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熊本大学学術リポジトリ
Kumamoto University Repository System
Title
中国・四国の地質有名地を訪ねて
Author(s)
田村, 実
Citation
熊本地学会誌, 50: 10-12
Issue date
1975-11
Type
Departmental Bulletin Paper
URL
http://hdl.handle.net/2298/27964
Right
中国・四国の地質有名地を訪ねて
熊本大学教育学部田村実
まえがき
泊)、夜久野附近(化石採集)一天の橋立一
との夏は自動車を使って四国と中国(一部
夜久野(第4日泊)、夜久野一鳥取(砂丘見
近畿)へ、主として化石採集に出かけた。四
学と第三紀アムシウム化石採集)一玉造(第
国の旅行には小国中学の森下吉郎君と日奈久
5日泊)、玉造一出雲大社一浜田一津和野一
小の宮田陽一君が同行し、中国旅行には飽田
山口(中国自動車道・九州縦貫道経由)−熊
西小の河上強君と岩野小学校の中村富人君が
本、の巡路で、他にもいろいろと見学した。
同行し岡山から熱海の初島小の津留君が合流
将来会員各位が旅行され;る時の参考にたれば
した。化石採集が主目的であるが、途中に古
と思いスケジュールを示した。
来地質学的に有名左場所があり、これらの地
を訪れることが出来たので、写真を添えて簡
足摺岬(写真1,2)
単に紹介する。なお四国旅行は熊本一佐伯一
足摺岬は足摺国定公園に指定され、太平洋
宿毛、足摺岬(第1日泊)、足摺岬一高知
に臨む断崖 で有名で岬の突端には燈台がある
(化石館で仕事後、竜河洞へ)(第2日泊)
(写真1)。岬のつけ根にある土佐清水市fの
高知一越知(白亜紀化石(御所浦層群と略同
西方には竜串のサンゴ博物館や、海中展望塔
時代の宮ノ原砂岩より)(第3日高矢舶)、
があり、附近の海岸にはripplemark
高知一宿毛一個白一高千穂(第4日泊)、高
や堆積構造、侵食地形がみられる。足摺岬附
千穂−上村(三畳紀の化石採集)一熊本のス
近の花樹岩類は四万十Jl保層群に貫入した花
ケジュールで行った。中国旅行は熊本一縦貫
閥閃緑岩から桃色花間岩に至るまで変化に富
道、中国自動車道経由一山ロー広島(第1日
むが、閃長岩もある.この附近には海岸段丘
泊)、広島一福山一地頭(三畳紀のモノチス
化石採集)一大賀押かぶせ見学、岡山(第2
の発
は分布が狭く、150∼180mの平担面を
日泊)、岡山一福本(三畳紀化石採集)一養
占め、清水附近では60∼160mに低下す
父町御赦山(同左)、京都府夜久野(第3日
る。中段は分布が最も広く、足摺岬の燈台や
−10−
ようで:、3段が認められ、上段
国民宿舎等の旅館がたっている平担面で(写
る。古砂丘にくらべ新砂丘の砂粒経は大きい。
真2)、下段は海面からわずかの距離で足摺
新砂丘も黒褐色砂層により古い方のIと新し
岬では10mの高さをもつが東北方では海面
いIに分けられている。この黒褐色蝿から
の高さという。このように段丘面が高さで或
は古噴およびそれ以前の考古学的遺物が出土
幅をもって分布するのは、隆起をおこした地殻
している。写真5および6は何れも最も新し
運動が場所により隆起量を異にするためである。
い砂丘で観光客のいくところである。写真の
上方が北で海になっている。砂丘は古いもの
高知市の東方で高知平野が山地に移るとこ
程内側に分布している。砂丘は海岸に平行し
て2列に配列し、海岸よりのものが活発に成
ろに三宝山(香美郡野市町)がある(写真3
長し移動している。古噴時代以後の新砂丘I
は南方より三宝山(左端)、ホシクイ山(中
の厚さは大で、その埋由はよくわかっていな
三宝山(写真3,4)
央)を含む)。山上には中世のオトギの国を
い。海岸よりの砂丘は現在でも70α"/年の
思わせるようなホテルがたち、三宝山からホ
厚さで堆積しているところがある。以上の結
シクイ山(写真4)を通って石灰岩洞で有名
果は鳥取大学学芸学部研究報告16巻1号掲
な土佐山田市の竜河洞へ通ずる有料自動車道
載の豊島回赤木;鳥取砂丘の形成についてよ
がある。三宝山には石灰岩が分布し、従来二
り得た。
畳紀の化石の他に三畳紀のカーニアンを示す
大賀押被を(写真7#8
化石が報告されていた。これらの地層は:南の
四万十層群に衝上(仏像線)し、二畳紀一三
岡山県川上郡川上町。:成羽町にば三畳紀後
畳紀の沖合相を示すと考えられていた。これ
期の成羽層群が分布し、産出する植物化石と
ら地層の延長は九州では神瀬帯にのび、仏像
モノチス化石の上から有名である。この川上
線は九州では大阪間構造線とよばれている。
町の西部に大賀があり大賀の押被せで有名で、
九州でもこの地帯に石灰岩が多く、球泉洞も
国の天然記念物に指定されている(写真7)。
この地帯に属する。最近有料道路の建設で三
写真8は西方から大賀のクリツペをみたもの
宝山のすぐ隣のホシクイ山から三畳紀カーニ
で左の釣鐘状の山は古生代の石灰岩でその右
ックの豊富な貝化石が高知市の県立博物館の
下を川が流れ、その石の台地状山地とこの釣
平田茂留により発見された.又この近くの吉‘
鐘状の山は北からの衝上運動による横移岩塊
次という所では従来日本には産しなかった
であって、釣鐘山の左にも又台地状の山の下
Costatoriagoldfussiというラ
にも成羽層群が分布し、写真の裏ではかって
ディニックのミオフォリヤが報告され、熊本
仁賀炭鉱が成羽層群中の無煙炭を採掘してい
県でも球磨村の大河内で人吉の宮原哲夫氏が
た。この衝上運動は1924年頃に小沢儀明
この化石群を発見し、私が古生物学的な銀告
氏が発見し、秋吉台の石灰岩等と共に造山運
を ;している。
動により北方からの横移岩塊の一部と考えた。
古生層上に成羽層群が衝上し、それらを白亜
‐”
鳥取砂丘(写真5,6)
紀の硯石層群‘:(関門層群)が不整合でおおう
鳥取砂丘は大山噴出と考えられるローム層
が、硯石層群上に古生層が直接に衝上してい
により、古砂丘と新砂丘にわけられる。この
る所もこの地域にあり、衝上運動は最近の研
ローム層の年代はC必法により帝約3万年とい
究結果では一時期ではないと思われる。叉、
われている。古砂丘の表面は著しく風化ルて
古生層が北方からの横移岩塊ということにつ
いて両者の堆積間の長かったことを示してい
いても一部で疑問がもたれている。
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…鳴癖議華…
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