同一世帯の孫に対する遺族厚生年金の不支給決定が適法とされた事例

© 田中達也社会保険労務士事務所
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同一世帯の孫に対する遺族厚生年金の不支給決定が適法とされた事例
東京地裁平成 27 年 2 月 24 日判決(裁判所HP)
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事実の概要
1 Aは,老齢厚生年金の受給権者であり,平成 23 年 6 月に死亡した。亡Aの孫である
Xは,平成 24 年 2 月,遺族厚生年金の裁定請求をしたところ,厚生年金保険法(以下「法」
という。
)59 条不該当を理由に不支給の決定(以下「本件不支給決定」という。
)を受けた。Xは,
審査請求及び再審査請求をしたがいずれも棄却されたため,本件不支給決定の取消し及び
遺族厚生年金支給決定の義務付けを求める訴えを提起した。
2 亡Aの死亡当時,Xの世帯の住民票上の構成員は,中学 3 年生のX,Xの父B,母C
及び高校3年生の兄D並びに亡Aの 5 名であり,世帯主は父Bであった。
父Bは,平成 20 年 3 月にα役場を退職(当時の年収は約 680 万円),同年 6 月に自宅で社会
保険労務士事務所を開業し,平成 22 年度所得は 130 万円余,平成 23 年度所得は 122 万円
余であったものの,亡Aの死亡当時,Xら世帯の自宅土地建物及び自家用車 2 台を所有し,
預貯金等を合わせ 3000 万円程の資産を有しており,金融機関等からの借入れはなかった。
これに対し,亡Aは,生前に老齢基礎年金と合わせて年 125 万 6800 円の老齢年金を受領
しており,平成 21 年 1 月から平成 22 年 3 月の間,亡A名義の普通貯金口座から孫の学校
関係費用として毎月 1972 円ないし 9952 円の引き落としがされていた。
3 本件の争点は,Xは,法 59 条 1 項にいう,被保険者又は被保険者であった者(以下,
両者を併せて「被保険者等」という。
)の死亡当時その者によって生計を維持していたもの(以下
「生計維持要件」という。
),にあたるか否かである。
この点について,厚生年金保険法施行令(以下「施行令」という。)3 条の 10 は,法 59 条 1
項の生計維持要件を満たすものについて,当該被保険者等の死亡当時その者と生計を同じ
くしていた者であって厚生労働大臣の定める金額以上の収入を将来にわたって有すると認
められる者以外のものその他これに準ずる者として厚生労働大臣の定める者をいう旨規定
し,上記金額については,平成 6 年 11 月 9 日庁保発第 36 号社会保険庁運営部長通知(以下
「部長通知」という。
)において年額 850 万円とされている。
また,平成 23 年 3 月 23 日年発 0323 第 1 号厚生労働省年金局長通知(以下「本件通知」とい
う。
)においては,①被保険者等と生計を同じくしていた者又は生計を同じくする者に該当す
るもの(以下「生計同一要件」という。),かつ②部長通知において定める金額(年額 850 万円)以
上の収入を将来にわたって有すると認められる者以外の者に該当するもの(以下「収入要件」
という。
)について,生計維持要件を満たすものと認定するとしており,被保険者等の孫であ
る場合の生計同一要件については,
「住民票上同一世帯に属しているとき」等に満たすとし
ている。なお,本件通知には,
「これにより生計維持関係の認定を行うことが実態と著しく
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懸け離れたものとなり,かつ,社会通念上妥当性を欠くこととなる場合には,この限りでな
い。
」とのただし書が付されている,
判 旨
取消請求棄却,義務付けの訴え却下
1 民法上,
「被保険者等と遺族との生計維持に関わる義務の程度は遺族の立場によって
大きな差異があり,特に夫婦間と親子間における上記義務は他に比べて重いものというべ
きである…。法 59 条は,遺族年金の支給対象者たり得る要件を遺族の立場に応じて個別に
定めるとともに(1項)
,支給対象者の要件を備えた者の中では被保険者等の配偶者と子を
優先させているが(2項)
,これは,同条が上記の差異を踏まえて支給対象者を具体化する
趣旨に出たものと解されるところであり,同条がかかる規範的価値判断を前提としている
と解される以上,同条が定める生計維持要件の解釈に当たっても,以上のような遺族の立場
に応じた規範的観点をも踏まえて判断がされるべきものと解するのが相当である。」
2 (1) 法 59 条 4 項の委任を受けた「施行令 3 条の 10 は,…生計維持に関わる事情が
個別の事案ごとに多様であると考えられる中で,多数の裁定請求につき一律かつ迅速に判
断するために,…所定の要件を満たす場合には,生計維持関係があるものと推定するという
趣旨のものと解される。
」
(2)
遺族厚生年金の支給対象者が配偶者の場合には,「夫婦間の経済的依存関係は密接
であり,かつそれが長期にわたり継続すると考えられる以上,被保険者等の死亡当時におい
て,被保険者とその配偶者である支給対象者が生計同一関係にあり,かつ支給対象者が高額
の年収(850 万円以上)を将来にわたって得ると認められないときには,一方の収入がなく
なれば他方の生計維持に支障を来すことになるであろうから,かかる事情の存在をもって
生計維持関係の存在を推定することには合理性があるものと解される。
」
(3) 他方,支給対象者が孫の場合には,
「その者に年 850 万円以上もの収入があるとは通
常考えられない以上,孫については,被保険者等と生計を同一にしていれば当然に支給対象
と推定される結果となる。しかしながら,…孫の生計維持に一次的に責任を負うのはその父
母と解されるにもかかわらず,当該孫とその父母との生計の同一のいかんや,当該父母の収
入や資産の状況いかんといった事情を何ら考慮することなく,単に孫が祖父母と生計を同
一にしているということだけで,孫が祖父母により生計を維持していると推認するのは,法
59 条に定める生計維持要件の解釈に照らして不合理というべきである。
」
「そうすると,孫が支給対象者である場合については,施行令 3 条の 10 は,法 59 条 4 項
の委任の範囲を逸脱したものといわざるを得ないのではないかとも考えられるが,仮にそ
こまでいい切れないとしても,その推定力は弱いものといわざるを得ず,当該孫の父母の資
力等の諸事情のいかんにより,その推定は覆されるものと解するのが相当である。」
3 「Xは,被保険者亡Aの孫であって,亡Aの死亡当時亡Aと生計を同一にした 15 歳
の中学 3 年生で無収入であるから,施行令 3 条の 10 及び本件通知によれば,生計同一要件
及び収入要件を満たすことになるが,先に見たとおり支給対象者が孫である場合には施行
令 3 条の 10 の推定力は弱いものといわざるを得ない。
」Xの世帯の「収入や資産の状況に
照らすと,亡Aの死亡当時にXの生計を維持する立場にあったのは父Bであるというべき
であり,その当時においてXが亡Aによって生計を維持していたものとはいい難い。
」
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解 説
1 遺族厚生年金は,厚生年金の被保険者等が死亡した場合に,その遺族の生活保障を目
的として支給される1。遺族の範囲は,生計維持要件を満たす配偶者,子,父母,孫又は祖
父母であり(法 59 条 1 項),子又は孫は一定年齢未満でなければならない2。さらに,この順
序の先順位者が遺族厚生年金の受給権を取得したときは,すべての後順位者は,遺族厚生年
金の受給権を受ける遺族とされない(同条 2 項)。したがって,本件のように孫の遺族厚生年
金受給権の有無が問題となるのは,死亡した被保険者等に配偶者,子又は父母が全くいない
か,いても生計維持要件を欠くために受給権を取得できない場合に限られる。
ただし,生計維持要件充足の要素である収入要件は年額 850 万円(部長通知)と相当高い
額に設定されており,他方,生計同一要件については,いずれの遺族も「住民票上同一世帯
に属しているとき」にこれを満たす(本件通知)とされていることから,被保険者等である祖
父母と遺族である孫とが同一世帯(いわゆる三世代世帯)にあれば,孫が施行令 3 条の 10 所
定の生計維持要件を満たすのは難しくないといえる3。
本件においても,Xが収入要件及び生計同一要件を充足していることは明らかである(判
旨3参照)
。しかし,本判決は,施行令 3 条の 10 において生計維持要件を判断する際の要素
とはされていない父の資力等の事情を考慮して,Xの遺族厚生年金受給権を否定したもの
である。
2 判旨1は,民法上の親族扶養義務の解釈において,夫婦間と親子間における生計維持
義務が他の親族間のそれと比べて重いものとされることに触れ,このような価値判断は遺
族厚生年金の支給対象者の生計維持関係の解釈にあたっても前提とすべきと判示している。
そのうえで,判旨2において,①法 59 条 4 項の委任を受けて生計維持要件を定めた施行令
3 条の 10 の規定については,収入要件と生計同一要件の二つを満たす場合に生計維持関係
があるものと「推定する」趣旨のものと解し(判旨2(1)),②この推定は,判旨1の価値判断
に従えば,相互の経済的依存関係が密接かつ継続的な配偶者間において合理的なものとい
えるが(判旨2(2)),③そうではない祖父母・孫間においては不合理であり,
「当該孫の父母
の資力等の諸事情のいかんにより,その推定は覆される」
(判旨2(3)),と判示している。
この判旨については,以下の疑問が生じる。まず,民法上,夫婦・親子間の扶養義務(生
活保持義務)を他の親族のそれ(生活扶助義務)に比べて重いものと解すべきと理解されている
はそのとおりであり,遺族厚生年金を受給できる順位が配偶者,子,父母,孫又は祖父母と
されていることからすれば,その先後の判断に民法上の価値判断と同様の考え方が反映さ
れているということはできよう。しかし,形式的な要件充足をもって事実関係を認定する趣
旨は,判旨も述べるように,多数の請求を一律かつ迅速に処理するためであり,そのような
1
「遺族厚生年金は,被保険者等の死亡に際して,これによる稼働能力の喪失をその拠出の程度に応じた保険給付に
よって補塡し,被保険者等の稼働によって生計を維持していた遺族の生活保障を目的とするものということができ
る。
」(東京高判平 15・10・23 訟月 50 巻 5 号 1613 頁)
2
子又は孫は,18 歳に達する日以後の最初の 3 月 31 日までの間にあるか,又は 20 歳未満で所定の障害の状態にあ
り,かつ婚姻していないものをいう(法 59 条 1 項 2 号)
。
3
もっとも,厚生労働省「平成 26 年国民生活基礎調査の概況」によると,65 歳以上の者のいる世帯(全 2357 万 2 千
世帯)に占める三世代世帯の割合は 13.2%(311 万 7 千世帯)であり,多数を占めるものではない。
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処理を行うことに合理性が認められるものである。にもかかわらず,判旨によれば,配偶者
間(そしておそらく親子間)以外の例については,法の基にある価値に立ち返って判断すべき
ことになるため,上記の合理性を失わせるおそれなしとはいえないように思われる。
次に,判旨は施行令 3 条の 10 を推定規定と解するが,同条の文言上そのような規定とし
て読むことはできず,また,推定であれば,反証を挙げれば法的効果は生じないため,受給
権の法的安定性を欠くことになるが,それでよいのかという疑問がある。生計維持関係の認
定は,遺族厚生年金等の受給権を裁定4するためのものであり,講学上の確認行為にあたる
ものと解され,その性質上羈束された行為であるところ,施行令 3 条の 10 を推定規定と解
することは,認定のこのような性質と抵触しないのか疑問が残る。
なお,判旨は,施行令 3 条の 10 を推定規定と解することを基礎づける趣旨であろうが,
同条「所定の要件を満たした場合であっても,他の事情のいかんによっては,法 59 条 1 項
の定める生計維持要件を満たさない場合もあり得るところ,…本件通知の定めるところに
よれば生計維持関係があるものと認定できる場合であっても,その『認定を行うことが実態
と著しく懸け離れたものとなり,かつ社会通念上妥当性を欠くこととなる場合には』この限
りでないとしているのは,かかる観点から理解し得るものといえる。」
(判旨への引用は省略し
た。
)と判示している。しかし,本件通知のこの一般的な訓示により,法令に定める要件が変
更されたり,加重されたりする余地が生じるとは解されない。
また,判旨は,
「孫が支給対象者である場合については,施行令 3 条の 10 は,法 59 条 4
項の委任の範囲を逸脱したものといわざるを得ないのではないかとも考えられる」とも述
べている(判旨2(3)第二文)。しかし,施行令 3 条の 10 の規定をXの生計維持関係の認定に
適用しても,Xの受給権が制限を受けるというわけではない(むしろ生計維持関係ありとなりX
の利益となる)から,
「委任の範囲を逸脱した」という前提を欠くと思われる。
3 以上のとおり,判旨の理由付けは疑問が残るものである。とはいえ,実際問題として,
父母に生計維持される孫に対しても,祖父母との間で収入要件と生計維持要件さえ満たし
ていれば,その死亡により生じる遺族厚生年金を支給すべきかというと,それも直ちには首
肯しがたい。
本件のような取扱いを解釈により正当化するのは困難であるように思われる5。判旨も「X
が,…施行令 3 条の 10 や本件通知の定めに照らして生計維持要件が充足されていると考え
たのも無理からぬように思われる」
(判旨への引用は省略した。
)と述べており,法令改正による
解決が望まれる。
(2015 年 10 月 8 日掲載・同月 13 日加筆修正)
4
年金受給権の裁定について,最三小判平 7・11・7 民集 49 巻 9 号 1829 頁(木村訴訟)は,旧社会保険庁長官(現在
は厚生労働大臣)による年金受給権の裁定について「画一公平な処理により無用の紛争を防止し,給付の法的確実性を
担保するため,その権利の発生要件の存否や金額等につき…公権的に確認するのが相当であるとの見地から,基本権た
る受給権について,…裁定を受けて初めて年金の支給が可能となる旨を明らかにしたもの」と判示している。
5
あえていえば,実際は他者に生計維持される者が,被保険者等に生計維持されていたとしてなした遺族厚生年金受
給権の裁定請求を権利濫用と評価することは可能であろう。
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