ていよう 綴葉 '14 12 No.333 あなたが創る生協の書評誌 ▶ 話題の本棚 トマス・ピンチョン著『重力の虹(上・下)』 「エボラ出血熱」制圧に命を懸けた人々』 リチャード・プレストン著『ホット・ゾーン 特集 「短編集」 新刊コーナー/新書コーナー/霊長類学への誘い/私の本棚(現代女子校入門) 〒606-8317 京都市左京区吉田本町 Tel:771-6211 / E-mail:[email protected] 綴葉HP: http://www.s-coop.net/about_seikyo/public_relations/ 京大生協綴葉編集委員会 話題の本棚 上・下 り、この見通しの良さだけでも新訳の意義はあっただろう。 本を二回読んで分かるようにしたいという趣旨の訳者の発言の通 アメリカ・ポストモダン最大の問題作、 新訳! 重力の虹 ジャンクに溢れたメタフィクション 本書のあらすじを紹介しておこう。第二次世界大戦を舞台にロケ ット弾がイギリスに向けて発射されるというシリアスな場面で幕を 開ける。だが、そのシリアスさはすぐに脱臼される。主人公はアメ ットに始まり、バナナ料理の羅列、パヴロフの条件反射、プラスチ チョンは理系知識を文学の中に取り入れた初期の作家である。ロケ ネル大学工学部で学び、海軍への従軍のあと、英文科に進んだピン を捉えて離さない作品は多いが、本書もその一つと言えよう。コー 膨大な知識の織物 メルヴィルの『白鯨』、ジョイスの『ユリシーズ』、プルーストの 『失われた時を求めて』などその長大さ、難解さゆえに研究者の心 「猥褻」を理由に受賞を拒まれたという曰くつきの作品でもある。 ューリッツァー賞に選ばれかけながら、評議会から「読解不能」、 賞にも選ばれた、ピンチョンの代表作だ。しかし、本書は同時にピ が、本書で刊行予告された作品が出揃った。一九七四年の全米図書 アメリカ・ポストモダン小説の代表作家と目されるトマス・ピン チョン、その全小説集が二〇一〇年から新潮社にて刊行されていた の作品も巻末の刊行予告に挙がっている。全小説集はまだ続く。存 さて、冒頭で書いたとおり、本書で当初刊行が予告された全作品 が訳出された。しかし、去年ピンチョンは新作を発表しており、そ 生のうちに一度ピンチョンに挑んでみるのも一つの経験だろう。 を楽しむもよし、繋がりを探って真剣な読みを試みるもよし。大学 い。また、それが実は本筋と繋がっているとも言われるのだ。表層 だ、 擬 人 化 さ れ た 電 球 ま で 現 れ る そ の 脱 線 は、 妙 な 癖 が あ り 面 白 外に一見関係ないように思える挿話が多数ある。文章面でも、マン し、女性と関係を持つ。そして、第四部に至ると……。この本筋以 ンスのカジノへ向かい、さらに連合国が占領した〈ゾーン〉を放浪 彼を巡って様々な憶測と思惑が絡み合う。本人もイギリスからフラ ると、数日以内にその場所にロケットが着弾するというのである。 リカ軍中尉のスロースロップだが、なぜか彼と女性がセックスをす ックの性質、二重積分、ナチズム、カミカゼ特攻隊、果てはタロッ トマス・ピンチョン著 佐藤良明訳 新潮社 ト、カバラと、もはや収拾のつかないほどの固有名が埋め込まれて 命作家の全集というのはかくも悩ましいもののようだ。 ( 黄金虫) 月刊) くれている。また、文章面でも旧訳に比べて格段に読みやすくなっ (上 七五一頁 税込四五三六円 (下 七四八頁 税込四五三六円 来の小説のお約束を覆すメタフィクション的趣向に溢れている。た ガ的擬音や数式が挿入されたり唐突に滑稽な歌が挟まれたりと、従 いく。しかし、今回の新訳に当たって訳者は詳細な脚注を用意して ている。迷宮めいた構成は健在だが、三回読まなければ分からない 月刊) 9 9 2 話題の本棚 疫所で突如発生したサルへのエボラの大量感染と、その拡大阻止の メリカ軍が用意した「レベル4」の研究施設。ワシントン近郊の検 ボラウイルス。エボラをはじめとする微生物災害の脅威に備えてア 致死率九〇パーセントの見えない敵 ホット・ゾーン 「エボラ出血熱」 制圧に命を懸けた人々 ために陸軍の「バイオハザード・スワット・チーム」が実行した史 上初のエボラ制圧作戦……生物を血の海に沈めるウイルスに対する 人類の決死の防衛戦の顛末は、まるでハリウッド映画のようにスリ 今年三月から西アフリカを中心に急速な感染拡大を続けているエ ボラ出血熱。死者の数は五〇〇〇人を超え、ヨーロッパやアメリカ なスクリーンなどはどこにも存在しないという点だ。 けているエボラの「危険ゾーン」から我々の生活空間を隔てる安全 今なお続く現実の戦いであり、そしてアフリカで今まさに拡大を続 リングで緊迫感に満ちている。映画との唯一の違いは、この戦いが でも感染者が出るに至った。止まるところを知らない病の流行に対 リチャード・プレストン著 高見浩訳 飛鳥新社 して、WHOは緊急事態を宣言し、今年中に適切な対策が実施され ホット なければ「人類は敗北する」とまで警告している。 ﹁ グローバル﹂な世界とその敵 HIVが初めて発見されたのは、本書の幕開けと同じ一九八〇年 代初頭。アフリカのチンパンジーに由来すると言われるこのウイル 症状は凄惨だ。〝崩壊〟〝融解〟〝茹でたマカロニ〟……およそ人体 染するところから始まる。フィロウイルスが人間に感染したときの 年後、とあるフランス人祖国放棄者がアフリカでマールブルグに感 サルを介して初めて人間に感染した。本書のストーリーはその一三 ルブルグウイルスは一九六七年にアフリカからドイツに輸入された ルスはフィロ(紐状)ウイルスの一種で、その「弟分」であるマー こから来たのか? 本書は人類とエボラの遭遇と対決の歴史を通し てそうした問いに答えようとするドキュメンタリーだ。エボラウイ は人間の悲しい性だ。ウイルスは著者の言う「熱帯雨林の復讐」で 実際、今回のエボラの大流行では国際社会の対応の遅れが指摘さ れている。喉元まで刃が迫って初めて問題を我がことと認識するの 現実を我々に突きつけているように思われてならない。 同時に実際的にも不可能になりつつある。ウイルスの脅威はそんな れようと自分たちには関係ないとそっぽを向く態度は、人道的にと や世界の外などではない。地球の裏側の「野蛮人」がいくら病に倒 らゆる場所が互いに接続された現代社会において、アフリカはもは スは、グローバルな交通網に乗って瞬く間に全世界に広まった。あ には似つかわしくない言葉で描かれる患者の変様。その死をゴング 3 エボラウイルスとの戦い 人類を未曾有の恐怖に陥れているエボラウイルスとは何者で、ど に人類とエボラの戦いは幕を開ける。マールブルグウイルスよりさ ある以上に、現代社会への挑戦なのかもしれない。 (柚木) (四六八頁 税込一三〇〇円 月刊) らに危険な、発見当時は致死率九〇パーセントに上ったザイールエ 9 綴 葉 2014. 12. 10 カフェー小品集 嶽本野ばら著 小学館文庫 「僕」が入った一軒のカフ ェー。そこは、かつて「君」 と待ち合わせ、語り合った唯 一の場所だった。古風で静か な雰囲気をたたえたカフェー を舞台に繰り広げられる、そ れぞれの男女の恋物語。目立ったストーリー はほとんどなく、ただ互いを追い求めながら、 けっして成就されることのない思いを「僕」 特集 短編集 が回想する。その独白は、ある人にとっては ロマンチックに、またある人にとっては歯が ゆく感じられるかもしれない。しかし、恥ず かしくなるようなゴテゴテの心理描写や台詞 は、どこまでもダサさを貫き、かえってすが すがしささえ感じさせる。〈「モンチッチの私 を、愛せると言うの?」「愛せるとも」〉。そ こに、恋愛物語にありがちな、見せかけの格 好よさや流行は存在しない。あるのは「君」 を想う心だけだ。 しかしもちろん、カフェー店内のしつらい の、丹念な筆致も忘れてはならない。本書に 登場する12店は、クラシックで歴史の長い名 店ばかりだ。小さな民家のような、素朴なお 団子屋さん。哲学の道沿いにひっそりと佇む、 その名も「若王子」への追想。それぞれの店 の由来や装飾品へのこだわりを目で追ううち に、一軒一軒の独特の空気感と宝石のように 異なる輝きが、文字から浮かび上がってくる。 とはいえ本書の出版後、名残惜しくも閉店し てしまった店もある。グーグル画像検索に向 かえば、その大半の店の写真を見ることがで きる。しかしそんな横着は、この小説には似 合わない。ここは、巻末に記された各カフェ ーの住所を手掛かりに、小品の舞台を訪ねて みるのがいいだろう。「君」との待ち合わせ に向かう「僕」の気分を追体験しながら。 (貝殻) (221頁 税込504円) 年末も迫りイベントも増え何かと忙 しくなってしまう師走。なかなかまと まった読書時間がとれないこの時期に、 少しの時間で読める短編はありがたい ものです。今回は日本や欧米の小説か ら漫画まで、魅力的な短編集の数々を 紹介します。旅のお供に、授業の合間 に、就寝前に、物語に身を浸してみて はどうでしょうか。 (おせろ) 4 No.333 綴 葉 戻り川心中 絶対泣かない 連城三紀彦著 光文社文庫 山本文緒著 角川文庫 「花」を主役にしたという 〈花葬〉シリーズは詩情溢れ るミステリーが揃っている。 その連作の五編を収録したの がこの短編集だ。最初の「藤 の香」の冒頭からミステリー としては異例なほど、まさに匂い立つような 雰囲気を醸し出している。連城自身が「ミス テリーと恋愛との結合」を目指したという通 世間はすっかりクリスマス の雰囲気である。しかし、そ れを横目にせっせと論文執筆 や就職活動に励む人も決して 少なくないだろう。目前の課 題に追われ、不安が募るこの 年末の時期に、ぜひ読んでほしい短編集があ る。 『絶対泣かない』というタイトルだけでは り、密やかな恋愛を描く筆致の中に大胆なミ ステリー的趣向が見事に結び付けられている。 あるいは、その恋愛こそ作者のトリックを覆 い隠していると言うべきだろうか。作品の時 代背景は明治から昭和初期に設定されており、 作者自身もまだ生まれていない時代を舞台に している。その想像によって彩られたノスタ ルジックな語りがまた絶妙だ。 ミステリーとしての真相はいずれも我々の 何がなんだかよくわからなくとも、それぞれ の作品を読んでいくうちにその言葉に込めら れた思いが伝わってくる。〈仕事〉をテーマ とする本書には様々な職業に就いた女性たち が登場する。〈女性〉、〈仕事〉といえば、職 場の人間関係、失恋、不倫などなど、安易に 想像できる展開だ。患者と恋に落ちて失恋し た看護婦、客とうまくやり取りできない営業 職、デビューしたことで親と対立したマンガ 常識を覆す「狂人の論理」というべきものに よって支えられている。そして、美しい花の モティーフ、淑やかな悲恋、過去を舞台にし た抒情的な筆致――そうした要素がその論理 を登場人物の情念として美しく飾っている。 連城の短編の名手としての力量がいかんなく 発揮されており、読者はまるで万華鏡を覗く かのようにたおやかに騙されることになるだ ろう。それは流麗、かつ周到な連城の手品だ。 色街での連続殺人をテーマにした「藤の香」 と「桔梗の宿」、ヤクザの世界で意外な動機 を描く「桐の柩」、寺の火事を発端とする 「白蓮の寺」、大正の歌人の二度の心中未遂事 件をモティーフにする表題作「戻り川心中」、 どれも粒ぞろいの、日本のミステリー史上に 残る美しく、時に残酷な物語集だ。是非各作 品に酔いしれてほしい。優れたミステリーだ けが与えられる至福の時間があなたを待って 家……しかし、だからといってこの短編集を 侮ってはいけない。著者山本文緒の腕にかか れば、一見単純明快なストーリーでも傑作に 変わる。主人公たちが自分のことを淡々と語 る、呟きのような口調によって物語の生々し さが一層引き立てられる。読者が観察者を決 め込んで読んでいるつもりでも、ふとした瞬 間に自分自身の苦悩を紙面で再発見すること もある。だから主人公の声に耳を傾けること はときに、痛みを伴う体験にもなる。女性読 者だけでなく、男性読者でも傍観者ではいら れない……山本の文章にはそれほどの力があ る。 華やかな職業だろうと、地味な職業だろう と、やっていれば苦労する。苦悩するのは自 分ひとりではない。言葉にするとありふれた フレーズだが、疲弊した精神に元気をくれる 劇薬だ。疲れ切った日の休憩時間などにおす いるはずだ。 5 (黄金虫) (301頁 税込576円) すめの一冊だ。 (投稿・あんこ) (208頁 税込475円) 綴 葉 硝子戸の中 2014. 12. 10 最後の喫煙者 夏目漱石著 岩波文庫 自選ドタバタ傑作集〈1〉 筒井康隆著 新潮文庫 『吾輩は猫である』、『ここ ろ』など、著者の名作を手に 取った読者は多いだろう。だ が、もし自分のために一冊を 選ぶならば、私は本書を挙げ るだろう。 39節からなるエッセイ集である。大正時代 の何気ない暮らしの断片を、夏目流の歯切れ の良い言葉で切り取っている。大学での講演 最初のシーンは国会議事堂 の頂上である。ヘリコプター が旋回する空の下、主人公の 小説家は煙草を喫い続ける。 「ついにおれが世界最後の喫 煙者となってしまった」。映 像が目に浮かぶような場面から始まる表題作 「最後の喫煙者」は爆笑必至、必ず読むべき 傑作短編だ。テレビドラマ「世にも奇妙な物 後にやってきた学生の話を読めば、当時の文 人はこんな生活をしていたのかと想像し、飼 っていたペットの話を読めば、夏目家の「硝 子戸」の内側を想像する。何より、夏目の (自分を含めた)人間への視線の鋭さと優し さが言葉の端々から伝わってくる。 なかでも、悲しい過去を持つ女の訪問を描 いた文章は何度読み返しても心動かされる。 自分の経歴を小説にしてもらえないかと、何 語」で映像化もされた作品だから、ご存知の 方も多いかもしれない。 舞台は日本。嫌煙運動が激化し、喫煙者は 差別・迫害されていく。ヘビースモーカーは 路上で殺され、白い三角の覆面をした嫌煙権 団(K・E・K)が松明を持って町を徘徊し煙 草屋に放火、主人公の家も落書き、投石、放 火、襲撃され散々だが、改造拳銃と日本刀を 手にして辛くも脱出、六本木に潜伏。地下の 度か彼の書斎を訪れるものの、なかなか切り 出せない女。ようやく話したかと思えば、そ れは「悲痛を極めた」ものであったという。 もし先生が小説を御書きになる場合には、そ の女の始末をどうなさいますか、と女は問う。 生かすべきか、死なせるべきか、と。「生き るという事を人間の中心点として考えれば、 そのままにしていて差支えないでしょう。し かし美しいものや気高いものを一義において 人間を評価すれば、問題が違って来るかもし れません」。夏目は無責任な言葉を避けるあ まり即答しない。じりじりとした時間が過ぎ、 女を見送るために外へ出ると、美しい月が静 かな夜を隈なく照らしている。懐に手を入れ たまま、女の後ろを歩いてゆく。夏目は、別 れ際、死なずに生きていらっしゃい、と言葉 をかける。 「枯淡」の境地に足を踏み入れた文豪が何 隠れ家で煙草の神といって赤丸の「LUCKY STRIKE」を祀るあたり最高に馬鹿馬鹿しい。 無茶苦茶な展開と登場人物に、最後のオチま で笑わせられる疾走感に満ちたこの作品、読 まずに喫煙してはいけない。 小松左京、星新一と共にSF御三家とも呼 ばれる筒井康隆。本書には表題作の他にも優 れたSF短編が収められている。虫を背負い、 寄生させることで天才的な頭脳を得る世界を 描いた「こぶ天才」、ある日突然斜面に同一 の町が続く「平行世界」……ついつい読み進 めてしまう。グロくて非倫理的で本当に「問 題」である「問題外科」や当時の差別的な表 現など眉をひそめてしまう所もあるが、ナン センスで諧謔に富んだ作品群は、彼が才能に 溢れた偉大な作家であることを再確認させて くれるだろう。風刺もコメディも教養と優れ た批判精神とを多分に要求するものなのであ を考えていたかが伝わる一冊。 (ケガニ) (138頁 税込432円) る。 (おせろ) (281頁 税込529円) 6 綴 葉 No.333 トーベ・ヤンソン短篇集 トーベ・ヤンソン著 冨原眞弓訳 ちくま文庫 トーベ・ヤンソンは、ムー ミンの生みの親として有名だ。 しかし彼女は画家や小説家と しても活躍していた。日本で はアニメのほのぼのとしたム ーミンの印象が強いかもしれ ないが、原作の物語やコミックでは、ムーミ ン一家とその仲間たちはみな一癖あるキャラ クターとして描かれており、なかなか子ども 向けに収まらない不思議な魅力がある。本書 には今年生誕100周年を迎えた彼女の、そん な味わいを伝える20篇の物語が収められてい る。 ひとりの人間の成長と子供時代との決別を、 トーベに心酔する日本人少女からの手紙とい う体裁で綴った「往復書簡」、反発から理解、 友情へと心を通わせていく老人に人生の機微 を感じる「植物園」など、スパイスの効いた 風刺や、ニヤリと笑わされる人間模様も描か れ、多彩な才能を感じさせる。 ムーミンシリーズで描かれる世界と同じく、 個性的でこだわりのある人間たちが多く描か れている。人はそれぞれの胸に自分なりの 「正しい答え」を隠し持っている。それは時 として他人からみたら無意味なこだわりであ り断裂を生み出すが、そのこと自体に罪はな い。自分の気持ちに殉じた各々の結果が、他 人の判断によって「善」または「悪」とされ るだけなのだ。そうした人間存在に対する冷 徹な分析と、そうした生き方に対する温かな 視線が見られる。人間世界の不安と孤独を扱 いながらも暗いだけでなくユーモアをも感じ させるのは、生への飄々とした肯定があって こそ。必要最小限まで研ぎ澄まされた文章の なかの、人間観察の深さを堪能してみてほし い。 (投稿・七氏) (286頁 税込950円) 7 魔女 全二巻 五十嵐大介作 小学館 五十嵐大介は“自然”を描 く漫画家だ。だが、その自然 は我々が普段イメージするよ うな牧歌的なものとは限らな い。自然はときに危険で、そ して我々をたじろがせる異形 の相貌すら見せる。文明社会が忘れているそ んな自然と我々を媒介する存在、人はそれを、 例えば“魔女”と呼ぶのかもしれない。 本作で五十嵐大介が描く魔女は、文明と自 然、既知と未知、有限と無限、人間と大いな るものの間で、ときに狂おしく、ときに超然 と物語を導いていく。「スピンドル」では過 去の恋情に囚われてバザールに災厄を呼び込 もうとする魔女ニコラと、彼女に対峙する伝 言の少女シラルとして。「クアルプ」では熱 帯雨林の開発を進める文明人の虐殺に抵抗す る呪術師クマリとして。「ペトラ・ゲニタリ クス」では、船外活動中の宇宙飛行士に直撃 ペトラ・ゲニタリクス した生殖の石がもたらした災厄に立ち向かう “大いなる魔女”ミラとして。「うたぬすび と」では、空っぽの日常を送る女子高生を唆 す不思議な女性・千足として。いずれの作品 きざ においても印象的なのは、序盤から静かに萌 し、やがて物語を埋め尽くしていく神秘ない しは悪夢の予兆と、クライマックスで見開き で描かれる巨大な“向こう側”の風景だ。と りわけ「ペトラ・ゲニタリクス」のラストで 現れる“彼女たち”の姿は、一度見たら決し て忘れることができないだろう。 本作を読み終えたあとは、人知を超えた大 きなものを前にしたときの戦慄と虚脱感にも 似た感覚がただ残る。そのとき読者は、スピ ンドルの主人公シラルの言葉を思い出すに違 いない。「わたしたちには決して、触れるこ とのできないものがある。忘れないで。本当 の秘密は、永遠に秘密のまま……」。(柚木) (全2巻 税込各679円) 綴 葉 セルバンテス短篇集 ミゲル・デ・セルバンテス著 牛島信明編訳 岩波文庫 古典だからいつか読もう、 そう自分に言い聞かせ購入し たものの、数ページ読んで本 棚に飾ったままになっている 古典について心あたりはない だ ろ う か。 セ ル バ ン テ スの 『ドン・キホーテ』はそのうちの一つにあた るだろう。西洋古典となると、時代や文化の 違いから物語の状況を想像するのが難しい。 また、6冊に及ぶ長編小説にもなれば、その 労力に見あった何かが果たして得られるだろ うかとつい打算が働く。そう思ったことがあ る人にこそ、本書に一度目をとおしてほしい。 巨匠だからといって身構える必要はない。 本書の短編4話はどれもメロドラマと大差は ないのだから。「やきもちやきのエストレマ ドゥーラ人」の主人公は70近い裕福な老人。 かれは10代の少女を娶るが、嫉妬深さゆえに 外の世界から遮断された屋敷に少女を軟禁す る。そこに遊び人の男が少女を誘惑しにやっ て来て、奴隷や女中たちをまきこむ不倫騒動 が繰り広げられる。「愚かな物好きの話」は、 妻の貞節を信じきれない男が親友に妻を誘惑 するよう頼みこむが、その親友はあろうこと か本気になってしまうという物語。「麗しき 皿洗い娘」は、放蕩生活に憧れ家出する貴族 の息子が無垢な少女にプラトニックラブを抱 く話。 どうだろう。どれをとっても話の筋は卑俗 なリアリズムだ。確かに、ギリシア神話や聖 書を基にした神話的要素が散りばめられてい ることは、勘の良い読者なら気がつく。だが、 物語の展開がこの上なく愉快でならないのは、 登場人物それぞれの語り口が実に多様でユー モアに富んでいるからだ。色彩豊かな語り口 に耳を傾けて、陳腐な話の筋に微笑を浮かべ ながら読めるのも、セルバンテスという巨匠 の短篇集ならではだろう。 (投稿・ムスタ氏) (375頁 税込864円) 2014. 12. 10 見知らぬ場所 ジュンパ・ラヒリ著 小川高義訳 新潮社 生きることは多かれ少なか れ、なんらかの土地や場所で 生きることだ。だからおよそ 〈場所〉には、そこに紡がれ てきた生の軌跡や内的な倫理 のようなものが、静かに堆積 してゆく――巨視的には文化や伝統として、 またより微視的には、編み継がれてきた繋が り、折り重ねられてきた記憶や身体感覚とし て。 ラヒリの短編に出てくる人々にとって、し かしそのような〈場所〉は、現実の土地や集 団に、無邪気には結びつけられ得ないものだ。 ベンガル人の両親を持つ移民二世であるラヒ リ自身と近い境遇におかれた彼らは、親たち が知っていた処世の流儀からおのずと隔たり ながら、自らの〈場所〉を混血化していかざ るをえなかった。〈場所〉はかくして、個々 が生きてきた時間を織り込んで、彼らを、そ の親たちからばかりでなく、生の途上で出会 う他の身近で大切な人々からも隔ててしまう、 各々の生の固有性となる。 かく避けがたく隔てられた人々が、なお求 め合いながら互いの場所を探り、その隔たり を踏み越えようとしたり測り損ねたりする― ―そんな場面に、ラヒリの小説世界は成立す る。そこにはいつも、若干の可笑しさが立ち 交じった深い悲哀があり、慎ましやかに煌く 希望のようなもの――〈愛〉と呼ばれてよい ――が賭けられている。作家が汲み取るのは、 そうして誰かを様々に愛することで常に片足 を〈見知らぬ場所〉へと踏み出して生きざる をえない、我々の生存次元だ。エピグラフに 引かれたホーソーンの希望を、かくして読者 は、静かな祈りの感覚とともにラヒリと共有 する――≪私の子供たちは……親の意向がか なうなら、どこか見知らぬ土地で根を張って もらいたい……≫。 (剥エビ) (416頁 税込2484円) 8 新刊コーナー 水声 川上弘美著 文藝春秋 のように」。 回もはがしては、その痛みと痒みを楽しむ時 して、戦時 中に黒人捕虜を村 で飼う「飼育」、 を 開 け、「 死 者 の 奢 り 」 が 続 く。 二 篇 と も 死 まず、初期の短篇は戦争の影と暗い死を感 じさせる。デビュー作「奇妙な仕事」から幕 も い る。「 ま る で、 で き か け の か さ ぶ た を 何 主人公たちの中に沈殿した記憶を断片的に 辿りながら、読者は、いったい彼らは、今、 自涜を好む露悪的な少年が《右》の思想にか を扱う暗い物語だ。そして、芥川賞受賞作に どういう「関係」なのだろうか、という疑問 が並ぶ。どうせなら単行本未収録の「政治少 をふくらませていく。だがよくよく考えれば、 ぶれていく「セブンティーン」などの代表作 だろうか。肉体関係、告白の言葉、恋愛感情。 年死す」を入れて欲しかったが、贅沢は言う 何があれば恋愛で、何がなければ家族愛なの 許されぬ恋をした ことはありますか。 人間をつなげていると言えるのだろうか。本 よ」は連作を通しての英国詩人ブレイクへの が 特 徴 だ ろ う か。 特 に「 新 し い 人 よ 眼 ざ め 増え、より私小説めいた物語になっているの 『新しい人よ眼ざめよ』などの連作から作品 まい。中期短篇は『「雨の木」を聴く女たち』 レイン・ツリー も は や、「 不 倫 」 「同性愛」といった 書はそうした根源的な問いへと導かれてゆく。 を選んで収録している。海外文学への言及が (ケガニ) 月刊) 言及、知的障害の息子についての心情に加え、 自らの作品についても触れており、大江を語 る上ではやはり外せない。後期短篇の分量は 透明感のある文体とあいまって、そこまで主 が、しかも自ら選り 国内枠で現役の作家 これは一つの事件 である。岩波文庫の の自選集は時代の精神と大江作品の変遷の一 なファンも読み逃せない作品集と言える。こ 少なく、九〇年前後の四篇が収録されている。 人公たちの関係それ自身に焦点があたること 抜いた作品を集めて 大江健三郎著 岩波文庫 大江健三郎自選短篇 (二三二頁 税込一五一二円 そういった条件めいたものが果たして二人の 禁断の恋愛について のフィクションは世に満ちているといっても きょうだい 過言ではない。しかし、血縁関係にある男女、 それも姉弟の恋愛は未だに大きなタブーとな っているのではないだろうか。 著者の川上弘美はこれまでにも、父以上に 歳の離れた「センセイ」との恋を描いた『セ は無かったように思う。それに対して本書で 出版したのだから。その作家は大江健三郎、 ンセイの鞄』など、隔たりのある恋人たちを クローズアップされるのは、むしろ主人公た 日本を代表する左翼知識人であり、ノーベル れから大江を読みたい人も、大江のディープ さらに、収録作には筆を加えているので、こ 当然ながら代表作を多数収録した本作はい わばベスト盤というべき出来になっている。 ちの息詰まるような関係である。家族という 部を雄弁に語ってくれるだろう。 (黄金虫) (八四八頁 税込一四九〇円 月刊) モチーフにした小説を発表してきた。だが、 小さな共同体の中での近さと隔たり。そうし 賞作家というビッグ・ネームだ。 9 9 たどっちつかずの距離感を主人公は楽しんで 8 綴 葉 No.333 ホネホネ博物館 生きもの好きの自然ガイド このは№ このは編集部編 文一総合出版 骨まで愛して、ど ころか、骨こそ愛す るための本。今回は いのかもしれないが、透明な身体を持つ海洋 も、時には必要だ。また、正確には骨ではな 方も変わってくる。短期間で肉を腐らせる技 ているか、小動物かそうでないのかで、扱い きる。その動物がきれいな状態なのか、腐っ を白骨標本にするまでの方法を知ることがで 様々なタイプの骨を解説するだけではない。 「 骨 の 標 本 作 り に 挑 戦!」 で は、 動 物 の 死 体 を全く使わないことはできないと認める。そ 「銭湯経済」であった。現代の暮らしでお金 会社経営の経験もある著者・平川克美が行 き着いたのは消費の方向にひと工夫加える ければいけないと感じる。 金が必要だ。だから私たちは賃金労働をしな 消費に親しんでいる。消費をするためにはお を払っていると言えよう。私たちはすっかり て太くてゴツゴツした骨とは違い、細く繊細 る小さな生きもの」も美しい。私たちの白く 売店ウォルマートと対比させながら、「半径 の上で、日本の消費の歴史を踏まえ、巨大小 レジット払いの返済など、毎日少しずつお金 生物(例えばシャコの幼生)の図鑑「浮遊す ク(?)な、骨と骨 三キロ」圏内で生き、見知った人へとお金を ほんの少しマニアッ の知識を網羅する「ホネホネ博物館」をご紹 で、光の当たりようによってはカラフルにか 流す生き方の試みが、著者の実践とともに語 介する。 りおろされる。前著『小商いのすすめ』にも 連なる、個人レベルでお金をどう使うかに関 わる提案だ。 私たちは「もっと買うように・もっと活動 的に・もっと元気に明るく・もっと産むよう に」と形のない圧力に追い立てられているよ ぎに最適化した骨格デザイン――水の抵抗を が、水中での採餌が不可欠だ。そのため、泳 ができる。例えばペンギン。ペンギンは鳥だ 間にか多くのレシートがたまる。お金を手渡 に、手元にはいつの 外食したりするうち コンビニに寄ったり お金を使わない日 なんてあるだろうか。 時間の使い方を省みてはどうか。 い消費の日々から距離を取り、自身のお金や うでもある。人口減の日本では、少なくとも 減らす紡錘型で、水圧からの内臓保護のため すことは無くとも、家賃・光熱費・通信費・ 銭湯経済のすすめ 平川克美著 ミシマ社 「消費」 をやめる がやく。 (エル) (一一二頁 税込一二九六円 月刊) 臓の名前は理科で憶えても、骨の名前はさす がになかった気がする。しかし、骨は、骨を 持つ生き物の基礎中の基礎である。逆に言え ば、骨を見ることで、その生き物が飛ぶのか 走るのかそれとも木々を飛び移るのか、どん に骨がぐるりと身体を包む――を持っている。 (投稿・ふみ) (四二八頁 税込一七二八円 月刊) っていけばよいのか。本書をきっかけに忙し はない成熟社会で、お金や消費とどう付き合 国内の経済成長は考えにくい。右肩上がりで このことで、魚を追いかけるあのミサイルの ような水中直進を可能にしている。 諸々の税金、学生の場合は学費、あるいはク 日常生活ではフライドチキンか鯖の煮付け ぐらいでしかお目にかかることはないし、内 8 なものを食べて暮らしているのかを知ること 6 6 2014. 12. 10 綴 葉 10 インタヴューズ Ⅲ 毛沢東からジョン・レノンまで れない。しかし、この技術によって、私たち 確かに、インタヴューは胡散臭く、不完全 で、取材される側にとって不快な行為かもし 別や批評文と論文の区別、テクストを原文で 柄は論文執筆全般に通じる。事実と意見の区 学部生が主な想定読者だが、書かれている事 本書は、美学を専門とする著者による論文 執筆のハウツー本だ。卒論を執筆する予定の ある。勿論、論文執筆にはそうした能動的な は直接に出会えない人々と出会ったように感 読むことの意義といった基本的前提の確認か 姿勢が不可欠なのだが、初めて卒論を書く学 じ、聴くことのない声を聴いたような気にな ら、要約とキーワード集を作りながら本を読 と さ れ る 側、 さ ら に 報 道 を 読 み 聞 く 人 々 の マルクス、ビスマ ルク、ヒトラー、ア る。これこそがインタヴューという、不完全 め、自分の分野の定評ある論文を何本か読ん 部生などは心細くもあろう。 ル・カポネ、サッチ な談話形式の力だ。本書はそのことを端的に だろう。 ャー等々へのインタ 示している。著名人のインタヴューを拾い読 「会話」に対する感覚の変化をも反映している ヴューを収録したシ で構成を分析せよ、結論をまず見つけ、それ クリストファー・シルヴェスター編 リーズが、このほど第三巻を以て完結した。 みするもよし、最初から順に頁を繰って歴史 新庄哲夫他訳 文春学芸ライブラリー 本書ではマリリン・モンローやナボコフ、毛 いった実践的なアドバイスまで。特筆すべき を論証するために論を逆流式に構築せよ、と 沢東といった人々が、ある時は楽しそうに、 やりとりがぎこちない。最終巻となる本書で みると論文の書き方 あるが、振り返って 卒論も修論もすで に書き上げた身では 論を書く予定の読者は本書を読んで執筆作業 他の類書と比べて文献研究に特化した内容 であるため、特に人文系でこれから卒論や修 アート は、こうした内容が単に無味乾燥に列挙され るのではなく、「論文を書くことは 技術であ る」という著者独自の創作論を背景に説明さ れるという点だ。例えば、なぜ要約が重要な のかと言えば、それは著者曰く、理解という は、インタヴューする側もされる側も、その を習った記憶がほと ものが本質的に、テクストの内容を自分の言 形式にすっかり慣れ、双方の「私はこう見せ んどない。理系の指導は受けたことがないの 佐々木健一著 東京大学出版会 論文ゼミナール の流れを感じるもよし。 (投稿・炉開) (四八〇頁 税込一八二五円 月刊) ある時は不快げに、やりとりする。 本書は、著名人の証言が収録されていると いう意味において現代史を描いているにとど ま ら ず、「 イ ン タ ヴ ュ ー」 と い う 技 法 の 変 遷 を読み取れるという点においても現代史の書 だ。第一巻に登場する二〇世紀初頭の人々は、 たい」「私はこう見たい」という勝負が展開 で置くとして、人文系ではいまだに論文の書 ジングする行為だからなのである。 葉で言い換えることでテクストをダウンサイ される。百年足らずの間に、インタヴューな の参考にしてほしい。 (柚木) (二六二頁 税込二四八四円 月刊) 話し手も聞き手もこの形式に慣れておらず、 る行為は、特殊な発明からありふれた会話の き方は「書きながら覚えろ」というところが 11 6 一形式へと変化した。その変化は報道する側 8 綴 葉 No.333 気持ちをあらわす 基礎日本語辞典 森田良行著 角川ソフィア文庫 日本語は非論理的 だとの言明を聞くこ とがあるが、その根 あるいは「親しい」。著者によるとこの語 は文型「 ハBト親しい」を要求することが ン ベ ン に よ れ ば、「 規 則 」 や「 典 礼 」 の 実 践 世俗的な力と結び合いながら、日々の「生」 と「生」との関係の理解にあった。教会が、 から区別され聖化された典礼や儀式の体系を 0 ある。助詞「ト」は相互作用性を表わす。と 0 整備していったのに対し、修道会は、教義や 0 い う こ と は、 こ の 文 型 を 取 る と き に「 親 し 0 い」が表現している間柄とはお互いが近さを 典礼や法よりもさらに根源的な「生」の次元 感じている関係ということであり、「 0 0 0 0 ニ親しみを覚える」という文型で表わされる らば、日本語が精緻な論理のもとにあること 貫して説明されうる理由の空間」と定めるな もし「論理」を「一 わす基礎日本語辞典』とともに、日本語への ない。同時に刊行された姉妹編『違いをあら ろう。しかし、読み始めたら驚嘆するに違い 熟読あるいは精読するというより、気にな った単語を調べるために使われるような本だ とはいっても、単なる歴史的事実の解明が 目的なのではない。というのも随所で指摘さ う歴史文献を分析しながら辿る試みである。 の発見と追究努力の軌跡を、修道院規則とい れるように、修道会がそれに抗って自分たち を、本書は余すところなく照らし出している ことになった相手とは畢竟、或る統治のシス テム――後に現代の大量消費社会を支える統 治構造の母系を形成してゆくことになった諸 システム――だったからだ。 で能動的な気分」は「いかる」によって言い の使われ 方ではない」。そのような「積極的 ションを占めてきた。 において独自のポジ 西洋キリスト教社会 四世紀以来各地に 創設された修道院は、 はすこぶるスリリングだ。人文学の面白さを 白眉は聖フランチェスコとその後継者たち の「清貧」の思想の分析。アッシジの聖者た 表わされる――今まで何となくニュアンスの 世俗社会のみならず、ローマ聖庁とも独特の 上村忠男、太田綾子訳 みすず書房 修道院規則と生の形式 ジョルジョ・アガンベン著 いと高き貧しさ (二一七頁 税込七七七円 の「生の形式」を追求し、結局は屈してゆく 0 例 を 引 こ0う。「 相 手 の 不 実 に 怒 る 」 と「 相 手の不実を怒る」。助詞一文字の違いは何を 意味するか。これを著者は次のように説く。 日本語は「怒る」が表わす感情現象を、ある 原因によって引き起こされる受動的なものと 捉える。したがって「ニ格を取る自動詞」が 違いを感じてきた格助詞が、確たる観点から 存分に堪能できる一書である。 (剥エビ) (二五六頁 税込五一八四円 月刊) 正しく、「ヲ格にする他動詞の言い方は本来 説明されるものとして立ち現われているので 緊張関係を維持してきたその独自性は、アガ 10 いて説得的に指摘してゆくアガンベンの議論 紀後の「敗北」の要因を、文献学の手法を用 ちにおいて束の間訪れた「勝利」とその一世 ある。 ように思われる。 本書は、修道者たちによるこの「生」の領域 の形式」を言説化する方途を探ったのだった。 でイエス・キリストに倣いながら、その「生 ハB A からBの一方的な感情とは異なるのである。 A 興味を改めてかきたてる一冊である。 ( 明) 月刊) 拠はなんだろうか。 A 6 2014. 12. 10 綴 葉 12 ってきたに違いない。だから(?)読んでい と苦労した感、この人は相当の修羅場をくぐ でもない。行間からじわじわ染み出す女臭さ 「まっとう」。じゃあ面白くないじゃん。そう と思った貴方は勘違い。アドバイスは極めて ェミっぽい人が偉そうに説教をするやつね、 いう人生相談が続く。あーあるある、何かフ す」「恋をしました」。本書では延々と、こう スが苦痛です」「子どもがひきこもっていま を聞かなくちゃいけないんですか」「セック 女たるもの、物心ついてから醜く朽ちるま で悩みは 尽きない。「どうして親の言うこと 削除され、琴を弾き、テニスに興じ、エア・ た。しかし、完成フィルムではこのシーンは ゾチック」に表象された海女のシーンがあっ のシナリオには、 「エロティック」かつ「 エキ 味深い。ハリウッドが企画したこの映画の元 例えば、一九四一年に日本政府が製作した プロパガンダ映画『日本の女性』の考察が興 と、その時代の国家の思想を暴かれていく。 数々のヌード作品と資料を基に、作者の意識 ル コ の ス ト リ ッ プ 風 の 広 告 ポ ス タ ー な ど、 久夢二の美人画、裸体の婦人警官の写真、パ 変容を遂げていったとされる。本書では、竹 ヌードに対する人々の意識は、明治以降、 西洋文化の流入や国家の検閲により、大きな 池川玲子著 講談社現代新書 して何の悩みもないように見える女子大生た も い る( ご め ん な さ い )。 し か し、 キ ラ キ ラ 見れば明らかに道を間違えてしまっている人 りとあまり生産的ではない。実際、世間的に つまずいたりふらふら迷ったり、考え込んだ き方が取り上げられる。登場する学生たちも、 年前から現在までさまざまな元女子大生の生 るわけではない。大学女子寮を舞台に、五〇 一方、本書は『大学生活の迷い方』だ。と はいえ、有意義な迷い方について教えてくれ 現代人に、こんな指南書はありがたい。 とはしたくない。最短距離で結果を出したい 有意義な人生を送りたい、損になるようなこ ニュアル本が書店に並んでいる。どうせなら 「大学生活で失敗しないための○個のルー ル」、「二十代で何をするべきか」といったマ 蒔田直子編著 岩波ジュニア新書 大学生活の迷い方 ると次第に力が抜けてくる。わたくし達は連 ガールとして活躍する「伝統的」かつ「文明 ちの「迷い」を目で辿るうちに、ピンとくる ヌードと愛国 綿と、業から抜け出せないのでしょうか。そ 的」な女性像が強調された。そして、美術教 出会いがあるかもしれない。時間も出会いも 女の一生 う訊いてみたくなる。まあ、それもそれで楽 室で西洋的なポーズを取る女性モデルのヌー 迷ってみてはいかがだろうか。たくさんの学 伊藤比呂美著 岩波新書 しいのかも知れない。 ドシーンが、新たに追加されていったのだ。 生の傍らで、「寮母さん」のまなざしとエー 多い大学生活。彼女たちをお手本に、盛大に 譲れない一線は守りつつ、できないことは しない。この感じはフェミニズムというより 現代の私たちは、テレビ、ネット、書店な ど、様々な場所でヌードの表象とすれ違う。 13 するか、どちらかしかない。大好きになった 10 方 は『 良い お っ ぱ い、 悪 い お っ ぱ い 』( 中 公 10 もウーマンリブか。大好きになるかドン引き 本書を契機に、裸体の裏に隠された意図を再 ルが暖かい一冊。 (貝殻) (二三○頁 税込九○七円 月刊) 考してみるといいだろう。 ( 投稿・ミント) (二七一頁 税込八六四円 月刊) 文庫)もぜひどうぞ。 (投稿・炉開) (二〇八頁 税込七七八円 月刊) 9 綴 葉 No.333 霊長類学への誘い チンパンジーの共通祖先から受け継がれた つまり他者の行動を真似る行動は、ヒトと 「ヒトらしさ」を、ヒト以外の霊長類を通して見る ヒトをヒトたらしめるのは何だろう? 道具を使うこと? しか 能力だと考えることができる。このような にも詳しい。驚くべきことに、チンパンジーも、協力行動をする。 社会的知性の比較は、平田聡『仲間とかか わ る 心 の 進 化 』( 岩 波 科 学 ラ イ ブ ラ リ ー) し、カラスは道具を使って虫を釣る。言葉を理解すること? 手話 を操るボノボがいるし、イヌだって人間のコマンドや簡単な会話を ある。霊長類学では、ヒトに近縁な種(つまり、霊長類)の行動や 理解する。「ヒトとは何か?」――これが、霊長類学が挑む問いで 能力、心理を調べることで、ヒトの輪郭を明らかにしようとする。 山極寿一『野生のゴリラに再会する』(くもん出版)では、ゴリ ラの生態や社会が、 年前に友人だったゴリラへの回想を通して語 に見てみると、「ヒトらしさ」が浮かび上がってくる。 くみられない。私たちは他の霊長類と多くの共通点を持つが、詳細 し、ヒトでよくみられるような、声かけやアイコンタクトなどは全 つまり、あなたが日本という国の特徴について知りたいと思うなら、 しかも、相手が自分と仲の良い個体の方が、よりうまくいく。ただ 外国に足を踏み入れてその違いを体感するに限る、ということだ。 チンパンジー、ボノボ、ゴリラ ヒトに最も近縁な種と言われるチンパンジーは、厳しい階級社会 に生き、オスはトップの座を求め、策略をめぐらせてライバルを蹴 られる。面白い話がある。ゴリラの群れと行動しているとき、ある 落とそうとする。一方で、同じ霊長類であるボノボは、どちらかと 言えば平和社会で、メスの地位が高く、揉め事良い事ほとんどをセ ゴリラが著者の顔をしげしげと覗き込んだ。サルでは目線を合わせ ることは威嚇だから恐怖でうつむくが、ゴリラは何もせず不満そう に去っていった。実はそのゴリラは遊びに誘っていたらしい! ゴ リラでは顔を覗き込むことは友好的シグナル。そういえば、ヒトで 集団によって、使う道具や音声コミュニケ 手研究者たちが、自分たちの研究テーマを存分に語る。彼らによって 霊長類研究のあした では、これからの霊長類研究では、どんなことがわかるのだろう? 『日本のサル学のあした』(京都通信社)は、霊長類研究を目指すと決 めた大学生時代を経て、新しい発見に向かって奮闘し始めている若 も文化によって目を合わせることは様々な意味を持っている。 ーションが異なるという、文化が見られる。 「ヒトとは何か?」が解明されるのは、あしたかもしれない。( エル) そんなことはない。チンパンジー社会にも と思われている方も多いかもしれないが、 このようなことから、文化を形づくるもの、 松沢哲郎『想像するちから』(岩波書店)は、特にチンパンジー とヒトの共通性に焦点を当てている。例えば、文化はヒトの特徴だ ー・ボノボの両面を兼ね備えた種なのだとする。 ドがたっぷりだ。そして、権力と平和を愛するヒトは、チンパンジ ックスで解決する。『あなたのなかのサル』(早川書房)には、霊長 類学の権威である著者がこの二種をじっくりと眺めて得たエピソー 26 14 私の本棚 現代女子 校 入 門 最近、女子校の生活をネタにした本が相次いで出版されるなど、 女子校をめぐる視線はアツさを増している。果たして女子校とはど 人の女子校出身者の著作から見てみよう。 したカーストを緻密に描いている。 団でも起こり得ること。とはいえ、思春期の少女にとって、人間関係 女子校出身者による女子校文学 女子校というと、「人間関係がドロドロしている」などと想像さ れるかもしれない。しかしそれは、年齢・性別に関わらずどんな集 向に転換せざるを得なくなる。現在は、どんなお嬢様校でも受験に 求め、「お嬢様ブランド」を誇りにしていた女子校も、キャリア志 になれること」。旧制高等女子校の時代から、長らく良妻賢母を育 年代までは、女子校のステータスとは、学力よりも「いいお嫁さん のような空間なのか。 は最重要な問題だ。柚木麻子『終点のあの子』(文集文庫)は、プロ テスタント女子校を舞台にした短編集だ。おっとりした子と、自由 力を入れている。杉浦は、こうした時代の要請を背景に、女子校に 杉浦が、女子校という温室と距離をおいて教育目線で分析してい るとすれば、女子校文化をガッツリ内面化して論じているのが辛酸 入ることの長短を、社会で必要とされる能力という面から論じる。 てる機関だった女子校。しかし、バブル崩壊は女性にも働く能力を 力 』( P H P 研 究 所 ) に よ れ ば、 一 九 八 〇 奔放な帰国子女。大人っぽい美女と、野坂昭如を愛するオタク。女 女子校出身者による女子校評論 とはいえ、柚木と桐野の年代差について は 注 意 が 必 要 だ。 杉 浦 由 美 子 著『 女子 校 子校という、均質的ながら個性豊かな集団のなかで、こうした奇妙 な友情が一瞬結ばれ、脆くも崩れていく。『王妃の帰還』(実業之日 本社)では、「姫グループ」から凋落した美少女を、オタクグルー プやゴス・グループ、さらにははみ出し者との連携でもって、トッ 校出身者としての洞察と愛が感じられる。 くまで訥々と説明する姿勢に徹している。その視線には、同じ女子 プカーストに「帰還」させる。普段はグループ行動でも、勇気を出 こ れ に 対 し て 桐 野 夏 生 の『 グロ テ ス ク︵ 上・ 下 ︶』( 文 藝 春 秋 ) は、女子高での美醜という厳しすぎる基準をもとにした序列を描い ー診断や、マトリックスによる分類など、娯楽度も高い。しかし、 ている。美しすぎる妹と、平凡な姉。和恵 女子校はいまや「秘密の花園」でもなく、かといって「地獄」で もなければ、喧伝されるほどの「天国」なわけでもない。とはいえ、 なめ子だ。辛酸なめ子著『女子校育ち』(ちくまプリマー新書)は、 「女子校あるある」ネタの元祖ともいえる。各女子校のキャラクタ の学校へのユリコの転入によって、校内の 世間とは異なる価値観を持つ空間で過ごす数年間が、彼女たちの人 して境界を踏み越えることもできる。この意味で本書は、孤立と迫 秩序は再編される。そしてその頂点に君臨 (貝殻) 女子校独自の習慣や「ズレ」について取り上げるというよりは、あ する、圧倒的美貌のユリコ。桐野は、名門 生に与える強い影響だけは確かなようだ。 害に立ち向かい、仲間と勇気を手に入れた女の子たちの冒険譚だ。 一貫校での、容姿や親の社会的地位を反映 15 4 綴 葉 2014. 12. 10 編集後記 当てよう!図書カード 冬本番です。寒さも増し、読書のお供、ホ 寒い! こんな季節にはコタツに入ってぬ ットコーヒーのおいしい季節になりました。 くぬくと過ごしたいですね。コタツに入って 僕はほとんど毎朝缶コーヒー片手に学校へ向 やることといえば大学生の基礎教養(?)、 麻雀。麻雀の点数計算はとても複雑なのです かうのですが、コーヒーはもっぱらホット派 が、次の手から をロンして和了したときの です。自動販売機の「あったか~い」が一年 点数は何点になるでしょう? 条件は、南四 中あったらいいのにと思ってしまいます。11 ゼロ 局、北家、0本場、ドラなしとします。 月ごろだと「つめた~い」の配列と入り混じ っているので、間違えて買ってしまうことも 多々。インドア生活で季節感のない自分とし 《応募方法》読者カードに答えを書き、生協 ては、自販機の表示で冬を感じます。 のひとことポストに入れてください(または 缶コーヒー、そういえば最近「贅沢」とか e-mail: [email protected])。正解者の中から抽 「リッチ」のついた銘柄も増え、なんとなく 選で5名の方に図書カードを進呈いたします。 (柚木) 締切りは1月15日です。 味わい深くなってきました。僕のおすすめは やはりジョージアの「ヨーロピアン」シリー ズ。猿田彦コーヒー監修だからか、香りも味 8・9 月号の解答 もほんとうに違います。心なしか他社製品よ 正解は、 「4.倉橋由美子/親指Pの修業時 りも街でよく見かける気も。たかが100円ち 代」でした。『親指~』は松浦理英子の作品 ょっとですが、コーヒー業界では熾烈なバト で、倉橋由美子には『スミヤキストQの冒険』 ルが繰り広げられているようです。 という作品があり、アルファベットつながり このあいだ、ついにコーヒーメーカーを手 のひっかけでしたが、応募者8名全員の方が に入れ、これで毎朝ドリップコーヒーが飲め 正解でした。図書カードの当選者は、夜汽車 る! と息巻いたもののやはり朝はそんな余 さん、マンモスさん、モロヘイヤさん、ネロ 裕もなく、結局近所の自販機の常連客です。 さん、やまつさん(順不同)です。おめでと (ケガニ) (剥エビ) うございます。 読者からひとこと ○(『コサインなんて人生に関係ないと思っ た人のための数学のはなし』について)さら っとは読めないがじっくり読むと面白い、と 正直に書いてあるのがよかった。数学の「面 白さ」を感じてみたいと思った。 (医・総角) ――数学。私も含め文系の人たちのほとんど は、高校でお別れしたかったものです。巷に はよくわかる数学とかすぐわかる数学とかお もしろい数学とかたくさんあふれております が、本当の良書を見つけるのは難しそうです よね。表記の本のように、じっくり読まない と良さがわからない本をどんどん紹介してい きたいです。 ○ビブリオバトル企画とか見てみたい。 (理・たみす) ――ビブリオバトルって名前くらいしか聞い たことがなかったのですが、ぐぐってみたら、 知的書評合戦ですか。かっこいい。編集委員 は皆さんかなりの自信がありそうです(私は もちろんありませんが)。読者の皆様に投票 とかしてもらったらいいんでしょうか。企画 や話題などで「こんなのみたい!」というの があったらどしどしご注文下さい。 ( エル) 16
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