自由論題 北極海における航行制度の 展開 ― 北西航路の法的地位 ― 小 山 佳 枝 目次 背景として活発化する経済活動は、新たな国際法上 はじめに の問題を浮き彫りにしている。それが、北極海を抜 1.国際海峡の制度 ける新たな海上航路の法的地位に関する問題であ (1)国際法における「レジーム」と国際海峡 る。 (2)成立過程 北極海における航路とは、極点を軸に、カナダ北 2.「国際航行に使用されている海峡」たる要件 部沿岸を横断する「北西航路」とロシア北部沿岸を (1)地理的要件 横断する「北東航路」または「北極海航路」に分け (2)機能的要件 られ、いずれもその海上航路としての有用性に注目 3.北西航路をめぐる最近の諸実行 が集まっている。実際、1978 年から始められた衛 (1)国家-カナダ、米国、EU 星観測史上初めて、2008 年 9 月の一定期間、北東航 (2)国際機関- IMO ガイドライン 路と北西航路の両側の海氷が完全に消滅したことが 結びにかえて 報告されている 1。また 2010 年夏には、ロシア最大 の海運会社ソフコムフロート社所有のタンカー「バ ルティカ号」(The Baltica)が、液化ガス 7 万トンを はじめに ロシアのムルマンスクから中国浙江省の寧波まで輸 送する過程で、大型タンカーとしては初めて北東航 北極海は、近年、資源開発、安全保障、海上交通、 路の通航に成功している 2。これらの航路を利用し 環境保護、先住民族の人権保障、といった様々な観 た場合、特に北東航路に関しては、従来のスエズ運 点から先進諸国の関心が集中している海域の一つで 河経由に比べると、横浜とロッテルダムの間は約 4 ある。それは、冷戦の終焉によってもたらされた北 割の航程が短縮されるとの試算もある 3。また、南洋 極海沿岸諸国の政治構造の変化といった要因に加え 航路の要衝たるソマリア沖やマラッカ海峡で発生し て、ここ数年の地球温暖化による自然環境の劇的変 ている悪質な海賊行為に遭遇する危険性が低いこと 化-すなわち北極海の氷の融解-がもたらす、同地 や、紅海沿岸国の近年の政情不安に鑑みても、より 域の経済的価値に起因するものであり、こうした北 航行の安全性を確保できることから、海運業界はこ 極地域における氷の減少とエネルギー需要の増加を の新たな航路の開発に大きな期待を寄せている。と FORUM OF POLICY STUDIES 2015 23 自由論題 北極海における航行制度の展開 【図表1】北極海における主要な航路 “The Arctic Institute”ウェブサイトより ころが、これらの航路の法的地位をめぐっては、従 北西航路は「国際航行に使用されている海峡」であ 来より沿岸国と利用国との間で対立があり、海洋法 るため、同海域では通過通航制度が適用されるべき 上の異なる複数の制度の適用可能性が示唆されるこ であると強硬に反発している。 とから、法的にはより一層複雑な様相を呈している のが現状である。 こうした両国の主張の背景には、結果的に、沿岸 国の領域主権と利用国の機能的要請という、相対す 本稿で取り上げる北西航路に関しては、その沿岸 る利害構造を見て取ることができるが、さらに言う 国たるカナダは、1973 年に同国外務省の発した書 ならば、この問題が海洋における「航行の自由」と 簡において明記したことを契機として、北西航路を 「海洋環境の保護および保全」との間の均衡点をいか 含む北極海群島の内側を「歴史的内水」であると主 に見出すかという海洋法秩序にとっての根本的な課 4 張するようになった 。さらに1985年夏の米国沿岸 警備隊の砕氷船「北極海号」の北西航路航行を受け、 同年 9 月に「領海第 7 区域地理座標指令」 (Territorial 5 題を露呈している点を指摘しておかねばならない。 以上を念頭に、本稿では北西航路に関して、米国 が主張している「国際海峡制度」に焦点を絞ってそ Sea Geographical Coordinates Order)によって同水 の適用可能性について論ずる。このため、まず国際 域の周囲に直線基線を引くことを決定した。かかる 海峡の制度と国際法における「レジーム」(règime) カナダに対し、米国は、主に安全保障上の観点から、 について議論を整理する。次に、同制度の成立過程 24 FORUM OF POLICY STUDIES 2015 総合政策フォーラム 第 10 号 および国際海峡たる要件について検討を行う。さら 続を用意している、等の要素が挙げられている。こ に、最近の国家実行および国際機関の実行を踏ま うした新たな国際「レジーム」は、国際環境法以外 え、最終的に北西航路の国際法上の地位を明らかに にも、原子力の平和利用、軍備管理、国際経済法、 するための座標軸を得ることを目的とする。 国際人権法などといった分野においても多くの例を 6 見出すことができる 。 国際海峡は、前述のように、領域を前提とした伝 1.国際海峡の制度 統的な制度の系譜に属するとされているし、その領 域性を切り離して論ずことは、現代の国際法におい (1)国際法における「レジーム」と国際海峡 国際法上、伝統的な意味での国際「レジーム」は、 ては恐らく不可能であろう。しかしながら、国際海 峡において沿岸国の求める「領域性」と利用国の求 一定の領域を基盤として設定される「客観的領域制 める「機能性」との均衡点をいかに見出すかという 度」(objective territorial règime)であり、国際河 点は、国際海峡の制度を考察する上で前提となる重 川、南極、深海底、そして本稿で取りあげる国際海 要な視点である 7。 峡もこの系譜に属する。このような意味における国 際「レジーム」とは、すなわち、 「条約に基づき、あ る区域の地位を明らかに定めることにより、国際的 (2)成立過程 1609 年 に 出 版 さ れ た「 自 由 海 論 」(“Mare 秩序の一部を形成する制度」と定義することができ、 Liberum”)8 は、 「通商の自由」を基礎に書かれたとい その指標としては(1)一定区域の地位を規律する われており、この中でグロティウスは「全面的な海 国家間ないし国家と国際組織との間の条約の存在、 外交易は多くの人に多くの物を分かち与えるから、 (2)この規律の基礎をなす一般利益の存在、 (3)こ すべての交易で最も尊崇されるものであり」、諸国 の制度の設立によって一般利益の実現を目指すとい 民の基本的な権利であると述べた 9。その後1625年 う当事国の意思の存在、などが挙げられる。 に出版された「戦争と平和の法」(“De Jure Belli ac 他方で、今日、特に国際環境法の分野において顕 Pacis Libri Tres”)10 において、彼は、沿岸国の領有が 著に出現しつつある新たな国際「レジーム」とは、領 認められる海峡においても「武器を持たず、害を与 域性を前提としない「非領域的、機能的制度」 (non- える意図のない航行」を妨げてはならないとしてい territorial, functional règime)であるとされる。それ 「陸や川や海の一部分が、ある国民の る 11。さらに、 は、主として次のような意味において理解されるも 領有に帰すときでも、正当な理由があるときは、そ のである。(1)国家間ないし国家と国際組織との間 こを通過する必要のある者に開放されなければなら の条約を基礎として設立され、 (2)国際法に実定法 ない。…領有権は、ある国民に利益を与え、他の国 化されている国際公益、つまり国家間の共通利益な 民に害を及ぼさないような使用を留保して認められ いし国際社会の一般利益の実現を目的とし、それに るということができる 12」と述べている。ここには 基づく義務を当事国に課し、 (3)この目的を実現す 「無害」という条件を内包させることにより、他国の るための組織的及び作用上のメカニズムを備えて、 領有権とすべての国民の通航権を調和させる立場が 当事国の行動を基準化しその統一的な管理によって 示されている 13。そしてその後、海洋論争時代から 履行を確保するとともに、「レジーム」自身の力に 近代を経る中で、国際海峡の制度は、理論上、実行 よって目的の達成をはかるために最小限度の自己実 上ともに次第に定着していく 14。 現性と自力執行力が認められ、 (4)「レジーム」内で 発生する国家間の紛争や異議申し立てについては、 「レジーム」自身が、一応、自己完結的な紛争処理手 1949 年、国際司法裁判所(International Court of Justice: ICJ)は、アルバニアと英国との間で争われ た「コルフ海峡事件」(Corfu Channel Case)15 にお FORUM OF POLICY STUDIES 2015 25 自由論題 北極海における航行制度の展開 いて、国際海峡であるための基準について初めて言 が 22、ここでもやはり、「国際航行に使用されてい 及した。すなわち、「その海峡を通航する船舶の量 る」どの海峡に通過通航権が適用されるのかという に求められるべきなのか、あるいは国際水路として 点について正確な言及は行われなかったのである。 の重要性の程度に求められるべきなのかは問題とな 「決定的な基準とは、公海の りうる 16」とした上で、 2つの部分を結んでいるというその地理的な状況 17」 であるとする地理的要件と、「それが国際航行に使 2.「国際航行に使用されている海 峡」たる要件 用されているという事実 18」であるとする機能的要 件とを提示した。同事件では、地理的要件にもとづ く判断は容易に行われたものの、機能的要件を満た (1)地理的要件 北西航路は、いくつかのルートに分かれるが、 すか否かについて、結果的に、同海峡が航行に「使 デーヴィス海峡、バフィン湾、ボーフォート海、ベー 用可能な航路」(useful route)を提供しており、こ リング海峡等を中心に、主に 5 つの可能な航路があ れは機能的要件を満たすのに十分であると、裁判所 るとされる 23。つまり、同航路は、カナダ沿岸の北 は結論付けた。ここでは、使用基準が航行量または 極海群島を通る複数の航路が連結された一連の海峡 国際航行のための海峡としての重要性に依拠するか ということになる。これらを全体として一つの海峡 否かについては、裁判所は明確な回答を避けた。 として論じるか、あるいは単独の海峡として論じる そ の 後、1958 年 に 採 択 さ れ た「 領 海 お よ び接 べきかという問題はさておき、地理的に見て北西航 続 水 域 に 関 す る ジ ュ ネ ー ヴ 条 約 」(1958 Geneva 路を構成する海峡は、公海と排他的経済水域とを確 Convention on the Territorial Sea and Contiguous かに連結しており、地理的要件を満たすものである Zone)19(以下、領海条約とする。)では、「国際海 点に異論はないと思われる。そしてこれは、コルフ 峡」について明確な定義が行われないまま、16 条 海峡事件、領海条約、および国連海洋法条約におい (4)において国際海峡の地理的要件について、 「公海 て示される地理的要件を満たすものと言い得る。 の一部分と公海の他の部分又は外国の領海との間に おける国際航行に使用される海峡」との規定が設け (2)機能的要件 られた 20。しかしながら、ここでも、国際海峡であ コルフ海峡事件において、ICJ は海峡の地理的な るために一定の航行量が必要であるなどといった機 性質を強調し、同海峡を航行する海上交通の量につ 能的要件に関して、明確に規定されることはなかっ いては単に補足的な考察を行うにとどまった。また た。 領海条約においても国連海洋法条約においても、機 1982 年 の 国 連 海 洋 法 条 約(United Nations 能的要件に関して具体的にどこにその基準を求める Convention on the Law of the Sea)21 では、「国際航 かについて明白な規定を置いていない。上述の通 行に使用されている海峡」と題された第 3 部の第 37 り、北西航路の地理的要件が満たされるならば、一 条において、「公海又は排他的経済水域の一部分と 体何をもって「国際航行に使用されている」とする 公海又は排他的経済水域の他の部分との間にある国 かという具体的基準こそが、北西航路の国際海峡と 際航行に使用されている海峡」と明記された。すな しての地位を決定する鍵となるはずである。 わち、通過通航制度が適用される国際海峡であるた この具体的基準については、学説を整理すると、 めの要件として「公海又は排他的経済水域の一部分 複数の論者によって見解が分かれる。たとえば、 と公海又は排他的経済水域の他の部分」を結ぶとい アンダーソン前国際海洋法裁判所(International う「地理的要件」と、「国際航行に使用されている」 Tribunal for the Law of the Sea: ITLOS)裁判官およ という「機能的要件」の二つを満たすこととされた びナンダン前国際海底機構(International Seabed 26 FORUM OF POLICY STUDIES 2015 総合政策フォーラム 第 10 号 Authority: ISA)事務局長は、「潜在的な利用」では 3.北西航路をめぐる最近の諸実行 不十分であり、「定期的または予め定められたいず れかのレベルに達する」必要まではないものの、 「実 (1)国家-カナダ、米国、EU 際の使用」(actual use)でなければならないと述べ 2009 年 1 月にブッシュ前大統領によって出され る 24。両者は実際に、第三次国連海洋法会議におい た「北極地域政策に関する国家安全保障大統領指令」 て、第 37 条に「国際航行に使用されている」との文 (National Security/ Homeland Security Presidential 言に「通常」 、 「慣行上」、あるいは「伝統的に」と Directive on Arctic Region Policy)33 では、基本政策 いった文言を挿入しようと試みた 25 が、それらはい の一つとして次のように述べている。すなわち、 「海 26 ずれも却下されている 。同会議のトミー・コウ議 洋の自由は国家の最優先事項」であり、北西航路 長も同様の見解を支持しており、国連海洋法条約の は、国際航行に利用されている海峡 34」であるとし 規定が機能的要件の明確な定義を提供していないが た上で、「同海峡を通航するには通過通航レジーム ために、コルフ海峡事件で用いられた手法が依然適 が適用される 35」というものである。また、同年 6 用されるとした。その上で、一定の通航量が必要で 月には、米下院議員によって北極海の航行安全に関 あるとする見解を裁判所が採用しなかった点に着目 「米国船舶の国際海峡 する法案36が提出されており、 し、国連海洋法条約が要求しているものは、 「海峡 における無害通航権が尊重され保護されるべきであ が実際に国際航行のために使用されている」という る 37」と規定された。また、同法案では、国際海事 証拠であり「かかる使用の量は関係ない」と結論付 機関(IMO)を通じて他の沿岸国との協力協定の締 27 けている 。この点、カナダ政府は、第三次海洋法 結に向けて努力するよう求めた 38, 39。 会議において、国際海峡の解釈に制限を設ける意図 こうした一連の米国の動きを受ける形で、カナ で、要件の一つとして「伝統的に国際航行のために ダは、2009 年 7 月に「カナダの北方戦略:我々の 使用されてきた」点を加えることを提案したが却下 北、我々の遺産、我々の未来」(Canada’s Northern Strategy: Our North, Our Heritage, Our Future)40 と 28 されている 。 他方で、ブリューエルをはじめ、国際海運にとっ 題する政策文書を発表した。この中で、カナダ政府 ての海峡の重要性こそが決定的な基準であるとする は「北西航路が近い将来、安全で信頼し得る輸送航 論者もある 29。さらに、ファランドは、海峡が国際 「米国 路となることは期待できない 41」とした上で、 航行のための使用の歴史を有するだけでは足りず、 とカナダが北西航路として知られる個々の水路の法 航行量も重要であるとし 、少なくとも問題となる 的地位に関して見解を異にして 42」いる点を確認し、 海峡が「国際海上交通にとって有用な航路」31 でなけ 次のように述べている。すなわち、 「これらすべての ればならないと唱える。後者の立場では、そのため 相違点は良好に処理されており、カナダの主権また の基準として、さらに当該海峡を使用する船舶の数 は防衛上の挑戦を何ら引き起こすものではな」く、 30 および旗国の数の 2 点が指摘されており、結果とし 「実際に、これらの相違点は、カナダが米国、デン て北西航路は「国際航行に使用されている海峡」と マークまたは他の北極圏の隣国との協働し協力して して分類することはできないとも結論付けられてい 作業を行うことに関して何の影響力を持つものでは 32 る 。 ない」とし、最終的に「カナダは、これら個別の紛 争を引き続き処理し、将来、国際法に従ってこれら を解決するよう努めるであろう」としている 43。 また、1977 年よりカナダ北極海における効果的 な航行と環境保護の促進を目的として、任意に実施 されていた船舶情報システムである「北方カナダ船 FORUM OF POLICY STUDIES 2015 27 自由論題 北極海における航行制度の展開 【図表2】カナダ NORDREG 適用範囲 “Transport Canada”ウェブサイトより 舶通航サービス」(Northern Canada Vessel Traffic Council)の議長国 49 を務めているが、これに伴い Services)(通称 NORDREG)44 について、2001 年の 2013 年 5 月にカナダ政府が発表した文書「カナダ 45 カナダ海運法(Canada Shipping Act) にもとづい 北極評議会議長国としての責務」(Canada’s Arctic て NORDREG 規 則(Northern Canada Vessel Traffic Council Chairmanship50)では、「カナダの議長国と Services Zone Regulations) を 制 定 し た。 同 規 則 しての責務の主題は、責任ある北極資源開発、安全 は、2001 年の段階では、勧告的なものであったが、 な北極航行、および持続可能な周極社会に焦点を当 2010 年 7 月に航路等の情報提出を義務付ける強制 てた『北の人々の発展』である」と謳われている。 46 力あるものとされた 。また、同年 8 月には「北極外 交政策に関する声明」 (Statement on Canada’s Arctic 47 特に、北極海における船舶の航行問題に関しては、 「北極評議会諸国は、北極海に関する義務的極地水 Foreign Policy) を公表しており、北西航路がカナ 域コードを発展させる IMO の努力を促進するよう、 ダ内水であることを前提としたうえで、商業的な側 引き続き緊密に連携をとる51」旨を強調している。カ 面からは「他の航路の方がより実現可能性」があり、 ナダは、北極評議会の議長国を務めるにあたり、同 北西航路が今後「実現可能なものとなるかわからな 国の北極評議会担当大臣兼環境大臣として、北極圏 48 い」との現実的な見解も示している 。 さらに、カナダは 2013 年より北極評議会(Arctic 28 FORUM OF POLICY STUDIES 2015 のヌナブット準州出身の先住民族イヌイットである レオナ・アグルカック(Hon. Leona Aglukkaq)氏を 総合政策フォーラム 第 10 号 起用しており、そこには、北極圏を重視しこの地域 呼び、IMO において議論が継続している内容の義務 の将来を北の人々の手に委ねるというカナダ政府の 化に際して自国が指導的役割を果たす旨を謳ってい 強い姿勢をみることができる。 た 57。 ま た EU で は、2008 年 に 欧 州 委 員 会 が「EU と 本ガイドラインはその後、その適用範囲を南極に 北 極 地 域 」(Communication from the Commission まで拡大し、 「極地水域」(polar waters)という文言 to the European Parliament and the Council – The を用いる形で、2009年12月の IMO 総会において「極 52 European Union and the Arctic Region) と題する 地水域における船舶航行ガイドライン」 (Guidelines コミュニケーションペーパーを発表しており、「第 for Chips Operating in Polar Water)58 として正式に 三国の商船に対するいかなる北極沿岸国による差別 採択された。さらに、2014年11月、海上安全委員会 的実行を回避する必要性 53」を強調している。 において遂に、同ガイドラインは法的拘束力を持つ 「極地水域における船舶航行コード」(International (2)国際機関- IMO ガイドライン Code for Ships Operating in Polar Waters59)(通称 カナダが以上のような立場に立ちながら、主導 「極海コード」)としての採択をみた。同コードは、 力を発揮して進めてきた実行の一つに、2002 年 2015 年 5 月に開催予定の海洋環境委員会次期会合 に IMO において採択された「北極氷結水域におけ でも採択されれば、数年以内に発効する見通しと る 船 舶 航 行 ガ イ ド ラ イ ン 」(Guidelines for Ships なっている。 54 Operating in Arctic Ice-Covered Waters) を挙げる ことができる。同ガイドラインの原案は、1998年に カナダ政府によって、「極地水域船舶安全国際コー 結びにかえて ド」(International Code of Safety for Ships in Polar Waters)55 という名称による義務的なものとして、 北西航路の法的地位をめぐっては、沿岸国である その案が IMO 設計設備小委員会(Sub-Committee on カナダと利用国である米国との間で、依然攻防が続 Ship Design and Equipment: DE) に提出された。しか いている。しかしながら一点指摘し得るのは、自国 しながら、その内容が①南極海域も含めたものであ の立場を一方的に推し進めようとするよりは、両国 ること、②船舶が EEZ に入る際に沿岸国に事前通告 は、むしろ IMO の介在を活用する形で国際協力の枠 を要請するものであったこと、などから、国連海洋 組をある程度尊重しながら合意形成を導こうとする 法条約に定められる義務との整合性が保持できない 姿勢が垣間見られる点である。こうした点について として、海上安全委員会(Marine Safety Committee: は、最近のマラッカ・シンガポール海峡における利 MSC)は勧告的なガイドラインの形で議論を進める 用国と沿岸国の協力枠組みを一つの先駆的モデルと ことを決定した 56。背景に、北西航路を「国際航行 位置づけ、北西航路における議論に応用しようと試 に使用されている海峡」であると主張する米国から、 みる論者もある 60。 義務的コードとして採択することへの強硬な反対が 国際海峡制度の成立の過程で、第三次海洋法会議 あったことは言うまでもない。最終的に、海洋環境 では、 「国際航行に使用されている」という文言の具 委員会(Marine Environment Protection Committee: 体的意味内容についてはいかなる合意に達すること MEPC)および海上安全委員会において、2002 年に なく、不明瞭なまま残された。しかしながら、その 先述の「北極氷結水域における船舶航行ガイドライ 立法趣旨に照らして、まさに奥脇教授が指摘するよ ン」として採択されたのである。この点についてカ うに、「国連海洋法条約第 III 部に定める国際航行に ナダ政府は、先述の「北極海外交政策」の中で同ガ 使用される海峡の通航制度が、関係国の誠実(bona イドラインを「極地水域コード」(Polar Code)と fides)を基礎として、国際的公共利益を実現すべく FORUM OF POLICY STUDIES 2015 29 自由論題 北極海における航行制度の展開 合理的に運用されることを前提的な了解としたもの 15 年度国際海峡利用と諸国の協力体制に関する調査研 究事業報告書-国際海峡利用国と沿岸国の協力体制』、 61 である 」という点を改めて想起する必要がある。同 海域における実際的な側面をより重視するならば、 25-26 頁参照。 8 今後、温暖化にともなう海氷の消失によって北西航 Hugo Grotius, “Mare Liberum:sive de jure quod Batavis competit ad Indicana Commercia dissertatio,” Bibliotheca 路を航行する船舶の量は確実に増大する可能性は否 定しえない。そうであるならば、北西航路の有する 「公共性」62 あるいは「公共的な価値」にいま一度着 目し、国際海峡の機能的要件をある程度緩和させる rerum militarium (1916). 9 Ibid, Chap. 8. 大沢章『グロティウスの自由海論の研究』 (1944 年)、71-78 頁。 10 Hugo Grotius, “ De Jure Belli ac Pacis Libri Tres ,” Translated by Francis W. Kelsey, The Classics of ことにより、同海域の沿岸国と利用国を中心とした 「参加型の真の国際協力」63 という現代の要請に則し International Law (1925), Vol.2. 11 Ibid, Chap.3, Sec.12. 伊藤不二男「『自由海論』以降のグロ ティウスの海洋自由の思想」、『西南学院大学法学論集』 た解決策が求められるのではないだろうか。 第 10 巻 2・3・4 合併号(1978 年)、145 頁。 12 Grotius, op. cit., Chap. 2, Sec. 13. 13 杉原高嶺「海峡通航の制度的展開」、小田滋先生還暦記 【注】 1 Global Ice Center Weekly Report, vol.3. 念『海洋法の歴史と展望』(1986 年)、343 頁。 14 前掲「国際海峡をめぐる制度の成立過程」、26-29 頁参 照。 2 “25/08/2010, SCF Baltica arrives in Pevek - the first stage of the Arctic voyage is over”, SCF Sofcomflot 15 Corfu Channel Case (United Kingdom. v. Albania), I.C.J. Seaborne Energy Solutions, available at <http://www.scf- Reports (1949). 1946 年 10 月、英国の艦隊がアルバニア group.com/npage.aspx?did=71730> (last visited on 12 の領海である北コルフ海峡を通航中に、機雷に触れて爆 February 2015). 発し多くの死傷者が出た。先立つ同年 5 月にも、英国の ソフコムフロート社最高経営責任者フランク氏によれ 巡洋艦が同海峡通行中にアルバニア沿岸から砲撃を受 ば、ロシアのムルマンスクと中国との間は、従来の南 けており、これら一連の事件を発端に両国の間で争われ 洋航路が 12000 カイリ以上であるのに対し、北極海航 た事例である。本件において、アルバニア側は、外国艦 路を利用すれば約 7000 カイリにまで短縮が実現すると 船は事前の通告・許可なくアルバニアの領海を通航する さ れ る。“First high-tonnage tanker through Northeast 権利はないと主張し、これに対して英国は、海峡の無害 Passage, Barents Observer (17 August 2010), available at 通航権は国際法上の権利であると抗議した。その後、英 <http://barentsobserver.com/en/sections/regions/first- 国が国連安全保障理事会に提訴し、47 年 4 月、安保理が high-tonnage-tanker-through-northeast-passage> (last 本件を国際司法裁判所(ICJ)に付託することを勧告した visited on 12 February 2015). 結果、英国によって同年 5 月に ICJ に付託された。両国 3 4 5 6 “Canadian Practice in International Law during 1973 の主張に関しては、アルバニアの、領海では外国軍艦の as Reflected Mainly in Public Correspondence and 通航に際して事前の同意または通告を求めることがで Statements of the Department of External Affairs” きるとする主張を退けた結果、平時においては、軍艦の (Compiled by Edwatrd G. Lee), Canadian Yearbook of 海峡通航が「その通航が『無害』(innocent)であるなら International Law, vol.12 (1974), pp.272, 279. ば」認められ、沿岸国がその通航を禁止することはでき ないと判示した。 “Territorial Sea Geographical Coordinates Order” available at <http://www.un.org/depts/los/ 16 LEGISLATIONANDTREATIES/PDFFILES/CAN_1985_ 17 Order.pdf#search='CAN_1985_Order'> (last visited on 18 12 February 2015). 19 Id., p.28. Id., p.28. Id., p.28. Convention on the Territorial Sea and Contiguous Zone (adopted on 29 April 1958), United Nations Treaty Series, 国際「レジーム」の概念に関しては、詳細な分析が行 vol.516. われている。村瀬信也『国際立法-国際法の法源論-』 7 (2002 年)、345、597-599 頁参照。 20 拙稿「国際海峡をめぐる制度の成立過程」、財団法人シッ 21 プ・アンド・オーシャン財団海洋政策研究所編『平成 30 FORUM OF POLICY STUDIES 2015 Id., Article 16 (4). United Nations Convention on the Law of the Sea (adopted on 10 December 1982), United Nations Treaty 総合政策フォーラム 第 10 号 Series, vol.1833. 22 Id., Article 37. 43 Ibid. 44 Northern Canada Vessel Traffic Services, available at 23 Donat Pharand, Canada’s Arctic Waters in International <http://www.ccg-gcc.gc.ca/eng/MCTS/Vtr_Arctic_ Law (1988), pp.187-201. 24 Canada> (last visited on 5 March 2015). S. N. Nandan & D. H. Anderson, “Straits Used for 45 International Navigation: A Commentary on Part III 46 Canada Shipping Act (S.C. 2001, c. 26). Northern Canada Vessel Traffic Services Zone of the United Nations Convention on the Law of the Regulations (SOR/2010-127), amended on 1 July Sea 1982”, British Yearbook of International Law, vol.60 2011, available at <http://laws-lois.justice.gc.ca/eng/ (1989), p169. regulations/SOR-2010-127/page-1.html> (last visited 25 Id. 26 Jose A. de Yturriaga, Straits Used for International on 5 March 2015). 47 “Statement on Canada’s Arctic Foreign Policy: Exercising Navigation: A Spanish Perspective (1991), pp.4-6. Sovereignty and Promoting Canada’s Northern Strategy Tommy B. Koh, “The Territorial Sea, Contiguous Zone, Aboroad” (10 August 2010), available at <http://www. Straits and Archipelagoes under the 1982 Convention on international.gc.ca/arctic-arctique/assets/pdfs/canada_ the Law of the Sea”, Malaya Law Review, vol.29 (1987), arctic_foreign_policy-eng.pdf> (last visited on 5 March 27 pp.178-180. 2015). 28 48 29 49 Jose A. de Yturriaga, op. cit., pp.3-4. Erik Bruël, International Straits (1947), pp.17-20. Id., p.13. カナダは、1996 年の北極評議会設立当初より初代議長 30 Donat Pharand, “Canada’s Sovereignty over the 国を務めており、今回の議長国就任は二度目となる。今 Newly Enclosed Arctic Waters”, Canadian Yearbook of International Law, vol.25 (1987), p.325, 327; Pharand 任期は 2015 年までで、次期議長国は米国の予定である。 50 “Canada’s Arctic Council Chairmanship” (15 May 2013), (1988), op. cit., p.224. available at <http://www.international.gc.ca/arctic- Donat Pharand, “The Northwest Passage in International arctique/assets/pdfs/Canada_Chairmanship-ENG.pdf> 31 Law”, Canadian Yearbook of International Law, vol.17 (1979), p.107; Pharand (1988), op. cit., p.224. 32 Id. (1979), p.107. (last visited on 5 March 2015.) 51 Ibid. 52 Communication from the Commission to the European 33 National Security/ Homeland Security Presidential Parliament and the Council - The European Union and D i r e c t i v e o n A r c t i c R e g i o n P o l i c y, N S P D - 6 6 / the Arctic Region, 20 November 2008 (COM 2008 763 NSPO-25 (9 January 2009), available at <http:// final), available at <http://eur-lex.europa.eu/LexUriServ/ georgewbush-whitehouse.archives.gov/news/ LexUriServ.do?uri=COM:2008:0763:FIN:EN:PDF> (last releases/2009/01/20090112-3.html> (last visited on 12 February 2015). 34 Id., B-2. visited on 5 March 2015). 53 Id., 3-3. 54 Guidelines for Ships Operating in Arctic Ice-Covered 35 Waters, 23 December 2002 (MSC/Circ.1056, MEPC/ 36 111th Congress 1st Session, H. R. 2865 (12 June 2009), Circ.399) available at <http://www.gc.noaa.gov/ available at <http://www.govtrack.us/congress/billtext. documents/gcil_1056-MEPC-Circ399.pdf> (last visited Id. xpd?bill=h111-2865> (last visited on 12 February 2015). on 5 March 2015). 55 International Code of Safety for Ships in Polar Waters, 37 Id., Section 2. 38 Id., Section 3. IMO doc. DE 41/10, Annex 1, p.3. 56 Øystein Jensen, “The IMO Guidelines for Ships 39 ただし、結果的にこの法案は成立していない。 O p e r a t i o n i n A r c t i c I c e - c o ve r e d Wa t e r s : f r o m 40 “Canada’s Northern Strategy: Our North, Our Heritage, Voluntary to Mandatory Tool for Navigation Safety and Our Future” (July 2009), available at <http://www. Environmental Protection?”, Fridtjof Nansen Institute northernstrategy.gc.ca/cns/cns.pdf> (last visited on 5 Report, vol.2 (2007), pp.9-10. March 2015). 57 Statement on Canada’s Arctic Foreign Policy, op. cit., 41 Ibid., p.5. 42 Ibid., p.13. p.14. 58 Guidelines for Ships Operating in Polar Waters, IMO Doc. FORUM OF POLICY STUDIES 2015 31 自由論題 北極海における航行制度の展開 A 26/Res.1024 (2 December 2009), available at <http:// 61 河西(奥脇)直也、 「国際航行に使用される海峡」、財団 www.imo.org/Publications/Documents/Attachments/ 法人日本海洋協会編『新海洋法条約の締結に伴う国内法 Pages%20from%20E190E.pdf#search='Guidelines+for +Ships+Operating+in+Polar+Waters'> (last visited on 5 制の研究』第 2 号(1983 年)、110 頁。 62 坂元茂樹、「マラッカ・シンガポール海峡協力メカニズ March 2015). ムにおける Non-State Actors の役割-国連海洋法条約第 International Code for Ships Operating in Polar Waters 43 条の実質化をめざして-」、財団法人運輸政策研究機 (21 November 2014), see <http://www.imo.org/ 構編『マラッカ・シンガポール海峡の協力メカニズムの MediaCentre/PressBriefings/Pages/38-nmsc94polar. 検証-海峡利用業界と企業の社会的責任(CSR)の観点 59 aspx#.VPbE352k5dg> (last visited on 5 March 2015). 60 Ted L. McDorman, Salt Water Neighbors: International See Donald Rothwell, “The Canadian-U.S. Northwest Ocean Law Relations Between the United States and Passage Dispute: A Reassessment”, Cornell International Canada (2009), p.253; James Kraska, “The Law of Law Journal, vol.26 (1993), p.372. the Sea Convention and the Northwest Passage”, The International Journal of Marine and Coastal Law, vol.22 (2007), p.279. 32 から-』(2009 年)、4-5 頁参照。 63 FORUM OF POLICY STUDIES 2015
© Copyright 2024 ExpyDoc