「メシアの宣教大命令」 マタイ 28 章 16~20 節 ~マタイ福音書連続講解説教 107~ イントロダクション :新しい時代の到来(ディスペンセイション)を理解する ① モーセ律法の時代は神の直接啓示がイスラエルのみに与えられていた 弟子たちを派遣するときは、イスラエル国内での宣教命令。「イスラエルの 家の滅びた羊のところに行きなさい」マタイ 10:5~8 その際の「天の国」(7)とはメシア的王国のことである。 メシアは先ず、イスラエルの救いのために遣わされた。「イスラエルの家の 滅びた羊以外のところには遣わされていません」マタイ 15:21~24 ② メシアの十字架、復活、聖霊降臨により新しい時代が到来 新しい契約が締結された故に、神が人を統治される原則が変化した 福音宣教=神の国の到来宣の対象が、異邦人にも拡大した。「全世界に出て 行って」 ただし、聖霊降臨までの 50 日間、エルサレムにとどまる必要があった。 Ⅰ 宣教大命令の対象者 16~17 節 1) 11 使徒と他の弟子たち 復活した主と直接会った目撃者たち エルサレムにて少なくとも 1 週間はとどまり、主の顕現に接した さらにガリラヤにて主からの薫陶を受けている 間接的には後世の信者であるといえる 「支持された山」がどこかは不明 2) 「ある者は疑った」 主が一度に合われた 500 人以上の者たちの一部であろう 見たとしても信じない者たちである 人は信じたくない理由があって信仰を拒否する~サンヘドリンの例 Ⅱ 宣教大命令の根底 18 1) 全ての「天」における権威が付与されたメシア 「天上においてご自分の右の座につかせて、、、すべての名の上に高く置か れました」エペソ 1:20~21 「右の座」とは、最高権威者の座席 2) 全ての「地」における権威が付与されたメシア 地の支配者はサタンである マタイ 4:4 十字架においてサタンや悪霊どもを虜として勝利された主 コロサイ 2:15 最終的には全ての敵がやがては「足台となるのを待っておられる」 へブル 10:12~13 Ⅲ 宣教大命令の遂行 19~20 1) 構文を考察 大命令にある動詞は一つだけ~「弟子としなさい」 他の動詞は現在分詞形であり、弟子づくりのための方法を示す 2) 「行って」 全世界を対象にした伝道のこと 行くためには遣わされなくてはならない:教会が宣教師を派遣する 3) 「バプテスマを授け」 父、御子、聖霊の三位一体 「御名」は単数形 「よって」into:三位の神との一体を示す 救いを得たのちに、救いのしるしとしてのバプテスマを教えるものであり、 初代教会において両者は不可分の関係であった 4) 「教えなさい」 「命じておいた全てのことを」=NY のことであり、霊感による記述された ゆえにもれなく、誤りなく伝えられている。ヨハネ 14:26 「全てここと」を網羅するために教育の使命がある 「守るように」:信仰と行為との連続性・関連性 「神を愛するとは、神の命令を守ること」 Ⅰヨハネ 5:3 「わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です」 ヨハネ 14:21 結論 弟子づくりとキリスト教会のカルト化 ⑴ 牧師の個人的資質 性格の歪み、人格に潜む闇 劣等感、見返し欲求 →教勢拡大による自己実 現、自己顕示、リベンジ 自信、自己肯定感欠如→批判の受容、多様な意見の容認できず、独裁・権威 主義へ。 まれにパーソナリティー障害が疑われるケースも。 現場に出る前、神学校時に自分の課題(成育歴に由来)を認め、向き合い、 克服努力 ⑵ 牧会観 「信徒のため」の危うさ。目標は、信徒の全人的自立と教会形成か? 牧師と信徒の共依存関係は、カルト化の温床 ⑶ 教会論 教勢拡大最優先主義の問題(教会=礼拝付き伝道団体?) 「聖なる目的」が 手段を正当化する危険、それを実行したくなる誘惑 具体的には? ⑷ 教勢拡大主義により、効率化のよい「部分的福音」、「異なる福音」へ。 個 人的課題(傷、劣等感、リベンジ、自己顕示)が、教理バランスに反映 ⑸ 聖書に登場する代表的類型 ① 復古主義民族系(ユダヤ主義)、 ② 最新思想反映系(グノーシス) ③ 顧客満足度向上系(都合のよいこと)福音理解 ⑹ 信徒側の要因 父親の機能不全による正しい権威の喪失 (牧師に誤った権威を投影) 民族 性に由来する依存対象要求(甘え構造、内なる天皇制) 管理社会における依 存体質(自己選択・自己管理・自己責任の自由からの逃亡) 産業社会の顧客 満足度発想(心情的満足が獲得できれば、依存、心酔、盲従) アイデンティ ティー喪失 (神との関係でなく、指導者との関係によって獲得)
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