青のゆらぎ∼LEDキャンドル能∼

ル能∼
ンド
青 の ゆ らぎ ∼LEDキ ャ
能・狂言の舞台 に、優 しい明 か りで差 し色 をしてみたら…
能や狂 言ではふつう、大がかりな舞台装置や照明が用 いられることはありません。どの演 目も、背景 は、松の
木 を描 いた鏡板 のまま。いま登場 人物がどんな場所 にいるのか、周りがどんな風 景なのかは、せりふや謡 の
中に盛 り込まれ、観 客 の想像 にゆだねられます。そんなシンプルな舞 台 が特徴 の能・ら
王言ですが、たまには、
ちょっとだけ冒険してみたい。たとえば水彩絵の具でさっと一筆なぞるように、舞台 に一色 差 してみたら…・。
なんという巡 り合 わせでしょう。現 代 の 科 学 技 術 の 結 晶であるLEDは 、600年 も前 から続 く能・Z王 言 に、
ぴったりの 明 かりだったのです。今 回の企 画 では、水 量 豊 かな川 と、果 てしなく拡 がる大 海 原 を、いま
話題 の青 色 LttDで いろどります。
イヤホンガイド/米 田真 理 <朝 日大 学 准 教 授 >
い るまが わ
ン ア ア
ヽ
ll」
狂言「入間り
テ (大
名 )/井
ド (太 郎 冠 者 )/佐
ド (入 間ノ何某 )/鹿
上
松 次郎
藤
島
融
俊
裕
後見
/今
枝
郁
雄
「ある」と言えば「ない」ことを指し、嬉しいときは「嬉しくない」という。そんな逆さ言葉
の遊び「入間様」をめぐる狂言です。
訴訟のため長らく都で過 ごした東国の大 名 が、ようやく帰郷できることになりました。
旅を続 けていくと、大きな川にさしかかります。対岸 の人に、ここはどこかと問えば、入
間 (埼 玉県南部 )と の答え。渡るのに適当な浅瀬を問えば、ここは深 いから上流 へ回
れ、と教えます。だが大名は忠告に従わず、深みにはまってずぶ濡れに。大名は、この
土地で使われる入間様だと思ったのにと怒り、入間の人を成敗しようとします。ところ
が、入間の人が言うには、それなら助 かった、入間様なら、成敗するとは成敗しないこ
とだから、と。面 白くなった大名は、入間の人と言葉遊びを楽しみますが…・。どこまで
が真意で、どこからが逆の意味なのか?そ んな理不尽な展開が楽しい作品です。
しゅん か ん
シ テ (俊 寛 僧 都 )/久
ツ レ (平 康 頼 )/山
ツ レ (藤 原 成 経 )/久
ワ キ (赦 免 遣 )/高
ア イ (船
頭 )/野
/鹿
小 鼓 /後
大 鼓 /河
笛
田 中 田 安 村
「俊寛 」
毬
育
勘
EIII
『平 家物語』を題材 に、絶海 の孤 島にただ一 人残
雅
志
されることになった人間 の、次第 に追い詰められて
勘吉郎
勝 久
又三郎
いく状況を描 いた能です。
平 家政権 へのクーデターを企てた罪で、俊 寛と成
経・康頼 は、太平洋上の孤 島・鬼界 が島に流され
ています。折しも、中宮の御産にともない大 赦 が行
取
希
藤
嘉津幸
絶 一郎
村
世
われることとなり、使 いの船がやってきます。やっと
都 に帰れると喜ぶ二 人。だが赦 免状 の文 中 に、成
経・康頼 の名 は記されていても俊 寛 はあ ません。
│り
親 政 久 郎
一
幸 一邦 信
山 沢 田 保
松 清 梅 久
貴 旭 充 勲
裕 孝
藤 沢 神 田
伊 吉 八 本
/
謡
地
俊 寛 は慌 てて使 いの者 に詰め寄ったり、紙 の裏表
を確 かめたりしますが、やがて事態を察して涙します。
そして成経・康頼 を乗せた船 は、すがるように後 を
追う俊寛を振 りきって漕 ぎ出され、俊 寛 は一人とり
残 されてしまいます?
後見
/祖 父江
修
―・久
田
三津子
還
署晨 喜 F∬遺
へけ
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彗
山
需
象 的 に用 いられます。今 回 の能 の演 出 は、青 色
LEDの 幻想的な光によって、能舞台の上 に大海原
を作り出す試みです。
※やむを得ず演目等を変更する場合があります。
あしからずご了承ください。
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