學術工作坊「日本近現代文學文化研究最前線」 時間:2015 年 3 月 22 日 9:00 ~ 17:40 (9:00 開始報到) 會場:淡江大學覺生 綜合大樓 I 501 號室 報名網址: https://docs.google.com/forms/d/1cJQwTDFbALysghNBPEp3czOnW033ekR0ni4iMd0eiHo /viewform?c=0&w=1 テーマ:セクシュアリティと植民地支配 講師:光石亜由美先生 與壇人:王憶雲老師(淡江大學日文系・日本近代文學研究) (1) テーマと趣旨 このセッションでは、植民地期朝鮮における〈遊廓〉と〈朝鮮人娼婦〉の表象について 考える。日本が植民地とした都市において、象徴的なシンボルは、軍隊と神社と遊廓であ るといわれる。軍隊が武力による威圧的統合を、神社が宗教による精神的統合を植民地の 人々に強いる働きをもっていたとすれば、遊廓は性的欲望や快楽、性の管理というレベル で植民地の人々を統制するものであった。 日本の植民地支配とともに朝鮮には公娼制がもたらされた。1897 年の元山にはじまる 開港以降、朝鮮各地に日本式の日本人用遊廓がつくられる。また、1920 年代には京城(現 ソウル)に朝鮮人用の遊廓もつくられる。 本セッションでは、朝鮮の〈遊廓〉や〈朝鮮人娼婦〉が描かれた中島敦「プウルの傍で」 と「巡査の居る風景」をとりあげる。「プウルの傍で」は朝鮮人遊廓に〈冒険〉にいった 少年の話である。日本人男性と朝鮮人女性の接触が、日本人男性にとっての異文化体験と なるのは植民地小説の一つのパターンである。当時、遊廓をはじめとした植民地の買売春 の空間は、異文化接触の空間であり、そこには支配/被支配の構図が縮約されていた。 「巡 査の居る風景」では、朝鮮人の私娼の存在を取り上げる。寒々とした植民地の風景と化し た私娼の表象から、植民地における公娼制度導入がもたらした、女性のセクシュアリティ の搾取の様相を読み解きたい。 以上、植民地の〈遊廓〉や〈朝鮮人娼婦〉を描いた小説作品を取り上げ、セクシュアリ ティの観点から植民地支配をとらえなおしてみるのが今回の目的である。 (2) 講師プロフィール 光石亜由美(みついし・あゆみ) 奈良大学文学部国文学科・准教授。先行は日本近代文学。特に恋愛、性愛、性風俗といっ たセクシュアリティの観点から研究している。 1 論文に「女装と犯罪とモダニズム―谷崎潤一郎「秘密」からピス健事件へ」(日本文学、 58 集、2009 年 11 月)、 「〈フォーラム〉セクシュアリティ」 (日本近代文学、91 集、2014 年 11 月)、 「中島敦「プウルの傍で」における朝鮮人遊廓の表象と〈越境〉への欲望」 (日 本言語文化〔韓国日本言語文化学会〕、29 集、2014 年 12 月) (3) 参考文献 中島敦「プウルの傍で」、「巡査の居る風景」 テーマ: 戦争文学/戦記テクストの戦場表象 講師:五味渕典嗣先生 與壇人:洪瑟君老師(台灣大學日文系・日本近代文學研究) (1) テーマと趣旨 このセッションでは、日中戦争期・アジア太平洋戦争期の日本語で書かれたテクストの戦場 表象を取り上げる。スーザン・ソンタグは、戦場での残虐行為を物語る写真は「報復」を動機 づけるだけでなく、 「平和への呼びかけ」を含み込んでしまう、と論じた(『他者の苦痛へのま なざし』)。まるでそのことをはじめからよく知っていたかのように、日中戦争・アジア太平洋 戦争を戦う日本帝国の軍と情報当局は、自軍の被害を示すものを含め、写真による戦場表象に 厳しい制約を課していた。その分、同時代の戦争観・戦争認識の構築にあたっては、文字テク ストによる戦場表象が、同時代の戦争観・戦争認識の構築に重要な役割を担うことになる。だ が、南京作戦の一翼を担った部隊の戦場を描いた石川達三『生きてゐる兵隊』がもたらした波 紋は、軍と情報当局に、文学として書かれたテクストの管理・統制がいかに困難かを突きつけ ることにもなった。いってみれば、この時期に戦場をどんな立場から・どのように語り書くの かということ自体が、すでにひとつの抗争の現場=〈戦場〉だったのである。 以上の問題意識にもとづき、ここでは、まず『生きてゐる兵隊』事件前後の、文字テクスト による戦場表象の様相を確認する。そのうえで、半ば公的なプロパガンダとして製作・発表さ れた火野葦平『麦と兵隊』『土と兵隊』が、どのような戦場のイメージを構築したか、そこで 何が語られ・何が語られなかったかを検討し、言語を軸に組み立てられた戦場表象の問題性と 批評性について言及したい。戦場での暴力の表象は、つねに有形無形の検閲・統制の力にさら されることになる。さしあたりわたしは歴史的な日本語テクストを対象として議論を進めるが、 そこから見えてくる問いは、いわば〈見えすぎる戦争〉の渦中にある現在のわたしたちにとっ ても、決して無視できないものとなるはずである。 2 (2)講師プロファイル 五味渕典嗣(ごみぶち・のりつぐ) 大妻女子大学文学部准教授。専攻は近現代日本語文学・文化研究。現在は、とくに日中戦争 期・アジア太平洋戦争期の文学・文化と言論統制・プロパガンダとのかかわりについて集中的 に考えている。著書に『言葉を食べる——谷崎潤一郎、1920-‐1931』 (世織書房、2009)、論文 に「曖昧な戦場——日中戦争期戦記テクストと他者の表象」 (『昭和文学研究』69 集、2014.9) などがある。 (3)関連図書・論文 石川達三『生きてゐる兵隊』、火野葦平『麦と兵隊』『土と兵隊』 テーマ:戦後日本と原爆の表象 講師:川口隆行先生 與壇人:李文茹老師(淡江大學日文系・台日近現代文學文化研究) (1) テーマと趣旨 このセッションでは、冷戦期における日本語で書かれたテクストにおける原爆の表象に ついて考える。 20 世紀半ばに登場した核・原爆は、人間、社会、自然のありかたを大きく変え、それ 自体の様々な表象を生み出した。核・原爆の表象は、すべての表象がそうであるように、 生産や受容の様態を含む社会文化的関係性の中で表出される。たとえば、国民国家は、そ うした表象システムを通して国民意識を喚起する。「原爆文学」と呼ばれるジャンルもそ れと無縁ではなく、「戦後日本」という時代認識と不可分であった。別の言い方をするな らば、「原爆文学」とは、被害と加害の交錯、体験の共有化といった問題と連動した、範 型的な原爆物語の生成と受容、それへの批評的な言説実践の軌跡そのものといえよう。 本セッションでは、まず原爆表象(「原爆文学」)について、GHQ占領期から 70 年代 前半ぐらいまで概観し、その特徴と問題をおさえる。そのうえで、東アジア冷戦が激化す る 50 年代前半、とりわけ朝鮮戦争期の原爆表象の問題を具体的に議論していきたい。対 象とするのは、広島で刊行されたサークル詩誌『われらの詩』、その編集の中心人物でも あった峠三吉の詩集『原爆詩集』、子供たちの被爆体験記をあつめた長田新編『原爆の子』、 それを原作とする映画「ひろしま」(監督:関川秀雄)などである。朝鮮戦争という同時 代の戦争に対峙するなかで、過去の原爆の記憶が召喚され、再構成されていくプロセスを 考えながら、文学や文化の研究において記憶のポリティクスを問題にする意義をあらため て問うてみたい。 3 (2) 講師プロフィール 川口隆行(かわぐち・たかゆき) 広島大学大学院・准教授。専攻は日本近代文学、文化史研究。特に戦争・原爆に関する文 学・文化的事象、戦後文化運動に関する研究を幅広く行っている。著書に『原爆文学とい う問題領域』 (創言社、2008 年)、 『戦争を〈読む〉』 (ひつじ書房、2013 年、共編著)、 『台 湾・韓国・沖縄で日本語は何をしたのか――言語支配がもたらすもの』(三元社、2007 年、共編著)、論文に「「われらの詩」における詩作品――その詩学と政治学」 (復刻版『わ れらの詩』第 2 巻、2013 年)などがある。 (3) 参考文献 峠三吉『原爆詩集』、長田新編『原爆の子』、関川秀雄監督「ひろしま」 4
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