本編 - エリザベト音楽大学

平成 26 年度 博士学位論文
パウル・ヴィットゲンシュタイン
《左手のためのピアノ教則本》の研究
エリザベト音楽大学大学院
音楽研究科
博士後期課程 音楽専攻 器楽研究領域
小林 知世
(平成 21 年度 博士後期課程入学)
目次
凡例 ..........................................................................................................................................1
序論 ..........................................................................................................................................2
第 1 章 左手のためのピアノ作品の歴史 ...............................................................................7
第 1 節 18 世紀後半(最初期) ..............................................................................................8
第 2 節 19 世紀前半 ...........................................................................................................8
第 3 節 19 世紀後半 .........................................................................................................14
第 4 節 20 世紀前半からヴィットゲンシュタインの登場まで
....................................21
第 2 章 ヴィットゲンシュタインの生涯と作品 ..................................................................26
第 1 節 生涯
1. パウルの誕生からデビューまで .................................................................27
2. 戦傷による苦悩 ...........................................................................................28
3. 片腕のピアニストの誕生 ............................................................................30
4. 委嘱活動 ......................................................................................................30
5. その他の活動 ..............................................................................................31
6. アメリカでの生活と晩年 ............................................................................32
【表 1】パウル・ヴィットゲンシュタインの生涯年表 ..................................33
第 2 節 《左手のためのピアノ教則本》..........................................................................37
第 3 節 委嘱作品と献呈作品 ............................................................................................42
第 3 章 《左手のためのピアノ教則本》(全 3 巻)の内容構成 .............................................49
第 1 節 第 1 巻 .................................................................................................................50
第 2 節 第 2 巻 ...............................................................................................................136
第 3 節 第 3 巻 ...............................................................................................................160
第 4 章 左手のためのピアノ教則本の比較検討 ................................................................181
第 1 節 ヘルマン・ベーレンスのピアノ教則本.............................................................183
第 2 節 フェルディナンド・ボナミーチのピアノ教則本 ..............................................187
第 3 節 イジドール・フィリップのピアノ教則本 .........................................................204
第 4 節 4 人のピアノ教則本の比較検討 ........................................................................208
結論 ......................................................................................................................................213
参考文献 ..............................................................................................................................217
使用楽譜 ..............................................................................................................................218
参考資料 ..............................................................................................................................220
凡例
1.
音楽作品名には《
》、 曲 集 中 の 1 曲 に つ い て は 〈
2.
音楽雑誌名については『
3.
引用符については「
4.
補足的な説明や生没年などには(
5.
作品分析のため譜例を示す際には【譜
6.
表を示す際には【表
7.
人物名について初出の場合には原語を添える。2 度目以降は、略した姓のみ
〉を用いる。
』を用いる。
」を用いる。
)を 用 い る 。
】と記す。
】と記す。
で記す。
8.
音高表記については、ドイツ音名で記す。
例)
9.
C1
H1
C
H
c
h
c1
h1
c2
h2
c3
h3
調の表記について、長調はドイツ語の大文字、短調は小文字で表記し、調
性 の 箇 所 に つ い て は コ ロ ン (:)で 略 記 す る 。
例)
F:
f:
1
序論
一 般 的 に 、ピ ア ノ 曲 は 両 手 を 使 っ て 演 奏 す る も の が 大 半 を 占 め る 。幼 少 期 か
ら ピ ア ノ に 触 れ て き た 筆 者 に と っ て も 、そ れ は ご く 当 た り 前 の こ と と し て 特 に
意 識 す る こ と は な か っ た 。 あ る 日 、 日 本 人 ピ ア ニ ス ト で あ る 舘 野 泉 1 (1936-)が
病 に 倒 れ 、そ の 後 左 手 の ピ ア ニ ス ト と し て 再 起 し 活 動 し て い る こ と に 感 銘 を 受
け 、左 手 の た め に 書 か れ た 作 品 や 、そ の 背 景 に 強 い 関 心 を 持 っ た 。 楽 器 1 つ で
他 の 楽 器 の 領 域 を 網 羅 し 、 な お か つ 最 大 10 の 音 を 同 時 に 鳴 ら す 事 が で き る ピ
ア ノ は 、両 手 で 奏 し て こ そ 、そ の 幅 広 い 音 域 の も た ら す 効 果 を 発 揮 す る と さ れ
る 。 で は 、な ぜ 片 手 作 品 、 と り わ け 左 手 作 品 が 生 ま れ 、 発 展 を 遂 げ て き た の で
あろうか。
そ も そ も 諸 外 国 に お け る 「左 手 」と い う 名 称 の 裏 に は 、消 極 的 な 意 味 を 含 ん で
い る 言 語 2 が 多 い 。そ の た め 左 手 は 避 け ら れ る べ き 手 で あ る と さ れ 、右 手 を 利 き
腕 と す る 者 の 割 合 は 多 く 、 そ の 使 用 頻 度 や 能 力 に 差 を 生 じ て い る 。 ま た 、 18
世 紀 頃 の ク ラ ヴ ィ ー ア 作 品 の 特 徴 と し て 、 そ の 多 く は (上 声 部 と な る )右 手 に 旋
律 や 速 い パ ッ セ ー ジ を 置 き 、 (低 声 部 と な る )左 手 が 比 較 的 易 し い 分 散 和 音 や ア
ル ペ ッ ジ ョ の 伴 奏 型 と す る ア ル ベ ル テ ィ ・ バ ス (譜 1)な ど が 多 用 さ れ て い た た
め 、そ れ ら の 作 品 を 演 奏 す る 当 時 の ピ ア ニ ス ト の ほ と ん ど が 、左 右 の 手 の 技 術
に 差 が 生 じ て い た 。そ の 奏 者 の 専 門 的 技 術 を 向 上 さ せ る た め 、 さ ら に は 右 手 と
左手の技術のギャップを近づけるよう試みたものとして、左手のための訓練
Exercise と 練 習 曲 Etude、Study が 書 か れ る よ う に な っ た 。し か し 、「左 手 の た
め 」と 書 か れ た こ れ ら は 、 当 時 右 手 も 簡 易 的 に 添 え ら れ て い る 小 品 的 な 作 品 (練
習 曲 を 含 む )が ほ と ん ど で あ っ た 。や が て 左 手 の み の た め の 小 品 が 増 え 、そ の 数
年 後 に よ う や く 左 手 の み の た め の 「訓 練 」が 生 ま れ る こ と と な っ た 。
1
舘 野 泉 : 2002 年 フ ィ ン ラ ン ド・タ ン ペ レ で の リ サ イ タ ル の 途 中 に 脳 溢 血 で 倒 れ 、
そ の 後 遺 症 と し て 右 半 身 麻 痺 が 残 る 。2003 年 オ ウ ル ン サ ロ 音 楽 祭 で の 復 帰 リ
サイタルとして左手のためのピアノ曲を演奏したことがきっかけとなり、翌
年日本でも左手のための作品によるリサイタルを開くなど、この分野の普及
に努めている人物である。この活動が有名となり、最近では日本人作曲家の
吉 松 隆 (1953-) 、ノ ル ウ ェ ー の 作 曲 家 P.H.ノ ル ド グ レ ー ン P.H.Nordgren(1944-)
が、舘野に左手のための作品を献呈している。
2
左 手 を 意 味 す る フ ラ ン ス 語 の gauche、イ タ リ ア 語 の sinistra、英 語 の left は 、
形 容 詞 で 使 用 さ れ た 際 、ゆ が ん だ・曲 っ た・不 自 然 な・不 器 用 な (フ ラ ン ス 語
gauche)、 不 吉 な ・ 邪 悪 な ・ 不 幸 な (イ タ リ ア 語 sinistro)、 不 器 用 な ・ 疑 わ し
い ・ 曖 昧 な (英 語 left-handed)と い う 意 味 を も つ 。
2
【譜 1
W.A.モ ー ツ ァ ル ト : ピ ア ノ ソ ナ タ ハ 長 調 作 品 (K.)545 第 1 楽 章 よ り
第 1-4 小 節 】
アルベルティ・バスの例
片 手 の た め の 作 品 は 今 や 世 界 中 で 多 く 書 か れ て い る が 、左 手 の た め の 作 品 の
割 合 は 右 手 の た め の 作 品 と 比 べ る と 全 体 の 99 パ ー セ ン ト ほ ど に な る 3 。そ の 理
由 と し て 、ま ず 左 右 の 手 の 構 造 が 挙 げ ら れ る 。右 手 の み で 奏 す る 場 合 、強 い 指
と さ れ る 親 指 (以 後 第 1 指 )と 人 差 し 指 (第 2 指 )が 低 音 域 、弱 い 指 と さ れ る 薬 指 (第
4 指 )と 小 指 (第 5 指 )が 高 音 の 旋 律 部 分 を 担 当 す る こ と に な る 。 逆 に 、 左 手 の み
で 奏 す る 場 合 、高 音 域 に 強 い 指 で あ る 第 1 指 と 第 2 指 が 、低 音 域 を 第 4 指 と 第
5 指が主に担当する。要するに、旋律と他の声部を同時に奏する際 や、低音域
か ら 高 音 域 へ の ア ル ペ ッ ジ ョ を 奏 す る 際 な ど 、自 然 に バ ラ ン ス 良 く 和 音 を 鳴 ら
す こ と が で き る の は 手 の 構 造 上 か ら し て 左 手 な の で あ る (譜 2)。
左 手 の た め の 練 習 曲 を 数 多 く 書 い た 、 レ オ ポ ル ト ・ ゴ ド フ ス キ ー Leopold
Godowsky(1870-1938) は 、左 手 の 優 位 点 を 次 の よ う に 信 じ て い た と さ れ る 。1.(鍵
盤 の 上 に 手 を 置 い た 際 )自 然 に 強 い 指 が 上 声 部 の 位 置 に 置 か れ る 。2.日 常 生 活 に
お い て (左 手 は )右 手 ほ ど 使 用 さ れ る こ と が な い た め 、 安 全 で あ る 。 3.非 常 に 重
要 な 低 音 を 奏 す る た め の 左 手 は (ピ ア ノ に 向 か っ て 座 っ た 際 に 自 然 と )適 し た 位
置 に あ る 4。
【 譜 2: ハ 長 調 の 1 オ ク タ ー ヴ ア ル ペ ッ ジ ョ 、 密 集 和 音 を 押 さ え た 場 合 】
左手のための作品の発展とその背景にはピアノという楽器の発展も大きく
3
4
cf. Raymond Lewenthal. Piano Music for One Hand: A collection of Studies,
Exercises and Pieces. New York: G.Schirmer, 1972. p.ⅲ [Preface]
T.Edel. Piano Music for One Hand. p.8.
3
関 連 す る 。ヨ ハ ン・セ バ ス テ ィ ア ン・バ ッ ハ Johann Sebastian Bach(1685-1750)
時 代 の ク ラ ヴ ィ ー ア 音 楽 は 、サ ス テ イ ン ペ ダ ル を 用 い な い 楽 器 の た め に 書 か れ
て い る 。1790 年 か ら 1860 年 頃 に か け て 、ピ ア ノ は モ ー ツ ァ ル ト の 時 代 の 楽 器
か ら モ ダ ン ピ ア ノ に 至 る 劇 的 な 変 化 を 遂 げ 、打 弦 機 構 や 共 鳴 板 、ペ ダ ル な ど が
大 き く 変 化 し た 。ポ ー ラ ン ド 出 身 の ピ ア ニ ス ト で あ る ア ル ト ゥ ー ル ・ ル ー ビ ン
シ ュ タ イ ン Artur Rubinstein(1887-1982) は 、「ペ ダ ル は ピ ア ノ の 魂 だ 」と 述 べ て
い る 5 。今 日 の ピ ア ノ で バ ッ ハ の よ う な 対 位 法 音 楽 を 演 奏 す る 際 に は 音 を な め ら
か に つ な げ た い な ど の 理 由 か ら ペ ダ ル を 用 い る こ と も あ る が 、あ ま り 使 わ ず と
も 自 然 に 奏 す る こ と が で き る 。し か し 、片 手 作 品 に お い て は 特 に 広 音 域 に わ た
る 作 品 や 対 位 法 的 な 作 品 を 演 奏 す る 上 で 、ペ ダ ル の 技 術 は 最 も 欠 く こ と の で き
な い 機 能 で あ る 。そ う し た ピ ア ノ 構 造 の 発 展 も 片 手 作 品 の 発 展 に 大 き く 寄 与 す
る。
今 日 、左 手 の ピ ア ニ ス ト は 舘 野 の 他 に 世 界 中 で 見 受 け ら れ る 。ア メ リ カ の レ
オ ン ・ フ ラ イ シ ャ ー Leon Fleisher 6 (1928-) 、 カ ナ ダ の ラ ウ ル ・ ソ ー サ Raoul
Sosa 7 (1939-) な ど が い る が 、 彼 ら は 右 手 の け が や 麻 痺 な ど に よ っ て 右 手 の 使 用
が 困 難 に な っ た こ と か ら 左 手 の た め の 作 品 を 多 く 演 奏 し て い る 。そ れ ら の 活 動
の 契 機 と な っ た で あ ろ う 特 筆 す べ き 人 物 が 、本 論 文 で と り あ げ る パ ウ ル ・ヴ ィ
ッ ト ゲ ン シ ュ タ イ ン Paul Wittgenstein(1887-1963) で あ る 。 両 手 で デ ビ ュ ー し
た 翌 年 に 勃 発 し た 第 一 次 世 界 大 戦 中 に 負 傷 し 右 腕 を 失 っ た 彼 は 、そ れ 以 後 左 手
で 演 奏 す る こ と に 専 念 し 、両 手 で も 演 奏 の 難 し い 曲 を 弾 き こ な す 優 れ た 技 術 を
習 得 し た 。彼 は ヨ ー ロ ッ パ 各 国 で 大 き な 注 目 と 成 功 を 収 め 、左 手 の た め の 教 則
本 を 編 集 し 、当 時 の 著 名 な 作 曲 家 に 左 手 の た め の ピ ア ノ 作 品 を 委 嘱 し 、そ の 演
奏 者 と し て 広 く 知 ら れ る よ う に な っ た 。彼 の 功 績 は 、自 分 の 財 力 を も っ て 他 の
作 曲 家 に 作 品 委 嘱 を し て 左 手 の 作 品 を 普 及 さ せ た こ と 、そ し て 自 身 が 左 手 の ピ
アニストになるために用いたトレーニングを教則本として残していることで
あ る 。ハ ン デ ィ キ ャ ッ プ を 克 服 し 、左 手 の た め の ピ ア ノ 音 楽 活 動 に 多 大 な 貢 献
を し て い る こ と か ら 、彼 の 生 涯 、と り わ け 音 楽 生 活 に 焦 点 を あ て て 変 遷 を 辿 る
と と も に 、彼 が 出 版 し た 教 則 本 を 考 察 し 、さ ら に は 同 時 代 に 書 か れ た 他 の 作 曲
家 の 教 則 本 と の 比 較 検 討 を 通 し て 、彼 の 教 則 本 の 特 徴 と 、実 際 の 効 果 を 明 ら か
にすることを本論文の目的としたい。
5
Anton Rubinstein, Terasa Carreno. The Art of Piano Pedaling: Two Classic
Guides. New York: Courier Dover Publications, 200 3. p.ⅺ
6
L.フ ラ イ シ ャ ー : 1960 年 代 に 局 所 性 ジ ス ト ニ ア を 患 い 、 右 手 の 自 由 を 失 う 。
そ の 後 2000 年 に ボ ト ッ ク ス 法 と 呼 ば れ る 治 療 に よ り 右 手 が 完 治 す る ま で の
間、左手のピアニストとして活動した。
R.ソ ー サ : 転 倒 に よ り 右 手 の 神 経 を 損 傷 し 右 手 が 不 自 由 に な っ た た め 、現 在 は
左手のピアニストとして活躍している。
7
4
ヴィットゲンシュタインの教則本について書かれた先行研究としてコン・ウォ
ン ・ ヤ ン Kong, Won-Young の も の が 挙 げ ら れ る 8 。 し か し 、 こ の 文 献 に つ い て い
くつかの疑問が残る。まず、ヴィットゲンシュタインに至るまでに書かれた左手
作 品 に 関 す る こ と や 、そ の 変 遷 に つ い て の 記 述 が 簡 素 で あ る (左 手 の た め に 書 か れ
た作品については数曲取り上げられているが、中でも教則本について取り上げた
文献は見当たらなかったため、まずその変遷についても考察していく必要がある
も の と 思 わ れ る )。ま た 、3 冊 の 教 則 本 に つ い て 論 じ て あ る 項 目 で は 、第 3 巻 の 編
曲 集 に 論 点 を 置 い て い る も の の 、こ の 教 則 本 の 石 礎 で あ る 第 1 巻 に つ い て は 、数
点取り上げたのみでほとんど記述されていない。前述の通り、ヴィットゲンシュ
タイン自身が左手のピアニストになるために書かれた教則本であることから、第
1 巻である訓練集については、まだ考察すべき余地があるものと思われる。残り
の 第 2 巻 と 第 3 巻 に つ い て も 、原 曲 (ピ ア ノ 独 奏 作 品 、室 内 楽 作 品 、歌 劇 作 品 、声
楽 作 品 等 )と 、ヴ ィ ッ ト ゲ ン シ ュ タ イ ン に よ っ て 左 手 の た め に 編 曲 さ れ た 作 品 と の
比較検討が不十分である。そのような点から、筆者は彼の教則本から読み取れる
彼の編曲技法と演奏技法についてより具体的に見ていきたいと思う。
以 下 の 考 察 に お い て 、 ま ず 第 1 章 で は 、 シ オ ド ア ・ エ ー デ ル Theodore Edel 9 と
ド ナ ル ド・パ タ ー ソ ン Donaldo L.Patterson 10 の 先 行 研 究 で あ げ ら れ て い る 左 手 の
ために書かれた作品のリストを基に、最初期のものからヴィットゲンシュタイン
に至るまでの主要な作品を概観する。
第 2 章 で は 、ヴ ィ ッ ト ゲ ン シ ュ タ イ ン の 生 涯 に 詳 し く 触 れ た 後 、 彼 の 書 い た 教
則本を取り上げ、さらに彼によって委嘱された作品と彼に献呈された作品をリス
トにまとめる。
第 3 章 で は 、ヴ ィ ッ ト ゲ ン シ ュ タ イ ン の 教 則 本 に つ い て 注 目 し 、 各 巻 の 内 容 を
各々1 曲ずつ取り上げ、その編曲技法の検証を試みる。その中に他の作曲家によ
る左手のための同一編曲作品が存在する場合、それらと ヴィットゲンシュタイン
と の 編 曲 技 法 の 比 較 も 含 め る 。ま た 、第 2 巻 と 第 3 巻 で 指 示 さ れ て い る 演 奏 技 法
(運 指 、 ア ー テ ィ キ ュ レ ー シ ョ ン 、 ア ゴ ー ギ ク 、 ペ ダ リ ン グ 等 )に つ い て も 、 そ の
特徴を考察する。
8
Kong, Won-Young. “Paul Wittgenstein’s Transcriptions for Left Hand:
Pianistic Techniques and Performance Problems.” DMA Dissertation.
University of North Texas, 1999. 85p. (Xerox copy. Ann Arbor, Michigan,
University Microfilms International)
9
Edel,Theodore. Piano Music for One Hand. Bloomington and Indiana:
Indiana University Press, 1994. 136p.
10
Patterson, Donald L. One Handed: A Guide to Piano Music for One Hand.
Westport:Greenwood Press, 1999. 336p.
5
第 4 章 で は 、ま ず 左 手 の た め の 教 則 本 の 変 遷 を 追 い 、ヴ ィ ッ ト ゲ ン シ ュ タ イ ン
以前に書かれとりわけ彼の教則本に繋がっていく 3 人(ヘルマン・ベーレンス
Hermann Berens(1826-1880) 、 フ ェ ル デ ィ ナ ン ド ・ ボ ナ ミ ー チ Ferdinando
Bonamici(1827-1905) 、イ ジ ド ー ル・フ ィ リ ッ プ Isidor Philipp(1863-1958) )の 教
則 本 と 、ヴ ィ ッ ト ゲ ン シ ュ タ イ ン の 教 則 本 を 比 較 検 討 し 、彼 の 訓 練 集 や 練 習 曲 集 、
編曲集の特徴を見出す。
最 後 に 、彼 の 残 し た 教 則 本 の 各 巻 が 、難 易 度 や 技 巧 に お い て ど の よ う な 位 置 付
け に あ る の か 、そ し て 何 故 左 手 の た め の ピ ア ノ 作 品 を 委 嘱 す る こ と に な っ た の か 、
を明らかにしてみたい。
6
第1章
左手のためのピアノ作品の歴史
第1節
18 世 紀 後 期 (最 初 期 )
Th.エ ー デ ル と D.パ タ ー ソ ン の 先 行 研 究 で あ げ ら れ て い る 左 手 の た め に 書 か れ
た 作 品 リ ス ト を 基 に し て 、最 初 期 の も の か ら P.ヴ ィ ッ ト ゲ ン シ ュ タ イ ン の 誕 生 に
至 る ま で の 作 曲 家 を 数 え て み る と 、約 200 人 の 作 曲 家 に よ っ て 左 手 の た め の 作 品
が 生 み 出 さ れ て い た こ と が 分 か っ た 。第 1 章 で は 、左 手 の た め の 作 品 が ど の よ う
な目的で書かれ、発展を遂げているかを明らかにするために、それらの中で主要
な作品と作曲家数名に焦点をあて時代を追って見ていきたい。
ま ず 、最 初 期 の 作 品 で あ る が 、最 も 古 い 例 は カ ー ル・フ ィ リ ッ プ・エ マ ヌ エ ル ・
バ ッ ハ Carl Philipp Emanuel Bach (1714-1788)の も の で あ る 。 J.S.バ ッ ハ の 息 子
た ち の 中 で た だ ひ と り C.Ph.E.バ ッ ハ だ け が 左 利 き で 、 弦 楽 器 が 不 得 手 で あ っ た
ことから鍵盤楽器に傾倒したとされており、このことが作品着手のきっかけとな
った可能性がある。この《右手あるいは左手のみのためのクラヴィーア曲 作品
117-1 Klavierstück für die rechte order linke Hand allein 1 W117-1 》 は 1770 年 よ
り前に書かれており単純な単旋律で構成されているため、教育のための小品とい
う印象を受ける。作品の題名からも分かるように、この作品は左右どちらの手で
も奏することが可能とされる、現存する最古の片手作品である。
【 譜 1: C.Ph.E バ ッ ハ 《 右 手 あ る い は 左 手 の み の た め の ク ラ ヴ ィ ー ア 曲 作 品 117-1》
第 1-4 小 節 】
し か し な が ら 片 手 作 品 (と り わ け 左 手 の た め の 作 品 )は 、 こ の 後 し ば ら く 書 か れ
ることはなかった。
第2節
19 世 紀 前 半
「 左 手 の た め に 」と 明 確 に 記 述 し て あ り 現 在 確 認 で き る 最 初 期 の 作 品 と し て は 、
ド イ ツ の 作 曲 家・ピ ア ニ ス ト で あ る ル ー ド ヴ ィ ヒ・ベ ル ガ ー Ludwig Berger(17771839)が 1820 年 に 作 曲 し た 《 12 の 練 習 曲 作 品 12 12 Etudes op. 12 》 の 中 に 1 曲
1
作 品 の 原 語 名 に つ い て は 、ド ナ ル ド・パ タ ー ソ ン の 著 書 (序 論 p.5 の 注 10 参 照 )
に表記されたものを原則として採用する。
8
あ る (譜 2)。 1817 年 、 ベ ル ガ ー は 脳 卒 中 に か か り 、 麻 痺 で 右 手 が 動 か な く な っ た
ことが主な作曲の動機とみられるが、麻痺になったのちに書かれた左手のための
作 品 は 、 こ の 第 9 番 の み で あ る 。 C.Ph.E.バ ッ ハ の 作 品 と 比 較 す る と 、 50 年 ほ ど
の間ではあるが単旋律であったものが多声的になっており、それにより大譜表に
よって記譜されている。途中に短調の部分を含む三部形式で、曲は短く、初級程
度である。ベルガーと同様に、ピアニスト又は作曲家自身の右腕が麻痺、負傷な
どで不自由になることにより左手の作品に着手する作曲家がこれ以降次第に増え
ていく。
【譜 2:
L.ベ ル ガ ー 〈12 の 練 習 曲 作 品 12 第 9 番 (左 手 の た め に )〉第 1-5 小 節 】
ピアノ奏法において、左手の技術向上のための訓練は必要不可欠であり、左手
の 技 術 の 強 化 を 目 的 と し た 練 習 曲 は 、 ピ ア ノ (両 手 )作 品 の 誕 生 と 共 に 生 ま れ て い
る 。そ れ を 踏 ま え 、次 に 続 く も の と し て 練 習 曲 Study を 大 量 に 出 版 し た オ ー ス ト
リ ア の 著 名 な 作 曲 家 、 カ ー ル ・ チ ェ ル ニ ー Carl Czerny(1791-1857) の 〈 片 手 の た
め の 練 習 曲 イ 長 調 Etude for One Hand in A major(作 品 番 号 な し ) 〉 と 《 左 手 の み
の た め の 2 つ の 練 習 曲 作 品 735 2 Etudes 2 op. 735 》 (両 作 品 と も 作 曲 年 不 明 )が
挙 げ ら れ る (譜 3、 4、 5 参 照 )。 前 者 は C.Ph.E.バ ッ ハ と 同 様 に 一 段 譜 で 記 譜 さ れ
ており、右手でも左手でも奏することができるが、5 オクターヴを超える広音域
のスケールを軸に展開されている。後者は左手のための作品であり、へ音譜表で
記譜されているものの、低声部や高声部に旋律を伴う多声体奏法であり、5 オク
タ ー ヴ に 及 ぶ 広 音 域 の ス ケ ー ル や ア ル ペ ッ ジ ョ 、和 音 の 素 早 い 移 動 、ト リ ル な ど 、
様々な技術的要素が曲中に使用されている。これらには表情記号や速度の変更等
も指示され、技術の強化と同時に、小品的性格をもって書かれている。
2
パ タ ー ソ ン (Patterson, op.cit. p.78) で は 、Etudes で は な く Studies と な っ て い
る が 、エ ー デ ル (Edel, op.cit. p.50) や ニ ュ ー グ ロ ー ヴ (Mitchell, Alice L., “Czerny,
Carl” in the New Grove Dictionary of Music and Musicians , Edited by Stanley
Sadie. London: Macmillan, 1980, vol.5. p.140.) に 従 っ て Etudes を 採 用 し た 。
9
【譜 3: C.チ ェ ル ニ ー 〈 片 手 の た め の 練 習 曲 イ 長 調 〉 第 1 小 節 】
【譜 4: C.チ ェ ル ニ ー〈 左 手 の み の た め の 2 つ の 練 習 曲 作 品 735 第 1 番 〉第 7-9 小 節 】
【 譜 5: C.チ ェ ル ニ ー 〈 左 手 の み の た め の 2 つ の 練 習 曲 作 品 735 第 2 番 〉
第 7-9 小 節 】
チ ェ ル ニ ー は こ の 他 に 《 左 手 上 達 の た め の 10 の 大 練 習 曲 作 品 399 10 Grand
Studies for the Improvement of the Left Hand op.399 》、《 左 手 の た め の 24 の 易 し
い練習曲
24 Easy Studies for the Left Hand op.718 》、《 左 手 の た め の 新 教 本
Nouvelle école de la main gauche, op.861 》 (い づ れ も 作 曲 年 不 明 )の 3 つ を 出 版 し
て い る 3 。左 手 の た め に 、と 表 記 さ れ た 上 記 の 作 品 に つ い て は 両 手 作 品 で あ り な が
ら左手の技術に重点を置いたもので、基礎技術の向上を狙ったものとして書かれ
ている。
次に、ドイツの重要なピアノ教育者であるカール・ウィルヘルム・グロイリッ
ヒ Carl Wilhelm Greulich(1796-1837) の 作 品 を み て い き た い 。 彼 の 師 が L.ベ ル ガ
ーであり、彼の作品もベルガーと同様に大譜表で記譜されている点から、左手作
品 の ア イ デ ア を 尐 な か ら ず 受 け た も の と 考 え ら れ る 。《 12 の 訓 練 集 作 品 19
3
12
こ の 3 つ は 、エ ー デ ル 、パ タ ー ソ ン と も 掲 載 さ れ て い な い も の の 、ニ ュ ー グ ロ
ー ヴ に は 掲 載 さ れ て い た た め 、 そ の 表 記 に 従 っ た (Mitchell,op.cit., pp.140141)
10
Exercices op.19 》 は 、 1827 年 に 作 曲 さ れ 、 ヨ ハ ン ・ ネ ポ ム ク ・ フ ン メ ル Johan
Nepomuk Hummel (1778-1837)に 献 呈 さ れ た 。 そ の う ち 前 半 6 曲 が 第 1 巻 と し て
《左手上達のための 6 つの訓練集
6 Exercices pour Piano Forte afin de
perfectionner la main gauch 》 と な っ て お り 、 左 手 の み で 演 奏 で き る よ う 書 か れ
て い る 4 。 〈 第 1 番 室 内 練 習 曲 ホ 長 調 Chamber Study in E Major 5 〉 は 、 非 常 に
短 い 作 品 で 難 易 度 は 中 程 度 (譜 6)で あ り 、3 オ ク タ ー ヴ の 上 行 ス ケ ー ル や ア ル ペ ッ
ジョと、旋律を含んだ和音の多声体とでできている。
【 譜 6: 〈 第 1 番 (左 手 の み の た め の )室 内 練 習 曲 〉 第 1-9 小 節 】
〈第 2 番
練 習 曲 ロ 短 調 Study in B minor 6 〉も 短 い 作 品 で は あ る が 、半 音 階
や 10 度 の 跳 躍 を 含 む ア ル ペ ッ ジ ョ 、 ト リ ル な ど 技 術 的 要 素 を 多 く 取 り 入 れ て お
り、楽曲としてもかなり高度になっている。
4
5
6
こ の 作 品 は パ タ ー ソ ン に は 無 く 、 ル イ ・ ケ ー ラ ー Louis Köhler(1820-1886) の
《 左 手 の た め の 教 本 作 品 302 Schule der linken Hand op.302 》 (1881)と 、 レ
イ モ ン ド ・ レ ー ヴ ェ ン タ ー ル Raymond Lewenthal(1926 - 1988) の 《 片 手 の た
め の ピ ア ノ 音 楽 Piano Music for One Hand 》 (序 論 注 2 参 照 ) に 基 づ い て 、
3 曲のみがエーデルに練習曲として記載されている。しかし、筆者の入手し
た グ ロ イ リ ッ ヒ の《 12 の 訓 練 集 作 品 19》(1827 年 、ラ イ プ ツ ィ ヒ ペ ー タ ー
ス 社 刊 )は 全 2 巻 か ら な り 、 第 1 巻 が 左 手 の た め に (6 曲 )、 第 2 巻 が 右 手 の た
め に (6 曲 )と な っ て い る 。 本 論 文 で は 入 手 し た も の を 基 に 記 載 し て い る 。
エーデルにのみ記載されている題名。入手の楽譜には番号のみ。
注 5 と同様。
11
【 譜 7: 〈 第 2 番 (左 手 の み の た め の )練 習 曲 〉 第 1-7 小 節 】
〈 第 5 番 滑 ら か な 練 習 曲 嬰 ヘ 短 調 Velocity Study in F-sharp minor 7 〉 は 、 単
旋律で指を滑らかに運ぶことを目的とした練習曲である。短い作品であり、同じ
指使いによる類似した音型を繰り返しているが、徐々に音域が広げられているた
め、指間を伸張させる必要がある。難易度は中程度のものである。
【 譜 8: 〈 第 5 番
(左 手 の み の た め の )滑 ら か な 練 習 曲 〉 第 47-52 小 節 】
グ ロ イ リ ッ ヒ の 作 品 19 は 、 出 版 さ れ た 当 初 は 訓 練 集 と い う 名 が つ け ら れ て い
る も の の 、 左 手 の 技 術 向 上 を 図 る と 同 時 に 、 エ ー デ ル が 表 記 し た (小 品 的 な )練 習
曲の性格を伴うものであることが分かる。
7
前頁注 5 と同様。
12
フランスで最初に左手のための作品が生まれたのは、ピアニストで作曲家でも
あ っ た シ ャ ル ル ・ バ ラ ン タ ン ・ ア ル カ ン Charles Valentin Alkan(1813-1888) が 、
1838 年 に 書 い た《 3 つ の 大 練 習 曲 作 品 76
3 Grand Etudes op.76 》 の 第 1 番〈 フ
ァ ン タ ジ ー 変 イ 長 調 Fantaisie in A-flat 〉 (1838~1840 頃 ) で あ る 8 。 ア ル カ ン は 、
修道者であったため公の場では演奏しなかったものの非常に高い演奏技術を持っ
ており、ショパンやリストからも敬服されていた。また、非常に難易度も高く、
長いピアノ作品を書くことでも知られている。出版社によって異なるが、おおむ
ね 大 譜 表 で 記 譜 さ れ る 。 左 手 の み の 作 品 に お い て は 演 奏 時 間 が 圧 倒 的 に 長 く (約
10 分 )、 7 オ ク タ ー ヴ も の 広 音 域 を 使 用 し 、 高 速 の ト レ モ ロ や 重 圧 な 和 音 で の ア
ルペッジョなど高度な演奏技術を要するこの作品は、左手のための作品の中でも
最初のヴィルトゥオーゾ作品の 1 つに挙げられる。
【 譜 9:
Ch.V.ア ル カ ン〈 フ ァ ン タ ジ ー 変 イ 長 調 作 品 76 第 1 番 〉第 11-13 小 節 】
チェコとドイツでピアニストとして活躍した、アレクサンダー・ドライショク
Alexander Dreyschock(1818-1869) は 、次 の 2 つ の 作 品〈 左 手 の み の た め の 変 奏 曲
作 品 22 Variations, pour la main gauche seule op. 22 〉(1843)と〈《 女 王 陛 下 万 歳 》
に 基 づ く 左 手 の み の た め の 大 変 奏 曲 Grande Variation sur l‟Air “God Save the
Queen” pour la main gauche seule op.129 〉 (1854 前 )を 書 い た (譜 10)。 1850 年 代 、
左手の技巧を駆使した演奏により注目を浴びたピアニストが、このドライショク
である。彼は、当時人気であった歌劇作品を左手のみに編曲して自身で演奏し 、
8
第 1 番 は 「 左 手 の た め に 」、 第 2 番 が 「 右 手 の た め に 」 、 第 3 番 が 「 両 手 の た め
に」と記載されている。
13
聴 衆 に 妙 技 を 披 露 す る 事 に よ っ て 名 声 を 得 た 。そ の 50 年 ほ ど 後 に 、レ オ ポ ル ト ・
ゴ ド フ ス キ ー L.Godowsky 、ベ ラ・バ ル ト ー ク Béla Bartók な ど が ピ ア ニ ス ト と し
てデビューする際に自身の左手作品を演奏している記録が残っている。ゴドフス
キーを除いて彼らによる左手のための作品は多くはないものの、こうした演奏家
たちの活動は当時の作曲家たちの創作意欲を湧きあがらせる出来事であったと 予
想できる。
【 譜 10: A.ド ラ イ シ ョ ク 〈 《 女 王 陛 下 万 歳 》 に 基 づ く 左 手 の み の た め の 大 変 奏 曲 〉
第 43-44 小 節 】
第3節
19 世 紀 後 半
1872 年 に 初 め て 指 の 訓 練 を 目 的 と し た 訓 練 集 が 生 ま れ る 。ヘ ル マ ン・ベ ー レ ン
ス Hermann Berens(1826-1880) の 《 左 手 の み の た め の 教 則 本 Die Pflege der
linken Hand 》 (1872) が 、 そ れ に 該 当 す る 。 こ の 教 則 本 は 46 の 訓 練 集 (Exercises)
と 25 の 練 習 曲 集 (Studies) が 対 に な っ て 収 め ら れ て い る 。 こ れ と 同 様 の も の と し
て フ ェ ル デ ィ ナ ン ド ・ ボ ナ ミ ー チ Ferdinando Bonamici(1827-1905) の 作 品 271~
273、イ ジ ド ー ル・フ ィ リ ッ プ Isidor Philipp(1863-1958) の〈 左 手 の た め の 訓 練 集
と練習曲集〉などが挙げられるが、これらの作品は本論文での研究対象であるヴ
ィットゲンシュタインのものと構成が類似し、比較対象となるため、ここでは紹
介にとどめ第 4 章にて内容を詳しく考察していく。
14
ま た 、19 世 紀 の 保 守 的 な 作 風 を 貫 き 、作 曲 家 、ピ ア ニ ス ト 、指 揮 者 、教 育 者 と
し て 活 躍 し て い た カ ー ル・ラ イ ネ ッ ケ Carl Reinecke(1824-1910)は 、《 左 手 の み
の た め の ピ ア ノ ソ ナ タ 作 品 179 Eine Klaviersonate für die linke Hand op.179 》
(1884) を 書 い て い る が 、 こ の 作 品 は ゲ ー ザ ・ ジ チ 9 G.Zichy(1849-1924) の 《 ソ ナ タ
Sonata 》(1887) と 同 様 に 、左 手 の た め に ソ ナ タ 形 式 で 書 か れ た 最 初 の 本 格 的 な ソ
ナタである。一方の声部を伸ばす、又は休符の間に腕を素早く移動させ、もう一
方 の 声 部 を 弾 く こ と に よ っ て 、多 声 的 に 聴 こ え る よ う に 創 意 工 夫 が な さ れ て い る 。
な お 、第 2 楽 章 の 冒 頭 に は 、
“ Nemenj rózsám a tarlóra(私 の 愛 す る 人 、行 か な い
で く だ さ い )” と 表 記 さ れ ハ ン ガ リ ー 風 の 旋 律 で 、 変 奏 し な が ら 展 開 す る 。
【 譜 11:
C.ラ イ ネ ッ ケ 《 左 手 の み の た め の ピ ア ノ ソ ナ タ 作 品 179》
第 1 楽 章 第 1-4 小 節 】
【 譜 12:
C.ラ イ ネ ッ ケ 《 左 手 の み の た め の ピ ア ノ ソ ナ タ 作 品 179》
第 2 楽 章 第 1-6 小 節 】
ま た 、第 3 楽 章 は メ ヌ エ ッ ト で 、和 音 を 含 ん だ 旋 律 と 低 音 と の 2 オ ク タ ー ヴ 以
上離れた素早い跳躍が特徴である。強弱記号も非常に細かく書かれており、3 声
9
G. ジ チ ― ― p.19 参 照
15
体 を 意 識 し て 書 か れ て い る た め 、腕 の 素 早 い 移 動 と 声 部 の 弾 き 分 け を 必 要 と す る 。
【 譜 13:
C.ラ イ ネ ッ ケ 《 左 手 の み の た め の ピ ア ノ ソ ナ タ 作 品 179》
第 3 楽 章 第 1-5 小 節 】
第 4 楽 章 は 、親 指 (第 1 指 )に 旋 律 が あ る 16 分 音 符 の 速 い パ ッ セ ー ジ が 続 く 。途
中、ファンファーレ風の和音を奏でるが、再び速いパッセージに戻る。
【 譜 14:
C.ラ イ ネ ッ ケ 《 左 手 の み の た め の ピ ア ノ ソ ナ タ 作 品 179》
第 4 楽 章 第 1-4 小 節 】
全楽章を通して旋律部分と低音部分の音域が非常に離れているが、どちらか一
方が休符であったり長い音で保たれているため、左手のための作品としては演奏
しやすく、高い演奏効果を狙ったものである。楽譜に指示されている表情記号や
強弱記号などが多く、演奏表現に関する要求は高い。
ラ イ ネ ッ ケ と も 親 交 の あ っ た ヨ ハ ネ ス ・ ブ ラ ー ム ス Johannes Brahms(19331897) は 、左 右 の 演 奏 技 術 を 同 等 に す る 目 的 で《 51 の 練 習 曲 集 51 Übungen für das
Pianoforte WoO.6 》 (1895) を 書 き (譜 15)、 さ ら に は 作 曲 家 と し て の 新 た な 試 み と
し て 《 5 つ の ピ ア ノ 練 習 曲 集 5 Piano Studies 》 を 出 版 し た 。
16
【 譜 15: J.ブ ラ ー ム ス 《 51 の 練 習 曲 集 》 よ り 2a. 第 1-2 小 節 】
と り わ け《 5 つ の ピ ア ノ 練 習 曲 集 》は J.S.バ ッ ハ や カ ー ル・マ リ ア・フ ォ ン・ヴ
ェ ー バ ー Carl Maria Friedrich Ernst von Weber (1786-1826) の 作 品 を も と に 編 曲
さ れ た 作 品 集 で あ る 。 興 味 深 い の は 、ま ず 第 2 曲 目 が 左 手 に 重 点 を お い て 編 曲 さ
れ て い る 点 で あ る 。 譜 16 は 原 曲 と な る C.M.v.ヴ ェ ー バ ー の 〈 ピ ア ノ ・ ソ ナ タ 第
1 番 Piano Sonata No.1 〉の 第 3 楽 章 、対 す る 譜 17 は J.ブ ラ ー ム ス が 編 曲 し た 第
2 曲〈 ロ ン ド Rondo 〉で あ る が 、16 分 音 符 に よ る 絶 え 間 な い 動 き が 、右 手 か ら 左
手へと移されていることが分かる。ほぼ曲全体を右手と左手とを左右逆に改編し
ており、編曲への挑戦とも思われるこの手法はのちの作曲家にも影響を与えてい
る。
【 譜 16: C.M.v.ヴ ェ ー バ ー 〈 ピ ア ノ ・ ソ ナ タ 第 1 番 〉 よ り 第 3 楽 章
第 1-4 小 節 】
【 譜 17: J.ブ ラ ー ム ス 《 5 つ の ピ ア ノ 練 習 曲 集 》 よ り 第 2 曲 ロ ン ド
第 1-4 小 節 】
17
続 い て 、 第 5 曲 目 が J.S.バ ッ ハ の ヴ ァ イ オ リ ン 独 奏 作 品 10 (譜 18)を 編 曲 し て 書
か れ た 左 手 の み の た め の 作 品 〈 シ ャ コ ン ヌ Chaconne 〉 (1877) と な っ て い る (《 5
つ の ピ ア ノ 練 習 曲 》 第 5 曲 )。 こ の 作 品 は 、 ブ ラ ー ム ス 唯 一 の 左 手 の た め の 作 品
であるが、原曲であるヴァイオリン・ソロを忠実にピアノへ編曲しており、左手
が 自 然 に 置 け る 位 置 に 移 さ れ (原 曲 か ら 1 オ ク タ ー ヴ 下 げ )、 数 か 所 に 音 を 加 え た
だ け の も の と な っ て い る (譜 19)。こ の 作 品 を 書 い た 目 的 が 、右 手 を 痛 め た ク ラ ラ・
シ ュ ー マ ン の た め で あ る こ と は 周 知 の と お り で あ る が 、 そ の 30 年 ほ ど 後 に も フ
ラ ン ス の 作 曲 家 カ ミ ー ユ ・ サ ン = サ ー ン ス Camille Saint-Saëns(1835-1921) が 右
手 を 痛 め た 女 流 ピ ア ニ ス ト に 左 手 の た め の 作 品《 左 手 の み の た め の 6 つ の 練 習 曲
集 作 品 135
6 Études pour la main gauche seule op.135 》 (1912) を 献 呈 し て お り
(譜 20)、こ の 頃 か ら 麻 痺 や け が に よ っ て 右 手 が 不 自 由 に な る こ と で 委 嘱 ま た は 献
呈される左手のみのための作品が生まれた。
【 譜 18: J.S.バ ッ ハ 〈 無 伴 奏 ヴ ァ イ オ リ ン パ ル テ ィ ー タ 第 2 番 第 5 楽 章
第 1-6 小 節 】
【 譜 19: J.ブ ラ ー ム ス 〈 シ ャ コ ン ヌ 〉 第 1-6 小 節 】
【 譜 20: C.サ ン = サ ー ン ス 《 左 手 の み の た め の 6 つ の 練 習 曲 集 》 よ り 第 6 曲
第 1-6 小 節 】
10
J.S.バ ッ ハ 〈 無 伴 奏 ヴ ァ イ オ リ ン パ ル テ ィ ー タ 第 2 番 ニ 短 調 作 品 1004
第 5 楽 章 Partita no.2 5 th movement 〉
18
また、イタリアで左手のピアニストとして有名になったのがアドルフォ・フマ
ガ ッ リ Adolfo Fumagalli(1828-1856) で あ る 。彼 の 書 い た 作 品 は 左 手 の た め に 書 か
れ た も の を 含 め 、G.ヴ ェ ル デ ィ ー や 有 名 な 歌 劇 作 品 の ア リ ア を 編 曲 し た も の が 大
部 分 を 占 め て い る 。は じ め は 、〈 左 手 の た め の 夜 想 練 習 曲 作 品 2 Notturno-Studio
for the Left Hand op. 2 〉 (作 曲 年 不 明 )が 書 か れ た が 、 こ れ 以 外 の 4 作 品 〈 G.ド ニ
ゼッティ オペラ《ランメルモールのルチーア》より〈間もなく私に安息の場を〉
に よ る 左 手 の た め の 演 奏 会 用 練 習 曲 作 品 18 の 1
Studio da Concerto for the
Left Hand based on „Fra poco a me ricovero‟ from Donizetti's Opera Lucia di
Lammermoor op.18 No.1 〉、〈 G.ヴ ェ ル デ ィ オ ペ ラ《 第 1 回 十 字 軍 の ロ ン バ ル デ
ィア人》より〈おお主よ、ふるさとの家々を〉による左手のための演奏会用練習
曲 作 品 18 の 2
Studio da Concerto for the Left Hand based on „O Signore, dal
tetto natio‟ from Verdi's Opera I Lombardi
op.18 No.2 〉 、 〈 G.ロ ッ シ ー ニ オ ペ
ラ 《 エ ジ プ ト の モ ー セ 》 よ り 〈 私 は 声 も で な い 〉 (左 手 の た め の ) 作 品 102
„ Mi
manca la voce ‟ for the Left Hand from Rossini's Opera Mosé in Egitto op.102〉 (以
上 、 作 曲 年 不 明 )、 〈 G.マ イ ア ベ ー ア の グ ラ ン ド ・ オ ペ ラ 《 悪 魔 の ロ ベ ー ル 》 に よ
る 大 幻 想 曲 作 品 106
Grande Fantasie sur Robert le Diable de Meyerbeer,
op.106 〉 (1855)は 、 オ ペ ラ ・ ア リ ア か ら の 編 曲 作 品 と し て 規 模 の 大 き い も の と な
っ て い る (譜 21)。彼 は 、細 い 身 体 か ら は 想 像 も で き な い よ う な 強 靭 な 指 の 力 と テ
ク ニ ッ ク を 兼 ね て い る と さ れ (特 に 左 手 )、 彼 が Fr.リ ス ト に 献 呈 し た 作 品 106 を
自身の演奏会で披露したことにより、左手のピアニストとして注目された。よっ
て 、彼 の 左 手 作 品 は 10 歳 年 上 の Al.ド ラ イ シ ョ ク と 同 様 、自 身 の 左 手 の 妙 技 を 誇
示するために作り出されたものである。
【 譜 21:〈 G.マ イ ア ベ ー ア 《 悪 魔 ロ ベ ー ル 》 に よ る 大 幻 想 曲 作 品 106〉
第 40-43 小 節 】
ま た 、ハ ン ガ リ ー で は 古 く か ら 続 く 王 家 の 家 系 に 育 っ た ゲ ー ザ・ジ チ 伯 爵 Count
Geza Zichy(1849-1924)が 、 左 手 の ピ ア ニ ス ト の 第 一 人 者 と し て 活 躍 し た 。 5 歳 か
らピアノを始め、ある程度の才をのぞかせていたが、当時の師は彼の左手の技術
に 関 し て 手 を 焼 い て い た 。15 歳 の 時 、狩 猟 に 出 か け た 彼 は ラ イ フ ル 銃 弾 が 誤 っ て
19
右腕に当たり、肩下を切断する手術を受けた。その後、苦悩と苦痛に打ちひしが
れた彼だが驚くほど早く日常生活で左手を使用することに慣れた。 ほとんどピア
ノ に 触 れ な い 日 々 が 生 活 が 数 年 続 い た あ る 日 、 1875 年 (26 歳 )に 転 機 が 訪 れ る 。
Fr.シ ュ ー ベ ル ト の 歌 曲〈 魔 王 Der Erlkönig 〉の 一 部 を 編 曲 し 演 奏 し た 際 、そ れ を
聴 い た リ ス ト が 感 銘 を 受 け 、若 い ジ チ が 編 曲 し た《 6 つ の 練 習 曲 集 6 Etudes 》(1885
年 頃 ) の 出 版 を 支 援 し 、 序 文 を 書 い た (そ の 中 の 1 曲 に 譜 22 の 〈 魔 王 〉 が あ る )。
それを機にジチは左手のピアニストとしての業績を上げていく。既に、ヨーロッ
パで片手のピアニストとして前出のドライショクやフマガッリが名を馳せていた
が、左手のみを使用するピアニストとしては初めての功績であった。ただし、ジ
チは大戦負傷者への慰安演奏などを積極的に行ったため、自身の演奏を録音する
ことはなく、彼の業績や楽譜などもほとんど残されていない。 左手の作品の新し
い ジ ャ ン ル で あ る《 ソ ナ タ 》(1887)や《 左 手 の た め の ピ ア ノ 協 奏 曲 変 ホ 長 調 Piano
Concerto in E-flat for the Left Hand 》 (1895) は 、 彼 の 演 奏 用 レ パ ー ト リ ー と し て
書かれたものである。
【 譜 22: G.ジ チ 《 6 つ の 練 習 曲 集 》 よ り 第 6 曲 魔 王 第 1-9 小 節 】
20
第4節
20 世 紀 前 半 か ら ヴ ィ ッ ト ゲ ン シ ュ タ イ ン の 登 場 ま で
こ れ ま で の 経 緯 を 振 り 返 る と 、左 手 の た め の 作 品 が 書 か れ る 目 的 は 大 き く 4 つ
に 分 け ら れ る 11 。1. 指 の 訓 練 を 含 む 教 則 本 と し て 発 展 し て い く も の 、2. 左 手 の 技
術 の 誇 示 を 目 的 と し て 書 か れ た も の 、3. 作 曲 家 、ま た は 演 奏 家 が 、5 本 の み と い
う 制 約 の 中 で も 音 楽 的 な 作 品 に す べ く 自 身 の 創 作 力 に 挑 戦 し た も の 4. 自 身 や 友
人 の (右 手 の )け が や 麻 痺 が 要 因 と な っ て 生 ま れ た も の 、 で あ る 。
20 世 紀 に 入 り 、左 手 の た め の ピ ア ノ 作 品 は 多 種 多 様 に な る 。前 出 の ジ チ を 皮 切
り に 、オ ー ス ト リ ア の 作 曲 家 ヨ ー ゼ フ ・ ラ ー ボ ル 12 Josef Labor(1842-1924) は 、左
手のピアノとの室内楽作品や、協奏曲作品を書いた。彼の書いた左手作品は、す
べてヴィットゲンシュタインの委嘱によるものであり、左手のための協奏曲《ピ
ア ノ (左 手 の み )と オ ー ケ ス ト ラ の た め の 変 奏 曲 形 式 の 小 協 奏 曲 Concert Piece in
the Form of Variations for Piano Left Hand and Orchestra 》(1915) を は じ め 、1917
年 に は 《 小 協 奏 曲 ヘ 短 調 Concert Piece f minor 》 な ど の オ リ ジ ナ ル 作 品 を 生 み
だ し た 。ま た 、
《 ピ ア ノ (左 手 の み )と ヴ ァ イ オ リ ン の た め の ソ ナ タ ホ 長 調 Sonata
for Piano and Violin in E major 》 (1916) や 、《 ピ ア ノ (左 手 の み )と ク ラ リ ネ ッ ト 、
チ ェ ロ の た め の 三 重 奏 曲 ホ 短 調 Trio for Piano(Left Hand), Clarinet and Cello 》
(1917) 、《 ピ ア ノ と チ ェ ロ の た め の ソ ナ タ
ハ長調
Sonata for Piano and
Violoncello in C major 》 (1918)《 ピ ア ノ 、 フ ル ー ト 、 オ ー ボ エ 、 ヴ ィ オ ラ 、 チ ェ
ロ の た め の 五 重 奏 曲 Quintet(Divertimento) for Piano, Flute, Oboe, Viola and
Cello 》 (作 曲 年 不 明 、 1932 年 初 演 ) な ど の 室 内 楽 作 品 も 生 ま れ 、 こ れ ら は 依 頼 主 で
あるヴィットゲンシュタインの演奏により初演された。これ以降、左手のための
ピ ア ノ 作 品 は 、 著 名 な 作 曲 家 、 ま た は (あ ま り 有 名 で は な い が )ヴ ィ ッ ト ゲ ン シ ュ
タインの莫大な財産を目当てに彼に作品を献呈したものによって独奏作品以外の
11
12
エーデルの先行研究による目的にも、技術の発展、けが、作曲上の挑戦、妙
技 の 誇 示 に よ る 4 つ が 挙 げ ら れ て い る 。 (Edel, op.cit., pp.3-16.)
J.Labor: ウ ィ ー ン で 活 躍 し た ピ ア ニ ス ト 、オ ル ガ ニ ス ト 、作 曲 家 。チ ェ コ の
ホ ロ ヴ ィ ッ ツ 生 ま れ 。3 歳 で 天 然 痘 に よ っ て 失 明 し 、ウ ィ ー ン の 盲 学 校 で 教 育
を 受 け た の ち 、ウ ィ ー ン 音 楽 院 で ピ ア ノ と オ ル ガ ン を 学 ぶ 。一 時 期 は ド イ ツ 北
西部のニーダーザクセンに住み、そこでハノーファー王ゲオルク 5 世の宮廷
オ ル ガ ニ ス ト と な っ た 。シ ェ ー ン ベ ル ク や ア ル マ・マ ー ラ ー な ど を 育 て た 彼 は 、
ヴ ィ ッ ト ゲ ン シ ュ タ イ ン 家 付 き の 作 曲 家 で あ り 、音 楽 顧 問 で あ り 、一 家 の 施 し
の 受 け 手 、友 人 、哲 学 面 や 精 神 面 で の 全 面 的 な 導 師 で あ っ た 。パ ウ ル と 、そ の
弟 ル ー ド ウ ィ ヒ に 音 楽 理 論 を 教 え た ほ か 、よ き 相 談 相 手 と な り 、パ ウ ル が 右 手
を失ったのちも左手の作品を初めて委嘱した人物である。
21
演目が誕生する。よく知られている代表的な作品が、フランスの作曲家であるモ
ー リ ス ・ ラ ヴ ェ ル Maurice Ravel(1875-1937) の 《 左 手 の た め の 協 奏 曲 Concerto
pour la main gauch 》 (1930)で あ る (譜 23)。 ラ ヴ ェ ル と ヴ ィ ッ ト ゲ ン シ ュ タ イ ン
との関係については、次章第 1 節で触れる。
【 譜 23:
M.ラ ヴ ェ ル 《 左 手 の た め の 協 奏 曲 》 第 33 小 節 】
最後に、ポーランドに生まれアメリカで活躍したレオポルド・ゴドフスキー
Leopord Godowsky (1870-1938)が 左 手 の た め に 書 い た 作 品 と し て 、
《左手のための
小 品 Suite for the Left Hand 》 (1929) 、《 前 奏 曲 と バ ッ ハ の 主 題 に よ る フ ー ガ
Prelude and Fuga(B.A.C.H) 》(1930)、
《 演 奏 会 曲 集 Concert Album》(1930)、
《即
興 曲 Impromptu 》 (作 曲 年 不 明 )、《 カ プ リ ッ チ ョ Capriccio 》 (作 曲 年 不 明 )、《 イ
ン テ ル メ ッ ツ ォ intermezzo》(作 曲 年 不 明 )、
《 エ レ ジ ー Elegy 》(作 曲 年 不 明 )、
《死
の 練 習 曲 Etude Macabre 》(作 曲 年 不 明 )、
《 瞑 想 曲 Meditation 》(作 曲 年 不 明 )、
《ヨ
ハ ン・シ ュ ト ラ ウ ス に よ る ジ プ シ ー 男 爵 よ り シ ン フ ォ ニ ッ ク・メ タ モ ル フ ォ シ ス
に お け る 宝 の ワ ル ツ Symphonic Metamorphosis of the Schatz-Walzer Themes
from „ The Gypsy Baron ‟ by Johann Strauss 》 (1941) 、《 6 つ の ワ ル ツ 詩 集 6 Waltz
Poems 》 (1930) が 挙 げ ら れ る が 、 彼 を 一 躍 有 名 に し た の が 《 シ ョ パ ン の 練 習 曲 に
22
基 づ く 53 の 練 習 曲 集 53 Studies on Chopin‟s Etudes(5 vols.) 》 (1893-1914 頃 ) で
あ る 。主 に 左 手 の 技 術 鍛 錬 の た め に 書 か れ て お り 、か つ て J.ブ ラ ー ム ス が 試 み た
技 巧 的 パ ッ セ ー ジ の 右 手 か ら 左 手 へ の 転 換 (譜 16、17 参 照 )と 同 様 に 、「冗 談 (お ふ
ざ け )Badinage」と 記 さ れ た 左 右 で 異 な る 2 曲 の 同 時 演 奏 (譜 24)な ど が 挙 げ ら れ る
が 、中 で も シ ョ パ ン の 練 習 曲 作 品 25 の 6、作 品 25 の 8、作 品 25 の 11、新 し い 3
つ の 練 習 曲 第 3 番 以 外 の 練 習 曲 22 曲 が 左 手 の み の た め の 練 習 曲 へ 改 編 さ れ て い
る 。 ま た 元 と な る 原 曲 と 調 を 変 え 、 更 に 難 易 度 が 高 く な っ た 作 品 も 多 い (譜 25、
26) 13 。速 度 表 記 や フ レ ー ジ ン グ 、細 か い ペ ダ リ ン グ や 、特 に 緻 密 に 練 ら れ た 指 使
いを見ると、彼が優れたピアニストであることが分かるだろう 。ヴィットゲンシ
ュタインは、このゴドフスキーの練習曲集の中の数曲を、自身の演奏会で披露し
ている記録が残っており、彼の作品を気に入り参考にしていたようである。
【 譜 24: L.ゴ ド フ ス キ ー 《 シ ョ パ ン の 練 習 曲 に 基 づ く 53 の 練 習 曲 集 》 よ り
第 47 番 第 1-2 小 節 】
※ 譜 24 は 、両 手 作 品 で あ る 。
13
次 頁 譜 25(シ ョ パ ン の 原 曲 )は 、 変 ホ 長 調 で 書 か れ て い る の に 対 し 、 譜 26(ゴ
ド フ ス キ ー の も の )は イ 長 調 で 書 か れ て い る 。 旋 律 は 同 じ よ う に 辿 っ て は い
るものの、下のアルペッジョの部分は多尐省略されている。
23
【 譜 25: Fr.シ ョ パ ン 練 習 曲 作 品 10 の 11 第 1-2 小 節 】
【 譜 26: L.ゴ ド フ ス キ ー 《 シ ョ パ ン の 練 習 曲 に 基 づ く 53 の 練 習 曲 集 》 よ り
第 21 番 第 1-2 小 節 】
「ピ ア ニ ス ト の 中 の ピ ア ニ ス ト 」と の 異 名 を 持 つ L.ゴ ド フ ス キ ー の 作 品 は 、技 術
向上を狙うと同時に彼自身の作曲上の工夫や挑戦が至る箇所に見られる。彼の作
品 は 、現 代 の 辣 腕 な ピ ア ニ ス ト で さ え 演 奏 困 難 と 言 わ れ る ほ ど の 難 技 巧 で あ る が 、
作品自体はそれほど評価されていない。しかし、彼は自身の挑戦を試みた小品を
弟 や 友 人 に 献 呈 し て お り 、 こ の こ と も 左 手 作 品 (練 習 曲 集 )が 生 ま れ る き っ か け と
なったであろう。
24
ゴドフスキーが練習曲集を編纂していた頃、ヨーロッパでは第一次世界大戦が
勃発し、激しい地上戦が繰り広げられた。兵役中に利き腕となる右手を負傷する
事例は多く、当時ピアニストとして活動していた者たちも、その犠牲となってい
た。のちに左手のピアニストとして名を馳せる、パウル・ヴィットゲンシュタイ
ン も そ の 一 人 で あ る 。左 手 作 品 の 歴 史 を 見 て い く と 、1920 年 以 降 、左 手 の た め の
規模の大きい作品が次々と生まれているが、その大きな要因としては、ヴィット
ゲンシュタインの委嘱活動が挙げられる。その流れは創作意欲を掻き立てられた
他の作曲家にも触発されていくこととなった。次章では、彼の生涯と彼にまつわ
る左手のための作品に注目していきたい。
25
第2章
ヴィットゲンシュタインの生涯と作品
第1節
生涯
この章では、ヴィットゲンシュタインの生涯について、家系、性格、ピアニス
トとしての活動、他の作曲家・芸術家とのつながり等、彼の音楽活動に関連する
ものを中心に論述する 5 。なお、この章ではヴィットゲンシュタイン家の他の兄弟
と区別するためにパウルと記載する。
1. パウルの誕生からデビューまで
実業家である父カール Karl と、妻レオポルディーネ Leopoldine の間には 9 人
の子供がおり、パウルは第 8 子 4 男として 1887 年 11 月 5 日ウィーンにて誕生し
た。当時のヴィットゲンシュタイン家はウィーン上流階級の一家で大金持ちであ
り、貴重な絵画や骨董品、有名作曲家のオリジナル自筆譜などのコレクターでも
あったことから、芸術家、企業家なども多く屋敷に出入りしていた。有名な音楽
家では、ブラームス、クララ・シューマン Clara Josephine Wieck-Schumann
(1819-1896) 、ヨハン・シュトラウス Johann Strauss(1804-1849) 、マーラー Gustav
Mahler(1860-1911) などと親交があり、ヴィットゲンシュタイン邸の音楽室では彼
らを招いた演奏会が頻繁に行われていた。音楽と自然に親しんでいたヴィットゲ
ンシュタイン家の 4 男パウルは、幼いころよりコンサートピアニストになること
を決意し、母の教えのもと練習に勤しんでいた。父カールは、自分が築きあげた
鉄鋼や軍需品、銀行などの巨大事業において、息子たちにも大成させることが一
家の幸せである、という考えの持ち主であり、特に音楽を職にしたいと希望する
パウルに対して激しく反対していた。当時のパウルのピアノ演奏は大雑把で偏執
狂的だったため、彼の家族はピアニストへの道を諦めるよう説得したものの、パ
ウルがその意志を変えることはなかった。Fr.リストと並ぶ超一流のピアノ教師で
あったテオドール・レシェティツキ Theodor Leschetizky 6 (1830-1915) に習うこと
5
パウルの生涯に関する文献において下記を参考にした。
Flindell, E. Fred. “Patron and Pianist”. Music Review , vol.32, 1971.
pp.107-127.
Waugh, Alexander. The House of Wittgenstein : a Family at War.
New York: Doubleday, 2008. 333p. ( アレグザンダー・ヴォー『ウィトゲンシ
ュタイン家の人びと:闘う家族』塩原通緒訳、中央公論新社、 2010. 461p. )
6
Th.レシェティツキ――ウィーンで活躍したピアノ教師、作曲家、ピアニス
ト。ポーランド生まれ。父親から音楽教育を受け、9 歳でピアニストとして
舞台に立つ (神童として有名になる) 。まもなく一家はウィーンに移り、ウ
ィーン音楽院で C.ツェルニーに教えを乞う。18 歳にはウィーンで有名なピ
アニスト、指導者になった。(次頁に続く)
27
を望んでいたパウルは、その助手であるマルヴィーヌ・ブレ Malvine Brée(生没年
不明) に 10 歳から教えを受ける。
1910 年 9 月、兵役を済ませたパウルは M.ブレ夫人から、レシェティツキに弟
子入りするためのオーディションに推薦され、晴れて弟子入りする。パウルの演
奏を聴いたレシェティツキは彼に対し「偉大な鍵盤粉砕者」と呼んでいたが、演
奏家としての将来には高い期待を寄せていたため、気難しく激しやすいパウルの
性格にもかかわらず、師弟の関係は順調に固い友情へと変化していく。
パウルの人生において、父親代わりの役目を果たしたもう一人の人物として、
盲目の作曲家 J.ラーボル(p.21 注 9 参照)が挙げられる。彼は、ヴィットゲンシュ
タイン家付きの作曲家であり音楽顧問であり、良き相談相手でもあった。このラ
ーボルも後にパウルのために左手の作品を創ることになる。
当時のオーストリア人は、良い音楽は成熟した芸術家によって演奏されなけれ
ばならない、という見解をもっていた。若者の能力をなかなか信用しようとしな
い傾向にあり、パウルのソロ・デビューも 26 歳と随分遅いのは、そうした理由
が一つ挙げられる。もう一つの理由として、彼の家族、特に父親が音楽活動の障
害となっていたため、カールがもし存命していればパウルがこの年でデビューす
ることはおそらくなかっただろう。パウルは(他の)家族の反対をよそに 1913 年
12 月にデビューリサイタルを開いた。親戚、知人をはじめヴィットゲンシュタイ
ン家と関わりのある人々で埋め尽くされたウィーン楽友協会の大ホールでのこの
演奏会は、数人の批評家によってそれぞれの新聞や雑誌にとりあげられ、これら
の批評は若きパウルに音楽で生活していく自信を与えることになった。
2. 戦傷による苦悩
1914 年に第一次世界大戦が勃発しパウルも徴兵されたが、オーストリア政府 や
政治的な反共組織などに多額の寄付をしていたパウルは強い愛国心を持っていた
ため、必要とあらば命を捨てる覚悟さえしていた。ガリツィア(現在のウクライナ
南西部を中心とした地域)に送られたパウルは敵陣を偵察している際に、右肘に被
弾し、その後意識のないまま運び込まれた野戦病院にて腕を切断する手術を受け
た。意識が戻ったころには街は陥落しており、パウルは他の負傷者や看護師とと
(前頁より)1852 年ロシア西部のサンクトペテルブルクに移住。アントン・ル
ヴィンシュタイン Anton Rubinstein(1829-1894) との親交を深め、その推薦に
より 1862 年にサンクトペテルブルク音楽院の音楽学部長になる。1878 年ウ
ィーンに戻り、(同じく C.ツェルニーの弟子である)Fr.リストと並ぶ 2 大指導
者として数百人の弟子をとり、現在のピアニストに続く系譜を築いた。
28
もに戦争捕虜としてロシアに送られた。捕虜となって数か月もの間、ヘウムから
ミンスク、キエフ、オリョール、モスクワ、ペトログラード 7 、オムスク(表 1 参
照)へと動かされたパウルが最も苦しんだのは、身体的外傷はもちろんのこと、日
常生活がままならなくなったという現実であった。しかし、オムスクへ移る頃に
は、かつて持っていた不屈の精神からなんとしてでも故郷に帰ってコンサートピ
アニストとして再開するという決意を固くしていた。
パウルは、記憶していた両手のオリジナル作品を、左手のみで奏するための方
法を模索していた。同時代の作曲家兼ピアニストの L.ゴドフスキーが約 10 年前
にショパンの両手作品(練習曲)の編曲を行っており、その中で左手作品の編曲を
も成し遂げているのを知っていたパウルは、どのようにしたら左手のみで弾ける
よう編曲できるか、その自分なりの方法を探るべく収容所の木箱をピアノに見立
てて指を打ちつける日々が続いたという。1915 年 1 月、デンマーク領事館の善
意によりピアノがある収容所(オムスク市内の古いホテル )へ移されたパウルは、
自分がレシェティツキの下で学んでいた暗譜している両手作品を、できるだけ多
く編曲して左手のみで演奏できる曲に仕上げる作業を始める。この作業の結晶が
後 々 パ ウ ル 自 身 に よ っ て 出 版 さ れ る 《 左 手 の た め の 教 則 本 School for the Left
Hand 》(1957)の第 3 巻である。この後、様々な陰謀事件の災難や、薄気味悪い戦
争捕虜を人目のつかないところへ排除すべきというオムスク市民の要望が重なっ
て「死の家」と呼ばれるオムスク市内の要塞クレポストに移送させられた彼は、数
か月も陰鬱な生活を送ることになった。ようやく捕虜交換の審査に通ったパウル
は、1915 年 11 月(約 1 年 3 ヶ月ぶり)ウィーンに帰還した。
【表 1】
7
1914 年から 1924 年までの名称。現在のサンクトペテルブルクにあたる地域。
29
3. 片腕のピアニストの誕生
パウルの不運は続き、1916 年の初めには、浴室で転倒し指を骨折する怪我を負
った。幸いにも、その怪我は 2 ヶ月半後には快復し、内輪だけの演奏会を開くま
でに至った。ウィーンに戻ってからの 1 年間、パウルはかつての教師 M.ブレの
助言を受けながらも、ほぼ独学で左手のみの練習に打ち込んだ。パウルが演奏家
になることを決して諦めなかったのは、右手が無くても左手だけでピアニストと
なれる、という手本を見せた G.ジチの存在であろう。ジチと面識があったかどう
かは定かではないが、彼は第一次世界大戦で手足を失くした多くの負傷兵に心を
痛め、そうした人々のための助言本を書いており、パウルはそれをロシアにて受
け取っていたようである。並々ならぬ努力と決意を持って練習に取り組み、同年
12 月に「左手のピアニスト」として公の場で再デビューを果たした 。ピアニストと
してパウルが独自に生みだしたペダリングと指使いは、手を 2 つ、ないしは 3 つ
4 つも使って弾いているかのように錯覚させる効果を狙っており、彼の著書であ
る《左手のためのピアノ教則本》の序文内にも論述されている。それらについて
は次節で考察していく。
4. 委嘱活動
1915 年 4 月、パウルが母レオポルディーネにあてた手紙に「ヨーゼフ・ラーボ
ルに左手用のピアノ協奏曲を作曲するよう頼んでほしい」と書いており、喜んで依
頼を受けたラーボルによって約 2 ヶ月後の 6 月に《小協奏曲 Konzertstück 》が
完成した。パウルがその作品に目を通したのは結局彼がウィーンに戻ってきてか
らになったが、この珍しい試みの初演は 1916 年 3 月ヴィットゲンシュタイン邸
にて 2 台のピアノにより行われた。
以来、ラーボルは次々と新しい作品をもってきたが、ラーボルの作品だけで演
奏活動していくことに限界を感じ不安に思っていたパウルは、1918 年 8 月から
約 3 年間公での演奏をやめ、演奏会で弾ける曲を増やすべく左手のために書かれ
た演奏用作品を探す。しかし、ヨーロッパ各国の楽譜店や図書館を手当たり次第
調べた結果、左手のための作品はわずかであり、なおかつ古臭い作風のドライシ
ョクや、好事家のようなジチの作品(彼の気概には感銘を受けていたが)など、凡
庸な作品ばかりでパウルを落胆させた。ならば、と自らベートーヴェンやメンデ
ルスゾーンの両手作品を編曲してみたものの、多くの労力がかかる上に、両手作
品ほど良いものに出来なかったため、彼は自身の莫大な財産をもって偉大な作曲
家に左手のための作品を委嘱することを決意する。
30
1922 年より、ドイツの作曲家・指揮家・ヴィオラ奏者であるパウル・ヒンデミ
ット Paul Hindemith(1895-1963) 、オーストリアやアメリカで活動した エーリヒ・
ヴォルフガング・コルンゴルト Erich Wolfgang Korngold(1857-1957) 、オースト
リアの作曲家フランツ・シュミット Franz Schumidt(1874-1939) 、ハリコフ(現ウ
クライナ)のピアニスト・作曲家セルゲイ・ボルトキエヴィチ Sergei Bortkiewicz
(1877-1952) に声をかけ、多額のアメリカドルを報酬として左手のためのピアノ協
奏曲を書くよう頼んだ。また 1924 年にはリヒャルト・シュトラウス Richard
Strauss(1864-1949) 、1929 年にはラヴェル (1875-1937)に 、1930 年にはセルゲイ・
プロコフィエフ Sergei Prokofiev(1891-1953) に委嘱し、結果数々の左手のための
協奏曲が有名作曲家たちによって生まれた。その高額な報酬と引き換えに手稿譜、
独占演奏権 8 を受け取ったパウルは、これらの珍しい作品の上演を希望するプロモ
ーターに誘われ、ヨーロッパ中のコンサートに引っ張りだことなった。これこそ、
彼の望んでいた演奏家、左手のピアニストとしての活動であった。こうしてパウ
ルの作品委嘱計画の成功は、多くの若い作曲家にも刺激を与え、われ先にと左手
用の楽曲を売り込んでくるようになる。
5. その他の活動
パウルは第一次大戦での武勇を認められ、軍事勲章を受け昇進する。捕虜交換
の審査の際に警告を受けたにもかかわらず、愛国心が強かったパウルはその後も
オーストリア軍に多額の寄付をし、1918 年まで軍務に携わる。退役の理由は不明
だが、その頃からパウルは委嘱活動やコンサート、教職、音楽批評家などの活動
を始めていることから、音楽活動がうまくいっていたようである。
しかし、死後の彼の評判は弟のルードヴィヒに务っている。それは、 彼が自ら
の強硬な意見や都合により、委嘱された作品を勝手に改編したため、のちに作曲
家自身に激怒されたことが大きく影響している。実際、P.ヒンデミットや S.プロ
コフィエフの作品は、生涯独占演奏権を条件に依頼したにもかかわらず、曲が理
解できないという理由から演奏しなかった。この 2 曲であるが、プロコフィエフ
のものは 1956 年当時のベルリン放送管弦楽団、S.ラップ Siegfried Rapp(19171977) のピアノにより初演、ヒンデミットのものは所在不明とされていたものが近
年発掘され、2004 年末ベルリン・ フィルハ ーモニー管弦 楽団、 S.ラトル指揮、
L.フライシャー(p.4 注 5 参照)のピアノで初演された。ウィーンの芸術的伝統に深
く関与するところのあった家に生まれつき、常に一流の芸術に触れながら成長し
てきたパウルにとって、ジャズや近代音楽の類は異質なものにしか感じられなか
8
ラヴェル《左手のための協奏曲》の演奏独占権は 1936 年まで。その他の作品
も概ね契約日から 5 年間の演奏独占権を要求していた。
31
ったであろう。1932 年 M.ラヴェルへの委嘱作品である《左手のためのピアノ協
奏曲》の初演をラヴェルの指揮で行った際、 パウルが楽譜通りに演奏しなかった
ため、激怒したラヴェルは二度とパウルと演奏することはなかった。また、パウ
ルが唯一残した録音の出来があまりよくないため演奏自体評価されていない。
しかし、彼が行った左手作品に対する活動、とりわけ委嘱活動は現在の左手作品
普及の大きな要となっている。
6. アメリカでの生活と晩年
パウルは、1934 年 10 月にアメリカへ演奏ツアーに出かけている。ボストン、
ニューヨーク、デトロイト、クリープランド、ロサンゼルス、モントリオールで
の演奏会を終え翌年の 2 月にウィーンに戻った。アメリカに滞在する間にも、パ
ウルは Fr.シュミットの新しい協奏曲の準備を進め、帰国してまもなく楽友協会
にて彼の《ピアノ協奏曲第 2 番》を初演している。その後もパウル の演奏家とし
てのキャリアは順調といえ、アメリカにも呼ばれるほどになった。しかし、故郷
オーストリアで、彼ら一家はナチスの迫害を受け、逃れるようにアメリカに亡命
した。やっとのことでアメリカの市民権を得たパウルは、アメリカを中心に晩年
近くまで演奏旅行を行っていたとされる。彼が亡くなった 1961 年 3 月、アメリ
カ『ニューヨーク・タイムズ』には長文の記事、ロンドンでは『グラモフォン』
に指揮者トレヴァーハーヴィー氏によるヴィットゲンシュタインへの追悼文、
『タ
イムズ』に古くからの友人マルガによる追悼文が寄せられた。友人への忠誠心は
彼の強烈な個性の一部であった、と書かれたマルガの一文からも分かるようにヴ
ィットゲンシュタインが音楽に対しても交友関係においても心を許すものには異
常なまでの愛情と労力とを注ぐ人物であったことが窺える。その一方で対立する
ことも多々あった。兄弟たちとの確執、委嘱依頼した作曲家や、その周りにいる
人物との意見の不一致などが起因し、彼の死後の評判は生前と比べると著しく低
い。そんな彼の当時の演奏を窺える唯一の資料として、1937 年に W.ヴァルター
指揮のもと演奏されたラヴェルの協奏曲、自身の編曲によるシャコンヌの録音が
残っている。ラヴェルのものは、彼の独自の改編(特に低音)が加えられているた
め、演奏は細かいミスが多く、音が不明瞭な箇所が見られるものの、ポリフォニ
ー的な箇所では実に鮮明な声部の弾き分けを披露しており、それがシャコンヌの
録音でより証明されている。一つ一つの音にやや神経質な印象を受けるが、ある
時にはフレーズの処理が粗雑な演奏もあったようで、それが彼の特徴でもあり、
批判される対象だったといえる。彼は多くの弟子を抱えており、彼らを無償で教
えることに充足していたものの、パウルとって演奏活動がやはり一番の自己表明
であった。左手のピアニストとして生きるために必要な指の訓練を、彼は自身の
研鑽によって考案したのが次節の著書である。
32
ここでパウルの生涯年表をまとめておく。
パウル (カール・ヘルマン) ヴィットゲンシュタイン
【表1】 Paul (Carl Hermann) Wittgenstein(1887-1961)生涯年表
年月日
年齢
生い立ち
オーストリア・ウィーンにて
ヴィットゲンシュタイン家の4男として誕生
1887年 11月5日
1897年
10歳
(T.レシェティツキTheodore Leschetizkyの助手である)
M.ブレMalvine Bréeの弟子になる
1903年
16歳
オーストリア東部ヴィーナー・ノイシュタット(Wiener Neustadt)の
ギムナジウム(gymnasium)入学
1907年
~
09年
20
~
22歳
3年強制兵役へ。予備隊の下級将校・騎兵連隊となる
1910年 9月
22歳
M.ブレの師であるT.レシェティツキの弟子になる
ウィーン工科大学に入学、直後ベルリンにて
銀行業の見習いの仕事をする(父カールCarlの強い勧め)
1913年 1月20日
25歳
父カール、永眠
12月1日
26歳
ウィーンにてピアニストデビュー
1914年 2月
〃
グラーツ(Graz)でリサイタル
7月
〃
第一次世界大戦勃発。軍に召喚され第6騎兵隊(尐尉)。
ガリツィア戦線へ
8月
〃
ロシア領ポーランド・ザモシチ(Zamość)にて右肘に被弾、
手術により右腕を切断
ロシア軍の捕虜となる
(ヘウムChełm→ミンスクMinsk→キエフKiev→オリョール
Oryol→モスクワMoskva→ペトログラードPetrograd→オムスク
Omskに移送される)
1915年 1月
27歳
オムスク市内のホテル(捕虜収容所として使用)の
アップライトピアノで練習再開
(暗譜していた両手のオリジナル作品を左手のみで
奏する練習を始める)
3月末頃
〃
オムスク市内の強制収容所(クレポスト)に移送
6月
〃
パウルの依頼により書かれたJ.ラーボルJosef Labor作曲
《小協奏曲 ニ長調》が完成
重傷者・身障者を対象とした捕虜交換により、
フィンランドとスウェーデン国境ハパランダ(Haparanda)へ
11月8日
28歳
11月21日
〃
ウィーンに到着(帰還)、右腕2度目の手術
〃
浴槽で転倒し、指を骨折
1916年 1月
オーストリア軍に100万オーストリア・クローネを寄付
33
3月
〃
軍事勲章(第3等級)を授与、中尉に昇格
3月31日
〃
ヴィットゲンシュタイン邸の音楽室にて内輪だけの演奏会
(J.ラーボルの《小協奏曲 ニ長調》を2台ピアノで演奏)
10月
〃
軍事勲章(第2等級)を授与
10月28日
〃
ヴィットゲンシュタイン邸の音楽室にて内輪だけの演奏会
(J.ラーボルの四重奏曲、
F.メンデルスゾーンの2つの小品を演奏)
12月12日
29歳
ウィーン・楽友協会にて再デビュー(公開演奏)
〃
ブロツワフ(Wrocław)、クラドノ(Kladno)、テプリツェ
(Teplice)、ブルノ(Brno)、プラハ(Praha)にて演奏会
3月
〃
ドイツ・シュトゥットガルトの
ベートーヴェン・ホールにて公演(ドイツ初公演)
8月
〃
軍に召集、ケルンテン州フィラハ(Villach)の陸軍本部へ配属
9月末
〃
ウクライナ西部の第4陸軍司令本部、通信部へ配属
30歳
ガルダ湖北岸のリーバ(Riva)に配属(イタリア戦線へ)、
A.v.シーサー将軍の副官となる
1917年 初旬
1918年 3月
8月
8月~
〃
陸軍退役
1920年
30~
33歳
公のコンサート生活を一旦やめ、左手のピアノ作品を探す
1921年 ~
34歳
ソロ、室内楽のリサイタル生活に復帰
1922年 6月
〃
6月23日
12月~
J.ラーボルの80歳を記念し、ウィーンにて1週間にわたる
「ラーボルの音楽の宴」が開催される
(J.ラーボルの協奏曲を演奏)
35歳
有名作曲家などに作品委嘱を開始
(F.シュミットFranz Schmidt, S.ボルトキエーヴィチSergej
Bortkiewicz, P.ヒンデミットPaul Hindemith,E.コルンゴルト
Erich Wolfgang Korngold にピアノとオーケストラのための
(左手用)協奏曲を委嘱)
1923年
〃
1924年 2月2日
9月
36歳
P.ヒンデミット《管弦楽つきピアノ音楽》完成
(パウルは一度も演奏しない)
F.シュミットの
《(左手の)ピアノと管弦楽のための
ベートーヴェンの主題による協奏変奏曲》を初演
(作曲委嘱の成功により、若い作曲家が左手用の楽曲を
売り込みにくるようになる)
〃
E.コルンゴルトの《ピアノ協奏曲 ハ長調》を初演
〃
R.シュトラウスRichard Straussに作品を委嘱
34
1925年 2月
37歳
E.シュットEduard Schüttの
《ピアノとオーケストラのためのパラフレーズ》を初演
1926年 6月3日
38歳
母レオポルディーネLeopoldine、永眠
1928年 1月15日
40歳
ベルリンにてR.シュトラウスの《パンアテネの大祭》を初演
(酷評を得る)
〃
ウィーンにてR.シュトラウスの《パンアテネの大祭》を演奏
(大絶賛を浴びる)
〃
H.ガルHans Gàlの《四重奏曲》初演
3月
〃
1929年 1月11日
41歳
S.ボルトキエーヴィチの《ピアノ協奏曲 第2番》を演奏
〃
M.ラヴェルMaurice Ravelに作品委嘱
〃
弟ルードウィヒLudwigの友人である
R.コーダーRudolph Koderを最初の弟子にする
1930年
42歳
S.プロコフィエフSergei Sergeevich Prokofievが
作品委嘱に合意
1930年 6月~7月
42歳
ロシアへ演奏旅行
(モスクワMoskva、レニングラードLeningrad、バクーBaku、
キエフKyyiv、ハリコフK'har'kovなどのホールにて演奏)
1931年
43歳
S.プロコフィエフの《ピアノ協奏曲第4番》完成
(パウルは一度も演奏しない)
9月
1932年 ~
1月5日
ウィーンの街頭で転倒し、大腿部骨折
〃
無給で新ウィーン音楽院のピアノ教授に就任
〃
《新ウィーン・ジャーナル》の音楽批評の手伝いを無償で始める
44歳
ウィーン・楽友協会にてM.ラヴェルの《左手のための協奏曲》を初演
1933年 1月17日
45歳
パリ・プレイエルホール(Salle Pleyel)にて
M.ラヴェルの《左手のための協奏曲》を演奏(ラヴェル指揮)
1934年 4月
46歳
イタリア・フィレンツェにて
国際現代音楽協会の音楽祭に参加
M.ラヴェルの《左手のための協奏曲》を演奏
9月
〃
11月
47歳
のちに妻となるヒルデHildeが、
新ウィーン音楽院のピアノ科に入学
アメリカ・ツアーへ
(ボストンBoston、ニューヨークNew York、デトロイトDetroit、 クリーブ
ランドCleveland、ロサンゼルスLos Angeles、モントリオール
Montreal)
1935年 2月2日
〃
ウィーンに帰国
2月9日
〃
ウィーン・楽友協会にてF.シュミットの《ピアノ協奏曲第2番》を初演
35
5月24日
〃
ヒルデとの間に娘エリーザベトElisabethが誕生
1936年
48歳
ザルツブルグ音楽祭にて演奏
1937年 3月10日
49歳
ヒルデとの間に次女ヨハンナJohannaが誕生
〃
(過去の血統から)ユダヤ人とみなされ、
ナチス政権の反ユダヤ政策の対象とされる
1938年 3月11日
50歳
愛国主義者の容疑で逮捕、新ウィーン音楽院を解雇される
11月
51歳
ヒルデと娘2人、家政婦が短期ビザでスイス入国
12月
〃
アメリカ音楽界からの特別な計らいによりアメリカに亡命
(パウルのみ)
(クリーブランド管弦楽団の首席指揮者
A.ロジンスキArtur Rodzinskiから共演の誘い)
(デイヴィット・マネス音楽院ウェストチェスター校からの
無給の教職の誘い)
1939年 ~
〃
アメリカ・ニューヨークにて、
オーストリアのナチス政権を転覆させるための組織
「オーストリアン・アクション(亡命者組織)」に加盟
アメリカ兵への慰問演奏などの演奏活動を行う
〃
1940年
52歳
〃
8月20日
1941年 11月30日
53歳
1942年 1月16日
〃
3月13日
ヒルデと娘2人、家政婦がキューバ・ハバナHabanaに到着
B.ブリテンBenjamin Brittenに作品委託
アメリカ観光ビザ切れにより一時出国し、
キューバ・ハバナにてヒルデと結婚
息子パウル・ジュニアPaul jr.が誕生
B.ブリテンの
《ピアノ協奏曲ディバージョンズ》を初演(フィラデルフィア)
B.ブリテンの《ピアノ協奏曲ディバージョンズ》をニューヨークで演奏
1944年 12月
55歳
アメリカ軍の爆撃機により、ウィーンのヴィットゲンシュタイン宅破壊
1946年
58歳
アメリカ市民権取得
1949年 3月
60歳
亡命後初めてウィーンに帰国し、
F.シュミット没後10年記念コンサートに招待演奏
3月14日
F.シュミットの
《(左手の)ピアノと管弦楽のための
ベートーヴェンの主題による協奏変奏曲》を演奏
3月19日
F.シュミットの2つのピアノ五重奏曲を演奏
4月
1957年
〃
69歳
〃
1961年 3月3日
73歳
アメリカへ戻る
ロンドン・ユニバーサル・エディション社より
《左手のためのピアノ教則本School for the Left Hand》(全3巻)出版
フィラデルフィア音楽アカデミーから名誉博士号を授与
永眠
36
第2節
《左手のためのピアノ教則本》
表舞台から半ば引退していたヴィットゲンシュタインは、1957 年に唯一の著書
である《左手のためのピアノ教則本》全 3 巻をロンドン・ユニバーサル・エディ
ション社から出版している 9 。第 1 巻を訓練集 Exercices / Fingerübungen、第 2
巻を練習曲集
Etudes / Etüden 、 第 3 巻 を 編 曲 集
Transcriptions /
Bearbeitungen とし、題名、序文(3 巻とも同文)、内部の注意書きに至るまで全
て英語とドイツ語で表記されている。彼は書の初めに「私の師 M.ブレ先生の思い
出に」と記載し、序文ではこの教則本について「自身の片腕のピアニストとして
のキャリアの記録である 10 」と綴っている。この序文には全 3 巻における奏法の
注意点、運指法や記載された記号の意味、ペダルなどが書かれているため、以下
追って見ていくこととする。
「これらの訓練集、練習曲集、そして編曲集は、私の片腕のピアニストとして
のキャリアを積む中で記録されたものである。あるパッセージに使った運指法は、
片手で演奏することに慣れていないピアニストにとっては、不思議に思えるかも
しれない。しかし。これらの作品を書いてある運指で試してみるよう助言する。
これは片腕のピアノ奏法の基本的なルールの基にして、私の経験から立証、選択
した運指であるためだ 11 」
彼は、和音(特に開離型和音)について、一般的な指使いでは用いられない指使
いを用いるよう薦めている(例 1 参照)。
彼の考えた指使いを実践してみると、へ音譜表の g 音(第 3 指)とト音譜表の e 1 音
(第 2 指)間の 6 度音程を押さえる際に非常に困難であった。
9
10
11
筆者の手元にある彼の教則本は 1957 年に版権がとられたものであるが、
序文の後に訂正 Errata が載せてあるため、初版のものではない可能性がある。
P.Wittgenstein. School for the Left Hand. 1957. Preface.
注 6 に同じ。
37
しかし、この指使いと手首の回転をうまく使えば素早く和音を鳴らすことができ、
分かれた(離れた)和音を片手で弾いているという、いわばデメリットが目立ちに
くい利点がある。同じように、彼は以下のような奏法も序文内で要求している。
例 2 の譜面を演奏する際に、我々は通常低音の c 音を鳴らした後に上部の和音を
弾く。それはピアノの構造上、低音から高音へ移っていく方が倍音を多く鳴らす
ことができ響きが豊かになるが故である。ヴィットゲンシュタインの場合、弧の
ような記号(例 2)が付加された和音奏法(特に第 3 巻に多く見られる)の場合は、ま
ず和音(ト音記号の側)を弾いた後ただちに低音をピアニッシモで押さえるよう指
示している(例 3)。この奏法はダンパーペダル(以下ペダルと称する)を用いて実行
することにより、まるで広範囲に及ぶ和音をあたかも同時に鳴らしている(同時に
弾いていたかの)ような効果をもたらす、としている。これら 2 つの奏法は、片腕
で奏すること=ハンディキャップと聴衆に感じられることを極力嫌った彼が考え
ついた独特の奏法である。
彼 は 片 手 奏 法 に お い て (多 声 音 楽 を 演 奏 す る 際 は 特 に )ペ ダ ル
で、とりわけハーフペダル
は必要不可欠
(ダンパーペダルの半踏み換え)の技術はとても重
要であるとし、第 2 巻と第 3 巻の楽譜上には細かく指示されている(例 4)。
38
また、彼は強い音を欲した時に、握りこぶしを使って鍵盤を叩くことが時々あ
ったようだが、これらも楽譜上に「○」と示している(例 5)。また、「✓」と記さ
れた箇所は、ふと生じる短い間 pause を空けるよう指示している(例 6)。
例 5)
例 6)
第 1 巻(訓練集)は、ヴィットゲンシュタイン自身が左手のピアニストになるため
に考案し実践したであろう訓練用動機が 190 例ほど挙げられている。訓練集にはも
ともと技術的な困難を体系化した練習法によって克服する、という特徴があり、指
を均等化させる目的がある。ヴィットゲンシュタインのものを大きく分けると、指
の技術の訓練 8 例、二重音の訓練 43 例、トリルの訓練 74 例、多声奏法の訓練 63
例、その他 2 例で、さらに大部分の訓練を全ての調に移調して奏するよう書かれて
おり(i.a.k. / d.a.T. 12 )、第 1 巻をマスターする には相当の技術と根気 が必要である。
ヴィットゲンシュタインが指定した、特殊な指使いを使う訓練がいくつかある。
通常、左手の音階訓練(以下スケールとする)において、白鍵から始まる上行スケー
ルでは主音を第 5 指から始め、第 1 指まできたら次に第 3 指か第 4 指でまたぎ、上
行する。下行の場合も第 3 指か第 4 指まできたら第 1 指をくぐらせて下行するもの
が、もっとも一般的に使用される指使いである。しかし、彼の教則本では、上行に
おいて 54321-54321…(指)と、連続して使用するスケール(譜 1*印)が使われていた
り、下行において 12345-45 と、第 4 指が第 5 指をまたぐ箇所がある(譜 2*印、例
7)。こうした指使いは、通常用いられる指使いより指と手 を収縮させなければなら
ず、手首もより大きくひねる、起こすなどの柔軟性を必要とする(例 8)。
12
i.a.k.は play in all keys、d.a.T.は durch alle Tonarten zu spielen の略。
39
【譜 1: 第 1 巻 第 2 番】
【譜 2: 第 1 巻 第 1 番】
例 7) *印箇所。第 4 指が第 5 指をまたぐ
40
例 8) 12345 123…指の下行型スケールの例。
第 1 指を第 5 指にくぐらせる際、手首を大きくひねっている。
ただし、こうした指使いを用いたスケールは第 2 巻、第 3 巻の中でも数ヵ所の
みで、連続して取り入れられているのは第 1 巻のみである。
第 2 巻(練習曲集)は、他の作曲家による有名な作品の一部分を使用して、ある
技術を集中的に訓練するための楽曲が 13 例収められている。しかし、第 1 巻の
訂正 (Errata) によれば、第 1 巻 77 ページ下から 82 ページまでに収められている
6 例を第 2 巻に属するように書かれているため、本論文で考察していく第 2 巻の
曲目対象は 20 例 13 とする。
第 3 巻(編曲集)は、他の作曲家による作品を、左手用の作品へ編曲したものが
27 曲収められており、これらは左手のピアノ作品として完結しているため、演奏
会でも披露できるものである。
その他の特徴については、第 3 章にて明らかにしていく。
13
Fr.ショパンによる練習曲 作品 10 の 12 は、技術に応じて 2 通り挙げられて
いるため、それぞれ別個に数えることとする。
41
第3節
委嘱作品と献呈作品
ヴ ィ ッ ト ゲ ン シ ュ タ イ ン が 右 手 を 負 傷 し た 翌 年 に 、自 分 の 師 で あ る J.ラ ー ボ ル
に母を通じて初めて左手のための作品を委嘱したことは前出のとおりである。
以下、作品リストとして彼が委嘱したものや、彼に献呈または送られてきたもの
を 作 曲 者 の 生 年 順 に 並 べ た (表 2)。
【 表 2: P.ヴ ィ ッ ト ゲ ン シ ュ タ イ ン に ま つ わ る 委 嘱 、 献 呈 作 品 】
1. P.ヴィットゲンシュタインが委 嘱 して生 まれた作 品
作曲者名
作曲年
作品名
(出 版 )
左 手 ピアノとオーケストラのための変 奏 曲 形 式 の小 協 奏 曲
1915
ニ長 調
Concert Piece in Form of Variations for Pianoforte
Left Hand and Orchestra 10
1916
ピアノとヴァイオリンのためのソナタ ホ長 調
Sonata in E major for Pianoforte and Violin
ピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロのための
ヨーゼフ・ラーボル
1916
Josef Labor
Piano Quartet no.2 op.6 for Pianoforte, Violin, Viola,
Cello
(1842-1924)
1917
1917
1919
1920
10
ピアノ四 重 奏 曲 第 2 番 ハ短 調 作 品 6
ピアノとオーケストラのための小 協 奏 曲 ヘ短 調
Concert Piece in f minor for Pianoforte and Orchestra
ヴィオラ、ピアノ、クラリネットのための三 重 奏 曲 ホ短 調
Trio in e minor for Viola, Pianoforte and Clarinet
ピアノ、クラリネット、チェロのための三 重 奏 曲 ト短 調
Trio in g minor for Pianoforte, Clarinet and Cello
ピアノ独 奏 のための幻 想 曲 嬰 ヘ短 調
Fantasy for Piano Solo in f sharp minor
第 1 章 の 注 2 に 挙 げ た よ う に 、 外 国 語 表 記 に つ い て は D.パ タ ー ソ ン の 著 書
(One Handed) に 依 拠 す る こ と と し 、こ れ に な い も の に つ い て は T.エ ー デ ル の
著 書 (Piano Music for One Hand) や 、 A.ヴ ォ ー の 著 書 (The House of
Wittgenstein)、 H.ブ ロ フ ェ ル ト Hans Brofeldt の 記 事 (Piano Music for the
Left Hand Alone)を 参 考 に し て 記 載 し た 。
42
1923
小 協 奏 曲 第 3 番 変 ホ長 調
Concert Piece no.3 in E flat major
ピアノ、フルート、オーボエ、ヴィオラ、チェロのための
?
五 重 奏 曲 (嬉 遊 曲 )
Quintet(Divertimento) for Pianoforte, Flute, Oboe,
Viola and Cello
左 手 ピアノとオーケストラのための家 庭 交 響 曲 余 録 作 品 73
1924
Hand und Orchester op.73
リヒャルト・シュトラウス
Richard Strauss
(1864-1949)
Parergon zur Sinfonia Domestica, für Klavier linke
パン・アテネの大 祭 :パッサカリア形 式 の交 響 的 練 習 曲
1927
作 品 74
Panathenänzug: Sinfonische Etüde in Form einer
Passacaglia op.74
ピアノ(左 手 )とオーケストラのための
1923
ベートーヴェンの主 題 による協 奏 的 変 奏 曲 1 1
Concertante Variations on a Theme of Beethoven
for Piano(Left Hand) and Orchestra
2 つのヴァイオリン、ヴィオラ、チェロとピアノ(左 手 )のための
1926
Piano Quintet for two Violins, Viola, Cello and Piano
in G major
フランツ・シュミット
ピアノ、ヴァイオリン、クラリネット、ヴィオラ、チェロのための
Franz Schmidt
(1874-1939)
ピアノ五 重 奏 曲 ト長 調
1932
五 重 奏 曲 変 ロ長 調
Quintet for Piano, Violin, Clarinet, Viola and Cello
in B-flat major
1934
ピアノ協 奏 曲 第 2 番 変 ホ長 調
Piano Concerto no.2 in E major
ヴァイオリン、クラリネット、ヴィオラ、チェロとピアノのための
1938
五 重 奏 曲 イ長 調
Quintet for Violin, Clarinet, Viola, Cello and Piano
in A major
1938
11
トッカータ ニ短 調
Toccata in d minor
ベ ー ト ー ヴ ェ ン の ヴ ァ イ オ リ ン ・ ソ ナ タ 「春 」の 主 題 に よ る 。
ヴ ィ ッ ト ゲ ン シ ュ タ イ ン は 、 自 身 の 著 作 「練 習 曲 集 」に お い て 、 こ の 曲 の 一 部
(オ ー ケ ス ト ラ パ ー ト )を 改 編 し 、 左 手 の み の 練 習 曲 の 1 例 に 挙 げ て い る 。
43
モーリス・ラヴェル
Maurice Ravel
1930
(1875-1937)
セルゲイ・ボルトキエーヴィチ
Sergej Bortkiewicz
1930
(1877-1952)
セルゲイ・プロコフィエフ
Segej Prokofiev
1931
(1891-1953)
Concerto pour la main gauche seule, D major
協 奏 曲 第 2 番 変 ホ長 調
作 品 28
Concerto no.2 in E-flat major, op.28
ピアノ協 奏 曲 第 4 番 変 ロ長 調 作 品 53
Piano Concerto no.4 in B-flat major, op.53
ピアノとオーケストラのための協 奏 曲 作 品 29(紛 失 )
パウル・ヒンデミット
Paul Hindemith
左 手 のみのためのピアノ協 奏 曲 二 長 調
1923
(1895-1963)
Klaviermusik: Konzert für Piano und Orchester,
op.29
左 手 のためのピアノ協 奏 曲 嬰 ハ調 作 品 17 (単 一 楽 章 )
エーリッヒ・ヴォルフガング・
1923
in C-charp, op.17
コルンゴルト
ピアノと 2 つのヴァイオリンとチェロのための組 曲
Erich Wolfgang Korngold
(1897-1957)
Klavierkonzerte: Piano Concerto for the Left Hand
1930
作 品 23
Suite for Piano, two Violins and Cello op.23
ピアノとオーケストラのための主 題 と変 奏 作 品 21
ベンジャミン・ブリテン
Benjamin Britten
1940
(1913-1976)
Diversions on a Theme for Piano and Orchestra,
op.21
2. P.ヴィットゲンシュタインに献 呈 、または送 られてきた作 品
アレクシス・ホレンダー
Alexis Holländer
?
(1840-1924)
左 手 のみのための 2 つの音 詩 作 品 69
Two Tone Poems for the Left Hand Alone, op.69
ヨハン・シュトラウスの《ウィーンの森 の物 語 》に基 づく
エドゥアルト・シュット
Eduard Schütt
左 手 ピアノとオーケストラのためのパラフレーズ
1929
(1856-1933)
Paraphrase für Klavier für die linke Hand und
Orchester über G’eschichten aus dem “Wiener
Wald”von Johann Strauß
左 手 のみのためのヨハン・シュトラウスの主 題 による
1935
モーリス・ローゼンタール
以前
Moritz Rosenthal
新 しいウィーンの謝 肉 祭
Neuer Wiener Carneval nach Themen von Johann
Strauß (für die linke Hand allein)
(1863-1936)
?
グノー《ファウスト》による幻 想 曲
Fantasie über Gounod's “Faust”
44
フェリックス・ローゼンタール
Felix Rosenthal
?
(1867-1946)
ルドルフ・ブラウン
Rudolf Braun
(1869-1925)
?
(1927)
1931
1933
(1870-1949)
1928
(1870-1938)
1924
(1881-1949)
ハンス・ガル
1927
(1890-1987)
アレクサンダー・タンスマン
Alexander Tansman
1943
(1897-1986)
1947
ノーマン・デムース
Norman Demuth
1947
(1898-1968)
1949
ヴァルター・ブリヒト
左 手 のための練 習 曲 作 品 47
Study for Left Hand, op.47
自 作 の主 題 による変 奏 曲
Variations on an Original Theme for Piano,
前 奏 曲 作 品 61
Prelude(Larghetto) op.61
宝 石 のワルツの主 題 による交 響 的 変 容
Symphonic Metamorphosis of the Schatz -Waltzer
Themes from "The Gypsy Baron" by J.Strauss Ⅱ
カール・ヴァイグル
Hans Gál
Piano Concerto in a-minor for Left Hand
ヨハン・シュトラウスⅡ世 の《ジプシー男 爵 》にもとづく
レオポルト・ゴドフスキー
Karl Weigl
左 手 のためのピアノ協 奏 曲 イ短 調
Clarinet and String Trio
1935
Leopold Godowsky
Impromptu for the Left Hand
ピアノ、クラリネット、弦 楽 トリオのための
アーネスト・ウォーカー
Ernest Walker
左 手 のための即 興 曲
1933
ピアノ協 奏 曲
Piano Concerto
ピアノ四 重 奏 曲 イ長 調
Piano Quartet in A major
左 手 ピアノのための小 協 奏 曲
Concert Piece for Piano Left Hand
ピアノ協 奏 曲
Piano Concerto
三 つの前 奏 曲
Three Preludes
ピアノとオーケストラのための伝 説
Legend for Piano and Orchestra
左 手 のみのための四 つの小 品 作 品 30
Four Pieces for the Left Hand Alone op.30
45
1936
ヴァルター・ブリヒト
Walter Bricht
1937
(1904-1970)
グノー《ファウスト》の動 機 にもとづく幻 想 曲
Fantasy on Motives from Gounod's “Faust” WoO 12 15
《こうもり》の主 題 にもとづく幻 想 曲
Fantasy on Themes from “Die Fledermaus” WoO 16
ピアノ、フルート、チェロのための
1942
古 いドイツのわらべ歌 による変 奏 曲
Variations on an Old German Children's Song
for Piano, Flute and Cello
レオナルド・カッスル
Leonard Kastle
?
(1929-)
ヨーゼフ・ヘルツ
Josef Herz
(?)
?
協奏曲
Concerto
左 手 のための間 奏 曲
Intermezzo für die linke Hand
1918 年 に 退 役 し 、帰 国 し て か ら の パ ウ ル は 1922 年 4 月 ま で 人 前 で の 大 規 模 な
演 奏 会 を し て い な い 。 そ れ を 案 じ て 、 J.ラ ー ボ ル は 次 々 と 作 品 を も っ て き た が 、
その多くはもともと両手用に書かれたものをパウルの症状に合わせて書き直され
た も の で あ っ た 。 パ ウ ル が ラ ー ボ ル に 委 嘱 し た 左 手 の た め の 作 品 は 、 1916 年 12
月 12 日 に 〈 左 手 ピ ア ノ と オ ー ケ ス ト ラ の た め の 変 奏 曲 形 式 の 小 協 奏 曲 〉 が 演 奏
さ れ 、 翌 年 の 1917 年 1 月 7 日 に は 〈 ピ ア ノ と ヴ ァ イ オ リ ン の た め の ソ ナ タ 〉 と
〈 ピ ア ノ 、ヴ ァ イ オ リ ン 、ヴ ィ オ ラ 、チ ェ ロ の た め の ピ ア ノ 四 重 奏 曲 作 品 6〉が
披 露 さ れ た 。 ま た 、 1923 年 (81 歳 )に 作 曲 し た 彼 の 最 後 の 完 成 作 品 で あ る 〈 小 協
奏 曲 第 3 番 〉は 、同 年 の 11 月 10 日 、完 成 し た ば か り の ウ ィ ー ン・コ ン ツ ェ ル ト
ハウス大ホールでウィーン交響楽団と共にルドルフ・ニリウスの指揮により演奏
されている。その後、パウルによる演奏記録が残っているのはラーボルの没後で
あ る 1932 年 か ら で 、 1932 年 1 月 25 日 に 〈 ヴ ィ オ ラ 、 ピ ア ノ 、 ク ラ リ ネ ッ ト の
た め の 三 重 奏 曲 〉、 1932 年 3 月 18 日 に は 〈 ピ ア ノ 、 フ ル ー ト 、 オ ー ボ エ 、 ヴ ィ
オラ、チェロのための五重奏曲〉が演奏されている。
1922 年 12 月 か ら 1923 年 イ ー ス タ ー (春 )に か け て 、エ ー リ ッ ヒ・ヴ ォ ル フ ガ ン
グ ・ コ ル ン ゴ ル ト Erich Wolfgang Korngold(1897-1957)、 フ ラ ン ツ ・ シ ュ ミ ッ ト
Franz Schmidt(1874-1939) 、パ ウ ル ・ ヒ ン デ ミ ッ ト Paul Hindemith(1895-1963) な
どの著名な作曲家と、あまり有名ではない作曲家セルゲイ・ボルトキエーヴィチ
Sergej Bortkiewicz(1877-1952) に ピ ア ノ (左 手 の み )と オ ー ケ ス ト ラ の た め の 作 品
12
WoO 作 品 番 号 のない作 品
46
を書いてほしいと頼んだ。パウル自身、ソロ作品よりも協奏曲や室内楽作品の方
が 片 腕 (左 手 )の ピ ア ニ ス ト と し て 大 い な る 成 功 の チ ャ ン ス が あ る 、 と 考 え て い た
ためだろう。新ウィーン学派の人々とも交流のあったとされるパウルだが、保守
的 で 重 厚 な 音 楽 を 好 み 、12 音 技 法 を 使 用 す る 現 代 的 な 音 楽 を 酷 く 嫌 っ た た め 、委
嘱する作曲家は慎重に選んだ。ヒンデミットの作風も好みではなかったが、その
点は彼の挑戦でもあった。同じくラーボルの弟子でもあったアルノルト・シェー
ン ベ ル ク Arnold Schönberg(1874-1951) と は 交 流 が あ っ た に も 関 わ ら ず 、た だ の 1
曲も委嘱していない。
エーリッヒ・コルンゴルトは、パウルのデビュー時代に批評を書いていた新自
由新聞の首席音楽批評家ユリウス・コルンゴルトの息子で、委嘱した際にはまだ
26 歳 ご ろ だ っ た が 、ウ ィ ー ン で は す で に 神 童 と 認 め ら れ て い る 存 在 で あ っ た 。パ
ウ ル は 3000 ド ル と 引 き 換 え に 彼 の 作 品《 左 手 の た め の ピ ア ノ 協 奏 曲 嬰 ハ 調 》を
得 て 、そ の 後 の 演 奏 活 動 に 賭 け た 13 。そ の 初 演 は 1924 年 9 月 22 日 、コ ル ン ゴ ル
ト自身の指揮のもと楽友協会にて演奏されたが、その演奏会にパウルはリヒャル
ト ・ シ ュ ト ラ ウ ス Richard Strauss(1864-1949) を 招 き 、 当 時 最 も 大 成 し て い た 作
曲家に左手のためのピアノ協奏曲を書いてくれるよう打診した 。
フランツ・シュミットはレシェティツキーの弟子でもあり、その作品は当時か
ら オ ー ス ト リ ア で 高 く 評 価 さ れ て い た こ と か ら 、 パ ウ ル は 6000 ド ル の 報 酬 と 引
き換えに作品委嘱をした。シュミットに新作委嘱をするということは、その後ド
イ ツ 語 圏 で の ホ ー ル 演 奏 は 約 束 さ れ た も 同 然 だ っ た 。シ ュ ミ ッ ト の 最 初 の 作 品〈 ピ
ア ノ (左 手 )と オ ー ケ ス ト ラ の た め の ベ ー ト ー ヴ ェ ン の 主 題 に よ る 協 奏 的 変 奏 曲 〉
は 1924 年 の 2 月 2 日 に 初 演 さ れ 、 絶 賛 さ れ た 。
パ ウ ル ・ ヒ ン デ ミ ッ ト の 《 ピ ア ノ と オ ー ケ ス ト ラ の た め の 協 奏 曲 》 は 、 1923
年のシーズンはじめにドイツ・ワイマールとオーストリア・ウィーンでの演奏が
予定されていたが、彼とは初期の頃から作品についての悶着があった。ヒンデミ
ットの作品は理知的で、パウルは理解できるか不安だったが、新作に対する支払
いと引き換えに手稿譜とオーケストラの各パート譜、生涯独占演奏権を受けた。
報 酬 に つ い て は 不 明 だ が 、 ヒ ン デ ミ ッ ト は 全 額 前 払 い で 支 払 わ れ た 報 酬 で 15 世
紀の望楼を買い、建て直せるほどであった。パウルは、楽譜が送られてからこの
難解な新作を理解しようと努めたが、結局無理だと判断し、初演の予約を取り消
し た 。 出 版 も さ れ ず 手 稿 譜 も 紛 失 し た た め 、 こ の 曲 の 存 在 は 2004 年 に な っ て や
っと日の目を見ることとなった。
作 品 に つ い て の 作 曲 家 と の 摩 擦 は ヒ ン デ ミ ッ ト の み に 留 ま ら ず 、コ ル ン ゴ ル ト 、
シュミット、さらにはラーボルとも生じている。左手のみであっても管弦楽に务
らないピアノパートにするべく、オーケストラの部分を度々削除するよう提案し
13
委託料と引き換えに、楽譜の所有権は手にしていたが、独占演奏権について
は当時交渉中であった。
47
た。パウルは本心を偽れない性分であり、思ったことをすぐ言葉にし、行動する
ため、他人と問題を起こすことが多々あったようだ。シュミットは、パウルの多
くの要求を受け入れ黙認した。しかし、コルンゴルトは、この行為を侮辱と受け
取り憤慨したため、パウルは譲歩する姿勢を見せた。しかし、セルゲイ・ボルト
キ エ ー ヴ ィ チ の 作 品 《 協 奏 曲 第 2 番 変 ホ長 調 》 に つ い て は 、 ロ マ ン 派 的 で 美 し
い旋律が特徴的だったゆえに、彼の作品をパウルはたいそう気に入り、たいした
議 論 に は 至 ら な か っ た 。 1923 年 11 月 に ウ ィ ー ン で の 初 演 が 決 ま っ た が 、 ボ ル ト
キエーヴィチへの報酬、初演の内容の記録は残っていない。演奏会の企画者たち
はこぞってこれらの作品の上演を希望したため、独占演奏権を持っていたパウル
はヨーロッパ中の舞台で演奏を披露することとなった。
R.シ ュ ト ラ ウ ス は 、パ ウ ル の 要 望 に 対 し 25000 ド ル で 引 き 受 け 、1924 年 に《 左
手ピアノとオーケストラのための家庭交響曲余録》を完成させた。この作品につ
いても、パウルはオーケストラが重厚すぎて、ピアノが聞こえなくなる、と注文
をつけ協議を重ねた結果、パウルの要求が複雑すぎたため、予定していたドレス
デ ン で の 初 演 日 1925 年 10 月 6 日 に 間 に 合 わ な い ほ ど で あ っ た 。そ の 結 果 と て つ
もなく複雑で技巧的にも難しいうえ、休みが無いピアノパートに仕上がったが、
それでも満足いかなかったパウルは、シュトラウスの 2 作目《パン・アテネの大
祭 》 の 演 奏 に 取 り 組 み だ し た 14 。 こ の 作 品 は 、 ジ ャ ズ 風 で ユ ー モ ラ ス の あ る 楽 曲
だが、これもオーケストラとピアノのバランスが悪く感じられた。趣向を凝らし
て 臨 ん だ 1928 年 1 月 15 日 の 初 演 (ブ ル ー ノ ・ ヴ ァ ル タ ー 指 揮 、 ベ ル リ ン ・ フ ィ
ル ハ ー モ ニ ー 管 弦 楽 団 )だ っ た が 、 ベ ル リ ン で は 酷 評 の う ち に 終 わ っ た 。 し か し 、
2 ヶ 月 後 3 月 11 日 に 行 わ れ た ウ ィ ー ン 公 演 で は 、 大 成 功 を 収 め た 。
これら作曲家の活動とパウルの膨大な作品委託料が話題となり、パウルのもと
には数々の作曲家から頼んでもいない左手のための楽譜が送られてくるようにな
る 。例 え ば 、オ ー ス ト リ ア の 作 曲 家 カ ー ル ・ヴ ァ イ グ ル Karl Weigl(1881-1949) の
《 ピ ア ノ 協 奏 曲 Piano Concerto(1924) 》 は パ ウ ル の 好 み に 合 わ ず 却 下 さ れ た が 、
ハ ン ス ・ ガ ル Hans Gál(1890-1987) の 《 ピ ア ノ 四 重 奏 曲 イ 長 調 》 (1927) は 1928
年 3 月 に 初 演 さ れ た 。彼 ら は 報 酬 も さ る こ と な が ら 名 声 を 得 る 目 的 も あ っ た た め 、
左手のための作品を創作することは当時の無名の作曲家にとっては非常に興味深
い こ と で あ っ た 。も と も と 、左 手 の 作 品 (凡 庸 で は な く セ ン セ ー シ ョ ン を 巻 き 起 こ
す よ う な 作 品 )が 尐 な す ぎ る と 感 じ て い た パ ウ ル に と っ て 、こ の 音 楽 界 の 動 き は 希
望通りであり、また音楽界にも新しいジャンルとして広まっていった。こうした
委嘱作品及び献呈作品は、彼の演奏活動、さらには左手のための作品普及のきっ
かけとなっており、パウルの果たした役割は大きいものがある。
14
この作品に対して委託料を払ったかどうかは不明であるが、コンサート後に
シュトラウスが大豪邸を建てていることからして、受け取っている可能性が
高い。
48
第3章
《左手のためのピアノ教則本》
(全 3 巻)の内容構成
第1節
第1巻
この章では、ヴィットゲンシュタインの教則本について注目していく。彼の唯
一 の 著 書 で あ る《 左 手 の た め の ピ ア ノ 教 則 本 》(1957)は 、前 出 の 通 り 第 1 巻 (訓 練
集 )、第 2 巻 (練 習 曲 集 )、第 3 巻 (編 曲 集 )の 全 3 巻 か ら な っ て い る 。第 2 巻 (練 習 曲
集 )は 、ヴ ィ ッ ト ゲ ン シ ュ タ イ ン が 他 の 作 曲 家 の 両 手 作 品 を 左 手 用 に 改 編 加 工 し た
も の で あ り 、第 1 巻 よ り も 積 極 的 に 取 り 組 む こ と が で き る よ う に 考 案 さ れ た 、と
も 考 え ら れ る 。 第 3 巻 (編 曲 集 )は 、 旋 律 や 音 型 、 曲 の 長 さ が 原 曲 と さ ほ ど 変 わ ら
な い ほ ど の 編 曲 で あ る の に 対 し 、 第 2 巻 (練 習 曲 集 )は 、 あ る 程 度 の 難 易 度 を も つ
音 型 に 焦 点 を 当 て 原 曲 の 一 部 の み を 改 編 し て い る 例 が 多 い 。例 え ば 、第 3 巻 で 取
り 上 げ ら れ て い る 譜 1、2 は 、旋 律 と 伴 奏 が ほ ぼ 原 曲 通 り だ が 、譜 3、4 は 原 曲 の
技 巧 的 な 16 分 音 符 パ ー ト の み が 複 雑 化 さ れ て 書 か れ て い る (a.は 元 の 16 分 音 符 に
1 音 毎 に オ ク タ ー ヴ の 音 を 付 加 し た も の 、b.は 元 の 16 分 音 符 に 6 度 音 程 を 基 本 と
し た 音 を 付 加 し て い る )。
【 譜 1:
J.S.バ ッ ハ フ ル ー ト・ソ ナ タ 変 ホ 長 調〈 シ チ リ エ ン ヌ 〉よ り 第 1-8 小 節 】
【 譜 2:
ヴィットゲンシュタイン版〈シチリエンヌ〉
50
第 1-7 小 節 】
【 譜 3:
Fr.シ ョ パ ン 練 習 曲 作 品 10-12 よ り 第 1-3 小 節 】
【 譜 4:
ヴ ィ ッ ト ゲ ン シ ュ タ イ ン 版 〈 練 習 曲 作 品 10-12〉 よ り 第 1-4 小 節 】
a. 16 分 音 符 1 音 毎 に オ ク タ ー ヴ 音 程 を 付 加 し た も の
b. 音 域 を 変 え 、 6 度 音 程 (も し く は 4 度 、 3 度 )を 付 加 し た も の と
オリジナルの音型
51
第 1 巻 (訓 練 集 )の 目 次 と し て 、ヴ ィ ッ ト ゲ ン シ ュ タ イ ン は 1. 指 の 技 術 の た め の
訓 練 Exercises for Finger Technique / Übungen zur Fingertechnik 、 2. 二 重 音 の
た め の 訓 練 Exercises in Double-Notes / Übungen in Doppelgriffen 、 3. ト リ ル (装
飾 音 )の 訓 練 Trill Exercises / Trillerübungen 、 4. 多 声 体 演 奏 の た め の 訓 練
Exercises in Polyphonic Playing / Übungen im polyphonen Spiel 、と 4 つ の 訓 練 を
とりあげ段階を踏んでいる。また、1 つずつの項目に対して全調に移調するよう
指 示 が あ る (例 外 あ り )。 以 下 、 1 曲 ず つ の 特 徴 と 難 所 を 表 に し て 挙 げ 、 特 徴 の あ
る 訓 練 に お い て は 本 文 に て 指 摘 し て い く (表 1 内 で 譜 ○ と 表 記 )。表 に お い て 親 指 、
人 差 し 指 、 中 指 、 薬 指 、 小 指 を そ れ ぞ れ 12345 の 数 字 で 表 す 。 例 え ば 「 1-5-4」
は 、 「 親 指 -小 指 -薬 指 」 の 意 で あ る 。 和 音 の 場 合 は 指 番 号 を 縦 に 並 べ て 示 す 。 ま
た、留意すべき点、弾きにくい箇所を難所として指摘する。
52
【 表 1】 《 左手のための教則本》
指の技術のための訓練
第 1 巻 (訓練集)
pp.1-8.
特徴
番号
難所
c 1 か ら の 下 行 (1 オ ク タ ー ヴ ス ケ ー ル )、 d 1 か ら の 上 行 、
e 1 か ら の 下 行 、 f 1 か ら の 上 行 …と 交 互 に 逆 行 す る ス ケ ー ル の 連 続
No.1
10 度 の 伸 張 、
上 行 1-4、下 行 5-4-1、
(譜 5)
5-4-5 の 収 縮
上 行 54321-54…指 、 下 行 12345-12…指 を 使 う 10 度 間 の ス ケ ー ル
や
音 型 の 16 分 音 符 と 32 分 音 符 の ス ケ ー ル (上 行 お よ び 下 行 )
10 度 の 素 早 い 跳 躍 1
上 行 1-5、下 行 5-1 の
収縮
No.2
移調した際の指替え
(1 指 ま た は 5 指 に
黒鍵がある場合)
速さの緩急をつける指示あり
No.2 の 指 使 い を 使 用 し た 2~ 3 オ ク タ ー ヴ の ス ケ ー ル
移調した際の指替え
No.3
(1 指 ま た は 5 指 に
(譜 6)
黒鍵がある場合)
各 セ ク シ ョ ン の 最 初 の 音 (第 5 指 )の み ア ク セ ン ト の 指 示 あ り
No.3 の 応 用
各 セ ク シ ョ ン の 最 初 (第 3 指 )と 指 替 え の 難 所 (第 4 指 )に ア ク セ ン ト
下 行 5-4(3)-5
そ の 4(3)指 に
No.4
アクセント
1
こ の 表 に お け る 伸 張 と 跳 躍 に つ い て 、伸 張 は 9 度 内 で の 音 の 移 動 を 意 味 し 、10
度 を 超 え る 音 の 移 動 に つ い て は 跳 躍 、 と す る 。 た だ し 、 和 音 で の 10 度 以 上
の も の に つ い て は 指 が 届 か な い 可 能 性 が あ る が 「伸 張 」と 表 記 す る 。
53
音 型 (上 行 の 時 )と 分 散 三 和 音 (下 行 の 時 )の 16 分 音 符
以下それぞれ音の位置を変えたヴァリエーション
1. 上 行 5-1、 4-1 指 の 伸 張 (9 度 )、 下 行 1-5、 1-4 指 の 跳 躍 (10 度 )
上 行 1-5 指 の 収 縮
すべてに移調の指示
No.5
2. 上 行 1-5-4 指 の ス ケ ー ル 、 1-2-5 指 の 下 行 ア ル ペ ッ ジ ョ
(譜 7)
上 行 5-1、 4-1 指 の
伸張
上 行 1-5、 1-4 指 の
収縮
3. 1 指 と 5 指 間 の 伸 張 と 収 縮
下 行 1-5 指 の 跳 躍 (10 度 )
素早い指の伸縮
4. 上 行 5-1 指 (9 度 )の 伸 張 と 1-4 指 の 収 縮 。 素 早 い 伸 縮
下 行 1-5 指 の 跳 躍 (12 度 )、 5-2 指 の 収 縮 (3 度 )
上 行 1-5-4、 下 行 4-5-1 指 を 使 う ス ケ ー ル 、
移調の指示なし
上 行 4-1 指 、下 行 1-4
番号
指 の 伸 張 (9 度 )
無
音 型 (上 行 の 時 )や
音 型 (下 行 の 時 )の 16 分 音 符
素早い指の伸縮
以下それぞれ音の位置を変えたヴァリエーション
54
上 行 の 時 4-1、 5-1 指 の 伸 張 (9 度 )、 1-4 指 の 収 縮
下 行 の 時 5-3 指 、 も し く は 5-4 指 の 収 縮 (特 殊 な 指 使 い )
一部に 2 種類の指使い
ほ ぼ 1 指 と 5 指 の み を 使 う (下 行 の 時 、 1 ヵ 所 4-1 指 の 伸 張 )
5 指と 1 指間での素早い伸張と収縮
上行の時
5-1、4-1、3-1 指 の
伸張
番号
無
下 行 1-5 指 、 1-4 指 の 伸 張 (9 度 )、 5-1 指 の 収 縮
上 行 4-1 指 の 伸 張 、 5-1 指 の 収 縮
1-5、 1-4 指 の 収 縮
下行の時
1-4 指 の 伸 張
4-1 指 の 収 縮
素早い指の伸縮
移調の指示あり
上 行 3-1、 4-1、 5-1 指 の 伸 張 、 下 行 1-5 指 の 収 縮
上 行 (5-3-1)、 下 行 (1-3-5)の 特 殊 な 指 使 い を 含 む ス ケ ー ル
No.6
拍 子 あ り (5/8)、
(譜 8)
増 8 度の伸張と、減 3 度間のスケール
(下 行 1-4-5、 上 行 5-4-1 指 の 収 縮 )と の 素 早 い 指 の 伸 縮
(下 行 1-4-5、
上 行 5-4-1 指 の 収 縮 )
素早い指の伸縮
55
No.7
下行形の指使い
下 行 形 (5-4-3)の 特 殊 な 指 使 い を 含 む ス ケ ー ル
5-4-3
※ P.W 本 人 自 身 も 「特 殊 」と 記 述
(譜 9)
(指 を 上 か ら ま た ぐ )
No.8
拍 子 あ り (6/4)、 素 早 い 和 音 ポ ジ シ ョ ン の 変 化 (
)
ポジションを変えながら半音ずつ上行、下行する
以 後 ヴ ァ リ エ ー シ ョ ン (主 に オ ク タ ー ヴ 離 れ た 跳 躍 )
※2
1. 元 の 形 そ の ま ま に 1 オ ク タ ー ヴ 離 れ た 跳 躍
1-5 間 の 素 早 い
収縮と伸張
素早いポジションの
変化
2. 低 音 部 は C 音 上 の オ ク タ ー ヴ 1-5-1、
上の分散和音が半音ずつ上昇
3. 2 と ほ ぼ 同 じ 。 上 の 分 散 和 音 が 半 音 ず つ 下 行 す る
※2
この指番号は筆者が参考のため付け加えたものであり、元譜には書かれて
いない。
56
ま ず 、最 初 の 8 例 は 全 5 指 の た め の 訓 練 で あ り 、第 1 番 か ら 第 4 番 は ス ケ ー ル
に 注 目 し て い る 。 第 1 番 (譜 5)で は 、 へ 音 譜 表 と ト 音 譜 表 に お い て 反 行 す る ス ケ
ー ル が 交 互 に 出 て く る た め 2 声 と 考 え る こ と が で き る だ ろ う 。ス ケ ー ル の 到 達 音
と 開 始 音 が 同 時 の た め 、 第 5 指 と 第 1 指 を 10 度 に 伸 張 し (赤 印 )、 そ の 後 す ぐ に
1-4 指 間 を 収 縮 す る (青 印 )必 要 が あ る 。
【 譜 5: 第 1 番 】
第 3 番 (譜 6)で 登 場 す る ス ケ ー ル (第 2 番 、第 4 番 も 同 様 の 訓 練 )は 、通 常 よ く 使
わ れ る 指 使 い で 奏 す れ ば 、 上 行 形 は 54321-321-4321-321 指 … な ど と 続 い て い く
の が 一 般 的 だ が 、 ヴ ィ ッ ト ゲ ン シ ュ タ イ ン の も の は 54321-54321 指 … と 、 全 5
指 を 連 続 で 用 い る (下 行 形 も 同 じ く 12345-12345 指 と 連 続 す る )。す べ て 白 鍵 で あ
れ ば 、さ ほ ど 問 題 が な い よ う に 思 わ れ る が 、第 5 指 や 第 1 指 に 黒 鍵 が く る 調 (ロ 長
調 や 変 ニ 短 調 な ど )で は 指 を ま た ぐ 際 、ま た は く ぐ ら せ る 際 に 手 首 を よ り 大 き く ひ
ねる、指をより収縮させる必要があるため滑らかに奏するのは難しい。
【 譜 6: 第 3 番 】
57
第 5 番 (譜 7)は 、 16 分 音 符 の モ ル デ ン ト (
)音 型 が 基 と な っ た モ デ ル に 、
4 つの訓練が施されている。このモデルには、指番号が指定されていないため
以下①~③のような指使いが考えられるだろう。
【 譜 7: 第 5 番 】
続 く 第 5 番 1~ 4 の 訓 練 の 中 で 、 共 通 の 課 題 と な る の が 1-5 指 の 素 早 い 伸 張 ・
収縮である。全調に移調するよう指示があるが、特に 3 は上行形で第 1 指と第 5
指 の み を 使 う た め (譜 8 参 照 )、 移 調 し 黒 鍵 と 白 鍵 が 交 互 に な る 際 は 指 の 伸 縮 に お
いて難しくなる。
【 譜 8: 第 5 番 2 及 び 3】
58
ま た 、 第 6 番 で は 初 め て 拍 子 記 号 が 見 ら れ る (譜 9)。 ヴ ィ ッ ト ゲ ン シ ュ タ イ ン
の 訓 練 集 の 中 で も 拍 子 記 号 が つ け ら れ て い る も の は 少 な い 。こ の 訓 練 は 、増 8 度
音 程 と 半 音 階 が 交 互 に 出 て く る た め 、 上 行 5-1 指 、 下 行 1-5 指 が 伸 張 し 、 1-4-5
指 の 下 行 半 音 階 、 5-4-1 指 の 上 行 半 音 階 で 収 縮 が 必 要 と な る 。
【 譜 9: 第 6 番 】
続 く 第 7 番 (譜 10)の 赤 印 部 分 で は 非 常 に 特 殊 な 指 使 い を 用 い る 下 行 ス ケ ー ル
が 登 場 す る 。 指 の 構 造 か ら 考 え ら れ る 指 使 い は 、 譜 10 の 上 部 に 記 し た ① や ② が
一 般 的 で あ る が 、ヴ ィ ッ ト ゲ ン シ ュ タ イ ン の 提 案 す る も の は 第 4 指 が 第 5 指 の 上
を 第 3 指 が 第 4 指 の 上 を ま た い で 弾 か な け れ ば な ら ず 、 彼 自 身 も 「特 殊 な 指 使 い
で あ る 」と 記 載 し て い る 。だ が 、実 際 に 弾 い て み る と 手 首 を 少 々 右 に ひ ね ら な け れ
ばならないものの順に長い指に移行していくため、さほど難しくはない。
【 譜 10: 第 7 番 】
59
この項の第 1 番から第 8 番までは、主に単音スケール、1 オクターヴ以上に指
を開いたのちに素早く収縮させるなど、指の素早い伸縮が多く見られ、指や腕の
し な や か な 柔 軟 性 が 求 め ら れ る 。 ま た 、 通 常 の ス ケ ー ル で の 指 使 い は 第 1、 2、 3
指 を 頻 繁 に 使 用 し そ れ ら の 指 を 交 差 さ せ る こ と が 多 い が 、 彼 の 場 合 は 全 5 本 、特
に 弱 い 指 と さ れ る 第 4、 5 指 を 頻 繁 に 用 い て い る ス ケ ー ル が 目 立 つ 。 以 上 の 見 解
から、ここまでは指の独立と、打鍵の均等性を狙っているものであるといえる。
速度や強弱の指示はなく、奏者の任意によるものである。
60
続いて二重音の訓練について同様に見ていきたい。
【 表 2】 二 重 音 の 訓 練
pp.9-27.
特徴
番号
a
難所
16 分 音 符 に よ る 入 り 組 ん だ 二 重 音 (6 度 が 基 本 。4 度 、3 度 、5 度 )
上行では下声部が
音型、
下行では上声部が 音型
121
6 度 の 上 行 454、
212
6 度 の 下 行 545
No.1
(譜 11)
b
a と 同 じ (3 度 が 基 本 。 5 度 、 4 度 、 6 度 )
上行では上声部が
音型、
下行では下声部が 音型
上行形には 3 種類の指使いがある
反行する際の
12
45
4 声 。 上 声 部 ス ケ ー ル (16 分 音 符 )に 対 し 、
No.2
(譜 12)
内 声 部 の 16 分 音 符 の 音 型 は 入 り 組 ん で い る
下 2 声 部 は ス ケ ー ル 調 の 属 音 で 伸 ば す (ペ ダ ル 指 示 付 き 。 1 小 節 分 )
(番 号 無 し )No.2 と 同 じ 、 上 声 部 と 内 声 部 が 逆 に な っ て い る
しかしペダルは、ハーフペダルの指示になっている
(譜 13)
拍 子 記 号 あ り (4/2)、 3 声
上 声 部 の 8 分 音 符 (ノ ン ・ レ ガ ー ト の 指 示 あ り )と 、
No.3
下 2 声 は 3 度 (16 分 音 符 )の ス ケ ー ル 。 短 調 で の 譜 例 あ り
322
上 行 形 543 、
223
(譜 14)
下 行 形 345
61
拍 子 記 号 あ り (5/4)、 3 声
上 声 部 ス ケ ー ル (8 分 音 符 )に 対 し 、 下 は 3 度 (16 分 音 符 )の ス ケ ー ル
322
短調での譜例あり
上 行 形 543 、
No.4
223
下 行 形 345
拍 子 記 号 あ り (4/4)、 No.4 と ほ ぼ 同 じ
No.5
No.4 の 形 が 半 音 階 に な っ て い る
上 声 部 ・ 下 2 声 部 (長 3 度 )と も に 半 音 階
322
上 行 形 543 、
2323
下 行 形 4545 、
No.6
(番 号 無 し )No.6 と 同 じ く 、 上 声 部 ・ 下 2 声 部 (短 3 度 )と も に 半 音 階
(番 号 無 し )下 声 部 の 半 音 階 に 対 し 、 上 2 声 が 長 3 度
(番 号 無 し )上 と 同 じ く 、 上 2 声 (短 3 度 )
ペダルの指示付き、8 分音符 3 つおきに踏むよう指示されている
a
No.7
(譜 15)
3 声。
下 2 声 は 長 3 度 (16 分 音 符 )で
音 型 (上 行 )や
音 型 (下 行 )の 半 音 階
上 声 部 は 長 2 度 間 (3 音 )の 下 行 半 音 階 (8 分 音 符 )
62
次頁と同様
ペダルの指示付き
b
a の上声部と下声部を入れ替えた訓練。
上 2 声 は 長 3 度 (16 分 音 符 )で
音 型 (上 行 )や
音 型 (下 行 )の 半 音 階
下 声 部 は 長 2 度 間 (3 音 )の 下 行 半 音 階 (8 分 音 符 )
c
b をより密集させた形から反行する
上 2 声 は 長 3 度 (16 分 音 符 )で
音 型 (上 行 )や
音 型 (下 行 )の 半 音 階
下 声 部 は 短 3 度 間 (4 音 )の 下 行 半 音 階 (8 分 音 符 )
No.7
伸ばす声部があ
ることで指の独
立性が必要
(譜 15)
2 3
1 2 1
3 -5 や 、 4 -3 -4 な ど
3 度の二重半音階
d
a と類似。
上 声 部 は 短 3 度 間 (4 音 )の 下 行 半 音 階 (8 分 音 符 )
ペダルの指示付き、
a
内 声 が 短 3 度 (3 連 符 )で
音型の半音階となる一方で、
低 声 部 と 上 声 部 が 交 互 に 半 音 階 で 反 行 す る (8 分 音 符 )
低音と高音を弾く
ための素早いポ
No.8
ジションの変化
3 度の指使い
b
a と同じで短 3 度の動きが
音型に変化
63
c
a と同じで上声部の動きを変化
低音と高音を弾く
ための素早いポ
No.8
ジションの変化
3 度の指使い
拍 子 記 号 あ り (3/4)
2 声 。 半 音 階 を 含 む 反 行 を 中 心 と し た 二 重 音 の 連 続 (16 分 音 符 )
No.9
(譜 16)
半音階で反行する
121
345 、
拍 子 記 号 あ り (3/4)
No.9 の 変 形 ( presto で )
3 声。下 2 声が 3 度の連続。上声部はアクセントを伴い旋律的
(後 半 は 下 行 ス ケ ー ル )
No.10
(譜 17)
a
内声が 3 度
上声部と下声部が独立した動きをする
オクターヴ(5-2)の
指使い
No.11
b
a よりも下声部と上声部が離れた形
32
下 行 54 、
32
も し く は 53
64
a
No.11 の 形 に 類 似 。 内 声 が 3 度 の 下 行 ス ケ ー ル
4 音 か ら な る 10
下声部と上声部が和音の 8 分音符で交互に現れる
度間の和音と
ハ長調、変ニ長調、ニ長調……と続く
での
3 度 下 行 スケール、
離 れた音 域 への
和 音 の素 早 い移
動
b
内声部が 6 度の下行スケール
3 音 か ら な る 10
下声部と上声部は単音の 8 分音符で交互に現れる
度間の和音と
ハ長調、変ニ長調、ニ長調……と続く
での
No.12
6 度 下 行 スケール、
(譜 18)
離 れた音 域 への
和 音 の素 早 い移
動
c
a と b を基にして内声となる声部の下行スケールが 3 和音になる
下声部は和音、上声部は単音の 8 分音符で交互に現れる
ハ長調、変ニ長調、ニ長調……と続く
4 音 からなる 10
度 間 の和 音 と
での
第 1 転回形和音の
下 行 スケール
和 音 (4 音 ⇔ 3 度 )の 連 続
和音を含んだ
1-2 の 連 続 (上 行 )
No.13
a
和 音 (第 1 転 回 形 和 音 3 音 ⇔ 3 度 ま た は 4 度 )の 連 続
2
4
指が
第 1 指、または
No.14
第 5 指を軸にし
てまたぐ
65
b
和 音 (第 2 転 回 形 和 音 3 音 ⇔ 4 度 ま た は 3 度 )の 連 続
2
4
c
指が
第 1 指、または
和 音 (基 本 形 和 音 4 音 ⇔ 3 度 )の 連 続
第 5 指を軸にし
a、 b よ り も 入 り 組 ん だ 形 に な っ て い る
てまたぐ
No.14
d
和 音 (基 本 形 和 音 4 音 ⇔ 3 度 )の 連 続
2
4
下行形は c よりも音域が離れている
指が
第 1 指、または
第 5 指を軸にし
てまたぐ
4 和音と 2 和音の
跳 躍 (下 行 )
e
和 音 (第 1 転 回 形 和 音 4 音 ⇔ 4 度 )の 連 続
2
4
指が
第 1 指、または
第 5 指を軸にし
てまたぐ
入り組んだ二重音の訓練
下 行 半 音 階 を含 む
2 1 1
2 音 5 -4 -2
No.15
(譜 19)
上の変奏。短調で黒鍵が含まれる
上 行 半 音 階 を含 む
2 1
2 音 3 -5
下 行 半 音 階 を含 む
2 1 1
2 音 5 -4 -3
66
a 二重音の訓練。低声部に半音階の下行スケール
No.16
b a の 上 声 部 と 下 声 部 を 入 れ 替 え た 形 。 上 声 部 が 21-21-21 と 連 続 す る
拍 子 記 号 あ り (4/4)
ペダルで低音のオクターヴを伸ばしながら、6 度音程の二重アルペッ
ジョ。ハ長調→ハ短調→変ニ長調の属七→変ニ長調のⅠ度……と続く
No.17
通常の二重アル
(譜 20)
ペッジョ
a ペダルで低音のオクターヴを伸ばしながら、反行する二重音
上声部 1 指のみで半音階の連続。内声は 3 音ずつのアルペッジョ
3 連符ごとに異な
る指のポジシ
No.18
(譜 21)
ョニング
b
ペダルで低音のオクターヴを伸ばしながら、平行する二重音
上声部 1 指のみで半音階の連続。内声は 3 音ずつのアルペッジョ
a)下 行 時 の 10 度
67
オクターヴ、3 度、4 度音程の二重音の連続
No.19
a 上 声 部 は 2-1-2-1-2-1… と 交 互 に 使 う 上 行 、 下 行 ス ケ ー ル
下声部は 3 音ずつのアルペッジョと、上声と反行するスケール
(譜 23)
(半 音 を 含 む )
黒鍵含むスケー
ル
b
a の上声部、下声部を逆にしたもの
a 上 声 部 は 2-1-2-1-2-2 指 を 使 う 上 行 の 半 音 階 、
1-2-1-2-1-2 指 を 使 う 下 行 の 半 音 階
下 声 部 は 属 七 と 反 行 ス ケ ー ル (半 音 を 含 む )
上行時の
連 続 し た 5-5、2-2
No.20
b
a の上声部、下声部を逆にしたもの
黒鍵を含む
下声部は上行、下行する半音階
上声部は 2 度間で 2 音ずつ下声と反行する
No.21
68
a
両 声 部 が 3 度 (2 度 )か ら 6 度 間 で 平 行 、 反 行 す る ス ケ ー ル
順に下行していく
2 種類の指使い
(上 の 方 が 一 般 的 )
(下 側 の 指 使 い )
No.22
(譜 24)
b
両 声 部 が 6 度 (7 度 )か ら 3 度 間 で 平 行 、 反 行 す る ス ケ ー ル
2 種類の指使い
順に下行していく
(上 の 方 が 一 般 的 )
、
(下 側 )
c
両 声 部 が 3 度 (2 度 )か ら 6 度 間 で 平 行 、 反 行 す る ス ケ ー ル
2 種類の指使い
順に上行していく
、 (上 側 )
(下 側 )
d
両 声 部 が 6 度 (7 度 )か ら 3 度 間 で 平 行 、 反 行 す る ス ケ ー ル
順に上行していく
69
二 重 音 の 訓 練 で は 、 第 1 部 (指 の 技 術 の た め の 訓 練 )で 培 っ た 指 の 独 立 と 、 手 首
の 柔 軟 さ が さ ら に 重 要 に な っ て く る 。例 え ば 、第 1 番 (譜 11)を 1 声 部 ず つ 弾 い て
みると第 1 部と大差なく弾くことができるが、2 声になると赤印のような箇所で
手 首 を よ り 捻 ら な け れ ば な ら ず (特 に 白 鍵 と 黒 鍵 の 場 合 )、 滑 ら か に 奏 す る た め に
は相当の訓練が必要である。
【 譜 11: 第 1 番 】
第 2 番 (譜 12)で は 、 第 1 巻 で 初 め て ペ ダ リ ン グ の 指 示 が 見 ら れ る 。 3 声 体 と な
っ て お り 、 低 声 部 (属 音 の オ ク タ ー ヴ )は ペ ダ ル に よ っ て 保 持 さ れ て い る 。 低 音 保
持のために書かれたペダリングであるが、非常に音が濁るため音楽的に書かれた
ペ ダ リ ン グ と は い え な い 。ま た 、 二 重 音 の 下 行 ス ケ ー ル で は 3 種 類 の 指 使 い が 提
2 1
示 さ れ て い る 。① に 4 -3 と い う 指 使 い が 見 ら れ る が 、第 3 指 が 第 4 指 を ま た ぐ 必 要
2 1
が で て く る た め 、通 常 で あ れ ば 4 -5 が 多 く 使 用 さ れ る だ ろ う 。ま た 、③ で み ら れ る
1 2
4 -3 の 箇 所 で も 第
1 2
3 指 が 第 4 指 を ま た ぐ 必 要 が あ る た め 4 -5 な ど を 使 う 場 合 が 多 い
1 2
(現 に 3 回 目 に 現 れ た 際 に 、 4 -5 と 書 か れ て い た が 本 人 の errata に よ っ て 訂 正 さ れ
て い る た め 、 意 図 的 に 4-3 指 (困 難 な 方 )を 選 ん で 使 用 し て い る こ と が わ か る )。 こ
こでもヴィットゲンシュタインの指使いの特徴、そして、より難しい物事へ挑戦
する姿勢などが見てとれる。
70
【 譜 12: 第 2 番 】
譜 13 は 、 第 2 番 の 上 2 声 部 が 転 回 さ れ て 逆 に な っ て い る が 、 こ の 訓 練 で は ハ
ー フ ペ ダ ル を 要 求 し て い る (通 常 ペ ダ ル を 踏 ん だ ま ま で あ る と 音 が 非 常 に 混 ざ る
1 2
た め 、こ の よ う に ハ ー フ ペ ダ ル が 多 く 使 わ れ る )。ま た 、上 行 形 (前 半 )に お い て 4 -5 、
2 1
下 行 形 (後 半 )で は 5 -4 の 部 分 で 指 間 を 広 げ た り 縮 め た り す る 必 要 が あ り 、 滑 ら か に
奏するための訓練が必要となる。
【 譜 13: 番 号 無 し 】
71
第 3 番 で 、 3 声 体 の 形 が 登 場 す る (譜 14)。 二 重 音 で は 初 の 拍 子 付 き で 、 上 の 声
部 は 8 分 音 符 で ノ ン・レ ガ ー ト で 弾 く よ う 指 示 が あ る が 、下 の 2 声 は 第 2 指 が 連
続する指使いが多く用いられ、滑らかに速く演奏するには相当の訓練が必要とな
る 。 左 手 の 楽 曲 (彼 の 練 習 曲 集 、 編 曲 集 )で は 3 声 体 以 上 の も の も 多 く 存 在 し 、 そ
れを片手で表現するためには上声部と下声部の分離が必要不可欠であるため、こ
れ 以 降 の 訓 練 は 続 巻 へ の 予 備 訓 練 で あ る と い え る 。小 節 後 半 の 第 4 拍 目 に は 2 通
りの指使いが提示されているほか、ページ下にもう 1 例が挙げてあるため、調に
よ っ て 使 い 分 け る こ と も 可 能 で あ る 。 ま た 、 譜 14 の 上 の 楽 譜 と 比 べ て 分 か る よ
うに調号の間違いが見つかった。
【 譜 14: 第 3 番 】
また、この第 3 番から第 5 番までは短調で弾くための譜例が挙げられているが、
指使いは上記と同じものを用いられる。
第 6 番 か ら は 3 度 の 二 重 音 (半 音 階 )の 訓 練 で あ る 。第 7 番 a(譜 15 a)、b(譜 15 b)~d
で は 、重 音 の 部 分 が
音型や
音 型 に な っ て お り 、さ ら に 第 1 指 や 第 5 指 を 8 分 音
符 分 押 さ え な が ら 重 音 を 弾 か な け れ ば な ら な い た め 、第 3 指 や 第 2 指 が 連 続 し て
用いられるなど運指に多少の無理が見られ、滑らかに奏するには困難である。
72
【 譜 15: 第 7 番 a】
下行形では、同じ音型の反復でありながら前半と後半で異なった指使いが提示さ
れている。
73
【 譜 15: 第 7 番 b】
また、他の指使いの例としてヴィットゲンシュタインが以下の指使いを挙げてい
る 。 そ の 部 分 を 赤 ○ で 示 す と 次 の 通 り で あ る 3。
3
ヘ 音 記 号 の 2 つ 目 の 音 は ♮記 号 の つ い た g 音 の ミ ス で あ る 。ト 音 記 号 の 第 8、9
1 1
2
番目の指使いは、筆者の意見として3
74
指でも可能であると考察する。
下行形にも、次のように別の指使いを提示している。
上 声 部 の 3 度 に 第 5 指 を 使 用 す る 上 の 指 使 い で は 、低 音 の 8 分 音 符 を 音 価 分 保
持することはできないため、やはりペダルに頼らざるをえない。
c は、a や b の形よりも密集した形から反行していく。上声 2 声と下声部が離
れていくにつれ、同じ指での半音階が多用されるため、素早い指先のコントロー
ル が 要 求 さ れ る 。下 行 形 で は 、第 5 指 を 保 持 し な が ら 減 7 度 、減 6 度 離 れ た 音 を
第 4 指 で 弾 く よ う 指 示 し て あ る 箇 所 が あ り 、実 際 に 指 の み で 楽 譜 に 書 か れ た 音 価
を 保 持 す る こ と は 不 可 能 で あ る (譜 15 c)。
75
【 譜 15: 第 7 番 c】
76
d は a の形に類似している。上声部の下行する 8 分音符が 4 音になっているこ
と に よ り a よ り も 指 を 収 縮 す る 箇 所 が あ る 。ペ ダ ル は 8 度 以 上 離 れ て い る 箇 所 に
の み 踏 む よ う 指 示 が あ る た め 、第 3 指 が 連 続 し て い る 箇 所 で は 増 2 度 間 を 素 早 く
移動する必要がある。
【 譜 15: 第 7 番 d】
下行形では、上行形ほど特別な指使いは使用されていない。2 指が連続してい
る箇所があり、指の素早い移動が求められる。
77
続 い て 第 9 番 を 見 て い き た い 。両 声 部 が 3 度 か ら 8 度 間 で 半 音 階 進 行 を し て い
る が 、 主 に 反 行 を 中 心 と し た 動 き に な っ て い る 。 逆 行 の 箇 所 を 「赤 → 」で 示 す と 以
下の通りである。
【 譜 16: 第 9 番 】
反行することによって、前に押さえている指をまたぐ箇所がある。また、 6 度
から 8 度間で反行している箇所では第 1 指が連続して使用されているため第 1 指
の柔軟性と俊敏さが求められる。
続 く Variante と 書 か れ た 第 9 番 の 変 奏 で は 、 速 度 の 指 示 が あ る 。
また、最初の箇所を半音階にする例も載せられている。
78
第 10 番 、 第 11 番 は 3 度 で 動 く 声 部 と も う 1 つ の 声 部 の 3 声 で で き て い る 。
第 10 番 は 下 2 声 が 3 度 の 連 続 (16 分 音 符 )、 上 声 部 は ア ク セ ン ト を 伴 っ た 旋 律 的
な 音 型 に な っ て い る (4 分 音 符 と 8 分 音 符 )。
【 譜 17: 第 10 番 】
ペダルを使用せずにレガートで奏するために指使いを施すとしたら、以下の指
e
使 い が 一 般 的 に 使 用 さ れ る も の で あ る 。 上 記 【 譜 17】 冒 頭 の 3 度 c も 特 殊 な 指
使いであることが分かる。
第 11 番 、 第 12 番 は 3 声 に な っ て お り 、 内 声 が 3 度 、 6 度 、 和 音 で 下 行 し な が
ら 下 声 部 、 上 声 部 が 交 互 に 現 れ る 形 と な っ て い る 。 こ こ で は 第 12 番 を と り あ げ
たい。
79
ま ず a で は 、内 声 が 3 度 の 下 行 ス ケ ー ル 、下 声 部 と 上 声 部 が 8 分 音 符 の 和 音 で
交 互 に 現 れ る 。10 度 (4 音 )と 3 度 (2 音 )を 交 互 に 繰 り 返 す た め 、指 の 伸 張 と 収 縮 の
素 早 さ が 求 め ら れ る 。ま た 、第 2 指 と 第 4 指 が 多 用 さ れ て い る た め 、そ れ ら の 指
の 柔 軟 性 も 必 要 で あ る (譜 18 a)。
【 譜 18: 第 12 番 a】
こ こ で は ペ ダ ル の 指 示 が な さ れ て い な い が 、第 3 指 以 外 の 指 (特 に 第 2 指 と 第 4
指 )が 多 用 さ れ て い る た め 、低 声 部 と 高 声 部 の 8 分 音 符 の 和 音 を 音 価 分 保 つ こ と は
ペ ダ ル な し で は 不 可 能 で あ る 。 も し 第 12 番 に ペ ダ ル を 使 用 す る と す れ ば 、 多 少
の音のにごりはあるものの、8 分音符ごとに踏み替えるものがこれまでの考察か
らみても妥当であろう。
続けて、変ニ長調、ニ長調の楽譜が載せてあり、全長調に移調するよう指示して
い る 。し か し 、特 に 指 使 い の 指 示 が な い た め 最 初 の 長 三 和 音 が 第 4 指 → 第 3 指 に
変えられている所以外は、ハ長調と同じ指使いで奏する。
80
b では、内声が 6 度の下行スケール、下声部と上声部が 8 分音符の和音で交互に
現 れ る 。10 度 (3 音 )と 6 度 (2 音 )を 交 互 に 繰 り 返 す た め 、指 の 伸 張 と 収 縮 の 素 早 さ
が 求 め ら れ る 。 特 に 、 冒 頭 の e 1 → d 2 (短 7 度 )跳 躍 な ど 第 1 指 が 多 用 さ れ て お り 、
柔軟性が求められる。
【 譜 18: 第 12 番 b】
こ こ で も 変 ニ 長 調 、ニ 長 調 の 譜 例 が 載 せ て あ る が 指 使 い の 指 定 は さ れ て い な い 。
c では、前記の b を基にして音が付け加えられている。内声が第一転回型の
下 行 ス ケ ー ル 、下 声 部 と 上 声 部 が 8 分 音 符 で 交 互 に 現 れ 、10 度 (4 音 )と 6 度 (3 音 )
4
の 伸 張 と 収 縮 を 繰 り 返 す 。特 に 5 指 の 連 続 (11 度 の 跳 躍 を 含 む )が あ る た め 、滑 ら か
に 奏 す る に は 相 当 の 訓 練 を 要 す る 。第 5 指 、第 2 指 、第 1 指 が 押 さ え る 音 を そ れ
ぞ れ 赤 、 青 、 緑 で 示 す と 次 の 通 り で あ る (譜 18 c)。 左 手 だ け で 平 行 移 動 、 反 行 移
動をしており、それぞれの指の独立を要求している。
81
【 譜 18: 第 12 番 c】
ここでも変ニ長調、ニ長調と順に転調していくよう譜例が載せられているが、
4
3
最 初 の 長 三 和 音 の 指 使 い が 5→ 5と な っ て い る 以 外 は ハ 長 調 と 同 じ 指 使 い で あ る 。
和 音 を 含 ん だ 同 様 の 訓 練 が 第 13 番 、第 14 番 と 続 く が 、難 易 度 は そ れ ほ ど 高 く な
い。しかし、全調に移調するよう指示されているため、黒鍵が含まれるようにな
る と 指 の 移 動 に お け る 難 度 は 上 が る (第 7 番 か ら 第 12 番 は 全 調 へ 移 調 す る 指 示 は
な く 、 etc.と 記 載 さ れ て い る )。
第 15 番 、第 16 番 は 入 り 組 ん だ 二 重 音 の 訓 練 で あ る 。半 音 階 を 含 む 2 音 を 滑 ら
2 1 1
か に 奏 す る 必 要 が あ る が 、 特 に 下 行 半 音 階 を 含 む 5 -4 -2 で は 左 手 を 非 常 に 収 縮 さ せ
ね ば な ら な い (譜 19)。 推 測 で あ る が 、 途 中 に 書 か れ て い る 小 節 線 (16 分 音 符 8 つ
目 と 9 つ 目 の 間 )は 、第 15 番 の 変 奏 (76 ペ ー ジ 譜 19 参 照 )の 同 箇 所 に は 書 か れ て
いない点からみて、ここに書かれたものは間違いであろう。
【 譜 19: 第 15 番 】
82
同 じ 第 15 番 の 変 奏 と し て ハ 短 調 で 始 め る 例 も 載 せ ら れ て お り 、全 (短 )調 で 奏 す る
2 1 1
よ う 指 示 し て い る 。 こ こ で も 下 行 半 音 階 を 含 む 5 -4 -3 で は 左 手 を 非 常 に 収 縮 さ せ ね
ばならない。
【 譜 19: 第 15 番 変 奏 】
し か し 、 ヴ ィ ッ ト ゲ ン シ ュ タ イ ン は 第 15 番 の 添 え 書 き に 以 下 の 記 述 を し て い
る 。 「も し 両 手 で 弾 く 場 合 、 2 つ 目 の 16 分 音 符 で の 低 い 方 の 音 は 右 手 で 弾 き な さ
い 」― こ の 記 述 以 外 に 両 手 で 奏 す る た め の 指 使 い な ど は 提 示 さ れ て お ら ず 、彼 の 本
意は不明である。
第 17 番 、第 18 番 は 、ペ ダ ル で 低 音 の オ ク タ ー ヴ を 伸 ば し た 上 で 二 重 音 が 平 行 、
反 行 す る 。 第 17 番 で は 指 使 い の ミ ス が 見 受 け ら れ た 。 拍 子 記 号 が あ り 、 16 分 音
符 の 3 連 ア ル ペ ッ ジ ョ が 4 オ ク タ ー ヴ 間 で 上 下 行 す る 。ハ 長 調 Ⅰ 度 の 2 声 ア ル ペ
ッジョ→ハ短調Ⅰ度の 2 声アルペッジョ→変ニ長調Ⅴ7 の 2 声アルペッジョ→変
ニ 長 調 Ⅰ 度 の 2 声 ア ル ペ ッ ジ ョ … と 、全 調 に 移 調 す る 間 は 途 切 れ る こ と な く 続 く 。
難易度としては高くない。
【 譜 20: 第 17 番 】
83
続 く 第 18 番 で は 、 第 17 番 と 同 様 に ペ ダ ル で 低 音 の 1 オ ク タ ー ヴ を 伸 ば し 、 8
分 音 符 の 3 連 符 (2 声 )が 4 オ ク タ ー ヴ 間 を 反 行 、 平 行 移 動 す る 。 た だ し 、 拍 子 記
号 は な い 。 上 声 部 は 第 1 指 の み を 使 う 半 音 階 、 内 声 は (上 声 部 と 反 行 、 平 行 す る )
ア ル ペ ッ ジ ョ で あ る が 、唯 一 こ の 訓 練 の み ヘ 長 調 の 属 七 (C 7 )を 用 い て い る (今 ま で
は 必 ず ハ 長 調 か ら 始 ま っ て い る )。
【 譜 21: 第 18 番 a】
第 1 指 が 連 続 す る 訓 練 で は 、移 動 の 際 で の 指 の 柔 軟 性 が 求 め ら れ る 。ま た 、 ペ
ダ ル は 一 番 初 め と 最 後 の み 指 示 さ れ て い る た め 、 低 音 (属 七 和 音 の 根 音 )保 持 目 的
で書かれたペダルであると推測されるが、半音階を含んだ訓練であるため、非常
に 音 が に ご る 。筆 者 と し て は 、少 な く と も 8 分 音 符 の 3 連 ご と に ハ ー フ ・ペ ダ ル
で 踏 み 替 え る 方 法 を 推 奨 し た い (譜 22 参 照 )。
84
【 譜 22: ペ ダ ル の 提 案 】
第 19 番 か ら 第 21 番 は 、 (全 音 階 、 半 音 階 )ス ケ ー ル と そ れ に 平 行 、 反 行 し た ス
ケ ー ル あ る い は ア ル ペ ッ ジ ョ に よ る 二 重 音 の 訓 練 に な っ て い る 。 第 19 番 に は 3
2
1
例挙げられている。初めの訓練では、指使いのミスが見受けられた。 4 指が3 指
を ま た ぐ 箇 所 (上 行 )、 第 1 指 が 第 2 指 を く ぐ る 箇 所 (下 行 形 )、 第 3 指 が 第 4 指 を
ま た ぐ 箇 所 (下 行 形 )に お い て ポ ジ シ ョ ン の 素 早 い 移 動 が 求 め ら れ る 。 し か し 、 難
易度はこれ以前のものと比べると高くない。
【 譜 23: 第 19 番 】
85
続 く 第 19 番 a、b で は 、16 分 音 符 の 3 連 ア ル ペ ッ ジ ョ と (全 音 階 、半 音 階 )ス ケ
ー ル か ら な る 二 重 音 が 平 行 、反 行 す る も の で あ る 。上 声 部 は 2-1-2、1-2-1… (b で
は 1-2-1、 2-1-2… )指 の み が 使 わ れ て い る 。
【 譜 23: 第 19 番 a】
a の 上 行 形 に 5-4 指 の 下 行 半 音 階 、 下 行 形 で は 下 声 部 に 4-5 指 の 上 行 半 音 階 が
あるが、2 声になっているために指のみで音を完全にレガートで奏することは不
可能で、前の音から素早く移動する必要がある。
b は、a の音型が逆になった形である。下行形では 2 種類の指使いが提示され
て お り 、そ れ ぞ れ a と 同 様 5-4 指 で の 下 行 が あ る が 、白 鍵 か ら 白 鍵 の 移 動 の た め 、
a よりも移動しやすく指でつなげることが可能である。上行形は、 a に比べると
比較的弾きやすくなっている。
【 譜 23: 第 19 番 b】
86
第 22 番 は 、 二 重 音 の 訓 練 の 集 大 成 と し て a か ら d の 4 つ の 例 が 挙 げ ら れ て い
る。
a は 、両 声 部 が 3 度 を 中 心 と し て 3 度 (2 度 )か ら 6 度 の 間 で 平 行 や 反 行 す る ス ケ
ー ル で あ る 。上 声 部 の 指 使 い が 第 2 指 か ら 始 ま る か 、第 1 指 か ら 始 ま る か 、と い
う 点 で 2 種 類 の 指 使 い が 挙 げ ら れ て い る 。 一 般 的 に 用 い ら れ る 指 使 い は 、上 に 書
かれているものと思われるが、どちらも難易度としてはさほど高くない。
【 譜 24: 第 22 番 a】
b で は 、a を 転 回 し た 6 度 を 中 心 と し て 6 度 か ら 3 度 (2 度 )の 間 で 平 行 や 反 行 す
る ス ケ ー ル で あ る 。こ こ で は 、下 声 部 の 指 使 い が 第 5 指 か ら 始 ま る か 、第 4 指 か
ら 始 ま る か 、 と い う 点 で 2 種 類 の 指 使 い を 提 示 し て い る 。 上 行 ス ケ ー ル で 4-5 指
を指示した箇所があり、完全にレガートにすることが不可能なため、指の素早い
移 動 が 必 要 と な る 。 ま た 、 下 行 ス ケ ー ル に 2-1 指 (第 1 指 は 黒 鍵 )を 押 さ え る 箇 所
でも、二重音となっているために指をくぐらせることが困難であることから、指
の素早い移動が必要となる。a に比べ、難易度は高い。
【 譜 24: 第 22 番 b】
87
続く c は、a の形を反行させて順に上行する訓練である。2 種類の指使いが提
示されているが 2 つの関連性はない。一般的な指使いは下側に書かれたもので、
無 理 な く レ ガ ー ト に 弾 く こ と が で き る 。 3 度 上 行 す る 箇 所 で 4-5 指 を 提 示 し た 箇
所 が あ る が 、二 重 音 で 第 5 指 が 第 4 指 を ま た ぐ 、く ぐ る こ と が 困 難 な た め 、こ こ
で も 指 の 素 早 い 移 動 が 必 要 と な る 。 ま た 、 3-4 指 で の 上 行 も 同 様 で あ る 。
【 譜 24: 第 22 番 c】
d は 、b の 形 を 反 行 さ せ て 順 に 上 行 す る 訓 練 で あ る 。こ こ で の 指 使 い の 指 示 は 1
つのみで、難易度もさほど高くない。ヴィットゲンシュタインに倣い、もうひと
つ の 指 使 い を 提 示 す る と し た ら 以 下 (青 字 )な ど も 考 え ら れ る が 、 ヴ ィ ッ ト ゲ ン シ
ュタインが提示している指使いが無難で、かつなめらかに奏することができる。
【 譜 24: 第 22 番 d】
二 重 音 の 訓 練 で は 、 第 一 部 の 指 の 訓 練 (単 旋 律 )で の 指 使 い で な め ら か に 奏 す る
ことが可能であったものが、重音になることによって指間の開き、収縮に制約が
発生するため、より指先の俊敏さや柔軟性などのコントロールが必要となる。ま
た、黒鍵から白鍵に同じ指をずらす、などといった指使いは、楽曲演奏において
は度々用いられるが彼の訓練集では用いられていない。また、音を保持するため
の補助的なペダルを用いる訓練集は稀なものである。
88
【 表 3】 ト リ ル の 訓 練 (二 重 音 以 上 ) pp.28-50
特徴
番号
a
難所
5-4 の 16 分 音 符 の ト リ ル
上声部は 8 分音符で属七和音の 1 オクターヴアルペッジョ
b
5-4-5、 4-5-4 の 16 分 音 符 の 3 連 符 ト リ ル
上声部は 8 分音符で属七和音の 1 オクターヴアルペッジョ
3
特 に 5 -4、
c
4-5 の 16 分 音 符 の ト リ ル
上声部は 8 分音符で属七和音の 1 オクターヴアルペッジョ
d
4-5-4、 5-4-5 の 16 分 音 符 の 3 連 符 ト リ ル
上声部は 8 分音符で属七和音の 1 オクターヴアルペッジョ
No.1
(譜 25)
e
2-1 の 16 分 音 符 の ト リ ル
下声部は 8 分音符で属七和音の 1 オクターヴアルペッジョ
f
2-1-2、 1-2-1 の 16 分 音 符 の 3 連 符 ト リ ル
下声部は 8 分音符で属七和音の 1 オクターヴアルペッジョ
g
1-2 の 16 分 音 符 の ト リ ル
下声部は 8 分音符で属七和音の 1 オクターヴアルペッジョ
89
3
4 -5
指の分離
h
1-2-1、 2-1-2 の 16 分 音 符 の 3 連 符 ト リ ル
下声部は 8 分音符で属七和音の 1 オクターヴアルペッジョ
拍 子 記 号 あ り (3/4)
カ デ ン ツ ァ (Ⅴ 度 → Ⅰ 度 )に よ る 3 度 の ト リ ル
通常ではあまり用いない指を使ったトリル、と記載されている
特に
または
No.2
(譜 26)
ホ長調、変ニ長調、ロ長調、変イ長調では別の指使い
4 2
5 -1
指の 3 度
(ト リ ル ) 、
指の開離和音
(譜 27)
a
下声部で和音を押さえながら上声部がトリル
以下、上声部と下声部を弾き分ける訓練
指を押さえた
ままで
指の
分離
b
下声部で和音を押さえながら
上 声 部 が 16 分 音 符 の 連 続 し た 二 重 ト リ ル
No.3
2 1
3 -4
(譜 28)
c
指のトリル
上声部を 1 指で押さえながら、
下 声 部 が 16 分 音 符 の 連 続 し た 二 重 ト リ ル
狭い音域内の
二重トリル
90
d
3 声。
上 声 部 と 下 声 部 を 第 1 指 第 4 指 で 保 持 し 、そ の 他 の 指 で ト リ ル
第 4 指を保持し、
2
3 -5
a
のトリル
2 声。
上 声 部 が 3 連 符 、 下 声 部 16 分 音 符 と 音 価 が 違 う 2 声 の ト リ ル
音価の異なる 2 声
No.4
(譜 29)
b
a の上声部と下声部を入れ替えたトリル
C.M.v.ヴ ェ ー バ ー の 歌 劇 《 魔 弾 の 射 手 》 ワ ル ツ よ り
No.5
a
《魔弾の射手》からの旋律
b
その変奏
No.6
旋律とトリル
声部の分離
J.ハ イ ド ン の 弦 楽 四 重 奏 曲 Hob.Ⅲ -64 変 ホ 長 調 メ ヌ エ ッ ト よ り
No.7
(譜 30)
91
Ch.グ ノ ー の 歌 劇 《 フ ァ ウ ス ト 》
ワルツより
No.8
下 声 部 が 4-5-4、 5-4-5 の 16 分 音 符 の 3 連 符 ト リ ル
第 3、 2、 1 指
(上 声 部 )と
No.9
第 4、 5 指
(下 声 部 )の 分 離
a
3 声。それぞれ音価が異なるトリル。
上 声 部 が 1-1-1-1 の 8 分 音 符 、
内 声 部 が 3-2-3、 2-3-2 の 6 連 符 ト リ ル
下 声 部 が 5-4-5-4-5-4 の 3 連 符 ト リ ル
(譜 31)
b
a と同様。上声部と下声部の音価が入れ替わったもの
c
下 声 部 が 5-4-5、 4-5-4 の 6 連 符 ト リ ル
上 声 部 が 1-1-1-1-1-1 の 3 連 符 ト リ ル
No.10
8 分音符の進行、
6 連符の進行、
3 連符の進行、
音価の異なる
3 声の弾き分け
d
c と同様。上声部と内声部の音価が入れ替わったもの
e
上 声 部 が 1-2-1、 2-1-2 の 6 連 符 ト リ ル
内 声 部 が 4-3-4-3-4-3 の 3 連 符 ト リ ル
92
f
e と同様。内声部と下声部の音価が入れ替わったもの
g
内 声 部 が 2-3-2、 3-2-3 の 6 連 符 ト リ ル
上 声 部 が 1-1-1-1-1-1 の 3 連 符 ト リ ル
下声部が 8 分音符
h
4 声。
1-1-1-1-1-1 の 3 連 符 ト リ ル
8 分音符、
第 1 指 、第 2 指 を
6 連 符 (二 重 音 )ト リ ル
保持しながら
3 4
5 -5 の
No.10
i
3度
1-1-1-1 の 8 分 音 符 、
二 重 音 (6 度 )の 6 連 符 ト リ ル 、
4-3-4-3-4-3 の 3 連 符 ト リ ル
8 分 音 符 4-3 指 の
トリル
(譜 32)
8 分音符の進行、
j
6 連符の進行、3
5-5-5-5 の 8 分 音 符
連符の進行、
二 重 音 (3 度 )の 6 連 符 ト リ ル と 、
音価の異なるそ
1-1-1-1-1-1 の 3 連 符 ト リ ル
れぞれの声部の
弾 き 分 け (和 音 を
含む)
第 2 指が連続する
重音トリル
93
2 2 2
2 2 2
k
内 声 部 が 4 -3 -4 、 3 -4 -3 指 で 逆 行 す る 6 連 符 ト リ ル
l
k の外声部の音価が入れ替わったもの
8 分音符の進行、
6 連符の進行、3
連符の進行
音価の異なるそ
m
3 声。
れぞれの声部の
弾 き 分 け (和 音 を
含む)
n
m での声部の音価を入れ替えたもの
o
4 声。それぞれの声部が異なった音価のトリル。
4 声が全く異なっ
た音価のため、
それぞれの指の
独立が求められ
る。
a
4 (1)
5- 1 指 で の 離 れ た 音 域 で の ト リ ル
低 音 の 和 音 は ぺ ダ ル で 伸 ば す 指 示 (Ⅴ 7 → Ⅰ )
第 1 巻では初めて彼の提案する奏法「) 」記号が使用されてい
る
離れた音域での
No.11
和音とトリル
b
a と同様
低 音 の 和 音 は ぺ ダ ル で 伸 ば す 指 示 (oⅣ → Ⅴ 7→ Ⅰ )
(譜 33)
94
a
連続する 3 度のトリルと
声 部 の 異 な る 外 声 部 が 交 互 に 表 れ る (下 声 部 は 順 に 下 行 )
色々な指で連続
する 3 度のトリ
ル
b
a と類似
3 度の下行からはじまる
No.12
ポジションの異
c
なる 3 度のトリ
a の 3 連符形
ル (様 々 な 指 使
い)
d
b の 3 連符形
a
連続する第 1 指の 8 分音符と、3 度の 3 連符トリル
(a か ら m ま で )
b
第 1 指を保持した
3 2 2 3
ま ま 5 -4 、4 -5 指 の
No.13
トリル
c
指の独立
d
第一転回形
連続する第 1 指の 8 分音符と、3 度の 3 連符トリル
95
e
d の 上 声 部 (8 分 音 符 )が 反 行 し て い る 訓 練
f
d の 下 声 部 (3 度 の 3 連 符 ト リ ル )が 反 行 し て い る 訓 練
第 1 指を保持した
3 2 2 3
ま ま 5 -4 、4 -5 指 の
トリル
g
f の 上 声 部 (8 分 音 符 )が 反 行 し て い る 訓 練
h
基本形
連続する第 5 指の 8 分音符と、3 度の 3 連符トリル
第 5 指を保持した
i
1 2
第二転回形
ま ま 3 -4 指 の
連続する第 5 指の 8 分音符と、3 度の 3 連符トリル
No.13
j
トリル
連続する第 1 指の 8 分音符と、3 連符トリル
第 1 指を保持した
3 2
2 3
ま ま 5 -4 、 4 -5 指 の
k
j の 上 声 部 (8 分 音 符 )が 反 行 し て い る 訓 練
l
第一転回形
トリル
連続する第 5 指の 8 分音符と、3 連符トリル
第 5 指を保持した
1 2
ま ま 4 -3 指 の
m
l の 下 声 部 (8 分 音 符 )が 反 行 し て い る 訓 練
96
トリル
No.13 で の 応 用
途 中 で 上 下 声 部 (8 分 音 符 ス ケ ー ル と 3 連 符 ト リ ル )が
No.14
入れ替わりながら上下行する
(譜 34)
a
No.14 の 応 用
途 中 で 上 下 声 部 (8 分 音 符 の 半 音 階 と 16 分 音 符 ト リ ル )が
入れ替わりながら上下行する
No.15
b
a の 16 分 音 符 ト リ ル が 反 行 し て い る 訓 練
a
3 声。ペダルの指示あり
内 声 が 1-2 指 、5-4 指 での 16 分 音 符 の 3 連 符 ト リ ル をしながら
外 声 部 のスケールが交 互 に上 下 行 する
1-2-1… 1-5-4-5…
5-1-2… 指 と 連 続
す る ト リ ル (素 早
No.16
(譜 35)
b
いポジションの
変化)
a に類似
3声
内 声 が 1-2 指 、 5-4 指 で の 3 連 符 ト リ ル を し な が ら
外声部の 8 分音符が断片的な形で交互に現れる
1-5-4… 5-1-2…
1-5-4… 指 と 連 続
No.17
するトリル
97
a
内 声 が 4-5 指 、 2-1 指 で の 16 分 音 符 の ト リ ル を し な が ら
外 声 部 の ス ケ ー ル が 交 互 に 上 下 行 (反 行 )す る
b
No.18
c
a に類似
内 声 が 4-5 指 、 1-2 指 で の 3 連 符 ト リ ル を し な が ら
外声部の 3 連符スケールが交互に上行する
素早いポジショ
ンの変化
d
内 声 が 4-5 指 、 2-1 指 で の 3 連 符 ト リ ル を し な が ら
外声部の 3 連符スケールが交互に下行する
a
内 声 が 4-5 指 、 1-2 指 で の 3 連 符 ト リ ル を し な が ら
外声部が 8 分音符で交互に表れる
No.19
b
速度指示あり。
内 声 が 4-5 指 、1-2 指 での 16 分 音 符 の 3 連 符 トリルをしながら
外声部が交互に表れる
(2-1-2-1-2 指 、 4-3-4-5-4 指 の
型 5 連符トリル)
音価の異なる 2 声
の分離
(譜 36)
98
2声
4-5-4、 5-4-5 指 の 16 分 音 符 の 3 連 符 ト リ ル と 8 分 音 符
No.20
順に下行していく
3 声。短調の訓練
3-2-3、 2-3-2 指 の 16 分 音 符 の 3 連 符 ト リ ル と 外 声 部 (8 分 音 符 )が
断片的に表れる
No.21
a
2-1 指 のみを使 用 した 16 分 音 符 トリルと短 いスケール(上 下 行 )と、
8 分音符
No.22
b
5-4 指 のみを使 用 した 16 分 音 符 トリルと短 いスケール(上 下 行 )と
8 分音符
連続する第 1 指の
17 度 間 の ス ケ ー ル と 内 声 で 連 続 す る ト リ ル
トリルと
スケール
No.23
交差するスケー
ルとトリル
(密 集 す る 際 の
指の独立)
99
2声
連 続 し た ト リ ル (2-1 指 、4-5 指 )と そ れ に 交 差 す る ス ケ ー ル (12 度 間 )
No.24
2-1[上 声 ]…
1-5-4[下 声 ]…
4-2-1[上 声 ]… 指
と続くトリル
1-2[上 声 ]…
連 続 し た ト リ ル (1-2 指 [上 声 ]、 4-3 指 [下 声 ]ま た は 5-4 指 [下 声 ])と
そ れ に 交 差 す る 16 分 音 符
1-4-3[下 声 ]…
4-1-2[上 声 ]… 指
No.25
と続くトリル
(譜 37)
交差するスケー
ルとトリル
(密 集 す る 際 の
指の独立)
100
ト リ ル の 訓 練 で は 、16 分 音 符 の ト リ ル を 基 に 、他 の 音 型 を 組 み 合 わ せ て い る た
め 、 初 め か ら 2 声 以 上 の 訓 練 と な っ て い る 。 第 1 番 で は 5-4 指 、 4-5 指 (5-4-5、
4-5-4 指 )な い し は 2-1 指 、1-2 指 (2-1-2、1-2-1 指 )な ど の 16 分 音 符 ト リ ル (括 弧 内
は 16 分 音 符 の 3 連 符 )と 、上 行 、下 行 す る 属 七 和 音 の ア ル ペ ッ ジ ョ (1 オ ク タ ー ヴ
内 )が 8 分 音 符 で 組 み 合 わ せ て あ り 、a か ら h の 8 つ の 例 が 提 示 さ れ て い る 。ま た 、
半音ずつ移調していくよう譜例が載せてある。
弱 い 指 と さ れ る 第 5 指 、第 4 指 の 強 化 と 共 に 、上 声 部 と 下 声 部 そ れ ぞ れ の 音 価 が
異なるため、ここではさらなる指の独立性を求められる。
【 譜 25:
第1番
a】
第 2 番 で は 、 2 種 類 の 訓 練 が 挙 げ ら れ て お り 、 カ デ ン ツ ァ の 和 音 (Ⅴ → Ⅰ )の Ⅴ
度 の 上 2 声 が 3 度 の 重 音 ト リ ル に な っ て い る 。ヴ ィ ッ ト ゲ ン シ ュ タ イ ン が 記 載 し
4 2
て い る よ う に 、 通 常 で は あ ま り 用 い な い 指 使 い ( 5 -1 指 な ど )が 幾 通 り か 指 示 さ れ て
い る (譜 26)。こ の 指 使 い は あ く ま で 指 の 独 立 を 目 的 と し て い る た め か 、第 2 巻 や
第 3 巻 で は 見 ら れ な い 。い づ れ も 全 調 に 移 調 す る よ う 指 示 が あ る が 、第 1 指 が 常
に第 4 指、もしくは第 3 指の下をくぐった状態にあるため、非常に奏しにくい。
【 譜 26:
第2番
その一】
101
【 譜 26:
第2番
その二】
初 め の 3 度 が 黒 鍵 の み の 調 、と り わ け ヴ ィ ッ ト ゲ ン シ ュ タ イ ン が 指 定 し て い る
4 つ の 場 合 (ホ 長 調 と ロ 長 調 と 書 か れ た ♯ 系 は そ の 一 の 形 、変 ニ 長 調 と 変 イ 長 調 と
書 か れ た ♭ 型 は そ の 二 の 形 で 指 定 さ れ て い る )で は 、そ の 黒 鍵 2 音 を 第 1 指 の み で
押 さ え る よ う 指 示 さ れ て い る (譜 27)。
【 譜 27: 第 2 番 ホ 長 調 と 変 ニ 長 調 の 例 】
102
また、アルペッジョが書かれた下声部の和音の付点 2 分音符を保つためには、
ペダルが必要であるが、ここでは指示されていない。
第 3 番は、1 音ないしは 2 音、3 音を保ちながら他の声部が半音階のトリルを
実行する。
ト リ ル 部 分 は 、半 音 階 ト リ ル の 一 方 が 和 音 と な っ て い る も の (a)[1 音 と そ こ か ら 半
音 上 下 行 す る 2 音 の 繰 り 返 し ]、2 度 が そ れ ぞ れ 平 行 し 半 音 階 ト リ ル を す る も の (b、
c)[記 譜 上 で は 長 2 度 と 減 3 度 に な っ て い る ]が あ り 、 特 に 第 4 指 の 保 つ 音 が 内 声
に あ る 重 音 ト リ ル (d)は 非 常 に 難 し い 。挙 げ ら れ た a か ら d ま で の 4 つ の 例 は 、ど
れも半音ずつ順に上行していく。
【 譜 28:
第3番
a、 d】
103
第 4 番 か ら 第 8 番 は 、他 の 作 曲 家 に よ る 作 品 の ほ ん の 一 部 分 を 取 り 出 し 、そ の
音 型 を 基 に し た 訓 練 を い く つ か 提 示 し て い る 。 第 4 番 で は 「ベ ー ト ー ヴ ェ ン の ハ
短 調 の 変 奏 を 見 よ 」と 記 載 さ れ て い る (譜 29)。 第 5 番 、 第 6 番 は C.M.v.ヴ ェ ー バ
ー の《 魔 弾 の 射 手 》に よ る ワ ル ツ と そ の 旋 律 に よ る も の 、第 7 番 は J.ハ イ ド ン の
《 弦 楽 四 重 奏 曲 Hob.Ⅲ -64 変 ホ 長 調 》の メ ヌ エ ッ ト (途 中 の ト リ オ 部 分 )に よ る も
の (譜 30)、第 8 番 は Ch.グ ノ ー の《 フ ァ ウ ス ト 》に よ る ワ ル ツ か ら 抜 粋 し て い る 。
【 譜 29:
第 4 番 と 、 L.v.ベ ー ト ー ヴ ェ ン に よ る 《 32 の 変 奏 曲 》 第 9 変 奏 】
基となるベートーヴェンの変奏曲
第 9 変奏
ま た 、第 5 番 か ら 第 8 番 で は ト リ ル と な る 声 部 が 途 中 で 上 声 部 か ら 下 声 部 に 移 動
するため、他方の声部との弾き分けを求められる。
第 7 番 で 使 用 さ れ た 楽 曲 を 探 し た と こ ろ J.ハ イ ド ン に よ る《 弦 楽 四 重 奏 曲 Hob.
Ⅲ -64 変 ホ 長 調 》 の メ ヌ エ ッ ト (途 中 の ト リ オ 部 分 )で あ る こ と が 判 明 し た が 、 基
の調が変ホ長調であるのに対し、この訓練のためにヴィットゲンシュタインはハ
長調に改め、さらにその訓練を全調に移調するよう指示している。 また、基の楽
曲 か ら 用 い ら れ た も の は 第 1 ヴ ァ イ オ リ ン の 旋 律 の み で 、他 の 声 部 は 全 て 省 略 さ
れている。
104
【 譜 30:
第 7 番 と 、J.ハ イ ド ン に よ る《 弦 楽 四 重 奏 曲 Hob.Ⅲ -64 変 ホ 長 調 》の
メ ヌ エ ッ ト (ト リ オ )】
基 と な る ハ イ ド ン の 弦 楽 四 重 奏 (旋 律 の 音 を ● で 示 す )
続 く 第 9 番 で は 、こ こ ま で の 訓 練 と 類 似 し て お り 16 分 音 符 の 3 連 符 を 5-4 指 (も
し く は 1-2 指 )で 弾 き な が ら 、も う 一 声
を 2-2 指 、1-1 指 、3-3 指 (も し く は 5-5
指 、4-4 指 、3-3 指 )で 弾 く 訓 練 で あ る 。「タ ラ ン テ ラ の 速 度 で Tempo di Tarantella 」
と 指 定 し て あ り 、 特 に 第 3 指 を 使 う 箇 所 で は ト リ ル の 声 部 と 近 い た め 、指 を 分 離
し素早く動かすために訓練が必要となる。
第 10 番 (三 重 ト リ ル 、 全 15 例 )で は 音 価 の 異 な っ た ト リ ル が 組 み 合 わ さ れ て い
る。ここでは拍子が書かれていないため筆者では以下のように表記する。1 小節
内 に 8 分 音 符 の 進 行 が 4 つ (♪ ×4)で あ る こ と か ら 、4 分 音 符 を 基 に 連 符 を 表 記 す
る 。す る と 、8 分 音 符 の 進 行 (
)と 6 連 符 の 進 行 (
)、3 連 符 の 進 行 (
)と 分 け
る こ と が で き 、 そ れ ぞ れ の 声 部 が ト リ ル を 実 行 す る (譜 31)。 a か ら o ま で 全 15
例が挙げられており a から g までは 3 声、h から l までは 6 連符の進行をする声
部が重音になっており、実質には 4 声体を左手のみで奏する技術を求められる。
105
【 譜 31:
第 10 番
a】
残 る m と n は 短 調 で の 三 重 ト リ ル 、o は 短 調 で こ れ ま で の 3 つ の 音 型 に 4 分 音 符
のトリルを加えた四重トリルになっている。なかでも i の訓練では、3 連符の進
2
行 (4-3 指 )が 、重 音 と な っ て い る 6 連 符 進 行 ( 5 指 )の 内 声 に 位 置 す る た め 、そ れ ぞ
れ の 指 の 独 立 性 を 求 め ら れ る (譜 32)。 ト リ ル の 訓 練 の 中 で は 、 こ の 第 10 番 が 技
術の面において一番難しいといえる。
【 譜 32:
第 10 番
i】
第 11 番 で は 、 広 音 域 を 用 い た カ デ ン ツ ァ の 和 音 を ペ ダ ル で 伸 ば し な が ら 、 そ
4
の 上 で 音 域 の 離 れ た 2 度 を 5 -1 指 で 素 早 く ト リ ル す る 訓 練 が 2 つ 挙 げ ら れ て い る 。
106
こ こ で ヴ ィ ッ ト ゲ ン シ ュ タ イ ン が 提 案 し た 和 音 の 奏 法 (39 ペ ー ジ 参 照 )が 第 1 巻 で
初 め て 使 わ れ る (譜 33)。
【 譜 33:
第 11 番
b】
第 12 番 (全 4 例 )、第 13 番 (全 13 例 )は 3 度 を 中 心 と し た 重 音 の ト リ ル と そ の 他
の声部を弾き分ける訓練である。ある声部を保持したまま、重音のトリルを奏す
る技術が求められるが、技術的難易度は中程度である。
第 14 番 か ら 第 16 番 は 、 16 分 音 符 の 重 音 ト リ ル ま た は 単 音 の ト リ ル と 、 上 下
行 ス ケ ー ル (ま た は 半 音 階 ス ケ ー ル )を 同 時 に 実 行 す る 。 途 中 で ト リ ル と ス ケ ー ル
が交差するため、トリルを担当していた指とスケールを担当していた指が瞬時に
入 れ 替 わ る (譜 34)。第 14 番 と 第 15 番 は 8 分 音 符 の ス ケ ー ル を 第 1 指 か 第 5 指 の
み で 連 続 し て 押 さ え る た め 、さ ほ ど 難 し く は な い が 、第 16 番 は 16 部 音 符 の ス ケ
ー ル を 5-4-5-4(3-4)指 (上 行 )、1-1-2-1-2-3 指 (下 行 )と 全 5 本 の 指 を そ れ ぞ れ 独 立 し
て 動 か す 必 要 が あ り 、 難 し い (譜 35)。 ま た 途 中 に 10 度 離 れ て い る 箇 所 が あ り 、
そ こ で は 重 音 と ス ケ ー ル を 分 け て (素 早 く 移 動 し て )奏 さ な け れ ば な ら な い 。
【 譜 34:
第 14 番
交差している箇所】
107
【 譜 35:
第 16 番
a】
第 17 番 か ら 第 22 番 も こ れ ま で の 形 に 類 似 し て お り 、1-2… 5-4… 12 指 と 連 続 し
た 16 分 音 符 の ト リ ル を し な が ら 、 同 じ 音 型 が 外 声 部 で 交 互 に 現 れ る 。 指 替 え の
際 に な め ら か に ポ ジ シ ョ ン を 変 化 さ せ る こ と が 目 的 で あ る 。第 19 番 b で は 16 分
音 符 の 3 連 符 に 対 し て 5 連 符 を 組 み 合 わ せ た 箇 所 が あ り 、左 手 の み で 奏 す る に は
非 常 に 難 し い (譜 36)。
【 譜 36:
第 19 番
b】
第 23 番 か ら 第 25 番 は ト リ ル の 訓 練 で 登 場 し た 訓 練 の ま と め で あ る 。 第 23 番
は 連 続 す る ト リ ル に 17 度 間 の 上 下 行 ス ケ ー ル 、 第 24 番 は 12 度 間 の 上 下 行 ス ケ
ー ル 、 第 25 番 (譜 37)は 短 い 分 散 和 音 と ス ケ ー ル が 徐 々 に 上 行 、 下 行 し 、 す べ て
においてトリル音型と交差している。そのための指使いは非常に複雑になり、ま
た幾通りも考えられる がヴィットゲンシュタインによる細かい指示は、考えられ
る指使いでも特に複雑になっている。
108
【 譜 37:
第 25 番 】
こ の ト リ ル の 訓 練 で は 、ト リ ル を 基 と し て あ る 音 型 を 組 み 合 わ せ 、 全 5 本 の 指
をすべて独立した動きにするための訓練であった。速さの指示はどこにも見られ
な か っ た が 、 特 に 第 10 番 の よ う に そ れ ぞ れ の 声 部 で 音 価 が 異 な る 訓 練 で 、 速 く
動 く よ う に な る た め に は 相 当 の 訓 練 が 必 要 で あ る 。技 術 的 難 易 度 は 非 常 に 難 し く 、
また指使いにおいては無理至難なことも要求している。
109
【 表 4】 多 声 体 演 奏 の た め の 訓 練 (二 重 音 以 上 ) pp.51-77
特徴
番号
No.1
難所
a
3 度 の 上 行 (下 行 )ス ケ ー ル と 、 そ れ に 反 行 す る 単 旋 律
b
a の単旋律を 3 度にした形
(譜 38)
低音から上の 3 度
が 10 度 、 12 度 離
ペダルの指示あり
れている
4
5
1
指 、2 指 の 3 度 の
連続
3 度と、その上声部、下声部に交互に表れる単旋律
No.2
a
拍子あり。
1 小 節 分 保 持 す る 音 (第 1 指 、 第 5 指 )と 、 3 度
b
1 拍 ず つ 保 持 す る 音 (第 1 指 、 第 5 指 )と 、 3 度
c
b の変形
d
c の変形
No.3
10 度 離 れ た 箇 所 の
なめらかな動き
(譜 41)
110
4 音 間 の 下 行 ・ 上 行 (上 行 ・ 下 行 )ス ケ ー ル と 、
そ の 上 声 部 と 下 声 部 に 交 互 に 現 れ る 16 分 音 符
No.4
強弱記号の指示あり
(譜 42)
ト リ ル 音 型 +3 音 間 の 上 行 (下 行 )3 連 符 ス ケ ー ル と 、
その上声部と下声部に交互に現れる 3 連符
強弱記号の指示あり
No.5
(譜 44)
2声
上 下 声 部 で 異 な る 音 価 の ス ケ ー ル (16 分 音 符 と 8 分 音 符 )
No.6
(譜 45)
a
上声部は 8 分音符の下行、上行スケール
下 声 部 は 4 音 間 で上 行 ・下 行 (下 行 ・上 行 )する 16 分 音 符 スケール
8 分音符の動きが
No.7
b
a の変型。
不規則。
上声部の 8 分音符スケールが上下行し、
下 声 部 は 16 分 音 符 で 進 行 す る
箇所によって指が
収縮、伸張する
111
c
b の上下声部の音価が入れ替わった訓練
上 声 部 2-1 指 の み
下 声 部 5、 4 指
(第 3 指 は 用 い な い )
a
No.7 の 16 分 音 符 (上 声 部 )と 、4-5 指 の 8 分 音 符 ト リ ル (下 声 部 )
b
a の上下声部が入れ替わった訓練
(上 声 部 は 1-1 指 の 8 分 音 符 ト リ ル )
No.8
c
b の 16 分 音 符 が 反 行 し た 訓 練
d
c の上声部が 1 オクターヴ下げられた訓練
最初と最後が、
非常に密集する
狭い音域での指の
分離
a
3 音 間 も し く は 4 音 間 の 16 分 音 符 ス ケ ー ル と 、
半拍遅れて下行、上行する 4 分音符の半音階
No.9
(譜 46)
b
a の 上 下 声 部 が 入 れ 替 わ っ た 訓 練 (よ り 音 域 が 広 く な っ て い る )
112
a
4 音 間 で 上 下 行 す る 16 分 音 符 ス ケ ー ル (下 声 部 )と
8 分 音 符 の 上 下 行 す る 半 音 階 (上 声 部 )
3-4 指 の
上行スケール
No.10
(譜 47)
b
a の上下声部が入れ替わった訓練
入 り 組 ん だ 16 分 音 符 (8 度 移 動 を 含 む )と 、
8 分 音 符 の ス ケ ー ル (半 音 階 を 含 む )
8 分音符が途中で
No.11
和声上内声になる
(譜 48)
a
8 音 間 の 16 分 音 符 ス ケ ー ル と 、
その上下声部で交互に現れる 8 分音符
強弱記号あり
No.12
b
8 音 間 の 16 分 音 符 ス ケ ー ル と 、 そ の 上 下 声 部 で 交 互 に 現 れ る
5 連符
速度表記あり
a
音 型 (も し く は
)の 3 連 符 と 、そ の 上 下 声 部 で 交 互 に 現 れ る
単旋律
No.13
奏 法 の 指 示 あ り (マ ル カ ー ト 、 そ し て ス タ ッ カ ー ト で )
(譜 49)
113
b
a の 3 連符が 3 度の重音になった訓練
c
a の 3 連符が 6 度の重音になった訓練
a
入 り 組 ん だ 32 分 音 符 と 、 単 旋 律
強弱の指示あり
b
a の上下声部が逆になった訓練
c
a の 32 分 音 符 が 3 度 の 重 音 に な っ た 訓 練
No.14
(譜 50)
2 2
4 -5 (上 行 形 )、
3 2
5 -4 (下 行 形 )
a
2 音 で 順 に 下 行 し て い く 16 分 音 符 と 、
それに逆行する 8 分音符のスケール
16 分 音 符 と
8 分音符が途中
No.15
で交差する
114
b
上声部は 3 連符で順に下行し、
下声部はそれに反行する 8 分音符のスケール
3 連符と 8 分音符が
途中で交差する
c
b の 3 連符が 3 度の重音になった訓練
d
a の 8 分 音 符 が 10 度 の 重 音 に な っ た 訓 練
16 分 音 符 が 和 声 上
内声になり、非常
に入り組んでいる
10 度 の 重 音
e
b の 8 分 音 符 が 10 度 の 重 音 に な っ た 訓 練
16 分 音 符 が 和 声 上
内声になり、非常
に入り組んでいる
No.15
10 度 の 重 音
(譜 51)
(同 時 に 押 さ え る
ことは不可能)
f
e の 16 分 音 符 が 3 度 の 重 音 に な っ た 訓 練
10 度 間 を 含 む 箇 所
と内声 3 度の分離
(同 時 に 押 さ え る
ことは不可能)
115
16 分 音 符 が 主 体 の 単 旋 律 と 、 そ の 上 下 声 部 で 交 互 に 現 れ る 32 分
音符
No.16
強弱記号あり
(譜 52)
a
8 分 音 符 (旋 律 的 )と 、
その上下声部で交互に現れる
音 型 の 32 分 音 符
(3 音 間 の ス ケ ー ル )
内声の旋律をフォ
ル テ 、レ ガ ー ト で 。
16 分 音 符 を ピ ア
ニッシモで、と指
示している
素早いポジション
No.17
b
a の 32 分 音 符 が 3 連 符 に な り 、 途 中 に を 含 ん だ 訓 練
c
b の 3 連 符 が 64 分 音 符 に な っ た 訓 練 (b の
d
c の 訓 練 の 変 形 (ト リ ル 音 型 を 含 ん だ 64 分 音 符 )
e
3 声。
の移動
が実 音 になっている)
(譜 53)
素早いポジション
c と 類 似 だ が 、 外 声 部 の 弱 拍 に 16 分 音 符 が 加 え ら れ て い る
(譜 54)
116
の移動
a
音 型 の 16 分 音 符 と 、
その上下声部が 8 分音符で 2 度ずつ交互に上行する
b
入 り 組 ん だ 16 分 音 符 ス ケ ー ル と 、
その上下声部が 8 分音符で 2 度ずつ交互に上行する
(順 に 下 行 す る )
No.18
c
入 り 組 ん だ 16 分 音 符 ス ケ ー ル と 、
その上下声部が 8 分音符で交互に 2 度ずつ上行する
(順 に 半 音 ず つ 下 行 す る )
a
No.18 c の 内 声 16 分 音 符 が 3 度 に な っ た 訓 練
3 度の指使い
特に
…など
No.19
(譜 55)
b
a の 8 分音符の音域が拡張された訓練
素早いポジション
の 移 動 (指 の 素 早
い伸張と収縮)
117
c
b が半音ずつ下行していく訓練
d
内声は c と同様、その外声部が 4 度跳躍している
a
外 声 部 は No.19 の a、 b と 同 様 、
内 声 16 分 音 符 は 1 オ ク タ ー ヴ 内 で の 重 音 ス ケ ー ル (3 度 )
No.20
b
内声は a と同様、その外声部が 4 度跳躍している
a
旋 律 的 声 部 と 16 分 音 符 (途 中 で 上 下 声 部 が 入 れ 替 わ る )
No.21
118
b
a の反行
a
速度表記あり
16 分 音 符 と 8 分 音 符 が 組 み 合 わ さ れ た 音 型 が 、
上 下 声 部 で 交 互 に な っ て 表 れ る (8 分 音 符 で は 和 音 を 含 む )
ハーフペダルを含むペダルの指示
楽曲演奏の要素が
加わる
(多 声 体 演 奏 )
No.22
(譜 56)
b
a と 類 似 。 16 分 の 始 め に 装 飾 音 が 付 加 さ れ た 訓 練
a
拍 子 あ り (7/4)
4 音 (3 音 )間 で 上 行 (下 行 )す る 16 分 音 符 ① と 、8 度 離 れ た 8 分
音 符 ② が 上 行 ・ 下 行 す る (2 つ の 音 型 は 交 差 し て い る )
2 種類の指使いが
No.23
提示されている
(の 指 使 い )
又は
119
b
3 音 間 で 下 行 (上 行 )す る 16 分 音 符 ① と 、
8 度 離 れた 8 分 音 符 ②が下 行 ・上 行 する
(2 つの音 型 は交 差 している)
c
a の 8 分 音 符 が 16 分 音 符 に な っ た 訓 練
d
その反行形
e
c の 8 度 が 10 度 跳 躍 に さ れ た 訓 練
f
その反行形
g
c の内声を色々な音域に跳躍させ、
No.23
それぞれに 3 度や 5 度などを付加し重音にさせた訓練
h
さらに音域を拡張させた訓練
素早いポジション
の移動
番号
L.v.ベ ー ト ー ヴ ェ ン の 《 交 響 曲 第 3 番 「 英 雄 」 》 よ り (一 部 抜 粋 )
無し
(譜 57)
L.v.ベ ー ト ー ヴ ェ ン の 序 曲 《 コ リ オ ラ ン 》 よ り (一 部 抜 粋 )
ストレッチを目的
番号
としているため、
無し
最 初 の 10 度 を ア
(譜 58)
ルペッジョにしな
いよう指示
120
多声奏法の訓練では、今まで課した訓練の要素をさらに発展させたもの、また
他の作曲家による作品で多声的な一部分を抜粋し、実践したものとが含まれてい
る (第 2 巻 と 同 様 )。 第 1 番 か ら 第 3 番 ま で は 、 単 旋 律 と 3 度 の 重 音 ス ケ ー ル が 主
に な っ て い る 。 第 1 番 a で は 単 旋 律 と 対 旋 律 (3 度 )が 反 行 し て お り 、 途 中 で 上 下
声 部 が 入 れ 替 わ る 。 最 初 に 10 度 離 れ て い る た め 、 小 さ な 手 の 者 は ア ル ペ ッ ジ ョ
にして奏さなければならない。また、b では a で単旋律だった声部が 3 度の重音
Fis
と な っ て い る た め 、非 常 に 困 難 で あ る (譜 38)。ま た 、移 調 し た 時 に 上 の 3 度 が Dis
もしくは
Des
B となる際は、
その
3 度 を 親 指 の み で 押 さ え る よ う 指 示 し て い る (譜 39)。
しかし、非常に伸張しているためアルペッジョで奏さなければ上下声部を同時に
押さえることも困難である。
【 譜 38:
第1番
a、 b】
121
【 譜 39:
上の 3 度を第 1 指のみで押さえる例】
第 2 番 、第 3 番 で の 重 音 の 指 使 い は ほ ぼ 一 般 的 で 、単 旋 律 と の 兼 ね 合 い も さ ほ
ど 無 理 が な い た め 比 較 的 弾 き や す い 訓 練 で あ る 。第 2 番 で は 、彼 の 注 釈 と し て 「第
1 指 、 お よ び 第 5 指 で 奏 す る 旋 律 は フ ォ ル テ (強 く )で 、 16 分 音 符 の 3 度 は ピ ア ニ
ッ シ モ (非 常 に 弱 く )で 奏 さ な け れ ば な ら な い 」と 記 さ れ て い る 1 。 旋 律 の 付 点 4 分
音 符 と 4 分 音 符 の 箇 所 で ペ ダ リ ン グ の 指 示 が あ る が 、旋 律 の 音 価 を 保 つ た め の ペ
ダリングであるため、どうしても重音の混ざりが気になる。ここでもハーフペダ
1
ル の 使 用 が 望 ま し い 。 ま た 、 16 分 音 符 の 16 番 目 に 2 指 が 使 用 さ れ て い る が 、 旋
律 に 第 1 指 が 使 用 さ れ て い る 点 、次 に 続 く 音 に も 第 1 指 が 使 わ れ て い る 点 な ど か
2
ら、筆者は4 指を提案する。
【 譜 40:
第 2 番】
第 3 番 で は 、4 つ の 例 が 挙 げ ら れ て い る 。a、b で は 拍 子 の 指 示 が あ る た め 、同
じ 形 の 訓 練 で あ る c と d に 拍 子 が 記 載 さ れ て い な い の は ミ ス で あ ろ う 。a で は 、1
小 節 分 保 持 さ れ た 上 声 部 お よ び 下 声 部 (第 1 指 お よ び 第 5 指 )と 、 内 声 の 3 度 (16
分 音 符 )の 訓 練 、b か ら d で は 上 下 声 部 が 4 分 音 符 に な っ て い る 。い づ れ も 両 声 部
が 8 度 以 上 離 れ た 際 に ペ ダ ル で 音 を 保 持 す る よ う 指 示 さ れ て い る が 、特 に d で は
10 度 離 れ た 箇 所 が あ り (譜 41)、 素 早 い ポ ジ シ ョ ン の 移 動 が 必 要 で あ る 。
Paul Wittgenstein, School for the Left Hand: Ⅰ . Exercises. London:
Universal Edition. c1957. p.52.
1
122
【 譜 41:
第3番
d】
第 4 番 、第 5 番 は 内 声 が 絶 え ず 同 じ パ タ ー ン を 繰 り 返 し な が ら 、そ の 上 下 声 部
で 断 片 的 な 動 き が 交 互 に 現 れ る (そ れ ぞ れ は 反 行 し て い る )。 内 声 の 同 じ パ タ ー ン
(徐 々 に 上 行 も し く は 下 行 す る )に は そ れ ぞ れ 何 種 類 か の 指 使 い が あ る が 、特 に 第 4
番 の 上 行 形 (4 音 の 上 行 ス ケ ー ル )で は 3-2-1-1 指 、 5-4-5-4 指 な ど 下 行 形 に 比 べ る
と少々特殊な指使いになっている。
【 譜 42:
第 4 番】
123
ま た 、 断 片 的 に 表 れ る 上 声 部 と 下 声 部 の 指 使 い で 、 上 行 形 の 際 に は 1-2 指 、 5-4
指と、同音は指替えをするよう指示しているのに対し、下行形では同じ形であり
な が ら 1-1 指 、 5-5 指 に な っ て い る 。 よ っ て 、 内 声 部 の ス ケ ー ル は 上 行 形 の も の
に 比 べ 非 常 に 弾 き や す い 指 使 い に な る (上 行 形 で 同 音 を 同 じ 指 に し た 場 合 、赤 枠 で
囲 っ た ス ケ ー ル を 4-3-2-1 指 、5-4-3-2 指 な ど 容 易 な 指 使 い で 奏 す る こ と が で き る 。
譜 43 参 照 )。 ど の よ う な 意 図 で 上 行 形 、 下 行 形 の 指 使 い を 変 え て い る か は 定 か で
はないが、彼の訓練ではこれ以降よく見受けられる。
【 譜 43】
上行形を下行形と同様の指使いにした場合
ま た 第 4 番 と 5 番 で は 、内 声 と な る 部 分 と そ の 外 声 部 を 弾 き 分 け る こ と を 目 的
と し て い る た め 、内 声 を ピ ア ノ (弱 く )で 、外 声 部 を フ ォ ル テ (強 く )で 弾 く よ う 指 示
している。
【 譜 44:
第 5 番】
124
第 6 番 か ら 第 10 番 は 、音 価 の 異 な る 2 声 (16 分 音 符 と 8 分 音 符 の ス ケ ー ル 、も
し く は ス ケ ー ル を 含 む 音 型 )を 弾 き 分 け る 訓 練 で あ る 。途 中 で 上 下 声 部 が 入 れ 替 わ
るため、その部分では素早いポジションの移動が必要となる。
第 6 番 は 異 な る 音 価 の ス ケ ー ル だ が 、こ こ で も 第 4 番 で 指 摘 し た よ う に 上 下 声
部 が 入 れ 替 わ る 前 後 の 指 使 い の 使 用 に 、 大 き な 違 い が 見 受 け ら れ る 。 前 半 の 16
分 音 符 (上 声 部 )は 3 通 り の 指 使 い が 挙 げ ら れ て い る が 3-2-1-2-1-2-1… (上 行 )、
1-2-1-2-1… (下 行 )な ど 3 音 や 2 音 ご と の 指 替 え に な っ て い る の に 対 し 、後 半 の 16
分 音 符 (下 声 部 )で は 2-3-4-5-2-3… (下 行 )、5-4-3-5-4-3-2-5… (上 行 )な ど 3 音 や 4 音
ご と の 指 替 え に な っ て い る (譜 45)。
【 譜 45:
第 6 番】
いづれの指使いにしても難易度はさほど高くはないが、様々な指使いによって
指の技術の向上に役立つ。
125
第 7 番 (3 例 )と 第 8 番 (4 例 )は 、ス ケ ー ル を 含 ん だ 音 型 (16 分 音 符 )と 、そ の 上 声
部 、 下 声 部 の 8 分 音 符 を 分 離 さ せ る 。 基 本 と な る 16 分 音 符 は 、 始 め の 音 、 そ し
て 始 め の 音 か ら 3 度 下 が っ た 音 (ま た は 上 が っ た 音 )か ら 順 に 3 音 上 行 (下 行 )す る
ス ケ ー ル で 成 っ て い る 2。 第 7 番 で は 対 す る 8 分 音 符 が 不 規 則 に 動 い て い る た め 、
同じ音型が続いているものの箇所によって手は収縮、伸張を繰り返している。第
8 番の 8 分音符はトリル音型のため音域が固定されたまま、もう一方の声部が上
行、下行する。難易度は高くないが、音域が狭くなる箇所では、隣合う指で違う
音価を奏するため、明確に弾き分ける訓練を必要とする。
第 9 番 は 基 本 形 (注 2)に 類 似 し た 16 分 音 符 と (3 音 上 行 ま た は 下 行 し た ス ケ ー ル
と そ の 最 後 の 音 か ら 3 度 下 が っ た 音 ま た は 上 が っ た 音 )、 半 拍 遅 れ て 始 ま る (半 音
階 を 含 む )4 分 音 符 の ス ケ ー ル で あ る 。16 分 音 符 の 音 域 が 固 定 さ れ て お り 、最 初 以
外 は ほ ぼ 1-2 指 で 奏 す る よ う 指 示 し て あ る (譜 46)。b で は 上 下 声 部 が 入 れ 替 わ り 、
一 番 離 れ て い る 箇 所 で は 10 度 離 れ て い る た め 、 そ こ の 箇 所 だ け ペ ダ ル の 指 示 が
ある。
【 譜 46:
2
第9番
a
b】
もしくは
126
第 10 番 は 、 音 域 を 固 定 さ れ た 完 全 5 度 の 上 下 行 ス ケ ー ル (16 分 音 符 )と 、 そ の
上 声 部 も し く は 下 声 部 の 半 音 階 (8 分 音 符 )と の 分 離 が 目 的 で あ る が 、a の 下 声 部 (16
分 音 符 ス ケ ー ル の 上 行 形 )は 同 じ 音 型 に 対 し 2、3 種 類 の 指 使 い が 指 示 し て あ る (一
方 、 b で 上 声 と な っ た 16 分 音 符 の 指 使 い は 1 種 類 の み で あ る )。 特 殊 な 指 使 い を
用 い た ス ケ ー ル と し て 3-4 指 (上 行 )、3-5 指 (上 行 )な ど が 見 受 け ら れ る が 、こ こ で
は前の指をまたいだりくぐったりする奏法が不可能であるため、 素早く指を移動
することで、なるべくなめらかに弾けるよう訓練しなければならない。
【 譜 47:
第 10 番
a】
第 11 番 で は 今 ま で の 音 型 で あ り な が ら 、16 分 音 符 が よ り 複 雑 に な っ て い る 。8
度 移 動 を 含 ん だ ス ケ ー ル (16 分 音 符 )と 、 半 音 階 を 含 ん だ ス ケ ー ル (8 分 音 符 )が 入
り 組 ん で い る た め 、 和 声 上 、 8 分 音 符 が 内 声 に な る 箇 所 が で き る (譜 48)。 今 ま で
の 訓 練 で は 、 5、 4、 (3)指 と 1、 2、 (3)指 と の 分 離 を 求 め る 訓 練 で あ っ た が 、 こ こ
で は 1、 2、 5、 (3)指 と 3、 4 指 と の 分 離 を 対 象 に し て い る 。
【 譜 48:
第 11 番 】
127
第 12 番 は 、 8 音 間 の 16 分 音 符 ス ケ ー ル と 、 そ の 上 下 声 部 で 8 分 音 符 、 も し く
は 5 連 符 が 断 片 的 に 表 れ る 。 a で は 強 弱 記 号 が あ り 、 8 分 音 符 は フ ォ ル テ (強 く )、
16 分 音 符 は ピ ア ノ (弱 く )で 奏 す る よ う に 指 示 し て い る 。 し か し 、 指 使 い も 通 常 の
指 使 い で 対 応 で き 、 さ ほ ど 難 し く な い 。 b で は 、 交 互 に 現 れ る 声 部 に 5 連 符 (32
分 音 符 )が あ り 、 非 常 に 遅 く molto piu Lento の 指 示 が あ る た め 、 全 体 の 難 易 度 は
さほど高くない。
第 13 番 は 、
音 型 (も し く は
)の 3 連 符 の 連 続 と 、そ の 上 下 声 部 で 交 互 に 現 れ
る声部とが組み合わされた訓練である。3 例挙げられているが、まず a では単旋
律と単旋律になっており指でつなげることが可能であるため、ペダルなしでとい
う指示がある。また断片的に表れる声部にはスタッカートとマルカート、テヌー
トで奏するよう指示してあり、ここでは強弱の違いで はなく奏法の変化によって
声 部 を 分 離 さ せ る こ と を 目 的 と し て い る (譜 49)。 b お よ び c で は 、 内 声 の 3 連 符
が 3 度、6 度の重音になっておりペダルを用いて単旋律を保たせているが、ここ
でも音がにごるためハーフペダルを使うことが望ましい。
【 譜 49:
第 13 番
a、 b】
128
第 14 番 は 、半 音 階 を 含 む 入 り 組 ん だ 32 分 音 符 と 単 旋 律 の 訓 練 で あ る 。こ こ で
も 32 分 音 符 を ピ ア ニ ッ シ モ (非 常 に 弱 く )、 単 旋 律 を フ ォ ル テ (強 く )と 、 強 弱 に よ
って声部を分離させることを目的としている。3 例挙げられているが、中でも c
の 訓 練 で は 32 分 音 符 が 3 度 の 重 音 に な っ て お り 、 さ ら に 重 音 が そ れ ぞ れ 半 音 階
で 入 り 組 ん で い る た め 非 常 に 難 し い (譜 50)。
【 譜 50:
第 14 番
c】
第 15 番 か ら は こ れ ま で の 訓 練 と 類 似 し た も の 、 発 展 さ せ た も の に な る 。 以 降
は特に特徴をもったもの、非常に難易度の高いもの、または指使いに疑問がある
ものに焦点を絞って取り上げていきたい。
第 15 番 の d と f に つ い て 見 て い く (e は d と 類 似 し て い る )。 上 声 部 と 下 声 部 (8
分 音 符 )が 10 度 離 れ て お り 、 手 が 小 さ い 者 に と っ て は ア ル ペ ッ ジ ョ で 奏 す る 必 要
がある。声部の弾き分けと、素早いポジションの移動が求められる訓練だが、内
声 の 16 分 音 符 (d)も し く は 3 連 符 (f)は 、 非 常 に 弾 き に く い 。
【 譜 51:
第 15 番
d、 f 】
129
特に内声が重音となっている f は、指使いを見ても無理難題な箇所が多い
(赤 で 囲 っ た 部 分 )。
第 16 番 で は 、 ヴ ィ ッ ト ゲ ン シ ュ タ イ ン が こ だ わ り を も っ て 提 案 し た で あ ろ う
指 使 い が 見 ら れ る (譜 52)。通 常 で あ れ ば 、赤 数 字 で 示 し た 指 使 い の 方 が ス ム ー ズ
に 弾 く こ と が で き る が 、あ え て 指 を ま た い だ り 、く ぐ る 指 使 い を 用 い て い る (低 声
部 4-3-2-4-3-5-4-5、 高 声 部 3-2-1-2-1-2-1-2)。
【 譜 52:
第 16 番 】
第 17 番 は 、 内 声 の 単 旋 律 と そ の 上 下 声 部 (32 分 音 符 )が 交 互 に 現 れ る (単 旋 律 を
フ ォ ル テ で レ ガ ー ト に 、 32 分 音 符 を ピ ア ニ ッ シ モ で 弾 く 訓 練 と 記 し て あ る 。 譜
53)。 単 旋 律 を 第 1 指 か 第 5 指 が 主 に 担 当 す る た め 、 ポ ジ シ ョ ン の 素 早 い 移 動 と
声部を弾き分ける必要性がある。ペダリングの指示があるが、ここでもヴィット
ゲ ン シ ュ タ イ ン の 通 り に 弾 く と 非 常 に 音 が に ご る た め 、単 旋 律 の 8 分 音 符 ご と に
踏み換えるか、ハーフペダルを推奨したい。
130
【 譜 53:
第 17 番
a】
ま た 、17 番 の e で は 、所 々 3 声 に な る 箇 所 が あ り 、ヴ ィ ッ ト ゲ ン シ ュ タ イ ン に よ
る 注 釈 が あ る 。 譜 54 の 赤 枠 内 に お い て 、 非 常 に 大 き い 手 の 場 合 と 小 さ い 手 の 場
合の指示がなされている。非常に大きい手の場合はアルペッジョで弾く必要はな
い が 、第 3 指 の 代 わ り に 第 2 指 を 使 う よ う 指 示 し て い る 。ま た 小 さ い 手 の 場 合 は 、
こ の 箇 所 を テ ン ポ 通 り に 弾 く こ と が 難 し い た め 高 音 を 前 後 の 64 分 音 符 の ど ち ら
かにずらすよう指示している。しかし、今まで登場した訓練の中にも非常に音域
の離れた訓練があり、そこで指示がなかったことに疑問が残る。よって、 ここに
記載されている指使い はアルペッジョで奏してもよい、という解釈ができる。
【 譜 54:
第 17 番
e】
131
第 18 番 か ら 第 20 番 は 、第 4 番 、第 13 番 な ど と 類 似 し て い る 。内 声 の 16 分 音 符
と 、 そ の 上 下 声 部 で 交 互 に 現 れ る 8 分 音 符 と を 分 離 さ せ る 訓 練 だ が 、 特 に 第 19
番 a で は 内 声 が 3 度 の 重 音 で 入 り 組 ん で い る た め 、ヴ ィ ッ ト ゲ ン シ ュ タ イ ン の 指
使 い は 特 殊 な 指 使 い が 1~ 3 種 類 提 示 し て い る (譜 55)。
【 譜 55:
第 19 番
a】
1
第 21 番 、第 22 番 は 旋 律 と 対 旋 律 が 交 互 に 入 れ 替 わ る 。特 に 、第 22 番 で は 2 指
で 13 度 や 11 度 離 れ た 音 符 を 押 さ え る 箇 所 が あ り 、素 早 い 移 動 と 声 部 を 弾 き 分 け
る 技 術 を 要 す る (譜 56)。こ の 技 術 は 、彼 の 書 い た 第 2 巻 や 第 3 巻 に よ く 見 ら れ る
だけでなく、左手のための作品を演奏する上で極めて重要なものである。
132
【 譜 56:
第 22 番 a】
第 23 番 は 2 声 体 の 訓 練 で 全 8 例 挙 げ ら れ て い る 。 1 オ ク タ ー ヴ (ま た は 10 度 )
の 移 動 と 、内 声 が 交 差 し て い る た め 、上 声 部 と 下 声 部 を 両 方 担 う 指 (主 に 第 5 指 と
第 1 指 、第 2 指 )の 声 部 の 弾 き 分 け が 非 常 に 必 要 と な る 。難 易 度 は さ ほ ど 高 く な い 。
番 号 の な い 最 後 の 2 つ は 、ほ ぼ 2 巻 の 内 容 と な っ て い る (現 に 同 頁 の 下 か ら 第 2
巻 に 属 す る と の 記 載 が あ る )。1 つ 目 は 、L.v.ベ ー ト ー ヴ ェ ン の《 交 響 曲 第 3 番「 英
雄 」 作 品 72》 の ヴ ァ イ オ リ ン パ ー ト (第 514~ 519 小 節 の 途 中 ま で )を 抜 粋 し て い
る。ベートーヴェンによるヴァイオリンパートとヴィットゲンシュタインが提示
したものとは、音、音型ともに同じであるが、ヴィットゲンシュタインによる速
度表記や表情記号、拍子が記載されていないためメモ書き程度の提示であるとい
える。
【 譜 57:
L.v.ベ ー ト ヴ ェ ン の ヴ ァ イ オ リ ン パ ー ト 譜 と 、
ヴィットゲンシュタインのもの】
133
同 様 に 2 つ 目 は 、 L.v.ベ ー ト ー ヴ ェ ン の 序 曲 《 コ リ オ ラ ン 作 品 62》 の 弦 楽 器
パ ー ト (第 102~ 103 小 節 )を 抜 粋 し た も の で あ る 。音 や 音 型 は そ の ま ま だ が 、旋 律
の 音 価 を 変 え て い る (休 符 部 分 を 付 点 4 分 音 符 に 変 え て い る の は 、手 の ス ト レ ッ チ
を 目 的 と し て い る た め で あ る と い え る )。 ま た 、 初 め の 10 度 は ア ル ペ ッ ジ ョ に し
な い よ う 記 載 さ れ て い る が 、 手 の 小 さ い 人 に と っ て 、 こ の 短 10 度 の 重 音 を 一 度
に押さえることは不可能である。
【 譜 58:
L.v.ベ ー ト ヴ ェ ン の 楽 譜 と 、 ヴ ィ ッ ト ゲ ン シ ュ タ イ ン の も の 】
た だ し 、 最 初 の ト 音 譜 表 の 音 は 原 曲 で は g で あ る が b1 に 直 さ れ て い る 。
134
多声体演奏の訓練では、2 声もしくは 3 声体の声部の弾き分けを目的に書かれ
ていた。フォルテとピアノという強弱の違いで弾き分けるもの、マルカートやス
タッカートと奏法の違いによって弾き分ける訓練も存在した。1 オクターヴ以上
の 重 音 を 同 時 に 押 さ え る よ う 指 示 さ れ た も の は 、小 さ い 手 の 者 に と っ て は 難 し い 。
しかし、この多声体演奏の訓練は指の独立のためであると同時に、左手のための
楽 曲 を 演 奏 す る 上 で 欠 か せ な い 訓 練 で あ り 、彼 の 第 2 巻 、第 3 巻 で も 用 い ら れ る
技術である。指使いは、全体を通して通常使用されるような指使いではなく、あ
えて指をくぐらせたり 、またいだり、素早くポジションを移動しペダルで補助す
るなど、簡易的な指使いはあまり見受けられなかった。
まとめ
全 体 と し て 見 る と 、 第 1 巻 (訓 練 集 )は 極 め て 高 度 な 技 術 を 要 求 し て い る こ と が
明らかであった。ほぼ大部分の訓練に適応される移調 や、指を交差させる度合い
を 毎 度 変 え た 訓 練 、指 の 素 早 い 伸 張・収 縮 と ポ ジ シ ョ ン の 素 早 い 移 動 を 含 む 訓 練 、
音 価 の 異 な る 3 声 の 重 音 ト リ ル や 、通 常 で は あ ま り 用 い ら れ な い 指 使 い の 指 示 の
他、音の保続のためのペダリングなど、ヴィットゲンシュタイン が左手のピアニ
ストとして生きていくために、不屈の精神と強い意志を持ち、日々8 時間もの訓
練 を 懸 命 に 行 っ て い た と い う 事 実 は 、こ の 決 し て 容 易 と は い え な い 第 1 巻 (訓 練 集 )
の難易度の高さによって証明されるであろう。
135
第2節
第2巻
第 2 巻 (練 習 曲 集 )は 、 他 の 作 曲 家 の 作 品 を 一 部 抜 粋 し 、 あ る 技 術 に 着 目 し た も
の を 左 手 用 に 編 纂 さ れ た も の で あ る 。以 下 は 、第 2 巻 で 取 り 上 げ ら れ て い る 全 20
例 3 を 小 節 数 、調 性 、速 度 表 記 、原 曲 の 種 類 、目 的 と す る 技 術 に 着 眼 点 を お き 考 察
し 、ま と め た も の で あ る (表 5)。な お 、曲 目 の 原 語 表 記 に つ い て 、楽 譜 上 に は 原 則
として英語とドイツ語両方書かれているが、表 2 では英語表記とする。ただし、
一部ドイツ語のみで書かれたものについてはドイツ語で表記する。
【表 5】
小
節
調性
第 2 巻 (練 習 曲 集 ) (P.ヴィットゲンシュタイン自 身 の編 曲 による)
速度表記
曲目
(表 情 記 号 )
数
原曲の
目 的 とする技 術
種類
L.v.ベ ー ト ー ヴ ェ ン
ク ロ イ ツ ェ ル・ソ ナ タ 第 2 楽 章
27
F:
なし
第 2 変奏
L.v.Beethoven: Kreutzer Sonata,
2 n d Movement 2 n d Variation
室内楽
(ヴァイオリン
4-3-2-1 指 の 同 音 連 打
とピアノ)
(Violin part)
L.v.ベ ー ト ー ヴ ェ ン
ピアノ・ソナタ 第 3 番 作品 2
15
e:
Adagio
第 2 楽章
L.v.Beethoven: Sonata op.2, No.3
低 音 (4 分 音 符 )と
ピアノ
独奏
上 声 部 (16 分 音 符 )の分 離
声 部 が途 中 交 差 している
2 n d Movement
F.メ ン デ ル ス ゾ ー ン
17
Es:
なし
八 重 奏 曲 作 品 20
F.Mendelssohn: Oktett op.20
室内楽
(八 重 奏 曲 )
Fr.シ ュ ー ベ ル ト
4
As:
なし
No.4
a:
なし
紡ぎ歌
F.Mendelssohn: Spinning Song
3
旋律が内声にあり、
ピアノ
独奏
F.メ ン デ ル ス ゾ ー ン
9
3 声体。
即 興 曲 第 4 番 作 品 90
Fr.Schubert: Impromptu op.90,
旋 律 と対 旋 律 の弾 き分 け
第 5 指と第 1 指で弾く
半 音 階 を 含 む 16 分 音 符 を
弾きながら
4
1
5、 2で 和 音 を つ か む
p.42 で 述 べ た よ う に 、 全 20 例 の う ち 最 初 の 6 例 は 誤 っ て 第 1 巻 の pp.77-82
に収められている。
136
Fr.シ ュ ミ ッ ト
10
F:
なし
ベートーヴェンの主題による変奏
Fr.Schumidt: “Variations on a
それぞれ音価の異なる
管弦楽4
声 )奏 法 の 訓 練
Theme of L.v.Beethoven”
第 5 指 のみを使 う、または
L.v.ベ ー ト ー ヴ ェ ン
12
d:
Largo
18
f:
Allegro
assai
第 1 指 を多 く使 う旋 律 。
ピアノ・ソナタ 第 7 番 ニ長調
素 早 いポジション移 動
L.v.Beethoven: Piano Sonata
No.7 in D major
(跳 躍 )
op.10 No.3
音 価 の異 なる 3 声 の分 離
L.v.ベ ー ト ー ヴ ェ ン
素 早 いポジション移 動
ピ ア ノ・ソ ナ タ 第 23 番 ヘ 短 調
(跳 躍 )
L.v.Beethoven: Piano Sonata
4 オクターヴを超 えるアルペッ
No.23 in f minor op.57
ジョ(下 行 5-2、5-3)
A.ル ー ビ ン シ ュ タ イ ン
143
84
C: c:
c:
Moderato
Allegro
con fuoco
多 声 体 (和 音 を 含 む 4
4 オクターヴを超 える
練習曲
アルペッジョ
Anton Rubinstein: Etude on
二重音
False Notes
約 3 オクターヴの和 音
Fr.シ ョ パ ン
ピアノ
練 習 曲 作 品 10-12
Fr.Chopin: Etude op. 10 No.12
独奏
主に
1
4
指 のオクターヴと
第 5 指 を交 互 に使 用 し
16 分 音 符 を奏 する
Fr.シ ョ パ ン
88
c:
〃
2 1
5 -4 指 の連 続
練 習 曲 作 品 10-12(二 重 音 )
Fr.Chopin: Etude op. 10 No.12
(in Double Notes)
Fr.シ ョ パ ン
96
a:
なし
1 4
2 -5
練 習 曲 作 品 25-11(二 重 音 )
64
h: H:
con fuoco
使 用 する二 重 音 で
(in Double Notes)
16 分 音 符 を奏 する
へ音 譜 表 とト音 譜 表 に分
スケルツォ 第 1 番 ロ短調
Fr.Chopin: Scherzo No.1
minor op.20 (excerpts)
4
指 などを交 互 に
Fr.Chopin: Etude op. 25 No.11
Fr.シ ョ パ ン
Presto
4 和 音 での 16 分 音 符
in b
かれた反 行 するアルペッ
ジョ(跳 躍 含 む)
本 来 は 、ピ ア ノ (左 手 の み )と 管 弦 楽 の た め の 作 品 で あ る が 、ヴ ィ ッ ト ゲ ン シ ュ
タ イ ン 自 身 に よ っ て 管 弦 楽 パ ー ト (一 部 分 )と 記 載 し て あ る た め 、 管 弦 楽 と し
て分類する。
137
E.ハ ー ベ ル ビ ア ー
45
Ges:
Presto
con fuoco
詩 的 な 練 習 曲 第 20 番
ピアノ
E.Haberbier: Poetic Studies
独奏
No.20 (Tremolo)
J.シ ュ ト ラ ウ ス Ⅱ
17
4
Cis:
Es:
なし
なし
朝の新聞
(ワルツ)
へ音 譜 表 とト音 譜 表 に分
わが人生は愛と喜び
Joseph Strauss: Mein
管弦楽曲
(ワルツ)
変 奏 曲 作 品 21 よ り 第 7 変 奏
ピアノ
con moto
J.Brahms: Variations op.21,
独奏
第 2 楽章より 第 1 変奏
J.Haydn: String Quartet op.76
室内楽
(弦 楽
四重奏曲)
Movement, Variation No.1
57
E:
langsam
J.ブ ラ ー ム ス
Adagio
和声アルペッジョが
16 分 音 符 で旋 律 に絡
んでおり旋 律 以 外 をス
タッカートで奏 する。
歌曲作品
歌曲 ナイチンゲールに寄せて
J.Brahms: To a Nightingale
ヴァイオリン・ソナタ ヘ短調
c:
練習
(声 部 の分 離 )
(声 楽 用
楽 譜 付 き)
J.S.バ ッ ハ
27
律 (カノン風 )のための
旋 律 あり。
No.3 (Hob.Ⅲ:77), 2nd
Ziemlich
かれた付 点 を含 む旋
(跳 躍 を含 む)
弦 楽 四 重 奏 曲 作 品 76 第 3 番
adagio
ッジョ
へ音 譜 表 とト音 譜 表 に分
Andante
Poco
かれた反 行 するアルペ
6 度 、5 度 の跳 躍
J.ハ イ ド ン
G:
ジョ(跳 躍 含 む)
J.シ ュ ト ラ ウ ス
Variation No. 7
21
かれた反 行 するアルペッ
6 度 、5 度
J.ブ ラ ー ム ス
D:
ジョ(跳 躍 含 む)
Morgenblätter
Lebenslauf ist Lieb„ und Lust
18
かれた反 行 するアルペッ
へ音 譜 表 とト音 譜 表 に分
管弦楽曲
Johann Strauss Ⅱ:
へ音 譜 表 とト音 譜 表 に分
第 3 楽章
室内楽
(ヴァイオリン
J.S.Bach: Violin Sonata in f
minor, 3rd Movement
138
譜 付 き)
ピアノパート(伴 奏 )のみを
左 手 用 に編 纂 している。
(指 使 いなどを指 定 )
調 性 、 拍 子 、 速 度 表 記 に お い て は 、 原 曲 と ほ ぼ 同 じ で あ る 5 (ヴ ィ ッ ト ゲ ン シ ュ
タ イ ン が 指 示 し て い な い も の を 除 く )。 調 性 に お い て は 、 全 20 例 が 原 曲 の 調 性 の
ま ま 左 手 用 に し て い る 。 ♭ 系 は 10 例 、 ♯ 系 は 6 例 、 調 号 が な い も の が 3 例 あ り
(A.ル ー ビ ン シ ュ タ イ ン の 練 習 曲 は 、途 中 で ハ 長 調 か ら ハ 短 調 ほ か 様 々 に 転 調 を し
て い る が 調 号 が な い も の と し て 分 類 し た )、黒 鍵 を 含 ん だ 曲 例 、と り わ け ♭ 系 の 曲
目を多く取り上げていた。また、原曲において、室内楽曲のものが 4 曲、管弦楽
曲 3 曲 、 歌 曲 作 品 が 1 曲 、 残 り の 12 曲 は ピ ア ノ 曲 か ら の も の で あ る 。 原 曲 が ピ
ア ノ 曲 以 外 の も の 、さ ら に そ れ を 練 習 曲 と し て 提 示 し て い る 点 は 非 常 に 興 味 深 い 。
楽 曲 の 一 部 分 (10 小 節 足 ら ず )を 取 り 出 し た も の は 、あ ま り に も 短 す ぎ る た め 、 ヴ
ィットゲンシュタインの一種のスケッチとして捉えるのが無難であろう。
ま ず 、 L.v.ベ ー ト ー ヴ ェ ン の 《 ク ロ イ ツ ェ ル ・ ソ ナ タ
第 2 楽章》の第 2 変奏
が あ る 。 元 々 は 室 内 楽 曲 (ヴ ァ イ オ リ ン と ピ ア ノ )で あ る が 、 ヴ ァ イ オ リ ン の パ ー
ト の み が 取 り 上 げ ら れ て い る 。 第 1 巻 で は 見 ら れ な か っ た 同 音 連 打 (主 に 4-3-2-1
指 )の 練 習 曲 と な っ て お り 、調 性 や 拍 子 記 号 、小 節 数 は 原 曲 と 統 一 さ れ て い る 。音
の高さとしてはオクターヴ下げられており、単旋律で音域の移動も少なく難易度
は易しい。
【 譜 1:
L.v.ベ ー ト ー ヴ ェ ン 《 ク ロ イ ツ ェ ル ・ ソ ナ タ
第 2 楽章》の第 2 変奏
第 1 小節】
ヴィットゲンシュタイン版
5
原 曲 に お け る 拍 子 や 速 度 表 記 、表 情 記 号 に 関 し て は 、出 版 社 に よ っ て 多 少 異
な る 表 記 の も の が 存 在 す る が 、Urtext や 初 版 の も の を 見 る こ と が で き る 場
合 は そ れ に 従 っ た 。 と り わ け Fr.シ ョ パ ン の 楽 曲 の 出 版 社 と し て 、
Ekier(national)版 、Henle 版 、Paderewski 校 訂 版 、Cortot 版 、Breitkopf
und Härter 版 、 Peters 版 を 参 考 に し た と こ ろ 、 拍 子 記 号 や 速 度 記 号 、 表
情 記 号 な ど が Paderewski 校 訂 版 と 類 似 す る た め 、 こ れ を 原 版 と す る 。
139
ヴィットゲンシュタインのものは、アーティキュレーションや強弱などが記され
ていないため、演奏者の任意の速度設定と強弱が求められる。
室 内 楽 曲 は 、 他 に J.S.バ ッ ハ 、 F.メ ン デ ル ス ゾ ー ン 、 J.ハ イ ド ン が 取 り 上 げ ら
れ て い る が 、こ れ ら 3 つ は す べ て 多 声 体 で あ る 。ま ず F.メ ン デ ル ス ゾ ー ン の《 八
重奏曲
作 品 20》 よ り 第 4 楽 章 の 抜 粋 (第 387~ 403 小 節 )で は 、 ヴ ァ イ オ リ ン Ⅰ
~Ⅳ、ヴィオラⅠⅡ、チェロⅠⅡの編成であるが、ヴィットゲンシュタインはヴ
ァイオリンⅠ~Ⅲのみを取りあげている。しかし、彼の第 5 小節から第 8 小節、
第 15 小 節 か ら 第 16 小 節 の ヴ ァ イ オ リ ン Ⅰ の 部 分 は 、原 曲 と 音 型 は 類 似 す る も の
の、旋律と下声部が交差しないよう音域が下げられている。上声部で長い音価を
保 ち な が ら 低 声 部 (8 分 音 符 )が 絶 え ず 動 く 練 習 曲 と な っ て お り 、こ の 技 法 は 、第 1
巻 の 多 声 奏 法 の 訓 練 第 21 番 な ど に 該 当 す る 。
【 譜 2:
F.メ ン デ ル ス ゾ ー ン 《 八 重 奏 曲
作 品 20》 よ り
第 4 楽章
第 387-392 小 節 】
140
ヴ ィ ッ ト ゲ ン シ ュ タ イ ン 版 (第 1-6 小 節 )
大部分は指のみでレガートに奏することができるが、赤枠の箇所では音が非常
に離れているため音を保つためのペダルが必要となる。しかし彼の譜面上ではペ
ダ ル の 指 示 が な い (第 12、 14、 15 小 節 で は 12 度 の 跳 躍 が あ る た め 、 こ こ で も ペ
ダ ル が 必 要 。譜 3 赤 枠 )。原 曲 の 第 391 小 節 と 第 399 小 節 で は ト リ ル (タ ー ン )が 用
い ら れ て い る が 、ヴ ィ ッ ト ゲ ン シ ュ タ イ ン (第 5 小 節 、第 13 小 節 )は 2 回 目 の み に
反映させるなど、意図的に変化させている箇所も見られる。
【 譜 3:
同上
第 12~ 15 小 節 】
続 い て J.ハ イ ド ン の《 弦 楽 四 重 奏 曲 作 品 76 第 3 番 ハ 長 調 Hob.Ⅲ :75》よ り 、
第 2 楽 章 の 第 1 変 奏 は 、第 2 ヴ ァ イ オ リ ン の 旋 律 、第 1 ヴ ァ イ オ リ ン の 対 旋 律 の
み の 変 奏 部 分 を 左 手 用 に し て い る 2 声 体 の 練 習 曲 で あ る 。こ こ で は 旋 律 と 対 旋 律
の音域が交差するため、5 本の指全てが声部を細かく弾き分ける技術を必要とす
る (譜 4)。
141
【 譜 4: 弦 楽 四 重 奏 曲 作 品 76 第 3 番 ハ 長 調 Hob.Ⅲ :75 第 2 楽 章 の 第 1 変 奏
第 29-31 小 節 】
ヴィットゲンシュタイン版
同箇所
この練習曲では、レガートとスタッカートによる弾き分けや、ペダルの詳細な指
示が見られる。途中で声部が交差しており、技術的難易度は高い。第 1 巻におけ
る 多 声 体 奏 法 の 訓 練 の 第 21 番 な ど で 取 り 上 げ ら れ て い る 訓 練 の 応 用 で あ る と い
える。
残 る J.S.バ ッ ハ の 室 内 楽 曲 《 ヴ ァ イ オ リ ン ・ ソ ナ タ ヘ 短 調 第 3 楽 章 》 (譜 5)
と 、唯 一 の 歌 曲 作 品 で あ る J.ブ ラ ー ム ス の《 ナ イ チ ン ゲ ー ル に 寄 せ て 》の 2 曲 は 、
共に伴奏部分が左手のみのために編纂された作品である。そのため、ヴァイオリ
ン パ ー ト や 歌 唱 パ ー ト (歌 詞 )が そ の ま ま 載 せ ら れ て お り 、 こ の よ う な 選 曲 は 第 2
巻 で の み 見 ら れ る 。序 文 に お い て 、彼 は 次 の よ う に と 述 べ て い る 。「左 手 の み で 伴
奏 で き る 曲 が い く つ か あ る 。シ ュ ー ベ ル ト の《 ア ヴ ェ・マ リ ア Ave Maria》、メ
ン デ ル ス ゾ ー ン の《 歌 の 翼 に On Wings of Song》は 是 非 と も 注 目 し て 書 い て み た
い 6 」。 こ れ ら の 作 品 の 伴 奏 部 分 は 2 声 体 (ブ ラ ー ム ス は 3 声 体 )で あ り 、 声 部 が 交
互に現れる。左手のみで弾く場合は、一方の声部が休符あるいは伸ばしている間
に、手を素早くポジション移動させてもう一方の声部を奏するため、声部の弾き
分 け は 必 要 な く 、 音 域 も 10 度 程 度 の 移 動 で あ る た め 難 易 度 は さ ほ ど 高 く な い 。
6
P. Wittgenstein. School for the Left Hand. 1957. Preface.
142
【 譜 5:
J.S.バ ッ ハ ヴ ァ イ オ リ ン ・ ソ ナ タ ヘ 短 調
第 3 楽 章 第 1-2 小 節 】
J.S.バ ッ ハ の も の
ヴィットゲンシュタイン版
ペダルの使用においては、8 分音符に合わせて踏むよう指示している。しかし、
も う 一 方 の 32 分 音 符 が 濁 っ て し ま う た め 、 書 か れ て い る も の よ り 多 少 短 め の ペ
ダリングが推奨される。
このように見てみると、室内楽作品ではテクスチュアーが薄い一部分を取り出
して改編したものが多く、数パートを融合したものや、二重奏などのパートを抜
き 出 し た も の 、ま た は 伴 奏 部 分 を そ の ま ま 左 手 用 の 指 使 い に 直 し た も の が あ っ た 。
特にピアノ伴奏における記譜は、原曲の楽譜にほぼ等しい。では、ピアノ独奏曲
から改編されたものにはどのような特徴があるのか、続いて見ていきたい。
143
ま ず 、ピ ア ノ 独 奏 曲 L.v.ベ ー ト ー ヴ ェ ン の《 ピ ア ノ・ソ ナ タ 第 3 番 作 品 2》よ
り 第 2 楽 章 の 抜 粋 (11 小 節 目 か ら 25 小 節 ま で )で あ る 。 速 度 表 記 、 拍 子 記 号 、 調
性 と も 原 曲 通 り 指 定 さ れ て い る (参 考 楽 譜 :Henle 版 )。 記 譜 を 見 て み る と 、 原 曲 と
ま る で 同 じ 書 き 方 を し て い る 。 こ の 曲 の 特 徴 と し て 原 曲 (両 手 )で 弾 く 場 合 に 手 を
交 差 す る 箇 所 が あ る が (譜 6)、左 手 の み で 弾 く 場 合 は 10 度 伸 張 さ せ る 必 要 が あ る 。
その部分以外は比較的奏しやすい。
【 譜 6:
L.v.ベ ー ト ー ヴ ェ ン 《 ピ ア ノ ・ ソ ナ タ 第 3 番 作 品 2》 よ り 第 2 楽 章
第 13 小 節 】
ヴィットゲンシュタイン版
第 3 小節
ま た 、 原 曲 の 9 小 節 か ら 14 小 節 で も 同 様 に 左 手 と 右 手 が 交 差 す る 箇 所 が あ り (譜
7)、低 音 と 旋 律 が 10 度 離 れ た 箇 所 で は 左 手 の み で 弾 く 際 に 素 早 い 移 動 と 声 部 の 弾
き 分 け が 必 要 と な る 。 こ の 奏 法 は 、 第 1 巻 で の 多 声 体 奏 法 の 訓 練 第 18 番 な ど に
該当する。
144
【 譜 7:
ヴィットゲンシュタイン版
第 9 小節】
同 様 に 、Fr.シ ュ ー ベ ル ト の《 即 興 曲 作 品 90 の 4》の 中 の わ ず か 4 小 節 が 左 手
用 と し て 載 せ ら れ て い る (譜 8)。調 性 、拍 子 、そ し て 記 譜 は 原 曲 と 同 じ で あ る 。強
弱記号や速度表記ほかフレーズなどの指示はないが、ヴィットゲンシュタインに
よ っ て 考 え ら れ た 指 使 い が 添 え て あ る 。小 節 内 を 保 つ 低 音 は す べ て 第 3 指 で 押 さ
え 、内 声 の 旋 律 は 第 1 指 と 第 5 指 が 交 互 に 担 当 す る 。第 1 指 は 高 声 部 も 担 う た め 、
声部を素早く弾き分ける技術を要する。
【 譜 8:
ヴィットゲンシュタイン版
Fr.シ ュ ー ベ ル ト 《 即 興 曲
作 品 90 の 4》
第 1-4 小 節 】
第 1 指 と 第 5 指 で 内 声 の 旋 律 を 明 確 に 描 く に は 、打 鍵 の 速 度 や 重 さ を 均 一 に す る
な ど の 技 術 が 要 る 。 類 似 す る 訓 練 と し て 第 1 巻 の 多 声 体 奏 法 の 訓 練 第 16 番 、 第
17 番 あ た り で 取 り 上 げ ら れ て い る 。
145
ここまで室内楽曲とピアノ独奏曲から練習曲にされた数曲を取り上げたが、い
づ れ も 原 曲 に 基 づ い た 調 性 、 速 度 設 定 (指 示 さ れ て い る も の に 限 る )、 拍 子 記 号 を
用 い て い た 。 ピ ア ノ 独 奏 曲 に よ る 練 習 (12 例 中 )で 、 唯 一 Fr.シ ョ パ ン に よ る 〈 練
習 曲 作 品 10 の 12〉 で は 2 通 り の 例 7 が 挙 げ ら れ て い る 。 同 曲 を ヴ ィ ッ ト ゲ ン シ
ュ タ イ ン 以 前 に 左 手 の み の た め に 編 曲 し て い る 例 と し て 、 L.ゴ ド フ ス キ ー に よ る
《 シ ョ パ ン の 練 習 曲 に 基 づ く 53 の 練 習 曲 集 53 Studies on Chopin‟s Etudes 》 の
第 3 巻 第 22 番 が 挙 げ ら れ る 。 同 様 に 、 Fr.シ ョ パ ン に よ る 〈 練 習 曲 作 品 25 の
11〉 は 、 ヴ ィ ッ ト ゲ ン シ ュ タ イ ン の 他 に Is.フ ィ リ ッ プ 8 に よ る 《 左 手 の た め の 訓
練 と 練 習 曲 集 Exercices et études techniques 》 の 練 習 曲 第 6 番 に も 見 ら れ る た
め、これら 2 曲を編曲技法の比較対象として取りあげたい。
ま ず〈 練 習 曲 作 品 10 の 12〉に お け る ヴ ィ ッ ト ゲ ン シ ュ タ イ ン の 2 通 り の 例 (1
音 毎 に オ ク タ ー ヴ を 付 加 し た も の を a、 2 度 や 6 度 音 程 を 付 加 し 、 時 に 3 和 音 に
さ れ て い る も の を b と す る )で は 、調 性 は 原 曲 と 同 じ で あ り 、曲 中 通 し て 連 続 す る
16 分 音 符 (左 手 )が 主 体 と な っ て い る 。そ の た め 、右 手 が 担 当 し て い た 声 部 (旋 律 パ
ー ト )は ほ と ん ど 反 映 さ れ て い な い (譜 9)。
【 譜 9:
Fr.シ ョ パ ン
練 習 曲 作 品 10-12 と 、 ヴ ィ ッ ト ゲ ン シ ュ タ イ ン 版
第 9-12 小 節 】
ヴ ィ ッ ト ゲ ン シ ュ タ イ ン 版 (a の 例 )
7
8
p.52 の 譜 4 参 照
第 4 章参照
146
冒 頭 部 分 、a は 第 4、5 指 の み で の 16 分 音 符 と 、そ の 第 4 指 の 箇 所 に 1 オ ク タ ー
1
1
ヴ 上 の 第 1 指 が 付 加 さ れ て い る ( 4 - 5- 4 -5… )。 b で は 第 1、 2 指 が 基 と な る 16 分 音
符 を 担 当 し 、 そ の 全 て に 6 度 下 の 音 が 付 加 さ れ て い る (譜 10)。 ま た 、 a は 原 曲 と
同じ長さなのに対し、b は 4 小節ほど長い。それは、類似した 1 小節の上下行ア
ル ペ ッ ジ ョ が 、ヴ ィ ッ ト ゲ ン シ ュ タ イ ン に よ っ て 2 小 節 分 に 拡 大 し 引 き 伸 ば さ れ
て い る 箇 所 が 4 箇 所 存 在 す る た め で あ る (譜 11)。
【 譜 10:
ヴ ィ ッ ト ゲ ン シ ュ タ イ ン 版 a、 b】
【 譜 11:
b、 拡 大 さ れ て い な い 箇 所 (第 12 小 節 )と 、 拡 大 し 引 き 伸 ば さ れ た 箇 所
(第 9-10 小 節 )】
147
一方、ゴドフスキー版の大きな特徴は、本来ハ短調の楽曲を半音上の嬰ハ短調
にしている点である。実際に弾いてみると、鍵盤と指の構造が合っているためか
弾きやすい。もし、原曲のままハ短調で同じ形を演奏しようとした場合、運指を
工 夫 し た と し て も 第 1 指 が 黒 鍵 に あ た る 箇 所 が 多 く 弾 き に く く な っ て し ま う 。ま
た、本人による演奏速度の指示があることや、強弱記号の指示がヴィットゲンシ
ュ タ イ ン の も の と 比 べ 非 常 に 細 か い 。 演 奏 者 に と っ て 作 曲 者 (編 曲 者 )が ど の ぐ ら
いの速度や、音量でこの楽曲を演奏してほしいか、という意図が実に明快である
(ゴ ド フ ス キ ー 自 身 が 名 ピ ア ニ ス ト で あ る た め だ ろ う )。 1、 2 指 が 基 と な る 16 分
音符を担当し、それに音を加えている点はヴィットゲンシュタインのものとよく
似ているが、旋律部分を一曲通して全て残している点からもゴドフスキー版の方
が楽曲として成り立っているといえる。
【 譜 12:
L.ゴ ド フ ス キ ー 第 22 番
第 1-2 小 節 】
た だ し 、ゴ ド フ ス キ ー の も の は 右 手 の 旋 律 部 分 を 重 視 し た 編 曲 の た め 、左 手 の 16
分 音 符 の 形 は 原 曲 の 形 と 大 き く 異 な っ て い る 。譜 13 の 第 9 小 節 か ら 第 14 小 節 を
見 て み る と そ の 違 い は は っ き り と 分 か る だ ろ う 。第 9、11、13 小 節 の 音 型 は 、本
来 同 じ で あ っ た は ず だ が 、 第 11、 13 小 節 に お い て は 、 旋 律 部 分 を 優 先 し て い る
た め 、ほ ぼ 反 行 形 に な っ て い る (赤 )。 同 じ く 第 10、12、14 小 節 は 、第 10 小 節 の
1・2 拍 目 の 音 型 が 繰 り 返 さ れ て い た が 、上 記 の 理 由 か ら 音 や 音 型 が 原 曲 と は 随 分
異 な っ て い る (青 )。音 型 に 合 わ せ た 強 弱 記 号 は 、そ れ に 伴 い 逆 向 き に な っ て い る 。
148
【 譜 13:
L.ゴ ド フ ス キ ー
第 22 番
第 9-14 小 節 】
ま た 、ゴ ド フ ス キ ー の も の は 4 オ ク タ ー ヴ ほ ど の 跳 躍 が 数 か 所 見 ら れ る の に 対 し 、
ヴ ィ ッ ト ゲ ン シ ュ タ イ ン の b は 1 小 節 で 5、 6 オ ク タ ー ヴ の 音 域 を 一 気 に 上 下 行
する音型が頻繁に使用されており、これがさらに重音になっているため、手指、
さらに左腕のポジションを素早く移動する技術を頻繁に要し、非常に難しい。
こ れ ま で の 3 例 の ま と め を 表 に す る と 以 下 の 通 り で あ る (表 6)。
149
【表 6】Fr.シ ョ パ ン 練 習 曲
作 品 10-12 か ら 左 手 用 に 編 曲 さ れ た 3 例 の 比 較
ヴィットゲンシュタイン a
ヴィットゲンシュタイン b
Allegro con fuoco
Allegro con fuoco
小 節 数 (84)
84
88
84
調 性 (ハ短 調 )
ハ短 調
ハ短 調
嬰 ハ短 調
あり
あり
(ハーフペダルあり)
(ハーフペダルあり)
( )は原 曲 のもの
速度表記
(Allegro con fuoco)
ペダルの指 示
強弱記号
ほとんどない (80 小 節 のみ)
ほとんどない
(クレッシェンド、
(77、85 小 節 のみ)
デクレッシェンド)
(pp、クレッシェンド、ff)
ゴドフスキー
Allegro con fuoco
♩≂112-126
あり
細 かく指 示
(p、mf、meno f、ff、sf、
クレッシェンド、
デクレッシェンド)
レガート
rit.
più agitato
più tranquillo
曲 中 の指 示
poco rit.
なし
✓記 号 (小 休 止 )
dolce
smorzando
sotto voce
(poco) rallentando
appassionato
più mosso
原 曲 における
右 手 部 分 の扱 い
なし
なし
(旋 律 )
原 曲 における
左 手 部 分 の扱 い
(16 分 音 符 )
原 曲 の音 をそのまま使 用
原 曲 の音 をそのまま使 用
すべて 2 度 ~6 度 での
1 音 おきにオクターヴ
重 音 、3 和 音 、4 和 音
単音
あるいは 1 オクターヴ下
単 音 、一 部 二 重 音
旋 律 がある部 分 は反 行 、
または変 形
原 曲 の音 は一 部 のみ
1 小 節 間 での
6 オクターヴ強
最大移動音域
6 オクターヴ強
約 4 オクターヴ
(最 低 音 から最 高 音 )
和音
必 要 となる
手 指 の素 早 い拡 大 ・収 縮
左 手 奏 法 の技 術
ポジションの素 早 い移 動
ポジションの素 早 い移 動
全 5 指 の独 立
和音
150
声 部 の分 離 (2 声 、3 声 )
和音
手 指 の素 早 い拡 大 ・収 縮
ポジションの素 早 い移 動
以上のことから、ヴィットゲンシュタインのものは、原曲の要素をいくらか取
り 入 れ た 訓 練 の 延 長 で あ る こ と が 分 か る 。旋 律 が 省 略 さ れ た た め 、制 約 の な い 16
分音符はより幅広い音域を短い間で上下行されており、左手が跳躍する際の移動
や 手 指 の 拡 大 と 収 縮 、 和 音 (の 打 鍵 )な ど の コ ン ト ロ ー ル が 求 め ら れ る 。 一 方 、 旋
律部分を残したゴドフスキーのものは、左手のための楽曲として演奏し得るもの
で、声部を弾き分ける技術を要するものの、演奏する上で無理のない編曲であっ
た。いづれも技術的難易度は高く、指の訓練としては大いにためになるものであ
る。
次 に 、 シ ョ パ ン の 練 習 曲 作 品 25 の 11 を 左 手 用 に 作 ら れ た 2 例 を 見 て い き た
い 。原 曲 (譜 14)で は 左 手 は 旋 律 (和 音 )、右 手 は 単 音 の 入 り 組 ん だ 16 分 音 符 に な っ
て い る が 、ヴ ィ ッ ト ゲ ン シ ュ タ イ ン 、Is.フ ィ リ ッ プ の も の (練 習 曲 第 6 番 )共 に 右
手 の 16 分 音 符 の み が 取 り 上 げ ら れ て お り 、 左 手 の 旋 律 お よ び 冒 頭 の ゆ っ く り と
し た テ ー マ の 提 示 部 分 (4 小 節 )は 省 略 さ れ て い る (原 曲 の 第 5 小 節 目 か ら 始 ま っ て
い る )。 Is.フ ィ リ ッ プ 版 は 、 原 曲 の 音 を そ の ま ま 左 手 に し た も の で 1 オ ク タ ー ヴ
下 げ ら れ て い る (譜 15)の に 対 し 、ヴ ィ ッ ト ゲ ン シ ュ タ イ ン 版 は す べ て に 音 が 付 加
さ れ 二 重 音 と な り 、さ ら に 若 干 音 を 変 え て い る 箇 所 も 見 受 け ら れ る (譜 16)。拍 子
を 見 る と 、 Is.フ ィ リ ッ プ 版 と ヴ ィ ッ ト ゲ ン シ ュ タ イ ン 版 と で 異 な っ て い る た め 、
先に出版されているフィリップのものを参考にしてヴィットゲンシュタインが左
手 用 に 改 編 し た 、と は 考 え に く い 。強 弱 の 指 示 は ど ち ら も ほ と ん ど 見 ら れ な い が 、
フィリップ版で指示されている中には原曲と真逆の音量にされた箇所が数か所あ
り (譜 14、 譜 15 の 赤 ○ 参 照 )、 彼 は 強 弱 記 号 で 独 自 の 解 釈 を 示 し て い る 。
【 譜 14:
F.シ ョ パ ン
練習曲
作 品 25-11
151
第 5-6 小 節 】
【 譜 15:
Is.フ ィ リ ッ プ
練習曲 第 6 番
【 譜 16:
ヴィットゲンシュタイン版
第 1-8 小 節 】
第 1-8 小 節 】
152
特 に 再 現 部 の 数 小 節 前 、Is.フ ィ リ ッ プ の 同 箇 所 (第 61 小 節 か ら 第 64 小 節 、譜 17)
は 、原 曲 の 右 手 部 分 を そ の ま ま 取 り 出 し て お り 、非 常 に シ ン プ ル な も の で あ る が 、
ヴ ィ ッ ト ゲ ン シ ュ タ イ ン の 第 63 小 節 か ら 第 67 小 節 (譜 18)は 非 常 に 音 型 が 入 り 組
んでいる上に、それぞれが重音になっているため非常に弾きにくく、また短い間
で 2 オ ク タ ー ヴ も の 移 動 が あ り 、原 曲 の 雰 囲 気 は も は や あ ま り 感 じ ら れ な い (1 小
節 引 き 伸 ば さ れ て い る )。比 べ て み て 分 か る よ う に 、ヴ ィ ッ ト ゲ ン シ ュ タ イ ン の も
のは非常に技術的難易度が高い。
【 譜 17:
Is.フ ィ リ ッ プ 版
第 61-64 小 節 】
【 譜 18:
ヴィットゲンシュタイン版
第 63-67 小 節 】
153
前 と 同 様 に 、 こ の 2 例 の ま と め を 表 に す る と 以 下 の 通 り で あ る (表 7)。
【表 7】Fr.ショパン 練習 曲 作 品 25-11 から左 手 用 に編 曲 された 2 例 の比 較
( )は原 曲 のもの
ヴィットゲンシュタイン
速度表記
なし
(Allegro con brio)
フィリップ
Allegro con brio
= 63
小 節 数 (92+イントロ 4)
97
92
調 性 (イ短 調 )
イ短 調
イ短 調
ペダルの指 示
一 部 あり
ほとんどない
強弱記号
なし
(55~67 小 節 、82 小 節 から最 後 )
(54 小 節 、82 小 節 のみ)
(f、pp)
大 まかな指 示 あり
(p、クレッシェンド、f、ff)
✓記 号 (小 休 止 )
和 音 奏 法 の指 示
曲 中 の指 示
なし
quasi volante
molto rit.
原 曲 における
右 手 部 分 の扱 い
(入 り組 んだ単 音 の
16 分 音 符 )
原 曲 の音 をそのまま使 用
原 曲 の音 をそのまま使 用
二 重 音 、三 重 音 にしている
原 曲 における
左 手 部 分 の扱 い
なし
なし
6 オクターヴ
3 オクターヴ強
(最 後 を除 く)
(最 後 の主 音 スケールを除 く)
(和 音 での旋 律 )
1 小 節 間 での
最大移動音域
(最 低 音 から最 高 音 )
二重音
必 要 となる
左 手 奏 法 の技 術
広 い音 域 での和 音 (の打 鍵 )
手 指 の素 早 い拡 大 ・収 縮
ポジションの素 早 い移 動
154
5 指 の独 立
今までの分析と表を見て分かるとおり、同じ練習曲といえどもフィリップのもの
は 非 常 に 単 純 で あ る 。一 方 ヴ ィ ッ ト ゲ ン シ ュ タ イ ン の も の は 、16 分 音 符 を 主 体 に
しながらその全てが重音になっており、広範囲の和音も付加され、非常に難しい
ものとなっている。しかし、原曲における旋律パートが省略されているため、い
づれも楽曲というよりは、実践的な訓練を担ったものであるといえよう。
ここまで、同一曲による異なる作曲家の編曲比較を試みたが、さらに詳しく第
2 巻の位置付けを考察していきたい。まず、第 2 巻の技術的難易度がどのくらい
で あ る か 、下 記 の よ う に A(易 し い )か ら E(難 し い )の 5 段 階 と し て 技 術 の 目 安 を 作
り、分類を試みる。
技術的難易度
A
・ 単 旋 律 (単 音 )の も の 。
または、2 声でありながら単旋律と同等に扱えるもの。
・声部が 2 声、3 声に分かれているものの、
易
B
ポジションの移動や、指の交差が必要ないもの。
・ 10 度 な ど 指 の 伸 張 を 含 む も の 。
・全 5 指の役割が異なるもの、
または上声部と下声部が異なった役割を担うもの。
C
・1 オクターヴを超えない音域での多声体。
・ (平 行 移 動 す る )重 音 。
・ 10 度 を 超 え る 跳 躍 。
・声部の交差を含むもの。
・ 重 音 を 含 む 多 声 体 (声 部 の ど ち ら か が 動 い て い る )。
D
・4 声のもの
・1 オクターヴを超える多声体。
・広い音域に及ぶ、和音の打鍵
・2 オクターヴを超える跳躍
難
・入り組んだ 2 声体
E
・ 重 音 を 含 む 多 声 体 (ど ち ら の 声 部 も 動 い て い る )
・声部がめまぐるしく交差するもの。
・奏するために必要な技術を 3 つ以上取り入れたもの。
次 の 表 8 は 、 第 2 巻 で (第 1 巻 の )何 の 訓 練 を 主 に 用 い て い る か 、 ま た 技 術 的 難 易
度がどのくらいのものかを示したものである。
155
【 表 8】 第 2 巻
関連する第 1 巻の訓練と、難易度
関 連 する第 1 巻 の訓 練
曲目
難易度
L.v.ベ ー ト ー ヴ ェ ン
クロイツェル・ソナタ 第 2 楽章
第 2変
奏
第 1 巻では取り上げられていない
(同 音 連 打 )
A
L.v.ベ ー ト ー ヴ ェ ン
ピアノ・ソナタ 第 3 番 作品 2
第 2 楽章
多声奏法の訓練
(第 18 番 な ど )
C
F.メ ン デ ル ス ゾ ー ン
八 重 奏 曲 作 品 20
多声体演奏の訓練
(第 21 番 な ど )
B
Fr.シ ュ ー ベ ル ト
即 興 曲 第 4 番 作 品 90
多声体演奏の訓練
(第 17 番 な ど )
C
F.メ ン デ ル ス ゾ ー ン
紡ぎ歌
ト リ ル の 訓 練 (第 5~ 7 番 な ど )
B
Fr.シ ュ ミ ッ ト
ベートーヴェンの主題による変奏
第 1 巻では取り上げられていない
(4 声 体 の 分 離 )
156
C
L.v.ベ ー ト ー ヴ ェ ン
ピアノ・ソナタ 第 7 番 ニ長調
第 1 巻では取り上げられていない
C
(3 声 体 の 分 離 )
L.v.ベ ー ト ー ヴ ェ ン
ピ ア ノ ・ ソ ナ タ 第 23 番 ヘ 短 調
第 1 巻では取り上げられていない
(離 れ た 音 域 の 素 早 い 移 動 、
B
広い音域を使用したアルペッジョ)
A.ル ー ビ ン シ ュ タ イ ン
二 重 音 の 訓 練 (第 2 番 な ど )
練習曲
E
広 い 音 域 を 使 用 し た アルペッジョ、
和音の移動
Fr.シ ョ パ ン
練 習 曲 作 品 10-12
第 1 巻では取り上げられていない
D
(1 音 お き に 現 れ る オ ク タ ー ヴ )
Fr.シ ョ パ ン
練 習 曲 作 品 10-12(二 重 音 )
二重音の訓練
(第 12 番 な ど )
D
連続する和音
Fr.シ ョ パ ン
練 習 曲 作 品 25-11(二 重 音 )
二重音の訓練
(た だ し 、 第 1 巻 で 類 似 す る 音 型 は
見受けられない)
157
D
Fr.シ ョ パ ン
スケルツォ 第 1 番 ロ短調
第 1 巻では取り上げられていない
(離 れ た 音 域 の 素 早 い 移 動 )
C
(3 声 体 の 分 離 )
E.ハ ー ベ ル ビ ア ー
詩 的 な 練 習 曲 第 20 番
第 1 巻では取り上げられていない
B
(離 れ た 音 域 の 素 早 い 移 動 )
J.シ ュ ト ラ ウ ス Ⅱ
朝の新聞
二重音の訓練
(第 17 番 な ど )
B
J.シ ュ ト ラ ウ ス
わが人生は愛と喜び
二重音の訓練
(第 17 番 な ど )
B
J.ブ ラ ー ム ス
変 奏 曲 作 品 21 よ り 第 7 変 奏
第 1 巻では取り上げられていない
(離 れ た 音 域 の 素 早 い 移 動 、
2 声体の分離)
B
J.ハ イ ド ン
弦 楽 四 重 奏 曲 第 3 番 作 品 76
第 2 楽章より 第 2 変奏
多声体演奏の訓練
(第 21 番 な ど )
158
C
J.ブ ラ ー ム ス
歌曲 ナイチンゲールに寄せて
第 1 巻では取り上げられていない
B
(離 れ た 音 域 の 素 早 い 移 動 、
2 声体の分離)
J.S.バ ッ ハ
ヴァイオリン・ソナタ ヘ短調
第 3 楽章
B
多声体演奏の訓練
(第 22 番 な ど )
まとめ
第 2 巻 の 技 術 的 難 易 度 は 、A か ら E に よ る も の で あ り 、中 程 度 の も の が 目 立 つ 。
単音の同音連打から、幅広い音域を用いるアルペッジョや多声体を奏する技術、
複雑に入り組んだ二重音のための練習曲が編纂されているが、原曲の全てを取り
上 げ た も の は 数 例 に と ど ま っ た 。ま た 、第 1 巻 の 訓 練 が ど の よ う に 第 2 巻 に 生 か
さ れ て い る か 検 証 し た と こ ろ 、 第 2 巻 (の 要 素 )は 必 ず し も 第 1 巻 の 訓 練 を 用 い た
も の で は な い こ と が 分 か っ た 。そ れ は 20 例 中 9 例 に の ぼ り 、第 2 巻 全 体 の 45 パ
ー セ ン ト を 占 め て い る 。第 1 巻 と 第 2 巻 の 大 き な 相 違 点 は 、そ の 使 用 音 域 の 広 が
り に あ る よ う だ 。第 2 巻 で は 、跳 躍 を 含 ん だ も の が 多 く ポ ジ シ ョ ン の 素 早 い 移 動
が 求 め ら れ る 一 方 、 第 1 巻 で は 上 記 の た め の 訓 練 は な く (伸 張 に と ど ま る )、 徐 々
に上行、下行していくものがほとんどであった。また、ゆっくりとした楽曲にお
い て は 、 原 曲 の 面 影 を 残 す も の も あ る が 、 速 い 楽 曲 に お い て は 、 旋 律 と 16 分 音
符などの技術的要素を上手く融合したものはなく、技術に絞られたもので、その
技 術 を 重 音 に す る な ど の 発 展 は 見 ら れ た も の の 、楽 曲 と し て は 成 り 立 っ て い な い 。
こ の こ と か ら 、第 1 巻 の 訓 練 集 の 延 長 と し て 第 2 巻 を 捉 え る こ と が で き 、さ ら に
次 の 第 3 巻 に 繋 が る 予 備 訓 練 と は 考 え ら れ な い だ ろ う か 。続 い て 第 3 巻 を 検 証 し
てみることとする。
159
第3節
第3巻
第 3 巻 (編 曲 集 )で の 全 27 曲 に つ い て も 、小 節 数 、調 性 、速 度 表 記 (表 情 記 号 )、
(原 曲 の )種 類 、目 的 と す る 技 術 に ま ず 注 目 し た 。表 9 は 、第 3 巻 の ま と め で あ る 。
言 語 に つ い て は 原 則 第 3 巻 に 書 か れ て い る 英 語 で 表 記 す る が 、ヴ ィ ッ ト ゲ ン シ ュ
タ イ ン に よ る 原 曲 の 表 記 が 曖 昧 な も の は 、補 足 と し て (
【表 9】
小
節
数
)内 も し く は 注 釈 に 示 す 。
第 3 巻 (編曲集) (P.ヴィットゲンシュタイン自 身 の編 曲 による)
調
速度表記
性
(表 情 記 号 )
曲目
原曲の
目 的 とする
種類
大 まかな技 術
J.S.バ ッ ハ
平 均 律 クラヴィーア曲 集 (第 1 巻 )
36
C:
Moderato
多 声 体 の演 奏
第 1 番 より 前 奏 曲
(3 声 を弾 き分 ける)
J.S.Bach: Prelude Ⅰ from the
指 をくぐらせるアルペッジョ
“ Wohltemperierte Klavier 9 ”
J.S.バ ッ ハ
初 心 者 のための小 さな前 奏 曲
43
c:
Con moto
第 3番
ピアノ独 奏
J.S.Bach: Prelude No.3 from the
多 声 体 の演 奏
(2 声 を弾 き分 ける)
指 をくぐらせるアルペッジョ
“Small Preludes for Beginners ”
Allegretto con
48
B:
moto ed
espressivo
Andantino
36
g:
quasi
allegretto
9
J.S.バ ッ ハ
多 声 体 の演 奏
パルティータ 変 ロ長 調 より ジーグ
(3 声 を弾 き分 ける)
J.S.Bach: Gigue from Partita
それぞれが異 なる
in B flat
アーティキュレーション
J.S.バ ッ ハ
多 声 体 の演 奏
フルート・ソナタ 変 ホ長 調 より
(3 声 を弾 き分 ける)
シチリエンヌ ト短 調
室内楽
J.S.Bach: Sicilienne(g minor)
(フルート)
旋 律 (フルート声 部 )が
あるため、離 れた音 域 の
from the 2 nd Sonata for Flute
声 部 をなめらかに奏 する
and Piano(E flat major)
練習
正確な曲目表記は次の通りである。
Prelude No.1 in C major from the Wohltemperierte Klavier Ⅰ
160
80
Des:
Adagio
J.ハ イ ド ン
多 声 体 の演 奏
(ピ ア ノ )ソ ナ タ 変 イ 長 調 よ り
(3 声 、2 声 、4 声 )
ア ダ ー ジ ョ (第 2 楽 章 )
ピアノ独 奏
J.Haydn: Adagio from the
音 域 の声 部 をなめらか
Sonata in A flat 10
に奏 する練 習
J.ハ イ ド ン
84
A:
Adagio
cantabile
多 声 体 の演 奏
四重奏 第 5 番 第 2 楽章
J.Haydn: 2 n d Movement
from the (String)
弦楽
四重奏
Es:
Adagio
多 声 体 の演 奏
セ レ ナ ー デ 第 11 番
(3 声 、内 声 が和 音 )
変ホ長調 アダージョ
W.A.Mozart: Adagio from the
室内楽
32
C:
Largo
君こそわが憩い
多 声 体 の演 奏
ピアノ独 奏
F.Schubert - Liszt:
(シューベルト
Du bist die Ruh
が作 曲 した歌
Fr.シ ュ ー ベ ル ト -リ ス ト
曲 を、リストがピ
海の静けさ
アノ独 奏 用 に
F.Schubert - Liszt:
編曲)
Calm Sea (Goethe)
F.メ ン デ ル ス ゾ ー ン
37
Es:
Andante
無 言 歌 集 作 品 67 第 1 番
F.Mendelssohn: Song Without
ピアノ独 奏
B:
tranquillo
11
ピアノ独 奏
Piano Sonata in A flat major, 2nd Movement
Serenade No.11 for Winds in E flat major K.375, Adagio
161
素 早 いアルペッジョと
旋 律 声 部 の弾 き分 け
(3 声 、ほぼ 2 声 )
上 声 、内 声 に旋 律
(3 声 、ほぼ 2 声 )
Words op.67 No.8
10
弱 音 で重 く奏 する
多 声 体 の演 奏
無 言 歌 集 作 品 67 第 8 番
F.Mendelssohn: Song Without
旋 律 (歌 唱 声 部 )あり
付 加 された二 重 音
F.メ ン デ ル ス ゾ ー ン
49
(3 声 )
多 声 体 の演 奏
Words op.67 No.1
Andante
スケール
アルペッジョ
Fr.シ ュ ー ベ ル ト -リ ス ト
Cantabile
連 続 する第 1 指 での
二 重 音 、3 和 音 での
K.375
Es:
連 続 する第 1 指 、第 3 指
W.A.モ ー ツ ァ ル ト
Wind Serenade in E flat 11
73
(4 声 )
でのスケール
Quartet op.64 No.5
90
旋 律 があるため離 れた
それぞれの声 部 が和 音
で、低 声 部 がシンコペー
ションになっている
元 〄は管 弦 楽
曲 だが、メンデ
ルスゾーン自
F.メ ン デ ル ス ゾ ー ン
身 によって、4
多 声 体 の演 奏
手 の連 弾 曲 に
(2 声 、3 声 )
7. 夜 想 曲
編曲。
旋 律 声 部 が和 音
F.Mendelssohn: Nocturne from
モシュコフスキ
トレモロ
“A Midsummernight‟s Dream”
ーなどによって
真夏の夜の夢
128
E:
Andante
作 品 61 よ り
も両 手 のピアノ
独 奏 作 品 に編
曲 されている。
R.シ ュ ー マ ン
20
C:
Moderato
2 声 体 の演 奏
子供の情景より メロディー
(第 1 指 、第 2 指 のみで旋
R.Schumann: Melody from
律 声 部 を奏 する)
Album for the Young
R.シューマン
64
G:
なし
子 供 の情 景 より 小 さな練 習 曲
ト音 譜 表 と、へ音 譜 表 で反
R.Schumann: Little Study from
行 するアルペッジョ
Album for the Young
R.シ ュ ー マ ン
色とりどりの小品
14
es:
Sehr
langsam
多 声 体 の演 奏
作 品 99 よ り 憂 う つ
(4 声 、5 声 )
R.Schumann: “Melancholy”
from Bunte Blätter
op. 99
No.7
全 5 指 での声 部 の弾 き分
ピアノ独 奏
け
R.シ ュ ー マ ン
16
A:
Andantino
espressivo
色とりどりの小品
多 声 体 の演 奏
作品 9 より 第 1 番
(3 声 、4 声 )
R.Schumann: Bunte Blätter op.
99 No.1
多 声 体 の演 奏
61
H:
Allegretto
tranquillo
A.v.ヘ ン ゼ ル ト
(3 声 、4 声 )
練 習 曲 作 品 5 第 11 番
内 声 に旋 律 (特 に第 1 指
愛の歌
を多 く用 いているため、
A.v.Henselt: Etude op. 5
上 声 部 の和 音 を弾 くた
No.11 Love Song
めに他 の指 が交 差 して
いる)
162
E.グリーグ
36
d:
Allegro
leggiero
2 声 体 の演 奏
(抒 情 小 曲 集 作 品 43 より
トリル音 型 (単 声 、2 声 )
第 4 番 ) 小 さな鳥
E.Grieg: Little Bird 12
2 声 体 の演 奏
E.グリーグ
25
A:
Allegro
grazioso
上 声 部 の音 が伸 びて
(抒 情 小 曲 集 作 品 43 より
いる際 に、他 の声 部
第 1 番) 蝶〄
E.Grieg: the Butterfly 13
を弾 く(素 早 いポジショ
ピアノ独 奏
E.グリーグ
96
h:
Poco
andante
多 声 体 の演 奏
(抒 情 小 曲 集 作 品 43 より
(2 声 、3 声 )
第 2 番) 哀歌
下 声 部 、内 声 部 が
E.Grieg: Elegy 14
旋律
E. グ リ ー グ
41
g:
Largo
ユニゾン
(抒 情 小 曲 集 作 品 43 より
多 声 体 の演 奏
第 3 番 ) 憂 うつ
(音 域 の広 い 2 声 、3 声 )
E.Grieg: Melancholy 15
2 オクターヴ、3 オクターヴ
G.マ イ ア ー ベ ー ア
31
Es:
Poco
andante
の素 早 いアルペッジョ
オペラ《ユグノー教 徒 》より
水 浴 者 の合 唱 (第 2 幕 )
オペラ
G.Meyerbeer: Chorus of the
なし
2 声 体 の演 奏
入 り組 んだ二 重 音
2 声 体 の演 奏
バ ッ ハ -グ ノ ー
C:
(単 音 、重 音 )
(旋 律 と、スケール)
Bathers from “Huguenots” 16
40
ンの移 動 )
瞑想
歌曲作品
Bach-Gounod: Meditation
第 3 巻 の 1 つ目 に
音 域 の離 れた旋 律 が付
加 されたもの。
G.プッチーニ
59
B:
Appassionato
e rubato
オペラ《蝶 〄夫 人 》より
船 乗 りの合 唱
G.Puccini: Sailors' Chorus from
"Madame Butterfly"
12
13
14
15
16
Little Bird from Lyric Pieces op. 43 No.4
Butterfly from Lyric Pieces op. 43 No.1
Elegy from Lyric Pieces op. 43 No.2
Melancholy from Lyric Pieces op. 43 No.3
Bathers' chorus from the opera “Les Huguenots”
163
多 声 体 の演 奏
オペラ
(2 声 、3 声 )
低 声 部 が旋 律
多 声 体 の演 奏
R.ワ ー グ ナ ー
(4 声 )
オ ペ ラ 《ニュルンベルクのマイスター
44
Ges:
Larghetto
ジンガー》より 五 重 奏
五重奏
R.Wagner: Quintet from the
声 部 が交 差 している
音 域 が広 く、それぞれの音
価 も異 なっている
"Meistersinger" 17
トレモロ
ピアノ独 奏
83
H:
Molto lento
ワ ー グ ナ ー -リ ス ト
(ヴ ァ ー グ ナ
イゾルデの愛の死
のオペラ作品
R.Wagner - Liszt: Isolde‟s Love
からリストが
Death from “Tristan” 18
ピ ア ノ 曲 (両
手 )に 編 曲 )
多 声 体 の演 奏
(4 声 )
4 オクターヴを超 える
アルペッジョ
4 オクターヴほど音 域 の離
れた和 音 の移 動 (声 部 の
弾 き分 け)
重 音 のアルペッジョ
257
d:
なし
ピアノ独 奏
多 声 体 の演 奏
(J.S.バッハの
(2 声 から 4 声 )
バ ッ ハ -ブ ラ ー ム ス
ヴァイオリン独
ユニゾン(レガート)
シャコンヌ
奏 曲 からブラ
2 オクターヴを超 える
Bach-Brahms: Chaconne 19
ームスがピアノ
素 早 く入 り組 んだアル
曲 (左 手 のみ)
ペッジョ
に編 曲 )
第 3 巻 は 、室 内 楽 作 品 4 曲 (オ ペ ラ 作 品 中 の 五 重 奏 曲 を 含 む )、管 弦 楽 作 品 1 曲 、
オ ペ ラ 作 品 2 曲 、歌 曲 作 品 1 曲 、ピ ア ノ 作 品 19 曲 か ら の 編 曲 作 品 に よ る も の で 、
短 い も の で 16 小 節 の も の か ら 、257 小 節 に わ た る 楽 曲 が 収 め ら れ て い る 。速 度 表
記 を 見 る と 、全 体 的 に ゆ っ た り と し た 速 度 設 定 で あ り 、第 2 巻 で 見 ら れ た Allegro
や Presto な ど 急 速 な 設 定 は 見 受 け ら れ な い 。 ま た 第 3 巻 で は 、 第 2 巻 の よ う に
途中で途切れているものはなく、ピアノ作品においては原曲と同じ長さで編曲さ
れている。
17
18
19
Quintet from the Opera "Die Meistersinger von Nürnberg"
Isoldes Liebestod from the Opera "Tristan und Isolde"
Chaconne in D minor from Solo Partita for Violin No.2 BWV1004
164
こ こ で は 、ま ず 室 内 楽 作 品 か ら 見 て い き た い 。27 曲 中 3 曲 が 室 内 楽 作 品 で 、J.S.
バ ッ ハ (二 重 奏 )、J.ハ イ ド ン (四 重 奏 )、W.A.モ ー ツ ァ ル ト (八 重 奏 )の 作 品 が 挙 げ ら
れ て い る 。J.S.バ ッ ハ の《 フ ル ー ト・ソ ナ タ 変 ホ 長 調 BWV1031》よ り シ チ リ エ
ン ヌ で は 、譜 1 を 見 て 分 か る よ う に 、原 曲 の フ ル ー ト と ク ラ ヴ ィ ー ア の パ ー ト が
ヴ ィ ッ ト ゲ ン シ ュ タ イ ン 版 で は 大 譜 表 で 書 か れ 、指 使 い を は じ め 強 弱 や フ レ ー ズ 、
またタイのはじめの音にアクセントが付けられるなど演奏法に対する工夫が見ら
れる。低音は所々拍よりも前や後に弾く箇所もあるが、旋律は原曲の譜面通り書
か れ て い る 。 し か し 、 拍 頭 が 必 ず 10 度 以 上 離 れ て お り 、 必 ず ず ら し て 弾 く 必 要
が あ る こ と や 、同 じ 拍 で 内 声 と 高 声 が 第 1 指 で 指 示 さ れ て い る 箇 所 (第 6 小 節 以 降
た び た び 表 れ る )な ど 、 左 手 の み で 奏 す る の に 適 し た 編 曲 と は 言 い 難 い 。
【 譜 1:
J.S.バ ッ ハ フ ル ー ト ・ ソ ナ タ 変 ホ 長 調 BWV1031 シ チ リ エ ン ヌ
第 1-4 小 節 】
ヴィットゲンシュタイン版
同箇所
165
冒 頭 の 形 が 第 23 小 節 か ら 再 現 さ れ る が 、 原 曲 の 規 範 性 を 尊 重 し て い た そ れ ま で
の編曲法から一変し、低音を 1 オクターヴ下げる、2 オクターヴに及ぶ和音を付
加するなど広音域を意識し重厚さを感じさせる。
【 譜 2:
ヴィットゲンシュタイン版
第 23-24 小 節 、 第 31-33 小 節 】
**原 曲 に な い 音 で ほ と ん ど 聞 こ え な い よ う に 弾 く よ う 指 示 さ れ て い る 。
続 い て J.ハ イ ド ン の 《 弦 楽 四 重 奏 作 品 64 第 5 番 Hob.Ⅲ :63》 よ り 第 2 楽 章
であるが、ヴィットゲンシュタイン版では大譜表の 4 声体として書かれている。
冒頭部分は非常に原曲に忠実な編曲であるが、ここでも主題が繰り返されるにつ
れて徐々に低音が重厚になっていく傾向が見られる。特に、主和音になる前のカ
デ ン ツ 部 分 (Ⅳ -Ⅴ -Ⅰ な ど )か ら 、 音 を 付 加 し て い く 箇 所 は 多 く 見 ら れ る (譜 3)。
166
【 譜 3: 弦 楽 四 重 奏 作 品 64 第 5 番 Hob.Ⅲ :63》 よ り 第 2 楽 章
ヴ ィ ッ ト ゲ ン シ ュ タ イ ン 版 第 47-54 小 節 】
また、高声部が旋律を弾く際に第 1 指を連続して用いることはこれまでの曲や、
W.A.モ ー ツ ァ ル ト か ら の 室 内 楽 作 品 に も た び た び 見 受 け ら れ る が 、こ の 曲 の 最 後
で は 第 3 指 を 連 続 し て 用 い て い る 箇 所 が あ る 。旋 律 声 部 の み を 奏 す る ノ ン ・ レ ガ
ー ト の 下 行 ス ケ ー ル だ が 、通 常 ス ケ ー ル で の 指 使 い や 、第 1 指 な ど を 連 続 す る よ
りも、腕の柔軟さや腕の重さをより均一にかけることができる。ヴィットゲンシ
ュタインの左手奏法へのこだわりがよく表れた指使いである。
【 譜 4:
ヴ ィ ッ ト ゲ ン シ ュ タ イ ン 版 第 82-84 小 節 】
室 内 楽 作 品 は 、 高 声 部 (旋 律 )に 重 点 を 置 い た 編 曲 法 が 見 ら れ 、 高 声 部 は 原 曲 に 非
常に忠実である。曲中のアゴーギクや和音の付加、フレーズの指示やペダリング
は 細 か く 指 示 さ れ て い る が 、 10 度 の 連 続 な ど 演 奏 す る の に 音 を ず ら す (ま た は ア
ル ペ ッ ジ ョ に す る )必 要 が あ る 箇 所 が 多 く 、ま た 指 使 い に お い て も 、左 手 の み の た
めの楽曲としては少々無理のある編曲だといえるだろう。
167
次 に 、オ ペ ラ 作 品 か ら の 編 曲 の 例 と し て R.ワ ー グ ナ ー の 作 品 を 見 て い く 。オ ペ
ラ か ら の 編 曲 は 、こ の 他 に G.マ イ ア ー ベ ー ア と G.プ ッ チ ー ニ の 計 3 曲 で 、後 者 2
曲 は そ の 中 の 合 唱 部 分 が 取 り 上 げ ら れ て い る 。 R.ワ ー グ ナ ー に よ る 《 ニ ュ ル ン ベ
ル ク の マ イ ス タ ー ジ ン ガ ー 》よ り 五 重 奏 で は 、第 3 幕 で の 木 管 五 重 奏 と ソ プ ラ ノ
パ ー ト が 、 ヴ ィ ッ ト ゲ ン シ ュ タ イ ン 版 で 大 譜 表 (和 音 を 含 む 4 声 な い し は 5 声 体 )
に改編され、左手のみで弾けるように指使いが添えられている。
【 譜 5:
R.ワ ー グ ナ ー 《 ニ ュ ル ン ベ ル ク の マ イ ス タ ー ジ ン ガ ー 》 よ り 五 重 奏 】
■ が 、ソ プ ラ ノ (歌 唱 旋 律 )で あ る
ヴィットゲンシュタイン版
168
原 曲 に お い て 声 部 が 非 常 に 多 い た め 、ヴ ィ ッ ト ゲ ン シ ュ タ イ ン は ま ず 旋 律 を 置 き 、
次 に 対 旋 律 、 和 声 の 核 と な る 根 音 を 低 音 に お き 、 も う 1、 2 声 部 を 重 ね て い る 。
調性、拍子、そして旋律は原曲と同じであるが、強弱記号は大まかなものしかな
く、ペダリングの指示もこの曲ではほとんど書かれていない。冒頭は非常にシン
プ ル で あ る が 、 徐 々 に 音 域 が 広 が り 4、 5 オ ク タ ー ヴ に も 及 ぶ 和 音 を ア ル ペ ッ ジ
ョで奏する箇所や、内声に音が付加されかなり重厚なピアノ編曲になっている。
この曲は第 3 巻の末で登場するが、あと に続く《トリスタンとイゾルデ》の編曲
や《シャコンヌ》にも似たような編曲技法が使用されている。
【 譜 6:
ヴィットゲンシュタイン版
第 34-36 小 節 】
ピ ア ノ (鍵 盤 楽 器 )独 奏 作 品 20 は 全 27 曲 中 19 曲 と 、 半 数 以 上 の 曲 は ピ ア ノ 独 奏
作 品 か ら の 編 曲 で あ る (そ の 内 1 曲 は 左 手 の み の ピ ア ノ 作 品 か ら の 編 曲 )。ピ ア ノ
作品はすべて原曲と同じ調性である。曲の長さにおいても、ほとんどが原曲と同
じ 小 節 数 で あ る が 、第 2 巻 で 見 ら れ た よ う な 曲 途 中 か ら の 抜 粋 や 、 一 部 分 を 引 き
延 ば し た も の 、さ ら に 曲 を 省 略 し た も の も 見 受 け ら れ た 。第 3 巻 で は J.S.バ ッ ハ
の ク ラ ヴ ィ ー ア 曲 か ら の 編 曲 が 巻 頭 に 3 曲 、前 出 の 室 内 楽 1 曲 が 取 り 上 げ ら れ て
いるが、パルティータからのジーグを例に挙げてみると、ヴィットゲンシュタイ
ン の 記 譜 (3 声 体 )は バ ッ ハ の も の と ま る で 同 じ で あ る (譜 7)。 ヴ ィ ッ ト ゲ ン シ ュ タ
イン版の冒頭部分を見て分かるように、ここでも非常に細かい強弱とアーティキ
ュレーション、ペダルの指示、また速度表記に加え表情記号も書き加えられてい
る。
20
バロック時代、鍵盤楽器としてピアノはまだ存在しないが、以後簡潔に分類
するために省略する。
169
【 譜 7: J.S.バ ッ ハ
ジーグ
ヴィットゲンシュタイン版
第 1-4 小 節 】
第 1-4 小 節
第 3 巻 の 特 徴 と し て 、取 り 上 げ ら れ て い る ピ ア ノ 独 奏 曲 の 中 に は 他 の 作 曲 家 が
編曲したものを更にヴィットゲンシュタインが改編している例が見受けられる。
F.リ ス ト が Fr.シ ュ ー ベ ル ト の 歌 曲 を ピ ア ノ 独 奏 用 (両 手 用 )に 編 曲 し た も の が 2 曲
と 、 J.S.バ ッ ハ の ヴ ァ イ オ リ ン 独 奏 曲 を J.ブ ラ ー ム ス が ピ ア ノ 独 奏 用 (左 手 の み )
に 編 曲 し た も の で あ る 。ま ず 、Fr.シ ュ ー ベ ル ト -F.リ ス ト の《 君 こ そ わ が 憩 い Du
bist die Rah》 の 冒 頭 部 分 を 見 比 べ て み る と 、 記 譜 は ほ と ん ど 同 じ で あ る 。
【 譜 8:
君こそわが憩い 冒頭部分】
170
調 性 、 拍 子 も 統 一 さ れ て い る が 、 曲 の 長 さ に お い て リ ス ト 版 が 95 小 節 あ る の
に 対 し 、 ヴ ィ ッ ト ゲ ン シ ュ タ イ ン 版 は 73 小 節 に と ど ま っ て い る (シ ュ ー ベ ル ト 版
は 74 小 節 +前 奏 7 小 節 )。 こ れ ま で の ヴ ィ ッ ト ゲ ン シ ュ タ イ ン の 特 徴 と し て 、 曲
の後半になるにつれ和音や低音に音を付け加えることが多かったが、リストのも
のと比べると非常にシンプルになっている。理由として、リストの編曲自体が広
音域に渡っており、非常に厚みのあるテクスチュアで構成されているため、それ
以上音を増やす必要がなかったため、と考えられる。リスト版はあらゆる音域で
和声内の和音が連続されているのに対し、ヴィットゲンシュタインは和音のアル
ペッジョにいくらかの音を付加したものとなっており、原曲の規範性に忠実な編
曲 に な っ て い る (譜 9)。
【 譜 9:
リスト版とヴィットゲンシュタイン版の同箇所比較】
一 方 、も う 一 曲 の《 海 の 静 け さ Meeresstille》は 、原 曲 と 調 性 、小 節 数 が 一 致 し
て い る 。32 小 節 の 短 い 曲 だ が 、中 間 の 盛 り 上 が り か ら リ ス ト 版 で は 低 音 を ト リ ル
や半音階にしているのに対し、ヴィットゲンシュタインは最初の形とさほど変え
ず 、 低 音 を ト レ モ ロ に し た 箇 所 は 24 小 節 の み で 非 常 に シ ン プ ル な 編 曲 と な っ て
い る 。た だ し 、楽 譜 上 に は 彼 に よ る 演 奏 解 釈 (ゆ っ く り と し た ア ル ペ ッ ジ ョ で 、重 々
し く 、 小 休 止 な ど )が 多 数 書 き 込 ま れ て い る 。
171
J.ブ ラ ー ム ス に よ る 編 曲 《 シ ャ コ ン ヌ 》 が ヴ ィ ッ ト ゲ ン シ ュ タ イ ン に 大 き な 影
響を与えた事実は、彼の序文からも読み取ることができる。しかし、彼よりも前
に同じように感銘を受け、左手のみのための《シャコンヌ》を編曲した人物が、
前 出 の G.ジ チ で あ る 。 彼 の も の は 1895 年 に 出 版 さ れ て い る た め 、 こ の 3 例 を 編
曲技法の比較対象として取り上げたい。なお、ブラームス版を①、ジチ版を②、
ヴィットゲンシュタイン版を③として以後表記する。
まず冒頭部分であるが、序文でヴィットゲンシュタインが述べている通り、ブラ
ー ム ス ① は ヴ ァ イ オ リ ン 独 奏 版 よ り も 1 オ ク タ ー ヴ 下 げ て 始 め て い る 。ヴ ィ ッ ト
ゲンシュタイン③も同じ位置から始めているが、低音のオクターヴ下の音が付加
さ れ 、 9 小 節 ま で の 主 題 を 重 厚 に し て い る 。 G.ジ チ ② は 原 曲 の 位 置 か ら 始 め た シ
ンプルなものである。
【 譜 10:
シャコンヌ
冒頭部分
第 1-5 小 節 】
9 小節目以降、ヴィットゲンシュタインのものはブラームス版と同じく原曲に忠
実 な 楽 譜 (単 旋 律 )で あ る が 、ジ チ 版 は 第 25 小 節 か ら 内 声 に 8 分 音 符 を 加 え て 変 化
を 見 せ て い る 。 さ ら に 、 第 37 小 節 か ら は 単 旋 律 に 付 随 す る 低 音 が つ け 足 さ れ て
い る (譜 11)。
172
【 譜 11:
第 37-40 小 節
G.ジ チ 版 】
大 き く 変 化 す る の は 、 第 89 小 節 か ら で あ る 。 G.ジ チ 版 で は 、 こ の 後 主 題 が 幾 度
も 登 場 し 、他 方 の 声 部 は 分 散 和 音 (ア ル ペ ッ ジ ョ )な ど の 速 い パ ッ セ ー ジ が 続 く が 、
和声も原曲とは変化しており、独自の編曲技法を見せている。一方、ヴィットゲ
ン シ ュ タ イ ン 版 は 、 J.ブ ラ ー ム ス の 流 れ を 汲 ん だ ま ま 和 音 や 低 音 を 付 け 加 え て お
り 、大 き く 和 声 や 形 が 変 わ る こ と は な く 、原 曲 の 規 範 性 を 損 な わ な い 編 曲 で あ る 。
【 譜 12:
第 89 小 節 か ら 】
まとめ
編 曲 技 法 に お い て は 、原 曲 の お も か げ を 残 し た ま ま (特 に 高 声 部 の 旋 律 な ど を 残
し た ま ま )音 を 重 音 や 和 音 に す る 規 範 性 が 重 視 さ れ た 編 曲 で あ り 、他 の 作 曲 家 の 編
曲よりも独自性は見いだせない。また、選曲された曲がすべてゆったりとした曲
ばかりであり、このことが彼の左手編曲への限界を感じ、作品委嘱への転機とな
ったことも大いに関係するだろう。
173
以 上 を 踏 ま え 、第 2 巻 の 場 合 と 同 様 に 、第 3 巻 に お け る 第 1 巻 、第 2 巻 の 訓 練
がどのように適用されているか、技術的難易度においても同様に考察し表にして
み る 。尚 、関 連 (類 似 )す る 第 1、2 巻 の 訓 練 に お い て は 、そ の 訓 練 が 登 場 す る 順 に
記載する。
技 術 に対 する
曲目
関 連 (類 似 )する第 1 巻 、第 2 巻 の訓 練
難易度
(易 A~E 難 )
J.S.バ ッ ハ
平 均 律 クラヴィーア曲 集 (第 1 巻 )
第 2 巻 Fr. ショパン スケルツォ 第 1 番
(指 をくぐらせるアルペッジョ 1-2-1)
第 1 番 より 前 奏 曲
A
J.S.バ ッ ハ
初 心 者 のための小 さな前 奏 曲
第 3番
J.S.バ ッ ハ
パルティータ 変 ロ長 調 より ジーグ
〃
A
第 1 巻 二 重 音 の訓 練 第 12 番 、
トリルの訓 練 第 17 番 など
(内 声 と 、 交 互 に 現 れ る 外 声 部 3 声 )
C
J.S.バ ッ ハ
フルート・ソナタ 変 ホ長 調 より
第 2 巻 F.メンデルスゾーン 八 重 奏 曲
(上 声 が旋 律 、下 声 が対 旋 律 型 )
シチリエンヌ ト短 調
C
174
J.ハ イ ド ン
(ピ ア ノ )ソ ナ タ 変 イ 長 調 よ り
第 1、2 巻 で見 られない 4 声 体 の分 離 、
ア ダ ー ジ ョ (第 2 楽 章 )
第 1、2 巻 で見 られない装 飾 音
C
装 飾 音 の例
J.ハ イ ド ン
四重奏曲 第 5 番 第 2 楽章
第 1、2 巻 で見 られない 4 声 体 の分 離
第 2 巻 L.v.ベートーヴェン ピアノ・ソナタ
第 3 番 (同 和 音 の伴 奏 と旋 律 )
W.A.モ ー ツ ァ ル ト
C
第 2 巻 L.v.ベートーヴェン ピアノ・ソナタ
セ レ ナ ー デ 第 11 番
第 3 番 (同 和 音 の伴 奏 と旋 律 )
変ホ長調 アダージョ
第 2 巻 F.シ ョ パ ン 練 習 曲 op.10-12
C
第 1、2 巻 で見 られない(広 音 域 の和 音 )
Fr.シ ュ ー ベ ル ト -リ ス ト
君こそわが憩い
第 1 巻 トリルの訓練
第 7、 8 番 な ど
第 1 巻 二 重 音 の訓 練 第 17 番 など
Fr.シ ュ ー ベ ル ト -リ ス ト
海の静けさ
C
第 2 巻 A.ルービンシュタイン 練 習 曲
(広 音 域 アルペッジョ)
B
175
F.メ ン デ ル ス ゾ ー ン
第 1 巻 L.v.ベートーヴェン《コリオラン》一 部
( 旋 律 と伴 奏 アルペッジョ)
無 言 歌 集 作 品 67 第 1 番
C
第 2 巻 F.シューベルト 即 興 曲
(内 声 旋 律 の 3 声 体 )
F.メ ン デ ル ス ゾ ー ン
無 言 歌 集 作 品 67 第 8 番
第 2 巻 J.ブラームス 変 奏 曲
(2 声 の一 方 がシンコペーション)
C
F.メ ン デ ル ス ゾ ー ン
真夏の夜の夢
作 品 61 よ り
7. 夜 想 曲
第 1、2 巻 で見 られない
(密 集 和 音 の連 続 、旋 律 を担 う)
D
第 1、2 巻 で見 られない
(トリルとオクターヴのトレモロ)
R.シ ュ ー マ ン
子供の情景より メロディー
第 2 巻 J.ハイドン 四 重 奏 曲
(独 立 した動 きの 2 声 )
A
R.シューマン
子 供 の情 景 より 小 さな練 習 曲
第 2 巻 L.v.ベートーヴェン ソナタ op.57
第 2 巻 Fr. ショパン スケルツォ第 1 番
(離 れた音 域 の 2 声 )
176
A
R.シ ュ ー マ ン
色とりどりの小品
作 品 99 よ り 憂 う つ
第 1、2 巻 で見 られない 4 声
( ユニゾンの旋 律 と、それぞれ反 行 する対 旋 律 )
R.シ ュ ー マ ン
C
第 1 巻 トリルの訓 練 第 16、18 番 など
色とりどりの小品
作品 9 より 第 1 番
C
A.v.ヘ ン ゼ ル ト
練 習 曲 作 品 5 第 11 番
第 2 巻 F.シュミット
愛の歌
ベートーヴェンの主 題 による変 奏 曲
(和 音 を含 んだ音 価 の異 なる多 声 奏 法 )
D
E.グリーグ
(抒 情 小 曲 集 作 品 43 より 第 4 番 )
小 さな鳥
第 1、2 巻 で見 られない
(6 度 、4 度 間 の二 重 音 のトリル)
C
E.グリーグ
(抒 情 小 曲 集 作 品 43 より 第 1 番 )
蝶〄
第 1、2 巻 で見 られない(単 音 での半 音 階 )
第 2 巻 Fr. ショパン スケルツォ第 1 番
(離 れた音 域 の 2 声 )
177
C
E.グリーグ
(抒 情 小 曲 集 作 品 43 より 第 2 番 )
第 2 巻 J.ブラームス 歌 曲 《ナイチンゲール》
(単 旋 律 と、和 音 のシンコペーション)
哀歌
C
E.グ リ ー グ
(抒 情 小 曲 集 作 品 43 より 第 3 番 )
憂 うつ
第 1、2 巻 で見 られない
(ユニゾンを含 む 4 声 体 )
第 1 巻 二 重 音 の訓 練 第 17 番 など
G.マ イ ア ー ベ ー ア
第 1 巻 二 重 音 の訓 練 第 17 番 (6 度 )など
オペラ《ユグノー教 徒 》より
第 1巻
水 浴 者 の合 唱 (第 2 幕 )
B
指 の訓 練 第 3、4 番 など
(広 音 域 スケール)
第 2 巻 A.ルービンシュタイン 練 習 曲
(広 音 域 アルペッジョ)
第 2 巻 F.シ ョ パ ン 練 習 曲 op.10-12
D
(入 り 組 ん だ 二 重 音 )
バ ッ ハ -グ ノ ー
瞑想
第 1 巻 多 声 体 演 奏 の 訓 練 第 13 番 など
第 2 巻 F.メンデルスゾーン 八 重 奏 曲
(上 声 が旋 律 、下 声 が対 旋 律 型 )
178
C
G.プッチーニ
オペラ《蝶 〄夫 人 》より 船 乗 りの合 唱
第 1、2 巻 で見 られない
(広 音 域 の和 音 の打 鍵 )
C
(低 音 を保 持 したまま、密 集 和 音 の打 鍵 )
R.ワ ー グ ナ ー
オペラ
《ニュルンベルクのマイスタージンガー》 より
第 1、2 巻 で見 られない
(広 音 域 の和 音 の打 鍵 )
E
(音 価 の異 なる 4 声 体 )
第 1、2 巻 で見 られない
ワ ー グ ナ ー -リ ス ト
イゾルデの愛の死
(音 域 の離 れた 2 声 、一 方 がトレモロ)
(広 音 域 の和 音 4 声 の弾 き分 け)
第 2 巻 A.ルービンシュタイン 練 習 曲
(広 音 域 アルペッジョ)
E
第 2 巻 F.シ ョ パ ン 練 習 曲 op.10-12
(二 重 音 )
第 1、2 巻 で見 られない
バ ッ ハ -ブ ラ ー ム ス
(連 続 するオクターヴ)
シャコンヌ
(単 旋 律 と、交 差 する和 音 )
(10 度 音 程 を含 む入 り組 んだアルペッジョ)
(広 音 域 の和 音 の打 鍵 )
(音 価 の異 なる 4 声 体 )
第 1巻
指 の訓 練 第 1 番 など
第 2 巻 F.シ ョ パ ン 練 習 曲 op.10-12
(オ ク タ ー ヴ 、 二 重 音 )
179
E
総括
こ の 表 か ら 読 み 取 れ る こ と は 、第 3 巻 が 非 常 に 易 し い 小 品 か ら 、演 奏 会 で も 披
露できるような楽曲まで非常に幅広い難易度で構成されている、ということであ
る 。 第 1、 2 巻 で 模 索 し て き た 技 術 を 応 用 し た も の も 存 在 す る が 、 特 に 声 部 の 増
加や、音域の広がり、広音域を使用する和音の打鍵など今までに登場しなかった
技術も追加されていた。左手の楽曲を弾くためには色々な技術が含まれるが、さ
らに必要な技術である演奏表現において、ヴィットゲンシュタインの特徴がよく
表 れ て い る 1 冊 で も あ っ た 。 そ れ は 、 第 1、 2 巻 ま で に あ ま り 見 ら れ な か っ た 細
かい表情記号や、強弱、アゴーギク、フレーズや運指が書きこまれており、彼が
ピアニストとして当時どのようにこの曲を解釈し演奏したか、という記録 が残さ
れているのである。
よ っ て 、第 1 巻 、第 2 巻 で 登 場 し た か な り 難 題 な 技 術 や 、特 殊 な 指 使 い な ど は 、
第 3 巻 に お い て は ほ ぼ 使 用 さ れ な い 。逆 に い え ば 、彼 の 第 3 巻 は 小 品 が 多 く 含 ま
れ て い る も の の 、技 術 的 難 易 度 に お い て 他 の 作 曲 家 の も の と 比 べ て も 大 差 が な い 。
また、彼の選曲した作品は全て多声的な作品であり、ゆっくりとした作品が多く
用いられているため、速いパッセージや華やかな技巧を披露するような作品はな
い。そのため、第 1 巻での技術は相当のものが要求されているものの、それを用
いるような楽曲が彼によって生み出されていないことが、他の作曲家の編曲作品
とを比べても明らかであった。演奏家としての技術と、作曲家としての技量の差
を彼自身も感じ、それが契機となって他の作曲家に作品委嘱をする流れに至った
といえる。
よ っ て 、第 1 巻 は 相 当 の 技 術 を 要 求 す る 指 の 訓 練 集 で あ り 、第 2 巻 は 第 1 巻 の
訓 練 集 の 技 術 を 取 り 入 れ 、他 の 作 曲 家 の 楽 曲 の 一 部 で 実 践 す る こ と に よ る 第 3 巻
へ の 予 備 訓 練 的 な 練 習 曲 集 、 第 3 巻 は 左 手 の た め の (他 の 作 曲 家 の 作 品 に よ る )編
曲 集 (小 品 か ら 楽 曲 に 至 る )と し て の 全 3 巻 の 繋 が り が 確 認 で き た 。
180
第4章
左手のためのピアノ教則本の比較検討
前章では、ヴィットゲンシュタインの唯一の著書である教則本について詳しく
検討した。この章では、ヴィットゲンシュタインに至る までの左手のためのピア
ノ教則本の流れを辿り、ヴィットゲンシュタインの教則本と、それに類似するも
のに焦点を絞って考察する。
19 世 紀 に 入 る と 、鍵 盤 楽 器 (ピ ア ノ )の 構 造 の 発 展 、教 育 の 一 貫 と し て 取 り 上 げ
られるピアノ教則本の普及、ピアノの可能性を広げた超絶技巧を伴う楽曲の増加
があり、それらに対応するものとしてピアノ教則本が数多く出版された。左手の
た め の 教 則 本 も 例 外 で は な い 。 Th.エ ー デ ル と D.パ ッ タ ー ソ ン の 先 行 研 究 よ り 左
手 の た め の 教 則 本 を 蒐 集 し て み た と こ ろ 、現 存 す る 最 古 の 訓 練 集 は 、C.W.グ ロ イ
リ ッ ヒ 1 に よ る《 12 の 訓 練 作 品 19 12 Exercices op.19 (そ の 内 の 第 1 巻 左 手 の み の
た め )》(1827)で あ っ た が 、訓 練 と い う よ り は む し ろ 小 品 的 練 習 曲 と し て の 要 素 を
併 せ 持 っ て い る (先 行 研 究 で は 、 練 習 曲 集 と 記 載 さ れ て い る )。 こ れ 以 降 、 指 の 訓
練 を 目 的 と し た 教 則 本 と し て は 、 1872 年 に 出 版 さ れ た H.ベ ー レ ン ス の 《 左 手 の
た め の ト レ ー ニ ン グ 作 品 89 Die Pflege der linken Hand op. 89 》 が 最 古 の も の で
あ り 、左 手 の た め の ピ ア ノ 曲 が 書 か れ る よ う に な っ て か ら 随 分 と 後 の こ と で あ る 。
L.ケ ー ラ ー Louis Köhler(1820-1886)に よ る 《 左 手 の た め の 教 則 本 Schule der
linken Hand op.302》 (1881)は 、 そ れ ま で の ピ ア ノ 文 献 で 取 り 上 げ ら れ な か っ た
左手に注目し、性質上同じであるはずの左右の能力差を同等にするために書かれ
た 2 。L.ケ ー ラ ー の も の は 、左 手 の 訓 練 を い く つ か 施 し た 後 、そ の 訓 練 を 自 作 や 他
の 作 曲 家 の 短 い 曲 (両 手 を 使 う も の や 片 手 の み の も の )で 応 用 し て い る 。 そ の 後 も
W.タ ッ ペ ル ト Wilhelm Tappert(1830-1907)に よ る《 左 手 の み の た め の 50 の 訓 練
集 50 Übungen für die linke Hand allein 3 》 (1892) 、 E. ク ラ ウ ゼ Eduard
Krause(1837-1892) に よ る 《 左 手 の た め の 教 則 本 作 品 80 Schule der linken
Hand op.80》 (作 曲 年 不 詳 )な ど 、 教 則 本 は ド イ ツ 人 に よ る も の を き っ か け に 多 く
生み出されていることが分かったが、そのほとんどは記録の中でしか残っていな
い。
さて、そのような左手のための教則本の歴史上でいえばヴィットゲンシュタイ
ン の 教 則 本 (1957)は 非 常 に 新 し く 、そ の 特 徴 は 全 3 巻 (訓 練 集・練 習 曲 集・編 曲 集 )
に及んでいることである。それを踏まえ、ここではとりわけそれより以前に書か
れた左手のためのピアノ教則本のうち、少なくとも指の訓練集と練習曲集とが一
組 と な っ て 出 版 さ れ 現 存 す る 3 人 の 教 則 本( ヘ ル マ ン ・ ベ ー レ ン ス 、フ ェ ル デ ィ
ナンド・ボナミーチ、イジドール・フィリップ)に絞り、ヴィットゲンシュタイ
1
2
3
第 1 章 p.10 参 照
cf. L. Köhler. Schule der linken Hand op.302. Leipzig: C.F. Peters, n.d.
p.2.[Preface]
こ の 作 品 は 、1920 年 に N.Simrock 社 よ り ヴ ィ ッ ト ゲ ン シ ュ タ イ ン に よ っ て 編
纂 さ れ た も の が 出 版 さ れ て い る よ う だ が 、 そ の 版 で は 2 つ が 省 略 さ れ 48 例
に な っ て い る (現 存 す る 楽 譜 は R.Lewenthal の 中 で 取 り 上 げ ら れ て い る 2 曲
し か 確 認 で き な か っ た )。
182
ンを含めた 4 人の教則本について比較検討をしてみたい。考察する観点として、
小節数、拍子、調性、速さ、強弱、声部、目的とする技術、さらに訓練集 では 1
セ ク シ ョ ン 内 の 最 大 音 域 4 、指 の 交 差 の 有 無 に つ い て 、ま た 、練 習 曲 集 で は 難 易 度 、
(曲 の )使 用 音 域 5 に お い て も 見 て い く こ と と す る 。
第1節
ヘルマン・ベーレンスのピアノ教則本
ド イ ツ の 作 曲 家 ヘ ル マ ン・ベ ー レ ン ス の《 左 手 の た め の ト レ ー ニ ン グ 作 品 89》
は 第 1 巻 (46 の 訓 練 集 46 Exercises)、 第 2 巻 (25 の 練 習 曲 集 25 Studien)か ら な
っ て お り 、 こ の 教 則 本 が 書 か れ た 1872 年 当 時 は ド イ ツ 語 で 出 版 さ れ て い る が 、
のちに英訳され現在ではこちらが主流となっている。また、訓練集の冒頭で彼は
次 の よ う に 書 い て い る 。「こ れ ら は 、指 の タ ッ チ の 均 一 性 と 強 化 、速 さ を 目 的 と し
た も の で あ る 。 一 日 に 6 か ら 8 例 、10 分 か ら 15 分 ほ ど 忍 耐 強 く 取 り 組 め ば 、き
っ と 役 立 つ は ず で あ る 。 モ デ ラ ー ト (中 庸 の 速 さ )で 始 め 、 繰 り 返 す ご と に 速 く し
て い く よ う に 6 」。
まず、訓練集の記譜を見てみると、へ音譜表あるいはト音譜表の一段譜で書か
れ て い る (譜 1)。 46 例 全 て に お い て 拍 子 が あ り 、 上 記 の 速 度 で 取 り 組 む よ う に な
っ て い る が 、強 弱 の 指 示 は ほ と ん ど 見 ら れ な い ほ か 、長 さ (小 節 数 )は 短 い も の で 4
小 節 、 長 く て も 23 小 節 に と ど ま っ て お り 、 時 間 が か か る 訓 練 で は な い 。 ま た 、
ハ 長 調 (ハ 音 )を 中 心 と し た も の で 構 成 さ れ て い る が 、 そ の 他 の 調 も い く つ か 含 ま
れ て い る 。 訓 練 の 目 的 で は 1 オ ク タ ー ヴ の 音 階 、 同 音 型 の 反 復 か ら 始 ま り 、指 の
交 差 (く ぐ る 、ま た ぐ )を 含 ま な い 5 本 指 の た め の 訓 練 7 、ア ル ペ ッ ジ ョ の た め の 訓
練 と 続 く 。 2 声 体 (重 音 )の 訓 練 は 、 和 音 の 訓 練 を 除 い た 全 体 の 18% し か な く 、 1
声 の 訓 練 が 大 半 を 占 め る 。指 の 交 差 お い て は 、な い も の が 全 体 の 58% 、1 セ ク シ
ョン内の最大音域においても、広くて 2 オクターヴほどであり、ポジション移動
が少ないことが読み取れる。よって技術的難易度は易しいといえるだろう。
4
5
6
7
1 セ ク シ ョ ン と は 、あ る 一 定 の 音 型 の 区 切 れ 、音 型 が 折 り 返 す 部 分 ま で を 指 す 。
尚 、和 音 を 含 む 訓 練 や 2 つ 以 上 の 技 術 が 課 さ れ た 訓 練 、ホ モ フ ォ ニ ー 的 な 要
素を含むなど、上記の定義が難しい訓練においては数値を定めていない。
使用音域については、のちに挙げる表中ではなく本文中にまとめている。
H.Berens. Training of the Left Hand op.89. New York: G. Schirmer, 1939.
pp.2
ち な み に 教 則 本 の 大 家 で あ る レ ー ラ イ ン Georg Simon Löhlein(1725-1781) や
バ イ エ ル Ferdinand Beyer (1806-1863)は 、指 の 交 差 や ポ ジ シ ョ ン 移 動 を 含 ま
な い 訓 練 を 指 す 際 に 「静 か な 手 Stillstehende Hand に よ る (訓 練 )」と い う 言 葉
を用いている。これについては以下の文献を参照のこと。
小 野 亮 祐 「鍵 盤 楽 器 演 奏 の 難 易 度 に つ い て の 歴 史 的 考 察 -『静 か な 手 』に つ い て -」
『 釧 路 論 集 : 北 海 道 教 育 大 学 釧 路 分 校 研 究 報 告 』 第 45 巻 , 2013, pp. 93-98.
183
【 譜 1:
H.ベ ー レ ン ス
46 の 訓 練 集 よ り
第 9 番】
一 方 、 練 習 曲 集 に な る と 小 節 数 は 12 小 節 か ら 、 長 い も の で は 64 小 節 に 及 ぶ 。
様 々 な 調 性 (ハ 長 調 の も の は 25 曲 中 4 曲 の み )で 書 か れ て お り 、強 弱 も 幅 広 く 指 示
さ れ 、19 曲 (全 体 の 76% )が Allegro な ど 指 を 迅 速 に 動 か す 技 術 を 要 し て い る (譜 3
な ど )。声 部 に お い て は 多 く て も 2 声 、3 声 に よ る も の で 、訓 練 集 と 比 べ て さ ほ ど
変化は見られないが、訓練集のようなある一定の音型の反復練習のものも多少含
めながら、簡素な旋律が見受けられる練習曲などもあり、非常に短い小品の類で
あ る 。使 用 音 域 8 は 3 オ ク タ ー ヴ 弱 ほ ど で 腕 の ポ ジ シ ョ ン 移 動 や 指 の 交 差 が 少 な い
た め 技 術 的 難 易 度 は 易 し い (A~B)。
【 譜 2:
H.ベ ー レ ン ス 25 の 練 習 曲 集 よ り
第 3 番 第 1-4 小 節 】
以 下 、ベ ー レ ン ス の 訓 練 集 、練 習 曲 集 を ま と め た 表 を 参 考 に さ れ た い (表 1、2)。
8
第 4 節 4 人の比較の際にグラフで示す。
184
【表1】H.ベーレンス 46の訓練集 まとめ
番 小
号 節
拍
子
調性
1
2/4
2
2/4
3
3/4
16
C:
4
3/4
5
3/4
6
2/4
6/8
7 8
G:→C:
12/8
8 16 6/8
C:
9 4 12/8 C: D: E: F: G: C:
10
4/4 C:→D:→E: …C:
11 8 6/8
12
4/4
13
4/4
C:
14
4/4
4
15
12/8
16
12/8
17 12 4/4
18
4/4
F:
19 5 4/4
20
4/4
A:
21 8 4/4
g: Es: c: g:
22 5 4/4
23 6 4/4
G:→e:→G:
24 11 3/4
C:
25 13 3/4
G:
26 19 3/4
D: d:
27 23 3/4
A: Ges:
28 21 3/4
Des:
29 17 3/4
As: E:
30
12/8
C:(?)
4
31
12/8
C:
32 7 3/4
C: c:
33 11 4/4
C:
34 6 3/4
F:
35 8 4/4
速さ
強弱 声部
ff
-
8度
-
中庸~
速く
f
-
37 9
fz
38
39
40
41
42
43
44
45
46
8度
2度
ff
36 12 3/4
4/4
1セクション内の
最大音域
目的とする技術
音階
全5指のため(トリル)
全5指のため(分離)
全5指のため(分離)
全5指のため(分離)
全5指のため(分離)
指の交差
あり
全5指のため(分離)
3度
5度(6度)
5度(6度)
8度
8度
10度~2オクターヴ超
1
10度(11度)
10度(11度)
10度~2オクターヴ
2オクターヴ
2オクターヴ
2オクターヴ、5度
3オクターヴ
8度(最後のみ2オクターヴ)
8度(最後のみ3オクターヴ)
2オクターヴ+5度
3度、4度
10度
8~11度
8度
6 4/4
8 4/4
C:
2
6 4/4
8 6/8
11 6/8
7 6/8
11 6/8
1
8 4/4
p f p
4 4/4
G:
fz
※小節には繰り返しを含まない(全てにおいて繰り返し記号あり)
185
-
4度
-
全5指のため(分離)
全5指のため(分離)
全5指のため(分離)
全5指のため(分離)
全5指のため(分離)
全5指のため(分離)
全5指のため(分離)
全5指のため(分離)
全5指のため(分離)
アルペッジョ
アルペッジョ
アルペッジョ
アルペッジョ
アルペッジョ
アルペッジョ
アルペッジョ + 半音階
アルペッジョ
アルペッジョ
アルペッジョ
アルペッジョ
アルペッジョ
アルペッジョ 和音
全5指のため
全5指のため
全5指のため 和音
4(5)、2、1指のため
指の交差(第1指中心)
全5指のため
全5指のため
3度の2重音を含む訓練
音価の異なる2声体
(重音、音階、半音階)
2重音(の)音階
3度の2重音
3度の2重音
3度の2重音
3度の2重音を含む訓練
3度の2重音を含む訓練
半音階を含むスケール
和音
和音(オクターヴと3度)
なし
あり
なし
(最後のみあり)
あり
なし
あり
なし
前半なし
後半あり
あり
なし
あり
なし
声 部 に お い て 和 音 を 含 ん だ も の は ○ c(chord)と 表 記 す る 。4 和 音 の 場 合 4c と な る 。
なお、和音で構成された練習曲は、その和音自体を 1 声として表記している。
ベーレンスの練習曲集は、特に重音、多声体奏法が多く取り入れられている。
訓練集、練習曲集とも、自然に鍵盤に置いた時の指や腕のポジションで無理なく
弾ける範囲で書かれており、技術や要求する内容は至ってシンプルなものであっ
た。
186
第2節
フェルディナンド・ボナミーチのピアノ教則本
イ タ リ ア で 活 躍 し た 教 則 本 の 大 家 と さ れ る F.ボ ナ ミ ー チ に は 、 作 品 271 の
《 100 の 訓 練 集 と 153 の 様 々 な 抜 粋 100 exercices et 153 passages divers 》、 作
品 272《 30 の 訓 練 的 練 習 曲 集
30 exercices-etudes pour la main gauche seule》、
作 品 273《 34 の 旋 律 的 練 習 曲 集
34 etudes melodiques pour la main gauche
seule》に 及 ぶ 3 作 品 が あ る 。こ れ ら の 作 品 は 、当 初 リ コ ル デ ィ Ricordi 社 に よ っ
て出版されるものの出版年は明らかになっておらず、現存するものはのちに出て
く る Is.フ ィ リ ッ プ に よ っ て 編 纂 さ れ 1915 年 に 出 版 さ れ た も の し か な く 、す べ て
フランス語表記となっている。
ま ず 作 品 271 で は 、100 の 訓 練 集 に お い て 40 例 、26 例 、32 例 か ら な る 3 分 冊
と な っ て お り 、 速 度 設 定 や 強 弱 は ほ と ん ど な い 。 長 さ (小 節 数 )に お い て も 、 H.ベ
ー レ ン ス と 同 様 に 4 小 節 か ら 長 く て も 27 小 節 に と ど ま っ て い る 。 声 部 は 2 声 以
上のものがほとんどであるが、初めは音域も狭く一方は伸ばしたままのものが多
いため、ほぼ 1 声の動きに等しい。第 1 分冊から第 3 分冊への大きな変化は、1
セ ク シ ョ ン 内 の 最 大 音 域 が 5~ 6 度 の も の (譜 3)、8 度 の も の (譜 4)、10 度 の も の (譜
5)へ と 徐 々 に 広 げ ら れ て い る 点 で あ る が (表 3 a~c 参 照 )、 こ の 第 1 か ら 3 分 冊 の
中 で 指 の 交 差 を 伴 う 訓 練 は わ ず か 8% に す ぎ ず 、 多 声 体 の 訓 練 を 除 き 、 技 術 的 難
易度は易しいといえる。
【 譜 3:
F.ボ ナ ミ ー チ 《 100 の 訓 練 集 》 よ り
第 1 分冊
第 1 番 、 第 13 番 】
ここでの 1 セクション内の最大音域は 6 度。指の交差を含まない。
187
【 譜 4:
F.ボ ナ ミ ー チ 《 100 の 訓 練 集 》よ り
第 2 分冊
第 1 番 、第 9、10 番 】
ここでの 1 セクション内の最大音域は 8 度。指の交差を含まない。
【 譜 5:
F.ボ ナ ミ ー チ 《 100 の 訓 練 集 》 よ り
第 3 分冊
第 16 番 、 第 23 番 】
こ こ で の 1 セ ク シ ョ ン 内 の 最 大 音 域 は 10 度 。指 の 交 差 を 含 ま な い が 、第 14 番
な ど の 10 度 和 音 の た め の 訓 練 で は 、 和 音 を ず ら し て 弾 く 必 要 が あ る 。
以 下 、 作 品 271 の 《 100 の 訓 練 集 (第 1 分 冊 か ら 第 3 分 冊 )》 を 簡 易 に ま と め た
も の で あ る (表 3)。
188
【表3 】F.ボナミーチ 100の訓練集 op.271 まとめ
【a】第1分冊
番 小
拍子 調性
号 節
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
速さ
4
C:
-
4
C:
-
4
C:
-
4
C:
-
4
C:
-
2
C:
-
C:
-
C:?
-
4
C:
-
4
C:?
-
4
C:
-
4
C:
-
4
C:
-
4
C:
-
C:
-
C:
-
2
4/4
4
4
12/8
4
4
4/4
強弱
声 1セクション内の
最大音域
部
2
3
3
2
1
2
2
2
2
2
2
2
2
2
2
2
C:
-
3
C:
-
C:
-
C:
-
C:
C:
C:
-
3
3
3
3
3
3
18
19
20
21
22
23
4
4
4
4
12/8
12/8
4/4
4/4
24
4
12/8
C:
-
設定なし 3
25 16
6/8
C:
-
2
26
3
4/4
C:
-
3
27
28
29
30
31
32
33
17
6/8
4/4
9 12/8
27 2/4
C:
-
8
C:
Lento
C:
-
C:
-
26
C:
-
C:
-
C:
-
3
3
2
1
3
3
3
34
8
4/4
C:
-
3
35 26
6/8
C:
-
2
4
4
26
6/8
26
36 13
3/8
37 26
38
39
9
6
40 13
2/4
C:
-
3
C:
-
3
D:
-
F:
-
1
1
C:?
-
3
目的とする技術
指の
交差
1音、または2音(4度や6度)を
押さえながら他の指で16分音符を奏する訓練
(後半になるにつれて入り組んだ指使い)
6度
なし
上声部と下声部が反行する
16分音符を奏する訓練
3度の和音を押さえながら、別の音域で
8分音符を奏する訓練
全5指の
ための
訓練
5度
1つの音を押さえながら3度または
4度のトリル音型を奏する訓練
3和音(第一転回形)のトリル音型を
奏する訓練
1つの音を押さえながら、別の音域で
8分音符を奏する訓練
1つの音を押さえながら
3度のスケール音型を奏する訓練
短い3度の半音スケールを含む、
旋律(断片的)付き3声体の訓練
6度音程の連続する音型を奏する訓練
5本の指のための訓練
(練習の際のリズムパターン付き)
2つの音(4度、3度、6度)を押さえながら
他の指で8分音符を連打する訓練
あり
3度の和音を押さえながら、別の音域で
8分音符(半音階トリル)を奏する訓練
6度
1つの音を押さえながら、別の音域で
8分音符を奏する訓練
3和音(第一転回形)のトリル音型を
奏する訓練(上声部、下声部2声が反行)
3度の和音を押さえながら、別の音域で
16分音符を奏する訓練
5本の指のための訓練
(No.39は第4-2指間の拡大もある)
3度の和音を押さえながら、
別の音域で16分音符を奏する訓練
189
なし
190
【表3 c】第3分冊
番 小
拍子 調性
号 節
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
4
速さ
強弱
声 1セクション内の
最大音域
部
C:
4
12/8
12/8
4/4
4/4
4/4
4/4
4/4
4/4
4/4
4/4
4/4
4/4
13
4
4/4
C:
14
8
6/8
c:
3
15
6
4/4
c:
16
9
4/4
17 17
3/8
18
4/4 Des:
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
9
1
1
1
1
2
2
2
2
2
2
1
2
C:
C:
C:
C:
C:
C:
C:
C:
C:
C:
C:
目的とする技術
指の
交差
10度間の上行アルペッジョの連続(3連符)
10度間の下行アルペッジョの連続(〃)
10度間の上行アルペッジョの連続(16分音符)
10度間の下行アルペッジョの連続(〃)
指間の拡大
(跳躍)
10度の跳躍を含んだ訓練
(下声が和音になっているもの、
上声と下声の音価が異なるもの、
短いトリルなど)
なし
指間の拡大
(跳躍)
和音から単音、単音から和音へ
(1オクターヴ跳躍)の素早い移動
アルペッジョで10度の和音を捉える訓練
なし
2
ポジションの
素早い移動
3度、4度を素早く捉える訓練(アルペッジョ型)
あり
C:
2
指間の拡大
(跳躍)
C:
1
総合的要素
10度の跳躍を含んだ訓練
(上声部が8分音符、下声部が16分音符)
今までの要素を含んだ訓練
(短いトリル、アルペッジョ、10度の跳躍)
19 17
6/8
d:
20
3
4/4
C:
21
4
12/8
C:
22
4
12/8
D:
23 17
6/8
24 17
25
2-1
設定なし
1-2
10度間の和音を含んだアルペッジョ
指間の拡大
(跳躍)
2
設定なし
2
3度の訓練(跳躍を含む)
上声部、下声部の2声が反行
10度
3-2
ポジションの
素早い移動
和音を素早く捉える訓練
2
指間の拡大
(跳躍)
上声部、下声部の2声が反行
c:
1
指間の拡大
縮小
指と指の間を縮小、拡大する訓練
3/8
E:
1
指間の拡大
10度間のアルペッジョ
4
4/4
F:
2
ポジションの
素早い移動
3度、6度を素早く捉える訓練
26 11
2/4
C:
1
ポジションの
素早い移動
第1指を中心に
素早く移動する訓練(リズムパターン付き)
27 11
2/4
C:
♩ =116
3
28
8
6/8
C:
très lent
2
29
7
30
7
très lent
設定なし
指の独立
?
2/4 減七
終止
設定なし
4/4 Ges?
2
31 14
4/4
C:
3
32 15
4/4
C:
2
ポジションの
素早い移動
声部の独立
très lent
あり
3
191
下声部が3度の8分音符連打、
上声部が16分音符
下声部が8分音符で
上行、上声部が16分音符のアルペッジョ。
10度音程間の減七和音を素早く捉える訓練
5度、6度を素早く捉える訓練
下声部が旋律的、
上声部が6度のスケール音型
内声を2分音符でのばし、
外声部が反行するスケール音型
なし
一方、
《 153 の 様 々 な 抜 粋 》に な る と 、今 ま で ほ と ん ど な か っ た ア ル ペ ッ ジ ョ の
訓練から始まり、和音の打鍵、二重音、広音域を使用したスケールなどが取り入
れ ら れ て い る 。 し か し 、 こ れ ら は 10 小 節 以 下 の も の が 全 体 の 約 73% と 大 半 を 占
めており、ほとんどの訓練が、ある音型の上行形のみ、あるいは下行形のみを取
り上げた断片的なものであった。まず、冒頭にボナミーチによる注釈が添えられ
て い る 。「ク ー プ ラ ン 、ラ モ ー 、バ ッ ハ 、ヘ ン デ ル に よ っ て 書 か れ た 、古 典 の チ ェ
ンバロのためのよく知られた音楽では、アルペッジョはほとんど使用されない。
しかし、今日ではアルペッジョは頻繁に多用され、その演奏では常に速さに関係
なく、動きやおよその音を指定する必要がある。私は左手のためにとても大切な
アルペッジョの例をここにいくつか提示した。生徒は のついた和音を素早く演
奏 で き る よ う 練 習 し な け れ ば な ら な い 9 」 よ っ て 、 第 1 番 (譜 6)で 取 り 上 げ ら れ て
いる和音アルペッジョは、1 オクターヴから 3 オクターヴの和音を素早く弾く訓
練 で あ る 。ま た 、第 18 番 (譜 7)も ア ル ペ ッ ジ ョ の 訓 練 で あ る が 、こ こ で は H 音 か
ら h 3 音 ま で 4 オ ク タ ー ヴ も の 音 域 が 使 用 さ れ て い る 。ア ル ペ ッ ジ ョ や 跳 躍 に よ る
使 用 音 域 の 拡 大 は 、腕 の ポ ジ シ ョ ン を 素 早 く 変 え る 必 要 が あ る た め 、よ っ て《 100
の 訓 練 集 》よ り 少 々 難 し く な っ て い る 。し か し 、指 の 交 差 を 伴 う も の は 全 体 の 29%
(153 曲 中 45 曲 )に と ど ま っ て お り 、譜 7 の よ う に 決 め ら れ た 指 使 い を 反 復 さ せ た
もの、固定した手のポジション移動などが要求されるものの、指の伸縮を伴わな
い訓練がほとんどであった。
【 譜 6:
F.ボ ナ ミ ー チ 《 153 の 様 々 な 抜 粋 》 第 1 番 】
【 譜 7:
F.ボ ナ ミ ー チ 《 153 の 様 々 な 抜 粋 》 第 8 番 】
9
F. Bonamici, 100 exercices et 153 passages divers pour la main gauch
seule op.271. Paris: Ricordi. n.d. p.29.
192
第 71 番 あ た り か ら 、 ホ モ フ ォ ニ ー 的 な 訓 練 や 2 つ 以 上 の 訓 練 を 課 す も の が 多
く取り上げられている。1 オクターヴを超える幅広い音域が使われておりポジシ
ョン移動を伴うが、指の交差を含まないものが多く、指の伸縮をあまり必要とし
ない。
【 譜 8:
F.ボ ナ ミ ー チ 《 153 の 様 々 な 抜 粋 》 第 73 番 】
F.ボ ナ ミ ー チ に よ る 訓 練 集 で の 難 易 度 は 、使 用 音 域 が 1 オ ク タ ー ヴ を 超 え る (ポ
ジ シ ョ ン 移 動 を 伴 う )、 指 の 交 差 を 伴 う 、多 声 的 (ホ モ フ ォ ニ ー 的 )、 と い う 以 上 の
要 素 が 徐 々 に 組 み 合 わ さ れ て い く こ と で 、少 し ず つ 高 く な る よ う 設 定 さ れ て い る 。
全 て 組 み 合 わ さ れ た も の の 例 と し て 第 149 番 (譜 9)を 見 て み る と 、 ト 音 譜 表 の 声
部と、へ音譜表の声部との音域が離れているため、素早いポジションの移動が求
め ら れ る 。指 の 交 差 を 伴 う ヘ 音 記 号 の 声 部 (16 分 音 符 )を 見 て み る と 、指 の 伸 張 度
合いは一定である。言い換えれば、ボナミーチの訓練集で難易度が高いと見受け
られる多声体奏法の訓練では、声部が入り組んだもの、指の交差の度合いが変わ
るものは課せられていないことが分かった。
【 譜 9:
F.ボ ナ ミ ー チ 《 153 の 様 々 な 抜 粋 》 第 149 番 】
第 138 番 を 超 え た あ た り か ら 小 節 数 が 増 え (第 141、 149 番 を 除 く )、 第 141 番
を 超 え て か ら 強 弱 記 号 も 指 示 さ れ て い る (第 144、147、151 番 を 除 く )。目 的 と す
る 技 術 は そ れ ぞ れ 異 な り な が ら も 、少 し ず つ 複 雑 化 し て 作 品 272 と 類 似 し て い く 。
以下、まとめを表として挙げる。
193
【表4】F.ボナミーチ 153の様〄な抜粋 op.271 まとめ
番 小
拍子
号 節
調性
速さ
強弱
声
部
1セクション内
の
最大音域
1
12
3/4
C:
Des:
E:
Ges:
-
-
-
-
2
3
4
5
3
8
10
9
4/4
2/4
3/4
4/4
D:
Es:
D:
Ges:
-
-
1
1
1
1
8~13度
2オクターヴ
1オクターヴ
8~13度
6
8
6/8
fis:
-
-
1
5~6度
7
10
2/4
C:
-
-
1
10度
8
10 12/8
C:
Es:
Ges:
A:
-
-
1~2
8度
3オクターヴ
目的とする技術
アルペッジョ
(1オクターブから
3オクターヴにわたる和音)
アルペッジョ
アルペッジョ
(オクターヴや短い音階、
半音階を含む)
素早いポジションの
移動
アルペッジョ
3オクターヴ内の
半音階を含んだ訓練
10度音程間のアルペッジョ
6
12/8
Es:
-
-
1
11度
10
8
4/4
a:
-
-
2
6~7度
11 16
2/4
F:
Es:
-
-
1
8度
2,3指の連打
12 17
6/8
a:
cis:
H:
-
-
1
10度
アルペッジョ
音階
10度音程間のアルペッジョと
短い音階を含む訓練
13
8
3/4
Es:
-
-
1
6度
14
5
2/4
h:
-
-
2
8度
9
4/4
cis:
C:
-
-
1
6度、8度
アルペッジョ
素早いポジションの
移動
(高音域に簡単な旋律をもつ)
下行アルペッジョ
和音とアルペッジョ
下行アルペッジョ
(6度や8度音程)
16 17
3/4
D:
g:
♩ = 120
-
1
9度
17
4
4/4
B:
-
-
1
18
4
3/4
H:
-
-
19
5
12/8
H:
♩ =76
20
6
4/4
E:
21
3
アルペッジョ
音階
アルペッジョ
1
2オクターヴ
+6度
8度
-
1
5度、6度
4,2,1指のみ使用
♩ = 132
-
1
8度
アルペッジョ、音階
12/8 Ges:
-
-
2
2オクターヴ
アルペッジョ、跳躍
2/4
C:
Des:
d:
Es:
-
-
1~2
12度
アルペッジョ
23 21
4/4
Des:
D:
es:
E:
F:
Ges:
♩ = 116
-
24
8
6/8
D:
-
-
25
5
9/8
Es:
-
-
26
27
5
3
4/4
4/4
G:
Es:
-
-
22 21
1
和音
11度音程間のアルペッジョ
(中声部に簡単な旋律をもつ)
3オクターブにわたるアルペッジョ
同音連打を含む
5度音程のアルペッジョ
途中に和音を含んだアルペッジョ
上行アルペッジョ
途中に和音を含むアルペッジョ
(3つの指のみ使用)
上行スケール、下行アルペッジョ
(高音域に簡単な旋律をもつ)
アルペッジョ
あり
なし
あり
なし
あり
なし
4度、5度音程のアルペッジョ
1
2
(4c+
4c)
1
1~2
10度
(和音の
跳躍を
除く)
アルペッジョ
10度音程間のアルペッジョ、
和音をつかむ訓練
10度
1,5指の伸張
10度音程の素早い跳躍
-
跳躍、
和音の打鍵
和音の跳躍と簡単な旋律(和音)
指の独立
全5指のための訓練
アルペッジョ
途中に和音を含んだ
アルペッジョ
指間の拡大、収縮
オクターヴとトリル音型
5度、6度
10度
28 12 12/8
-
-
1
(3c+1)
1オクターヴ
29
C:
↓
F:
-
-
1
1オクターヴ
2度
9/8
なし
あり
C:
↓
As:
7
あり
短い音階とアルペッジョの訓練
(特殊な指使い―指間の拡大)
6度、5度音程の2声アルペッジョ
9
15
指の
交差
194
なし
30
3
4/4
G:
-
-
1
2オクターヴ
アルペッジョ
オクターヴを含んだ
下行アルペッジョ
4/4
G:
-
-
32 12 4/4
?
-
-
1
(1+3c)
2
33
4
4/4
C:
-
-
1
10度
34
8
4/4
G:
-
-
3
8度
指の独立
内声に簡単な旋律、
両外声部が減七音程のユニゾン
35 21 6/8
Es:
-
-
2
(2c+2c)
5度、6度
2声アルペッジョ
6度、5度音程のアルペッジョ
36
5 12/8
C:
-
-
1
2オクターヴ
跳躍
2オクターブ間の8度の跳躍
(5-1-2指を使用)
あり
37
4
4/4
D:
-
-
2
2オクターヴ
跳躍、
素早いポジションの
移動
2オクターヴ間の8度の跳躍
なし
38 13 4/4
Es:?
↓
F:
-
-
2、1
8度
5オクターヴ
3つの訓練
31
3
2オクターヴ
8度
途中に和音を含んだアルペッジョ
全5指のため
1,5指の拡大、
1,3指の収縮
減七音程の2声アルペッジョ
10度音程の素早い跳躍
2声(6度と8度)、
トリル音型、
5オクターヴの上行スケール
単音からオクターブへの
素早い跳躍
5-4-3指の素早い上行スケールと
1,3指によるオクターヴ
39
6
2/4
C:
-
-
2
8度
素早いポジションの
移動
40
4
3/8
Des:
-
-
2
8度
1,3指のオクターブ
41 12 2/4
e:
-
-
2
4度
8度
3度
上行と下行の3度(跳躍あり)
42
4
4/4
C:
-
-
2
(2c+2c)
5度
3度、
ポジションの
素早い移動
下声部オクターヴと
上声部の下行する3度
43
4
4/4
F:
-
-
44
8
4/4
C:
-
-
2
(2c+1)
3
45 16 4/4
G:?
-
-
3
-
3度、指の独立
46
8
2/4
A:
-
-
2
3度、2度
47
3
4/4
C:
-
-
2
-
48 12 4/4
a:
-
-
8度
49 14 4/4
C:
-
-
Ges:
-
-
4
2
(1+2c)
1
10度
51 17 4/4
C:
-
-
3
2度
2重トリル
ポジションの
素早い移動
指の独立
3度、
和音の打鍵
1,5指の拡大
特殊な指使い
(手首の柔軟性)
52
5
G:
-
-
2
2度
指の独立
53
3 12/8 Des:
-
-
2
3度
2声スケール
54
8
6/8
f:
-
-
3
-
55
9
2/4
C:
-
-
2
3度
56 5 4/4
57 17 2/4
e:
D:
-
-
2
2
6(7)度
8度
和音、
ポジションの
素早い移動
第4、2、1指の
分離
指の独立
オクターヴ
58
7
4/4
Es:
-
-
3
8度
オクターヴ
59
4
6/8
Des:
-
-
2
8度
和音のアルペッジョ
60
8
2/4
a:
-
-
2
8度
2声スケール
和音の上声部のみが2,1指による
同音連打
16分音符(1音保持)
オクターヴ音型の連続
オクターヴ音型の連続
(3和音になっている)
オクターブと和音を含んだ
アルペッジョ
上声部と下声部で交互に動く
短い音階音型
61 10 12/8
G:
F:
B:
-
-
2
8度
オクターヴ
オクターヴ音型の連続
62 11 6/8
C:
-
-
3
-
和音、声部の分離
63
C:
-
-
1
4度、2度
トリル
50
3
4
4/4
2/4
4/4
2オクターヴ
指の独立
5度
-
195
あり
なし
あり
なし
あり
オクターヴと
内声半音階の上行スケール
反行する2声
上声部の簡易な旋律と
下声部の3度
複雑に反行する2声
前半なし
後半あり
第2指、第4指で和音をつかむ訓練
あり
他の音を保ちながらの同音連打
上声部1音を保ち、下声部で3度
10度間の和音
10度の跳躍を含んだアルペッジョ
5指の上からかぶせるような
(反時計回り)指使いをする訓練
上声部の和音(3度)と
下声部のプラルトリル音型
3度、5度、6度の和音がついた
音階
和音をつかむ訓練
(ソプラノがプラルトリル音型)
1声をのばしながら他の2声が6度、
和音の打鍵
プラルトリル音型を含んだ訓練
なし
なし
あり
なし
あり
なし
あり
なし
64 13 4/4
C:
-
-
3
12度
半音階
65 15 4/4
C:
-
-
2
-
和音、アルペッジョ
66
H:
-
-
2
8度
声部の分離
?
-
-
1
3オクターヴ
跳躍
3
10度
声部の分離
4
6/8
67 12 4/4
減七終止
68 14 4/4
b:
-
-
69
F:
-
-
9
2/4
70
5 12/8
71
3
72
G:
-
-
2
(1+2c)
2
(3c+1)
8度
2オクターヴ
素早いポジションの
移動
内声を保持したまま、
外声部が反行する半音階
上声部の16分音符に付随する和音
をつかむ、下行アルペッジョ
16分音符(1音保持)
5指(上行形)や1指(下行形)の音を
変えずに音域を広げて素早く跳躍
する訓練
低声部を保持したまま
交互に動く2声
プラルトリル音型とオクターヴ、
和音を融合した訓練
5指の音を変えずに、
上声部で3和音をつかむ
あり
なし
あり
なし
これ以降、簡易な旋律と伴奏型(ホモフォニー的)のものや、跳躍を含むものが多くなる
4/4
Des:
-
-
4 12/8
C:
-
-
73
74
9
4
4/4
6/8
A:
g:
-
p-f
75
5
2/4
H:
-
-
Des:
-
-
76 15 2/4
2
2
(3c+2c)
2
3
2
(2c+1)
2
(2c+2c)
1
2
(3c+2c)
2
(4c+1)
2
1
1
3度
3度
-
-
声部の分離
複合的要素
素早い跳躍
なし
オクターヴ、6度
-
オクターヴ
オクターブ、声部の分離
10度
同音連打
素早いポジションの
移動
4-3-2-1指による同音連打
へ音譜表に書かれたオクターヴの音
を変えずに、上声部で3和音をつか
む
オクターヴの旋律を内声にした
下行と上行スケール
旋律(第1指のみ)と分散和音
なし
指の独立
オクターブとトリル音型
あり
-
素早いポジションの
移動
-
オクターヴ、和音
-
オクターヴ、跳躍
オクターヴ
反行する2声。
和音とプラルトリル音型の
音域が拡大
音域が広いアルペッジョを
オクターヴと和音で奏する
オクターヴの素早い跳躍
オクターヴを含む(3-1指と4-1指でお
さえる)下声部の16分音符
外声をオクターヴで保持しながら、
内声で16分音符を奏する訓練
16分音符の中に、8分音符の簡易的
な旋律を含み声部を分離させる訓練
内声に旋律をもち、外声部の6度和
音と分離させる訓練
8
2/4
A:
-
-
78
4
2/4
F:
-
-
79
9
4/4
A:
-
f, p
80 12 6/8
81 5 4/4
82 8 2/4
A:
fis:
D:
-
p~f, ff
-
83
3
4/4
C:
-
-
84
9
3/4
B:
-
-
85
8
2/4
Es:
-
-
2
(3c+2c)
2
86
4
4/4
Ges:
-
-
2
-
87
9
3/4
a:
-
-
3
-
88
8
6/8
a:
-
-
2
8度
89
4
2/4
b:
-
-
90
9
4/4
As:
-
ff
91
5
6/8
f:
-
-
92
8
6/8
Des:
-
-
93
4
6/8
D:
-
-
94
4
4/4
B:
-
p~f
95
5
4/4
As:
-
-
-
-
-
4度
10度
声部の分離
指の独立
2
(1+2c)
2
(2c+4c)
2
(1+4c)
2
(2c+4c)
2
(1+3c)
3声と和音
-
77
2
(3c+1)
第1指とその他の指の分離
-
声部の分離
-
オクターヴ、和音
和音とオクターヴ
-
跳躍
2オクターヴ離れた旋律の跳躍
-
指の独立
和音(54指と21指)の
分散アルペッジョ
-
跳躍
下声部が和音、上声部が分散和音
2
-
オクターヴ
2
-
3度
196
旋律(第2指のみ、オクターヴ)と
分散和音
3度のプラルトリル型音型
あり
なし
96
6
6/8
Es:
-
-
2
(1+3c)
-
97
5
2/4
C:
-
-
2
6度、4度
98 12
2/4
C:
-
-
2
-
99 5
100 8
101 5
4/4
2/4
2/4
As:
B:
H:
-
-
2
2
2
-
-
-
102 4
2/4
C:
-
-
2
-
103 5
4/4
cis:
♩ = 160
-
104 7
4/4
C:
♩ = 100
-
105 9
6/8
Es:
-
-
106 4
6/8
C:
-
-
107 9
4/4
A:
-
p, f
1
2
(1+3c)
和音
1
3
2
(4c+1)
108 9
6/8
E:
-
-
109 9
4/4
C:
-
素早いポジションの
移動
4度
素早いポジションの
移動
音階
和音を保持しながら、
離れた上声部に跳躍する訓練
低音を保持しながら、
上声部で16分音符を奏する訓練
第2指と1指で旋律
(途中に和音を含む)
16分音符(第2指保持)
分散和音(1指に旋律を含む)
Bassラインと和音の跳躍
上声部の分散和音と
下声部のトリル音型
1234指のみを使う下行スケール
-
和音
旋律(第1指のみ)と和音
-
和音、アルペッジョ
-
指の独立
-
同音連打
2
-
オクターヴ、和音
3
(1+2c+1)
-
指の独立
和音、跳躍
7オクターブにおよぶ
下行アルペッジョ
内声で半音階音型(外声保持)
和音での旋律と、
4-3-2-1指による同音連打
内声2音とオクターヴ2音の
分散和音
プラルトリル音型の32分音符と
旋律(第1指のみ)の分離
オクターヴと2度の音型の
16分音符(ポジションチェンジ)
110 5
4/4
A:
-
-
2
-
111 4
4/4
G:
-
-
1
8度
指間の拡大、縮小
112 8
3/4
G:
-
-
-
指の独立
16分音符(1音おきに和音を含む)
113 9
4/4
A:
-
p~ff
114 7
2/4
D:
-
-
1
和音
2
(3c+1)
2
-
素早いポジションの
移動
重音スケール
115 10
4/4
c:
-
-
3
-
声部の分離
116 8
2/4
c:
-
-
-
装飾音
117 8
6/8
B:
-
-
-
オクターヴ、和音
118 5
4/4
C:
-
119 8
3/8
B:
-
120 5
12/8
C:
和音での旋律と、音域の異なる
和音のアルペッジョ
3度、5度、6度の下行スケール
上声部に旋律(第1指のみ)、
内声が32分音符のトリル音型、
低音は保持
低音に装飾音(5-3-4指)をつけた
分散和音の訓練
低音のオクターヴと、
離れた分散和音を奏する訓練
32分音符の和音音型
上声部と下声部で音価の異なった
下行アルペッジョ
3度、4度の上行スケール
121 9
2/4
122 5
-
1
和音
2
(3c+2c)
1
5度、6度
指の独立
-
2
6度
声部の分離
-
-
2
-
C:
-
-
2
(2c+1)
4度
重音スケール
重音スケール
素早いポジションの
移動
2/4
C:
-
-
2
-
123 7
2/4
B:
-
-
-
124 5
3/4
A:
-
-
2
2
(2c+1)
125 8
2/4
C:
-
-
2
(4c+2c)
197
あり
なし
あり
なし
あり
なし
あり
なし
単声の下行スケールと、
離れた3度の下行スケール
声部の分離
反行する音価の異なった
2声の分離
旋律と反行する下行スケール
上声部の旋律(和音)、
下声部の16分音符の分離
オクターヴ、
和音
跳躍
下声部のオクターヴの旋律と、
2オクターヴ離れた和音
-
-
なし
内声で3度(上下音は保持)
指の独立
-
あり
(一部)
あり
なし
-
半音階
-
2
(1+3c)
2
5度
重音スケール
-
-
2
-
声部の分離
F:
-
-
2
2
(1+2c)
-
指の独立
下声部の旋律(和音)、
高音域から下行する半音階
3度の下行スケール
3指に旋律
5指と1指交互の16分音符
16分音符(低音保持)
-
声部の分離、跳躍
3指に旋律、両外声部の32分音符
126 8
3/4
F:
-
-
127 8
3/4
C:
-
128 5
3/4
C:
129 22 2/4
130 8
6/8
Fis:
-
-
131 8
3/4
C:
-
-
2
-
半音階
132 5
133 5
2/4
4/4
Des:
Es:
-
-
-
-
134 5
4/4
C:
-
-
135
136
137
138
3/4
6/8
2/4
4/4
Es:
F:
Des:
C:
-
p~f
-
2度
3度
-
-
オクターヴ
指の独立、収縮
声部の分離、
指間の拡大
指の収縮
フーガ的
声部の分離
重音スケール
139 16 3/4
F:
-
-
12度
和音、アルペッジョ
140 16 2/4
E:
-
-
141 5
4/4
Es:
-
p~ff
142 22 2/4
C:
-
p~f
143 16 4/4
d:
-
p~ff
144 20 3/4
B:
-
-
2
2
2
(1+2c)
1
2
2
2~4
2
(1+4c)
2
(4c+2c)
1
2
(1+3c)
4,3
2
(4c+3c)
145 12 3/8
D:
-
p~ff
146 12 2/4
B:
-
147 12 2/4
Es:
148 17 2/4
149 8
9
13
20
17
3/4
-
-
跳躍
-
和音
和音を保持、
オクターヴへの跳躍
和音とオクターヴ(分散型)
旋律(第1指、第5指)と
和音の跳躍
旋律を伴った和音
-
和音、アルペッジョ
和音のアルペッジョ音型
2
8度
指間の拡大、収縮
p~ff
2
-
対位法
-
-
1
-
跳躍
g:
-
p, ff, f
3
-
同音連打
g:
-
p~ff
-
-
声部の分離
-
和音、オクターヴ
-
150 17 2/4
As:
-
p
-
-
151 17 2/4
As:
-
-
-
-
152 13 2/4
B:
-
ff
-
-
153 9
C:
-
p~ff
-
-
3/4
5指(上行形)や1指(下行形)で音を
保持しながら、他の指で半音階
オクターヴの訓練
3連音符(5指保持)
下声部の和音、
上声部の16分音符
2度音型の連続
2声体。カノン的
旋律と伴奏型
3度の半音階を含む旋律
和音を保持、高音域から
下行アルペッジョ
198
複合的要素
オクターヴ、
素早いポジションの
移動
片方の声部を同音連打しながら、
他の声部で半音階を奏する訓練
フーガ的
8度から12度におよぶ離れた音域へ
の跳躍
1-2指による付点リズム付きの
同音連打(和音あり)
上声部のオクターヴによる旋律と、
下声部の3オクターヴにわたる
下行アルペッジョ
和音付きの旋律と、
指間の拡大・収縮を含む
16分音符との声部の分離
音域の拡大するオクターヴ
下声部オクターヴ旋律、
上声部16分音符(和音あり)
オクターヴのグリッサンド、和音
あり
なし
あり
なし
あり
なし
あり
なし
あり
なし
あり
なし
作 品 271 に 続 い て 、 作 品 272 は 《 30 の 訓 練 的 練 習 曲 集 》 と さ れ 、 あ る 程 度 の
曲 の 長 さ が あ り 、 速 度 (メ ト ロ ノ ー ム 表 記 )や 幅 広 い 強 弱 な ど も 、 訓 練 集 よ り 細 か
く 記 譜 さ れ 、色 々 な 調 性 の 練 習 曲 が 提 示 さ れ て い る 。な お 、こ の 作 品 に は 1 曲 ず
つ ボ ナ ミ ー チ に よ る 注 釈 が 書 か れ て お り (19、20、23、27 番 を 除 く )、非 常 に 教 育
的 な 一 冊 で あ る 。 第 27 番 (譜 10)に お い て は 以 下 の よ う に 記 述 し て い る 。 「左 (へ
音 譜 表 )が オ ク タ ー ヴ 、右 (ト 音 譜 表 )が 和 音 を 演 奏 す る 効 果 を も た ら す 。こ の 目 的
を得るためにバスを離したと同時に移動し、静かにレガートで和音を弾くように
10 」。内 容 は 簡 単 な
2 声 体 に よ る も の か ら 、和 音 を 含 ん だ 多 声 体 の 練 習 曲 が 続 い て
いる。テンポが速いものと、ゆっくりしたものとの比率は半々で、 幅広い音域が
使 用 さ れ て い る が 、 同 じ 音 型 が 連 続 (反 復 )し て い る た め 、 技 術 的 難 易 度 は 中 程 度
である。
【 譜 10:
F.ボ ナ ミ ー チ 《 30 の 訓 練 的 練 習 曲 集 》 第 27 番 第 6-17 小 節 】
ま た 、作 品 273《 34 の 旋 律 的 練 習 曲 集 》で は そ の 題 名 の 通 り 、作 品 272 よ り も
音域が広がり、声部が増えているのが特徴である。ほとんどが旋律とその他の音
型による分離を目的としたものであり、ホモフォニーの要素を含んでいる 。旋律
には重音など、他の声部にはスケールやアルペッジョ、トリルや和音の打鍵など
の 様 々 な 技 術 が 用 い ら れ て お り 、 p か ら ff な ど の 幅 広 い ダ イ ナ ミ ク ス を も っ て 演
奏 す る よ う 指 示 が あ る (彼 の 教 則 本 は 、 ff で 奏 す る よ う 指 示 さ れ て い る 部 分 が 多
い )。 小 節 数 は さ ほ ど 多 く な い が 、 作 品 272 と 比 べ る と 速 い テ ン ポ の も の は 少 数
で 全 体 の 2 割 ほ ど で あ り 、ゆ っ た り と し た 速 度 表 記 が 多 い 。ヴ ィ ッ ト ゲ ン シ ュ タ
インの《編曲集》と同様に、非常に広い音域を用いているボナミーチの練習曲、
特に多声体のものは、腕の素早い移動を要求するものの、曲自体の速度は緩やか
な曲が多いことが分かる。
10
F. Bonamici, 30 Exercices-Etudes pour la main gauche seule op.272. Paris:
Ricordi. n.d. p.47.
199
【 譜 11:
F.ボ ナ ミ ー チ 《 34 の 旋 律 的 練 習 曲 集 》 第 21 番
以 下 、 作 品 272 と 作 品 273 の ま と め で あ る 。
200
第 23-26 小 節 】
201
202
4/4
B:
Moderato ♩ = 92
p~ff
3
(2c+2c+2c)
旋律(オクターヴ)と、内声(2重音)、
離れた低音(オクターヴ)
D
28 54 12/8
B:
Andantino mosso ♩ = 60
pp~ff
2
(2c+4c)
旋律(オクターヴ)と、(開離)和音のアルペッジョ
音域の離れた和音の打鍵、
旋律と、内声(トリル音型)、低音
E
29 41
As:
Moderato maestoso ♩ = 67
pp~ff
2
(4c+4c)
離れた和音の打鍵
D
pp~ff
3
(3c+1+3c)
内声の旋律と、上下声部で交互に現れる和音
(素早いポジションの移動)
離れた和音の打鍵、
6オクターヴの上行アルペッジョ
E
27 30
3/4
30 34
4/4
As:
Andante mosso ♩ = 50
Piu mosso ♩ = 72
31 73
6/8
D:
Allegro non tanto ♩.= 138
p~ff
2
(1+4c)
旋律と、和音
C
32 26
4/4
H:
Moderato sostenuto ♩ = 60
p~ff
2
(2c+4c)
和音の打鍵と、幅広く跳躍するオクターヴ
D
33 77
6/8
As:
Andante ♪= 80
p~ff
3~4
(1+1+3c)
(2c+1+1+1)
2声体と、和音(同音連打)
5オクターヴの和音アルペッジョ
E
34 25
4/4 Des:
il piú presto possibile
mf~ff
2
(4c+2c)
オクターヴ、和音(旋律)をつかむ練習
(音域の異なる多声体)
D
203
第3節
イジドール・フィリップのピアノ教則本
編 纂 活 動 に 従 事 し た ブ ダ ペ ス ト 出 身 の 作 曲 家 Is.フ ィ リ ッ プ に よ る《 左 手 の た め
の 訓 練 と 技 術 的 練 習 曲 集 Exercices et études techniques》 が あ る 。 こ の 作 品 は
1895 年 に 出 版 さ れ 、非 常 に 短 い 断 片 的 な 予 備 訓 練 集 Exercices préparatoires(24)
と 、技 術 的 訓 練 集 Exercices techniques(8)、練 習 曲 集 Etudes(12)で 構 成 さ れ て お
り、いづれもト音譜表、もしくはへ音譜表の一段譜で記譜されている。
予備訓練集は、ハ長調を中心にした訓練で構成されているが、冒頭に移調する
よ う 指 示 が あ る (移 調 に 関 す る 詳 し い 指 示 は な い )。 6 小 節 に 満 た な い も の が ほ と
んどで、拍子記号はない。また、強弱記号は 2 つの訓練にのみ適用されており、
ゆっくりとレガートで、またフォルテッシモで奏するものが一つ、速く軽くフォ
ルテッシモかピアニッシモで奏するように書かれているものが一つ存在する。第
7 番 A か ら D(譜 11、 第 7 番 A 参 照 )や 第 23、 24 番 で は 、 あ る 音 (や 和 音 )を 保 持
しながら他の声部を奏する訓練であるが、予備訓練集の中では少々難易度が高く
なっている。しかし、1 セクションの最大音域において 8 度を超えるものは、和
音の打鍵のために書かれた訓練、和音を含んだ訓練や指の伸張を伴うもので、指
の交差を必要としないことから技術的難易度はさほど高くない。
【 譜 11:
Is.フ ィ リ ッ プ 予 備 訓 練 集 第 1 番 、 第 7 番 A】
技術的訓練集に入ると、小節数も増え拍子や速度設定も 一例ごとに明確に指示
されている。チェルニーやフンメルによるものや、メンデルスゾーン、ショパン
等の作品から左手のためになる音型を取り出し列挙したもので、目的とする技術
はそれぞれ異なったものが設定されており、予備訓練集よりも幾分難易度が高く
なっている。しかし多声体のものや入り組んだ重音などはないため、弾きにくい
ものはない。この訓練集と次の練習曲集は、他の作曲家の作品によるフィリップ
の編曲作品であり、この構成は先に考察したヴィットゲンシュタインの練習曲集
204
と編曲集の構成と類似している。
【 譜 12:
Is.フ ィ リ ッ プ 技 術 的 訓 練 集 第 15 番 】
対 す る 練 習 曲 集 で は 、 全 12 曲 中 9 曲 が 練 習 曲 か ら の 編 曲 で あ り 、 内 6 曲 が シ
ョ パ ン の 練 習 曲 (作 品 10、 25)か ら 編 曲 し た も の と な っ て い る 。
【 譜 13:
Is.フ ィ リ ッ プ 練 習 曲 集 第 8 番 】
フィリップの練習曲集では、原曲における難しいパートを取り出して、その部分
を 左 手 に 置 き 換 え た だ け の も の で あ る 。例 え ば 、譜 13 は Fr.シ ョ パ ン の 練 習 曲 作
品 25-6 で あ る が 、 1 曲 を 通 し て 登 場 す る 右 手 の 重 音 (6 度 )を 取 り 出 し た も の で あ
る。難易度は易しいものから中程度のものである。
205
206
207
第4節
4 人のピアノ教則本の比較検討
こ れ ま で 、 ヴ ィ ッ ト ゲ ン シ ュ タ イ ン に 至 る H.ベ ー レ ン ス 、 F.ボ ナ ミ ー チ 、 Is.
フィリップの左手のための教則本を詳細に検討してきた。この節では、ヴィット
ゲ ン シ ュ タ イ ン の も の を 含 め て 4 人 の ピ ア ノ 教 則 本 に つ い て 比 較 し 、ヴ ィ ッ ト ゲ
ンシュタインの教則本の特徴を改めて検討したい。
ま ず 、 い づ れ も 訓 練 (Exercice)の 部 分 と 練 習 曲 (Etude・ Study)か ら な っ て い る
教 則 本 で あ る の が 特 徴 で あ る 。 中 で も 、フ ィ リ ッ プ の も の は 訓 練 集 の 部 分 が 2 部
(予 備 訓 練 集 と 技 術 的 訓 練 集 )、ボ ナ ミ ー チ に お い て は 、練 習 曲 の 部 分 が 2 部 (訓 練
的 練 習 曲 集 と 旋 律 的 練 習 曲 集 )に 分 け ら れ 、後 者 の 方 が よ り 高 度 な も の と し て 設 定
されていた。訓練集は、どの作曲家のものも自作であるが、練習曲集になると自
作のものはベーレンスとボナミーチのもので、フィリップとヴィットゲンシュタ
インのものは、他の作曲家からの編曲作品であった。このことから、ヴィットゲ
ンシュタインの教則本の内容構成は、フィリップのものと類似していることが分
かる。
記譜について、左手のみの作品はヘ音譜表、またはト音譜表で書かれているも
のは意外にも少なく、大部分は大譜表で記譜されている。ここであげた 4 人の作
品では、ベーレンスとフィリップのものがヘ音譜表またはト音譜表で、ボナミー
チとヴィットゲンシュタインのものが大譜表、または 3 段、4 段譜で書かれてい
た。1 段譜で書かれているものについては、音域の範囲や声部において、ある程
度限られるのに対し、大譜表で書かれているものについては、広音域に及ぶこと
ができ、それに伴う多声的な作品にも適用できるのが特徴である。それぞれの訓
練と練習曲の目的とする大まかな技術を順に見ていくと、いづれも訓練の部分で
は一般的に両手で奏するためのものと似た、基礎的な技術の会得を目的としてお
り 、練 習 曲 の 部 分 で 技 術 が 応 用 さ れ 、さ ら に ヴ ィ ッ ト ゲ ン シ ュ タ イ ン の 3 冊 目 に
おいては、それらの技術を総合的に取り入れた楽曲へと発展している。速度設定
や強弱記号は、訓練ではほとんど設定されていないが、練習曲以降ではほぼ全て
の曲に設定されており、強弱や表情記号、アーティキュレーションによって演奏
表現の面にも視点を向けたものとなっていることが分かる。それぞれの作品にお
ける調性も見ていくと、訓練についてはほぼハ長調で書かれて おり、フィリップ
とヴィットゲンシュタインのものについては、基本となるパターンを移調して奏
するように指示されている。一方、調性がはっきりしている練習曲において、♭
系 と ♯ 系 、調 号 な し 、と 分 け て 見 て い く と 、 (フ ィ リ ッ プ の も の 以 外 )調 号 を も つ
調性の作品が多く、とりわけ♭調が取り上げられているのが特徴であり、ハ長調
で始まるものがほとんどないことは興味深いことである。難易度において、第 3
章のヴィットゲンシュタインのもので施したものと同様に A から E の 5 段階で分
類 し 、ま と め た の が 以 下 の 表 9 で あ る 。訓 練 集 に お い て は 、 こ れ ま で 難 易 度 を 言
208
及 し て こ な か っ た が 、表 9 で は 全 体 的 な 目 安 と し て 表 記 し て い る 。こ れ に よ る と 、
ボナミーチとヴィットゲンシュタインのものが、訓練集、練習曲集ともに、高い
難易度で構成されていることが分かる。
【表9】左手のためのピアノ教則本 訓練集と練習曲集を兼ね備えた4つの作品の比較
H.ベーレンス(1826-1880)
F.ボナミーチ(1827-1905)
Training of the Left Hand op.89
(Die Pflege der linken Hand)(1872)
本のタイトル
内訳
46 Exercices
25 Studies
自作
自作
自作/編曲
記譜
目的とする
主な技術
100 exercices
et 153 passages divers
op.271
100
Exercices
(1~3 Série)
自作
・トリル
・全5指のため
・3度のスケール
・オクターヴ
・多声体のため
・素早いポジション
移動
・アルペッジョ
あり
調性
ハ長調が中心
様〄な調性
(♭系14、♯系5
調号なし6)
ハ長調が
中心
難易度
A
A~B
A~B
自作/編曲
速度
表情記号
調性
難易度
(易A~E難)
大譜表(3段譜もあり)
・広音域スケール
・二重音
・和音の打鍵
・オクターヴ
・グリッサンド
など複数の技術の
組み合わせ
あり
あり
様〄な調性
様〄な調性
(♭系14、♯系7
調号なし7)
様〄な調性
(♭系20、♯系12
調号なし2)
B~D
A~D
B~E
Is.フィリップ(1863-1958)
P.ヴィットゲンシュタイン(1887-1961)
Exercices et études techniques
pour la main gauche seule(1895)
School for the Left Hand
(Schule für die linke Hand)(1957)
Exercices
Exercices
prétechniques
paratoires
自作
記譜
目的とする
主な技術
自作
・10度内アルペッジョ
・同音連打
・装飾音
・多声体
ほぼなし
(数曲設定あり)
なし
本のタイトル
内訳
自作
大譜表
・声部の分離
・跳躍
・全5指のため
・重音
(3度、4度、6度)
・オクターブ
速度
表情記号
(易A~E難)
34 Etude
melodiques
op.273
153
passages
へ音譜表、ト音譜表
・スケール
・アルペッジョ
・重音(3度)
・半音階
・和音の打鍵
30 exercicesetudes
op.272
Etudes
Exercises
Etudes
編曲
自作
編曲
編曲
へ音譜表、ト音譜表
・スケール
・半音階
・トリル
・跳躍
・重音
(3度~6度)
・和音の打鍵
・オクターヴ
他の作曲家の曲から ・全5指のため
1つの技術を取り出し (スケール
編曲したもの
アルペッジョ)
・二重音
・全5指のため
・トリル
・半音階
・多声体のため
・アルペッジョ
・重音(3度、6度)
・オクターヴ
ほぼなし
(数曲設定あり)
ハ長調が中心
(移調の指示)
A~B
大譜表
B
なし
あり
様〄な調性
(♭系4、♯系5
調号なし3)
ハ長調が中心
(全調に移調の指示)
A~E
A~C
209
大譜表
他の作曲家の曲から
1つの技術を取り出し
編曲したもの
・全5指のため
・アルペッジョ
・オクターヴ
・重音(3度、6度)
・多声体のため
Transcriptions
編曲
大譜表
(3、4段譜もあり)
・広音域スケール
・重音
・和音の打鍵
・多声体奏法
・トリル
・広範囲の
ポジション移動
など複数の技術の
組み合わせ
あり
あり
様〄な調性
(♭系8、♯系5
調号なし1)
様〄な調性
(♭系16、♯系7
調号なし4)
A~E
A~E
さらに詳しく内容を考察してみると、ボナミーチの訓練集は、広範囲にわたる
音域を使用しているため腕の素早いポジションの移動が要求されるものの、指を
交 差 さ せ る 音 域 の 幅 (度 合 い )は 一 つ の 訓 練 内 で 一 定 で あ っ た 。 一 方 、 ヴ ィ ッ ト ゲ
ンシュタインの訓練集では、指を交差させたままの訓練、通常ではあまり用いな
い ス ケ ー ル の 指 使 い 、 指 を 交 差 さ せ た ま ま の 訓 練 、密 集 し た 音 域 で の 異 な る 3 度
のトリル、指を交差させる度合いが上行形と下行形で異なっている、など非常に
複 雑 で 高 度 で あ り 、 超 人 的 な 技 術 を 要 求 す る も の で あ っ た 。 次 に 続 く グ ラ フ (表
10)で は 、そ れ ぞ れ の 練 習 曲 集 で 一 曲 ご と に 使 用 さ れ て い る 音 域 に つ い て 鍵 盤 の 範
囲をなぞったものである。
【 表 10】 4 人 の 練 習 曲 集 (と 編 曲 集 )に お け る 使 用 音 域
音域
~H2 C1
~
H1
C
~
H
c
~
h c1
~
h1 c 2
~
h2
c3
~
h3
c4
~
c5
~H2 C1
~
H1
C
~
H
c
~
h c1
~
h1 c 2
~
h2
c3
~
h3
c4
~
c5
H.ベーレンス
練習曲
F.ボナミーチ
訓練的練習曲集
op.272
F.ボナミーチ
旋律的練習曲集
op.273
Is.フィリップ
練習曲集
P.ヴィットゲン
シュタイン
練習曲集
P.ヴィットゲン
シュタイン
編曲集
210
このグラフによって、以下の音域においての使用度合いが明らかとなった。
H2以下(曲数) (%) H1以下(曲数) (%) c3 以上(曲数) (%) c4以上(曲数) (%) 総曲数
H.ベーレンス
練習曲集
F.ボナミーチ
op.272
F.ボナミーチ
op.273
0
0
10
40
0
0
0
0
25
0
0
21
70
20
66.7
5
17
30
0
0
31
91
26
76.5
15
44
34
Is.フィリップ
練習曲集
P.ヴィットゲンシュタイン
第2巻 練習曲集
P.ヴィットゲンシュタイン
第3巻 編曲集
0
0
9
75
6
50
0
0
12
2
10
11
55
15
75
8
40
20
12
44
24
89
18
67
5
19
27
こ う し て 見 て み る と 、ベ ー レ ン ス (紺 色 )と フ ィ リ ッ プ (黄 色 )の も の は 比 較 的 使 用
音 域 が 左 手 側 (低 音 側 )に 偏 っ て い る の に 対 し 、 ボ ナ ミ ー チ と ヴ ィ ッ ト ゲ ン シ ュ タ
インのものは非常に使用音域が広い。いわば、左手奏法において、よりポジショ
ン移動が必要となるため難易度が高くなることが分かる。また、各音域に含まれ
る鍵盤の数においても 1 曲ずつ同様に表すと以下の通りである。
【 表 11】 4 人 の 練 習 曲 集 (編 曲 集 )に お け る 鍵 盤 数
鍵盤数
作品
1~10
11~20
21~30
31~40
41~50
51~60
61~70
71~80
81~88
1~10
11~20
21~30
31~40
41~50
51~60
61~70
71~80
81~88
H.ベーレンス
練習曲集
(全25曲)
F.ボナミーチ
訓練的練習曲集
op.272
(全30曲)
F.ボナミーチ
旋律的練習曲集
op.273
(全34曲)
Is.フィリップ
練習曲集
(全12曲)
P.ヴィットゲン
シュタイン
練習曲集
(全20曲)
P.ヴィットゲン
シュタイン
編曲集
(全27曲)
211
こ の よ う に 見 て み る と 、ベ ー レ ン ス の も の が 平 均 し て も 一 番 移 動 範 囲 が 少 な い 。
次 い で フ ィ リ ッ プ の 大 多 数 は 60 鍵 盤 以 下 で 、 ボ ナ ミ ー チ の も の と ヴ ィ ッ ト ゲ ン
シュタインのものが非常に広範囲にわたる鍵盤を使用し、その鍵盤の間を左手が
移動しているかが分かる。とりわけ、ヴィットゲンシュタインの練習曲集、編曲
集は、鍵盤の端から端までを使用する一方で、非常に少ないものもある。それら
の使用音域は通常右手が自然に置かれる位置のものであり、いかに左手のみで右
手 の 音 域 を 網 羅 し よ う と 挑 戦 し て い た か が 分 か る 結 果 と な っ た 。表 12 は 、4 人 の
練 習 曲 集 (編 曲 集 )に お け る 鍵 盤 数 の 平 均 と 、 使 用 音 域 を ま と め た も の で あ る 。
【 表 12】 4 人 の 練 習 曲 集 (編 曲 集 )に お け る 鍵 盤 数 (平 均 )と 使 用 音 域
こ れ ま で の 表 か ら 、ボ ナ ミ ー チ の op.272 よ り も ヴ ィ ッ ト ゲ ン シ ュ タ イ ン の 第 2
巻 の 方 が 鍵 盤 数 の 割 合 が 多 く 、 同 様 に ボ ナ ミ ー チ の op.273 よ り ヴ ィ ッ ト ゲ ン シ
ュ タ イ ン の 第 3 巻 の 方 が 鍵 盤 数 の 割 合 が 多 い こ と が 分 か っ た 。こ の 数 値 か ら も 明
らかなように、ヴィットゲンシュタインのものが一番多く鍵盤を用いており、使
用音域が広いため、より多くのポジション移動を必要とすることは明確である。
このように並べてみてみると、ヴィットゲンシュタインの練習曲集、編曲集に
お い て は 、他 の 3 人 に 比 べ て 右 手 側 の 音 域 を 使 用 す る 楽 曲 を 用 い て お り 、そ れ ら
の音域からかなり離れた低音を付加することによって、広音域にわたる鍵盤を使
用する楽曲へと編曲していた。また、ヴィットゲンシュタインの教則本において
は 、全 3 冊 を 通 し て 順 に 難 易 度 が 上 が る も の で は な く 、そ れ ぞ れ で 非 常 に 易 し い
ものからかなり高度なものまで存在していることが分かる。特に彼の訓練集にお
いては、彼が異常なまでの執念を持って左手の技術向上と、研究に取り組んだこ
とが垣間見られるのである。
212
結論
本論文は、ヴィットゲンシュタインに至るまでの左手ためのピアノ作品の歴史から始め、
次いで彼の生涯と、彼によって委嘱されたり、彼に献呈された左手のための作品について
概観し、さらに彼の唯一の著書である教則本について詳細に検討したうえで、その他の左
手のための教則本との比較検討を行った。最後にこれまでの考察をまとめてみたい。
第 1 章では、左手のための作品がどのようにして生まれ、発展を遂げてきたかを明らか
にした。まず、初めの左手(のみのための)作品は、1820 年にドイツ人作曲家 L.ベルガーに
よって書かれた練習曲であった。その半世紀前に、C.P.E.バッハによる片手のための作品が
生まれているが、単旋律で非常に短い曲であるのに比べ、ベルガーのものは多声的な練習
曲であった。その後ドイツの著名なピアノ教育者によって左手のための小品集である《練
習曲集》
、左手を鍛錬するための《訓練集》が書かれるようになった。
また、1840~50 年頃に、左手だけの演奏会を催してヨーロッパで輝かしい成功を収めた
2 人の名手がいた。チェコの A.ドライショクと、イタリアの A.フマガッリは、自身の演奏
会のために当時人気であったオペラ作品を左手用に編曲したり、左手がめまぐるしく動く
作品を書き、披露した。その半世紀後には、ハンガリー生まれの B.バルトークや、ポーラ
ンド生まれの L.ゴドフスキーなど高い技術をもつ若いピアニストが、自身のデビューリサ
イタルで左手のための作品を披露している。彼らの左手作品着手のきっかけは、左手のみ
による妙技の露呈によって、ピアニストとしての名声を得るためであった。
一方、ピアニストにおいては過度の練習や神経の悪化など、右手を利き手とする多くの
者が支障をきたすことが多く、そのような事例が左手作品の生まれる契機となった。左手
のピアニストの第一人者である G.ジチの猟銃事故をはじめ、ヴィットゲンシュタインなど
多くのピアニストが大戦により負傷し、右手を失くした。とりわけ、ヴィットゲンシュタ
インは自身の財力をもって、左手作品を数多く委嘱しており、彼の活動はやがて左手作品
普及のきっかけとなるもので、特筆に値するものであった。
第 2 章では、ヴィットゲンシュタインの生涯と音楽活動に焦点をあて、生涯年表を作成
した。また、彼の作品について簡潔に触れ、そして委嘱作品と献呈作品について変遷を追
い、まとめた。ウィーン上流階級の一家、ヴィットゲンシュタイン家の 4 男として生まれ
たパウルは、幼尐期から一流芸術家との交流があり、自身もコンサートピアニストになる
夢を頑なに持っていた。非常に神経質で短期な性格なうえ、当時の彼の演奏は大雑把で偏
執狂的であり、家族は良く思っていなかった。Th.レシェティツキと、J.ラーボルに師事し、
世間の流れに翻弄されながらも 26 歳でソロ・デビューを果たした。一方、彼の愛国心は強
く、大金を自国に寄付し、自らは志願兵として敵地に赴いた。そんな彼の運命を一変させ
たのが、1914 年ガリツィア戦線での右腕の被弾である。片腕となり肉体的、精神的苦痛を
受けながらも、捕虜期間中には左手のピアニストとして再出発する決意を固めた。そして、
捕虜交換で数年ぶりに帰国したヴィットゲンシュタインは、J.ラーボルによって書かれた左
手のための小協奏曲作品と共に、左手のピアニストとして再デビューを果たしたのである。
213
しかし、ピアニストとして演奏するための演目があまりに尐ない現実を目の当たりにした
彼は、有名な作曲家に作品を依頼し、自身がその作品の唯一の奏者となることによって、
あらゆる場所で演奏会を催すことを考案した。多額の財力を投じて実になったこの活動は、
当初彼の想像通りの成功を収め、ヨーロッパ中で演奏した。しかし、頑固で気難しい彼の
性格は、時に対人関係、特に作曲家とのやりとりなどにおいて妨げとなったほか、ピアニ
ストとしての評価においても、時として芳しくないものが多々あり、それらが彼の死後の
評価を下げた要因と言えるだろう。ただし、その音楽に対する彼の不屈の精神と情熱無く
しては、今日の左手作品の発展、とりわけ左手のピアノとのアンサンブル作品の発展は見
られなかったかもしれない。
第 3 章では、ヴィットゲンシュタイン唯一の著書《左手のためのピアノ教則本》全 3 冊
について、詳細に検討した。第 1 巻(訓練集)、第 2 巻(練習曲集)、第 3 巻(編曲集)に分かれ
た教則本はたぐい稀なもので、それらについて詳しく考察する必要があった。第 1 巻では
100 通りを超える技術課題があり、ハ音を中心にして発展していく伝統的な教則本の在り方
だが、冒頭から課される指の伸縮や跳躍、使用音域の広さ、特殊な指使いや通常用いられ
ない指の交差、そして大部分の訓練を全調に移調するよう指示している点など、これまで
出版されてきた他の訓練集の何倍も難しい指の技術が求められるものであった。かなり超
人的なものであり、もし実際に実行されれば相当の左手の技術を会得できるであろう。
練習曲集、編曲集においては、J.S.バッハ(5 曲)、W.A.モーツァルト(1 曲)、J.ハイドン(3
曲)、L.v.ベートーヴェン(4 曲)、F.メンデルスゾーン(5 曲)などから G.プッチーニ(1 曲)や、
R.ワーグナー(1 曲) に至るまで、他の作曲家による作品から左手奏法への実践が提示されて
おり、それらはピアノ曲が大半を占めていたものの、管弦楽曲、弦楽室内楽やオペラ作品
も含まれている。練習曲集では原曲の音を基に、ある特定の技術を得る目的で書かれてい
たが、演奏会用の曲としては成り立っておらず、あくまで訓練的な要素を持ったものであ
る。従って、第 2 巻は第 1 巻の延長線上に位置づけられ、第 3 巻の予備訓練に該当してい
るものとして、繋がるものであった。ゆっくりとした曲から速い曲まで取り上げられてい
るが、曲の一部を取り上げたものがほとんどで、その断片的な練習曲はまさに訓練集の延
長として位置づけられているものであった。また、編曲集に見られた彼の編曲技法の特徴
として、低音(特に H2 以下)が多く付加されていること、旋律声部が原曲に忠実に残されて
いる編曲であった点が挙げられ、同一作品による他人の編曲法と比べると、それほど独自
性は見い出せない。ゆるやかな曲を選び、かつ原曲の規範に忠実である彼の編曲法は、左
手のピアニストとして名声を得るために自身の技量を発揮するには、小品ばかりで全体的
に曲としての面白みに欠け、物足らないものだといえるだろう。編曲集のそれぞれの作品
に書き込まれた速度表記や細かい強弱、指使い、フレージングやアクセント、アゴーギク
やペダルにおける指示は、ヴィットゲンシュタインが左手のピアニストとして、当時どの
ように演奏したかという記録であり、彼の左手のピアノ奏法に対する研究の賜物であると
いえよう。ただし、自身による訂正をはじめ、ペダルや音価の曖昧さ、教則本としての音
や記号のミスは多く、完全版が生み出されなかったことは残念である。
第 4 章では、ヴィットゲンシュタインに至るまでに出版された、訓練集と練習曲が対に
214
なっている 3 人の教則本についてそれぞれ内容を考察し、最後にヴィットゲンシュタイン
のものと比較した。まず訓練集において、いづれも自作のものであり、ハ長調、またはハ
音から発展していく訓練が大多数を占めていた。1 セクション内の最大音域と腕のポジショ
ン移動、指の交差の有無においても考察した結果、H.ベーレンスの訓練集、Is.フィリップ
の訓練集は比較的易しく、数も尐ないのに対し、F.ボナミーチの作品 271(訓練集)とヴィッ
トゲンシュタインの訓練集は数や種類が膨大で、かつ多声的な訓練も要求していたため難
易度が高いと判断した。さらに、ボナミーチの訓練集は広範囲にわたる訓練を課している
ものの、指を交差する度合いや、腕のポジション移動は一つの訓練内では一定の距離で収
まっており短い断片的な訓練であったのに対し、ヴィットゲンシュタインの訓練集は、指
を交差させたままの訓練や、指を交差させる度合いを毎回変化させたもの、さらに密集し
た音価の異なる 3 度のトリルなど、技術的難易度の高い訓練だということが明らかであっ
た。
また、練習曲集においてはこれまでの比較対象に加え、使用音域についても取り上げた。
ベーレンスとボナミーチの練習曲集は自作、フィリップとヴィットゲンシュタインの練習
曲集(と編曲集)は他の作曲家による作品から編曲されたものであるが、その使用音域につい
て平均をグラフにして表したところ、総合的にベーレンスの練習曲が一番狭く、次にフィ
リップの練習曲、その次にボナミーチとヴィットゲンシュタインが高音域においてはほぼ
同じくらいであったが、低音域で H2 以下も使用している点で、ヴィットゲンシュタインの
方がより広い音域を使用しており、指や腕のポジションを素早く移動する技術も求められ
る楽曲を多く含んでいたことが明らかとなった。
祖国のために戦傷を負い、やがてユダヤ人として祖国を追われることになったヴィット
ゲンシュタインは、その人生の大半を左手作品の発展に充てた。その並々ならぬ精神力と
努力によって身に付けた左手の技術(特に教則本の第 1 巻)は、日々の練習として取り入れる
にはあまりに技術的難易度が高く超人的なものであり、特筆すべきものであった。他方、
第 2 巻(練習曲集)と第 3 巻(編曲集)は、第 1 巻で取り上げられた技術を適用したものもある
が、実際に演奏してみると、とりわけ第 2 巻では演奏会用の楽曲として成り立っていなか
ったり、第 3 巻では小品ばかりで全体的に曲としての面白みにかける点は否めない。彼自
身、作曲家としての技量の限界を感じていたであろうし、また演奏家としての技量を披露
したい気持ちもあっただろう。それらが契機となり、自分が尊敬する作曲家のみならず自
分と好みが違う作曲家にまで積極的に声をかけ、莫大な財力を持って左手のためのピアノ
作品が普及し、新たなジャンルとして発展することとなったのである。このように考えて
みると、ヴィットゲンシュタインは今日に繋がる左手のためのピアノ作品の普及に大きく
貢献した音楽家である、といえるのではないだろうか。
215
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(2012 年 3 月 20 日)
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――――. Flute Sonaten E flat major BVW1031. Leipzig: Breitkopf&Härtel, c1860.
pp.26-27.
Beethoven, Ludwig van. Sonate für Pianoforte und Violin no.9 (Kreutzer)op. 47.
Leipzig: Breitkopf & Härtel,. n.d. 44p.
――――. Ouverturen“Coriolan”für Orchester, op.62 Leipzig: Breitkopf & Härtel,
n.d. 28p.
――――. 32 Variationen über ein eigenes Thema. WoO.80. In Variationen für
Klavier. BandⅡ. München: G.Henle Verlag, 1961. pp. 181-196.
――――. Klaviersonate no.3, op. 2. In Klaviersonaten. BandⅡ.München: G.Henle
Verlag. c1952. pp. 54-58.
Berens, Hermann. The Training of the Left Hand: 46 Exercises and 25 Studies.
op.89, New York: G.Schirmer, c1939. 31p.
Bonamici, Ferdinando. 100 exercices et 153 passages divers pour la main gauche
seule. op.271, Paris: Ricordi édition, n.d. 75p.
――――.30 exercices-etudes pour la main gauche seule. op.272, Paris: Ricordi
édition, n.d. 54p.
――――. 34 etudes melodiques pour la main gauche seule. op.273, Paris: Ricordi
édition, c1915. 72p.
Brahms, Johannes. Fünf Studien für Klavier. Leipzig: Breitkopf & Härtel, 1926-27.
pp. 6-19(no.2), pp. 28-41(no.5).
――――.
51 Übungen für das Pianoforte. Berlin: N. Simrock, 1893. 2 Bände.
27p[No.1~No.25], 27p[No.26~No.51].
Chopin, Frédéric François. Etudes Edited by J.Paderewski. Cracow: Polish Music
Publications, 1983. pp. 9 -64(op. 10), pp. 65 -.125(op. 25).
Czerny, Carl. Two Left Hand Studies and Terzen-Etude for the Piano Forte op.735.
W.Bessel & Co., 1846. 53p.
Dreyschock, Alexander. Grande variation sur l’air “God save the Queen”pour la
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Fumagalli, Adolfo. Grand fantasie sur Robert le diable de Meyerbeer op.106. Milan:
J. Ricordi, n.d. 1856. 23p.
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5Bände. 76p[BandⅠ], 76p[BandⅡ], 76p[BandⅢ], 70p[BandⅣ], 63p[BandⅤ].
Greulich, Carl Wilhelm. Six exercices pour pianoforte afin de perfectionner la main
gauch op.19. Leipzig : C. F. Peters, n.d. 23p.
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Haydn, Joseph. Quartet Hob.Ⅲ: 77(op. 76-3). London: Ernst Eulenburg & Co GmbH
and Eulenburg Ltd, c.1984. 32p.
――――. Quartet Hob.Ⅲ: 67(op.64-5). London: Ernst Eulenburg Ltd, n.d. 22p.
Lewenthal, Raymond. Piano Music for One Hand. New York: G.Schirmer, 1972.
128p.
Mendelssohn, Felix. Notturno. In Ein Sommer Nacht Straum op. 61-7. London:
Eulenburg Ltd, c1974. pp. 48-57.
――――.
String Octet op.20. Leipzig: Breitkopf & Härtel, 1874. 48p.
Mozart, Wolfgang Amadeus. Klaviersonate no.15, K. 545. München: G.Henle Verlag.
1977. pp.266-275.
――――. Serenade no. 11, K.375. London: Eulenburg Ltd, n.d. 48p.
Philipp, Isidor. Exercises et études techniques pour la main gauche seule. Paris:
Durand editeurs, c1895. 41p.
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Durand S.A, 1931. 98p.
Reinecke, Carl. Eine Klaviersonate fur die linke Hand op.189. Leipzig : C.F.Peters,
n.d. 21p.
Saint-Saëns, Camille. 6 Études pour la main gauche seule op.135. Paris: Durand &
Cie., 1912. 31p.
Wagner, Richard. Quintet. In Die Meistersinger von Nürnberg. Akt3. Mainz: B.
Schott's Söhne, n.d. 823p.
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――――. School for the Left Hand:Ⅱ. Etudes. London: Universal Edition. c1957.
56p.
――――. School for the Left Hand:Ⅲ. Transcriptions. London: Universal Edition.
c1957. 85p.
Zichy, Geza, 6 Etudes pour la main gauche seule. Paris: Heugel, n.d. 41p.
――――.
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pour la main gauche seule. Leipzig: Fr. Kistner, n.d. 19p
219
【参考資料】
リサイタル記録
博士後期課程 1 年次研究コンサート
レクチャーリサイタル
~両手のピアノ作品における左手奏法の歴史を辿る~
日 時 : 2010 年 7 月 23 日 (金 )
場所:エリザベト音楽大学
16 時 開 演
ザビエルホール
プログラム:
ノ ク タ ー ン 16 番
作 品 55 の 2
2 Nocturnes op.55 no.2
F.シ ョ パ ン
変ホ長調
Es dur
F.Chopin(1810-1849)
巡礼の年報第 1 年 スイス 第 6 曲「オーベルマンの谷」
Années de PèlerinageⅠ 6.“Vallée d’Obermann”
ウェーバーによるロンド
F.Liszt(1811-1886)
J.ブ ラ ー ム ス
ハ長調
Rondo nach C.M.von Weber
F.リ ス ト
C dur
J.Brahms(1833-1897)
J.コ リ リ ア ー ノ
エチュード・ファンタジー
Etude Fantasy
J.Corigliano(1938-)
博士後期課程 2 年次研究コンサート
レクチャーリサイタル
~左手のためのピアノ作品の歴史~
日 時 : 2011 年 7 月 22 日 (金 )
場所:エリザベト音楽大学
16 時 開 演
ザビエルホール
プログラム:
12 の 練 習 曲
作 品 12 よ り
第9曲
L.ベ ル ガ ー
Twelve Etudes op.12 no.9
L.Berger(1777-1839)
3 つ の 大 練 習 曲 作 品 76 よ り 第 1 曲 「幻 想 曲 」 変 イ 長 調
C.V.ア ル カ ン
Three Grand Etudes op.76 no.1 “Fantasy in A flat” (for the Left Hand)
Charles-Valentin Alkan(1813-1888)
ソ ナ タ (左 手 の た め の )
作 品 179
C.ラ イ ネ ッ ケ
ハ短調
Sonate für linke Hand allein op.179 in C minor
バッハ=ブラームスによるシャコンヌ
Chaconne arranged from Bach -Brahms
220
Carl Reinecke(1824-1910)
P.ヴ ィ ッ ト ゲ ン シ ュ タ イ ン
Paul Wittgenstein(1887-1961)
博士後期課程修了リサイタル
~パウル・ヴィットゲンシュタインと彼にまつわる作品~
日 時 : 2015 年 2 月 17 日 (火 )
場所:エリザベト音楽大学
15 時 15 分 開 演
セシリアホール
プログラム:
P.ヴ ィ ッ ト ゲ ン シ ュ タ イ ン
ヴァーグナー=リストによるイゾルデの愛の死
Isolde’s Love Death arranged from Tristan by Wagner-Liszt
Paul Wittgenstein(1887-1961)
左 手 の た め の ピ ア ノ 協 奏 曲 (2 台 ピ ア ノ 編 )
Concerto pour la main gauche
M. ラ ヴ ェ ル
Maurice Ravel(1875-1937)
第 2 ピアノ
北林 聖子
左手のピアノ、2 つのヴァイオリン、ヴィオラ、チェロのための五重奏曲
Fr. シ ュ ミ ッ ト
Quintett in G-dur für Klavier linke Hand, zwei Violinen, Viola und Violoncello
Franz Schmidt(1874-1939)
第 1 ヴァイオリン
山根 啓太郎
第 2 ヴァイオリン
福原 理奈
ヴィオラ
竹馬 洋美
チェロ
熊澤 雅樹
221
謝辞
本 論 文 の 作 成 に あ た り 、実 に 多 く の 方 か ら 並 々 な ら ぬ 御 指 導 、御 厚 意 を 頂 い た 。
論文指導教官である片桐功教授には、文献の収集方法から研究、執筆法に至る
まで、長年にわたり懇切丁寧な御指導をいただいた。ここに心より深く感謝申し
上げたい。また、ピアノ演奏研究、作品解釈、演奏表現の細部に至るまで、筆者
の大学入学以前より熱心に御指導下さった柴田美穂教授に、ここに改めて感謝の
意を表したい。
以上のお二方をはじめ、筆者の修了リサイタルにおいて、非常に多彩な音色を
必 要 と す る M.ラ ヴ ェ ル の オ ー ケ ス ト ラ パ ー ト を 第 2 ピ ア ノ で 見 事 に 演 奏 し て 下
さ っ た 北 林 聖 子 氏 、Fr.シ ュ ミ ッ ト の 難 解 で 高 い 技 術 を 必 要 と す る 五 重 奏 曲 に 取 り
組むにあたり、真摯に、かつ豊かな音楽性と解釈をもって熱心に取り組んでくだ
さった、ヴァイオリンの山根啓太郎氏、福原理奈氏、ヴィオラの竹馬洋美氏、チ
ェロの熊澤雅樹氏の素晴らしい共演者の方々に感謝申し上げると同時に、支えて
下さる多くの方々の御協力と激励なくして、本論文の作成及び完成には至らなか
った。筆者を温かく見守って下さった皆様、そして家族に心から深く感謝と御礼
を申し上げたい。
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