9.11に思う

霊降臨後 第16主日
礼拝説教 (2015年9月13日) 飯川雅孝 牧師
聖書
ルカによる福音書21章5-15節
説教
『9.11に思う』
(説教)9.11に関連して三つの点から考えます。
第一に、今から14年前の9月11日、あのニューヨークの世界貿易センターのツインタワー
にハイジャックされたジャンボジェット機が次々と突っ込みました。テレビがその有様を報道す
る様はそこに人間の死があるということより、何か物体に飛行機が衝突する様を伝えた感じでし
た。そこには尊い人間の命が失われているという映像が隠されております。罪なことです。しか
し、次の日、追い詰められた人たちが90階を越える400メートルの高さから死のダイビング
をする様子が新聞に報道される写真を見て、わたしは現実の痛ましさとこのような苦しみを与え
る者への憤りを覚えました。ビルにいた人、消防士、ハイジャックされた飛行機の乗客を含めて
2973名の尊い命が失われました。飛行機からは夫が妻への最後の言葉が「愛しているよ。
」
というものでした。事件の首謀者はオサマ・ビンラディンをリーダーとするテロ組織「アルカー
イダ」
。10年後パキスタンに潜伏していたところを米国海軍特殊部隊によって殺害されました。
その後アメリカでは、メデイアの扇情もあり、国家は挙げてテロに対してというより国内・国外
のイスラム教徒に敵意をむき出しにしました。それに続くイラク戦争、アフガニスタン攻撃は過
剰な防衛戦争となりました。 なぜ、このようなテロが起こったか。昔から国家にとって戦争は
生産活動でした。国家が勃興すると覇権を握ろうとします。それに成功すると、近隣諸国への軍
事攻撃を強め次々と進撃する。しかし、その軍事力を維持しようとしても国内の経済力がついて
行かない。世界の歴史は大国の興亡であります。近代ではイギリスが第一次大戦まで、第二次大
戦によってアメリカがそれに代わる。朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争はじめ世界の軍事力と
経済力の動きは現在に至るまでアメリカに従っていると言えます。
同時にイスラム国の多い中東
ではイスラエルが国家を作り、周りのイスラム国を蹴散らし貧富の格差が増大する。現地に滞在
しそれを見た友人はイスラエルを批判していました。
石油資源やアメリカ国内のユダヤ人の力も
絡んでアメリカは覇権を強化する。それに対抗してアメリカに恨みを抱くイスラム・グループが
増加する。9.11のその後のアメリカの施策とイスラムの反感は目に見えています。アメリカ
はそれを抑えきれなくなり、4-5年前からイスラム国としてテロ国家が悪辣の限りを尽くして
おります。ですから、アメリカは覇権を維持しようとして日本にも集団自衛権の形で働きかけて
おります。9.11後対テロ制圧のための軍事費用は120兆円(9.11朝日)に達し、オバ
マ大統領自身さえ、アメリカの施策に対して疑問を投げかけておりまし、イラクに派遣された米
兵は自分が相手を銃殺することに良心の呵責を感じ米国に戻った後恨みは怨みの逆襲になると
市民に訴えております。
しかし、
イスラム国は日本の外交使節も殺害すると公言しています。
9.
11の事件はその前から種が蒔かれていたのですが、
それ以降一層アメリカを中心として過激な
イスラム・グループとの対立という形で世界が変わっと言えます。また、別の角度から中国も覇
権国家としての色彩を帯びてきています。今後世界はどうなるのでしょうか。
第二に、今日のルカの福音書でイエスは覇権の本質を述べております。イエスは貧しいやもめ
の心からの献金を褒めた、ということは対照的に心の籠らないヘロデを批判している。エルサレ
ム神殿の大きな石を積み上げた塀を弟子が褒めた。ヘロデによる神殿寄進は権力の誇示、つまり
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ユダヤ人への覇権を示すためこの塀を築いた。
それがわからない弟子はただ感嘆した。
イエスは、
権力は廃れるものだ。戦争は必ずおこる。人間の支配力の欲望は廃れることはない。しかし、こ
の世の欲望と権力を批判するイエスに従う弟子は、これらに抵抗しますから、権力は彼らを迫害
し支配者の前に引っ張って行く。しかし、それは彼らの信仰を証明する時である。実際日本でも
戦争に反対して獄中死した牧師たちがいました。彼は身をもってイエスの弟子であることを証し
たのです。あなた方はその戦争に巻き込まれ、死ぬ者も出ると憚らず語ります。しかし、同時に
イエスはそのような人たちに救いの約束をしています。
「人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲
に乗って来るのを、人々は見る。
」と。福音記者ルカがこの記事を書いたのは神殿が炎上した紀
元70年の後の紀元80年代と言われております。先週ユダヤ戦争のことを話しました。ローマ
人の横暴にユダヤ人が反発してユダヤ全土で戦争が起き、ユダヤ人は大量虐殺される。エルサレ
ム神殿も炎上させられる。イエスの言うようになった。だから、ルカはその事実も知った上でこ
の物語を書いている。つまり、人間の被害の一番酷い時において、たとえ死を招くようなことに
なっても“彼らが反論できないような言葉と知恵を、授ける”とは死に際しても恐れることの無
いキリストの励ましを約束している。また、一方、ここには同時に今日の招詞にある神への訴え
があります。創世記でアブラハムはソドムを神が滅ぼす時訴えました。悪徳の都市ソドムでもわ
ずかながらも正しい人がいるかもしれない。
「正しい者を悪い者と一緒に殺し、正しい者を悪い
者と同じ目に遭わせるようなことを、あなたがなさるはずはございません。
・・全世界を裁くお
方は、正義を行われるべきではありませんか。
」この言葉は古代のユダ王国が大国バビロニアに
滅ぼされ多くの民が殺害された悲惨な現実を体験した中で書かれた。歴史の現実はむしろ悲劇が
当たり前だと伝えております。ナチス・ドイツにより民族の大虐殺を身を持って知ったユダヤ人
宗教家のヘッシェルはその民族の歴史を通して、
ユダヤ人にとっていつ命を落とすかもしれない
ことは当たり前のことだと言っています。この世の悪の中にあっても神の正義は否定されてはな
らない。だから自分は神を信じて生きるという強い信仰の証であります。このように覇権の中に
は悲惨な現実がある。しかしイエスは犠牲となる共にいて励まして下さる。
第三にこのような中で、イエスは我々に何を求めているのでしょうか。
あのツインタワーで命を落とした人たち、
また妻に
「愛しているよ」
と最後の電話をした男性。
今、イラクではIS国の虐殺を逃れて多くの難民が危険な海を渡りギリシャ経由でヨーロッパに
助けを求めています。先日は2歳の男の子が海で死に、5歳の兄もそして母親も死に、悲しみ打
ち砕かれる父親の姿を報道しておりました。それはご自身が十字架に付きながらもその苦しみの
中で神を称え、
苦しむ者のために神の国を実現されたイエスがこれら犠牲者となられた方と共に
おられる。ということではないでしょうか。
今、平和なわたしたちに比べて世界の中で苦しむ難民がいる現実がある。そしてその中で自分
のことのように難民救済に奔走するユニセフや他のNPOの団体のように己を無にして神と難
民のために奉仕する志の高い人たちがイエスに従っている。また、ドイツでは過去のナチスへの
贖罪からか80万人もの難民を受け入れるという。だとすれば、わたしたちもそのせめてその1
00分の1でもその人たちと志を同じくして痛みを覚えようではありませんか。
苦しんでいる人
たちを支援すること。それが世の終末に備えた、また自分の召さるべき時に備えた生き方である
と考えるのであります。
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