スピングラスへの光照射効果 慶大理工 佐藤徹哉 1.背景 スピングラスが

スピングラスへの光照射効果
慶大理工 佐藤徹哉
1.背景
スピングラスが発見されてから30年以上が経過し、多数の実験的な知見は集積されてきたが、ス
ピングラス秩序状態については、少なくとも平均場描像およびドロップレット描像という相反する側面を
持つ2つの立場からの理解が続いている。すなわち、平均場描像では、スピングラス相においては、縮退
した自由エネルギー最小状態が多数存在すると考えるのに対し、ドロップレット描像では、基底状態はた
だ一つであり、その励起状態が特異的であると考える。現在のところ、この両者間の論争は決着を見てい
ない。スピングラス相を解明するために、スピングラス転移温度以下に急冷された系が平衡状態へ進む緩
和過程であるエイジング現象が注目されてきた。実験的には、系に温度変化を与えることで摂動を加え、
その結果生じる物理量の変化に注目する研究が主として行われてきた。しかし、温度摂動では、温度変化
が間接的に磁気相互作用の変化を引き起こすことから生じる物理現象の変化を見ることになり、その解釈
に曖昧な点が残る。そこで、我々はスピングラス系に直接的に相互作用変化を与える摂動を通したエイジ
ング現象に注目して研究を行ってきた。そして、その結果はドロップレット描像でかなり良く解釈できる
ことを示してきた。
ドロップレット描像においては,スピングラスに何らかの摂動∆X(温度∆T,磁場∆H,相互作用∆J)
を加えた場合,摂動を受ける前とはまったく異なる平衡状態が現れるカオス性,および摂動が加えられる
前後の状態間で相関が失われる長さスケールである overlap length の存在が示唆されてきた[1]。これらの
特徴を検証するために、我々はスピングラス半導体に光を照射して磁気相互作用を変化をさせ,エイジン
グを調べる実験プロトコルを提唱し,光照射時の相互作用変化に伴うカオス性と overlap length の存在を示
唆する特徴を見いだしてきた。本講演では,これまでの経過をまとめ,現状および今後の発展の方向につ
いて報告を行う。
2.ドロップレット描像とゴーストドメイン
スピングラスのエイジング現象を解釈する上で、ドロップレット描像は非常に有力である。この描像
では、スピングラスの基底状態が唯一組であり、熱活性によるスピンクラスターの全反転(ドロップレッ
ト励起)の挙動が系の性質を決める。高温から系を冷却する場合、到達した温度において基底状態のスピ
ン配置をもつドメインサイズ L が時間とともに成長し、その過程が系のエイジング過程に対応すると考え
るのである。このドメイン成長過程の検出には、系を転移温度以下のある温度に時間 tw(待ち時間)の間
保持したのち、微弱な磁場 H を印加して磁化 M の時間変化を調べる方法が良く用いられる(交流磁化率
を用いる方法も有効である)。すなわち、待ち時間を変化させて磁化の緩和率(S = 1/H (d M / d log t))を
測定すると、待ち時間に対応する時間にピークが現れ、その時間を見ることにより、系の年齢がわかるこ
とになる(図1に一例を示す[2])。一方、待ち時間の間に T → T + ∆T → T と言う温度のサイクル変化を
与えると、そのピークは減少し、ピークが現れる時間が短時間側にシフトする(図2)。これは、待ち時
間の間に成長したドメインが温度変化によって壊されことを意味し、スピングラスでは摂動∆X を加える前
後のスピン状態が本質的に異なると考えるカオス性の存在を示唆する。これに加えて、ドロップレット描
像では、摂動を加える前後のスピン状態間には、摂動の強さ∆X に依存した重なりが存在することを予言し、
その空間的な重なりのサイズを overlap length ξと呼ぶ。この overlap length の存在はドロップレット描像の
本質と関連することから、これを証明することは、描像の妥当性を証明する非常に重要な証拠となる。こ
れが我々の研究の一つの目的となってきた[3]。
0.35
6
NiMn
tw = 10000 sec
tw = 1000 sec
tw = 100 sec
0.30
∆T = 0
∆T = + 8 K
0.25
S (arb. unit)
S (arb. unit)
8 NiMn
60.0 K
4
∆T = + 2 K
∆T = + 4 K
0.20
0.15
0.10
2
0.05
0
10
0
10
1
2
10
time (sec)
10
3
図1. S の待ち時間依存性。
10
4
0.00
10 0
10 1
10 2
t (sec)
10 3
10 4
図2. 温度サイクル摂動を加えた S の挙動。
図3. ゴーストドメインのシミュレーション。
右に初期のドメインの痕跡が残っている状況を示す[4]。
これまでのドロップレット理論においては、最初成長したドメインサイズと比較して、ξ が十分短
い場合には、初期のドメインは完全に壊れ、その痕跡を見いだすことはできないと考えていた、しか
し、最近阪大の吉野の提唱するゴーストドメインの描像では、初期に作られたドメインの痕跡は容易
には消失せず、ゴーストのように残り続け(図3)、摂動を取り除いた後には徐々に修復される[4]。
この時、初期に成長したドメインのサイズ L とξの比に依存したクロスオーバーが観測されることを示
唆する。このクロスオーバーの存在から、overlap length の存在を検出できるものと考えられる。我々
はこの点を相互作用摂動の観点から検討する。
3.実験手法
実験方法は以下の通りである。試料としては,Cd0.63Mn0.37Te(Tg = 10.7 K,Eg = 2.18 eV)を用い,
SQUID 磁力計中にファイバーを用いて光を導入した。緑色(544nm,2.281eV)の He-Ne レーザ− を光源
として用いた。また,試料の片面にはカーボンが塗布されており,その面に光照射を行うと光は熱のみに
変換され,温度変化∆T が与えられる。一方,他方の面に光照射を行うとキャリヤ励起が生じ,それに伴
う磁気相互作用の変化∆J が∆T に加わる(図4)[5]。試料のそれぞれの面に光照射を行った際に生じる温
度上昇∆T が等しくなるように光強度を制御した。これにより,相互作用変化∆J の効果のみを検討するこ
とができる。相互作用サイクルのプロトコルを図 5 に示す。
Carbon coat
tw 2
tw 1
Tm
∆T
T
H
tw 3
t
∆T+∆J
∆T
図4. 試料への光照射の様子。
t= 0
図5. 相互作用サイクルのプロトコル。
4.実験結果
ドロップレット描像から得られる次式
tw2(T+∆T) = τ0 (teff(T)/τ0)T/(T+∆T)
を基にして有効照射時間 teff(T)を求め、∆T が一定の条件で異なる teff(T)における S の時間依存性を調べ
た(図 6)。ここで、tw1 = 3000 sec であり、光によるキャリヤの励起と非励起の場合が比較されている。
励起が生じる場合には、非励起の場合と比較して同じ有効照射時間での S の減衰が大きい。S の減衰の程
度を評価するために、S のピーク値を無照射時のピーク値で規格化した量 r を異なる∆T に対してプロット
した。明らかにすべての∆T に対して、励起時の S の減衰の強さが確認される。また、∆T= 0.33 K と小さな
摂動が加えられた場合には、両者の r は時間経過とともにほぼ平行に減少し、その減少率も小さい。一方、
∆T= 0.86 K の大きな摂動が加えられた場合には、減少率は短時間領域から大きく、tw1 と同程度の時間が経
過すると r は飽和し、励起、非励起の値に差が見られなくなる。ドロップレット描像を基にすると、以上
の実験は次のように解釈される。∆T の増加はより小さな overlap length を与え、さらに∆J の摂動が加わる
場合、同じ∆T であってもより overlap length が減少し、ドメインのサイズ R とξの比の相違により初期に
形成されたドメインの壊れ方が異なることになる。吉野が提唱しているように、弱い摂動下では、摂動を
取り除いたのちのドメインの修復が容易であるため、r は1から大きくは減少しないが、強い摂動の下で
は、修復に非常な時間を必要とするため r は大きく減衰する。∆T= 0.86 K において r が teff ~ tw1 において
飽和することは、teff > tw1 においては L >> ξの条件が成立して強い摂動領域に入っていると考えられ、吉野
の描像と矛盾しない。以上の結果は、overlap length を基にしてかなりよく解釈することができ、ドロップ
レット描像を強く支持するものと考えられる。
10
10
∆T
tw2 = 0 sec
CdMnTe
∆T = 0.86 K
8
-6
6
100 sec
300 sec
S (10 arb. unit)
-6
S (10 arb. unit)
8
CdMnTe
∆T = 0.86 K
4
900 sec
10000 sec
6
4
10000 sec
2
2
2.0
900 sec
(b)
(a)
0
1.5
100 sec tw2 = 0 sec
∆T + ∆J 300 sec
2.5
3.0
log t
4.0
3.5
0
1.5
4.5
2.5
2.0
3.0
log t
3.5
4.0
4.5
図6. 異なる有効照射時間での緩和率 S の挙動:非励起(a)、励起(b)。
1.0
∆T = 0.33 K
0.9
r
0.8
∆T = 0.56 K
0.7
0.6
∆T = 0.86 K
tw1 = 3000 sec
0.5
2
10
3
4
10
10
5
10
teff (sec)
図 7 r の有効照射時間依存性(Open symbol: 励起、closed symbol: 非励起)。
参考文献
[1] A.J.Bray and M.A.Moore, Phys. Rev. Lett. 58(1987)57, D.S.Fisher and D.A.Huse, Phys. Rev.
B38(1988)386.
[2] Tetsuya Sato and Per Nordblad, J. Magn. Magn. Mater. 226-230 (2001)1326.
[3] T. Sato and A. Hori, J. Magn. Magn. Mater.( in press).
[4] P. E. Jonnson, R. Mathieu, P. Nordblad, H. Yoshino, H. Aruga Katori and A. Ito, Private communications.
[5] H.Kawai and T.Sato, J. Appl. Phys. 85(1999)7310.