び と の 交 し て い る 。地 域 外 の 人 び と と の 交 流 は 人 び れ 、実 際 、佐 藤 さ ん 夫 妻 は さ ま ざ ま な 国 や 確信した。 流 が 減 り、 そ の 重 要 性 が 高 ま り つ つ あ る との生活を豊かにし幸福な地域づくりへ せ な い と こ ろ も 多 く、 西 木 地 域 の グ リ ー 社 会 に お い て、 人 に 重 き を 置 い た 発 展 は 3. ライフストーリーから学んだこと 学生の感想 43 発 展 に 大 き く 貢 献 し て い る な か で 、問 題 が 西木地域でグリーン・ツーリズムが地域 献するのである。 も、 地 域 住 民 の 生 活の質の向 上に大きく貢 人びとの交流を作ることによる地域発展 木 地 域 の グ リ ー ン・ ツ ー リ ズ ム の よ う な が 経 済 的 発 展 ば か り に 目 を 向 け る な か 、西 良 さ を 再 認 識 さ せ ら れ た と 言 う 。地 域 発 展 係 を 築 き 、ま た 自 分 が 住 ん で い る と こ ろ の ち の 価 値 観 を 広 げ 、多 く 宿 泊 客 と 親 密 な 関 二 〇 一 一 )。 経 済 的 な 問 題 は 人 と の 交 流 が 泊 客 を 増 や す 効 果 も あ る( マ タ ー ナ ル 他 、 だ け で な く、 日 帰 り で な く 農 家 民 宿 の 宿 う の を 防 ぎ、 持 続 可 能 な 経 営 を も た ら す お客が増えて地域住民が働きすぎてしま 行 っ て い る の な ら ば、 ア ク セ ス の 悪 さ は が人びととの交流を重視して地域発展を 置 い て い る と い う こ と だ っ た。 地 域 住 民 は な く、 活 動 自 体 を 楽 し む こ と に 重 き を グ リ ー ン・ ツ ー リ ズ ム を 行 っ て い る の で た 印 象 は 、地 域 住 民 が 営 利 を 目 的 と し て 、 がこれからますます重要になるだろう。 ズムのような人に重きを置いた地域発展 響 す る な か 、 西 木 地 域 の グ リ ー ン・ツ ー リ な人口問題が日本社会の交流の減少に影 化 、核 家 族 化 、少 子 高 齢 化 、な ど さ ま ざ ま 域 発 展 は 可 能 で あ る こ と が 分 か っ た 。過 疎 を通した精神的幸福という観点からも地 発 展 が 重 要 で は な く 、人 と 人 と の 交 流 な ど 第一にした地域発展には必ずしも経済的 し た と 同 時 に 、地 域 住 民 に と っ て の 幸 せ を 魅力が地域の発展につながることを実感 通 し 、地 域 住 民 の 温 か さ に 触 れ 、人 が 持 つ あ る の も 事 実 で あ る 。 そ の な か で も 、最 も 目的である地域住民にとっては問題では の は な い だ ろ う か。 西 木 町 を 訪 れ て 受 け 大きな問題の一つは経済的利益が少ない な く 、単 に 外 部 の も の が 問 題 視 し て い る だ 都市部のお客を受け入れたことで自分た と い う こ と で あ る 。そ し て そ れ に 関 係 す る けなのである。 文化、言語の壁を越えて の が 、交 通 の 便 の 悪 さ や 、発 展 の 持 続 性 の の 問 題 は 確 か に 事 実 で は あ る が 、対 処 を 考 ポ ー ツ 部 観 光 戦 略 課、 二 〇 一 三 )。 こ れ ら れ な い と い う 問 題 も あ る( 秋 田 観 光 文 化 ス 経 済 的 利 益 な し に は 、後 継 者 は な か な か 現 撃 が あ る と し て 課 題 と な っ て い る 。ま た 、 全体が抱える問題であり観光に経済的打 問 題 で あ る 。交 通 の 便 の 悪 さ は 秋 田 の 観 光 た こ と で 、考 え が 大 き く 変 わ っ た 。 フ ィ ー 持 っ て い た が、 西 木 地 域 の 里 の 灯 を 訪 れ の講義を受けるまでそうした固定概念を 発 展 で あ る と い う 常 識 が あ っ た。 私 も こ ん ど な か っ た。 ま た 経 済 発 展 こ そ が 地 域 民が地域の魅力になるという考えはほと 事、 絶 景 を 活 か し た 発 展 が 多 く、 地 域 住 一般的に、地域発展は地域の特産品、行 り 、日 本 全 国 あ ら ゆ る 地 域 で 注 目 を 受 け 、 この概念は広く受け入れられるようにな 提 案 さ れ た 。今 日 で は 日 本 の 観 光 業 界 で も ン・ツ ー リ ズ ム と い う 新 た な 観 光 業 の 形 が 今 か ら 数 十 年 前、 ヨ ー ロ ッ パ で グ リ ー 和田龍之介 える前にそもそも地域が経済的発展を第 ル ド ワ ー ク で の 活 動 、ラ イ フ ス ト ー リ ー を はじめに 一の目標としているか考える必要がある 44 町 だ 。 私 は こ の 度 、西 木 町 で 一 九 九 八 年 に が 、多 く の 農 家 民 宿 が 集 中 す る 仙 北 市 西 木 リ ー ン・ ツ ー リ ズ ム が と く に 盛 ん な 地 域 に 類 を 見 な い 。そ ん な 秋 田 県 の な か で も グ の グ リ ー ン・ツ ー リ ズ ム の 質 の 高 さ は 他 県 リ ー ン・ツ ー リ ズ ム の 先 駆 者 で あ り 、 同 県 神的コミュニティを創造することが可能 だ が 、も う 一 つ の 定 義 の コ ミ ュ ニ テ ィ 、精 うち地理的コミュニティに分類されるの 民宿は二種類あるコミュニティの定義の 割 も 担 っ て い る こ と を 私 は 発 見 し た 。農 家 ティだけでなく精神的コミュニティの役 これに加え、農家民宿が地理的コミュニ 精 神 的 コ ミ ュ ニ テ ィ で は 、共 通 の 趣 味 や 関 一方、もう一つのコミュニティの定義、 コミュニティは大切な役割を担っている。 コミュニティの問題の解決において地理的 く な っ て い る と 議 論 す る 者 も い る が 、あ る ミュニティの結びつきが以前に比べて弱 れ る。 個 人 主 義 の 広 が り に よ り 地 理 的 コ 特化した問題が住人たちによって共有さ ニ テ ィ で は 、教 育 、住 宅 供 給 、健 康 管 理 や 創 業 し た 農 家 民 宿 星 雪 館 を 訪 れ 、宿 主 で あ で あ る と い う こ と だ 。 私 は 最 初 に 、グ リ ー 心を持ち合わせた者同士がコミュニティ 活のあるがままの状態を農家と共に経験 る門脇さん一家にインタビューを行った。 ン・ツ ー リ ズ ム の 中 核 を 作 り 上 げ る 主 な 要 を 形 成 す る と さ れ る。 そ の た め、 あ る 特 旅 行 者 の 間 で も 人 気 を 博 し て い る 。東 北 地 門脇さん一家とのインタビューは極めて 素 、つ ま り 人 と い う 観 光 資 源 に つ い て の 議 定の精神的コミュニティに属する者同士 労 働 な ど と い っ た、 そ の コ ミ ュ ニ テ ィ に 中 身 が 濃 く、 農 家 民 宿 を 営 ま れ る 上 で 門 論 を 展 開 し 、さ ら に は 農 家 民 宿 の あ ら ゆ る は、強い精神的結束を共有し合う。 するのだ。 脇さん一家が抱いていらっしゃる独特な 可能性についても言及する。 方 に 位 置 す る 秋 田 県 は、 日 本 に お け る グ 視 点 や 意 見 が う か が え た。 ま た、 イ ン タ 生活の共有なしに農家民宿は存在し得な り 立 つ 観 光 業 で あ り、 逆 に、 農 家 に よ る 生活を来客者と分かち合うことにより成 人 で あ る 。 農 家 民 宿 は 、農 家 が 自 ら の 日 常 た 。 そ の 観 光 資 源 の 本 性 と は 、農 家 と い う 必要不可欠な観光資源の本性を導き出し の 実 態 を 元 に 、農 家 民 宿 と い う 観 光 形 態 に 地域という言葉が同義語であるのではな も し く は 物 理 的 な コ ミ ュ ニ テ ィ を 指 す。 つ 目 の 地 理 的 コ ミ ュ ニ テ ィ と は 、地 理 的 、 つ い て 明 確 な 定 義 付 け が 必 要 で あ る。 一 的コミュニティと精神的コミュニティに 前 に 、ま ず は 二 種 類 の コ ミ ュ ニ テ ィ 、地 理 農家民宿の根幹についての論を展開する 地理的コミュニティと精神的コミュニティ いて議論する。 ニティの形成にまで影響を及ぼすかにつ テ ィ の 役 割 の 限 界 を 超 越 し 、精 神 的 コ ミ ュ 唱 え、 い か に 農 家 民 宿 が 地 理 的 コ ミ ュ ニ )。しかしな ( Robinson & Green, 2011 がら私はこの一般的見解に対して異論を コミュニティはそれほど重要視されない ニ テ ィ の 概 念 の 下 で 行 な わ れ、 精 神 的 一 般 的 に、 地 域 活 性 化 は 地 理 的 コ ミ ュ い 。 つ ま り 、農 家 民 宿 を 訪 れ る 者 は 農 家 の い だ ろ う か 。こ の 定 義 に 分 類 さ れ る コ ミ ュ ビューを通して得た農家の考えや星雪館 普 段 通 り の 生 活 の な か に 飛 び 込 み 、そ の 生 3. ライフストーリーから学んだこと 学生の感想 45 生 活 を 共 有 で き る 人 物 、農 家 に 登 場 し て も 議 論 を 開 始 す る に あ た り 、ま ず は 来 客 者 と 人という資源が不可欠である農家民宿の ん で い ら っ し ゃ る 。こ の よ う な 唯 一 無 二 の 結 果 と し て こ れ ま で の 生 活 を 維 持 し 、楽 し を 受 け 入 れ た り と 、あ ら ゆ る 努 力 、挑 戦 の た 。 農 家 民 宿 を 始 め た り 、海 外 か ら の 来 客 か れ た 。 一 派 は 、津 軽 塗 が そ の 地 域 の 象 徴 の売り出し方についての意見が二つに分 て の 人 気 度 が 上 昇 し て い っ た と き 、津 軽 塗 変 化 を 説 明 で き る 。津 軽 塗 の 観 光 資 源 と し 津軽塗をもってこの観光資源の不可避な る こ と が 多 い 。青 森 県 の 文 化 的 観 光 資 源 、 ら わ な け れ ば い け な い。 同 地 域 に 居 住 す 人 生 が あ る か ら こ そ 、門 脇 さ ん 夫 婦 は 訪 問 で あ る こ と を 強 調 す る た め 、一 種 の 普 遍 性 ニールハウスでの野菜の栽培を始められ る共通点の多い農家同士であったとして 者 を 星 雪 館 に 招 き 入 れ 、そ こ で し か で き な を 重 視 し た 。 し か し 反 対 派 は 、そ れ ぞ れ の 農家という唯一無二の人的資源 も 、農 家 は 生 き た 人 間 で あ る た め に 、二 人 い体験のお手伝いができるのだ。 職人が出す個性の表現の価値を高く評価 以上が完全に一致する資質や特徴を兼ね 揃 え て い る こ と は 絶 対 に 有 り 得 な い 。こ ん 別 、仕 事 の 種 類 な ど 、農 家 の 持 つ す べ て の 民 宿 の 違 い は 、宿 主 の 人 生 背 景 や 年 齢 、性 に 渡 る と い う 点 が あ げ ら れ る 。一 つ 一 つ の たちが訪問者と共有する生活もまた多岐 民 宿 は そ れ ぞ れ が 他 と 異 な り 、そ の 経 営 者 こ の 明 確 な 点 に 起 因 す る 特 徴 と し て 、農 家 あ る が 、同 時 に 非 常 に 重 要 な 点 で も あ る 。 生活があるままの状態に飛び込むといっ え を 簡 潔 に 表 す と す れ ば 、訪 問 者 は 農 家 の る か と い う も の だ 。こ の 疑 問 に 対 し て の 答 者が農家生活の経験をどのように受け取 な っ た 。 こ こ で 浮 か び 上 が る 疑 問 は 、訪 問 な り、 個 々 が 特 殊 で あ る こ と が 明 ら か と 共有する農家生活はそれぞれの農家で異 これまでで、農家民宿の宿主が訪問者と 可 能 だ 。 事 実 、星 雪 館 の 征 志 さ ん は 農 家 民 たちはそれぞれの普通を貫き通すことが 津軽塗の場合とは違い、農家民宿の宿主 実は否定し難い。 が 、全 体 の 標 準 に 合 う よ う に 強 制 さ れ た 事 が守り抜いてきた津軽塗の種に富む様式 )。この論争は双方の意見を受け入れ 2011 る こ と に よ っ て 収 拾 は つ い た が 、職 人 た ち し、 ラ イ バ ル 同 士 の 職 人 が 各 々 の 味 を 出 特徴から生まれる。 た 表 現 に な る だ ろ う 。訪 問 客 が 直 接 的 に 隔 宿 の 営 み の 上 で 、い つ も 通 り の 振 る 舞 い を 農家生活を新鮮な状態で 門 脇 さ ん 一 家 の 場 合、 征 志 さ ん と 昭 子 た り な く 体 験 す る 農 家 生 活 は 、農 家 民 宿 に す る よ う に 気 を つ け て い ら っ し ゃ る 。そ う なことは自明の理と言えるほど明白では さんはそれぞれ別々の場所で生まれなが おいて人という観光資源を際立たせる重 す る こ と で 、訪 問 者 が そ れ ぞ れ の 隠 れ 持 っ グリーン・ツーリズム以外の観光形態で を彼らの興味が向くままに楽しめるそう た 関 心 を 見 つ け る こ と が で き、 農 家 生 活 Matanle & Rausch, ら も、 結 婚 後 は 二、三 年 の 出 稼 ぎ 以 外 は ほ 要なポイントである。 る。 農 家 と い っ て も 結 婚 当 時 は 米 農 家 で は、 観 光 資 源 の 些 細 な 変 化 は 不 可 避 で あ す 重 要 性 を 訴 え た( ぼ常に農家一筋で生きてきていらっしゃ あ っ た が 、一 九 八 五 年 の 減 反 政 策 を 境 に ビ 46 い 単 位 で 経 営 し て い る 農 家 民 宿 の 場 合、 それとは対照的に、星雪館のような小さ り 、真 の 相 互 理 解 が 生 ま れ る こ と は 困 難 で る。 外 部 者 と 内 部 者 の 生 活 が 大 き く 異 な 辺、 短 時 間 で 済 ま さ れ る と 考 え ら れ て い を取り払った関係性が生まれていると言 文 化 や 言 語 の 違 い な ど は、 心 と 心 を 通 わ あるということがその要因だ( の 通 訳 者 が 必 要 で あ る と 。県 と い っ た 大 き 上述の二点(唯一無二である人という観 せ る 、感 情 の こ も っ た 、密 度 の 濃 い コ ミ ュ だ 。こ の よ う に 訪 問 者 が 農 家 の 生 活 が あ る 光 資 源 と 、原 型 の ま ま 保 た れ た 新 鮮 な 農 家 ニ ケ ー シ ョ ン で 取 り 払 う こ と が で き る 。こ )。 1984 西木町の星雪館では、そのような外部者 え る だ ろ う。 あ る コ ミ ュ ニ テ ィ に と っ て 生 活 ) に 加 え 、私 が 星 雪 館 で 発 見 し た 農 家 こであげられる密度の濃いコミュニケー ( 訪 問 客 )と 内 部 者( 宿 主 )と の 間 の 懸 隔 い単位で外国人観光客を迎え入れるとな 民 宿 の 肝 心 な 特 徴 は 、訪 問 者 が 普 遍 的 に 親 シ ョ ン の 効 用 は 、外 国 人 観 光 客 に 対 し て の は 存 在 し な い 。 つ ま り 、門 脇 さ ん 一 家 は 外 が ま ま の 状 態 に 飛 び 込 む こ と に よ り 、農 家 し め る 環 境 だ。「 普 遍 的 に 親 し め る 環 境 」 み で は 決 し て な く 、日 本 人 と の ふ れ あ い の 部 者 、内 部 者 間 の 見 え ざ る 障 害 を 取 り 除 い の外部者がそれの内部者とコミュニケー と は 、農 家 民 宿 の 経 営 者 ( 少 な く と も 星 雪 な か で も 見 ら れ る も の だ 。広 い 日 本 の な か て い ら っ し ゃ る と い う こ と だ。 征 志 さ ん れ ば 、通 訳 の 準 備 や 異 文 化 の 事 前 理 解 は 必 館 の 人 び と )が 文 化 や 言 語 の 壁 を 乗 り 越 え で 、西 木 町 ほ ど 都 会 か ら 離 れ て い る 地 域 の は 、星 雪 館 で 生 ま れ る 独 特 の 人 間 関 係 に つ の生活が新鮮味を失わずに伝えられると て い る と い う こ と で あ る 。 そ の た め 、世 界 人 び と と 交 流 す る と な れ ば 、都 会 か ら 来 る い て「 人 の 輪 を つ く る 」と い う 言 葉 を 使 っ シ ョ ン を 取 る と き 、一 般 的 に こ の 交 流 は 上 中 の 誰 も が 星 雪 館 に 馴 染 む こ と が で き 、農 外部の者には少し難しく感じられそうな て 表 現 し て い ら っ し ゃ い ま し た 。ま た 昭 子 要不可欠だろう。 家の生活体験を楽しむことが可能である。 も の だ 。 し か し 実 際 は 、都 会 か ら 来 る 訪 問 さ ん は 、外 部 か ら 来 る 異 文 化 、異 言 語 を 有 言えるだろう。 一般的に、海外からの集客を考える上で 者 も 隔 た り な く 会 話 を 行 っ て お り 、こ の 地 する客との出会いに深く感謝していらっ の 観 光 事 業 の 困 難 を 話 さ れ た 。 近 年 、台 湾 光 振 興 課 国 内 観 光 班 の 武 藤 さ ん は 、秋 田 県 か の よ う に 、秋 田 県 観 光 文 化 ス ポ ー ツ 部 観 このことを一つの学説に当てはめて考察 の よ う に 愛 着 、郷 愁 を 感 じ る こ と も 多 い 。 の訪問者はこの地が彼らの故郷であるか 征志さんと昭子さんによると、外部から だった。 ることを嬉しく感じていらっしゃるよう 町 よ り も ず っ と 広 く 、世 界 中 に 広 が っ て い し ゃ り 、自 ら の コ ミ ュ ニ テ ィ の 範 囲 が 西 木 文化、言語の壁を越えて 浮 上 す る 問 題 は 、文 化 や 言 語 の 違 い と い っ 域に容易に慣れ親しむそうだ。 やタイなどからの観光客の呼び込みにと す る な ら ば 、外 部 者 と 内 部 者 の 間 に あ る 壁 Chambers, た 障 害 で あ る だ ろ う 。こ の 障 害 を 象 徴 す る く に 尽 力 し て い る 秋 田 県 で は 、多 様 な 言 語 3. ライフストーリーから学んだこと 学生の感想 47 民 宿 が 、建 物 の 大 き さ や 農 家 の 負 担 の 大 き 数 が 非 常 に 少 な い と い う 点 だ 。多 く の 農 家 家の農家民宿が収容することのできる客 短 所 は 見 受 け ら れ る 。 最 も 顕 著 な 点 は 、一 て き た が 、こ の 画 期 的 な 観 光 業 に も 限 界 や ツ ー リ ズ ム 、農 家 民 宿 の 長 所 に つ い て 論 じ 以上の議論の展開では、主にグリーン・ の 土 産 を 購 入 し た の で あ ろ う 。こ の よ う に の 他 の 場 所 の 観 光 に も 行 き 、お そ ら く 大 量 か ら 西 木 町 ま で 観 光 バ ス と 使 い 、秋 田 県 内 い た で あ ろ う ) は 飛 行 機 に 乗 り 、秋 田 市 内 体( 約 一 〇 〇 名 の 学 生 と 引 率 の 教 員 が 数 名 の こ と だ 。こ の よ う な 規 模 の 修 学 旅 行 の 団 行生が西木町の農家民宿に滞在したとき 認 す る こ と が で き る 。約 一 〇 〇 名 の 修 学 旅 人 対 人 の コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン は 、人 の 輪 を を 取 り 払 う こ と に 長 け て い る 。そ し て こ の ニ ケ ー シ ョ ン を 可 能 と し 、文 化 や 言 語 の 壁 を武器として深みのある人対人のコミュ 比 較 的 新 し い 観 光 業 は 、そ の 規 模 の 小 さ さ グリーン・ツーリズム、農家民宿という ケーションの向上にも農家民宿が大きく さ を 理 由 に 、一 回 の 宿 泊 あ た り の 最 大 人 数 考 え た な ら ば 、西 木 地 域 に あ る 小 規 模 な 農 創 り 出 す き っ か け と な る の だ。 人 の 輪 は らの修学旅行生を受け入れたケースで確 を 五 名 ほ ど に 設 定 し て い る 。ま た 多 く の 農 家 民 宿 の 集 ま り が 、結 果 的 に 莫 大 な 経 済 効 訪問客と宿主の間で生まれるものである 農家民宿の限界とさらなる可能性 家 民 宿 が 、農 業 に 重 き を 置 か な け れ ば い け 果を及ぼしたことは明らかである。 た 。 観 光 は 他 分 野 の 成 長 を 促 進 、奨 励 す る を「 種 ま き 」と 表 現 し て い ら っ し ゃ い ま し に 答 え て く だ さ っ た あ る 農 家 の 方 は 、観 光 こ と も あ る 。過 去 に 本 授 業 で イ ン タ ビ ュ ー 光業の枠を超えてさらなる影響を及ぼす す る の だ が、 同 時 に、 農 家 民 宿 は そ の 観 このような農家民宿の限界は確かに存在 適していないのである。 宿は大きい数の観光客の動員にはあまり ス タ イ ル を 取 っ て い る 。 つ ま り は 、農 家 民 と い う 利 点 は 既 に 論 じ ら れ て い る が 、こ れ コミュニケーションの隔たりを取り払う て お ら れ た 。農 家 民 宿 が 外 部 者 と 内 部 者 の りを持つ機会が増えたと嬉しそうに語っ に関する会合などで地域住民とのかかわ つ あ る こ と を 感 じ ら れ な が ら も 、農 家 民 宿 木地域が全体として年々小規模になりつ の 向 上 に も 貢 献 し て い る 。 昭 子 さ ん は 、西 住 民( 内 部 者 )同 士 の コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン 宿は西木地域というコミュニティ内での また、経済効果のみに留まらず、農家民 な る 。 そ し て 、小 規 模 の 観 光 客 訪 問 が 度 重 込 み 、再 度 の 訪 問 を 考 え さ せ る き っ か け と は 、国 内 外 か ら さ ら に 多 く の 観 光 客 を 呼 び 模だからこそ達成される良質なサービス 少人数専用の宿泊施設ではあるが、小規 ていないかが明らかであろう。 民宿が地理的コミュニティのみに留まっ の 形 成 、構 築 を 象 徴 し て お り 、い か に 農 家 は 、農 家 民 宿 に お け る 精 神 的 コ ミ ュ ニ テ ィ 在 に よ っ て 支 え ら れ て い る 。人 の 輪 の 概 念 で の 人 間 関 係 の 構 築 、維 持 も 農 家 民 宿 の 存 が 、そ れ と 同 時 に 西 木 地 域 の よ う な 住 民 間 結論 寄与していることが確認できる。 な い と い う 理 由 で 、週 末 の み の 開 業 と い う という利点があるということだろう。 に 加 え 、西 木 地 域 の 内 部 者 同 士 の コ ミ ュ ニ このことは、西木町の農家民宿が韓国か 48 な っ た と き、 大 き な 経 済 効 果 も 生 ま れ て く るのだ。幾度も繰り返されているように、 農家民宿は農家という唯一無二の観光資源 が な け れ ば 成 り 立 た な い。 さ ら に、 こ の 農 家が彼らの生活をあるがままの普通の状態 で 訪 問 客 と 共 有 す る こ と に よ り、 訪 問 客 は 農 家 の 生 活 に「 飛 び 込 む 」 こ と が で き る の だ。 畑 で 採 れ た ば か り の 野 菜 や 海 で 獲 れ た ば か り の 魚 が 新 鮮 で あ る よ う に、 そ の 場 で 繰り広げられる農家の生活は訪問者にとっ て非常に新鮮味があり、高価であるのだ。 Matanle, P., & Rausch, A. ) . Japan's shrinking regions 2011 development. Los Angeles: SAGE. Robinson, J., & Green, G. ) . Introduction to community 2011 【参考文献】 ( ( in the 21st century. Amherst, N.Y.: Cambria Press. ) . Rural Chambers, ( R. 1984 development. London: Longman. 3. ライフストーリーから学んだこと 学生の感想 49 4 . と も に 学 ぶ 地域協力者の声 50 農家民宿 星雪館 門脇富士美さん N P O 法 人 秋 田 花 ま る っ グ リ ー ン・ ビ ュ ー を し て も ら っ た こ と で、 農 業、 民 宿 い ま し た。 泊 ま り な が ら じ っ く り と イ ン タ しさは理解してもらえていない様に感じて で、 そ れ で「 食 べ て い く 」 こ と の 大 変 さ 難 近好感を持ってくれる方々が増える一方 に 一 番 感 心 し ま し た。 農 業 と い う こ と に 最 の話、農家民宿の体験のお話熱心に聞いて なかなか行く機会のない国際教養大学に 行けなくてとても残念でしたが、私達農家 にとって家族でした。 話しやすい学生さん達で家に来た時は、私 くれる皆様と挨拶出来、又ランチを共にし 各民宿皆で回っていただいた時に家に来て ここ数日春らしい天気が続いておりま す。皆様お変わりなくお過ごしでしょうか。 農家民宿を訪れた際には、より深く農家 の皆さんの現状に迫り、生の声を聞くこと 思いました。 学生の皆さんが純粋に「行ってみたい」と ズムへの関心度の高さを窺い知り、そして 学生の皆さんと当方との質疑応答の時間 が非常に活発で、本県のグリーン・ツーリ 地域発展論の授業に参加できる貴重な機 会をいただき、ありがとうございました。 ツーリズム推進協議会 を営みながら頑張ったり楽しんだりしてい いただき話したい気持になり、とても貴重 ができると思いますが、皆さんにとって農 里の灯 佐藤二郎さん る 私 達 家 族 の こ れ ま で が 理 解 さ れ、 小 規 模 な時間を過ごすことが出来ました。私達の 家で過ごす時間が心を満たす豊かな経験に 柴田桂子さん 農 家 な が ら も「 こ ん な 農 業、 農 家 の 暮 ら し 話を聞いて学生さん達が上手にまとめて下 なれば、それが農家の皆さんの喜びになり、 佐藤由井さん もあるか」と思っていただけたら嬉しいで さりありがたく思いました。 楽しんできてください。 学生さん達のレポートのなかで農家とい う自営業にある自由と責任についての部分 す。 これから仕事につきその地域で人びとと ふれあいながら活躍される学生さんに期待 (ゲストスピーカー) また自信につながると思います。思い切り いう気持ちになっていることをただ嬉しく な、 嬉 し い 様 な 気 分 で し た。 で も、 じ っ く し て い ま す。 私 達 も こ の 出 会 い に 感 謝 し、 娘としては両親が学生さん達に自分達の これまでの人生を語る様子が恥かしい様 りと両親の話が聞けて良いインタビューで 励みとして農業、民宿に頑張りたいと思い ます。ありがとうございました。 した。 (ゲストスピーカー、フィールドワーク 受け入れ、成果発表会) (ライフストーリー語り手、 フィールドワーク受け入れ) 4. ともに学ぶ 地域協力者の声 51 旅館?ホテル?みたいなものに考えて、常 に勉強し、連携し、発展していったら、す できました。ぜひ、来月は、楽しんで来て 部の風を入れ、融和されてこそ、時代を先 あきた県観光文化スポーツ部観光振 下さい。 私の話した内容を丁寧にわかりやすくま と め て く だ さ っ て、 外 側 か ら の 視 点 と し て 取りした持続可能性あるものにつながると 興課国内観光班 髙橋由希子さん 全 体 を 鋭 く 観 察 し て い る よ う に 思 い ま す。 思います。 農家民宿 のどか 地 方 の 発 展・ 活 性 化 に つ い て、 そ こ に 生 き 武藤正子さん (ゲストスピーカー) る若者だけでなく都市部から地方を冷静な 六十五すぎようとしていますが、この目 で、もっとみな様のお力を頂き、やってみ ごいものが出来ると思います。内部の人た 目で見ることができる若い感性が必要だと たいと思いました。 ありがとうございました。 ちに、常に学ぼうとすることを忘れず、外 改めて感じました。 (ライフストーリー語り手、 フィールドワーク受け入れ、成果発表会) ました。 れる様子が質問や感想の端々から感じられ 日頃よりインフラ等の整備が地域経済に 及ぼす効果について熱心に研究されておら ありがとうございました! (ライフストーリー語り手、 フィールドワーク受け入れ、成果発表会) 藤原絹子さん ではと反省しきりではありますが私にとり 「物 椙本先生は講義を通して生徒さんに ご と の 捉 え 方 」 と い う 貴 重 な「 も の さ し 」 学生さんの授業に臨む姿勢がとても頼も しく感じられ、話すこちら側としてもノッ ましては皆さんとの今回の交流は大変に有 N P O 法 人 秋 田 花 ま る っ グ リ ー ン・ 藤井けい子さん てお話することができました。感想文のな 意義な、そして刺激を受けた時間となりま を各々がしっかりと保持するよう指導して 私達がしていることを活字にしていただ く こ と で、 じ っ く り、 自 分 に 問 い か け る 機 か に、 「机上の空論からクリアになった」 した。心より御礼申し上げます。 ツーリズム推進協議会 会が出来て、大変参考になりました。 という意見があって、次回の現地での体験 泰山堂 秋 田 県 の グ リ ー ン・ ツ ー リ ズ ム を 考 え た 時、 地 域 に 一 つ や 二 つ で は、 や っ て い け な がきっと収穫の多いものになることを確信 (ゲストスピーカー) 私の説明のみでは先生や生徒さんのご希 望には十分にお答えし切れていなかったの おられるのだなと感じ入りました。 い と 気 が つ き ま し た。 地 域 を 一 つ の 大 き な 52 53 4. ともに学ぶ 地域協力者の声 教員の回想 椙本歩美 5 . 忘れられない出会い もてなし あるじ 他国へ客に出かけたものは、いつの日までも、 親切にして饗応てくれた宿の主人のことは忘れぬものなのだ。 ホメーロス『オデュッセイアー』(下)岩波文庫 54 現場に足を運んで初めて分かることがあ て い ま す 」と お っ し ゃ っ て い ま し た 。 無 理 り ま す 。出 会 っ た 方 々 に ま た 会 い た く て 、 す 。 そ し て 行 く 度 に 、人 と の 出 会 い も 広 が 視 野 が 広 が り、 新 た な 疑 問 が わ い て き ま え 方 は 変 化 し て き ま し た 。 現 在 で は 、地 域 地 域 に 行 き ま し た 。時 代 に よ っ て 発 展 の 考 遷 や 、国 内 外 の 事 例 を 学 ん だ う え で 、西 木 授業では、地域発展論に関する理論の変 発 想 転 換 の 積 み 重 ね の よ う で し た 。季 節 や 出 し て い く 。 現 状 維 持 は 、価 値 の 再 認 識 と に提供していくことで新たな可能性を見 か ら 、価 値 を 再 確 認 し 、工 夫 を 加 え て お 客 く 、自 分 た ち が 日 々 行 っ て き た こ と の な か 学生の学び そ の 顔 を 思 い 浮 か べ な が ら 、現 場 に 向 か い に あ る 資 源 を 活 用 し、 住 民 が 主 体 的 に 関 お客によって、また受け入れる自分たちの に何か新しいことを取り入れるのではな ま す 。だ か ら フ ィ ー ル ド ワ ー ク は や め ら れ わる内発的発展が重要と考えられていま 状況によって、内容も変わります。学生レ り ま す 。 行 く 度 に 、予 想 外 の 発 見 を し て 、 ないのです。 す 。 す な わ ち 、発 展 の あ り 方 は 地 域 ご と に ポートで引用されている門脇昭子さんの言 地域発展は、地域の人びとの暮らしを軸 多様なのです。 人が地域をつくり、人と人との出会いが 域のあり方が、 見えてくるように思います。 と も 明 ら か に し ま す。 そ し て、 そ こ か ら 地 民 宿 経 営 者 た ち に 、共 通 す る 思 い が あ る こ や 夫 婦 の 姿 を 映 し だ し ま す 。 同 時 に 、農 家 た 。 ラ イ フ ス ト ー リ ー は 、そ れ ぞ れ の 家 族 のライフストーリーの聞き取りをしまし た い と い う 思 い を 共 有 し て い ま し た 。こ れ ち は、 無 理 を せ ず、 現 状 を 維 持 し て い き の あ り 方 に 気 付 い た よ う で す。 語 り 手 た て 、学 生 は 、予 想 し て い な か っ た 地 域 発 展 行 き、 農 家 民 宿 経 営 者 の 方 々 の 話 を 聞 い 多 か っ た よ う で す 。 し か し 、実 際 に 現 場 に す 影 響 に つ い て 、関 心 を 持 っ て い た 学 生 も 今回、農家民宿の経営が地域経済に及ぼ ン・ツ ー リ ズ ム 西 木 研 究 会 が 行 っ て き た 活 た 。 農 家 民 宿 経 営 者 た ち の 軌 跡 や 、グ リ ー も 、改 め て 気 づ い て い く 様 子 が み ら れ ま し で、 現 状 を 維 持 し て い く こ と の 大 変 さ に 内 の 議 論 か ら 、集 落 規 模 が 縮 小 し て い く 中 が っ か り し た よ う で す 。 し か し 、グ ル ー プ が 、発 展 の イ メ ー ジ と 離 れ て い る と 感 じ 、 学生のうち数名は、現状維持という言葉 葉通り、「現状維持も挑戦の連続」 なのです。 に 考 え ま す。 授 業 で は、 農 家 民 宿 経 営 者 地 域 づ く り の 可 能 性 を 拓 い て い く 。よ く 耳 は 、経 済 的 な 成 長 を 最 重 視 し て い た 学 生 に い る 様 子 が 分 か り ま す 。学 生 た ち が 学 ん だ に す る 表 現 で す が 、学 生 の レ ポ ー ト は 、そ 門脇富士美さんは、大学の特別講義で、 現 状 維 持 と い う 地 域 発 展 の あ り 方 も 、そ の 動 を 見 れ ば 、常 に 新 し い こ と に 取 り 組 ん で 「 農 家 民 宿 や 農 業 体 験 の 受 入 れ も 、週 に 一 中 身 を よ く 見 れ ば 、数 々 の 挑 戦 や 工 夫 で 満 とっては、驚きだったようです 回 程 度 と 決 め て い ま す。 自 分 の 身 の 丈 に たされているのです。 の 中 身 を 描 き 出 し て い ま す 。 こ こ で は 、授 業 を 振 り 返 り 、学 生 と 教 員 が 学 ん だ こ と を まとめます。 合 っ た こ と を す る 。無 理 を し な い こ と に し 5. 忘れられない出会い 教員の回想 55 こ の よ う に 、人 び と の 暮 ら し が 何 に 根 ざ し る 、と い う お 話 は 共 通 し て 見 ら れ ま し た 。 る か ら こ そ 、そ れ が 出 来 る 範 囲 で 活 動 を す て い る か ら の よ う で す 。農 業 を 軸 に し て い 自 分 た ち の 生 活 基 盤 が 、農 業 に あ る と 考 え し て い き た い と 話 し て い ま し た 。こ れ は 、 ね ぇ ん だ な ー っ て 。 … ( 西 木 の グ リ ー ン・ と っ て は 、こ れ は ま る っ き り 悪 い こ と で も 越 し た こ と は な い と 思 う ん だ け ど、 私 に な 語 り が あ り ま す。「 後 継 者 が い る こ と に は 、農 家 民 宿 の 後 継 者 に つ い て 以 下 の よ う す 。藤 井 け い 子 さ ん の ラ イ フ ス ト ー リ ー に 学生レポートは重要な点を指摘していま か、 星 空 が き れ い だ と か、 水 が 流 れ て い ば、 佐 藤 由 井 さ ん は、「 空 気 が お い し い と な が る 重 要 性 も 書 か れ て い ま し た 。た と え また、学生レポートには、地域が外とつ とが分かります。 ら 面 へ の 広 が り へ 、活 動 が 発 展 し て き た こ 民 同 士 の ネ ッ ト ワ ー ク を 強 め て い き 、点 か に 、一 軒 の 農 家 で 始 ま っ た 取 り 組 み が 、住 知 識 や 技 術 を 伝 え 合 っ て い ま す 。こ の よ う て い る の を 理 解 す る こ と は 、地 域 発 展 の あ ツ ー リ ズ ム 全 体 が 家 族 だ と 思 え ば )ち ゃ ん る と か。 そ う い う の を や っ ぱ り 教 え ら れ 現 状 維 持 を し て い く 主 体 に つ い て も、 り 方 を 考 え る う え で 、非 常 に 重 要 だ と 思 い と 後 継 者 育 っ て る ね。 … こ れ ほ ど う ま く た よ 。 そ れ ま で 、た だ の 山 の 中 だ っ て 思 っ さらに語り手たちは、健康に坦々と活動 ます。 いってるとこそうねえよなぁ。」 の 考 え に 違 い が あ る こ と を 前 提 と し て 、互 は ま る こ と だ と 思 い ま す 。学 生 た ち は 両 者 及 び ま す 。 こ の 違 い は 、ど の 分 野 に も 当 て と 、政 策 に 基 づ く 行 政 の 視 点 と の 違 い に も 学 生 の 考 察 は 、暮 ら し に 基 づ く 現 場 の 視 点 要 性 を 、学 生 は 気 付 い た よ う で す 。 さ ら に 暮らしなかに地域づくりを位置づける重 た 物 理 的 余 裕 が な い 」と 考 察 を し ま し た 。 積 極 的 に 取 り 組 ん で い く だ け の 経 済 的 、ま 足 し て い る と い う こ と と 、諸 問 題 に 対 し 、 グ ル ー プ は、「 地 域 住 民 が 現 状 の 生 活 に 満 グリーン・ツーリズム西木研究会では、 づくりの主体を捉えることができました。 て い ま す 。 人 び と の 語 り か ら 学 生 は 、地 域 そ 、地 域 発 展 に 重 要 な 要 素 で あ る と 考 察 し す。 学 生 は、 こ の よ う な 住 民 間 の 連 携 こ が で き る の は 、西 木 地 域 の 強 み だ と 思 い ま く る 仲 間 の な か に 、自 ら を 位 置 づ け る こ と と い う 意 識 を 持 っ て い ま す 。共 に 地 域 を つ で 暮 ら す 住 民 全 体 で 、地 域 を つ く っ て い る 問 題 で し た 。 し か し 藤 井 さ ん は 、西 木 地 域 営 が 一 般 的 だ っ た た め 、後 継 者 不 足 は 常 に 農業や自宅での事業は、これまで家族経 目すべきは、このような出会いの後、充実 め 直 す 機 会 に な っ て い る の で す 。さ ら に 注 交 流 は 、相 互 の 気 づ き を 導 き 、自 ら を 見 つ い ま し た 。農 家 民 宿 で の 人 と 人 の 出 会 い と の よ さ が 分 か っ た 」と 感 想 を 言 っ て く だ さ と を 、違 う 視 点 か ら 言 っ て も ら っ て 、地 域 で、「 自 分 た ち が 当 た り 前 と 思 っ て い る こ 髙 橋 由 希 子 さ ん は、 学 生 の 成 果 発 表 会 さ」と学生に語っています。 こ住んでいるなと改めてそう教えられた そ う 言 わ れ て 。 そ う い え ば 、我 々 は い い と く 気 持 ち い い と か 、空 気 が あ れ だ と か っ て て い た の よ 。 そ し た ら 来 る 人 み ん な 、す ご 現状維持を掲げる語り手について、ある いに理解して物事を進めていくことが重 協 力 し 合 っ て 活 動 を 進 め る 過 程 で 、互 い の 要であると、改めて認識したようです。 56 せ ん 。 ま た 働 く こ と を 、単 な る 経 済 活 動 だ 切 さ に 、学 生 た ち は 共 感 し た の か も し れ ま そ 、働 く こ と で 得 ら れ る 質 的 な 充 足 感 の 大 社 会 的 不 安 が 高 ま っ て い ま し た 。だ か ら こ な 豊 か さ へ の 希 求 と 、同 時 に 先 が 見 え な い て い ま し た 。 価 値 観 の 多 様 化 が 進 み 、質 的 満 た さ れ た 社 会 で 、経 済 の 低 成 長 期 に 入 っ た ち が 育 っ た 時 代 、日 本 は す で に 物 理 的 に ら 、働 く こ と の 意 味 を 考 察 し ま し た 。 学 生 今 回、 数 名 の 学 生 が、 語 り 手 の 人 生 か 豊かさについての気づきも見られました。 す。 学 生 レ ポ ー ト で は、 こ の よ う な 質 的 な 感ややりがいが両者に生まれているようで たと反省しています。 業目標をもっとしっかり伝えるべきだっ で し た 。 学 生 に レ ポ ー ト 課 題 を 出 す 際 、授 域 社 会 に つ い て 論 じ る こ と が 、授 業 の 目 標 育 で は 重 要 だ と 考 え て い ま す 。個 人 か ら 地 会へと視野を戻す思考プロセスも大学教 が 、個 人 を 相 対 化 し た 後 に 、も う 一 度 、社 り ま し た 。そ れ も 重 要 な 学 び だ と 思 い ま す 分析に終わってしまう学生レポートもあ よ う で す 。 他 方 で 、個 人 の 考 察 で は 、自 己 自身の考え方を見直す機会になっている ま せ ん 。 個 人 の 人 生 に 触 れ る こ と で 、自 分 の 授 業 で は 、あ ま り 扱 わ な い こ と か も し れ 方 や 発 展 の 意 味 を 考 え る と い う 方 法 は 、他 ます。 を 、も っ と 学 生 に 伝 え る べ き だ っ た と 思 い 員 が 、机 の 下 に 見 え て な い 部 分 が あ る こ と す の は 、や は り 難 し い の で す 。 そ の 分 、教 だ け で は 、隠 れ て 見 え な い 足 元 ま で 聞 き だ し 」と 話 し て く れ ま し た 。 一 度 の 聞 き 取 り だ よ ね。 生 活 の た め と い う の は 実 際 あ る い け ど 、下 半 身 、足 元 は も う バ タ バ タ な ん びりやっているように見えるかもしれな 業 後 に 笑 い な が ら、「 上 半 身 は 笑 顔 で の ん 今回お世話になった語り手の一人が、授 思 い ま す 。上 記 の よ う な 学 生 の 学 び を 実 感 最後に、教員自身の学びをまとめたいと のヒントをも得ていました。 た 。 学 生 は 、語 り 手 の 生 き 様 か ら 、生 き 方 視 点 を、 語 り 手 た ち か ら 学 ん だ よ う で し 決定できない部分も多くあるでしょうし、 学 いう 趣 旨でした。 しかし、 実 際には、 自 己 ならないが、その分、 自由も獲得していると づいて働いているため、 責 任を負わなければ ありました。 農 家の人 たちは自 己 決 定に基 事をすることの自 由と責 任についての考 察が えば、 学 生のグループレポートのなかに、 仕 点では、どうしても難しさがあります。 たと さらに、どこまで語り手に迫れるかという す る た め 、実 に 多 様 な サ ー ビ ス を 提 供 で き リ ズ ム は 、地 域 や 個 人 に 固 有 の 資 源 を 活 用 が 鍵 に な り ま す 。 で す が 、 グ リ ー ン・ツ ー 伺 い ま し た 。 商 品 開 発 で は 、他 と の 差 別 化 で 、学 生 は 異 な る 体 験 を し 、異 な る お 話 を た。 今 回 お 世 話 に な っ た 四 軒 の 農 家 民 宿 う の で、 競 合 し な い と 教 え て 下 さ い ま し 際 、農 家 民 宿 は そ れ ぞ れ 提 供 す る も の が 違 花 ま る っ G T ) の 藤 原 さ ん は 、特 別 講 義 の グ リ ー ン・ツ ー リ ズ ム 推 進 協 議 会 ( 以 下 、 の こ と を 学 び ま し た 。 ま ず 、秋 田 花 ま る っ 私自身も、地域協力者の方々から、多く 度差があるようにも思います。 け で な く 、暮 ら し の な か に 埋 め 戻 す と い う で き る 一 方 で 、今 回 も 授 業 の 限 界 を 感 じ ま 生が用いる自由と語り手のそれとは、少し温 教員の学び し た 。 ラ イ フ ス ト ー リ ー か ら 、地 域 の あ り 5. 忘れられない出会い 教員の回想 57 る の で す 。 競 合 し な い と い う 発 言 は 、秋 田 の農山漁村の多様性という豊かさを教え 共 に 、学 び の 新 た な 可 能 性 を 切 り 拓 い て い 社 会 関 係 が 影 響 し て い る の か 、そ れ と も 女 ズ ム が 始 ま る 以 前 か ら 存 在 す る 、地 域 内 の 広 が っ た の で し ょ う か 。 グ リ ー ン・ツ ー リ 民 同 士 が 協 力 し 合 い 、点 か ら 面 へ の 活 動 に さらに、なぜ西木地域ではこんなにも住 の方々に報告書をご活用いただいたこと ストで問題として出題されました。地域 教育文化学部附属中学校の英語の定期テ 家のライフストーリー春』が、秋田大学 『地域発展論二〇一三 秋田県秋田市 農 ※二〇一三年度春セメスターの授業報告書 ければ幸いです。 性 た ち の 活 動 に 特 徴 的 な も の な の か 。私 自 に感謝申し上げます。 てくれるのです。 身も疑問を持ちました。 西木地域や花まるっGTのみなさんと、 ま た 一 緒 に 何 か を し た い 。こ の 思 い が 強 く な り 、来 年 度 新 た に 開 講 す る 秋 田 学 で 、一 緒 に 授 業 を つ く れ る こ と に な り ま し た 。人 と の 出 会 い が 、私 に と っ て も 働 く 意 味 を 与 え て く れ ま し た 。 秋 田 学 で は 、本 報 告 書 を 教 材 と し て 活 用 す る 予 定 で す 。学 生 間 で 、 学びの共有と継承をしていきたいと考え ています。 これらの学びをもとに、今後の授業をよ りよいものに改善していきたいと思って い ま す 。改 め て 地 域 の み な さ ん と の 出 会 い と 、温 か い ご 理 解 ご 協 力 に 感 謝 申 し 上 げ ま す 。 こ れ か ら も 、学 生 と 地 域 の み な さ ま と 58 す ぐ 続 く マ リ ー ゴ ー ル ド が 眩 し く て、 思 緑 の 山 々 と 田 ん ぼ を 通 る 道 路 沿 い に 、ま っ 七 月 二 十 四 日 で し た 。西 木 地 域 は 晴 天 で 、 会 の 方 々 に 説 明 に 行 っ た の は 、二 〇 一 四 年 張 し ま す 。 グ リ ー ン・ツ ー リ ズ ム 西 木 研 究 授業協力のお願いに行く時は、いつも緊 た 。こ れ か ら も 大 切 に し た い 出 会 が で き て 励 ま さ れ る こ と 、学 ぶ こ と が 多 く あ り ま し ま し た 。 同 じ 女 性 と し て 、共 感 す る こ と 、 に は 、家 族 の 理 解 と 支 え が あ る こ と も 知 り そ し て 、女 性 た ち が い き い き 活 動 す る 後 ろ 回 、素 敵 な 女 性 に た く さ ん 出 会 い ま し た 。 れ て い ま す 。そ の 主 体 は 女 性 た ち で す 。今 な ネ ッ ト ワ ー ク を 形 成 し 、訪 問 客 を 受 け 入 互 い に で き る こ と を 協 力 し 合 う 、し な や か ました。重ねて感謝申し上げます。 眼的に地域発展の実情を学ぶことができ や 行 政 の 視 点 や 知 見 を 学 ぶ こ と で 、よ り 複 講 座 で 講 師 を し て く だ さ い ま し た 。N P O 子 さ ん 、赤 田 有 佳 さ ん も 、あ き た 県 庁 出 前 て い た だ き ま し た 。ま た 秋 田 県 庁 の 武 藤 正 施 に 向 け た 仲 介 と 、本 学 で の 特 別 講 義 を し に は 、西 木 地 域 で の フ ィ ー ル ド ワ ー ク の 実 おわりに わ ず 声 が 出 ま し た。「 な ん て 美 し い ん だ ろ 幸せです。 い て 、か わ い そ う に 」 と 、あ る 方 が 扇 子 を し て 説 明 す る 私 に、「 先 生、 そ ん な に 汗 か 仲 の 良 さ が 分 か り ま し た 。資 料 に 目 を 落 と た ち は 、笑 顔 と 同 じ 空 気 を ま と い 、す ぐ に 仙北市役所西木庁舎の一室に現れた女性 特色を活かした体験をご準備くださいま 郷 土 料 理 づ く り な ど 、農 家 民 宿 そ れ ぞ れ の 家 民 宿 の 方 々 に お 任 せ し ま し た 。農 作 業 や す 。 一 泊 二 日 の ス ケ ジ ュ ー ル は す べ て 、農 宿 経 営 者 の み な さ ん は 、農 村 交 流 の プ ロ で ま に は 、心 よ り 感 謝 申 し 上 げ ま す 。 農 家 民 の 方 々 、及 び N P O や 行 政 関 係 者 の み な さ 授業にご協力いただいた四軒の農家民宿 これからも開かれた大学教育づくりに専 しまわれることを願っています。 い ま す が 、一 つ の 知 見 と し て 、各 自 の 中 に づ き が 、す ぐ に 活 か さ れ る こ と は な い と 思 レ ポ ー ト を 作 り 上 げ ま し た 。本 授 業 で の 気 参 加 し て 、最 後 に は 各 自 が 個 性 的 な 発 表 や と 思 い ま す 。 そ れ ぞ れ の や り 方 で 、授 業 に で 、チ ー ム ワ ー ク を 育 む こ と も 大 変 だ っ た た 。 そ し て 学 生 の み な さ ん は 、学 年 も 様 々 をするうえで多くの協力をいただきまし 最後になりましたが、本学職員には授業 う。」 緊 張 の な か で、 強 く 感 動 し た の を 覚 貸 し て く れ ま し た 。驚 い て 顔 を 上 げ る と 、 し た 。 何 よ り 授 業 の 目 的 を 理 解 し て 、学 生 念 し て い き た い と 思 っ て お り ま す 。今 後 と え て い ま す 。美 し い 景 観 を 作 り あ げ た 地 域 た く さ ん の 笑 顔 に 包 ま れ ま し た 。緊 張 が 安 に 向 き 合 い 、じ っ く り お 話 し を し て く だ さ もみなさまのご指導ご鞭撻をいただけま 秋田県のなかで西木地域は、グリーン・ 住民の息遣いを感じたからです。 心に変わった瞬間でした。 い ま し た 。学 生 に と っ て 忘 れ が た い 学 び に すようお願い申し上げます。 また秋田花まるっグリーン・ツーリズム 椙本歩美 平成二十六年三月一日 なったと信じております。 数 も 突 出 し て お り 、毎 年 多 く の 農 業 体 験 や 推 進 協 議 会 の 藤 原 絹 子 さ ん 、柴 田 桂 子 さ ん ツ ー リ ズ ム で 有 名 な 地 域 で す 。農 家 民 宿 の 農 村 交 流 を 受 け 入 れ て い ま す 。メ ン バ ー は おわりに 59 参加者一覧(敬称略、五十音順) 農家民宿:語り手 国際教養大学教員 国際教養大学事務局 椙本歩美 星雪館:門脇征志・昭子・富士美 教務課教育推進プロジェクトチーム 里の灯:佐藤二郎・由井 泰山堂:藤井けい子 秋田県観光文化スポーツ部 地域協力者 国際教養大学学生 赤田有佳 のどか:髙橋由希子・佳子 倉田あかり 武藤正子 グリーン・ツーリズム推進協議会 特定非営利活動法人秋田花まるっ 小菅葉月 小林まりか 栄利美波 藤原絹子 杉村優芽 柴田桂子 グリーン・ツーリズム西木研究会みなさま 田中風夢 佐藤歩 鳥山遥夏 鶴田斗希生 森島夢実 藤田崇弘 西尾加奈 福間寛子 安田幾磨 和田龍之助 60 Scientific & Technical, Chapter 1& 2 What are common characteristics of researchers as an outsider? What biases, which make difficult to understand local community, do researchers have? Week 10: Qualitative Data Gathering Reading Assignment: David A. Snow, Leon Andersonand Lyn H. Lofland 2005 Analyzing Social Settings: A Guide to Qualitative Observation and Analysis 4th edition. Wadsworth Publishing Company, Chapter 1, 2, 5 What are goals of data gathering by field work? What information can we gather by participatory observation and intensive interview? How should we record in a field note? Video Field Work: Practice making a field note Week 11: Understand Community through Life Stories Reading Assignment: Ayumi Sugimoto ed. 2012, 2013 Spring, and 2013 Fall, Farmer’s Life Stories in Akita, AIU PBL Report What kind of information can we gather through life stories? What are strength and weakness of qualitative data gathering? Group Work: Make your friend’s life story Group Work: Preparation for field work “Making research plan and questionnaire” Schedule of field work. Grouping and allotting informants to groups. Group Work for preparing field research. Presentation of a proposal for field work. Week 12: Fieldwork (Nov 22 Sat and 23 Sun) Activities: Life story interview Place: Farmer’s Inn in Senboku sity 星雪館 門脇富士美さん 里の灯 佐藤由井さん のどか 髙橋由希子さん 泰山堂 藤井けい子さん Week 13: Preparation for presentation No Reading Assignment Group Work: Preparing Power Point presentation and 2 minutes Video Week 14: Final Presentation(Dec 6 Sat) No Reading Assignment Group Work: Presentation on “What is community development” from a case of informant’s life story Week 15: Synthesis & Conclusion (Dec 15 Mon is the last class) No Reading Assignment 61 付録 Community Development: Theory, Practice and Service-Learning, SAGE, Chapter 3, 7 Finding and creating new resources from the nature Role of conflicts within communities Week 4: Approach of Community Development Reading Assignment: Jerry W. Robinson, Jr. and Gary Paul Green eds. 2001 Introduction to Community Development: Theory, Practice and Service-Learning, SAGE, Chapter 4, 5, 6 Three approaches for community development Group Work: Sort cases out again by using three approaches Week 5: Problem of Present Japanese Community Reading Assignment: John W. Traphagan and John Knight eds. 2003 Demographic Change and the Family in Japan’s Aging Society, State University of New York Press, Chapter 1, 2 How Japanese family and living arrangement does gap between city and rural community in Japan emerge? What are the problems of Japanese demographic change? Group Work: Demographic changes in students’ hometown (Work sheets will be provided by instructor in advance.) Week 6: Reinventing Japanese Rural Community 1 Reading Assignment: Peter Matanle et al. Japan’s Shrinking Regions in the 21st Century, Cambria Press, Chapter 9 Video: “Fula Girl” Current Practice in Tourism Discussion on potentials and difficulties of rural community development Week 7: Reinventing Japanese Rural Community 2 Reading Assignment: Peter Matanle et al. Japan’s Shrinking Regions in the 21st Century, Cambria Press, Chapter 10 Theoretical Potentials Week 8: Guest Speakers; Community Development & Green Tourism in Akita Reading Assignment: Guest Speaker’s materials Guest Speaker 1: Akita Prefectural officer(Oct 20) Guest Speaker 2: NPO Akita Hanamaru Green Tourism Campaign Council, and Ms. Fujimi Kadowaki(Oct 22) Green tourism and local entrepreneurs of Akita Prefecture. What supports Akita Prefecture and NPO have done? What are roles of the local government and NPO? Unit II: Fieldwork Methods & Describing Life Stories Week 9: Bias of Researcher as an Outsider Reading Assignment: Robert Chambers 1983 Rural Development: Putting the Last First. Longman 62 Peter Matanle et al. Japan’s Shrinking Regions in the 21st Century, Cambria Press, Chapter 9 & 10 David A. Snow, Leon Andersonand Lyn H. Lofland 2005 Analyzing Social Settings: A Guide to Qualitative Observation and Analysis 4th edition. Wadsworth Publishing Company, Chapter 1, 2, 5 Robert Chambers 1983 Rural Development: Putting the Last First. Longman Scientific & Technical, Chapter 1, 2 Ayumi Sugimoto ed. 2012, 2013 Spring, and 2013 Fall, Farmer’s Life Stories in Akita, AIU PBL Report Grading Components: Worksheets and class contribution(20%) 1 Presentation on reading material with a handout(20%) 1 Group video presentation of life story(20%) 1 Group essay on life story in English and Japanese(20%) 1 Individual report on field work findings in English and Japanese(20%) * This course has a strict attendance policy: Students who have more than 5 days of unexcused absences in a semester may fail to make the grade. Class Schedule: Each class shall be carried out students’ presentations and group works based on the reading assignment, and two days fieldwork. Presentations will be given using multimedia materials, such as Power Point presentation and videos, and work sheets which lead students’ group discussion. All students will make presentations on the points and the questions of reading assignment with a handout. For the field research, students will study methodologies and prepare research proposals. Finally, after the fieldwork students will make group presentations, and individual and group reports on their findings Unit I: Perspectives on Community Development Week 1: Introduction Overview of the class Syllabus Review Instructor’s fieldwork experiences Group Work: Working with groups and facilitation skills Week 2: Definition of Community Development Reading Assignment: Jerry W. Robinson, Jr. and Gary Paul Green eds. 2001 Introduction to Community Development: Theory, Practice and Service-Learning, SAGE, Chapter 1, 2 Definitions of community and community development Historical review of community development Week 3: Practice of Community Development Reading Assignment: Jerry W. Robinson, Jr. and Gary Paul Green eds. 2001 Introduction to 63 付録 付録 Attachment 授業シラバス Syllabus SOC285 Semester: Fall Community Development(3 Credits) Class Room: D201 Meeting times: M&W 10:30-11:45 Instructor: Ayumi SUGIMOTO Office: A3-10 Office hours: Mon. 17:00-19:00, Wed. 17:00-19:00 E-mail: [email protected] Phone: 5958 Course Description: This course is designed to introduce students to community development studies and practical field research. Community development is a field science which is necessary to understand complex local situation and find the potential from a local reality. The course is divided into two parts to understand 1)theories and case studies of community development and 2)realities of community development in rural Akita through field research. Students will conduct field study in rural Akita to understand “What is development?” from local people’s point of view by participatory observation and key informant interview with local people and governmental officers. We will focus on their life stories to achieve the question. Finally, students will make videos of their life stories, and submit group and individual reports on their findings. * Students need to prepare the expense for a fieldwork. * Group and individual reports will be written in both English and Japanese, and will be uploaded on the AIU web site. * This course is one of the PBL preparation classes. Objectives: Through this class students are expected 1)to understand basic theories and case studies on community development, 2)to acquire communication and presentation skill, and 3)to find local potentials, problems and solutions by analyzing qualitative data(key informants’ life stories) through field research. Class Materials: Jerry W. Robinson, Jr. and Gary Paul Green eds. 2001 Introduction to Community Development: Theory, Practice and Service-Learning, SAGE, Chpater 1- 7 John W. Traphagan and John Knight eds. 2003 Demographic Change and the Family in Japan’s Aging Society, State University of New York Press 64 the community. Therefore, people coming from urban areas can know that there is a community in which people are connected with each other strongly and also find that a farmer’s inn in a rural area can be a good place to take a rest, being free from their daily life in a city. From Mrs. Sato’s words, I learned that “community development” should be beneficial for people inside of the community and also outside of the community. Although “community development” is beneficial for people inside of the community and outside of the community, it is not effective if the development is not sustainable. For example, my hometown, Nisshin city, is next to Nagakute city, where the Aichi Expo was held in 2005. When the Expo was held, the atmosphere of Nagakute city was really active because of the many people coming from other prefectures, foreign countries, and markets being eager to sell their products. However, a few years later, the vigor of the markets dissipated gradually, and the atmosphere of Nagakute city became the almost same as before the Expo. I think this is clearly contrary to what Mrs. Sato said in the interview. She always said that it is the most important for “community development” to continue “steadily and persistently”, because if the development continues in the short term, the situation of the community would not be improved when we think about future generations. In order to maintain the community for a long time in the future, sustainability should be prioritized first. In this course, I had some readings, discussions, and presentations in the classroom. They all gave me really useful knowledge about the contents of this course. However, only the fieldwork in Nishiki gave me an opportunity to see what is going on in reality, and it was the only way to get reliable information. I think that it was a valuable time to think about what is important for Japanese society today. Referece Robinson, Jerry W. Jr. and Green, Gary Paul eds. (2001). Introduction to Community Development: Theory, Practice and Service-Learning, SAGE, Chapters 1 & 2. 65 付録 not be produced into the only person who actually had experiences through the activities, but into other people, regardless of their gender, generation, and hometown. I thought that even though people do not contribute to the development of the community through migration and so forth, just telling some stories of their experiences in the community, and adapting them for their hometown, would be connected to the development of other communities, which might be one way to develop community. Therefore, Akita green tourism could play an important role in having an influence, on not only the development in the Nishiki community, but also in other’s communities. What Sato-no-Akari Tells its Guests Yumemi Morishima Before taking this course, “Community Development”, I had thought that I could not live in a rural area where the main source of income is from agriculture. I had not expected that I would take this course, in which students have to go to a farming area, stay at a farmer’s inn, and even experience farming, because I had no interest in farming, whatsoever. However, I happened to take this course because my friend, who had visited another farming village in Akita, strongly recommended it. Also, staying at a farmer’s inn seemed to be fun just because there are no farmer’s inns in my hometown. At the beginning of the class, I was just looking forward to staying at a farmer’s inn and eating local food there. However, as a result, I could learn many things at Sato-no-Akari(里の灯), which is a farmer’s inn managed by Mr. and Mrs. Sato in Nishiki, Senboku city. Mr. and Mrs. Sato grow various vegetables, fruits, and rice throughout the year on their own farm, where we can comfortably feel the sunlight. In my experience, this was the first time to stay at a farmer’s inn and experience a farmer’s life surrounded by such beautiful nature. The experience at Sato-no-Akari told me what is important for today's Japanese people to develop communities. I was impressed by Mrs. Sato words, which explained how the owners of farmer’s inns learn from their guests. Mrs. Sato said that she noticed for the first time that she is living in a really nice place where she can have clean water, see the beautiful starry sky when she looks up, and also the atmosphere is not polluted by the exhaust gas that a city has, when she heard the guests’ impressions. It means that through the interchanges with people coming from urban areas such as Tokyo, they can find that they are blessed with the beautiful nature again. Also, they can feel different cultures and perspectives from interchanges with people coming from foreign countries. On the other hand, of course the guests coming to Sato-no-Akari learn important things when they visit the farmer’s inn which is far from their hometown. I think the most important thing they learn there is that there is a place where people can feel the warm hearts of other people. In a community in Tokyo and other big cities, there are not strong ties with their neighbours, because many people living in Tokyo come from other prefectures to find a job and they have weaker attachments to the city. However in Nishiki, people in the community have to help with each other, because there is a limited number of people, and each of them seems to have a responsibility to save the community of their own hometown. Also they are motivated to maintain 66 It is a fact that running a farmer’s inn in addition to agriculture is very tough. The first questions that came to mind before I visited there were, “What makes them continue to work as both farmers and owners of a farmer’s inn?”, and, “What is the motivation, or what is the purpose of participating in green tourism?”. Mrs. Sato told me again and again that she has had more opportunities to see different visitors since she opened her farmer’s inn. These days, not only Japanese people, but also many foreigners, visit Sato-no-Akari. Although it would be difficult for farmers to go travelling, seeing and talking with them about different cultures makes her feel as if she went to those countries. It is not just the chance to know cross-cultural understanding. There are many factors which give her different feelings through a daily life as a farmer. Thus, for her, encountering new people is the motivation to keep on both works. She told me the story of a student who was not able to go to school. She felt anxiety because this was the first time for her to accept this kind of student. They were the same nationality, of course, but there were many differences between them, such as generation, gender, and hometown. He was one person who encouraged her motivation. In contrast to her anxiety, he seemed to enjoy his stay in Sato-noAkari with other classmates, doing agricultural activities. His parents suddenly visited Sato-noAkari one year later, and his father burst into crying as soon as he saw Mr. and Mrs. Sato. It was astonishing for her that the student had decided to go to school again after he had experienced a farm stay there. On the other hand, she saw a student who had some emotional trauma from his school life. He was bullied when he was in elementary school, and then he moved to another school. He did not seem to be bullied in the new school, and got along with his friends. When Mr. Sato asked the students to help him cultivate the field, the student suddenly burst into tears. What changed the student’s mind and what impressed him? In the urban city, there is a tendency that the relationships between people have grown weaker and weaker. There are few opportunities to get in touch with nature. Almost all the people have some emotional damage, like bullying or the divorce of their parents, which would generate a feeling of distance between people. It would be also difficult to ask them about every detail, because it would make an impolite impression rather than build a close relationship, in the case of Japan. After all, no one would know the reason for that, but this became a memorable experience not for the student, but also for his family and Mr. and Mrs. Sato. While community development literally means, “a process designed to create conditions of economic and social progress for the whole community with its active participation and fullest possible reliance upon the community’s initiative”(Carey, 1979), what I learned from this fieldwork is that this would not hold in every communities. In order to vitalize the community, the local people think the way to attract more people to their area is by providing them with unique activities which use a wealth of nature. Through the interview with Mr. and Mrs. Sato, however, I felt that community development is not in the community. It would be something that spreads from person to person throughout the community. As with the story Mrs. Sato told us, a student, who was unable to go to school, changed his mind and decided to go to school again after he had an experience in Sato-no-Akari. This is because he would have something impressed at the bottom of his heart. Also, his parents realized the changes in their son after he came back to Tokyo, his hometown, because they were surprised at his changes, both physically and psychologically. Moreover, Mr. and Mrs. Sato will never forget this experience or this story. While we were not acquainted with the student and his family at all, we were also moved and impressed while Mrs. Sato told us the story. Like this, something important, which is felt in each mind, would 67 付録 farmers are doing the project and the others do not do these things. I asked the reason why to Mr. Sato. He told me that it would be because of the period in which they started the project, though that is just Mr. Sato’s guess and I cannot say that it is quite reliable information. For sure, to start something with people who had already started it a long time ago, can be very hard to do. Therefore, they should think about how they can involve other people. Also today, depopulation is accelerating and the powers of local communities are getting weaker. We need to cope with these problems as soon as possible. Yet, we should not forget what is actually necessary and we should never seek only economic improvement. If we can enrich human relationships with a sustainable pace and rhythm, then in the long term, the situation will be better and the ratio of happy people in the community would much higher than in the big cities in Japan. Humanity ? it is the most important element for community development. Community Development Beyond the Boundary Yume Sugimura “Community Development” – Hakodate City, my hometown in Hokkaido, is the first image that comes to my mind when I hear this term. Hakodate is known as one of the biggest cities in Hokkaido, which has a population of around three hundred thousand people. These days, however, it has serious problems of depopulation, caused by an out-migration of young people and an aging population. A shinkansen route will begin operation to Hakodate in spring of 2015; will this make it possible to develop Hakodate? Of course, there would be some expectation that it will increase employment and tourism there, because its operation makes it easier to access Hakodate, and the city can make use of this opportunity to introduce itself. However, it might also cause the issue of a straw effect, which is the phenomenon in which a city repeatedly develops and goes into a decline because of the convenience of its traffic network. This is because it also allows local people to go outside more easily at the same time. In order to become prosperous again, I had to pursue the question, “What is community development?”. This time, the reason why I took this course this semester was to find a clue to solving what development is in a community which has already developed, like Hakodate. Also, in this class, I had one fieldwork which gave me the opportunity to understand the reality of a community by visiting a farmer’s inn in Nishiki town. Nishiki is one of the towns in Senboku city, which includes Kakunodate and Tazawako town, which are famous for their historical properties. I was interested in Nishiki’s green tourism because Hakodate is also famous for tourism and has thrived because of it. I visited Sato-no-Akari, which is run by Mr. and Mrs. Sato. Our interview with them revealed their motivations when running a farmer’s inn at the same time as working as farmers. The definition of community development is, “networks of actors engaged in activities through associations in a place(Wilkinson, 1991). Before I learned about community development in this class, the image of it was that it raises the living standards, or encourages an area to develop in order to attract more people. This fieldwork, however, allowed me to realize that this notion was quite different from the real community. The following is an explanation of what community development is though our interview with Mr. and Mrs. Sato. 68 it was little bit difficult to understand what they were talking about. However, they made us happy and relaxed. How did this happen? I believe that it was because of their hospitality. Though there was some difficulty in sharing the experience through verbal communication, it was not a big problem. According to Mr. Sato, he often has guests from foreign countries. He cannot speak English, but he feels that these guests really enjoyed their time at Sato no Akari. Language does not matter for them. Their humanity touches visitors’ hearts. This was a thought-provoking fact for me. In an interview, Mrs. Sato was talking about how community development should be. She said that community development is a development of human relationships and that it is absolutely not about economic development. When I asked her whether running a farmer’s inn was profitable for them or not, she said the following: “If we can earn enough money to continue to run the farmer's inn, it is fine with us. I don’t think that I want to be rich. I just want to keep on doing this job.” However, doing agriculture and running a farmer’s inn at the same time must be very hard, and there is no monetary incentive for them to do so. What makes them do such a hard thing? Their motivation to continue their farmer’s inn is to meet various people. Through the communication with many people who have different backgrounds, Mr. and Mrs. Sato can learn a lot of things and widen the boundaries of their world. Mrs. Sato expressed that Green Tourism, which is a project for stimulating community development, is something that makes human relationships better and warmer, and people’s lives and the community itself become enriched. “Building warm relationships with other people and making a community better”. This is the definition of community development for Mr. and Mrs. Sato. I will now discuss the action plan for implementing community development that was mentioned above. As I said, in this paper, community development is defined as something about human relationships. Then, how can we attract people? According to Robinson, “Organizers can enhance their efforts by constructing new visions of the local landscape”(2001). For example, traditional festivals can be used to do this. Therefore, local people need to find their region’s resources. Identifying these resources can be achieved by outsiders. Mrs. Sato was also talking about outsiders. Here, outsiders basically means guests from other places. By communicating with them, Mr. and Mrs. Sato can find resources that their region originally had, but which they as locals, did not recognise. After this process, people need to brand their resources in order to attract other people with them. However, there is one thing that we should take into consideration. Matanle said the following: “This need not be predicated on a growth-first orientation; rather, the first priority should be focusing on the attribute itself and concentrating on its conservation and deployment as a local marker.”(2011). Mrs. Sato was talking about exactly same thing. “Hosoku Nagaku”, that is what she said. It means to continue something without any outstanding improvements or change. However, I believe that it is a very important issue. Just doing a thing without any change is very ideal for keeping it. We should think as if the outcome of community development will be felt in the long term. Therefore, at least we have to continue something for a long time. It can be summarized as follows. At the beginning, local people need to find their resources through outsiders. And then, they make them accessible and attractive to people who are living other areas. Finally, they have to try to continue the action without stopping. That would be the best action plan for community development. However, sometimes it is very difficult to share ideas. “Communication-based conflict is more prevalent around complex issues and in situations where emotions run high”(Robinson, 2001). As he said, not everyone is willing to do such kinds of things. In the case of Nishiki, only several 69 付録 References Chambers, R.(1984). Rural Development. London: Longman. Matanle, P., & Rausch, A.(2011). Japan's Shrinking Regions in the 21st Century. Amherst, N.Y.: Cambria Press. Muto, M.(2014). Akita-ken ni okeru kanko-shinko no hensen, genjo, kadai. Lecture, Akita International University. Robinson, J., & Green, G.(2011). Introduction to Community Development. Los Angeles: SAGE. What is Community Development? Tokio Tsuruta Nowadays, we can find many local areas that have serious problems in maintaining their communities. There are various types of problems, including depopulation, bad economic situations, and an aging society. The mass media mentions how emergent the situation is. As a result, the importance of community development is penetrating people’s awareness. Also in Japan, President Abe has been trying to revitalize Japanese local communities. However, I guess that most people do not know the exact meanings of ‘community’ and ‘community development’. There are many different concepts of community development. Therefore, before we discuss the matter, we first need to understand “what influential community development is in Japan”. In this paper, I will introduce what I actually learnt through my classes and experiences in fieldwork. The differences between textbooks and real situations are quite useful when people think about how they will act to revitalize a community, though it is hard to say this solution would be effective for all problems. First, I will examine the definition of community and community development. Then, I will analyze essential factors for community development. Finally, I will sum up these things and propose action for solving some of the problems that local communities may have. The word “community” - what does it actually mean? This question is very important for thinking about community development, because the direction will strongly depend on whether people define a community as a cluster of people who are living in the same area, or as a cluster of people who are gathering to achieve certain goals. In this paper, community is defined as a set of people who are living in the same area, since today’s issue of community is basically about the gap between urban cities and rural villages, it means a geographical matter. Also the textbook mentioned that the concept of community is “a geographically defined place where people interact with each other and have psychological ties with each other and the place in which they live”(Robinson, 2001). Then, we need to set a definition of community development to discuss this problem efficiently. This time, we visited Nishiki cho in Akita prefecture. This area was filled with astonishing nature and people are able to spend precious time there to relax there. We stayed at Sato no Akari, which is a farmer’s inn run by Mr. and Mrs. Sato. Through this experience, I was able to have heartwarming communication that would never be able to be felt in an urban life. Mr. and Mrs. Sato treated us as if we were their grandchildren. Since they were using Akita dialect, sometimes 70 for outsiders from urban areas to become accustomed to without awkwardness, visitors to Seisetsukan feel, according to Shoko-san and Seiji-san, relaxed, comfortable, and as if they were home in their original hometown. When I compare this situation and the theories we learned in the classroom, this special feature of Seisetsukan can be described as the relationship between outsiders and insiders. Outsiders’ common, general interactions with insiders is thought to be brief, hurried, or rough, because outsiders and insiders’ lives are largely different(Chambers, 1984). In Seisetsukan, such a gap between the outsiders, or the visitors and the insiders, or the farmer’s inn owners is barely observed. In other words, Seisetsukan successfully obliterates the invisible obstacles between outsiders and insiders. Seiji-san pointed out this feature of Seisetsukan, stating, “We make human harmony.” Also, Shoko-san mentioned that she is grateful for the chances to meet people from outside, who share different cultures and languages. This paper has hitherto discussed the positive aspects of green tourism and farmer’s inns; however, there are also disadvantages and limitations of green tourism. That is, farmer’s inns are incapable of accommodating a large number of visitors. Farmer’s inns commonly limit the number of guests per stay to approximately five people, due to the size of the building and the inability to manage a larger number of guests. Also, some farmer’s inns, including Seisetsukan, are only open over the weekend, as the owners need focus on their major labor, farming. In short, it is highly difficult for farmer’s inns to form quantitave tourism. That being said, green tourism can also be a gateway for larger influences. A farmer’s inn owner interviewed in the previous year through this course(Community Development)referred to tourism as “seeding”. He explained that tourism can encourage the advancement of other, different fields. In fact, the Nishiki area once accepted a hundred school trip students from South Korea. This obviously means that one hundred students and several faculty members took a plane, used tourists’ buses to come to the Nishiki area, went to other places in Akita, and possibly purchased countless souvenirs. The farmer’s inns in Nishiki, thus, unquestionably created a notable economic influence. Another aspect of influence that green tourism has caused in the Nishiki area is the improvement of communication within the community. While admitting that the Nishiki area has been relatively small in scope, Shoko-san also happily added that they are able to gain the chance to communicate with the other members in the community, thanks to gatherings for their work as farmer’s inn owners. The creation of farmer’s inns in the Nishiki area therefore has enhanced the communication occurring inside the community as well. A relatively new form of tourism, the farmer’s inn, has overcome the cultural and language barriers via sincere, face-to-face communication, taking place on a small scale of only several people. This small group of people, through genuine communication, is able to create human harmony. The creation of human harmony is not only formed in the communication between outsiders and insiders, but also among the local community members. Although the number of guests that can be accommodated is limited to a small number, thanks to the smallscale and service of high-quality, the number of annual visitors from inside and outside of Japan shall increase even more. And the sequence of increased visitors will doubtlessly result in a larger economic influence. As mentioned several times, green tourism farmer’s inns would not be successful if it was not for the unique human resources, who share their lives with the visitors in such a straightforward way. Just like vegetables that have just been harvested are fresh and delicious, an intact experience of farming must be truly fresh and of high-quality. 71 付録 the contents of two different farmer’s inns shall never be the same: different people have varied backgrounds to share with their customers. The uniqueness of the farmer’s inn owners stems from their life experience, age, gender, labor, and every single feature they characteristically show. In the case of the Kadowakis, Seiji-san and Shoko-san were born in different places: Karafuto Island and the Tozawa area in Akita prefecture, but after they met, they have worked together as farmers for virtually their entire married life. They used to only harvest rice, yet they also began greenhouse farming in 1985. They have made much effort to sustain and enjoy their lives, opening a farmer’s inn and welcoming foreign tourists. Not only do they have such a distinctive and unique life story, but the Kadowakis are able to share their lives and themselves with the visitors. Now it has been made apparent that the owners of farmer’s inns have their own life stories to share with their customers, but how do visitors perceive and absorb such experiences? A simple response toward this question is: the visitors straightforwardly jump into the farmers’ lives. This unedited, direct means of experiencing is another significant point of green tourism, in addition to human resources. In some other tourism forms, slight changes in the resources are inevitable. This change of resource is exemplified by Tsugaru nuri lacquerware. When Tsugaru nuri lacquerware was about to become a famous tourism resource, a discussion over two sides of promotion occurred(Matanle & Rausch, 2011). One side claimed the importance of overall place association, the uniformity of Tsugaru nuri lacquerware, while the opposite emphasized the value of each craftsman’s independent approach, so their artwork “could be fully distinguished from that of rivals”(Matanle & Rausch, 2011). Although this argument was settled by the introduction of both promotion strategies(Matanle & Rausch, 2011), it is undeniable that some of the original and unique lacquerware culture was forced to be made uniform in one standardized way. Unlike this case of Tsugaru nuri lacquerware, farmer’s inn owners do not need to change what they offer to the visitors from their usual style. Seiji-san, in fact, revealed that one thing to which he pays much attention when welcoming visitors is, acting and behaving in his ordinary way so that his customers will be able to find their own interests hidden in the farmer’s life and enjoy their stay according to their own concerns. This intact adventure of farmer’s life enables the visitors to experience and absorb the unchanged farmer’s life. Besides the absolutely unique human resources and visitors’ straightforward experiences of farmer’s life, another significant aspect of farmer’s inns is the universally enjoyable environment. More frankly speaking, the farmer’s inn owners, at least everyone in Seisetsukan, certainly does overcome cultural and language barriers; thus, anyone from any place in the world is welcome to Seisetsukan and is able to enjoy the farmer’s place. It can be clearly said that a major concern in tourism regarding bringing in customers from overseas is language and cultural barriers. So as to approve the difficulty of this issue, in her lecture, a member from the Domestic Tourism section of the Akita Prefectural government, Ms. Muto,(2014)declared that they are in need of translators of diverse languages, as currently, Akita prefecture is actively welcoming tourists from foreign countries, such as Taiwan or Thailand. In such a large scale as a prefecture, the preparation of translators and pre-understanding of the customers’ cultures seems to be essential. In contrast, small-scale tourist operators such as Seisetsukan, are capable of overcoming cultural and language differences through deep and genuine, face-to-face communication. This specialty of Seisetsukan is not only applicable to non-Japanese visitors, but also to Japanese people from outer areas. Although the Nishiki area is such a remote and rural region that seems to be difficult 72 the countryside, they do not know a life surrounded by many warm neighbors, where all of them are living together. If Seisetsukan was opened during the time when stem families were common, it might not have been spotlighted as much as it is now. During a time where the countryside is becoming a longing for many people in cities, Seisetsukan is offering modern people an opportunity to relax themselves in a furusato. Beyond the Cultural & Language Barriers Tatsunosuke Wada The concept of green tourism is believed to have originated in Europe some several decades ago. This idea has recently been accepted and focused on in Japan. Various regions in Japan today seem to attempt to draw tourists’ attention using this rather new type of tourism. Akita prefecture, in the Tohoku region, is in fact, the pioneer of green tourism in Japan, and has been leading this industry with its high-quality tourism. One of the most active green tourism areas in Akita prefecture is the Nishiki area in Senboku city, where the oldest farmer’s inns are located. The author visited one of the farmer’s inns in the area, Seisetsukan, which is managed by the Kadowakis. Through first-hand experience, the author learned the farmer’s inn owners’ unique perspectives and opinions concerning green tourism, and has derived the key concept of this new tourism style. That is, green tourism only stands when the manager of a green tourism institution naturally shares their life with the customers. In other words, the visitors to farmer’s inns are to become part of the owner’s life. Furthermore, such farmer’s inns, which are considered to be communities of place(a geographically defined community), are capable of creating communities of interest(a psychologically defined community). This paper is going to discuss the key features of green tourism and evaluate the possibilities of farmer’s inns, mainly focusing on the author’s experience at Seisetsukan. Before going into the discussion and evaluation regarding green tourism and farmer’s inns, the clarification of the two different concepts of community should be provided. According to Robinson and Green(2011), a community of place is a geographically defined concept; in such a community, people share “local issues, such as education, housing, health, and jobs” as their common concerns for the community. This sense of community has lately become weaker following the rise of the idea of individuality, yet local communities still sustain their relations when it comes to the solution of local issues(Robinson & Green, 2011). On the other hand, a community of interest can be defined as “a group of residents who have common hobbies or interests”(Robinson & Green, 2011); thus, the members of a community of interest share psychological bonds with each other. Robinson and Green(2011)argued that community development mainly occurs under the concept of community of place, but not community of interest. This paper is, however, going to challenge this idea and present how green tourism expands community development from the community of place even to the community of interest. To begin the discussion, for someone to be able share their life with others in green tourism, there first needs to be human resources. One obvious but remarkable feature about this literally living resource, is that each human is unique and different from one another. Therefore, 73 付録 in cities cannot always find new and exiting situations. Whereas the owners of Seisetsukan can use their time freely, business people in cities cannot. To put it simply, the different atmosphere in cities and the countryside, comes from the difference in whether they are working in jobs which provide enough time and space to use one’s mind actively. Thus, people in a countryside area who are working in jobs with enough time can be flexible with their schedules, and this consequently creates a relaxing atmosphere combined with rich nature. This can be a reason why green tourism has gathered much attention both from Japan and overseas. When we say one place is urban or rural, our evaluation is based on what the place visually seems like; if you can see many fields and several houses scattered around with tiled roofs, trains with small number of carriages, which run only several times a day, and no people or buildings around, you can conclude that the place is rural. For urban areas, if you can see many buildings, people, and cars concentrated messily, and if the biggest station in that area has stops for shinkansen, you can conclude that area as urban. By and large, we depend on those stereotyped images to figure out whether one place is rural or urban. But why, first of all, are there rural and urban areas in Japan? What makes rural areas rural and urban areas urban? I think the notion of rural and urban came out of the change in family structure and has been becoming more and more important recently, as we can see from the fact that Seisetsukan is now catching attention from people living in urban areas. Stem families still remained popular at the beginning of the 21st century(Traphagan, 2000), but the rate of stem families has decreased in these some fifteen years. Even though many of them were forced to disestablish under the occupation of GHQ(Kawabe & Shimizu, 1994)at the beginning of the 21st century, intergenerational ties were still so strong that many people preferred to raise their children near, or with, their parents. However, within these some fifteen years, the number of nuclear families has increased. This increased tendency of having nuclear style families has made it easy for many people to move out of a community, which results in depopulation in many rural communities, since many young generations are moving out to cities in order to search for jobs. This is causing side problems such as as yomehideri(a shortage of marriageable women)and bachelorhood in rural regions(Traphagan, 2000). Ultimately, as a result of the demographical shifts of young parents moving out to cities, I think people have started to hold the image that the ‘countryside is where grandparents live’. This image has made young generations miss the countryside. In that sense, Seisetsukan has been making good use of this psychological change. This demographical change has also created a longing for furusato, literally the place where people are born and feel a sense of belonging to. In the modern world, however, this word often refers to an imaginary place surrounded by rich nature and mountains, as the famous song, Furusato, describes in its lyrics. Seisetsukan presents the exact Japanese traditional scenery as described in Furusato, and it has been catching attention from many people as the imagined furusato for us. Thus it can be said that green tourism is a business that looks back towards a previous era in Japanese history: where depopulation and bachelorhood in rural areas are occurring, green tourism tries to bring people who were born in cities, back to rural places. The key to understanding successful green tourism is, as Seisetsukan shows in the management of its farmer’s inn, the demographical shift in Japan in which more young generations than before are interested in moving to rural areas. This change has been the causing extinction of furusato and the emergence of a longing for countryside areas. Because many of the younger generations were born in cities where the connections of people are much weaker compared to 74 personally asked Seiji-san and Shoko-san, the owners of Seisetsukan, questions about community development, such as how they perceived green tourism, what their expectations for visitors were (whether they wanted young people who stayed at farmer's inns to open new businesses in rural areas or not), and whether they wanted to promote Akita. However, Seiji-San and Shoko-san were both not sure about those answers. They did not seem to perceive their job as part of community development or promoting Akita. Seiji-san and Shoko-san just love farming and managing a farmer's inn to support visitor's interests or purposes. Chapter 9 of the same book discusses authentic culture and rito(small island)tourism in Okinawa. It states that newcomers are sustaining the authentic traditional culture, while some local people claim that the newcomers are changing the rito’s traditional culture. In my opinion, this also can be applied to the case of farmer's inns. Since the visitors, who are considered to be newcomers, visit farmer's inns and enjoy experiencing the farmer's lifestyle and warmth, there would be more repeat visitors and new customers through word of mouth from those who have already experienced them and been amazed by their stay. Therefore that increased number of visitors, or outsiders, can lead to sustainable green tourism eventually. In conclusion, my observation of community development was that the owners of the farmer's inns were not really conscious about promoting Akita. It was a good combination of the local government's purpose and farmer's own interests. Dare to be a Furusato--- Attracting those Born in the City Takahiro Fujita Seisetsukan, one of the farm inns in the Nishiki area, is famous for its high-quality green tourism, which provides an opportunity to experience actual rural life in Japan. One interesting aspect of green tourism by Seisetsukan is that, while many industries try to promote the accessibility and convenience of the location, green tourism dares to take advantage of geographical disadvantages among them by choosing countryside areas. This decision has resulted in great fame, not only in Japan, but also around the world as a result. The fact that green tourism is now attracting a wide range of people suggests one implication to us: many people are hoping to gain peace of mind in a quiet countryside setting. When I go to cities, I always feel pressured and tired; overwhelmed by too many people. Not simply the number of people, but the unquiet and dreary atmosphere all around the city makes me feel timid. People there all seem tense and even somewhat edgy. Contrastingly, when I go to the countryside, I always feel relaxed and peaceful, surrounded by rich nature. People in the countryside all seem frank and tranquil, which makes my mind calm as well. But what makes the city and countryside so different from each other? One reason, as the owner of Seisetsukan told me, can be characterized by the style of work. In general, people in cities tend to have the same schedule which they must follow every day, while people in the countryside do not. The two main differences between jobs in the countryside and jobs in cities are motivation and flexibility. While the owners of Seisetsukan, for example, can enjoy having conversations with people from all around the world, business people 75 付録 References Cabinet Office of Japan.(2008)White Paper on the National Lifestyle 2008: Prospects for Consumer Citizenship Toward a Comfortable and Mature Society.(国民生活 白書). Retrieved from http://www5.cao.go.jp/seikatsu/whitepaper/h20/10_pdf/01_honpen/pdf/08sh_0103_01.pdf Chambers, R.(1983.)Rural Development: Putting the Last First. Longman Scientific & Technical, Chapters 1 & 2. Longman. NPO LIFELINK. Retrieved from http://www.lifelink.or.jp/hp/statistics.htm Traphagan, J.W., & Knight, J.(2003). Demographic Change and the Family in Japan’s Aging Society, Chapter 1. New York, NY: State University of New York Press. “What is Community Development?” Minami Sakari The reason why I took this course, the Community Development class, is that not only was it required, but also I thought I would have few chances to visit local areas(other than where my grandparents live)after graduating from Akita International University. From next year, I will finally be a contributing member of society and will be working at a new workplace. Since my goal is to promote Japan to overseas, and mainly focus on increasing the number of Japanese tourists travelling abroad rather than attracting tourists from abroad(inbound tourists), I thought it would be neccesary to learn about the situation of local communities in Japan before focusing on Japanese Tourists travelling abroad. In the beginning of the class, my understanding of community development was that it modernizes and activates a local community or area through its special features, and that people in the local community work very hard to attract young people to the region. However, my understanding towards community development was changed after taking this class. The reality of local people and our expectations were totally different. In Robert Chambers’ 1983 Rural Development: Chapter 1, it discuss six biases: spatial, project, person, season, diplomatic and professional, which make it difficult for outsiders to understand a local community. We, outsiders, means people who are concerned with rural development and are neither rural nor poor. The bias that I had was a project bias. Before visiting the Nishiki area for fieldwork, my concern was mainly with how people were struggling to attract more visitors to visit the Nishiki area. A diplomatic bias can be also included, since I assumed their life to be poor. However, when I actually visited the farmer’s inn, Seisetsukan, I noticed that they were not struggling with these problems that I assumed they were. Rather, it seemed they were just providing opportunities for visitors to relax, eat delicious local foods, and feel the warmth of the rural area and its people. It is the government of the prefecture whose work is eager to promote Akita through green tourism, including farmer’s inns, while those farmers are just happy to welcome visitors and experience farming and their lives together. During the interview, I 76 Figure 3: Relation between unequal income and level of happiness Source : White Paper on the National Life Style 2008 Figure 4: The number of suicide victims and suicide rate in Japan Source : White Paper on the National Life Style 2008 77 付録 Figure 1: Transition of life satisfaction and real GDP in Japan Source : White Paper on the National Life Style 2008 Figure 2: Relation between GDP per capita and level of happiness Source : White Paper on the National Life Style 2008 78 met a lot of visitors, and her interactions with many of them still continue. She has also built new relationships with farmer’s inn owners in the Senboku area, officials in local government, reporters, etc. Those meetings with people and diverse activities would never have occured in her life if she had only done farming. By the way, the happiness level in farming is relatively lower than in other occupations(Otake et al, 2010). One of the reasons why Mrs. Keiko can keep managing Taizando must be because she puts importance on the happiness which she can obtain through her job. Otake et al. also point out that higher job stress leads to lower happiness levels. On the contrary, if you feel that you can control your job or fully exercise your skills, your job stress decreases. Some farmer’s inn owners, including Mrs. Keiko, said that they did not push themselves too much. They know their activities will suffer if their workload becomes more than they can handle. In terms of sustainable community development, individuals should obtain happiness from feeling needed by society, having favorable social relationships, their job meeting their satisfaction, and a stress free lifestyle, especially in terms of work. Japan has established itself as one of the most advanced countries in the world. Our GDP has been smoothly growing after the Second World War, and we have achieved better standards of life. However, in inverse proportion to economic growth, we have been facing declining life satisfaction and an increasing suicide rate. We have finally noticed that physical wealth does not connect to our happiness and sustainable development. From the results of the Akita Destination Campaign, we found that such campaigns to boost the economy that have been implemented by outsiders for a short term period, do not help a community. In order to achieve the sustainability of community development, we have to find a way in which people can simultaneously feel happy. It is important for individuals to be involved in a community and feel joy or responsibility as one of its members. Then, individuals can be active enough to contribute to the community. Without energetic actors, the sustainability of community development cannot be achieved because developing the community is done by people for the sake of themselves. Referring to Mrs. Keiko’s lifestyle, the owner of the first farmers’ inn in Akita, I believe that meeting the happiness level of people is essential for sustainability. There are some key factors for community development: being an essential individual for a community, building good relationships with others, feeling fulfilled by one’s job, and not pushing oneself too hard. 79 付録 to community development? Nowadays, international society has been strengthening a belief that the richness of country cannot be measured with only physical rulers such as people’s incomes, production capacity, or economic potential. The idea of a Gross National Happiness(GNH)was born in order to measure how rich a country is from the perspective of its happiness index. In this paper, I would discuss what factors are needed for sustainable community development, referring to the interview about the life story of Mrs. Keiko Fujii, who is the owner of the first farmer’s inn in Akita, Taizando. I believe that the sustainability of community development is achieved by insiders who cognize themselves as needed by society, have favorable relationships with others, are satisfied with their jobs, and do not get stressed by pushing themselves too hard, especially in their jobs. It has been already revealed that GDP, GNP, or incomes, are not proportional to levels of happiness. Looking at Figure 1, we can see that the Japanese GDP has been smoothly increasing since the 1980s, whereas life satisfaction has been inversely declining. Moreover, as Figures 2 and 3 point out, there is no correlation between GDP or incomes and level of happiness. Otake et al (2010)showed that, in the relation between incomes and happiness levels, a saturation point can be observed: when income surpassed seven million JPY, the level of happiness they felt became lower. Japan is one of the most advanced countries in the world, but this country has been facing a paradox of happiness. Wealth or income which are likely to improve the standard of life, do not actually affect happiness levels. Looking at Figure 4, which shows the suicide rate in Japan from 1978 to 2005, we can find that the number of suicides has increased, even though the country has become richer. Boosting the economy is done for people in order to improve their lives. Nevertheless, if more people feel less happy and eventually commit suicide, how can we evaluate that the community is doing well or is sustainable? It is not until citizens feel happy that we can be blessed with benefits from economic growth or secure in the sustainability of community development. According to Sakamoto(2011), building strong ties among community members is one key factor for increasing GNH in a community. When social networks are weak, people have a lack of opportunities to interact with others. This can easily connect to a sense of isolation. Then it becomes more difficult for people who are excluded from a community at the individual level to contribute to the community as a member or achieve self-realization. Traphagan and Knight(2003)point out that Japan is now an aging society, and family structures have been changing. This has caused an increase in the number of isolated elderly people. If individuals are isolated, then community development would also be harder to de accomplished. Therefore, fulfilling the community itself, for example, family, workplace, local society as a minimum unit, helps community development be sustainable. In a country whose economy has reached the maturational stage, such as Japan, pleasures from social relationships or jobs become more important than income(Otake et al, 2010). Mrs. Keiko says that she does not manage Taizando for the purpose of making a profit. Managing a farmer’s inn is quite tough in terms of remodeling the house, serving meals, protecting privacy etc., so how has she been able to keep doing all of them for 20 years? What kind of job roles can make us feel satisfied about our jobs? As components for influencing job satisfaction, there are factors such as colleagues/bosses, job diversity, and job safety (Otake et al, 2010) . About her colleagues who are engaged in the farmer’s inn business, Mrs. Keiko said, “Aw, it is so fun having such peers!” For her, not only working with them, but also gathering together and chatting is full of fun. Moreover, through Taizando, she has 80 research that can make important contributions to community development(Robinson and Paul, 2001), so that I believe that using pluralism to understand each other’s perspectives will be a key to this case of community development that has occurred in Senboku City. To conclude this paper, I strongly believe that both people in rural communities and administrations who want to practice community development, must understand each other’s demands, and try to compromise with each other. Since local people have been satisfied with their current situation, the administration should not forcibly practice development for their own benefit. On the other hand, I also believe that rural communities should not ignore the issues that they potentially have. These problems are often not a big deal for local people, although they may be considered to be by the administration, but they can often become serious issues for the future. To solve all the questions step by step, I believe that it is so important to compromise with each other to reach solutions interactively, and this is the key of practicing community development and making community development profitable for both the outsiders and insiders of a community. References Chambers, R.(1989). Two Cultures of Outsiders. Rural Development: Putting the Last First.pp. 44. Robinson, Jerry, W. and Green, Gary, P.(2001). Developing Communities Introduction to Community Development: Theory, Practice and Service-Learning, SAGE. pp. 4. Happiness Levels and Sustainable Community Development Marika KOBAYASHI In 2013, the Akita prefectural government and Japan Railway Company (JR) jointly launched a major sightseeing tour campaign named Destination Campaign in order to boost tourism and the economy in Akita. There are two reasons why they took the step of embarking on this campaign. First, the whole of Akita has been stalled with a sense of stagnation due to an economic slump, deteriorating employment situations, and outflow of the young generation, etc. Secondly, the Tohoku area, including Akita, is still being economically damaged by harmful rumors spread at the time of the Great East Japan Earthquake in 2011, especially tourist and accommodation facilities. The campaign was held for three months from October, the beautiful season for autumn foliage, in which the most tourists visit Akita of the year. However, unfortunately, according to officials in local government, we could not see any remarkable outcomes from the campaign. The Akita prefectural government sought to boost the economic situation in Akita. JR also expected a profit from an increased usage of their lines. Both of them mainly focused on obtaining an economic profit and believed that the campaign would help local revitalization or community development at the same time. Chambers(1983)points out that people tend to have urban-based ways of thinking because such cities are more convenient and full of attractive facilities, so community development may easily follow the model of urban cities. However, is boosting only an area’s economic situation, conducted by outsiders after the example of urban cities, a means or an end 81 付録 Individual Report Kazamu Tanaka It has been a long time since the idea of “Community Development” came to be accepted in Japan, and many more rural areas have started trying to make their own communities more accessible and attractive to induce more people from urban areas to visit. Many communities have succeeded in developing the situation and attracting more customers. Running a famer’s inn is one of the best ways to take part in community development in rural areas. In class, we learned about a famer’s inn in Akita, Nodoka, which was picked up as a successful example of this. As we learned through the course, I believed that outsiders who took part in community development would play the greatest role. However, after I visited and did interviews with local people, I noticed that to make the situation in rural communities better, outsiders must take action together with insiders, who know the reality. First of all, I believe that community development will work out only when two essential prerequisites exist together. The first one is that the outsiders deeply understand the realities in a rural community. The second one is that insiders also have incentives to commit to community development. When I heard the words, “Community Development”, for the first time, I thought that it meant that prefectural officers or researchers might do something to develop the situation in rural areas better. Actually, as the prefectural officer who gave us a lecture in the class said, it is essential that these kinds of people take part in practicing community development, because these people can provide more practical approaches, or they might give financial aid. However in the interview we had with community insiders, Keiko-san and Yukiko-san, who are the owners of the famer’s inn Nodoka, and other people around the community, just told us that as for them, they do not really think that intervention for community development is needed. They are actually satisfied with the current situation. After I visited Nodoka, I felt a gap between the administration and the local people in rural areas. It seems that the administration wants to go ahead with community development - they believe that by developing the community, the rural area will become a new market and they would be able to gain more profit from it. In addition, as far as the administration is concerned, it must take the problems in a rural area, such as depopulation or population aging, seriously. Therefore, they might want to solve such problems as soon as possible. On the other hand, people in the rural area put a greater emphasis on taking care of their farms, rather than calling more people into their famer’s inns. However, as Yukiko-san and Keiko-san told us, it is natural for local people to put more importance on farming, because it is the roots and trunk of their life. They also emphasized that they cannot ignore farming and focus on running a famer’s inn. To fill this gap, I believe that the idea of pluralism will be an applicable solution. Pluralism is an ideology based on doubt, puzzlement, and an agnostic openness to evidence and argument. Pluralism also recognizes multiple causation, multiple objectives, and multiple interventions (Chambers, 1983). By applying pluralism, both outsiders and insiders of the community will be able to understand each other’s demands, and try to reach a solution interactively. I believe that the administration should not force local people to participate in rural development if local people have no incentives, or they do not really think that it is necessary. As Yukiko-san and Keikosan told us, farming will naturally be a famer’s priority. On the other hand, it is also true that the administration can provide local people with more beneficial information and methods to make local people’s living better. Outsiders who practice community development would do some 82 in Akita prefecture, and her idea expanded around the area, influencing others to open farmer’ s inns, too. When we asked how she feels about this, she answered instantly, “Well, it is nice to have company!” Mrs. Keiko continued, saying that she likes to gather with the other owners of farmer’s inns, and feels comfortable to be together with them. Even though they live in separate households, they help each other and give advice to each other. She reasons, “We do the same thing, so we share topics to talk about and have similar problems.” Chances are, even before they started their own farmer’s inns, they were close and good companions as farmers. Yet being owners of farmer’s inns, as a new challenge, strengthened their connections further. In this sense, the farmer’s inns have contributed to activating a sense of belonging to the community, and no one would doubt that this is one way to look at community development. As I came to conclude that community development is about people’s connections, rather than economic enhancement, the Nishiki area may contradict outside organizations who regard community development as economic development, for example, the Akita Prefectural Government. The person from the government who came to talk to us, sounded rather businessoriented as she mentioned that Akita Prefecture has launched a Destination Campaign, embracing the farmer’s inns and other green tourism to increase tourists coming into Akita and to revitalize the region. The governmental idea is sound: tourism has the power to develop rural areas. As tourists visit places, have meals and stay nights, they spend money in the region, and the economy would be stimulated(bid p.340-385). Yet in order to achieve economic development through tourism, the region needs an established image with which to attract tourists(Ibid, p.388-421). Local people’s united understanding and cooperation are necessary for this. Without them, the economic improvement of the region would mean nothing to the community. Although the term, “community development,” can be defined in many ways and there is no single answer to the question of what community development is, I believe that at the root of community development, there should always be people’s ties, or a sense of belonging to the community. During our fieldwork, we strongly felt people’s mutual trust and cooperative attitudes. Their sense of belonging to the community made it possible to challenge themselves with running farmer’s inns, and also, these new challenges have strengthened the people’s ties further. Also, the Nishiki area has the potential to aim for further development in the economic sphere if people wish. Surely Nishiki needs to work on areas such as establishing a unique image for the community and increasing the capability of the community to welcome more tourists. As I stated earlier, to succeed in these, local participation and understanding are essential. People’s ties within the community are the core of community development in any sense. Community development is, I define, developing the people’s cooperation and sense of belonging to the community. Reference Jerry W. Robinson, Jr., and Gary Paul Green,(2011) , Introduction to Community Development: Theory, Practice and Service-Learning, London: Sage Publications. 83 付録 members. Although I am still not sure about what community development is, I learned that in community development, connections between people are more important than numbers, statistics or money. Spending a lot of money to advertise Akita as a tourism destination was not the only solution for community development. As stated in the textbook(Robinson & Green, 2001), a community is influenced by its location, as well as the features of its landscapes(p. 51). I think that green tourism in Akita is capitalizing on its feature landscapes and cultures in the community really well. Lastly, through taking this community development course as well as two days at the farmer’s inn, Taizando, I had many opportunities to feel what a great place Akita is and this is what I never realized before. Akita has great potential to develop. So we have to think about how to use Akita’s potential for its revitalization. Reference Robinson, Jerry W., Jr. and Green, Gary Paul eds. 2001. Introduction to Community Development: Theory, Practice and Service-Learning, SAGE, Chapter 1, 3. What Is Community Development? Kana Nishio Community development is defined in broad senses and there is no single perfect definition(Robinson and Green 2011). I would rephrase it as, “the development of the ties between people.” Before I went to the field, my idea was that any community needs economic stimulation to be revitalized, and in order to do so, tourism seemed to be the most suitable way. I looked at community development only through the lens of economy. However, my fieldwork made me realize that what is crucial for the community to develop is the sense of belonging, or people’s ties within the community. One would question whether people’s ties alone will be enough to contribute to the revitalization of a region. This reflection will examine how residents’ cooperation is influential for the community to achieve development. Our informant was Mrs. Keiko Fujii, the owner of Taizando. Since we employed the methodology of life story, most likely, our analysis of the fieldwork is influenced by Mrs. Keiko’s point of view. With this in mind however, her story gave us a new perspective to look at community development. Although some confuse community development with economic development(Ibid), Mrs. Keiko never has thought to make large profits from her farmers’ inn. She used to welcome junior high school students for farming experiences, which she started by chance and continued having fun with, and opened Taizando to welcome the students’ families as well. “This is what my husband and I wanted to do,” she said in the interview. Given this, there was no economic reason for her to start a farmer’s inn. In this perspective, her activity may have had nothing to do with community development. However, it seems that the farmer’s inn made the community more active than it was before, and strengthened the people’s ties within the Nishiki community. Mrs. Keiko was the first one to take up the challenge of opening a farmer’s inn 84 Community Development Individual Paper Hazuki Kosuge I was born and grew up in Yokohama city, Kanagawa prefecture, and coming to Akita was my first time to live outside of my hometown. So when I first came to Akita, I was surprised with the rich nature which Akita has, but at the same time, I thought it was a bit of a boring place, because there was no place to have fun around campus. However, my impression toward Akita has changed after spending three years of my university life here. Ever since I entered Akita International University, I have been trying to know more about Akita through participating in local festivals, community arts, and agricultural experiences and so on. What these experiences taught me was fascination with Akita: great nature, great people and delicious food. This is the reason why I took this Community Development class in the fall semester of 2014, to know more about Akita and Akita’s current situation with community development. “What is community development?” This is actually a really difficult question to answer. In the textbook, the authors Robinson and Green(2001)stated that community development was “a social process involving residents in activities designed to improve their quality of life”(p. 2). Before taking this community development class, my definition of community development was to solve problems in the community to improve it. For example, I thought that farmer’s inns in Akita were operated to draw in tourists from other places to activate Akita’s tourism. However, after taking this course and 2 days of field research, my image toward community development in Akita has changed. During the class, my group members and I went to a farmer’s inn in the Nishiki community named Taizando for field research. The reason why I chose Taizando was because it was the first farmer’s inn in Akita prefecture and I thought it would be interesting to know why its owner, Mrs. Keiko, decided to start a farmer’s inn as a pioneer. What we were assigned to do during this field research was to find out the life story of Mrs. Keiko. As a consequence of this field research, not only did we ask the questions which we had prepared, but also I learned so many things from Mrs. Keiko’s way of thinking about life. When we asked about the background of starting Taizando, Mrs. Keiko looked back and said that it started incidentally. Furthermore, she also said she was not interested in owning a farmer’s inn at first. It was an unexpected answer for me; however, she added that Taizando gave her the most important thing. Mrs. Keiko told us that we do not really know when life will change. For her, life has changed since when she started running Taizando in her 40s. Since then she has had customers from all over the world. For Mrs. Keiko, the purpose of operating Taizando is not about earning money: she does it for her hospitality. Her fascinating personality and hospitality is the reason why Taizando is so popular and gets so many return visitors. During the interview, we asked about the successor issue to Mrs. Keiko and her answer regarding this issue was very surprising, as well as interesting. I thought one of her family members might continue in her footsteps as a successor, but this was not the case. Although Mrs. Keiko has previously felt distressed about this issue, now she says, ‘If we think about the Nishiki community as a family, the number of potential successors is growing.’ It is sad that Taizando might close in the future, but I also understand that there is a growing number of successors for Mrs. Keiko in the Nishiki community. She also mentioned about how close farmers in the Nishiki community are. And maybe this is the reason why green tourism in Nishiki has very good cooperation among its 85 付録 What I Learned From the Class of Community Development Haruka Toriyama At the beginning of this semester, I thought, “This is going to be a good opportunity for me to experience something special from Akita culture.” I was simply interested in what the local aspects of Akita were like. Needless to say, I had no idea of what community development was, or how we should understand the reality of community development. Through this paper, written after taking the course, I will explain about my understanding of what community development is, and how we should face the issues of community development based on the knowledge I acquired in the class and on the field trip. First of all, what I came to understand through the class, the lectures, group work, and the reading materials, is that there are several types of community development, depending on the purpose, method, resources, actors, and so on(Robinson & Green, 2001, Ch.1 & 2). There are a few roles to be played by the people involved, and a few styles for solving different problems based on theories. But the fact we found through the class discussion is that the real cases are not always clear enough to apply these theories. Often, authorities provide distinct definitions to each type of role and style; however, I would rather believe that most of the real cases are partly applicable to multiple categories and theories. Secondly, I learned in the class that there is no absolute answer for the problems of community development. As we discussed in class, there were different opinions even among us, who had just started learning about community development. For instance, depending on the means of development, who enjoys the benefits and how much the benefits would be, are sometimes going to change. On that point, we tended to have different ideas about which parts of the community should be more prioritized. Depending on what aspects and for what purpose we need community development, the answers may vary. Thirdly, through the field study of staying at a farmer’s inn, I realized that the viewpoint of insiders and that of outsiders could be totally different. Before visiting the farmer’s inn, I thought that farmer’s inn businesses could be applying the “self-help approach”(Robinson & Green, 2001, Ch. 5)to develop their community, since the owners of farmer’s inns are insiders of the Nishiki area and are working for the development of Nishiki. But after the visit, it was revealed that I had the wrong idea. As an outsider, I was considering that the farmer’s inn owners were trying to make a new model of touring business to contribute to the development of Nishiki. Yet, in reality, they did not have such an idea at all. The insiders, or the owners, were almost all only thinking about their lives and what lay ahead for themselves. They were having fun running their farmer’s inn. They were just living their lives happily with their fellow residents. They hoped for the development of the Nishiki area indeed, but that was not their main purpose for running their farmer’s inn. Through this course, I learned that there are many ways to recognize community development, and that each problem also has various answers depending on how we analyze it, or for what purpose we act. In addition, we have to be less biased as much as possible as an outsider. We have to look at the reality from the insider’s viewpoints in order to solve the problems for them. Reference Robinson, Jerry W., Jr. and Green, Gary Paul eds. 2001. Introduction to Community Development : Theory, Practice, and Service-Learning. 86 the approach to community development does not aim for financial profits but a fulfilled life, the factors that seem to be a problem for outsiders are, in fact, not a large problem for the community. In general, community development has been commonly thought to be actions that revitalize local products, events, and landscapes as local resources, putting less focus on the residents of the community. It was also assumed that community development was simply an economic development of the community. These assumptions were, shamefully, also my understanding toward community development before. However, visiting Nishiki town and meeting the owners of Sato-no-Akari has absolutely changed my mind towards community development. The fieldwork activities and interviews about residents’ life stories allowed me to be in touch with the warmth of the residents and made me convinced that their attractions will greatly contribute to community development. Moreover, it made me realize that economic development is not a necessity for the development of a community that prioritizes the happiness of its residents. While Japanese society faces various population problems that decrease the interaction among people, community development organizations like Nishiki Green Tourism, which emphasize the communication of residents with people from beyond their region, will become increasingly significant in future community development. References Akita Prefectural Officer.(2014). About Akita’s Tourism(PowerPoint slides). Akita International University. Akita, Japan. Akita Tourism and Culture Sports Strategy Division.(2013). The statistics of the Akita tourism of year 2013. Matanle, P., Rausch, A., & Shrinking Regions Research Group.(2011). Japan's Shrinking Regions in the 21st Century: Contemporary Responses to Depopulation and Socioeconomic Decline. Amherst, NY: Cambria Press. Putnam, R.(2000). Bowling Alone: The Collapse and Revival of American Community. New York, NY: Simon & Schuster. Robinson, J, & Green, G.(2001). Introduction to community development: Theory, practice and service-learning, CA: SAGE. Wilkinson, P.(1991). The community in rural America. New York, NY: Greenwood. World Bank.(n.d.). What is social capital. Retrieved from http://web.worldbank.org/WBSITE/EXTERNAL/TOPICS/EXTSOCIALDEVELOPMENT/ EXTTSOCIALCAPITAL/0,,contentMDK:20185164~menuPK:418217~pagePK:148956~pi PK:216618~theSitePK:401015,00.html 87 付録 hearted people like Mr. and Mrs. Sato, who run the farmer’s inn, Sato-no-Akari, has reminded us of the necessity for humans to communicate with others constantly and deeply. This interaction with local residents will not only ease people’s hearts, but also, the unique rural farmer’s lifestyle could make people come to appreciate food more, and reevaluate their psychological happiness, which may have been neglected due to the dominant idea of materialism. Though I was initially doubtful about whether residents could be effective enough as the resources of a community, the fascinating and inspirational field trip in Sato-no-Akari absolutely surprised me, in that residents can, indeed, be resources for the community, just like other regional resources. Secondly, Green Tourism in Nishiki town is a development which could give a positive influence to all residents from the approach of psychological fulfillment. Interaction with new people outside the region will fulfill and enrich residents’ lives, and as a result, lead to their happiness. This interaction has been valued as “social capital” by socialists and had been widely accepted as one approach to improve the quality of life. The term ‘social capital’ was established in 1916, and it was defined as being, “a set of horizontal associations between people, consisting of social networks and associated norms that have an effect on community productivity and well-being”(The World Bank, n.d.). Although relationships with other people is a crucial factor which determines how fulfilled life can be, economic or social aspects have often been focused on when determining the happiness of people’s lives, while neglecting other factors like social capital(Robinson & Green, 2001). While the industrialization in urban areas has decreased the communication among people, rural areas have also lost interaction due to different reasons. The decreasing birth rate, rural migration to urban areas, and the young moving out of rural areas, have all negatively influenced the connecting bonds between people. In such situations, it can be said that Green Tourism is a practical way for rural residents to increase their networks with others, without the burden of having to travel Japan or foreign countries. Mr. and Mrs. Sato both told us the story of learning about different cultures or the views of urban and international guests, mentioning that hosting various guests allowed them to broaden their minds, build deep relationships with many guests, and realize how fortunate they are to be able to live in a blessed environment, increasing their confidence as Nishiki residents. Rather than putting too much focus on economic approaches to increase their quality of life, Nishiki Green Tourism has contributed greatly to improving the quality of the lives of rural residents by organizing intercommunication with others. Although Nishiki town has been producing profound ways to develop the community, it is also true that the town possesses problems. One of the major problems is the small economic benefit that they get through green tourism, which relates to other problems such as bad accessibility, and sustainability. Because the accessibility to tourist sites is poor, there is an economic disadvantage in Akita’s tourism in general, and moreover, without economic benefits, residents may not find reasons to continue with green tourism(Akita Tourism and Culture Sports Strategy Division, 2013). These problems are indeed true. However, it is necessary to question in the first place, whether economic benefit is of primary importance for community development. Visiting Nishiki town has given me an impression that the residents are not that fascinated with the monetary profits from green tourism, but rather, enjoy hosting the activity itself. When considering that they are more focused on the interactions with guests, the poor accessibility in Akita will prevent the residents from working too hard, which could lead to difficulties in sustainable management. Also, the bad accessibility could also encourage residents to stay a night at the farmer’s inn instead of driving back home the same day(Matanle et al., 2011). Because 88 Discovering the Potential of Green Tourism in Nishiki ~ The interactional development centering the lives of residents ~ Hiroko Fukuma Simple yet complex, the answer to, "What is development for a community?", has been commonly taken to mean economic development, or the modernization of the community. In fact, most development today continues to be business-based, or the application of new technologies. However, this answer has not fully explained the fundamental idea of what community development is. Wilkinson(1991)defines community development as a “network of actors engaged in activities through associations in a place”(p.2). This insists that the “community”, in terms of community development, is not a group with the same interests, but a group of people who share geographical features of where they live. Robinson and Green(2001)further explain that “development” in terms of community development, is “a social process involving residents in activities designed to improve their quality of life”(p.2). From these two definitions, it can be understood that community development happens within a certain region in order to “improve their quality of living”. Although the concept may seem clear, this idea further casts the complexity and the difficulties of community development. Because geographical community members do not necessarily have similarities other than sharing living spaces, and because the definition of improving the quality of life can vary among them, community development often faces problems in which it cannot provide what all residents want in common. Moreover, many local cities and towns suffer from being unable to find their own unique resources to utilize for development. Despite this phenomenon, Nishiki, the countryside town in Senboku city, Akita, has presented us with one of the possibilities for community development, which puts great focus on the people living in Nishiki as the new resource of the region, and also provides an opportunity for people to interact with others, which is becoming increasingly important as the region’s population is decreasing. Discussing the possible value of the regional residents to attract tourism, and what benefits residents can gain through green tourism, this report will ultimately aim to suggest that the regional residents do have a potential to be the new resource of the community for tourism, and that the social capital gained through green tourism can greatly benefit the residents. First, Nishiki town’s Green Tourism organization, which focuses on residents as the resource for tourism, has broadened the possibilities of community development. In general, the resources reinvented in the region to attract tourists had often been the local culture or natural attributes such as traditional products, food, natural landscapes or events(Akita Prefectural Officer, 2014). By branding such resources and promoting them outside the region, the community aimed to revitalize the region through profits(Matanle et al., 2011). However, it was difficult for some communities to find such unique resources. It was, then, Nishiki Green Tourism that opened new resources to expand the possibilities. The idea of advancing residents as the resources of the community has not only formed a new approach in community development, but it has also matched the social trend where human interaction has become increasingly scarce and needed. As a social scientist, Putnam(2000)argued that the wealthier a person becomes, the more the sense of community and relationships among people tend to become weaker, and that the industrialization and economic development which gained wealth, seem to have sacrificed relationships with others to enjoy the status that they wanted. In such social circumstances where close interaction between individuals has decreased significantly, the interaction with warm- 89 付録 I found another similarity from the book, Introduction to Community Development, chapters 4 to 6. In this book, three different approaches were illustrated. I found that they were actually used for the revival activities that I saw in Fukushima. At Fukushima, I actually met the person who is organizing Fukkou Yatai Mura(food stall village). This is a movement about making a new shopping street in the stricken area and trying to make activities there. The TV media caught wind of this and it was very big news in Japan for a while. He said it wasn’t easy to start this movement. There were many difficulties, such as gathering shops and customers, organizing shops, and ensuring transportation. Even though he had many difficulties, there were other people who had similar ideas and agreed with him. Moreover they had different experiences and professionalism and they gave him advice (These combined the self-help and interactional approaches). Thus, he decided to start it. So, at the beginning, this was a small action by a small group. Once he could make a long term plan, he realized that he needed professional help, such as building temporary stores and advertising their activities. He asked for help from the government and finally completed organizing it(the technical approach). In this movement, two approaches were used naturally as the textbook says. During the class, I could get some ideas as to why people have different ideas towards revival. I found many similarities and thought that the subject was good for thinking about revival as well. However, after the field trip to Nishiki, I found some differences, as well. Fukushima has a problem in that many young people have left Fukushima because of the problem of nuclear power. There are also many people who still live in Fukushima but aren’t happy to live there. Especially, elderly people don’t want to live there, but have no place to move to, nor money to do so. Some people can’t move because of their jobs. I am not sure if they are in the majority or minority. However, it is true that not all of its residents like to live there. However, Nodoka’s owner, who was my group informant, said that it was fun to live in Nishiki, doing both farming, as well as running a farmer’s inn. Even though depopulation and the aging population are very big issues there, they still want to live there and maintain the village somehow. From these two different cases, I found that the feeling of insiders was different. Those who are inside a situation of community development enjoy their activities and promote the natural goods and attractions of their area. However, people who are in the situation of revival don’t like their situation and want to change. Community development has similar aspects to revival. At the same time, different aspects also exist between them. I found some ideas through this class which I want to share with the people I met in Fukushima. 90 Reading Assignment Traphagan, John W. and Knight, John, eds.(2003). Demographic Change and the Family in Japan’s Aging Society, State University of New York Press. Chapters 1 & 2. Community Development and Revival Ayumu Sato I think of community development in the same way as I do with revival. I found two connections between community development and revival in the class activities. However, I also found one big difference between them after the fieldwork. When I went to Fukushima for a volunteer activity three years after the earthquake, I saw that each person has a different idea for what revival is. Some people say that to rebuild and renovate is revival. On the other hand, others say that it is making new towns where people can live more comfortably. I wasn’t even sure about what revival meant to me. I was interested in this topic and thought that development and revival seemed similar. Thus, I took this class to see if they were really similar to each other or not. At the beginning of the course, the context was different to my expectations. First, we thought about what community was. Since I didn’t have any questions about it, I felt that this was not what I wanted to learn. However, as I read different kinds of books and as I came to undersetand how broad a topic community development is, I found some similarities between development and revival. When I went to Fukushima, I was confused because the time when the revival started was different for each person. I got a chance to listen to 4 people’s stories about the disaster during my volunteer work. One man said that the revival began when the earthquake happened, because life totally changed at that point. For him, revival is not an action to remake something. It was getting everything back which he once lost. Since he lost everything when the earthquake happened, his revival started then and still continues today. There was another man who thought that revival had not started yet. He said that each person is taking some sort of action; however, this does not constitute revival. He said this because he thought that revival should be done by an organized group, together with local people. In the class material, Introduction to Community Development, Chapter 2, A Historical View of Community Development, it shows the figures of how community development changed from 1926 to 2007. When I saw this figure I was wondering how its author defined the starting year. Was it based on when an organization for implementing community development projects was created? Or was it based on when the organization actually started action? It wasn’t mentioned in the reading. This usually happens because community development was started personally or individually and then the government started to support it and started to consider it as an activity. When Ms. Fujimi came to our class, she said that even she didn’t know when green tourism started. She said she knew when the government started working for green tourism; however before that, some people had already started the same work individually. Since each person had different ideas about the timing when green tourism started(just as the timing when revival starts is different for each person), they were not sure about when was the exact beginning of green tourism. 91 付録 above, just “beautiful” scenery and “traditional” events are not enough to attract people. On the other hand, in farmer’s inns, visitors are able to practically experience local people’s lives. Farmer’s inns provide several opportunities for visitors; for example, doing homestays with Japanese local families, eating regional foods and communicating with local people. These experiences are valuable for people who have different cultures and backgrounds. These characteristics are enough value to visit Akita’s local region. Thus, the farmer’s inn plays the role of providing and promoting local culture. For the field trip, our group visited “Nodoka”, which is run by the youngest farmer’s inn owner in that region. After interviewing her and hearing her life story, I realized something: although local people notice the harsh realities of their community, such as depopulation and a scarcity of successors, it is not easy for them to participate in solving these problems, because they do not have enough time and financial leeway. They hope to maintain their lives. They enjoy and satisfy their lives and work. People are proud of their hometowns. Their activities develop close relationships inside the community. Before visiting the farmer’s inn, during every class, I had been thinking about the role of farmer’s inns to develop the community. However, I never found any plausible ideas. Besides, I thought that although green tourism succeeds in introducing Akita’s traditional culture and cuisine to visitors using their original ways and is effective to promote Akita, it seems to be difficult to consider it as the main content of development. This is simply because those who are involved in it do not want to earn more money, but to enjoy their activities. Farmer’s inns are run during the intervals from their farming. They will not make Akita prefecture prosperous directly. However, I realized that the farmer’s inns are one of the most effective bottom-up approaches to vitalize the region. This is because running farmer’s inns motivates the owner as a “farmer”. One owner told us that she tried to grow high-quality vegetables for visitors. Their struggle to raise vegetables keeps and improves the quality of their products. Then, finally, each owner’s methods and enthusiasm affect other local people. I found that the role of farmer’s inns is to encourage the owners as progressive social entrepreneurs, who can then animate their community. References 平成 25 年秋田県観光統計 秋田県観光文化スポーツ部観光戦略課 http://www.pref.akita.lg.jp/www/contents/1407463633487/files/kankotoukeih25.pdf 『JNTO 訪日外客訪問地調査 2010』結果概要 http://www.jnto.go.jp/jpn/downloads/110126_houmonchi2010_attach.pdf 株式会社データバンク 「後継者不在率は全国 4 番目の高水準」 http://www.tdb.co.jp/report/watching/press/pdf/s140902_15.pdf 秋田県議会 本会議 平成25年 第1回定例会 第 3 日 http://gikai.pref.akita.lg.jp/read_detail_daihyo.phtml?division=%96%7B%89%EF%8Bc&na me=%95%BD%90%AC%82Q%82T%94N%81%40%91%E6%82P%89%F1%92%E8%97%E1 %89%EF&name_isn=718&level2=038&qperson=%8E%C4%93c%90%B3%95q%81i2%8C% 8E13%93%FA%81j 岡田知弘「さらなる選択と集中は地方都市の衰退を加速させる」 世界(2014 年 10 月) 岩波書店 92 Ⅱ. Individual Paper Can Farmer’s Inns Find a Way out of Akita’s Difficulties? Akari Kurata Before returning to school, I had been working at a travel agency for three months. During that time, I was involved in a group project designed to find out whether or not the city we were in should increase its number of bus schedules and provide new forms of public transportation. We had to understand the situation of the transportation companies and the local government. As I participated in this project, I realized the difficulty of gathering and compromising varying goals toward one project. The purpose of this project was to promote a region which is confronting depopulation. In order to promote regional vitalization, the local government tried to encourage the local people and utilize human resources as voluntary conductors. However, this seemed to be an unsuccessful plan, because the local people do not understand the causes and effects of community development. It means that they aren’t interested in its benefits, either. They just enjoy their volunteer work. Since their purposes were different to ours, it was difficult to achieve one goal. Since this experience, I have been interested in community development. Nowadays, the Japanese population is decreasing naturally. In addition to this, the transformation of industries and globalization have had great impacts on local regions. They have affected family structure as well as social structure(Traphagan & Knight, 2003). These changes have caused centralization toward metropolitan cities. As a result, the scarcity of successors to continue running small companies and building industries in Akita is severe. Over 70% of these small businesses confront this issue. It is a high rate compared to other Japanese prefectures(TDB, 2014). In addition, Traphagan and Knight state that some local farmhouses confront “yomebusoku” (a lack of marriageable women). Young people tend to work in urban areas. Since Akita’s main industry is agriculture, these phenomena have affected it negatively. More than one hundred new farmers have started working in Akita over the past few years, but this number will not be enough for the future. Thus, Akita prefecture has some difficulties compared to other regions. In this essay, I focus on the role of farmer’s inns in Akita in terms of community development. In 2014, the National Cultural Festival was held in Akita during October and November. Since I live in near Akita Station, I saw many advertisements for it. As the guest speaker from the Akita Prefectural Government explained to our class before, Akita prefecture appears to promote tourism as one strategy for regional vitalization. According to her, Akita prefecture hopes to be visited by people from all places in Japan and overseas. She also mentioned inbound tours of which the target visitors are mainly from Asian countries. However, actually over 70 % of the visitors who have gone sightseeing in Akita are Akita locals(2013). In addition, more than 80% of Japanese domestic tourists visit Tokyo and Osaka. Only 0.4% of domestic tourists visited Akita (2011). Although there are some sightseeing places in Akita, they are too far to visit for short-stay travelers. It is clear that Akita should not provide merely “something traditional” or “something beautiful”. Travelers do not have to visit Akita to experience these types of attractions, because they will be able to go sightseeing in more convenient places. Even though there are few popular attractions and inconvenient transportation in Akita, green tourism can utilize these weak points to promote its “natural environment”. As I mentioned 93 付録 keeps her healthy. Then she changed her pessimistic thoughts. Mrs. Keiko says, “For me, the lack of a successor is not completely a bad thing… If we see the whole of Nishiki area as one family, we do have young people who would take over our jobs, right? We cannot often get such a good situation, can we?” When she thinks about the successor issue of farmer’s inn businesses, she does not see it from the micro point of view, but from the macro perspective, in which all community members are working with green tourism, and the whole Nishiki area is considered as one unit. Mrs. Keiko feels like the community composed of the owners of farmer’s inns is like a family. She also mentioned, “Ahh, it is so fun having such peers!” According to her, owners in the Nishiki community have strong ties, therefore, they can offer services as the occasion may demand with a collaboration with each other. Not only in the Nishiki area, but also among the Senboku area, they have a good combination. This seems to come from the attitude they share, like, “let’s not act separately, but collaborate and work in accordance with a unified philosophy of green tourism covering the whole of Akita.” This good atmosphere and the relationships among people who are engaged in farmer’s inns also likely helps the sustainability of community development in Akita. Conclusion Mrs. Keiko seems to have been living in a way that she believes in. Her experiences and decisions, such as accepting guests on agricultural experience programs, a job at the Warabiza, and starting the farmer’s inn, are not necessarily what she had expected beforehand. However, in each situation, she was aware of what she would like to do and for what she would like to give first priority. Thus, she just followed her mind. Even though there must be a lot of difficulties and suffering that she has experienced, and we would never know, she accepted and recognized them in a very positive way by changing her point of view, since “everything has several aspects, depending on how you look at it.” She talked really happily to us about how the job of a farmer’s inn owner is the best for her. Probably with her cheerfulness and warmness, the farmer’s inn, “Taizando,” which was the first farmer’s inn opened in Akita prefecture, became so popular and beloved, that many of the guests there are repeat visitors, staying with her regularly. Nowadays, the business, or the idea of a “farmer’s inn”, has spread to the whole prefecture under the name of “green tourism.” Green Tourism is expected to be a potential way for community development in Akita, because it can attract many outsiders. Of course, as already mentioned, Mrs. Keiko and other farmer’s inn owners are hardly conscious about the fact that they are playing an important role in community development. Mrs. Keiko seemed as though she was just trying to provide food, a place to stay, talk etc. for her guests to enjoy the visit. This type of action, or farmer’s inn where people face each other and can relax, would certainly be the power for development of a community which is not urbanized. Throughout the interview this time, we recognized that it is not always the campaigns conducted by prefectures or the nation that are effective for a community to be developed. In terms of sustainability, the actions done by the insiders over the long term are superior to a campaign held by outsiders for a limited period of time. Especially in the case when people act in their comfortable community, with an appropriate system of raising successors from the younger generation, it would be the best and the most realistic way to act locally without too much effort. 94 to Tokyo, and attended the ceremony. When we said in delight, “Mrs. Keiko, you are now so popular!” her tone went a little bit lower. She said, “I feel that it is not me… sometimes I do not know which one is myself.” Her comments seemed to imply again that she simply does what she wants to do, and business-like ideas such as expanding the farmer’s inn’s activities are not her purpose. The Sustainability of Community Development in the Nishiki Area Last year, the whole of Akita prefecture and the Japan Railway Company (JR) jointly launched a major sightseeing tour campaign, named Destination Campaign (DC), trying to invite more tourists to come to Akita. The campaign was held for three months from October, the season with beautiful autumn foliage, when the most visitors come to Akita of the year. However, unfortunately, according to officers in local government, they could not see any remarkable outcomes from the campaign. Are only campaigns which try to boost the economy directly important? Looking at the results of Destination Campaign, we can say it was neither effective nor sustainable because it was not able to achieve its goal. On the other hand, though farmer’s inn businesses do not focus on making a profit, they have been succeeding in generating continuous business. They seem to have more potential to help community development, but are they truly sustainable? As of this moment, Mrs. Keiko has not found anyone who could take over her role of running Taizando. When we asked her about a successor for Taizando, she said, “our first son got married and had a wife, but they went to Tokyo, so…” with a somewhat lower tone of voice. No successor implies that Taizando is in danger of being closed after Mrs. Keiko enters retirement. Taizando, the memorable first farmer’s inn in Akita prefecture, is still successful, even though twenty years have passed since its opening. The fact that we might lose an inn with such potential in the near future posed us a question on the sustainability of community development led by green tourism in the Nishiki area. However, contrary to our expectations, Mrs. Keiko was not worried about the situation. “When we regard the Nishiki area as one family, the number of people from the young generation who are taking over jobs in green tourism has been increasing,” she told us. To our surprise, she did not treat her successor issue pessimistically, nor did she even regard it as a problem anymore. Indeed, as she says, if younger people would take over the role of running farmer’s inns or accepting agricultural experiences in the whole of Nishiki area, the sustainability of community development in that region would be secured. Then the successor problem only in Taizando is no longer crucial for the sustainability of green tourism overall in Nishiki. By the way, this optimistic attitude of hers toward the successor issue is a practical example of her own way of thinking. We already mentioned, though, that everything can have a positive aspect from a certain point of view. Even though she now has no worries about the successor issue in Taizando, she once worried over this problem. “When someone asked me about a successor, I was bothered by thinking that my son and his wife had already moved to Tokyo, and I had no successor…” Mrs. Keiko said. However, she noticed several positive aspects of the no-successor-situation; she was free from the issue of transferring of managing rights and loss of responsibility. First, she does not have to consider a transfer of business right as a top manager of Taizando. Second, continuing to be an owner of Taizando stimulates her sense of responsibility constantly and, as a consequence, 95 付録 and asked about her life story and her thoughts toward Taizando, green tourism, and community development in the Nishiki community. Taizando for Mrs. Keiko We went to Taizando as researchers of community development and tried to see Mrs. Keiko’s life story in connection with it. However, while we conducted the interview, we realized that Mrs. Keiko does not own Taizando for the sake of community development; she is doing so because she wants to, and community development or a further sense of active community involvement follows as the result. Her way of living taught us a lot. One lesson was, as Mrs. Keiko told us, “try everything; nothing is useless.” Mrs. Keiko herself has experience working as an employee at a young age. She worked at the Warabiza theater, helping with cooking and cleaning. Although she quit that job because she could not spend as much time on farming as she wanted, her experiences from that time have influenced her in positive ways. When one of the interviewers expressed that she thought it was likely that she would end up wanting to quit the job she has already lined up for after graduation, Mrs. Keiko argued strongly, “isn’t it the wrong idea to think that you can do only what you want to do from the beginning? I am 65 years old, right? I found what I wanted to try when I was closer to 45 and my current lifestyle was like this.” Her comments seem to be related to what she meant by, “No one knows what will happen in one’s life.” She also mentioned that, “everything has several aspects depending on how you look at it.” She continued to point out that even if a thing looks negative at the first glance, if you change how you look at it, or if you look it from a different point of view, it may come to look positive. Mrs. Keiko said, “I might be more of a nagging, hunched over, old lady,” when we asked what she would be doing if she had not opened Taizando. If she did not start a farmer’s inn, she would be doing only farming, and spending more time on sewing Japanese handicrafts which is her hobby. Being nostalgic, Mrs. Keiko expressed, “(being the owner of Taizando) may be the best job I could find. Don't you think? I could get a job which suits me the most after my 40s.” Even though she was not 100 percent positive when she opened the farmer’s inn, she seems to be enjoying her current way of life. Taizando is also popular for Mrs. Keiko’s “Random Fusion Cuisine.” Yet she used to not like cooking. As she said, there is no reason to hesitate to try new things. For her, Taizando bought a huge, bright change, unexpectedly. Another thing is that Mrs. Keiko thought that her healthy life is based on running Taizando. “I am healthy because I am the owner of a farmer’s inn” she answered, after searching for suitable words to come after “I am healthy…” When we asked what the farmer’s inn means to her. She relates everything in her daily life to Taizando: for instance, even if she gets tired, she decides whether or not to take a rest depending on Taizando’s schedule. She reasoned that she feels a strong responsibility to stay healthy, since there is no one to take over for her. However, this is not something she feels that she has to do, but rather, she appeared to be willing to be responsible for Taizando. We wondered what she thinks about having a successor. “My husband and I started Taizando as we wanted to, and that is all.” This comment implies that Mrs. Keiko’s first priority was not to activate the Nishiki community, but to try what she wanted to do for herself. As her business came to be accepted and expanded, the media began to pay attention to her. She appeared in tourist magazines and newspapers; moreover, she received the Prime Minister’s Prize to honor pioneering women this year( Jyosei Challenge Prize). She traveled 96 Sustainable Community Development - Through the Perspective of a Farmer’s Inn Owner - Haruka Toriyama, Hazuki Kosuge, Kana Nishio, Marika Kobayashi Introduction Presently, green tourism and farmer’s inns in Akita are becoming more and more active. Through the field research component of our Community Development class, we interviewed the pioneer of green tourism in Akita, Mrs. Keiko Fujii. She is the owner of a farmer’s inn called Taizando, which will reach its 20th anniversary in 2015. Furthermore, Taizando was the first farmer’s inn in Akita. Mrs. Keiko is a wonderful person. She currently lives with her husband, Mr. Naoichi Fujii, their son, and four cats. Their first son got married and moved to Tokyo. Mr. and Mrs. Fujii went to the same high school and got married. Mrs. Keiko’s father is from Nishiki, and her mother is from Kakunodate. The parents of Mrs. Keiko were farmers too, and as Mrs. Keiko said, “slightly unique farmers.” They used to try to grow so many kinds of products from fruits and vegetables to flowers. She has a younger brother, and he inherited their parents’ business. Mr. Naoichi works as a carpenter, and he is the one who built the beautiful Taizando. Koko, one of the four cats, stayed with us the longest, even during the interview. She helped to relax the atmosphere of the interview. Although Mrs. Keiko was born and grew up in a farm family in the Nishiki community, she was not interested in farmer’s inns at first. The final push to start a farmer’s inn was when she was asked to accept high school students from Tokyo for agricultural experiences, as a substitute for another host farmer in a neighboring community. She did not enjoy the first time; however, she enjoyed the second time, when she accepted junior high school students and decided to continue. Not only for Mrs. Keiko, but also for those junior high school students, agricultural experience in Akita appeared to be a great experience, and they talked about their experiences at Mrs. Keiko’s place to their parents. Accordingly, the parents of those students started to visit Mrs. Keiko’ place, too. However, there were problems with privacy protection and social expenses when she started to accept the parents of students. Nonetheless at around the same time, she got a chance to know about green tourism through a speech given by an actress. Finally, she decided to build Taizando as a solution to these problems. It was already 15 years after her first experience of accepting students. Mrs. Keiko explained to us that the name of her farmer’s inn, “Taizando”, is the name she received from the head director of the junior high school which sends students to Mrs. Keiko’s place every year. Mrs. Keiko’s request was that the name be written in Kanji. Taizan is a mountain which located in China and is as famous a mountain as that of Mt. Fuji in Japan. Therefore, Mrs. Keiko said, “I could not do anything which could be considered as dishonoring the name of Taizando.” Being an owner of a famer’s inn was not what Mrs. Keiko really wanted to do when she started; however, now she is enjoying her job as the owner of Taizando. 19 years ago, Taizando was the only farmer’s inn in the Nishiki community, or even in Akita, but today this number has expanded, and there are seven farmer’s inns in the Nishiki community. Without Mrs. Keiko’s success and efforts as a pioneer, green tourism in Akita might not have been as widespread as it is today. During a two day stay at Taizando, we conducted two hours of interviews with Mrs. Keiko, 97 付録 connectivity within the community and the isolation of the individuals, especially among the rural agrarian regions. Nishiki town in Akita, is no exception to this trend, and the situation has worsened even more after rice prices dropped due to the easing of trade regulation. Despite these difficult conditions, Mr. and Mrs. Sato and Nishiki Green Tourism have greatly contributed to the development of the town while sustaining their lifestyles and focusing on the interactions among people. Although the introduction of green tourism seemed overwhelming for the residents to organize at first, the interactions with the children who came to learn agriculture, the international students who came to learn about Japanese rural life, and the customers from the urban areas of Japan who came to see different lifestyles, have all energized the town and vitalized the life of the Sato family. Our interview with Mr. and Mrs. Sato greatly showed how fulfilling their lives have become through encountering new people and getting in touch with different views, and making precious memories with them, and that people’s greatest happiness is indeed generated from interactions with other people. In the process of gaining happiness through green tourism, Mr. and Mrs. Sato also emphasized the importance of sustainable tourism. As the importance of constructing a sustainable society is becoming more understood around the globe, this ideology can be also applied to the community level like what Mr. and Mrs. Sato are doing in Sato-noAkari, by keeping up their connections with people and persisting with development instead of pushing themselves beyond their capacity. Mrs. Sato’s words, “steadiness and persistence,” and Mr. Sato’s ambition towards new challenges, both express the importance of the sustainable management of Sato-no-Akari. Although there is a problem in the relatively low participation of residents in green tourism, more transparency within the organization and openness to new people could increase its members, and have great potential for community development. In a society with various population problems and crises in sustainability, treasuring the interactions amongst people and establishing sustainable regions will become increasingly and more significantly important for the future community development of Japan. References Economic and Social Research Institute, Cabinet Office, Government of Japan. (n.d.). Chiiki okoshi jinzai report [The report on human resource for the rural development]. Retrieved from http://www.esri.go.jp/jp/workshop/080704/080704_2-honbun03.pdf Ministry of Land, Infrastructure, Transport, and Tourism. (2009). Kokudo keikaku [The transportation plan]. Retrieved from http://www.mlit.go.jp/kokudokeikaku/aratana-kou/ pdf_h21/2_touhoku_block/2-11_touhoku.pdf Robinson, J, & Green, G. (2001). Introduction to community development: Theory, practice and service-learning, CA: S AGE. 98 While Mr. and Mrs. Sato have been able to develop their own way of sustainable green tourism, sustainability still remains a problem among the Nishi town community. Mrs. Sato told us about the difficulties in expanding green tourism to their neighbors and across the town, saying that despite the circumstances where most of the members are senior citizens, no one, especially the younger generations in the region, showed much interest in being part of the Nishiki Green Tourism organization. They are usually afraid that having people over to their houses would be challenging and overwhelming. After several attempts to invite new, younger members, Mrs. Sato found it more difficult than expected to spread green tourism to the people around her, and has quit trying to call in new participants. However, it is apparent that continuing activities will become even more difficult as the organization members age each year. In order to recruit more members to the group, Mrs. Sato emphasized the importance of publicizing their activities. Mrs. Sato herself remembers how worrisome it was to start green tourism, remembering that she was initially thinking she had to entertain and treat customers like they do in hotels. It was only after she got involved in green tourism that she found it was more relaxing and required less work than she had expected. Letting people see that Green Tourism is easier than they think could encourage others to join the group. Mrs. Sato also mentioned that openness is needed in the organization’s atmosphere as well. Although strong ties among the current members are important, it can be difficult for people outside the members to join in. Mrs. Sato believes that more openness is the key to drawing in more members to sustain Green Tourism in Nishiki. Although development and sustainability seem to be contrastive words, they are, in fact, related with each other deeply. In reality, simply maintaining the current lifestyle is becoming more and more difficult for Japanese society today, because it is always changing unpredictably. The recent increase in demand for creating a sustainable society derives from the past, when people blindly looked for short-term benefits rather than long-term. With this social background, Nishiki Green Tourism and Sato-no-Akari’s efforts to make green tourism a sustainable activity, seem to be a great role model for other communities. As Mrs. Sato said, it is hard to continue working persistently if the work demands more than they can give. To find what needs to be done and understand their own capabilities is essential to develop the community. Moreover, in order to maintain the region’s current situation for future generations, people have to find successors by attracting uninterested or non-participatory residents to join their activities (ESRI, n.d.). Though Mr. and Mrs. Sato are currently maintaining their situation, they cannot be confident that they would be able to sustain it in the future because of the lack of motivation to get more members and younger generations to Nishiki Green Tourism. If Nishiki Green Tourism can get new members and be managed by a larger number of local participants in Nishiki town, the burden of each member will be decreased and new members would feel easier about joining the organization. As Mrs. Sato said, in order to invite new members, they should give more information about the job contents of the Green Tourism activities. Sustainability is a crucial factor for the development of the community, which requires an adequate and persistent contribution, and effort to include the next generation in the activities it organizes. Conclusion The recent trends of depopulation, decreasing birth rates, the aging population, growth of the nuclear family, and development of the social network system in Japan, have greatly weakened the physical interactions among people. This leads to significant damage to the 99 付録 was glad that I ran a farmer’s inn.” In addition to Mrs. Sato’s comments, Mr. Sato also told us his view on this farm inn activity, that, “I am looking forward to seeing many people, listening to various kinds of stories, and becoming like family with them. Today, I have more opportunities to see many foreigners. I really enjoy myself and feel as if I’ve gone to their countries when I listen to what they tell me. I think that I would have had a different life if I did not run a farm inn.” Mr. and Mrs. Sato both agreed that these experiences are their motivation to continue running their farmer’s inn, and it makes them happy to provide comfortable places for guests to stay. Through the interview with Mr. and Mrs. Sato, it can be seen that in the beginning, it was difficult for them to find any of their hometown’s attractive points. As Robinson and Green (2001) mention, local people are often blind to how good their own place is, and it is outsiders that can identify these things. In the case of Sato-no-Akari, the urban and foreign visitors are the outsiders who have made Mr. and Mrs. Sato realize the attractiveness of their town. This situation is meaningful for farmer’s inn owners because they have the opportunities to communicate with people who are from outside of the area, and have more chances to hear their opinions. However, the situation in Sato-no-Akari seemed to be different from this theory in the sense that its owners are not motivated greatly by the profits from green tourism, but rather, focused on the interactions with visitors. While the theory describes that community development has largely been economic development, and people should sustain the economy through industry, our interview with Mr. and Mrs. Sato revealed that what they seek through community development is enriching their own lives through encountering new people (Robinson & Green, 2001). Story 2 Although Mr. and Mrs. Sato have been relatively successful in running a farm inn while keeping their farm to harvest fresh vegetables and rice, they had difficulties when they started to manage Sato-no-Akari. Managing a farmer’s inn and farming at the same time was harder than they had expected. Mrs. Sato told us a story about when she had accepted many guests one after another from the end of October to the beginning of November last year. At that time, Mrs. Sato felt that she would break down and have to quit the farmer’s inn if she continued accepting too many guests. She also said that if she was too busy, guests could easily notice her tiredness through her expressions and behaviors. Through this experience, Mr. and Mrs. Sato decided to change their style of accepting many guests, to having an adequate number of guests and taking a break once a while. In this way, Mr. and Mrs. Sato have managed their farm inn and farming so far. Mrs. Sato now keeps a rule to maintain her condition as it is now rather than challenging herself too hard. During the interview, she kept emphasizing that she hoped to manage Sato-noAkari and farming steadily and persistently. However, this does not mean Mr. and Mrs. Sato do not have aspirations for the future. While Mrs. Sato hopes to maintain their current living conditions, Mr. Sato thinks about new activities such as snowmobiling experiences and farming experiences using cattle, horses, and sheep. He thinks new activities like this could attract people from outside and also show the uniqueness of Nishiki town. Mr. Sato also claimed that, “each day is precious, and therefore, I live each day sincerely and consistently.” Mr. and Mrs. Sato seem to have slightly different feelings towards the future of green tourism between “challenge and sustainability,” but both of them do have a common feeling to provide guests with the best hospitality they can offer. They have noticed that “steadily and persistently” is important for their health to maintain the farmer’s inn and that it also leads to providing guests with the best hospitality that they can give. 100 Story 1 Despite there being hard times when running Sato-no-Akari, the strong motivation that keeps Mr. and Mrs. Sato to continue green tourism, is the joy they gain through their interactions with people. Mrs. Sato has told us three interesting episodes which made her feel grateful that she continued with Sato-no-Akari. The first episode was when Mrs. Sato had guests from Cambodia. She had accidentally broken a glass in front of the guests and she was clearing the mess with a vacuum cleaner. This accident led her to learn some interesting facts about Cambodia. During the interview, she recalled the episode, saying, “When I was using the vacuum, one Cambodian boy came close and seemed to have interest in the vacuum I was using. I was curious and asked him what was wrong. He told me that in Cambodia, only rich people can purchase a vacuum cleaner. It was very hard to believe.” It is through these little events in ordinary life that Mr. and Mrs. Sato find the fascinating differences and cultures of other countries, and these facts that are closely attached to daily lives are something that can only be discovered through hosting foreign guests at their farmer’s inn. She also said that through the foreigners from developing countries, she often realizes how fortunate us Japanese are compared to their lifestyles. These realizations do not only happen when foreign visitors come, but also happen when Japanese guests from outside the region come to visit their inn. Mrs. Sato told us about another episode when she learned a lot from guests coming from urban cities when she offered opportunities to experience the nature in Akita and their life through their farmer’s inn. “Guests who are from urban cities live with a lot of buildings and are surrounded by things,” Mrs. Sato explained, “are often amazed by the freshness of the air, the beauty of the starry sky, and the purity of the water in Nishiki. For us, these things are nothing special. However, because they have told us those values, the experience had reminded me of its importance.” Although Mrs. Sato used to think that her town had just mountains and nothing entertaining, all the guests felt that a rural area like Nishiki was a very comfortable and healthy place to stay. Having lost some pride in Nishiki in the past, compliments from the visitors have boosted her confidence as a resident of Nishiki. Now, she feels more proud to live in her region and thinks more positively about the town’s potential in the future. Furthermore, Mrs. Sato has told us that some visitors are inspired or feel something thought-provoking through their experiences in Sato-no-Akari. Mrs. Sato has seen many students visiting for the purpose of agricultural activities, and often notices that there are certain changes before and after the experiences among students who have stayed at Sato-no-Akari. Mrs. Sato told us about the memorable episode when she had the opportunity to accept a student from Tokyo who was not able to go to school. At first, Mrs. Sato felt uneasy, because this was the first time for her to meet such kind of student. However, in contrast to her anxiety, the student seemed to have enjoyed their stay in Sato-no-Akari as well as with other students. Moreover, it was astonishing to her that the student participated in activities as a group leader. This experience greatly helped the student to overcome his low self-esteem and enabled him to attend school again. One year later, when his father came all the way from Tokyo to show his appreciation to Mr. and Mrs. Sato, he broke down crying at the entrance of Sato-no-Akari as soon as he saw Mrs. Sato. It goes without saying how happy he was as a father to see his child go to school happily. Mrs. Sato said, “We did not offer him anything special, but we think that what changed him was the experience here, which is a very different life from Tokyo. That was the most memorable incident for me, and I 101 付録 History and Geography of Nishiki Nishiki town, located on the western side of Senboku city, Akita, is a town with beautiful scenery which lies close to Lake Tazawa. The town combined with Senboku city as a result of a municipal merger with Kakunodate and Tazawa town in 1995. The depopulation of the town has been quite severe with a decrease of 20.9% over the past 30 years, and it also suffers from an aging population, with 65% of the residents being over the age of 65 (MLIT, 2009). While other towns are famous for historical property, Nishiki tries to make use of its wealth of nature and takes advantage of different strengths like green tourism. The area is surrounded by mountains and there, you can find fawn lilies which are a very rare plant in Japan. Since the region is blessed with pure water, they have utilized water to cultivate various types of vegetables and rice. The region is also famous for its railroad that is the symbol of Nishiki, and runs through the inland area of Akita. Although the number of customers has decreased in past years, the community has started an event using the railroad and their homemade dishes to attract tourists to use the railroad. The magnificent view of the Ou Mountains and the countryside scenery that brings up memories of the past have greatly entertained the tourists. Sato-no-Akari, where we stayed for the field trip, is located in the southern part of the town. Background of Sato-no-Akari Sato-no-Akari is a farmer’s inn run by Mr. and Mrs. Sato. They both engage in farming, and they divide their roles in agriculture: Mr. Sato cultivates rice in paddy fields, and Mrs. Sato grows seasonal vegetables in her field. They divide the responsibility of cultivating crops, and Mrs. Sato said that this division of labor is the key to their good relationship, further explaining that “there are various types of married couples. Some of them may always cooperate with one another, but we think that it is better for us to work individually.” While they work on farming individually, their farmer’s inn is run by both of them working together. The beginning of Mr. and Mrs. Sato managing farmhouse accommodation was when the city government asked them to offer visitors a chance to experience farm work. At first, they provided beds and meals several times a year for students who wanted to experience agricultural activities, but later, they expanded their business. Since the gradual deregulation of farmer’s inn management, it became easier than before to open a farmer’s inn, and they decided to get permission from the government to start Sato-no-Akari as a farmer’s inn. Today, more and more visitors from foreign countries, as well as from Japan, spend precious time in Sato-no-Akari. In addition to agricultural activities, the visitors can enjoy impressive shamisen performances played by Mr. Sato, and moreover, they can have delicious dishes using fresh vegetables, which Mrs. Sato puts special effort into, so that their visitors can taste her fresh, seasonal vegetables. “If you come here, you should fill your stomach. That is happiness,” she insisted. Since the opening of the farmer’s inn, both Mr. and Mrs. Sato have been enjoying inspiring experiences through their interactions with visitors, while providing great experiences to guests from all over the world. This paper will discuss the two stories that we learned through the interviews and experiences that we gained through our fieldwork at Sato-no-Akari, and analyze them with the theories we have learned this semester. These two stories will highlight the importance of human interaction and sustainable development in the context of community development. 102 professional athletes, but also to farmers. Therefore, Seiji-san’s words, “my goal is to maintain our current life” can be interpreted as a tangible sign of the Kadowakis’ endless effort. To support our argument, he clearly said, “We farmers always have to carefully take care of the crops that will enter consumers’ mouths. If they do not enjoy our crops, they will stop buying our products. As a consequence, our profits would be degraded. To avoid such a situation, we have made efforts to improve the quality of the vegetables without compromising, taking all consumers’ opinions into consideration. So my life is always filled with challenges.” Conclusion We were fortunate to have met successful farmer’s inn owners in Seisetsukan. Thanks to them, we were able to see how a farmer’s inn subconsciously tries to achieve the development of its community. As we stated above, they value three main areas: They have enjoyed their freedom, which resulted from their big responsibility to run their farm and farmer’s inn. They also have provided us not only with agricultural experiences and nature, but also with hospitality. Without fearing failure, they have kept on challenging themselves with new risks and businesses. With these three points, we believe that Seisetsukan is definitely playing an important role in connecting the Nishiki area with the outer society. We reached the conclusion that the community development that Seisetsukan reveals is the ability to connect the Nishiki area, a remote area, and the broader, outer world. Development through Interactions with Steadiness and Persistence Hiroko Fukuma, Yumemi Morishima, Yume Sugimura, Tokio Tsuruta Today, many people are interested in “vitalizing the local economy.” The Japanese government and other organizations are eager to revitalize Japanese local areas in order to boost the Japanese economy. Even from this trend, it can be easily observed that people think rural regions are the main areas facing serious problems without realizing that not only rural areas, but also urban cities, possess different, but significant, issues. The problems that Japanese society faces are not only about economy and population, but also about the lack of psychological fulfillment. The social network and the rise of individualism have improved efficiency and increased freedom in society, but have greatly sacrificed human interaction in daily lives. Because of such a situation, it is a recent trend that people have started to seek psychological happiness over materialistic contentment, which is in other words, the increasing demand for heartwarming communication with others. Nishiki town in Akita possesses such elements that could not only entertain people through different experiences, but also make up for the loss of interaction among people that may have been forgotten in the past decades. Another aspect seen in Nishiki Green Tourism is its sustainable development to continue the activity for the future. Although not complete, this development aims to avoid drastic changes or intensive work and it tries to pass this on to the following generations. The phrase, “Community Development” in this area, therefore, is defined as a type of development that activates interpersonal relationships. They believe that sustainable development is the key to achieving this. This concept must be fundamental to all when we think about the region’s community development. 103 付録 A farmer’s inn’s attractiveness Before going to Seisetsukan, we had learned in class that the main purpose of farmer’s inns was to vitalize the region, especially regions with such problems as low birth-rates and ageing. Farmer’s inns are one form of green tourism. Green tourism tries to bring as many people as possible into regions to let them experience agriculture and enjoy beautiful nature, hoping that the attractiveness of agriculture, nature, and human resources will pull them back again, which may result in the development of the region. To sum up, what we had learned in class about green tourism was, agriculture, the beauty of nature, and human resources, are the means to pull people from urbanized areas to tour a region. Though we understood that people were hoping to come to rural areas from urbanized areas in order to experience agriculture or enjoy spectacular nature, we were still uncertain as to how human resources would function to pull the tourists into such remote areas. During our visit, both Seiji-san and Shoko-san gave a piece of the answer toward the ambiguity we had. What they focused on was, offering hospitality, or omotenashi, to the visitors. They offered hospitality to us by giving us the opportunity to experience agriculture and letting us feel how fresh the air of the Nishiki area was. They treated us in a tremendous way, cooking delicious organic food for us, which made us full and happy. What Shoko-san said is still unforgettable for us: “We do not hesitate to spend some extra money or to work somewhat more if we can make the visitors happier by doing so.” Though what we learned in class was difficult to imagine, we could, thanks to this experience on the field trip, feel a sense of assurance as to how human resources function. With much confidence we are now able to say that the attractiveness of farmer’s inns is not only agriculture or dynamic nature - both of which people in urbanized areas cannot get - but also, the people who are waiting to welcome the visitors. Since the farmer’s inn gave us hospitality, we now strongly feel like going back there. Sustainment of the status quo Seisetsukan is a famous farmer’s inn, not only for being the second oldest farmer’s inn in Akita prefecture, but also for providing fresh vegetables. When we heard of it for the first time, we could not help but be surprised. It must be difficult for them to manage both raising highquality vegetables and running the farmer’s inn at the same time. Though it is true that running a farmer’s inn can make a profit for the Kadowakis, in fact, their main income comes from agriculture. As discussed above, the Kadowakis are running their farm as an independent business. To seek benefit from agriculture, they have to achieve results by raising high-quality vegetables and selling them without failure. We imagined that most farmers just raised vegetables and sold them to ensure “acceptable” profits while fearing failure. They were, we believed, mostly defensive. The people we saw in Seisetsukan were, nonetheless, active and determined farmers. During the interview with Seiji-san, he repeatedly said, “I work in my ordinary way,” and, “my goal is to keep the current life.” These words may sound easygoing. In reality, on the contrary, to keep the status quo is one of the most difficult achievements. Many people may think that what is necessary to keep the status quo is to keep on doing the same thing constantly. However, the status quo can be affected by various other factors and be easily changed. Just doing the same thing is not efficient enough to keep the status quo. It is not until you constantly keep on challenging yourself with new and special things that you can sustain what you currently have. For even professional athletes, it is difficult to sustain their ability for a certain length of time because the condition of the body is always changing. This principle can be applied not only to 104 Indonesia, Cambodia, Malaysia, and Madagascar. While it seems difficult to communicate with foreign visitors, the Kadowakis, especially Seiji-san, do not feel any language barriers. The Kadowakis proudly believe that they are able to connect the Nishiki area, Senboku city and foreign countries, by accepting people from such countries and overcoming language barriers. Seiji-san said he really appreciates their choosing and visiting Seisetsukan from far places, and he thinks that communication with them can be achieved with only gestures, eyes, and hearts. Shoko-san and Seiji-san are happy to meet new people and expand their social circle. Seiji-san and Shoko-san are also very thankful that many people visit Seisetsukan, even though it is remote, which has been the driving force for them to challenge themselves and improve more. They not only accept foreign visitors, but also contribute to the development of green tourism in Akita by attending lectures at schools and serving Shoko-san’s food on Gottsu-otamatebako-ressha, which is a special train targeting tourists from outside of Akita, where local farmers like Shoko-san serve their local dishes. They are eager to challenge themselves with new things, and this passion has lead to the improvement of green tourism in Akita. Discussion So far, we have noted the historical background of the Kadowakis and their enthusiasm towards agriculture and their farmer’s inn that we observed through our experience at Seisetsukan. As a conclusion, we would like to clarify our discoveries by comparing and contrasting what we had in our mind before going to Seisetsukan with what we thought after our visit. We would like to divide our discoveries into three points. The responsibilities and freedoms of the self-employed: farmers We might tend to think that independent business is risky because it requires the owners to have huge responsibility. Unlike the ordinary employment system of the tertiary industry, independent business does not provide any protection for its owners. If an employee fails to complete his or her tasks in a company, the company would deal with that issue, taking responsibility for his or her faults. However, in independent business, if owners fail at their tasks, no one is there to take any responsibility but the owners themselves. There is no doubt that in independent businesses, they cannot easily run many risks. Under such pressure, owners still must produce results in their own businesses. It is not surprising that a large number of people choose to be employed by a company. However, what we found out in Seisetsukan was totally different to our original conjectures. Both Seiji-san and Shoko-san have enjoyed agriculture as an independent business because they have enjoyed what only those who have huge responsibility can get - that is to say, freedom. As Shoko-san said, in independent business, what its owners have worked hard on will definitely benefit them. Unlike employees in companies whose salaries are decided by their company, the self-employed can get as many benefits as the efforts they have made. In addition, independent business enables owners to use their time flexibly. If someone works for a company, his or her time will be managed by that company. As opposed to this, those who are self-employed can manage their time by themselves. This flexibility of time-management might be one of the reasons why the Kadowakis have actively tried and succeeded in various challenges. The way Seiji-san and Shoko-san view their business: farming or self-employment, helps us notice a new sense of value towards independent business. 105 付録 full when they go home.” When we visited Seisetsukan, Shoko-san and her daughter Fujimisan served us a variety of food, such as kiritanpo(grilled rice sticks, which are traditional Akita fare), tempura, oden, stewed dishes, boiled spinach and so on. All the vegetables were, needless to mention, grown by Seiji-san and Shoko-san. They are happy if the customers think they can be full when they visit Seisetsukan. Eventually, the customers who are satisfied with what they have experienced at Seisetsukan will advertise and inform others about the inn through word of mouth, and more repeat visitors may come back to visit Seisetsukan. We can see how successful this style of hospitality has been by the fact that there have been roughly 250 annual visitors to Seisetsukan. Just the way they are Seiji-san’s policy for welcoming visitors is to behave and act how he usually does. By acting in their ordinary way, Seiji-san said, they can make their visitors feel relaxed. Shoko-san explained that there is no plan prepared for the visitors in Seisetsukan. Every day, the Kadowakis’ morning begins at an early time. The earliest riser, Seiji-san, wakes up at approximately 4 a.m. and starts working on the farms. Although they are the owners of a farmer’s inn, their major work is farming: their daily life is based on the tasks they need to do as farmers. The visitors to Seisetsukan, according to Shoko-san, sometimes expect the owners to prepare certain farming experience plans, yet they do not do so. This is because farming is highly affected by the natural conditions that change every day; thus Seiji-san and Shoko-san find it difficult to predict what they can and cannot do on the days visitors are to come to their place. Therefore, visitors to Seisetsukan experience whatever Seiji-san and Shoko-san happen to be doing during their stay. If the customers want to relax, they relax. If they want to experience farming, Seiji-san and Shokosan teach them how to sow spinach seed or wash daikon. Their style of service is to make no fixed plan so that the visitors are able to jump into Shoko-san and Seiji-san’s daily farming life. Shokosan said, “We would like to listen to what the visitors want to do, or what they are interested in. It is better for them to act on their own initiatives.” They do not want to make the visitors feel constrained or force them to do anything. After hearing customers’ requests, Seiji-san and Shokosan support what they want to experience. This is also true omotenashi. Seiji-san and Shokosan truly consider their visitors and try to be flexible for them. One of their goals is to make Seisetsukan a “home,” where visitors can feel warm and be set free from any stress. Maintenance of the current condition: A sequence of challenges “We are trying to maintain our current conditions,” said both Seiji-san and Shoko-san. As the ageing population and depopulation in the Nishiki area are becoming serious issues, it is very hard to maintain the status quo: to keep the service at the same quality whenever people visit Seisetsukan. While they say they are merely trying to maintain their daily lives, they do not stop at challenging themselves with new things either. Some years ago, for instance, when Shoko-san wanted to sell mochi, rice cakes, she was told by an official that she needed to obtain a certain official permission to sell food if it was not sold at the inn. She then decided to construct a processing factory to make and sell mochi, receiving official permission to do so. They are active in many other aspects, selling hoshi-mochi (a special product in the Tohoku region) at direct selling stores or sending their farming products to the people in large cities. In addition, they accept foreign visitors from countries, such as South Korea, Taiwan, 106 farmer’s inns. Despite the fact that he did not comprehend the concept of the challenge, Seiji-san still financially supported his wife and daughter. Seiji-san’s confusion about green tourism was not the only issue they needed to face. When Fujimi-san and Shoko-san were supposed to submit their official papers, they struggled with the great deal of technical jargon spread throughout the documents. Also, the officials who came to their house to examine its earthquake-resistant construction, told them that the base of their house did not satisfy the strength level required for an accommodation building. Remembering those days, Shoko-san told us that she could barely sleep at night, thinking about the re-examination. Contrary to her concern, the base of the house was, in the end, enhanced with other supportive materials covering it, and the officials finally gave them permission to open their farmer’s inn. The Kadowakis, who overcame such difficulties in opening their farmer’s inn, told us their mottos in the interview. In the next section, we are going to describe how they consider their business. The Kadowakis’ mottos Monozukuri “You should work with faith, confidence and pride, and this is called true monozukuri.” Monozukuri means, if we interpret Shoko-san’s words, to have a state of mind or a spirit to produce not only excellent products, but also to have the ability to constantly improve the production system and its processes. Seiji-san and Shoko-san grow spinach and many other kinds of vegetables. When we visited Seisetsukan, they served us very delicious local foods rich in vegetables, which were all harvested at Seisetsukan. Seiji-san said, “I would like the visitors to eat food with no additives because it is much healthier. I think the reason that I have many family members living a long life is that we eat the vegetables that we harvest, and avoid consuming food additives.” He thinks it is a pity that many people nowadays depend on processed food sold at convenience stores for their lifetime, which contains plenty of additives. Therefore, Seiji-san would like their visitors to eat healthy, trustworthy, and delicious food, with vegetables without any additives. Shoko-san said, “What you have worked on very hard will definitely benefit you.” We asked her how she has been able to continue farming and managing their farmer’s inn for such a long time. She answered that it is because she really loves her home, where she has lived for a long time, ever since she got married, and also because she has always believed that farming will be successful depending on how well she manages it. She compares general work in the city with farming: “Being employed means that you work within a fixed time, and you only get a fixed income. However, in farming and farmer’s inns, you get rewards depending on how much you worked, and there is no limit to them.” Then Seiji-san added that one of the strengths of running one’s own business is the flexibility of time-management. Since Seiji-san and Shoko-san really love farming and are proud of their achievements, they have been successfully continuing their work for a long time. True Omotenashi Seiji-san and Shoko-san’s way of welcoming visitors is true omotenashi. Omotenashi describes a welcoming spirit with warmth and an understanding of the guests. Seiji-san said, “Since many people choose to visit Seisetsukan among many other farmer’s inns from far away places, we would like them to eat a lot of delicious local food and make their stomachs really 107 付録 the price of rice, maintenance of the same quality of services needs unceasing efforts. Now, the owners of Seisetsukan wish to be a gateway to countryside life, welcoming people from cities, while maintaining their everyday lives. In this paper, we will aim to present what we learned through the fieldwork in Seisetsukan by introducing the owners’ life stories, sharing their values and mottos, and analyzing what the Kadowaki’s life story means to us. The Kadowaki’s life story Our first contact with Seisetsukan Seisetsukan first seemed to us like a normal house surrounded by huge fields, but once we stepped into the building, the warm and relaxing interior, and the words “okaerinasai” [welcome home] soon made us feel comfortable and welcomed. When we went upstairs, the huge firewood stove and Japanese-style room with spectacular scenery from the window brought us peace of mind. The owners of Seisetsukan also warmly welcomed us, speaking in a relaxing tone and smiling at us. Born in a farmer’s family Seiji-san was born on November 10, 1942, on Karafuto Island. He was the second oldest among six siblings. Seiji-san was brought to mainland Japan when he was three years old, due to Japan’s severe situation in World War II. Shoko-san was born on June 11, 1949, in a region called “Tozawa”, which is a roughly thirty-minute drive from the Kadowaki’s current house. They live with their daughter, Fujimi-san, who is the official owner of Seisetsukan. As Seiji-san’s parents owned a great amount of land in the Nishiki area, his family moved to, and settled there, in 1950. At the time they moved there, they would mainly cultivate adzuki beans for their living. In November of 1970, Seiji-san and Shoko-san got married with the support of their relatives; it was an arranged marriage. For some fifteen years, the Kadowakis continued their career by cultivating rice, in the rich fields their parents’ generation had left to them. In 1985, however, due to the decline of the price of rice, the Japanese government launched its “Gentan policy” (policy of the reduction of rice acreage); as a result, the choice the Kadowakis had was to start cultivating other kinds of crops. Therefore, in 1985, the Kadowakis began cultivation in greenhouses. Opening Seisetsukan: Challenges and difficulties In 1998, Fujimi-san and Shoko-san made up their minds to try something new. What they decided to do was to become the owners of a Nouka-minshuku, or farmer’s inn. According to Shoko-san, they were influenced by three key factors. One was the farmer’s inn owner in the Nishiki area, who had opened the very first farmer’s inn in Akita prefecture. The second was the “thank you” message cards from children who had visited their place for farming experiences (the Kadowakis had already been providing farming experience courses to school children before they started the farmer’s inn). The third was the people living in large cities, who were in need of a peaceful place to relax in a rural area. Inspired by the Nishiki pioneer who had opened the first farmer’s inn, supported by the children’s messages, and responding to the city people’s desires, Fujimi-san and Shoko-san managed to open their farmer’s inn in 1998. Nevertheless, in fact, Seiji-san did not fully agree with Shoko-san and Fujimi-san at the beginning of this new challenge, since he was unable to grasp the concept of green tourism and 108 Connecting Nishiki and the Outer World - Unceasing Challenges - Takahiro Fujita, Minami Sakari, Tatsunosuke Wada, Ikuma Yasuda Introduction The Nishiki area and Seisetsukan The Nishiki area, a small countryside region located away from the capital in Akita prefecture, presents beautiful Japanese scenery throughout all seasons. This far-off countryside is characterized by the concentration of tens of farmer’s inns and has caught attention not only from Japan, but also from overseas, as a place that enables people from outer societies to participate in the rural life of Japan. Thanks to this unique industry, the Nishiki area is now on the cuttingedge of green tourism in the entire Akita prefecture. We stayed at Seisetsukan, the second oldest farmer’s inn among those that started in 1998, following the establishment of Taizandou, in order to research how those farmer’s inns in a small town have been contributing to the sustainment of good-quality green tourism in Akita prefecture. We interviewed Shoko Kadowaki, Seiji Kadowaki, and their daughter, Fujimi Kadowaki, the owners of Seisetsukan. Seisetsukan is managed by these three farmers, as a side job in addition to growing vegetables. This farmer’s inn is one of the sensational inns in the Nishiki area, famous for its well-organized green tourism. It annually accommodates approximately 250 people. The purpose of our research was to learn what kind of difficulties its owners have overcome and how they maintain good-quality green tourism in Akita prefecture, via the analysis of their life stories. Among the many types of community development we have studied through this course, Seisetsukan’s case can be characterized as the development of the sextiary industry: the combination of primary, secondary, and tertiary industries conducted by one institution. This industry contributes to the development of the familiarity of the Nishiki area and the enhancement of community ties of its residents under the name of green tourism; thus it exactly epitomizes successful community development and is worth interviewing. Many people admire green tourism in Akita prefecture for its good-quality service, but what distinguishes Akita’s green tourism from that of other prefectures in Japan? How can Seisetsukan, a farmer’s inn managed by only three ordinary residents of the Nishiki area, lead and inspire green tourism throughout the entire Akita prefecture? Our interests and expectations Our expectation before the field research was that the owners of Seisetsukan must be spending most of their time thinking about green tourism in order to maintain the quality of their services. They must be, we thought, working hard on advertisements and events in order to overcome many difficulties. Also, we wanted to see how much effort they had been making to sustain successful community development and what they hoped to do next to expand their business. However, contrary to our expectations, what we found through the interview was that their high-quality services were merely an extension of their usual lives. Instead of preparing many events to satisfy visitors, they usually did not set any plan. “Maintaining our everyday life is a sequence of challenges,” the owners said. Due to ageing, depopulation, and the decline in 109 付録 of a community overlap with each other. Economic development and strong industries have often solved these issues. However, these solutions do not suit this region. we felt that the Nishiki Green Tourism members do not hope to develop the region, but rather, to live sustainably. In order to maintain this situation, the public service is necessary. Thus, the local government has to change their role to support local people. At the beginning of taking this course, we thought that the farmer’s inn owners and their staff were enthusiastically taking part in developing rural communities. Workers in Akita’s Prefectural Office also seemed as though they were putting a great deal of effort into community development and taking up famer’s inns as keys of development. However, after we experienced the fieldwork and interview, we felt the gap between prefectural officers and the owners of a farmer’s inn. It seemed that the owners of the famer’s inns did not really have a strong desire to develop their communities; it even seemed that they were satisfied with the current situations of their communities. We believe that even though prefectural officers want to commit themselves to develop communities, they should not force their ideas on the locals, and it is important to understand what the community members desire. On the other hand, I also believe that development is necessary for rural communities. It would be a solution for the problems that concern rural communities. In the textbook that we referred to in class, there is an idea called “pluralism” that proposes that people in conflicts understand the ideas or the beliefs that each other might possess, and to try to reach a solution for the problems. I believe that this would be one of the keys to fill the gap between prefectural officers and people who live in rural communities. Conclusion Before visiting Nodoka, we thought the owner had some special reasons and a high motivation to start a farmer’s inn. This was because she is very young and she chose to run a farmer’s inn instead of doing another job. We were very curious about why she started it and what her goal was. In fact, however, she started running a farmer’s inn not only because of her will, but also because other owners supported her. Where we found an interest was the changes in Ms. Yukiko’s mind. As she accepted more customers, she became more interested in communicating with people. She said that she used to be shy, but now she has overcome this, and can communicate with foreigners too. She also said that she wants to focus on accepting children as a long term goal. She is going to be a person who will be relied on by other inn owners. Right after the interview, we were very surprised and a little disappointed because her reasons were completely different to our expectations. However, it is a real answer, and we were the ones who misunderstood. From our point of view, farming is an unfamiliar job. However, since she grew up there, it was a natural progression for her. Nothing was unique. We were observing her situation through our own lens, thus the gap was caused. At the same time, we found that green tourism as community development also has a gap between the government as planners and the famers as organizers. At the beginning of the class, Professor Sugimoto told us that there were many facts that we would be able to see when we visited the place by ourselves. We learned what she really meant from the nature of Nishiki and from Ms. Yukiko, who lives there with local people. 110 heavy snow during winter. Since it was very hard to work on both snow shoveling and raising crops and vegetables, Ms. Yukiko thought it would be difficult for her grandmother to work by herself. In addition, Ms. Yukiko had knowledge of how to use the farming machines and the boss of her company understood her family’s situation. Ms. Yukiko’s environment allowed her to be flexible to help her grandmother. As another reason, there is the fact that the Takahashi family accepted children as “minpaku”(farm stay)before starting a farmers’ inn. The requirements to obtain a license to run a farmers’ inn were stricter than those for minpaku. The owners did not need any qualifications to run a minpaku. After several years of the experiences of minpaku, the regulations for farmer’s inns were mitigated. Ms. Yukiko had already experienced running a minpaku, and she liked children. Therefore she decided to apply for a farmer’s inn licence. When she did so, she became the youngest owner in Japan. Her surroundings encouraged her new challenge. After the interview, we realized that Ms. Yukiko’s decisions and the support from her surroundings were important motivations for her to start farming and running a farmer’s inn. Besides these, deregulation had an impact on her, too. We also felt that she has been conscious of her role in her family. Recently, the shortage of successors is one of the serious problems in the countryside. She might have felt uncomfortable because the relationships are too close rin the Nishiki area. But now, she enjoys meeting new visitors. We realized her strength of mind and flexibility. Life in Nodoka In the interview, Ms. Keiko and Ms. Yukiko talked about the foundation of their lives being farming, so they would never ignore it and focus only on running their famer’s inn. They are often asked why do they not put more effort into running the famer’s inn and making more profits to improve their living standards. We all thought that this opinion would be valuable to be able not only to improve their living, but also to help developing the community around Senboku City. However, Ms. Yukiko strongly emphasized that the roots and trunk of their lives heavily depend on farming, so it is definite that if Ms. Yukiko and Ms. Keiko disdain farming, the substance of their lives in the rural community would be lost. Our findings of community development Through this class and field trip, we could find my ideal definition of community and development. Community is not a group, but a place where people come and gather around. Development is not economic development, nor convenience, nor technical development. Development is maintaining the living situation as it is now. This is just an ideal definition and other information and problems should be accommodated. That’s why community development is complicated. When we visited Nishiki and interviewed the owner of a farmer’s inn, we found several things. Our class members had already learned about the theory of community development. Each community has its own problems and we thought that the local people should confront them. As it is, Akita prefecture has some troubles such as depopulation, a scarcity of successors and aging. However, after visiting the Nishiki region, wethought that the community should not have to solve these matters by force. This idea comes from two findings: local people have to satisfy their living conditions and they do not have enough time economically and physically. The problems 111 付録 landscape of farming villages in Japan. People who visit it want to come back again because Nishiki has what we are losing as our lives become more convenient. During the fieldwork, we got a chance to help with Ms. Keiko’s farming work and to interview her. Unfortunately when we visited Nodoka, the season of cultivating rice was already over. Therefore, we helped Ms. Keiko to clean up and perform maintenance for the farm. On the farm, Nodoka owns a small water reservoir. In the reservoir, the beautiful spring water comes down from the mountain that Ms. Yukiko and Ms. Keiko own, and fills it. Ms. Keiko said that many people who live around there come to Nodoka to ask for some pure water. Ms. Keiko feels really proud of it. We thought that this beautiful nature and the strong social bonds are some of the reasons why there are people who prefer to live in rural areas surrounded by nature, even though it is inconvenient. At night, we made kiritampo(traditional Akita fare of grilled rice sticks)for dinner by ourselves, which is one of the activities of farmer’s inns, with assistance from Ms. Keiko and Ms. Yukiko. When we made kiritampo from scratch, we had to grind the rice down into a paste with a huge wooden pestle. Ms. Yukiko told us that her family had been using the same wooden pestle before she was born. She said that this wooden pestle has been used for around 100 years and has retained its shape. Ms. Keiko also told us that using the same cudgel for such a long time changes the shape of its point. And the shape of the point is gradually getting closer to the proper shape to grind rice. The shape of the wooden pestle that Ms. Yukiko used was nicely rounded off on its formerly sharp corners. Ms. Yukiko said that it is so important when making kiritampo, that the shape of the wooden pestleand the surface of the mortar match. Background information The Takahashi family consists of grandparents, parents and three sisters. Ms. Yukiko, the owner of the farmers’ inn, is the oldest sister. Ms. Yukiko has lived with her grandparents and middle sister in Nishiki. Her parents and youngest sister have lived in Kakunodate. The Takahashi family owns their farming land and a large part of the mountain behind their house. Her grandparents made a living as farmers, whereas Ms. Yukiko and her middle sister worked after graduating from business college. Their jobs were totally unrelated to farming. Her grandparent’s business is based on raising rice and vegetables. They grow more than 50 kinds of vegetables. They sell quality vegetables for school lunches. They bring their produce to direct-selling shops (michinoeki), too. Although Japanese farmers often utilize the Japan Agriculture (JA) system, the Takahashi family does not rely on it. They sell their products by themselves. As mentioned in the introduction, in the class, our professor introduced the owner of Nodoka as being a relatively young member of her profession throughout Japan, as well as in Nishiki. Before going to Nodoka, our image of the owner was “young.” When we were considering our research topic, our questions were focused on her motivations and thinking, rather than community development. Nowadays, in most regions in Japan, young people leave their hometowns. They decide to go to university in urban areas, or move there to find a job. However, Ms. Yukiko’s decision was totally different from theirs. There are two factors which affected Ms. Yukiko’s decision: the transformation of family structure and deregulation. However, she is the one who finally decided to open and run a farmer’s inn. It means that she may have felt it necessary to continue her family’s work. The first motivation to start a farmer’s inn was the death of her grandfather. Akita has 112 Attachment 付録 Student Paper 学生の英語レポート I. Group Paper You Won’t Understand Anything without Visiting a Place Akari Kurata, Ayumu Sato, Kazamu Tanaka Introduction Our group, Akari Kurata, Ayumu Sato, and Kazamu Tanaka, went to the farmer’s inn, Nodoka, which has a unique owner compared to other farmer’s inn owners. First of all, Nodoka’s owner, Ms. Yukiko Takahashi, is one of the youngest owners in Japan. Second, the structure of her family is interesting. The most interesting and unexpected part for us, was her view of the future. Each of us in the group had different interests in going on the farmer’s inn field trip. Akari had experience working at a travel agency where she had researched about public transportation. Since she already understood the real situation of development and tourism in the local region, she wanted to gain more knowledge about development. Ayumu has been interested in community and development since she did voluntary activity in Fukushima after the 2011 earthquake. She wanted to know how, by whom, and when development started in the area. Kazamu went to some developing countries during his gap year and became interested in development. Since his grandmother used to have a rice field, he also had an interest in rice cultivation, too. Even though we had different interests, we decided on one big question to ask the farmer’s inn owner as we shared own experiences and interests. The question was about the reason why Ms. Yukiko started running a farmer’s inn. Nodoka is quite a new farmer’s inn in Nishiki, Senboku city. Nodoka is famous for having a young owner. Usually, owners are around 50-60 years old, or even older. However, Ms. Yukiko is 29 years old. She wasn’t a farmer originally. She worked at a small company. 5 years ago, however, she started a farmer’s inn with her grandmother. Her grandmother owns rice fields and vegetable farms. They are making a living in two different ways: one is the farmer’s inn and the other is farming. According to them, farming is their main source of income. Nishiki town of Senboku city has a lot of snow in winter, which accumulates to higher than 2 meters in height. The owner said that winter is very busy for her because she has to shovel snow every morning. Kakunodate, which is next to Nishiki, is a very big town and is famous for its spring cherry blossoms. However, Nishiki has not prospered. The number of families living there is decreasing gradually. Its nature is beautiful and the appearance of Nishiki town is the unspoiled 113 付録 編者紹介 椙本歩美 (すぎもと あゆみ) 国際教養大学基盤教育 助教 専門は秋田の地域研究、フィールドワーク教育 平成23年度国際化拠点整備事業 (文部科学省) 大学の世界展開力強化事業報告書 地域発展論 2014 秋田県仙北市 農家民宿経営者のライフストーリー 2015年3月31日 発行 編者 椙本歩美 英文校正 當眞デニース 制作補助 倉田あかり、小堺なお(国際教養大学学生) 小林沙樹子(国際教養大学教務課教育推進プロジェクトチーム) 発行 公立大学法人国際教養大学 教務課教育推進プロジェクトチーム 秋田県秋田市雄和椿川字奥椿岱 本報告書の記載内容および発行に関しては、聞取り対象者および関係者の皆様から了承 を得ております。本報告書は学生の学びを社会に還元することを目的としており、内容 についての責任は発行者が負うものとします。本報告書の内容を発行者の許可なく転 載、引用など二次的利用することを固く禁じます。本報告書および本学の国際化拠点整 備事業費補助金「大学の世界展開力強化事業」(文部科学省)に関するご質問等は、国 際教養大学教務課教務課教育推進プロジェクトチームまでご連絡いただきますようお 願いいたします。 114 地域発展論 2014 秋田県仙北市 農家民宿経営者のライフストーリー 公立大学法人 国際教養大学 International Collaboration Project (ICP) について : この事業は、平成23年度国際化拠点事業(文部科学省) 大学の世界展開力強化事業 の支援を受けて行っています。
© Copyright 2024 ExpyDoc