『愛別離苦』

第十四回
十五回建長寺法話大会
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平成二十六年六月二十日
『愛別離苦』を語る
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二十一日・十一月一日
布教法話文集②
刊行建長寺派布教師会
はじめに
毎週土曜日になると、建長寺の一二門から和尚さんの法話の声が聞こえてきます
平成十二年の一月一日から始まった土曜法話の会は、今、二十余名の布教師
に十五分の法話を雨の日も雪の日も十一時と十三時に休むことなく、続けて
そこから、法話大会が生まれ、そしてこの法話集が出来上がりました。
小さな歩みが、かわいらしい果実、また花を咲かせてくれました。多くの方々に
の生の声を聞いて欲しくてこの冊子を発行しました。
です。
建長寺派宗務総長 高井正俊
小さなささやきが、大きなささやきになって、皆さんの心に届いてくれたら
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「はじめに」宗務総長
菅原義久
高井正俊
「愛別離苦」
「別離苦愛」
光明寺渡遁徹範
玉泉寺北村弘喜
栖足寺千葉兼如
「想う」
賓積寺石井訓広
能満寺松本隆行
「祈りの本質」 報恩寺伊藤賢山
「愛別離苦」
広済寺吉川征道
「別れとは生きている証拠」
「愛別離苦」向 上 庵 三 ツ 井 修 司
「愛別離苦」東際寺平本祥啓
贋済寺渡遜宗禅
「大切な人は傍にいる」
「愛別離苦」報国寺
次
「愛別離苦」
「愛別離苦」東学寺笠龍桂
「愛別離苦」満願寺永井宗直
「開山禅師の智慧」東学寺笠龍桂
「あなたの運勢を占いましょう」
康済寺渡漫宗悩伴
「現代社会に開山様の教えをどう説くか」
不確寺鎌田勝覚
「開山様と坐禅について」
報国寺菅原義功
「建長寺開山蘭渓道隆禅師(大島見禅師)
の教え」向上庵三ツ井修司
「大覚禅師坐禅論」
向上庵三ツ井宗泉
「あとがき」布教師会会長菅原義久
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日
「愛別離苦」
鎌倉市報国寺
人間釈尊の一生を通して、「愛別離苦」を理解して頂けたらと思います。
住職菅原義久
釈尊は釈迦族の王子として生まれました。幼少期は何不自由ない生活をしてきましたが
、
成長
して次第に外の世界に触れ、色々な苦に出会った事から出家を決意しました。(四門出遊)
その苦とは生きていく上で避ける事の出来ない四苦「生・老・病・死」と、それに加え、さら
に精神的な苦である「愛別離苦」「怨憎会苦」「求不得苦」「五陰盛苦」の四苦を加えた八苦です。
人間だからこそ考え、感じてしまう苦に対して、疑問を持ち修行に出られたのです。
釈尊は産まれた直後に実母を亡くしています。釈尊の出家には実母の死が大きな要因になった
と言われています。
いる状態の事を我々は暗闇と呼んでいます。
苦も同様で「苦」という実態がある訳ではなく、無知であったり、
迷いというものが苦しみを
苦しみは良く暗闇に例えられます。暗闇という物が実際に存在する訳ではなく、 光が不足して
mu
歳で家族や全ての物を捨て出家し、様々な苦行をした結果、極端な苦行は無駄であると膜想に
入り、お歳の時に菩提樹の下で大悟しました。
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作り出しているのです。暗闇は光が差せば一瞬で消えてしまう様に、苦も心が煩悩や迷いを捨て
る事、が出来れば簡単に消し去る事が出来るのです。
四苦八苦の中でも特に愛別離苦(愛する人との別れ)は最も多くの人が直面する苦でしょう。
愛する人との別れは辛く、苦しく、受入れがたいものです。しかし乗り越えるには受け入れる
しかないのです。その一助として釈尊最後の一言葉をご紹介します。
クシナガラの地で入滅する時、周りの弟子達は嘆き悲しみました
そ。
こで釈尊が言われた最後
の言葉は次の言葉でした。
「ア l ナンダよ、悲しむ事はない。全ての愛するもの、 好むものであっても、いつかは必ず別
れ離れる。全てのものは移ろいゆく。まさに無常である。 受け入れて、怠る事なく修行せよ。」
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「大切な人は傍にいる」
あきる野市庚済寺
住職渡漫宗禅
私たちは、愛する大切な人との死別を避けることはできません。それは仕方がないことだと分
つてはいても、二度と会えないと思うと悲しみはつのるばかりです。亡くなった人たちは、本当
にいなくなってしまったのでしょうか。
私たちは普段、身体こそが自分の全てだと思って生きていますが、肉体のみで人間が活動する
ことはできません。そこに生命が宿っているからこそ私たちは呼吸をし、心臓を動かし、二本の
足で立つことができるのです。
生命は、私たちの心として誰もが自覚できるものです。私たちは心によって生きています。心
で悲しいと思うから目から涙があふれ、心で嬉しいと思うから微笑みがこぼれます。心で何かを
したいと思うからこそ、私たちは自分の身体を使い日々様々なことをして生きているのです。
もしある時死んでしまったら、今までその身体を使ってこの世界で自己を表現していた生命、
そして心はいったい何処へ行ってしまうのでしょうか。
私たちが「死んだ」と言っているのは身体だけで、生命そのものに私たちが思っているような
死はありません。身体を使って生きてきた、目には見えない霊的な生命は死後も何らかのかたち
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で必ず生きています。
私たちの身体の目ではその姿が見えないだけ、身体の耳ではその声が聞こえないだけです。
一休宗純禅師は、こんな歌を詠まれました。
「今死んだ、どこへもゆかぬ、ここにおる。
尋ねはするな、ものは言わぬぞ。」
大切な人との別れの後に、心からそう信じることができるかが、私たちに問われています。
すぐ傍にいても、目には見えないし会話もできない、触れることもできません。でも、そうい
う霊的な姿となっただけで、大切な人はちゃんとそこにいるかもしれません。
フランスの作家、サン・テグジユベリの『星の主子さま』という不思議な物語を、皆さんもご
あなたの大切な人のもとに、あなたの心もあります。
かを伝えてくれるでしょう。
語りかけてみましょう。その時、大切な人はあなたの傍にそっと寄り添い、心を通してきっと何
もし、あなたの心が「きっとそうなんだ」とつぶやいたなら、心の目で見て、心の耳で聞いて
「心で見なくちゃ、ものごとは見えないってことさ。肝心なことは目に見えないんだよ。」
り物をあげるよ。」と言って、主子さまにこんな言葉を贈ります。
存じのことでしょう。その中で、王子さまと友達になったキツネが最後の別れの時に「秘密の贈
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「愛別離苦」
小田原市東際寺
住職平本祥啓
そもそも愛別離苦とは、愛する者と別れる苦しみという生きていくうえでの避けては
苦しみの一つです。しかし、この愛別離苦に限っていえば、その苦しみが大きいという
裏を返せばそれだけ幸せがあったと言えるのではないでしょうか。私がそのことを
じたのが、修行中の師匠である老師との別れでありました。
生前は晩年まで弟子の育成に尽力された方でありました。修行道場ではお釈迦様がロ
の言葉でありました。親の心子知らずとは申しますが、修行中は自分の事で精一杯。二
いう修行があります。一週間を一日と見立て、その間一切横になって寝ないという一
しい修行です。老師は癌を患われてなお、「1月の一番寒い時期にその修行を行う」と
れるほど、自身にも厳しく、どこまでも弟子の成長を想って下さる方でした。「ど
て下さい」と叱時激励をされる一方で「ここでの経験は外に出た時に絶対に役に立つか
かい言葉をかけて下さいました。ただのアメとムチではなく、その根底には我々修行僧
に溢れているのです。決して特別な言葉ではないのですが、当時の我々にはこれ以
ら坐禅をして、 8日の明けの明星を見てお悟りを開いたという故事になぞらえた、峨八大接心と
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水がきっくてふらふらのなか、七十近い老師も同じように三時に起床。暑いなか寒いなか慈悲に
満ちた心で育ててくれるからこそ、同じ言葉であっても大きく響いてきたのかと思います。そん
な老師の計報を受けた時には、自然と一挟が溢れ思い出が走馬灯のように駆け巡ってまいりました。
仏教の世界では、死後の世界を彼岸の世界と申します。これはお彼岸の彼岸、即ち悟りの世界、
仏様の世界を表すのですが、老師もまだまだ弟子の育成に努めていきたかったことと思います。
そのように志半ばでお亡くなりになられて仏様となった故人様方は、彼岸の世界より常日頃我々
を温かく見守って下さっていることと思います。
しかし我々は一年一一年と毎日を慌ただしく過ごしておりますと、なかなか故人の事を思い出す
機会も少なくなって参ります。そうした中で故人の徳を偲び、我々が生かされていることに感謝
する大事な行事が法事です。この法事の一周忌、三一回忌といった何回忌の「忌」という字は己の
考えております。
に対し、護寺興隆に努め目の前のことを一生懸命にやっていくことが仏恩に報いることになると
あったことと自覚しております。それでも「自信持ってやって結構です」と言って下さった老師
幹、子弟の紳は続いていくのではないかと思います。私もまた修行中は老師にとって悩みの種で
るのではないでしょうか。そのような関係があればたとえ住む世界は違えど、これからも家族の
の心の中では生き続け、生前の教えを改めて思い出すことで、亡くなってなお私達を導いて下さ
心と書きます。法事やお盆、お彼岸といった折を見て、故人の事を思い出す。そのことにより我々
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「愛別離苦」iお釈迦さまからの贈りもの 5
土浦市向上庵
副住職三ツ井修司
人間にとって絶対に避けられない別れの苦しみのことを「愛別離苦」(あいべつりく
す。大切な人との別れは悲しく、寂しいものです。特に二度と会えなくなる死の別
しみです。そして、どんな人も「愛別離苦」から逃げる術はありません。どんなに苦し
悲しみと共に生き る の で す 。
お釈迦様とお弟子さん達との別れは、どうだつたのでしょうか。絶対的な存在を
苦」で苦しむ弟子たちに、最後に残された教えは、現代を生きる私達にとって
のおくりもの」です。
l ルとの国境に近いカシアの町外
紀元前 544 年 2月日日。お釈迦様は、インド北東部でネパ
要約すると「仏教を学び、自分を信じて生きなさい」ということです。
『わすれられないおくりもの』(評論社/作ス|ザン・パ|レイ)という絵本が
oこ
)で
たせ
。私
らを灯とし、自らをよりどころとせよ。法を灯とし、法をよりど
ろしと
よなりに
りを開き、人々に教えを説かれたお釈迦様、が最後に遺した教え、その言葉は「自灯明
れのクシナガラで、バツダイ河の流れの音を聞きながら、沙羅双樹の下で最期を迎
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場するのは年老いたアナグマで、彼は誰からも好かれ、頼りにされていました。しかし、老齢ゆ
え死期が近いことを自覚していました。
ある晩、アナグマは愛用のゆり椅子に腰掛けて眠りにつき、そのまま息を引き取りました。彼
の死を知った皆はとても悲しみました。
時、が過ぎ春になると、残された者たちはアナグマの思い出を語りあいました。モグラはハサミ
の使い方を教わったと一言いました。カエルはスケートを。キツネはネクタイの結び方を。料理上
手と評判のウサギも最初はアナグマから料理を教わった。誰もがいろいろな形で何かを教わって
いた事に気付きました。最後の雪が消えた頃、アナグマの残してくれたものでみんなの哀しみも
癒されていきます。
そのものなのです。
愛別離苦の悲しみと、お釈迦様の教えと共に生きる私達の存在は、「お釈迦様からのおくりもの」
とが出来るのです。
て、命の尊さに感謝し、その恩に報いようと精一杯生きた時、己の境涯を本心から受け入れるこ
人は仏教を学び自分を信じて生きた時、本来備わっている清らかな心に気付かされます。そし
マと共に生きていることを実感し、精一杯生きることが出来るようになったのだと思います。
『わすれられないおくりもの』とは、アナグマが森のみんなに残した、心や体にしみついた、知
恵や工夫や技術だったのです。私は、残された動物たちは、そのことに気付いた時から、アナグ
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「別れとは生きている証拠」
伊勢原市広済寺
住職古川征道
「細く長くおそばのように」といいます。引越をするとき、これまでお世話になった人に
り、大みそかに振舞われますね。力があるという人は、短期で見切りをつけます。でも、失
多い。「細く長く」いい関係を築いていくのは、実は容易ではないのです。どちらがい
論はでません。十年とか二十年とかあとになってから、若い時に苦労を経験したことや
がたみが懐かしさとともにじわじわときいてくるのです。だから、多少、人生の途中で、逆
したり、コケたり、走ったり、寄り道するのはとてもいいことだと思うのです。
先日。九十二歳のおばあちゃんとこんな話をしました。
「いつもお元気 で う ら や ま し い で す ね 」
:EE周
--りがいなくなりすぎて:::息子や孫に
「そうかなあワ昔は長生きしたいと思ったけど
も世話を掛けるし、なんか長生きがいやになっちゃったんだよ」
いろんなお見送りで、人さまの動きをみていると、いろんなものを直感するようになるんです
まあ、そういわないでよ・:・と慰めたものの、あまりに図星なことでした。「それはそ
け止められる力はさすがは人生の先達だなと感心させられたものです。
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いろんなお別れがあり、いろんな声がまた聞こえてもくるのですね。
は声を伝えるもの。でも人をだましてお金を振り込ませることもできます。
人の関係も同じで、お互いの条件が合わないから、疎遠になる。喧嘩になる。離れていく。ど
うして、人間関係に悩むのだろう。
これはいまに始まったことでなく、有史以来のこと。別れは起こるもの・:。
じゃあどうするか。けんかしないことです。けんかするのはしかたがない。急所やとどめをさ
さないことです。じぶんがじぶんがと主張しすぎないことです。困難がおきていろいろ悩むのは
生きている証拠。ありがたく思いましょう。いろんな人と出会い、別れを経験して、うまくやっ
ていくことしかないでしょう。
「あのおじちゃんいいひとだったね」 といわれたときが、 そのひとが一 番のおとなになったと
きだと思います。
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まな便利なもの。役に立ち必要なものですが、条件ゃなにかが違って別のものになります。電話
がないものなのですね。実態があるようで、じつはない。これを仏教では空といいます。さまざ
成長期の日本では、物があることが豊かさや幸せの基準でした。でも、それが何なのか。答え
ゃないという。生活がつらい。人生がつらいという。なぜでしょう。
便所で、車だって持てる人は家族の人数分あり、ほしいものはいつでも手に入る。でも、豊かじ
日本は戦争でお父さんやおにいちゃんが兵隊さんにいくこともない。ほとんどの家が水洗のお
ね
「別離苦 1 愛」 i希望の別れ
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賀茂郡河津町栖足寺
住職千葉兼如
「人生は苦である」お釈迦様は説いておられます。一瞬、絶望的な響きでもありますし、出来れ
ば苦しみは味わいたくないものです。しかし、人生において避けては通れないのが訪れる苦しみ
で、少なからず皆に必ず訪れます。だからこそ苦諦を深くわきまえて、思い通りにならない人生
とどう向き合い、より明るく、より幸福に生きるかという事をお釈迦様は一不されたのではないで
しょうか。余談ですが、私の奥さんは甘い物が大好きで、「そんなに甘い物ばかり食べたら体に悪
いよ」と忠告すると、「人生は苦いから甘い物を沢山食べなきゃ」なんて言いますが・
ど、昨日今日とは恩はざりけり」という歌があるように、愛しい人との突然の別れには耐えがた
お釈迦さまが説かれた人生の苦。四苦八苦の中の愛別離苦。「会者定離ありとはかねて聞きしか
超えて行くことで道が開けて行くのではないでしょうか。
まり参考になりませんが、苦しみを避ける事を求めるのではなく、苦しみを受け入れて、それを
合に勝つという喜びをもたらしてくれたのです。補欠でしたけど:・:。私の野球部時代の話はあ
しみはどこかに飛んで行ってしまいます。苦しい練習は裏切りませんでした。苦しい練習が、試
私は学生の頃、野球部でした、練習が厳しく苦しくて、苦しくて、でも試合に勝っとそんな苦
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い苦しみがあります。
しかし、別れには色々な形があるのではないでしょうか。
先日、私のお寺でお葬式がありました。その際、施主様がこんなお話をしてくれました。
お母様は九十五歳の人生をまっとうし、安らかにご逝去されたのですが、母一人子一人という
状況ということもあり、施主の娘様が一人長年介護をされていました。正直、時には介護に疲れ
てしまった事もあったでしょう。
しかし、一生懸命最後まで添い遂げていらっしゃいました。そしてお別れの日、お母様のお顔
を見て舌ロいました。
「母が私にありがとうと言ってくれているようです」
があるから、会者定離ならば、一期一会で、別離の日まで出会いを大切に育んでゆきたい。
私たちは出会いと別れを繰り返して生きてゆきます。なぜひとに別れがあるか、それは出会い
苦愛になったのではないでしょうか。
とのお別れには会者定離では割り切れない耐えがたい深い悲しみがあるでしょう。しかしその光
景には、深い悲しみゃ今までの苦労を超えた思いが溢れていました。その時、愛別離苦が別離
「この様な母の安らかな顔を最後に見る事が出来、私は救われました」
「最後まで添い遂げる事が出来て、ほんとうに良かったです」と。もちろん、最愛のお母様
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「愛 別 離 苦 」 i 卒 業 式
i
青梅市玉泉寺
副住職北村弘喜
愛するものとの別れ。それに伴う苦しみを意味する愛別離苦。その愛には大きいからもの小さ
いまで様々な形があります。例えば、自分のお金がどんどん減っていく。手元から離れていく。
こんな事も愛別離苦の末端なのかもしれない、そんな風に思いました。しかし、この苦しみは乗
り越えることの出来る苦しみです。一生懸命働けば取り返す事も出来るし増やす事も出来ます。
どうしても取り戻すことの出来ない苦しみ。それは愛する人と死に別れることです。お釈迦様が
【苦しみが無くなるのではない。苦しみでなくなるのです。】
にこんな一言葉がありました。
建長寺『巨福』の表紙絵を描かれている方で、荒了寛さんという、天台宗の御住職の詩集の中
必ず去っていきます。これは避けられないことです。ではどうするか。
しみはございません。この世に生まれてきたからには生涯必ず誰かを愛します。そしてその人は
沢山の若い命が失われました。愛する我が子が突如としていなくなってしまった。こんな深い悲
説かれた四苦八苦の中でも最も苦しくて残酷でしょう。
記憶にも新しい韓国のセヲル号沈没事故では三百人という大勢の方が亡くなり、またそのうち
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その苦しみから卒業するために、私達は古くよりお葬式をあげてきました。お葬式には二つの
大きな意味がございます。一つには故人様の現世からの卒業式。二つには苦しみからの卒業式。
この二つのけじめがついて初めて告別、別れを告げる事が出来るのです。とは言っても、愛する
人を亡くした苦しみがすぐに苦しみでなくなることはありません。ですから四十九日聞かけて個
人と向き合い、しっかりお別れをするのです。苦しかった四十九日間、まさに四苦八苦した四十
九日の問、苦しみが苦しみでなくなるのを待っていたかのように、その日を持って故人の魂はお
釈迦様のいる浬繋の門にたどり着き、今度は私達を誰よりも見守ってくれる一番の存在になって
くれるのです。
愛する人と死に別れる苦しみは他人には計り知ることはできません。どんな適切な言葉も思い
ない。苦しみでなくなるのです。
苦しみが苦しみでなくなっていく為のけじめの日が卒業式であります。苦しみが無くなるのでは
わけではありません。彼岸を過ぎてからゆっくり訪れる春の温もり様に、その日から少しずつ、
卒業した小学生がすぐに学生服が似合うわけではありません。節分過ぎたらすぐに雪が融ける
卒業式とは心のけじめです。
式であり、四十九 日 忌 な の で す 。
なることもありません。ただ、しかし、苦しみから卒業することはできます。その卒業式がお葬
やりの行動も、その人を苦しみから救うことはできません。この世の中にいる限り苦しみが無く
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i
『愛別離苦」i「苦」を受け入れること
妙心寺派
足利市光明寺
住職渡遁徹範
仏教を開いたお釈迦様はご切皆苦」と仰っておられます。すべては、皆苦しみである
教ではその代表的な苦しみを「四苦八苦」という言葉で表します。「四苦」とは「生老
とで、生まれてきたこと。老いること。病むこと。そして、死ぬことです。さらに、今回のメイ
ンテ l マでもあります、どんなに愛する人とも別れる時が来ること(愛別離苦)、どんなに
人でも顔をあわせなければならないこと(怨憎会苦)、求めても思い通りにならないこと(
これほどまでに思い通りにならないことばかりなのでし
それにしてもど う し て こ の 世 の 中 は 、
と思います。
「自分の因。い通りにならない事」により、誰しも多かれ少なかれ苦しみを経験された事
りにならない」という事になるのではないでしょうか。
しかしながら、「すべてが皆苦しみである」と言われると、仏教はそんなにも悲しい教え
と恩われるかもしれませんが、仏教でいう「苦」とは、悲しい教えと言うよりは、「自分の
に加え「八苦」と 一 言 い ま す 。
苦)、人としての肉体・精神があるために生まれる苦しみ(五藩盛苦)の四つを、生老
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よ フ
P か。
それについて、お釈迦様の教えに「諸行無常」というものがございます。すべての存在、あら
ゆる現象は生じ、そして滅し、変化してやまないという事です。そして、その流れの中に私達も
存在していると量守フ事です。
つまり、すべてのものは移ろいゆく「諸行無常」であるがゆえに、思い通りにならないことが
多く「苦」を招いてしまうわけです。であれば、「諸行無常」を正しく認識し、「何事も自分の思
い通りにはならない」という「苦」を受け入れる事が大切ではないでしょうか。
ですが、受け取り方によると、「人生をあきらめましょう」と言っているように聞こえるかもし
れませんが、「あきらめる」という与一一回葉には「諦める」のほかに「明らめる」と書いて「物事の
情・理由をあきらかにする」という意味もございます。
でしょうか。
行無常」の中で生活している私たちの中にある「苦」も上手に受け入れる事ができるのではない
一呼吸、一呼吸、呼吸を調えて頂き、この詩の様に「今」を大切に生活する事ができれば、「諸
「今」大切なのは、かつてでもなく、これからでもない、一呼吸、一呼吸の今である。
最後に、仏教詩人であられます、坂村真民さんの「今」という詩をご紹介させて頂きます。
「人生を諦める」のではなく、仏の教えを正しく認識し「人生を明らめる」事、つまり、今為す
べき事、今自分にできる事を明らかにすれば、苦を受け入れる事に繋がるのではないでしょうか。
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「祈りの本質」
佐野市報恩寺
住職伊藤賢山
満開のアジサイが実に目に鮮やかな、梅雨の鎌倉にょうこそお越し下さいました。建長寺法話大会ス
ペシャル、本日はテ
iマとして愛別離苦という、この世における苦しみについてお話し致します。
お釈迦様はこの世に生まれた以上、絶対に避けることの出来ない八つの苦しみを四苦八苦と名付け、
その中の一つに愛する人、大切な人と、いつかは必ず別れなくてはならないという愛別離苦という苦しみ
について説かれました。
音様とは正式には観世音菩薩といい、世の音を観る、つまり世間の声を聴き、救いの手を差し伸べて下
さる仏様ということです。つまり、延命十句観音経というお経は、「観音様、観音様、どうか私たちの
さて、お釈迦様の教えに、延命十句観音経というお経がございます。観音経とは観音様への祈り、観
す。そのために皆さんの幸せを願いましょう。仏様に祈りましょう。祈りとは生きる力でございます。
仏教の目的はみんなが幸せであること。和尚とは、皆さんに安心を与えられる存在を目指しておりま
あり、祈りの本質であると思います。
と恩います。人が幸せになるために広く祈り方をお伝えし、導いて下さるのが仏教という仏様の教えで
私は苦しみがあるからこそ、少しでも人が幸せになれるようにと願いがあり、祈りがあるのではないか
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悩み苦しみをお救い下さい」というお経でございます。
仏教の歴史は約 2600 年にもなりますが、近年人々は多くの発明をし、便利になったがために仏様に
祈るというこし ι
が少なくなったように思います。しかし犯罪や争いは絶えません。どんなに科学が発達し
ても、心は置き去りです。
本当に人が幸せを感じるためには、人から愛されること。褒められること。人の役にたつこと。必要と
されること。この四つが不可欠だそうです。人は、自分一人を満足させようと思っても幸せにはなれま
ん。誰かに喜んでもらえると幸せを感じることができるものです。これとよく似たことで仏教には「慈悲
喜捨」という言葉がございます。
「慈」は慈しみ、思いやり、誰かに何かをしてあげたい。何かを差し上げたいと思う心です。
「悲」は悲しみです。誰かが悲しんでいるのを見て一緒に悲しむ心です。
「喜」は喜びです。嫉妬や憎しみの反対で、誰かが喜んでいるのを、共に喜ぶ心です。
出来ませんが、心を込めて皆様の幸せをお祈りいたします。
本日のテ 17である愛しい人との別れの苦しみ「愛別離苦」、この世に生まれた以上誰も避けることは
ないことも起こります。そんなとき、人間極限にはただただ手を合わせ、祈るばかりであるそうです。
生きているといろんなことが起こります。どれだけ科学を発達させても、どうにも避けることが出来
きちんと持てるようになると、まことの幸せということになると、お釈迦様は教えて下さっています。
最後に「捨」捨てるとありますが、これは何物にもかたよらない平等な平常心です。この穏やかな心を
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「想う」
伊勢原市能満寺
住職松本隆行
去年の施餓鬼会の前に、まだ一歳にならない猫が防犯カメラのライトに反応した。 次の日は、
中庭に姿を現し、ドックフードを与えたら食べだした。
それから飼う事になった猫に名前を付けて呼ぶと愛着が湧いてくる。
その猫が、先日網戸を開けていなくなっている事に気が付いた。中庭や川の土手などいろんな
所を探したが見当たらない。家族一同気を落とし言葉を失った。しばらくして何処に隠れていた
のか、猫は中庭で寛いでいる所を発見された。会えなくなって心苦しくなるのは人間の方ばかり
で、猫はけろっとしている事にその違いをまざまざと感じた。
万
4000
年以上前の事になるらしい。
l
ル洞窟で、ネアンデルタ l ル人の幼児の
人聞が人の死を感じて、花などを手向ける様になったのはいつの頃だろうか。一O
九年
六アメ
リカの考古学者 R. ソレツキ博士がイランのシヤニダ
2
埋葬に大量の花を供えていた事を発見したそうだ。
少なくとも
中国から日本に伝播した仏教では、儒教的な観点から、 また会えると想う事でその苦しみを和
らげて来たのだ。
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七夕の飾りは、お盆の支度だと言う事をこの年になって初めて知った。
織り姫と彦星の話は、七夕飾りになんの関係もない様だ。
それでも、お盆も織り姫、彦星も一年に一度再び会える事は同じだ。
供養は「如在」であると言われる。
居られた時と同じ様に一緒に時間を過ごすのである。
お婆ちゃんが好きな物は何であったろうか。おじいちゃんは、こんな時、なんと言っていただ
ろうか。
その想いによって人は癒されるのである。
声にならない声を聞いてもらったり、渡せない物をお供えしたり、そうする事によって苦しみ
を小さくして来たのである。
そう舌
これもいつか一戻戻つてくるかもしれないと、猫なりの配慮なのだろうか。
私も亡くなる時には、いつでも貴方の一元に戻ってくると言って死にたいものだ。
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「愛別離苦」 i亡き人と共に
100
i
伊豆の国市賓積寺
住職石井訓広
歳の天寿を全うした人を亡くした場合とでは、残される人の感じかたも違う
愛する人、大切な人との別れは、悲しみ、苦しみが伴うもの。
しかし、その悲しみ、苦しみは一人一人微妙に異っている。同じ別れでも、川歳の子供を亡く
した場合と、
はずである。
一概に、愛する人、大切な人をなくした後の心の変化を語ることは出来ないが、法事の時間を
通しての意味あいが、多くの人の心の変化を教えてくれる。
かなかった事を通して、感謝の気持ちもより深くなって行く。
し、時間経過とともに、心もだんだんと落ち着き、亡き人と同じ時を過ごせた喜びゃ、生前気付
げられなかったか、こうしてあ,ければ良かった」と後悔や自責の念に駆られることもある。し
現代に生きる我々も、大切な人が亡くなれば大いに混乱し、悲嘆にくれる。「もっと何かしてあ
大切な人を亡くした人々は、四十九日間大いに練られ、百日経って働突することを卒業し、一
年経って少しは落ち着きを取り戻し、三回忌をもって喪が明けると考えられた。
古来より、四十九日忌を大練忌、百か日忌を卒突忌、一周忌を小祥忌、三回忌を大祥忌と呼ぶ。
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仏教の大切な教えに慈悲というユ一言葉がある。
慈悲とは、相手の悲しみを我が悲しみと捉え、相手を慈しんで生きることである。しかし、相
手の悲しみを我が悲しみと捉えるには、自分自身にも悲しみの体験があってこそ、相手の悲しみ
に同感出来るのではないだろうか。
精神科医の神谷美恵子さんがこんなことをおっしゃっている。
「他をいとおしむ深さは、自分の経て来た悲しみの深さに比例する」
大切な人との別れと向き合うことが、自分の心を深めることに繋がってゆく。人間としての奥
OL
の話として、次の話が掲載されていた。
深さが磨かれることで、人を慈しんでゆくことが出来るようになるのではないだろうか。
ラジオで聞いた若い
ら寂しくはなかった。
父は働き者だった。
ヘクタールの水田と
2
ヘクタールの畑を耕して働いた。父親は村のため
年のは月、彼女はいつものように登校し、それを見送った父親は、 トラクターを運転し
3
畑に出た。
高校
父親を彼女は尊敬していた。親子二人の暮らしは温かさに満ちていた。
にも、行事や共同作業には骨身を惜しまず尽くし、時には村人の相談にも乗ってあげた。そんな
3
彼女の生家は代々の農家。もの心つく前に母を亡くしたが、父親に可愛がられて育てられたか
2
5
そこで悲劇が起こる。居眠り運転のトレーラーと父親のトラクターが衝突してしまう。
彼女は父親が収容された病院に駆けつけた。苦しい息の下から父親は切れ切れに言った。「これ
H
からはお前一人になる。すまんなあ・」そして、こう続けた。「いいか、これからは
おかげさま、
おかげさま μ と心で唱えて生きて行け。そうすると必ずみんなが助けてくれる。グおかげさま u
H
おかげさま H のお守りは、彼女を裏切らなかった。親切にしてくれる村人に
をお守りにして生きて行け」それが父の最期だった。
父からもらった
『心に響く小さな5 つの物語』(藤尾秀昭著)
その光が村人の心の光となり、さらに照り返して彼
彼女はいつも、「おかげさま」と心の中で手を合わせた。彼女のそんな姿に村人はどこまでも優し
かった。その優しさが彼女を助け、支えた。
父親の最期の言葉が彼女の心に光を灯し、
女の生きる力になった。
供養という字は、人と共に養うと書く。
亡き人と共に自己を養い、成長してゆくことが本来の供養の意味なのであろう。
彼女は、亡き父親と共に今を生き、亡き父親の教えと共に自己を成長させている。
亡き人と共に今を生きることが、亡き人への恩返しであり、我々にできる亡き人への供養なの
ではないだろうか。
26
「愛別離苦」
5おばあちゃんのいちご 5
小田原市東学寺
住職笠
みゃ喪失感で精神が落ち込みます。その時、この苦しみを癒すには、故人を知る人達が集って、
共に想い出を語り合い、供養の心を捧げるのが、残された人たちの心を癒す一番の行為だという
院ではなく自宅から見送ることができました。その母の葬儀の時、長女が読んでくれた弔辞を紹
見つかり、その時点で余命数か月と宣告されましたが、三年間頑張ってくれました。最期は、病
さて、昨年七月十八日にお寺の母が永眠いたしました。享年八十八才。亡くなる三年前に病が
にかなった智慧には感心させられると語っておられます。
のです。それが、通夜や葬儀です。しかも、五十日目頃にやって来る喪失感の苦しみに四十九日
法要が、さらに百日目頃の苦しみの波に百カ日忌(卒突忌)があり、亡くなって一年目二年目の一
周忌三回忌あたりまでの法要サイクルは、実に見事な遺族の心を癒すシステムで、先人古人の理
27
自衛隊の心理カウンセラーの下園壮太氏の説によれば、身近な人を亡くすと、誰でも深い悲し
の現場の一つが、葬儀です。
おける四苦八苦の苦しみの中でも、最も辛く悲しいものであると、私は思います。その愛別離苦
「愛別離苦」とは、愛おしい人とこの世で別れなくてはならない苦しみという意味で、人生に
龍
桂
介します。
「謹んで祖母の霊前に俸げます。おばあちゃん、長い間ありがとうございました。小さい頃
の想い出を振り返ってみると、しっかりとした、働き者の祖母の姿がまず目に浮かびます。
さんのお花を丁寧に育てたり、毎日お寺中の草むしりをしたりと、とてもまめな人でした。毎年
いちごを育てており、そのいちごで作ってくれたシャーベットは本当に美味しく、私にとって忘
れられない祖母の味でした。(中略)祖母は最期の時、夜遅く兄弟全員が揃うまで頑張って
した。そんな祖母の生き様を見て、私は本当に心が揺さぶられました。立派な祖母を、家族皆で
見送ることができてとてもよかったです。(中略)最後に、大好きなおばあちゃんの魂が、たく
んのお花と美味しいいちごに固まれた所へ届きますように。安らかにお眠り下さい。愛と感謝を
込めて。」(笠由 里 香 )
たいと願っています。
ました。家族であっても、毎日が一期一会です。この「いちご一会」を大切に日々精進していき
愛別離苦はとても苦しいものですが、死をみとり、葬儀を精一杯執り行うことによって、私ど
も家族は癒されました。そして、見返りを求めない祖母のいちごの布施は、確実に孫の心に残り
もののみが、相手 の 心 に 残 る の で す 。
この世で得たものは何一つ、あの世には持っていけません。唯一与えたもの、つまり布施した
伝道句に「人が死んだ後に残るのは得たものではなく、与えたものである」とあります。
28
「愛別離苦」3苦しみと共に生きる
1
横須賀市満願寺
住職永井宗直
「奏の河原地蔵菩薩和讃」ご存じでありましょうか。それは悲しい話。幼くして命を落とした子
どもたちの魂が旅をしてたどり着くという奏の河原の物語です。
「子どもらは親を慕って泣きながら、河原の石を集めて小さな手で石を積むのです。一重に積ん
では父のため、二つ積めれば母さんのためと祈ります。やがて日が暮れるとそこに地獄の鬼が出
てまいります。『おい、おまえらは何をしておる。裟婆に残っておるおまえらの父母は供養もせず、
明け暮れに悲しんで嘆いてばかりいる。子どもに死なれた、ああむごい、子どもを死なせた、あ
とだが、事実をはっきり見なくてはいけないということです。そして残された者は供養など、け
悲しいお話ですがこの話が一言わんとするのは、いつまでも嘆いてばかりいられない。悲しいこ
頼りにしておいで』とお地蔵さまは子どもらを抱きかかえ、やさしく撫でてくださるのです」
もらよ、命が短かったせいで冥土にきたのだね。これからは私が冥土の親になってやろう。私を
こにお地蔵さまがゆるぎ出でいらっしゃいまして、泣き叫ぶ子ども達を抱きあげ一言います。『子ど
むなよ』鬼は子どもらが積んだ石の塔を金棒ですべて打ち崩してしまうのです。その時です。そ
あ悲しい。と親が嘆けば嘆くだけお前たちは地獄で痛い苦しい自にあうのだぞ。いいかわしを恨
29
じめをつけ、そしてしっかり生きねばならない。ということを鬼は戒め、内省を促しているので
しょう。仏教はあくまで生きることを厳しく説きます。お釈迦様はこの世の苦のひとつに「愛別
離苦」と定義されました。人は愛する人といつかは離れなければならない苦しみがある。誰
等しく受け入れなければならないということです。
今まで仏教は苦しみから人を救い、どう悲しみを乗り越えるかだろうと思っていました。しか
し、それは間違いで、苦しみを無くすことではなく、なくならない苦しみしみと共に生きる智恵
をお釈迦様は説いておられるのだと思うようになりました。厳しい現実です。親の嘆く気持ちは
わかりますが、いつまでも泣いて、かわいそうだと被害者でいてはだめなのです。ある意味、世
の中は不公平な時がある。でもそれがどうしたと、困難に立ち向かってほしいと思います。
アメリカ詩人留・唱日目。。同はこう記します。「同じ風を受けていながらある船は東に進み
別の船は西に進む。行くべき道を決めるのは疾風(はやて)ではなく帆のかけ方なのだ(中略)
まり肝心なのは帆 の 張 り 方 な の だ 」
参考文献『読み解き般若心経』(伊藤比呂美著て『魂の構え』冨・ウイルコックス
見えぬことにとらわれ、考えてばかりいないで、先ず今できることをしてゆくことでしょうか。
「この秋は雨か嵐かしらねども今日のっとめに田草とるなり」(二宮尊徳)
り自分を頼りにして、帆を張って右に左に進んでまいりましょう。
無常の風は時としていつ吹き寄せるかわかりません。でも、これは運命の風ではない。しっか
30
平
成
一
十
六
年
秋
第
+
五
回
法
言吉
大
d2』
玄
よ
3
1
、
「開山禅師の智慧」
小田原市東学寺
住職笠
が多いのか、わずかなことで切れたり、怒りの感情のままに行動して、取り返しがつかない事態
を引き起こしてしまっています。
長寺の関山となられました。後に、建長寺での布教はいよいよ盛んとなりますが、やがて根も葉
海を渡って、日本にやって来られました。そして、鎌倉幕府第五代執権・北条時頼公の要請で建
建長寺関山・蘭渓道隆禅師は中国は宋の時代の渡来僧で、寛一克四年(一二四六年)三十三歳の時に
います。
その解容を、八百年前にお生まれになった、建長寺関山・蘭渓道隆禅師の智慧に学びたいと思
人生を歩むことができるのでしょうか。
では、どうすればこの「怒り」を娯め、平安な苦しみのない境地へとたど
32
り」という感情の負の連鎖があるのは間違いありません。現代社会はストレスが溜まっている人
トラブルから殺人に至る事件などが、老若男女を問わず発生しています。この原因の一端に「怒
ま間
た関
、 係の
今、いじめによる自殺や幼児虐待による未成年者の犠牲が相次いでいます。人
龍
桂
的ゆ
げんひごえんざいるざい
J
もない流言飛語による菟罪で、甲州(現在の山梨県)に流罪となられます。その、罪人として出立
ぶつでしにんにくぎようぞうおばりいか
される時に、多くの弟子たちに言われた言葉に、次のようなものがあります。
「仏弟子は忍辱行を第一、とする。人の憎悪や罵膏を受けても、決して眠りの心を起こしてはなら
ぬ。自ら棋れば、さらに他の眠りを増す。自他ともに軍配献を深めるだけである
ものは屈辱に耐え忍ぶことが一番の修行である。他人の悪口や罵膏艇置を
の心を起こしてはいけない。自分も怒れば、さらに他人の怒りも増幅し、自分も他人も共に罪深
ぐどうもしど
い悪い行いを深めるだけだ)と語り新鮫釦折、甲州の地に赴かれました。
ひろ
そして、禅師は、むしろこの流罪を喜び、「これ我が弘道の素なり」(これは私の布教の絶好の
きごううやま
機会である)と一言われ、地方の民衆に禅の教えを弘めることに精進されました。甲州の人々もま
た、禅師を、「仏日を観るが如く拝礼帰仰して」(仏様を拝むような気持ちで敬って)やまなかっ
たといわれています。お陰様で、いまだに甲州は山梨県に多くの建長寺派の寺が残っています。
この禅師の逸話にも明らかなように、「怒り」に対して「怒り」で対処したならば、さらに火に
「禅定」の大
油を注ぐが如くかえって悪い方へ、悪い方へと物事は進んで行ってしまうでしょう。「忍辱行が第
ごとのお言葉は、けだし至言であります
怒りは「平安な苦しみのない境地」を乱す感情です。 この怒りに対する処方婆に
切さを禅師は説いておられます。
33
例えば、「怒り」の感情をバケツの中の泥水とすると、ヵ
l
ッとなって怒っている時の心は、こ
の泥水をかき回したような状態です。その泥水も三十分や一時間の「禅定」、つまり静かに安定し
た状態で保っと、自然と怒りという泥は下に沈み、やがて水は透き通ってきます。この透き通っ
た水のよ刊な心が「智慧」で、この智慧で物事を判断すれば「たった二一一
互い気が和む」というような、正しい対処ができます。しかし、濁った泥水をかき回し続けてい
ては、一寸先も見えず、暴言や暴力などといった誤った行為を起こし、取り返しのつかない事に
なってしまうのです。また、禅師は『坐禅儀』の中で、「一座の坐禅は一座の仏なり、一日の坐禅
は一日の仏なり、一生の坐禅は一生の仏なり」と、語っておられます。これは、坐禅による「禅
定」の大切さを説かれており、慌ただしい日常の中でも、やすらぎの坐禅を続けていけば、やが
て穏やかで静かな心「禅定」が芽生えてくるというのです。
伝道句に、「苦しいとあせる。だが、それはどうにもならぬとわかれば、腰を落ち着けるよりほ
かにない。その時、苦しみの中に智慧が開けてくる」(伝道句集『風水泉』)とあります。
ているのです。ぜひ、実践したいものです。合掌。
長寺開山・蘭渓道隆禅師から、現代の私たちに「怒り」に対する処方筆の「智慧」を示して頂い
りを鎮め、平安な苦しみのない境地へと導いてくれるのです。そのように、遠く鎌倉時代より建
我々は、「怒り」の感情のままに行動してはいけません。「忍辱行」と「禅定」こそが、この怒
3
4
『あなたの運勢を占いましょう」
今日は平成二十六年の元日です。
あきる野市腐済寺
住職渡遜宗禅
新しい年を迎えると、何だかワクワクして「今年は何か良いことがあるといいな」と希望に胸
を膨らませます。カレンダーが新しいものに換わっただけで、まるですべてが改まったような気
分になるから不思議です。
建長寺の御開山、大覚禅師は、正月元旦に、修行僧たちを集めてこう言われました。
「いいかお前たち、新しい年がやって来たからといって何も無いぞ。旧い年が去って行ったから
自身を精一杯に生きるだけのことだ。と、大覚禅師は、私たちに伝えたかったのだと思います。
今日も明日も、本来まったく変わりはしない。何があっても何も無くても、その日その時の自分
ただ淡々と一日一日、一時一時が過ぎて往くというだけのこと。新しい年も旧い年も、昨日も
ました。
大覚禅師は、たとえ新年になったからといって何一つ変わりはしないぞと、キツパリと言われ
というだけのことだ。」
といって何も無いぞ。指を折って一つ二つと数えるように生きてきて、今朝がちょうど正月元旦
35
もしかすると私たちは、自分が勝手に思い込んで色付けした世界に囚われて右往左往している
のかもしれません。今のこの瞬間の「いのち」を、私たちは果して精一杯に生きていると言える
でしょうか。
ところで皆さんは、自分の人生に満足でしょうか。満足どころか、不満ばかりかもしれません。
私たちは、何か都合の悪いことがあると「他人が悪い」「政治が悪い」「世の中が悪い」などと
言って、すべては「人生のせい」ということにしてしまいます。
その一方で、自分を取り巻いている世界が「きっと何とかしてくれるだろう」と、どこかで人
3
6
生に期待しています。
けれども、自分を取り閉んでいるものが、自分を幸福にしたり不幸にしたりできるとしたら、
私たちは人生の言いなりになるしかありません。「どうか、いい人生でありますように」と期待を
込めて自分の人生にお願いすることしか私たちには出来ないのでしょうか。
では、そんな私たちの願いに廿合えて人生は何をしてくれるのでしょうか。
残念ながら人生は何もしてはくれません。人生に私たちの期待に応える義務など元々ないので
す。期待が大きいほど、私たちは欲求不満になるばかりです。
さて、正月元旦、大覚禅師は説法の最後に、修行僧たちを脱みつけて言われました。
「よおし、今日はお前たちの欲求不満だらけの『迷いの心』をワシが占ってやるぞ。」
そして、大覚禅師は手に持っていた大きな杖で「ド|ン」と大地を突いてこう言われたのです。
、一
「さあ、何もかも、ここにはっきりと顕れたぞ。しっかり目を開いて見てみろ。万事は大吉だ」
私たちが「ああでもないこうでもない」と、勝手に思い込んでいるだけの幻を「ストーン」と
消し去ってしまえば、そこには「吉」も「凶」も元々ありはしません。私たちを取り巻くこの世
界、自分自身の人生は一点の曇りさえない完墜な「大吉」としてそこに在ったのです。
たった今、目の前にある「大吉」そのものの人生を、グズグズしないでしっかりと掴んで生き
ろと、大覚禅師は教えて下さっているのです。
どうやら私たちは、大きな思い違いをしていたようです。
私たちが人生に期待をするということではなくて、人生の方が私たちに大きな期待をしている
のです。
「あなただけのこの人生を、あなたはいったいどんな風に生きてくれるのですか」
自分自身の人生に、自分がそれをどう生きるのかが問われているのです。だから、 人生に不平
不満を言ったところで、それはお門違いなのです。自分の人生をどう生きるかは、 自分だけにし
か答えられないのですから。
それは、 「感謝の心」「有難いという
あるがままの世界は、完全なる美しい世界としていつもそこにあります。 それは、 不平や不満
ばかりの心では決して見ることは出来ないでしょう。
あるがままの大吉の世界を見る心とはどんな心でしょう。
心」です。
37
私という「いのち」が今ここにいて、私の人生を経験する機会を与えられている
何と貴重で有難いことなのかという気付きです。
私たちの今の人生は、かけがえのないただ一度きりの経験です。それは、
のプレゼントです。
このプレゼントを喜んで受け取るならば、人生は何物にも替え難い宝物とし
でしょャフ。
私たち一人ひとりの全ての人生の出来事の中に、自分が見出すべき「宝物」
ているはずです。
38
「現代社会に開山様の教えをどう説くか」3西来庵禅とは
宮城県多賀城市不様寺
5
徒弟鎌田勝覚
建長寺僧堂内に「西来庵」という名前の建物があります。とても神聖な場所です。
この「西来庵」とは、開山様である「蘭渓道隆大覚禅師」が西の中国からはるばると、何の目
的をもって、日本へ来られたかということです。この「西来庵」の名前の由来は禅の教科書であ
る「無門関」第三十七番に
越州因僧問う如何是祖師西来意
州云庭前柏樹木子
福山は揮て松関を掩じず
に掲げられている掲示板に
の本質」とはなります。そこで閉山様は「禅の本質」を何と言ったかといいますと、建長寺三門
「禅仏教」は「中国仏教」なのです。それ故に、達磨大師を「祖師」と呼び「祖師西来意」は「禅
はインド仏教を基に、中国の孔子・老子・荘子等の思想を取り入れて、「禅仏教」を興したのです。
何の目的をもって、中国へ来られたかということです。組州和尚は「庭前柏樹子」と。達磨大師
もっとも有名な「禅問答」です。「祖師」とは達磨大師で、達磨大師が西のインドからはるばる、
3
9
無限の清風来って未だ未だ巳まず
越州の云う「庭前柏樹子」に相当する言葉は「無限の清風」と理解出来ます。また関山様はあ
るとき上堂説法で「諸悌の出身の処、薫風南より来たりて、殿閣微涼生ず」とも説いています。
ここでは「禅の本質」を「薫風」と言っている訳です。「無限の清風」は過去、現在、未来とつ
らぬく「無限の時間」と宇宙の輝きでの「笹川限の空間」を意味し、「薫風」とは「無限の時間と無
限の空間」の「今」「ここ」を意味します。
「薫風南より来りて、殿閣微涼生ず」は、唐時代の蘇東城集に載っている言葉です。
(唐の文宗皇帝)人は皆炎然を苦しむ我は夏日の長さを愛す
(柳公権)薫風南より来たり殿閣微涼を生ず
閉山様は「無限の清風」と「薫風」とで、無限の時間と空間の「今」「ここ」の自覚が「禅の本
蘇東壌は「禅者」である故に左遷を機に「投機の偏」を詩ったのです。
渓声便是広長舌山色豊非清浄身夜分八万四千偶他日如何挙似人
名な「無情説法」での「投機の偶」があります。
しく分けてやるのが、政治の姿ではないですかと。苦言を呈します。蘇東竣は「禅者」です。有
蘇東城は、皇帝に対して歯に衣着せずに薫風を一人占めしないで、今苦しんでいる民衆にも均
して清陰を四方に分かたんことを
(蘇東城)一たび居の為に移されて苦楽永く相忘る、願わくば一言わん、此の施しを均しく
4
0
質」であると解釈します。「無門関」第四十七番「兜率の三関」の備で「今」「ここ」の自覚が重
要であると一念普観無量劫利那に無限の時間を観ずれば無量劫事即如今無限の時間は今
にあり如今腕破箇一念今、この利那を見破るならば観破如今観底人見破る人を今、見破
れる。
「今」を生きることは本来を見据えて「今」を生きることであります。
私達の身体には二つの「いのち」があります。それは「今」を生きる「いのち」と、「未来」を
生きる「いのち」です。遺伝子のなかに組み込まれています。
現代の社会をみてみますと「今」を生きるに執着しすぎて、経済優先です。効率化です。その
ために地球は破壊の道を進んでいます。温暖化に伴う干ばつ、洪水、農地の疲弊、海は乱獲で枯
4
1
渇寸前です。東日本大震災での原子力発電の「人災」は計り知れません。人知を超えています。
科学は警告を発していますが、「今」を生きることに執着し過ぎています。
見るの目
未来との対話の目
今を生きる分別の目
慈悲の目
観の目
「未来のいのち」は「今」に抵抗出来ないのです。だから「今のいのへ
ちの
」自覚が大切なの
です。
よ
前〈
O'
{司、看の目
<
人間には「今」という「有限」を契機に「無限」を初備させる能力が
との対話です。このすばらしい「いのちの宝庫」地球を、「未来のいの
う。開山様は「笹川限の清風」と「薫風」で、「今のいのち」の大切さ
梅一 輪 一 輪 ほ ど の あ た た か さ 嵐 雪
「今」の梅一輸が、日本全体に「春」を呼んでいい
つま
ます
で。
もこうありたい。
42
「開山様と坐禅について」
800
鎌倉市報国寺
副住職菅原義功
年ということもありまして、開山様と坐
おはようございます。先ほどご紹介頂きました報国寺副住職菅原義功と申します。
今回は建長寺開山蘭渓道隆大覚禅師生誕
禅について、私の体験も交えてお話をさせて頂きたいと思います。
さて、大覚禅師は、中国の方です。中国で得度(お坊さんになる儀式)をされて、中国で修行
をされました。約初年修行をされて、印可(禅宗の教えを弟子に伝えても良いという許可)を受
けられました。その時に、まだ発展途上だった日本の禅宗をさらに広めるべく、日本にお越しに
なりました。
この本は、質疑応答形式になっていまして、当時の修行僧の質問に対して、非常に丁寧に答え
そして、当時の修行僧の為に、「大覚禅師坐禅論」という本を書かれました。
当時の建長寺は、お寺の中の行事や大覚禅師のお話は全て中国語で行われていたそうです。
このように禅を広める基礎を固められたわけです。
規則)も中国式の厳格なものを作られました。
時の権力者、北条時頼公に招かれて鎌倉にお越しになり、中国式の禅寺を造り、規矩(禅寺の
43
られています。
大覚禅師は、特に修行の中心に坐禅を据えられて、禅宗を鎌倉に広めていかれたわけです。こ
の坐禅が主に武士階級の人々から注目され、鎌倉に禅が定着していきました。
ではなぜこの坐禅の姿勢をとるかといいますと、この坐禅の体勢が、座った状態では一番安定
する姿勢だからです。
例えば、今皆さんは椅子に座っている状態です。前後には安定をしていると思いますが、左右
に重心がずれてしまった場合、バランスが崩れてしまうと思います。
坐禅の状態は、前後左右どこでも安定をしているわけです。
安定した姿勢で、安定した呼吸をすれば、安定した心が手に入るのではないか。
というのが、坐禅をする理由の一つです。
これを臨済宗では「調身調息調心」と言います。
では、安定した心ということは、どのようなイメージなのでしょうか?
大覚禅師は、坐禅論の中で、「坐禅を続けていくと、妄念の雲晴れて心性の月彰らか」とお
っしゃっています。
ふ川
M
私も去年まで京都で
5
年程修行しておりましたが、 残念ながら大覚禅師のおっしゃる様な状態
平たく言いますと、「雑念が全て消えて、きれいな月の様な心になる」という様な感じでしょう
4
4
には程遠い状態でした。
しかしながら、多少近いような経験をしたことはあります。
坐禅をしている状態で、修行もまだまだ未熟な状態ですから、色々と雑念が入ってきてしまう
ω分で一区切りになるのですが、刊分間ずーっと
わけです。足が痛いなぁとか、おなかがすいたなあとか、早く終わらないかなあとか色々と考え
てしまうわけです。しかし、坐禅というのは約
何かを考えているというのは、逆に非常に難しいと思います。
色々と雑念は入りますが、その雑念と雑念の聞にすこしずつ隙間が出来てくるというかんじで
しょうか。それが坐禅を続けていくことによって、段々広がっていく。
それがあるとき、 ω 分間寝ている訳ではないけれども、その初分聞がものすごく短くて、ぁ、
もう終わりか。もうちょっと座っていたいなぁと思える。
そういう状態になるときがあります。
これが坐禅の素晴らしい所の一つではないかと思います。
もう一つ、坐禅論のなかに「一株の木と成る」という部分があります。
読んで字の如くですが、木になりきって坐るということですね。
坐禅は基本的に毎日、禅堂というお堂の中で行いますが、扉は全て開けて行うのが一般的です。
当然のことですが、夏は暑く、冬は寒いです。
しかし、自然や季節というものをものすごく身近に感じられます。
45
現在の生活の中で、冷暖房のない静かなところで坐る。ということは非常に難しいと思います。
家にいれば、ご家族もいらっしゃいますし、電話やテレビもあります。
このような時にうまく坐禅を、坐禅会を使って頂けたらとおもいます。
最初は、今週1週間どうだつたかなつもしくは1月どうだつたかなっ・
来週、来月はどんなふうにしていこうか?
というような静かに考える時間に坐禅を当ててもよろしいのではないかとおもいます。
先ほども申しましたが、その考えと考えの聞が段々と広がって、本当の坐禅の状態にきっとな
ってくるとおもいます。
この坐禅の状態になった時、あるいはその後に思ったこと、考えた事というのは、こだわりの
ない自分らしい考えが出てくると思います。
是非坐禅の経験のある方は継続して、まだ経験のない方はお寺で体験してこの気持ちのいい時
間を味わって頂けたらと思います。
どうぞこの機会に、大覚禅師の勧められた「坐禅」に興味を持って頂ければと思います。
そして、坐禅をうまく使って頂いて、日々の生活に役立てて、参考にして頂ければと恩ってお
ります。
本日はどうもありがとうございました。
46
副住職三ツ井修司
「建長寺開山蘭漢道隆禅師(大量禅師)の教5え
建」
長汁(けんちん汁 )1
土浦市向上庵
(一二四六年)
建長寺の御開山様、蘭渓道隆禅師(大覚禅師)は中国出身の禅僧です。寛
4年
元
日本に渡って来られ、最先端であった大陸の仏教を日本に知らしめました。その際禅の教えと共
に様々な中国文化も日本全国に伝わりました。そのひとつに「建長汁」があります。料理をされ
る方は御存知かと思いますが、建長汁は野菜を油で妙めてから煮込みます。この油で妙めるとい
う手法は当時日本には無く、これも禅師のもたらした中国式であったと言えます。余談ですが建
いました。
法蓮草などです。元来、精進料理で使わずに捨ててしまうような野菜の皮や茎、根や葉を使って
一、一般的な材料は、大根、人参、里芋、蓮根、こんにゃく、ゴボウ、椎茸、豆腐、小松菜や
一、野菜を油で妙め、塩と醤油で味付けした豆腐の入った汁物です。
[建長汁の特徴]
うです。
長寺発祥の精進料理で「けんちょうじ汁」が詑って「けんちん汁」になったという説が有力だそ
47
一、中国料理の特徴的な手法、油で妙めることで風味や栄養価が増し、堅い野菜も比較的柔ら
かくなり食べやすくなります。当時、栄養不足の修行僧にとって油は大事な栄養源となりました。
一、精進料理なので、肉や魚、鰹だしは一切使いません。昆布だし、干し椎茸の戻し汁等で作
ります。
一、くずした豆腐を入れます。
開山様は、食事の支度をしていた修行僧が、不注意に地面に落としてしまった一豆腐を見て、両
手で丁寧に拾い上げ、水で洗い、汁物の中へ入れました。どんな食材も捨てずに使いきることの
大切さを教えたといいます。以来、建長寺の建長汁は、くずした豆腐を入れています。
て作る人は、食材の無駄を省き、食べる人の健康や成長を願い、心を込めて作ります。
食べる人は、仏道を成就する為に食材の尊さを重んじ、残さぬように頂きます。
800
750
年遠詩、平成初年には開山蘭渓道隆禅師の生
年法要を無事に厳修することが出来ました。皆様も是非一度は、鎌倉の建長寺にお参り
いただき、禅の教えを堪能してください。
誕
建長寺は、平成日年には開基北条時頼公の
目に見えないつながりという計り知れない恩恵の有り難さを、忘れないように心掛けましょう。
食材を大切にする心には、自分の命も、他の命も活かそうとする禅の心が込められています。
ことで、野菜や豆腐がお互いの味と調和し、奥深いひとつの味を作り出します。
このように一杯の建長汁には様々な工夫や教えが集約されています。材料を無駄なく使いきる
48
「大覚禅師坐禅論」
(本文読みくだし)
土浦市向上庵
住職三ツ井宗泉
[それ坐禅は大解脱の法門なり諸縁これより流出し高行これより通達す神通智慧の徳
この内より聞く諸併すでに此の門より出入し菩薩行じてすなわち此の門に入る二乗はな
お半途に在り外通行ずといえども正路に入らずおおよそ顕密の諸宗此の法を行ぜすして悌
道を成する者あらざるなり]。
(大意)私はこのように受けとめました。
皆さん坐禅は貧曝痴の三毒。むさぼる、いかる、わがまま、おろかな気を投げ出して、自分の
気持ちをはればれと、こだわりのない、とらわれのない、かたよりのない平静な心を体得するこ
とを本願として行ずるものです。
基本的には師や僧を求めて指導を受け、坐の姿勢、呼吸法、そして心、気持ちを陶治すること
への心得を受けるといいです。
大覚禅師はその時の人々に懇切丁寧にひとつひとつ分かり易く教えを示されました。
私達は身心の脱落を得て、自分自身を真の自由人となれるよう、そして常にいきいきと行動が
出来、心と体を以て体得する、本物の智慧を求め、禅定をめざして、坐禅にとりくんでください。
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「あとがき」
派内御尊宿方にはご清祥の事と拝察致します。
「愛別離苦」を語るを中心に、派内布教師ならびに他派のゲストもお迎えして、
この度、布教師会にて、本年行われました第十三固ならびに第十四回建長寺法話大会
テ 17
五分の法話を次々に行い、大いに熱弁を奮いました。
つきまして、そんな拙話集ではありますが、この度布教師会にでまとめ、簡単ではございます
が発行するに到りました。皆様の法財の一部としてご活用いただければ幸いです。
建長寺派布教師会会長 菅原義久
又、御意見等も遠慮なく布教師会にお寄せ下さい。お待ちしております。
ばと思っております。
今後も機をみて、皆様のお話しの参考になる様な資料を布教師会として発行させていただけれ
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人
十
『愛別離苦』を語る
平成二十七年六月発行
布教法話文集②
発
人
渡漫宗禅
画
鎌倉市山ノ内 8 電話 22 ・MM・2
建長寺派布教師会編集永井宗直
臨済宗建長寺派大本山建長寺
行
'"二
画
自
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