◆平成 27 年度 第 2 回(通算第 49 回) 蔵前ゼミ 印象記◆ 日時:2015 年 5 月 29 日(金) 場所:すずかけ台 J221 講義室 ------------------------------------------------------------------------ 企業でのキャリアと知財業務について 永井 久仁子(1987 化工,89 生命化 MS,93 生命化 Dr)旭硝子㈱ 知的財産センター長 ------------------------------------------------------------------------ 入社早々に, 「この人,本当にドクターなの」と疑 われてしまった。会社も意地悪で,閉鎖が決まっ ている工場に,博士号を持ち 留学経験もある永井 さんを送り込んだ。ガラス工場は,暑いを通り越 して 熱い。その上 ガラスを落とせば割れ,刃物 に変身する。そんな恐ろしい環境で,少しも嫌が らずに毎日トロッコを押した。現場の職人たちは 「彼女,本当に博士なの?」と驚いた。めったに経 験することのない驚きだったに違いない。この話 は,工場長経由で役員の耳にも届いた。そのとき 本社の事業本部長で,永井さんの上司だった錦織 さん(1961 窯業,前神奈川県支部長,元旭硝子専務;2009 年 4 月の蔵前ゼミの講師)は, 「彼女は必ず大物になる」 と確信したそうだ。 永井さんは,約 10 年間 自動車用ガラスの技術開 発に関わり,クールベール(Cool verre; 太陽光線の赤外 線をカットし,車内の温度上昇を抑える)などを世に送り 出した後,社内の FA 制度を利用して事務系に変わ り , 約 10 年 間 , 監 査 室 ・ CSR ( Corporate Social Responsibility)室・法務室で業務にあたった。昨年か ら知的財産センター長として,再び技術系の仕事 に戻っている。ここでは,永井さんが博士課程に 進んだいきさつなどを紹介した上で,企業での仕 事を通して学んだこと 及び 本題の知財業務の概 要を辿ることにしよう。 1. 生い立ちから学生時代まで 永井さんは 3 人姉弟の次女として東久留米市に生 まれた。名前は久留米の“久”と二番目の“二”を とって“久二子”となるはずだったが,数字の二で は余りにも可哀想だというので「久仁子」となっ たそうだ。本学の 3 類に入学し,卓球部で体を鍛 えながら,化学工学科で研鑽を積んだ。卒業研究 の研究室を決める時にジャンケンに負けて,永井 さんの人生行路に暗雲が立ち込めた。定年を控え た石川延男(1926~1991.7.29;本学の有機合成化学科 1950 卒) 研究室に所属することになったのだ。卒業と同時 に研究室がなくなるゆえ,大学院は別のところに 進学しなければならない。有機合成が専門だった ので,大学院は長津田キャンパス(注 1)の生命化学 専攻(注 2)武井尚(たけい ひさし,1937~2013; 1961 化 学)研究室に所属した。 すずかけ台キャンパスまで電車で通うのは大変な ので,永井さんは 梅ヶ丘留学生会館(最寄駅は藤 が丘)に,住み込みチューターとして入居した。留 学生の多くは年上で,中には母国に子供を残して きている人などもいた。そういう彼女達の世話を しながら,いろいろと話を聞いているうちに,寄 り道もいいなと思うようになった。そんな時に, 本学の学生も国費で留学できる制度があることを 知り,M2 の時に,応募することにした。数十名の 応募者に対し英語等の試験が行われて 7 名が大学 推薦として選抜され,そのうち 5 名が留学出来る ことになっていた。先生からは「永井さんの成績 ならば大丈夫」と言われていたので,すっかりそ の気になり家族にも「シカゴで 1 年間 勉強して くる」といって就活などは先送りしていた。とこ ろが蓋を開けてみると,永井さんは選に漏れてい た。協定校への留学が優先されるので,協定校以 外の大学を希望していた永井さんは涙を飲むこと になったのだ。 試験に受かったのに勉強したい大学では奨学金が 取れないということに親が同情し自費で留学させ てくれることになった。しかし将来の就職を考え ると,新卒でないと難しそうなので、博士課程で 休学して留学することとした。 博士課程に進学したところで,米国イリノイ州に ある Northwestern University の Silverman 研究室に 行き,パーキンソン病などと関係の深い酵素の阻 害剤に関する研究を行い,論文(注 3)にまとめた。 永井さんの滞在は,1 年間の予定だったが,仕事ぶ りが認められ 2 年目は先方で給料を出すからと引 き留められた(合計 2 年の滞在)。永井さんは「行 き当たりばったりで,皆さんの夢を壊してしまい そうですが…」と前置きをしながら自分のキャリ アを紹介したが,永井さんの柔軟さと押さえると ころは確実に押さえるという姿勢は大いに参考に なったに違いない。 子育てと両立する形で,自動車用ガラス事業部で 取り組んだのが「合わせガラス」だ。名前のとお り,重ねたガラス板の間に樹脂を埋め込んだ特殊 ガラスで,赤外線を効率よく吸収するように工夫 されている。炎天下でも車内温度の上昇を抑える ことができ,今では多くの車種で搭載されている。 クールベール(Cool verre)という格好いい名前が ついている。この合わせガラス開発の終盤では, 砂漠にテスト車を持ち込んでの実証試験をしたそ うだ。そんな最中に,飛び込んできたのがアメリ カ同時多発テロ(2001.9.11)のニュースだった。全 く無関係の事象だが,永井さんの中ではクールベ ールと 9.11 は切り離せないようだ。 博士課程に進むときに,もう一つ気掛かりなこと があった。当時は,企業の博士卒の採用枠は狭か った。留学で歳食う上に,女子となると企業への 道は遠のくのではないかと心配になったのだ。そ こで,卒研の時に世話になった石川さんにも相談 することにした。 「就職の一つや二つ,俺が世話し てやる。ドクターコースに進んで,留学しなさい」 ときた。石川さんはフッ素化学の第一人者で,業 界にも顔が利いたので安心して留学ができた。 少し自慢になるが,石川さんの信頼を得たという 意味では私にも思い出がある。1985 年に筑波大学 から母校の本学に赴任した直後に,バイオ系学科 そして学部を作る概算要求が始まった。計画等は 委員会で練ればよいが,最後は誰かが要求書を書 かなければならない。準備段階では,文才に恵ま れた石川さんらが担当したが,何かの拍子で,締 め切りの迫った書類作成が私に回ってきた。金・ 土・日とかかりきりで仕上げたが,それを読んだ石 川さんが太鼓判を押したのだ。 「広瀬さんの提案書 は,美辞麗句を使わずに,分り易く書かれている。 彼に任せた方がいい(これで私 石川 も安心して定 年を迎えられる)」というわけで,責任が重く,時 間のかかる仕事を任されることになった。石川さ んの最終講義「F と私」を聞けなかったのも書類書 きに追われていたためだ(気の利いた演題から,石川さんが 文学青年上りであることがよく分る;F はフッ素)。石川さんは, 残念なことに,1991 年夏に 64 歳で亡くなったの で,1993 年に博士号をとった永井さんとの約束は 果たせなかった。 図 1. 永井さんが経験した部署 (2.2) ラストチャンスで FA 宣言 30 代の終りが近づいたところで,社内の FA 制度 を利用して部門をかわることを考えた。技術系の 総合職としては,多い時で 5 名の女子がいたが, FA を考えた時には永井さんとあと一人(計 2 名) に減っており,その一人も夫の海外赴任に同行す るために退職予定だった。工場に一人ぼっちにな ってしまうという少し寂しい状況であったことに 加え,FA 制度による異動は,多くの受入先が原則 35 歳までの中, 監査室が 40 歳までだったので最 後のチャンスだと思ったので応募を決めた。選択 肢は監査室しかなかったが,そこで仕事をしてみ ることにした。 2. 永井さんのキャリア (図 1) (2.1) 自動車用窓ガラスの開発 永井さんが旭硝子(注 4)を選んだ理由を聞き忘れた ので,学生の皆さんには一番知りたい情報が提供 できない。代わりに,講演では時間の関係で触れ られなかった技術系での仕事を紹介しておこう。 永井さんは 29 歳で入社し,31 歳で出産した。上司 からみれば「こいつ,働く気あるの」だったかもし れない。しかし,女性には何よりも大事なライフ イベントだ。幸い短期間ながらもある程度の人間 関係が出来ていたことと,復帰してからの仕事ぶ りで周りとの信頼関係を維持し居場所を失わなか ったことは心に留めておこう。 しばらくして,廊下で殿上人(会社のトップ)とす れ違った時に, 「永井さんは監査室には向かないと 思うけどな」と声をかけられた。さぞショックだ ったろうと思いきや,「内心嬉しかった」そうだ。 「あんなにエライ人が私の名前を覚えてくれてい た!」というわけだ。この話を聞いて,昭和天皇に 2 (注 5) 仕えた伊東貞三侍医の話を思い出した。 昭和天 皇は一度会っただけの外国の要人でも,顔と名前 をよく覚えておられて,数年後に再会してもパッ と名前が出てきて,相手を感激させられたそうだ。 この並外れた記憶力こそ,文字による記録・伝承が 普及していなかった古代においては,リーダーに 求められる素質だったに違いない(天皇の天皇た るゆえんだったのではないだろうか) 。他人の名前 を思い出すのに時間がかかる年齢になった私には, 永井さんの「嬉しかった」というつぶやきが今も こだましている。 (2.3) 監査室から CSR 室,そして法務室を経て知財 センターへ とも事実だ。企業ならではの良さは,多額の開発 費を使って大きなことができ,頼もしい仲間との 連係プレーによって開発した商品を通して,世の 中への貢献が実感できることだろう。久々に“結 束”という言葉を聞いた。その結果として,自分た ちの作った製品が世の中に出回っているのを見る と,えもいわれぬ快感が走るのもよく分かる。基 礎研究で言えば,自分たちの仕事が科学雑誌の表 紙になったり,教科書に載ったりする感じだろう か。このような快感には,いい意味で耽溺性があ り,私たちを活動的かつ魅力的にしてくれるので, 学生の皆さんにはお勧めだ。 4. 専門知識のジレンマ 監査室での主業務はコンプライアンス(注 6)で,当 初は監査業務にも携わった。監査の仕事は,確か に永井さん向きではなかったが,財務等の基礎を 学ぶことができたのは大きな財産になったそうだ。 7年後の 2010 年にコンプライアンス業務が CSR (Corporate Social Responsibility)室に移管され,そ れに伴い CSR 室へ異動した。 コンプライアンス グ ループリーダーとして企業の社会的責任を全うす べく努力した。CSR に関しては国際標準 ISO26000 があり,それに基づいて,持続可能な社会の実現 を目指して企業活動を展開するようにもっていく “仕掛け人”かつ“見張り番”と考えると分かりや すいだろう。環境への配慮を含めた種々の取組み を,年度ごとにまとめ CSR レポートとして公表す るのも主要な仕事の一つだった。CSR 報告書は企 業の顔ともなりつつあり,どの企業も力を入れて 作成している。就活の参考にもなるはずだ。 2013 年に法務室グローバル法務・企画グループリ ーダーとして,帝王学を学んだところで,2014 年 には知的財産センター長に抜擢された。今回のゼ ミの主題だった知財の話の前に,永井さんが企業 での仕事を通して学んだことを簡単に整理してお こう。 専門知識は細分化しないと学べない。しかし,そ の専門知識は統合しないと使えない。私たちは大 きなジレンマに直面しているのだ。大学もこの問 題に対処するために,異分野融合を掲げて,T 型 (視野が広い)人材や Π 型(π 型,2 つの専門を こなす)人材の養成にのりだしたが,期待したほ どの成果は上げられず,Γ型(γ 型,副専門もある 程度理解できる)人材の養成に落ち着いている。 これらは,専門知識を統合化するために(1)個人 を多機能化する試みだが,統合化には(2)種々の 分野の「専門家」を集めて強力なチームを編成す る手もある。統合化によって複雑な機能を獲得し 調和のとれた系を作り上げている生体に学ぶとす れば,後者だ。 “専門バカ”でも協調性さえあれば, 活躍の場があると分れば気が楽になるだろう。 「ス ペシャリストでいくか,ジェネラリストでいくか, それが問題だ…」とあまり悩む必要はなさそうだ。 ただし,永井さんのアドバイスでは, 「自分はどの ように活躍したいか(Specialist or Generalist)のイメ ージは持っておいた方がいい」そうだ。 この問題については学生の関心も高いらしく,質 問がいくつか出た。知財分野ではスペシャリスト が定年まで同じ部署で働くケースが多いが,部署 によってはスペシャリストからジェネラリストへ 変わることも可能だそうだ。スペシャリストとし て余りにも尖がったスキルにこだわり過ぎると, 企業がその事業からの撤退を決めた途端に行き場 がなくなるので,要注意のようだ。 3. 企業で学んだこと(注 7) 企業は利益を上げないと存続できない。それゆえ に,効率重視で役割分担を決めて組織として動く。 時としては,お金で時間を買うこともある。正解 が分らない問題に取り組む場合が殆どであること も覚悟しておかなければならない。社会に出ると, 授業料を払う身分から給料をもらう立場に変わる が,その代償として仕事や勤務場所が選べないこ 5. 企業の知的財産業務(入門編) 知的財産は,知的な活動によって生み出された発 明などを それに関わった人の財産とみなし,一定 3 期間保護するものだが,保護の対象となる知的財 産権には,特許権・実用新案権・意匠権・商標権・著 作権・回路配置利用権などがあるそうだ。永井さん の説明で,これらの概要(保護対象や期間)が理解 できたのではないだろうか。特許権に重点を置い た説明だったが,意外だったのは,模倣品対策と しては「特許」よりも「商標」や「意匠」の方が有 効な場合が多いということだ。 (6.1) Suica の教訓 まず Suica の例が紹介された。JR の Suica に海外 企業が待ったをかけたそうだ。その論拠となった のが,公正な国際競争の観点から 1996 年に定めら れた「WTO 政府調達協定」だ。この協定は,政府 調達仕様を国際規格に基づいて作成するよう規定 したもので,日本も批准している。 「企業での知的財産戦略」に関する話は,大変分 り易く有用な内容で,講義録として残したいとこ ろだが,ここでは(1)出願や権利化だけでは経費 の無駄遣いになり,(2)事業を守るためのツール として活用して初めて生きてくる点を強調してお くだけに留めたい。政策(注 8)の一環として国立大 学法人にも知財センターに類する組織が造られ, 多額の資金が投入されている。永井さんの話を聞 きながら,経費の無駄遣いに終わらないようにと 願った。事業を守るためのツールとしてよりは, 大学のランキングに特許の件数も加味されるよう になったので,ランキングを上げるために“莫大 な”費用をかけて特許出願と権利化を続けざるを 得ないというプレッシャーがかかっているからだ。 各大学が知財にかけた費用(何億円)と特許収入 (何千万円)の割合で評価されるようになれば, 話は変わってくるかも知れない。国の研究機関や 大学が特許で稼いだ金額は約 20 億円(2013 年度; その中には,名古屋大学の青色ダイオードや京都 大学の iPS といったホームラン特許が含まれる)。 そのために使ったお金は,知財部門の人件費まで 含めると,ゆうに数倍に達するだろう。特許は,企 業にとっては存続のための重要なツールだが,大 学にとっては どのような位置づけになるのだろ うかと考えさせられた。国を存続させるため(知 的財産立国)のツールといえば大げさ過ぎるし, 稼ぐための手段としては 黒字になる見込みがな いので とっくに破綻している。 クロスライセンスなど,特許の活用法についても 詳しく説明された。しかし特許だけに頼ることに は限界がある。1970 年代に世界を席巻していた日 本の業界は,特許面でも圧倒的な優位を誇ってい たが,今は世界シェアの喪失に苦しんでいる(詳細 2000 年頃,JR 東日本が FeliCa 方式(注 9)の IC カー ドを調達しようとしたところ,モトローラ社が 「WTO 政府調達協定」違反だとして異議を唱えた。 「FeliCa は国際標準ではないから,JR 東日本は実 質的に国際標準であるモトローラ社の方式を採用 すべきだ」と主張し,争ったのだ。モトローラ方式 は,IEC(国際電気標準会議)の投票で国際標準と して認められ,最終手続きに入っていたが,その 時はまだ正式な国際標準とはなっていなかった。 これが幸いして,モトローラ社の異議は退けられ た。タッチの差で FeliCa 方式の Suica が生き延び たのだ。薄氷を踏む思いをしたソニーの技術陣は, 国際標準化の重要性に目覚め,2004 年に FeliCa を (非接触 IC カードではなく)汎用近距離無線通信規 格として国際標準化することに成功した。もし Suica に搭載されていなかったら,FeliCa は「良い 技術が必ずしも勝つとは限らない」典型例として 語られたに違いない。FeliCa の処理速度は速く, 性能面では高く評価されているからだ。知財戦略 と国際標準化戦略を統合して考えないといけない ようだ。 (6.2) 標準化とは 1904 年に起きた米国ボルチモアの火事では,各地 から多数の消防団が駆けつけたが,36 時間も燃え 続け 1526 棟が焼失する歴史的な大火となった。損 害額は現在のお金にして 2 兆円にも達すると見積 もられている。消火栓にホースが合わず,なすす べもなかったのだ。永井さんは,もう一つ標準化 の必要性を示す分り易い例を挙げた。大きさや形 が揃ったトイレットペーパーだ。 こんなことを言っては講師の永井さんに失礼だが, 今回の講演を聞いて本当に助かったと思ったのは シャンプーの話だ。旅行先で,髪の毛をシャワー で濡らしてからシャンプーをとろうとしても,字 がよく見えず,かといって別室に置いてきた老眼 鏡を取りに行くわけにもいかず,適当に選ぶ結果, ボディソープでシャンプーすることが多く困って は,経産省の「日本の産業をめぐる現状と課題」や経産省・厚 労省・文科省の「ものづくり白書(ものづくり基盤技術の振興 施策) 」などを参照されたい) 。そこで必要になるのが以 下の標準化だそうだ。 6. 知財の限界を越えるための標準化 4 いたが,最近ではシャンプーの容器は標準化され, 触っただけで分るように表面に印が付いているそ うだ。家に帰って調べてみると,確かにギザギザ の線が付いていた。現役の時は, 「自然科学はよく 観察することから始まる」と偉そうなことを言っ ていたのに,どうして今まで気付かなかったのだ ろう。 (6.3) 日本企業による標準化の成功例 根本特殊化学㈱の蓄光顔料:夜光顔料の歴史を大 きく塗り替える発明が 1993 年に日本の中小企業 でなされた。根本特殊化学が N 夜光(ルミノーバ, LumiNova®)という画期的な蓄光性夜光顔料を開 発し,世界を驚かせたのだ。夜光顔料には「自発光 性」と「蓄光性」の 2 種類がある。自発光性夜光 顔料は放射線によって常時発光してくれるが,ラ ジウムなどの放射性物質を含むため用途や取り扱 いに大きな制約がある。一方,蓄光性夜光顔料に は,このような制約は無いが,発光時間が短く,夜 間標識等への応用は難しいと考えられていた。し かし,根本特殊化学は,素材を徹底的に検討する ことにより,従来品の 10 倍の明るさと発光時間を 持つ蓄光性夜光塗料を開発した。放射線に頼るこ となく,暗闇で一晩中発光させることに成功した のだ。もちろん明るいところではより強く光る。 こうして, “N 夜光(ルミノーバ) ”は,その性能と 安全性が評価され,時計の文字盤や避難標識など に 世界中で 使われるようになった。さらに,客 船における避難誘導システムや一般的な安全標識 板等の国際標準化(ISO)において,事実上 自社 しか達成できない水準の輝度にするよう働きかけ, 現在,蓄光性夜光塗料市場では独占に近いシェア を誇っている。 この他,省エネエアコンの省電力評価方式に関し, 古い国際標準では高効率のインバーターエアコン が評価できず日本メーカーに不利だったが,その 国際標準が 2013 年に改訂され,適正に評価される ようになった例や DVD メディアサプライチェー ンに関し,三菱化学がディスクの製造に関しては 自社技術を公開し,設備・工程が自社のアゾ色素で 最適化されるようにした例(これは事実上の標準 化)などが紹介された。 オープン&クローズ戦略について見てみよう。オ ープン&クローズ戦略というと矛盾しているよう に聞こえるが,具体例をたどると分り易い。例え ば,パソコンに"Intel Inside"というラベルが貼って あるのをよく見かけるだろう。インテル社は,PC 周辺機器(マザーボード)の製造技術を新興国企 業に開示(オープン化)し,製品を広く普及させる 仕組みを作ると同時に,自社のコア技術である演 算素子(PC の頭脳部ともいうべき MPU)に関し ては,一切公開せずブラックボックス化(クロー ズ化)しておくことにより安定的に企業活動を継 続している。オープン化(標準化)により他社の参 入を容易にすることによって市場を拡大する一方 で,利益の源泉となるコア技術やノウハウは秘匿 し,自社の繁栄を図るという賢い戦略だ。 アップル社は,スマートフォン端末の製造工程を EMS(electronics manufacturing service,電子機器受託製造サ ービス)企業に開示(オープン化)し,市場の拡大 を促すとともに,デザインやタッチパネル技術は 意匠権及び特許権で押さえ,他社にライセンスし ない(クローズ化)で守ることにより市場で競争 優位を維持している。これからは,知的財産のう ち,どの部分を秘匿または特許で固くガード(ク ローズ化)し,どの部分を他社に公開またはライ センスするか(オープン化)を,自社利益拡大のた めに検討・選択する「オープン・クローズ戦略」が 重要になるとのことだった。知財部門は,一昔前 の単なる特許部という発想から抜け出し,企業戦 略立案の中枢として,国際標準化とオープン&ク ローズ戦略を駆使し,製品市場の拡大と競争力の 確保に努めなければならないようだ。永井さんの スライドには「事業に対する当事者意識—特許事 務所との違い」と大きく書かれていて,知的財産 センター長としての気概が伝わってきた。 オープン&クローズ戦略が決まれば,特許も守る べきコア技術にのみ集中すればいいので,出願件 数を大幅に減らすことができる。実際,アップル 社の特許件数は同業他社の 1/10 程度のようだ。経 費を節減しつつ,企業の永続的な繁栄に貢献でき ることになる。オープン&クローズ戦略が注目さ れ急速に定着しつつあるゆえんだ。クローズ化し たノウハウや特殊技術が企業の生命線となるが, それを巡る産業スパイ問題が深刻化しそうで心配 になった。 (6.4) 標準化を使ったオープン&クローズ戦略 標準化の必要性と企業戦略上の重要性が分かった ところで,それと組み合わせると威力を発揮する 後半は少し難しい話になったが,何と言っても強 5 く印象に残ったのは青色発光ダイオードの特許係 争だ。メーカーは実質 2 社(日亜化学工業と豊田 合成)に絞られていたが,お互いに訴訟合戦を繰 り広げていた;他社はその金額に驚き,怖くて手 が出せなかったというのだ。訴訟のお陰で,2 社寡 占の市場が作り出されたのだとしたら,高額の訴 訟は,最強の防衛策? 裏話を知る私には,この時の心労が武井さんの 寿命を縮めたのではないかと思われるほどの出 来事だった)。知能科学専攻はその後 1996 年に システム科学専攻と合併し,現在の知能システ ム科学専攻となっているが,生命化学専攻時代 の基幹 2 講座(永津教授・加藤助教授,畑教授・武 井助教授)の流れは もはや辿ることが難しい。 2018 年度に実施予定の教育改革では,上述のよ うな過去のしがらみを一掃するような改組が行 われるようだ。 永井さんからのメッセージ 会社との関係について永井さんは次のように考え ているそうだ。❶会社に依存するのではなく,お 互いに Win-Win の関係を築く。専門的には,エン プロイアビリティ Employability(企業に継続的に雇用 される能力)とエンプロイメンタビリティ Employmentability(優秀な人材を定着させる企業の雇 用力)という用語で表現されるようだ。❷一生懸 命取り組む。そうすれば仕事を通して成長できる し,周りはよく見ているので手を差しのべてくれ る。仮に失敗しても,それは無駄な経験にはなら ない。将来の糧になる。ポジティブに考えるよう にしよう。❸原理原則に立ち返って考え,自分軸 を持って対処できるようになると,自分の行動の ブレが必要最小限となり,周囲の信頼を得やすい。 ❹同じ会社でも部署により違う。どこにいても人 間関係は大切だ。仮にその時は悪くても,ずっと 同じメンバーではないので,長期視点を持つこと (上司と合わないといってすぐ辞めるのは勿体な い)。❺自分を大切にする。働くことは,自分が成 長するための手段であって目的ではないので,ボ ロボロになってまで頑張ることはない。それでは 本末転倒だ。健康第一でいこう,メンタルを含め て。しかし,チャレンジは大切。それには Comfort zone から抜け出す勇気がいる。出来ないことを決 める前に,どうしたら出来るかをもう一度考える ようにして欲しい。 もうすぐ定年というときに武井さんを訪ねたが, 白衣にマスク姿で黙々と化学薬品を処分してい る姿が目に焼き付いている。私も定年の時はこ うありたいと思ったのだが,武井さんのように は いかなかった。特にマイナス 80℃の低温フリ ーザーが古いサンプルで溢れていたので,卒業 生のサンプルで論文になったものや持ち主の名 前が書いてないものをすべて廃棄した時は,ま だ使える貴重なサンプルを相談も無しに“故意 に”廃棄したと非難される始末だった。教訓とし て,❶サンプルを保管する時は日付・氏名・品名 などの基本情報をしっかり記すこと,❷定期的 に要・不要の整理をすること,❸廃棄する時は, 卒業生のものでも教室員全員に照会することを 怠ってはならないことをお伝えしておきたい。 (注 3) Kuniko Nishimura, Xingliang Lu, Richard B. Silverman. Inactivation of monoamine oxidase B by analogs of the anticonvulsant agent milacemide (2-(npentylamino)acetamide). J. Med. Chem., 36, 446– 448, 1993。永井(西村)さんの身分は,Visiting predoctoral student from the Tokyo Institute of Technology と記されている。博士論文のタイト ル:モノアミンオキシダーゼ-B およびプロテア ーゼの偽基質に関する研究。 (注 4) 旭硝子:世界最大手のガラスの総合メーカー として,ソーダライムガラスからビスマス系ガラスま で,多種多様なガラスを製造している。 「先を見 据え,よりブライトな世界を創る」という企業使 命のもと,年間 1.3 兆円規模の BtoB 素材ビジネ スを世界規模で展開している。社内カンパニー 制をとっている 3 部門: (1)ガラス(板ガラス・ 自動車用ガラス), (2)電子(ディスプレイ用ガ ラス・電子部材) ,及び(3)化学品(フッ素/ス ペシャルティ・クロール)に加え,子会社 (Strategy Business Unit)として(4)セラミック スと(5)先進機能ガラス部門から成る(図 1)。 世界でのポジションは,板ガラス(1 位),自動 車用ガラス (1 位), TFT 液晶用ガラス基板 (2 位) -------------------------------------------(注 1) 2000 年に「すずかけ台キャンパス」と名称変 更された。 (注 2) 1991 年に知能科学専攻に改組され,1992 年, 生命理工学研究科の発足とともに,バイオサイ エンス専攻に統合された。その後,1999 年の大 学院重点化による再編で分子生命科学専攻とな り現在に至っている。武井研究室は総合理工学 研究科の基幹講座だったために,学内の諸事情 で,バイオサイエンス専攻に移るという約束が 履行されず,知能科学専攻にとどまった(当時の 6 となっている。従業員はグローバルには約 51,000 人だが,旭硝子単体では 6,000 人強;日本 人の比率は 1/5。2017 年には売上高 1.6 兆円を目 指し,社会に安心・安全・快適を,顧客に新たな 価値・機能と信頼を,従業員に働く喜びを,そし て投資家には企業価値をプラスするという目標 を掲げている。 ガラスは 2000 年もの歴史を有し, 技術的には完成してしまっているように思われ がちだが,時代とともに新用途が生まれ,それに 対応する新機能が求められることから,日々技 術開発が続けられている。 市場が認めてくれるだろうことをお客様や社内 に如何にうまく説明するか,及び(ⅲ)特許や標 準化のノウハウを積み重ねることにより,継続 的な利益を生む戦略を練ることなどが大切だそ うだ。具体例として,永井さんは UV カットガ ラスの研究例を挙げた。 (ⅰ)窓ガラスに UV カ ット性能を付与すれば市場に受け入れられるに 違いないと自動車メーカーに売り込んだが,最 初はけげんな顔をされた。 (ⅱ)男性から見れば 「何でそんなものが必要なの?」かも知れない が, 「パラソルを手放せない女性からすれば,車 種選択にも響く大問題ですよ」と説明すると「な るほど」と分かって貰えたそうだ。❷ 特徴性能 以外のハードル:(ⅰ)耐久性や(ⅱ)適法性・ 環境負荷の低減,❸ 工程適合性: (ⅰ)品質保証 体制, (ⅱ)コスト, (ⅲ)物流面等も含めて総合 的に検討しなければならない。 旭硝子は,技術革新の中核をなす企業としてト ムソン・ロイターの「Top 100 グローバルイノベ ーター」に 2 年連続で選ばれている。 THOMSON REUTERS 2014 TOP 100 GLOBAL INNOVATORS—HONORING THE WORLD LEADERS IN INNOVATION: This proprietary program recognizes the 100 most innovative companies in the world, according to a series of patent-related metrics that gets to the essence of what it means to be truly innovative. 事務系職で学んだことは会社の仕組みの把握だ。 ❶ 間接部門の重要性:(ⅰ)会社は事務的な見え ない活動がないと成り立たない,(ⅱ)専門部署 が分担してリスクを下げている,(ⅲ)実は知ら ないところで種々のトラブルが起こっている。 前例がないからといって断られ,腹を立てた経 験があるだろう。永井さんは事務系で仕事をし てみて,断る方にも一理あると思うようになっ たそうだ。自分は断られたのにといって不公平 感を持つ人が出てきて,収拾がつかなくなるの だそうだ。❷ 人と金の管理は大変:(ⅰ)育成, (ⅱ)部署の予算。❸ グループ内外の他国の方と の交流:習慣等の違いはあるが根は変わらない。 2002 年に小泉首相(当時)が「知的財産立国」 を宣言し,次のような知的財産戦略大綱が定め られた: 「発明・創作を尊重するという国の方向 を明らかにし,ものづくりに加えて,技術,デザ イン,ブランドや音楽・映画等のコンテンツとい った価値ある「情報づくり」 ,すなわち無形資産 の創造を産業の基盤に据えることにより,我が 国経済・社会の再活性化を図るというビジョン に裏打ちされた国家戦略」 。 (注 8) トロフィーを受け取る永井さん(右) (注 5) 伊東貞三, 「回想の昭和」 ,医学出版社,2007 (注 6) Compliance: 公正・適切な企業活動を通じ社会 貢献を行なうとともにそれが可能となるような 環境の整備を行うこと。直訳すれば「法令順守」 だが,法令に違反しなければ何をしてもいいと いう考えでは社会に受け入れられないことは明 らかだ。 (注 9) FeliCa: ソニーが開発した非接触型 IC カード の技術方式。 (注 7) 永井さんは開発業務と事務系職の両方を経験 したが,それぞれの職場で学んだことも教えて もらった。開発業務では,❶ 商品企画が要とな るが,その鍵となるのが(ⅰ)市場でその商品の 価値が評価され 受け入れられるかどうか, (ⅱ) (東京工業大学 博物館 資史料館部門 特命教授 広瀬茂久) 7
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