資料 17 記 者 発 表 資 料 平成28年3月1日(火) 日 高 市 教育部 生涯学習課 文化財担当 ℡042-985-0290 担当者職・氏名 副参事 中平 薫 高麗郡の中心地は現在の高萩地内? ぐうけ 高麗郡家の所在を知る大きな手掛かりを 発見しました 高萩地区の小畔川左岸に位置する拾石遺跡は、平成6年度から武蔵高萩駅北土地区 画整理事業に伴って、発掘調査を行っている遺跡です。 今回発表する資料は、平成7年度に調査した2号水路遺構から出土したものです。 発掘調査から時間が経過していますが、昨年実施した高麗郡建郡1300年に向けて くりや の特別整理作業で、「 厨 」という文字を確認しました。 この「厨」という文字には、郡家を形成する主な施設のひとつとしての調理場、台 所という意味があります。詳細については、別紙となります。 別 紙 ○拾石遺跡出土「厨」墨書土器 遺 跡 名 拾石遺跡(じゅっこくいせき) 場 所 武蔵高萩駅北土地区画整理事業地内 調査時期 平成 7 年度に発掘調査を行った 2 号水路からの出土品。昨年実施した高 麗郡建郡1300年に向けての特別整理作業で「厨」の文字を確認しま した。 時 代 奈良・平安時代 遺 構 住居跡 43 軒 井戸跡 16 基 道路跡 1 条 水路跡 2 条 など 墨書土器 土師器や須恵器の坏などに墨で文字や記号を書いた土器を墨書土器と 言います。関東では一文字だけ書かれていることが多く、書かれている 文字は、土地、方位、吉祥、建物に関する文字、土器の管理・保管に係 わる施設などです。 拾石遺跡では、数多くの墨書土器が出土し、様々な文字が書かれていま す。 一文字 … 乃、土、東、万、田など 二文字 … 家長 は じ き す え き ※土師器 須恵器 土器の年代 赤褐色の素焼きの土器 窯を用いて高温で焼かれた青灰色の土器 厨と記された須恵器は、8 世紀第三4半期 「厨」(くりや) ぐうけ ぐんが 郡家(郡衙)を形成する施設のひとつで、饗宴の料理や郡司の食事を作る施設。 ※上野国交替実録帳「長元 3 年(1030)」に正倉、政庁、舘、厨など郡家を構成す る主な施設が書かれています。 本遺跡から「厨」の墨書土器が出土したことによって、高麗郡家の所在を知る大 きな手掛かりとなりました。
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