アーツ・アンド・クラフツ運動”

”アーツ・アンド・クラフツ運動”
19 世紀後半にイギリスで起こった美術・工芸・デザイン運動で、食器・家具・インテリア・衣服といった生活の道
具を美しくしようとする試み。 → 民衆の生活の芸術化をめざした。。
ジョン・ラスキン、ウィリアム・モリスをその思想的な源としている。その呼称は 1888 年に設立された「アーツ・
アンド・クラフツ展示協会」の名称に由来する。
「世界の工場」イギリス
当時イギリスは、産業革命の発祥地として、手づくりから機械生産へと、ものづくりの体系の全面的な換のプロセ
スに先鞭をつけていた。1831 年の第 1 回ロンドン万国博覧会に象徴される機械生産による粗製乱造品に対する嫌悪感や
ゴシック・リヴァイヴァルにみられるような懐古趣味、経済的反映の裏で社会の産業化に伴って生まれてくる問題点に
直面していた。
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産業革命による機械生産への反動としてはじまった。失われようとするハンドクラフト(手工芸)を復活(復権)させ、
機械化によって押しつぶされようとする人間的生活の条件を守ろうとした。
諸芸術と諸工芸
アーツ・アンド・クラフツ運動では、あらゆる芸術をあらゆる工芸と一緒にとらえること、つまり総合芸術が目指
されている。これには、芸術と工芸が分裂した状況への批判がある。ジョン・ラスキンやウィリアム・モリスは レッ
サー・アート (小芸術)を再評価した。
■ジョン・ラスキン(1819-1900)
『建築の七燈』(1849)、『ヴェニスの石』(1851-53)などの著作で、若いデザイナーに大きな影響
を与えた。工業社会である現代を批判し、自然に目を向け、有機的なデザインを評価した。手づ
くりの芸術的な意義とその精神的な重要性を再認識する必要性を説いた。
■ウィリアム・モリス(1834-1896)
モダンデザインの先駆者。あらゆる領域を試みた総合的デザイナーであった。ラスキンの思想に
影響を受け、自ら染織や印刷などハンドクラフトを手がけ、また共同体としての活動を行なって
いる。若い頃はラファエル前派の芸術家であった。
■ラファエル前派
ラファエル前派 = ラファエロ以前にもどれ。
アーツ・アンド・クラフツ運動 = 中世の職人のハンドクラフトにもどれ。
中世の職人にもどれというのは、手工芸の復活であるとともに、ギルドという職人のコミュニ
ティの復活でもあった。
赤い家からモリス商会
ウィリアム・モリスが 1859 年、結婚(ジェーン・バーデン)した直後に建築した新居。設計は、友人のフィリッ
プ・ウェッブ(1831-1913)。実際の設計には、モリスの意向もかなり反映されたものと推測されている。それまで構造
材として使われていた赤レンガをむき出しにした外観造形的に変化のある立面、中庭を重視した平面プランなど、四角
い箱状の住宅が当たり前であった時代に、この住宅建築の先進性は際立っていた。インテリアや家具は、モリスや
デザイン史概説 #04 アーツ・アンド・クラフツ運動 ウェッブはもちろんバーン=ジョーンズ夫妻、ダンテ・ロセッティ夫妻をはじめ多くの友人たちによる共同作業の産物
であった。この時の友人たち実質 7 人とモリス・マーシャル・フォークナー商会を創設している。この商会は、ステン
ドグラス、壁紙、染織品、家具など、モリスのその後の活動の拠点となったばかりか、アーツ・アンド・クラフツ運動
の成果でありモデルのひとつとなった。
■モリス商会
親しい友人のグループによって、建築、インテリア、家具までをすべて手づくりで行なうという
経験をもとに、一八六一年、モリス・マーシャル・フォークナー・アンド・カンパニーが設立さ
れ、工房として活動しはじめた。
■ケルムスコット・プレス
1890 年にモリスはケルムスコット・プレスをつくり、タイポグラフィーをデザインし、美しい本
をつくった。
■ギルド
モリス自身によるモリス商会、アーサー・マックマーデュ等によるセンチュリー・ギルド、アー
ト・ワーカーズ・ギルドなどによる実践が行われた。このような実践と思考は社会のあり方にも
影響を与え、モリスなどによる社会主義運動へと発展した。この運動の影響は、ドイツや北欧を
始め、北米や日本の民芸運動にまで拡がる世界的なものであった。また大自然のなかで手仕事に
いそしむ工芸家というイメージは、このような伝播のなかで形成され、今日まで再生産されてき
た。〈ギルド〉のはしりはラスキンが計画したセント・ジョージズ・ギルドであったが、これは 、
あまりに空想的な自給自足のユートピア村であったのでつづかなかった
アーツ・アンド・クラブツ運動は、ロンドンから地方に広がっていった。それぞれの、ギルドは
独自のスタイルを持った。
アメリカのアーツ・アンド・クラフツ
アーツ・アンド・クラフツ運動が第二の開花を見せるのはアメリカにおいてである。1870 年代からアメリカに伝え
られるが、特にこの国での運動の特徴になったのは、女性が大きな役割を果したことであった。シンシナティ大学のデ
ザイン・スクールで英国人ベン・ピットマンが木彫ややきものの絵つけを教えたが、生徒の多くは中流の上層の女性た
ちで、その中から、メアリ・ルイズ・マクローリンやマリア・ロングワース・ニコルズなどの陶芸家が育っている。ニ
コルズは 1880 年ルックウッド・ポツタリーを聞いている。シカゴから出発した建築家ブランク・ロイド・ライトも、
この運動に深く関わっている。モリスなどが夢想した共同体、芸術家村の夢は、カリフォルニアなどにつくられたアー
ツ・アンド・クラフツ運動の芸術コロニーにおいて生きつづけた。
思想の臨界点
手づくりによる商会の製品は見事な出来映えではあったが、結果的には高価で、そのため対象とされた民衆には手
が届かないというパラドックスが生じてしまった。しかし、モリスらの活動で重要な点はむしろ、その意識のあり方に
あった。偽りのない造形をもっ日用品を小芸術と捉えて、生活の芸術化を図ろうとすることで、生活環境の全体を美し
く、しかも使いやすく彩るという発想がもたらされ、やがて「総合芸術」「トータルデザイン」といった思考へも到達
することになるのである。そして、それゆえアーツ・アンド・クラフツ運動は、機械の否定という性格を内包させつつ
も、アール・ヌーヴォーやドイツ工作連盟といった動向のみならず、パウハウスをはじめとする機械=テクノロジーを
全面的に肯定した両大戦間期の近代建築運動にまで、大きな影響を与えていく。
デザイン史概説 #04 アーツ・アンド・クラフツ運動