ふるさと山野里 文化財散策マップ(PDF形式:1MB)

ふるさと山野里 文化財散策マップ
〈上郡町教育委員会〉
☆ はじめに ☆
や ま の さと
ちくま
古代の「野磨郷」
「筑磨郷」が、現在の山野里・竹万の由来となっている山野里地区は、古
くから拓け、西田遺跡(縄文時代)、井の端7・8号墳(古墳時代)、山野里大坪遺跡(奈良
~平安時代)など、多くの遺跡がのこります。平安時代創建と伝えられる高嶺神社ゆかり
の旧跡も多く、お田植祭などの祭礼が町指定文化財となっています。
中世山陽道の「山里宿」や戦国時代の駒山城跡、江戸時代の大橋供養塔など、街道や河川
交通に関わる文化財ものこされています。
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や ま の う ま や
1.山陽道野磨駅家跡
※上郡町落地
◆ ✪ から南西約 2.9km ◆
古代山陽道沿いに設けられた役人などの馬
の乗り継ぎや宿泊のための中継施設「駅家」
やまの
さと
が、
「野磨(山)郷 」にも置かれていました。
発掘調査で山陽道とそれに沿った掘立柱建
物跡(初期駅家)や築地塀に囲まれた礎石
瓦葺の建物跡(後期駅家)などが確認され
ました。平成 18 年(2006)に国史跡に指定
されています。
山陽道野磨駅家・後殿跡
2.浅野長矩供養碑 ◆ ✪ から南西約 1.7km ◆
山野里の大池は元禄年間(17 世紀末頃)、赤穂藩主浅
野長矩によって築かれたと伝えられます。
野家断絶の後、寛政 12 年(1800)に山野里の村人たち
によって、大池の畔に長矩の供養碑が建立されまし
た。
浅野長矩供養碑
3.井の端遺跡公園 ◆ ✪ から南西約 1.4km ◆
上郡ピュアランド山の里建設に伴い発掘
調査された古墳群を復元し、遺跡公園とし
て活用しています。井の端7・8号墳が兵
庫県史跡に指定されています。公園から上
郡・山野里の街並みを遠望できます。
井の端遺跡公園(7・8号墳)
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4.高 嶺 神 社 ◆ ✪ から南西約 1.6km ◆ 【町文化財・神社本殿】
【町天然記念物・スギ】
【町無形民俗・お田植祭/
穂揃祭/獅子舞】
天禄 3 年(972)の創建と伝えられ、牛頭天王(スサノオノミコト)を祀ります。
上郡町の文化財として、慶安 2 年(1649)造営の神社本殿(建造物)と、赤穂郡内最大級の「千年
杉」
(天然記念物)
、農耕神事のお田植祭・穂揃祭と、牡獅子による古式の獅子舞(無形民俗文化財)
が指定されています。
高嶺神社本殿
千 年 杉
お 田 植 祭
高嶺神社の獅子舞
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5.西 田 遺 跡 ◆ ✪ から西約 0.8km ◆
発掘調査によって、縄文時代中期末(約 4,500 年前)の貯蔵穴などが出土しています。
西田遺跡の貯蔵穴
山野里大坪遺跡の井戸跡
6.山野里大坪遺跡 ◆ ✪ から東約 0.8km ◆
発掘調査よって、奈良~平安時代の井戸跡や建物跡、祭祀遺構、墨書土器などが出土していること
ごうけ
から、古代の役所「野磨郷家」とおもわれます。
7.有 明 山 ◆ ✪ から北約 0.2km ◆
伝説では、天禄 3 年(972)に山野里・柳田の森に光がさし、有明山にも天より灯籠が降りて光り合
ったため、朝廷で占ったところ、天竺(インド)の神・牛頭天王が飛来したためとわかり、高嶺神
社が勧請されたといわれています。
8.山野里宿遺跡 ◆ ✪ から南約 0.2km ◆
中世山陽道沿いの山野里には「山野里宿」が営まれ、商工業が盛んであったことが、
「宿西」
「宿東」
などの地名や関連する史料、発掘調
査の成果などから明らかとなりまし
た。今も旧県道(街道跡)沿いの集落
の家並みにその名残を止めています。
山里宿跡の家並み遠望(南東から)
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9.駒 山 城 跡 ◆ ✪ から北約 1.4km ◆
くる わ
戦国時代の山城で、二つの峰にまたがって曲輪と呼ばれる平坦地や堀・土塁などが今ものこります。
天正 6 年(1578)の上月城合戦では毛利方の宇喜多勢が守り、攻める織田の軍勢を撃退しています。
登山道が整備され、城跡から上郡・竹万・山野里・赤松方面を一望の下に見わたせます。
駒山城跡遠望(南から)
城跡からの上郡・竹万遠望
城跡からの赤松方面遠望(眼下が落岩)
10.落 岩 ◆ ✪ から北約 1.7km ◆
江戸時代に生駒山から大岩が落ち、舟が遭難した
と伝えられます。流路内に残った岩が水害の原因
となったため、明治 28 年(1895)
、赤松村により
大部分が撤去されています。
落岩と山上の駒山城跡(北から)
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11.大 橋 供 養 塔 ◆ ✪ から北約 1.2km ◆
天保 10 年(1839)
、千種川に大橋が架けられたの
を記念して供養塔が建てられました。
元は大橋があった町役場南側の土手上にありま
したが、後に旧上郡中学校の一画であった現在
地に移されました。
塔身正面には供養のため「南无阿弥陀仏」の名号
が刻まれ、両側面には架橋に尽力した上郡村庄
屋・西脇亀仙の俳句「霞む日や幾度通る橋のうへ」
と、山野里村庄屋・長治祐義の短歌「はれやらぬ
虹かとそ思ふすみ渡る月の隈見の河の長橋」が
刻まれています。
大 橋 供 養 塔
12.竹万大避神社 ◆ ✪ から東約 1.1km ◆
はたのかわかつ
聖徳太子に仕えたと伝えられる渡来人・ 秦 河 勝 を祀る大避神社のひとつで、千種川流域の 35 社
中、上郡町内には 14 社が祀られています。戦国時代、駒山城を攻めた竹万の住人たちが当社に武
運を祈願し、落城させたと伝えられます。
神社東側の千種川に沿った川端は、江戸時代、
赤穂藩に納める年貢米の集荷場でした。
した。千種川上流と下流の坂越・赤穂を結ぶ
高瀬舟や、対岸への渡し舟の船着場が設けら
れていました。
竹万大避神社
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