福島民友 15.3.17 警察官殉職 富岡で“津波被災のパトカー”展示 署員の志伝える象徴に 「町民のために命を懸けた警察官がいたことを忘れてはいけない」。富岡町は 16日、東日本大震災の津波で被災、震 災の記憶を伝える遺産として保全を進め てきた双葉署のパトカーを、同署北側の 岡内東児童公園に展示した。津波の爪痕 が生々しく残るパトカーが、震災の教訓 と署員の志を後世に伝える象徴として生 まれ変わった。 震災当時、同署の増子洋一警視=当時 (41)、2階級特進=と佐藤雄太警部補 =当時(24)、同=が住民の避難誘導の ためこのパトカーで出動し、津波に巻き 込まれた。増子警視は沖合で発見された 双葉署北側の公園に設置された津波被害に遭ったパ トカー=富岡町 が、佐藤さんは今も行方不明となっている。 同公園で行われた式典には宮本皓一町長、渡部敏久署長や署員、佐藤さんの 父安博さん(56)と母浩子さん(54)ら約50人が出席した。安博さんは 「パトカーが朽ちていく様子を見て寂しく感じていたが、保全が決まりうれし く思う」と話す一方、 「まだ雄太は見つかっていない」と言葉を詰まらせた。パ トカーのそばには佐藤さんへのメッセージを募るポストが設置されている。 河北新報 15.3.17 警察 パトカー <被災パトカー>勇気の印 洗浄終え公園に展示 移設展示されたパトカーの前で、行方不明の佐藤雄太さんの両親(右端)が花を手向けた 東日本大震災の津波で福島県警双葉署員2人が殉職したパトカーについて、 同県富岡町は16日、水洗い処理を終え町中心部の同署北側にある公園に移設 展示した。避難誘導中に殉職した2人の行動と、複合災害の記憶を伝える震災 遺産として保存する。 町内は福島第1原発事故で全域が避難区域。1月中旬、4年近く手付かずの まま沿岸部に残された車体を町内の整備工場に移動し、洗浄した。公園内に屋 根を設置し、祭壇とメッセージポストも移設した。パトカーは町民有志の保存 要望を受け、昨年12月に町が県警から譲り受けた。うん 当時乗務していたのは双葉署の増子洋一警視=当時(41)=と、佐藤雄太 警部補=同(24)=(ともに2階級特進)。2人は住民に避難を呼び掛ける最 中に車ごと津波にのまれたとみられる。増子さんは沖合で発見されたが、佐藤 さんは行方不明のままだ。 現地で式典が行われ、宮本皓一町長らが参列。佐藤雄太さんの両親も足を運 んだ。富岡地区安全運転管理者協会メンバーら住民が車体に防さび剤を塗りな がら、2人をしのんだ。 <被災パトカー>保存決まり「前に踏み出せた」 佐藤雄太さん(家族提供) 「皆さんの熱い思いでパトカーが保存され、うれしく思っています」 公園に移設されたパトカーの前に立ち、佐藤雄太さんの父安博さん(56) は地域住民や双葉署へ感謝の思いを述べた。 雄太さんはいまも行方不明。月命日前後には必ず妻の浩子さん(54)と訪 れ、無残な姿となったパトカーに向かって声を掛け続けた。津波で押しつぶさ れ、ハンドルがむき出しになった車体がさらに朽ちていく姿に、寂しさを募ら せていた。 両親を励まし続けたのは、町民や同僚からの手紙。パトカーの脇に小さなメ ッセージポストが設けられ、雄太さんの避難誘導に感謝を伝える手紙や名刺が、 500通以上寄せられた。負けず嫌いで、気立ての優しい警察官だった。 浩子さんは、防さび剤を黙々とパトカーに塗る地域住民たちの姿を眺めなが らつぶやいた。 「雄太は地域の方々に、かわいがっていただいたんでしょうね」 わが子が戻らぬ悲しみは癒えるはずもない。でも少しずつ前に進みたい。パ トカーの保存が決まり、安博さんは気持ちに変化が芽生えたのを感じた。 「まだ心の中は3月11日のまま。だけれど、皆さんの温かい気持ちのおか げで、きょうは半歩、いや一歩、少し前に踏み出すことができました」
© Copyright 2024 ExpyDoc