日本書紀における「寿」「命」の用法

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Title
日本書紀における「寿」「命」の用法
Author(s)
阪口, 由佳
Citation
阪口由佳:古代学( 奈良女子大学古代学学術研究センター・ 奈良
女子大学21世紀COEプログラム 《古代日本形成の特質解明の研究教
育拠点》), 第1号, pp.137-131
Issue Date
2009-03-30
Description
URL
http://hdl.handle.net/10935/3654
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﹁いのち﹂を意味する漢字といえばまず﹁命﹂ であり、 それ以
日本書紀における ﹁
寿
﹂ ﹁
命
﹂ の用法
はじめに
現代において
外の漢字は通常想起されないであろう。しかしながら、 上代においては ﹁命﹂と
同様に﹁寿﹂も ﹁いのち﹂を意味するものであり、古事記・日本書紀・万葉集に
﹁寿﹂﹁命﹂ いずれにも﹁イ
おいても ﹁いのち﹂ の意味で用いられた ﹁
寿
﹂ ﹁
命
﹂ の用例を確認することがで
きる。また、観智院本﹃類緊名義抄﹄においても
ノチ﹂ の訓が挙がっている。
そこに使い分けがあることも当然予想される。
と、﹃纂隷万象名義﹄では訓義として ﹁久也﹂を挙げ、観智院本﹃類衆名義抄﹄
﹁イノチ﹂ という訓を一番に挙げている。このように、 ﹁寿﹂自身に老いる
意味があり、久しい意、﹁いのち﹂ の意があることがわかる。
また﹁命﹂については、﹃説文解字﹄に﹁命、使也、 肌二口令﹂ とあり、段注
﹁令者獲レ披也。君事也。非レ君而口使レ之是亦令也。故日、命者天之令也。﹂
とあるように、 もともと神託を受けている形をあらわす﹁令﹂ の字に、神託を受
︵﹃白虎通﹄書命︶
けるうつわである﹁口﹂の字がついたもので、﹁天の令﹂である。また﹃爾雅﹄︵稗
詰︶にも
命、令、糧問、吟、祈、請、謁、訊、詰、告也。
人之書也、天命己使生者也。
とあり、告げる意であることがわかる。また
命者何調也
たいさいきほばん
の例などから、﹁命﹂が﹁寿﹂で説明されるのを見ることができる。
また斉器の ﹁大宰帰父盤﹂に﹁台て眉書、霊命老い難からんことを掘る﹂
あるように ω、 列国期より寿命の意がみえ、老人を意味する ﹁眉霧﹂ と共にあら
ヲシフ
院本﹃類衆名義抄﹄に
磨卓見反
道也
イノチ
ノタマフ
マコト
禾ミヤウ
とあるように、教える意であるが、﹁いのち﹂ の意もあることがわかる。
﹁寿﹂はながいいのち
﹁
命
﹂ は天から与えられ
以上見てきたように、漢字の ﹁寿﹂﹁命﹂ はどちらも ﹁いのち﹂ の意味をもっ
字であることは確認できるが
たいのち、 というように両者に違うところもある。この両者の字義の違いは、
本書紀においてどの程度反映されているのであろうか。
書紀における ﹁いのち﹂ を表す﹁寿﹂、﹁命﹂、 およびそれらを含む熟字には、
以下のような例がある。
﹁寿﹂︵五例︶、﹁命﹂︵十七例︶、﹁寿命﹂︵三例︶、
-137<13>
このように同じ ﹁いのち﹂ の意味をもっ ﹁寿﹂と ﹁
命
﹂ であるが、漢字が異な
る以上
われている。
教令也
召
也
このような﹁命﹂字の用法は日本においても同様であり、﹃築隷万象名義﹄に、
廃寛反
呼
と
日
で
は
は
とあるように教え1させる・告げる意があることがまず確認できる。そして観智
也
本稿では日本書紀における ﹁寿﹂と ﹁
命
﹂ の使い分けについて考察し、他の上
代文学における﹁寿﹂・﹁命﹂ の用字意識の考察の足がかりとしたい。
まず、﹁寿﹂と ﹁
命
﹂ の漢字本来の意味を確認しておきたい。
﹁寿﹂については、 もともと部首が﹁老﹂ であり
川肌二老
︵﹃説文解字注﹄︶
議、久也︵段注﹁久者従レ後灸レ之也。引伸為二長久。此用−一長久之義也﹂︶。
省膏撃。
︵﹃築隷万象名義﹄︶
計
也
由
佳
︵観智院本﹃類家名義抄﹄︶
也
口
老死日一一書終。害、久也。終、蓋也。生己久遠、気終蓋也。︵﹃緯名﹄耀喪制︶
コトフキ
ヨロコフ
命
命
阪
のように第一に﹁久しい﹂意で、﹃釈名﹄に﹁老いての死を書終という﹂、
戴也
イノチナカシ
視柳反
イノチ
コトフキ
ヨシ
也
イノチ
久
る。日本の資料をみても、
官守
と
あ
同
士
重書
吉三三デ
育
毛F
百す
三
主
吾
﹁
士
汚
﹂
﹁
命
﹂ との使い分けを調査し
﹁天命﹂︵三例︶、﹁性命﹂︵二例︶、﹁身命﹂︵四例︶、﹁司命﹂︵一例︶
﹂れらの用例を全て視野に入れ
ぞれどのような﹁いのち﹂ を意味しているのかを考察したい。
それ
まず日本書紀における﹁寿﹂の用例を確認しておきたい。日本書紀に﹁寿﹂︵﹁寿
歌﹂﹁寿ぐ﹂﹁無量寿経﹂を除く︶は五例ある ω。これらを見てゆくと、 ﹁寿﹂はすべ
て﹁長かるべきもの﹂として用いられていることがわかる。以下、順に確認して
いきたい。
−
−
・
﹂
lo
︵同七月︶
まれており ω、 ﹁無病にして﹂ と呼応することからも、長いいのちを意味するこ
とは明らかである。
④﹁此者常世神也。祭一此神者、致一一富与レ寿。﹂
これは大生部多が虫のことを﹁これは常世神である、 その神を祭れば富と長寿が
手に入る﹂と言った部分で、結局人の心を惑わしたとして葛野の秦河勝に打たれ
︵巻二十九天武天皇十四年十月︶
てしまうという話である。ここも、﹁富﹂と並列されることから明らかなように、
長い意味をもつものである。
⑤百済僧常輝封一三十戸。是僧寿百歳。
これも、常輝が百歳という長寿であったからこそ寿と記されたのであろう。
以上見てきたように、﹁寿﹂ の用例には、引用の破線部で示したような長さや
賛美、敬意などの表現を伴っており、すべて長い命を意味すると考えられるもの
生児永寿、 有ド知二磐石之常存
︵巻二神代下第九段一書第二︶
であった。これは漢字﹁寿﹂ のもつ、老いる意・久しい意が反映されたものと見
①﹁:・不レ斥レ妾而御者
天から降った麗瑳杵尊は、大山祇神の娘である磐長姫・木花開耶姫の姉妹のうち、
ることが出来よう。
﹁寿﹂本来の意味が色濃く
︵巻九神功前紀摂政前紀仲哀九年九月︶
︵巻二十敏達天皇十四年二月︶
<
1
4
>
姉・磐長姫は醜いとして結婚せず、妹の木花開耶姫と一宿婚をして子が宿った。
﹁
l命
﹂ の用例とは別にここで一括して扱っておきたい。三例
このような﹁寿﹂を含む熟字である ﹁寿命﹂にも
見えるので、他の
そこで磐長姫が誼った言葉が①であり、 その中に﹁永寿﹂とある。新編全集の訳
文では、﹁もし天孫が私を退けられずお召しになっておられたら、 生まれる御子
すべてあげると、
③大臣奉レ詔、礼二拝石像、乞レ延一一寿命。
②既而神有レ議日、﹁和魂服一主身而守一一寿命、:・﹂
︵巻六垂仁天皇二十五年三月︶
①﹁・:故其天皇短レ命也。:・則汝尊寿命延長、復天下太平失。﹂
のお命の長いことは、盤石が常に変わらないように永久に長らえられるでしょう
u
に﹂︵妹、だけを召したので御子は花のように短く散る だろう︶とある部分である。仮定
の文中であるが、長いいのちを﹁永寿﹂と記していることは前後の文脈から明ら
︵巻十五顕宗天皇即位前紀︶
かである。また、この ﹁寿﹂が単独でも長いいのちの意であることは、以下の用
例から確認することができる。
②﹁・:取結縄葛者、此家長側剰之眠中也。:・﹂
と、﹁延︵長︶﹂﹁守﹂という類似した語を伴う例であることが看取できる。
①は倭大神が垂仁天皇に、﹁︵祭記が十分でなかったために︶先帝は短命だったが、
これは縮見屯倉首のもとに逃げていた即位前の顕宗天皇が、 その新築祝いで室寿
ぎをした際の詞句である。﹁柱を結わえた縄や葛は、この家長の御寿命の堅固な
︵あなたはそれを悔いて慎み祭記すれば︶寿命は長く、 天下は太平だろう﹂,と言った
部分である。先帝の短命だったことが﹁命﹂︵破線部︶、今の天皇が長寿であろう
ことをあらわす﹂ と訳される部分で、﹁御﹂が上接して敬語として用いられ、下
に﹁堅﹂とも記されているように長いいのちを意識した表記と考えられる。
ことが﹁寿命﹂︵傍線部︶と対照的に記されており、 まずここで ﹁命﹂と﹁寿命﹂
の書き分けを見ることができる。③は蘇我大臣馬子がド者の詔を受けて、 石像を
︵巻二十四皇極天皇三年三月︶
これは菟田山で押坂直とその子どもが紫色の菌を見つけ、 その菌の美を食べたた
礼拝し、寿命が延びるように乞うた、 という部分であり、 いのちが長いことを望
③押坂直与一一童子、由レ喫一一菌襲、無レ病而謝。
めに病に擢らず長生きしたという部分である。﹁寿﹂ の一宇でイノチナガシと訓
-136-
と
む例である。
おし
②は神︵底筒男・中筒男・上筒男︶が講えて ﹁和魂は王身に付き随って寿命を守
り:・﹂と言った例である。これは期間・長短としての寿命ではなく、人を生かし
①﹁・:葉局日局時、復ニ命天朝。然天命忽至、隙瓢難レ停。:・﹂
︵巻七景行天皇四十年是歳︶
これは日本武尊が天皇に対して、 いつか天朝に復命しようと願っていたが、天命
いのちがある状態において、 それが長くあれと願うもの、全うすることを期待す
日本書紀における﹁寿命﹂は、単なる結果的な生存期間を表すものではなく、
﹁人之生二乎地上之無二幾何也。警レ之猶ニ駆馳過レ隙也。︵人の地上に生くることは
レ
留
、 尺波電謝﹂という句があり、 その李善注に、﹃墨子﹄巻四兼愛下第十六の
は﹃文選﹄書下第四十三巻、梁の劉孝標の ﹁重答二劉稼陵沼書﹂ に﹁雄二隙駆不
が突然やってきて、余命いくばくもない、 と奏上する部分である。﹁隙駒難停﹂
るものであるといえる。すなわち、 日本書紀における ﹁寿命﹂は、長短の変化が
幾ばくも無し。之を磐ふるに猶胆の馳せて隙を過ぎるがごとし︶﹂が引用されているよ
という意味である。
可能なものと観念され、 それゆえ﹁延ばす﹂﹁守る﹂と表現されえたのだと考え
うに、 人の命がはやく過ぎることを意味するものである。﹁天命﹂ の語には先程
める﹁いのち﹂を守る
られる。そしてこの表現にも、﹁寿﹂の漢字本来が持つ﹁老いる・久しい・長い﹂
く﹁誰も生き続けることはできない﹂という文脈と等質に結びつくものと考えら
るが、具体的には﹁これ以上は生きていられなくなった﹂ととらえてこそ、
ない﹂と諭す場面である。この天命も、大きくとれば﹁さだめ﹂ という意味であ
んだはずの太子が一時蘇り、大鵜鶏尊に﹁これが天命だ、誰も留まってはいられ
これは大鱒鶏尊が太子︵菟道稚郎子︶にその死を惜しむ言葉を投げかけると、
︵巻十一 仁徳天皇即位前紀︶
帝何二謂我乎。﹂乃太子啓二兄王日、﹁天命也。誰能留意。:・﹂
②愛大鱒鶏尊語一一太子日、﹁悲今、惜今。何所以欺自逝之。若死者有レ知、先
いえる。
るとき、﹁天命﹂は ﹁それ以上は生きていられなくなる状況﹂ いう意味であると
見たような﹁さだめ、 天の命令﹂ という意があるが、 ﹁天命が至る﹂ と表現され
・
:
﹂
れる。
③又命一一舎人等、為−一宴於所々。時人目、﹁天皇、刻剣将及乎。﹂
︵巻二十七天智天皇七年七月︶
この ﹁天命将及﹂は ﹁みいのちをはりなむとす﹂と訓まれているがペ新編全集
本の頭注に﹁中国思想で王朝の交替を意味する﹂という指摘もあり、この一文だ
<
1
5
>
意が自ずから含まれていると考えられる。
﹁命﹂を含む熟字で、
0
日本書紀中に﹁天命﹂ の用例は全六例あるが、次の三例は ﹁いのち﹂ の意味は
ないものである。
・群臣再拝言、﹁夫帝位不レ可以一一久模、天命不レ可二以謙距
︵巻十三允恭天皇即位前紀︶
・﹁:・吾聞、 天皇不レ可以二久噴、天命不レ可ニ以謙距。:・﹂
︵巻十五顕宗天皇即位前紀︶
・﹁・:遂令一金銀蕃国群僚遠近莫レ不レ失レ望。天命有レ属。:・﹂
︵巻十五顕宗天皇元年正月︶
李安︶に
けでは天皇の ﹁
命
﹂ の意か ﹁御代﹂ の意か、明らかにし難い。
﹃惰書﹄︵列伝巻五十 列伝第十二
高祖嘗言及一作レ相時事、因感二安兄弟滅レ親奉レ園、乃下 L
詔日、﹁先王立レ教、
-135-
ここで単独の ﹁
命
﹂ の用例を検討するべきところではあるが、行論の都合上、
﹁
命
﹂ を含む熟字の検討から始めたい。 日本書紀中
例︶、﹁司命﹂︵一例︶がある。以下それぞれの意味・用法を確認してゆくこととす
のち﹂に関わる意味を持つものには ﹁天命﹂︵三例︶、﹁性命﹂︵二例︶、﹁身命﹂︵四
ー
.
,
これらは即位を勧める際に﹁天命﹂ H天の命令・さだめとして王朝を受け入れる
つ
い
ょう促す際の定型句であり ω、本稿ではこれらを除いた残る三例の ﹁天命﹂を中
心に考察したい。
死
つ
る
王業初基、承一一此湊季、:・﹂
以レ義断レ恩、割−一親愛之情、蓋ニ事レ君之道、 用能弘二奨大節、韓ニ此至公。
往者周歴既窮、
とある。﹁天命が自分に及ぼうとする﹂ という意味で、 王朝の交替について以下
話が進むが、 日本書紀の当該箇所とは文脈が異なっている。
②﹁嘘
入鹿極甚愚痴、専行−一暴悪、酋之身命、 不二亦殆乎。﹂
︵巻二十四皇極天皇二年十一月︶
③天皇大驚、詔臼、﹁汝恵尺也、背レ私向レ公不レ借一一身命。・:﹂
︵巻二十九天武天皇四年六月
④﹁:・若自レ今以後、 不レ如二此盟者、身命亡之、子孫絶之。非レ忘、非レ失失。﹂
︵巻二十九天武天皇八年五月︶
さだめ﹂という意味
で暗に王朝をさすこともあり、ここでその天から授けられた王朝︵御代︶が終わ
これらは①身命をのこす、②身命があやうい、③身命を惜しまない、④身命が亡
本節の冒頭で見たように、﹁天命﹂には ﹁天からの命令
ろうとする、 と捉えることも可能である。 いっぽう、 もし仮に﹁いのち﹂ の意と
身
﹂
くなる、 と、いずれもほぼ﹁いのち﹂ と同じような意味でありながら、 ﹁
また、﹁司命﹂は以下の一例のみである。
法であると考えられる。
いう肉体が付加されることにより﹁生きている身﹂ であることを意識させる用字
して見た場合も、①②と同じように﹁これ以上生きられない﹂という意味で捉え
ることができる。
﹁天命﹂は、広い意味では﹁天のさだめ﹂であり、﹁命﹂を意味する場合には、
﹁これ以上生きられない段階﹂を表していた。それは、﹁これ以上生きられない﹂
重詔日、﹁大将民之司命。社稜存亡於レ是乎在。:・﹂
︵巻十七継体天皇二十一年八月︶
﹁司命﹂は生死を掌るものの意で、当該個所も﹁大将は人民の命を握っている﹂
という意味で理解される。﹃芸文類衆﹄所引の﹃抱朴子﹄仰にも類似した文が見え
﹁寿﹂﹁寿命﹂﹁天命﹂﹁性命﹂な、ととの重なりと違いを明らかにしたい。
︵巻七景行天皇四十年是歳︶
︵巻六垂仁天皇二十五年三月
日本書紀中に﹁命﹂は全十七例ある。すべてを視野に入れて用法を整理してお
きたい。
①﹁・:故其天皇短レ制也。﹂
②﹁・:願以一一賎妾之身、購二王之制而入レ海。﹂
<
1
6
>
ことを﹁天のさだめ﹂とする観念に基づいた用字法であると考えられる。
﹁神祇不レ可レ乏レ主。宇宙不レ可無君。天生二禁庶、樹以−一元首、使レ
︵巻十七継体天皇元年三月︶
これまで見てきた熟字を整理すると、﹁天命﹂は天にさだめられた命︵その極限︶、
認し
では、単独で記される﹁命﹂はどのように用いられるのであろうか。次節で確
命﹂は生死を掌るものの意であった。
﹁性命﹂は、生来の命の意であり、﹁身命﹂は生きている身を含めた命の意、﹁司
と
③﹁僕頃患一一重病、不レ得レ愈。警如一一物積レ船以待レ潮者。然死之剣也。何足レ
-134-
また、﹁性命﹂は以下二例がある。
①詔日
司一一助養、令レ全一一性命。・:﹂
②﹁高麗迷レ路、始到一越岸。雄レ苦一一漂溺、尚全二倒制。・:﹂
︵巻十九欽明天皇三十一年四月︶
これらはいずれも﹁全﹂という述語を伴っている。①は即位を了承した継体天皇
の決意表明のような詔である。この﹁性命を全からしむ﹂を、﹁天与の性質を全
うさせる﹂︵新編全集︶ととるか、 ﹁寿命を全うさせる﹂︵大系︶ととるかは判然と
こま
しない。漢語﹁性命﹂には性質と寿命いずれの意味もあり、漢籍における﹁全性
命﹂にも両方の例がある。しかし②は高麗が漂い溺れ苦しみながらも命が助かっ
たことを﹁全性命﹂と記しており、この例から﹁性命﹂は生来のいのち、持って
生まれたいのちとみることができる。それを現代語ふうにいえば﹁寿命を全うす
︵巻十七継体天皇九年四月︶
る﹂という意味に近いといえる︵日本書紀における﹁寿命﹂と近いという意味ではな
そして ﹁身命﹂は以下の四例がある。
①物部連等怖畏逃遁、僅存−一身命、泊二波慕羅。
る
四
惜乎。﹂
④﹁剣之惰短、大所レ不レ計。﹂
⑤﹁:・但今、臣婦命過之際。莫下能視二養臣者
⑥因復赴レ敵、同時間煩命。
︵巻十四雄略天皇八年二月︶
︵巻十三安康天皇即位前紀︶
と記されていると考えられる。
するものではあるが、長い意味をこめたものではないため、﹁寿命﹂ではなく﹁命﹂
②は弟橘媛が日本武尊に対し、海が荒れて渡ることができないのは、海神の意
によるのだろうとして、﹁卑しい私の身をもって、 王の命じ代えて海に入りまし
−−・﹂
ko
︵巻十四雄略天皇九年三月︶
ではなく
ょう﹂と言った部分である。これも長い意味を含んではおらず、
﹁主対﹂
点巻十四雄略天皇九年三月︶
⑧﹁・:乞降一一洪恩、救ニ賜他命。:・﹂
︵巻十五清寧天皇即位前紀︶
︵巻十五清寧天皇即位前紀︶
︵巻十四雄略天皇九年五月︶
めだ﹂と言う場面である。この命は天命に近い意味で用いられている。 そもそも
③は病が治らない大草香皇子が﹁沈むのを待つ船のようなもの、 死ぬのはさだ
のではない。
であるが、 ﹁
寿
﹂ の用例②にあった﹁家長のいのち﹂ のように、命を賛美したも
﹁
命
﹂ と記されたのであろう。﹁誰それの命﹂として用いられるのは⑧⑫も同じ
⑨﹁:・促短之命、既続延長、獲レ観一日色。・:﹂
︵巻十五顕宗天皇元年二月︶
⑦﹁然則身労二万里、命墜二三韓。宜ド致一一哀持、充中視喪者。・:﹂
⑩詔日、﹁先王遭ニ離多難、頬二命荒郊。:・﹂
⑬は﹁命を全うする﹂ という例であり、前節で見た﹁性命﹂と近い意味、すな
にあるといえる。
関われて命に及ばないと答える例である。 いずれも一般論的な﹁いのち﹂ の用法
⑪は命をよせる、⑮は命をかけるという例、⑬は命と女性とどちらが大切かと
いは明らかである。
命
﹂ との用法の違
なかったこととは対照的であり、この点においても ﹁寿﹂と ﹁
を表している問。 日本書紀において ﹁寿﹂を用いて死を表現する ωことが一度も
﹁碩命︵命碩︶﹂、⑦の ﹁命墜﹂、⑭の ﹁亡命﹂、⑫の ﹁命終﹂ はいずれも死ぬこと
また、﹁命﹂を用いて死ぬことを表すものも多くあり、⑤の ﹁命過﹂、⑥⑩の
にしたのが﹁天命﹂ であると考えられる。
第一節で見たように﹁命﹂ の字義が天から与えられた命であり、 それをより鮮明
︵巻十七継体天皇元年正月︶
⑪持 節使等、由レ是敬陣、傾レ心委レ命、翼レ尽一一忠誠。
L
⑫亦宜ト課二諸郡分移、衆−建那津之口、 以備ニ非常、永為中民命 。
l
︵巻十八宣化天皇元年五月︶
︵巻十九欽明天皇六年十一月︶
︵巻十九欽明天皇即位前紀︶
⑬乃抑一止相闘、拭二洗血毛、遂遣放之、倶令レ全レ命。
⑭追レ縦覚至。不レ畏レ亡レ命、欲レ報故来。
⑮﹁・:行李者百姓之所一一懸命、市選用之所−一卑下。:・﹂
︵巻十九欽明天皇二十一年九月︶
︵巻十九欽明天皇二十三年七月︶
⑬闘将間二河辺臣日、 ﹁汝命与レ婦、執与尤愛﹂。答目、 ﹁何愛二一女、 以取レ
禍乎。如何不レ過レ命也。﹂
以上、単独の﹁命﹂全十七例を検討した結果、﹁天命﹂﹁性命﹂﹁寿命﹂など﹁命﹂
わち現代風にいうところの ﹁寿命を全うする﹂という意である。
①はすでに第二節︵﹁寿命﹂の用例①︶でも扱った、倭大神の言葉である。先の
を含む熟字と重なる部分も当然あるものの、単独の ﹁命﹂は基本的に価値観を含
︵巻二十五孝徳天皇白雄四年六月︶
崇神天皇は神祇を祭記したが、詳しくその根源を探らずおろそかで枝葉にとどま
まない生命であって、多くがニュートラルな用例であり、 ﹁命が短い﹂や﹁命を
⑫天皇聞白文法師命終、而遣レ使弔。
った、故に天皇は命が短かった、 という部分である。﹁寿命﹂ の用例①で見たよ
失う﹂﹁命が終わる﹂など、 死の表現にも用いられることが確認できた。 そして
﹁寿﹂とは対照的に、長い意や賛美を含むものはないことが明らかになった。
つづく部分で現天皇については ﹁則汝尊寿命延長、復天下太平実。﹂と記
うに
しており、短い命には ﹁命﹂、長い命には ﹁寿命﹂と記すことが明らかに確認で
きる。④、⑨もいのちの長短についていう例であり、意味として﹁寿命﹂と類似
トヘゾ
3U
一
<
おわりに
以上見てきたように
一方
﹁命﹂は長く久しい意を含むこと
日 本 書 紀 に お い て ﹁寿﹂は長く久しい意であり、
を用いて死を表現することはなかった。
まそ鏡
直目に君を
我が恋止まめ
︵巻十二・二九七九︶
﹁いのちにむかふ﹂ に﹁寿﹂ ﹁命﹂両方の表記がみ
見てばこそ
と、同じ巻十二においても
﹁
命
﹂ 聞は書き分けられている
万 葉 集 に お い て ﹁寿﹂と ﹁命﹂は混在しているといっ
える。このように、類似の表現に﹁命﹂を用いたり﹁寿﹂を用いたりすることは
相当数見ることができ問
﹁命﹂を用いて死を表現することもかなりの割合で見られた。このよう
はなく
てよい状況である。
ということも改めて問題となってくる。
ついて考察を深めたい。
白川静﹃字訓
普及版﹄︵平凡社
二O O七年︶﹁命﹂の項に
命
﹂ の用字意識に
本 稿 で 得 た 結 論 を も と に 、 な お 上 代 文 学 に お け る ﹁寿﹂と ﹁
のか否か
また古事記で一部分にしか見られない
に 、 日 本 書 紀 に お け る ﹁寿﹂﹁命﹂ には使い分けがあることは明らかであるが、
α群
あえて記述者が意図した﹁書き分け﹂ であるか、 そ れ と も 漢 字 と し て の 意 味 の 違
いに規定された無意識の所産であるかは、 なお考察が必要であろう。ただ、
︵巻十四1 二十一、 二十四1 二十七︶・ 0群︵巻一 1十三、二十二、 二十三、 二十八、
十九︶ の区分ωによって ﹁寿﹂・﹁命﹂ の 用 法 に 顕 著 な 違 い が 見 ら れ る わ け で は な
EEA
︶
−
︵
j
主
く、日本書紀を通して全体的にこのような結果が得られる点からみても、これは
と
とある
小学館
たいさいきほばん
日本書紀﹄︵吉川弘
東洋文庫
一九九四1 一九九八年︶に拠る。但し、会話文
日本書紀の引用は﹃新編日本古典文学全集
正守、直木孝次郎、蔵中進
国史大系
一九五二年︶、日本古典文学大系本、新編全集本もイノチナガシと訓む。
一九七八年︶。﹃新訂増補
岩崎文庫本の平安中期点に﹁寿シ﹂とある︵築島裕・石塚晴通﹃日本書紀
を明示するためにカギ括弧を付した。
日本書紀﹄︵小島憲之、西宮一民、毛利
らざれば、以て君子と属す無きなり﹂のようにいう
からである。寿命のみでなく、人の生きざまをも含めて、︹論語、尭日︺﹁命を知
ぎようえつ
ある。神意を示す令が寿命の意となるのは、それを神意によるとする観念があった
命老い難からんことを踊る﹂とあり、その他﹁通長永命﹂﹁永命眉書﹂などの語が
寿命の意は列国期の金文に至ってみえ、斉器の︹大宰帰父盤︺に﹁台て眉害、霊
をそえて命という。令・命は古くは同字。
その神託として与えられるものを令という。のち祝調を収める器の形である出︵口︶
命は古く令と書かれた。その字は神官が礼帽を戴き、脆いて神託を受けている形で、
訂
漢字の字義、漢文としての用法にのっとって書き分けた自然な結果の表れであろ
﹁命﹂が和語﹁いのち﹂に相当する漢字で
新
蔵岩崎本﹄貴重本刊行会
文館
<
I
B
>
うと考えられる。
日 本 書 紀 の 諸 本 に も ﹁寿﹂﹁命﹂ ともに﹁イノチ﹂
﹁
寿
﹂
万 葉 集 に お い て も ﹁寿﹂﹁命﹂ と 同 じ よ う に 仮 名 書 き の ﹁いのち﹂も
また、時代は降るが
があり州
用いられていることから川
あったことは確認することができる。和語﹁いのち﹂と、表記された漢字﹁寿﹂
﹁
命
﹂ との関わりについて考える上でも、本稿で見たような漢字としての意味の
違いをおさえておく必要があろう。
︵巻十二・二八八三︶
命死なずは
また、
︵巻九・一八O四
︶
︵巻七・二二七五︶
我が思はなくに
我が恋止まめ
ず
:
れ
寿
寿
日本書紀においては、漢字本来のもつ意味をそのまま反映して用いることが明
「消|
-132一
一
の
司H
らかになったが、他の上代文学においてこのことは自明ではない。たとえば万葉
千歳もがもと
見てばこそ
寿易|
」 きl
集では、
朝露の
誰がために
弟の命は
朝霜の 判刻剖困
箸向かふ
君が姿を
と、問、じ ﹁けやすきいのち﹂が、
よそ目にも
で
も
記
さ
れ
(
2
)
(
3
)
と
命
﹃後漢書﹄光武帝紀にも﹁帝王不レ可一一以久噴、天命不レ可二以謙拒、・:﹂とある。
将帥︶に﹁抱朴子日、大将民之司、社稜存亡、於レ是
国史大系本の版本訓による。日本古典文学大系本、新編全集本も同じ。
﹃芸文類緊﹄︵五十九巻
乎在﹂とある。
﹂れらの死の表現は漢籍においても見られるものである
一九九九年十月
仏典などにおいて﹁書終﹂という表現もあるが、﹁命終﹂に比べ用例数はかなり少な
森博達﹃日本書紀の謎を解く﹄中央公論新社
たとえば、﹁寿﹂の用例①に﹁イノチ﹂︵兼方本、丹鶴本︶﹁ミイノチ﹂︵鴨脚本︶の訓
たまきはる
塙書房
・二三七四︶
glgz版﹄︵木下正俊校訂
︵巻十
︵巻六・一 O 四三︶
伊能知も知らず・:︵巻二十・四四O八
︶
が、また﹁命﹂の用例②に﹁オホムイノチ﹂︵北野本︶﹁イノチ﹂︵内閣文庫本︶の訓
がある
世の人なれば
訳文篇
る。なお、これらについての詳細な考察は別稿を予定している。
はかないいのちの表現
留めえぬ寿にしあればしきたへの家ゅは出でて雲隠りにき
月草の仮なる命にある人をいかに知りてか後も逢はむと言ふ
︵巻十一・一一六六
︵巻十一・二七五六
霊ぢはふ神も我をば打棄てこそしゑや寿の惜しけくもなし
︵巻十二・三O 八二︶
妹がため寿残せり刈り薦の思ひ乱れて死ぬべきものを
︵巻十二・二七六四︶
・二三七七︶
︵巻十
いのちを長らえるという表現
君に逢はず久しくなりぬ玉の緒の長き命の惜しけくもなし
いのちが惜しくないという表現
︵巻三・四六一︶
万葉集中、以下のような多くの類似した場合に於いて﹁寿﹂﹁命﹂両方の表記が見え
二O O一年︶によるが、﹁いのち﹂の部分のみ原文の表記に戻した。以下同じ。
など。なお、万葉集の引用は﹃万葉集
かくのみし恋ひや渡らむたまきはる命も知らぬ年は経につつ
たまきはる矧は知らず松が枝を結ぶ心は長くとそ思ふ
:・うっせみの
−
たとえば、
l
︵
︶
武
部
なにせむに命継ぎけむ我妹子に恋せぬ先に死なましものを
後つひに
心砕けて
寿死にける
・死の表現
・・むら肝の
水江の
死なむ命
浦島子が
家所見ゆ
にはかになりぬ
︵巻九・一七四O︶
︵巻十六・三八一一︶
本稿第二節で見た日本書紀の﹁寿﹂の用例①と同じ文脈が、古事記上巻においては、
爾、大山津見神、因レ返二石長比売市、大祉、自送言、﹁我之女二並立奉由者、使二
石長比売者、天神御子之圏、雄二雪零風吹、恒知レ石而、常堅不動坐、亦使二木花
之佐久夜比売者、如二木花之栄々坐、宇気比弓一貢進。此、令レ返=石長比売一而、独
留二木花之佐久夜毘売故、天神御子之側園者、木花之阿摩比能微坐﹂。故、是以至二
子今、天皇命等之側因不レ長也。
と記されている︵引用は新編全集本によるが、適宜カギ括弧を補い、音注は省略した︶。
これ以外に﹁寿﹂・﹁命﹂の用例は見えず、この三例だけでは意味の違いを明らかにし
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0
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(
1
2
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1
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