熊本大学学術リポジトリ Kumamoto University Repository System Title 熊本県下に現存する古いピアノ・オルガン調査2 : 明治 ・大正・昭和初期 Author(s) 中川(森), みゆき; 山崎, 浩隆 Citation 熊本大学教育実践研究, 32: 105-112 Issue date 2015-02-27 Type Departmental Bulletin Paper URL http://hdl.handle.net/2298/31951 Right 熊本大学教育実践研究 第32号,105−112,2015 中川(森)みゆき・山﨑 浩隆 熊本県下に現存する古いピアノ・オルガン調査2 明治・大正・昭和初期 * ** 中川(森)みゆき ・山 﨑 浩 隆 An investigation of existing old pianos and organs in Kumamoto prefecture Vol. 2 : From the Meiji, Taisho and early Showa periods Miyuki NAKAGAWA-MORI and Hirotaka YAMASAKI 1 を省略させていただくことをお断りする. はじめに 本稿は,拙論『熊本県下に現存する古いピアノ・ オルガン調査−明治・大正・昭和初期−』 (2014)の 続編である. 調査方法と報告については,前回と同様の形式で 行う.本稿では,個人蔵の場合は現在の所有者から, 学校等の場合は関係者から,楽器にまつわる話の聞 き取り調査を行い,それをできる限り正確に記録す ることに重点を置いている.これらの話では,各々 の楽器が家庭や学校,そして地域でどのように鳴り 響いたか,生き生きと伝えられている.それは,明 治以降,西洋音楽がどのように一般の人々に受容さ れたかを語っており,まさにこれまでの西洋音楽受 容史研究で明らかにされた史実と一致する貴重な話 である.それを以下の「2 調査した楽器にまつわ る聞き取り調査と資料」にまとめた. 巻末に,調査した楽器一覧( 【表1】 【表2】)と写 真一覧(【資料1】 【資料2】 )を掲載する.なお,楽 器一覧に採用した整理番号は,拙論(2014)からの 通し番号である. 2 調査した楽器にまつわる 聞き取り調査と資料 2−1.調査方法等 前回と同様の方法である.各々の楽器について, ①楽器にまつわる話,②資料に分けて記述する.② については,今回調査した楽器が,論文やその他の 資料等に掲載されている場合には,それを記載する. また,聞き取り調査においては,所有者や関係者 の方々の了解を得て,名前と生年,没年等を掲載さ せていただいた.なお,以下の記述において,敬称 * ** 尚絅大学短期大学部幼児教育学科 熊本大学教育学部音楽科 2−2.ピアノに関する聞き取り調査 整理番号〔ピA-5〕 元々の所有者:井上織子 現所有者:学校法人 九州音楽学園(九州音楽京塚 幼稚園) このピアノは,昭和5年にドイツで亡くなったソ プラノ歌手井上織子(明治35〜昭和5年)が生前, 自宅にて所有していたものである.織子は,現在の 熊本県上益城郡嘉島町鯰に生まれ,尚絅高等女学校 を経て東京女子音楽学校に学んだ.大正11年,同校 を卒業後ドイツに留学しヴァイゼンボルンに師事し た.14年に帰国後,母校で教鞭をとりながら演奏活 動も続けていたが,昭和5年に再び渡独した際に自 動車事故で亡くなった.29歳であった. 織子のピアノは,現在,熊本市の学校法人九州音 楽学園の九州音楽京塚幼稚園の3階ホールにあり, 園児のための演奏会等で使用されている.同学園の 現理事長の井上新(昭和25年〜)の叔母,井上萬里 子(大正8年〜平成16年)が学園の創設者であり, 萬里子の姉が織子である.萬里子は,ソプラノ歌手 であった織子の影響で音楽を勉強するようになり, 熊本で演奏家を育てるべく専門学校を創設するなど 意欲的な活動をしてきた人で,昭和23年に現在の学 校法人九州音楽学園の前身である九州音楽専門学院 を創設し,音楽教育に一生を捧げた人である. 現理事長から,井上家で語り継がれてきた織子に 関する話を聞いた.このピアノの購入時期や経緯等 については伝え聞いていないと言う.ただ,当時, 織子は演奏活動での収入がかなりあったらしく,織 子自身が購入したのではないかと思われている.織 子は生涯で2度ドイツに赴いている.最初は,大正 11年から14年にかけての留学,2度目は師である ヴァイゼンボルンに彼の公開レッスンの模範演奏者 になってほしいと頼まれての渡独であったが,その ― 105 ― 熊本県下に現存する古いピアノ・オルガン調査2 際に命を落としている.最初の留学は私費によるも ので,織子は留学資金として実家の近所の資産家に 3000円を借りたそうだが,帰国後,全額を4年で返 済していたと言う.3000円は,全て織子の収入で支 払われたそうだ.織子の主たる収入は,母校(東京 女子音楽学校)で教師をしていた給料と演奏活動に よるものであり,特に後者の額が高かったのではな いかと現理事長は家族から伝え聞いている. ピアノは,織子の死後,幼稚園が設立されるまで, 織子の生家である井上家に置いてあった.井上家に は,このピアノにまつわる話が伝えられている.戦 時中,特攻隊員が出兵前に近隣の家で一晩を過ごす という慣例があったらしく,井上家にも城南町に当 時あった特攻隊(正式名称は,隅之庄陸軍飛行場. 別名,舞の原飛行場)の隊員が泊まりに来ていた. ある時,東京出身の特攻隊員が,ピアノを弾けると いう理由で井上家を宿泊先に選んだ.その際に少年 のような隊員がピアノを弾いたということが,井上 家の人々の心に深く刻まれ,そのことは今も語り継 がれている.同じような題材を映画にした作品《月 光の夏》1) と重なる部分があることも同時に語り添 えられている. ②資料 井上(1979)は,織子の五十年忌に出版された. 同書の冒頭に,家族の他に,矢田部勁吉(明治29年 〜昭和55年)や堀内敬三(明治30年〜昭和58年)等 の音楽関係者,四谷文子(明治39年〜昭和56年)等 の後輩や友人など,織子に深く関係のある人々が, 織子との思い出を綴っている.その中で,東京音楽 学校の入学前に,織子の自宅にしばらく居候してい たという平尾妙子2)が,入学後に織子の自宅に遊び に行くと「ピアノがグランドに代わっていた」と書 いている(7頁) .同文章中で,平尾は自身の東京音 楽学校入学を昭和2年と述べているので,織子のピ アノの購入時期を特定することができる. 2−3.オルガンに関する聞き取り調査 整理番号〔オA−6〕 現所有者:学校法人 尚絅学園(尚絅中学・高等学校) ①楽器にまつわる話 前回の調査で,尚絅学園の2台のオルガン(〔オA −2〕 〔オA−3〕)を掲載した.著者らは,尚絅学 園のホームページ3)に,同学園が明治,大正期のオ ルガンを計4台所有しているという記事を見つけ, 昨年7月にホームページのコピーを持参し,同学園 の尚絅中学・高等学校の事務長に話を聞いた.その 際,現在は2台所有しており,あとの2台について は分からないということであった.今年,全く別の 機会に同校の校長,甲斐正哉と話をしている際に「そ ういえば,あと1台は音楽室前の廊下に置いてある」 という情報を得た.冒頭のホームページの話をした ところ,確かに10年位前にはあと1台あり,同校に 全部で4台あったという.校長の記憶によると,も う1台は,教職員の誰かが引き取ったのではないか ということであった. ②資料 特になし 整理番号〔オA−7〕 現所有者:学校法人 九州音楽学園(九州音楽幼稚園) ①楽器にまつわる話 学校法人九州音楽学園は,九州音楽幼稚園と九州 音楽京塚幼稚園という二園を所有し,現在の理事長 は井上新(昭和25年〜)である.二園は,新の叔母 である井上萬里子によって,それぞれ昭和27年4), 37年に創設された.詳細は,「2−2 ピアノに関 する聞き取り調査」の整理番号〔ピA−5〕で述べ た通りである. 現在,1台のオルガンが同園の事務所内のプレイ ルームに置いてある. 筆者らは,昭和27年創立の同園に,なぜ古いオル ガンがあるのか不思議に思った.現理事長の話によ ると,設立者の萬里子は音楽専門学校や幼稚園設立 に意欲的であったが,資金繰りに苦労していたため, 新品のオルガンではなく中古のオルガン等を購入し たということである.このオルガンは,現在は,実 際に使用されてはいない. ②資料 特になし 整理番号〔オA−8〕〔オA−9〕 現所有者:学校法人 九州音楽学園(九州音楽京塚 幼稚園) ①楽器にまつわる話 前項〔オA−7〕の所有者と同一である.九州音 楽京塚幼稚園は,2台のオルガンを所有しており, それぞれ一階と二階の廊下に置いてある.これらの オルガンの購入経緯は,〔オA−7〕と同じである. ②資料 特になし 〔オD−6〕 現所有者:井上新 ①楽器にまつわる話 井上新は,前項と前々項〔オA−7〕〔オA−8〕 〔オA−9〕で取り上げた九州音楽学園の現理事長 ― 106 ― 中川(森)みゆき・山﨑 である.このオルガンは,現在,現理事長の自宅に 置いてある.これは,同学園の前理事長で創設者の 井上萬里子が〔オA−7〕〔オA−8〕〔オA−9〕 を購入した頃に,自身が自宅で演奏するために個人 用として買い求めたものである.ある時期から,そ の楽器が現理事長の自宅に置いてあると言う. ②資料 特になし 整理番号〔オD−7〕 現所有者:荘厳寺 ①楽器にまつわる話 熊本市内の浄土真宗本願寺派,荘厳寺(1661年建 立)の現住職の続隆之(昭和26年〜)と彼の叔母, 高木久美子(大正15年〜)に話を聞いた.続の父で ある前住職の妹が,高木である.高木は,幼少の頃 からオルガンが本堂の入り口にあったことを記憶し ている. 浄土宗本願寺派では,明治37年に仏教婦人の結成 が奨励, 「婦人会概則」が発表され,40年には西本願 寺裏方大谷籌子(明治15年〜44年)や九条武子(明 治20年〜昭和3年)が総裁や本部長に就任した.歌 人でもあった九条は,仏教讃歌の作詞もし,全国を 巡って仏教婦人会の創立を進めた.高木によると, 42年頃には熊本教区内寺にも婦人会が発足し,坪井 組寺院(地区の複数の寺から構成.荘厳寺も加盟し ている. )もその頃であると言う.高木は,幼少の頃 に,婦人会で盛大な仮装行列が行われたことを覚え ている. 第二次世界大戦後,高木は挺身隊を解放されて, しばらくのんびりしていたが,その頃の熊本県仏教 婦人会会長の後援で仏教聖歌隊が発足したと言う. 聖歌隊のメンバーは,20名程の未婚の子女であり, 一週間に一度,荘厳寺本堂に集まり,音楽の専門家 の指導を受け,練習していた.高木は昭和25年に結 婚したので,その後いつまでこの聖歌隊が存続した かは分からないと言う. 高木は,寺の行事だけでなく,家庭においてオル ガンが弾かれていたかについても語ってくれた.高 木の記憶によると,母は来客の接待,家事,育児等 に追われており,オルガンを弾く姿は見たことがな いが,その母が一度だけ《庭の千草》を弾いたこと を覚えていると言う.その際に,母が女学校時代に 犬童球渓(明治12年〜昭和18年)に教えてもらった と話してくれたことを記憶している. ②資料 佐藤(1998)にこのオルガンについての情報が掲 載されている. (328頁) .ただし,情報を得ている 浩隆 が佐藤自身が未確認のものという但し書き付きの掲 載である. 整理番号〔オD−8〕 現所有者:光尊寺 ①楽器にまつわる話 玉名市高瀬の浄土真宗本願寺派,光尊寺の現在の 住職,松本英祥(昭和39年〜)に話を聞いた.オル ガンについて,父母,祖父母から伝え聞いた話は特 になく,購入時期や経緯も分からないが,おそらく 祖父,松本普及(大正3年〜昭和47年)が購入した のではないかと言う.祖父の代に,同寺での仏教婦 人会や子ども会が立ち上げられた.これらの会等で 仏教讃歌が歌われる際の伴奏をするために,オルガ ンが購入されたのではないかと現住職は推測する. また,当時は,祖父や祖母もオルガンで仏教讃歌の 伴奏を弾いていたのではないかと言う. 現在は,オルガンは同寺の廊下に置かれており, 仏教讃歌を歌う際はCDの伴奏によるということで ある. ②資料 特になし 整理番号〔オD−9〕 現所有者:玉名市個人宅 ①楽器にまつわる話 玉名市の個人宅で所有されている.現在の所有者 (昭和35年〜)は,祖母(大正4年〜平成2年)が親 に買ってもらったオルガンではないかと推測する. しかし,現在の所有者は,小さい頃に祖母がオルガ ンを弾いていた姿はあまり記憶にないと言う.祖母 は高等女学校在学時に多くの聴衆の前で独唱したこ とがあるなど,音楽が得意であり,オルガンも弾け たではないかと思われる.また,祖母は箏も得意で 教えていたと言う. オルガンにまつわる話としては,近所に住む遠縁 にあたる親戚の結婚式が行われた際に,このオルガ ンで讃美歌が弾かれたことが語り継がれていると言 う. ②資料 特になし 3.む す び 前回の調査(拙論 2014)では,ピアノ23台,オ ルガン16台,今回の調査では,ピアノ1台,オルガ ン8台を調査した. 熊本出身で東京を中心に活躍したが,29歳の若さ ― 107 ― 熊本県下に現存する古いピアノ・オルガン調査2 で他界したソプラノ歌手,井上織子のピアノが熊本 の幼稚園に残されていたことは,驚きであった.ま た,今回は,仏教讃歌を歌うために購入したと思わ れる2台のオルガンに出会えた.仏教讃歌は,明治 期に入り,キリスト教の讃美歌に刺激され,仏教で も西洋音楽を導入しようという風潮が生まれ,布教 のために作られれた歌を指す.浄土真宗本願寺派教 学振興委員会による『仏教讃歌』には,山田耕筰や 島崎赤太郎,小松耕輔等による作品が掲載されてい る.仏教讃歌は,同宗同派では,現在も歌われてい る.今回出会ったオルガンもまた,西洋音楽が一般 の人々の間で受容されていく様子を物語る貴重な史 料である. 今回の調査でも,ご協力いただいた楽器の所有者 や関係者から,新たな楽器に関する情報を得た.次 年度以降も同様の方法で,調査を続けるつもりであ る. 〔追記〕 今回の調査でも,学校や幼稚園,楽器を所有され ている個人の方々に多大なるご協力をいただきまし た.突然の調査依頼をこころよく承諾してくださり, 楽器にまつわる貴重なお話をうかがうことができま した.心より感謝申し上げます. 引用・参考文献 井上萬里子(1979) 『故井上織子五十年忌記念誌 声楽家井 上織子の霊に捧ぐ』,九州音楽学園. 佐藤泰平(1998) 「日本の古いリードオルガン⑷−現存する 明治・大正・昭和初期のリードオルガンをたずねて−」 『紀要』 (30) ,立教女学院短期大学,285-330. 浄土真宗本願寺派教学振興委員会編(1973) 『仏教讃歌』,本 願寺出版協会. 中川(森)みゆき・山﨑浩隆(2014) 「熊本県下に現存する古い ピアノ・オルガン調査−明治・大正・昭和初期−」 『熊本 大学教育実践教育』;,83-101. 注 1)1993年に映画化された.神山征二郎監督,毛利 恒之原作,松木征二・毛利恒之企画,佐藤正之 製作. 2)井上(1979:7頁)には,平尾の肩書きは「日 本大学芸術学部音楽科講師」と記されている. 3)http://www.shokei-gakuen.ac.jp/wp-content/ uploads/2013/07/vol06-061.pdf 4)昭和25年に井上萬里子が九州音楽専門学院を創 設し,その付属幼稚園を27年に併設した.39年 に現在の学校法人が設立された. ― 108 ― 【表2】熊本県下に現存するオルガン一覧 【表1】熊本県下に現存するピアノ一覧 中川(森)みゆき・山﨑 ― 109 ― 浩隆 熊本県下に現存する古いピアノ・オルガン調査2 【資料1】表1のピアノの写真 【資料2】表2のオルガンの写真 〔ピA-5〕学校法人九州音楽学園(九州音楽京塚幼稚園) 〔オA-6〕学校法人尚絅学園(尚絅中学・高等学校) 〔オA-7〕学校法人九州音楽学園(九州音楽幼稚園) 〔オA-8〕学校法人九州音楽学園(九州音楽京塚幼稚園) ― 110 ― 中川(森)みゆき・山﨑 浩隆 〔オA-8〕の保険証 〔オD-6〕の保険証 〔オA-9〕学校法人九州音楽学園(九州音楽京塚幼稚園) 〔オD-7〕荘厳寺 〔オD-6〕井上新 〔オD-7〕の保険証 ― 111 ― 熊本県下に現存する古いピアノ・オルガン調査2 〔オD-8〕光尊寺 〔オD-9〕個人宅 〔オD-9〕の保険証 ― 112 ―
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