歴代大管長の教え-ジョセフ・フィールディング・スミス

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ジョセフ・フィールディング・スミス
歴代大管長の教え
歴代大管長の教え
ジョセフ・フィールディング・スミス
歴代大管長の教え
ジョセフ・フィールディング・スミス
発行
末日聖徒イエス・キリスト教会
ユタ州ソルトレーク・シティー
『歴代大管長の教え 』シリーズの書籍
『歴代大管長の教え ― ジョセフ・スミス』
(アイテム番号 36481 300 )
( 35554 300 )
『歴代大管長の教え ―ブリガム・ヤング』
( 35969 300 )
『歴代大管長の教え ― ジョン・テーラー』
( 36315 300 )
『歴代大管長の教え ― ウィルフォード・ウッドラフ』
( 36787 300 )
『歴代大管長の教え ―ロレンゾ・スノー』
( 35744 300 )
『歴代大管長の教え ― ジョセフ・F・スミス』
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『歴代大管長の教え ―ヒーバー・J・グラント』
( 36786 300 )
『歴代大管長の教え ― ジョージ・アルバート・スミス』
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『歴代大管長の教え ― デビッド・O・マッケイ』
( 36907 300 )
『歴代大管長の教え ― ジョセフ・フィールディング・スミス』
( 35892 300 )
『歴代大管長の教え ― ハロルド・B・リー』
( 36500 300 )
『歴代大管長の教え ―スペンサー・W・キンボール』
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© 2013 Intellectual Reserve, Inc.
All rights reserved.
印刷:日本
英語版承認:2003年8月
翻訳承認:2003年8月
原題:Teachings of Presidents of the Church: Joseph Fielding Smith
Japanese
36907 300
目次
序
. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . v
経歴のまとめ . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . ix
ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯と教導の業. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 1
1 天の御父. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 30
2 わたしたちの救い主イエス・キリスト. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 43
3 救いの計画. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 53
4 家族を強め,守る . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 65
5 信仰と悔い改め. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 75
せいさん
6 聖餐の大切さ. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 87
7 ジョセフとハイラム・スミス ― キリストの証人 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 95
8 教会と神の王国. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 107
9 モルモン書の証人. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 117
10 真理の探究. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 127
かぎ
11 ジョセフ・スミスによって回復された神権の鍵を尊ぶ. . . . . . . . . . . . . . . . 139
12 神権の誓詞と聖約. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 147
13 バプテスマ . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 157
たまもの
14 聖霊の賜物. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 167
15 永遠の結婚. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 177
16 子供たちを光と真理の中で育てる. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 187
17 結び固めの力と神殿の祝福. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 199
ことば
18 神の口から出る一つ一つの言で生きる . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 211
19 世にあって世のものではない. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 221
20 御父のすべての子供たちに対する愛と関心. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 231
21 福音を世に宣言する. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 241
22 祈り ― 戒めと祝福 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 253
23 個人の責任. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 263
24 末日聖徒の女性の業 ―「この栄光ある大義に対する無私の献身」. . . . 273
25 イエス・キリストの降誕 ―「大きな喜びを,あなたがたに伝える」. . . . 285
26 主の来臨に備える. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 293
絵画・写真リスト. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 305
索引 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 307
序
大管長会ならびに十二使徒定員会は,教会員が天の御父にさらに近づけるよ
うに,またイエス・キリストの回復された福音への理解を深めるように,
『歴代
大管長の教え 』シリーズを作成した。本シリーズに新たな書籍が追加されるに
つれ,家庭で活用するための福音の参考図書のコレクションが増えるであろう。
本シリーズの書籍は,個人学習と日曜日のレッスンの両方における使用を目的と
して作成されている。また,そのほかのレッスンや話を準備する際,および教会
の教義についての質問に答える際にも役立てることができる。
本書では,1970 年 1 月 23 日から 1972 年 7 月 2 日まで末日聖徒イエス・キ
リスト教会の大管長を務めたジョセフ・フィールディング・スミス大管長の教え
を採り上げている。
個人学習
ジョセフ・フィールディング・スミス大管長の教えを研究するとき,よく祈って
み たま
御 霊 の導きを求めるようにする。各章の最後に載っている質問は,スミス大管
長の教えを理解し,生活に応用する助けとなるであろう。これらの教えを研究
しながら,それを家族や友人と分かち合う方法について考えるとよい。そうす
ることで,読んだ事柄についての理解が深まるであろう。
本書から教える
本書は家庭と教会で使用するために作成されたものである。大祭司グルー
プ,長老定員会,扶助協会で,通常は毎月 2 回の日曜日のレッスンを本書から
教える。ただし,章の数は 12 か月で教えられる数より多いため,ワードおよび
ステーク指導者は,地元の会員の必要を最も良く満たす章を選ぶとよい。
本書から教える際に,以下の指針が役立つであろう。
教える準備をする
教える準備をするときに聖霊の導きを求める。該当する章をよく祈って研究
し,スミス大管長の教えを理解できたという確信を持てるようにする。教師自
v
序
身がスミス大管長の言葉から影響を受けるとき,よりいっそう心から力強く教え
られるようになるであろう(教義と聖約 11:21 参照)。
メルキゼデク神権や扶助協会のレッスンを教える場合,本書を無視したり,
別の資料からレッスンを準備したりするべきではない。該当する章から,自分
が教える人々にとって最も役立つと感じる教えを,よく祈って選ぶ。章によって
はクラスの時間内に十分話し合えない量の内容が含まれている。
参加者には,レッスンの前に該当する章を研究しておくように,また本書を
持って来るように勧める。そうするときに,話し合いに参加して互いに教化し合
う準備がさらによくできるであろう。
教える準備をする際には,各章の最後にある「研究とレッスンのための提案」
に特に注意を払う。この項には,質問,関連聖句,教える際のヒントが書かれ
ている。質問と関連聖句は,各章の内容と具体的な関連がある。教える際の
ヒントは,ほかの人々が福音を学び,福音に従って生活することに喜びを見いだ
せるよう教師が働きかける際の指針となる。
レッスンの導入を行う
み たま
該当する章についての導入を行うとき,またレッスン全体を通じて,御 霊 が参
加者の心と思いに触れることのできる雰囲気を作るように努める。レッスンを
始める際に,参加者がその章で採り上げられている教えに注意を向けるように
助ける。以下の方法を検討するとよい。
•章の冒頭にある「ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯から」の項を読
み,話し合う。
•章に掲載されている写真や絵,引用されている聖句について話し合う。
•関連のある賛美歌を歌う。
•テーマに関する個人的な経験を簡潔に述べる。
スミス大管長の教えについての話し合いを進める
本書から教えるときには,自分の考えを述べ,質問をし,互いに教え合うよう
に人々に勧める。人は積極的に参加するとき,学び,個人的な啓示を受ける備
えがさらによくできるようになる。すべての教えを網羅しようとせずに,有意義
な話し合いを続けさせる。話し合いを促すために,章の最後にある質問を活用
する。また,レッスンを受ける人々のために特別に教師自身で質問を用意して
もよい。
ほかにも以下のような方法が考えられる。
•参加者に,その章について個人学習で学んだことを発表してもらう。その週
に数人の参加者に連絡を取り,学んだことを発表する準備をしておくように
vi
序
依頼するとよいであろう。
•章の最後にある質問を幾つか選び,それを読むように参加者に割り当てる
(個人または小さなグループで行わせる)。質問に関連のある教えを章の中
から探すように言う。その後,自分の考えや理解したことをグループの人た
ちに話すように勧める。
•章の中から選んだスミス大管長の言葉を一緒に読む。参加者に,スミス大
管長が教えていることを示している例を,聖文や自分自身の経験から話して
もらう。
•参加者に,一つの項を選んで黙読するように言う。同じ項を選んだ人同士で
2 ,3 人のグループを作り,学んだことを話し合うように勧める。
分かち合いと応用を促す
スミス大管長の教えが最も大きな意味を持つのは,参加者がそれをほかの
人々に分かち合い,また自分の生活に応用するときである。以下の方法を検討
するとよい。
•家庭や教会で責任を果たす際に,スミス大管長の教えをどのように応用でき
るか参加者に尋ねる。例えば,夫や妻,親,息子や娘,ホームティーチャー
や訪問教師として大管長の教えをどのように応用できるかについて深く考え,
話し合うよう助けるとよい。
•スミス大管長の教えの幾つかを家族や友人に分かち合うように,参加者に勧
める。
•学んだことを応用し,その経験について次回のクラスの冒頭で話すように,参
加者に勧める。
話し合いを終える
教師がレッスンを簡単に要約するか,または一人か二人の参加者に要約して
あかし
もらう。話し合ってきた教えについて証 する。また,証を述べるようにほかの
人に勧めてもよい。
本書で引用されている資料に関する情報
本書に収められている教えは,ジョセフ・フィールディング・スミス大管長の
説教,記事,著書,手紙,日記から直接引用したものである。出版物からの引
用文は,読みやすくするために編集上または印刷上必要な変更が加えられてい
る場合を除いて,原文で使われている句読点,語のつづり,大文字の使用,段
落分けをそのまま使用している。このため,読者は本文に多少統一を欠く点が
vii
序
あることに気づくかもしれない。例えば,
“gospel ”という語は大文字で始まっ
ている場合とそうでない場合とがある。
“man ”,
また,スミス大 管長は度々,男性と女 性の両方に対して“men ”,
“mankind ”などの用語を使用している。また男女両方を指す代名詞として頻
“ his ”,
“ him ”を使用している。これは当時の言葉遣いにおいて
繁に“ he ”,
一般的なことであった。当時の言語慣習と現在の用法には相違があるものの,
スミス大管長の教えは女性と男性の両方に当てはまるものである。
viii
経歴のまとめ
以下の年表は,本書で紹介されているジョセフ・フィールディング・スミス大
管長の教えの歴史的な背景を簡単に紹介するものである。
1876 年7月 19 日
ユタ州ソルトレーク・シティーで,ジュリナ・ラ
ムソン・スミスとジョセフ・F・スミスのもとに
誕生する。
1884 年 7 月 19 日
父親からバプテスマと確認の儀式を受ける。
父親から初めて個人用のモルモン書を受け取
る。
1893 年 4 月 6 日
ソルトレーク神殿の奉献式に出席する。
1896 年
メルキゼデク神権および神殿のエンダウメント
を受ける。
1898 年 4 月 26 日
ルーイ・エミリー・シャートリフとソルトレーク
神殿で結婚する。
1899 年 5 月- 1901 年 7 月
専任宣教師としてイングランドで伝道する。
1901 - 1910 年
神権定員会会長,青年男子相互発達協会中央
管理会会員,高等評議員,教会を擁護する資
料を作成する教会中央委員会委員など,教会
で多くの召しを果たす。
1901 年 10 月
1902 年
教会歴史家事務局で勤務に就く。
『マサチューセッツ州トプスフィールドのアサエ
ル・スミス,スミス一 家の話』
( Asael Smith
of Topsfield, Massachusetts, with Some
Account of the Smith Family )と題する家
族 歴史に関する小冊子を出版する。著書 25
冊をはじめ,教会機関誌や定期刊行物に掲載
された多数の記事があるが,その中でこれは
最初の刊行物である。
ix
経歴のまとめ
1906 年 4 月 8 日
教 会 歴史 家 補 佐として 総 大 会 で 支 持され,
1921 年 3 月まで同職に就く。
1908 年 3 月 30 日
ルーイ・シャートリフ・スミスが 3 回目の妊娠
に関連した重病により死去する。
1908 年 11 月 2 日
エセル・ジョージーナ・レイノルズとソルトレー
ク神殿で結婚する。
1910 年 4 月 7 日
父親により使徒に聖任される。
1918 年 10 月
当時,教会の大管長であった父親により口述さ
あがな
れた死者の贖 いに関する啓示を記録する。こ
の記録は現在,教義と聖約第 138 章に収めら
れている。
1919 年 1 月 6 日
ソルトレ ーク神 殿 会 長 会 顧 問に任 命 され,
1935 年まで同職に就く。
1921 年 3 月 17 日
教会歴史家に指名され,1970 年まで同職に就
く。
1934 年
ユタ州系図協会会長に指名され,1961 年まで
同職に就く。
1937 年 8 月 26 日
エセル・レイノルズ・スミスが 4 年間の闘病生
活の後,死去する。
1938 年 4 月 12 日
ジェシー・エラ・エバンズとソルトレーク神殿
で結婚する。
1939 年 5 月- 11 月
イングランド,スコットランド,オランダ,ベル
ギー,フランス,スイス,イタリア,スウェーデ
ン,ノルウェー,デンマーク,チェコスロバキア,
オーストリア,ドイツを訪問し,ジェシーととも
にヨーロッパで特別な割り当てを果たす。第
ぼっ ぱつ
二次世界大戦が勃 発 した後,アメリカ人宣教
師全員のヨーロッパからの撤退を指揮する。
1945 年 6 月 8 日
ソルトレーク神殿会長に召され,1949 年まで
同職に就く。
1950 年 10 月 6 日
十二使徒定員会会長代理に任命される。
1951 年 4 月 9 日
十二使徒定員会会長として支持される。
x
経歴のまとめ
1955 年 7 月- 8 月
ジェシーとともにアジアで特別な割り当てを果
の
たす。福音を宣 べ伝えるためにグアム,韓国,
沖縄,フィリピンの地を奉献する。
1958 年 9 月
イギリス・ロンドン神殿の奉献式に出席する。
1960 年 10 月- 1961 年 1 月
ジェシーとともに中央アメリカおよび 南アメリ
カの教会指導者と宣教師を訪問する。
1963 年 5 月
カリフォルニア州オークランド神殿の定礎式を
司式する。
1963 年 9 月
ミズーリ州カンザスシティーの開拓者記念碑,
および同州リバティーでリバティーの監獄史跡
を奉献する。
1965 年 10 月 29 日
デビッド・O・マッケイ大管長の指示の下で大
管長会顧問を務めるように召される。
1970 年 1 月 18 日
デビッド・O・マッケイ大管長の死去に伴い,
先 任 使 徒および 教会を管理する指 導 者とな
る。
1970 年 1 月 23 日
末日聖徒イエス・キリスト教会の大管長に任命
される。
1970 年 4 月 6 日
総大会において教会の大管長として支持され
る。
1971 年 8 月 3 日
ジェシー・エバンズ・スミスが死去する。
1971 年 8 月 27 日- 29 日
イギリスのマンチェスターで開かれた教会初の
地域大会を管理する。
1972 年 1 月 18 日
ユタ州オグデン神殿で奉献の祈りをささげる。
1972 年 2 月 9 日
ユタ州プロボ神殿の奉献式を管理する。奉献
の祈りを書き,ハロルド・B・リー管長に祈り
を割り当てる。
1972 年 7 月 2 日
96 歳の誕生日を迎える 17 日前にユタ州ソルト
レーク・シティーで死去。
xi
ジョセフ・フィールディング・スミスの
生涯と教導の業
ジ
ョセフ・フィールディング・スミス大管長は忘れられないすばらしい言葉を
使ったと,ゴードン・B・ヒンクレー大管長は回想している。それは「誠実で忠
実」という言葉である。スミス大管長は「人々の前で説教するときも,個人的
に人と話をするときも,主に祈りをささげるときも,わたしたちが誠実で忠実で
1
あるように強く訴えました」とヒンクレー大管長は述べている。トーマス・S・モ
ンソン大管長も同じようにこう回想している。「高齢になっても,
〔スミス大管
長は〕
『わたしたちが最後まで誠実で忠実でいられますように 』と常に祈ってい
2
ました。」
「誠実で忠実」というのは,ジョセフ・フィールディング・スミス大管長にとっ
て,しばしば繰り返された言葉以上のものであった。すべての人に対して大管
長が抱いていた望みを心から表現した言葉だったのである。また,幼年時代
から,末日聖徒イエス・キリスト教会の大管長として奉仕する晩年に至るまで,
彼の生涯を言い表す言葉でもある。
「約束の子」
ジョセフ・フィールディング・スミスは「約束の子として生まれた」と十二使徒
定員会のブルース・R・マッコンキー長老は述べている。スミス大管長の義理
の息子であるマッコンキー長老はこう説明している。ジュリナ・ラムソン・スミ
スには「 3 人の娘があったが,息子が一人もいなかった。そこで,母親は主の前
に行き,昔ハンナがしたように『誓いを立て〔た〕』
(サムエル上 1:11 )。もし主
から男の子を賜るなら,主にとって,また父親にとって誇りとなるように全力を
尽くしてその子を助けると約束したのである。主は彼女の祈りを聞かれた。そ
3
して,彼女も主に対する約束を守った。」 1876 年 7 月 19 日,ジュリナと夫ジョ
セフ・F・スミスのもとに息子が誕生し,父親の名をとって,ジョセフ・フィール
ディング・スミス・ジュニアと名付けられた。
ジョセフ・フィールディング・スミスの生まれた一家の人々は,深い信仰と奉
仕の精神にあふれ,優れた指導力を備えていた。祖父のハイラム・スミスは預
言者ジョセフ・スミスの兄であり,福音の回復に対する雄々しい証人であった。
1
ジョセフ・フィールディング・スミスの 生涯と教導の業
ジョセフ・フィールディング・スミスの両親,
ジョセフ・F・スミス大管長とジュリナ・ラムソン・スミス
2
ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯と教導の業
主はハイラムを任命して「〔主の〕教会のために預言者,聖見者,啓示者」とし,
ハイラムの名前は「世々とこしえにいつまでも尊敬を込めて覚えられる」と言わ
れた(教義と聖約 124:94 ,96)。ハイラムは弟のジョセフとともに,1844 年
あかし
6 月 27 日,暴徒の犠牲となって殉教し,自らの証 を血で結び固めた(教義と聖
約 135 章参照)。
ジョセフ・フィールディング・スミスの父親ジョセフ・F・スミスは,子供のと
きから重い責任を負ってきた。ハイラム・スミスとメアリー・フィールディング・
スミスの長子として生まれ,5 歳のときに父親が殉教し,9 歳のときには未亡
人の母親がイリノイ州ノーブーからソルトレーク盆地へ荷車を駆るのを助けた。
後に,宣教師として,また十二使徒定員会会員として奉仕した。そして,大管長
会顧問を務めていたとき,息子のジョセフが生まれた。その後,1901 年 10 月
17 日から 1918 年 11 月 19 日まで教会の大管長を務めた。
ジョセフ・フィールディング・スミスの母親ジュリナ・ラムソン・スミスは,ソ
ルトレーク盆地に入植した初期の開拓者の家族の一員であった。 9 歳のとき
からおじのジョージ・A・スミスの家庭で育てられた。おじは当時十二使徒定
員会会員であり,おばはバスシバ・W・スミスであった。(後にスミス長老はブ
リガム・ヤング大管長の下で大管長会第一顧問を務め,スミス姉妹は中央扶
助協会会長を務めた。)ジュリナは成人すると,献身的な妻そして母親となり,
扶助協会で熱心に働いた。思いやりが深く,優れた助産師としても知られてい
4
た。「 1,000 人近い赤ん坊」の誕生を助け,出産した母親の世話をした。また,
1910 年 10 月から 1921 年 4 月まで中央扶助協会会長会第二顧問を務めた。
少年時代の労働と遊び
ジョセフは少年時代に働くことを学んだ。家族は家から約 10 マイル( 16 キ
ロ)離れたユタ州テーラーズビルに農場を所有していた。そこできょうだいたち
と一緒に畑に水を引き,牧草を刈り取り,家畜の世話をする手伝いをした。家
には広い野菜畑や数本の果樹,3 つの長いブドウ棚があり,多くのニワトリ,
3 頭の乳牛,数頭の馬を飼っていた。ジョセフ・F・スミス大管長は多妻結婚
を行っていたため,養うべき家族も働き手も多かった。ジョセフ・フィールディ
ング・スミスは大家族の年長の息子の一人であったため,普通であれば大人に
任されるような責任が与えられた。こうした責任に加えて,常に学校の勉強に
遅れを取らないように努めた。
ジョセフが 家や家 族の農 場 の 外で 行った 最初の 仕事は,母 親の 手 伝い
であった。 しばしば 馬 車を駆って母 親 が 助産 師としての 務めを果 たすの
を助け た。 10 代 の 後 半 には,シオン 協 同 組 合 商 事( Zion’s Cooperative
Mercantile Institution〔 ZCMI 〕)に就職し,長時間の肉体労働に従事した。
3
ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯と教導の業
後にこう回想している。「小麦粉や砂糖,ハムやベーコンの大袋を担いで運び,
一日中馬車馬のように働き,夜になるとへとへとに疲れてしまいました。わたし
の体重は 150 ポンド(約 68 キロ)でしたが,200 ポンド(約 91 キロ)もある
5
大袋を平気で肩に担ぎました。」
重労働の仕事と釣り合いをとるため,ジョセフは少し遊ぶ時間も見つけた。
夜になるときょうだいと一緒に家の周りで,
「特にブドウが熟すころ」ブドウの
6
木の間に隠れて遊んだ。 また,野球が大好きだった。各ワードには野球チー
ムが編成され,こうした友好的な競技を楽しんだ。
福音の研究と霊的な成長
少 年ジョセフ・フィールディング・スミスにとって野球は大切であったが,
時々試合を早々に切り上げた。自分にとってもっと大切な関心事があったから
である。そのようなときには「馬小屋の 2 階か,または木陰で読書に没 頭し
7
た。」モルモン書を読んだのである。 後にこう語っている。「覚えているかぎ
り,字が読めるようになったときから,聖文を勉強し,主イエス・キリストと預言
者ジョセフ・スミス,人の救いのために成し遂げられてきた業について読む以
上に大きな喜びと深い満足感を与えてくれたものは,世の中にほかには何もあ
8
りません。」 8 歳になって初めてモルモン書をもらったときに,福音を自分で
勉強する習慣を身に付けるようになり,標準聖典や教会の出版物を熱心に読ん
だ。昼休みや ZCMI の仕事場の行き帰りに歩きながら読めるように,ポケット
サイズの新約聖書を持ち歩いた。着実に,そして根気強く続け,回復された福
あかし
音に対する証をますます強めた。
しかし,ジョセフの霊的な成長は,静かな個人学習にとどまらなかった。教
会の集会やクラスに忠実に参加し,また神権の儀式と祝福を受けた。特に神
殿に心が引かれた。ソルトレーク神殿はジョセフが生まれる 23 年前から建設
が始まっていた。「ジョセフは少年時代を通じて,この壮大な建造物の建設が
か こう
日々進行するのを深い関心をもって見ていた。巨大な花 崗 岩の最後の石が石
せん とう
切り場から貨車で運び込まれ,…… 荘厳な尖塔が建つのを目にした。……〔そ
してこう言った。〕
『神殿が完成するのを見るまで長く生きられるだろうかと思っ
9
たものでした。』」
1893 年 4 月 6 日,ジョセフはソルトレーク神殿の 1 回目の奉献 式に出席し
た。教会の第 4 代大管長であるウィルフォード・ウッドラフ大管長が奉献式を
管理し,奉献の祈りをささげた。壇上でウッドラフ大管長の隣に座っていたの
は,第二顧問を務めていたジョセフ・F・スミス管長であった。
4
ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯と教導の業
ジョセフ・フィールディング・スミス少年は時々,野球の試合を早めに切り上げて,
家の馬小屋の 2 階でモルモン書を読んだ。
ジョセフ・フィールディング・スミスは 19 歳のとき,祝福師の祝福を受けた。
当時教会の祝福師を務めていたおじのジョン・スミスから受けたこの祝福は,
ジョセフの霊的な強さを増し加えた。ジョセフは次のように告げられた。
み こころ
「高齢になるまで生き長らえ,イスラエルの勇士になるという主の御 心 に従う
ことがあなたの特権です。
あなたの務めは幹部の兄弟たちとともに協議し,民の中で管理することで
す。また,陸路や水路で国内外を旅し,教導の業に携わることもあなたの務め
です。あなたに申します。頭を上げ,恐れることなく,また人を偏り見ることな
み たま
く,主の御霊が導くままに,声を上げてください。そうすれば,主の祝福があな
たに注がれるでしょう。主の御霊があなたの思いを導き,言葉と情感を与え,
その結果,悪人の知恵を混乱させ,不正な者の勧めを無視することができるで
10
しょう。」
ジョセフはその年の後半になって 20 歳の誕生日を迎えた後,奉仕と霊的な
成長のための新たな機会を受けた。メルキゼデク神権の長老の職に聖任され,
神殿でエンダウメントを受けたのである。晩年,教会の大管長であったときに
5
ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯と教導の業
こう断言している。「聖なる神権を持っていることは何と感謝するべきことで
しょう。わたしは生涯にわたり,その神権の召しを尊んで大いなるものとするよ
うに努めてきました。現世の最後まで堪え忍び,来世で忠実な聖徒たちと交友
11
を深めたいと願っています。」
求婚と結婚
若いジョセフ・フィールディング・スミスは,一家の生計を助け,福音を研究
し,神権の祝福に備えていた。その努力に気づいたのは,ルーイ・シャートリフ
という名の若い女性であった。両親はユタ州オグデンに住んでおり,ルーイは
ユタ大学に通えるようにスミス一家と一緒に生活するようになった。当時,ユタ
大学はスミス家の通りをはさんだ向かい側にあった。
最初のうち,ジョセフとルーイの関係は普通の友達にすぎなかったが,だんだ
んと親しくなっていった。二人ともお金がなかったので,一緒に過ごすのはた
いてい,家の居間で一緒に読書やおしゃべりをする,散歩をする,教会の社交
活動に参加するなどの機会に限られた。また,ジョセフはルーイがピアノを弾
くのを聴くのが好きだった。時には,地元の劇場で行われた演奏会へ行った。
ルーイが大学 2 年生の終わりごろには,二人の恋愛は深まり,学校が休みにな
ると一度ならず,ジョセフは往復 100 マイル(約 160 キロ)離れたオグデンにい
12
る彼女に会うために,自転車ででこぼこの泥道を走った。
ついに,ルーイとジョセフは結婚について話し合った。しかし,二人の心に
は疑問が残っていた。ジョセフが伝道に召されるのではないかという思いだっ
た。当時,伝道に出ることを望む若い男性や女性は,伝道の召しの推薦を受
けるためにビショップと面接することはなかった。伝道の召しの手続きはすべ
て,大管長の執務室を通して行われていた。若い男性は伝道の召しを告げる
郵便をいつ受け取るか,まったく分からなかった。
ルーイは 1897 年の 春に大学を卒 業し,オグデンの両親のもとへ戻った。
1 年後,伝道の召しが来ないようであったため,二人は結婚の計画を進めるこ
とにした。後にジョセフはこう語っている。「彼女に住居を変えるように説得し
ました。そして,1898 年 4 月 26 日にソルトレーク神殿へ行き,父のジョセフ・
13
F・スミス管長の司式で永遠の結婚をしました。」 二人は一緒に生活を始め,
スミス家の小さなアパートで暮らした。
伝道の召しにこたえる
教会の初期には,既婚男性が専任宣教師として召されることがよくあった。
そのためジョセフとルーイは,1899 年 3 月 17 日にロレンゾ・スノー大管長が
6
ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯と教導の業
署名した伝道の召しを郵便で受け取ったときに驚くことはなかった。しかし,
ジョセフは任地については少し驚いたことであろう。召しを受ける前に,ジョセ
フは十二使徒定員会会長であったフランクリン・D・リチャーズ会長と伝道の召
しを受ける可能性について話をしていた。後に,ジョセフはこう回想している。
「〔会長は〕わたしにどこへ行きたいかと尋ねました。特に希望はなく,遣わさ
れる所へ行くだけですと答えました。すると会長はこう言いました。『行きた
い所がきっとあるはずです。』わたしはこう言いました。『そうですね。ドイツ
14
がいいですね。』それで,イギリスへ行くことになったのです。」
ルーイはジョセフの留守中,自分の両親とともに暮らすことにした。そうすれ
ば,夫から離れている寂しさに耐えられると思ったからである。また,父親の店
15
で働き,ジョセフの伝道費用を稼ごうと考えたのである。
1899 年 5 月 12 日,伝道地へ出発する前日,スミス長老とそのほかの宣教師
は,ジョセフ・F・スミス管長と,十二使徒定員会のジョージ・ティーズデール長
老とヒーバー・J・グラント長老から指示を受けた。これは専任宣教師として出
発する前に受けた訓練であった。この集会で各宣教師は正式な宣教師証明書
を受け取った。スミス長老の証明書にはこう書かれていた。
「これは下記の事柄を証明するものです。所持 者のジョセフ・F・スミス・
ジュニアは,末日聖徒イエス・キリスト教会の誠実な正会員であり,同教会の中
の
央幹部により,福音を宣 べ伝えるためにイギリスで伝道し,その職に付随する
福音のすべての儀式を執行する任務に正式に任命されました。
また,この人は命と救いに至る扉を開くために神から遣わされた神に仕える人
です。この人の教えと勧告に耳を傾けるように,また旅行中この人が必要とす
るものは何でも支援するように,すべての方にお勧めします。
また,永遠の父なる神が,スミス長老,および長老を受け入れて助力を与える
すべての方に,この世においても永遠にわたっても天と地の祝福を授けてくだ
み
な
さるよう祈ります。イエス・キリストの御名により,アーメン。
1899 年 5 月 12 日,ユタ州ソルトレーク・シティーにおいて同教会代表として
署名。大管長会ロレンゾ・スノー,ジョージ・Q・キャノン,ジョセフ・F・スミ
16
ス」
翌日,家族は家に集まり,ジョセフと,やはりイギリスで伝道するように召され
た兄に別れを告げた。しかし,家族の一人が集まりに来なかった。ジョセフの
妹エミリーが,数年前に自分が行ったことについて恥ずかしく思い,姿を見せな
かったのである。ジョセフとルーイが交際していたとき,ジョセフは時々,恋人
と二人だけで時間を過ごせるように,エミリーやほかの小さな子供たちを早く
寝かせた。これを不当だと感じて怒ったエミリーは,主が兄を伝道へ送ってく
7
ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯と教導の業
専任宣教師のジョセフ・フィールディング・スミス長老
ださるようにとしばしば祈ってきた。それが現実となった今になって,兄の出
17
発は自分のせいではないかと罪悪感を覚えたのである。
ジョセフとルーイは,イギリスで伝道する召しは主から受けたものであると
分かっていた。ジョセフは自分の務めを果たすことを熱心に望み,ルーイは夫
が伝道に出ることを喜んでいた。しかし,二人とも,離れて生活することを考え
るとつらかった。スミス長老が駅へ向かう時間になると,
「ルーイは勇気を振
り絞り,涙を見せないように努めた。しかし,赤い目を隠すことは難しかった。
ジョセフは家を離れると考えただけでもうすでにホームシックになり,だれとも
話したくないという気持ちであった。……ジョセフはファーストノース通りの古
い家の玄関に立ち,愛する者一人一人に別れのキスをしたとき,胸が詰まって
何も言えなかった。お母さん,お父さん,弟や妹たち,おばたち,そして最後に
ルーイ。『さようなら,いとしいルーイ。神の祝福があり,ぼくに代わって君を
18
無事に守ってくださるように。』」
8
ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯と教導の業
イギリスで福音の種をまく
たばこの煙が充満した不快な列車が速度を上げて故郷を後にしたときから,
スミス長老は自分の務めを献身的に果たした。長老が書いた日記や往復書簡
には,宣教師として直面した困難とそれを乗り越えるために行使した信仰と献
身が表れている。
イギリスで 伝 道した最初の日の終わりに,長 老は日記にこう書いている。
きょう
の
「今日はわたしの短い人生の中で非常に重要な日であった。主の福音を宣べ伝
えるために家を離れてからまだ 1 か月足らずだ。…… 今日は戸別訪問をして,
25 冊のパンフレットを渡した。このような仕事は今までしたことがなく,あまり
あかし
簡単ではなかった。…… 今日初めて世の人々に自分の証を述べたが,これから
はもっとよくできるようになるだろう。主の助けにより,召しに従って何としても
み こころ
19
主の御心を行うつもりだ。」
生活必需品を買うようにと数ドル送ってきた父親に,こう返事を書いている。
「送ってくれたお金の使い方には十分注意します。もっともな理由がないかぎり
使いません。」また,福音を学び教える決意についても父親に書いている。「自
分がここにいるのは福音を宣べ伝えるためであり,それをよくできるようになる
ことを望んでいます。……人生で何か重要なことのために常に役立つように,
ここにいる間に自分の知性と才能を磨きたいと思います。……すべてのことに
ついて正しくありたいと思います。福音について学ぶこと以上に大きな喜びを
与えてくれるものはありません。わたしの願いは福音に精通し,知恵を得ること
20
です。」
ジョセフ・F・スミス大管長は,ジョセフ・フィールディング・スミス長老にあ
てた手紙の中で次のような称賛の言葉を書いている。「わたしはあなたの態度
を好ましく思い,あなたの誠実さを信頼しています。あなたのことを喜び,満足
み たま
しています。聖なる御 霊 の導きを受け,神を愛するとともに,知恵を身に付け,
21
思慮深い判断力と忍耐力を養ってほしいと思います。」 ルーイの父親ルイス・
シャートリフも,スミス長老への信頼を表している。「あなたは立派に務めを
果たし,将来就くことになる高い地位にふさわしい経験をするだろうといつも感
22
じています。」
ルーイにあてた手紙の中で,ジョセフはいつも彼 女への愛を伝えていた。
23
「温かい愛情にあふれた手紙」の中に押し花を同封したこともよくあった。 ま
た,自分が直面した困難についても書いた。「この国には,わたしたちが教え
る福音が真実だと分かっていても,この世の生活から離れて福音を受け入れる
24
勇気を持たない人がたくさんいます。」
9
ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯と教導の業
ルーイは少なくとも週に 1 度,手紙を送った。あるとき,このように書いた。
「忘れないでください。わたしはここにいて,あなたを愛し,あなたのために
祈っています。一瞬たりともあなたを忘れたことはありません。……わたしの
25
大切な夫であるあなたに祝福があるようにいつも祈っています。」 ルーイは夫
を深く愛していることをはっきりと述べた。また,主と主の業に対する献身につ
いても同様に明言した。ホームシックのために奉仕する決意が弱まらないよう
にすることを絶えずジョセフに思い起こさせたのであった。
スミス長老はそのような励ましを必要としていた。なぜなら,回復された福
音のメッセージを受け入れようとする人はめったにいなかったからである。後
年長老は,
「状況は非常に悪く,人々はひどく無関心であったため,もう続ける
ことができないと考えるほどになっていたと息子のジョセフに語った。ある晩,
26
眠れずに,家へ帰るためのお金を稼ぐ必要があると考えていた。」 しかし,愛
する人々からの励ましに鼓舞され,また彼らの祈りと奉仕を望む自分自身の願
いによって強められ,そのような考えを退けた。主から召されたことを知ってお
り,また自分が仕える人々と自分の家族のために勤勉に働く必要があることを
知っていた。彼はこう書いている。「名誉ある記録を作って解任されるのでな
ければ,家へ帰るよりむしろここに永久にとどまる方を選ぶ。…… 福音の精神
はら から
と同 胞 に対する愛を抱き,立派に務めを果たして解任されるまでここにとどま
ることができるように祈っている。自分の祈りだけでなく,家族がわたしのた
めにささげてくれる多くの祈りがなければ,成功することはできないに違いな
27
い。」
1901 年 6 月 20 日,ジョセフ・フィールディング・スミス長老は,立派に務め
を果たして解任された。勤勉に奉仕した 2 年間に,
「彼は一人も改宗に導けな
かった。一人の改宗者の確認を行ったが,バプテスマを執行する機会は一つも
28
なかった。」 しかし,長老と同僚は福音の種をまき,多くの人がさらに深い平
安と知恵を見いだすのを助けた。また,福音を学ぶ者,教える者として,また神
権指導者として個人的に成長した。
新しい家庭と新しい責任
1901 年 7 月 9 日,ジョセフはソルトレーク・シティーに到着した。オグデン
でルーイの家族と数日を過ごした後,ジョセフとルーイはスミス一家のいる故郷
へ戻り,再び一緒に生活した。二人は信仰と勤勉,奉仕の結婚生活を送り,家
庭と家族を築き,教会で奉仕した。
ジョセフは帰郷してから間もなく,家族を養えるように仕事を探し始めた。そ
して,家族の助けにより,ソルトレーク郡事務局で臨時の仕事を得た。約 5 週
間後,教会歴史家事務局に就職した。教会の歴史について学べば学ぶほど,
10
ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯と教導の業
ルーイ・シャートリフ・スミス
教会とその指導者の信用を傷つけようとする人々がいることに気づいた。そこ
で,教会を擁護する情報を提供するために不断の努力を続けた。このような奉
仕の努力が実って,その後長年にわたり教会に祝福をもたらすこととなった。
1902 年の春,ルーイは妊娠した。ルーイもジョセフも小さなアパートに住
めることに感謝していたが,自分たちの家を建てることを楽しみにしていた。
ジョセフが安定した仕事に就いたので,その計画を立てることができるように
なった。二人は建築業者に頼み,ジョセフが自分で多くの建築作業ができる
ように手配してもらった。こうして費用を節約したのである。 1902 年 9 月,
ジョセフィンと名付けた長女が生まれ,約 10 か月後,新しい家へ引っ越した。
1906 年,ルーイは困難な妊娠で苦しんだが,もう一人の娘を家族に迎え,ジュ
リナと名づけた。
ジョセフは 常に主の救いの業に進 んで 参 加し,多くの機 会に恵まれた。
1902 年,七十人第 24 定員会会長として奉仕するよう召され,定員会教師など
の務めを果たした。(当時,教会には 100 を超える七十人定員会があり,定員
会の会員は中央幹部ではなかった。)また,青年男子相互発達協会の中央管理
会とソルトレークステークの高等評議会で奉仕するように召された。そして,十
二使徒定員会会員であった兄のハイラムにより大祭司に聖任された。 1906 年
4 月の総大会で,教会歴史家補佐として支持され,翌年の 1 月,
「教会の敵によ
る非難に対して教会を擁護するための情報の作成」を目的とする特別委員会
29
で働くよう任命された。
11
ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯と教導の業
ジョセフの父親が教会の大管長を務めていたとき,ジョセフは通信業務や
その他の管理業務をよく手伝った。時には教会の責任を果たす父親に同行し
た。スミス大管長の代理で訪問をしたこともあった。ジョセフはこう記してい
る。「父から依頼されて〔ユタ州〕ブリガム・シティーへ行き,同市の第二ワー
ドの集会所を奉献した。会員たちは大管長 が奉献の祈りをするよう強く望ん
でいたが,父は風邪をこじらせていたため,代理としてわたしを送った。」駅で
30
ジョセフを出迎えたステーク会長とビショップはうれしそうではなかった。 ス
テーク会長はこう言ったそうである。「泣きたい気持ちでした。大管長にお会
いできると期待していたのに,迎えたのは代わりの息子さんでした。」その話に
は続きがあり,ジョセフはそれに応じてこう言った。「わたしも泣きたい気持ち
31
でした。」
教会で多くの務めを果たしていたジョセフは,家を留守にすることがよくあっ
た。それでもジョセフとルーイは,一緒に奉仕したり一緒に過ごしたりする時
間を見つけた。 1907 年 11 月 1 日の日記にはこう書かれている。「ルーイと一
緒にソルトレーク神殿で一日の大半を過ごした。人生で最も幸せな日々の一日
32
であり,二人にとって最も有益な時間であった。」
試練と祝福
1908 年 3 月,ジョセフはできるだけルーイと一緒に家で過ごすことの必要
性を感じて,教会の責任の多くから離れた。ルーイは 3 度目の妊娠の初期症
状に関連した重い病気を患っていた。祈りや神権の祝福,心配する夫による
世話,医師の入念な手当てにもかかわらず,病状は悪化し続けた。そして,3 月
30 日に亡くなった。
悲しみの中で,ジョセフはこう書いている。「わたしはこの 1 か月間ずっと
不安と心配に明け暮れ,最も深く大きな苦痛に満ちた試練と経験をくぐり抜け
た。その間中,主に頼り,強さと慰めを求めた。 2 か月近くにわたる闘病の末,
3 週間から 4 週間の最も激しい苦痛の後,愛する妻は苦しみから解放された。
……わたしと愛する子供たちのもとを去り,より良い世界へ旅立った。悲しみ
の中で忍耐するならば,来世ではこの上なく輝かしい再会が待っている。」妻は
「固い信仰を持ち,福音のすべての原則に忠実な生涯を終えた」とジョセフは
33
語っている。
ジョセフは間もなく,母親のいない家庭で二人の幼い娘を育てるという務め
を果たすのが困難になった。そこで両親から一緒に住むように勧められた。こ
のような助けがあっても,幼い子供たちには愛情ある母親の世話が必要だとい
うことが分かった。
12
ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯と教導の業
エセル・レイノルズ・スミス
ジョセフは重要な決断をするときにいつでもそうしてきたように,この問題に
ついても熱烈に祈った。教会歴史家事務局の事務員エセル・ジョージーナ・レ
イノルズが祈りの答えとなった。 1908 年 7 月 6 日,ジョセフは娘たちを公園へ
散歩に連れて行くときに彼女を誘った。この散歩はうまくいき,4 人は皆,一緒
に過ごす時間を楽しんだ。 10 日後,ジョセフとエセルは二人だけのデートを楽
しみ,それから間もなく婚約した。
1908 年 11 月 2 日,エセルとジョセフはソルトレーク神殿で結び固められた。
はん
数年後,エセルにあてた手紙の中で,ジョセフはこう書いている。「わたしが伴
りょ
侶 を必要としていたときに間違った選択をしなかったことで何度も主に感謝し
34
たことを御存じないでしょう。」 エセルはジョセフにとって愛情に満ちた伴侶
となっただけでなく,すぐにジョセフィンとジュリナにとって第二の母親となっ
た。
十二使徒定員会会員としての奉仕
1910 年 4 月の総大会の直前に,大管長会第一顧問のジョン・R・ワインダー
管長が逝去した。そこで,十二使徒定員会で奉仕してきたジョン・ヘンリー・
スミス長老が大管長会で奉仕するように召された。その結果,十二使徒定員
会に空席が生じた。大管長会と十二使徒定員会はソルトレーク神殿で会合し,
13
ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯と教導の業
その空席を埋めるのにふさわしい人はだれかについて話し合った。およそ 1 時
間の協議の後,その件について全員が同じ気持ちになることはなかった。そこ
で,ジョセフ・F・スミス大管長は独りで別室に移り,導きを祈り求めた。大管
長は戻って来ると,多少ためらいながら,自分の息子のジョセフ・フィールディ
ング・スミス・ジュニアがその職に就くことについて検討する意思があるかど
うか,ほかの 13 人の兄弟たちに尋ねた。また,そのような提案をするのをため
らった理由について,すでに息子のハイラムが十二使徒定員会の会員であり,
息子のデビッドが管理ビショップリックの顧問を務めていたためであると述べ
た。また,教会員たちはさらにもう一人の息子が中央幹部に任命されることを
き
ぐ
快く思わないだろうと危 惧 した。それにもかかわらず,ジョセフの名前の検討
を提議するように霊感を受けたのである。ほかの兄弟たちはその提議を即座
に受け入れたようで,その件についてスミス大管長を支持した。
「スミス大管長はジョセフを選ぶことを総大会の発表の前に,ジョセフの母
親に明らかに打ち明けていた。ジョセフの妹イーディス・S・パトリックはこう
述べている。『 1910 年に父が神殿での評議会から帰宅したとき,非常に心配
そうにしていたと,母が言ったのを覚えています。何を悩んでいるのかと聞く
と,ジョセフが十二使徒会の一員に選ばれたと言い,兄弟たちは全員一致で選
んだけれども,自分の息子を使徒に選んだことで,自分は大管長として厳しい
批判を受けるのではないだろうかと言うのです。母は,人々が何を言おうと心
配しないようにと父に言いました。主がジョセフを選んだことを知っており,そ
の召しにふさわしい働きをすると分かっていると言ったのです。』
…… 当時の慣習は,選ばれた人に前もって通知することはなく,大会で名前
が読み上げられて支持されるときに自分が任命されたことを知るというもので
あった。したがって,1910 年 4 月 6 日にジョセフ・フィールディング・スミスが
大会へ向かったときには,自分が選ばれたことは知らなかった。」タバナクルに
入ろうとしたとき,会場の案内係に聞かれた。「ジョセフ,だれが新しい使徒に
なるのでしょうね。」ジョセフはこう答えた。「さあね。でもあなたではないし,
わたしでもないでしょうね。」
十二使徒定員会の新しい会員の名前が読み上げられる直前に,ジョセフは自
み たま
分の名前かもしれないという御 霊 の促しを受けた。それでも,自分の名前が
発表されたとき,
「あまりの驚きに口も利けなかった」と後に語っている。
その日遅く,帰宅したジョセフは,大会に出席できなかったエセルにその知ら
せを伝えた。こう言って話を切り出した。「牛を売らないといけないようだ。も
35
う牛の世話をする時間がない。」
十二使徒定員会会員としての 60 年間,ジョセフ・フィールディング・スミスは
世の中の多くの変化を目にした。例えば,使徒に召されたとき,おもな交通手
14
ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯と教導の業
1921 年の十二使徒定員会。後方いちばん左に立つジョセフ・フィールディング・スミス長老
段として多くの人はまだ馬や馬車を使っていた。定員会での奉仕を終えるころ
には,責任を果たすためにジェット機で旅をすることが多かった。
スミス長老は十二使徒定員会会員を務めながら,義務と責任を伴う多くの職
に就いた。使徒として教導の業に携わった最初の 8 年間,父親の秘書として
非公式に務めを果たした。 1918 年 11 月に父親が亡くなるまでこの仕事を続
あがな
けた。この役割の中で,父親が死者の贖 いの示現を口述したときに筆記者を
務めた。この示現は現在,教義と聖約第 138 章に収められている。
スミス長老は次のような職を歴任した。教会歴史家補佐,教会歴史家(約
50 年間),ソルトレーク神殿会長会顧問,ソルトレーク神殿会長,ユタ系図歴
史 協 会 会 長,
『ユタ系 図 歴 史 機 関 誌』
(Utah Genealogical and Historical
Magazine )の初代編集長兼営業部長,教会教育管理会の教育理事会理事
長。また,教会出版委員会委員長も務め,レッスン手引きやその他の教会出版
物が作成される前に何千ページもの原稿を読むことが求められた。
1950 年 10 月 6 日,十二使徒定員会会長代理に任命された。 1951 年 4 月ま
でその職にあり,同月,十二使徒定員会会長に任命された。 1951 年 4 月から
1970 年 1 月まで会長を務め,1970 年 1 月に大管長に就任した。また 1965 年
から 1970 年まで,十二使徒定員会会長の責任を果たし続けながら,大管長会
顧問も務めた。
15
ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯と教導の業
ゆる
厳しい警告と優しい赦し
総大会の初めての説教の中で,ジョセフ・フィールディング・スミス長老は,
「教会を管理する権能を持つ人々の行動を批判」しようとする人に率直に語り
かけた。そして,次のように厳しく言明したのである。「教会員としての資格を
持つそのような人々に警告したいと思います。悔い改めて主に立ち返るように
申し上げます。さもないと主の裁きが下されます。また信仰を失って,真理の
36
道からそれることでしょう。」
教導の業を通して,長老は警告の声を上げ続けた。かつて次のように述べ
た。「わたしは自分には次のような使命があると考えてきました。シオンのス
み たま
テークを巡りながら,主の御 霊 の導きを受けてそのように感じてきたのです。
すなわち,わたしの使命は人々に向かって今が 悔い改めの時であると言うこと
です。…… 悔い改めを叫び,主に仕えるよう人々に呼びかけることがわたしの
37
務めであると思っています。」
この冷徹で率直な教え方を和らげるかのように,もう一方では人々に優しく
親切であった。あるとき,ボイド・K・パッカー長老はこのような場面に居合わ
せた。ジョセフ・フィールディング・スミスが教会伝道委員会の会長を務めて
いたときのある会合でのことであった。「二人の宣教師が教会所有の車を運転
中に遭った事故に関する報告書が提出された。ある高齢の野菜販売業者のト
ラックが一時停止標識を無視し,宣教師の車が側面をぶつけられて大破した。
トラックの運転手は警察に呼び出された。保険には入っていなかった。幸いに
も,宣教師は大したけがをしなかった。
委員会の委員たちがその件について検討している間,スミス長老は黙って
座っていた。委員たちはしばらく話し合った後,宣教師管理部の実務運営ディ
レクターに,弁護士を雇い,裁判にかけるよう指示した。
そのときに初めて,スミス会長は,その処置に同意するかと聞かれた。会長
は穏やかに答えた。『ええ,そうすることもできますね。強力に推し進めれば,
その気の毒な人からトラックを取り上げることもできるでしょう。でも,そうなっ
たら,どうやって生計を立てるのでしょうか。』
『わたしたちは少し恥ずかしくなり,互いに顔を見合わせました 』とパッカー
長老は述べている。『そこで,教会が宣教師用の車をもう 1 台購入し,伝道を
38
続け,この問題にはもう関与しないことにしました。』」
16
ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯と教導の業
「思いやりと愛にあふれた夫であり父親」
スミス長老が使徒に召されたとき,ジョセフィンとジュリナ,そしてエセルの最
初の子供エミリーの 3 人の子供がいた。 7 か月後,もう一人の娘が誕生した。
エセルとジョセフはナオミと命名した。難産であったため,ナオミは生育が困難
で,長く生きられないのではないかと家族は心配した。しかし,後に父親が述
いや
べたように,彼女は「呼吸ができないように思われたが,祈りと癒 しの祝福の
39
おかげで救われた。」 その後エセルは,ロイス,アメリア,ジョセフ,ルイス,レ
イノルズ,ダグラス,ミルトンの 7 人の子供を産んだ。
スミス長老は使徒の責任を果たすため長期間家を留守にすることが多かっ
た。しかし,家にいるときは,家族に心を向けた。妻のエセルは夫をこう描写し
ている。「思いやりと愛にあふれた夫であり父親です。人生最大の望みは家族
40
を幸せにすることであり,そのために努力することに我を忘れて没頭しました。
」
スミス家の子供たちは,ある人々が父親について抱いている印象を聞くと,
笑いをこらえられなかった。とても厳格な人という印象を持たれていたのであ
る。「あるとき,…… 彼が子供を正しくしつけることの重要性についてかなり
厳しい説教を述べた後,ある女性が心配して,彼の二人の幼い娘たちに近づ
いて来て,同情心を示してこう言った。『きっとお父さんはあなたたちをぶつの
ね。』」この非難の言葉を聞いて,娘たちはくすくす笑った。その女性よりも娘
たちの方が父親のことをずっとよく知っていた。父親が子供を傷つけるような
ことは一度もなかった。長い旅から帰って来ると,
「子供たちは喜び勇んで駅
へ迎えに行くときから,数日後にまた悲しい別れを告げるときまで,ずっと楽し
い時間を過ごした。」ゲーム,パイやアイスクリーム作り,ピクニックを楽しみ,列
車に乗り,近くの渓谷や湖へ行った。世界各地の教会を訪問した話を聞いて楽
41
42
しんだ。 また一緒に働き,家事をこなすのに忙しい日々を送った。
スミス長老の息子たちはスポーツをしていたので,子供たちの試合をできる
43
だけ見に行った。 一緒にスポーツを楽しむこともあり,特にハンドボールをし
おう せい
た。子供たちと一緒に楽しんだが,競争心も旺 盛 であった。息子のレイノルズ
とルイスは,二人がチームを組んで父親と対抗試合をしたときのことを覚えて
いる。父親は試合中に自分がどちらの手を使ってよいかを子供たちに選ばせ
44
た。そして,片手を背中に回しながらも,いつも「二人に圧勝した。」
悲しみと希望
スミス長老が責任のために家を留守することは,エセルと子供たちにとってつ
らいことだった。また長老にとっても,数週間も離れていることは苦痛だった。
1924 年 4 月 18 日,長老はあるステーク大会を管理するために列車で旅をして
17
ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯と教導の業
いた。エセルは当時妊娠 7 か月で,家で子供たちの世話をするのに精一杯だっ
た。妻への手紙の中で,長老はこう述べている。「あなたのことを思っている。
これから数週間,いつもあなたのそばにいて,世話をすることができればどんな
45
にいいだろう。」 家のことを思いながら,手紙の最後に自分が作った詩を書い
た。その詩の一部は,
「旅は長く思えるか」
( Does the Journey Seem Long? )
という題名が付けられ,教会の多くの賛美歌集(英文)に収められている。
旅は長く思えるか
道は険しいか
いばらやとげにふさがれて
とがった石で足を切る
苦しい登り道
昼の日差しは暑く
気力を失い,悲しみに暮れ
心は疲れ果てる
労苦を背負い
重荷に耐えかねて
荷を下ろさざるを得ないか
重荷を分かつ人はいないのか
くじけずに進もう
旅は始まったばかり
手招きする御方を
喜んで見上げよう
差し出される手を取って
新しい高みへと導かれよう
汚れなく清い地では
あらゆる悩みは消え
罪のない生活
涙を流すこともなく
悲しみがない世界
主の手を取ってともに行こう
46
1933 年から,スミス家の幸福は時々,スミス長老が 9 年前に詩に書いたよう
に「労苦の重荷」により遮られた。エセルは「理解し難い恐ろしい病気」を患
い始めた。「時には深いうつ状態に落ち込むかと思うと,時には精神を制御で
きなくなり,消耗した身体をさらに駆り立てた。家族の優しい愛と支え,祈りと
47
祝福,入院治療さえも役立たないようだった。」 4 年間の闘病後,1937 年 8 月
26 日にこの世を去った。妻の死について,傷心の夫はこう記している。「これ
48
以上に良い女性,また誠実な妻そして母親はほかにはいない。」 深い悲しみ
18
ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯と教導の業
ピアノの前で,ジョセフ・フィールディング・スミスとジェシー・エバンズ・スミス
に暮れる中で,自分とエセル・レイノルズ・スミスは神聖な結び固めの聖約によ
り永遠に結ばれているという知識に慰めを見いだした。
新たな友情から結婚へ
エセルが亡くなった後も,スミス家にはまだ 5 人の子供たちが住んでいた。
二人は間もなく家を出ることになっていた。アメリアは婚約し,ルイスは専任宣
教師になる準備をしていた。そこで,16 歳のレイノルズ,13 歳のダグラス,10
歳のミルトンが残ることになる。母親を亡くしたこの息子たちのことを心配した
ジョセフ・フィールディング・スミスは,再婚することを考えた。
このようなことを考えていたスミス長老は,間もなくジェシー・エラ・エバン
ズに目を留めた。モルモンタバナクル合唱団の著名なソリストであった。スミス
長老はエセルの葬儀で独唱したジェシーに感謝の手紙を送り,それがきっかけ
で,電話で会話を交わすようになった。それ以前には互いを知らなかったが,
二人はすぐに良い友達になった。
スミス長老は数日間,ジェシーに求婚することが可能かどうかについて考え,
祈った。そしてついに手紙を書き,二人の友情をさらに深めたいという気持ち
をそれとなく伝えた。 4 日後,勇気を出してその手紙を自分で届けることにし
た。彼女が郡の記録官として働いている役所へ持って行った。後に日記にこ
19
ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯と教導の業
う書いている。「郡記録官 の事務所へ行った。……重要な職である記録官と
49
面談し ,自分が書いた手紙を彼女に渡した。」 翌週,ステーク大会に出席する
ため列車で旅をした後,スミス長老は帰宅して,再びジェシーに会いに行った。
スミス長老はいつものように率直に日記に書いている。「ジェシー・エバン
重要な 面談をした。」二人は互いを称賛する気持ちから,長老が
ズ嬢に会い,
ジェシーの母親に会い,ジェシーが長老の子供たちに会う機会を計画した。そ
れから 1 か月足らずの 1937 年 11 月 21 日,ジェシーは婚約指輪を受け取った。
1938 年 4 月 12 日,二人はソルトレーク神殿で,第 7 代大管長であるヒーバー・
J・グラント大管長により結び固められた。
50
スミス長老が大管長であったときに大管長会の秘書を務めていたフランシ
ス・M・ギボンズ長老は,ジョセフ・フィールディング・スミスとジェシー・エバ
ンズ・スミスの関係を次のように描写している。「 26 歳の年齢差をはじめ,気
質や背景,教育訓練などの違いにかかわらず,非常に相性のよい二人であっ
た。ジェシーは外交的で活力にあふれ,明るく陽気で,脚光を浴びるのが好き
であった。それに対して,ジョセフは物静かで内向的,威厳があり超然としてお
り,公衆の面前に出ることがあまり心地よさそうではなく,自分に注目を引こうと
は決してしなかった。この二人のまったく異なる性格の大きな違いを埋めるもの
51
は,互いへの真心からの愛と敬意であった。」 この愛と敬意は,ジェシーが結
婚するまで一緒に暮らしていた母親ジャネット・ブキャナン・エバンズにも及ん
だ。エバンズ姉妹は娘とともにスミス家へ移り住み,子供たちの世話を助けた。
動乱の世の人々を教え導く
新しいスミス姉妹はスミス長老の子供たちや孫たちからジェシーおばさんと
呼ばれていたが,しばしば夫に同行してステーク大会へ行った。地元の指導者
は集会で歌うようによくスミス姉妹を招いた。また,時には,姉妹が夫を説得し
て,二人でデュエットした。 1939 年,ヒーバー・J・グラント大管長はスミス長
老夫妻にヨーロッパのすべての伝道部を視察するように割り当てた。
スミス夫妻がヨーロッパへ到着したときには,まだ第二次世界大戦は始まっ
ていなかったが,国々の緊張は高まっていた。 8 月 24 日,二人がドイツに滞
在中,大管長会はドイツにいる宣教師全員を中立国へ移動させるようにスミス
長老に指示した。長老はこの移動の調整をデンマークのコペンハーゲンから
行った。宣教師の移動の間,チェコスロバキアの伝道部会長のウォーレス・ト
ロント会長は妻のマーサと子供たちを安全のためにコペンハーゲンへ送ること
が必要であると考えた。しかし,残っている 4 人の宣教師が安全に避難するよ
う図るために,自分は後に残った。数日が過ぎたが,伝道部会長一行から何の
連絡もなかった。マーサは後にこう回想している。
20
ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯と教導の業
「ついに,ドイツを出発するすべての列車,フェリー,船の最終便が出る日が来
ました。ウォーリー〔トロント会長〕と 4 人の若い宣教師がフェリーの最終便に
乗って自国の港へ向かうように祈りました。刻一刻と心配と不安の度合いを増
していくわたしの様子を見て,スミス会長はわたしのところへ来て,優しくわた
しの肩に腕を回して言いました。『トロント姉妹,トロント兄弟と宣教師たちが
このデンマークの地に到着するまでは,この戦争は始まりません。』夕方近くに
なって,電話が鳴りました。……ウォーリーからでした。 5 人ともイギリス公使
館員一行と一緒に,一行のために手配された特別列車でチェコスロバキアを出
て,最後のフェリーに乗ってドイツを出て,今〔 デンマークの〕海岸にいて,コ
ペンハーゲンに向かう船を待っているとのことでした。伝道本部の人々と 350
あん ど
名の宣教師が感じた安堵感と喜びは,黒雲が去って陽光が差すようなものでし
52
た。」
スミス長 老は,避難してきた非常に多くの宣教師を入国させてくれたデン
マークの国民に感謝した。そうした寛大さゆえに,デンマーク人は戦争中に食
料不足で苦しむことはないと,スミス長老は戦争が始まったときに預言した。
数年後,
「デンマーク国民は恐らくヨーロッパの他のどの国民よりもうまく戦争
を切り抜けた。デンマークの聖徒たちは,オランダやノルウェーの困窮した聖
徒たちに救援物資を送ることさえできた。会員数は着実に増え,デンマーク伝
じゅうぶん
道部の什 分 の一の額は 2 倍以上に達した。……デンマークの聖徒たちは,自
分たちの状況はジョセフ・フィールディング・スミス長老の預言がまさに成就し
53
た結果であると考えた。」
戦争が始まると,スミス長老は,ヨーロッパで奉仕していた 697 名のアメリカ
人宣教師の避難を進めた。宣教師の中には地方部や支部の指導者を務めて
いた者がいたため,スミス長老はこれらの指導者の責任を地元の会員へ移行
させた。この任務を果たした後,スミス長老はジェシーと一緒に船で故国へ向
かった。ニューヨークから列車に乗り,7 か月ぶりに家に着いた。
スミス長老は,アメリカ人宣教師たちが無事に故郷へ帰ることができたのを
喜んだが,母国で戦禍に見舞われている罪のない人々について心配した。長老
はこう書いている。「伝道部を閉鎖したときに集会を開いて人々と握手する度
に,胸が痛んだ。皆,温かいあいさつを交わしてくれた。人々の〔友情〕はわた
しにとって,恐らく彼らには分からないほど大きな意味を持っていた。中には,
涙を流し,大きな苦難が差し迫っており,もうこの世で再び会うことはできない
だろうと言う人もいた。今でも気の毒に思い,この恐ろしいときにあって主が彼
54
らを守ってくださるように毎日祈っている。」
スミス長老の息子のルイスは,第二次大戦が始まったときにイギリスにおり,
55
故国へ帰る宣教師の最後のグループにいた。 約 2 年半後,ルイスは大西洋
を再び渡った。今度は兵役に就くためである。スミス長老はこう書いている。
21
ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯と教導の業
「このような状況は我々皆にとって悲しい。人の邪悪さのために,清く正しい
人々が全世界で繰り広げられている紛争に巻き込まれているのは遺憾なことで
56
ある。」
1945 年 1 月 2 日,スミス長老は電報を受け取り,息子が国家のために従軍
中に亡くなったと知らされた。長老はこう書いている。「この知らせは非常に
大きな衝撃だった。息子は間もなく合衆国へ戻って来るという大きな希望を
持っていたからである。以前に何度か危険を逃れてきたので,守られるだろう
と思っていた。まさかこのようなことが起きようとは,とうてい理解できなかっ
まん えん
た。…… 衝撃はあまりにも大きかったが,息子がこの世や軍隊に蔓延している
悪に染まらずにいたことを知って,心に平安と喜びを感じている。彼は自分の
57
信仰に忠実であり,再び会うときには,栄光ある復活を得るにふさわしい。」
信頼される教師であり指導者
十二使徒定員会会員として,ジョセフ・フィールディング・スミスは,しばし
あかし
ば末日聖徒の前に立ち,イエス・キリストについて証 し,回復された福音を教
え,人々に悔い改めを呼びかけた。総大会で 125 を超える説教を行い,数多
くのステーク大会に参加し,系図大会やラジオ放送などのイベントで話した。
また,著 述を通して教えた。長年,教会の機関誌『インプルーブメント・エ
ラ』
( Improvement Era )に投 稿し,読者からの質問に答えた。また,教会
( Church )欄に
の機関誌や『デゼレトニュース』
( Deseret News )の「教会」
記事を書いた。 1910 年から 1972 年まで使徒を務めた間に執筆した著述が
25 冊の本にまとめられて出版された。例えば,
『教会歴史粋』
( Essentials in
『救いの教義』
( Doctrines of Salvation ),
『教会歴史と現
Church History ),
『福音の質疑応答』
在の啓示』
(Church History and Modern Revelation ),
( Answers to Gospel Questions )などである。
スミス長老の説教を聞いたり,著書を読んだりすることにより,教会員は長老
を福音の学者として信頼するようになった。さらに,主を信頼し,主に従うよう
になった。 N・エルドン・タナー管長が述べたように,ジョセフ・フィールディ
ング・スミスは「福音の原則を一つ一つ実践し,言葉と筆によって教え,無数の
人々の生活に影響を与えた。次の事柄を知っており,それについてだれの心に
も疑いを生じさせなかった。神は生ける神であり,わたしたちは神の霊の子供
である。イエス・キリストは肉における神の独り子であり,わたしたちが不死不
滅を享受できるようにするために御自分の命をささげられた。わたしたちは福
音を受け入れ,福音に従って生活することにより,永遠の命を享受することがで
58
きる。」
ブルース・R・マッコンキー長老はこう述べている。
22
ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯と教導の業
「ジョセフ・フィールディング・スミス大管長の生涯と働きには,次の 3 つの
特徴があります。
1 .主に対する愛,また主の戒めを守り,主に喜んでいただける事柄を行うこ
とによってその愛を示そうとする無条件の揺るぎない忠誠心。
2 .預言者ジョセフ・スミス,および預言者を通じて回復された永遠の真理
に対する忠誠心。殉教者として死んだ祝福師の祖父ハイラム・スミス,ならび
に父親ジョセフ・F・スミス大管長に対する忠誠心。ジョセフ・F・スミスの名
前は,わたしたちが生きることができるように御自分の血を流された御方の大
義のために雄々しく堪え忍んだ者として,日の栄えの王国で永久に尊ばれてい
る。
3 .福音に対する学識と霊的な洞察力。義を説く者としての不断の努力。飢
えている人に食べさせ,着る物のない人に着せ,夫に先立たれた女性や父親の
いない子供を訪れ,教えだけでなく模範により純粋な宗教を明らかにした行
59
動。」
スミス会長とともに十二使徒定員会の幹部を務めた兄弟たちは,彼が賢明で
思いやりに満ちた指導者であると考えていた。 80 歳の誕生日を記念して,十
二使徒定員会の会員たちが賛辞を記した冊子を出版した。その中にこう書か
れている。
「スミス会長の指導の下に十二使徒評議会で働いているわたしたちは,会長
の真の気高さをかいま見る機会があります。会長が主の業を前進させる目的の
ために責任の分担や仕事の調整を行う際に,ともに働く人々に理解と思いやり
を示してくださる姿を,わたしたちは日々絶えず目にしています。会長の優しい
心と,困っている恵まれない人々の福祉に対する会長の深い思いやりを,教会
員全員が感じることができるように切に願っています。会長はすべての聖徒た
ちを愛しており,罪人のためにいつも祈っています。
非凡な識別力を持つ会長が最終判断を下す際に用いる尺度には,次の二つ
しかないように思われます。大管長会の望みは何か。神の王国にとって最も良
60
いのはどれか。」
大管長
1970 年 1 月 18 日の安息日の朝,デビッド・O・マッケイ大管長が現世の生
涯を閉じた。教会を指導する責任は今や十二使徒定員会のうえにあった。定
員会会長は 93 歳のジョセフ・フィールディング・スミスであった。
1970 年 1 月 23 日,十二使徒定員会は会合を開き,スミス会長を末日聖徒イ
エス・キリスト教会の大管長として正式に支持した。スミス大管長は,ハロル
23
ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯と教導の業
ジョセフ・フィールディング・スミス大管長と大管長会顧問の
ハロルド・B・リー管長(中央)と N・エルドン・タナー管長(右)
ド・B・リーを第一顧問,N・エルドン・タナーを第二顧問に選んだ。そして,
この 3 人が新たな責任を果たすように任命された。
その会合に出席していたエズラ・タフト・ベンソン長老はこう回想している。
「新たな指導者が選ばれ任命されたとき,会合にはすばらしい一致の精神があ
61
ふれ,兄弟たちは互いに抱き合いながら親愛の情を示しました。」
あかし
ボイド・K・パッカー長老は,スミス大管長の召しについて個人的な証 を述
べた。
「ある金曜日の午後,週末の大会訪問について考えながら事務室を出て,エ
レベーターが 5 階から降りて来るのを待っていました。
エレベーターのドアが静かに開くと,ジョセフ・フィールディング・スミス大管
長が立っていました。大管長の執務室は下の階にあるので,大管長の姿を見て
一瞬驚きました。
エレベーターのドアの所に立っている大管長の姿を見て,そこに神の預言者
が立っているという強い証を得ました。純粋な知性と何か関連のある光のよう
み たま
な美しい御 霊 の声が,この人は神の預言者であるとの確信を与えてくれたので
62
す。」
24
ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯と教導の業
スミス大管長の指導の下で教会は発展し続けた。例えば,アジアとアフリカ
に最初のステークができるなど,81 のステークが創設され,会員数は 300 万人
を超えた。ユタ州のオグデンとプロボに二つの神殿が奉献された。
教会は全世界で発展したが,スミス大管長は個々の家庭と家族の大切さを
強調した。「教会の組織が現実に存在するのは,家族と個人が昇栄するのを
63
助けるためです。」 また,こう教えている。「家族はこの世においても永遠に
64
わたっても最も大切な組織です。…… 家族を強め,守ることは主の御心です。
」
家族と個人を強める取り組みとして,教会は家庭の夕べをさらにいっそう強調
した。これはスミス大管長の父親が大管長を務めていた 1909 年以来推奨さ
れてきたプログラムである。ジョセフ・フィールディング・スミス大管長の指導
の下で,月曜日が正式に家庭の夕べを行う日として定められた。月曜日には教
会の集会を開かないこととし,地元の教会施設は閉じられた。
スミス大管長は高齢にもかかわらず,子供のような謙虚さと若者のような活
力をもって召しを果たした。 2 年 5 か月間,教会の預言者,聖見者,啓示者を
務め,世界中の末日聖徒を鼓舞するメッセージを与えた。
スミス大管長は次のように断言した。「わたしたちは天の父なる神の子供で
なら
65
66
」
す。
」 「わたしたちはキリストを信じ,主に倣って生活しなければなりません。
み
また,ジョセフ・スミスが「父なる神と御子イエス・キリストにまみえ,実際に御
まえ
こん にち
67
前 に立ち」 ,
「キリストと世の救いについて今 日 この時代の人々に明らかにす
68
る人」となったことを証した。
69
大管長は聖徒たちに「この世の生き方の多くを捨てる」 ように,しかし世
のすべての人を愛し,
「彼らが一つか二つの悪い習慣を克服するのを助ける努
70
力をしたとしても,なるべく人の良い点を見るように」と勧めた。 また,この
「愛と兄弟愛の精神」を示す一つの方法は,福音を伝えること,すなわち「至る
所のあらゆる人々に,この時代に啓示された永遠の命の言葉を心に留めるよう
71
に勧める」ことだと聖徒たちに思い起こさせた。
大管長は教会の青少年にも手を差し伸べ,多くの若い末日聖徒の集会に参
72
加し,
「あらゆる敵対にめげずに堅固な信仰をもって立つ」ように勧めた。
また,神権者にしばしば語りかけ,神権者は「主の代理となり主の権能を持
つように召されている」ことを思い起こさせ,
「自分が何者であるかを覚え,そ
73
れに従って行動する」ように熱心に勧めた。
大管長はすべての末日聖徒に,神殿の祝福を受け,神殿で交わした聖約を忠
実に守り,先祖に代わって神聖な儀式を受けるために神殿に参入するよう勧め
た。ユタ州オグデン神殿を奉献する前にこう述べた。「わたしたちが神殿を主
に奉献するとき,実際に行うことは,主が意図しておられる方法で神殿を使用
25
ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯と教導の業
するという聖約を交わし,主に仕えるために自分自身をささげることであるとい
74
うことを思い出していただきたいのです。」
大管長は次のように強く勧めている。「戒めを守るように。光の中を歩むよ
うに。最後まで堪え忍ぶように。すべての聖約と義務に忠実であるように。そ
うすれば,主は,あなたが夢見ている最も好ましいものに勝る祝福を与えてくだ
75
さいます。」
ハロルド・B・リー大管長は,ブリガム・ヤング大管長の言葉を引用して,ス
ミス大管長の影響力と指導力について次のように述べた。「ヤング大管長はこ
う述べています。『わたしたちが神聖な宗教を実践して,霊が主権を握る生活
をするなら,宗教は退屈でつまらないものにはならないでしょう。肉体が死を
か
迎えるとき,霊はあの永久に涸 れることのない命の泉の深みから,朽ちてゆく
弱い肉体を不滅の英知の光で包む宝石のように光輝く知性を引き出しながら,
幕のかなたのあの永続する実体をさらにしっかりとつかむようになります。』
このようなことをわたしたちは何度も目にしてきました。非常に重要な問題,
すなわち大管長だけが決断するべき問題について話し合っているときのことで
す。このような光輝く知恵が現れるのを見たのです。それは〔スミス大管長〕
が心の奥深くから引き出した事柄について述べたときです。明らかに,大管長
76
自身が当時理解していることを超えたものでした。」
「主から召され …… ほかの働きに,またいっそう大きな働きに」
1971 年 8 月 3 日,ジェシー・エバンズ・スミスが世を去り,ジョセフ・フィー
ルディング・スミス大管長は,3 度配偶者に先立たれることとなった。その結
果,スミス大管長は娘のアメリア・マッコンキーとその夫ブルースと一緒に暮ら
すことになった。ほかの子供たちは定期的に大管長を訪れ,車に乗せて連れ
出した。大管長は,週日は毎日執務室へ行き,集会に出席し,また教会の任務
を果たすために旅をした。
1972 年 6 月 30 日,スミス大管長は一日の終わりに教会執務ビルの 1 階にあ
る執務室を出て,秘書の D・アーサー・ヘイコックと一緒に教会歴史家事務局
へ行った。そこは大管長になる前に働いていた場所であった。そこで働く全員
にあいさつしたいと思ったのである。握手をした後,その建物の地階へ行き,
そこで働いていた電話交換手やその他の人々と握手し,感謝の気持ちを伝え
た。それが事務所で過ごした最後の日であった。
1972 年 7 月 2 日の日曜日,大管長は 96 歳の誕生日を迎えるわずか 17 日前,
せい さん
所属ワードの聖 餐 会に出席した。その日の午後遅くに,息子のレイノルズと一
緒に長女のジョセフィンを訪ねた。その晩,大管長はマッコンキー家でお気に
26
ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯と教導の業
入りのいすに座り,安らかな死を迎えた。後に義理の息子はこう述べている。
スミス大管長は「心から愛し,全力で仕えた主から,主の永遠のぶどう園でほ
77
かの働きに,またいっそう大きな働きに召されたのです。」
今や地上における先任使徒となったハロルド・B・リー会長は,スミス大管
長の逝去の知らせを聞き,マッコンキー家を訪ねた。リー会長は「静かに長い
すに歩み寄り,ひざまずき,両手で預言者の手を握り,何も言わずにそのままし
めい そう
ばらくじっとしていた。祈っているか,瞑 想 しているようだった。それから立ち
上がり,家族に哀悼の言葉を伝え,彼らの父親に対する賛辞を述べた。また,
78
ふさわしい生活をしてスミス大管長に敬意を表すように勧めた。」
「献身的に神に仕える人」への弔辞
スミス大管長の葬儀で,N・エルドン・タナー管長は,大管長を「献身的に
はら から
神に仕える人」と呼んだ。すなわち,
「神と同 胞 の両方に立派に仕えた人,家
族をはじめ彼が管理するように召されたすべての人を模範によって導いた人,ま
こう こつ
さしく狡 猾 さや慢心のない人であると言われた人でした。『神のほまれよりも,
人のほまれを好んだ 』と言われることは決してありませんでした」とタナー管長
79
は述べている〔ヨハネ 12:43〕。
ハロルド・B・リー会長はこう述べている。「タナー兄弟とわたしは,この
2 年半の間,この方を愛してきました。見せかけではありません。大管長が愛
してくださったので,わたしたちも大管長を愛してきたのです。またわたしたち
80
を支え,信頼してくださったので,わたしたちも大管長を支えてきたのです。」
スミス大管長に対して批判的であり,60 年以上前の十二使徒会への召しに
疑問さえ呈した新聞社が,ここに至って次のような賛辞を公表した。「ジョセ
フ・フィールディング・スミスは,自分の信条を確固として曲げなかったが,どこ
でも人々の基本的な必要に心を向ける優しさを持ち,同僚には賢明な勧告を与
え,家族を温かく世話し,優れた指導力を発揮して教会の責務を果たした。懐
81
かしく慕われ,特別な尊敬の念をもって覚えられることだろう。」
恐らく最も意義深い賛辞は,家族の一員であり,スミス大管長の義理の息子
であるブルース・R・マッコンキー長老の言葉であろう。マッコンキー長老は,
スミス大管長について「神の息子,イエス・キリストの使徒,至高者の預言者,
そしてとりわけイスラエルの父」と述べ,こう預言した。「今後も長い間,彼の
声は土の中から語り,まだ生まれていない多くの世代の人々が彼の著書から福
82
音の教義を学ぶことでしょう。」
27
ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯と教導の業
皆さんが本書を研究するとき,ジョセフ・フィールディング・スミス大管長の
教えは,その預言を成就するでしょう。皆さんが「福音の教義を学ぶ」とき,ス
ミス大管長の声が皆さんに「土の中から」語ることでしょう。
注
Life of Joseph Fielding Smith, 117 で 引 用。
116 ページも参照
1. ゴードン・B・ヒンクレー「『主の預言者を信じな
さい』」
『聖徒の道』1992 年 7 月号,58 参照
2. トーマス・S・モンソン,
“ News of the Church, ”
Ensign, 1996 年 5 月,110 で引用
21. ジョセフ・F・スミスの 言 葉,The Life of Joseph Fielding Smith, 116 で引用
3. ブルース・R・マッコンキー,
“ Joseph Fielding
Smith: Apostle, Prophet, Father in Israel, ”
Ensign, 1972 年 8 月,29
22. ルイス・シャートリフの 言 葉,The Life of Joseph Fielding Smith, 112 - 113 で引用
4. ジュリナ・ラムソン・スミスの言 葉,ジョセフ・
フィールディング・スミス・ジュニア,ジョン・J・
スチュワート 共 著,The Life of Joseph Fielding Smith( 1972 年),52 で引用
23. ジョセフ・フィールディング・スミス・ジュニア,
ジョン・J・スチュワート共 著,The Life of Joseph Fielding Smith, 113
24. ジョセフ・フィールディング・スミスの言葉,The
Life of Joseph Fielding Smith, 96 で引用
5. ジョセフ・フィールディング・スミスの言葉,The
Life of Joseph Fielding Smith, 65 で引用
6. ジョセフ・フィールディング・スミス・ジュニア,
ジョン・J・スチュワート共 著,The Life of Joseph Fielding Smith, 51
7. ジョセフ・フィールディング・スミス・ジュニア,
ジョン・J・スチュワート共 著,The Life of Joseph Fielding Smith, 57
8. Conference Report ,1930 年 4 月,91
9. ジョセフ・フィールディング・スミス・ジュニア,
ジョン・J・スチュワート共 著,The Life of Joseph Fielding Smith, 62.
10. ジョセフ・フィールディング・スミス・ジュニア,
ジョン・J・スチュワート共 著,The Life of Joseph Fielding Smith, 71 - 72
11. ジョセフ・フィール ディング・スミス,Conference Report ,1970 年 10 月,92
12. ジョセフ・フィールディング・スミス・ジュニア,
ジョン・J・スチュワート共 著,The Life of Joseph Fielding Smith, 73 - 74; フ ラ ン シ ス・
M・ギボンズ,Joseph Fielding Smith: Gospel
Scholar, Prophet of God( 1992 年),52 - 53
参照
13. ジョセフ・フィールディング・スミスの言葉,The
Life of Joseph Fielding Smith, 75 で引用
14. ジョセフ・フィールディング・スミスの言葉,The
Life of Joseph Fielding Smith, 79 で引用
25. ル ー イ・ ス ミ ス の 言 葉,The Life of Joseph
Fielding Smith, 113 - 114 で引用
26. ジョセフ・フィールディング・スミス・ジュニア,
The Life of Joジョン・J・スチュワ ート 共 著,
seph Fielding Smith, 92
27. ジョセフ・フィールディング・スミスの言葉,The
Life of Joseph Fielding Smith, 115 で引用
28. The Life of Joseph Fielding Smith, 91 参照
29. フ ラ ン シ ス・M・ ギ ボ ン ズ,Joseph Fielding
Smith: Gospel Scholar, Prophet of God, 124
で引用
30. ジョセフ・フィールディング・スミスの言葉,The
Life of Joseph Fielding Smith, 152 - 153 参照
31. Jo s eph F ie ld i ng S m it h : G o sp e l S c ho l a r,
Prophet of God, 113 参照
32. ジョセフ・フィールディング・スミスの言葉,The
Life of Joseph Fielding Smith, 160 で引用
33. ジョセフ・フィールディング・スミスの言葉,The
Life of Joseph Fielding Smith, 162 で引用
34. ジョセフ・フィールディング・スミスの言葉,The
Life of Joseph Fielding Smith, 169 で引用
35. ジョセフ・フィールディング・スミス・ジュニア,
ジョン・J・スチュワート共 著,The Life of Joseph Fielding Smith, 174 - 176
36. Conference Report ,1910 年 10 月,39
37. Conference Report ,1919 年 10 月,88 - 89
15. The Life of Joseph Fielding Smith, 80 参照
38. ル シ ー ル・C・ テ ー ト,Boyd K. Packer: A
Watchman on the Tower( 1995 年),176
16. The Life of Joseph Fielding Smith, 81 で引用
17. The Life of Joseph Fielding Smith, 82 参照
18. ジョセフ・フィールディング・スミス・ジュニア,
ジョン・J・スチュワート共 著,The Life of Joseph Fielding Smith, 83
19. ジョセフ・フィールディング・スミスの言葉,The
Life of Joseph Fielding Smith, 90 で引用
39. ジョセフ・フィール ディング・スミスの 言 葉,
Jo s eph Field i ng S m it h : G o sp el S chol a r,
Prophet of God, 162 で引用
40. エセル・スミスの言 葉,ブライアント・S・ヒン
ク レ ー,
“ Joseph Fielding Smith ,”Improvement Era, 1932 年 6 月号,459 で引用
41. The Life of Joseph Fielding Smith, 14 参照
20. ジョセフ・フィールディング・スミスの言葉,The
28
ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯と教導の業
42. The Life of Joseph Fielding Smith, 234 参照
64. ジョセフ・フィールディング・スミス「聖 徒と世
の人々への 勧告」
『聖徒の道』1972 年 12 月号,
536 - 537 参照
43. The Life of Joseph Fielding Smith, 15 参照
44. The Life of Joseph Fielding Smith, 237 参照
65. ジョセフ・フィール ディング・スミス,Sealing
Power and Salvation, Brigham Young University Speeches of the Year( 1971 年 1 月
12 日),2
45. ジョセフ・フィールディング・スミスの言葉,
The
Life of Joseph Fielding Smith, 188 - 189 で
引用
46. Hymns 127 番
47. ジョセフ・フィールディング・スミス・ジュニア,
The Life of Joジョン・J・スチュワ ート 共 著,
seph Fielding Smith, 242 - 243
48. ジョセフ・フィールディング・スミスの言葉,The
Life of Joseph Fielding Smith, 249 で引用
49. ジョセフ・フィール ディング・スミスの 言 葉,
Jo s eph Field i ng S m it h : G o sp el S chol a r,
Prophet of God, 275 で引用
“ The Plan
66. ジョセフ・フィールディング・スミス,
of Salvation, ”Ensign, 1971 年 11 月号,5
67. ジョセフ・フィールディング・スミス,
“ To Know
for Ourselves, ”Improvement Era, 1970 年 3
月号,3
68. ジョセフ・フィール ディング・スミス,
「最 後 の
神 権 時 代における最初の 預 言 者」
『聖 徒の 道』
1979 年 12 月号,30
50. The Life of Joseph Fielding Smith , 2 51 -
258 参照
“ Our
69. ジョ セ フ・フィール ディング・スミ ス,
Responsibilities as Priesthood Holders, ”Ensign, 1971 年 6 月号,49
51. フランシス・M・ギボンズの言葉,Joseph Fielding Smith: Gospel Scholar, Prophet of God,
278 - 279
70. ジョセフ・フィールディング・スミス,
“ My Dear
Young Fellow Workers, ”New Era, 1971 年 1
月号,4
52. マ ー サ・トロント・ア ンダーソン,A Cherry
Tree Behind the Iron Curtain( 1977 年),32
71. ジョセフ・フィールディング・スミス,
“ I Know
That My Redeemer Liveth, ”Ensign, 1971
年 12 月号,27
53. シ ェ リ ー・L・ デ ュ ー,Ezra Taft Benson: A
Biography( 1987 年),204
72. ジョセフ・フィール ディング・スミス,
“ President Joseph Fielding Smith Speaks on the
New M I A Theme, ”New Era , 19 71 年 9 月
号,40
54. ジョセフ・フィールディング・スミスの言葉,
The
Life of Joseph Fielding Smith, 282 - 283 で
引用
73. ジョセフ・フィール ディング・スミス,Conference Report ,1970 年 10 月,92
55. Jo s eph F ie ld i ng S m it h : G o sp e l S c ho l a r,
Prophet of God, 315 参照
56. ジョセフ・フィール ディング・スミスの 言 葉,
Jo s eph Field i ng S m it h : G o sp el S chol a r,
Prophet of God, 332 で引用
57. ジョセフ・フィールディング・スミスの言葉,
The
Life of Joseph Fielding Smith, 287 - 288 で
引用
58. N・エルドン・タナー,
“ A Man without Guile, ”
Ensign, 1972 年 8 月号,33
59. ブルース・R・マッコンキー,
“ Joseph Fielding
Smith: Apostle, Prophet, Father in Israel, ”
Ensign, 1972 年 8 月号,28
60. 十二使 徒 定 員会,
“ President Joseph Fielding
Smith, ”Improvement Era, 1956 年 7 月号,495
74. ジョセフ・フィール ディング・スミス,
“ Ogden
Temple Dedicatory Prayer, ”Ensign, 1972
年 3 月号,6 で引用
75. ジョセフ・フィールディング・スミス,
「聖徒と世
の人々への勧告」,536 参照
76. ハロルド・B・リー,
“ The President - Prophet,
Seer, and Revelator, ”Ensign, 1972 年 8 月
号,35
77. ブルース・R・マッコンキー,
“ Joseph Fielding
Smith: Apostle, Prophet, Father in Israel, ”
24
78. フ ラ ン シ ス・M・ ギ ボ ン ズ,Joseph Fielding
Smith: Gospel Scholar, Prophet of God, 495
79. N・エルドン・タナー,
“ A Man without Guile, ”
Ensign, 1972 年 8 月号,32
61. エズラ・タフト・ベンソンの言葉,シェリー・L・
Ezra Taft Benson, 411 で引用
デュー,
80. ハロルド・B・リー,
“ The President - Prophet,
Seer, and Revelator, ”39
62. ボ イド・K・ パ ッ カ ー,
“ The Spirit Beareth
Record, ”Ensign, 1971 年 6 月号,87
81. Salt Lake Tribune, 1972 年 7 月 4 日付,12
63. ジョセフ・フィールディング・スミス,
“ Message
from the First Presidency, ”Ensign, 1971 年
1 月号,裏表紙と 1 ページで引用
82. ブルース・R・マッコンキー,
“ Joseph Fielding
Smith: Apostle, Prophet, Father in Israel, ”
24 ,27
29
ジョセフ・スミスの最初の示現により,
「神についての真実の知識」が回復された。
30
第 1 章
第1章
天の御父
「わたしが皆さんに望むのは,神の属性と特質を思い
起こしていただくことです。そうすれば,霊とまこと
をもって神を礼拝し,それによって神の福音に伴う
すべての祝福を受けることができるでしょう。」
ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯から
ジ
ョセフ・フィールディング・スミス大管長は当時の技術的進歩に目を見張
り,こう語っている。「機械,化学,物理学,外科手術などの分野で大きな進歩
が遂げられています。高性能の望遠鏡により未知のベールに覆われていた銀
河が見られるようになりました。顕微鏡の使用により膨大な数の微生物が発見
されました。…… 病気を制御する方法が発見されました。……人の触覚よりも
繊細な機械や,人の目よりも遠くまで見える機械が発明されました。物質を構
成する要素を制御し,山を動かせる機械を作るなど,数え切れないほど多くの
ことが成し遂げられてきました。ほんとうにすばらしい時代です。」しかし,世
の中に見られるもう一つの傾向について懸念し,こう嘆いている。「こうした発
けん そん
明発見のすべてが人を神へ近づけたとは限りません。心の中に謙 遜 さと悔い
改めの精神を呼び覚ましたわけでもありません。むしろ逆に,罪の宣告を受け
るようになりました。…… 世の中の信仰や義,神への従順は増していないので
1
す。」
世の人々が神に対してますます無関心になる一方,スミス大管長は天の御父
に近づくことを身をもって示した。大管長の孫の一人はこう回想している。「わ
たしの母は料理が上手でした。それで祖父はしばしば我が家で食事をしまし
たが,そういうときに食物の祝福をするよう父からよく頼まれていました。祖父
はいつも,あたかも友に話しかけるかのように,親しく神に語りかけるように祈
2
りました。」
31
第1章
ジョセフ・フィールディング・スミスの教え
1
ジョセフ・スミスの最初の示現に始まり,
神についての真実の知識が現代に回復された
わたしは最初の示現に心から感謝しています。御父と御子が若き預言者に
み すがた
3
御姿を現し,神についての真実の知識を再び回復してくださいました。
1820 年にはキリスト教界全体で神にかかわる真の教義が失われていまし
た。昔の使徒や聖徒たちは分かりやすい真理を非常に明確に理解していまし
たが,背教の世にあっては,そのような真理が神秘のベールに隠されて失われ
てしまいました。古代のすべての預言者とイエス・キリストの使徒たちは,聖典
めいりょう
が非常に明 瞭 に教えているように,御父と御子が別々の御方であるということ
を明確に理解していました。ところが,この知識は背教により失われてしまっ
たのです。…… 神は神秘のベールに包まれ,御父と御子はともに,人知では分
からない一体化された霊の存在で,体や器官も感情もお持ちでないと考えられ
ていました。御父と御子が訪れてくださったことにより,神の真実の属性にか
4
かわる知識を世に回復することができる神の証人が地上に立てられたのです。
ジョセフ・スミスが受けた〔最初の〕示現によって,御父と御子が別々の御
方であって,それぞれ人間の体と同じように触れることのできる体を持ってお
られることが明らかにされました。さらにまた,聖霊が霊の御方であって,御
父とも御子とも異なる別の御方であることも明らかにされました〔教義と聖約
130:22 参照〕。このきわめて重要な真理は世界を揺るがしました。しかし,
聖典に重要な真理が明瞭に記されていることを考えると,人がこれほどまで
に甚だしく真理から遠ざかることもあるというのは,非常に不思議な驚くべき
事実です。救い主は,
「父〔は〕わたしより大きいかたである」と言われました
〔ヨハネ 14:28〕。また復活後に弟子たちに,御自分の体にさわって主であるこ
とを確かめるようにと言われました。そして,このように告げられました。「霊
には肉や骨はないが,あなたがたが見るとおり,わたしにはあるのだ。」
〔ルカ
24:39〕使徒たちは,書簡の中でしばしば述べているように,御父と御子と聖
霊が別個の御方であることをはっきり理解していました。パウロもコリント人に
み
こ
対して,万物が神に従うときには,
「御 子 自身もまた,万物を従わせたそのかた
に従うであろう。それは,神がすべての者にあって,すべてとなられるためであ
る」という事実を明らかにしています〔 1 コリント 15:28〕。
おん こ
「神は自分のか
ジョセフ・スミスは御父と御 子 にまみえました。したがって,
たちに人を創造された。すなわち,神のかたちに創造し,男と女とに創造され
あかし
た」という聖文が真実であることを,自らの知識に基づいて証 することができ
32
第1章
ました〔創世 1:27〕。これは文字どおりに理解するべき事柄であって,神秘的
ひ
ゆ
5
あるいは比喩的な事柄ではありません。
2
神を信じる信仰を働かせ,神を礼拝するには,
神の特質を理解しなければならない
わたしたちに与えられている啓示の一つは次のように教えています。キリスト
が御父によって栄光を受けておられるように,わたしたちがキリストによって栄
光を受けたいと望むなら,礼拝する方法と自分が礼拝する御方を理解して知る
必要があります(教義と聖約 93:19 - 20 参照)。
わたしが皆さんに望むのは,神の属性と特質を思い起こしていただくことで
す。そうすれば,霊とまことをもって神を礼拝し,それによって神の福音に伴う
すべての祝福を受けることができるでしょう。
神は啓示によってのみ知ることができる,すなわち啓示によらずには神を知
ることは永久にできないということを,わたしたちは知っています。神にかかわ
る真理を学びたいと思うならば,科学者や哲学者の言葉ではなく,聖文を研究
なか ぞら
しなければなりません。まさに,中 空 を飛ぶ天使によりもたらされる福音の回
復についてのヨハネの偉大な預言は,人がまことの神についての知識を得て教
えられるように,回復が起こることになると述べています。「神をおそれ,神に
栄光を帰せよ。……天と地と海と水の源とを造られたかたを,伏し拝め。」
(黙
示 14:7 )。言い換えれば,この神権時代に福音が回復されて以来,人は世に
広まっている神にかかわる誤った概念を受け入れるのではなく,創造主を礼拝
し,創造主に仕えるように求められるのです。
どの時代にも,主の預言者は偽りの礼拝と闘い,神にかかわる真理を宣言す
るように求められてきました。古代イスラエルには,偶像や異教の神々を礼拝
する人々がいました。イザヤは次のように問いかけています。「それで,あなた
がたは神をだれとくらべ,どんな像と比較しようとするのか。」
「あなたは知らなかったか,あなたは聞かなかったか。主はとこしえの神,地
の果ての創造者であって,弱ることなく,また疲れることなく,その知恵ははか
りがたい。」
(イザヤ 40:18 ,28 )
こん にち
今 日,世の多くの人々は神にかかわるこの知識を持っていません。〔教会〕
の中にさえも,永遠の御父である栄光に満ちたその御方について完全に理解し
ていない人々がいます。この知識を持っていない人々に,次のように言ってもよ
いのではないでしょうか。「なぜあなたは神の栄光を限りあるものとするので
しょうか。あるいは,なぜ神が実際よりも小さな御方であると考えるのでしょ
うか。あなたは知らなかったのですか。とこしえの神,主,地の果ての創造主
33
第1章
は無限かつ永遠であり,すべての力,すべての威勢,すべての主権を持っておら
み まえ
れ,すべてのことを御存じであること,そして万物は主の御 前 にあるということ
を,あなたは聞いたことがないのでしょうか。」
教義と聖約第 20 章には,この神権時代に教会を再び組織するように預言者
ジョセフ・スミスに命じられた言葉が書かれていますが,その中に救いの基本
的な教義の幾つかに関する要約が啓示されています。神について,その啓示で
は次のように述べられています。「……わたしたちは,天に神がおられ,この神
は無限かつ永遠で,永遠から永遠にわたって変わることのない同じ神であり,
天地とその中にある万物を形造られた御方であることを知っている。」
(教義と
聖約 20:17 )……
神はわたしたちの御父であり,人は神の形に創造されています。神は,人間
の体と同じように触れることのできる骨肉の体を持っておられます(教義と聖
約 130:22 )。文字どおり人格を持っておられる,全人類の霊の御父です。神
は全知全能であり,あらゆる力と英知を持っておられます。御父が完全であら
れるのは,すべての知識,すべての信仰や力,すべての正義,すべての裁き,す
あわ
べての憐れみ,すべての真理,さらに神としてのあらゆる属性を備えておられる
からです。……わたしたちは,そのような完全な信仰を持ち,それにより永遠
の命を受けたいと望むならば,神がこれらの完全な特性と属性を備えた御方
であることを信じなければなりません。また,次のように申し上げたいと思いま
す。神は無限かつ永遠の御方であり,変わることのない御方であって,永遠か
6
ら永遠にわたってこれらの完全な力と属性を備えておられます。
天の御父は栄光に満ち,昇栄された御方であるということを,わたしたちは
知っています。あらゆる力,あらゆる威勢,あらゆる主権を持っておられ,すべ
てのことを御存じです。御父が独り子を通してこの地球と無数の世界を創造さ
あかし
7
れたことを証します。
3
神は人格を持った御方であり,わたしたちの霊の御父であられる
わたしたちは天の御父である神の霊の子供です。…… 御父の家族の一員で
す。……前世で長い間,御父とともに住んでいました。…… 御父は進歩と救い
の計画をお定めになりました。それは,わたしたちがあらゆる点で忠実かつ誠
8
実であるならば,進歩成長して御父のようになることができるという計画です。
ひ
ゆ
わたしたちは聖典の中で,神が比 喩 的な意味ではなく,文字どおりわたした
あがな
ちの永遠の御父であられると教えられています。贖 い主はよみがえって死に対
して勝利を収められましたが,その墓の近くで贖い主がマリヤに語りかけられ
た言葉には,非常に荘厳で輝かしい意味が込められていました。「わたしにさ
34
第1章
わってはいけない。わたしは,まだ父のみもとに上っていないのだから。ただ,
わたしの兄弟たちの所に行って,
『わたしは,わたしの父またあなたがたの父で
あって,わたしの神またあなたがたの神であられるかたのみもとへ上って行く』
と,彼らに伝えなさい。」
〔ヨハネ 20:17〕神の独り子のこれらの言葉は,神が
御父であられるという真理をはっきりと宣言しています。この独り子は御自分
がわたしたちの兄弟であると断言し,わたしたちが同じ永遠の御父の子供であ
9
ると言われたのです。
わたしは次の事柄に感謝しています。神と神の律法にかかわる知識がわた
したちの時代に回復されました。わたしたち教会員は,神が人格を持った御方
であって,ほかの宗派の人たちが言ったように,
「宇宙の霧のように浮かんでい
る法則の集積したもの〔無秩序な寄せ集め〕」ではあられないことを知ってい
ます。また,神が天の御父であり,わたしたちの霊の御父であられること,そし
て神が定められた律法によりわたしたちは進歩成長して神のようになることが
できるということを知っています。さらに,神は無限かつ永遠の御方であり,神
にとっての進歩とは,いっそう多くの知識や力を得るとか,神の属性をさらに完
全なものにするという意味ではなく,神の王国を増加し増大させるという意味
10
であることを知っています。
4
天の御父はわたしたちを愛し,わたしたち一人一人に関心を持っておられる
高価な真珠に記されているモーセの示現の話が思い浮かびます。これは,
モーセが非常に高い山へ連れて行かれ,顔と顔を合わせて神とまみえ,神と
語ったときに与えられた示現です。主はモーセに「〔主の〕手で造られたもの」
を示され,モーセは世界を見ました。また過去から現在に至るすべての人の子
らを見ました〔モーセ 1:1 - 8 ,27 - 29 参照〕。
そして主はモーセにこう言われました。
「『見よ,わたしの力の言葉によって過ぎ去った多くの世界がある。また,現
在ある世界も多くあり,それらは人にとって数え切れない。しかし,わたしには
すべてのものが数えられている。それらはわたしのものであり,わたしはそれ
らを知っているからである。』
しもべ
あわ
そこで,モーセは主に言った。『おお,神よ,あなたの僕 を憐 れんでくださ
い。そして,この地球とこの地球に住む者と,また天について,わたしにお話し
ください。そうすれば,あなたの僕は満足します。』
そこで,主なる神はモーセに言われた。『もろもろの天は数多く,人には数え
ることができない。しかし,わたしには数えられている。それらはわたしのも
のだからである。』」
〔モーセ 1:35 - 37〕
35
第1章
約束の地を眺めるモーセ。モーセは示現を受け,その中で神の業と栄光を知った。
……わたしはこう考えています。無数の世界があり,その多くが広大な世界
であるにもかかわらず,それらはある一つの目的のための手段であり,それ自
体が目的ではありません。御父が世界を創造しておられる目的は,人々を住
まわせるため,すなわち御自分の息子娘たちをそこに住まわせるためです。教
義と聖約第 76 章にはこう書かれています。神の御子によって,御子を通じて,
「もろもろの世界が現在創造され,また過去に創造された。そして,それらに住
む者は神のもとに生まれた息子や娘となる」と〔教義と聖約 76:24 〕。
わたしが今読んだこれらの聖文,および主から与えられたそのほかの啓示か
ら,人は御父のすべての被造物の中で最も重要であることが分かります。モー
36
第1章
セに与えられた同じ示現の中で,御父はこう言っておられます。「一つの地球と
その天が過ぎ去ると,まことに別のものが生じる。わたしの業にもわたしの言
葉にも,終わりがないのである。見よ,人の不死不滅と永遠の命をもたらすこ
と,これがわたしの業であり,わたしの栄光である。」
〔モーセ 1:38 - 39〕
この聖文およびそのほかの聖文から,御父の大いなる業は御父の子供たち
に救いをもたらし,各人にそれぞれの働きに従って各々にふさわしい報いを与
えることであると分かります。天の御父は地上の父親がその子供に対して抱い
ているよりもはるかに深い関心を子供たち一人一人に抱いておられると確信し
ています。わたしたちに対する御父の愛は,この世の親が子に対して抱いてい
11
る愛よりも深いのです。
5
天の御父は不従順な子供たちについて嘆き悲しんでおられる
主がエノクに語りかけ,地上の民を見せ,主の戒めに背く罪に対して下る罰が
どのようなものかを説明されたとき,主は泣かれ,不従順に対する悲しみの涙
を流されたことが,わたしたちに知らされています。このために,エノクは驚き,
主がいったいどうして泣かれるのか不思議に思いました。
聖文にはこう書かれています。
あかし
「すると,天の神が民の残りの者を見て泣かれた。エノクはそのことを証 して
言った。『どうして天が泣き,雨が山々に降り注ぐようにその涙を流すのです
か。』
また,エノクは主に言った。『あなたは,永遠から永遠にわたって聖なる御方
であるのに,どうして泣くことがおできになるのですか。
人が地の微粒子,まことにこの地球のような幾百万の地球を数えることがで
きたとしても,それはあなたが創造されたものの数の始めにも至りません。あ
なたのとばりは今なお広がっています。それでも,あなたはそこにおられ,あな
あわ
たの懐はそこにあります。また,あなたは公正な御方です。とこしえに憐 れみ
深く,思いやりの深い御方です。』」
〔モーセ 7:28 - 30 参照〕
主はそれにこう答えられました。「これらあなたの兄弟たちを見なさい。彼
らはわたし自身の手で造られたものである。わたしは彼らを創造した日に,彼
らに知識を与えた。また,エデンの園で人に選択の自由を与えた。
わたしはあなたの兄弟たちに語って,互いに愛し合うように,また父であるわ
たしを選ぶようにという戒めも与えた。ところが見よ,彼らは愛情がなく,自分
の血族を憎んでいる。」
〔モーセ 7:32 - 33〕
このような理由で主は泣かれ,また天も泣いたのです。
37
第1章
わたしはかつてある兄弟からこのような質問を受けました。人はもし日の栄
えの王国に入っても,自分の子供の一人がそこへ入るのを許されなければ,心
から幸せになれるでしょうか。わたしはこう答えました。自分の子供の一人が
日の栄えの王国に入ることを許されないという不幸に遭った人はだれでも,言う
までもなくそのような状況に悲しむことでしょう。まさにそれと同じことが天の
御父にも言えるのです。御父の子供たちの全員が日の栄えの王国にふさわしい
とは限りません。多くの者が自分の背きのゆえに御父の激しい怒りを買うこと
を余儀なくされています。そのために,御父もすべての天も悲しみ,涙を流すの
あがな
です。主は自然の律法に従って働かれます。人は律法に従って贖いを受け,正
義の律法に基づいて報いを受けなければなりません。このために,主は人にふ
さわしくないものを与えようとはなさらず,すべての人にそれぞれの働きに応じ
て報いをお与えになるのです。
……天の御父は,もし可能であるならば,すべての人を救い,日の栄えの栄
光,すなわち完全な昇栄を与えようとされると,わたしは確信しています。しか
し,御父は人に選択の自由をお与えになりました。ですから人は,義にかなう
12
昇栄を得るために,啓示された事柄に照らして真理に従う必要があるのです。
6
天の御父は,わたしたちが御父のみもとへ戻れるように
あがな
贖いの方法を備えてくださった
アダムはエデンの園にいたとき,わたしたちの御父である神のみもとにいまし
た。……アダムがエデンの園から追放された後,状況は変わりました。アダム
は,背きのゆえに御父のみもとから追放されたのです。聖文によると,アダムは
み まえ
13
霊の死を受けました。すなわち,神の御前から締め出されたのです。
わたしは,イエス・キリストが神の御子であり,アダムの堕落によって世にもた
らされた霊の死と肉体の死から人を贖う力を御父から受けられたことを知って
14
います。
贖いの方法はただ一つしかありませんでした。償いをし,肉体を再び霊に
しょくざい
回復するただ一つの方法です。それは無窮の贖 罪 によるものでした。無窮の
御方,すなわち死の支配を受けず,しかも死ぬ力を持ち,死に打ち勝つ力をも
持っておられる御方によってなされなくてはなりません。そこで天の御父は御
子イエス・キリストに命を与え,この世に送ってくださいました。イエス・キリス
トは血の流れる肉体を持った母親から生まれたため,死ぬ力を持っておられま
した。また肉体を死にゆだね,その後再び肉体を得ることがおできになりまし
た。主御自身の言葉を読んでみましょう。「父は,わたしが自分の命を捨てる
38
第1章
から,わたしを愛してくださるのである。命を捨てるのは,それを再び得るため
である。
だれかが,わたしからそれを取り去るのではない。わたしが,自分からそれ
を捨てるのである。わたしには,それを捨てる力があり,またそれを受ける力も
15
ある。これはわたしの父から授かった定めである。」
(ヨハネ 10:17 - 18 )
くら やみ
人々を,導きとなる光もなく暗 闇 の中を手探りで進むままにしておきながら,
そのような状況の中で天の御父の王国,その聖なるみもとに戻るように期待す
るのは,決して御父の御心ではありませんでした。それは主の方法ではありま
せん。時の初めからこの御方,天の御父は子供たちに思いやりを示し,進んで
導きを与えてこられました。世の初めより天は開かれており,主は神から任じら
しもべ
れた僕 たちへ主のみもとから使者を送ってくださいました。その僕たちとは,
民に警告し,正義を教えるために,福音の原則を教えるように託された神権の
権能を持つ人たちです。そしてこれらの人々は神のみもとから来たこれらの使
者からこの知識,この霊感と導きを受けました。これは現代の神権時代にも当
てはまることです。人々は目をつぶり,光がないので自分の理性に頼ることしか
できないと感じる必要はありません。なぜなら,主は常に進んで導きを与え,
道を示してくださるからです。繰り返しますが,主はみもとから使者を送ってく
み こと ば
ださっているのです。啓示を与えてくださっています。また,御 言 葉 を記録して
出版するように命じておられます。それはすべての人が御言葉を知ることがで
16
きるようにするためです。
皆さんとすべての教会員,さらには全世界の方々へ申し上げます。優しく愛
に満ちた御父は,この末日に僕たちと預言者たちに天から再び語りかけておら
れます。
御父の声はすべての人に,愛する御子のもとへ来て,御子について学び,御
いつく
子の慈 しみにあずかり,御子のくびきを負い,御子の福音の律法に従うことに
み こえ
よって自分の救いを達成するよう招いています。御父の御 声 は,栄光と誉れに
17
満ち,現世では平安を,来世では永遠の命をもたらすものです。
研究とレッスンのための提案
質問
•「あたかも友に話しかけるかのように」人が神に祈ることができるのは,どう
してだと思いますか(「ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯から」)。あ
なたが天の御父との関係を強めることができる方法について考えてくださ
い。
•スミス大管長は,
「神についての真実の知識」を回復したジョセフ・スミスの
39
第1章
示現に感謝の気持ちを表しています(第 1 項)。最初の示現のおかげで,あ
なたは父なる神とイエス・キリストについて,どのような真理を知っているで
しょうか。
•スミス大管長が第 2 項で挙げている神の特質の中で,あなたにとって最も大
きな意味を持つものはどれでしょうか。それはなぜでしょうか。あなたが天
の御父を信じる信仰を働かせるとき,御父の特質について知るために,それ
はどのような助けとなるでしょうか。
あかし
•スミス大管長は次のように証 しています。「わたしたちは天の御父である神
の霊の子供です。…… 御父の家族の一員です。」
(第 3 項)この真理はあな
たにどのような影響を及ぼしてきたでしょうか。
•第 4 項と第 5 項の中で,あなたに対する天の御父の愛を感じる助けとなるの
はどの言葉でしょうか。神はわたしたちを愛しておられ,個々人に関心を持っ
ておられることを理解するのは,なぜ大切なのでしょうか。家族や友人が神
の愛を感じられるように助けるには,どうしたらよいでしょうか。
•あなたが天の御父のみもとへ戻れるようにするために,御父が行ってくだ
さったことについて考えてください(第 6 項参照)。天の御父が愛する御子
を送ってくださったことについて考えると,どのような気持ちになるでしょう
か。天の御父はどのような方法で「〔あなたの足もとを〕照らす光」を送って
くださっているでしょうか。
関連聖句
ヨハネ 3:16;17:3;1 ニーファイ 11:17;アルマ 30:44
教える際のヒント
「教会で行われているレッスンの多くは,堅苦しすぎるようです。講義のよう
せい さん
なレッスンでは受け答えをすることができません。聖 餐 会や大会では,そのよ
うな教え方をしますが,レッスンは質問ができるように双方向でなければなり
ません。クラスでは生徒が気軽に質問できるようにするとよいでしょう。」
(ボイ
ド・K・パッカー「教え,学ぶことの原則」
『リアホナ』2007 年 6 月号,55 )
注
1. Conference Report ,1943 年 4 月,15 - 16
3 巻( 1954 - 1956 年),第 1 巻,2 - 3 も参照
6.“ The Most Important Knowledge, ”Ensign,
1971 年 5 月号,2 - 3
2. ホイト・W・ブルースター・ジュニアによる未刊原稿
3. Conference Report, 1930 年 4 月,90
7.“ Out of the Darkness, ”Ensign, 1971 年 6 月
号,2
4. Answers to Gospel Questions, ジョセフ・フィー
ルディング・スミス・ジュニア編,全 5 巻( 1957
- 1966 年),第 3 巻,117
8. S e a l i ng Powe r a nd S a lv at i o n , B r ig h a m
You ng Un iver s it y Sp eeche s of t he Yea r
( 1971 年 1 月 12 日)
,2
5.“ Origin of the First Vision, ”Improvement
Era, 1920 年 4 月 号,496 - 497 。Doctrines
of Salvation, ブルース・R・マッコンキー編,全
9.“ Purpose and Value of Mortal Probation, ”
40
第1章
Deseret News, Church 欄,1949 年 6 月 12 日
付,21 。Doctrines of Salvation, 第 1 巻,1 も
参照
グ・スミスの注解によると,モーセ 1 章に記され
み こころ
た言葉は父なる神の御心を表している。
10.“ The Most Important Knowledge, ”3
11. C o n f e r e n c e R e p o r t ,1 9 2 3 年 4 月,1 3 5 -
136 。 モ ー セ 1 章 に 記されて いるモ ー セ の 示
現 は,救 い主 が 神 聖な権 能を授与されて 御 父
の言 葉を語 っておられ る例 である(“ The Father and the Son: A Doctrinal Exposition
by the First Presidency and the Twelve, ”
Improvement Era, 1916 年 8 月 号,939 参 照。
Ensign, 2002 年 4 月 号,17 で 再 版)。 聖 文 お
よび本章に記載されたジョセフ・フィールディン
41
12. Conference Report, 1923 年 4 月,136 - 137 ,
139 。本 章の注 11 も参 照。これ はモーセ 7 章
に記されているエノクの示現にも当てはまる。
13. Conference Report, 1953 年 10 月,58
14.“ A Witness and a Blessing, ”Ensign, 1971
年 6 月号,109
15. Conference Report, 1967 年 4 月,122
16. Conference Report, 1931 年 10 月,15
17.“ A Witness and a Blessing, ”109
あがな
「あらゆる真理は世の贖い主である主イエス・キリストを源とし,中心としています。」
42
第
2
章
わたしたちの救い主イエス・キリスト
「わたしたちが今も,そして常に心に留めておくべき最も
重要なことは,イエスがキリストであり,生ける神の御
子であられ,わたしたちに命を得させるために,この世
に来て命をささげられたということです。これは根本
的な真理であり,わたしたちの信仰の土台です。」
ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯から
ジョセフ・フィールディング・スミス大管長は使徒として,「全世界におけるキ
リストの名の特別な証人」の一人となる召しに忠実であった(教義と聖約 107:
あがな
23 )。大管長はこう述べている。「わたしはわたしたちの贖 い主をほかの何よ
りも愛するように努めています。それはわたしの務めです。わたしは主の特別
な証人の一人として国中を旅しています。主が神の御子であり世の贖い主であ
られるということを疑問の余地なく確実に知っていなければ,イエス・キリスト
1
の特別な証人になることはできません。」
あかし
スミス大管長は救い主について証 をする責任と同様,父親としての責任も献
身的に果たした。 1948 年 7 月 18 日,専任宣教師として伝道していた息子のダ
グラスとミルトンに手紙を送り,こう書いている。
「時 折,座って思いにふけることがあります。 聖文を読みながら,主の 使
命について,主がわたし のために行ってくださったことについて考えます。こ
のような思いが浮かぶと,主に対して不誠 実ではいられないと自分に言い
聞か せます。 主は すべての人,特に主に仕える人々に対 すると同 様,わた
しに対しても完 全な愛を示してくださいました。 ですから主に対 する愛は
不完 全であってはなりませんが,たとえ不完 全であっても,わたしはできる
限りの愛をもって,主を愛さなくてはなりません 。救い主の愛はすばらしい
ものです。わたしは救い主が地上におられた時 代に生きてはいませんでし
み すがた
た。主が個人的にわたしを訪れて来られたことはなく,わたしも主の御 姿 を
見たことはありません。そのような大きな祝福をわたしに与える必要がある
とは,御父も主も思われなかったのです。 確かに必 要ではありません。 わ
み たま
たしは主がおられることを感じてきました。 聖なる 御 霊 がわたしの心を照
主について明らかにしてくださった ということを知っています。ですか
らし,
43
第2章
ら,わたしはこの世のほかの何よりも深く贖い主を愛しています。そのように
願っており,また確かにそうだと感じています。この経験はほかの方法では得
られないものです。わたしは主に誠実でありたいと思います。主はわたしの
ために,あなたのために,また全人類のために亡くなられたことを知っていま
ゆる
す。わたしたちが復活して再び生きるためです。わたしの愚かな行為や罪が赦
され,清められるように亡くなられたのです。何とすばらしい愛でしょう。これ
を知りながら,贖い主を愛する以外にできることがほかにあるでしょうか。伝
道に出ている息子たちにも同じように感じてもらいたいと思います。子供たち
や孫たちも同じように感じるように,真理と正義の道から決してそれないように
2
願っています。」
スミス大管長の息子の一人はこう述べている。
「わたしたち子供は父が次のように言うのを頻繁に聞いたものでした。『主
がわたしたちのために御自分の身に引き受けられた試練と苦難,罪について,
世界中の人々が理解してくれたらどんなにかよいのに。』こう言う父の目にはい
つも涙がにじんでいました。
めい そう
〔あるとき〕わたしは父の書斎で二人きりでいると,父が深く瞑 想 している
のに気づきました。わたしは静寂を破ることをためらいましたが,ついに父が
口を開きました。『息子よ,先週の木曜日に神殿で幹部の兄弟たちと会合を開
いたときに,おまえにも一緒にいてもらいたかったよ。主であり救い主である
イエス・キリストに対する愛について証する彼らの言葉を聞けたら,どんなにか
ほほ
よかったのに。』そして,父が頭を下げると,涙が頬 を伝い,ワイシャツに落ち
ました。それからしばらくして,うつむいたまま深くうなずきながら,こう言いま
した。『わたしは主であり救い主であるイエス・キリストを心から深く愛してい
3
る。』」
ジョセフ・フィールディング・スミスの教え
1
イエス・キリストは神の独り子であり,世の救い主であられる
めいりょう
わたしはできるだけ明 瞭 に力強く申し上げます。わたしたちはキリストを信
じています。また,神の御子,世の救い主として無条件に主を受け入れていま
4
す。
わたしたちは次のことを知っています。救いはキリストの内にあります。キリ
しょくざい
ストは永遠の御父の長子であられました。無限にして永遠の贖罪を成し遂げる
ために,天の会議で選ばれ予任されました。神の御子として世にお生まれにな
りました。そして,福音を通して命と不死不滅を明らかにされました。
44
第2章
わたしたちは次のことが間違いなく確かであると信じています。キリストは
あがな
アダムの堕落によって世にもたらされた肉体の死と霊の死から人々を贖 うため
に来られ,悔い改めを条件として全人類の罪を御自身に引き受けられました。
……
わたしたちは次のことを信じています。わたしたちは自分の行えることをす
べて行った後,恵みによって救われます〔 2 ニーファイ 25:23 参照〕。また,
キリストの贖罪の基の上に築き上げることにより,すべての人は主の前に恐れ
おののいて自分の救いを達成しなければなりません〔 ピリピ 2:12;モルモン
5
9:27 参照〕。
救い主とわたしたちの違いは,わたしたちの肉体の父が死すべき状態であ
り,従って死に支配されている点です。救い主の父は死すべき状態ではなく,
したがって死が救い主に支配されていました。救い主は命を捨て,それから再
び命を得る力を持っておられました〔ヨハネ 10:17 - 18 参照〕。しかし,わた
したちには自分の命を捨て,それから再び得る力はありません。わたしたちが
死から復活し,福音の原則に従うことによって永遠の命を受けるのは,イエス・
キリストの贖罪によるのです。
6
主は実に神の独り子です。そして,主の恵みにより,また御父の恵みにより,
わたしたちは悔い改めを条件として罪から贖われています。わたしたちは知っ
ています。主は死者の中からよみがえり,とりこを率いて高い所へ上られました
〔詩篇 68:18 参照〕。そして,信じて自分の罪を悔い改め,世の贖い主として
主を受け入れるすべての人にとって,救いの源となられたのです〔ヘブル 5:9
7
参照〕。末日聖徒には,これらのことについて疑問はありません。
人は計画を立て,理論を受け入れ,奇妙な慣習を始め,多くの特異な教義を
集めて教えることもあります。しかし,根本的な教えはただ一つであり,それを
忘れてはなりません。それは,あらゆる真理は世の贖い主である主イエス・キ
リストを源とし,中心としているということです。わたしたちはイエス・キリスト
を,御父の独り子として肉体をもって生まれた御方,すなわち不死不滅の御父
を父として肉体に宿られた唯一の御方として受け入れています。主はその生得
権のゆえに,また地上への来臨に伴う条件のゆえに,人々の贖い主になられま
した。そして,主が血を流されたことにより,悔い改めと,主が用意された偉大
な贖いの計画を受け入れるという条件で,わたしたちは御父のもとへ帰る特権
8
にあずかるのです。
わたしたちは次のように証します。イエス・キリストの福音は救いの計画で
す。主の贖いの犠牲により,すべての人はよみがえって不死不滅となり,肉に
あってなした行いに応じて主によって裁かれます。また,福音の律法をすべて
9
信じて従う者はよみがえって御父の王国で永遠の命を受けるのです。
45
第2章
2
しょくざい
わたしたちは主の贖罪のおかげで,また主に従うという聖約を通して,
イエス・キリストの息子や娘となる
天の御父は,霊においても肉においてもイエス・キリストの御父です。わたし
10
たちの救い主は,霊において長子であり,肉において独り子です。
イエス・キリストはわたしたちの長兄であり,御父と御子と聖霊から成る偉大
11
な神会の一員として完全な権能と力を御父からお授かりになりました。
聖典では,イエス・キリストが父であり子であられると教えられています。真
理は簡潔です。すなわち,イエス・キリストは霊と肉の両面において神からお
生まれになった神の御子です。父であるのは,キリストが遂行された業による
12
のです。
救い主がわたしたちの父となられるという理由は,この言葉が聖文の中で使
われている意味を考えると分かります。主はわたしたちのためになさった贖罪
を通して,わたしたちに命を,すなわち永遠の命を与えてくださるからです。ベ
ニヤミン王が 語ったすばらしい教えの中に,次のような言葉があります。「さ
て,あなたがたが交わした聖約のために,あなたがたはキリストの子と呼ばれ,
こんにち
キリストの息子および娘と呼ばれる 。見よ,それは,今日キリストが霊的にあな
み な
たがたを子としてもうけられた からである。あなたがたは,キリストの御名を信
あなたがたはキリストから生まれ,キリストの
じて心が改まったと言う。だから,
〔モーサヤ 5:7 。 8 - 11 節も参照〕
息子および娘となった のである。」
このようにして,わたしたちはキリストに従うという聖約を交わすことによっ
て,イエス・キリストの子,すなわち息子および娘となるのです。キリストが神の
権能を持っておられ,十字架上で犠牲となられたため,わたしたちは霊的な意
味でキリストから生まれた息子および娘となり,キリストはわたしたちの父とな
13
られるのです。
ベニヤミン王の時代のニーファイ人のように,わたしたち末日聖徒もキリスト
せい さん
の名を受けています〔モーサヤ 5:1 - 9;6:1 - 2 参照〕。毎週聖 餐 会で,わ
たしたちは命じられているとおり,キリストの名を受けて,いつもキリストを覚え
14
るようにしています。ニーファイ人もそうするように聖約したのです。
3
み すがた
救い主はこの神権時代に御姿を現された。
あかし
わたしたち一人一人は主について不動の証を持つことができる
あがな
わたしたちはイエスを世の贖 い主として受け入れます。……主がこの神権時
代に御自身を現されたことを知っています。古代の立派な人々の証に頼ること
46
第2章
「わたしたちはキリストに従うという聖約を交わすことによって,
イエス・キリストの子,すなわち息子および娘となるのです。」
はありません。その人々は,主が地上におられた時代に生活し,務めを果たさ
れる主と言葉を交わし,主が復活した後に御姿を現された人々です。この現代
に生きてきた証人がいます。主にまみえ,主が生きておられることを知ってい
て,その事実をわたしたちと世の人々に証してきた証人です。わたしたちは彼ら
の証が真実であることを知っています。ジョセフ・スミスはイエス・キリストの
使命についてこの神権時代に証した唯一の人ではありません。なぜなら,主は
ほかにも証人をお立てになったからです。預言者ジョセフ・スミスとともに贖
い主にまみえ,主から教えを受け,天で聖なる天使に囲まれた御父の右手に座
しておられる主の御姿を目にした証人たちです。彼らがわたしたちに述べた証
は,この世に立ち向かい,耳を傾けないすべての人を罪に定めることでしょう。
47
第2章
しかし,わたしたちは教会員として,次のような人々に頼る必要もありません。
ジョセフ・スミスやオリバー・カウドリ,シドニー・リグドン,そのほかの人々,
すなわち,もう亡くなっていますが,この神権時代に主からすばらしい啓示や
示現を受け,それによってイエスが生きておられ,世の贖い主であられることを
み たま
知っていた人々です。わたしたちには主の御 霊 を通して与えられる個人的な証
があります。それは福音に従って生活しているすべての人に与えられるもので
ゆる
たま もの
す。もしわたしたちが罪の赦 しのためのバプテスマを受け,聖霊の賜 物 を授け
あん しゅ
る按 手 による確認を受けた後で真理に従って生活するならば,これらのこと
が真実であるということを主はわたしたち一人一人に示してくださいます。この
知識については,ほかのだれかの証に頼る必要はありません。なぜなら,イエ
スがキリストであり,世の贖い主であられることを,わたしたちは御霊を通して
15
知っているからです。
わたしが知っているほかの何にも増して,人の心に喜びと平安と満足感を与
えるものが一つあるとしたら,それは,イエス・キリストは神の御子であられる
という不動の証です。わたしも皆さんもその証を持っています。それは変える
ことのできない真理です。人々は非難し,あざけるかもしれません。次のように
断言するかもしれません。イエスは世の贖い主ではない,主の使命は真実では
ない,あるいはその使命の目的は血を流すことにより,悔い改めを条件としてす
べての人に罪の赦しを与えることではなかったと。死からの復活についても,
さらには聖文に明らかにされているように,キリスト御自身が敵によって殺され
た後に墓から出て来られたことについても,彼らは信じるのを拒むかもしれませ
ん。しかしながら,真理は変わりません。主は確かに世の罪のために死なれ,
死からの贖いをもたらされました。福音の原則と主の使命を信じて受け入れる
人に,悔い改めと罪の赦しの機会をお与えになったのです。これらの真理は根
本的なものであり,変わることがありません。人が何を言おうと考えようと,打
16
ち砕くことはできないのです。
イエスがキリストであり,生ける神の御子であって,わたしたちに命を得させ
るためにこの世に来て命を落とされたことを,わたしたちは今も,そして常に心
の中で第一に考えていなければなりません。これは根本的な真理です。わた
17
したちの信仰は,この上に築かれています。
4
なら
イエス・キリストの生き方に倣って生活する
これまで人に示された最もすばらしい模範は,神の御子が自ら示された模範
です。主の生活は非の打ち所のないものでした。主はすべてのことを申し分な
く行われ,
「わたしに従いなさい」とすべての人に言うことがおできになりました
48
第2章
〔 2 ニーファイ 31:10〕。わたしたちは皆,主の生き方に倣って生活するとよいで
しょう。
主の生き方の中から一つ実例を挙げましょう。主は祈りの方法について人々
に教えて,こう言われました。「まことに,まことに,わたしはあなたがたに言
う。あなたがたは悪魔に誘惑されないように,また悪魔に捕らえられないよう
に,常に目を覚ましていて祈らなくてはならない。わたしがあなたがたの中で
祈ったように,あなたがたもわたしの教会で,悔い改めてわたしの名によってバ
プテスマを受けるわたしの民の中で祈りなさい。見よ,わたしは光である。わ
たしはあなたがたのために模範を示した。……あなたがたの光を掲げて,世の
人々に輝き渡るようにしなさい。見よ,あなたがたの掲げる光とは,わたしであ
る。すなわち,わたしが行うのをあなたがたが見た,その行いである。」
〔 3 ニー
ファイ 18:15 - 16 ,24 〕
この点に関する最も完璧な勧告は恐らく,ニーファイ人の弟子たちに与えられ
たものでしょう。主は「あなたがたはどのような人物であるべきか」とお尋ね
になり,それからこうお答えになりました。「まことに,あなたがたに言う。わ
18
たしのようでなければならない。」
〔 3 ニーファイ 27:27〕
わたしたちはキリストを信じ,キリストに倣って生活しなければなりません。
主がバプテスマを受けられたように,バプテスマを受けなければなりません。
み こころ
主に倣って,御父を礼拝し,御父の御 心 を行い,善をなし,義を行うように努力
しなければなりません。主はわたしたちの模範であり,救いの偉大な手本で
19
す。
皆さんは問題にぶつかり,選択をする必要に迫られたときには,次のように自
問してください。「イエスならどうされるだろうか。」その後,主がされると思わ
れるように行ってください。
皆さんは主がおられるという喜びを感じることができます。そして,主の導き
を求め,それにふさわしく生活するなら,日々の生活の中で主の導きを受けるこ
とができます。主は地上で生活しておられたときに,子供たちを御自分のそば
に招き寄せられました。そのときに子供たちが感じたイエスの愛と主の聖なる
み たま
あん ど
20
御霊がもたらす心強い安堵感を,皆さんも実感できるでしょう。
わたしは次のように言いたいと思います。主の模範に従う人々は,主のように
なり,御父の王国で主とともに栄光を受ける,すなわち,誉れと力と権能を得る
でしょう。十分に固い決意をもって御子に従ったニーファイ人の弟子たちに,主
はこう言われました。「あなたがたはわたしのようになる。わたしは父のようで
あり,父とわたしは一つである。」
〔 3 ニーファイ 28:10〕
わたしたち皆が主に倣い,主の戒めを守って,主のようになれるように祈りま
21
す。これはわたしの願いです。皆さんの願いでもあるように望んでいます。
49
第2章
研究とレッスンのための提案
質問
あかし
•スミス大管長の子供たちは,大管長の証 と救い主に対する大管長の愛の言
葉にどのような影響を受けたと思いますか(「ジョセフ・フィールディング・ス
ミスの生涯から」参照)。救い主に対するあなたの愛を深め,救い主に対す
るあなたの証を分かち合うにはどうしたらよいかについて考えてください。
•スミス大管長は「あらゆる真理は……主イエス・キリストを源とし,中心とし
ている」と断言しました(第 1 項)。この真理をわたしたち個人の生活に,ま
たわたしたちの家庭にどのように生かせるでしょうか。
•第 2 項の教えは,どのような点であなたと救い主との関係を理解する助けと
なるでしょうか。キリストの名を自身に受けるということは,あなたにとってど
のような意味があるでしょうか。
しょくざい
•スミス大管長は,イエス・キリストとその贖 罪 についての真理を非難し,あざ
ける人々がいると警告しました(第 3 項参照)。そのような難しい問題に立ち
向かえるように証を強めるには,どうしたらよいでしょうか。親は子供が証を
強めるのを助けるにはどうしたらよいでしょうか。
•「イエスならどうされるだろうか」と自問するようにというスミス大管長の勧
告について深く考えてみてください(第 4 項)。イエス・キリストの生き方に
なら
倣 って生活するために,具体的にどのような方法がありますか。わたしたち
が主の模範に従うとき,ほかの人々の生活にどのような影響を及ぼすでしょ
うか。
関連聖句
ヨハネ 14:6;1 ニーファイ 10:6;モーサヤ 3:5 - 7;ヒラマン 5:12;3
ニーファイ 11:3 - 7;教義と聖約 34:1 - 3;76:22 - 24;ジョセフ・スミス
― 歴史 1:17
教える際のヒント
「あまりにも多くのことを詰め込もうとする誘惑〔を避けてください〕。……
わたしたちは人々に,教材それ自体を教えているわけではないということ,……
今まで見てきたレッスンの手引きには,割り当て時間内ではとうてい取り扱うこ
とができない量の内容が含まれているということです。」
(ジェフリー・R・ホラ
ンド「教会で教え,学ぶ」
『リアホナ』2007 年 6 月号,59 )
注
1.“ Me s s a g e of P re s ident Jo s eph F ie ld i ng
Smith ”
( 1955 年 5 月 22 日に行われた説教,教
会歴史図書館,ジョセフ・フィールディング・スミ
ス関連蔵書)2
2. ジョセフ・フィールディング・スミス・ジュニア,
50
第2章
ジョン・J・スチュワート共 著,The Life of Joseph Fielding Smith( 1972 年)387 - 38 8;
斜体は原文のまま。
11.“ The Spir it of Reverence a nd Worsh ip, ”
Improvement Era, 1941 年 9 月号,573 。Doctrines of Salvation, 第 1 巻,15 も参照
3. レオン・R・ハートショーン,
“ President Joseph
Field i ng S m it h : St udent of t he G o spel , ”
New Era, 1972 年 1 月号,63 で引用
4.“ The First Prophet of the Last Dispensation, ”Ensign, 1971 年 8 月号,6
12. 個 人 的 な 書 簡,Doctrines of Salvation, 第 1
巻,28 で引用
13. 個 人 的 な 書 簡,Doctrines of Salvation, 第 1
巻,29 で引用
14. Man: His Origin and Destiny( 1954 年)117
5.“ Out of the Darkness, ”Ensign, 1971 年 6 月
号,2 ,4
15. Conference Report ,1914 年 10 月,98
Doctrines of Salvation, ブルー
6. 個人的な書簡,
ス・R・マッコンキー編,全 3 巻( 1954 - 1956
年)第 1 巻,28 - 29 で引用
17. C o n f e r e n c e R e p o r t ,1 9 2 1 年 10 月,1 8 6 。
Doctrines of Salvation, 第 2 巻,302 も参照
16. Conference Report ,1924 年 10 月,100 - 101
18.“ Follow His Example, ”New Era, 1972 年 8
月号,4
7. Conference Report ,1912 年 4 月,67
8.“ The O ne Fu nd a ment a l Teach i ng , ”I m provement Era, 1970 年 5 月号,3;斜 体 は 原
文のまま。
19.“ The Plan of Salvation, ”Ensign, 1971 年 11
月号,5
20.“ Ch r ist m a s Me s s age t o Ch i ld ren of t he
Church in Every Land, ”Friend, 1971 年 12
月号,3
9.“ Out of the Darkness, ”2 ,4
10. 個 人 的 な 書 簡,Doctrines of Salvation, 第 1
巻,18 で引用
21.“ Follow His Example, ”4
51
「わたしたちはこの地の基が据えられる前に天の御父とともに住んでいました。」
52
第
3
章
救いの計画
「天の御父は霊の子供たちのために救いの計画を立てて
くださいました。この計画の目的は,霊の子供たちが進
歩成長して永遠の命を得られるようにすることです。」
ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯から
1901 年 4 月 29 日,ジョセフ・フィールディング・スミスの妹アリスが長く患っ
た後,18 歳で亡くなった。ジョセフはちょうどイングランドで専任宣教師の務
めを終えるところだった。アリスが亡くなったという知らせに対するジョセフの
あかし
言葉から,家族への愛と救いの計画に対する証 が伝わってくる。ジョセフは日
記にこう書いている。「わたしたちは皆,大きな衝撃を受けた。妹が病気だと
いうことは知っていたが,それほど重い病気だとは分からなかった。 2 ,3 週
み こころ
間後には家族にも妹にもまた必ず会えるものと思っていた。しかし,神の御心が
行われることを望む。このようなときにこそ,福音が与えてくれる希望が何より
必要だ。わたしたちは皆,幕のかなたで再会し,一緒にいられる喜びと祝福に
あずかる。そこでは家族のきずなはもはや絶たれることはなく,皆が一緒に生
あわ
活して祝福を受け,天の御父の深い憐 れみがどのようなものかを悟る。自分が
常に真理の道を歩み,与えられた名を尊び,親族との再会が自分にとって最も
1
麗しく,とこしえに続くものとなるように,謙虚に祈るばかりである。」
使徒として,また後には大管長として,ジョセフ・フィールディング・スミス大
管長は,福音を理解することによって得られる希望について繰り返し証した。
大管長はこのように教えている。「わたしたちには救いの計画があります。わ
たしたちは福音をつかさどります。そして福音は世の唯一の希望であり,あら
2
ゆる国々にある不正を正し,地に平和をもたらす唯一の道です。」
ジョセフ・フィールディング・スミスの教え
1
前世でわたしたちは天の御父の救いの計画を知って喜んだ
わたしたちは皆,天の御父の家 族の一員です。この地の基が 据えられる
前に天の御父とともに住んでいました。御父の顔を見て,御父の愛を感じ,
53
第3章
御父の教えを聞きました。御父は律法を定め,それに従うことによりわたした
ちが進歩成長して,それぞれが永遠の家族を得ることができるようにしてくだ
3
さいました。
天の御父は霊の子供たちのために救いの計画を立ててくださいました。この
計画の目的は,霊の子供たちが進歩成長して永遠の命を得られるようにするこ
とです。永遠の命とは,天の御父が送っておられるような生活を指します。こ
の計画により,神の子供たちは神のようになり,神が持っておられる力と知恵と
4
知識を持てるようになります。
高価な真珠から次のことが分かります。天で会議が開かれ,主は霊の子供
たちを招集し,一つの計画を提示されました。その計画とは,霊の子供たちが
この地上に来て,肉体を得て現世の生活を通して試しの生涯を送り,その後,
しょくざい
御父の独り子イエス・キリストの贖 罪 を通してもたらされる復活を通じてより
高い昇栄に進むという計画です〔モーセ 4:1 - 2;アブラハム 3:22 - 28 参
照〕。死すべき生涯を送り,地上の人生の浮き沈みを乗り越え,現世における喜
びだけでなく苦痛や苦悩,悲しみ,誘惑,苦難を通して経験を得た後に,もし忠
実であれば,復活して神の王国で永遠の命を得,神に似た者となるのです〔 1
ヨハネ 3:2 参照〕。この考えを聞いて,霊の子供たちは喜びに満たされ,
「喜
び呼ばわった」のです〔 ヨブ 38:4 - 7 参照〕。この死すべき生涯で得られる
経験と知識は,決してほかの方法では得られないものでした。また,肉体を得
5
ることは昇栄に不可欠なことでした。
2
アダムとエバの堕落は天の御父の計画の一部であった
救いの計画は,現在イエス・キリストの福音として知られている律法の大系
であり,世の基が据えられる前に天で採択されたものです。そこでは,わたした
かしら
ちの父祖アダムがこの地上へ来て全人類の頭 となるよう任命されました。アダ
ムが禁断の実を食べて堕落し,その結果として苦痛と死を世にもたらし,最終
的にはアダムの子孫のためになるようにとの計らいも,この偉大な計画の一部
6
だったのです。
堕落は人が死すべき生涯で試しに遭うために不可欠でした。……もしアダム
たま もの
とエバが木の実を食べなかったとしたら,死すべき生涯という大いなる賜 物 を
得ることはなかったはずです。さらに,子孫を持つこともなく,主から与えられ
7
た大いなる戒めが守られることもなかったでしょう。
アダムの堕落は,死すべき生涯でのあらゆる浮き沈み,すなわち苦痛や悲し
み,死をもたらしました。しかし,同時に祝福をもたらしたという事実を見逃し
54
第3章
アダムとエバの堕落は,
「苦痛や悲しみ,死をもたらしました。
しかし…… 同時に祝福をもたらし〔ました〕。」
てはなりません。…… 知識と理解力,また死すべき生涯という祝福をもたらし
8
たのです。
3
イエス・キリストはわたしたちを堕落と個人の罪から救うために
犠牲として御自身をささげられた
アダムの背きは霊の死と肉体の死という二つの死をもたらしました。すなわ
ち,人は神の前から追放され,また死すべき状態となって肉体に伴うあらゆる
病気にかかる身になりました。人が再び元の所に戻るためには,破られた律法
9
が償われなければなりませんでした。正義がそれを要求したのです。
過ちを犯した人がその代価を払うのはごく当然の正しいことです。これが罪
を償うということです。したがって,アダムが律法に背いたとき,正義の要求と
して,ほかのだれでもなくアダム本人が罪に対する責任を取り,自分の命をもっ
てその代価を払う必要がありました。しかし,アダムは律法を破ることによっ
て,自分自身がのろいの下に置かれ,自分が行ったことを償うこと,または取り
消すことはできませんでした。それはアダムの子孫もできませんでした。子孫
もまたそののろいの下にあったからです。原罪を償うためには,のろいを受け
ていない人が償う必要がありました。さらに,わたしたちは皆,のろいの下にあ
るので,自分自身の罪を償う力もありませんでした。そこで,アダムの背きだけ
55
第3章
あがな
でなくわたしたちの罪をも贖 うために,御父は罪のない独り子をお送りになる
必要がありました。この贖いを行うことは正義が要求するものでした。こうし
て,主は罪を贖うために犠牲として御自身をささげられたのです。十字架上の
死によって,アダムの背きとわたしたち個人の罪の両方を身に負い,悔い改めを
10
条件としてわたしたちをアダムの堕落と個人の罪から贖ってくださったのです。
イエス・キリストの使命を教えることはわたしたちの務めです。主はなぜ来
られたのでしょうか。主はわたしたちのために何をされたのでしょうか。わた
したちはどのような恵みを受けているのでしょうか。それを行うために主はど
のような犠牲を払われたのでしょうか。主が命を,実際には命以上のものを犠
牲にされたのは,なぜでしょうか。主は十字架にはりつけにされたほかに何を
されたでしょうか。なぜ十字架にはりつけにされたのでしょうか。それは血を
流すことによって,神の前から追放されるというこの最も恐ろしい罰からわたし
たちを贖うためでした。主が十字架上で亡くなられたのは,わたしたちを再び
元に戻してわたしたちの肉体と霊を再結合させるためでした。そのような特権
をわたしたちに与えてくださったのです。もしわたしたちが主を信じ,主の戒め
ゆる
を守りさえすれば,自分の罪の赦 しを受けられ,罪の代価を払うように求めら
れることはありません。主がわたしたちのために亡くなられたからです。主が
代価を払ってくださったのです。……
……主がわたしたちのために行ってくださったことは,ほかのだれもできな
いことでした。主は亡くなる必要はなく,拒むこともおできになりました。しか
し,主は自ら進んでなさったのです。そうなさったのは,御父から命じられたか
らです。どのような苦しみを味わうかを御存じでした。それにもかかわらず,わ
たしたちを愛しておられたので,進んで行ってくださったのです。……
くぎ
手足に釘 を打ち込まれることは,救い主の苦しみのごく一端にすぎませんで
した。主の大きな苦しみは釘で十字架につけられ,はりつけにされたことだ
と,わたしたちは思いがちではないでしょうか。世界史の中でもあの時代には,
何千もの人がそのような苦しい刑を受けました。ですから,はりつけに関する
かぎり,主の苦しみは同じ十字架の刑を受けたほかの人々の苦しみ以上のもの
ではありませんでした。では,主の大きな苦しみとは,どういうものだったので
しょうか。主の大きな苦しみは十字架に向かう前に受けられたものです。この
事実をこの教会の会員一人一人の心に印象づけることができたらどんなによい
でしょう。聖文にあるように,主の体のあらゆる毛穴から血が滴り落ちたのは
ゲツセマネの園でのことでした。そして,主は苦しみもだえ,御父に叫ばれまし
た。手足に打ち込まれた釘による痛みからではありません。それがどのように
して行われたのかわたしに聞かないでください。わたしには分からないからで
す。だれにも分かりません。ただ分かるのは,主が何らかの方法であのきわめ
56
第3章
て苦しい罰を御自分の身に受けられたことです。わたしたちの罪を背負い,代
価を払われ,激しい苦痛を受けられたのです。
すべての人の重荷,すなわち苦痛をすべて背負われた救い主について考えて
みてください。どのような方法で背負われたのか,わたしには理解できません。
わたしに分かるのはただ,そのために救い主はきわめて激しい苦痛を受けられ
たということです。その苦痛に比べれば,手足に釘を打たれた苦痛はごく小さ
く もん
なものでした。救い主は苦 悶 しながら御父に叫ばれました。「もしできること
さかずき
でしたらどうか,この杯をわたしから過ぎ去らせてください。」しかし,過ぎ去ら
せることはできませんでした〔マタイ 26:42;マルコ 14:36;ルカ 22:42 参
照〕。それについて主が言われた言葉を少し読んでみましょう。
「見よ,神であるわたしは,すべての人に代わってこれらの苦しみを負い,
人々が悔い改めるならば苦しみを受けることのないようにした。
しかし,もしも悔い改めなければ,彼らはわたしが苦しんだように必ず苦しむ
であろう。
その苦しみは,神であって,しかもすべての中で最も大いなる者であるわたし
自身が,苦痛のためにおののき,あらゆる毛穴から血を流し,体と霊の両方に苦
しみを受けたほどのものであった。そしてわたしは,その苦い杯を飲まずに身
を引くことができればそうしたいと思った。
しかしながら,父に栄光があるように。わたしは杯を飲み,人の子らのため
にわたしの備えを終えたのである。」
(教義と聖約 19:16 - 19 )
これを読むと,わたしは謙虚な気持ちになります。人類,すなわち世の人々に
対する主の愛はあまりにも深かったので,主は,死すべき人がだれも負うことの
できなかった重荷を進んで負い,ほかのだれも払うことができなかった大きな
代価を払ってくださったのです。わたしたちがその重荷から逃れられるように
11
するためです。
くだ
神の御子は〔こう言われました。〕
「わたしが降 って行って代価を払います。
贖い主となり,人類をアダムの背きから贖います。世の罪を負い,悔い改めるす
12
べての人を各自の罪から贖い,救います。」
たとえで説明しましょう。ある人が道を歩いていて,穴に落ちました。あまり
は
にも深くまた暗いため,地表に這い上がって再び自由になることができませんで
した。どうすればこの窮地から救われるのでしょうか。本人が幾ら努力しても
できません。穴の中には脱出する手立てがまったくないからです。そこで,この
人は助けを求めました。すると,親切な心の持ち主が助けを求めるこの人の叫
びを聞いて,駆けつけました。そして,はしごを下ろして,この人が再び地表に
這い上がる手立てを提供しました。アダムが禁断の実を食べたためにアダムと
57
第3章
子孫が陥った状態は,まさにこういう状態でした。皆が一緒に穴の中にいたの
で,だれも地表に上がって仲間を救い出すことができませんでした。穴という
のは主の前からの追放であり,肉体の死であり,体がちりに帰してしまうことで
した。そして,すべての人が死を受けるため,だれも脱出の手立てを提供でき
13
ませんでした。
その穴の束縛を受けていない救い主が来て,はしごを下ろしてくださいます。
穴の中へ降りて来られ,わたしたちが脱出するためにはしごを使えるようにして
14
くださるのです。
あわ
限りない憐 れみに満ちた御父は,子供たちの叫びを聞いて,死の支配も罪の
支配も受けない独り子を遣わして,脱出の手段を提供されました。独り子は無
しょくざい
15
限の贖罪と永遠の福音によってこれを実行されたのです。
わたしたちは〔救い主の〕大いなる深い憐れみに対して心を感謝の念で満た
し,愛と従順を十分に示さなければなりません。主がわたしたちのために行わ
れたことに報いるために,主から期待されている行いをしなくてはなりません。
主は代価を払ってわたしたちを買い取られました。そして激しい苦痛を受け,
16
十字架上で犠牲になって血を流されたのです。
4
わたしたちは死すべき世にいる間に,
しょくざい
イエス・キリストの贖罪の基の上に救いを達成する
わたしたちの救い主イエス・キリストは,進歩と救いのこの偉大な計画の中
17
心です。
贖罪の基の上に築かれる救いの計画は,以下の事柄から成り立っています。
第 1 に,わたしたちは主イエス・キリストを信じる信仰を持たなければなりま
せん。主を神の御子として受け入れなければなりません。主を信頼し,主の言
葉に頼らなくてはなりません。そして,主の律法に従うことによって頂ける祝福
を得たいと望まなければなりません。
第 2 に,自分の罪を悔い改めなければなりません。世を捨て,信心深く正し
い生活を送ろうと,無条件に決心しなければなりません。
第 3 に,地上でも天でも結ぶ力を持つ正当な執行者の手によって,水による
バプテスマを受けなければなりません。この神聖な儀式を通して,主に仕え,
主の戒めを守るという聖約を交わさなければなりません。
たま もの
第 4 に,聖霊の賜物を受けなければなりません。再び生まれ,あたかも火で
焼くかのように,罪や罪悪を心から焼き払わなければなりません。聖霊の力に
よって新たに創造されなければなりません。
58
第3章
「わたしたちの救い主イエス・キリストは,進歩と救いのこの偉大な計画の中心です。」
第 5 に,最後まで堪え忍ばなければなりません。バプテスマを受けた後に戒
めを守り,主の前に恐れおののいて自分の救いを達成しなければなりません。
信心深い性質を身に付け,日の栄えの王国の栄光とすばらしさを享受できる人
18
になるように生活しなければなりません。
さてわたしは,人が救いを得るために従わなければならない律法,すなわ
ち,イエス・キリストの福音から成る律法が近代の預言者と使徒に啓示されて
きたこと,また地上に再び設立されたイエス・キリストの教会によって律法が現
あかし
19
在執行されていることを証します。
わたしたちは,この死すべき世にいるわたしたちは皆,試しの時期を過ごし
ています。現世に送られた第 1 の目的は,不滅の霊が宿る幕屋〔体〕を得るた
59
第3章
かんなん
めです。第 2 は,試練によって試され,艱難を受けるとともに,永遠の福音の原
則に従うという神聖な聖約を通して得られる大きな喜びと幸せを得るためです。
リーハイが子供たちに述べたように,死すべき生涯は「試しの状態」です( 2
ニーファイ 2:21 )。この世においてこそ,わたしたちは試されるのです。永遠
の御父のもとから閉め出されていながらも,永遠の命を得る方法を教えられる
ときに,御父を愛し,あがめ,御父の愛子イエス・キリストに忠実であるかどう
20
かを見定めるために試されるのです。
わたしたちがこの世へ来たのは,善と同様,悪に触れることによって試され
るためです。…… 御父はサタンとその軍勢がわたしたちを誘惑するのをお許し
み たま
になりました。しかし,主の御 霊 の導きと啓示を通して与えられた戒めによっ
て,わたしたちは自分自身で選択するよう備えられています。悪を行えば罰せら
21
れると約束されています。善を行えば義の永遠の報いを受けるでしょう。
この死すべき試しの生涯は,永遠の過去と永遠の未来とをつなぐ短い期間
です。しかし非常に重要な時期です。…… 現世はわたしたちの永遠の生活の
22
中で最も重要な時期なのです。
5
しょくざい
すべての人はイエス・キリストの贖罪を通して復活の祝福にあずかる
わたしたちは死ぬためにこの世に来ました。この世に来る前にそれを理解し
ていました。それは計画の一部であり,人が地上に置かれるずっと前に話し合
われ,定められたのです。……わたしたちは喜んでみずから進んで霊界の神の
もとから死すべき世への旅に出ました。現世に付き物のあらゆること,すなわ
ちこの世の喜びと悲しみを経験し,そして死ぬためにこの世に来たのです。死
23
は誕生と同様に不可欠なものです。
肉体は再び元素に戻るというのは事実ですが,肉体の死,すなわち死すべき
人の死によって霊と肉の幕屋が永久に分離するわけではありません。それは
一時的な分離であって,体がちりから呼び戻されて霊によって命を吹き込まれ,
再び生きる復活の日に,その分離は終わります。人が現世にいるときに善良で
あったか邪悪であったかにかかわりなく,この祝福はキリストの贖罪によって
万人に及びます。パウロは正しい者も正しくない者も復活すると言っています
(使徒 24:15 )。また救い主は,墓の中にいる者たちが皆救い主の声を聞き,
「善をおこなった人々は,生命を受けるためによみがえり,悪をおこなった人々
は,さばきを受けるためによみがえって」出て来るであろうと言われました(ヨ
24
ハネ 5:29 )。
死によって肉体がどのようになろうとも,すべての肉体のあらゆる基本的な部
分は,復活によって再びその適切な箇所に回復されます。肉体が火で焼かれ
60
第3章
ようと,サメに食べられようと,関係ありません。肉体のあらゆる基本的な部分
25
がそれぞれ適切な箇所に回復されるのです。
骨肉の体がなければ,霊は完全になることはできません。この体と霊は復活
によって不死不滅となり,救いの祝福を受けます。復活後に再び分離すること
はなく,体と霊は分離しないように結合して,人は完全な喜びを得ます。この世
26
に生まれ,復活しなければ,霊は永遠の御父のようになることができません。
6
忠実な者は天の御父のもとで家族と一緒に永遠の命を受け継ぐ
先祖が勤勉に働いたおかげで富を受け継ぐ人もいます。ほかの人よりも高い
地位や権力,身分を受け継ぐ人もいます。自分の努力や忍耐により,この世の
知識や名声を求める人もいます。しかし,あらゆるものに勝る価値のある受け
継ぎは,永遠の昇栄を受け継ぐことです。
聖文によると,永遠の御父と御子イエス・キリストが持っておられる命であ
たま もの
る永遠の命は,神の最も大いなる賜 物 です〔教義と聖約 14:7 参照〕。すべて
の罪から清められた者だけがそれを得ることができます。次のような者に与え
られると約束されています。「信仰によって勝利を得,御父が正しくかつ真実
み たま
な者すべてに注がれる約束の聖なる御 霊 により結び固められている者である。
彼らは長子の教会である。彼らは御父からすべてのものをその手に与えられた
27
者である。」
〔教義と聖約 76:53 - 55 。 52 節も参照〕
この救いの計画は家族が中心となっています。……〔その〕目的は,わたし
28
たちが自分自身の永遠の家族を作ることができるようになることです。
日の栄えの王国で昇栄を得る者は「とこしえにいつまでも子孫が …… 続く」
29
のです。この人々は家族関係の中で生活します。
家族の組織は,日の栄えの昇栄に関するかぎり,完全な組織になると,イエ
ス・キリストの福音の中で教えられています。家族の完全な組織とは,親子が
30
次の世代の親子と結ばれ,時の終わりに至るまで伸びていく組織のことです。
永遠の受け継ぎというこの栄光ある祝福を受けるには…… 進んで戒めを守
り,必要であればキリストと苦難を共にすることさえいとわない姿勢が求められ
ます。言い換えれば,神の最も大いなる賜物である永遠の命を得たいと思う人
は,もし求められるようなことがあれば,自分が持っているものすべてを祭壇に
ささげるように期待されます。ただし,たとえそのようにしたとしても,また大義
のために自分の命を差し出すように求められたとしても,律法と戒めに従うこと
によって受ける,また約束されている豊かな祝福に対して十分な代価を払うこと
31
は決してできないのです。
61
第3章
わたしたちがこの世に染まらずに,完全な福音を受けるとき,日の栄えの栄光
を受ける候補者となります。いいえ,忠実であれば,単なる候補者にとどまりま
せん。なぜなら,わたしたちは忠実であることによって日の栄えの王国に入れ
ていただけると,主から約束されているからです。……
……自分の受け継ぐ場所が確保されるように生活しましょう。そうすれば,
自分が送っている生活によって,御父のもとへ行って御父とともに住み,約束
された完全な祝福を受けるということが分かります。末日聖徒の中に,わたし
たちに約束されている完全な救い以下のものに満足する者がいるでしょうか。
けん そん
……わたしたちは謙 遜 になり,悔い改めの精神をもって,前進することが必要
です。最後まで戒めを守ることが必要です。なぜなら,わたしたちの望みと目
標は永遠の命であり,御父と御子のもとで生活することだからです。「永遠の
命とは,唯一の,まことの神でいますあなたと,また,あなたがつかわされたイエ
32
ス・キリストとを知ることであります」と,主は言われました〔ヨハネ 17:3〕。
わたしは人生のたそがれとも言うべき今ここに立っていますが,現世における
管理人の職について報告するために召される日は遠くないことを知っています。
……
わたしたちは皆主を愛していると,わたしは確信しています。わたしは主が
生きておられることを知っています。主の顔を仰ぎ見る日を楽しみにしていま
す。また,
「わたしの父に祝福された人たちよ,さあ,世の初めからあなたがた
み くに
のために用意されている御 国 を受けつぎなさい」と言われる主の声を聞きたい
と願っています(マタイ 25:34 )。
わたしはこのような恵みがわたしたちすべてにそれぞれの時に与えられるこ
33
とを祈っています。
研究とレッスンのための提案
質問
•「ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯から」に引用された日記の文章を
あかし
読み,あなたが救いの計画に対する自分の証 に慰めを見いだしたときのこと
を考えてください。家族や友人がそのような慰めを受けるのを助けるには,
どうしたらよいでしょうか。
•天での会議についてのスミス大管長の教えは,わたしたちが試練に直面する
ときにどのような助けとなるでしょうか(第 1 項参照)。
•スミス大管長は次のように教えています。「〔アダムとエバの堕落〕が祝福を
もたらしたという事実を見逃してはなりません」
(第 2 項)。この真理を覚え
ておくことが大切なのは,なぜだと思いますか。堕落の結果として得た祝福
62
第3章
には,どのようなものがあるでしょうか。
•第 3 項で,スミス大管長は穴に落ちた人のたとえを話しています。これはわ
しょくざい
たしたちの生活とどのような関連があるでしょうか。救い主が贖 罪 を通して
どのようにあなたを救ってくださったかについてよく考えてみてください。
•第 4 項に書かれているスミス大管長の言葉は,地上におけるわたしたちの生
活の目的について,どのようなことを示しているでしょうか。わたしたちが現
世の試しの時を無事に通り抜ける助けとして,主は何を与えてくださいました
か。
•スミス大管長は第 5 項の中で,
「死は誕生と同様に不可欠なものです」と断
言しています。ほかの人がこれを理解するのを助けるには,どうしたらよい
でしょうか。復活の教義はあなたの生活にどのような影響を及ぼしてきたで
しょうか。
•世俗的な富は救いの計画を通して得られる「永遠の受け継ぎ」とどのように
異なりますか(第 6 項参照)。この相違を理解することは,永遠の命を得る
備えをするのにどのような助けとなるでしょうか。
関連聖句
ヨブ 38:4 - 7;2 ニーファイ 2:15 - 29;9:5 - 27;アルマ 12:20 - 35;
教義と聖約 19:16 - 19;モーセ 5:10 - 12
教える際のヒント
「聖典と末日の預言者の言葉から教える助けとして,教会はレッスンテキスト
などの資料を発行している。注解書や参考書はほとんど必要がない。」
(『教
師,その大いなる召し ― 福音を教えるための資料集』52 参照)
注
1. ジョセフ・フィールディング・スミス・ジュニア,
ジョン・J・スチュアート共 著,The Life of Joseph Fielding Smith( 1972 年)117 - 118 で
引用
2.「英 国の聖 徒 たちへ」
『聖 徒の 道』1972 年 2 月
号,50 参照
3.“ P r e s . S m i t h Te l l s o f P a r e nt s ’D u t y, ”
Church News, 1971 年 4 月 3 日付,10
4. ユタ州ローガ ンインスティテュートで の 説 教,
1971 年 1 月 10 日,3;未刊原稿
5.“ I s M a n I m mor t a l? ”I mprovement E ra ,
1916 年 2 月 号,318 。Doctrines of Salvation,
ブルース・R・マッコンキー編,全 3 巻( 1954 -
1956 年)第 1 巻,58 も参照
8.“ P r i nc ipl e s o f t he G o sp e l : T he I n f i n it e
Atonement - Redemption, Salvation, Exaltation, ”Deseret News, Church 欄,1939 年
4 月 22 日付,3 。Doctrines of Salvation, 第 1
巻,115 も参照
9.“ The Atonement ,”Deseret News, Church
欄,1935 年 3 月 2 日 付,7 。Doctrines of Salvation, 第 1 巻,122 も参照
10. Elijah the Prophet and His Mission and Salvation Universal, 79 - 80
11. Seek Ye Earnestly, ジョセフ・フィールディン
グ・スミス・ジュニア編,
( 1970 年)118 - 120
12.“ P r i nc ipl e s o f t he G o sp e l : T he I n f i n it e
Atonement - Redemption, Salvation, Exaltation ,”5 。Doctrines of Salvation, 第 1 巻,
123 も参照
6. Elijah the Prophet and His Mission and Salvation Universal( 1957 年)65 - 66
13. E l ija h t he P rophet a nd H is M is sion a nd
7. Conference Report ,1966 年 10 月 , 59
63
第3章
Salvation Universal, 80 - 81
14.“ P r i nc iple s o f t he G o sp e l : T he I n f i n it e
Atonement ― Redemption, Salvation, Exaltation ,”5 。Doctrines of Salvation, 第 1 巻,
123 も参照
15. Elijah the Prophet and His Mission and Salvation Universal, 81
16.“ Purpose and Value of Mortal Probation ,”
Deseret News, Church 欄,1949 年 6 月 12 日
付,21 。Doctrines of Salvation, 第 1 巻,132
も参照
17. ユタ州ローガ ンインスティテュートで の 説 教,
1971 年 1 月 10 日,3;未刊原稿
Genealogical and Historical Magazine, 1938
年 1 月号,10 - 11
24.“ What Is Spiritual Death? ”Improvement
Era, 1918 年 1 月号 , 191 - 192 。Doctrines of
Salvation, 第 2 巻,216 - 217 も参照
25. Answers to Gospel Questions, ジ ョ セ フ・
フィールディング・スミス・ジュニア編,全 5 巻
( 1957 - 1966 年)第 5 巻,103
26.“ The Law of Chastity, ”Improvement Era,
1931 年 9 月 号,643 。Doctrines of Salvation ,
第 2 巻,85 - 86 も参照
27. The Way to Perfection( 1931 年)21 - 22
18. “ The Plan of Salvation ,”Ensign, 1971 年
11 月号,5
28. S e a l i ng Powe r a nd S a lv at i o n , B r ig h a m
You ng Un iver s it y Sp eeche s of t he Yea r
( 1971 年 1 月 12 日)2
19.“ I Know That My Redeemer Liveth, ”Ensign, 1971 年 12 月号,26
29. 個 人 的 な 書 簡,Doctrines of Salvation, 第 2
巻,287 で引用;斜体は正体にした。
20. Conference Report ,1965 年 4 月,11
30. Conference Report ,1942 年 4 月,26 。Doctrines of Salvation, 第 2 巻,175 も参照
21. Conference Report ,1964 年 4 月,107 - 108
22.“ Purpose and Value of Mortal Probation ,”
21 。Doctrines of Salvation, 第 1 巻,69 も 参
照
23.“ S ervices for M iss Nell Sumsion ,”Uta h
64
31. The Way to Perfection, 23
32. Conference Report ,1922 年 4 月,61 - 62
33.“ Let the Spirit of Oneness Prevail, ”Ensign,
1971 年 12 月号,136
第
4
章
家族を強め,守る
み こころ
「家族を強め,守ることは主の御心です。」
ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯から
ジョセフ・フィールディング・スミス大管長は次のように宣言している。「家族
1
はこの世においても永遠にわたっても最も大切な組織です。」 スミス大管長が
めい りょう
このことを最も明 瞭 に教えた場所は,自分自身の家庭であった。家庭におい
て,大管長は愛にあふれた夫,父親,祖父としての模範を示した。使徒として
多忙であったにもかかわらず,常に家族のために時間をつくり,
「家にいるとき
には 2 倍の愛情を惜しみなく注ぐことによって,家を離れている日々の埋め合
2
わせを〔した〕。」
スミス大管長の 2 人目の妻であるエセルは,あるとき,
「あなたの知っている
ご主人について話していただけませんか」と頼まれた。多くの教会員が自分の
夫をとても厳格な人物だと思っていることに気づいていたエセルは,次のように
答えた。
「わたしの知っている夫について話すようにということですが,わたしは夫
が亡くなるときに,人々は夫のことを『実に立派な人,誠実な人,教義に忠実な
人』などと言うだろうと,よく考えます。公衆に知られている側面が語られるこ
とでしょう。でも一般の人々が思っている人物と,わたしの知っている人物との
間には大きな違いがあります。わたしの知っているあの人は,優しい,愛にあ
ふれた夫であり,父親です。家族を幸せにすることを人生における最大の望み
とし,そのために我を忘れて力を注ぐ人です。ぐずる子供を寝かしつけ,幼い
子供たちには寝る前にお話をしてあげる人です。どんなに疲れていても,多忙
であっても,夜遅くまで,あるいは朝早くから,年長の子供たちが学校の難しい
宿題を解くのを手伝います。だれかが病気になれば,苦しむその子を優しく看
病し,世話するような人です。子供たちが呼び求めるのは父親であり,子供た
ちにとっては父親がそばにいてくれることが万能薬なのです。傷に包帯を巻く
父親の手,苦しむ者に勇気を与える父親の腕,過ちを犯したときには優しくいさ
める父親の声。そのような父親に恵まれた子供たちは,父親の喜ぶことをする
のが自分たちの喜びであると分かるようになるのです。……
65
第4章
「福音は家族を中心としており,家族の中で実践しなければなりません。」
66
第4章
わたしの知っているあの人は,利己的なところがなく,不平を言わず,思慮深
く,思いやりのある,心の優しい人です。愛する者がこの上ない喜びに満ちた
人生を送れるように,精いっぱいのことをしてくれる人です。わたしの知ってい
3
る夫はそのような人です。」
スミス大管長の子供たちは,家族を強め,守り,家族が「この上ない喜びに
満ちた人生を送れるように」するために父親が行ってくれたことについて様々
な例を紹介している。ジョセフ・フィールディング・スミスの伝記の共著者であ
るジョセフ・フィールディング・スミス・ジュニアとジョン・J・スチュワートは,
伝記に次のような回想を載せている。「父がエプロンを着けてたくさんのパイ
を焼き始めるのを見て,子供たちは大喜びした。父の好物はミンスパイ〔訳注
―ドライフルーツやりんご,香辛料などで作った「ミンスミート」を詰めたパ
イ〕であった。中に詰めるミンスミートを父は自分で作った。しかしまた,リン
ゴやサクランボ,モモ,カボチャなど,ほかの種類のパイにも挑戦した。子供
たちは必要な道具や材料を家のあちらこちらから取って来るように言われ,父
のパイ作りは家族ぐるみの作業となった。大きなオーブンでパイを焼いている
間,漂ってくるおいしそうなにおいに胸をわくわくさせた。パイを出すのが早す
ぎることも遅すぎることもないように,目を離さずに絶えず確認した。その一方
で,母のエセルは手作りのアイスクリームをかき混ぜ,子供たちは順番にアイス
4
クリーム機のハンドルを回した。」
ダグラス・A・スミスは,自分と父親との間には「すばらしい関係」があった
と述べている。ダグラスは父親と一緒に楽しんだ活動として,次のような例を
紹介している。「わたしたちは時々,ボクシングとは言えないまでも,ボクシング
のまねごとをしました。わたしは尊敬する父を,父は愛する息子を,本気でなぐ
ることなどできなかったので,…… 実際にはシャドーボクシングでした。また,
父と一緒によくチェスをし,父に勝てたときには喜んだものです。今,振り返る
5
と,たぶんわざと負けてくれたのだと思います。」
アメリア・スミス・マッコンキーは次のような思い出を語っている。「父が
特別な注意を向けてくれるので,病気になるのが楽しいくらいでした。…… 父
は古いエジソン蓄音機で良い音楽をかけて,わたしたちを楽しませてくれまし
た。わたしたちを喜ばせようと,父は音楽に合わせて踊ったり,部屋中を行進し
たり,歌おうとすることさえありました。……きれいな大きくて甘いオレンジを
持って来て,ベッドに腰かけて皮をむき,一房ずつ渡してくれました。自分が子
供のころのことや,自分が病気のときに父親がどのように世話してくれたかを話
6
してくれました。適切であれば,祝福も授けてくれました。」 アメリアはまた,
父親がどのような方法で子供たちをしつけたかについても明らかにしている。
「間違った行いについて子供たちを正す必要があるときには,父はただ両手を
その子の肩に置き,自らの目に心の痛みを表しながらその子の目を見つめ,こう
67
第4章
言うのでした。『わたしは子供たちが良い子であってほしいと願っているよ。』
7
それはお尻をたたかれるよりも,どんな罰よりも効果がありました。」
スミス大管長が子供たちに寄せた愛と関心は,孫たちにも寄せられた。孫の
ホイト・W・ブルースター・ジュニアは,オランダで働く宣教師として 1958 年に
イギリス・ロンドン神殿の奉献式への出席を許されたときのことについて語っ
ている。ホイトとほかの宣教師たちがアッセンブリールームに入ったとき,祖父
が孫の姿を見つけた。ホイトは後に次のように回想している。「一瞬のためら
いもなく,祖父はいすから跳び上がると両手を伸ばし,こちらに来なさいとわた
しに合図しました。そのときわたしが見たのは,十二使徒評議会会長のジョセ
フ・フィールディング・スミスではなく,…… 愛する孫の一人を見つけたおじいさ
ちゅうちょ
んでした。躊 躇 せずに仲間から離れ,わたしが急いで檀上に行くと,祖父は聖
会に集まった全会衆の前でわたしを抱き締め,キスをしてくれました。わたしに
8
とって,人生における最も神聖で心に残る瞬間の一つでした。」
ジョセフ・フィールディング・スミスの教え
1
家族はこの世においても永遠にわたっても最も大切な組織である
家族という単位が天の御父の計画全体においてどれほど大切であるかを思
い起こしてください。実際,教会の組織はまさに,家族が昇栄に到達するのを
支援するために存在しています。
家族が一致し,福音に献身することは非常に大切であるため,敵は社会にお
いて家族を崩壊させることに大いに注目しています。人生における善いものと
気高いものの基盤として家族に本来備わっている高潔さに,あらゆる方面から
攻撃が加えられています。…… 堕胎に関する法律が世界中で緩和されている
ことは,命の神聖さが軽視されていることを示しています。増え続ける違法な
薬物の使用と合法な薬物の乱用によって,家族は引き裂かれています。権威を
あなどる若者が増えていますが,それは多くの場合,家庭における不敬な態度
や不従順から始まります。……
よ
悪の力は人が拠り所とする家族を引き裂くことによって個人を攻撃してくるた
め,末日聖徒の親にとって,家族を維持し,強めることがきわめて重要になりま
す。家族の支えなしに生きていけるような非常に強い人も何人かいるかもしれ
ませんが,ほとんどの人は深く気遣ってくれる人たちから愛され,教えを受け,
9
受け入れられる必要があるのです。
この世が続くかぎり変わらない昔からの真理,いかなる進歩も変えることの
できない真理があります。その一つは,家族(父親と母親,子供たちから成る
68
第4章
組織)は教会におけるあらゆることの土台であるということです。もう一つは,
清らかで健全な家族生活に対する罪は,あらゆる罪の中でも特に,そうしたこ
とが行われる国々のうえにきわめて深刻な結果を間違いなくもたらすというこ
とです。……
どのような職業に就いているか,どのくらい裕福かといったことよりもはるか
に重要な質問と言えるのが,どのような家族生活を営んでいるかです。ほんとう
の家庭が存在しているかぎり,そして家庭を構成する人たちが互いに対する義
10
務を果たしているかぎり,ほかのことはすべてそれほど重要ではありません。
義にかなった家庭に代わるものはありません。世の中ではそう考えられては
いないかもしれませんが,末日聖徒イエス・キリスト教会においてはそうであり,
11
そうでなければなりません。家族は神の王国における単位なのです。
家族はこの世においても永遠にわたっても最も大切な組織です。…… 家族
み こころ
を強め,守ることは主の御 心 です。父親の皆さんが家族の長として当然担うべ
き役割を果たすように願っています。母親の皆さんにお願いします。夫を支え
12
励まし,子供たちの光になってください。
福音は家族を中心としており,家族の中で実践しなければなりません。父な
なら
る神の家族に倣 って自分たちの永遠の家族を築こうと努めるときに,わたした
13
ちは家庭において,最も偉大で大切な訓練を受けるのです。
2
主は家族を永遠に続くものとして設けられた
結婚は創世の前に定められた永遠の原則であって,死がこの世に入り込む前
に地上に設けられたと,わたしたちは学んでいます。わたしたちの最初の先祖
は,増えて地を満たすように命じられました。そして当然のこととして,家族の
組織もまた永遠に続くように意図されていました。この地上のために用意され
た計画において,土台となったのは日の栄えの世界を治める律法でした。主の
大いなる業と栄光とは,
「人の不死不滅と永遠の命をもたらすこと」です〔モー
セ 1:39〕。これを成し遂げることのできる唯一の方法は結婚と家族によるも
のであり,実際,これこそ昇栄した人たちの間にある永遠の秩序であって,無数
14
の世界において永遠の秩序となってきたものです。
地上で人を治めるために福音の中で与えられている計画には,神の王国を治
める律法の特徴がよく示されています。父親や母親,子供たちとのつながりが
ない状態で永遠の世界に取り残されること以上に悲しいことを想像できるで
しょうか。家族が根本的な基盤となっていない国,すべての市民が互いにあま
りよく知らない者同士であり,自然な愛情が見られない国,家族のきずなが人々
を結びつけていない国を想像するとぞっとします。そのような状況がもたらし
69
第4章
「教会の組織はまさに家族が昇栄に到達するのを支援するために存在しています。」
得る結果は一つしかありません。無秩序と崩壊です。同じことが神の王国に
ついても言えると考えるのは,道理にかなっていないでしょうか。もし神の王国
において家族のきずなが存在せず,多くの人が信じているように,すべての男
女が自然な親族関係のない「天使たち」であるとするなら,そこはもはや幸福
15
な場所,すなわち天国ではあり得ないでしょう。
主の神殿で,夫婦はこの世においても永遠にわたっても結び固められ,永遠
の結婚をします。その結びつきの中に生まれる子供たちは,現世においてだけ
でなく,永遠にわたってその父親と母親の子供となります。そしてパウロが語っ
ているように,天と地における神の家族の一員となり〔エペソ 3:14 - 15 参
照〕,そのような家族の秩序は決して崩壊することがありません。……
…… その夫婦に生まれる子供たちには父親と母親とともにいる権利があり
ます。また,父親と母親は永遠の御父の前に,互いに対して忠実であり,子供
たちを光と真理の中で育てるという義務を負っています。来るべき永遠の世に
おいて彼らが一つとなり,神の大きな家族の中の一家族となれるようにするた
16
めです。
70
第4章
〔死後,〕日の栄えの王国の外では家族の組織は存在しないということを,わ
たしたちは末日聖徒として覚えておく必要があります。その組織は,わたしたち
がこの現世にいるうちに受け入れるように求められている,すべての聖約と義
17
務に進んで従う者のための組織なのです。
神の王国は一つの大きな家族となります。わたしたちは自分たちを兄弟姉妹
と呼びます。まさしく実際に,わたしたちはイエス・キリストの福音によってイエ
ス・キリストと共同の相続人となり〔ローマ 8:16 - 17 参照〕,神の息子や娘と
なり,悔い改めて戒めを守るならば神の王国の満ちあふれる祝福を受ける資格
18
を得るのです。
永遠の命に対する希望には,復活が起こるときに家族が再び一緒になるこ
とへの希望も含まれます。そのような希望を抱くと,心の中に家族の一人一人
きよ
に対するいっそう大きな愛と親愛の情が生じます。また,夫はより強く,より聖
い愛で妻を愛したいと思い,妻も同じように夫を愛します。両親は子供たちに
対していっそう優しい気持ちになり,心を配るようになります。なぜなら断たれ
ることのない愛と幸福のきずなによって,子供たちがいとしい存在となるからで
19
す。
3
わたしたちは一緒に時間を過ごし,互いに愛し合い,
ともに福音を実践するにつれて,家族を強め,守る
末日聖徒の家庭のおもな役割は,家族全員が完成に向かって成長することの
できる雰囲気と状況をつくり出すために,家族の一人一人が確実に努力するよ
うにすることです。そのためには,両親は単に子供たちの物質的な必要を満た
す以上に,はるかに多くの時間と労力をささげることが求められます。子供た
ちは,自己本位になりがちな自分を抑えなければなりません。
皆さんは社会や職業で成功するために使っているのと同じだけの時間を,家
族と家庭を実り豊かなものとするために使っているでしょうか。社会で最も大
切な単位である家族に,最高の創造力を発揮しているでしょうか。それとも皆
さんと家族との関係は,何の喜びもない型通りの単なる日常生活の一部になっ
てしまっているでしょうか。家族で昇栄を得るためには,親子が進んで家族の
20
責任を最優先しなければなりません。
家庭 ……は人格が築かれる学びの場であり,どのように形成されるかは親と
子がどのような関係にあるかに左右されます。この関係が適切なものでないか
ぎり,家庭はそのあるべき状態となることができません。親子関係が適切なも
のかどうかは,確かに親子両方にかかっていますが,とりわけ親にかかってい
21
ます。親は最善を尽くさなければなりません。
71
第4章
「もう,向こうに行って。邪魔しないで,忙しいんだから」と,急いでいた母親
はいら立った様子で 3 歳の娘に言いました。幼い娘は家事を手伝おうとして
いたのです。…… 普通,どの子にも親を手伝いたいという望みが生まれつき備
わっており,親には不平を言う権利はありません。家族全員が協力するとき,
単調でつまらない家事などというものはあり得ません。そしてこれらの務めを
協力して果たすことを通して,この上なくすばらしい家族の交わりを経験するこ
とができます。
親としてわたしたちに最も欠けていると思うものを一つ挙げなければならな
いとすれば,子供について共感しながら理解することでしょう。子供とともに
生活し,彼らが歩む道をよく知ってください。…… 子供の興味を引くすべてのこ
22
とについて知り,子供の友達になってください。
わたしたちは親の皆さんに次のことを強調しようと努めてきました。すなわ
ち,親はもっと子供に注意を払う必要があります。家庭にもう少し福音の精神
が宿るようにし,もう少し一致と信仰が深まるようにする必要があります。父親
は信仰の面,霊的な面での責任をもう少し果たし,母親もまた,家庭でもっとよ
23
く福音を教える必要があります。
教会の親の皆さんに申し上げます。心を尽くして互いに愛し合ってください。
道徳律を守り,福音に従って生活してください。子供たちを光と真理の中で育
て,救いをもたらす福音の真理を教えてください。皆さんの家庭を地上におけ
み たま
る天国,主の御 霊 がとどまる場所,家族の一人一人に義を尊ぶ心が培われる場
24
所にしてください。
天の御父がわたしたち全員に力を授けてくださり,わたしたちが自分の秘め
ている真の可能性を発揮できるように祈ります。教会の家庭のうえに御父の御
霊があって,愛と一致が見られるように祈ります。御父がわたしたちの家族を
25
守り,高く上げてくださいますように。
研究とレッスンのための提案
質問
•「ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯から」で紹介されている逸話を
読みながら,スミス大管長の模範を自分の生活の指針とするにはどうしたら
よいか考えてください。家族関係を強めるために個人としてどのように改善
できるか考えてください。
•第 1 項で述べられている家族の大切さについて考えてください。この世の悪
影響に対抗するために,あなたはどのように家族を強めているでしょうか。
•スミス大管長は「永遠の命に対する希望には,復活が起こるときに家族が再
72
第4章
び一緒になることへの希望も含まれ〔る〕」と語っています(第 2 項)。この
希望は,家族に対するあなたの接し方にどのような影響を及ぼすでしょうか。
•第 3 項で,スミス大管長は自分自身を見つめる 3 つの質問をしています。こ
れらの質問に心の中で答えてください。この項を読みながら,家庭の雰囲気
をより良いものとするために,自分の生活の中で変えることのできる点につい
て考えてください。
関連聖句
箴言 22:6;1 ニーファイ 8:37;教 義と聖 約 88:119;93:40 - 50;「家
族 ― 世界への宣言」も参照
教える際のヒント
「参加者に,
〔本章の〕一つの項を選んで黙読するように言う。同じ項を選
んだ者同士で 2 ,3 人のグループを作り,学んだことを話し合うように勧める。」
(本書 vii ページから)
注
Magazine, 1969 年 1 月号,4
1.「 聖 徒と世 の人々へ の 勧 告」
『聖 徒 の 道』1972
年 12 月号,536 参照
2. ジョセフ・フィールディング・スミス・ジュニア,
ジョン・J・スチュアート共 著,The Life of Joseph Fielding Smith( 1972 年),14
3. エセル・スミスの言 葉,ブライアント・S・ヒン
ク レ ー,
“ Joseph Fielding Smith, ”Improvement Era, 1932 年 6 月号,459 で引用
11. Conference Report ,1948 年 10 月,152
12.「 聖徒と世の人々への勧告」536 - 537 参照
13.“ Mothers in Israel, ”Relief Society Magazine, 1970 年 12 月号,886
14. The Way to Perfection( 1931 年),251
4. ジョセフ・フィールディング・スミス・ジュニア,
ジョン・S・スチュアート共著,The Life of Joseph Fielding Smith, 228
5. ダグ ラス・A・スミス の 言 葉,D・アー サ ー・
ヘ イ コ ッ ク,Exemplary Manhood Award,
Brigham Young University Speeches of the
Year( 1972 年 4 月 18 日),5 で引用
15.“ A Peculiar People, ”Deseret News, Church
欄,1932 年 4 月 2 日 付,6 。Doctrines of Salvation, ブルース・R・マッコンキー編,全 3 巻
( 1954 - 1956 年),第 2 巻,65 - 66 も参照
16. Conference Report ,1961 年 4 月,49
17. Conference Report ,1948 年 10 月 , 153
18. Conference Report ,1959 年 4 月,24
19. The Way to Perfection, 258
“ Joseph Field 6. アメリア・スミス・マッコンキー,
ing Smith, ”Church News, 1993 年 10 月 30
日付,10
20.「大管長会メッセージ」
『聖徒の道』1971 年 4 月
号,86 参照
7. アメリア・スミス・マッコンキー,
“ Joseph Fielding Smith, ”10
21.“ Our Children —‘ The L oveliest Flowers
from God’s Own Garden, ’”6
8. フ ラ ン シ ス・M・ ギ ボ ン ズ,Joseph Fielding Smith: Gospel Scholar, Prophet of God
( 1992 年),254 で引用
22.“ Our Children —‘ The L oveliest Flowers
from God’s Own Garden, ’”6 - 7
9.「大管長会メッセージ」
『聖徒の道』1971 年 4 月
号,85 - 86 参照
24.「 聖徒と世の人々への勧告」537 参照
,354
23. Take Heed to Yourselves!( 1966 年)
『聖徒の道』1971 年 4 月
25.「大管長会メッセージ」
号,86 参照
10.“ Our Children —‘ The L oveliest Flowers
from God ’s Own Garden, ’”Relief Society
73
ジョセフ・フィールディング・スミス大管長は,末日聖徒に悔い改めを呼びかける
理由をこう話した。「わたしは教会員を愛して〔いるのです〕。」
74
第
5
章
信仰と悔い改め
「教会外だけでなく,教会内でも必要とされている
ことは悔い改めです。信仰をさらに深め,主に仕える
決意をさらに強める必要があります。」
ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯から
ジョセフ・フィールディング・スミス大管長は次のように教えている。「罪の
ゆる
1
赦 しは信仰と心からの悔い改めによってもたらされます。」 スミス大管長は
「信じるだけではなく,悔い改め〔る〕ことも必要です」と述べ,信仰をもって
最後まで善い行いをするとき,わたしたちは「忠実な者が受ける報いを得,神の
2
日の栄えの王国で一つの場所を受ける」と教えた 。すべての人にこの報いを
得てほしいと願いながら,スミス大管長はその務めの期間を通じて絶えずイエ
あかし
ス・キリストについて証し,悔い改めを説き続けた。
使徒として務めを果たし始めたころ,スミス大管長は次のように述べている。
「わたしは自分には次のような使命があると考えてきました。シオンのステーク
み たま
を巡りながら,主の御 霊 の導きを受けてそのように感じてきたのです。すなわ
ち,わたしの使命は人々に向かって今 が悔い改めの時であると言うことです。
そして末日聖徒に向かって,主と交わした約束である聖約を覚えて主の戒めを
守り,聖文に記されているとおりに神の預言者であるイスラエルの長老たちの
教えと指導に従うよう呼びかけることです。主の聖なる御霊によって祝福と導
きを受けられるように,すべてのことにおいて主の前をへりくだって慎み深く歩
きょう
まなければなりません。今日は警告の日であると思います。福音が回復される
3
という示しを預言者が最初に天から受けた日以来,警告の時となっています。」
せい さん
ある日曜日の聖 餐 会で,スミス大管長は自分が警告のメッセージを語る理
由を会衆に話した。集会に出席していた大管長の息子のジョセフは,後に次
のように書いている。「そのときに〔父〕が述べたことの一部を鮮明に覚えて
います。『皆さんの友とはだれでしょうか。皆さんを最も愛しているのはだれ
でしょうか』と,父は会衆に問いかけました。『シオンの中では万事がうまく
いっており,繁栄の時が近づいていると言う人でしょうか。それとも,福音の
原則を実践しなければ,災いと困難に見舞われる恐れがあると警告する人で
しょうか。皆さんに知っていただきたいのですが,わたしは教会員を愛してお
75
第5章
り,わたしたちが現世の幕の向こうに行くときに,だれからも指をさされて次の
ように訴えられたくないのです。「あなたが警告してくれてさえいたら,このよう
な苦境に陥らずに済んだでしょう。」ですから,わたしの兄弟姉妹が栄光の王
4
国に入る備えができるようにと願って,わたしは警告の声を上げるのです。』」
スミス大管長の身近で働いた人々は,その厳しい警告の言葉の背後に,罪
に苦しむ人々を深く心配する者の姿を見た。大管長会の秘書を務めたフラン
シス・M・ギボンズ長老は,スミス大管長が教会宗紀の問題について検討する
場にしばしば同席した。ギボンズ長老は次のように回想している。「スミス大
管長の決定は常に,優しさと愛のうちに,その状況において正当とされ得るか
あわ
ぎり最大の憐 れみをもって下された。深刻な事例を取り巻く事情について知る
と,大管長はよくこう言った。『なぜ人は正しいことをしないのだろう。』これは
責めているのでも非難しているのでもなく,悲しく,残念に思って言っているの
5
であった。」 十二使徒定員会の会員としてスミス大管長とともに働いたスペン
サー・W・キンボール大管長は,次のように述べている。「わたしたちは何度も
このように言ってきました。十二使徒はイスラエルを裁く者になるわけですが,
わたしたちは皆,喜んで彼の裁きを受けたいと思います。彼の裁きは思いやり
6
があり,憐れみ深く,公正で,神聖だからです。」 スミス大管長は,ビショップ
を聖任するときによく次のように助言した。「覚えておいてください。だれにで
も弱点があり,どんな場合にも立場によって少なくとも二つの見方があります。
もし判断を誤ることがあるとするなら,必ず愛と憐れみに深すぎて誤るようで
7
あってください。」
ジョセフ・フィールディング・スミスの教え
1
福音の第一の原則は主イエス・キリストを信じる信仰である
わたしたちの信仰の中心は主イエス・キリストであり,わたしたちは主を通し
て御父を信じています。キリストを信じ,神の御子として受け入れており,バプ
8
テスマの水の中でキリストの名を受けました。
イエスがキリストであり,生ける神の御子であって,わたしたちに命を得させ
るためにこの世に来て命を落とされたことを,わたしたちは今も,そして常に心
の中で第一に考えていなければなりません。これは根本的な真理です。わた
したちの信仰は,この上に築かれています。この真理が損なわれることはあり
ません。世の教えや人の考えがどうであろうと,わたしたちはこの教えを離れて
はいけません。なぜならこの教えは最も大切な教えであり,わたしたちの救い
に不可欠なものだからです。主はわたしたちが戒めを守り,いつも主を覚える
あがな
という条件の下に,御自身の血によってわたしたちを贖 い,わたしたちを救って
76
第5章
くださいました。この条件があることを忘れてはいけません。わたしたちは戒
めを守り,いつも主を覚えるなら救われるでしょう。その一方で,人々の考えや
9
愚かな行いは地上から消滅するでしょう。
わたしたちは信仰によって神のもとに行きます。もし主イエス・キリストを信
しょくざい
じておらず,主の贖 罪 も信じていないならば,主の戒めに注意を払おうとは思
わないでしょう。わたしたちが主の真理と一致した者になり,主に仕えたいとい
う望みを心に持つのは,そのような信仰があるからです。……
…… 福音の第一の原則は,主イエス・キリストを信じる信仰です。当然のこ
とですが,御父に対して信仰を持たずに主イエス・キリストを信じるということ
はありません。ですから,もし父なる神と御子を信じるならば,また受けるべき
しもべ
聖霊の導きを受けるなら,主が代弁者として立ててこられた主の僕 たちを信じ
10
ることでしょう。
2
信仰とは行いを意味する
「信仰はすべての行いの動機となるものです。」
〔 Lectures on Faith ,第 1
講〕立ち止まって少しの間そのことについて考えてみるなら,それが物質的な事
柄においても霊的な事柄においてもまったく真実であることに,皆さんも同意
することでしょう。これはわたしたち自身の行いについても,神の行いについて
も当てはまります。……
「行いのない信仰〔は〕死んだものなのである。」
〔ヤコブの手紙 2:26〕つ
まり,そのような信仰は存在しません。ヤコブの真意を明確にすれば次のよう
になると思います。「行いを伴わないあなたの信仰なるものを見せてほしい。
何も起こらないことだろう。しかし行いを伴うわたしの信仰を見せてあげよ
う。何か良いことが成し遂げられることだろう。」
〔ヤコブの手紙 2:18 参照〕
信仰とは行いを意味します。……したがって,信仰は信念よりも力があります。
……
たま もの
信仰は神の賜 物 です。すべての良いものは神の賜物です。それは聖文の教
えであって,ヘブル人への手紙第 11 章で(この章は信仰についての実に見事な
論述です),
〔また〕教義と聖約やそのほかの聖典の中で,主がわたしたちに下
さっている啓示にあるとおりです。信仰は何もせずにいたり,無関心でいたり,
あるいは言われるままに信じていたのでは得られません。信仰を得たいと望む
だけでは信仰を得ることはできません。それは,音楽や絵画の技能を身に付け
たいと望んでも,理にかなった行いが伴わなければ上達しないのと同じことで
あかし
す。ここにわたしたちの問題があります。わたしたちは福音についての証 を得
77
第5章
て,ジョセフ・スミスを信じ,イエス・キリストを信じ,福音の原則を信じていま
すが,それらの事柄にどれくらい熱心に取り組んでいるでしょうか。
あつ
……もし揺るぎない篤 い信仰を得たいなら,この教会の会員としてすべての
義務を積極的に果たさなければなりません。……
ああ,ニーファイの示した信仰がわたしたちにあったならどんなによいでしょ
う。ニーファイ第一書第 17 章を読んでください。この章の中で,ニーファイが
船を造ろうとしたために,兄たちはニーファイに反対し,あざけって次のように
言います。
「弟は愚か者だ。弟は船が造れると思っているし,この大海を渡れると思っ
ている。」
〔 1 ニーファイ 17:17〕
ニーファイは兄たちに次のように答えました。
「どのようなことでも神がわたしに命じられれば,わたしにはそれができる。
もし,神がわたしにこの水に向かって『陸になれ 』と言うように命じられれば,
水は陸になる。わたしがそう言えば,そのとおりになる。」
〔 1 ニーファイ 17:
50〕
11
それがニーファイの信仰でした。
わたしたちは今,現世に来る前のように完全な知識をもって歩んでいるので
はありません。主はわたしたちに信仰によって歩むように求めておられます〔 2
コリント 5:7 参照〕。信仰によって歩みつつ,わたしたちの救いのために与えら
12
れている戒めに従うならば,義の報いを受けるのです。
人は真理を受け入れ,与えられた戒めを守って,教義に従い,信仰によって歩
まなければ,いくら口でイエスはキリストであられると告白しても,御父が人類
あがな
の贖いのためにキリストを世に送られたと信じていても,永遠の命を受けること
は不可能です。ヤコブの言うとおり,悪霊たちでさえ「信じておののいて」いま
13
すが,彼らは悔い改めません〔ヤコブの手紙 2:19 参照〕。
3
悔い改めは福音の第二の原則であり,救いと昇栄にとって不可欠である
14
悔い改めは福音の第二の基本原則であり,信仰から生じるものです。
教会外だけでなく,教会内でも必要とされていることは悔い改めです。信仰
15
をさらに深め,主に仕える決意をさらに強める必要があります。
重い罪,きわめて大きな罪でないかぎり罪を犯しても問題はなく,依然として
神の王国に救われるという考えを持っている人々がわたしたちの中にいるとい
うのはほんとうでしょうか。ニーファイはわたしたちの時代を見ており,人々が
78
第5章
そのように言うだろうと述べています〔 2 ニーファイ 28:7 - 9 参照〕。しかし,
わたしは皆さんに申し上げます。わたしたちは真理と義の道から離れていなが
み たま
16
ら,主の御霊の導きを受け続けることはできません。
シオンには故意に罪を犯す人のための場所はありません。あるのは悔い改め
た罪人,罪悪を捨てて永遠の命と福音の光を求める人のための場所です。主
がほんのわずかでも罪を見過ごしにされないのと同じように,わたしたちも罪
を見過ごしにすることなく,主の前をまっすぐに,申し分なく歩まなければなり
17
ません。
人は義によってのみ神の王国に救われ,高く上げられることができます。で
すから,わたしたちは罪を悔い改めて,キリストが光の中におられるように光の
中を歩まなければなりません〔 1 ヨハネ 1:7 参照〕。主の血によってすべての
罪から清められ,主と親しく交わり,主の栄光と昇栄を受けられるようにするた
18
めです。
わたしたちは悔い改める必要があり,悔い改めるように説かれる必要があり
19
ます。
4
あわ
悔い改めの原則には,天の御父とイエス・キリストの憐れみが示されている
悔い改めは福音の中で教えられている原則のうちで最も慰めを与えてくれる
栄えある原則の一つです。この原則には,天の御父とその独り子イエス・キリ
ストの憐れみが,恐らくほかのどの原則よりも力強く示されています。もし罪の
ゆる
赦 しがなく,へりくだって悔い改める人が罪の赦しを受ける手段がなかったと
したら,どんなに恐ろしいでしょうか。自分の罪に対する罰を,解放される望み
のないまま永久に耐え続けなければならないとしたら,どのような恐怖に襲わ
えい ごう
れるでしょうか。ほとんど想像も及びません。永 劫 の罰から解放されるには,
どうしたらよいのでしょうか。だれによって解放されるのでしょうか。
わたしたちの主は次のように言われました。
み
こ
「神はそのひとり子を賜わったほどに,この世を愛して下さった。それは御子
を信じる者がひとりも滅びないで,永遠の命を得るためである。
神が御子を世につかわされたのは,世をさばくためではなく,御子によって,
この世が救われるためである。」
〔ヨハネ 3:16 - 17。 18 - 21 節も参照〕
もし御父がイエス・キリストを世にお遣わしにならなかったとしたら,罪の赦
20
しはあり得ず,悔い改めによる罪からの解放もあり得ませんでした。
79
第5章
「悔い改めは福音の中で教えられている原則のうちで最も
慰めを与えてくれる栄えある原則の一つです。」
わたしたちの罪のために進んで苦しまれたイエス・キリストの愛と恵み深さ
を,たとえわずかでも真の意味で理解し感じることができるならば,わたしたち
21
は喜んですべての罪を悔い改めて主に仕えたいと思うようになるでしょう。
5
悔い改めには罪を心から悲しみ,完全に罪から離れることが含まれる
聖文には次のように書かれています。
「あなたは,義をもって主なるあなたの神に犠牲を,すなわち打ち砕かれた心
と悔いる霊の犠牲をささげなければならない。」
〔教義と聖約 59:8〕
これは悔い改めを指しています。
…… 辞書に載っている定義によれば,悔い改めとは自責の念をもって罪を心
から悲しみ,完全に罪から離れることです。…… 悲しみと罪から解放されたい
という望みなしに,真の悔い改めはあり得ません。
80
第5章
悔いることは,罪のゆえに霊が打ち砕かれ,へりくだっていることと,罪が卑
劣なものであると心から感じていることの表れであり,悔い改めた罪人に授け
あわ
られる神の憐 れみと恵みに気づくことです。…… そういうわけで主は,すでに
引用したように,わたしたちは「義をもって…… 犠牲を,すなわち打ち砕かれ
た心と悔いる霊」の犠牲をささげなければならないと言っておられるのです。
……
たま もの
悔い改めは神の賜 物 です。…… 一部の人にとって悔い改めは容易なことで
はありません。それでも悔い改めと信仰の賜物は,それを求めるすべての人に
22
与えられるでしょう。
わたしは自分自身の経験から,人は変わりたいと思うとき,変わりたいと心
から思うときに,変わることができると知っています。わたしたちの良心と聖文
が,どのような原則に従って生活するべきか,そして永遠の幸福と進歩のため
23
に,どのような習慣を変えるべきかを教えてくれます。
6
今が悔い改める時である
神はすべての男女を日の栄えの王国に救うつもりでおられるのではありませ
ん。そこに行きたいと願っているのに何か欠けるところがあるか,罪を犯してい
るか,あるいは主の戒めを破っていて,しかもそのことが分かっているなら,直
ちに悔い改めて生活を変えなければなりません。今がその時です。そして,こ
ゆる
むち
れはごくささいなことであるから主は赦 してくださる,少し鞭 打たれ,軽く罰せ
られるだけで赦される,という考えを持ってはいけません。そのような生き方
24
を続けるなら,外に投げ出されることになるからです。
福音の原則に当てはめて考えた場合,引き延ばしは永遠の命を奪う盗人で
す。永遠の命とは,御父と御子のもとで暮らすことです。わたしたちの中には,
教会員でさえも,すぐに福音の原則を実践し,戒めを守る必要はないと感じて
いる人が大勢います。……
〔アミュレク〕の言葉を忘れないようにしましょう。「見よ,現世は人が神に
お会いする用意をする時期である。まことに,現世の生涯は,人が各自の務め
を果たす時期である。
さて,前に話したように,あなたがたにはすでに非常に多くの証拠があるの
で,最後まで悔い改めの日を引き延ばすことのないように切に勧める。永遠に
備えるためにわたしたちに与えられている現世の生涯を終えると,見よ,もし
くら やみ
わたしたちが現世にいる間に時間を有益に用いなければ,後から暗 闇 の夜が
やって来る。そして,そこでは何の働きもできない。
81
第5章
あなたがたはその恐ろしい危機に陥るときに,
『わたしは悔い改めて神に立
ち返ろう』と言うことはできない。あなたがたはこのように言うことはできな
い。なぜならば,現世を去るときにあなたがたの肉体を所有しているその同じ
霊が,あの永遠の世で,あなたがたの肉体を所有する力を持つからである。」
25
〔アルマ 34:32 - 34 〕
7
わたしたちは世の人々に警告の声を上げる義務がある
主は人類が幸福になることを望んでおられます。それが主の目的です。しか
し人類は幸福を退け,自らを惨めな状態に追い込んでいます。なぜなら,自分
の道の方が神の道よりもよいと考えていて,利己的で貪欲であり,心に不義を
こんにち
26
巣食わせているからです。これが今日のわたしたちの問題です。
各地を旅していて目にすることや,報道されていることから考えると,必然的
に次のような結論に至らざるを得ません。罪を悔い改めることが,今日,全世
27
界できわめて重要になっています。
事態はこれ以上悪くならないところまで達していると考えてはいけません。
悔い改めないかぎり事態はもっと悪くなるでしょう。わたしがこの民に,末日聖
28
徒に,…… 全地の諸国民に悔い改めを叫んでいるのはそのためです。
わたしたちは世の人々に対して,特に教会員に対して,警告の声を上げる義
29
務があります〔教義と聖約 88:81 参照〕。
わたしたちには互いに世話をし合い,守り合い,危険を警告し合い,王国の
福音の原則を教え合い,世の罪に対して一致団結して立ち向かう義務がありま
30
す。
現時点で,末日聖徒の間においてさえも,悔い改めを叫ぶこと以上に大切な,
あがな
あるいは必要なことをわたしは知りません。贖 い主の言葉に耳を傾けるよう,
わたしは教会員でない人々だけでなく,聖徒たちにも呼びかけます。さて,清く
ない者は決して主のもとに行くことができないと,主ははっきりと言っておられ
ます。主のもとに行けるのは,忠実であることを証明し,信仰と悔い改めによっ
て主の血により衣を洗われた者だけであって,ほかにはだれも神の王国を見い
31
だすことはありません。
「しかしまことに,すべての国民,部族,国語の民,民族は,もしも悔い改め
るならば,イスラエルの聖者によって安全に暮らせるでしょう。」
〔 1 ニーファイ
22:28〕わたしは人々が悔い改めるように祈っています。安全に暮らしてほし
いと思っています。イスラエルの聖者を信じてほしいと思っています。その御
方はこの世に来てわたしたちの罪を,すなわち全人類の罪を贖ってくださいまし
82
第5章
た。わたしたちを死から贖い,わたしたちが悔い改めることを条件に,救いと
ゆる
罪の赦しを約束してくださっています。
全人類がその御方を信じ,その御方と御父とを礼拝し,御子の名によって主
なる神に仕えるように心から願っています。そうすれば平和が訪れ,義が広が
32
り,主は地上に御自分の王国を確立することがおできになるでしょう。
わたしは世の人々に切に呼びかけます。悔い改めて,真理を信じてください。
キリストの光に照らされて生活してください。持っているすべての正しい真実の
原則を守り,それらの原則に,この時代に啓示によってもたらされたより豊かな
光と真理を加えてください。末日聖徒イエス・キリスト教会に加わり,福音の祝
福の実を刈り取ってください。
み たま
教会員の皆さんに心からお願いします。義の業を行い,戒めを守り,御 霊 を
求め,主を愛し,神の王国にかかわる事柄を生活の中で最優先してください。
それによって,主の前に恐れおののいて自分の救いを達成してください〔ピリピ
33
2:12 参照〕。
研究とレッスンのための提案
質問
•「ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯から」の中で,自分が「警告の
声を上げる」ことを望む理由についてスミス大管長が述べている言葉を読ん
でください。悔い改めを呼びかけることが愛の表現であるのはなぜでしょう
か。
•天の御父とイエス・キリストを信仰の中心とするとは,あなたにとってどのよ
うな意味でしょうか(第 1 項参照)。
•真の信仰が必ず行動につながるのはなぜでしょうか(例として第 2 項参照)。
信仰を行いで示す方法として,どのようなことが挙げられるでしょうか。
•悔い改めが「信仰から生じるもの」であるのはなぜでしょうか(第 3 項参
照)。
あわ
•悔い改めて天の御父とイエス・キリストの憐 れみと愛を感じたときのことを
しょくざい
静かに思い巡らしてください(第 4 項参照)。救い主の贖 罪 に対する感謝の
気持ちについて,あなたはどのようなことを分かち合えるでしょうか。
•「悲しみと罪から解放されたいという望みなしに」悔い改めることができな
いのはなぜでしょうか(第 5 項参照)。第 5 項の最後の 2 段落は,罪のため
に悲しみを覚えている人にどのように希望をもたらすでしょうか。
•どのような点で,引き延ばすことは「永遠の命を奪う盗人」なのでしょうか
83
第5章
(第 6 項参照)。悔い改めを引き延ばすことにはどのような危険が伴うでしょ
うか。
•第 7 項を読みながら,
「警告の声を上げる」とはどういう意味かを考えてくだ
さい。警告に努める際,親切心と愛をもって行うにはどうしたらよいでしょう
か。
関連聖句
ヘブル 11:1 - 6;モーサヤ 4:1 - 3;アルマ 34:17;エテル 12:4;モロナ
イ 7:33 - 34;教義と聖約 18:10 - 16;信仰箇条 1:4
教える際のヒント
「実践の義務は生徒にある。教師が脚光を浴び,舞台の中心に立ち,すべて
のせりふを語るか,全部の活動を独り占めしてしまえば,これはまず間違いな
く,生徒の学習を阻害しているのである。」
(『福音を教える ― 教会教育シス
テム教師ならびに指導者用手引き』14;バージニア・H・ピアス「教室 ― 着
実に絶えず成長する力を与える場所」
『聖徒の道』1997 年 1 月号,12 で引用)
注
1. Answers to Gospel Questions, ジ ョ セ フ・
フィールディング・スミス・ジュニア編,全 5 巻
( 1957 - 1966 年)第 1 巻,84
11.“ Faith, ”Deseret News, 1935 年 3 月 16 日付,
Church 欄,3 ,7
12. Conference Report ,1923 年 4 月,139
2.“ Faith and Works: The Clearing of a Seeming Conflict, ”Improvement Era, 1924 年 10
月 号,1151 。Doctrines of Salvation, ブ ル ー
ス・R・マッコンキー編,全 3 巻( 1954 - 1956
年)第 2 巻,311 も参照
13.“ Faith and Works: The Clearing of a Seeming Conflict, ”1151 。Doctrines of Salvation,
第 2 巻,311 も参照
14. The Restoration of All Things( 1945 年)196
15.“ The Pearl of Great Price, ”Utah Genealogical and Historical Magazine, 1930 年 7 月号,
104 。Doctrines of Salvation, 第 2 巻,48 も参
照
3. Conference Report ,1919 年 10 月,88; 斜 体
は原文のまま
4. ジョセフ・フィールディング・スミス・ジュニアの
言 葉,Take Heed to Yourselves!( 1966 年)v
- vi で引用
16. Conference Report ,1950 年 10 月,13
17. Conference Report ,1915 年 4 月,120
5. フ ラ ン シ ス・M・ ギ ボ ン ズ,Joseph Fielding Smith: Gospel Scholar, Prophet of God
( 1992 年)viii
18. Conference Report ,1969 年 10 月,109
19.“ A Warning Cry for Repentance, ”Deseret
News , 193 5 年 5 月 4 日 付,Church 欄,6 。
Doctrines of Salvation, 第 3 巻,44 も参照
6. スペンサー・W・キンボールの言葉,ブルース・
R・ マ ッ コ ン キ ー,
“ Joseph Fielding Smith:
Apostle, Prophet, Father in Israel, ”Ensign,
1972 年 8 月号,28 で引用
20. The Restoration of All Things, 196 - 197
7. ジョセフ・フィールディング・スミス・ジュニア,
ジョン・J・スチュワート共 著,The Life of Joseph Fielding Smith( 1972 年)10 で引用
8. Conference Report ,1970 年 4 月,113
9. C o n f e r e n c e R e p o r t ,1 9 2 1 年 10 月,1 8 6 。
Doctrines of Salvation, 第 2 巻,302 も参照
10.“ Redemption of Little Children, ”Deseret
News, 1939 年 4 月 29 日 付,Church 欄,3 。
Doctrines of Salvation, 第 2 巻,302 - 303 も
参照
84
21. The Restoration of All Things, 199
22.“ Repentance and Baptism, ”Deseret News,
1935 年 3 月 30 日付,Church 欄,6
23.“ My Dea r Young Fel low Workers , ”New
Era, 1971 年 1 月号,5
24.“ Relief Society Conference Minutes, ”Relief
Society Magazine, 1919 年 8 月号,473 。Doctrines of Salvation, 第 2 巻,17 も参照
25. Conference Report ,1969 年 4 月,121 ,123
26.“ A Wa r n i n g C r y f o r R e p e n t a n c e , ” 6 。
第5章
Doctrines of Salvation, 第 3 巻,35 も参照
Doctrines of Salvation, 第 3 巻,49 も参照
27. Conference Report ,1966 年 10 月,58
30. Conference Report ,1915 年 4 月,120
28. Conference Report ,1932 年 10 月,91 - 92 。
Doctrines of Salvation, 第 3 巻,31 - 32 も 参
照
31. Conference Report ,1960 年 10 月,51
29. C o n f e r e n c e R e p o r t ,1 9 3 7 年 4 月,5 9 。
85
32. Conference Report ,1919 年 10 月,92
33. Conference Report ,1970 年 10 月,7 - 8
「わたしを記念するため,このように行いなさい。」
(ルカ 22:19 )
86
第
6
章
せいさん
聖餐の大切さ
「この象徴にあずかることが,教会における
最も神聖な儀式の一つとなります。」
ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯から
1929 年 10 月 5 日,使徒として 19 年間奉仕した後,ジョセフ・フィールディン
グ・スミス長老はソルトレークのタバナクルに立って,第 39 回総大会の説教を
した。「聖餐について少し話したいと思います。より具体的に言えば,啓示によ
り,主の戒めによって教会に置かれた,イエス・キリストの体と血の象徴にあず
かるための集会について話します。」このテーマの前置きとして,スミス長老は
聖餐に対する思いを次のように語った。
「聖餐会は教会のあらゆる集会の中でも,最も聖別された,最も神聖な集会
であると,わたしは考えています。聖餐式のことが紹介された記念すべき夜に
救い主と使徒が集まっているところを想像し,この厳粛な時のことを考えると,
わたしの心は感動し,胸がいっぱいになります。このときの集まりは時の初め
以来最も厳粛で,すばらしい場面であったと,わたしは思うのです。
そこで救い主は使徒たちに,間もなく自分が犠牲になろうとしていることを教
えられました。しかし使徒たちは当惑するばかりで理解できませんでした。主
は御自分が死ぬことと血が流されることを淡々と話されました。しかもこれを
く もん
世の罪のために苦 悶 しておられるさなかに言われたのです。これは非常に厳
粛な時でした。そこで聖餐式が定められ,弟子たちはしばしば集まって,イエ
ス・キリストの死と苦難を記念するように命じられたのです。イエスの犠牲は
あがな
世を贖うためにささげられたからです。
主はまさにこれから,堕落のために世が負った負債を支払い,人類を死と地
獄から贖う責任を引き受けようとしておられました。主は,すべての人を御自分
に引き寄せるために上げられようとしていること,そして御自分が人類の罪を背
負うのだから,悔い改めて主を信じ,主の戒めを守る人は皆,御自分が味わうの
1
と同じ苦しみを味わう必要はないと人々に教えられたのです。」
87
第6章
ジョセフ・フィールディング・スミスの教え
1
せいさん
主は,聖餐を受けるためにしばしば集まるようわたしたちに命じられた
この象徴にあずかることが,教会における最も神聖な儀式の一つとなります。
すぎ こし
この儀式は過 越 のときに子羊を殺し,食べることに取って代わったものです。
あがな
子羊をほふるのは,贖い主が十字架の上で犠牲になられることのひながたでし
た。…… 出エジプトの時代から贖い主が十字架につけられるときまで,イスラ
エル人は毎年決まった時期に過越を守るように命じられていました。十字架に
つけられる前の厳粛な夜に,主はこの定めを変えて,代わりに聖餐式を定めら
れました。わたしたちは年に 1 回だけではなく,しばしば集まるように,祈りの
家に行くように,そしてそこで贖い主を思い起こし,聖なる儀式にあずかること
2
によって主と聖約を交わすように命じられているのです。
さしたる理由もなく聖餐会を何週間も何か月も欠席する人は,真理に忠実で
はありません。真理を愛していないのです。真理を愛しているのであれば,小
さな一切れのパンと小さなカップに入った水という,この象徴にあずかるため
に出席するはずです。真理への愛を示し,神の御子に忠実に仕えるために,聖
餐を受けたいと思うはずなのです。
3
しょくざい
わたしたちはこの重要な出来事〔イエス・キリストの贖罪〕を記念し,絶えず
心に留めるように求められています。このため,わたしたちは週 1 度集まって,
これらの象徴にあずかるように言われているのです。そこでわたしたちは主を
み
な
覚え,主の御 名 を喜んで引き受け,主の戒めを守ることを証明します。わたし
たちはこの聖約を毎週更新するように求められています。この戒めに絶えず従
み たま
わなければ,主の御霊を受けることはできなくなります。主を愛するならば,わ
たしたちは祈りと礼拝の精神でこの集会に出席して,主と聖約を思い起こすで
しょう。すなわち主がわたしたちに要求されたとおり,聖餐を通して毎週更新
4
するべき聖約を思い起こすのです。
2
しょくざい
せいさん
わたしたちはイエス・キリストの贖罪の記念に聖餐を受ける
イエス・キリストの贖罪を知り,それを理解してへりくだり忠実に歩むのは教
会員の務めです。…… 救い主イエス・キリストが血を流し,十字架上の犠牲を
ささげられたことを記念して小さな一切れのパンを食べ,小さなカップに入った
水を飲むことが何を意味するのか,教会員の大多数が理解していないとわたし
は感じています。そうでなければいいのですが,これは事実だと思います。
88
第6章
〔パンの〕祝福に注目してみましょう。何が書かれているかよく理解できるよ
う,へりくだって読みます。
み
な
「永遠の父なる神よ,わたしたちは御子イエス・キリストの御 名 によってあな
たに願い求めます。このパンを頂くすべての人々が,御子の体の記念にこれを
頂けるように,また,進んで御子の御名を受け,いつも御子を覚え,御子が与
えてくださった戒めを守ることを,永遠の父なる神よ,あなたに証明して,いつ
み たま
きよ
も御子の御霊を受けられるように,このパンを祝福し,聖めてください。アーメ
ン。」
〔教義と聖約 20:77〕……
御子の血の記念に頂く。これはただ,2,000 年近く前に悪人たちがイエスを
くぎ
捕えて十字架にかけ,手と足に釘 を打ち込んで死ぬまで放置したことを思い出
すことを言っているのでしょうか。わたしにとっては,それよりはるかに深い意
味があります。御子のことを思うとは,なぜ御子が十字架にかけられたのか,
御子が十字架にかけられたことによって自分にどのような祝福が与えられるの
あがな
か,自分が贖 われて罪から解放されるために,御子は十字架上でどのような苦
しみをお受けになったのか,などを考えることなのです。
確かに,次のように考えるのが自然でしょう。「御子は手と足に釘を打ち込
まれて十字架にかけられて亡くなられた。……これ以外に何か苦しまれたの
か。」ほとんどの人が見逃しているのはこの点だとわたしは思うのです。手足に
打ち込まれて十字架にかけられるのはたとえようもなく激しい苦しみではあり
ますが,御子がお受けになった最大の苦しみはそれではなかったと,わたしは
確信しています。御子はそれとは別の,はるかに激しく,身を貫くような苦しみ
を伴う重荷を負われました。どのようにして負われたのでしょうか。はっきりと
5
は分かりませんが,それをかいま見ることはできます。
どんな人でも,何か悪いことをして気まずい思いをし,しなければよかったと
思うことがあるでしょう。良心が痛み,非常に惨めな気持ちになります。そん
な経験をしたことはありませんか。わたしはあります。……しかし,神の御子
がいらして,わたしの過ちも皆さんの過ちも背負ってくださいます。…… 手足の
釘の痛みは相当なものでしたが,御子の最大の苦しみはそれではなく,わたし
にはよく分からない何らかの方法でお受けになった精神的な苦悩でした。しか
し,その重荷,わたしたちの重荷を背負ってくださったのです。これにはわたし
の重荷も皆さんの重荷も含まれています。すべての人の重荷が含まれているの
です。御子はこれを身に受けて代価を払われました。そのおかげで,御子の福
音を受け入れて忠実にそれに従うならば,わたしも皆さんも,罰を逃れることが
できるのです。
これこそ,わたしが考えようとしていることです。これこそ,わたしが記憶に
さかずき
とどめていることなのです。つまり,それは御子がこの杯 を過ぎ去らせてくだ
89
第6章
さいと,御父への祈りの中で叫び求められた,刺し貫くような苦しみです。過ぎ
去らせてくださいと御子が懇願なさったのは,手足に打ち込まれた釘の痛みだ
けではありませんでした。主は,わたしには理解できない,これらすべてを越
6
える激しい苦しみを経験しておられたのです。
わたしたちは皆弱い者ですが,弱い人間には,神の御子がどれほどの苦しみ
を味わわれたのかを十分に理解することはできません。御子がお払いになる
べき代価がどのようなものであったのか理解することは,わたしたちにはできな
いのです。御子はジョセフ・スミスに次のように言われました。
「見よ,神であるわたしは,すべての人に代わってこれらの苦しみを負い,
人々が悔い改めるならば苦しみを受けることがないようにした。しかし,もしも
悔い改めなければ,彼らはわたしが苦しんだように必ず苦しむであろう。その
苦しみは,神であって,しかもすべての中で最も大いなる者であるわたし自身
が,苦痛のためにおののき,あらゆる毛穴から血を流し,体と霊の両方に苦しみ
を受けたほどのものであった。そしてわたしは,その苦い杯を飲まずに身を引
くことができればそうしたいと思った。しかしながら,父に栄光があるように。
わたしは杯を飲み,人の子らのためにわたしの備えを終えたのである。」
〔教義
と聖約 19:16 - 19〕
しかし,この刺し貫くような苦しみという犠牲を御子が払ってくださったおか
げで,自分たちが最大の祝福を得ることができるようになったことを,わたした
ちは知っていますし,理解することができます。さらに,御父と御子が人類に対
する偉大な愛を抱いておられるからこそ,この極限の苦しみを身に受けてくだ
さったのだということを理解することができます。 この苦しみは,死すべき人
間には受けることも耐えることもできないようなものでした。
……わたしたちのためになされた贖いによって多くの祝福がもたらされたこ
とを十分に理解していれば,主が何をお求めになろうと,わたしたちは精魂を
7
込め,喜んで果たそうと思うようになるに違いありません。
わたしがこれまで何度も努力してきたように,救い主が使徒と一緒に集まっ
ているあの荘厳な場面を思い浮かべることができたなら,また,そこに集まった
使徒たちを見,悲しんでおられる主を見ることができたなら,主を捨てることは
決してないと感じるに違いないと思います。主は世の罪のために悲しみ,御自
分を裏切ろうとしている使徒の一人のために悲しみつつも,御自分を愛し,御自
ばん さん
分と聖約を交わしている 11 人の弟子たちに教えをお授けになりました。晩 餐
を終え,賛美歌を歌うと彼らは出て行き,主は裏切られ,あざけられ,侮辱され
ました。主が最大の試練の中におられるときに弟子たちは去って行きました。
兄弟姉妹の皆さん,主と使徒が集まっている場面を思い浮かべ,主の重荷を感
じることができたならば,わたしたちは真理の光の中を永遠に歩み続けたい
90
第6章
と,さらに強く願うようになるのではないでしょうか。わたしたちの理解力は限
られており,理解の限界があるのは当然だとしても,これらすべてのことをほん
のかすかにでも理解することができたならば,そのような望みが増すに違いあ
りません。人類の救い主が園の中で,あるいは十字架の上で苦しんでおられる
様子を見ることができ,そのことがわたしたちにとって何を意味するかを十分
理解することができれば,わたしたちは主の戒めを守り,心を尽くし,勢力と,
思いと,力を尽くして主を愛し,イエス・キリストの御名によって主に仕えたいと
8
願うようになることでしょう。
3
せいさん
聖餐を受けるときに自分が交わす聖約についてよく考えることは,
わたしたちの義務である
教会員には,聖餐会で聖餐を受けるときに自分が交わす聖約について,もっ
9
とはっきりと理解してほしいとわたしは思っています。
〔聖餐会で〕並んで座っている二人の教会員が話し始め,水の祝福やパンの
祝福の間だけ話をやめるのですが,祝福の言葉が終わるとすぐにまた話し始め
るのを見たことがあります。……わたしにとってこれは非常にショックでした。
10
主も同じお気持ちだろうと確信しています。
聖餐会で〔聖餐の〕祈りがささげられるときに耳を澄まして注意深く祈りの
内容を思い巡らすことは,わたしたちの義務です。この象徴にあずかる度にわ
たしたちが聖約する非常に大切な事柄が 4 つあります。そして,その象徴にあ
ずかるということは,義務を果たす決意が十分にあることを示す行為なので
す。したがって,わたしたちはその義務を果たさなければなりません。その義
務とは以下のとおりです。
1. わたしたちはイエス・キリストの体の記念としてパンを頂き,十字架上で殺
されたキリストの傷ついた体を常に覚えていることを約束する。
2. わたしたちは世の罪のために流された血の記念に水を飲む。この血はア
あがな
ダムの背きを贖い,悔い改めを条件に,わたしたちを罪から解放する。
み
な
3. わたしたちは進んで御子の御 名 を受け,御子を常に覚えると聖約する。
この聖約を守ることによって,わたしたちは御子の御名で呼ばれることと,その
御名を辱めることやその御名が非難の的となるようなことを決してしないこと
を約束する。
4. わたしたちは主から与えられた戒めを守ることを聖約する。一つの戒め
ではなく,喜んで「神の口から出る一つ一つの言葉に従って生き〔る〕」のであ
る〔教義と聖約 84:44 〕。
91
第6章
せいさん
「教会員には,聖餐会で聖餐を受けるときに自分が交わす聖約について,
もっとはっきりと理解してほしいとわたしは思っています。」
この 4 つを行うならば,聖霊の導きを引き続き受けられることがわたしたち
には約束されています。そして,これらを行わなければ,聖霊の導きは得られ
11
ないのです。
わたしは皆さんに幾つか質問をしたいと思います。もちろんわたしは,全教
けん そん
会員に向かって話しています。祈りと礼拝の精神をもって,また謙 遜 な態度で
聖餐会に出席し,イエス・キリストの体と血を記念する象徴にあずかる者が,
故意に主の戒めを破るでしょうか。聖餐にあずかることの意味を十分理解して
おり,イエス・キリストの御名を引き受け,いつも主を覚え,そして主の戒めを守
じゅうぶん
り,しかもこの誓いを毎週更新するなら,什 分 の一を納めないなどということ
があるでしょうか。そのような人が安息日を破ったり,知恵の言葉を無視したり
するでしょうか。また祈らなくなったり,定員会の義務や教会のほかの義務を
果たさなくなったりするでしょうか。毎週,主と聖徒たちの前でこの聖約を交わ
すことの意味が分かっているならば,神聖な原則に違背したり,義務を果たさ
12
なかったりすることは不可能だと,わたしには思えるのです。
92
第6章
「聖餐会で〔聖餐の〕祈りがささげられるときに耳を澄まして
注意深く祈りの内容を思い巡らすことは,わたしたちの義務です。」
研究とレッスンのための提案
質問
•「ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯から」で,スミス大管長は救い主
せい さん
が聖 餐 を定められたときのことについての考えを述べています。救い主が聖
餐を定められたこの出来事は,なぜあなたにとって大切なのでしょうか。
•第 1 項を学習する際に,毎週聖餐会に出席することの大切さについてよく考
えてください。聖餐会のためにどんな準備ができるでしょうか。子供が聖餐
会に備えられるよう,親はどのようにして助けたらよいでしょうか。
•スミス大管長が聖餐を受けるときに考えることの中で,印象に残ったことを
あがな
挙げてください(第 2 項参照)。聖餐を受けるときに救い主とその贖 いを思
い起こすために,どんなことができるでしょうか。
•第 3 項に挙げられた聖約に注目してください。これらの聖約についてどう感
じるか,心の中で考えてください。これらの聖約は,あなたの生活にどのよう
93
第6章
な影響を与えるでしょうか。
関連聖句
マタイ 26:26 - 29; 1 コリント 11:23 - 29 ;3 ニーファイ 18:1 - 13 ;モ
ルモン 9:29;モロナイ 4 - 5 章;教義と聖約 20:75 - 79; 59:9 - 12
教える際のヒント
「章の最後にある質問を幾つか選び,それを読むように出席者に割り当てる
(個人または小さなグループで行わせる)。質問に関連のある教えを章の中か
ら探すように言う。その後,出席者に自分の考えや理解したことをグループの
人たちに話すように勧める。」
(本書 vii ページから)
注
1. Conference Report ,1929 年 10 月,60 - 61;
ブ ル ース・R・マ ッコン キ ー 編,Doctrines of
Salvation, 全 3 巻( 1954 - 1956 年)第 2 巻,
340 - 341 も参照
2.“ Importance of the Sacrament Meeting, ”
Relief Society Magazine , 1943 年 10 月,590;
Doctrines of Salvation , 第 2 巻,399 - 340 も
参照
3. Seek Ye Earnestly , ジョセフ・フィール ディン
グ・スミス・ジュニア編( 1972 年),99
教,7 - 8
6.“ Fall-Atonement-Resurrection-Sacrament, ”
8
7.“ Importance of the Sacrament Meeting, ”
591 - 592
8. Conference Report ,1929 年 10 月,61;Doctrines of Salvation ,第 2 巻,347 も参照
9.“ Fall-Atonement-Resurrection-Sacrament, ”
7
10. Seek Ye Earnestly , 122
4. Conference Report ,1929 年 10 月,61;Doctrines of Salvation ,第 2 巻,341 も参照
5.“ Fall-Atonement-Resurrection-Sacrament, ”
1961 年 1 月 14 日,ソルトレーク・シティー,ユタ
大学宗教教育インスティティートにて行われた説
94
11.“ Importance of the Sacrament Meeting, ”
591
12. Conference Report ,1929 年 10 月 , 62;Doctrines of Salvation ,第 2 巻,346 も参照
第
7 章
ジョセフとハイラム・スミス
― キリストの証人
「わたしたちは声を大にして,預言者ジョセフ・スミス,
祝福師ハイラム・スミス,彼らが据えた土台の上に築き
上げてきた預言者たちと使徒たち,そして義にか
なった人々の生涯と働きに感謝します。」
ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯から
ジョセフ・フィールディング・スミスは,幼いときから,自分の家族が預言者
ジョセフ・スミスと特別な関係にあることを知っていた。そして,預言者ジョセ
なら
フの兄であり忠実な友でもあった祖父ハイラム・スミスの模範に倣 うように努
めていた。ハイラムは教会の指導者の一人として弟の傍らで忠実に務めを果た
した。また,モルモン書の出版を助け,召されてモルモン書の八人の証人の一
人となった。 1844 年 6 月 27 日,イリノイ州カーセージで殉教したジョセフとハ
あかし
イラムは救い主とその福音に対する証を結び固めた。「彼らは生前に分かたれ
ることはなく,また死後も離れることはなかった。」
(教義と聖約 135:3 )
ジョセフ・フィールディング・スミスは,父方の祖父母をまったく知らなかっ
た。彼が生まれる何年も前に,祖父ハイラムは殉教しており,ハイラムの妻メ
アリー・フィールディング・スミスも若くして亡くなっていたからである。ジョセ
フ・フィールディング・スミスはこう語っている。「わたしは祖母スミスをまった
く知りません。いつもそのことを残念に思ってきました。なぜなら,彼女はか
つてこの世にいた人の中で最も気高い女性の一人だったからです。しかし,彼
女のすばらしい妹であるマーシー・トンプソンおばさんを知っていました。わ
たしは子供のときに,よく彼女の家に行って彼女のひざの上に座り,預言者ジョ
セフ・スミスについての話を聞いたものです。その経験をとても感謝していま
1
す。」
ジョセフ・フィールディング・スミスは,預言者ジョセフ・スミスをよく知って
いた父ジョセフ・F・スミスの模範からも学んだ。ジョセフ・フィールディング・
スミスは父についてこう述べている。「父の証には疑いやためらいはまったくあ
95
第7章
ジョセフ・スミスとハイラム・スミス:「彼らは生前に分かたれることはなく,
また死後も離れることはなかった。」
(教義と聖約 135:3 )
96
第7章
りませんでした。特に,救い主の神性や預言者ジョセフ・スミスの使命につい
2
て語るときにはそうでした。」
これらの模範と教えによって,ジョセフ・フィールディング・スミスは少年時
代に,回復された福音に対して証を持つようになった。後に,
「わたしは主なる
救い主イエス・キリストの使命や預言者ジョセフ・スミスの使命に疑いを持っ
3
たことは一度もありません」と述べている。 彼は福音を教えるとき,家族に特
有の言葉を使って証を述べることがあった。「わたしは預言者ジョセフ・スミ
スを愛しているでしょうか。はい,かつて父が愛していたように,わたしも愛し
しもべ
ています。わたしはジョセフ・スミスを愛しています。それは彼が神の僕 だっ
たからです。福音が回復されたからです。この人や彼とともに働いた人々に授
けられた祝福を通してわたしと家族に,また皆さんと家族に,恵みと祝福が与
4
えられてきたからです。」
スミス大管長は家族からの教えと受け継ぎに感謝していたが,彼の証はまぎ
れもない自身のものであった。このように語っている。「わたしは,神の預言
者ジョセフ・スミスが時満ちる神権時代の長になるように召されたという証を
み たま
5
主の御 霊 によって与えられたことに,いつも深く感謝してきました。」 また別の
折には,次のように証した。「 1820 年にジョセフ・スミスが御父と御子にまみ
えたこと,御父が御子を紹介されたこと,御子が彼に語りかけて,何を知りた
いか尋ね,勧告を与えられたこと,すなわち,やがて別の光が射して,当時地上
になかった完全な福音が回復されるという約束とともになすべきことを告げら
たま もの
れたことを,わたしは神の賜物によって知っています。」次いで,彼はすべての人
が同じ証を得ることができると断言した。「それを知りたいと望んでいるこの
世のすべての人には,その特権があります。なぜなら,へりくだり,悔いる霊を
けん そん
もって心底謙 遜 になり,深く信じて主の前に行く人は皆,主が生きておられるよ
6
うに確かにその知識を得るからです。」
ジョセフ・フィールディング・スミスの教え
1
最も重要な二つのテーマ ― イエス・キリストは神の御
子であり,ジョセフ・スミスは預言者であった
み
な
わたしたちはイエス・キリストの御名とジョセフ・スミスの名を関連づけてい
あがな
ます。キリストは主であり,贖 いの犠牲を成し遂げられました。イエス・キリス
トはよみがえりであり,命です。イエス・キリストのおかげで,すべての人は不
死不滅によみがえります。また,主の律法を信じて律法に従う人々は,永遠の
命をも得ます。
97
第7章
ジョセフ・スミスは,救いをもたらす福音の真理を啓示によって受ける者とし
て,また福音の儀式を執行するために高い所から力を授けられた正当な管理者
として,この終わりの時に召された預言者でした。
ジョセフ・スミスを通して明らかにされたこれらの真理は,再臨の前にすべて
の国に伝えられます。したがって,モロナイがジョセフ・スミスに次のように告
げたのも驚くに当たりません。ジョセフ・スミスの「名〔は〕良くも悪くもすべ
ての国民,部族,国語の民の中で覚えられ……,良くも悪くもすべての民の中で
語られる……。」
〔ジョセフ・スミス― 歴史 1:33〕
また,後に主が預言者に次のように言われたことも驚くに当たりません。「地
の果ての人々があなたの名を尋ね,愚かな者はあなたをあざ笑い,地獄はあな
たに激怒するであろう。
一方,心の清い者と,知恵のある者と,高潔な者と,徳高い者は,絶えずあな
たの手から助言と権能と祝福を求めるであろう。」
(教義と聖約 122:1 - 2 )
現在,地の果ての人々がジョセフ・スミスの名を尋ね始めており,多くの国で
大勢の人々がジョセフ・スミスを通して回復された福音に喜びを見いだしていま
す。
あかし
この神権時代の幕開け以来,ジョセフ・スミスに示されたイエスの証 が,合
の
衆国,カナダ,イギリス,ヨーロッパの大半,また太平洋の島々で宣べ伝えられて
きました。
近年では,メキシコ,中央アメリカの国々,南アメリカで,ほとんど信じられな
み わざ
いほどに御業が進展しています。
また,現在〔 1971 年〕,アジアでは,福音のメッセージに対して過去に見られ
ないほど多くの門戸が開かれています。教会は日本と韓国,台湾と香港で確立
されつつあり,またタイ,シンガポール,インドネシアで御業が進み始めていま
す。
また,主の摂理により,現在真理のメッセージに扉を閉ざしているその他の
国々が教会に対して門戸を開き,イスラエルの長老たちが入って行って,それら
の国に住む心の清い人にキリストについて,また預言者ジョセフ・スミスを通し
てこの時代に地上にもたらされた主の王国の福音について告げる日が来ること
7
でしょう。
こん にち
ジョセフ・スミスは今 日 この時代の人々に対するキリストと救いに関する知
8
識の啓示者です。
わたしが最も重要であると常に考えている二つのテーマがあります。イエス・
キリストは世の罪のために十字架につけられた神の御子であることと,ジョセ
98
第7章
フ・スミスは時満ちる神権時代の到来に当たって召され任じられた預言者で
9
あったことです。これが世界に向けたわたしのメッセージです。
2
主はこの栄光ある神権時代の長となるようジョセフ・スミスを召された
ジョセフ・スミスは,……この世に来て,聖なる使者たちの指示の下で,世を
主の来臨に備えるため,神の王国と,この驚くべき業と不思議の基を据えまし
10
た。
わたしは彼〔ジョセフ・スミス〕が天の御父によって召され任じられたこと,
神の御子から啓示と導きを受けたことを知っています。これによってあらゆる
11
人はこの事実を受け入れるならば益と祝福を得られるようになりました。
主が預言者ジョセフ・スミスを立て,天を開いて啓示と戒めを与え,この栄え
み じん
ある神権時代の長となるよう召されたことについて,わたしの心には微 塵 の疑
いもありません。彼が少年時代に出て行って祈り,父なる神と御子イエス・キ
リストの前に立って御二方に実際にまみえたことを,わたしは完全に信じていま
す。わたしの心に疑念はありません。これが真実であることを知っています。
後に彼がモロナイの訪れを受け,バプテスマのヨハネの手によってアロン神権
を受け,ペテロとヤコブとヨハネの手によってメルキゼデク神権を受けたこと,
そして神の命令によって 1830 年 4 月 6 日に末日聖徒イエス・キリスト教会が
12
組織されたことを,わたしは知っています。
主は,この「まさに人の子らの中に現れようとしている大いなる驚くべき業」
の長となる者を選ぶに当たって〔教義と聖約 4:1 参照〕,世の学問や慣習に通
じた人を選ばれませんでした。主の方法は人の方法とは異なり,主の思いは人
の思いとは異なっています〔イザヤ 55:8 参照〕。世の学問による教えを受け
た人には,捨てなければならない人の慣習と哲学があまりにも多すぎます。主
はその大いなる知恵によって,世慣れていない子供,14 歳の少年を選ばれまし
た。主はこの若者に完全な福音を啓示されました。その福音は不信仰のため
に世の人々が受け入れようとしないものでした。この若者ジョセフ・スミスは,
主のみもとから遣わされた使者たちによって教えられ,何年にもわたって天の
導きを受け,福音の回復の業と神の王国の建設を指導するように備えられまし
13
た。
99
第7章
「ジョセフ・スミスは時満ちる神権時代の到来に当たって召され任じられた預言者でした。」
3
この時代の人々は預言者ジョセフ・スミスを通して主の言葉を受けると,
主は言われた
いつの時代でも福音が地上にあるときは,主の預言者に福音が啓示されな
ければなりません。そして,彼らは人々のために救いの儀式を執行し,指導す
るために正当な管理者として働くよう召されなければなりません。
ジョセフ・スミスは,救いの真理を回復するために,そしてこれらの救いの真
かぎ
理を授ける鍵と力を受けるためにこの時代に主から召された預言者です。
主はジョセフに言われました。「この時代の人々は,あなたを通してわたしの
言葉を受ける。」
(教義と聖約 5:10 )その後,主はジョセフ・スミスを通して回
復された福音についてこう言われました。「この王国の福音は,すべての民へ
100
第7章
あかし
の
の証 として,全世界に宣 べ伝えられるであろう。それから,終わり,すなわち悪
14
人の滅亡が来るのである。」
〔ジョセフ・スミス― マタイ 1:31〕
わたしはここで申し上げます。
こんにち
ジョセフ・スミスは,今日すべての人がキリストとその福音の真理を知るため
に目を向けなければならない人です。
時が来れば,この預言者の名は地の隅々に,またすべての民の間に知れわた
るようになるでしょう。
心の正直な人はジョセフ・スミスを預言者として受け入れ,ジョセフ・スミス
が明らかにした主を礼拝するでしょう。
神の命令によってジョセフ・スミスにより組織された教会は,ジョセフ・スミ
スを通して与えられた啓示に従うので栄えるでしょう。
また,ジョセフ・スミスの教えを信じ,ジョセフ・スミスが定めた道を熱心に
歩む人は皆,イエス・キリストが神の御子であって,世の罪のために十字架につ
けられた御方であることを知るでしょう。
み たま
わたしは,聖なる御 霊 からの啓示によって,イエスがキリストであることを同
様に知っています。ジョセフ・スミスが現在も過去も,またいつまでも神の預
言者であることを知っています。……
わたしは証と感謝の気持ちを込めて,教義と聖約から次の霊感あふれる言
葉を〔分かち合いたいと思います〕。「主の預言者であり聖見者であるジョセ
フ・スミスは,ただイエスは別として,この世に生を受けた他のいかなる人より
も,この世の人々の救いのために多くのことを成し遂げた。」
(教義と聖約 135:
15
3)
4
ジョセフ・スミスと兄ハイラムは,生前も死後も一つに結ばれていた
わたしはこの最後の福音の神権時代に永遠の真理が回復されたことに感謝
しています。預言者ジョセフ・スミスならびにわたしの祖父である祝福師ハイ
かぎ
ラム・スミスの使命と働きに,また神の王国の鍵 が再び地上の人に託されたと
16
いう事実に感謝しています。
しもべ
「さらにまた,まことに,わたしはあなたに言う。わたしの僕ハイラム・スミス
は幸いである。彼の心が高潔であるので,また彼がわたしの前に正しいことを
愛するので,主なるわたしは彼を愛する,と主は言う。」
〔教義と聖約 124:15〕
彼に与えられた,しかも主から与えられたこのような信頼と称賛の言葉を喜
ばない人がいるでしょうか。ハイラム・スミスはこの神権時代の初期にバプテ
101
第7章
スマを受けた人の一人です。生涯,彼は弟ジョセフの傍らに立ち,励ましと信仰
いち ず
と一 途 な愛によって弟を力づけました。ハイラムはすばらしく心の優しい人で
した。非常に謙虚で,自分の命を愛する以上に弟を愛しました。それは彼の
死によって示され,その死を通して彼は殉教者の冠を得ました。ハイラムは恐
れることなく真理を擁護しました。まことに,彼は「正しいことを愛しました。」
ハイラム・スミスは,1800 年 2 月 9 日に生まれ,預言者よりおよそ 6 歳年上
でした。ジョセフ・スミスは自分に与えられた誉れをすべてハイラムとともに分
かち合いました。ハイラムは,主が彼の弟に授けられたすべての祝福を弟とと
もに享受しました。預言者ジョセフも兄ハイラムに対して同様の兄弟愛を示し
ました。彼らはともに同じ悲しみと喜びを経験しました。二人は同じ迫害を受
あかし
けました。福音のために同じ監獄に入りました。そして,証 を結び固める時が
来ると,一緒に殉教の冠を受けました。「彼らは生前に分かたれることはなく,
また死後も離れることはなかった」のです〔教義と聖約 135:3〕。……
預言者は次のようなふさわしい賛辞の言葉を贈っています。「ハイラム兄弟,
あなたは何と忠実な心を持っていることでしょう。おお,わたしを心にかけてき
てくれたことへの報いとして,永遠のエホバが永遠の祝福を冠としてあなたの
頭に授けてくださいますように。おお,わたしたちは何と多くの悲しみを共にし
てきたことでしょう。そして再び,わたしたちは容赦なく虐げる者たちの手に落
ちています。ハイラム,あなたの名は主の律法の書に記されるでしょう。後に
なら
来る人々が見て,あなたの行いに倣えるようにするためです。」
また,預言者はこのように語りました。「わたしは心の中で,すべての兄弟た
ちがわたしの愛する兄ハイラムのようであったならと祈っています。ハイラムは
けん そん
子羊の穏やかさとヨブの高潔さ,要するに,キリストの柔和さと謙 遜 さを備えて
います。わたしは死よりも強い愛をもってハイラムを愛しています。なぜなら,
わたしは一度も彼を非難したことがなく,彼がわたしを非難したこともないから
17
です。」
5
あかし
ジョセフ・スミスとハイラム・スミスは自らの血をもって証を結び固めた
わたしの祖父である祝福師ハイラム・スミスは,弟の預言者ジョセフとともに
かぎ
この神権時代の鍵を持つように召されました。すべてのことは二人の証人の証
言によって確定すると,主は言われました〔 2 コリント 13:1 参照〕。……
ジョセフ・スミスは独りで立つことはできませんでした。独りで立とうとして
いたら彼の業は失敗していたでしょう。それは救い主の業がほかの証人による
確認を必要としたのと同じです。キリストの場合,御父以外にだれが証できた
でしょうか〔ヨハネ 8:12 - 18 参照〕。そこで主は,ジョセフ・スミスとともに
102
第7章
あかし
ジョセフ・スミスとハイラム・スミスはともに自らの血をもって証を結び固めた。
立って,証人としてこの神権時代に救いの鍵を持つもう一人の人を召されたの
です。……
……〔ハイラムは〕生得権により教会の祝福師として召されただけでなく,同
時に主から次のように言われました。
しもべ
「これから先,わたしは彼を任命して,わたしの僕 ジョセフと同様に,わたし
の教会のために預言者,聖見者,啓示者とする。
それは,彼がわたしの僕ジョセフと力を合わせて働くためであり,またわたし
の僕ジョセフから助言を受けるためである。わたしの僕ジョセフは彼にもろも
ろの鍵を示すであろう。これらの鍵によって,彼は求めれば与えられ,またか
つてわたしの僕オリバー・カウドリに与えられた同じ祝福と,栄光と,誉れと,
たまもの
神権と,神権の賜物を冠として受けるのである。
それは,わたしの僕ハイラムが,わたしが彼に示すことを証して,彼の名が
代々とこしえにいつまでも尊敬を込めて覚えられるためである。」
〔教義と聖約
124:94 - 96〕
この召しと命令に従って,預言者ジョセフ・スミスは,預言者自身が持ってお
り,またかつてオリバー・カウドリが持っていた神権のすべての鍵と権能と賜
103
第7章
物をハイラム・スミスに授けました。主はまた,ハイラム・スミスに,預言者,聖
見者,啓示者,教会の大管長である弟のジョセフとともに完全かつ十分な証人
となるために,またこの世においても永遠にわたってもイエス・キリストの証人
である弟ジョセフとともにこの神権時代の長となるために,必要な事柄をすべ
18
て明らかにされました。
彼〔ジョセフ・スミス〕は,自身の兄であり,わたしの祖父である祝福師ハイ
ラム・スミスとともに,カーセージの監獄で血をもって自らの証を結び固めまし
た。わたしは,主が地上に主の王国を再び確立するためこの時代に力ある聖
見者を立ててくださったので,再び救いを得ることができることを,地の果ての
み
て
19
人々に知らせる主の御手に使われる者になりたいと思っています。
わたしたちは声を大にして,預言者ジョセフ・スミス,祝福師ハイラム・スミ
ス,彼らが据えた土台の上に築き上げてきた預言者たちと使徒たち,そして義
20
にかなった人々の生涯と働きに感謝します。
研究とレッスンのための提案
質問
あかし
•スミス大管長は,少年時代にジョセフ・スミスの使命についての証 を得るよ
う助けてくれた自分の家族のことを述べています(「ジョセフ・フィールディン
グ・スミスの生涯から」参照)。わたしたちは,子供たちが預言者ジョセフ・
スミスの使命についての証を得るよう助けるために何ができるでしょうか。
み
な
•イエス・キリストの御 名 とジョセフ・スミスの名の間にはどのような関連があ
るでしょうか(第 1 項参照)。預言者ジョセフ・スミスの働きは,救い主とそ
の福音に対するあなたの証にどのような影響を及ぼしてきたでしょうか。
•主が「世の学問や慣習に通じた人」でなくジョセフ・スミスを召されたことに
ついて述べた,スミス大管長の見解について深く考えてください(第 2 項参
照)。このことを理解していると,自分には責任を果たすだけの資格がない
と感じるときにどのように助けとなるでしょうか。
•第 3 項で,スミス大 管長は教義と聖約 5:10 と 135:3 を引用しています。
ジョセフ・スミスの使命をよく知らない人に対して,これらの聖句をどのよう
に説明したらよいでしょうか。
•ジョセフ・スミスと兄ハイラムの関係から,どのようなことを学べるでしょうか
(第 4 項参照)。
•あなたはジョセフ・スミスとハイラム・スミスが自らの血をもって証を結び固
めたことについて考えるとき,どのように感じるでしょうか(第 5 項参照)。
彼らの犠牲を意義深いものとするにはどのような方法があるでしょうか。
104
第7章
関連聖句
ジョセフ・スミス訳 創世 50:30 - 31;2 ニーファイ 3:5 - 15;教義と聖約
11:11 - 26;76:22 - 24;135 章
教える際のヒント
熱心な学習を促す一つの方法は,人が質問したり,意見を述べたりするとき
に注意深く耳を傾けることである。「耳を傾けることは一つの愛の表現であ
る。耳を傾けるにはしばしば犠牲を要求される。人々の話に心から耳を傾け
るには,彼らの考えていることを表現させるために自分の言いたいことを抑えな
ければならないことがある。」
(『教師,その大いなる召し』66)
注
- 21
1. Conference Report ,1962 年 4 月,44
2. ブライアント・S・ヒンクレー,
“ Joseph Fielding
Smith, ”Improvement Era, 1932 年 6 月 号,
459 で引用
14. Conference Report ,1970 年 10 月,6
3. Conference Report ,1962 年 4 月,44
16.“ A Prophet ’s Blessing, ”Ensign, 1972 年 7
月号,130
4. Conference Report ,1960 年 4 月,73
5. Conference Report ,1962 年 4 月,45
6. Conference Report ,1949 年 10 月,88 - 89
7. Conference Report ,1970 年 10 月,6
8.“ The First Prophet of the Last Dispensation, ”Ensign 1971 年 8 月号,7
9. Conference Report ,1920 年 4 月,108 - 109
10. Conference Report ,1920 年 4 月,107
11. Conference Report ,1949 年 10 月,88
12.“ To K now for Ourselves , ”I mprovement
Era, 1970 年 3 月号,3
13. Essentials in Church History( 1950 年),20
15.“ The First Prophet of the Last Dispensation, ”7
17.“ Hyrum Smith: A Tribute by Joseph Fielding Smith, ”Improvement Era, 1933 年 2 月
号,201 。『歴 代 大 管 長 ― ジョセフ・スミス 』,
461 ,486 も参照
18. Conference Report , 1930 年 4 月 , 91 。Doctrines of Salvation, ブルース・R・マッコンキー
編,全 3 巻( 1954 - 1956 年),第 1 巻,216 -
219 も参照
19.“ The First Prophet of the Last Dispensation, ”7
20.“ Ogden Temple Dedicatory Prayer, ”Ensign, 1972 年 3 月号,9
105
しもべ
主の王国で献身的に働く僕,ジョセフ・フィールディング・スミス大管長
106
第
8
章
教会と神の王国
「この教会が主の教会であり,主がその諸事を導いておられ
ることを,確実にあらゆる人に知らせてください。そのような
神聖な組織の会員であることは何という特権でしょうか!」
ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯から
1970 年 1 月 23 日から 1972 年 7 月 2 日までの在任中に,ジョセフ・フィール
ディング・スミスが大管長として行った奉仕は,主の王国における生涯にわたる
献身の極致だった。大管長は,冗談交じりに,教会における最初の任務は,生
後間もなく与えられたと語っている。 9 か月のときに,父ジョセフ・F・スミス
と一緒に,ユタ州セントジョージまでブリガム・ヤング大管長に同行し,セント
1
ジョージ神殿の奉献式に出席している。
青年のころ,ジョセフ・フィールディング・スミスは専任宣教師として奉仕し,
こん にち
後に神権定員会の会長および青年男子相互発達協会(今 日 の若い男性組織
の前身)の中央管理会会員に召された。また,教会歴史事務局の書記としても
働き,父が大管長だったときには,非公式の書記として人知れず彼を助けた。
こうした奉仕の機会を通じて,ジョセフ・フィールディング・スミスは,霊感に基
づく教会の組織,個人と家族を永遠の命へと導く教会の役割をよく理解するよ
うになった。
ジョセフ・フィールディング・スミスは 1910 年 4 月 7 日に,主イエス・キリス
トの使徒に聖任された。同定員会会長として奉仕したおよそ 20 年を含むおよ
そ 60 年にわたり,十二使徒定員会会員として奉仕した。使徒として,全世界の
教会を導く手助けをした。教会の使命を達成する様々な業に従事し,教会歴史
家,ソルトレーク神殿会長,ユタ州系図協会会長,大管長会顧問を歴任した。
飾りけのない控えめな男性,ジョセフ・フィールディング・スミスは,決して自
分からこうした職を求めることはなかった。しかし,主から召されて奉仕する
ときには喜んで熱心に応じた。ある日,集会に出席したときに,そのような献
身的な態度を静かに示した。 89 歳であった。自宅から集会の会場に向かう
途中,一続きの階段を転げ落ちてしまった。足をけがしたにもかかわらず,責
「老人のように足を引きずりながら」
任を果たすために ― 彼の言葉によれば,
107
第8章
― 400 メートルほど歩いたのである。集会後,歩いて帰宅し,やっと医者に
診てもらった。その結果,スミス大管長の足は何か所も骨折していることが分
かった。そのときの経験について,後にスミス大管長は次のように語っている。
2
「集会は長すぎたようですね。でも当時は,ほとんどの集会がそうでした。」
末日聖徒の若人に向けたメッセージの中で,スミス大管長は教会の業になぜ
それほどまでに献身的なのか,その理由を次のように語っている。
「わたしは神が生きておられることを知っています。イエス・キリストが肉に
おける天の御父の独り子であられることを知っています。預言者ジョセフ・スミ
スとその後継者たちの使命に対して揺るぎない信仰を持っています。
わたしは,自分が生きていることを知っているように確かに,イエス・キリス
トの永遠の福音が真実であると知っています。もし仮にそれを知らないとす
れば,わたしはこの職にあることも,この業に関与することも望まないでしょう。
しかし,わたしはそのことを全身全霊で知っています。神がわたしに明らかに
3
されたからです。」
ジョセフ・フィールディング・スミスの教え
1
くらやみ
何世紀もの霊的な暗闇と背教の後に,主は福音を回復し,
地上に御自身の教会を組織された
主は福音を回復し,地上に再び御自身の教会を組織されました。そのような
組織と回復が必要だったのは,実に,何世紀にもわたって世の人々が霊的な暗
闇の中にあり,権能も知識も失われていたからです。生ける神を礼拝する方法
を知らなかったからです。……
永遠の聖約は破られ,福音の原則に関する正しい知識は背教の過程で消え
去り,福音の儀式を執行する権能は人々の間に存在しませんでした。これらす
べてが回復され,そして天の窓が開いて福音が回復されることにより,信仰が
人々の間で増すことが必要になったのです。
そこで主は,御自分のもとから,完全な福音,力,人々に授ける神権の権能を
携えた使者を送り,戒めをお与えになりました。……なぜなら,主は世に下ろ
うとしている災いを御存じだったからです。また,適切な警告,福音を受ける機
会が人々に与えられ,その結果,人々が悔い改めて,邪悪な道から離れ,主に仕
み こころ
4
えることが主の御心だったからです〔教義と聖約 1:17 - 23 参照〕。
わたしたちは末日聖徒イエス・キリスト教会が地上における神の王国であっ
て,救いに関する真の教義を学び,聖なる神権の権能を見いだすことのできる
5
唯一の場所であることを宣言します。
108
第8章
愛する兄弟姉妹の皆さん,わたしは主がわたしや世界の様々な国で主の教会
に集う忠実な会員,そして全世界のすべての神の子供たちに与えてくださった
祝福に,言葉では言い尽くせないほど感謝しています。
主は,福音の律法を信じ,その律法に従うすべての人が救われるよう,この
終わりの時に永遠の福音を回復してくださいました。わたしは日々の暮らしの
6
中で,そのことを主に感謝しています。
2
主御自身がこの教会の業を導いておられる。
したがって,この教会の会員であることはわたしたちの特権である
7
末日聖徒イエス・キリスト教会は,文字どおり,地上における神の王国です。
人はだれもこの教会を導くことはできないということをわたしは言いたいと思
います。この教会は主イエス・キリストの教会です。イエス・キリストがこの教
かしら
会の頭 であられるのです。この教会は主の名を冠し,主の神権を有し,主の福
の
音をつかさどり,主の教義を宣べ伝え,主の業を行っています。
主は御自身の目的を成し遂げるために,主の手に使われる者として,人を選
び,召されます。また,人が働くときに,指示し指導してくださいます。しかし,
しもべ
人はあくまで主の手に使われる者であり,主の僕 が成し遂げるすべてのことに
対する誉れと栄光は永遠に主に帰するべきものです。
もし仮にこれが人の業であるなら,失敗に終わるでしょう。しかし,これは主
の業なのです。主が失敗されることはありません。また,わたしたちには次の
あかし
ような確信があります。わたしたちが戒めを守り,イエスについて雄々しく証を
述べ,主からゆだねられた責任を忠実に果たすなら,主は御自身のすべての目
的を成し遂げるために,わたしたちと教会を義の道にあって教え指導してくだ
8
さいます。
わたしは全世界の教会員に申し上げたいと思います。この教会には救い主イ
エス・キリストの指示と指導の下になすべき神聖な使命があり,その使命に関
する主の計画をとどめるものは何一つないでしょう。教会は天の御父の計画を
成就するでしょう。世界中の聖徒が,主の教会の会員であることに対して,ま
た,わたしたちの喜びと幸福のために福音を回復してくれた預言者ジョセフ・
9
スミスの使命に対して,日々,主に感謝するようわたしは望んでいます。
すべての国の心の正直な人々に申し上げたいと思います。主は皆さんを愛し
ておられます。皆さんが福音の完全な祝福を受けられるようにと望んでおられ
ます。主は,今,皆さんがモルモン書を信じ,ジョセフ・スミスを預言者として
109
第8章
受け入れ,地上における神の王国に入り,天の王国で永遠の命を受け継ぐよう
10
招いておられるのです。
教会が組織されて以来,人が教会を導いたことは一度もありません。ジョセ
フ・スミスあるいはブリガム・ヤングの時代にも,そのようなことはありませんで
した。これまでずっと,そのようなことはなかったのです。この業は主の業で
す。忘れないでください。この業を行われるのは全能の神であって,人ではな
11
いのです。
わたしは知っています。末日聖徒イエス・キリスト教会は地上における神の
王国です。また,教会は現在組織され導かれているとおりに主の承認を受けて
おり,今後も主が導かれる方向へ進んで行きます。
この教会が主の教会であり,主がその諸事を導いておられることを,確実に
あらゆる人に知らせてください。そのような神聖な組織の会員であることは何
という特権でしょうか!
12
3
教会が組織されているのは,会員が現世で喜びと幸福を,
来世で永遠の命を見いだすことができるよう助けるためである
主はすべてのことを秩序正しく確立し,わたしたちに完全な仕組みを与えてく
ださいました。人がそれに手を加えることはできません。もしわたしたちが主
から啓示されたことを主から啓示されたように実行するならば,すべてのこと
が完全になるでしょう。なぜなら,この組織は完全な組織だからです。その理
13
論,すなわちその計画には欠陥がないからです。
主は主の教会の中に使徒と預言者に導かれる神権組織を設立されました。
またそのほかの組織も設けられました。…… 神権を助け支えるためです。
それぞれの福音の神権時代には,満たすべき特定の必要や解決するべき問
題があります。また教会員を助け支えるために与えなければならない援助があ
ります。主の前に「恐れおののいて」自分の救いを達成できるようにするため
の援助です(ピリピ 2:12 参照)。そのため,教会には神権を助け支える補助
組織〔扶助協会,若い男性,若い女性,初等協会,日曜学校〕があります。こ
れらが組織されたのは,どのような社会的状況が存在するのであれ,人々の必
要を満たすためです。補助組織は,神の統治機構の一部であり,教会員が生
活を改善し,現世においては喜びと幸福を,来世においては永遠の命を約束す
る事柄を行えるよう助けるために設けられています。……
教会とその機関は,家族と個人を助ける奉仕の組織を設けています。ホーム
ティーチャー,神権指導者,ビショップが任命され,働きかける人々を,御父の
110
第8章
「皆さんのすばらしい奉仕に,神がお気づきにならないことはありません。
皆さんは神に仕えているのであり,神の業に従事しているのです。」
王国において永遠の命を得られるように導きます。また,補助組織の指導者
は,この偉大な救いの業を助け支えるよう任命されています。
御父のすべての子供たちの福利と祝福のために,これらのあらゆるプログラ
ムを活用するという大きな必要性について,どれほど強調しても強調しすぎるこ
とはありません。……
わたしたちが皆,教会のプログラムを推し進める際に,なすべきことをすべて
行うなら,主はわたしたちに十分な祝福と繁栄を与えられ,わたしたちの働きは
成功し,その結果,現世においてはあらゆる平安と喜びが,また,来世において
14
は永遠に続く栄光がわたしたちのものとなることでしょう。
111
第8章
4
教会での奉仕は,周りの人への愛と,
主の計り知れない大きな奉仕に対する感謝を表す
み
主はこの教会とともにおられます。わたしたちを導いておられます。主の御
たま
霊 はこの民のうえにとどまっています。主は,わたしたちがへりくだり全身全霊
15
をもって御自分に仕えることを求めておられます。
救い主は,愛し合うことを教えるために,この世に来られました。この偉大
な教えは,わたしたちが生きられるようにするために主がお受けになった大き
はら から
な苦しみと死を通して,明らかになりました。ですからわたしたちは,同胞のた
めに奉仕することによって,彼らに対する愛を示すべきではないでしょうか。主
のために奉仕することにより,主がわたしたちにしてくださった計り知れない大
きな奉仕に感謝の念を示すべきではないでしょうか。
教会で自分に関係のあることしかしない人は,決して昇栄を得ることはない
じゅうぶん
でしょう。例えば,祈り,什分の一とささげ物を納め,自分の私生活に関係のあ
る通常の義務を果たすことは進んで行っても,それ以上は何もしないという人
16
は,決して完成という目標に到達することはないでしょう。
奉仕することをいやがらないでください。管理役員から助けを求められた
ら,依頼に喜んでこたえ,最善を尽くしてください。わたしたちはそうするよう
主に期待され,聖約を交わしているのです。そうすることによって喜びと平安が
もたらされるのです。さらに,奉仕する人々は最大の祝福を受けます。教師は
教えを受ける人たちよりも多くのものを得ます。教会で働く召しを受け入れると
きに戻って来る祝福は,人に与える祝福よりもはるかに大きいのです。働くこと
を拒否したり,教会で与えられる責任を回避したりする人は,御霊の導きを失う
という重大な危険にさらされます。そのような人はいつか,あらゆる義務に対し
ていいかげんで無関心になります。水や養分を与えられない植物のようにしな
17
びてしまい,霊的に死んでしまうのです。
皆さんのすばらしい奉仕に,神がお気づきにならないことはありません。皆
18
さんは神に仕えているのであり,神の業に従事しているのです。
わたしたちが皆,主の王国において真の兄弟姉妹としてともに働き,前途にあ
19
る偉大な業を成し遂げるために働けるように祈ります。
112
第8章
5
この神権時代に,神の王国と主の業は全世界に広がる
福音の神権時代とは,神から選ばれ任命された役員に力と権能が授けられ
る時代と定義されます。この力と権能によって神の言葉が告げられ,そのすべ
ての儀式が執行されます。……
人々の背きにより,この世から福音が取り去られた時代がありました。ノア
の時代がそうでした。イスラエルは主から離れ,主の来臨に先立つ何世代にも
くら やみ
わたって暗 闇 の中に放置されました。そして主は,人々のもとに来られたとき,
の
完全な福音を回復されました。主は御自分のメッセージを宣 べ伝えるため,全
世界に弟子を遣わされました。しかし,何世紀もたたぬうちに,人々は再び過ち
に陥り,主の名によって行動する権能を失いました。そのため,諸天が開かれ,
新しい神権時代の幕が切って落とされる必要があったのです。天の雲の中を
主が再臨し,この地上を千年の間,栄光のうちに統治される時に備えるためで
20
す。その時はごく間近に迫っています。
福音それ自体はどの神権時代においても変わりません。どの時代でも,御
父のすべての子供たちにとって,救いの計画は同じです。時折,背教によって
福音が失われることはあっても,地上に主の民がいるときには必ず,救いに関す
る律法と真理が与えられてきました。それはわたしたちに明らかにされたのと
同じものです。
しかし,この時代にわたしたちが受けたものには,これまでにない偉大な事
柄が付け加えられています。この神権時代に,主は次のように宣言されました。
教会は決して二度と道を誤ることはない,つまり今後,福音は存続するというこ
とです。今回明らかにされた真理は,人々を人の子の再臨に備えるという目的
が定められているのです。したがって,主が来られ,平和と義の福千年の到来
21
が告げられるとき,教会は地上のあらゆる所に設立されることになるのです。
わたしたちは世界的な教会の会員です。命と救いの計画を有する教会,全世
界に住む神のすべての子供たちに主のメッセージをもたらすために,この末日
に主御自身が設立された教会の会員なのです。……
教会は成長し,強くなってきています。したがってわたしたちは,預言者ジョ
セフ・スミスを通して主から与えられた責務,すなわち,回復の喜ばしい知らせ
をすべての国,すべての国民に伝えるという責務を遂行できるのです。
わたしたちは,人の子の再臨に先立ち,すべての国で福音を宣べ伝えるだけ
22
でなく,改宗者を増やし,聖徒が集う教会を設立しなければなりません。
神の王国と主の業は広がり続け,将来,これまでよりもさらに速く進展する
み たま
あかし
でしょう。主がそう言われました。また,御 霊 がそう証 しています。わたしも
113
第8章
そのように証します。それが真実だと知っているからです。神の王国はこの国
で成長し,国外へと広がり,世界に根づき,さらには,主が計画された所で主
の力,主の言葉により定着し,もはや決して破壊されることなく,全能の神の目
的,すなわち,この世が始まって以来,預言者によって語られたすべての原則が
成し遂げられるまで存続します。これは神の業です。人の知恵ではなく,神御
自身の知恵によって,神御自身がこの末日において地上に回復された業なので
23
す。
福音はすべての人のためにあります。そして,人の子が再臨される前に,教会
はあらゆる国々のあらゆる所に,地球の果てまでも設立されなければなりませ
24
ん。
地上において主の業がさらに勢いを増していくことをわたしは知っており,そ
のことを証します。末日聖徒イエス・キリスト教会は存続します。主の業は勝利
を収めます。地上におけるいかなる力も,すべての国に真理が広められ福音が
25
宣べ伝えられるのを妨げることはできません。
わたしは皆さんにわたしの祝福を残し,次のように約束します。神は御自身
の民とともにおられます。わたしたちが携わっているこの業は勝利を収め,主
26
の永遠の目的が成し遂げられるまで広がり続けます。
研究とレッスンのための提案
質問
•わたしたちは教会で奉仕するとき,スミス大管長の模範にどのように従うこ
とができるでしょうか(「ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯から」参
照)。
•福音の回復に関するスミス大管長の教えについて深く考えてください(第 1
項参照)。主の教会が地上に回復された時代に生きることについて考えてみ
ると,どのような気持ちになるでしょうか。
かしら
あかし
•スミス大管長は,イエス・キリストがこの教会の頭であられると証しています
(第 2 項参照)。この真理についてあなたが持っている証を教会員ではない
人に伝えるには,どうしたらよいでしょうか。
•あなたにとって,教会の組織およびプログラムは,第 3 項に述べられている
祝福を受けるうえで,どのような助けとなっているでしょうか。あなたの家族
にとってはどうでしょうか。
•スミス大管長はこう言っています。「救い主は,愛し合うことを教えるため
に,この世に来られました。」
(第 4 項)わたしたちはホームティーチャーある
いは訪問教師として奉仕するとき,どのようにすれば救い主の愛の模範に従
114
第8章
うことができるでしょうか。
•第 5 項を読み返し,この神権時代とほかの神権時代との違いに注目してくだ
さい。このことを理解すると,教会におけるわたしたちの奉仕はどのような
影響を受けるでしょうか。世の人々を救い主の再臨に備えることについて考
えるとき,あなたはどのような気持ちになるでしょうか。
関連聖句
モ ー サ ヤ 18:17 - 29; 教 義 と 聖 約 1:30;65:1 - 6;115:4;128:19
- 22
教える際のヒント
「学習活動に変化を持たせるならば,生徒は福音の原則をよりよく理解し,そ
して,それを記憶にとどめやすくなる。細心の注意を払って教授法を選ぶこと
によって,教える原則をより明確に,より興味深く,より記憶に残るものとするこ
とができる。」
(『教師,その大いなる召し』89 )
注
1. ジョセフ・フィールディング・スミス・ジュニア,
The Life of Joジョン・J・スチュワ ート 共 著,
seph Fielding Smith( 1972 年)16 参照
2. The Life of Joseph Fielding Smith, 4
Improvement Era,1970 年 5 月号 , 3
14.「教会のプログラムを活用しなさい」58
15.“ The One Fundamental Teaching, ”3
16. Conference Report ,1968 年 4 月,12
3.“ My Dea r Young Fel low Workers , ”New
Era, 1971 年 1 月号,5
17. Conference Report ,1966 年 4 月,102
18. Conference Report ,1970 年 4 月,59
4. Conference Report ,1944 年 10 月,140 - 141
『聖 徒 の 道』1971 年 10 月 号,
5.「闇 より出 で て」
279 参照
6. Conference Report ,1970 年 4 月,4
7.「教会のプログラムを活用しなさい」
『聖徒の道』
1971 年 3 月号,58 参照
8. Conference Report ,1970 年 4 月,113
19. Conference Report ,1970 年 4 月,114
20.“ A Peculiar People: Gospel Dispensations, ”
Deseret News, 1931 年 12 月 5 日 付,Church
欄,6
21.“ A Call to Serve, ”New Era , 1971 年 11 月
号,5
22. Conference Report, 1971 年イギリス地域総 大
会,5
『聖徒の
9.「わが教会はかくのごとく称えらるべし」
道』1970 年 8 月号,202 参照
23. Conference Report ,1968 年 10 月,123
『聖 徒 の 道』1972
10.「 聖 徒と世 の人々へ の 勧 告」
年 12 月号,536 参照
24. Conference Report, 1971 年イギリス地域総 大
会,176
11. Conference Report ,1968 年 10 月,123
25.「 聖徒と世の人々への勧告」537
12. Conference Report ,1970 年 10 月,8
13.“ T h e O n e F u n d a m e n t a l Te a c h i n g , ”
26. Conference Report ,1970 年 4 月,148 - 149
115
天使は,三人の証人のうちの二人,オリバー・カウドリとデビッド・ホイットマーに
金版を見せた。その場にはジョセフ・スミスもいた。その後,天使は 3 人目の証人
マーティン・ハリスにも金版を見せた。
116
第
9
章
モルモン書の証人
「この教会の会員はだれでも,何度も繰り返してモルモン書を
読み,十分に深く考え,それが実際に全能者の霊感によって
あかし
書かれた記録であると証できるまでにならなければ,
決して満足を得られないでしょう。」
ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯から
ジョセフ・フィールディング・スミス大管長は,1921 年 3 月から 1970 年 2 月
まで教会歴史家兼記録者を務めた。在任中,教会にとって歴史上重要な文書
の原本の入手に尽力している。その文書の一つが,モルモン書の 3 人の特別
な証人の一人であるデビッド・ホイットマーの署名が付された手書きの証言で
あった。またスミス大管長は,モルモン書の三人の証人のうちのもう一人,オリ
バー・カウドリの手書きの証言も取り扱う特権を得た。この二つの文書を書き
写した後,スミス大管長は,少なくとも 2 度,1939 年 3 月と 1956 年 10 月の教
会総大会における公の説教でこれらを読み上げている。
スミス大管長はこれらの文書化された証言を紹介することが重要であると
感じていたが,モルモン書についてのもう一つの証,すなわち彼自身の証につ
いてもっと頻繁に語っている。教会歴史家事務局で働くずっと前に得た証で
あった。こう語っている。「わたしは執事の年齢になる前にモルモン書を読み
始め,それ以来,読み続けています。わたしはモルモン書が真実であることを
1
知っています。」 また,末日聖徒に対して次のように述べている。「わたしはモ
ルモン書を何度も何度も読みました。しかしまだ十分読んだとは言えません。
まだ探して見つけることのできる真理がそれに含まれています。わたしはま
だ精通していないからです。しかし,わたしはモルモン書が真実であることを
2
知っています。」
モルモン書に関するこれらの証を分かち合うスミス大管長の目的は,人々に
自分の証を得るように促すことであった。こう述べている。「わたしは皆さん
に証します。主は啓示によってこのことをはっきりと示してくださいました。こ
こにいる皆さんの多くが,これらのことが真実であると,同じように証すること
ができます。それは,祈りの精神とこの書物が真実であるかどうかを知りたい
という望みをもって読む努力をする誠実な人に与えられる特権です。彼らはモ
117
第9章
ロナイが述べた約束に従って,その証を得るでしょう。モロナイは時満ちる神
3
権時代に出て来ることを願ってその記録を封じました。」
ジョセフ・フィールディング・スミスの教え
1
モルモン書は神聖な記録であり,ここには永遠の福音が含まれており,
あかし
イエス・キリストについての証が記されている
モルモン書はアメリカ大陸の古代住民についての神聖な歴史であり,ここに
は,預言者の預言,彼らに対する主の戒め,また古代の民の歴史と行く末が記
されています。これはアメリカの聖典であり,東半球におけるヘブライ人の神聖
な記録が記されている聖書と同様に神聖であって,霊感により記録されたもの
4
です。
ニーファイ人の預言者たちは,彼らの記録が保存され,将来世に出されて,神
が完全な福音を明らかにされたことを死者が語るように語り,リーハイの残りの
者に,またユダヤ人と異邦人に証するようにと,熱心に祈り求めました。また,
終わりの時の人々が何世紀も前に自分たちニーファイ人の預言者に与えられた
証によって悔い改めと神を信じる信仰に導かれるよう,切に願いました。事実,
モルモン書の多くの箇所で述べられているように,これがこの書の主要な目的
であるということを,わたしたちはモルモン書から学んでいます。……
……主はニーファイ人の預言者たちに,彼らの歴史と預言が保存されて,終
わりの時にイエス・キリストの証として世に出され,人々の間に主の福音が確立
されることをはっきりと示されました。ニーファイは現代の異邦人とユダヤ人に
向かって預言し,彼らのために非常に力強くはっきりと自分の証を残していま
す( 2 ニーファイ 33 章)。モロナイも同様のことをしました(モロナイ 10:24 -
5
34 )。
イスラエルの移民団の最初の預言者の一人であるニーファイは,キリストの時
代に先立つおよそ 600 年前に,彼の民の歴史が記されている記録が地の中か
ら出される日に人々は「イスラエルの聖者である神の力を否定し」,そして「わ
こん にち
たしたちに耳を傾け,わたしたちの訓戒を聞きなさい。見よ,今 日,神は存在し
あがな
ないからである。主なる贖い主はすでに御自分の業を終え,御自分の力を人に
与えられた」と言うであろうと預言しました〔 2 ニーファイ 28:5〕。さらに,西
半球の民の歴史が記されている新しい聖文を示されるときに,多くの者が,
「聖
書か,聖書か。我々はすでに聖書を持っている。これ以外に聖書があるはず
がない」と言うとも預言しました〔 2 ニーファイ 29:3〕。
118
第9章
……この新しい聖典は,キリストのことと,また永遠の福音が収められてい
ることについて証するだけでなく,ユダヤ人の聖典,すなわち聖書についても証
することになっていました。そして,ニーファイ,ニーファイの父,ならびにイス
ラエルの息子ヨセフの預言によれば,これら二つの記録は一つになって永遠の
福音について証することになっていました〔 2 ニーファイ 3:11 - 13;29:10 -
14 参照〕。そのような証の書として,これらの記録は今日,彼らの教えを拒むす
6
べての人に罪の宣告が下されることを証しています。
たま もの
ジョセフ・スミスが神の賜 物 と力によってモルモン書を翻訳したこと,また,
それが「ユダヤ人と異邦人に,イエスがキリストであり,永遠の神であり,すべ
ての国民に御自身を現されることを確信させるものである」ことを知っています
7
〔モルモン書タイトルページ 〕。
2
主は証人の律法に従って,モルモン書について
あかし
証する特別な証人たちを召された
証と証人の任命に関して一つの律法が聖典の中にはっきりと述べられていま
す。人々に新しい啓示を与えるとき,主はいつもこの律法に従ってこられまし
8
た。
いつの時代にも,この律法〔証人の律法〕は不変であり,明確な律法でし
た。すべての時代の完全な記録が存在していれば,主が神権時代を確立され
たときはいつも主について証する証人が複数いたことが分かるでしょう。パウ
ロはコリント人にあてた手紙の中で次のように述べています。「すべての事がら
9
は,ふたりか三人の証人の証言によって確定する。」
〔 2 コリント 13:1〕
モルモン書の出現に関して,主は証人を選ぶと言われました。世の人々に証
を述べる 3 人の特別な証人がいなければなりませんでした。主はこう言われま
した。
み こころ
「このほかにそれを見る者は,ただ神の御 心 に従って人の子らに神の言葉に
ついて証を述べる少数の者だけで,だれもほかにいない。主なる神は,忠実な
者の言葉はあたかも死者から出るかのように語る,と言われた。
それゆえ,主なる神はその書物の言葉をもたらし,また適切であると見なさ
れる人数の証人の口を通して,御自分の言葉を確かなものとされる。したがっ
10
て,神の言葉を拒む者は災いである。」
( 2 ニーファイ 27:13 - 14 )
モルモン書が神の力によって世に出されたことを証する特別な証人として召
された 3 人は,オリバー・カウドリ,デビッド・ホイットマー,それにマーティン・
119
第9章
ハリスでした。彼らはジョセフ・スミスとともにこの神権時代にこの驚くべき業
を確立しました。……
彼らは,主のもとから遣わされた天使の訪れを受けたことについて証を述べ
ました。その天使はモルモン書の翻訳の基となった金版を彼らの前に置いて,
指示を与えました。彼らは,版を目の前で 1 枚 1 枚をめくって刻まれた文字を
たまもの
見せられ,また天から神の声が聞こえて,神の賜物と力によって翻訳されたこと
を宣言され,全世界にそのことを証するようにと命じられたのです。この 3 人
の証人は,逆境,迫害,人生のあらゆる浮き沈みを経験したにもかかわらず,天
使の前で金版を見たことと,天から語る神の声を聞いたことについての証にい
つも忠実でした。
ほかに 8 人の証人がいました。ジョセフ・スミスから金版を示されて,彼ら
も金版を目にし,手で触れ,刻まれた文字を入念に調べました。彼らの証も世
に発表され,モルモン書に記されています。この 8 人は一人残らず死ぬまでこ
の証に忠実でした。
天使に会い,天の示現を見た 4 人と,ジョセフ・スミスから記録を示されて目
にした 8 人の計 12 人〔ジョセフ・スミスを含む〕の証人はいずれも,モルモン
書の真実性を確立するために主が必要とされた人々でした。主がニーファイを
通して約束されたとおりです。「神の言葉を拒む者は災いである。」これらの人
11
の証は十分に律法の要求を満たしています。
ジョセフ・スミスは…… 最初の示現を受けたときに独りであり,モロナイが
メッセージを携えて来たときも,金版を受け取ったときも独りでした。しかし,
その後は独りではありませんでした。主はほかの証人たちを召されました。曾
祖母スミス〔ジョセフ・スミスの母ルーシー・マック・スミス〕は,彼女が書い
た歴史の中で,神の天使の指示の下に証人が版を見た日,預言者は喜びのあま
り泣きながら家に帰って来ると,
「重荷は取り除かれました。もう独りではあり
12
ません」と言ったと書いています。
3
あかし
三人の証人はモルモン書の証を守り続けた
3 人の〔特別な〕証人は全員教会から気持ちが離れ,去って行きました。オ
リバー・カウドリとマーティン・ハリスは,へりくだって教会に復帰することを求
め,二人とも教会員として生涯を閉じました。デビッド・ホイットマーは終生教
会に戻りませんでした。しかし,3 人とも,モルモン書に掲載された世に対する
13
証に忠実であり続けました。
120
第9章
ジョセフ・スミスは八人の証人に金版を見せた。
次に紹介するのは,デビッド・ホイットマーが 1881 年 3 月 19 日にミズーリ
州リッチモンドで述べた証言で,その日付の『リッチモンド・コンサベーター』
( Richmond Conservator )に掲載された記事から写し取ったものです。
「この言葉を見聞きするすべての国民,部族,国語の民,民族に申し上げます。
ミズーリ州〔コールドウェル郡〕ポロに住むジョン・マーフィーが,昨年の夏
にわたしと話した折に,モルモン書の三人の証人の一人であるわたしが証を否
定したと語っています。
したがって,彼に正しく理解していただき,また世の人々に真実を知っていた
おそ
だくために,わたしは人生の幕を閉じようとしている今,神を畏 れて,すべての
人に向かってこの宣言を公にします。
121
第9章
わたしは三人の証人の一人として,その書物が出版されて以来長年の間,い
かなるときにも,一部たりとも,証を否定したことはありません。
わたしをよく知る方々は,わたしがその証に常に忠実であったことを御存じで
しょう。このことに関するわたしの現在の考えをだれも誤解し,疑うことのない
ように,かつて宣言し公にしたとおりに,わたしは今再び,わたしの宣言がすべ
14
て真実であると断言します。」
さて,ここでマーティン・ハリスについて少し述べましょう。…… 彼はモルモ
ン書の証を忠実に持ち続けましたが,長年の間教会に対して嫌悪感を抱いて
いました。しかし,聖徒たちがユタに到着してからしばらくして,何人かの優し
い兄弟たちが彼を尋ね当て,彼の気持ちを和らげ,連れ戻しました。彼はここ
〔ユタ〕へやって来て,再びバプテスマを受け,長年ここに住んで,方々の定住地
で証を述べました。そして,ここで亡くなり,
〔ユタ州クラークストンに〕葬られ
ました。
さて,次はオリバー・カウドリについてです。 3 人の中で最も重要な人物,オ
リバー・カウドリはどうだったでしょうか。天使たちの訪れを受けたとき,数々
かぎ
の鍵 が回復されたとき,彼は何度もジョセフ・スミスとともにいました。オリ
バーはどうしたでしょうか。彼は教会を去ってひどく反感を抱くようになりまし
た。しかし,決して証を否定しませんでした。否定したと言う人もいましたが,
実際には否定しませんでした。常にその証に忠実でした。……
…… 聖徒たちがノーブーから大平原に追い出され,万事が闇に閉ざされたと
思われたとき(シドニー・リグドンは,彼らが破滅に向かって歩んでおり,前途
にまったく望みはないと言い,新聞は彼らは生き残れないだろうと報じた),こ
のような状態のときに,オリバー・カウドリは…… 教会に復帰したいと申し出ま
した。…… 彼は受け入れられ,英国へ伝道に出る準備をしていましたが,病気
になって亡くなりました。デビッド・ホイットマーの家で真理について証を述べ
15
ながら息を引き取ったのです。
4
教会員は一人一人がモルモン書の証人になることができる
ジョセフ・スミスが神より使命を託されていたことや,モルモン書が真実であ
あかし
ることを証 できるのは,これらの証人だけではありません。モルモン書は真実
であって主の言葉が記されているかどうかを知りたいと願う人は,キリストを信
じながら,誠心誠意問うならば,それが真実であることが分かると,モルモン
書の中で約束されています。主が聖霊の力によって明らかにしてくださるから
です〔モロナイ 10:3 - 5 参照〕。この約束を試してみて,そのことが分かった
16
と心から述べることのできる人が何十万人もいます。
122
第9章
わたしが読んできたこのモルモン書は神の言葉であって,ジョセフ・スミスが
宣言したとおりに明らかにされたものであることを,わたしは確信しています。
わたしが今ここに立って皆さんの顔を見ているのが現実であるのと同様です。
理解できるだけの知性を持っているこの世の人は皆,それが真実であることを
知ることができます。どのようにして知ることができるのでしょうか。主御自身
が定めてユダヤ人に宣言された方式に従うだけでよいのです。これがその方式
み こころ
です。御父の御 心 を行う者は,その教えが神からのものか,それとも主御自身
から出たものかが分かります〔ヨハネ 7:17 参照〕。わたしはこの書物が真実
であると全世界に証します。……
モルモン書に記されているこれら〔 3 人〕の証人の証が真実であること,彼
らは神の天使の前に立ち,天使からその翻訳された記録が正確であると告げ
られたこと,神が彼らに天から語りかけてその事実を証するように求められた
という彼らの証が真実であることを,わたしは知っています。この証を得たい
と思うならば,モロナイが啓示によって述べたように真理を知りたいと望み,よ
く祈りながら信仰をもってこの書物を読むときに,その証をすべての人が得るこ
とができます。そして,この大陸の古代の住民に与えられたこの聖典の回復に
17
ついて真理を知るでしょう。
この教会の会員はだれでも,何度も繰り返してモルモン書を読み,十分に深
く考え,それが実際に全能者の霊感によって書かれた記録であり,その歴史は
真実であると証できるまでにならなければ,決して満足を得られないでしょう。
……
……この教会の会員であって,モルモン書を真剣に,注意深く読まない人は,
18
神の前にふさわしい状態で立つことはできません。
モルモン書を読むとき,皆さんは真理について読んでいることが分かります。
なぜでしょうか。それは,起きた出来事を書くように神が人々に指示を与え,
それを行うための知恵と霊感を彼らに与えられたからです。このように神を信
じていた人々によって記録が書かれたのです。この記録は一度も背教者の手
に落ちたことがありません。しかもこの記録は歴史記録者が聖霊に動かされ
て書き,語ったものです。彼らが書いたものは真実であることを,わたしたち
は知っています。なぜなら,主がこの書に承認の印を押しておられるからです
19
〔教義と聖約 17:6 参照〕。
123
第9章
「心を込め,よく祈ってこの書物を読むときに,霊感と安らかな喜びを得,
心が満たされるのを感じます。」
5
心を込め,よく祈ってモルモン書を読み続けるとき,
モルモン書への愛着が深まる
心を込めてモルモン書を読んだすべての人が,霊感に基づいて書かれたその
内容に感銘を受けてきました。……心を込め,よく祈ってこの書物を読むとき
20
に,霊感と安らかな喜びを得,心が満たされるのを感じます。
わたしは〔モルモン書を〕読むとき,その神聖さに,主イエス・キリストの使
命を支えるメッセージに,また人々を救うために時満ちる神権時代に回復され
た福音に,ますます感銘を深めています。これらの預言者の述べた預言が成
就しているのを見るとき,日に日にこの記録への愛着が深まっています。その
預言者たちは今や,死者の中から,また地の中から,地の諸国の民に悔い改め
21
を叫び,キリストを信じるよう呼びかけています。
研究とレッスンのための提案
質問
•スミス大管長は,モルモン書をまだ十分読んだとは言えないと語りました
(「ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯から」参照)。わたしたちはこの
言葉からどのようなことを学べるでしょうか。
124
第9章
•本章の第 1 項には,モルモン書の目的についてのスミス大管長の教えが幾つ
か紹介されています。それらの目的はあなたの生活の中でどのように達成さ
れているでしょうか。
•オリバー・カウドリ,マーティン・ハリス,デビッド・ホイットマーは教会を去
あかし
りましたが,だれ一人としてモルモン書についての証 を否定しませんでした
(第 2 ,3 項参照)。わたしたちが彼らの証について考えるとき,この事実は
なぜ重要でしょうか。
•スミス大管長はすべての人がモルモン書の証人になることができると述べて
います(第 4 項参照)。あなたはどのようにしてこの書物についての証を得ま
したか。この証を分かち合うために,あなたは何ができるでしょうか。
•スミス大管長はモルモン書について,
「日に日にこの記録への愛着を募らせ
ています」と述べています(第 5 項)。この言葉があなたにも当てはまること
をあなたはどのように確認してきたでしょうか。どうすれば,モルモン書に対
する証を強めることができるでしょうか。
関連聖句
1 ニーファイ 6:3 - 5;2 ニーファイ 29:7 - 8;モルモン書ヤコブ 4:1 - 4;
エノス 1:13;教義と聖約 20:8 - 12
教える際のヒント
み たま
「レッスンの最後だけでなく,御 霊 に促されたときはいつでも証をする。ま
た,生徒にも証を述べる機会を与える。」
(『教師,その大いなる召し』45 )
注
1. Conference Report ,1961 年 10 月,18
9. Doctrines of Salvation, 第 1 巻,203
2. Conference Report ,1949 年 10 月,89 。Doctrines of Salvation, ブルース・R・マッコンキー
編,全 3 巻( 1954 -1956 年)第 3 巻,231 も参照
10. Conference Report ,1956 年 10 月,19 - 20
3. Conference Report, 1956 年 10 月,20 。 モ ロ
ナイ 10:3 - 5 も参照
4.“ Origin of the First Vision, ”Improvement
Era, 1920 年 4 月 号,503 。Doctrines of Salvation, 第 3 巻,209 も参照
11.“ Testimonies of the Witnesses to the Book
of Mormon, ”952 - 953 。Doctrines of Salvation, 第 3 巻,229 - 230 も参照
12. Doctrines of Salvation, 改 訂 版,第 1 巻,210
- 211
13.“ Testimonies of the Witnesses to the Book
of Mormon, ”952 。Doctrines of Salvation,
第 3 巻,229 - 230 も参照
5. Chu rch H istor y a nd Moder n Revelat ion ,
( 1953 年)第 1 巻,31 - 32
6.“ Predictions in the Bible Concerning the
Book of Mormon, ”Improvement Era, 1923
年 9 月号,958 - 959 。Doctrines of Salvation,
第 3 巻,228 - 229 も参照
7. Conference Report ,1970 年 10 月,8
8.“ Testimonies of the Witnesses to the Book
of Mormon, ”Improvement Era, 1927 年 9 月
号,950 。Doctrines of Salvation, 改 訂 版,第
1 巻,203 も参照
14. Conference Report ,1956 年 10 月,20
15. Doctrines of Salvation, 第 1 巻,226 - 228
16.“ Testimonies of the Witnesses to the Book
of Mormon, ”953 。Doctrines of Salvation,
第 3 巻,231 も参照
17. Conference Report, 1949 年 10 月,89 。Doctrines of Salvation, 第 3 巻,231 - 232 も参照
18. Conference Report ,1961 年 10 月,18
19.“ H ist or y a nd H ist or y Recorder s , ”Ut a h
125
第9章
Genealogical and Historical Magazine, 1925
年 4 月 号,55 。Doctrines of Salvation, 第 2
巻,202 も参照
20.“ Origin of the First Vision, ”503
21. Conference Report ,1925 年 4 月,73
126
第 1 0
章
真理の探究
「主が明らかにしておられる事柄に精通して,惑わされ
ることがないようにすることは,会員としてわたしたち
に課せられた義務です。……真理を知らなければど
うして真理の中を歩むことができるでしょうか。」
ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯から
ジ
ョセフ・フィールディング・スミスは 8 歳のときに父親からモルモン書をも
らい,読むように言われた。スミス大管長は後に次のように回想している。「わ
たしはこのニーファイ人の記録を感謝して受け取り,与えられた課題にこつこ
つと取り組みました。」この書物を愛してやまなかったジョセフは,家の仕事を
早く終わらせ,時には野球の試合さえも早めに抜け出して,静かな場所を見つ
けて読んだ。父親から贈られて 2 年足らずで,ジョセフはその本を 2 度通読
した。この幼いころの聖文研究について,スミス大管長は後に次のように述
べている。「心に刻み込まれた聖句が幾つかあります。それらの聖句は決し
1
て忘れたことがありません。」 また,ジョセフ・フィールディング・スミスはほ
かの書物も読んだ。「子供のころ,初等協会や日曜学校の子供たちのために
用意された本をよく読んだものです」と,スミス大管長は述べている。「家に
いるときはたいてい本を手にしていました。…… 後に,
『ミレニアル・スター』
( History of the Church )を読
( Millennial Star )に掲載された『教会歴史』
みました。さらに聖書やモルモン書,高価な真珠,教義と聖約,そのほかの手
2
に入れることのできた出版物を読みました。」
福音について知りたいというこの強い思いを,スミス大管長は生涯にわたっ
て抱き続けた。福音の真理を学ぶと同時に,それらを分かち合い,必要なとき
には擁護した。使徒に聖任されて 3 年後に受けた神権の祝福の中で,スミス
大管長は次のような勧告を受けている。「あなたは多くの同僚たち以上に,真
理の原則を理解し,分析し,擁護する能力に恵まれてきました。預言者ジョセ
フが神から使命を受けていたことの根拠を突き崩そうとする人がいますし,そ
のような人はこれからも出てきますが,あなたの集めてきた証拠が,そのような
はば
人を阻 む防御壁となる時が来るでしょう。あなたは真理を擁護するときに決し
み たま
て打ち破られることがなく,御 霊 の光が天から下る露のようにそっとあなたの
127
第 10 章
十二使徒定員会のジョセフ・フィールディング・スミス長老と
ジョセフ・F・スミス大管長( 1914 年)
128
第 10 章
3
心に注がれて,この業に関する多くの真理があなたに明らかにされるでしょう。
」
スミス大管長はこれらの預言の言葉どおりの生涯を送った。福音の研究者,教
師,著述者として,救いの教義を熱心に説明し,擁護した。ヒーバー・J・グラ
ント大管長はかつてスミス大管長のことを,すべての中央幹部の中で「最も聖
4
文に精通している人物」と呼んでいる。
晩年,スミス大管長は福音の研究を通して受けてきた祝福を度々振り返って
いる。
「生涯を通じてわたしは福音の原則を学び,それについて深く考え,主の律法
に従って生きようと努めてきました。その結果,わたしの心には主に対して,主
の業に対して,またこの地上にあって主の目的をさらに進めようと努めるすべて
5
の人々に対して,大きな愛が生まれてきました。」
「わたしは生涯にわたって聖文を研究し,その真の意味を理解できるように
主の御霊の導きを求めてきました。主はわたしにとてもよくしてくださり,わた
しは主から知識を授かってきたことと,主の救いの原則を教える特権にこれま
であずかってきたこと,今もその特権にあずかっていることに喜びを感じていま
6
す。」
ジョセフ・フィールディング・スミスの教え
1
わたしたちは様々な分野で真理を求めるべきだが,
最も重要な知識は福音の知識である
わたしたちは教育の価値を信じています。一つの民として,わたしたちは常
にあらゆる分野において学問を得ようと努めてきました。また教会として,教会
員に教育の機会を提供するために多額の資金を投じ,大きな犠牲を払ってきま
した。この科学的な研究と開発の時代においては特にそうです。若い人々は
賢明な判断のもと,必要に応じて十分な教育と専門的な訓練を受けるべきだと
思います。
しかし,この世の知識を探究するとともに,霊的な事柄も理解できるように
努めなければならないと思います。この世の知識を得られるかぎり得ることよ
りも,神とその律法の知識を得て,救われるために必要なことができるようにな
7
ることの方が大切です。こちらの方が 1,000 倍も重要なのです。
だれでも,毎日何かしら新しいことを学んでいるはずです。皆さんは一人残
らず探究心を持っていて,多くの分野で真理を探究しています。わたしは皆さ
んに,霊的な事柄の探究にいちばん力を注いでほしいと心から願っています。
129
第 10 章
なぜなら,霊的な事柄を学んでこそ,わたしたちは救われて,御父の王国で永
遠の命を受けられるようになるからです。
この世で最も重要な知識は福音の知識です。それは神とその律法について
の知識であり,人が主の前に恐れおののいて自分の救いを達成するために行わ
8
なければならない事柄についての知識です〔ピリピ 2:12;モルモン 9:27〕。
すべての真理に同じ価値があり,すべてが等しく重要であるというわけでは
ありません。ほかの真理よりも重要な真理があるのです。最も重要な真理は,
イエス・キリストの福音の基本原則に見いだすことができます。まず,イエス・
あがな
キリストが神の御子,世の贖い主であって,人に命を得させるためにこの世に来
て亡くなられたということです。この真理をわたしたちは知らなければなりませ
ん。イエス・キリストがわたしたちの贖い主であり,永遠の命の原則を授けてく
ださったことを知るのは,この世の教育で得られる知識をすべて得るよりもは
9
るかに重要なのです。
世の哲学と知識に関するかぎり,啓示されている神の言葉に添うものでなけ
れば,それは何の意味もありません。宗教,科学,哲学,そのほか何の教えで
あろうと,啓示されている主の言葉と矛盾しているならば,役に立たなくなるで
しょう。もっともらしく思えるかもしれません。説得力のある言葉で述べられ,
何の返答もできないかもしれません。反論の余地がないほど実証されているよ
うに思われるかもしれませんが,必要なのは時を待つことです。時がすべてを
しもべ
解決してくれるでしょう。主の僕 に告げられた主の神聖な言葉に添わない教義
や原則はすべて,どんなに広く信じられていようとも,将来必ず姿を消すことで
しょう。また,主の言葉を不自然に解釈して,これらの理論や教えに一致させ
ようとむなしい努力をする必要もありません。主の言葉は必ず成就します。し
かし,これらの偽りの教義や理論はすべて無に帰するでしょう。ほかのすべて
10
のものが滅びる中で,真理が,ただ真理だけが存続するのです。
2
主はわたしたちに聖文を調べるよう命じておられる
主は今の時代の教会員に,祈りによって,また研究と信仰によって主を求める
ように命じておられます。わたしたちは教義と聖約やモルモン書,そのほかの
すべての聖典の中で主が与えてくださっている戒めを研究するよう命じられて
きました。そして,それには次の約束が伴います。「わたしたちがこの世にお
いて得る英知の一切は,復活の時にわたしたちとともによみがえる。そこで,も
しある人が精励と従順によって,この世でほかの人よりも多くの知識と英知を
得るならば,来るべき世でそれだけ有利になる。」
〔教義と聖約 130:18 - 19〕
…… 救い主はユダヤ人に言われました。「聖文を調べなさい。あなたがたは,
130
第 10 章
聖文の中に永遠の命があると思っているが,この聖文は,わたしについてあか
しをするものである。」
〔ヨハネ 5:39 参照〕同じように思って いながら,研究と
11
信仰によって自分自身を備えていない教会員が何と大勢いることでしょうか。
この教会の会員は,研究と信仰によって教会の標準聖典についての知識を得
ずには,安らかに心地よく休むことも澄んだ良心を持つこともできないと,わた
しには思えます。これらの記録はかけがえのないものです。世の人々はこれら
の記録をあざけりますが,その教えを通して,わたしたちは神に近づき,天の御
父とイエス・キリストについての理解を深め,御二方をよりよく知り,御二方がわ
たしたちと世の人々に与えてくださっているすばらしい救いの計画についてさら
12
に詳しく知ることが許されているのです。
わたしたちの時代を見た昔の預言者たちは,当時の人々のためだけではな
13
く,預言の中で述べられている時代に生を受ける人々のためにも語りました。
兄弟姉妹に申し上げます。皆さんは主の戒めが何であるかを知らなければ,
それを守って義のうちに歩むことはできません。主はわたしたちに聖文を調べ
るように命じておられます。そこに載っている事柄は真実であって,成就するか
らです〔教義と聖約 1:37 参照〕。…… 聖文を調べてください。皆さんの救い
と,皆さんの家族と世の人々の救いのために主が明らかにしてくださっている
14
事柄に精通してください。
3
しもべ
わたしたちには,主が今御自分の僕に明らかにしておられる
真理のメッセージに耳を傾ける大きな責任がある
もし主の言葉に耳を傾け,モルモン書や聖書,教義と聖約,高価な真珠,そし
て教会の権能ある人々によって折に触れて与えられる教えを自分で調べ,知識
み こころ
を得,主の前に祈りと聖約を忘れず,主の御 心 を行うように努めるならば,わた
15
したちは道を踏み外すことはないでしょう。
信仰箇条の第 9 条で,わたしたちは次のように宣言しています。「わたしたち
は,神がこれまでに啓示されたすべてのこと,神が今啓示されるすべてのこと
を信じる。またわたしたちは,神がこの後も,神の王国に関する多くの偉大で
重要なことを啓示されると信じる。」これが真実であるならば,わたしたちは神
がこれまでに啓示されたことと,神が今啓示しておられることをすべて理解す
る必要があります。そうでなければ,わたしたちは主の業にかかわっておらず,
自分たちについて主の御心を知ることができません。それが理解できないから
16
です。
末日聖徒は自分たちの指導者に信頼を寄せ,教会の権能ある人々の教えに
従わなければなりません。彼らは預言と霊感の声で聖徒たちに語るからです。
131
第 10 章
主は教義と聖約の最初の章で,主が語るときは,主御自身の声によろうと,主
の僕たちの声によろうと,それは同じであると宣言しておられます〔教義と聖約
1:38 参照〕。ですから,わたしたちには次のことを行う大きな責任と義務があ
ります。すなわち,民を教える教会の長たちやイスラエルの長老たちが人々の
間で真理のメッセージを伝えるときには,これらのことをわたしたちに告げ知ら
せるために主が天使を遣わされた場合や,主御自身が来られた場合と同じよう
17
に,その指導者の声に耳を傾けなければなりません。
4
わたしたちは研究と信仰と従順により,
聖霊の導きを通して福音の真理を知ることができる
「だれでもわたしの言葉を大切に蓄える者は,惑わされることがない」とい
う,主がわたしたちに与えてくださっている勧告に従うのはよいことです〔ジョ
セフ・スミス― マタイ 1:37〕。主の言葉を大切に蓄えるとは単に読む以上のこ
とであって,そのためには,読んで研究するのはもちろんのこと,与えられた戒
み たま
けん そん
めを守り,聖なる御 霊 が与えてくださる霊感を得るように,謙 遜 かつ従順に努
18
めなければなりません。
「時間がない」という声を聞くことが時々あります。しかし読んで研究する時
間のない人は一人もいません。これはわたしたちの厳粛な義務なのです。系統
立てた読書と熟考に毎日 15 分だけでも確保できないでしょうか。これはわず
かな時間ですが,1 週間で 1 時間 45 分,1 か月 30 日で 7 時間半,1 年で 91
時間 15 分になります。……
…… 読みすぎている人はまれであり,わたしたちの大半はあまりに読まなす
ぎます。主は次のように言っておられます。「また,すべてが信仰を持っている
わけではないので,あなたがたは知恵の言葉を熱心に求め,互いに教え合いな
さい。まことに,最良の書物から知恵の言葉を探し求め,研究によって,また信
19
仰によって学問を求めなさい。」
〔教義と聖約 88:118;109:7〕
わたしたちは調べ,分析することによってできるかぎり研究し,学ぶように求
められています。しかし,知性と研究の領域においてわたしたちの学習能力に
は限界があります。神にかかわる事柄は神の御霊によってのみ知ることができ
20
ます。わたしたちは信仰によって知識を得なければなりません。
人は探究し,研究し,確かに非常に多くのことを学ぶかもしれません。膨大
な知識を蓄えるかもしれません。しかし真理の御霊,すなわち聖霊に導かれ,
神の戒めを守らなければ,…… 完全な真理 ……に到達することは決してでき
21
ないのです。
132
第 10 章
「真理を知るであろう。そして真理は,あなたがたに自由を得させるであろう。」
(ヨハネ 8:32 )
まことの信仰を持ち,心が謙遜であれば,人は真理の知識に導かれます。人
に自由を得させる真理を知らなくていい理由のある人などどこにもいません。
真理の光を見いだすことができず,この末日に主が再び語っておられるかどう
かを知らなくていい理由のある人などいないのです。パウロは次のように宣言
しています。「人々が熱心に追い求めて捜しさえすれば,神を見いだせるように
して下さった。事実,神はわれわれひとりびとりから遠く離れておいでになるの
くら やみ
ではない。」
〔使徒 17:27〕地を覆う霊的な暗 闇 と信仰の欠如のただ中にあっ
ても,主の腕は短くありません。主は誠実に真理を求める者の熱心な嘆願を聞
いてくださいます。神の真理を知らずに歩まなければならない人もいなければ,
イエス・キリストの教会がどこにあるかを知らないまま過ごさなければならない
人もいないのです。必要なのは謙遜な信仰と悔いる霊,そして光の中を歩む決
22
意だけであり,それがあれば,主が真理を明らかにしてくださるでしょう。
わたしたちは皆,真理を知ることができます。なすすべがないわけではあり
ません。主は,
〔主の〕律法を守るならば,主の聖なる御霊の導きを通してだれ
もが真理を知ることができるようにしてくださいました。聖なる御霊はわたした
ちが律法に従うときに遣わされます。御霊はわたしたちを教え,それによって
133
第 10 章
わたしたちは,人に自由を得させる真理を知ることができるのです〔ヨハネ 8:
23
32 参照〕。
5
真理に一致した生活を送るとき,
主はわたしたちの光と理解力を増し加えてくださる
主が明らかにしておられる事柄に精通して,惑わされることがないようにする
ことは,会員としてわたしたちに課せられた義務です。……真理を知らなけれ
24
ばどうやって真理の中を歩むことができるでしょうか。
救いの真理に関して言えば,わたしたちの目標はただ一つ,主が明らかにし
25
ておられることを見いだして,それを信じ,行うことでなければなりません。
もしわたしたちが光の霊,真理の霊,主の啓示の中で説明されている霊に従
けん そん
うなら,また祈りをもって謙 遜 に聖霊の導きを求めるなら,主はわたしたちの光
と理解力を増し加えてくださるでしょう。これによってわたしたちは識別の霊を
受け,真理を理解し,偽りを目にするときにすぐにそれと分かり,欺かれること
がないでしょう。
では,この教会の中でどのような人が欺かれるのでしょうか。それは義務を
忠実に果たしている人でもなければ,主の言葉に通じている人でもなく,啓示を
通して与えられている戒めを守ってきた人でもありません。欺かれるのは,真理
くら やみ
に通じていない人であり,霊的な暗 闇 の中にいる人であり,福音の原則について
の知識も理解も得ていない人です。そのような人は欺かれるでしょう。偽りの
霊がわたしたちの中に入ってきても,光と闇を理解せず,見分けることができな
いのです。
しかし主の啓示の光の中を歩み,教会の評議会に席を占めて指導する立場
にある者の勧めに耳を傾けるなら,わたしたちは道を踏み外すことはないで
26
しょう。
聖文を調べ,主が明らかにしておられることを知りましょう。そして主の真理
に一致した生活を送りましょう。そうすれば欺かれることがなく,逆に悪と誘
惑に抵抗する力が得られます。わたしたちは心が活気づき,真理を理解し,真
27
理と偽りを見分けることができるようになるのです。
教会の教えに関して理解していない教義や原則があるなら,ひざまずきま
しょう。祈りの精神でへりくだって主の前に行き,思いが照らされて理解できる
28
ように願い求めましょう。
134
第 10 章
「聖文を調べ,主が明らかにしておられることを知りましょう。
そして主の真理に一致した生活を送りましょう。」
「神から出ているものは光である。光を受け,神のうちにいつもいる者は」
かぎ
― これがその状態に至る鍵なわけですが ―「さらに光を受ける。そして,
その光はますます輝きを増してついには真昼となる。」
〔教義と聖約 50:24 〕
み たま
したがって,この聖句から次のことが理解できます。神を求め,真理の御霊,
すなわち慰め主に導かれ,神のうちにいつもいる人は,知識,光,真理の面で成
長し,ついには光と真理に満ちた真昼のような状態になるでしょう。
わたしたちはそのすべてを現世で得るのではありません。現世の限られた歳
月でこの目標を達成することは不可能です。しかしわたしたちが現世で学ぶも
ののうち,永遠のもの,真理の御霊による霊感によって学ぶものは,墓を越えて
わたしたちとともにあり続けます。そしてもし神のうちにいつもいるなら,さら
29
に光と真理を受け続けて,ついにはその真昼の状態に至るでしょう。
真理の光を受け,探究と従順な態度により福音に精通しようと努めるすべて
の人には,次の約束が与えられています。すなわち,ここにも少し,そこにも少
しと,教えに教え,訓戒に訓戒を加えられ,ついには完全な真理が明らかにさ
れて,王国の隠された奥義さえも知るようになるのです。それは,
「すべて求め
る者は得,捜す者は見いだし,門をたたく者はあけてもらえる」からです〔マタ
135
第 10 章
イ 7:8;3 ニーファイ 14:8 。イザヤ 28:10;教義と聖約 76:1 - 10;98:11
- 12 も参照〕。これらの人は皆,救いを受け継ぐ者であって,神の息子や娘と
して,栄光と,不死不滅と,永遠の命を冠として与えられ,神の日の栄えの王国
30
で昇栄を受けるでしょう。
研究とレッスンのための提案
質問
•福音を学ぶためにスミス大管長がどのような努力をしたかについて読みなが
ら(「ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯から」参照),福音を学ぶた
めにあなた自身がどんな努力をしているか考えてください。聖文その他の福
音の教えを研究してきたことで,あなたはどのような祝福を受けてきたでしょ
うか。
•霊的な事柄を学ぶこととこの世の事柄を学ぶこととの兼ね合いについて,第
1 項からどのようなことが学べるでしょうか。家族やほかの人たちが教育を
受けようと努力するときに霊的な知識を優先できるよう,どのような助けがで
きるでしょうか。
•天の御父とイエス・キリストを「よりよく知〔る〕」うえで,聖文はどのような
助けとなってきたでしょうか(第 2 項参照)。自分の聖文研究をより有意義な
ものとするためにどのようなことができるか考えてください。
•第 3 項を読んだ後,教会指導者の勧めに従ったときに受けてきた祝福につい
て考えてください。生ける預言者たちの教えを家族やほかの人たちにどのよ
うにして伝えることができるでしょうか。
•主の言葉を大切に蓄えることは,あなたにとってどのような意味があるでしょ
うか(例として,第 4 項参照)。「系統立てた読書と熟考に毎日 15 分だけで
も確保〔する〕」と,わたしたちの生活はどのように変わるでしょうか。
•第 5 項にある勧告があなたの生活にどのように当てはまるか深く考えてくだ
さい。偽りの知識がより大胆に広まり,容易に入手できるようになる中で,ど
うすれば「光と闇を……見分ける」ことができるでしょうか。子供や青少年
をどのように助けることができるでしょうか。
関連聖句
詩 編 119:105;ヨハ ネ 7:17;2 テ モ テ 3:15 - 17;2 ニーファイ 4:15;
32:3;ヒラマン 3:29 - 30;教義と聖約 19:23;84:85;88:77 - 80
136
第 10 章
教える際のヒント
「大勢の人に同時に教えるときにでも,個人に手を差し伸べることはできる。
例えば,クラスの初めに一人一人を温かく迎えることもその一つである。……ま
た,生徒に気楽に参加を促すことによってもそれができる。」
(『教師,その大い
なる召し』35 )
注
1. ジョセフ・フィールディング・スミス・ジュニア,
ジョン・J・スチュアート共 著,The Life of Joseph Fielding Smith( 1972 年),57 参照
2. The Life of Joseph Fielding Smith, v
3. The Life of Joseph Fielding Smith, 195 で引用
4. ヒーバー・J・グラントの言 葉,リチャード・O・
コ ー ワ ン,
“ Advice from a Prophet: Take
Ti me O ut , ”Br ig h a m You ng Un iver s it y
Studies, 1976 年春,416 で引用
5. 主は生けりと知る」
『聖徒の道』1972 年 5 月号,
195 参照
6. Conference Report ,1970 年 10 月,5
7. 1971 年 1 月 10 日にユタ州ローガン宗 教インス
ティテュートで行った説 教,1 - 2 ,教会歴史図
書館,未出版原稿
『聖徒の道』1971 年 9 月号,
8.「最も重要な知識」
245 参照
9. Conference Report ,1955 年 4 月,51
10. Conference Report ,1952 年 10 月,60
11. Answers to Gospel Questions, ジ ョ セ フ・
フィールディング・スミス・ジュニア編,全 5 巻
( 1957 - 1966 年),第 1 巻,xiv;斜 体は原文の
まま
12. Conference Report ,1961 年 10 月,18
13. Conference Report ,1927 年 10 月,142
14. Conference Report ,1920 年 10 月 , 58 - 59
15. Conference Report ,1918 年 10 月,56 - 57
16.“ Search the Scriptures, ”Young Woman’s
Journal, 1917 年 11 月号,592
17. Conference Report ,1916 年 10 月,73
18.“ The Re su r rect ion , ”I mprovement E ra ,
1942 年 12 月 号,780 。Doctrines of Salvation, ブ ル ース・R・マ ッコン キ ー 編,全 3 巻
( 1954 - 1956 年),第 1 巻,305 も参照
19.“ How a nd W hat to Read , ”I mprovement
Era, 1913 年 8 月号,1004 - 1005 。Doctrines
of Salvation, 第 3 巻,207 も参照
20.“ Pres. Smith Stresses Value of Education, ”
Church News, 1971 年 6 月 12 日付,3
21.“ And the Truth Shall Make You Free, ”Deseret News, 1940 年 3 月 30 日付,Church 欄,4 。
Doctrines of Salvation, 第 1 巻,299 も参照
22. The Restoration of All Things( 1945 年)
,195
23.“ Evidences of Eternal Life, ”Deseret News,
1933 年 6 月 3 日 付,Church 欄,5 。Doctrines
of Salvation, 第 1 巻,295 - 296 も参照
24. Conference Report ,1934 年 10 月,65 。Doctrines of Salvation, 第 1 巻,302 も参照
25.「闇 より出 で て」
『聖 徒 の 道』1971 年 10 月 号,
277 参照
26. Conference Report ,1931 年 4 月,71 。Doctrines of Salvation, 第 1 巻,285 - 286 も参照
27.“ The New and Everlasting Covenant, ”Deseret News, 1939 年 5 月 6 日付,Church 欄,8 。
Doctrines of Salvation, 第 1 巻,301 も参照
28. Conference Report, 1959 年 10 月,20
29.“ And the Truth Shall Make You Free, ”4;
原文において句読点と大文字は標準的な用法に
修正
30.“ Search the Scriptures, ”591 - 592 。Doctrines of Salvation, 第 1 巻,303 も参照
137
ペテロとヤコブとヨハネは,ジョセフ・スミスとオリバー・カウドリに
かぎ
メルキゼデク神権を授けたときに神権の鍵も授けた。
138
第 1 1 章
ジョセフ・スミスによって回復された
かぎ
神権の鍵を尊ぶ
「わたしはここで,きわめて率直に,きわめてはっきりと
申し上げます。わたしたちには聖なる神権があり,また
ここに神の王国の鍵があります。これらを有しているの
は末日聖徒イエス・キリスト教会以外にありません。」
ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯から
ジョセフ・フィールディング・スミス大管長はこう断言している。「わたしは預
言者ジョセフ・スミスの神聖な使命について完全な知識を持っています。主が
彼を立て,天を開いて啓示と戒めを与え,この栄光ある神権時代の長となるよ
み じん
1
う彼を召されたことについて,わたしの心には微 塵 の疑いもありません。」 ス
ミス大管長は,この「完全な知識」を保持すると同時に,預言者ジョセフによっ
て回復された神権の鍵に対する崇敬の念を抱いていた。スミス大管長は鍵を
持つ人々を常に敬い,支持し,また同じ敬意を払うようすべての教会員に勧告し
た。そして,こう述べている。「教会の何かの役職にあって管理するよう正式
2
に選ばれたすべての人を,その召しにおいて敬わなければなりません。」
ジョセフ・フィールディング・スミスが使徒として奉仕していたあるとき,大
管長会と十二使徒定員会は,一つの難しい問題について繰り返し話し合ってい
た。スミス長老はそれまで,その件について自分の見解をはっきりと述べてき
た。そうしたある日,当時の大管長ヒーバー・J・グラントがスミス長老の執務
室にやって来た。大管長は,その件についてよく祈って考えた末にスミス長老
の見解とは異なる対応をとるべきであると強く感じたと伝えた。するとスミス長
老は直ちに,グラント大管長の決定を支持する旨を表明した。後に彼はこう述
べている。「主からあることを行うように示された,あるいは霊感を受けたと
3
大管長が語るとき,わたしはその件について大管長を全面的に支持します。」
ジョセフ・フィールディング・スミスは,大管長だけでなく,自分の神権指導
者全員を同様に支持した。例えば,ネイサン・エルドン・タナーは,1962 年 10
月に十二使徒定員会会員として働く召しを受け,1 年後には大管長会の顧問と
して召され,十二使徒定員会会長であったスミス会長を管理する地位に就くこ
139
第 11 章
とになった。後に,タナー管長はスミス会長の支持に感謝して,次のように述
べている。「わたしが大管長会に召されたとき,彼は十二使徒会の先任会員で
あって,50 年以上にわたり使徒として働いていました。しかし,その地位に就
4
いたわたしに深く敬意を表し,全面的に支持し,信頼してくださいました。」
スミス大管長は自分が所属するワードの神権指導者にも同じように敬意を表
した。十二使徒定員会会員として奉仕していたとき,彼はこう述べている。「ま
ずわたしが所属しているワードのビショップのもとへ行って彼の承諾を得なけ
れば,わたしには自分の子供にバプテスマを施す権利はありません。なぜな
ら,わたしが会員として籍を置いているそのワードに関しては,ビショップが鍵
を持っているからです。わたしはビショップのもとへ行って,バプテスマの儀式
を執行し教会員として確認するための認可を得ずに,自分の子供にバプテスマ
5
を施したことは一度もありません。」
ジョセフ・フィールディング・スミスの教え
1
かぎ
神権の鍵は地上における主の業を導くための力と権能である
神権の職を受けることと神権の鍵を受けることの間には違いがあります。わ
たしたちはこのことをはっきりと理解しておく必要があります。……
……いずれの職であれ,聖任されるすべての男性は神権を持ちます。さらに
また,管理するように召される人々に授けられる特別な権能,すなわち管理する
6
権能があります。この権能が,鍵と呼ばれるものです。
〔神権の〕鍵は長の職に伴う権利です。それは地上における主の業に関する
すべてを管理し,指示を与える力と権能です。鍵を持っている人々は,ほかの
すべての人が神権を行使して奉仕できるように,管理し監督する力を有してい
7
ます。
人々がこれらの鍵を持つ人から権限を託されるとき,彼らの行動は有効なも
のとなります。彼らが行うことは,地上と天の両方の教会で結ばれ,承認されま
8
す。
2
かぎ
主は神権の鍵を回復するために,みもとから聖なる使者を遣わされた
暗黒と不信仰と,純粋で完全なキリスト教の真理から違背した長い夜が過
ぎた後,主は無限の知恵をもって,完全な永遠の福音を再び地上に回復された
と,わたしたちは信じています。
140
第 11 章
ジョセフ・スミスが預言者であること,御父と御子がこの最後の福音の神権
み すがた
時代の幕を開くために 1820 年の春に彼に御 姿 を現されたこと,ジョセフが神
たま もの
の賜 物 と力によってモルモン書を翻訳したこと,ジョセフが鍵と権能を授ける
ために遣わされた天使たちからそれらを受けたこと,また主がジョセフに救い
9
の教義を啓示されたことを,わたしたちは知っています。
み
な
み こころ
たとえ儀式が主の御 名 によって執行されたとしても,それが主の御 心 に従
しもべ
い,主の権能を授けられた僕と認められている人によって行われないかぎり,主
はいかなる儀式もお認めになりません。地から取り去られたもの,すなわち完
全な福音と,また完全な神権とその鍵を回復するために,主がみもとからジョ
セフ・スミスとその他の人々のもとに聖なる使者を遣わされたのは,そのためで
10
す。
神権の鍵が回復されなければなりませんでした。バプテスマのヨハネがアロ
ン神権の鍵を,ペテロとヤコブとヨハネがメルキゼデク神権の鍵を携えて来て,
それによって教会が組織されたというだけでは,不十分でした。天が開かれ,
アダムの時代からペテロ,ヤコブ,ヨハネの時代に至るまでの神権時代を率い
たすべての預言者が持っていた鍵が回復される必要がありました。これらの
11
預言者が次々にやって来て,それぞれが持っていた権能を授けたのです。
万物の完全な回復があるという預言者たちの言葉と主の目的が果たされる
ために,すべての神権時代のすべての鍵がもたらされなければなりませんでし
た,そのために,人類家族の父,地上における最初の人,アダムが来なければ
なりませんでした。そして,アダムはその権能を携えて来ました。モーセとその
ほかの預言者たちも来ました。鍵を持っていたすべての人が来て,それぞれの
権能を授けたのです。……これらの権能が現された日付は分かりませんが,現
在,教義と聖約 128 章〔 17 - 21 節〕に記録されているように,預言者ジョセ
フ・スミスは死者の救いに関してノーブーの聖徒に書き送った手紙の中で,こ
れらの預言者が全員それぞれの鍵を携えて,わたしたちが生を受けている神
12
権時代にやって来たと述べています。
教会が組織された後,主は聖徒たちに,主の名のために家を建てるように命
じられました。聖徒たちはそのことの重要性をよく理解していなかったため,
その家を建てる作業をすぐには始めませんでした。そこで,主は彼らを叱責さ
れました〔教義と聖約 95:1 - 4 参照〕。彼らは,叱責を受けた後,貧しさの
中,力を尽くしてカートランド神殿を建て始めました。何のために建てたので
しょうか。イエス・キリストがおいでになることのできる聖所,また権能の鍵を
持っている御自分の僕と預言者たちを遣わされる場所とするためでした。……
重要な鍵を持っていた昔の 3 人の偉大な預言者が 1836 年 4 月 3 日に訪れた
ことを,わたしたちは知っています。
141
第 11 章
最初にモーセが来ました〔教義と聖約 110:11 参照〕。そして,ジョセフ・ス
ミスとオリバー・カウドリにイスラエルの集合の鍵を授けました。…… モーセ
はイスラエルを集めました。彼らに地を所有させることはできませんでしたが,
集合の鍵は彼の手にありました。モーセは変貌の山でペテロとヤコブとヨハネ
のもとに来て,彼らが生きていた時代にイスラエルを集合させるためにその同
じ鍵を授けました。また,時満ちる神権時代にイスラエルの集合の鍵を授ける
ために,預言者ジョセフ・スミスとオリバー・カウドリのもとに遣わされました。
……
モーセが鍵を授けた後,エライアスが来て,アブラハムが生きていた神権時
代の福音をもたらしました〔教義と聖約 110:12 参照〕。その神権時代に関す
るすべてのもの,アブラハムに授けられた祝福,アブラハムの子孫に与えられた
約束,そのすべてが回復されなければなりませんでした。そして,その神権時
代の鍵を持っていたエライアスが来たのです。
その後,古代イスラエルで結び固めの力の鍵を持っていた最後の預言者で
あるエリヤが来て,その力,すなわち結び固めの力を授けました〔教義と聖約
110:13 - 16 参照〕。教会員の中には,エリヤは死者のためのバプテスマの
鍵,すなわち死者のための救いの鍵を携えて来たと誤解している人がいます。
エリヤの鍵はそれ以上のものでした。それは結び固めの鍵です。それらの結
び固めの鍵は生者に関するものであり,また進んで悔い改める死者にも及ぶも
13
のです。
預言者エリヤは…… 彼ら〔ジョセフ・スミスとオリバー・カウドリ〕に結び固
めの力,すなわち,神権を行使して地上でつなぎ,天で結び固めるための力を
14
授けました。
結び固めの力は,この教会で行われるすべての儀式に,また特に主の神殿で
15
執行される儀式に承認の印を押します。
兄弟姉妹,この神権時代は輝かしい神権時代です。ほかのすべての神権
時代はここに流れ込んでいます。わたしたちが生きているこの神権時代に,す
べての権能,すべての力が集められています。わたしたちは忠実であることに
16
よってこれらの祝福にあずかる特権に浴しているのです。
わたしはここで,きわめて率直に,きわめてはっきりと申し上げます。わたし
たちには聖なる神権があり,またここに神の王国の鍵があります。これらを有
17
しているのは末日聖徒イエス・キリスト教会以外にありません。
142
第 11 章
カートランド神殿で,エリヤはジョセフ・スミスとオリバー・カウドリに姿を現し,
かぎ
結び固めの鍵を授けた。
3
かぎ
教会の大管長は教会全体を管理する鍵を持っている
預言者〔ジョセフ・スミス〕は,殉教する少し前に,教会の第二の定員会を
構成する十二使徒に,全人類の救いというこの大いなる栄えある業を進めるた
18
めに必要なすべての鍵とすべての儀式と神権を授けました。
143
第 11 章
この神権とこれらの鍵は…… 十二使徒評議会の会員として任命された一人
一人に付与されました。しかし,これらは長の職に伴う権利であるため,すべて
19
を行使できるのは,地上における神の先任使徒,すなわち大管長だけです。
教会の大管長は教会全体を管理する鍵を持っています。…… 神権の力は大
管長に集中しています。大管長は時満ちる神権時代に関するあらゆる種類の
鍵をすべて持っています。これまで明らかにされている過去の神権時代のすべ
20
ての鍵が大管長に授けられているのです。
4
かぎ
わたしたちは大管長から権能の鍵を委任された人々を敬わなければならない
〔大管長は〕それがふさわしいと考え,そうするように霊感を受けるとき,権
21
能を委任し,また権能を取り上げる権利を持っています。
おもて
神権の結び固めの力を持っている人は地の面 にただ一人しかいないことを
覚えておいてください。彼はほかの人々にその権限を委任することができます。
これによって,委任された人々は務めを果たし,地上で結び固めることができま
す。大管長が承認するかぎり,それは有効であり,効力があります。もし大管
長がそれを撤回するようなことがあれば,だれであってもその権限を行使する
22
ことはできません。
大管長から委任されなければ,だれも神殿の儀式を執行し,祝福を授けるこ
とはできません。職務を果たす権能を受けなければ,だれもこの教会のどの
ような職務をも果たすことはできません。それは,大管長が持っている力と鍵
を通して受けるものです。……大管長がその鍵によって,人々からある種の特
権を取り上げると言明したら,その後,その特権を授ける儀式を執行する権能
はだれも持つことができません。そうしようとする人がいたとしても,その行為
は無効です。そして,それを執行しようとした者は,教会役員の前でないとして
も,神の裁きの座の前で申し開きをしなければならず,背罪を犯したと見なされ
ます。……
…… 使徒やそのほかの幹部の兄弟が,シオンのステークを訪れて,注意を払
う必要のある事項を正すよう指示されるとき,彼らは教会の大管長から委任さ
れた権限すなわち権能によってそれを実施します。これと同じ原則が小さな規
23
模でステークとワードにも適用されます。
教会の何かの役職にあって管理するよう正式に選ばれたすべての人を,その
召しにおいて敬わなければなりません。ビショップの職に聖任された人は,居
住しているワードを管理する職に伴う鍵を与えられており,ワードのすべての会
員はどのような役職に就いているかにかかわらず,ビショップをその召しにおい
て敬わなければなりません。それはステーク会長,定員会会長,あるいは何の
144
第 11 章
職であろうと同じです。この意味を説明するために,次のような教えがありま
す。父親はメルキゼデク神権を持っていても,まずビショップの承認を得なけ
れば自分の子供にバプテスマを施すことはできません。承認を得たら,父親は
子供のためにその儀式を執行する権限を与えられます。まずワードの管理役員
の承認を,場合によってはステークの管理役員の承認を得ないでバプテスマを
執行したり,あるいは息子を神権に聖任したりする父親は,違背の罪を犯して
いることになります。これはワードの長老と同様,使徒にも当てはまります。大
管長でさえ,最初に自分のワードのビショップあるいはステーク会長,また彼ら
に委任されている権能を尊重することなくこの種のことを行うなど決して考えな
24
いでしょう。
5
かぎ
王国の鍵を持つ人々の一致した見解は,
主が望んでおられる方向にわたしたちを常に導く
わたしたちが特にしっかりと心に留めておかなければならない一つの事柄が
あると思います。大管長や,大管長会や,大管長会と十二使徒会の一致した見
解が聖徒を誤った方向に導くことは決してありません。あるいは,主の思いと
望みに反する勧告を世の人々に与えることはありません。
真理から離れる人,自分の考えに固執する人,あるいは主が意図しておられ
ることと一致しない勧告を与える人がいるかもしれません。しかし,大管長会
の宣言と,彼らとともに王国の鍵を持っているそのほかの人々の一致した見解
は,常に,主が望んでおられる道へ聖徒と世の人々を導きます。……
あかし
わたしは証 します。わたしたちが大管長会に目を向け,彼らの勧告と指示に
従うならば,地上のいかなる力も,教会全体としてわたしたちが進む道をとどめ
ることや変えることはできません。わたしたちは個人として,この世で平和を得,
25
来るべき世で永遠の栄光を受け継ぐことでしょう〔教義と聖約 59:23 参照〕
。
研究とレッスンのための提案
質問
かぎ
•わたしたちは神権の鍵を持つ人々を支持するに当たって,どのようにスミス大
管長の模範に従うことができるでしょうか(「ジョセフ・フィールディング・ス
ミスの生涯から」を参照)。
•神権の職を持つことと神権の鍵を持つことの違いを理解するために,第 1 項
はどのように役立つでしょうか。この違いが重要なのは,なぜだと思います
か。
145
第 11 章
•神権の鍵が地上に回復されたことによって,あなたはどのような祝福を受け
てきたでしょうか(第 2 項参照)。
•第 3 項と第 4 項に述べられている組織によって教会はどのように強められて
いると思いますか。個々の教会員はどのように強められているでしょうか。
•大管長会と十二使徒定員会の一致した見解について語ったスミス大管長の
言葉を考えるとき,あなたはどのように感じるでしょうか。あなたはどのよう
なときに彼らの「一致した見解」によって導かれましたか(第 5 項参照)。
関連聖句
マタイ 16:13 - 19;使徒 3:21;教義と聖 約 21:4 - 6;27:5 - 13;65:
2;128:8 - 21;132:7
教える際のヒント
「あなたが答えを知らない質問を受けるかもしれない。そのような場合,答
えを知らないことを率直に言う。答えを見つけるように努力すると言ってもよ
い。あるいは,生徒たちに調べさせ,別のレッスンで発表する機会を設けても
よい。」
(『教師,その大いなる召し』64 )
注
1. Conference Report ,1951 年 4 月,58
2. Answers to Gospel Questions, ジ ョ セ フ・
フィールディング・スミス・ジュニア編,全 5 巻,
( 1957 - 1966 年),第 2 巻,40
3. フ ラ ン シ ス・M・ ギ ボ ン ズ,Joseph Fielding Smith: Gospel Scholar, Prophet of God
( 1992 年),342 で引用
14. Conference Report ,1970 年 4 月,58
15. Conference Report, 1948 年 4 月 , 135 。Doctrines of Salvation, 第 3 巻,129 も参照
16.“ The Keys of the Priesthood Restored, ”101
4. N・ エ ル ド ン・ タ ナ ー,
“ A Man without
Guile, ”Ensign, 1972 年 8 月号,33
5.“ P r i nciples of t he G o spel : The New a nd
Everlasting Covenant, ”Deseret News, 1939
年 5 月 6 日,Church section, 5 。Doctrines of
Salvation, ブルース・R・マッコンキー編,全 3
巻,
( 1954 - 1956 年),第 3 巻,136 - 137 も参
照
6. Conference Report ,1967 年 4 月,98
7.“ Eternal Keys and the Right to Preside, ”
Ensign, 1972 年 7 月号,87
8. Conference Report ,1967 年 4 月,99
9.“ Out of the Darkness, ”Ensign, 1971 年 6 月
号,4
10.“ The Coming of Elijah, ”Ensign, 1972 年 1
月号,5
17.“ Eternal Keys and the Right to Preside, ”
87 - 88
18. Doctrines of Salvation, 第 3 巻,154
19.“ Eternal Keys and the Right to Preside, ”
87
20.“ Priest hood ― Restorat ion of Keys , ”De seret News, 1933 年 9 月 16 日付,Church section ,4 。Doctrines of Salvation, 第 3 巻,135
も参照
21.“ The Keys of t he P r iest hood Restored , ”
101 。Doctrines of Salvation, 第 3 巻,135 も
参照
22. Elijah the Prophet and His Mission and Salvation Universal( 1957 年),50 。Doctrines
of Salvation, 第 3 巻,136 も参照
23. Conference Report ,1967 年 4 月,98 - 99
11.“ The Keys of t he P r iest ho od Restored , ”
Utah Genealogical and Historical Magazine,
1936 年 7 月号,98 - 99
12.“ The Keys of the Priesthood Restored, ”101
13.“ The Keys of the Priesthood Restored, ”99
- 100
24. Answers to G ospel Quest ions , 第 2 巻,4 0
- 41
25.“ Eternal Keys and the Right to Preside, ”
88
146
第 1 2
章
神権の誓詞と聖約
「主の祝福は,主の聖なる神権を持ち,主を代表する人々の
働きを通して,聖徒たちにも世の人々にももたらされます。」
ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯から
1951 年 4 月 9 日,41 年間使徒として奉仕した後で,ジョセフ・フィールディン
グ・スミスは十二使徒定員会会長として支持された。支持を受けてから間もな
く,スミス会長は会衆に向けて説教をした。そして,その召しについて次のよう
に思いの内を分かち合った。
けん そん
「この度召された職が非常に大切なものであることを知っています。謙 遜 に
させられます。……
わたしは,イエス・キリストの福音と教会の会員であること,そして奉仕の機
会が与えられていることに対して主に感謝します。このような弱いわたしではあ
りますが,わたしが望むことはただ一つ,それは自分の能力の限りを尽くして与
1
えられた召しを尊んで大いなるものとすることです。」
スミス会長は神権者たちに,召しを尊んで大いなるものにするよう頻繁に勧
告した。大管長は神権の召しを尊んで大いなるものにしたいという自身の願い
2
について公に話すことはあっても, 実際にそれをどのように果たしているかに
ついて語ることはめったになかった。しかし,一度,友人であり,十二使徒定員
会会長として前任者であったジョージ・F・リチャーズとともに果たした神権の
奉仕の業について語ったことがあった。
「 40 年間というもの,ジョージ・F・リチャーズ会長とともに会議や大会に出
席し,様々な務めを果たしてきました。……
わたしたちはシオンのステークの端から端まで一緒に旅をしました。昔,中
央幹部は二人一組でシオンのステークを訪問していました。鉄道の通っていな
い地域には ― そういう所が多かったのですが ―『ホワイトトップス』とい
う名で知られたスプリング仕様の軽馬車で出かけました。遠隔地に出かけると
きは通常 2 つ,頻繁に 3 つか 4 つのステークを訪問したものです。
ステーク大会とステーク大会の間にも,ステーク内の様々な入植地やワード
で毎日集会を開きました。そのような旅の多くはでこぼこ道を,ときには道らし
147
第 12 章
1971 年 8 月,英国地域大会で説教するジョセフ・フィールディング・スミス大管長。
着席しているのは,左から右へ ― マリオン・G・ロムニー長老,
リチャーズ・L・エバンズ長老,ハワード・W・ハンター長老。
148
第 12 章
い道もない所を通り,夏はひどい土ぼこり,冬は身を切るような寒さの中,深い
3
泥や大雪に遭遇することもしばしばでした。」
大管長会秘書を務めたフランシス・M・ギボンズ長老は,スミス大管長がど
のようにその神権の召しを尊び大いなるものにしていたかについて次のように
語っている。「〔大管長は〕その権能を完全に認識していましたが,その行使
ごう
に当たっては常に柔和で控えめな姿勢を崩しませんでした。彼の性格には傲
まん
み じん
慢 や気取りや尊大さは微 塵 もありませんでした。偉ぶったり,自らの職の権限
4
を誇示したりすることは一度もありませんでした。」
ジョセフ・フィールディング・スミスは,大管長として総大会の神権部会で 5
回にわたり説教し,兄弟たちに神権の召しを尊んで大いなるものとするように
励ました。この章における教えは,そのうちの 4 つの説教から抜粋したもので
あり,特に 1970 年 10 月 3 日の説教から重点的に引用している。神権部会で
行われた説教ということから,この章の言葉は男性に向けられている。しかし,
これらの言葉には,神権の権能が教会のすべての会員にとって大きな祝福であ
るという理解が含まれている。一つの説教の中で,スミス大管長はこう述べて
いる。「神権の祝福が男性に限定されていないことは,わたしたち全員が知っ
ていることだと思います。これらの祝福は,わたしたちの妻や娘たちにも,そし
て教会のすべての忠実な女性にも注がれています。このような善良な姉妹たち
は,戒めを守り教会で奉仕することによって,主の宮の祝福のために自らを備
えることができます。主は,御自身の息子たちが手にすることのできるあらゆる
たま もの
霊の賜 物 と祝福を娘たちにも用意しておられます。なぜなら,主にあって女な
5
しに男はなく,男なしに女はないからです〔 1 コリント 11:11 参照〕。」
ジョセフ・フィールディング・スミスの教え
1
男性は神権の職を受ける際に交わす聖約について明確に理解するべきである
メルキゼデク神権の誓詞と聖約について皆さんの注意を喚起したいと思いま
す。もしわたしたちが,神権の職を受けるときに交わす聖約と,その召しを尊ん
で大いなるものとすれば与えられる主の約束を明確に理解しているならば,永
遠の命を受けるためにしなければならないことをすべて行おうという強い動機
となると思います。
さらに言わせていただければ,このより高い神権にかかわることはすべて,
神の王国で永遠の命を得ることができるようにわたしたちを備えることを考慮
し,目的としているのです。
149
第 12 章
1832 年 9 月にジョセフ・スミスに与えられた神権に関する啓示の中で主は,
メルキゼデク神権は永遠であり,福音をつかさどって,あらゆる時代に真の教
かぎ
会の中に存続し,神の知識にかかわる鍵 を持つと言っておられます。また,そ
きよ
れによって主の民は聖 められ,神の顔を見て主の安息に入ることができるよう
になるのです。「この安息とは,主の完全な栄光のこと」です。(教義と聖約
84:17 - 24 参照)
さらに,アロン神権とメルキゼデク神権の両方について,主は次のように言っ
ておられます。「だれでも忠実であって,わたしが語ったこれらの二つの神権を
み たま
得て,自分の召しを尊んで大いなるものとする者は,御 霊により聖められてその
体が更新される。
これらの者は,モーセの息子たち,またアロンの息子たちとなり,アブラハム
の子孫となり,神の教会となり,神の王国となり,神の選民となる。
主は言う。この神権を受けるすべての者は,わたしを受け入れるのである。
しもべ
わたしの僕たちを受け入れる者は,わたしを受け入れるからである。
また,わたしを受け入れる者は,わたしの父を受け入れる。
そして,わたしの父を受け入れる者は,わたしの父の王国を受けるのである。
それゆえ,わたしの父が持っておられるすべてが,彼に与えられるであろう。
これは神権に伴う誓詞と聖約によってである。
それゆえ,神権を受ける者は皆,わたしの父のこの誓詞と聖約を受け入れる
のである。わたしの父がこれを破られることはあり得ず,またこれが取り消さ
れることもあり得ない。」
聖約を破り,それから完全に離れてしまうことに対する罰とともに,次の戒め
が与えられました。「……自分自身について気をつけ,永遠の命の言葉を熱心
に心に留めるようにしなさい。
あなたがたは,神の口から出る一つ一つの言葉に従って生きなければならな
6
いからである。」
(教義と聖約 84:33 - 44 )
アロン神権を持つ皆さんは高位の神権に属するこの誓詞と聖約をまだ受け
ていませんが,主から授けられた偉大な力と権能を持っています。アロン神権
は備えの神権であって,後に授けられるほかの大いなる祝福を受けるにふさわ
しくなるようにわたしたちを教え,訓練してくれます。
執事や教師や祭司として忠実に奉仕すれば,皆さんは経験と技量と能力を増
し加え,メルキゼデク神権を受けて,その召しを尊び大いなるものとすることが
7
できるようになります。
150
第 12 章
2
神権者は,神権の召しを尊んで大いなるものとし,
神の口から出る一つ一つの言葉によって生きることを約束する
皆さん御存じのように,協定とは少なくとも二者の間で交わされる契約およ
び合意のことです。福音における協定,すなわち聖約の場合,二者とは天にお
られる主と地上の人を指します。人は戒めを守ることに同意し,主はそれに応
じて人に祝福を与えることを約束されます。福音そのものが新しくかつ永遠の
聖約であり,主がその民に提供してくださる同意と約束と祝福をすべて含んで
います。
したがって,わたしたちがメルキゼデク神権を受ける際は,聖約によってそれ
を受けるのです。わたしたちは神権を受け,神権の召しを尊んで大いなるもの
として神の口から出る一つ一つの言葉によって生きることを厳粛に約束します。
主の側は,わたしたちが聖約を守るならば,御父が持っておられるすべて,すな
わち永遠の命を受けると約束なさいます。これより偉大な,または栄光に満ち
た合意が考えられるでしょうか。
わたしたちは時々漠然とした言い方で,神権を尊んで大いなるものにすると
口にすることがあります。しかし,啓示が教えているのは,長老,七十人,大祭
司,祝福師,そして使徒として,自らの神権の召しを尊び大いなるものとするこ
とです。
人が持つ神権とは,人類の救いのためにあらゆることを行えるよう,地上の
人間にゆだねられた神の力と権能です。神権の職あるいは召しとは,その神権
に特別に定められた業を行うために授けられる,教え導く割り当てを指します。
これらの召しを尊んで大いなるものとする方法は,その特定の職を持つ人々に
よって行われるよう定められた業を行うことです。
自らの義務に心から忠実であるかぎり,どのような職にあるかは問題ではあ
りません。職に上下はありません。しかし,管理運営上の理由で,一人の神権
者が管理者として召され,管理下にあるほかの人の働きに指示を与えることは
あります。
わたしの父ジョセフ・F・スミス大管長はこう言いました。「この神権から来
る職で,その神権そのものより大いなるもの,あるいはそのようになり得るもの
はありません。職の権能と力は神権から来るものです。どのような職も,その
神権に権能を与えることはありません。どのような職によっても,その人の神権
の権能が増し加えられることはありません。むしろ,教会におけるすべての職
は,その力と徳と権能を神権から得ているのです。」
151
第 12 章
「…… 神権とは,人類の救いのためにあらゆることを行えるよう
地上の人間にゆだねられた神の力と権能です。」
わたしたちは神権の召しを尊び大いなるものとし,受けた職に付随する業を
行うように求められています。神権に関する啓示の中で主が言っておられると
おりです。「それゆえ,各人をそれぞれの職に就かせ,それぞれの召しにおい
て働かせなさい。…… 全体が完全に保たれる〔ため〕である。」
(教義と聖約
84:109 - 110 )
これは教会の神権プログラムにおいて,わたしたちが大きな目標とし努力し
ていることの一つです。すなわち,長老は長老の業を果たし,七十人は七十人
の業を,大祭司は大祭司の業を果たすなど,すべての神権者がそれぞれの召し
を尊び大いなるものとし,そのような人々に約束された豊かな祝福が得られるよ
8
うにすることです。
152
第 12 章
わたしたちは主イエス・キリストの使いです。その使命は主を代表すること
の
です。わたしたちは主の福音を宣べ伝え,救いの儀式を執行し,人類に祝福を
いや
与え,病人を癒 し,時には奇跡を行うこと,つまり主御自身がここにおられたら
なさるであろうことを行うよう指示されているのです。そしてこれはすべて,わ
たしたちが聖なる神権を持っているために課せられているのです。
主の代理人であるわたしたちは,個人的な思いやこの世的な誘惑にかかわり
み こころ
なく,主の御心を行うように主の律法によって義務を負っています。わたしたち
自身には,何の救いのメッセージも,受け入れられるべき教義も,バプテスマや
聖任や永遠の結婚を執行する力もありません。これらはすべて主から来るもの
であり,わたしたちがそれについて行うことは何であれ,移譲された権能の結
9
果にしかすぎないのです。
3
神権の誓詞と聖約に忠実なすべてのメルキゼデク神権者には
昇栄が約束されている
それでは,メルキゼデク神権を受けることに付随する誓詞について少し話さ
せてください。
誓詞によって誓うことは,人が口にする言葉として最も厳粛かつ拘束力のあ
る発話の形態です。そして,メシヤに関する預言の中でキリストと神権につい
て語られたとき,御父がお選びになったのがこの種類の言葉でした。主につい
て,このように預言されています。「主は誓いを立てて,み心を変えられること
はない,
『あなたはメルキゼデクの位にしたがってとこしえに祭司である。』」
(詩
編 110:4 )
パウロはメシヤに関する預言について説明したとき,イエスが「変わらない祭
つとめ
司の務」と,それを通して来る「朽ちることのないいのちの力」を持っておられ
たと語っています(へブル 7:24 ,16 参照)。ジョセフは「この神権に聖任され
る人々は皆,神の御子のようであって,いつまでも祭司なのである」と言ってい
ますが,もちろん,忠実であれば,ということです〔ジョセフ・スミス訳へブル
7:3 参照〕。
ですから,キリストは神権に関する偉大なひな型なのです。バプテスマやそ
のほかすべてのことについても同じです。それは,御子が神権を通してすべて
を受け継ぐことを御父が誓詞によって誓っておられるように,同じ神権にあずか
る召しを尊んで大いなるものとするわたしたちも皆,同じように御父が持ってお
られるすべてのものを受けることを御子が誓詞によって誓っておられるのです。
これがメルキゼデク神権を持つすべての男性に与えられる昇栄の約束です。
しかし,それは条件付きの約束,つまり,わたしたちが自らの神権の召しを尊び
153
第 12 章
大いなるものとし,神の口から出る一つ一つの言葉に従って生きることを条件と
した約束です。
火を見るよりも明らかなことは,聖なる神権を持ち,キリストに仕える者とな
る特権を受け入れて責任を負うときに与えられた約束ほど栄光に満ちた約束は
かつてなく,これからもあり得ないということです。
アロン神権は備えの神権であり,わたしたちが聖約によって,このより高位の
10
神権に付随する誓詞を受ける資格を与えてくれるものです。
4
主の祝福は,主の聖なる神権を持つ人々の働きを通して,
すべての人々に授けられる
わたしたち一人一人にとって,生活の中で神の王国に関する事柄を最優先す
ること,すなわち,戒めを守り,神権の召しを尊んで大いなるものとし,主の宮
に行って御父の王国の満ち満ちる祝福を受けることなど , これより大切なこと
11
は世界中を探してもありません。
しもべ
主の祝福は,主の聖なる神権を持ち,主を代表する人々,つまり主の僕であり
代表者であって,進んで主に仕え,その戒めを守る人々の働きを通して,聖徒た
12
ちにも世の人々にももたらされます。
主を代表するよう召され,主の権能を持つすべての人が,自分が何者かを忘
れず,それにふさわしく行動するよう祈ります。
……わたしは生涯を通して神権の召しを尊び大いなるものとするよう努力し
てきました。そして,この世の生涯の最後まで堪え忍び,来世において忠実な
13
聖徒たちと親しく交わることができるよう願っています。
老いも若きも,神権の召しを尊んで大いなるものとしている人々を祝福しま
み たま
す。そして,この世にある間,彼らに主の御 霊 の祝福が豊かに注がれ,来世に
おいて永遠の宝が得られるという確信を与えてくださるように主にお願いした
いと思います。……
主はわたしたち一人一人に完全な神権をお授けになりました。そして,わたし
たちがこの神権を受けて,その召しを尊んで大いなるものとするなら,主の王
国で主とともに永遠の受け継ぎを受けると約束しておられます。このことを知っ
14
ているとは,何と光栄なことでしょうか。
154
第 12 章
研究とレッスンのための提案
質問
•スミス大管長は,神権を通して「主は,御自身の息子が手にすることのでき
たま もの
る霊の賜 物 と祝福をすべて , 娘たちにも用意しておられ〔る〕」と教えました
(「ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯から」)。この言葉について深く
考えるとき,あなたはどんなことを思いますか。
•スミス大管長は,神権者が自らの聖約と主の約束を理解すると,永遠の命を
得られるように努力するためのより大きな動機づけになると言いました(第 1
項参照)。これはどのようにすべての教会員に当てはまるでしょうか。
•召しを尊んで大いなるものとすることについてのスミス大管長の説明(第 2
項参照)と,
「拡大する」という言葉(訳注:英語ではどちらも magnify)の
ほかの用法には,どのような違いがあるでしょうか。あなたはこれまで,召し
を尊んで大いなるものとした教会員の奉仕を通して,どのような祝福を受け
てきたでしょうか。
•スミス大管長は「キリストは神権に関する偉大なひな型なのです」と教えま
した(第 3 項)。わたしたちはイエス・キリストの模範に従って人に奉仕する
ために何ができるでしょうか。
•第 4 項にある,神殿で受けることのできる祝福に関するスミス大管長の言葉
を読み返してください。子供が神殿での神権の祝福に備えられるように,親
はどのように助けることができるでしょうか。
関連聖句
へブル 5:4; アルマ 13:1 - 2 ,6; 教義と聖約 20:38 - 60;84:19 - 22;
107:99 - 100;信仰箇条 1:5
教える際のヒント
きょう
「熟練した教師は『今日のレッスンで,わたしは何をしようか』ではなく,
『今
日のレッスンで,生徒は何をするだろうか』と,
『今日は何を教えようか』ではな
く,
『生徒が知らなければならないことを,彼らが気づけるように,どう助けられ
るだろうか』と考えます。」バージニア・H・ピアス,
「教室 ― 着実に絶えず成
長する力を与える場所」
『聖徒の道』1997 年 1 月号,12;『教師,その大いな
る召し』
〔 1999 年〕,61 も参照)
注
Relief Society Magazine , 1950 年 10 月 号,
661
1. Conference Report ,1951 年 4 月,152
2. Conference Report ,1951 年 4 月,152;Conference Report ,1970 年 10 月,92 参照
3.“ President George F. Richards: A Tribute, ”
4. フ ラ ン シ ス・M・ ギ ボ ン ズ,Joseph Fielding
S m it h : G o s p e l S c h o l a r, P r o phet o f G o d
155
第 12 章
( 1992 年)
,352
年 12 月号,341 参照
5. Conference Report ,1970 年 4 月,59
10. Conference Report ,1970 年 10 月,92
6. Conference Report ,1970 年 10 月,90 - 91
11. Conference Report ,1970 年 4 月,59
7. Conference Report ,1970 年 4 月,59
12.「神権の祝福」
『聖徒の道』1972 年 9 月号,386
参照
8. Conference Report ,1970 年 10 月,91 - 92;
ジ ョ セ フ・F・ ス ミ ス,Conference Report ,
1903 年 10 月,87 も参照
9.「神権者としての我々の義務」
『聖徒の道』1971
13. Conference Report ,1970 年 10 月,92
14. Conference Report ,1970 年 4 月,58
156
第 1 3
章
バプテスマ
「バプテスマは……,文字どおり一つの命からほかの命に,
言い換えれば,罪の生活から霊的な生活に移ること,
よみがえることである。」
ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯から
ジョセフ・フィールディング・スミスは 1951 年 4 月の総大会で,67 年前に 8
歳でバプテスマを受けたときのことを話した。バプテスマの日に,自分は「主の
前に汚れもなく清くなった」と感じたそうである。しかし,その状態を維持す
るためには生涯努力しなければならないことを知った。そのときのことをこう
語っている。「姉たちは皆とても優しかったのですが,その優しい姉の一人が
世の汚れに染まらずに自らを清く保つ必要があることを教えてくれ,それが心
に強い印象を残しました。バプテスマを受けた日に姉が教えてくれたことを,わ
1
たしは生涯忘れることがありませんでした。」
スミス大管長はその姉の教えを忠実に守り,バプテスマのときに交わした聖
約を守るよう教会員に教えた。つまり,バプテスマのときに受けた「霊的な命の
2
中に」とどまっているようにと教えたのである。 次のように言っている。
「教会員に与えることのできる勧告のうち,バプテスマを受けたら戒めを守る
ようにという勧告ほど大切なものはありません。主は,悔い改めて主の律法に
3
忠実に従うという条件の下で救いを与えると言っておられるのです。」
ジョセフ・フィールディング・スミスの教え
1
水に沈めるバプテスマは,誕生と死,復活のひながたである
福音の第一原則の 3 番目であり,最初に受ける福音の儀式であるバプテスマ
は,神の王国における救いと昇栄に不可欠です。バプテスマは第 1 に,悔い改
ゆる
めた人が赦 しを受けるための手段であり,第 2 に,神の王国への入り口です。
主がニコデモとの会話の中でそう教えられたことがヨハネ 3:1 - 11 に書かれ
ています。
157
第 13 章
ウクライナ,キエフ近くのドニエプル川でバプテスマを受ける男性の絵
158
第 13 章
……バプテスマの様式は,水に沈める浸礼です。……バプテスマは次に挙げ
る理由から,全身を水に沈める浸礼以外の方法では,バプテスマとして成立し
ないのです。
( 1 )バプテスマの様式は,イエス・キリストの死,埋葬,復活およびそのほか
すでに復活したすべての人の復活のひながたである。
( 2 )バプテスマは誕生でもあって,子供がこの世に生まれてくる姿に似せて
執行される。
( 3 )バプテスマは復活の象徴であるばかりでなく,文字どおり一つの命から
ほかの命に,言い換えれば,罪の生活から霊的な生活に移ること,よみがえる
ことである。
第 2 の理由を採り上げてみましょう。バプテスマは誕生でもあって,子供が
この世に生まれてくる姿に似せて執行されます。…… モーセ 6:58 - 60 には
次のように記されています。
「さて,わたしはあなたに戒めを与える。あなたの子供たちに次のことを率直
に教えなさい。すなわち,
背きによって堕落が生じ,その堕落が死をもたらす。あなたがたは水と血と,
わたしが造った霊とによってこの世に生まれ,ちりから生けるものとなったの
み たま
で,まことにあなたがたは,水と御 霊 によって再び天の王国に生まれ,血によっ
て,すなわちわたしの独り子の血によって清くされなければならない。それは,
きよ
あなたがたがすべての罪から聖 められ,この世において永遠の命の言葉を享
受し,来るべき世において永遠の命,すなわち不死不滅の栄光を享受するため
である。
それは,あなたがたが水によって戒めを守り,御霊によって義とされ,血に
よって聖められるからである。」
……この世に生まれてくる子供はすべて水の中に宿り,水と血と霊によって
生まれます。神の王国に生まれるときも同じようにして生まれなければなりませ
ん。キリストの血が流されたことによってわたしたちは洗われ,清められます。
また神の御霊によって義とされます。バプテスマは聖霊によるバプテスマなし
には完全ではありません。これでこの世に生まれてくる誕生と神の王国に生ま
れる誕生の類似点が分かるでしょう。……
3 つ目の理由を採り上げましょう。バプテスマは復活の象徴であるばかりで
なく,文字どおり一つの命からほかの命に,言い換えれば,罪の生活から霊的
な生活に移ること,よみがえることです。
……すべての男女が悔い改めを必要としています。…… 彼らは霊的に死ん
でいる状態です。どのようにして戻るのでしょうか。水の中に葬られて戻るの
159
第 13 章
です。彼らは死んでいるので水に葬られ,霊の復活によって生き返り,再び霊
4
的な命に戻るのです。これがバプテスマです。
2
責任を負う年齢に達していない幼い子供たちはバプテスマを受ける
しょくざい
あがな
必要がない。イエス・キリストの贖罪によって贖われているからである
責任を負う年齢に達しておらず,そのため罪を犯すことができない幼い子供
たちは,…… キリストの血によって贖われています。幼い子供にバプテスマが
あわ
必要だと主張することは,神をあざけり,神の正義と憐 れみを否定する行為で
5
す。〔モロナイ 8:20 - 23 参照〕
教義と聖約第 29 章で,主は次のように言っておられます。( 46 - 47 節)
「しかし見よ,わたしはあなたがたに言う。幼い子供たちは,わたしの独り子
によって世の初めから贖われている。
それゆえ,彼らは罪を犯さない。彼らがわたしの前に責任を負うようになる
まで,サタンには幼い子供たちを誘惑する力が与えられないからである。」
さて,
「幼い子供たちは,世の初めから贖われている」とはすばらしい教えで
す。主はどういう意味でこう言われたのでしょうか。それは,この地球の基が
置かれる前にこの贖いの計画,すなわち今この現世でわたしたちが従うべき救
いの計画がすべて整えられたという意味なのです。そして初めから終わりを御
存じの神は,イエス・キリストの贖罪によって幼い子供たちを贖う準備をされま
した。
……小さな赤ん坊の顔をのぞき込み,赤ん坊があなたを見上げてほほえむと
き,あなたはその幼子が何らかの罪に汚れていて,そのために,もし死ねば神
の前に行けないなどと信じることができるでしょうか。
わたしがイングランドで伝道していたとき,あるアメリカ人の家族がいました。
……〔ご主人は〕長老たちが街頭で説教しているのを聞き,同郷だったので家
に呼びました。ご主人は福音に興味があったわけではなく,自分と同じアメリ
カ合衆国の出身だということで,長老たちに興味を持ったのです。わたしはた
またまその地域で働いていました。わたしはきっかけとなった説教をした宣教
師ではありませんが,その後呼ばれて家に行きました。……
わたしたちは彼の家に行っては,野球やフットボールなどの話をし,アメリカ
合衆国とイギリスの物事を比較していたと思います。彼はそういうことに興味
がありました。わたしたちはそんなふうにしていて,最初,宗教については何も
話しませんでした。何回か足を運ぶうちに,彼はわたしたちに非常に好感を持
つようになりました。宗教を押しつけなかったからです。しかし,しばらくする
160
第 13 章
と,予想どおり彼らは質問をしてくるようになりました。そしてある日の夕方,彼
らの家で座ってくつろいでいると,奥さんがわたしの方を見てこう言ったのです。
「スミス長老,質問したいことがあります。」しかし彼女は泣き出してしまい,ま
ともに質問できませんでした。どうして泣くのか,わたしには見当もつきません
でした。彼女はむせび泣いていましたが,落ち着きを取り戻して質問ができる
ようになると,次のような話をしたのです。
彼らはイングランドに移って程なく,幼いわが子を失うという不幸に見舞われ
ていました。…… 彼らは〔当時通っていた〕教会の牧師のところへ行き,キリ
スト教式の埋葬を願い出ました。……ところがその牧師はこう言ったのです。
「洗礼を受けていないので,その子にはキリスト教式の埋葬をすることはできま
せん。あなたのお子さんは失われました。」思いやりのない言葉ですが,そんな
言い方をされたと,この女性は言っていました。彼女は 2 ,3 年もの間,そのこ
とで胸を痛めていたのでした。そこで,わたしにこう尋ねたのです。「あの子
は失われたのですか。二度と会えないのでしょうか。」わたしはモルモン書の
中から,モルモンが息子モロナイに語った言葉を読んで聞かせ〔モロナイ 8 章
参照〕,こう言いました。「あなたの赤ちゃんは失われてはいません。幼子はだ
れも失われません。幼い子供は死ぬと,すべて神の王国に救われます。」
……「わたしはまた,責任を負う年齢に達する前に死ぬ子供たちが皆,天の
日の栄えの王国に救われるのを見た。」
〔教義と聖約 137:10〕これはカートラ
ンド神殿で受けた啓示すなわち示現の中で,主がジョセフ・スミスに言われた
言葉です。すばらしいことではないでしょうか。そのとおりではないでしょう
か。これが正しいのではないでしょうか。……〔幼子は〕原罪の責任を問われ
ることがありません。どのような罪に対しても,責められるところがありません。
神の憐れみが及び,幼子は贖われているのです。
しかし皆さんやわたしについてはどうでしょうか。わたしたちには理解力が
あります。「知識のある者に,わたしは悔い改めを命じなかったであろうか」と
主は言われました〔教義と聖約 29:49〕。わたしたちは悔い改めるように命じ
られています。バプテスマを受けるように命じられています。バプテスマの水で
罪を洗い流すよう命じられているのです。それは,わたしたちは理解する能力
があるうえに,一人残らず罪を犯しているからです。しかし,わたしも皆さんも,
アダムがしたことのためにバプテスマを受けたわけではありません。自分自身
が犯した悪を清めていただくため,自分が神の王国に入るために,わたしはバ
プテスマを受けたのです。皆さんもそうです。
……主は,律法が与えられなかった人のために道を備えられました。幼い子
供には悔い改めの律法は適用されません。どうやって幼い子供に悔い改めを
教えることができるのでしょうか。子供には悔い改めることが何もありません。
161
第 13 章
主は御自身の判断によって,責任を取ることができる年齢を 8 歳と定められ
ました。 8 歳になるとバプテスマを受けるに十分な理解力を持つようになると
考えられています。その年齢に満たないにに子供のことは,主が面倒を見られ
6
ます。
3
バプテスマを受けて教会に入った人は皆,主と聖約を交わしている
だれでも,バプテスマの水に入るときに自分の身に聖約を引き受けます。
「さらにまた,バプテスマの様式に関して教会に与えられた戒めは,次のとお
りである。すなわち,神の前にへりくだって,バプテスマを受けたいと願い,打
ち砕かれた心と悔いる霊をもって進み出て,自分のすべての罪を心から悔い改
めたことと,最後までイエス・キリストに仕える決心をして進んでイエス・キリス
ゆる
トの名を受けることとを教会員の前に証明し,また自分の罪の赦 しを得るよう
み たま
にキリストの御 霊 を受けたことをその行いによってまことに明らかにする人は
皆,バプテスマによってキリストの教会に受け入れられる。」
(教義と聖約 20:
7
37 )
教義と聖約の第 59 章を読みます。
「それゆえ,わたしは彼らに戒めを与えて,このように言う。あなたは心を尽
くし,勢力と思いと力を尽くして,主なるあなたの神を愛さなければならない。
また,イエス・ キリストの名によって,神に仕えなければならない。
あなたは自分自身を愛するように隣人を愛さなければならない。あなたは盗
かん いん
んではならない。姦 淫 をしてはならない。殺してはならない。これに類するこ
とをしてはならない。
あなたはすべてのことについて,主なるあなたの神に感謝しなければならな
い。」
〔教義と聖約 59:5 - 7〕
バプテスマを受けてこの教会に入った人は皆,主の戒めを守るという聖約を
主と交わしています。そして,わたしたちが生きているこの神権時代にあっても
繰り返し与えられているこの戒めの中で,わたしたちは心を尽くし,勢力と思い
み
な
と,持てる力を尽くして,しかも,主の御名によって主に仕えるようにと言われて
います。わたしたちの行うことはすべて,イエス・キリストの御名によって行わ
なければなりません。
水に沈めるバプテスマを受けることによって,わたしたちは次のような戒めを
守ると聖約しました。まず,主に仕えると聖約しました。すなわち,あらゆる戒
めの中で第一の最も重要なこの戒めを守って,主なる神を愛すると聖約したの
です。続いて次に重要な戒めを守って,隣人を自分と同じように愛すると聖約
162
第 13 章
「バプテスマを受けて教会に入った人は皆,
主の戒めを守るという聖約を主と交わしています。」
しました。また,持てる勢力を尽くし,力を尽くし,心を尽くして,
「神の口から
出る一つ一つの言葉に従って生き」ることを主に証明すると聖約しました〔教
けん そん
義と聖約 84:44 〕。さらに従順,謙 遜であって熱心に主の業を行い,自分を管
理する人の助言に喜んで聞き従い,神の栄光にひたすら目を向けてあらゆるこ
とを行うと聖約したのです。
163
第 13 章
これらのことを忘れてはいけません。この戒めを守ることは,わたしたちが
8
教会員として行うべき義務だからです。
4
福音の完全な祝福を得るには,バプテスマを受けてからも引き続き
けんそん
謙遜であり,罪を悔い改め,従順でなければなりません
この真実の教会の大きな目的の一つは,福音の完全な祝福を得るために,人
9
はバプテスマを受けてから何をしなければならないかを教えることにあります。
ほんとうの意味でバプテスマを受けた者は皆,謙遜になっており,打ち砕か
れた心と悔いる霊を持っています。このような人は戒めを守ると神の前で聖約
し,すべての罪を捨て去っています。だからといって,教会員になったら罪を犯
してもよいという特典でもあるのでしょうか。油断してもよいのでしょうか。避
けなさいと主が言われたことにうつつを抜かしてもよいのでしょうか。いいえ,
いけません。バプテスマを受ける前と同じように,受けた後も,打ち砕かれた心
10
と悔いる霊を持つ必要があるのです。
若い教会員とさほど若くない教会員がバプテスマについて話しているのを聞
ゆる
いたことがあります。バプテスマは罪の赦 しのために受けるものなのに,罪を
犯す度にバプテスマを受ける必要がないのはなぜだろうかと言っていました。
あなたはその理由が分かるでしょうか。人は罪を犯しても霊的な命の中にとど
まっているかぎり,依然として生きています。つまり,悔い改めて赦しを得るこ
とができるのです。すでにいる場所に戻るのにバプテスマを受ける必要はあり
11
ません。
末日聖徒の中に,星の栄えに住むことを目指している人がいるでしょうか。
末日聖徒の中に,月の栄えに住むことを目指している人がいるでしょうか。これ
らの王国に望みを抱くべきではありません。バプテスマを受けて教会に入った
人は,日の栄えの王国に入れないような生き方をしようなどと考えるべきではあ
りませんし,そのような考えを持ってはなりません。なぜなら,バプテスマその
ものが,日の栄えの王国に入る道だからです。バプテスマには二つの目的があ
ります。それはまず,罪の赦しであり,次に,神の王国に入ることです。星の栄
えの王国でも,月の栄えの王国でもなく,神が住まわれる日の栄えの王国に入る
あんしゅ
ことです。これがバプテスマの目的です。これこそが,按手によって与えられる
たま もの
聖霊の賜 物 の目的です。つまり,わたしたちがバプテスマと聖霊の賜物を受け
るのは,従順を通して成長し続け,主の戒めを守り,ついに,日の栄えの王国で
12
すべてを受けるためなのです。
164
第 13 章
研究とレッスンのための提案
質問
•「ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯から」にあるスミス大管長の思い
出を読み,自分がバプテスマを受けたときのことを考えてみましょう。そのと
きから見て,バプテスマに対するあなたの理解はどう深まりましたか。バプテ
スマを受ける準備をしている家族や友人を,わたしたちはどのように助けるこ
とができるでしょうか。
•第 1 項のスミス大管長の教えから,バプテスマについてどのようなことが分
かりますか。スミス大管長の教えを読んでバプテスマが何を象徴するのかが
分かると,バプテスマの聖約のどんなところが理解できるようになるでしょう
か。
•第 2 項に書かれていることから,天の御父が御自分の子供たちを愛しておら
れることについて何が分かるでしょうか。知っている人の中に,ここで教えて
いる教義を知ったら慰めを感じる人がいないか考えてみてください。
•バプテスマの聖約を守るために自分はどのような努力をしているか,考えてみ
てください(第 3 項参照)。この聖約は,家族などに対するあなたの態度に
どのような影響を与えているでしょうか。
•第 4 項の最初に出てくるスミス大管長の言葉について考えてください。バプ
テスマを受けた後,人はどういうことを教えられる必要があると思いますか。
わたしたちはバプテスマの聖約を守れるよう,どのように助け合うことができ
るでしょうか。
関連聖句
マタイ 3:13 - 17;2 ニーファイ 31:5 - 13;モーサヤ 18:8 - 13;3 ニー
ファイ 11:31 - 39;教義と聖約 68:25 - 27;信仰箇条 1:4
教える際のヒント
「誠実なあらゆる意見に対してあなたが肯定的に対応するならば,生徒が話
し合いに参加する自分の能力について自信を持つように助けることになる。例
えば,次のように言うとよい。『答えてくださったことを感謝しています。とても
きょう
深く考えられた意見です。』……『良い例ですね。』
『今日皆さんがお話ししてく
ださったすべてのことに感謝しています。』」
(『教師,その大いなる召し』」64 )
注
3 巻( 1954 - 1956 年)
第 2 巻,326 も参照
1. Conference Report ,1951 年 4 月 , 57 - 58
2.“ Repentance and Baptism, ”Deseret News ,
1935 年 3 月 30 日付,Church 欄,8;ブルース・
R・マッコンキー編 Doctrines of Salvation , 全
3. Conference Report ,1970 年 10 月,7
4.“ Repentance and Baptism, ”6 ,8;Doctrines
of Salvation , 第 2 巻,323 - 326 も参照
165
第 13 章
5.“ Testimony of Elder Joseph F. Smith Jr., ”
Liahona: The Elder’s Journal, 1915 年 3 月
30 日付,629
6.“ Redemption of Little Children, ”Deseret
News , 1939 年 4 月 29 日付,Church 欄,7
Doctrines of Salvation , 第 2 巻,328 も参照
9.“ The Plan of Salvation, ”Ensign, 1971 年 11
月号,5
10. Conference Report ,195 0 年 10 月 号,12;
Doctrines of Salvation , 第 2 巻,329 も参照
7.“ S eek Ye Ea r nest ly t he B est Gi f ts , ”Ensign , 1972 年 6 月号,2
8. C o n f e r e n c e R e p o r t ,1 9 4 0 年 4 月,9 5;
11.“ Repentance and Baptism, ”8;Doctrines of
Salvation , 第 2 巻,326 も参照
12. Conference Report ,1922 年 4 月,60 - 61
166
第 1 4
章
たまもの
聖霊の賜物
はんりょ
「バプテスマと確認を受けると,聖霊を伴侶とすることがで
きるようになります。聖霊は主の道を教えてくださり,精神
を活気づけ,真理を理解できるよう助けてくださいます。」
ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯から
ジョセフ・フィールディング・スミス大管長は,忠実な教会員は皆,「個人を導
1
くために必要となる適切な啓示を受ける権利を持つ」と教えている 。スミス
大管長は,こうした個人的な導きを常に求めていた。息子,娘を教え,守ること
については特にそうだった。大管長会の書記を務めたフランシス・M・ギボン
ズ長老は,以下のエピソードを語っている。彼がスミス大管長の息子レイノルド
(愛称「レイン」)から聞いた話である。
「レインは生涯で一度だけ,それもほんのわずかな時間,たばこを口にしたこ
とがあると打ち明けてくれました。ソルトレーク・シティにあるルーズベルト中
学校の生徒だったころのことです。〔その学校の〕玄関は,車がめったに通ら
ない静かなわき道に面していました。その日,学校の玄関をちょうど出たところ
で,レインは一緒に歩いていた友達から『 1 本だけ吸ってみないか』と誘われ
ました。しょっちゅうたばこを勧めてくる,喫煙習慣のある友達です。レインは
このときは断り切れませんでした。たばこを 1 本手に取ると,それに火をつけ
たのです。 2 ,3 度ふかすと,1台の車が歩道のところまで来て止まりました。
乗っていたのは,ほかでもない,レインの父親でした。スミス長老は車の窓を
開け,驚いている息子に向かって『レイノルド,今晩夕食後に話がある』と言う
と,さっと行ってしまいました。レインによると,
『父がわたしを「レイノルド」と
呼ぶときは,ただ事ではない』のだそうです。スミス長老の言葉を聞いて,レイ
ンは日が暮れるまで罪の意識にさいなまれ,夕食時には驚くほど寡黙でした。
食後,気まずい思いで父親の書斎に座りました。…… 判決が下されるのです。
しかしレイノルドは,
『あの汚れた習慣』の悪について優しく愛情のこもった説
教を受け,自分が何者なのか,自分の行動が家族全体にどんな影響を与えるの
か忘れないようにと言われただけでした。最後に,もう二度とたばこを口にし
ないと約束するように言われ,レインは二度としないことを誓いました。『たば
こには二度と触れませんでした 』とレインは言っています。その後ずっと,第二
167
第 14 章
「そして,パウロが彼らの上に手をおくと,聖霊が彼らにくだ〔った。〕」
(使徒 19:6 )
168
第 14 章
次世界大戦中に,喫煙が常態化していたアメリカ合衆国海軍にいた時期も含め
て,彼は父親との約束を固く守ったのです。」
このエピソードについてギボンズ長老は次のように述べている。「若い息子
がたった 1 度だけたばこに火をつけているとき,人通りの少ないその通りに
ジョセフ・フィールディング・スミスが現れる確率は桁はずれに小さいはずで
す。レインは口にこそ出しませんでしたが,この出来事から,特に家族の幸せに
関することについては父親が並外れて強い霊的感受性を持っていることを確信
2
したようでした。それは,レインのしぐさや話し方から分かりました。」
ジョセフ・フィールディング・スミスの教え
1
あかし
聖霊の使命は,御父と御子を証し,すべての真理を証することである
聖霊は神会の中で第三の位置を占める存在であって,人の形をした霊であら
れます。御父と御子は肉の幕屋に住む御方であって,骨肉の体を持っておられ
ます。しかし聖霊は霊の存在であって,霊体のみです〔教義と聖約 130:22 参
照〕。聖霊の使命は,御父と御子について証し,あらゆる真理について証する
ことです〔 2 ニーファイ 31:18;モロナイ 10:5 参照〕。
3
聖霊は御父と御子の持っておられるものを共有し,主に忠実に仕える者にそ
れを明らかにされます。使徒たちがイエス・キリストの教えを思い出したのは,
慰め主,すなわち聖霊の教えを通してでした〔ヨハネ 14:26 参照〕。預言をす
る人は,聖霊の教えに従って預言するのです〔 2 ペテロ 1:21 参照〕。
4
み たま
人の霊に語りかける神の御 霊 は,天界の存在者と接して真理が与えられる
場合より,はるかに効果的に分かりやすく真理を伝える力を持っておられます。
聖霊によって真理は体の骨髄にしみ込み,忘れ去ることができないものとなる
5
のです。
2
聖霊はあらゆる正直な人に真理を示される
わたしたちは,聖霊が啓示者であって,イエス・キリストが神の御子であり,
ジョセフ・スミスが預言者であり,この教会が「全地の面に〔ある〕唯一まこと
あかし
の生ける教会」
(教義と聖約 1:30 参照)であることを,あらゆる正直な人に証
したもうことを信じています。
だれも,闇にとどまっている必要はありません。永遠の福音の光がここにあ
ります。心から尋ね求める者は皆,主の業がまことであり神の業であるという
証を聖霊から受けるのです。
169
第 14 章
ペテロはこのように述べています。「…… 神は人をかたよりみないかたで,神
を敬い義を行う者はどの国民でも受け入れて下さる。」
(使徒 10:34 - 35 )す
み たま
なわち,主は忠実な者にその御 霊 を注いで,この宗教が真実なものであること
6
をお知らせになるということです。
聖霊は,コルネリオに御自身を現されたように,真理を求める人にはだれにで
も御自身を現されます〔使徒 10 章参照〕。モロナイは,モルモン書の記録を閉
じるに当たって,第 10 章 4 節で次のように言っています。
「また,この記録を受けるとき,これが真実かどうかキリストの名によって永
遠の父なる神に問うように,あなたがたに勧めたい。もしキリストを信じなが
ら,誠心誠意問うならば,神はこれが真実であることを,聖霊の力によってあな
たがたに明らかにしてくださる。」
光と真理を真心から求めている人は,たとえ教会員でなくても,皆聖霊の示
しを受けることができます。聖霊は来て,その人が求めている証を与えると,
7
戻って行かれます。
3
たまもの
あんしゅ
バプテスマの後,聖霊の賜物が按手によって授けられる
ゆる
初期のイエス・キリストの教会の時代に,人々は悔い改めて罪の赦 しを受け
るためにバプテスマを受け,忠実であるならば,按手によって聖霊の賜物を受
ける,という約束を受けました。この約束は今の時代に福音を受け入れるすべ
ての人にも適用されます。なぜなら主は次のように言われたからです。
「また,あなたがたは信仰を持っている人々を,わたしの教会で按手によって
確認しなければならない。そうすれば,わたしは彼らに聖霊の賜物を授けよ
8
う。」
〔教義と聖約 110:15〕
じゅうぶん
聖霊の賜物は,祈り求めても得られませんし,什 分 の一を納めても,知恵の
言葉を守っても得られません。それどころか,罪の赦しのために水に沈めるバ
プテスマを受けても得られないのです。このバプテスマを完全なものにするた
み たま
めには,御 霊 によるバプテスマを受けなければなりません。預言者ジョセフ・
スミスはかつて,人を按手によって確認し聖霊の賜物を与えなければ,それは
砂袋にバプテスマを施すのと何ら変わらないと言いました。このほかの方法で
9
聖霊の賜物を得ることはできないのです。
按手によって聖霊の賜物が授けられるという教義をわたしは信じています。
これによってわたしたちは天の御父と親しく交わり,御父の道を学んで,御父の
10
道を歩めるようになるのです。
170
第 14 章
4
たまもの
はんりょ
聖霊の賜物によって,教会員は聖霊を常に伴侶とすることができる
聖霊は,救い主が十字架にかけられた後に遣わすと,弟子たちに約束された
使者であり,慰め主であられます。この慰め主はその影響力によって,常にバプ
テスマを受けたすべての人の伴侶となられます。そして,啓示と導きによって教
会員を教え導き,光の中を歩めるよう真理の知識をお授けになります。真にバ
プテスマを受けた会員の心を照らされるのは聖霊です。聖霊を通して個人の啓
11
示が与えられ,真理の光がわたしたちの心に根を下ろすのです。
わたしたちはバプテスマを受けた後に確認の儀式を受けます。この確認の
儀式は何のために受けるのでしょうか。聖霊を伴侶とするためです。つまりこ
の神会の第三の御方の導きを受ける特権をわたしたちに与えるためなのです。
み たま
聖霊を伴侶にするとわたしたちの思いは照らされ,聖なる御 霊 に啓発されて昇
12
栄にかかわる一切の事柄を知り,理解しようと努めるようになります。
わたしたちはバプテスマと確認を受けた後,聖霊の導きをいつでも得られる
状態に入ります。聖霊はわたしたちに主の道を教え,心を啓発し,真理を理解
13
できるよう助けてくださいます。
バプテスマを受けるとき,わたしたちは忠実であれば聖霊の導きを受けると
約束されます。何のためでしょうか。わたしたちを教え,導き,イエス・キリスト
あかし
の福音の救いの原則が真実であることを証するためです。バプテスマを受けら
れる年齢に達してバプテスマを受けた子供は皆,聖霊の導きを受ける特権にあ
ずかります。 8 歳の子供では,幼くて理解できないだろうと人が言うのを聞い
たことがありますが,わたしはそうは思いません。わたしは 8 歳のときに,この
真理に対して聖霊から来る証を持っていました。わたしはそれ以来,ずっとそ
14
の証を持っています。
聖霊の導きを常に受け,神の王国の奥義を明らかにしていただけるとは,何
15
とすばらしい特権でしょうか。
5
はんりょ
聖霊を伴侶にできるのは,聖霊を受ける備えのできた人のみである
ゆる
わたしの判断では,教会員の中にも,罪の赦 しのためのバプテスマを受け,
あん しゅ
たま もの
按 手 によって聖霊の賜 物 を受けていながら,その賜物,つまりこれらの現れを
一度も受けたことのない人がたくさんいます。なぜでしょうか。それは,このよ
うな現れを受けられるよう自分を備えたことがないからです。へりくだったこと
もなければ,聖霊を伴侶とするために段階を踏んで準備をしたこともありませ
ん。したがって,このような会員はその知識がないまま生活しており,聖霊につ
171
第 14 章
こう かつ
いて理解していません。狡 猾 で抜け目のない人が欺こうとしてやって来て教会
幹部や教会の教義を批判すると,このような弱い会員は,間違った教義や教え
み たま
に抵抗することができません。理解も情報も不十分で,主の御 霊 の導きも十分
に受けていないからです。批判に耳を傾け,自分が間違っていたのかもしれな
いと考えるようになります。その結果,まず教会に来なくなるのです。これは,
16
彼らがよく理解していないためです。
熱心に活動し,啓示されたままの福音の基本的な真理を研究することは,主
が教会員に与えられた戒めです。主の御霊は,神聖な真理の光の中で生活して
いない無関心な人や不従順な人,反抗的な人のもとにとどまり続けることはあ
あかし
りません。回復された福音の証を常に持つことができるのはバプテスマを受け
たすべての人の特権ですが,この証は,研究と従順とによって,また,真理を知
り理解したいと熱心に求めることによって,絶えず霊に良いものを取り入れてい
17
ないかぎり,次第に弱くなり,ついには消えてしまうものなのです。
わたしたちには聖霊の導きを受ける権利があります。しかし,理解を助け,
永遠の福音の光と真理の中を歩めるよう導く啓示にあえて心を向けようとしな
ければ,わたしたちはこの導きを受けることができません。物質面でも霊的面
でも非常に重要なこれらの啓示を無視するなら,この導きを望むことはできな
いのです。さて,不信仰な状態に陥った場合や,手の届くところに主が置いて
くださっている光と知識を求めようとしない場合には,わたしたちは邪悪な霊
や悪霊の教義,人の教えに欺かれやすく,危険な状態に陥ります〔教義と聖約
46:7 参照〕。このような偽りの力を目の前にしても,それを見分け,それが主
から来るものでないことを見抜く力がありません。その結果,不信心な者,悪
18
意に満ちた者,狡猾な者,人々の悪巧みのえじきになってしまうのです。
主の御霊は,清くない宮には住まわれません。ですから,人が悪いことをし
て真理に背を向けると,御霊はとどまらずに退き,代わって,間違いに陥りやす
い傾向,不従順な傾向,悪を行う性向,永遠の滅びを招く性向が入り込むので
19
す。
6
忠実であれば,聖霊は生涯にわたってわたしたちを導き,
指示を与えるための啓示をくださる
けん そん
み たま
主は,謙 遜,勤勉な態度で悔い改めて忠実である人は皆,神の御 霊 の導きを
受ける特権にあずかると約束されました。この御霊は生涯にわたって彼らを導
20
き,彼らに指示を与えるでしょう。
たまもの
教会員は皆,頭に手を置かれて聖霊の賜物を受けています。個人を導くため
に必要となる適切な啓示を受ける権利を持っているのです。教会のためでは
172
第 14 章
「熱心に活動し,福音の基本的な真理を研究することは,
主が教会員に与えられた戒めです。」
なく,個人のために必要な啓示を受ける権利です。教会員には,従順と謙遜に
よって,真理の御霊が明らかにするとおりに光と真理を受ける権利があります。
そして,その御霊に聞き従い,謙遜に信仰をもって御霊の賜物を求める者は,
21
欺かれることがありません。
きよ
わたしたちは正しい理解をもって,光と真理のうちを聖い思いをもって歩まな
ければなりません。この正しい理解は,信じて悔い改め,永遠の命の言葉を受
け入れるすべての人に約束された聖霊の賜物と力によって与えられます。御霊
を受けることができれば,わたしたちは光の中を歩み,神と交わることができる
22
のです。
真理を知り,真理によって語り,聖霊から霊感を受けることは,全教会員に与
えられた特権です。光を受け,光の中を歩むことは,……わたしたち一人一人が
み むね
持つ特権なのです。そして,神の御 旨 の中にいれば,つまり,神のすべての戒
めを守っていれば,わたしたちはさらに光を受けます。そしてついには,真昼の
23
ように完全な知識を得ます。〔教義と聖約 50:24 参照〕
24
わたしたちは聖霊の導きを受けて,最終的には父なる神の前に帰るのです。
173
第 14 章
研究とレッスンのための提案
質問
•「ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯から」に出て来る話から,聖霊に
み たま
ついてどのようなことが分かりますか。あなたが御 霊 の促しに従って人を助
けたのはどんなときでしょうか。
•スミス大管長は「人の霊に語りかける神の御霊」
(第 1 項)と言っています。
霊に語りかけることは,聴覚や視覚を通して伝える場合とどのような点が異
なりますか。霊に語りかける方が強烈な印象があるのはなぜでしょうか。
たま もの
•コルネリオのように御霊の現れを受けることと,聖霊の賜 物 を受けることと
は,どのような点で異なるでしょうか(第 2 項参照)。
•聖霊の賜物を授かるまでバプテスマは完全なものにはならないとスミス大管
長は教えています(第 3 項参照)。聖霊の賜物がなかったとしたら,あなた
の生活はどのような点で完全ではないのでしょうか。
はん りょ
•第 4 項に書かれている,聖霊を常に伴 侶 とすることに関するスミス大管長の
教えについてよく考えてください。聖霊を伴侶とすることによって,あなたは
これまでどのようにして祝福を受けてきたでしょうか。
•聖霊を常に伴侶とするためにできる備えには,どのようなものがあるでしょう
か(例えば,第 5 項を参照する)。
•聖霊からどのような導きを受けることができるか考えながら,第 6 項をもう一
度読んでください。子供がその導きに気づいてその導きを受けられるように
するために,親はどのように教えたらよいでしょうか。
関連聖句
ヨハネ 16:13;使 徒 19:1 - 6; 1 コリント 12:3;1 ニーファイ 10:17 -
19;2 ニーファイ 31:15 - 20;3 ニーファイ 19:9;教義と聖約 46:13;信仰
箇条 1:4
教える際のヒント
「あなたが質問した後,生徒が数秒間沈黙しても心配することはない。自分
で自分の質問に答えてはならない。答えを考える時間を生徒に与えなさい。し
かし,沈黙が長すぎる場合は,生徒が質問を理 解していないことを表してい
るので,質問を別の言葉で言い換える。」
(『教師,その大いなる召し』
〔 1999
年〕,69 )
注
S m it h : G o s p e l S c h o l a r, P r o phet o f G o d
( 1992 年)xiv - xv
1. Conference Report ,1940 年 4 月,96
2. フ ラ ン シ ス・M・ ギ ボ ン ズ,Joseph Fielding
174
第 14 章
3. 個 人 的 な 書 簡,ブル ース・R・マッコンキ ー 編
D o c t r i ne s o f S a lvat i o n , 全 3 巻( 19 5 4 -
1956 年)第 1 巻,38 で 引 用;原 文 に あった 斜
体は正体にした。
11. ジョセフ・フィールデング・スミス・ジュニア編
Answers to Gospel Questions , 全 5 巻( 1957
- 1966 )第 2 巻,149 - 150
Doctrines of Salvation , 第 1 巻,
4. 個人的な書簡,
38 で引用 .
5.“ The Sin against the Holy Ghost, ”Instructor, 1935 年 10 月号,431;Doctrines of Salvation , 第 1 巻 47 - 48 も参照
12.“ S eek Ye Ea rnest ly t he B est Gi f ts , ”Ensign, 1972 年 6 月号,2
13. 個人的な書簡,
Doctrines of Salvation , 第 1 巻,
42 で引用
14. Conference Report ,1959 年 10 月,19
15. Answers to Gospel Questions, 第 4 巻,90
6.「闇 より出 で て」
『聖 徒 の 道』1971 年 10 月 号,
279 参照
16.“ Seek Ye Earnestly the Best Gifts, ”3
7.“ Address by Elder Joseph Fielding Smith
b e f o r e S e m i n a r y Te a c h e r s , ”D e s e r e t
News ,1935 年 4 月 27 日 付,Church 欄,7;
Doctrines of Salvation , 第 1 巻,42 も参照
18. Conference Report ,1952 年 10 月,59 - 60;
Doctrines of Salvation , 第 1 巻,43 も参照
8.“ Avoid Needless Speculations , ”Improvement Era, 1933 年 12 月号,866;Doctrines of
Salvation , 第 1 巻 38 - 39 も参照
9.“ Address by Elder Joseph Fielding Smith
before Seminary Teachers, ”7;Doctrines of
Salvation , 第 1 巻,41;『歴 代 大 管長の教え―
ジョセフ・スミス 』95 も参照
10. Conference Report ,1915 年 4 月,118
17. Conference Report ,1963 年 10 月,22
19. Conference Report ,1962 年 4 月,45
20. Conference Report ,1931 年 4 月,68
21. Conference Report ,1940 年 4 月,96
22. C onference Report , 192 9 年 4 月 , 74;Doctrines of Salvation , 第 3 巻,290 も参照
23.“ W h a t a P r o p h et M e a n s t o L a t t e r - d ay
Saints, ”Relief Society Magazine, 1941 年 1
月号,7
24. Conference Report ,1955 年 4 月,51
175
「結婚とは,永遠に続くものとして定められた聖約であると末日聖徒は理解しています。」
176
第 1 5
章
永遠の結婚
「完全な神権と福音,およびこれらに伴う祝福は日の
栄えの結婚から始まります。日の栄えの結婚は福音
の最高の儀式であり,神殿の最高の儀式です。」
ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯から
18 歳のジョセフ・フィールディング・スミスは,ルーイ・エミリー・シャートリ
フという名の若い女性が,スミス家に下宿して大学に通うことになったと告げら
れていた。知っていたこととはいえ,ある日,彼が仕事を終えて帰宅したとき,
ルーイが彼の家のピアノで賛美歌を弾いているのを見て驚き,そして喜んだ。
1894 年の夏が終わろうとしていたその日から,ジョセフとルーイは親しくなり,
次第に友情を深め,やがて愛し合うようになった。そして,1898 年 4 月 26 日
1
にソルトレーク神殿で結び固めを受けた。
ルーイとジョセフは愛し合って結婚生活を楽しく過ごした。しかし,結婚し
てから間もなく,ジョセフはイギリスで 2 年間伝道するように召された。そのた
め,ルーイは夫を経済的に支援するために自身の父親のもとで働いた。また,
励ましの手紙を書いて,情緒的にも霊的にも彼を支えた。ジョセフが帰還した
後,二人は幸せな家庭を築き,二人の娘を家族に迎えた。しかし,結婚から 10
年後,ルーイは 3 人目の子供を妊娠中に重い病気にかかり,31 歳で亡くなっ
た。
ジョセフは,ルーイが「より良い世界」に旅 立ったことを確信し,慰めを得
た。「永遠の栄光の中で妻に会い,再び彼女と結ばれるにふさわしく」あり
2
たいという祈りを日記に記している。 しかし,福音に慰めと希望を見いだし
ていたとはいえ,ルーイを失った寂しさは大きかった。家に母親がいない娘
たちのことも心配だった。ルーイが亡くなって間もなく,ジョセフはエセル・
ジョージーナ・レイノルズに出会った。ルーイを愛する気持ちが薄れること
はなかったが,彼はエセルを愛するようになった。娘たちもエセルを慕ってい
た。ジョセフは,自分の両親とルーイの両親とエセルの両親の承諾を得て,エ
セルに求婚した。こうして二人は 1908 年 11 月 2 日に結び固めを受けた。二
人はさらに 9 人の子 供をもうけ,喜びにあふれながらも多 忙な生活を送っ
177
第 15 章
た。彼らの生活を特徴づけるとすれば,それは秩序,勤勉,敬意,清さ,愛情
3
を込めたしつけ,愛,健全な娯楽であった。
エセルは体力が衰えてくる衰弱性の疾患を 4 年患い,29 年間の結婚生活の
後に亡くなった。ジョセフは再び孤独となったが,夫婦が永遠であるという確
4
信に慰めを得ていた。 そして再び,人生をともに過ごすことのできる女性に出
会った。 1938 年 4 月 12 日にジョセフはジェシー・エバンズと結び固めを受け
た。「 33 年間に及んだ結婚生活で,ジェシーは遠近を問わずほとんどあらゆ
る地へ夫について行きました。そのような妻に対して,ジョセフも食料品店で
の買い物や夕食後の皿ふき,秋の果物の瓶詰など妻を手伝いました。彼はエ
5
プロンを着けた使徒であることに何の抵抗も感じませんでした。」 ジェシーは
夫についてしばしばこう語った。「わたしが知るかぎり,彼は最も思いやり深い
人です。夫から思いやりのない言葉を聞いたことは一度もありません。」すると
6
彼は,笑顔でこう答えた。「思いやりのない言葉というのを知らないのです。」
伝記作家のジョン・J・スチュワートは,ジェシーに対するスミス大管長の優
しさと思いやりについてこう書いている。「スミス大管長は説教壇から,妻に
対して愛と献身を示すよう夫たちに勧告しました。しかし,わたしが感動した
こう ばい
のは,1971 年 7 月のある暑い日にソルトレーク・シティー北側の急勾 配 の道を
9 ブロック上って末日聖徒病院を訪れ,病床にある妻ジェシーの傍らに座って
自分の 95 歳の誕生日を過ごしていた姿が教えるものでした。病状が悪化した
とき,スミス大管長は数週間,昼夜を問わず妻に付き添って懸命に看病し,最
7
後までできる限りの慰めと励ましを与えました。」
ジェシーは 1971 年 8 月 3 日に亡くなった。それから 2 か月後,スミス大管長
あかし
は総大会の冒頭で話をした。大管長の証 から,主に対する信頼と永遠の命へ
の希望で悲しみが和らげられたことがうかがえる。
「わたしは,いにしえのヨブとともに次のように述べたいと思います。ヨブの
知識はわたしの知識と同じ源から与えられたものです。わたしは知る,わたし
をあがなう者は生きておられる。後の日に彼は必ず地の上に立たれる。わた
しは肉にあって神を見るであろう。しかもわたしのこの目で見るであろう(ヨブ
19:25 - 27 参照)。……
また,ヨブの証にわたしの証を加えるに当たって,ヨブが苦しみと悲しみの
中で叫んだ感謝の言葉も共にしたいと思います。『主が与え,主が取られたの
だ。主のみ名はほむべきかな。』
(ヨブ 1:21 )
み たま
わたしたちが皆,聖なる御 霊 の力によって導かれ,主の前をまっすぐに歩み,
従順な者のために備えられている住まいと王国で永遠の命を受け継ぐことが
8
できるよう祈っています。」
178
第 15 章
スミス大管長が話を終えると,部会の司会を務めていたハロルド・B・リー管
長はこう述べた。「大管長がどのような状況でこの力強いメッセージを述べた
かをよく知っている全世界の教会員は皆,今朝ここで大管長が示してくれた力
と強さによって大いに心が高められていることでしょう。スミス大管長,心から
9
感謝を申し上げます。」
ジョセフ・フィールディング・スミスの教え
1
日の栄えの結婚はイエス・キリストの福音の最高の儀式である
イエス・キリストの福音にかかわる儀式で,結婚以上に重要で,厳粛かつ神
10
聖で,永遠の喜びを得るために必要なものはありません。
完全な神権と福音,およびこれらに伴う祝福は日の栄えの結婚から始まりま
11
す。日の栄えの結婚は福音の最高の儀式であり,神殿の最高の儀式です。
善良な兄弟姉妹,善良な教会員は神殿に行って,この世と永遠にわたる結婚
12
をするようお願いします。
2
世の習わしと異なり,結婚は福音の計画の下で永続する
結婚とは婚姻関係において一緒に生活するために男女が交わす単なる民事
上の契約あるいは同意であると考えている人が大勢います。実際,結婚は人類
の存在自体を左右する永遠の原則です。主は世の初めにこの律法を福音の律
法の一部として人にお与えになりました。そして,最初の結婚は永遠に続くも
のでした。主の律法によれば,すべての結婚は永続するべきものです。全人
み たま
類が福音に厳密に従い,主の御 霊 によって得る愛をもって生活するならば,す
べての結婚は永遠のものとなります。……
…… 結婚とは,永遠に続くものとして定められた聖約であると末日聖徒は理
解しています。それは永遠の昇栄の基盤です。なぜなら,結婚なしに神の王国
13
において永遠の進歩を遂げることはできないからです。
新聞,ラジオのニュース,テレビ番組からだれの目にも明らかなように,あま
りにも多くの人が,結婚と家族単位を主が意図しておられるようには考えていま
14
せん。
結婚は神聖な聖約です。ところが,多くの場合,粗野な人や不純な人,また自
分には品格があると考えていながらこの偉大な原則を尊ぼうとしない多くの人
が,結婚を下品な冗談や物笑いの種,一時の気まぐれの対象でしかないと考え
15
ています。
179
第 15 章
主はわたしたちの光となり旗となるように永遠の福音をお与えになりました。
そして,この福音には,本来永遠である,主の聖なる結婚の制度が含まれてい
ます。わたしたちは世の結婚の習わしに従うべきではありませんし,従っては
なりません。わたしたちにある光は世の光よりも大いなるものであり,主はわた
したちに世の人々よりも多くのことを求めておられます。
わたしたちは真実の結婚制度がどのようなものかを知っています。救いの計
画における家族単位の重要性を知っています。神殿で結婚するべきであるこ
と,結婚の結び固めについて約束の聖なる御霊の承認を得られるように自分自
身を清く,また汚れなく保たなければならないことを知っています。
わたしたちは,救いの計画を定められた永遠の御父の霊の子供です。その
計画により,わたしたちは地上に来て,進歩成長し,御父のようになることがで
きるのです。すなわち,御父は,わたしたちが自分自身の永遠の家族を持ち,
16
永遠の命を享受できるように福音の計画を与えてくださいました。
主が意図された結婚は,肉体の死によって終わるものでは決してなく,聖約
を交わした人々に誉れ,支配,力を加え,神の王国において家族を永遠につな
ぐものです。このような祝福は,主が啓示されたこの聖約に進んで従う人々の
ために用意されているのです。それは単に男女が連れ添うだけではありませ
ん。なぜなら,主が述べられたように,結婚によって,二人は一体となり,また
17
神との協力関係に入るからです。
3
結婚の聖約に忠実であることによって,幸せを得,
永遠の栄光の祝福にあずかる
わたしは結婚の聖約が永遠であると知っていることを主に感謝しています。
男女が主の神殿に行き,結び固めの力を持つ人によってこの世においても永遠
きた
にわたっても結ばれるなら,来 るべき世で夫はこの聖約によって,自分の妻が
妻であることを主張する権利,また妻は自分の夫が夫であることを主張する権
利を得ます。ほかの方法によってこの偉大な祝福を得ることはできないからで
す。またわたしは,家族の関係と家族の結びつきが正しく築かれるとき,それ
は来るべき世で義にかなって存続することを知ることができて,感謝していま
18
す。
神殿でそのような結婚をした人々は,その聖約と義務に忠実かつ誠実であっ
ていただきたいと,わたしは願っています。なぜなら,彼らは主の宮で厳粛な
19
聖約を交わしたからです。
結婚の聖約に忠実であること以上に,人が神の王国で栄光を得るための備
えとなるものはありません。……
180
第 15 章
「家族の関係と家族の結びつきが正しく築かれるとき,
きた
それは来るべき世で義にかなって存続します。」
もしこの聖約を正しく受けるならば,それは最も大いなる幸福を得る手段と
なります。現世における最大の誉れ,また来るべき世における誉れと支配と完
全な愛の力は,聖約がもたらす祝福です。これらの永遠の栄光の祝福は,この
聖約ならびに福音の他のすべての聖約に進んで従う人々のために備えられてい
るものです。
20
教会員にとって結婚はどのような意味があるのでしょうか。それは,この儀
式によって最も大いなる至高の祝福である永遠の命の祝福を受けることです。
主はこのように「永遠の命」を説明しておられます。それは,夫婦が永遠の命
を受けるだけでなく,その聖約の下に生まれた子供たちも同様に忠実であるこ
とによって永遠の命を受ける資格を得ることを意味します。さらに,死からの
復活後も夫婦の関係に終わりはないことも意味しています。主がこれによって
伝えようとしておられるのは,彼らの子孫はいつまでも続き,家族の組織に終わ
21
りはないということです〔教義と聖約 132:19 - 24 参照〕。
永遠の御父の目的を達成するために,忠実かつ誠実である人々に約束されて
いる祝福,すなわち人を神の位にまで高める祝福を受ける夫婦という結びつき
が存在しなければなりません。男性も女性も独りでは神の王国の完全な祝福
を受けることはできません。二人一緒でこそ,御父の王国のすべてにかかわる
22
祝福と特権をことごとく受けることができるのです。
181
第 15 章
4
心の正しい人は皆,この世か次の世で永遠の結婚の祝福を受ける機会がある
偉大な救いの計画で,見落とされているものはまったくありません。イエス・
キリストの福音は世界で最も麗しいものです。それは,心が正しく,熱心に主を
求め,主の律法と聖約に従うことを望むすべての人を受け入れます。したがっ
て,人が何かの理由でいずれかの聖約に従う特権を拒まれているとすれば,主
はその人を心の思いによって裁かれます。教会で結婚して子供を育ててきまし
たが,この世と永遠にわたる「結び固め」を受ける特権を与えられていない〔物
理的な要因から神殿に参入することのできない〕教会員が大勢います。そのよ
うな人の多くはすでに世を去っていますが,彼らは代理によって祝福を授けら
れます。福音は代理の業です。イエスはわたしたち全員のために代理として働
きをされました。なぜなら,わたしたちは自分自身でそれを行うことができな
かったからです。同様に,イエスは生きている教会員に,自分で儀式を受ける
機会がなく世を去った死者のために代理を務めることを許しておられます。
さらに,これらの祝福を受ける機会がなく霊の世界へ去った若い男女が大
勢います。その多くは戦闘で命を落としました。青年初期にまた幼児期に亡く
なった人が大勢います。主は彼らをだれ一人としてお忘れになりません。昇栄
あわ
にかかわるすべての祝福が彼らに与えられます。なぜなら,これが公正と憐 れ
みのたどる道だからです。これはシオンのステークに,また神殿の近くに住んで
いる人々にもこの祝福が授けられます。現世で祝福を拒まれている人々は福千
23
年でこれらの祝福を与えられます。
人は忠実であるならば,昇栄する機会を取り上げられることは決してありま
せん。…… 夫が報いを受けるに値しないとしても,忠実な妻が昇栄を得るのを
24
妨げることはできません。その逆も同様です。
5
子供と青少年は,結婚の聖約について学び,揺るぎない信仰を築き,
自分を清く汚れなく保つことにより,永遠の結婚に備える
末日聖徒のすべての父親と母親は自分の子供に結婚の聖約の神聖さを教え
るようにしてください。神の聖約を尊ばなければ永遠の命 の祝福を得られない
ことを,子供たちの心に植え付けましょう。永遠の結婚の聖約は,聖約の中で
25
最も重要であり,絶対に必要なものです。
現世の生涯は短く,永遠は長いものです。結婚の聖約は永続することを考え
るとき,当然のことながら,このことを慎重に考慮する必要があります。…… 福
はんりょ
音に対する揺るぎない信仰を持っている伴侶をしっかりと選ぶために慎重に考
えるよう勧めることは,青少年に与える助言として適切なものです。そのような
182
第 15 章
人は恐らくすべての誓言と聖約に忠実であることでしょう。若い男性と若い女
あかし
性は,主の神聖な使命を十分に理解して証 を持ち,預言者ジョセフ・スミスを
通して明らかにされたままに福音を信じるなら,必ずや,永続する幸せな結婚が
26
できることでしょう。
わたしはあらゆる地に住むシオンの青少年の皆さんに申し上げます。自分を
清く汚れなく保ってください。そうすれば,皆さんは主の宮に参入する資格を得
て,主が与えてくださるこれらすべての大いなる祝福を,自ら選んだ伴侶ととも
27
に享受できるでしょう。
注意を喚起したいことが一つあります。若い人々は結婚するとき,わずかな
お金で質素な生活を始めることに満足せず,自分たちが結婚するときに彼らの
両親が持っているように多くのものを手にしていることを望みます。…… 彼ら
は楽に生活できるあらゆる便利なものを持って出発したいと考えます。これは
間違いであると思います。質素な生活から始め,主に信仰を寄せ,できるときに
ここで少しそこで少しと築き,少しずつ積み上げ,最後に自分たちが望む繁栄に
28
まで到達できるようにするべきであると,わたしは思っています。
6
夫婦が福音のすべての儀式と原則を忠実に守るとき,
結婚生活における喜びはさらに増す
結婚は神が定められたものです。清い思いをもって結婚生活を受け入れ,実
こん にち
践するとき,それは義の原則にかなうものとなります。今 日,命じられているよ
うに,男女がへりくだり,愛と信仰をもってこの聖約を交わし,永遠の命の道を
義にかなって歩むならば,離婚することはなく,家庭が壊れることはなく,言葉
29
に表現できないほどの幸福と喜びがあることでしょう。
神殿で結婚したすべての善良な兄弟姉妹に理解していただきたいことがあり
ます。それは,授けられてきた大いなる祝福を決して忘れてはならないという
ことです。主は,彼らの忠実さのゆえに,主の息子娘となり,イエス・キリストと
共同の相続人となって,次の聖文に述べられているように御父が持っておられ
るすべてを所有する権利を男女に与えられました〔ローマ 8:13 - 19 ,ならび
に教義と聖約 76:54 - 60 を引用〕。
しかし,このことを理解していない教会員がいます。彼らはこの世と永遠に
わたる結婚に入り,…… 御父の王国のすべてについて約束を受けた後に,不和
と離別を招く事柄が生活の中に入ってくるのを許します。彼らはこの世と永遠
にわたる聖約を互いに交わしたことを忘れています。それだけではなく,天の
30
御父と聖約を交わしたことも忘れているのです。
183
第 15 章
夫婦が福音に忠実に従うとき,結婚生活における彼らの喜びは「さらに」増し加えられます。
夫とその妻が福音のすべての儀式と原則を熱心に,また忠実に守っていれ
ば,離婚の原因となるものは決して生じないでしょう。夫婦の関係から生じる
喜びと幸せがさらに増し加えられ,日がたつにつれてますます愛し合うようにな
るでしょう。夫は妻を愛し,妻は夫を愛するだけでなく,彼らに生まれる子供た
ちは,愛と一致の中で生活します。互いに対する愛は損なわれることなく,また
それ以上に,永遠の御父と御子イエス・キリストに対する愛が彼らの心にさら
31
にしっかりと根を張ることでしょう。
研究とレッスンのための提案
質問
•この章の最初に,結婚生活と家族の生活に見られる喜びと悲しみの例が紹
介されています。わたしたちが人生で喜びや悲しみを経験するときに,永遠
の家族についての教義はどのように心の支えとなるでしょうか。
•日の栄えの結婚のどのようなことがこの儀式を「神殿の最高の儀式」にする
のでしょうか(第 1 項参照)。
•スミス大管長は結婚に対する主の見解と世の人々の見解を対比しています
(第 2 項参照)。あなたにとってこの対比はどのような意味があるでしょうか。
こん にち
どうすれば今日の世の中で夫婦の関係と家族を守り,強めることができるで
184
第 15 章
しょうか。
•第 3 項で,スミス大管長は,結婚の聖約に「忠実かつ誠実」である人々に与
えられる祝福を少なくとも 5 つ挙げています。結婚の聖約に忠実かつ誠実
であるとは,あなたにとってどのようなことを意味するでしょうか。
•親は「自分の子供に結婚の聖約の神聖さを教える」ために何ができるでしょ
うか(アイデアについて,第 5 項を参照)。
•第 6 項で,スミス大管長は,どうすれば夫婦関係の喜びと幸せが「さらに増
す」かを説明しています。この原則についてどのような例を目にしたことがあ
りますか。あなたが既婚者であれば,結婚生活にもっと大きな喜びと愛をも
たらすために何ができるかを考えてください。
関連聖句
1 コリント 11:11;教義と聖約 42:22;131:1 - 4;モーセ 3:18 - 24
教える際のヒント
「レッスンが始まる前に質問を黒板に書き出しておくことによって,生徒にレッ
スンの始まる前からテーマについて考えさせることができる。」
(『教師,その大
いなる召し』93 )
注
1. ジョセフ・フィール ディング・スミス・ジュニ
ア,ジョン・J・スチュワート共 著,The Life of
, 1972 年),65 - 75;
Joseph Fielding Smith (
フ ラ ン シ ス・M・ ギ ボ ン ズ,Joseph Fielding
S m it h : G o sp el S chol a r, P rophet of G o d ,
( 1992 年),51 - 55 参照
2. The Life of Joseph Fielding Smith , 162
3. The Life of Joseph Fielding Smith , 214 -
241 参照
4. The Life of Joseph Fielding Smith , 249 参照
5. The Life of Joseph Fielding Smith , 12 - 13
6. The Life of Joseph Fielding Smith , 268 で 引
用
7. ジョン・J・スチュワート,The Life of Joseph
Fielding Smith , 11 で引用。同書はジョン・J・
スチュワートとジョセフ・フィールディング・スミ
ス・ジュニアの共著であるが,これはジョン・J・
スチュワート個人の言葉である。
8.“ I Know That My Redeemer Liveth, ”Ensign , 1971 年 12 月号,27
Deseret News , 1971 年 5 月 22 日付,B2 で引用
12. Conference Report ,1951 年 10 月,120
13.“ T he Per fe ct M a r r i ag e C oven a nt , ”I m provement Era , 1931 年 10 月号,704
14.“ President Joseph Fielding Smith Speaks
to 14,000 Youth at Long Beach, California, ”
New Era , 1971 年 7 月号,7 - 8
15. The Restoration of All Things ,( 1945 年),
259
16.“ President Joseph Fielding Smith Speaks to
14,000 Youth at Long Beach, California, ”8
17. The Restoration of All Things , 259
18. Conference Report ,1915 年 4 月,119
19. Conference Report ,1951 年 10 月,120
20.“ The Law of Chastity, ”643 。Doctrines of
Salvation, 第 2 巻,58 - 59 も参照
21. Conference Report ,1951 年 10 月,120 - 121
22.“ Obedience to the Truth , ”Relief Society
Magazine , 1960 年 1 月号,6
9. Conference Report ,1971 年 10 月,7
10.“ The Law of Chastity, ”Improvement Era ,
1931 年 9 月 号,643 。Doctrines of Salvation,
ブルース・R・マッコンキー編,全 3 巻( 1954 -
1956 年),第 2 巻,58 も参照
11.“ L a y C o r n e r s t o n e a t P r o v o Te m p l e , ”
23. Answers to Gospel Questions , ジ ョ セ フ・
フィールディング・スミス・ジュニア編,全 5 巻
( 1957 - 1966 年),第 2 巻,37 - 38
24. 個 人 的 な 書 簡,Doctrines of Salvation, 第 2
巻,65 で引用
185
第 15 章
14,000 Youth at Long Beach, California, ”10
25. Conference Report ,1965 年 10 月,30
26.“ M a r r i a g e O r d a i n e d o f G o d , ”Yo u n g
Woman’s Journal , 1920 年 6 月号,307 - 308 。
Doctrines of Salvation, 第 2 巻,77 - 78 も参照
27.“ President Joseph Fielding Smith Speaks to
28. Conference Report ,1958 年 4 月,30
29. The Restoration of All Things , 259
30. Conference Report ,1949 年 4 月,135
31. Conference Report ,1965 年 4 月,11
186
第 1 6
章
子供たちを光と真理の中で育てる
「教会の子供たちを教えることに関して,
第一の責任は家庭にあります。」
ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯から
ジョセフ・フィールディング・スミス大管長は父親のジョセフ・F・スミス大管
長について,
「わたしがこの世で知っているほかのだれよりも信頼してきた人」
1
だと述べている。 そして次のように回想している。「〔父はよく家族を集めて〕
子供たちに福音の原則を教えてくれました。子供たちは皆,父と一緒にいられ
ることを喜び,…… 父から助言と教えを受けられることに感謝しました。……
教わったことは決して忘れることなく,心に刻まれたことはずっと残っていて,
2
これからも永遠に消えることはないでしょう。」 また次のように述べている。
「父ほど心の優しい人をわたしは知りません。……わたしの最も大切な思い出
は,父の傍らで福音の原則について語り合い,父にしかできない教え方で教え
てもらいながら過ごした時間です。こうしてわたし自身の知識の土台が真理の
あがな
うちに据えられました。そのおかげで,わたしも贖 い主が生きておられて,ジョ
セフ・スミスが現在も,過去にも,そしてこれからも常に,生ける神の預言者で
3
あると知っていると言うことができるのです。」
ジョセフ・フィールディング・スミスはまた,母親のジュリナ・L・スミスとそ
の教えについても愛情を込めて語っている。スミス大管長は次のように述べて
いる。「わたしは母のひざの上で,預言者ジョセフ・スミスを愛し,贖い主を愛
するように教えられました。……わたしは自分が受けた教育に感謝しています
し,父から受けた助言に従おうと努力してきました。しかし,すべて父のおか
げだとするべきではありません。母のおかげである部分が非常に大きいと思い
ます。幼いころ,わたしは母のひざの傍らに座って,母が開拓者の物語を話し
てくれるのを聞きました。…… 母はわたしに理解できる事柄を教えてくれ,字
が読める年齢になってからは,本を与えてくれました。祈るように,
〔また〕聖約
と義務に心から忠実であるように,執事としての,教師としての,…… そして後
に祭司としての義務を果たすように教えてくれました。…… 母はわたしが本を
4
読むように,読書が好きになるように配慮してくれました。」
187
第 16 章
ジョセフ・フィールディング・スミス大管長とひ孫のシャナ・マッコンキー
188
第 16 章
父親になったとき,ジョセフ・フィールディング・スミスは自分の両親の模範
なら
に倣った。娘のアメリアは次のように述べている。
「父は実にすばらしい研究家であり,教師でした。自分の持つ膨大な知識の
中からわたしたちに教えてくれただけでなく,自力で学ぶように促してくれまし
た。……
子供たちについて,父は教義と聖約第 93 章 40 節にある勧告に従いました。
『しかし,わたしはあなたがたに,あなたがたの子供たちを光と真理の中で育
てるようにと命じた。』
朝の食卓で,父は聖典の物語を話しながらわたしたちを教えてくれました。
以前に何度も聞いた物語であるにもかかわらず,父が話すと,どれも初めて聞く
かのような興奮を覚えるのでした。パロの兵士たちはベニヤミンの食糧の袋の
さかずき
中に金の杯 を見つけるのだろうかとはらはらしたあの緊張感は,今も当時のま
まよみがえってきます。わたしたちはジョセフ・スミスが金の版を見つけたこと
や,御父と御子の訪れを受けたことについて学びました。父にわたしたちと一
緒に学校まで歩いて行く時間があれば,物語は続きました。学校に行く途中,
〔ソルトレーク〕神殿の前を通ったとき,父は天使モロナイについて話してくれ
ました。神殿は非常に特別な場所であって,神殿に入るためには善い人でなけ
ればならず,神殿で結婚するときにその結婚は永遠であると教えてくれました。
朝食の前に,そして再び夕食の時間に,いすの横にひざまずいて家族の祈りを
ささげるとき,父は自分が祈り求める事柄を通してわたしたちを教えてくれまし
た。……
こん にち
今 日,父の教えはその子孫だけでなく,無数の忠実な教会員を高め,支えて
います。父の娘であることは,何とすばらしい特権および祝福となってきたこと
5
でしょう。」
ジョセフ・フィールディング・スミスの教え
1
サタンの影響力に立ち向かうために,両親は子供たちを
光と真理の中で育てなければならない
家族が一つになることの大切さ,家族の中で互いに愛し合い,思いやりを持
つことの大切さは,いくら強調しても強調しすぎることはありません。家族関係
における霊的な結束は堅固な土台であり,その上に教会と社会そのものが繁栄
していくのです。サタンはこの事実をよく知り,認識していて,この永遠の制度
を弱体化し,破壊しようと,自分に操れるあらゆる巧妙な策略や影響力や力を
かつてなかったほどに用いています。家族関係においてイエス・キリストの福
189
第 16 章
音を実践することによってのみ,この邪悪な破壊力を阻止することができるで
6
しょう。
実際に迫っている対処するべき大きな危険はたくさんありますが,わたしたち
がほかの何よりも心配している危険は,子供たちに関係するものです。そして
唯一,実際の守りと十分な防御を提供できるのは,家庭とその影響力だけなの
7
です。
子供たちに善悪を見分けることを教えなければなりません。そうでないと,
いろいろな点でなぜ隣人のしていることをしてはいけないのか理解することが
できないでしょう。教会の教義を教えないと,仲間が何の制約も受けずむしろ
勧められて,主の聖日に主から禁じられたことをするのを見て,なぜ日曜日の音
楽会,演劇,映画,球技,そのほかのものを楽しんではいけないのか恐らく理
解できないでしょう。両親は子供を正しく教える責任を負っています。子供が
主イエス・キリストの福音の原則に添わないで成長するようなことがあれば,主
8
はその両親を罪ありとされるでしょう。
子供たちを光と真理の中で育てるようにと,主はわたしたち全員に命じてお
られます。この精神が存在する所では,不調和や不従順が見られることも,神
聖な義務がなおざりにされることもないでしょうし,そうしたことは起こり得ま
9
せん。
2
子供たちを教える主要な責任は両親にある
御父はこの世に生まれた子供たちに対する御自分の権利を決して放棄して
おられません。彼らは依然として御父の子供たちです。御父は御自分の子供
たちを,光と真理の中で育てるようにという勧告とともにこの世の両親の手にゆ
だねておられます。子供たちを光と真理の中で教える主要かつ基本的な責任
10
は両親にあるのです。
教会の子供たちを教えることに関して,第一の責任は家庭にあります。子供
たちを光と真理の中で育てるのは両親の責任であり,その務めを怠るとき,両
11
親は裁きの座の前に立って弁明することになると主は宣言しておられます。
1831 年に教会の人々に与えられた啓示の中で,主は次のように述べておられ
ます。
「さらにまた,シオンにおいて,または組織されているそのいずれかのステー
クにおいて,子供を持つ両親がいて,八歳のときに,悔い改め,生ける神の子キ
あん しゅ
たま もの
リストを信じる信仰,およびバプテスマと按 手 による聖霊の賜 物 の教義を理解
するように彼らを教えなければ,罪はその両親の頭にある。
190
第 16 章
これが,シオン,または組織されているそのいずれかのステークに住む者へ
の律法である。」
〔教義と聖約 68:25 - 26〕
12
……主はこのことをわたしたちに求めておられます。
もし模範と訓戒によって子供たちを教えていなければ,両親は子供たちの行
いに対して責任を負うことになるでしょう。
もし模範と訓戒によって子供たちを正しく教えようと自分の力の及ぶかぎりを
尽くし,それでも子供たちが道からそれてしまうならば,両親は責任を問われる
13
ことがなく,罪は子供たちの上にあるでしょう。
3
教会は子供たちを教える両親の取り組みを支援する
救いにつながる事柄を行う第一の責任は各個人にあります。わたしたちは
皆,現世での試しを経験するために地上に置かれています。わたしたちがここ
にいるのは,戒めを守り,世に打ち勝つかどうかを見るためであり,自分の行え
ることをすべて自力で行わなければなりません。
わたしたちの救いに対して次に責任があるのは家族です。両親は子供たち
の光となり,導き手となるように定められており,福音を教え,正しい模範を示
しながら,子供たちを光と真理の中で育てるように命じられています。子供た
ちは両親に従い,両親を敬い,尊ぶように求められています。
14
教会とその諸機関は,実質的に,家族と個人を支援する奉仕の組織です。
愛する兄弟姉妹,夫と妻の皆さん,父親と母親の皆さんにお願いします。教
会が提供するあらゆる機会を利用して皆さんの子供に教えを受けさせてくださ
い。主の啓示によって子供たちのために用意されている様々な組織,すなわち
初等協会や日曜学校,相互発達協会〔若い男性と若い女性〕,ビショップリッ
クの指示の下にある小神権の定員会で,子供たちに学ばせてください。……
……わたしたちは教会全体で,この機会を持つことが可能なあらゆる場所に
おいて,セミナリーとインスティテュートを開催しています。……兄弟姉妹,皆
さんの子供たちをこれらのセミナリーに行かせてください。大学に行く人たち
は,青少年のときに適切な教育を受けるならば,教会のインスティテュートに出
15
席できる年齢になります。
191
第 16 章
「教会とその諸機関は,実質的に,家族と個人を支援する奉仕の組織です。」
4
子供たちがイエス・キリストの福音を理解して実践するように,
両親は行えることをすべて行って助けなければならない
あかし
各自の持つ個人的な証 が末日聖徒イエス・キリスト教会の強さであり,それ
は今後も常に変わらないでしょう。証をはぐくむ最良の環境は家庭です。……
証を得て,保つように家族で取り組む必要があります。どのようなことでも,家
16
族のだれかの証を強めるのに役立つであろうことを怠ってはなりません。
〔子供たちを〕この世の罪と悪からできるかぎり保護し,彼らが惑わされて真
17
理と義の道からそれることのないようにしなければなりません。
子供たちがイエス・キリストの福音についての知識を身に付けて成長するよ
うに,皆さんにできるあらゆる方法で助けてください。祈るように教えてくださ
い。知恵の言葉を守るように,主の前に忠実にへりくだって歩むように教えてく
ださい。そうすることで,子供たちが大人になるときに,皆さんの行ったことに
対して彼らが感謝できるようにしてください。イエス・キリストの福音の中で自
192
第 16 章
分を世話し,教育してくれた両親に対する感謝の心と愛をもって,人生を振り返
18
ることができるようにしてください。
義にかなった模範を示す
両親は自身の生活において義人としての模範を示し,子供たちを集めて家庭
19
の夕べやその他の機会に福音を教えてください。
両親は子供たちにこうなってほしいと望むような人物であるように努めなけ
ればならず,少なくともそうなるように最善を尽くす必要があります。自分がそ
20
うでないことについて,模範となることはできません。
訓戒によって教えることはもちろん,模範によっても教えなければなりませ
ん。子供とともにひざまずいて祈り,低くへりくだって救い主イエス・キリストの
使命を教えるべきです。子供たちに道を示さなければなりません。息子に道
を示す父親は,
「さあ日曜学校に行きなさい」
「ミューチャルに行きなさい」あ
るいは「神権会に行きなさい」とは言わず,
「さあ,お父さんと一緒に行こう」と
21
言って,模範によって教えるでしょう。
幼いときから子供を教え始める
だれであっても主に仕え始めるのに早すぎることはありません。…… 若い
人々は両親の教えに従います。生まれたときから義のうちに教えを受ける子供
は,きっと義を追い求めることでしょう。良い習慣を容易に身に付け,容易に行
22
うことができます。
家庭には,神に対する祈りと信仰,愛,従順がなければなりません。子供に
イエス・キリストの福音の救いの原則を教えることは,親の義務です。親がそ
の義務を果たすとき,子供はバプテスマを受ける理由を学び,バプテスマを受
けた後も神の戒めを守り続けようという望みを胸に抱き,やがては神のみもと
へ帰ることができるのです。兄弟姉妹の皆さん,家族と,子供たちとともに住
みたいと思いませんか。先祖に結び固められたいと思いませんか。もし許され
て,神の日の栄えの王国に入るとき,この家族が一人も欠けずにいてほしいと思
いませんか。もしそう思うなら,ゆりかごの傍らから教えることを始めなければ
23
なりません。
子供に祈るように教える
祈りの精神のない家庭とは何でしょうか。それは末日聖徒の家庭ではありま
せん。わたしたちは祈らなければなりません。家族で輪になってひざまずき,
主の祝福に感謝しない朝があってはなりません。主の祝福に感謝し,主の導き
を求めるのです。そして夜にも必ず,床に就く前に再び家族で集まって,主の守
24
りに感謝し,日々の生活において主の導きを求めなければなりません。
193
第 16 章
皆さんが家庭で子供たちに祈るように教えていますように。朝晩,家族の祈
りを行っていますように。とても貴く,神聖で,神の王国におけるわたしたちの
救いにとって非常に大きな意味を持つ戒めに従うよう,皆さんの子供たちが模
25
範と訓戒によって教えを受けていますように。
子供に聖文に触れさせる
世界中のどの家庭にも聖書があるべきです。どの家庭にもモルモン書があ
るべきです。わたしは末日聖徒の家庭について申し上げています。どの家庭に
も,教義と聖約と高価な真珠があるべきです。これらの書物を本棚や戸棚にし
まっておかないでください。すぐに手の届く所に開いておき,家族の人たちが手
に取って,腰を下ろして読み,福音の原則を自分で研究できるようにしてくださ
26
い。
家庭の夕べを行う
愛と一体感にあふれた家庭で育ち,家庭の夕べに参加してきた子供は,善良
な市民となり,教会に活発に参加するための堅固な土台を築きます。両親が子
供たちに残せる遺産として,幸福で一致した愛にあふれる家庭の思い出と祝福
以上に大いなるものはありません。
よく計画された家庭の夕べは,いつまでも続く喜びと影響力の源となります。
これらの夕べは,一緒に活動し,計画し,愛を表し,証を述べ,福音の原則を学
び,娯楽を楽しみ,そして何よりも,家族の一致と結束を強める時間です。
忠実に家庭の夕べを行い,可能なかぎりの方法によって家族の一致を築く父
親と母親は,あらゆる責任の中で最も大いなるもの,すなわち親としての務めを
27
立派に果たしています。
家族を導いて家庭の夕べを行う父親は,神の王国において何にもまして優れ
た指導力を発揮していることになります。そのような経験が家庭生活の一部と
なるとき,一致と家族の人たちへの敬意がはぐくまれ,その影響を通して一人一
28
人がますます義にかなった者となり,幸福になります。
このプログラム〔家庭の夕べ〕が与えてくれる大きな助けをないがしろにする
29
両親は,子供たちの将来を危険にさらしています。
徳と純潔と道徳を教える
子供たちに徳と純潔を教えなければなりません。子供たちが幼いうちから
教えてください。そしてこの世の至る所に存在している落とし穴と危険につい
30
て知らせてください。
わたしたちは至る所に住むすべての若人の霊的,道徳的な幸福に大きな関心
を抱いています。道徳,純潔,高潔,罪からの解放,これらは生き方の基盤で
194
第 16 章
す。もし,人生のあらゆる目的を達成しようとするのであれば,これらを基盤と
するべきです。
わたしたちは父親と母親の皆さんが訓戒と模範によって個人の清さを教え,
そうした事柄のすべてについて子供たちと話し合うようにと心から願っていま
す。……
わたしたちは教会の若人を信頼しており,彼らが世の流行や慣習に従わず,
反抗心を持たず,真理と徳の道を捨てないように心から願います。わたしたち
は彼らの本質的な善良さを信じており,彼らが義の柱となって,信仰を増し加え
31
ながらますます効果的に教会の業を推し進めることを期待しています。
子供が真理の証人となり,伝道に出るように備える
わたしたちの教会の若人は,御父の子供たちの中で最も祝福され,恵まれた
人々です。彼らは天の高貴な者たち,神聖な行く末を持つ特別に選ばれた世代
です。彼らの霊は,福音がこの地上にある時代,すなわち主が末日の大いなる
しもべ
業を推し進めるために雄々しい僕 を必要とされるこの時代に生を受けるよう,
32
取っておかれたのです。
この大いなる末日の業が真実であり,神の業であることの生ける証人となる
ように〔子供たちを〕備えなければなりません。特に息子たちについては,御父
の
のほかの子供たちに福音を宣べ伝えるために伝道に行くのにふさわしい者とな
33
り,その資格を得られるようにしなければなりません。
子供が自分自身の永遠の家族を持つ備えをするのを助ける
彼ら〔皆さんの子供たち〕が結婚するとき,主の宮に行きたいという望みを
持つように指導しているでしょうか。また,主が彼らのために用意しておられる
大いなるエンダウメントを受けたいと思うように教えているでしょうか。彼らが
たま もの
夫婦として結び固められ,日の栄えの王国にかかわるすべての賜 物 と祝福を受
34
け〔ら〕れることを子供たちの心に刻み付けてきたでしょうか。
はん りょ
〔子供たち〕がふさわしい伴 侶 を選び,主の宮で結婚し,それによってわたし
たちの話している大いなる祝福のすべてを受け継ぐ者となるように,彼らを導
35
き,指導しなければなりません。
家族が一人も失われることがないようにへりくだって努力しましょう。家族の
み たま
人たちが主の御霊の影響を受けているようにし,彼らが福音の原則について教
えを受けて,義と真理の中で育つようにしましょう。……わたしたちに〔子供た
ち〕が授けられているのは,彼らに生き方や永遠の命について教え,彼らが御
36
父であられる神のもとに戻れるようにするためです。
195
第 16 章
研究とレッスンのための提案
質問
•「ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯から」で,子供に愛を示す親の模
範に注目してください。家族の中でのあなたの責任が何であろうと,これら
の模範にどのように従えるか考えてください。より多くの時間を子供と過ご
せるように,両親はどのような準備ができるでしょうか。
•スミス大管長は当時存在した霊的な危険について述べています(第 1 項参
こんにち
照)。今日,ほかにどのような危険が存在しているでしょうか。子供たちがこ
れらの影響力に立ち向かえるように,両親や祖父母はどのような助けができ
るでしょうか。
•天の御父が御自分の子供の世話を両親に任せるときにお寄せになる信頼に
ついて考えてください(第 2 項参照)。御父はどのような導きや助けを与えて
くださるでしょうか。
•教会はどのような形で「家族と個人を支援する奉仕の組織」となっているで
しょうか(第 3 項参照)。あなたやあなたの家族は教会の組織からどのよう
な助けを受けてきたでしょうか。子供や青少年が十分に参加できるように,
わたしたちにどのような助けができるでしょうか。
•第 4 項では,子供や青少年が福音を実践できるように助ける方法が幾つか
挙げられています。勧告を読みながら,次の質問について考えてください。
あなたやあなたの家族がよく行えていることは何でしょうか。どのように改
あかし
善できるでしょうか。教会の青少年が証 を強められるように,どのような助
けができるでしょうか。
関連聖句
申 命 6:1 - 7;詩 編 132:12;モ ー サ ヤ 1:4;4:14 - 15; 教 義 と 聖 約
68:25 - 28;93:36 - 40 。「家族 ― 世界への宣言」も参照
教える際のヒント
「準備したレッスンの内容をすべて提示しようとするあまりに,よい話し合い
を急いで終えてしまうことのないように注意する。用意した資料をすべて教え
み たま
ることも大切ではあるが,生徒が御 霊 の影響を感じ,疑問に思っていたことの
答えを受け,福音に対する理解を深め,戒めを守る決意を強めることの方がは
るかに大切である。」ただし,
「適切なときに話し合いを終えること〔も〕大切
である。話し合いが長すぎると,せっかく高められた気持ちが失われてしまう。
…… 時間を管理する。レッスンをいつ終えるべきかを知ることが大切である。
レッスンの全体をまとめて,あなたの証を述べる時間を取っておかなければな
らない。」
(『教師,その大いなる召し』64 ,65 )
196
第 16 章
注
1. ジョセフ・フィールディング・スミス・ジュニア,
ジョン・J・スチュワート共 著,The Life of Joseph Fielding Smith( 1972 年),40 で引用
2. The Life of Joseph Fielding Smith, 40 で引用
3. ブライアント・S・ヒンクレー,
“ Joseph Fielding
Smith ,”Improvement Era, 1932 年 6 月 号,
459 で引用
4. The Life of Joseph Fielding Smith, 56 で引用
5. アメリア・スミス・マッコンキー,
“ Joseph Fielding Smith, ”Church News, 1993 年 10 月 30
日付,8 ,10
6. Message from the First Presidency, Family
Home Evenings 1970 - 71(家庭の夕べレッス
ン用テキスト,1970 年),v
7.“ Our Children ―‘ The L oveliest Flowers
From God ’s Own Garden, ’”Relief Society
Magazine, 1969 年 1 月号,5
8. Conference Report ,1916 年 10 月,71 - 72
Improvement Era, 1970 年 11 月号,11
17.“ Mothers in Israel, ”Relief Society Magazine, 1970 年 12 月号,886
18. Conference Report ,1958 年 4 月,30
19. Conference Report ,1970 年 4 月,6
20.“ Our Children ―‘ The L oveliest Flowers
From God’s Own Garden, ’”6
21. Conference Report ,1948 年 10 月,153
22. Take Heed to Yourselves! 414
23. Conference Report ,1948 年 10 月,153
24.“ How to Teach the Gospel at Home, ”Relief
Society Magazine, 1931 年 12 月号,685
25. Conference Report ,1958 年 4 月,29
26.“ Keeping the Commandments of Our Eternal Father, ”Relief Society Magazine, 1966
年 12 月号,884
27. Message from the First Presidency, Family
Home Evenings 1970 - 71, v
9. Conference Report ,1965 年 4 月,11
10.“ The Sunday School ’s Responsibility, ”Instructor, 1949 年 5 月 号,206 。Doctrines of
Salvation, ブルース・R・マッコンキー編,全 3
巻( 1954 - 1956 年),第 1 巻,316 も参照
28. Message from the First Presidency, Family
Home Evenings,( 家庭の夕べレッスン用テキス
ト,1971 年),
29.「大管長会メッセージ」
『聖徒の道』1971 年 4 月
号,86 参照
11. Take Heed to Yourselves!( 1966 年),221
12. Conference Report ,1958 年 4 月,29 - 30
30.“ Teach Virtue and Modesty, ”Relief Society
Magazine, 1963 年 1 月号,5
13. 個 人 的 な 書 簡,Doctrines of Salvation, 第 1
巻,316 で引用;原文にあった斜 体は正体にし
た
31. Conference Report ,1970 年 4 月,5 - 6
14.“ Use t he P rog ra ms of t he Chu rch , ”I m provement Era, 1970 年 10 月号,3
33.“ Mothers in Israel, ”886
32. Conference Report ,1970 年 4 月,6.
34. Conference Report ,1948 年 10 月,154
15. Conference Report ,1958 年 4 月,29 - 30
16.“ T h e O l d a n d t h e N e w M a g a z i n e s , ”
35.“ Mothers in Israel, ”886
36. Conference Report ,1958 年 4 月,30
197
家族は皆,家族歴史の業に参加することができる。
198
第 1 7 章
結び固めの力と神殿の祝福
「エリヤは神権の完全な力を,……地上に回復する
ために来たのであった。この神権は,人類の救いに
かかわるすべての儀式と原則を地上においても天に
かぎ
おいても結び固め ……る鍵を保有している。」
ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯から
1
902 年,ジョセフ・フィールディング・スミスはマサチューセッツ州へ旅をし,
そこでスミス家の先祖に関する情報を見つけ出すことができた。滞在中に,彼
はシドニー・パーリーという名前の系図学者と出会う。パーリー氏は彼にこう
言った。「できることなら,1700 年以前にエセックス郡にやってきた人々の記
録をことごとく探し出したい,それがわたしの心からの願いです。」
スミス大管長は後日,この時のことをこう回想している。「わたしは彼にこう
言いました。『パーリーさん,ずいぶん大きな仕事に手を染めてしまったんです
ね。』それに対し彼は,
『ええ,でもきっと完成することはないだろうとは思って
いるんですがね 』と言葉を返しました。続けてわたしが,
『なぜあなたはそのよ
うな活動をしているのですか』と尋ねると,彼はしばらく考え,かなり当惑した
ような表情を見せながら答えました。『なぜかは分からないんですよ。ただ,
始めたら止められなくなってしまって。』わたしはこう伝えました。『わたしには
あなたがなぜそんなことをしているのか,またどうして止められないのか,その
理由が分かります。でも,わたしが言っても,あなたはその言葉を信じないで
しょうし,わたしの言葉をきっと笑うことでしょう。』
すると彼は,
『いや,分かりませんよ。もしお話ししてくれたら,わたしはきっ
と興味を持つと思いますよ』と言ってきました。そこでわたしは彼に,エリヤに
関する預言と,1836 年 4 月 3 日にカートランド神殿で預言者ジョセフ・スミス
とオリバー・カウドリに対してその約束が果たされたことを説明しました。そ
して,この先祖探究の熱い思いがどのように多くの人の心をとらえてきたか,そ
してその結果,多くの人々がその心を死者の探究に向けているが,それは主の
再臨に先立って起こるとされるこの偉大な約束の成就であって,地球がのろ
いをもって打たれないようにするためであるということを説明しました。さら
に,今や子孫は心をその先祖に向けており,わたしたちが死者のための儀式を
199
第 17 章
あがな
行っているのは,たとえ亡くなってはいても,死者が贖 いを受け,神の王国に入
るという特権にあずかれるようにするためである,ということについて説明した
のです。
わたしが話し終えると,彼は笑って言いました。『なかなかおもしろい話で
すが,わたしには信じられませんな。』ただ彼は,何かに突き動かされてこの探
究を行っていて,止めることができずにいることは認めました。わたしはこれま
で,教会員でなくとも,同じように始めて止めることができずにいる,非常に多
くの人々に出会ってきました。そのため現在では,大勢の男女が死者の記録の
探究を行っています。彼らはなぜ自分がそのようなことをしているのかは分か
りません。しかし実のところ,それは,わたしたちがその集められた記録を入
1
手し,神殿に赴いて,死者に代わって業を行うためなのです。」
スミス大管長は,家族歴史とは名前や日付,場所を見つけることや,物語を集
めることにとどまらないと教えた。それは,家族を永遠に一つにする神殿の儀
式を執行するためのものであり,あらゆる世代の忠実な人々を神の家族の一員
として結び固めるためのものである。「日の栄えの王国の祝福にあずかるため
には,両親は互いに結び固められ,子供たちは両親に結び固められる必要があ
ります」とスミス大管長は語った。またこうも言っている。「したがって,わた
したちの救いとわたしたちの進歩は,ふさわしい生活をした死者たちが救われ
るかどうかにかかっているのです。わたしたちは彼らと家族のきずなで結ばれ
2
なければならないのです。これは神殿の中でしか達成できないことです。」 ユ
タ州オグデン神殿の奉献の祈りをささげるに先だって,スミス大管長はこう述べ
た。「皆さんに申しあげます。わたしたちが宮を主に奉献するとき,実際には,
わたしたち自身を主の業に奉献しているのです。それには,わたしたちがその
3
宮を主が望まれるように使わせていただくという聖約が伴います。」
ジョセフ・フィールディング・スミスの教え
1
エリヤは地上においても天においても結び固める力を回復した
旧約の最後の預言者マラキは,次の言葉でその預言を結んでいます。
「見よ,主の大いなる恐るべき日が来る前に,わたしは預言者エリヤをあなた
がたにつかわす。
彼は父の心を子供たちに向けさせ,子供たちの心をその父に向けさせる。
これはわたしが来て,のろいをもってこの国を撃つことのないようにするためで
ある。」
(マラキ 4:5 - 6)
200
第 17 章
古代の最後の預言者が将来の世代への約束でその言葉を結び,その約束の
中で,過去の神権時代と後の世の神権時代とをつなぐ,来るべき時について預
言していることは,まさにふさわしいことであると言えるでしょう。……
ニーファイ人の預言者モロナイによって伝えられたマラキの言葉によって,わ
たしたちにはより明確な解釈が与えられています。天使モロナイは,1823 年 9 月
21 日にジョセフ・スミスに現われ,次のようにその言葉を引用しました。
「見よ,主の大いなる恐るべき日が来る前に,わたしは預言者エリヤの手に
よってあなたがたに神権を現そう。
彼は先祖に与えられた約束を子孫の心に植え,子孫の心はその先祖に向か
うであろう。
そうでなければ,主の来臨の時に,全地はことごとく荒廃するであろう。」
(教
義と聖約 2:1 - 3 )
モロナイは,この預言が間もなく成就するであろうとジョセフ・スミスに告げ
ました。その 12 年ほど後,1836 年 4 月 3 日にまさにそれは成就したのです。
この日,カートランド神殿でジョセフ・スミスとオリバー・カウドリにエリヤが現
われ,…… 地と天においてつなぐ,すなわち結び固める権能を授けました。こ
かぎ
の神権の鍵はエリヤが保有していました。主は,完全な救いにあずかるための
すべての儀式を,義にかなった人々の上にこの世においても永遠にわたっても
結び固める権威とともに,人のみでなく元素にも及ぶ力をエリヤに与えられたの
4
です。
教会員の中には,エリヤは死者のためのバプテスマの鍵,すなわち死者のた
めの救いの鍵を携えて来たと誤解している人がいます。エリヤの鍵はそれ以上
のものでした。それは結び固めの鍵です。それらの結び固めの鍵は生者に関
5
するものであり,また進んで悔い改める死者にも力が及ぶものです。
エリヤは神権の完全な力を,主から正しく委任された生ける預言者に授ける
ことによって,地上に回復するために来たのです。この神権は,人の救いにか
かわるすべての儀式と原則を地上においても天においてもつなぎ,結び固め,
神の日の栄えの王国においてそれらの効力を発揮させる鍵を有しています。
……
神殿で生者と死者の両方のために儀式が行われるのは,この権能によりま
す。この権能には,男女が永遠の計画に添って結婚するとき,夫婦を永遠に結
ぶ力があります。この権能により,両親は自分の子供に対して,自分たちが一
時的にではなく永遠に親であると主張することができます。これにより,家族
6
は神の王国にあって永遠に存続するのです。
201
第 17 章
神権の結び固めの力は,
「男女が永遠の計画に添って
結婚するとき,その夫婦を永遠に結ぶ。」
2
結び固めの権能が回復されたことで,地球はイエス・キリストの
来臨の時にことごとく荒廃することから救われる
もしエリヤが来ていなければ,過去のすべての働きは何ら用をなさなくなる
と考えざるを得ません。なぜなら主はそのような状況下では,自らの来臨の時
に全 地がことごとく荒 廃すると言われたからです。そのためにエリヤの使命
は,世にとって非常に重要なものとなりました。大切なのは死者のためのバプ
テスマだけではありません。両親の結び固めと,子供と両親の結び固めも重要
かぎ
なのです。それは,時の初めから終わりまで,
「神権時代と鍵 と力と栄光のす
べての,ことごとくの,完全な和合と結合」が成し遂げられなければならないか
らなのです(教義と聖約 128:18 参照)。もしこの結び固めの力が地上になけ
れば,主が来られるとき,至る所に混乱が見られ,無秩序が秩序に取って代わ
ることになるでしょう。もちろんそのようなことはあり得ません。なぜなら神の
7
王国では万事が完全な律法によって統治され,制御されているからです。
202
第 17 章
なぜ地球は荒廃するのでしょうか。死者のための業が行われて,先祖と子
孫の間に固いつながりがもたらされなければ,わたしたちは皆,退けられること
になります。さらに神の業全体が頓挫し,ことごとく荒廃することでしょう。も
8
ちろん,そのような状況になることはあり得えません。
この〔結び固めの〕権能の回復は,イエス・キリストの来臨の時に全地が荒
廃することがないようにするためのパン種として働くものです。この事実をわた
したちの心に固くまたはっきりととどめることができれば,キリストの来臨の際
に結び固めの力がこの地上に存在しないなら,この上ない混乱と不幸を生じる
9
ようになることが容易に理解できるのです。
3
完全な救いに備えるためには,わたしたちは結び固めの力に
よってなされる神殿の儀式を受けなければならない
主はわたしたちに特権と祝福を授けられ,聖約を交わす機会を与えてくださ
いました。すなわち,この世で説かれている教えを上回る,わたしたちの救い
にかかわる儀式を受け入れることです。それは,主イエス・キリストを信じる信
ゆる
たま もの
仰,罪の悔い改め,罪の赦 しを受けるためのバプテスマ,聖霊の賜 物 を授かる
あん しゅ
按手などの原則をもしのぐものです。このような原則と儀式は,神の宮以外に,
10
ほかのどのようなところでも受けることはできません。
神殿の活動は,救いの計画と密接に関連しています。一方は他方なしに存在
することはできません。言い換えれば,神殿固有の特別な儀式を受けようとし
11
ない救いなどあり得ないのです。
じゅうぶん
大勢の末日聖徒が …… 喜んで集会に出席し,喜んで什 分 の一を納め,教会
員としての一般的な義務を果たしています。ところが,自分たちを昇栄に導い
てくれるはずの主の神殿において,祝福を受ける重要性を感じていなかったり,
理解していなかったりする人がいるようです。これはおかしなことです。人々
は,自分たちに与えられている機会を最大限に活用することもせず,神の息子,
み まえ
娘として御 前 に戻るために必要な聖約を受けようともせず,ただ平穏な生活を
12
送ることで満足しているように思われるのです。
あなたが完全な救いにあずかりたいと望むなら,神の王国において昇栄する
ことが必要です。…… そのためには,主の神殿に参入し,ほかのどのような場
所でも受けることのできない,主の宮ならではの聖なる儀式を受けなければな
りません。どのような男性であっても,完全な永遠性,完全な昇栄を一人で受
けることはできません。いかなる女性もその祝福を一人で受けることはできま
せん。男とその妻が,主の神殿で結び固めの力を受けるとき,昇栄へと進歩し,
203
第 17 章
引き続き主のような者となっていくのです。これこそ人の行く末であり,主がそ
13
の子供たちに望んでおられることなのです。
注 ― 生涯の中で神殿のあらゆる儀式を受けることのできない忠実な人々
に向けて,スミス大管長が与えた希望と約束の言葉を読むには,本書第 15 章
を参照する。
4
結び固めの力によって,わたしたちは儀式を受けずに亡くなった
人々のための救いの儀式を執り行うことができる
マラキが 語った父とはだれで,また子とはだれのことでしょうか。父とは,
福音を受けるという特権を得ることなく亡くなったわたしたちの先祖のことで
す。しかしながら彼らは,特権が与えられる時が来るという約束も受けていま
す。子とは,現代に生を受け,系図記録を集め,神殿で代理の儀式を行ってい
14
る人々のことです。
かぎ
エリヤは,結び固めの鍵を携えてやって来ました。そしてその権能は,わたし
たちが死者に助けの手を差し伸べることができるよう,わたしたちに授けられ
てきました。この結び固めの力は,知識がないままに亡くなりながらも,進んで
悔い改めて,福音を受け入れようとしている人々に及ぶものです。それはちょう
15
ど,生きて悔い改める人々に助けの手を差し伸べるのとまったく同じです。
主は,御自分の霊の子供たちが,これまで生を受けた者も今後地上に生を受
ける者も皆,永遠の福音の律法を信じ,従うために,公平で公正な機会が与え
られるようお定めになりました。福音を受け入れ,バプテスマと日の栄えの結婚
を含むその律法に従って生きる者には,永遠の命が与えられるのです。
しもべ
これまで人類のごく一部の人たちだけが,主のまことの僕の一人によって啓示
された真理の言葉を聞いていたことは明らかです。しかし,主の知恵と公正さ
にあっては,すべての人がそれを聞く必要があるのです。ペテロは次のように
言いました。
の
「死人にさえ福音が宣べ伝えられたのは,彼らは肉においては人間として裁き
を受けるが,霊においては神に従って生きるようになるためである。」
( 1 ペテロ
4:6)
この世の生涯を送る間に救いの教えを聞く機会にあずからなかったものの,
そのような機会が与えられさえすれば,心からその教えを受け入れたはずの
人々がいます。彼らは,霊界でその教えを受け入れる人々であり,わたしたちは
身代わりとなって,神殿で儀式を行います。それによって,彼らもわたしたちと
16
ともに救いと永遠の命を受け継ぐ者となるのです。
204
第 17 章
先祖の心を子孫に向けさせ,子孫の心を先祖に向けさせることは,死者のた
めの救いの力です。子孫が先祖のために身代わりの儀式を行うことは,どの点
をとってみても,理にかない,矛盾がありません。わたしは,人がほかの人の身
代わりをするなどということはあり得ないと,この業に異論を唱える人々が言う
のを度々耳にしてきました。そのように言う人々は,救いの業全体が身代わりの
業で成り立っている点を見過ごしにしています。イエス・キリストは仲保者とし
あがな
て,わたしたちが責任を負うことのできない死から,わたしたちを贖 ってくださ
いました。さらに,悔い改めと福音を受け入れることを条件に,わたしたち自身
の罪の責任からも贖ってくださっています。主はこの業を,実に広大で無限の
規模で行われましたが,同じ原則によって,自ら救いの儀式を受けることのでき
ない無力な死者の身代わりとして儀式が行えるよう,主は御自分の教会の会員
17
に権能を託されたのです。
わたしたちは死者の救いの業を狭く見すぎることがあるようです。主の神殿
でわたしたちが身代わりの業を行っているのは亡くなった人たちのためである
とするのは誤った考え方です。彼らがあたかも生きているかのように,とらえる
必要があります。生者であるわたしたちは,死者が福音の神権時代に生を受け
ていれば生きているうちに受け入れていたはずの祝福を,身代わりとして受け
ているだけなのです。したがって,神殿で身代わりの儀式が行われる死者は
18
皆,儀式が執行されている間生きていると見なされます。
この死者のための救いの教義は,これまで人類に啓示された中でも最も栄
光に満ちた原則の一つです。これにより,福音があらゆる人に及び,神が人を
偏り見るお方ではないという事実が立証されます〔使徒 10:34 参照〕。あらゆ
る人は主の目に貴い存在であり,あらゆる人は実際に,それぞれがなした業に
従って裁かれるのです。
わたしはこの時代に主が永遠の福音を回復してくださったことに感謝してい
ます。預言者エリヤによって結び固めの権能が地上に取り戻されたことに感謝
しています。また,永遠の家族という単位,主の聖なる神殿で結び固められる
という特権,さらに,その結び固めの祝福を福音の知識なくして亡くなったわ
たしたちの先祖も受けられるようにしてくださったことについて,主に感謝して
19
います。
5
家族歴史の活動と死者のために行う神殿の活動は,愛の働きである
けん そん
世の楽しみや,時には生活に必要なものまでも犠牲にして働く,善良で,謙 遜
たま もの
な人々がたくさんいます。彼らは,先祖のために記録を用意し,救いの賜 物 が
先祖にも及ぶよう,そのための業を果たしています。この愛の働きが無に帰す
205
第 17 章
ことはありません。この大義に尽くす人々は皆,自らの宝と富を神の日の栄えの
王国で見いだすことでしょう。彼らが得る報いは非常に大きく,実にこの世で
20
の人知をはるかに超えるほど大きいのです。
福音に関連した業のうちで,主の宮の中において死者のために行われる業以
上に無私の働きはありません。死者のために働く人々は,この世的な報酬や報
いをいささかも期待していません。この業はまったく,愛の業そのものです。救
いの儀式に忠実に,絶えず携わることによって,人々の心に愛が芽生えてくるの
です。金銭的には何の見返りもありません。しかし,天において,救いのため
に尽くした相手の人々と,必ずや大きな喜びを共にするでしょう。この業は人の
霊を解放し,隣人の幸福についての見方を広げさせ,御父のすべての子供たち
に対する愛を人の心に植えつけてくれます。自分と同じように隣人を愛するこ
とを学ぶうえで,神殿で死者のために行われる業に匹敵するものはありません。
イエスは世を深く愛されたので,世の罪の代償として御自身を進んでささげら
れ,世が救われるようにしてくださいました。わたしたちの介添えなしには福音
の祝福にあずかれない人々を助けることによって,わたしたちもわずかながら,
はらから
21
主と同胞に愛を示すことができるのです。
6
家族歴史と神殿の活動とにより,わたしたちは世代と
世代をつなぐ家族の組織を完全なものとする
死者の救いと神殿の業の教義は,家族の関係が継続するという輝かしい前
途をわたしたちに約束しています。この教えによって,家族のきずなは断ち切
られないこと,そして夫婦は互いに相手が連れ合いであり,子供たちが最後の
世代に至るまで自分たちの子供であると,永遠に主張できることが分かります。
しかし,このような特権にあずかるためには,神の神殿において結び固めの儀
式を受けなければなりません。人が交わした契約,きずな,義務,取り決めは
すべて,いつかは終わりを迎えます。しかし主の家で引き受けた義務や交わし
た取り決めは,忠実に守るなら永遠に継続します〔教義と聖約 132:7 参照〕。
み こころ
この教義から,主が子供たちに対して抱いておられる御 心 がはっきりと分かり
あわ
ます。また,御自身に従うすべての人に対して,主が豊かで限りない憐れみと愛
を持っていらっしゃることが分かります。さらには反抗的な人にも同様に,主
22
は広い心で,大きな祝福を与えられるのです。
日の栄えの昇栄においては,家族の組織は完全なものであるということを,
わたしたちはイエス・キリストの福音によって教えられています。完全な家族の
組織とは,ある世代の親子が次の世代の親子と結ばれ,時の終わりに至るまで
23
連綿として続いていく組織のことです。
206
第 17 章
亡くなった先祖に心を向けるとき,わたしたちは
生きている家族にも心を向けることができる。
アダムの時代から時の終わりまでの世代を結び合わせ,つないでくれるもの
が必要です。親から子,子から親,一つの世代から別の世代へと家族が結び
合わされ,きずなが作られます。わたしたちはやがて,主が置かれたわたした
かしら
ちの父祖アダムを頭 とする,一つの壮大な家族の中に組み込まれていきます。
ですから,わたしたちが神の王国において救いと昇栄にあずかるためには,こ
の業を行いたいという望みを心に抱き,死者に代わってその業を力の及ぶかぎ
り行う必要があります。これは栄光に満ちた教義であり,預言者ジョセフ・ス
ミスを通して啓示された壮大な真理の原則の一つなのです。わたしたちは機会
を最大限に活用して,自分が主の目から見てふさわしい者であり,主が受け入れ
てくださる者であることを立証する必要があります。それは,わたしたちが自ら
この昇栄にあずかるためであり,神の王国における長子の教会の聖徒たちの壮
大な再会の場にあって,わたしたちが親せきや友人とともに喜びを味わうため
です。彼らは世の罪に捕らわれ染まるようなことが決してありませんでした。
207
第 17 章
主がわたしたちを祝福し,わたしたちが召しを尊んで大いなるものとし,あら
ゆる面で主に忠実に仕えたいという望みを心の中に抱かせてくださるよう,祈り
24
ます。
研究とレッスンのための提案
質問
•「ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯から」の中から,神殿の奉献時に
述べた「わたしたち〔は〕実際には,…… 奉献しているのです」というスミス
大管長の勧告を読んでください。この勧告に従うために,わたしたちは何を
することができるでしょうか。
•第 1 項の中の教えは,すでに亡くなったわたしたちの先祖を助けようとするわ
たしたちの努力とどのような関係があるでしょうか。この教えを現在の家族
とわたしたちとの関係にどう結び付けることができるでしょか。
•第 2 項を読んで,スミス大管長が,結び固めの力は「イエス・キリストの来臨
の時に全地が荒廃することがないようにする」のはなぜか,説明している箇
所を探し出してください。この言葉は,救いの計画において家族が占める位
置について,何を教えているでしょうか。
•神殿活動はどのように「救いの計画と密接に関連して」いるのでしょうか
(第 3 項参照)。この原則は,神殿活動に対するわたしたちの思いにどのよう
な影響を与えるでしょうか。
•スミス大管長は,わたしたちが死者のために神殿の活動を行うときには,そ
の人々をあたかも生きているかのようにとらえなければならないと勧告しまし
た(第 4 項参照)。この言葉はあなたにとってどのような意味があるでしょう
か。この考え方に立つと,あなたの神殿での奉仕の仕方にどのような影響が
あるでしょうか。
•第 5 項を復習し,家族歴史の業を行う人々にもたらされる祝福についてスミ
ス大管長が語った言葉を探し出してください。あなたは,大管長の言葉が真
実であるということをどのようにして知ったでしょうか。
「壮大な再会」の場であなたの先祖とともに喜ぶ経験につ
•第 6 項を研究し,
いて想像してみてください。自分自身とあなたの家族をその特権に備えさせ
るために,あなたはどんなことができるか,考えてみてください。
関連聖句
1 コリント 15:29;教義と聖約 95:8;97:15 - 16;128:16 - 19
208
第 17 章
教えるヒント
「生徒から質問を受けたら,あなた自身が答えるのではなく,ほかの生徒に答
えさせることを考えなさい。例えば,このように言うことができる。『興味深い
質問です。ほかの人はどう思いますか。』あるいは『この質問に答えてくれる人
はいますか。』」
(『教師 ― その大いなる召し』,64 )
注
1. Conference Report, 1948 年 4 月,134
2.“ S a lvat ion for t he D ead , ”I mprovement
Era, 1917 年 2 月 号,361 。Doctrines of Salvation, ブルース・R・マッコンキー 編,全 3 巻
( 1955 - 1956 年),第 2 巻,147 も参照
3.“ Ogden Temple Dedicatory Prayer, ”Ensign, 1972 年 3 月号,6
4.「エライジャの 訪 れ 」
『聖 徒 の 道』1972 年 6 月
号,241 ,243
12.“ The Duties of the Priesthood in Temple
Work , ”Utah Genealogical and Historical
Magazine, 1939 年 1 月号,4
13. “ E l ija h t he P rophet a nd H is M is s ion -
IV,”Instructor ,1952 年 3 月号,67
14.“ Salvation for the Dead ,”Millennial Star,
1927 年 12 月 8 日 付,775 。Doctrines of Salvation, 第 2 巻,127 も参照
15.“ The Keys of the Priesthood Restored, ”101
5.“ The Keys of t he Priest hood Restored ,”
Ut a h G enea log ica l a nd H istor ica l Magazine, ,1936 年 7 月,100
16. S e a l i ng Powe r a nd S a lv at i o n , B r ig h a m
You ng Un iver s it y Sp eeche s of t he Yea r
( 1971 年 1 月 12 日),2 - 3;斜体は正体にした
6.“ A Peculiar People: The Authority Elijah
Restored ,”Deseret News, ,1932 年 1 月 16
日 付,Church 欄,8 。Doctrines of Salvation,
第 2 巻,117 も参照
,
17. The Restoration of All Things ( 19 45 年)
174 - 175
7.“ Salvation for the Living and the Dead ,”
Relief Society Magazine, 1918 年 12 月 号,
677 - 678 。Doctrines of Salvation, 第 2 巻,
121 も参照
8. Doctrines of Salvation ,第 2 巻,122
9.「エライジャの訪れ 」243
10.“ Relief Society Conference Minutes ,”Relief Society Magazine, 1919 年 8 月号,466 で
引 用。Doctrines of Salvation, 第 2 巻,40 も
参照
11.“ One Hundred Years of Progress, ”Liahona:
The Elders’Journal, 1930 年 4 月 15 日 付,
520
18. “ The Keys of the Priesthood Restored , ”
100 - 101
19. Sealing Power and Salvation, 3
20.“ A G r e et i ng ,” U t a h G e n e a l o g i c a l a nd
Historical Magazine, 1935 年 1 月号,
5 。 Doctrines of Salvation, 第 2 巻,180 も参照
21.“ S a lvat ion for t he D ead , ”I mprovement
Era ,1917 年 2 月 号,362 。Doctrines of Salvation, 第 2 巻,144 も参照
22.“ S a lvat ion for t he Dead ,”I mprovement
Era, 1917 年 2 月 号,362–63 。Doctrines of
Salvation, 第 2 巻,173 も参照
23. Conference Report, 1942 年 4 月,26 で 引 用。
Doctrines of Salvation, 2:175 も参照
24. Conference Report, 1911 年 10 月,122 で引用
209
「もしあなたがたがわたしを愛するならば,わたしのいましめを守るべきである。」
(ヨハネ 14:15 )
210
第 1 8
章
ことば
神の口から出る一つ一つの言で生きる
「礼拝という最高の行為は,
戒めを守り,
なら
神の御子の歩みに倣い,神の喜ばれることを行うことです。」
ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯から
ジョセフ・フィールディング・スミス大管長はこう宣言している。「わたしは自
らの救いを得られるよう努めています。また,その救いは,主の律法に従って,
戒めを守り,義にかなったもろもろの業を遂行し,導き手,良き模範者,すべて
の長であられるイエスの歩みに倣うことによってのみ見いだすことができるとい
1
うことを知っています。」
スミス大管長は,自らの救いを得られるよう努めるだけでなく,ほかの人々も
救われるよう助けたいと熱心に働いた。大管長会の書記を務めたフランシス・
M・ギボンズ長老は,スミス大管長について次のように述べている。「〔彼は〕
人々が聖典に記されている道から離れようとするときに警告の声を発するの
は,自分の義務であると考えていました。また,ほかの人たちが何と言おうと,
その義務を放棄する気はまったくありませんでした。はっきりと意見を述べる
ちゅうちょ
ことで周囲から不評を買うようなことがあっても,躊 躇 するようなことは一切あ
りませんでした。人々の間で良く思われたり,名声を博したりすることが目的で
はなかったのです。そうではなく,自分には塔の見張り人としての役割がある
と考えていました。迫り来る危険に気づかない塔の下にいる人々に,警告の声
2
を発しなければならないと考えていたのです。」
スミス大管長は,この警告の声に耳を傾ける人に起こり得る心の変化を示す
例として,次の経験を分かち合っている。
「わたしは何年も前にあるステーク大会に出席し,知恵の言葉について話しま
した。……〔その大会が終わって〕建物の後ろの方に行ったときに,ほとんど
の人が立ち去っていましたが,一人の男性が手を差し出して,こう言いました。
きょう
『スミス兄弟,今日は知恵の言葉についてのすばらしい説教を初めて聞きまし
た。』
わたしはこう尋ねました。『知恵の言葉について,ほかの説教を聞いたこと
はないのですか。』
211
第 18 章
彼はこう答えました。『ありますが,自分のためになったのは今日が初めてで
す。』
わたしはこう尋ねました。『どういうことですか。』
3
彼は答えました。『今から知恵の言葉を守ろうと決心できたのです。』」
ジョセフ・フィールディング・スミスの教え
1
神は全宇宙を律法によって統治しておられ,
わたしたちはその律法に支配されている
全能の神が全宇宙を不変の律法によって統治しておられるので,その被造
物の中で最も偉大な人間が自らその律法に従わなければならないことは,万人
が認めるべきところです。主は,教会に対する啓示の中で,この真理を簡潔に
力強く述べておられます。
「すべての王国には律法が与えられている。
そして,多くの王国がある。王国のない空間はないからである。また,大き
な王国も小さな王国も,その中に空間のない王国はない。
そして,すべての王国に一つの律法が与えられており,すべての律法に一定の
限界と条件がある。
それらの条件の中にとどまっていない者は皆,義とされない。」
(教義と聖約
88:36 - 39 )
この真理は自明です。したがってわたしたちは,神の王国が律法によって統
治され,そこに入ろうと望む者は皆,この律法に支配されることを当然のことで
あると考えることこそ,唯一,理にかなうことです。「見よ,わたしの家は秩序
の家であり,混乱の家ではない,と主なる神は言う。」
(教義と聖約 132:8 )
主は人に,イエス・キリストの福音と呼ぶ律法の大系をお与えになりました。
霊感と霊の導きに欠けるため,人々がそれらの律法にどのようにかかわり,実践
していくかは異なるかもしれません。しかし,そのような律法が確かに存在し,
その王国に入りたいと願う者は皆,その律法に従わなければならないという事
4
実に関して異議を唱える人はほとんどいないはずです。
わたしたちには,日の栄えの世界の最も高位の天における救いと昇栄に必要
なあらゆる真理,あらゆる教義,あらゆる律法と必要条件,あらゆる任務と儀
式が与えられています。
5
212
第 18 章
2
戒めを守ることは,主に対するわたしたちの愛の表現である
教会におけるわたしたちの責任は,霊とまこととをもって主を礼拝することで
す。わたしたちはこのことを心と,勢力と,思いを込めて行おうと努めているの
です。「主なるあなたの神を拝し,ただ神にのみ仕えよ」とイエスは言われまし
た(マタイ 4:10 )。
礼拝とは,祈りや説教,福音の実践をはるかに超えたものであるとわたした
ちは信じています。礼拝という最高の行為は,戒めを守り,神の御子の歩みに
なら
倣い,神の喜ばれることを行うことです。口先だけで主に仕えることと,主がわ
み こころ
たしたちのために示された模範に倣って神の御 心 を敬い尊ぶことは,まったく
別のことです。……わたしはキリストの足跡に倣う特権があることを喜んでい
ます。わたしがこの世で受けた永遠の命の言葉や,最後まで忠実で,また誠実
であり続けることにより,次の世で永遠の命を授けられるという希望に深く感
6
謝しており,そのように言えることをうれしく思っています。
これは教会の会員に対する律法です。救い主はこう言われました。「わたし
のいましめを心にいだいてこれを守る者は,わたしを愛する者である。……」
(ヨハネ 14:21 )また,次のようにも言っておられます。「もしあなたがたがわ
たしを愛するならば,わたしのいましめを守るべきである。」
(ヨハネ 14:15 )
……
か しゃく
救い主はいかなる罪を犯したことも,いかなる良心の呵 責 を感じられたこと
もなく,また皆さんやわたしのように,悔い改めの必要に迫られたということも
おありではありません。しかし,わたしには理解できない何らかの方法で,わた
しや皆さんの罪の重荷を背負われました。……自らの罪を進んで悔い改め,主
のみもとに返り,戒めを守ることを条件として,主はわたしたち一人一人のため
に御自分を犠牲としてささげ,負債を支払ってくださいました。もしできるなら,
それについて考えてください。救い主はわたしたちの理解を超えた何らかの方
法でその重荷を背負われました。わたしにはそれが分かります。主の言葉を受
け入れたからです。主は御自分が経験された苦しみについて,その苦しみがあ
さかずき
まりにも大きかったため,できることならば,苦い杯 を飲まずに身を引くことが
できるよう天の御父に嘆願したほどだったと語っておられます。「……しかし,
わたしの思いではなく,みこころが成るようにしてください。」
(ルカ 22:42 )主
は御父から次のような答えをお受けになりました。「あなたはそれを飲まなけ
ればなりません。」
主を愛さずにいられるでしょうか。わたしにはできません。皆さんは主を愛
7
していますか。そうであれば,主の戒めを守ってください。
213
第 18 章
3
主の戒めを守らなければ,主の祝福を受けることは期待できない
主がわたしたちたちを導くためにお与えになった戒めを守らなければ,主の
8
祝福を求める権利はありません。
主の戒めを守る意思がないのに,主に願い求めて何の益があるでしょうか。
み
ざ
そのような祈りは恵みの御 座 を前にした中身のない見せかけや侮辱的行為で
す。そのようなことをして,好ましい答えを期待するなどもってのほかです。「あ
なたがたは主にお会いすることのできるうちに,主を尋ねよ。近くおられるうち
に呼び求めよ。悪しき者はその道を捨て,正しからぬ人はその思いを捨てて,
主に帰れ。そうすれば,主は彼にあわれみを施される。われわれの神に帰れ,
主は豊かにゆるしを与えられる。」イザヤはこう言っています(イザヤ 55:6 -
7 )。しかし,わたしたちが主に願い求めるとき,主はいつもわたしたちの近くに
いてくださるのではないでしょうか。しかし実際にはそうではありません! 主
はこう言っておられます。「彼らは主なる神の声に聞き従うのが遅かった。そ
れゆえ,主なる彼らの神は,彼らの祈りを聴くのを遅くする,すなわち彼らの苦
難の日に彼らにこたえるのを遅くするのである。平穏な日には,彼らはわたし
の勧告を軽んじた。しかし,苦難の日にはやむを得ずわたしを捜し求める。」
〔教義と聖約 101:7 - 8〕わたしたちが主に近づくならば,主はわたしたちに近
づいてくださり,わたしたちをお見捨てになることはありません。しかし,わた
したちが主に近づかなければ,またわたしたちが反抗している間は,主がわた
9
したちに答えてくださるという約束はないのです。
主に祈るとき,次のように言うことはできません。「わたしたちの必要に耳を
傾け,わたしたちに勝利をもたらし,わたしたちがあなたにしてほしいことをして
ください。ただし,あなたがわたしたちにしてほしいことをするように言わない
10
でください。」
わたしたちは,部分的な真理の中だけではなく,完全な真理の光の中を歩む
必要があります。福音の原則の中のあるものは信じ,あるものは拒否しておき
ながら,神の王国における完全な救いと昇栄の祝福にあずかる特権はありませ
ん。昇栄を望むならば,主が正しく忠実な者のために備えてくださった場所を
望むならば,喜んでイエス・キリストの福音の完全な光の中を歩み,戒めをすべ
て守らなければなりません。戒めの幾つかは取るに足りない無意味なものだ
から,そのような戒めを破っても,主は気になさらないと言うことはできません。
わたしたちは神の口から出る一つ一つの言葉によって生きるよう命じられてい
るのです〔申命 8:3; 教義と聖約 98:11 参照〕。主はこう言っておられます。
「わたしを主よ,主よ,と呼びながら,なぜわたしの言うことを行わないのか。」
11
〔ルカ 6:46〕
214
第 18 章
両親は子供たちが「真理の完全な光の中を歩む」よう助けることができます。
4
主の戒めを守っているとき,わたしたちは完成への道を歩んでいる
主はわたしたちに,主を信じ,主の永遠の福音を受け入れ,主の聖約と救い
の条件に調和して生きるよう期待しておられます。自分の気に入った福音の原
則を選んでそれに従い,ほかの原則は忘れるというのはわたしたちの務めでは
ありません。自分たちの社会的文化的環境に当てはまらなくなっている原則も
あると決めつける権限はわたしたちにはありません。
主の律法は永遠です。わたしたちは主の完全な永遠の福音にあずかってい
ます。そして,主の律法と真理のすべてを信じ,それらの律法と真理に従う義
務があります。だれにとっても,主の戒めを守ること以上に大切なものはありま
せん。主はわたしたちがあらゆる真の原則を固く守り,日々の生活で主の王国
にかかわる事柄を最優先し,キリストを固く信じて前進し,勢力と,思いと,力
を尽くして主に仕えるよう期待しておられます。聖典に記されているように,事
の帰する所に耳を傾けようではありませんか。「神を恐れ,その命令を守れ。
12
これはすべての人の本分である。」
(伝道の書 12:13 )
215
第 18 章
わたしはあの偉大ですばらしい説教についてよく考えます。皆さんも同じ
ではないでしょうか。それはわたしの知るかぎり,これまで行われた中で最も
偉大な説教,すなわち,わたしたちが「山上の垂訓」と呼んでいる説教です。
……わたしたちがその教えに従うならば,御父と御子イエス・キリストのもとに
再び帰ることができるでしょう。
次の言葉はまさしく,主のすべての教えを要約しているとわたしはよく思いま
す。
「それだから,あなたがたの天の父が完全であられるように,あなたがたも
完全な者となりなさい。」
〔マタイ 5:48〕
……主の言葉は文字どおりそのような意味なのだとわたしは信じています。
わたしたちは,天の御父がそうであられるように,完全となるべきなのです。そ
れはすぐには達成できないでしょうが,教訓に教訓,規則に規則,そして模範
に模範を示されるとき,それらを通して少しずつ完全に近づくのです。しかし,
それでも死すべき現世では達成できないでしょう。墓を超えてもなお天の御父
のような完全さに到達するには長い時間を要するからです。
しかし,わたしたちはこの現世で土台を築きます。試しの期間であるこの現
世でこそ,わたしたちはイエス・キリストの福音という簡潔な真理を学び,主の
きょう
言われる完全に備えるのです。昨日よりも今日,今日よりも明日というふうに向
上していくことこそ,わたしの義務であり,皆さんの義務なのです。なぜでしょ
うか。それは,主の戒めを守っているのであれば,わたしたちはあの道,すな
わち完成への道を歩んでいるからです。また,それは従順と世に打ち勝ちたい
と願う心の望みによってのみ到達できる道なのです。……。
……もし短所や弱点があるならば,克服したいという望みをもって,打ち勝
じゅうぶん
ち乗り越えるまで全力を尽くすとよいでしょう。什 分 の一を納めるのが難しい
と感じているのであれば,その習慣が身に付くまで,什分の一を納めてくださ
い。知恵の言葉が難しければ,その戒めを愛することができるようになるま
13
で,知恵の言葉を守ってください。
5
戒めを守るとき,主はわたしたちを慰め祝福し,
昇栄にあずかるふさわしさを身に付けられるよう励ましてくださる
〔主に〕喜んでいただくためには,感謝と賛美をもって主を礼拝するだけでな
く,主の戒めを喜んで守らなければなりません。そうすることによって,主は必
ず祝福をお授けになります。というのも,すべての祝福はこの原則(律法への
14
従順)に基づいているからです。〔教義と聖約 130:20 - 21 参照〕
216
第 18 章
神は,わたしたちの方から近づき,信仰を深め,強くなれるように,
〔戒めを〕
お与えになりました。いつの時代にも,わたしたちに慰めや祝福をもたらさな
いような戒めをお与えになることはありませんでした。戒めは主に喜んでいた
だくためにだけ与えられているのではありません。わたしたちがより善い人間に
なれるように,また神の王国における救いと昇栄を得るにふさわしくなれるよう
15
に与えられているのです。
神殿に入ると,わたしたちは主に仕え,主の戒めを守り,世の汚れに染まらな
いことを手を挙げて聖約します。自分が何をしているのかよく理解しているな
らば,エンダウメントはわたしたちすべてにとって生涯にわたり守りとなるでしょ
う。この守りは神殿に行かない人には与えられない守りです。
わたしは父がこう言うのを聞いたことがあります。「自分は試練や誘惑を受
けるとき,主の家で交わした約束と聖約について考える。それらは自分を守っ
てくれる。」……これらの儀式は,一つには,そのような守りのために行われま
す。わたしたちが尊ぶならば,それらの約束と聖約は,わたしたちを現世にお
いては救い,来世においては昇栄へと導いてくれます。わたしはこの守りが与え
られていることを知っています。というのは,自分たちの義務を心に留めてきた
ほかの多くの人々が経験してきたように,わたしもその守りを経験したことがあ
16
るからです。
たま もの
主はわたしたちに賜 物 をお与えになります。わたしたちの心を啓発してくだ
さいます。あらゆる困難な問題を解決し,主がお与えになった戒めとわたした
ちを調和させる知識を与えてくださいます。わたしたちの魂に深く根を下ろし,
決して抜き取られることのない知識を与えてくださるのです。そのために何を
すればよいかといえば,自分たちに約束され,イエス・キリストの福音にかかわ
るすべての聖約と義務を忠実に守りさえすれば授かる光と真理,そして理解力
17
を求めればよいのです。
喜んで律法に従い,主の戒めを守るこの教会の会員には偉大な約束が与え
られています。神の王国で一つの場所を与えられるにとどまらず,御父と御子
の臨在を受けることもできるという約束です。それだけではありません。とい
うのは,御父が持っておられるすべてが彼らに与えられると主は約束されてい
18
るからです。〔教義と聖約 84:33 - 39 参照〕
イエス・キリストの福音に定められているそれらの戒めを守り,それを継続
することで,わたしたちは不死不滅,栄光,そして永遠の命を受け,父なる神と
御子イエス・キリストとともに住み,そこで御二方を真に知ることができるので
19
す。
わたしたちが徳と高潔の道を歩むならば,主は計り知れないほどの祝福を与
えてくださるでしょう。わたしたちは,実際に,ペテロが語ったように「選ばれ
217
第 18 章
神殿で,わたしたちは「主に仕え,主の戒めを守り,世の汚れに染まらない」
ことを聖約します。
た種族,祭司の国,聖なる国民,神につける民」となるのです( 1 ペテロ 2:9 )。
また,わたしたちは特異な民となります。なぜなら,これらの標準に従って生活
しないほかの人々とは異なるからです。……
しもべ
主の僕であるわたしたちの目的は,主がわたしたちのために備えてくださった
道を歩むことです。わたしたちは主の喜ばれることをしようと望み,それを語る
だけでなく,わたしたちの生活そのものが主の生活と同じになるように努める
のです。
主はあらゆる事柄に関して,わたしたちのために自ら完全な模範を示され,
次のように語っておられます。「わたしに従ってきなさい。」主はニーファイ人の
弟子たちにこう尋ねておられます。「……あなたがたはどのような人物である
べきか。」そして次のように答えておられます。「まことに,あなたがたに言う。
わたしのようでなければならない。」
( 3 ニーファイ 27:27 )
さて,わたしたちはこの世で最も偉大な業に携わっています。わたしたちが
所有するこの神権は主御自身の権能であり権威です。そして主は,自らの召し
を尊んで大いなるものとし,主が光の中におられるように,その中を歩むなら
218
第 18 章
ば,わたしたちは御父の王国において永遠に主とともにその栄光と誉れを受け
るであろうと約束しておられます。
そのような栄光ある望みを前にして,わたしたちはこの世の邪悪な道を捨て
去らないでよいでしょうか。生活の中で神の王国の事柄を優先しようではあり
ことば
ませんか。「神の口から出る一つ一つの言 で生き」ようと努めようではありま
20
せんか。
あかし
わたしは証 します。主はわたしたちの時代に語られました。主のメッセージ
は,希望と喜び,救いのメッセージです。また,わたしは約束します。天の光の
中を歩み,自分にかけられた信頼に誠実にこたえ,戒めを守るならば,現世に
21
あっては平安と喜び,来世にあっては永遠の命が得られます。
戒めを守ってください。光の中を歩んでください。最後まで堪え忍んでく
ださい。すべての聖約と義務に忠実であってください。そうすれば,主はあな
たが夢見ている最も好ましいものよりはるかに勝る祝福をお与えになるでしょ
22
う。
研究とレッスンのための提案
質問
•「ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯から」の最後にある話をもう一度
読んでください。戒めを守ろうと努力するときに,福音に対するわたしたちの
気持ちが変わるのはなぜでしょうか。
•第 1 項で引用されている聖文からどのようなことを学べるでしょうか。
•戒めを守ることはイエス・キリストに対する愛の表現であるというのは,どう
あがな
いうことでしょうか。また,主の贖 いの犠牲に対する感謝の表現であり,礼
拝の表現であるというのは,どういうことでしょうか(第 2 項参照)。
•第 3 項にある教えについて深く考えてください。従順であろうと努力せず
に,主の祝福を期待するのは間違いであるのはなぜでしょうか。
•すぐに,あるいは現世で完全となることを期待するべきではないと知ること
は,どのような助けとなるでしょうか(第 4 項参照)。「完成への道に」とど
まるためには,主の助けを受けながら,毎日何をしたらよいか考えてくださ
い。
•第 5 項で,スミス大管長は,戒めを守る人を主がどのように祝福してくださる
か,少なくとも 10 の方法を挙げています。これらの祝福の幾つかを受けた
経験があったら,それを分かち合ってください。
219
第 18 章
関連聖句
マタイ 4:4;2 ニーファイ 31:19 - 20;オムナイ 1:26;教義と聖約 11:20;
82:8 - 10;93:1;130:20 - 21;138:1 - 4
教える際のヒント
「参加者に,その章について個人学習で学んだことを発表してもらう。その
週に数人の参加者に連絡を取り,学んだことを発表する準備をしておくように
依頼するとよいであろう。」
(本書 vii ページから抜粋)
注
on the New M IA Theme, ”New Era, 1971
年 9 月号,40
1. Conference Report, 1969 年 10 月,110 で引用
2. フ ラ ン シ ス・M・ ギ ボ ン ズ,Joseph Fielding
S m it h : G o s p e l S c h o l a r, P r o phet o f G o d
( 1992 年),313
13. Conference Report, 1941 年 10 月,95 で引用
14.“ The Virtue of Obedience, ”Relief Society
Magazine, 1968 年 1 月号,5
3. Conference Report ,1935 年 10 月,12 で引用
『聖徒の道』1972 年 10 月
4.「 死者のための正義」
号,434 参照
15. Conference Report, 1911 年 4 月,86 で引用
5. “ President Smith’s Last Two Addresses, ”
Ensign, 1972 年 8 月号,46 で引用
16.“ The Pearl of Great Price, ”Utah Genealogical and Historical Magazine, 1930 年 7 月号,
103
6.「主 は 生けりと知 る」
『聖 徒 の 道』1972 年 5 月
号,195 参照
17.“ S eek Ye Ea rnest ly t he B est Gi f ts , ”Ensign, 1972 年 6 月号,3
7. Conference Report, 1967 年 4 月,121 - 122
で引用
18.“ Keep the Commandments, ”Improvement
Era, 1970 年 8 月号,3
8. Conference Report, 1935 年 10 月,15 で引用
19. Conference Report, 1925 年 10 月,116
9. Conference Report, 1943 年 4 月,14 で引用
『聖徒の道』1971
20.「神権者としての我々の義務」
年 12 月号,341 - 342 参照
10. Conference Report, 1944 年 10 月,144 - 145
で引用
21. Conference Report, イギリス地域総大会 1971
年,7 で引用
11. Conference Report , 1927 年 4 月,111 - 112
で引用
12.“ President Joseph Fielding Smith Speaks
『聖 徒 の 道』1972
22.「 聖 徒と世 の人々へ の 勧 告」
年 12 月号,536 参照
220
第 1 9
章
世にあって世のものではない
「わたしたちは世にあっても,世のものではありません。
わたしたちは世に打ち勝ち,聖徒らしく生活するよう
求められています。」
ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯から
1944 年 12 月 29 日,ジョセフ・フィールディング・スミス大管長の息子ルイス
は,合衆国陸軍に従軍していたときに死亡した。スミス大管長は深い悲しみに
暮れたが,ルイスの立派な生涯を思い出して慰めを受けていた。スミス大管長
は日記にこう記している。「ルイスに下品な言動があったとしても,わたしはそ
れについてまったく聞いたことがない。彼の思いは行いと同じように純粋だっ
あらし
た。…… 嵐が吹き荒れているときも,ルイスが清らかであり,世と陸軍にはびこ
る不道徳とは無縁であったことを知っているので,わたしたちは平安と幸せを
得ている。彼は信仰に忠実であった。そして,栄光ある復活を受けるにふさわ
1
しい。そのときにわたしたちは再会するのだ。」
それからおよそ 11 年後,ジョセフ・フィールディング・スミス大管長と妻ジェ
シーは,軍人たちの中に同様の特質を目にしていた。二人は東アジアの教会の
伝道部を視察し,アメリカ合衆国から来た軍人の末日聖徒を訪れたのである。
スミス大管長と姉妹は,世の誘惑に遭いながらも,立派に清い生活を送ってい
た彼らに感銘を受けた。 1955 年 10 月の総大会で,スミス大管長は次のよう
に報告した。
「軍務に就いている息子を持つ父親と母親の皆さん,彼らを誇りにしてくださ
い。彼らは立派な青年です。軍人の中には何人かの改宗者がいます。彼らは
教えにより,教訓により,また模範により,多くは一緒に軍務に就いている教会
員の模範により教会に導かれた人々です。
『このような青年たちの生活を見て,また彼らが福音の原則を教えてくれたの
で,教会に入りました 』と話す何人かの若者に会いました。
彼らは立派な働きをしています。戒めを心に留めない人が少しはいるかもし
れません。しかし,わたしが会って話をする特権にあずかった青年たちは,真
あかし
理について証を述べ,謙虚に生きていました。
221
第 19 章
戦時であっても,わたしたちは世のものとなることなく,世の中で生活することができる。
222
第 19 章
また,士官や従軍聖職者に会ったとき,…… 彼らは口をそろえて言いました。
『あなたの教会の青 年たちに好感をもっています。彼らは清く,信頼できま
2
す。』」
スミス大管長は,この若い軍人たちのように,
「世のほかの人たちとは違う」
3
人物になるよう教会員に勧告した。 このようなテーマを取り上げた説教の中
で,スミス大管長は,安息日を聖く過ごし,知恵の言葉に従い,天の御父とイエ
み
な
ス・キリストの御名を尊び,慎み深い服装をし,純潔の律法を守ることについて
しばしば述べた。また,世の諸悪を捨て,戒めを守るならば,
「わたしたちの現
4
在の理解を超える」祝福を受けると断言した。
ジョセフ・フィールディング・スミスの教え
1
主はわたしたちに,世の諸悪を捨て,聖徒らしく生活するよう求めておられる
わたしたちは不道徳で邪悪な世界に住んでいます。しかし,わたしたちは世
にあっても,世のものではありません。世に打ち勝ち,聖徒らしく生活するよう
求められています。……わたしたちにある光は世の光よりも大いなるものであ
5
り,主はわたしたちに世の人々よりも多くのことを求めておられます。
わたしは涙なしにヨハネ 17 章を読むことができません。……主は,御自身
を犠牲としてささげる時が来たことを知ると,心穏やかに弟子たちのために祈
られました。その中で,主はこう述べておられます。
「わたしがお願いするのは,彼らを世から取り去ることではなく,彼らを悪し
き者から守って下さることであります。
わたしが世のものでないように,彼らも世のものではありません。
み ことば
(ヨ
真理によって彼らを聖別して下さい。あなたの御 言 は真理であります。」
ハネ 17:15 - 17 )
主から啓示され,わたしたちが受け入れた教えに従って生活していれば,世
のものとなることはありません。世のすべての愚かな行いと無縁であるべきで
す。世の罪や誤り,すなわち思想の誤り,教義の誤り,政治上の誤り,そのほか
すべての誤りに陥らないようにするべきです。わたしたちは世のものとはなりま
せん。
わたしたちが行うのはただ神の戒めを守ることだけです。わたしたちが交わ
6
し,負っているあらゆる聖約と義務に誠実であること,これがすべてです。
だからといって,教会外のだれにも近寄らず,彼らと交際するべきでないとわ
たしが考えていると誤解しないでください。そのように言ったのではありませ
223
第 19 章
ん。末日聖徒として信念を貫いてほしいと思っているのです。そして,もし世の
くら やみ
み こころ
人々が暗 闇 と罪の中を歩み,主の御 心 に背いているならば,わたしたちは彼ら
7
と一線を画すべきです。
わたしたちは教会に加わるとき,…… 世の多くの習わしを捨て,聖徒らしく生
活するよう求められます。わたしたちの服装や話,行動,あるいは考えさえも,
もはやほかの人々とは違うのです。世の多くの人は,茶,コーヒー,たばこ,酒を
たしなみ,薬物を使用します。多くの人が聖なるものを汚す言葉をはき,その生
活は低俗で,下品で,不道徳で,不純です。しかし,これらはすべてわたしたち
と無縁のものでなければなりません。わたしたちはいと高き御方の聖徒なので
す。……
世の諸悪を捨てるように,教会とすべての教会員に求めます。わたしたちは
疫病を避けるように,不品行とあらゆる形の不道徳を避けなければなりません。
しもべ
主の僕 であるわたしたちの目的は,主が定められた道を歩むことです。主に
なら
喜んでいただけることを行い,話すだけでなく,主に倣 って生きるよう努めるの
8
です。
安息日を聖なる日として保つ
安息日を守り,聖なる日として保つことについて,少しお話ししたいと思いま
す。この戒めは時の初めに与えられました。神は聖徒と地上のすべての民に,
安息日を守るよう,すなわち 7 日のうちの 1 日を聖なる日とするよう命じられま
した。その日に労苦を解かれて休み,主の家に行って,主の聖日に聖式をささ
げなければなりません。なぜなら,この日は,労苦を解かれて休み,いと高き御
方に礼拝をささげるべき日として定められているからです〔教義と聖約 59:9
- 10 参照〕。わたしたちはこの日に,いと高き御方に感謝し,祈りと断食,歌,
9
互いに教化し合い教え合うことによっていと高き御方を敬うべきです。
安息日が,礼拝の日ではなく,楽しむ日,世俗的な娯楽を求める日になってい
ます。…… 残念ながら,末日聖徒イエス・キリスト教会のあまりにも多くの会員
が,一人でも多過ぎるのですが,その仲間に加わっていると言わざるを得ませ
ん。一部の教会員にとって,安息日は,心と勢力と思いと力を尽くして主なる神
に仕える日でなく,世俗的な娯楽を求める日,楽しむ日となっています。……
ところで,これは古代イスラエルの律法であったと同様に,今日の教会に対し
ても与えられている律法です。ところが一部の人々は憤慨しています。安息日
10
を守ることによって活動が制限されると感じているからです。
わたしたちには安息日を破る権利はありません。…… 非常に残念なことに,
末日聖徒の社会においてさえ,この教義を曲げて解釈している人が一部に見ら
れます。わたしたちの中には,このことに関して世の習わしに従うことがまった
224
第 19 章
く正しいと考えていると思われる人々がいます。彼らは主の戒めに背いて,世
の考えや見解を受け入れています。しかし,このような人は主から責任を問わ
み こと ば
れます。わたしたちは主の御 言 葉 に背きながら,忠実な者に与えられる祝福を
11
受けることはできません。
知恵の言葉に従う
知恵の言葉は基本的な律法です。それは歩むべき道を示し,食べ物と飲み
物の両方について,体に良いものと有害なものに関して多くの教えを与えていま
み たま
す。主の御霊 の助けを得て,記されている事柄に心から従うなら,わたしたちは
これ以上の勧告を必要としません。このすばらしい教えには次のような約束が
含まれています。
「これらの言葉を守って行うことを覚え,数々の戒めに従順に歩むすべての
聖徒たちは,そのへそに健康を受け,その骨に髄を受けるであろう。
また,知恵と,知識の大いなる宝,すなわち隠された宝さえ見いだすであろ
う。
また,走っても疲れることがなく,歩いても弱ることはない。」
〔教義と聖約
12
89:18 - 20〕
酒とたばこを買い求めるために毎年数十億ドル(数千億円)が費やされてい
ます。これらの悪癖が人類家族にもたらしている酩酊や不道徳は,健康だけで
13
なく,人類の道徳的,霊的な抵抗力をも損なっています。
不法な薬物の使用の増加と合法的な薬物の乱用によって,家族が引き裂か
14
れています。
わたしたちは,体に有害なもの,また天の御父とその御子イエス・キリストが
与えてくださった福音に反していて,御二方が非難しておられることへの誘惑や
劣悪な宣伝に耳を傾けてはなりません。……
わたしたちの体は清くなければなりません。わたしたちの思いは清くなけれ
ばなりません。主に仕えて主の戒めを守り,祈りを忘れず,また主の御霊の導き
けんそん
15
による勧告を謙遜 に求める望みを心に抱いていなければなりません。
み
な
神の御名を尊ぶ
げんしゅく
わたしたちは神の御名をきわめて神聖かつ厳 粛 な尊敬の念をもって扱わな
ければなりません。良識ある者にとって,粗野で無知な人,あるいは下品な人
が神の名を所かまわず口にするのを耳にすることほど心が痛むこと,あるいは
ぼう とく
気持ちを害されることはありません。人によっては冒 瀆 的な言葉遣いがすっ
かり身に染みついており,口を開くと必ず野卑な,神を汚す表現が出てきます。
また中には,神を汚す言葉は男らしさのしるしであって,ほかの人々よりも偉く
225
第 19 章
聖徒たちが肉体的にも霊的にも強くなれるように,
主は預言者ジョセフ・スミスに知恵の言葉を啓示された。
なったと考えているような人もいます。……どのような形をとっていようと,汚れ
は人の品位を下げ,霊を滅ぼします。したがって,教会員は皆,劇薬を避けるよ
うにそれを避けなければなりません。
作者が神聖な御名 の正しい用い方を理解していなかったということだけで,
良い物語が台無しになってしまうことがよくあります。ほかの点では立派であ
るのに,登場人物から聖なるものを汚す言葉が発せられた瞬間から,その物語
は価値を増すどころか,下落して,読者の興味がそがれます。…… 何とも不思
議なことに,一部の人,しかも立派な人々が,主の御名を含む何かの表現を織
り込むことによって物語に興味,機知,迫力が加わると考えています。……
地上のどの民にも増して,末日聖徒は聖なるすべてのものをきわめて神聖か
けいけん
つ敬虔 な態度で扱わなければなりません。世の中には正直で,敬虔で,良識の
ある人が大勢いますが,世の人々はこの点についてわたしたちのようには訓練さ
れていません。わたしたちには聖なる御霊 の導きと主の啓示があります。そし
こんにち
て,主は今日,これらすべてのことに関してわたしたちの義務を厳粛 に教えてお
16
られます。
226
第 19 章
慎み深い服装をし,純潔の律法を守る
末日聖徒は世の流行と不道徳を追いかけてはなりません。わたしたちは主の
民です。主はわたしたちが清く徳高い生活を営み,そのほかのすべての戒めを
守って思いを清く,汚れなく誠実な心を持ち続けるよう期待しておられます。そ
れなのに,なぜ世を追いかけ,慎み深くせず,主がわたしたちに望んでおられる
17
ことを行えないのでしょうか。
教会本部ビルまでの通りを歩いていると,慎みのない服装の若い女性や年
配の女性を見かけます。その多くは「シオンの娘」です〔イザヤ 3:16 - 24 参
照〕。わたしは時代と流行が変わることを承知しています。〔しかし〕慎み深さ
と礼節の原則は今なお変わりません。…… 教会の中央幹部が述べている標準
は,女性も男性も慎み深い服装をするべきであるということです。教会員はい
つも適切な振る舞いと慎み深さについて教えられています。
「シオンの娘」が不謹慎な服装をしていることについて考えると,悲しくなり
ます。さらに,これは女性だけでなく,男性についても言えます。主は男性も女
性も自分の体を覆い,常に純潔の律法を守るようにと,古代イスラエルに戒め
を与えられました。
慎みと純潔を守ってください。すべての教会員は,男女を問わず,純潔を
守って清く生活し,主から与えられている聖約と戒めに従うようにしてください。
……
…… 慎みのない服を着ることは,ささいなことのように思われるかもしれま
せんが,教会の若い男女から大切なものを奪っています。それは,天の御父の
みもとに帰ろうとするときにわたしたちが皆従わなければならない,永遠の原則
18
を守りにくくするのです。
2
忠実な者に約束されている祝福は,
世の一時的な快楽よりもはるかに大いなるものである
〔かつてある教会員が語ったことです。彼には〕まったく理解できないこと
じゅう ぶん
がありました。彼は什 分 の一を納め,知恵の言葉を守り,よく祈り,主から与え
られたすべての戒めに従うよう努めていましたが,生計を立てるために苦しん
でいました。一方,彼の隣人は安息日を守っていませんでした。たばこを吸い,
酒を飲んでいたと思います。その人は世に言う満たされた生活を送っていまし
た。わたしたちの主であり救い主であるイエス・キリストの教えを守っていませ
んでしたが,それでも成功していました。
227
第 19 章
このようなことをあれこれと考え,なぜだろうかと思う教会員が非常に大勢
います。この人が世の好ましいものすべてを祝福されているように見えるのは,
なぜでしょうか。実は,彼が好ましいと思っているものの多くは,好ましくない
ものなのです。しかし,非常に多くの教会員が苦労し,世を生きていくため懸
命に努力しています。
その答えは簡単です。わたしは時々フットボールや野球の試合,あるいはそ
のほかの娯楽場に行きますが,必ずと言ってよいほど,周囲にはたばこや葉巻,
汚れたパイプを吹かしている男女がいます。それは非常に不快であり,心穏や
ひと こと
かでいられません。そのようなとき,わたしはスミス姉妹の方を向いて,一 言 言
います。すると彼女はこう答えます。「あなたの言いたいことはよく分かるわ。
でも,あなたは彼ら の世界にいるのよ。ここは彼らの世界なの。」そこで,わた
しは我に返ります。確かに,わたしたちは彼らの世界にいます。しかし,この
世のものとなってはならないのです。
わたしたちが住んでいるこの世界は彼らの世界ですから,彼らは栄えていま
す。しかし,善良な兄弟姉妹の皆さん,彼らの世界はやがて終わります。……
やがてこの 世界がなくなる日が来ます。世界は変わります。もっと良い世界
がやって来ます。それは義にかなった世界です。キリストがおいでになると,
19
地球を清めてくださるからです。
わたしたちが熱心に探し求め,常に祈り,信じ,まっすぐに歩むならば,万事
がわたしたちの益となるようにともに働くという,主の約束があります〔教義と
聖約 90:24 参照〕。これは人生の試練や問題がわたしたちからなくなるとい
う約束ではありません。なぜなら,この試しの状態は,わたしたちに経験を与
え,困難で相反する状況をもたらすように計画されているからです。
人生は決して安易であるように計画されていません。しかし,主はすべての
試練と困難が益をもたらすと約束されました。主はわたしたちに,世に打ち勝
ち,どのような障害に遭おうとも信仰をもってしっかりと立つ強さと力を与えて
くださいます。世の動揺と混乱に囲まれても,心に平安があるという約束です。
とりわけ,現世の生涯が終わるとき,わたしたちには神のみもとで永遠の平安
を得るという約束が与えられています。わたしたちはその御方にお会いするこ
とを求め,その御方の律法を守り,その御方に仕えることを選んできたからで
20
す。
228
第 19 章
3
生活の中で神の王国を第一とするとき,わたしたちは世の人々の光となり,
人々が従うべき模範となる
末日聖徒は隠れることのできない丘の上の町のような存在であり,家の中に
いるすべての人に光を与えるろうそくに似た存在です。わたしたちは,周囲の
人々だけでなく,全地の人々に対しても義の模範として光を輝かす務めを果た
21
さなければなりません〔マタイ 5:14 - 16 参照〕。
わたしたちは,あらゆる国の聖徒が福音のすべての祝福を受け,それぞれの
22
国における霊的な指導者となるのを見られるように望んでいます。
兄弟姉妹,啓示されているままに神の戒めを守りましょう。世の人々の前に
模範を示し,彼らがわたしたちの善い業を見て,悔い改め,真理を受け入れ,救
いの計画を受け入れて,神の日の栄えの王国において救いを得られるようにし
23
ましょう。
聖徒たちが世の圧力と誘惑に抗してしっかりと立てるように,また神の王国
の事柄を第一に生活するように,そしてあらゆる信任にこたえ,すべての聖約
を守れるよう,祈ります。
若い次の世代が,不道徳から,薬物の乱用から離れ,反抗心と不作法という
世界の潮流に流されることなく,心身を清く保てるよう祈ります。
父よ,あなたの子供たちが世の危難から守られて,清く汚れなくあり,あなた
み たま
のみもとに帰ってあなたとともに住むにふさわしい者となるよう,あなたの御 霊
を注いでください。
み かお
あなたの御 顔 を求め,誠実な心をもってあなたの前を歩むすべての人々をお
守りください。また,彼らが世の光となり,地上であなたの目的を成し遂げるあ
み
て
24
なたの御手に使われる者となれるようにしてください。
研究とレッスンのための提案
質問
こん にち
•「ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯から」を読むときに,今 日 の若人
が親や成人指導者と一緒でないときに直面するチャレンジについて考えてく
ださい。そのような状況においても青少年が忠実でいられるよう彼らを助け
るために,わたしたちはどのようなことができるでしょうか。
•第 1 項で述べられている戒めを守るとき,どのような祝福が与えられるでしょ
うか。
•この世的なことによって心を乱されている人を助けるために,第 2 項の教えを
229
第 19 章
どのように役立てることができるでしょうか。「世の動揺と混乱に囲まれて
も,心に平安」を得るにはどうすればよいでしょうか。
•ほかの人々に世の習わしを捨てさせるために,わたしたちの模範はどのよう
に役立つでしょうか(第 3 項参照)。あなたはいつ義の模範の力を目にしま
したか。あなたが家族やほかの人々に義の模範を示すために行えることに
ついて考えてください。
関連聖句
マタイ 6:24;マルコ 8:34 - 36;ヨハネ 14:27;ピリピ 2:14 - 15;モロ
ナイ 10:30 ,32
教える際のヒント
「注意深く話に耳を傾け,生徒の生活に心からの関心を寄せることにより,生
み たま
徒に愛を示すことができる。キリストのような愛は人の心を穏やかにし,御 霊
のささやきを受け入れやすくする。」
(『教師,その大いなる召し』46)
注
2 日付,4 。Doctrines of Salvation, ブルース・
R・マッコンキー編,全 3 巻( 1954 - 1956 年),
第 3 巻,276 も参照
1. ジョセフ・フィールディング・スミス・ジュニア,
ジョン・J・スチュワート共 著,The Life of Joseph Fielding Smith,( 1972 年),287 - 288
14.“ Message from the First Presidency, ”Ensign, 1971 年 1 月号,1
2. Conference Report, 1955 年 10 月,43 - 44
3. Conference Report, 1947 年 4 月,60 - 61
4.“ Our Responsibilities as Priesthood Holders, ”Ensign, 1971 年 6 月号,50
5.“ President Joseph Fielding Smith Speaks
to 14,000 Youth at Long Beach, California, ”
New Era, 1971 年 7 月号,8
6. Conference Report, 1952 年 4 月,27 - 28
7.“ The Pearl of Great Price, ”Utah Genealogical and Historical Magazine, 1930 年 7 月号,
104
8.“ Our Responsibilities as Priesthood Holders, ”49 - 50
9. Conference Report, 1911 年 4 月,86
10. Conference Report, 1957 年 4 月,60 - 61
15. Conference Report, 1960 年 10 月,51
16.“ The Spir it of Reverence a nd Worsh ip, ”
Improvement Era, 1941 年 9 月 号,525 ,572 。
Doctrines of Salvation, 第 1 巻,12 - 14 も 参
照
17.“ Teach Virtue and Modesty, ”Relief Society
Magazine, 1963 年 1 月号,6
18.“ My Dea r Young Fel low Workers , ”New
Era, 1971 年 1 月号,5
19. Conference Report ,1952 年 4 月,28
20.“ President Joseph Fielding Smith Speaks
on the New M IA Theme, ”New Era, 1971
年 9 月号,40
21. Conference Report, 1930 年 10 月,23
11. Conference Report, 1927 年 4 月,111
12. Answers to G ospel Quest ions , ジ ョ セ フ・
フィールディング・スミス・ジュニア編,全 5 巻
( 1957 - 1966 年),第 1 巻,199
13.“ Be Ye Clean! ”Church News, 1943 年 10 月
22. C onference Report , Brit ish Area G enera l
Conference 1971, 6
23. Conference Report, 1954 年 4 月,28
24.“ A Witness and a Blessing, ”Ensign, 1971
年 6 月号,110
230
第
2 0
章
御父のすべての子供たちに対する
愛と関心
「わたしは,すべての人が自分たちのほんとうの姿を知り,
理解していたら,また自分たちの神聖な起源……に
気づいていたら,皆互いに思いやりと親しみを感じ合う
ようになり,それによって彼らの生き方が完全に変わり,
地上に平安がもたらされると思います。」
ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯から
ジョセフ・フィールディング・スミス・ジュニアとジョン・J・スチュワートは次
のように述べている。「日常の思いやりに満ちたささやかな行為の中にこそ,
ジョセフ・フィールディング・スミスのほんとうの姿がいちばんはっきりと見えま
す。」こう言って,二人は,大管長の行った「思いやりに満ちたささやかな行為」
の例を 3 つ紹介している。
「テンプルスクウェアのモルモンタバナクルで教会の総大会が開催されたある
日のことです。 12 歳になる男の子が,初めてタバナクルに入れることに大喜び
し,早めに来て,最前列に近い席を確保しようとしました。……ところが集会
が始まる直前,すべての席が埋まったころ,一人のアッシャーがその少年のもと
に来て,彼の席を,後から来た合衆国の上院議員のために譲ってほしいと言っ
たのです。その子はおとなしく応じて,通路に立ちましたが,落胆し,当惑し,
涙さえ流していました。」ジョセフ・フィールディング・スミス大管長は「その少
年に気づき,
〔指導者席に〕上がって来るよう手招きしました。その少年が大
管長に事の次第を話すと,大管長はこう言ったのです。『そのアッシャーには
君にそう依頼する権限はなかったんだが。でも,ここでわたしの隣に座ってい
なさい。』そして,教会の使徒たちに囲まれて,自分の席に二人で座ったのです。
またある日,教会のために 2 年間の伝道に出る若者たちの一団を面接してい
たときのことです。〔スミス大管長は〕カナダ東部に割り当てられた田舎の青
年が一人いることに気づきました。『あそこは寒いけれど,質の良い暖かいコー
トを持っていますか。』
『いえ,ありません。』大管長はその青年を通りの向かい
231
第 20 章
「ペテロが言った,
『金銀はわたしには無い。しかし,わたしにあるものをあげよう。
ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい。』」
(使徒 3:6 )
232
第 20 章
のデパートへ連れて行くと,在庫品の中からいちばん暖かいコートを買い与え
たのでした。
もう一つは,大会で大管長に支持された日のことです。幼い少女が,集会の
後,群衆をかき分けて,握手をしにやって来ました。その姿に感動した大管長
は,かがんで,自分の腕の中にその子を抱き上げました。そして,名前がビー
ナス・ホッブスだと知りました。…… 間もなく4 歳になろうという子供でした。
ビーナスは自分の誕生日に,1 本の電話に驚かされます。ジョセフ・フィール
ディング・スミス夫妻が長距離電話をかけてきて,
『誕生日おめでとう』の歌を
1
歌ってくれたのです。」
こうした思いやりに満ちた行いというものは,たまたま起きることではなく,
あわ
生涯にわたる生き方の一部です。スミス大管長は,
「深い愛と憐 れみの人でし
た。その生涯を通じて,貧しい人には助けを,悲嘆に暮れる人には慰めを,混
乱している人には助言を与えるといった行為を幾度となく繰り返し,
『キリスト
2
の純粋な愛』
〔モロナイ 7:47〕であるあの慈愛の模範を示したのです。」
ジョセフ・フィールディング・スミスの教え
1
神がすべての人々の御父であられることが分かると,
わたしたちは人を愛し,祝福をもたらしたいと望むようになる
わたしは,すべての人が自分たちのほんとうの姿を知り,理解していたら,ま
た自分たちの神聖な起源と自分たちが受け継いでいる無限の可能性に気づい
ていたら,皆互いに思いやりと親しみを感じ合うようになり,それによって彼ら
の生き方が完全に変わり,地上に平安がもたらされると思います。
わたしたちは人の尊厳と神聖な起源を信じています。わたしたちの信仰の基
盤は,神がわたしたちの御父であられ,わたしたちがその子供であり,すべての
人が同じ永遠の家族にあって兄弟姉妹であることにあります。
わたしたちは,神の家族の一員として,この地球の基が置かれる前は神とと
もに住んでいました。そして,神は救いの計画を定め,確立されました。それ
によって,わたしたちが努力を続けるかぎり,進歩,向上するという特権にあず
かれるようにしてくださったのです。
わたしたちが礼拝する神は,あらゆる力と完全さとを備えている栄光に満ち
た御方です。神は人をその形にかたどって創造されました。そして御自身が
持っている特質や属性を授けてくださったのです。
ですから,わたしたちが人の尊厳と神聖な起源を信じることは,わたしたちの
神学にとっても,わたしたちの生き方にとっても欠くことのできない部分です。
233
第 20 章
そのため,この考え方は,
「いちばん大切な,第一のいましめ」が「心をつくし,
精神をつくし,思いをつくして,主なるあなたの神を愛せよ」,そして第二の大切
ないましめが「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」ということである
と言われた主の教えのまさに基礎となっているのです。(マタイ 22:37 - 39
参照)
神はわたしたちの御父ですから,わたしたちは,神を愛し,神に仕えたい,そ
して神の家族にふさわしい一員になりたいという望みを生まれ持っています。
そのため,神が望まれることを行い,その戒めを守り,福音の標準に従って生活
しなければならないと感じています。これらはどれをとっても,真の礼拝に欠
かせない部分だからです。
さらに,すべての人はわたしたちの兄弟ですから,わたしたちは彼らをも愛
し,祝福をもたらし,親しくなりたいという望みを持っています。これもまたわた
したちは真の礼拝に欠くことのできない部分だと心得ています。
ですから,わたしたちが教会で行うことにはすべて,その中心に,神を愛し
はらから
神を礼拝し,同胞のために仕えるという神からの律法が存在するのです。
そのため,わたしたちが一つの教会として,また一つの民として,御父のあら
ゆる子供たちのために絶えず深い関心を寄せているとしても不思議ではありま
せん。わたしたちは,彼らの物質的,霊的な幸福をわたしたち自身のそれと同
様に求めています。わたしたちは,わたしたちのために祈るように彼らのため
にも祈ります。また,彼らが,わたしたちの善い行いを見て,天におられるわた
したちの御父をあがめるようになるような生き方に努めているのです。〔マタイ
3
5:16 参照〕
2
わたしたちは,教会にあって互いに愛し合い,支え合うとき,
世にあって善をもたらす力となる
「もしあなたがたがわたしを愛するならば,わたしのいましめを守るべきであ
る。」
〔ヨハネ 14:15〕
この言葉は,主が亡くなるほんの数時間前に弟子たちに語られた言葉です。
すぎ こし
このとき,主は弟子たちとともに集まり,過 越 の食事をし,世の罪のために苦し
まれる前に,最後の指示をお授けになっていました。この同じ場面で,この言
葉が語られる直前に,主は同じテーマについて次のように言われたのです。
「子たちよ,わたしはまだしばらく,あなたがたと一緒にいる。あなたがたは
わたしを捜すだろうが,すでにユダヤ人たちに言ったとおり,今あなたがたにも
言う,
『あなたがたはわたしの行く所に来ることはできない。』わたしは,新しい
234
第 20 章
たがい
いましめをあなたがたに与える,互 に愛し合いなさい。わたしがあなたがたを
愛したように,あなたがたも互に愛し合いなさい。」
〔ヨハネ 13:33 - 34 〕……
……わたしたちは単なる友人ではなく,兄弟姉妹であり,神の子供です。わ
たしが申し上げたように,わたしたちは,聖約を交わし,神の律法を守り,霊感
によって与えられているあらゆることに従って生きようと,世から出てきました。
わたしたちは互いに愛し合うよう戒められています。主が言われた「新しいい
ましめ」は,ほかの数多くの戒めと同様,永遠の時間と同じくらい古いもので
す。この戒めは,かつて存在しなかった時代も救いに必要とされなかった時代
も一度もありません。それにもかかわらず,常に新しい戒めなのです。その教
4
えは真実であるがゆえに,決して古くなることはないのです。
わたしは,互いに愛し合い,互いに信じ合い,互いに信頼し合うことは,わた
したちの神聖な義務であると信じています。また,互いの欠点や弱点を大目に
見,それをわたしたち自身の目から見ても,世の人々の目の前でも,決して大げ
さにしないこともわたしたちの義務です。末日聖徒イエス・キリスト教会では,
互いに対するあら探しや,陰口,悪口があってはなりません。わたしたちは互い
に偽らず,わたしたちの宗教のあらゆる原則を守る必要があります。互いをねた
むようなことがあってはなりません。わたしたちは,互いにうらやんだり,怒った
ゆる
りしてはなりません。心の中に,互いの過ちを赦し合うことはないという感情を
わき上がらせてはなりません。神の子供たちは,心の中で,相手がどのような人
であれ,どんな人も赦さないという感情を抱くようなことがあってはならないの
です。……
……わたしたちは人に対して悪意を抱かないようにし,むしろ,互いに赦しと
兄弟愛の精神を持つ必要があります。わたしたち一人一人が自分自身の持つ欠
点や弱点をいつも心に留め,それを正せるよう努力しましょう。わたしたちはま
だ完全の域には到達していませんし,この世の生涯で,そう願うことには無理
があります。それでも,聖霊の助けによって,互いに同じ方向を見て,わたした
ちの罪や不完全さを克服しながら,心を一つにすることは可能です。もしわた
したちが主のあらゆる戒めを敬いつつ,今申し上げたことが実践できれば,世
にあって善をもたらす力となることでしょう。またあらゆる悪や真理に敵対す
るあらゆるものを圧倒し,打倒するでしょうし,地の面にあって義にかなうこと
を成し遂げることでしょう。それは,福音が広められ,世の人々がシオンの民か
ら及ぼされる影響力を感じるからにほかならないからであり,また,自分の罪を
5
悔い改め,真理を受け入れようという傾向がもっと強まるからなのです。
235
第 20 章
人に助けの手を差し伸べるとき,わたしたちはその人々に対する愛を示している。
3
はらから
わたしたちは,同胞に対する愛を,仕えることによって表す
救い主が世に来られたのは,互いに愛し合うようわたしたちに教えるためで
した。わたしたちが生きられるようにと主が大いなる苦しみと死とを経験され
たことにより,その偉大な教えが明らかになった今,わたしたちは同胞に対する
愛を,彼らのために仕えることによって表すべきではないでしょうか。……
奉仕は人のために行われる必要があります。わたしたちは不幸な人たち,真
くら やみ
理をまだ聞いたことがなく霊の暗 闇 にとどまっている人たち,困っている人た
ち,また虐げられた人たちに対して,助けの手を差し伸べる必要があります。
あなたは気落ちしていませんか。詩人ウィル・L・トンプソンの言葉を考えてみ
ましょう。…… 詩は次のような言葉で始まります。
きょう
今日われ善きことせしか
人を助けしか
悲しきをも
慰めしか
6
かくせずば悪し〔『賛美歌』137 番〕
わたしたちの使命は全世界に向けられています。わたしたちの御父のすべて
の子供たちに平安と希望と幸福,そしてこの世と永遠の観点からの救いをもた
236
第 20 章
らすことです。……わたしは,自分にある説得力のすべてを込めて,この民に
強く勧めます。これからも助けの手を差し伸べ,世界中にいるわたしたちの御
7
父のすべての子供たちの生涯に祝福をもたらし続けてください。
4
わたしたちはあるがままに人々を評価し,愛する必要がある
わたしがまだ幼かったころ,家でジュニーという名前の馬を飼っていました。
そう めい
ジュニーはわたしが出会った中でも最も聡 明 な動物の一つに数えられるほど
でした。能力的にはほぼ人間並みだったと思います。ジュニーはいつも自分の
馬屋の扉の革ひもを外すので,納屋の中に閉じ込めておくことができませんでし
た。わたしは馬屋の半扉に取り付けた革ひもを,扉を支える柱の上からかけて
おいたものですが,ジュニーは鼻と歯を上手に使って簡単に持ち上げて外して
しまうのです。そうやって,囲いの中によく出て行ったものでした。
囲いの中には水道の栓があって,家畜が飲めるよう水おけに水をためるため
に使われていました。ジュニーはよく歯でこの栓を開けると,水を出しっぱなし
にしていたものです。父はわたしがその馬を納屋の中に閉じ込めておくことが
できないと知って,わたしに不満を言いました。ジュニーは決して逃げませんで
した。ただ水道の栓を開けて,囲いの中を歩き回ったり,芝生の上を転げ回っ
たり,庭を歩いたりするだけでした。わたしは,夜中に水道の出ている音が聞
こえると,起きて,栓を閉め,ジュニーをつなぎ直さなければならないというこ
とがよくありました。
父は馬の方がわたしより賢そうだと言うと,ある日,ジュニーが出られないよ
かぎ
うに自分で鍵 をかけることにしました。父は普通は支柱の上に輪にしてかけて
ある革ひもを取って,それを支柱の周囲と横木の下にしっかりと巻きつけると,
ジュニーに向かってこう言いました。「お嬢さん,これで出られるかどうか見て
みましょう。」父とわたしは納屋を後にし,家に向かって歩き始めました。とこ
ろが,わたしたちが家に着かないうちに,ジュニーはもう外に出ていたのです。
ジュニーはそのまま進むと,また水道の栓を開けてしまいました。
わたしは,ジュニーはわたしたちのどちらとも同じくらい頭がよさそうだと言
いました。ジュニーを馬屋にとどめておくことができなかったからです。しか
し,だからといってジュニーが悪い馬だったということではありません。実際,
悪くはなかったのです。父には,ジュニーを売る気も交換する気もありませんで
した。それは,ジュニーには,このささやかな弱点を補って余りあるほどの良い
性質がほかに数多くあったからです。
ジュニーは,馬屋から出ることに熟達していた分,馬車を引くことにかけて
は,信頼でき,頼りがいのある馬でした。そして,このことは,母が公認助産婦
237
第 20 章
だったために,大切なことでした。母に渓谷のどこかで出産が近いという連絡
が入ると,しかもそれはたいてい夜中だったのですが,わたしは起きて,ランプ
を持って納屋まで行き,ジュニーを馬車につながなければならないということ
がよくあったのです。
当時,わたしは 10 歳か 11 歳でした。馬は,どんな天候のときであっても,わ
たしと母を連れて渓谷中を動き回れるほど,穏やかで,しかも強くなければなり
ませんでした。でも,わたしが決して理解できないことが一つありました。そ
れは,なぜ大半の赤ん坊が夜,しかもその多くの場合,冬の間に生まれなけれ
ばならなかったかということです。
たいてい,わたしは馬車の中で母の帰りを待っていました。その時間帯は,
穏やかで年取ったジュニーと一緒にいられる楽しい時間でした。この馬とのわ
たしの経験は,わたしにとっては非常に有益なものでした。それは,まだ若い
うちに,ジュニーをあるがままに愛し,評価することを学ばなければならなかっ
たからです。ジュニーは,わずかに悪い習慣はあったものの,すばらしい馬でし
た。人々も多くの場合,同じです。わたしたちの中で完全な者はいません。そ
れでもわたしたち一人一人は,天にいる御父がそうであられるように,完全にな
ろうと努力しています。わたしたちは,人々をあるがままに評価し,愛する必要
があるのです。
恐らく皆さんは,両親や教師,ワードやステークの指導者,あるいは友人や兄
弟姉妹を評価するときに,わたしのこの経験を思い出す必要があります。この
経験から学んだ教訓,つまり,人が一つか二つの悪い習慣を克服できるよう助
ける努力をしているときでも,それらの人々の良い面を見るという教訓は,いつ
もわたしの心から離れませんでした。……
わたしはまだ若いうちに,人を愛し,裁かないこと,また,常に自分自身の欠
8
点を克服するよう努めることを学んだのです。
5
わたしたちは,心を込めて主を愛し,自分自身を愛するように隣り
人を愛するとき,あらゆる神聖な律法に従っていることになる
「『心をつくし,精神をつくし,思いをつくして,主なるあなたの神を愛せよ。』
これがいちばん大切な,第一のいましめである。
第二もこれと同様である,
『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ。』
これらの二つのいましめに,律法全体と預言者とが,かかっている。」
(マタイ
22:37 - 40 )
238
第 20 章
言い換えれば,初めの時からわたしたちの時代に至るまで人の救いのため
に啓示されてきたものは皆,この二つの大いなる律法の周囲に存在するか,そ
の中に含まれるか,その一部でしかないということです。わたしたちは心を尽く
し,思いを尽くし,精神を尽くして主を愛し,わたしたちの隣り人をわたしたち自
身を愛するように愛するならば,それ以上の望むことはないでしょう。そのとき
には,わたしたちは神聖な律法と完全に一致することになります。もしわたし
―もちろん,わた
たちがこの二つの偉大な戒めに喜んで従おうとするならば,
み まえ
したちが神の御 前 で生きるにふさわしくありたいと望むなら,当然,そうしなけ
しっ と
ればならないわけですが ― そのときには,邪悪も,嫉 妬 も,野心も,むさぼ
りも,流血も,あらゆる種類の罪も地上から消えてしまうことでしょう。こうし
て,永遠の平和と幸福の日がやって来るのです。それは何という栄光に満ちた
日になることでしょうか。わたしたちには,そのような状態が最も望ましい状態
であって,そうなれば,神が御父であられること,そして人の完全な兄弟愛が存
在することが,人々の中で確かに確立するということを知る十分な理由がこれ
まで祝福として教えられてきたのです。
……わたしたちは,思いを尽くして主を愛していると言えるでしょうか。わた
したちは自分自身にそうであるように,隣り人の幸福を気遣っていると言えるで
9
しょうか。
主を愛しましょう。これがあらゆることの基盤だからです。これが第一の戒
めであって,第二の戒め,すなわち,わたしたち自身を愛するようにわたしたち
の隣り人を愛することは,それと同様です。そして,それを実践したときに,わ
たしたちは律法を完全に成就したことになります。その状態になれば,実践さ
10
れずに残っているものが何もないからです。
研究とレッスンのための提案
質問
•ジョセフ・フィールディング・スミス大管長が人のために行った「思いやりに
満ちたささやかな行為」について考えてみてください(「ジョセフ・フィール
ディング・スミス大管長の生涯から」参照)。わたしたちは自分の生活の中に
同じような思いやりを身に付けるために,何ができるでしょうか。
•第 1 項に書かれた教義は,わたしたちが周囲の人々に愛と思いやりを示すう
えでどのように役立つでしょうか。
•第 2 項にあるスミス大管長の勧告の中で,いちばん心に残っている教えはど
れでしょうか。この勧告に従うとき,わたしたちが「世にあって善をもたらす
力」になることができるのはなぜだと思いますか。
239
第 20 章
•「互いに愛し合うようわたしたちに教える」ためにイエス・キリストは何をされ
たでしょうか(第 3 項参照)。わたしたちはどのようにして主の模範に従うこ
とができるのでしょうか。
•馬のジュニーの物語を読み返してください(第 4 項参照)。「あるがままに
人々を評価し,愛する」ことが大切なのはなぜだと思いますか。人が悪い習
慣を克服できるよう助ける努力をしているときでも,それらの人々の良い面を
見るために,わたしたちはどのようなことができるでしょうか。
•マタイ 22:37 - 40 にある戒めを守ることは,あなたにとってどのような意味
があるでしょうか(例としては,第 5 項を参照する)。その戒めを守るとき,
なぜわたしたちは「神聖な律法と完全に一致する」のでしょうか。
関連聖句
使 徒 17:28 - 29;ローマ 8:16 - 17;1 ヨハネ 4:18 - 21;モーサヤ 2:
17; 18:8 ― 10;モロナイ 7:45 - 48
教える際のヒント
出席者にこの章の見出しの部分を読み,自分や自分の家族にとって意義があ
ると思われる項を一つ選ぶように勧めることを考えてみる。その項のスミス大
管長の教えを研究するように言う。これには章の終わりにある関連する質問も
含める。次に,クラスの生徒に自分が学んだことについて分かち合ってくれるよ
う依頼する。
注
1. ジョセフ・フィールディング・スミス・ジュニア,
ジョン・J・スチュワート,The Life of Joseph
Fielding Smith( 1972 年),10 - 11
2. S・ペリー・リー,
“ Church Expresses Devotions to President Smith , ”Church News ,
1956 年 7 月 14 日付,2
3. Conference Report, 1970 年 4 月,4 - 5
4. Conference Report, 1920 年 10 月,53 - 55
5. Conference Report, 1915 年 4 月,119 - 120
6. Conference Report, 1968 年 4 月,12
7. Conference Report, 1970 年 4 月,4
8.“ My Dea r Young Fel low Workers , ”New
Era , 1971 年 1 月号,4 - 5
9. Conference Report, 1943 年 4 月,12
10. Conference Report, 1920 年 10 月,59
240
第
2 1 章
福音を世に宣言する
「わたしたちは福音の実を味わい,それが良いものである
ことを知っています。そこで,わたしたちのうえにとても
み たま
豊かに注がれてきたのと同じ祝福と同じ御霊をすべての人に
受けてほしいと望んでいます。」
ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯から
ジ
ョセフ・フィールディング・スミスと妻のルーイのもとに,ロレンゾ・スノー
大管長の署名が入った 1 通の手紙が届いた。それはジョセフ・フィールディン
グ・スミスに専任宣教師の召しを告げる手紙だったが,二人は驚きはしなかっ
た。教会の初期の時 代には,既婚の男性が家を離れて奉 仕するのはよくあ
ることであった。そこで,あと 1 か月ほどで結婚 1 周年を迎えようとしていた
1899 年 3 月 17 日にその手紙が届いたとき,二人は 2 年間の別離を思うと悲し
くもあったが,信仰と勇気をもってその機会を受け入れた。
スミス長老は家から約 4,700 マイル(約 7,600 キロ)離れたイギリスで奉仕
あかし
した。スミス長老とルーイは頻繁に手紙を交わし,二人の手紙は愛と証 を伝え
る言葉であふれていた。伝道に出て間もないころにルーイにあてて書いた手紙
で,スミス長老は次のように述べている。「わたしの召されている業が神の業
であることを知っています。そうでなければ,一瞬たりともここにとどまること
はないでしょう。いえ,家を離れていなかったでしょう。それでも,わたしたち
の幸せが,この地にいる間のわたしの忠実さにかかっていることを知っていま
す。救い主がわたしたちのために苦しみをお受けになったことを思えば,わたし
も人類への愛のゆえにこのくらいの務めは進んで果たさなければなりません。
み
て
み こころ
……わたしは天の御父の御 手 の中にあり,もし御 心 を行うならば,御父が見守
り,保護してくださるでしょう。そしてわたしがいない間,御父はあなたとともに
1
いて,すべてのことについてあなたを見守り,保護してくださるでしょう。」
しもべ
スミス長老と同僚たちは主の僕として献身的に働いた。スミス長老はルーイ
への手紙の中で,彼とほかの宣教師たちは毎月約 1 万冊のパンフレットを配り,
約 4,000 軒の家を訪問したと報告している。しかし続けて,冷静に次のように
述べている。「読んでもらえるパンフレットは 100 冊のうち 1 冊あるかないか
2
でしょう。」 スミス長老がイギリスにいた期間,その地で回復された福音のメッ
241
第 21 章
1910 年,使徒に聖任された直後のジョセフ・フィールディング・スミス長老
242
第 21 章
セージを受け入れた人はほとんどいなかった。奉仕した 2 年間で,スミス長老
は「一人も改宗者を得ず,バプテスマを施す機会もなかった。ただし,一人の改
3
宗者の確認を行った。」 自分の働きの結果をあまり目にすることができなくて
も,スミス長老は自分が主の御心を行っていて,人々が後の人生で福音を受け
入れられるように備える手助けをしていることを知っていることに慰めを得た。
伝道中,スミス長老はほかの 4 人の宣教師とともに約 2 週間の入院を強いら
れた。 5 人の長老たちは天然痘の感染にさらされたため,病気が広まるのを防
ぐために隔離されたのである。スミス長老は自分たちの入院を「投獄」と呼ん
だが,彼と同僚たちはその機会を最大限に生かした。彼らは病院の職員に福
音を分かち合いさえした。隔離が終わりを迎えたとき,スミス長老は日記に次
のように書いている。「わたしたちは看護師や,投獄期間中に訪れてくれた人
たちと親しくなった。何度も彼らと福音について話し,読んでもらおうと書物も
渡した。退院するとき,わたしたちは賛美歌を 1 ,2 曲歌い,とりわけ聴いてく
れた人たちの胸を打ったようだった。わたしたちが去るときに,彼らは涙を浮
かべていたからだ。病院でわたしたちは良い印象を与えたと思う。特に看護
師は,わたしたちが自分たちの思っていたような人々でないことを認め,いつで
4
もわたしたちを擁護すると言ってくれている。」
スミス長老は 1901 年 6 月に伝道を終えた。そして 70 年後,大管長として地
域大会を管理するために再びイギリスを訪れた。そのころには,スミス長老や
ほかの人々がまいた種は芽を出し,花開いていた。スミス大管長は大勢のイギ
5
リスの聖徒たちが集会にやって来たのを見て喜んだ。 スミス大管長は次のよう
に述べている。「シオンの幾つかのステーク,主に奉献された神殿,たくさんの
ワードやステークの建物,大きな成功を収めている伝道活動。そのすべてが,
イギリスにおいて教会がしっかりと確立されつつあることを証しています。」そ
して,このイギリスでの発展は今後世界中で起こることの典型であると述べた。
福音はすべての人のためのものであって,
「人の子の再臨の前に,教会はあらゆ
る場所で,あらゆる国民の中で,地の果てに至るまで確立される」と,スミス大
6
管長は宣言した。
ジョセフ・フィールディング・スミスの教え
1
わたしたちは回復された完全な福音を持つ唯一の民であり,
すべての人が同じ祝福を受けるように望んでいる
主は限りない知恵をもって,昔の預言者たちと交わした聖約と約束を果たす
ため,この終わりの時に御自分の完全な永遠の福音を回復されました。この福
音は救いの計画です。この救いの計画は,この地の基が据えられる前に永遠
243
第 21 章
の会議で定められ,確立されたものであって,あらゆる場所にいる御父のすべ
こん にち
ての子供たちに救いと祝福をもたらすために,わたしたちの時代に今日再び啓
示されました。……
キリストがこの世に来られるおよそ 600 年前,偉大な預言者ニーファイはそ
の民に向かって次のように言いました。「…… 全地を支配されるのは唯一の
神,唯一の羊飼い ……である。
み すがた
( 1 ニー
そしてこの御方が,すべての国民〔に〕御 姿 を現される時が来る。」
ファイ 13:41 - 42 )
その約束された日が,今,明けようとしています。この時代は,全世界で福音
の
を宣 べ伝え,すべての国民の中で主の王国を築き上げるように定められている
時です。すべての国民の中に,真理にこたえ,教会に入り,自分自身の民を導く
光となるであろう善良で高潔な人々がいます。……
…… 福音はすべての人のためのものであって,主は福音を受け入れた人々
に,その真理に従って生き,自分と同じ国民,同じ国語の民に真理を伝えるよう
に期待しておられます。
ですから今,預言者ジョセフ・スミスとその同僚たちによってこの時代に明ら
かにされた永遠の命の言葉に耳を傾けるように,わたしたちは愛と兄弟愛の精
神をもって,あらゆる場所にいるすべての人々を招きます。
「キリストのもとに来て,キリストによって完全にな〔る〕」ように,また「神の
み こころ
御 心 に添わないものをすべて」拒むように,天の御父のほかの子供たちを招き
ます。(モロナイ 10:32 )
キリストとその福音を信じるように,主の教会に入るように,主の聖徒たちと
一つになるように招きます。
わたしたちは福音の実を味わい,それが良いものであることを知っています。
み
そこで,わたしたちのうえにとても豊かに注がれてきたのと同じ祝福と同じ御
たま
7
霊をすべての人に受けてほしいと望んでいます。
わたしはあらゆる教派や宗派,門派の中に善良で信心深い人々がいることを
心に留めています。彼らはそのすべての善い行いに対して祝福と報いを受ける
でしょう。ただし,次のことが事実であることに変わりはありません。天の住
まいにおいて完全な報いを受けられるように人を備える完全な律法と儀式を与
えられているのは,わたしたちだけなのです。ですから,わたしたちは世界中
の善良で気高い人々,高潔で信心深い人々に申し上げます。皆さんの持ってい
るすべての良いものを保ってください。今,皆さんが得ているすべての真実の原
きょう
則を固く守ってください。そのうえで,昨日も,今日も,またとこしえに変わらな
244
第 21 章
い御方である神が再び御自分の民のうえに注いでおられる,より豊かな光と知
8
識を受けに来てください。
教会の内外において,地上における主の目的が速やかに成し遂げられるよう
に祈ります。主が忠実な聖徒を祝福してくださいますように。真理を求める,主
の前に心の正しい大勢の人々が,回復された福音の満ちみちる祝福をわたした
9
ちとともに受け継ぐ者となるように祈ります。
2
すべての教会員には自分の持つ力と活力,
手段と影響力を用いて福音を宣言する責任がある
わたしたちは全員が宣教師であると言われています。……わたしたちは皆,
あん しゅ
任命を受けています。ただし,按 手 によってではありません。特別な召しは受
けていません。伝道の務めを果たすようにそれぞれが召されているわけではあ
りません。しかし,わたしたちは教会員として,イエス・キリストの福音を広め
ることを固く約束しているゆえに宣教師となるのです。それはすべての教会員
10
に課せられた責任の一部です。
すべての人への愛に満ちた心をもって,わたしは教会員の皆さんにお願いし
ます。福音を学んで実践し,自分の持つ力と活力と手段を用いて福音を世に宣
言してください。わたしたちは主から任務を受けています。主は神聖な命令を
与えておられます。主はわたしたちに,疲れることなく熱意をもって出て行き,
預言者ジョセフ・スミスに明らかにされた救いをもたらす真理を,御父のほか
11
の子供たちに伝えるように命じておられます。
わたしたちの使命は,力の及ぶかぎりできるだけ多くの天の御父の子供たち
を再生させ,悔い改めに導くことです。……これは主が教会に課しておられる
義務であり,より具体的に言えば教会の神権定員会に課せられたものですが,
12
それでもなお,この義務はすべての人が果たすべきものです。
わたしたちの中には,正直な人でありながらも,主の啓示によって知らされて
いるすばらしい真理を見いだす機会を受け入れたことのない人や,そうした機会
を探し求めたことのない人が大勢います。彼らはこれらの事柄について考えま
せんが,わたしたちに混じって暮らしており,わたしたちは彼らと交わり,日々接
しています。彼らはわたしたちのことを善い人たちだと思っていますが,特異な
宗教観を持っていると思っているので,わたしたちの信仰には少しも注意を向
けません。ですから,現在シオンのステークで行われているこの大いなる伝道
の業によって,まさにこの地で,これまでに福音を聞く機会があったけれども,
その機会を一度もとらえることがなかった人々の間で刈り入れが行われ,正直
13
で忠実な人々が集められているのです。
245
第 21 章
永遠の福音の真理を受けているわたしたちは,最良のもの以外のどんなも
のにも満足してはいけません。最良のものとは,御父の完全な王国です。わた
したちがその王国のために生活し,すべての人に対して義にかなった模範を示
すように,わたしは願い,祈ります。わたしたちの行いや言葉のためにつまずい
たり,揺らいだり,義の道から離れたりする人がだれもいないようにするためで
14
す。
個人だけでなく,教会が与える良い影響があります。世界で教会が伝道に
成功するかどうかは,おもに聖徒たちの態度に懸っていると,わたしは信じてい
ます。教会員が思いと行い,振る舞いにおいて完全に一つになり,真理の言葉
を愛し,主から望まれているように真理の内を歩むなら,この共同体から,すべ
ての地域社会にいる末日聖徒の〔会衆〕から,世界中に抗し難い影響が及ぼさ
み たま
れることでしょう。ますます多くの正直な男女が改宗するでしょう。主の御 霊
がわたしたちの前を行き,道を備えてくれるからです。……もしこの民が主の
戒めを守るなら,それは反対を打ち破り,人々に永遠の福音の光を受け入れる
備えをさせる力となり,影響力となることでしょう。また,もし主の戒めを守ら
ないならば,恐ろしい結果を伴う責任を負うことになります。
裁きの座の前に呼ばれるとき,だれかに指をさされて次のように言われたとし
たら,わたしや皆さんはどのように感じるでしょうか。「この人やこの人たちの
行いがなかったなら,わたしは真理を受け入れていたでしょう。ところが,彼ら
が光を受けていると公言しながら,それに従って生活しなかったので,真理に
15
気づかなかったのです。」
生涯力を尽くし,一人でも救うならば,その人とともに受けるわたしたちの喜
びはいかに大きいことかと,主は言っておられます〔教義と聖約 18:15 参照〕。
反対に,もしわたしたちの行いによって,一人の人をこの真理から遠ざけてし
まったとするならば,わたしたちの悲しみはどれほど大きく,どれほど重い罪の
16
宣告を受けることでしょうか。
末日聖徒はどこにいようと,世の光であり,またそうでなければなりません。
くら やみ
福音は暗 闇 にさす光であって,福音の光を受け入れるすべての人は,自分が教
えることのできるすべての人の光となり,導き手となります。
皆さんの責任は,この業が真実であり神の業であることの生きた証人となる
ことです。わたしたちは皆さんが福音を実践し,自分自身の救いを達成するよ
うに願っています。また,人々が皆さんの善い行いを見て天の御父をあがめる
17
ようになることを願っています〔マタイ 5:16 参照〕。
246
第 21 章
「福音の光を受け入れるすべての人は,自分が教えることので
きるすべての人の光となり,導き手となります。」
3
教会は主の用向きに出て行くさらに多くの宣教師を必要としている
わたしたちは宣教師を必要としています。…… 畑は広く,収穫は多いのです
が,働き人が少ないのです〔ルカ 10:2 参照〕。また,畑は白くなっていて,刈り
入れを待っています〔教義と聖約 4:4 参照〕。……
……わたしたちの宣教師たちは出て行きます。いかなる力をもってしても彼
らの手をとどめることができませんでした。妨げようとする試みもこれまでにあ
りました。ほんの一握りの宣教師しかいなかった初期の時代には,そうした試
みがさかんに行われました。しかし,この業の発展を止めることはできません
でした。今も止めることはできません。最終的な滅亡が悪人に及ぶ前に,地に
ゆる
住む人々が罪を悔い改め,罪の赦 しを受け,神の教会と王国に入る機会を得ら
れるようにするために,この業は進まなければならず,進むことでしょう。なぜ
なら,そのように約束されているからです。……
247
第 21 章
これらの宣教師たちは大半が若者で,この世の教育をほとんど受けていませ
んが,この救いのメッセージを携えて出て行き,偉大な者や力ある者を当惑させ
ます。彼らには真理が与えられているからです。宣教師はこの福音を宣言して
おり,正直で誠実な人々がそのメッセージを聞き,罪を悔い改め,教会に入って
18
います。
すべてのふさわしく資格のある若い末日聖徒の男性が,地のもろもろの国民
の中で真理の証人となるために,主の用向きを受けて出て行く特権を受ける日
が来ることを,わたしたちは願っています。
現在,この伝道活動という大いなる業に携わっている献身的な熟年の夫婦
が大勢いますが,わたしたちはさらに多くの夫婦を必要としています。ふさわし
の
く資格のある人々が必要な準備をして福音を宣 べ伝える召しにこたえ,主に受
け入れていただけるような方法で義務を果たすように願っています。
また,この業に携わっている若い姉妹も大勢いますが,わたしたちはさらに多
くの姉妹を必要としています。ただし,彼女たちには兄弟たちと同じ責任は課
せられていません。若い姉妹たちについてわたしたちが最も関心を寄せている
のは,彼女たちが主の神殿でふさわしい結婚のきずなを結ぶことです。
わたしたちは教会員に対して,経済的な支援によって伝道活動の業を支え,
福音を広めるために自分たちの財産を惜しみなくささげるように勧めます。
伝道活動という大いなる業においてとても雄々しく奉仕している人々を,わた
したちは称賛します。ジョセフ・スミスは次のように言っています。「結局のと
19
ころ,最も偉大で最も重要な義務は福音を宣べ伝えることです。」
4
わたしたちは救いの教義を,聖文に記録されているとおりに,
み たま
の
分かりやすく簡潔に,御霊によって導かれるままに宣べ伝えなければならない
この神権時代の初期に,主は教え導く務めに召した人々に対して次のように
言われました。「すべての人が主なる神,すなわち世の救い主の名によって語
るため,……わたしの完全な福音が弱い者や純朴な者によって世界の果てま
で,また王や統治者の前に宣べられるためである。」
(教義と聖約 1:20 ,23 )
主の「福音を宣べ伝えるために出て行く」ように召された人々と,主の教会の
すべての「長老と祭司と教師」に対して,主は次のように言われました。彼らは
「『聖書』と……『モルモン書』
〔およびほかの聖典〕の中にあるわたしの福音
の原則」を「御霊に導かれるままに…… 教え……なければならない。」
(教義と
聖約 42:11 - 13 参照)
248
第 21 章
「伝道活動という大いなる業においてとても雄々しく奉仕
している人々を,わたしたちは称賛します。」
主の代理人として,わたしたちは世の哲学や現代の科学の時代の推論的理
論を教えるために召され,権能を受けているのではありません。わたしたちの
使命は救いの教義を,聖文で明らかにされているとおりに,また記録されてい
るとおりに,分かりやすく簡潔に宣べ伝えることです。
主は標準聖典の中に見いだされる福音の原則を御霊によって導かれるままに
教えるよう,わたしたちに指示されました。その後,次の重要な宣言をされまし
た。これは,教会で教える人にはだれにでも常に当てはまります。「御霊は信
仰の祈りによってあなたがたに与えられるであろう。そして,御霊を受けなけれ
20
ば,あなたがたは教えてはならない。」
(教義と聖約 42:14 )
5
福音はこの世の唯一の希望であり,
地上に平和をもたらすただ一つの道である
地に恒久的な平和を確立する最大の力,この世で最も影響力を持つ要因が
何であるかご存じでしょうか。その質問にお答えしましょう。少なくとも,それ
についてわたしの考えを述べましょう。世の中のほかの平和運動については何
も申し上げません。この世で最も重要な要因となるのは,聖なる神権の力であ
249
第 21 章
り,それは末日聖徒が保有しています。最初から主は長老たちを世に遣わし,
人々に呼びかけて次のように言うように命じられました。「悔い改めなさい,シ
オンに来なさい。わたしの福音を信じなさい。そうすれば平安を得るであろ
う。」
あわ
言うまでもなく,平和は義によって,正義によって,神の憐れみによって,主が
わたしたちに授けてくださる力によってもたらされるのであり,その力によって,
わたしたちは心を動かされ,互いに対して愛を抱くようになります。さて,わた
したちの義務はこれらのことをすべての人々の間で宣言し,シオンへ来るように
呼びかけることです。シオンには旗,すなわち平和の旗が掲げられており,ここ
み たま
では主の宮の祝福と,この場所に現れている主の聖なる御 霊 の影響力を受け
ることができます。そして皆さんに申し上げたいのですが,わたしたち自身,も
しぜひとも主に仕えようとするならば,世界の平和の確立にかかわるすばらし
い力を持っているのです。
さて,わたしたちはこの目標に向かってほかの平和運動が進むことに異議は
ありません。世に平和をもたらすすべてのものを支持します。ただし,次の事
実を見失わないようにしましょう。わたしたち末日聖徒は,もし団結して,一つ
となって主に仕え,もろもろの国民の中に永遠の命の言葉を送ろうとするなら
ば,わたしの考えでは,地に平和を確立するために,ほかのどのような力よりも
大きな力を持つことになるでしょう。わたしはこれまで述べられてきた次のよう
な考えに完全に同意します。主は様々な集団を用いておられます。主の業は末
日聖徒だけに限定されたものではありません。主は教会外においても,御自分
の務めを果たすように多くの人々を召し,彼らに力を授け,御自分の業を行うよ
うに霊感を与えてこられたからです。…… そうであっても,兄弟姉妹の皆さん,
次の事実を見失わないようにしましょう。わたしたちは地に善をもたらす力で
あり,すべての国民,部族,国語の民,民族の中で真理を広め,平和を確立する
力なのです。……わたしたちの使命は,これまでも今も次のとおりです。「悔
い改めなさい。神の王国が近づいているからである。」
〔教義と聖約 33:10 参
照〕
わたしたちは続けなければなりません。すべての義人が集められるまで,す
べての人が警告を受けるまで,聞こうとする人々が聞き,聞こうとしない人々も聞
くまで続けるのです。聞かないものはなく,心として貫かれないものもないと主
が宣言しておられるからです〔教義と聖約 1:2 参照〕。主の言葉は世に響き渡
ります。それが主の長老たちの言葉であるか,あるいはほかの何らかの手段に
よるかは重要ではありません。しかし主は御自分の定めたときに,その業を義
にかなって短くされるでしょう。必ずや御自分の真理を確立し,地上に来て統
21
治されることでしょう。
250
第 21 章
わたしたちは,あらゆる教派や宗派,門派に属する天の御父のほかの子供た
ちに敬意を抱いています。彼らが啓示によってわたしたちに与えられているさ
らなる光と知識を受けて,わたしたちとともに回復された福音の大きな祝福を
受け継ぐ者となるのを見ることのほか,わたしたちには何も望むことはありませ
ん。
しかしわたしたちには救いの計画があります。わたしたちは福音を託されて
います。そして福音はこの世の唯一の希望であり,地上に平和をもたらし,あら
22
ゆる国民の中に存在する誤りを正すただ一つの道なのです。
わたしたちは次のことを知っています。もしキリストを信じる信仰を持ち,罪
を悔い改め,主の戒めを守ることをバプテスマの水の中で聖約し,その後,召し
あん しゅ
と聖任により権能を授けられた者による按 手 によって聖霊を受けるならば,そ
きた
してそれ以後,戒めを守るならば,その人はこの世において平和を,また来るべ
23
き世において永遠の命を受けます〔教義と聖約 59:23 参照〕。
いや
この世の不幸を癒 す方法は,主イエス・キリストの福音をおいてほかにあり
ません。平和,物質的および霊的な繁栄,そしてついには神の王国を受け継ぐ
ことに対する希望は,回復された福音の中にのみ,また福音を通してのみ見い
だされるものです。わたしたちがだれでも携わることのできる業の中で,福音
の
を宣 べ伝え,地上に神の教会と王国を築き上げることほど重要なものはありま
24
せん。
研究とレッスンのための提案
質問
•ジョセフ・フィールディング・スミスが専任宣教師として困難にどのように応
じたかについて考えてください(「ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯
から」参照)。スミス長老の模範は,あなたが教会で行う奉仕にどのような
影響を及ぼすでしょうか。
•「福音の実」を味わうという祝福について深く考えてください(第 1 項)。あ
なたがこれらの「実」を分かち合うことのできる人たちについて考えてくださ
い。
•第 2 項にあるスミス大管長の言葉は,ほかの人々と福音を分かち合ううえで
どのような助けとなるでしょうか。
•教会は「熟年の夫婦」を含む多くの専任宣教師を必要としていると,スミス
大管長は言っています(第 3 項)。青少年が伝道に備えられるようにどのよ
うな助けができるでしょうか。自分自身が伝道に備えるためにどのようなこ
とができるでしょうか。
251
第 21 章
•わたしたちは言葉や行いを通して,福音が分かりやすく簡潔なものであるこ
とをどのように伝えることができるでしょうか(第 4 項参照)。これらの取り
組みにおいて,どのようなときに聖霊の導きを感じてきたでしょうか。
•第 5 項にある教えの中で,あなたの霊を特に鼓舞してくれるものはどれで
しょうか。「この世の唯一の希望……,地上に平和をもたら〔す〕ただ一つ
の道」を伝えることについて考えるとき,どのように感じるでしょうか。
関連聖句
マタイ 24:14;マルコ 16:15;1 ニーファイ 13:37;2 ニーファイ 2:6 - 8;
3 ニーファイ 12:13 - 16;教 義と聖 約 1:17 - 24;4 章;50:13 - 14;88:
81;133:57 - 58
教える際のヒント
出席者がスミス大管長の教えを声に出して読むとき,ほかの出席者には,耳
を傾けて「特定の原則や概念を探〔す〕」ように勧める。「その聖句に変わっ
た言葉や難しい表現が使われているときは,読む前に説明を加える。クラスに
朗読が苦手な人がいれば,順番に読ませる代わりに希望者に読んでもらうよう
にする。」
(『教師,その大いなる召し』56)
注
1. ジョセフ・フィール ディング・スミスがルーイ・
シャートリフ・スミスに述べた言 葉,ジョセフ・
フィールディング・スミス・ジュニア,ジョン・J・
スチュワート 共 著,The Life of Joseph Fielding Smith( 1972 年),114 - 115 で引用
2. ジョセフ・フィールディング・スミスがルーイ・
シャートリフ・スミスに 述べた言 葉,The Life
of Joseph Fielding Smith, 102 で引用
- 28
11. Conference Report, 1970 年 10 月,5 - 6
12. Conference Report , 194 4 年 4 月,50 。Doctrines of Salvation, ブルース・R・マッコンキー
編,全 3 巻( 1954 - 1956 年),第 1 巻,308 も
参照
13. Conference Report, 1921 年 4 月,42
3. The Life of Joseph Fielding Smith, 91 参照
14. Conference Report, 1923 年 4 月,139
4. ジョセフ・フィールディング・スミスの日記,1901
年 4 月 30 日,教会歴史図書館;句読点および大
文字は標準化した。
16. Conference Report, 1951 年 4 月,153
5. Conference Report, イギリス地域総大会,1971
年,85 参照
15. Conference Report, 1933 年 10 月,62 - 63
17. Conference Report, イギリス地域総大会,1971
年,176
18. Conference Report, 1953 年 4 月,19 - 20
6. Conference Report, イギリス地域総大会,1971
年,176
7.「主 は 生けりと知 る」
『聖 徒 の 道』1972 年 5 月
号,193 - 195 参照
8.“ A Witness and a Blessing, ”Ensign, 1971
年 6 月号,109 - 110
9.「闇 より出 で て」
『聖 徒 の 道』1971 年 10 月 号,
279 参照
10. Take Heed to Yourselves, ジョ セ フ・フィー
ルディング・スミス・ジュニア編( 1966 年),27
19. Conference Report, 1970 年 10 月,7 。『歴 代
大管長の教え― ジョセフ・スミス 』330 も参照
20. Conference Report, 1970 年 10 月,5
21. Conference Report, 1919 年 10 月,89 - 90
22.「英 国の聖 徒 たちへ」
『聖 徒の 道』1972 年 2 月
号,50 参照
23. Conference Report, 1970 年 10 月,7
『聖 徒 の 道』1972
24.「 聖 徒と世 の人々へ の 勧 告」
年 12 月号,536 参照
252
第
2 2
章
祈り― 戒めと祝福
「祈りの中で神と心を通わせることほど重要なものは
人生の中にはない。」
ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯から
ジョセフ・フィールディング・スミス大管長は,祈りの精神を「自分の本質の
一部」とするべきであると教えている。スミス大管長は,自らの生き方を通し
1
て,また個人,家庭,公の場で祈るその姿を通して,この原則の模範を示した。
最初の妻,ルーイの死後,スミス大管長は次のような心からの懇願を日記に
したためている。その文面から,スミス大管長の個人的な祈りがどのようなも
のだったのかを垣間見ることができる。「おお,天のお父さま,あなたにお祈り
いたします。わたしがふさわしくあり,永遠の栄光を身にまといつつ,妻に会う
ことができますように。妻と再び一つに結ばれ,無限に続く永遠にわたり,二
度と決して別れることがありませんように。そのような人生を送ることができま
すようにわたしをお助けください。へりくだり,あなたを信頼することができま
すようにお助けください。あらゆる悪に打ち勝ち,あなたの真理 に堅く立つこ
とができますように,天の事柄に関する知恵と知識をお与えください。おお,主
よ,わたしをお助けください。あなたの王国で永遠の命をお授けください。義
み たま
にかなって歩むことができるように導き,あなたの完全な御 霊 をお与えくださ
い。わたしの大切な子供たちを,生涯にわたって清く汚れなく,育てることが
できますようにお助けください。そして,人生の行程を歩き終えたときに,わた
あがな
み
な
したちをあなたの日の栄えの王国にお迎えください。これらを贖 い主の御 名 に
み こころ
2
よってお祈りいたします。すべては御心のままに,アーメン。」
スミス大管長の息子ジョセフ・ジュニアは,父とともにユタ州東部からソルト
レーク・シティーへ向かって帰宅する旅の途中で,スミス大管長がささげた記
憶に残る祈りについて語っている。一行は,
「激しい暴風雨に襲われ,方向を
見失った」結果,インディアン・キャニオンと呼ばれる所に迷い込んでしまっ
あらし
た。「嵐 は激しくなるばかりで,道はひどくぬかるみ,滑りやすくなっていたの
で,それ以上旅を続けることは危険なだけでなく不可能でした。」一行が乗っ
ていた車はぬかるんだ細い道を走っていたが,道のわきに広がる深い峡谷は濃
い霧で覆われていた。若いジョセフ・ジュニアとデビッド・E・スミス博士が車
253
第 22 章
「子供が物心ついたらすぐに,祈るよう教えるのは両親の義務です。」
254
第 22 章
から降りて,車を押し,道からそれないようにした。眼下に広がる深い谷底に
滑り落ちる恐れがあったからである。車輪は泥の中で空回りし始め,ついには
停止してしまった。……ジョセフ・ジュニアは父がこう言ったのを覚えている。
「できることはすべてやった。主に願い求めよう。」スミス大管長は頭を垂れて
祈った。自らの誤ちを正し,危険な峡谷から抜け出し,帰路の旅を進める方法
を備えてくださるよう主に願い求めた。翌日に,守るべき大切な約束があり,そ
のためには何としてもソルトレーク・シティーに戻らなければならないことを主
に告げた。すると奇跡的にも嵐は鎮まり,風が吹いてきて,車が走れるほどに
ぬかるみが乾き,…… ついには幹線道路に戻ることができた。低地にたどり着
くやいなや,嵐が勢いを吹き返し,隣接した区域では数時間にわたって交通が
まひした。ソルトレーク・シティーに向かってプロボ・キャニオンを進み,長時
間走ると,ハイウェイパトロールの警官に車を止められ,どこから来たのかと尋
ねられた。インディアン・キャニオンを通ってきたと言うと,警官はこう叫んだ。
「そんなことはあり得ない! あの地域の橋はすべて押し流されてしまったそう
だ。」驚いたことに,翌日の新聞の見出しには,彼らが抜け出したその地域で,
3
200 台の車が立ち往生したと報道されていた。
62 年に及ぶ使徒としての在任期間中,スミス大管長は説教をするときに,よ
く公の場で祈りをささげた。教会員と全世界の人々のために天の祝福を願い求
めたのである。例えば,教会の大管長として行った最初の大会説教の中で,ス
ミス大管長は次のように懇願した。「天の父なる神が天の窓を開き,全世界に
住む御自分の子供たちに,物資的にも霊的にも状況を改善するあの偉大な永
4
遠の祝福を注いでくださるように祈ります。」
あかし
スミス大管長の祈りから,天の御父と救い主に対する証と愛がどれほど強い
ものだったかがよく分かる。ボイド・K・パッカー会長は,ジョセフ・フィール
ディング・スミス大管長の在任期間中に十二使徒定員会で奉仕するよう召され
たが,次のように語っている。「ジョセフ・スミス大管長の祈りを聞くのは感動
的な経験でした。 90 歳を超えてもなお,御自分が主の聖約と義務を守って最
5
後まで堪え忍べますようにと,よく祈っておられました。」
ジョセフ・フィールディング・スミスの教え
1
わたしたちは祈りの中で天の御父に近づくように命じられている
へりくだって祈り常に主を求めることは主から与えられた戒めです。救い主
は弟子たちとともにおられたときに,祈るよう教え,御自身も彼らの前でしばし
ば御父に祈り,模範を示されました。主から与えられた戒めであるゆえに,祈り
255
第 22 章
けん そん
けい
には効力があると考えてもよいでしょう。また主を求めるときには,謙 遜 と敬
けん
虔の精神をもって行うのが当然です。……
…… 子供が物心ついたらすぐに,祈るよう教えるのは両親の義務です。天の
御父に近づく習慣を身に付け,祈る理由を理解できるよう助けてください。子
供のころに形成されたこのような習慣は,成人してからもずっと残ります。ま
た,主を熱心に求め,数々の祝福を主に感謝している人は,助けが必要なとき
6
に主から見捨てられないことを期待してもよいでしょう。
祈るようにと主がわたしたちに言われたのはなぜなのか,わたしたちは立ち
止まって考えることがあるでしょうか。主がそのように言われたのは,ひれ伏し
て御自分を礼拝するよう望んでおられるからでしょうか。それが主な理由なの
でしょうか。そうではないとわたしは思います。主は天の御父であり,わたした
み
な
ちは御父を礼拝し,その愛する御子イエス・キリストの御 名 によって御父に祈
るよう命じられています。しかし,主はわたしたちが祈らなくても業を成し遂げ
ることがおできになります。わたしたちが祈っても祈らなくても,主の業は何ら
変わりなく進んでいくのです。…… 祈りは,わたしたち にとって必要なものであ
り,主にとって必要なものではありません。わたしたちの助けがなくても,主は
御自分の業をどのように行い,処理すればよいのか御存じです。わたしたちが
祈る目的は,主の業を進める方法を主に伝えるためではありません。わたした
ちにそのような考えがあるとすれば,もちろんそれは間違った考えです。わた
したちが祈るのは,むしろ自分自身のためであり,自分を向上させ,励ましと勇
気を与え,そして,主を信じる信仰を強めるためなのです。
祈りは人を謙遜にしてくれます。わたしたちの理解を深め,活気づけてくれま
す。わたしたちを天の御父に近づけてくれます。わたしたちには御父の助けが
必要です。それについては何の疑いの余地もありません。わたしたちには聖な
み たま
る御 霊 の導きが必要です。御父のもとに帰るために,どのような原則がわたし
たちに与えられているか知る必要があります。御父から与えられる霊感によっ
て,わたしたちの理解を活気づけてもらう必要があるのです。このような理由
から御父に祈るのです。すなわち,わたしたちが御父の真理を知り,その光の
中を歩けるように生活するよう,また,わたしたちの忠実さと従順によって,御父
7
のもとへ戻れるよう,御父の助けを受けるためです。
祈りの中で神と心を通わせることほど重要なものは人生にありません。主は
わたしたちの心に忘却の幕を下ろされました。そのためわたしたちは主のこと
も,前世で主の家族の一員として主と親しいつながりがあったことも覚えていま
せん。祈りはわたしたちが主と再び語り合うことができるように,主が与えてく
ださったコミュニケーションの方法なのです。したがって,死すべきこの試しの
世の主な目的の一つは,わたしたちがいつも心の中に祈りの精神を持って学ぶ
256
第 22 章
ことができるかどうか,その結果,主が語られるときに,主の声を心で聞けるか
8
どうかを確かめることなのです。
2
祈るべき時は常にある
「また,一つの戒めを,わたしは彼らに(すなわち,シオンの両親に)与える。
すなわち,祈るべきときに主の前に祈りをすることを守らない者が,わたしの民
の判士の前に覚えられるようにしなさい。」
〔教義と聖約 68:33〕
この章のこの節を読むことはあまりないと思いますが,この戒めが,実はどれ
ほど大切かをわたしたちは理解していないのではないかと思うことがあります。
み たま
祈らなければ,だれも主の御 霊 を持ち続けることはできません。心の中にこの
祈りの精神がなければ,だれも聖なる御霊の霊感を受けることはできないので
す。……
では,この聖句について少し考えてみたいと思います。…… 祈るべき時とは
いつのことでしょうか。
わたしたちの中には,こう考える人がいるかもしれません。祈るべきときと
は,朝起きたとき,そして仕事が終わって,夜これから床に就こうとしているとき
を指し,そのほかには祈るべきときはない,と。しかし,皆さんに申し上げます。
祈るべき時は常にあるのです。それが正しいという十分な裏付けがあります。
その箇所を読みましょう。御存じのように,わたしは自分の語ることを証明する
あかし
のが好きです。自分が口にすることについて証するのが好きです。わたしは主
が直接,あるいは,預言者を通じて語られたことと完全に一致しないかぎり,自
分の語ることを受け入れるよう人々に言うことはありません。モルモン書には,
貧しいゾーラム人に語った〔アミュレク〕の言葉が記されています。このゾーラ
ム人は,真理から離れていた人たちで,貧しいために会堂から追い出されていま
した。また,ラミアンプトム(聖台)
〔アルマ 31:12 - 23 参照〕と呼ばれてい
た台の上に立って一度に一人ずつしか祈ることができないと思っていたので,ど
うすればよいのか分からずにいました。〔アミュレク〕は彼らに次のように教え
ました。
あわ
「まことに,神に憐 れみを叫び求めなさい。なぜなら,神は人を救う力を備
まき ば
えておられるからである。まことに,へりくだって,神に祈り続けなさい。牧 場
にいるときには,まことに,すべての家畜の群れについて神に叫び求めなさい。
家にいるときには,まことに,あなたがたの家のすべての者について,朝も昼も
晩も神に叫び求めなさい。まことに,敵の力を防ぐことができるように,神に叫
び求めなさい。まことに,あらゆる義の敵である悪魔を防ぐことができるよう
に,神に叫び求めなさい。あなたがたの畑の収穫が豊かであるように,作物に
257
第 22 章
アルマとともに描かれているアミュレク。「神に憐れみを叫び求めなさい。なぜなら,神
は〔人を〕救う力を備えておられるからである」と言って人々を励ます(アルマ 34:18 )。
ついて神に叫び求めなさい。あなたがたの牧場の家畜が増えるように,家畜の
群れについて叫び求めなさい。しかし,これだけではない。あなたがたは自分
の部屋でも,人目に触れない場所でも,荒れ野でも,あなたがたの心を注ぎ出
さなければならない。また,声に出して主に叫び求めないときでも,あなたが
たの幸いと,あなたがたの周りの人々の幸いを気遣う気持ちを心に満たし,そ
はら から
れが絶えず主への祈りになるようにしなさい。さて見よ,わたしの愛する同 胞
よ,あなたがたに言う。これですべてであると思ってはならない。これらのこ
とをすべて行っても,もし乏しい人や着る物のない人を追い払ったり,病気の人
や苦しんでいる人を見舞わなかったり,自分には持ち物がありながら,それを
必要としている人々に分け与えなかったりするならば,あなたがたに言うが,も
しあなたがたがこれらのことのどれも行うことがなければ,見よ,あなたがた
の祈りはむなしく,何の役にも立たない。あなたがたは信仰を否定する偽善者
と同じである。」
〔アルマ 34:18 - 28〕
258
第 22 章
これは実にすばらしい教義だとわたしは思います。祈るべき時について皆さ
んの心に印象づけるためにこの聖句を読みました。祈るべき時は朝で,家族が
出かける前です。祈りに最適の時は,朝食をとる前,食卓の周りに集まったとき
です。家族の一人一人が交代で祈るようにしてください。それが祈るべき時で
す。商売をしている人にとって祈るべき時は朝で,店に出かけるとき,仕事を始
める前です。商品について祈ります。羊飼いにとって祈るべき時は,外で自分
くわ
の羊の群れとともにいて見張りをするときです。農夫にとって祈るべき時は,鍬
を持って畑に出かけて行くとき,穀物の種まきに出かけるとき,収穫をするとき
です。そして,わたしが読んだこの聖句で命じられているように祈る人は,あら
9
ゆることにおいて義にかない主の戒めを守ることでしょう。
3
わたしたちの行いはすべて,祈りの言葉と一致するべきである
わたしたちは口先だけで祈るべきではありません。そうではなくて,あらゆ
る行い,会話,すると約束したすべての行動において,祈りの言葉を実行し,
10
日々の懇願で主に表明した思いと一致した生活をするよう努力するべきです。
わたしたちは祈りの精神を持っているでしょうか。祈りの精神を「自分の本
み たま
質の一部」としているでしょうか。聖なる御 霊 を通して天の御父と心を通わせ
11
ているでしょうか。いかがでしょうか。
4
祈るときに,わたしたちは心を注ぎ出し,感謝するべきである
わたしたちは,祈りに満ちた生活を通して,感謝する態度を培うよう極力努め
こん にち
るべきです。今 日,地上に住む人々が犯す最大の罪の一つは,忘恩という罪,
すなわち主に対する認識,および統治し管理される主の権利に対する認識の不
12
足〔または欠如〕です。
祈るときに,わたしたちは心を注ぎ出し,自分の命と生活,神の御子が払って
あがな
くださった贖 いの犠牲,救いの福音,ジョセフ・スミスと彼を通してもたらされ
み
て
た回復の偉大な業に感謝するべきです。あらゆることに主の御手を認め,主が
与えてくださった物質的,霊的な両面におけるすべての祝福に感謝するべきで
13
す。
259
第 22 章
5
わたしたちはあらゆる義にかなった望みがかなうよう
天の御父に懇願するべきである
けい けん
わたしたちは信仰と高潔さ,あらゆる敬 虔 な特質,主の業の勝利と成功,聖
み たま
なる御 霊 の導き,主の国における救いを求めて〔天の御父〕に懇願するべきで
す。家族や妻子のため,衣食住や仕事について,また,あらゆる義にかなった
14
望みがかなうよう祈るべきです。
わたしは天の祝福がわたしたちと全人類に与えられとどまるように祈ります。
諸天から全世界に義と真理が注がれるように祈ります。
しもべ
全世界のあらゆる人々が聞く耳を持ち,主の僕が語る真理と光の言葉に耳を
傾けるように祈ります。
すべての国に住むあらゆる人々の間で,主の目的が速やかに成し遂げられる
ように祈ります。
わたしは教会員,すなわち,いと高き者の聖徒と呼ばれる人々のために祈り
ます。彼らの信仰が強められ,彼らの心の中に義への望みが増し加えられ,ま
た,主の前に恐れおののいて,自分の救いを達成することができるように祈り
ます〔ピリピ 2:12;モルモン 9:27 参照〕。
わたしはあらゆる人々の間に善と義が行われるように祈ります。彼らが導か
れて真理を求め,あらゆる真の原則を支持し,自由と正義の大義を推し進める
ことができるように祈ります。
問題が多く困難なこの時代にあって,世に来るすべての人を照らすまことの
光にあらゆる人が導かれ〔ヨハネ 1:9;教義と聖約 93:2 参照〕,人類を悩ま
す様々な問題を解決する知恵をその光から得られるように祈ります。
若人や老人,嘆き悲しむ人々,飢えや貧困に苦しむ人々,不幸な境遇や不健
全な環境に陥っている人々,支えや助け,救援,知恵,そして御父だけが与えら
れるあらゆる良いものやすばらしいものを必要としている人々,これらすべての
人々に祝福を注いでくださるよう恵み深い御父に懇願します。
あわ
皆さんと同様,わたしも全地に住む御父の子供たちに愛と関心,そして憐 れ
みを感じており,彼らの状況が,物質的にも霊的にも改善されるように祈ります。
また,彼らがキリストのもとに来て,キリストについて学び,キリストのくびきを
負い,魂の平安を得ることができるように祈ります。なぜならキリストのくびき
は負いやすく,キリストの荷は軽いからです〔マタイ 11:29 - 30 参照〕。
末日聖徒が,また,末日聖徒とともに,全人類の御父であられる神の戒めを
きた
守るすべての人々が,この世においては平和を,また来 るべき世においては永
260
第 22 章
遠の命を受けられるような生活を送れるように祈ります。これらのことをすべ
み
な
て,へりくだり,また感謝の念をもって,主イエス・キリストの御 名 により願い求
15
めます,アーメン〔教義と聖約 59:23 参照〕。
研究とレッスンのための提案
質問
•「ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯から」には,スミス大管長がささ
げた祈りの 4 つの実例が記されています。これらの一つ一つの祈りから,ど
のようなことを学べるでしょうか。
•自分が祈りに対してどのような姿勢を持っているかについて熟考してくださ
い。祈りが「天の御父に近づく」ための助けとなるには,どうしたらよいで
しょうか(第 1 項参照)。
•スミス大管長はこう教えています。「祈るべき時は常にあります」
(第 2 項)。
どうすれば常に祈るという勧告に従うことができるでしょうか。
•「祈りの言葉を実行する」とはどういう意味でしょうか(第 3 項参照)。この
点で改善するためにはどうしたらよいか考えてください。
•「心を注ぎ出し,感謝する」と,わたしたちの態度はどのように変わるでしょう
か(第 4 項参照)。
•第 5 項のスミス大管長の祈りを研究しながら,自分自身の祈りについて考え
てください。次の質問について静かに熟考してください。どのような人々,ど
のような事柄について,もっと頻繁に祈るべきでしょうか。
関連聖句
マタイ 7:7 - 8;ピリピ 4:6;1 テサロニケ 5:17 - 18;ヤコブの手 紙 1:
5 - 6;2 ニーファイ 32:8 - 9;アルマ 34:38 - 39;3 ニーファイ 18:18 -
21;教義と聖約 10:5
教える際のヒント
「話し合いを促すために,章の最後にある質問を活用する。また,レッスンを
受ける人々のために特別に教師自身で質問を用意してもよい。」
(本書の vi ペー
ジから抜粋)
注
1. Conference Report, 1918 年 4 月,156 で引用
2. ジョセフ・フィールディング・スミス・ジュニア,
ジョン・J・スチュワート共 著,The Life of Joseph Fielding Smith( 1972 年),162 - 163 で
引用。斜体は原文のまま。
3. ジョセフ・フィールディング・スミス・ジュニア,
ジョン・J・スチュワート共 著,The Life of Joseph Fielding Smith, 232 - 233
4. Conference Report, 1970 年 4 月,6 で引用
『聖 徒の 道』1991
5. ボイド・K・パッカー「誓 約」
261
第 22 章
年 1 月号,92 参照。原文にあった斜体は正体に
した。
6. A nswers to G ospel Quest ions , ジ ョ セ フ・
フィールディング・スミス・ジュニア編,全 5 巻
( 1957 - 1966 年),第 3 巻,83 - 85
7. Conference Report, 1968 年 4 月,10 で 引 用。
斜体は原文のまま。
8.“ President Joseph Fielding Smith Speaks
on the New M IA Theme, ”New Era, 1971
年 9 月号,40
9. Conference Report, 1919 年 10 月,142 - 143
で引用
10. Conference Report, 1913 年 10 月,73 で引用
11. Conference Report, 1918 年 4 月,156 で引用
12. Conference Report, 1969 年 10 月,110 で引用
13.“ President Joseph Fielding Smith Speaks
on the New MIA Theme, ”40
14.“ President Joseph Fielding Smith Speaks
on the New MIA Theme, ”40
15. Conference Report, 1970 年 4 月,149 で引用
262
第
2 3
章
個人の責任
「わたしたちはあらゆる所にいる会員が正しい原則を学び,
自らを治めることを期待しています。」
ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯から
ある日,D・アーサー・ヘイコック兄弟が教会執務ビルに向かって歩いてい
かぎ
ると,ジョセフ・フィールディング・スミス大管長が通用口の鍵 を開けているの
が見えた。ヘイコック兄弟は十二使徒定員会の秘書として働いており,職場で
あるその建物に入る必要があったため,
「ドアが閉まる前にすべり込もうと,階
段を 2 ,3 段ずつ急いで駆け上がった。かろうじて間に合い,建物の中に入っ
たヘイコック兄弟は,再び急ぎ足で進み,スミス大管長に追いついて一緒にエ
レベーターに向かって歩いた。ヘイコック兄弟は次のように言った。『天国に
も,大管長が開けたドアからこんなふうに運よく入り込めたならと思います。』」
最初,スミス大管長が返事をしなかったため,ヘイコック兄弟はユーモアのつも
りが何か不適切なことを言ってしまったかと心配になった。しかし「エレベー
ターに着いたとき,スミス大管長は目を輝かせながら言った。『さて,兄弟,決
1
してそんなことを当てにしてはいけませんよ!』」
説教と行いを通して,スミス大管長はヘイコック兄弟に話した原則を繰り返
し教えた。すなわち,末日聖徒はほかの人々が福音の祝福を受けられるように
熱心に助けなければならないが,救いは個人の責任であるということを強調し
た。また,自立するように,そして現世の務めに勤勉に携わるように聖徒たち
に勧めた。スミス大管長は次のように述べている。「人生はわたしたちの可能
2
性を高めるために,特に自制を身に付けるためにあるのです。」
ジョセフ・フィールディング・スミスは少年のころから働くことを学んだ。父
親がよく家を留守にしたため,
「子 供時 代の大半を大人の仕事をして過ごし
た。」実際,とても勤勉な働き手であった彼は,
「そのつもりはなかったが,ま
だ引き継ぐ必要のないうちからある仕事を引き継ぐことになった。少年らしい
自負心から,自分にできることを証明しようと家で飼っていた牛の 1 頭の乳搾
りをひそかに行い,その結果,その仕事をずっと担当することになったのであ
3
る。」
263
第 23 章
「主は……わたしたちに現世のことについての知識を得〔る〕ように期待しておられます。」
264
第 23 章
ジョセフ・フィールディング・スミスの進んで働こうとする意欲は,イギリスで
専任宣教師として奉仕したときも依然としてあった。妻のルーイは伝道地にい
るスミス長老に次のように書いている。「わたしはあなたが娯楽よりも義務を
はるかに愛していることを知っています。ですから,わたしの愛と信頼はとても
4
深く,あなたのことをこの上なく完全に近い若者であると感じているほどです。
」
人々に福音を教えるという義務を果たすことに加えて,ジョセフ・フィールディ
ング・スミスは自らも福音を学ぼうと熱心に努めた。家族に送った手紙の中
で,ある聖句を覚えようとしたことについて次のように述べている。「ある聖句
を覚えようと一日中努力してきましたが,まだ達成できていません。でも覚える
5
まではやめないつもりです。」
スミス大管長は自分の労働観を子供たちに伝えた。大管長は子供たちに次
のように言っている。「人は寝床で死ぬんだよ。熱意も同じで,寝床にいたの
では消えてしまう。」この原則を念頭に,スミス大管長夫妻は子供たちが必ず
毎朝早く起き,自分の責任を果たして,家をきれいな整った状態にするように
した。「どういうわけか,わたしたちが 6 時以降にベッドで横になっていること
は,父には不道徳なことに思えたようです」と,スミス大管長の息子の一人は振
り返る。「もちろん,そんなことを試みたのは 1 度だけです。父が許してくれま
6
せんでしたから。」 スミス大管長は家事も手伝った。ルーイとの新婚時代,最
初の家を建てた際にはできる限りの作業を行った。長年にわたって,家の修繕
はほとんど自分で行い,台所で手伝いをし,季節の果物を収穫し,それを瓶詰
7
めにして保存するのを手伝った。
かつてスミス大管長を追いかけて教会執務ビルに駆け込んだヘイコック兄
弟は,後にスミス大管長を含む 5 人の大管長の個人秘書を務めた。こうして身
近に接する中で,ヘイコック兄弟はスミス大管長が自らを霊的に高めるために
絶えず努力している姿を見た。スミス大管長の執務室に入ると,預言者はよく
8
聖文を研究したり,ほかの書物を読んだりしていたと述べている。
ジョセフ・フィールディング・スミスの教え
1
主はわたしたちが物質的および霊的な祝福を熱心に求めることを
期待しておられる
主は〔アダム〕に次のように言われました。「あなたは顔に汗してパンを食べ
〔る。〕」
〔創世 3:19 。モーセ 4:25 も参照〕そしていつの時代も,主は御自分
の民に勤勉であるように,忠実に主に仕えるように,働くように呼びかけてこら
れました。……
265
第 23 章
この〔ユタの〕盆地における教会の初期の時代に,ブリガム・ヤング大管長
やそのほかの幹部の兄弟たちによって勤勉さが大いに強調されましたが,それ
は必要なことでした。わたしたちの先祖はこの地に何も携えて来なかったから
です。彼らは働かなければなりませんでした。勤勉でなければなりませんでし
た。必要な物を作ることが不可欠であったために,勤勉でなければならないと
いう勧告が絶えず与えられたのです。彼らは心の中で誇ることのないように教
えられました。彼らは自分たちの神である主を礼拝し,その戒めを守ることの
できるこの地にやって来ました。へりくだるように,そして勤勉であるように教
えられました。……ああ,わたしたちがそのことを覚えていることができたなら
と思います。忘れてしまっていることを残念に思います。……
……主は次のように言っておられます。「あなたは怠惰であってはならない。
怠惰な者は働く者のパンを食べてはならないし,その衣服も着てはならないか
らである。」
〔教義と聖約 42:42〕道理にかなっていると思いませんか。怠惰な
者が,もし働ける健康状態にあるならば,どうして勤勉な者の努力の恩恵にあ
ずかってよいでしょうか。年齢を問わず,怠惰を奨励することによって人間らし
さを損なわせる傾向のあるいかなる組織的な取り組みにも,わたしはまったく
共感を覚えません。たとえ何歳になろうと,体力があって務めを果たすことが
できるならば,自分で自分の世話をするべきです。そうすることを主は期待して
おられます。
主は別の啓示で次のように言っておられます。
「さらにまた,まことに,わたしはあなたがたに言う。自分の家族を扶養する
義務を負っている者には皆,扶養させなさい。そうすれば,その人は決して冠
を失うことはない。また,このような者には教会の中で働かせなさい。皆,す
べてのことについて熱心でありなさい。怠惰な者は,悔い改めて自分の行いを
改めないかぎり,教会の中でいるべき場所を得られないであろう。」
〔教義と聖
約 75:28 - 29〕
こん にち
これが今日主が教会の人々に与えておられる勧告です。このことは単に畑を
耕すことや,刈り入れ,収穫し,産業に従事することだけに当てはまるものでは
ありません。人は生計を立てる手段である物質的なことと同様に,霊的なこと
9
においても勤勉でなければならないという意味でもあります。
わたしたちは大きな目的をもってここに来ています。その目的とは 100 歳ま
で生きることでも,もっと若い寿命で終わることでもなければ,田畑を耕作して
収穫し,果物を集め,住居を構え,現世に必要なものに囲まれて住むことでも
ありません。人生の目的はこういったことの中にあるのではありません。もっと
も以上の事柄は地上で生きていくうえで必要です。わたしたちが勤勉でなけれ
ばならないのはそのためです。しかし人生とはこの世にあるものを蓄積し,安
266
第 23 章
楽な生活を送り,現世で享受できるぜいたく品やもろもろの特権,楽しみに囲
まれて生きることであると考えていたずらに時を過ごし,それらのこと以上には
何も考えない人がどれほどいることでしょうか。
これらはいずれもほんの一時的な祝福にすぎません。わたしたちは生きるた
めに食べ,身を暖かく保ち体を覆うために着物を着ます。また安らかに過ごし
便宜の面からも都合が良いので家の中に住みます。しかしこれらの祝福はす
べて,この世で生きていくのに必要な一時的な祝福であると考えなければなり
ません。そしてそれが,これらのものがもたらす益のすべてです。わたしたち
はこの世を去るときこれらのものを一切持って行くことはできません。富と呼
ばれている金銀財宝は,人が自立してこの世での必要を満たせるようにするこ
10
とのほか,何の役にも立ちません。
主は……わたしたちに現世のことについての知識を得て物質的に自立する
はら から
ように期待しておられます。それは,わたしたちが同 胞 の役に立ち,世界中に
いる御父のほかの子供たちに福音のメッセージを伝えられるようになるためで
11
す。
わたしたちがこの地上にいる目的は,天においてなされていると同様,地に
み こころ
おいても御父の御 心 を行い,義を行い,悪を征服してそれを足の下に踏みつけ
ることです。また主の霊感とその現される力によって,悪に打ち勝ち,人の霊の
敵を征服し,貧弱で堕落した人間の不完全さと弱さを超越し,地上における聖
しもべ
12
徒となり,僕となることです。
2
わたしたちは義務の遂行について最終的に主に報告する責任を負う
わたしたちが向き合っているのは自分の信仰であり,良心です。皆さんの行
いはわたしに対するものではなく,教会の大管長会に対するものでもなく,主
じゅうぶん
に対するものです。わたしが什 分 の一を納めるとき,その行いは人に対するも
のではなく,主に対するものです。すなわち,わたし自身が教会において行うこ
とや,教会のそのほかの律法や規則を守ることに関して,わたしの行いは主に
対するものなのです。もし教会の律法を守らないならば,わたしは主に責任を
負い,自分が義務を怠ったことについて,やがて主に弁明しなければならない
でしょう。そして自分の会員資格に関して,教会に対して責任を取らなければ
ならないかもしれません。主から求められていると理解しているままに自分の
義務を果たすなら,わたしの良心は責められることがないはずです。自分の理
解しているとおりに義務を果たしてきたという満足感が心にあるでしょう。そし
てその結果を受け入れるでしょう。わたしにとって,それはわたしと主の間の問
題であり,だれについても同じことが言えます。
267
第 23 章
独り子は使命を成し遂げるために世に遣わされ,その使命を果たされました。
そして独り子を世に遣わされた御方はまた,今わたしの話を聞いているすべて
の皆さんや,実に世界中のすべての男女をも地上に送られました。同じように
使命を成し遂げるためであって,その使命は怠惰によっても,無関心によっても
成し遂げることはできず,無知によっても成し遂げることはできません。
わたしたちは自分が主に対して,また互いに対して負っている義務を学ぶ必
要があります。これらのことは不可欠であって,自分自身を改善すること,主に
かかわる事柄について自分自身の知恵と知識を増し加えることに思いと努力を
注がなければ,霊的な事柄において成功を収めることはできず,主についての
13
知識や知恵において成長することはできません。
人は自分自身の過ちをすぐにほかの人のせいにします。また,わたしたちは
自らの人間性のゆえに,成し遂げられた事柄が喜ばれることや益となることで
あるとすぐに自分の功績にしようとします。しかし喜ばしくない自分の過ちに
ついては責任を負いたがらず,そのような責任をどこかに押し付け,ほかの人に
負わせようとします。……自分自身の責任を負い,ほかに押し付けることのな
14
いようにしましょう。
3
神はわたしたちに選択の自由を与え,
自分で行えることをすべて行うように求めておられる
選択の自由〔は〕,人が思いのままに行動し,自分自身で選択するために,主
たまもの
がすべての人に与えてくださっている大いなる賜物です。自ら選択する者となっ
て,真理を信じて受け入れ,永遠の命を受けることも,あるいは真理を拒み,良
心のとがめを受けることも可能にするためです。これは神の最も大いなる賜物
はら から
の一つです。もしこの賜物がなく,一部の人々が同 胞 に自分の思いを強制した
いと思うように,他者の意のままに強制されるとしたならば,わたしたちはどう
なるでしょうか。救いも,義の報いも,不忠実のために罰を受けることもありま
15
せん。造り主の前に責任を負うことがないからです。
ジョセフ・スミスは,これほど大勢の異なった民を末日聖徒としてどのように
して治めているのか尋ねられ,次のように答えました。「わたしは人々に正しい
原則を教えて,自らを治めさせます。」
これが教会でわたしたちが働く際の原則です。わたしたちはあらゆる所にい
16
る会員が正しい原則を学び,自らを治めることを期待しています。
選択の自由というこの大切な賜物は,人に与えられた自分自身で選択する特
権であり,これまで一度も取り消されたことがなく,今後も決して取り消される
ことがありません。それはすべての人に思想と行動の自由を与える永遠の原則
268
第 23 章
「過去に,御父の何らかの定めによって善を行うように強いられた人は
だれもいません。…… 各自が思いのままに行動できるのです。」
です。過去に,御父の何らかの定めによって善を行うように強いられた人はだ
れもいません。悪を行わざるを得なかった人もいません。各自が思いのままに
行動できるのです。サタンの計画は,この選択の自由を損ない,自分の意志を
人に強要するというものでした。この大切な賜物なしに,満足のいく形での人
の存在はあり得ません。たとえ神の定めに逆らうかもしれないとしても,人に
は選ぶ特権が与えられていなければならないのです。言うまでもなく,救いと
昇栄は,強制されることなく,個人の善い行いによって,自由意志を通してもた
らされなければなりません。それは,義の報いが与えられるように,そして背く
17
者にはふさわしい罰が与えられるようにするためです。
わたしたちは自分の行えることをすべて行った後,神の恵みによって救われ
しょくざい
ると信じています。また,人は皆,キリストの贖 罪 の土台の上に建て,主の前
に恐れおののいて,自分の救いを達成しなければならないと信じています〔 2
18
ニーファイ 25:23;モルモン 9:27 参照〕。
聖典の随所に出ている直接的な行為や意味合いから分かるように,神は人
が救いを得るために自分でできないことをすべて行ってくださいましたが,自分
269
第 23 章
にできる範囲のことは自分でするように期待しておられます。これは重要なこ
とです。
この原則によれば,すでに復活した聖なる使者もしくは天界に属する使者が
地上に来て,人が自分でできる業を代わりに行うことは,地の基が据えられる
前に定められた天の秩序に反しています。……
イエスは人類のためにすべてのことをされたので,人はただ口先で告白すれ
ば,ほかに何もする必要はないと信じることは非常に重大な誤りです。救いを
得るには人にもなすべき仕事があります。天使がコルネリオをペテロのところに
〔使徒 10 章参照〕,アナニヤをパウロのところに行かせたのは〔使徒 9:1 - 22
参照〕,この永遠の律法に添うものでした。モロナイはニーファイ人の版に書か
れている事柄を理解していましたが,モロナイ自身がこれを翻訳しないで,主の
指示の下にジョセフ・スミスにウリムとトンミムを与えたのも,同様にこの律法
に従ったからでした。ジョセフ・スミスはウリムとトンミムにより,神の賜物と力
19
によって重要な仕事を達成することができました。
4
わたしたちの二つの大きな責任は,自分自身の救いを求めることと,
ほかの人々の救いのために熱心に働くことである
わたしたちには二つの大きな責任があります。その一つは自分自身の救いを
求めることであり,次が隣人に対する義務を果たすことです。したがって,わた
しは自分自身に関するかぎり,自分の救いを得ることを第一の義務としていま
す。これは,皆さんの第一の義務でもあり,この教会のすべての会員の第一の
20
義務でもあります。
わたしたちは第一に自分自身の救いについて心配しなければなりません。自
分自身が福音のすべての祝福を受けられるように努めなければなりません。
御父の王国のすべてを受け継ぐ者となれるように,バプテスマを受け,日の栄え
の結婚の位に入らなければなりません。その後,自分の家族,子供たち,先祖
21
について心配するべきです。
わたしたちは生者と死者の両方を含むこの世を救う義務を負っています。わ
たしたちはもろもろの国々で福音を説き,心の正直なイスラエルの子らを集める
ことによって,悔い改める生者を救っています。また,主の宮に行き,バプテス
あん しゅ
マ,按 手,確認,そのほか主がわたしたちの手に求められる事柄を代理で行う
22
ことによって死者を救っています。
わたしには次の責任があり,わたしの兄弟姉妹である皆さんにも同じように
責任が課せられています。その責任とは,力の及ぶ範囲で最善を尽くし,義務
を怠ることなく,主から与えられた召しを心から尊んで大いなるものとするよう
270
第 23 章
に努め,わたしたち一人一人が自分自身の家族の救いのために,そして隣人の
23
救いのため,遠方の地にいる人々の救いのために熱心に働くことです。
研究とレッスンのための提案
質問
•子供たちに働くことを教えるスミス大管長の取り組みについて,どのようなこ
とが印象に残りましたか(「ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯から」
参照)。もっと責任感の強い子供になれるように,どのような助けができるで
しょうか。
•第 1 項にある教えは,自立についての理解をどのように深めてくれるでしょう
か。自立の度合いを増すためにできることについて考えてください。
•第 2 項にある勧告を読んでください。あなたにとって「主に責任を負〔う〕」
とはどういうことでしょうか。
•「わたしたちはあらゆる所にいる会員が正しい原則を学び,自らを治めること
を期待しています」とスミス大管長は教えています(第 3 項)。この教えは
どのような形で家族に祝福をもたらしてくれるでしょうか。それは神権定員
会や扶助協会においてどのような導きとなるでしょうか。
•ほかの人々のために奉仕しようとするとき,
「わたしたちは第一に自分自身の
救いについて心配しなければな〔らない〕」のはなぜだと思いますか(第 4
項参照)。
関連聖句
ピリピ 2:12;2 ニーファイ 2:14 - 16 ,25 - 30;教義と聖約 58:26 - 28
教える際のヒント
「本書から教えるときには,人々が自分の考えを述べ,質問し,互いに教え合
うように勧める。人々は積極的に参加するとき,いっそう進んで学び,個人的
な啓示を受ける。」
(本書 v - vi ページから)
注
1. ジョセフ・フィールディング・スミス・ジュニア,
ジョン・J・スチュワート共 著,The Life of Joseph Fielding Smith( 1972 年),358 - 359
2. ジョセフ・フィールディング・スミスの言葉,The
Life of Joseph Fielding Smith, 10 で引用
3. ジョセフ・フィールディング・スミス・ジュニア,
ジョン・J・スチュワート共 著,The Life of Joseph Fielding Smith , 51 - 52
4. ルーイ・シャートリフ・スミスの言葉,The Life
of Joseph Fielding Smith, 113 で引用
5. ジョセフ・フィールディング・スミスの言葉,The
Life of Joseph Fielding Smith, 116 で引用
6. ジョセフ・フィールディング・マッコンキー,
“ Joseph Fielding Smith ,”レナード・J・アリント
ン 編,The Presidents of the Church( 1986
年),336 - 337 で 引 用。The Life of Joseph
Fielding Smith, 217 - 221 も参照
7. The Life of Joseph Fielding Smith, 12 - 13,
155 - 157;フランシス・M・ギボンズ, Joseph
Fielding Smith: Gospel Scholar, Prophet of
271
第 23 章
God( 1992 年),202 参照
ス 』284 も参照
8. ジ ェ イ・M・ ト ッ ド,
“ A Day in the Life of
President Joseph Fielding Smith, ”Ensign,
1972 年 7 月号,5 参照
17. A nswers to G ospel Quest ions , ジ ョ セ フ・
フィールディング・スミス・ジュニア編,全 5 巻
( 1957 - 1966 年),第 2 巻,20
9. Conference Report, 1945 年 4 月,48 - 49
『聖 徒 の 道』1971 年 10 月 号,
18.「闇 より出 で て」
279 参照
やみ
10.“ Salvation for the Dead, ”Utah Genealogical and Historical Magazine, 1926 年 4 月号,
154 - 155 。Doctrines of Salvation, ブルース・
R・マッコンキー編,全 3 巻( 1954 - 1956 年),
第 1 巻,68 - 69 も参照
11. ユタ州ローガン宗教インスティテュートにおける
説 教,1971 年 1 月 10 日,2 ,教 会 歴 史 図 書 館。
未出版原稿
12. Conference Report, 1969 年 10 月,108
19.“ Priesthood- -Restoration of Divine Authorit y, ”Deseret News , 193 3 年 9 月 2 日 付,
Church 欄,4 。Doctrines of Salvation, 第 3
巻,90 - 91 も参照
20.“ The Duties of the Priesthood in Temple
Work , ”Utah Genealogical and Historical
Magazine, 1939 年 1 月号,3 。Doctrines of
Salvation, 第 2 巻,145 も参照
21. Sealing Power and Salvation, BYU Speeches
of the Year( 1971 年 1 月 12 日),2
13. Conference Report, 1969 年 10 月,108
14. Conference Report, 1932 年 10 月,88
15. Conference Report, 1949 年 10 月,88
16. Conference Report, イギリス地域総大会,1971
年,6 。『歴代大管長の教え ― ジョセフ・スミ
22. Conference Report, 1911 年 10 月,120 。Doctrines of Salvation, 第 2 巻,192 - 193 も参照
23. Conference Report, 1921 年 4 月,41
272
第
2 4
章
末日聖徒の女性の業 ―
「この栄光ある大義に対する
無私の献身」
「姉妹ができる善行に限界はありません。」
ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯から
1
963 年 10 月 2 日の中央 扶 助協会集会において,ジョセフ・フィールディン
グ・スミス大管長は言った。「わたしたち教会の中央幹部は,この栄光ある大
1
義に対する善良な姉妹の無私の献身をたたえ,尊んでいます。」
こう宣言したスミス大管長は,長年の経験から語ったのだった。大管長は
生涯にわたって,忠実な末日聖徒の女性たちとともに奉仕した。彼の奉仕は
1880 年代の終わり,10 歳のころから始まった。当時,末日聖徒の女性は医学
や医療の教育を受けるように勧められていた。母ジュリナ・L・スミスもこの勧
告に従い,助産師として働く訓練を受けた。夜中に彼を起こし,赤ん坊が生ま
れそうな家まで馬車で送ってもらうことがよくあった。このように母親と一緒に
奉仕した少年ジョセフ・フィールディング・スミスは,教会の女性の強さと思い
2
やりの模範を見たのだった。 スミス姉妹は後に中央扶助協会会長会で顧問と
して奉仕している。
スミス大管長は扶助協会に深い敬意を抱いていて,扶助協会は「地上にお
3
ける神の王国に不可欠な存在である」と語った。 大管長の二人目の妻エセル
は中央扶助協会管理会の一員として 21 年間奉仕した。エセルと一緒に管理
会で奉仕し,後に中央扶助協会会長を務めたエーミー・ブラウン・ライマン姉
ず のう めい せき
妹はこう語っている。「スミス姉妹は,わたしの知るかぎり,最も頭脳明晰な女
性の一人でした。文筆家としても話者としても,管理会でいちばん秀でていた
4
と思います。」 エセルは管理会員としてステーク大会に出席し,地元の扶助協
会の姉妹を教えた。スミス大管長とともに教会の割り当てを果たしに出かけ,
5
同じ演壇から教会員を教えることもよくあった。
エセルの死後,スミス大管長はジェシー・エバンズと結婚した。大管長が
教えに赴く際に,ジェシーは毎回のように同行した。彼女は美しい歌声の持
ち主で,スミス大管長は二人で出席した集会で妻に歌を所望するのが常だっ
273
第 24 章
教会の歴史の始めから,女性は主の末日の業において
欠くことのできない役割を果たしてきた。
274
第 24 章
た。大管長会秘書を務めたフランシス・M・ギボンズ長老はこう回想している。
「ジョセフ・フィールディングは管理する集会でいつも彼女に歌ってもらいたい
と望みました。単に彼女の歌に聴き飽きることがなかったということも確かに
あります。しかしそれ以上に,聖なる賛美歌を歌う彼女のよく磨かれたアルト
の歌声が集会の霊性を高め,聴く人の霊を鼓舞し,説教する彼自身の能力を高
めてくれたからです。その後で,妻の熱心な,冗談半分の勧めに応じて,ジョセ
フがジェシーとデュエットすることもたまにありました。そのようなときは二人で
ピアノいすに腰かけ,ジェシーが伴奏を弾きながら,夫の歌声をかき消さないよ
6
うに,いつもの豊かな声量を抑え気味に歌ったものでした。」
大管長として,ジョセフ・フィールディング・スミスは中央扶助協会会長のベ
ル・S・スパッフォード姉妹と定期的に話し合った。スパッフォード姉妹は後
に,大管長と働いた経験についてこう述べている。「ジョセフ・フィールディン
グ・スミス大管長は優しく,人々に大きな愛を持った人でした。それは教会の
女性の業に深い理解を持っていたことからも明らかでした。そのことを何度と
なく様々な方法で扶助協会会長会に伝え,わたしたちの視野を広げ,道を示し
7
てくれました。」
ジョセフ・フィールディング・スミスの教え
1
聖文には主の教会で責任を担った忠実な女性のことが記されている
の
高価な真珠には,アダムとエバが堕落の結果を受けた後に,エバが教えを宣
べたと書かれています。短いけれども,すばらしく示唆に富んだ教えです。
「……『わたしたちの背きがなかったならば,わたしたちは決して子孫を持つ
あがな
ことはなく,また善悪も,贖 いの喜びも,神がすべての従順な者に与えてくださ
る永遠の命も,決して知ることはなかったでしょう。』
(モーセ 5:11 )
アダムとエバは神の名をたたえ,息子,娘たちにすべてのことを知らせた。」
(モーセ 5:12 )
このことから,アダムのみならずエバも,その子供たちに永遠の命に至る道
8
を教えるように啓示と戒めを受けていたことが分かります。
〔初期の〕イスラエルでは,女性が活躍し,果たすべき責任を受けていたこと
9
が記されています〔出エジプト 15:20;士師 4 - 5 章参照〕。
新約聖書には,教えを求め,そして自らも教えた大勢の忠実な女性について
書かれています。この女性の多くは主に従い,主に仕えました〔ルカ 8:1 - 3;
10
10:38 - 42 参照〕。
275
第 24 章
2
末日に,扶助協会の姉妹は回復されたイエス・キリストの教会において
欠かせない役割を果たす
1842 年 3 月 17 日,預言者ジョセフ・スミスはノーブーにおいて姉妹たちと
集会を持ち,協会を組織して「ノーブー女性扶助協会」と名付けました。……
この組織が啓示によるものであることに疑問の余地はありません。この真理は
こん にち
長い年月を通して明白に実証されてきましたし,今 日 もその価値と必要性は明
11
白に証明されています。
このすばらしい団体が組織されなかったならば,イエス・キリストの教会が
完全に組織されたことにならなかったのは確かです。…… 教会の福利にとって
必要不可欠な,神によって定められた業を姉妹たちがなし得る場となる扶助協
12
会がなかったら,この回復は完全なものにはならなかったでしょう。
「ノーブー女性扶助協会」は,ジョン・テーラー長老の立ち会いのもとに,預
言者ジョセフ・スミスによって組織されました。主は,教会の女性が組織され
るべきであることを明らかにされました。姉妹には「シオンの大義を起こして
確立する」のを助けるためにするべき大切な業があったからです〔教義と聖約
6:6〕。姉妹のこの働きは,おもに教会の女性の益と励ましと向上のためであ
り,日の栄えの王国に場所を得られるよう彼女たちがすべてにおいて備えられ
るようにするためでした。さらに,教会中の貧しい人,病人,困っている人への
あわ
憐れみと救済の業に対する責任も課せられました。組織されてから長年にわた
り,この協会の姉妹たちはその召しに誠実であり,その業に忠実であることを
尊び大いなるものとしてきました。どのような難しい任務にもひるむことはあり
ませんでした。どんな責任も怠ることはありませんでした。そして,そのような
13
彼女たちの働きを通して何千もの人々が祝福されてきたのです。
扶助協会は……成長し,教会で強い影響力を持つようになりました。間違
いなく必要な存在です。助けるものという意味で補助組織と呼ばれますが,扶
14
助協会はそれ以上の存在です。必要とされているのです。
ノーブーの時代から絶え間なく示されてきた,この偉大な組織の姉妹たちの
15
誠実さと忠実さをたたえたいと思います。
主は皆さんの働きを喜んでおられます。皆さんはその働きを通して神の王国
を築き上げ強めるのに貢献してきました。例えて言うなら,扶助協会の働きは
神権定員会と同じように必要とされているのです。さて,わたしの言葉が強す
ぎると思う人もいるかもしれませんが,善良な姉妹である皆さんの働きは,この
王国を建設し,強め,広めて,わたしたち皆が建てられるような土台を築くうえ
で適切なものであり,神の神権を持つ兄弟たちの働きと同じように重要なもの
276
第 24 章
であると,わたし自身は判断しています。皆さんなしでは,わたしたちは立ち行
16
かないのです。
〔扶助協会の姉妹が 〕所属するのは世界で最も偉大な女性の組織であり,地
上における神の王国の不可欠な一部です。この組織は,その忠実な会員が御
父の王国で永遠の命を得られるように助ける目的で設立され,運営されていま
す。……
み たま
扶助協会は霊感の霊によって設立され,
〔以来〕その御 霊 によって導かれ,
無数の善良な姉妹の心に主の喜ばれる義を追求する望みを植え付けてきまし
17
た。
3
扶助協会の姉妹は,神の子らの物質的および霊的福利に心を配り,助ける
主はその知恵によって,姉妹に神権者を助けるように求められました。姉妹
の思いやり,心の優しさ,親切さのゆえに,主は〔女性〕に目を留め,貧しい人や
困っている人を世話する義務と責任をお与えになったのです。主は彼女たちに
従うべき道筋を示し,この偉大な組織をお与えになりました。それにより,ワー
ドのビショップの指示のもとで奉仕する力を受け,ワードのビショップと一致し
て人々の霊的および物質的必要に心を配るためです。
そして主は姉妹に,家庭を訪問して貧しい人を慰め,困っている人を助けて,
彼らとひざまずいて祈るように求めることがおできになります。そうすれば,主
は病んでいる人のために心からささげられる姉妹の祈りを聞き届けてください
18
ます。それは主が教会の長老の祈りに耳を傾けられるのと同じです。
扶助協会の目的と務めは多様です。…… 父ジョセフ・F・スミス大管長は次
のように〔言いました〕。「これは預言者ジョセフ・スミスによって設立された
組 織です。したがって,教会の最も古い補助組織であり,最も大切な組織で
す。貧しい人,病人,困っている人の必要を満たすだけではありません。シオ
ンの母親と娘の霊的な福利と救いを助けることもその務めの一部で,むしろこ
ちらの方が大きな位置を占めています。さらに,この世で人々を脅かす不運,
災難,闇の力,邪悪から,すべての姉妹が一人もなおざりにされず守られるよう
に心を配ります。扶助協会会員と教会の女性会員すべての霊的な福利を助け
19
ることが扶助協会の果たすべき務めです。」
扶助協会の義務は扶助協会の会員の世話をすることだけではありません。
その働きは組織の境界を越えて広がるべきです。だれであっても,困っていた
り,助けが必要だったり,困窮していたり,病で苦しんでいたりする人がいたら,
わたしたちは扶助協会に援助するよう求めます。…… 扶助協会は道からそれ
た人を励まし,助け,再び活発に集えるように,そして弱さや罪,不完全さを克
277
第 24 章
扶助協会は「世界で最も偉大な女性の組織であり,地上における
神の王国の欠かすことのできない一部」である。
服し真理を理解できるように助けるという偉大ですばらしい業を行うことがで
きます。姉妹ができる善行に限界はありません。
……もし善良な扶助協会の姉妹たちがいなかったら,ステーク会長やワード
のビショップは一体どうすればよいのか,わたしには分かりません。彼らが頼
り,奉仕を依頼し,多くの場合,兄弟たちには扱いにくい状況に対処し,本領を
発揮してくれる姉妹たちがいなかったら,どうすればよいのでしょうか。教会
の会員全員が完全であったらすばらしいことです。もしそうだったら,わたした
ちは皆,男性も女性も,責任が軽くなるでしょう。しかし,その時はまだ来てい
ません。姉妹の中には励ましが必要な人,霊的にも物質的にも少しの助けが
必要な人がいます。そして,この偉大ですばらしい組織に所属する姉妹たち以
上にそれをうまく果たせる人はいません。
この業にあって,姉妹たちは道からそれた人,無関心な人,軽率な人を励ま
し助けるのを援助することができます。それは,神権者が兄弟の中の道からそ
れた人,無関心な人,軽率な人のために働くように命じられているのと同じで
す。わたしたちは皆,義が成し遂げられるように,道から外れて教会の義務を
20
おろそかにしている人が教会に戻れるように尽力するべきです。
278
第 24 章
教会員の数がわずかで,きわめて困難な状況下にあったささやかな始まりか
ら,この協会は大きくなってきました。…… 貧しい人,病んでいる人,困窮して
いる人,そして身体的,精神的,あるいは霊的な必要を抱えている人の救済に
おいて達成してきたことが正確に知られることは決してないでしょう。……こ
れはすべて,イエス・キリストの福音のまことの精神にのっとり,愛の精神で達
21
成されたものです。
4
主は女性が光と真理を求め,日の栄えの栄光を手
にする資格を得るよう望んでおられる
福音は,兄弟と同じように姉妹にとっても重要です。彼女たちも兄弟たちと
同じように関与しているのです。そして,主が預言者ジョセフ・スミスに向か
い,
「これらの戒めを調べなさい。これらは真実であり,確かであって,これら
の中にある預言と約束はすべて成就するからである」と語られたとき,その戒
めを教会の男性会員に限定なさいませんでした〔教義と聖約 1:37〕。…… 戒
めを守ることは姉妹にとっても同じように大切なのです。いかなる女性も,罪の
ゆる
たま もの
あん しゅ
赦 しのためのバプテスマと聖霊の賜 物 を受けるための按 手 なしに神の王国で
救われることはありません。……
……人は無知で救われることは不可能であると主が言われたとき,主は男性
ばかりでなく,女性にも言っておられたと思います〔教義と聖約 131:6 参照〕。
22
また,教会の女性は聖文を研究する義務を負っていると思います。
み こころ
教会の男性だけでなく女性に対しても,主は御自身の神聖な御 心 を知るよ
あかし
う,また神の王国における救いに関して啓示された真理について揺るぎない証
を持つよう求めておられます。主がモルモン書を世に出されたのは神権者だけ
の益のためではありません。男女を問わず,真理を探し求めるすべての人のた
めにそうなさったのです。
23
主は神権者だけでなく,姉妹も真理の証によって資格を得,教会の教義を理
解するよう望んでおられます。昇栄を勝ち取るには,わたしたちはそうしたいと
望んでいるわけですが,知識と信仰と祈りによって備える必要があります。ま
た,主が「まず神の国と神の義とを求めなさい」と言われたとき,男性たちに向
かってだけ話されたのではありません〔マタイ 6:33;3 ニーファイ 13:33〕。
24
男女入り混じった会衆に向かって話されたのです。
バプテスマを受けて教会に入った女性は皆,その頭に長老たちの手が置か
み たま
れ,あらゆる真理において御 霊 の導きがあるように聖霊の賜物を受けます。主
の御心は,すべての人が神聖な導きを得られるようにすることです。そうするこ
とによって真理が明らかになり,人は光と闇を見分けられるようになって,強め
279
第 24 章
み こころ
「教会の ……女性に対しても,主は御自身の神聖な御あかし
心を知るよう,また神の王国におけ
る救いに関して啓示された真理について揺るぎない証を持つよう求めておられます。」
られ,現在世の中で横行する多くの誤った教義,原理,概念を退ける力を与え
25
られるようになります。
姉妹は,男性とまったく同じように,聖なる御霊の助けが必要だと感じている
ことについて霊感を受ける資格があります。どうしても知らなければならない
事柄について預言の賜物を受ける資格があります。…… 祈るときは,祈りの答
えが得られることを信じて熱心に祈るべきです。熱心に,心から祈るなら,主
26
は兄弟の祈りと同じように,姉妹の祈りも聞いてくださいます。
主は,忠実さと謙遜さと心からの悔い改めを条件に,男女の別なく,すべての
人に聖霊の賜物を約束されました。福音の真理を学んで知り,研究と信仰とす
べての戒めに従うことによって自らを備えて,日の栄えの栄光を受ける資格が得
27
られるように光と真理を探求することが必要です。
5
神権を通して,神はその娘たちに,息子たちが得られる
たまもの
すべての霊の賜物と祝福を用意しておられる
神権の祝福が男性に限定されないことは,わたしたち全員が知っていること
だと思います。これらの祝福は,…… 教会のすべての忠実な女性にも注がれま
す。このような善良な姉妹たちは,戒めを守り教会で奉仕することによって,主
280
第 24 章
の宮の祝福のために自らを備えることができます。主は,御自身の息子たちが
手にすることのできるあらゆる霊的な賜物と祝福を娘たちにも用意しておられ
ます。なぜなら,主にあって女なしに男はなく,男なしに女はないからです〔 1
28
コリント 11:11 参照〕。
主がアブラハムに向かい,彼を国々の父とし,その子孫を増して天の星のよう
に,浜辺の砂のようにすると言われたのはだれでも知っています。しかし,見過
ごしてならないのは,主が同じ約束をサラにもなさったことです。
「神はまたアブラハムに言われた,
『あなたの妻サライは,もはや名をサライと
いわず,名をサラと言いなさい。わたしは彼女を祝福し,また彼女によって,あ
なたにひとりの男の子を授けよう。わたしは彼女を祝福し,彼女を国々の民の
母としよう。彼女から,もろもろの民の王たちが出るであろう。』」
〔創世 17:15
29
- 16〕
主は神権と神権の力,そして神権を通して受ける教会の儀式について,次の
ように語っておられます。「また,この大神権は福音をつかさどり,王国の奥義
かぎ
の鍵,すなわち神の知識の鍵を持つ。」
……もう一度読みます。「また,この大神権は福音をつかさどり,王国の奥
義の鍵,すなわち神の知識の鍵を持つ。 それゆえ,この神権の儀式によって
神性の力が現れる。また,神権の儀式と権能がなくては,肉体を持つ人間に神
み かお
性の力は現れない。これがなくては,だれも神,すなわち父の御 顔 を見て,な
お生きていることはできないからである。」
〔教義と聖約 84:19 - 22〕
これを読めば,神権を持つわたしたち皆には,神を知るための偉大な権能が
あることを思い喜びを覚えるでしょう。神権を持つ男性がその偉大な真理を知
ることができるばかりか,神権と神権の儀式により,男性も女性もすべての教会
30
員が神を知ることができるのです。
研究とレッスンのための提案
質問
•「ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯から」に記されている経験から,
何を学ぶことができるでしょうか。同じような経験をしたことがあるでしょう
か。
•スミス大管長は様々な時代に神の王国で重要な責任を果たした女性につい
て語っています(第1項参照)。あなたは,女性が家族や教会を強めるため
にどのような貢献をするのを目にしたことがあるでしょうか。
•あなたはどのような「教会の福利にとって必要不可欠な」扶助協会の働きを
目にしたことがあるでしょうか(第 2 項参照)。扶助協会の姉妹と神権者は
281
第 24 章
どのようにして神の王国の建設のために一致して働いているでしょうか。
•扶助協会は末日聖徒の女性の霊的福利のためにどのようなことをしているで
しょうか。扶助協会の姉妹は,どのような方法で組織の範囲を超えて影響力
を広めているでしょうか(例については,第 3 項参照)。
あかし
•スミス大管長は,女性と男性は皆,福音の教義を理解し,証 を強め,啓示を
受ける必要があると強調しました(第 4 項参照)。わたしたち皆がこのよう
たまもの
な賜物を求めるのが大切なのは,なぜだと思いますか。
•スミス大 管長は,神権の祝 福が「教会のすべての忠実な女性にも注がれ
〔る〕」と教えました(第 5 項)。家庭や教会において,女性が自らの責任を
果たすために神権の祝福が必要なのはなぜでしょうか。女性が霊的な賜物
を受けた例として,どのようなことを目にしたことがあるでしょうか。
関連聖句
使徒 5:12 - 14;アルマ 32:22 - 23;教義と聖約 46:8 - 9
教えるヒント
「前回のレッスンを終えたら直ちに次回のレッスンのことを考え始めるとよい。
レッスンを通して生徒とともに過ごす時間を持った直後のあなたは,彼らの
状態,必要,興味に気づいていることであろう。」
(『教師,その大いなる召し』
97 )
注
1.“ Purpose of the Relief Society, ”Relief Society Magazine, 1964 年 1 月号,5
Revelation, ”Relief Society Magazine, 1965
年 1 月号,5
2. ジョセフ・フィールディング・スミスが母親の助
産師の務めを手伝ったことについて詳しくは,本
書第 20 章参照
3.“ Mothers in Israel, ”Relief Society Magazine, 1970 年 12 月号,883
4. エーミー・ブラウン・ライマンの言葉,ジョセフ・
フィールディング・スミス,ジョン・J・ステュワー
ト 共 著,The Life of Joseph Fielding Smith,
( 1972 年),243
5. フ ラ ン シ ス・M・ ギ ボ ン ズ,Joseph Fielding
S m it h : G o s p e l S c h o l a r, P r o phet o f G o d
( 1992 年)261 参照
10. Answers to Gospel Questions, 第 3 巻,67.
11.“ Purpose of the Relief Society, ”4
12.“ The Relief Society Organized by Revelation, ”6
13.“ Relief Society Responsibilities, ”Relief Society Magazine, 1954 年 10 月号,644
14.“ R el ie f S o c iet y - A n A id t o t he P r ie sthood, ”Relief Society Magazine, 1959 年 1 月
号,4
15.“ Relief Society Responsibilities, ”Relief Society Magazine, 1954 年 10 月号,646
6. フ ラ ン シ ス・M・ ギ ボ ン ズ,Joseph Fielding
Smith: Gospel Scholar, Prophet of God, 281
16.“ R el ie f S o c iet y - A n A id t o t he P r ie sthood, ”6;句読点は標準化した。
7. ベル・S・スパッフォード,Latter-day ProphetPresidents I Have Known( 1973 年 5 月 29
日,ブリガム・ヤング大学における講演),4
17.“ Mothers in Israel, ”883
18.“ Rel ief S o ciet y - A n A id t o t he P r ie sthood, ”5
8. A nswers to G ospel Quest ions , ジ ョ セ フ・
フィールディング・スミス・ジュニア編,全 5 巻
( 1957 − 1966 年)第 3 巻,66
19.“ Te a c h i ng t h e G o s p e l , ”R e l i e f S o c i et y
Magazine, 1966 年 1 月号,5 。ジョセフ・F・ス
ミス,Conference Report, 1906 年 4 月号,3 も
参照
9.“ T h e R e l i e f S o c i e t y O r g a n i z e d b y
282
第 24 章
20.“ Relief Society Responsibilities, ”Relief Society Magazine, 1954 年 3 月号,151 − 152
21.“ Purpose of the Relief Society, ”5
26.“ Obedience to the Truth, ”7
27. Answers to G ospel Quest ions , 第 3 巻,6 8
− 69
22.“ Obedience to the Truth, ”Relief Society
Magazine, 1960 年 1 月号,6 − 7
28. Conference Report, 1970 年 4 月号,59
23.“ Relief Society Responsibilities, ”Relief Society Magazine, 1954 年 10 月号,644
30.“ And the Truth Shall Make You Free, ”Deseret News, 1940 年 3 月 30 日付,Church 欄,
4 。Doctrines of Salvation, ブルース・R・マッ
コンキー編,全 3 巻( 1954 - 1956 年)第 3 巻,
142 - 143 も参照
24.“ Relief Society Responsibilities, ”Relief Society Magazine ,1954 年 3 月号,152
25.“ Relief Society Responsibilities, ”Relief Society Magazine, 1954 年 10 月号,644
29.“ Mothers in Israel, ”885
283
救い主降誕の物語は「幾度語られようと決して古びることはないのです……。」
284
第
2 5
章
イエス・キリストの降誕 ―
「大きな喜びを,あなたがたに伝える」
「このすばらしい物語についてはどうでしょうか。
この物語はわたしたちの生活に浸透し,
影響を与えているでしょうか。わたしたちはこの物語が意味する
すべてを完全に受け入れているでしょうか。」
ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯から
1971 年のクリスマスの季節に,ある新聞記者がジョセフ・フィールディング・ス
ミス大管長とその家族とともに過ごす機会を得ました。記者は預言者の生活
でかいま見たことを伝えています。
「クリスマスはジョセフ・フィールディング・スミス大管長にとって特別な時で
す。それは家族の日であり,思い起こすための日です。しかし何と言っても,ス
ミス大管長にとってクリスマスは子供たちのための日です。
スミス大管長はひ孫の女の子を抱き寄せながら『クリスマスに関することで
わたしがいちばん好きなのは子供たちだと思います』と語りました。
ひざの上に挿絵入りの大きな聖書を載せて,スミス大管長と二人のひ孫,4
歳のシャナ・マッコンキーと 2 歳のシェリは,キリストの降誕について書かれて
いるページを開きました。 3 人は,かいばおけの絵が載っているページを長い
間見ていました。スミス大管長と女の子たちはほんとうに仲が良さそうでした。
……
スミス大 管長のクリスマスの楽しみは多くの家族が 訪ねて来ることです。
1
『クリスマスは家族が集まる時です』と彼は言います。」
スミス大管長にとって,クリスマスの伝統の中心にあるのは救い主の降誕と
あがな
務め,そして贖いです。教会員からクリスマスのあいさつを受けて次のように語
りました。「クリスマスカードを送ってくださる人たちの心遣いに感謝します。
かしら
これは愛の気持ちの表れであり,教会の頭 としてわたしたちが敬い礼拝する救
い主の降誕を思い起こさせてくれるものであると思っています。主は平和と善
285
第 25 章
意をお教えになりました。これが,あらゆる所に住む,愛する皆さんにお伝えし
2
たいことです。」
1970 年の 12 月,スミス大管長は世界中の教会員に向けてクリスマスメッ
セージを出しました。その中に次のような言葉があります。
あわ
「このクリスマスの時期に愛と親しみを込めて,また,永遠の御父が憐れみを
もってわたしたちを見守り,豊かに祝福を注いでくださるようにという祈りを込
めて,皆さんにあいさつを送ります。
かん なん
罪悪がはびこり,地上にひどい艱 難 があり,戦争と戦争のうわさのあるこの
時代,わたしたちはこれまで以上に主の導きと守りを必要としています。
わたしたちが理解しておくべきことがあります。それは,いなかる困難や試
練が降りかかろうとも,地上の出来事を統治しておられるのが主であり,わたし
たちが主の戒めを守り,主の律法に忠実であるなら,今,ここで主はわたしたち
を祝福し,やがては,主の王国における永遠の命をもって報いてくださるという
ことです。……
……クリスマスの時期に,そして常にわたしは祈っています。わたしたちの
信仰の中心に神の御子がおられるように,また,わたしたちの理解を超えた自
3
身の平安を得ることができますように。」
ジョセフ・フィールディング・スミスの教え
1
あがな
贖い主降誕の物語の美しさはその質素さにある
けん そん
贖い主の降誕を伝える栄光に満ちた物語ほど,謙 遜 な人々の魂にこれほど
深い感動を呼び起こす,美しい物語はありません。どのような言葉も,質素さ
を美しく伝えるこの物語を強め,高め,増し加えることはできません。幾度語ら
れようと決して古びることはありません。しかし,家庭で語られる回数はあまり
にも少なすぎます。あの忘れ難い夜に,わたしたちも群れの見張り番をしてい
た羊飼いと一緒だったと想像してみましょう。羊飼いたちは先祖の信仰を失っ
ていない謙遜な人たちでした。彼らの心は,主が務めを果たされていた時代の
ユダヤ人支配者の心とは異なり,かたくなになっていませんでした。そうでなけ
れば,天使が栄光に満ちた御告げを携えて現れることはなかったでしょう。そ
の驚くべき物語をもう一度読んでみましょう。
さて,この地方で羊飼いたちが夜,野宿しながら羊の群れの番をしていた。
み つかい
てら
すると主の御 使 が現れ,主の栄光が彼らをめぐり照 したので,彼らは非常に
恐れた。
286
第 25 章
御使は言った,
『恐れるな。見よ,すべての民に与えられる大きな喜びを,あ
なたがたに伝える。
すくいぬし
うま
きょうダビデの町に,あなたがたのために救 主 がお生 れになった。このかた
こそ主なるキリストである。
あなたがたは,幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてあるのを見
るであろう。それが,あなたがたに与えられるしるしである。』
するとたちまち,おびただしい天の軍勢が現れ,御使と一緒になって神をさ
んびして言った,
『いと高きところでは,神に栄光があるように,地の上では,み心にかなう人々
に平和があるように。』
御使たちが彼らを離れて天に帰ったとき,羊飼たちは『さあ,ベツレヘムへ
たがい
行って,主がお知らせ下さったその出来事を見てこようではないか』と,互 に語
り合った。
そして急いで行って,マリヤとヨセフ,また飼葉おけに寝かしてある幼な子を
捜しあてた。」
〔ルカ 2:8 - 16〕
これを読んでその質素さに心を動かされず,物語の簡潔な真理に感動しない
4
人がいるでしょうか。
2
おさな ご
イエス・キリストは神の御子であられたにもかかわらず,幼子としてこの
世に来られ,恵みに恵みを受け続け,ついに完全をお受けになった
わたしたちは皆,イエス・キリストがアブラハム,モーセの時代にイスラエル
を導き,さらにはアダムの時代以来人々を導いてきたエホバであられたことを
理解しています。またエホバすなわちイエス・キリストが,霊の御方としてヤレ
み すがた
ドの兄弟に御 姿 を現されたことと,この世に生まれ成長して成人になられたこ
5
とを理解していると思います。
救い主はこの世に生まれる前に神であられ,その資格を失うことなく地上に
降誕されました。この世に生まれて来ても前世のときとまったく同じように神
であられました。しかしこの現世では,主も他のすべての子らと同じように,少
しずつ知識を得る必要があおりになったようです。ルカは,イエスが「ますま
す知恵が加わり,背たけも伸び,そして神と人から愛された」と記録していま
す〔ルカ 2:52〕。ヨハネは「彼は最初から完全は受けず,恵みに恵みを受け
続け,ついに完全を受け」るまで進歩する必要がおありでしたと記録しています
〔教義と聖約 93:13〕。……
287
第 25 章
若いイエスは,
「教えに教え,訓戒に訓戒」が付け加えられながら知識を得られました。
明らかに主は 12 歳になるまでに,御父の業について多くのことを学んでおら
れました。それは,12 歳のときすでに神殿で博士や賢人を驚嘆させられたこ
み つか
とで分かります〔ルカ 2:46 - 49 参照〕。この知識は啓示や御 使 いの訪れ,
その他の方法によって与えられたのでしょう。しかしこの世におられた間は,
教えに教えを,訓戒に訓戒を加えられて知識を得るしか方法はありませんでし
た。もちろんその間しばしば天の御父と交通があったことに疑問の余地はあり
ません。
……「イエスは弟たちとともに成長し,体もたくましくなり,御自分の務めの
時が来るのを待っておられた。イエスは父親のもとで働いておられたが,そ
の語ることは他の人々とは異なり,イエスを教えることのできる人はだれもいな
かった。教える人を必要とされなかったからである。それから何年もたって,
務めの時が近づいた。」
〔ジョセフ・スミス訳 ― マタイ 3:24 - 26〕
主は,父がなさるのを見てする以外に何もできないと言われました。これは
言い換えれば,父のなさったことが主に明らかにされたということを意味してい
ます〔ヨハネ 5:19 - 20 参照〕。イエスは地上に来たとき,わたしたちと同じ
状態に入られました。すなわちすべてのことを忘れ,恵みに恵みを加えられて
成長なさらなければならなかったのです。主も一時的な現世の生涯を全うする
には,わたしたちの場合と同じように忘却,すなわち以前の知識が取り去られ
ることが必要でした。
288
第 25 章
救い主は初めから完全を得ておられたのではありませんでした。体を得て
復活された後に,天と地におけるすべての力が与えられました。主はこの地球
やその他もろもろの地を創造する力と権能を持った神,すなわち神の御子でい
らっしゃいましたが,復活されるまで欠けているものが幾つかありました。言
6
い換えれば,主は復活体を得るまで完全を受けておられなかったのです。
3
イエス・キリストは,肉体の死と霊的な死から
あがな
わたしたちを贖うためにこの世に来られた
イエスは,この地の基が据えられる前に明確な使命を与えられ,その使命を
果たすためにここに来られました。聖文の中では主のことが「世の初めから」
「ほふられた小羊」と語られています〔黙示 13:8 〕。アダムの背きを通して生
じることになる堕落から人を贖うため,時の中間に主は自ら進んで来られまし
た。
……イエスは地上における父を持たずにこの世に生まれた唯一の御方でし
た。主の肉体の父は同時に主の霊の父でもあります。そしてその父はすべての
人の霊の父です。主はこの父から永遠の命を受け,母からは死ぬ力をお受けに
なりました。母は人間の女性であったからです。母から血を得,父から不死不
滅の体を得られました。このように,命を捨て,それを再び得ることのできる力
をお持ちの主は,アダムの背きの代価を支払い,すべての造られた者を墓から
7
贖うことがおできになったのです。
イエス・キリスト降臨の真の理由 …… は第 1 に,アダムがこの世に持ち込ん
だ肉体の死,すなわちこの世の死からすべての人類を贖うことでした。そして
第 2 に,全人類を霊の死から,すなわち主の前から追放されている状態から贖
ゆる
うことでした。しかし,これには悔い改めと罪の赦 し,そして現世の試しの生
8
涯を最後まで堪え忍ぶという条件があります。
神の御子が人々の間でお生まれになったことをわたしたちは喜んでいます。
主が御自分の血を流して果たされた贖いの犠牲に感謝しています。
主がわたしたちを死から贖ってくださり,わたしたちが永遠の命を得ることが
できよう扉を開いてくださったことに感謝しています。
地上に平和がもたらされ,福音が広まり,最後に真理が勝利することを祈っ
ています。
あらゆる所にいる御父の子供たちにお願いします。この世に平和をもたら
し,来世に永遠の光栄をもたらすこの業に加わってください〔教義と聖約 59:
9
23 参照〕。
289
第 25 章
4
救い主降誕の物語をわたしたちの生活に浸透させ,
影響が及ぶようにしなければならない
けん そん
〔クリスマスの朝〕が来ると,頭を垂れて謙 遜 に光の父に祈り,父の愛する御
子の苦しみを通してもたらされた祝福に感謝する人たちがいます。そして彼ら
は,感謝を込め,賛美しながらこの驚くべき物語を読むのです。その一方残念
なことに,神の御子から受けている恩義について,もし知っていたとしても,ほ
とんど知識のない人たちは,賛美と謙遜な祈りによってではなく,酔って下品な
大騒ぎをして祝う人たちがいます。彼らはこのガリラヤ人の降誕が持つ意味な
ど少しも考えないのです。
イエス・キリスト降誕の感動的な話を読んで,罪を捨てることを望まない人が
いるでしょうか。宮殿にいる王たちも ―もし現在宮殿に王がいるのであれ
ばですが ― 粗末な小屋に住む農夫も,富める者も貧しい者も等しく,すべて
の人が 1 年のこの時期にひざまずき,イエス・キリストをたたえることはよいこ
とです。イエスは罪がなく,御自分の愛する者たちのために犠牲と苦しみの生
涯を送り,罪の犠牲として血を流されました。……
……このすばらしい物語についてはどうでしょうか。わたしたちの生活にこ
の物語は浸透し,影響を与えているでしょうか。わたしたちはイエスの降誕が
おさな ご
意味するすべてを完全に受け入れているでしょうか。この幼 子 が確かに,肉
による神の独り子であられると信じているでしょうか。この御方の使命に対す
る揺るぎない信仰を持ち,進んで主に従順に従っているでしょうか。もし世界
がそのように信じ,主の教えに誠心誠意聞き従っていたならば,対立や邪悪に
よって世界が引き裂かれることは,これまでの歴史を通じてなかったでしょう。
…… 神の御子に従う者であると公言しても,口先だけの人が何と多かったこと
でしょうか。また,完全な主の教えに基づいた真の礼拝の何と少なかったこと
でしょう。
み つか
あの栄光に満ちた夜,御 使 いは羊飼いたちに,すべての民に大きな喜びを伝
えに来たと宣言しました〔ルカ 2:8 - 10 参照〕。しかし地上のあらゆる場所
で,ほとんどの人はこの知らせの祝福を受けることを拒みました。進んで罪を
捨てず,謙遜になることなく,主の教えに従った生活を送ってこなかったので
す。……
あらゆる所に住む,すべての人にもう一度お願いします。皆さんが神の王国
10
で救われるよう,悪の道から離れて,神の御子を真に礼拝してください。
290
第 25 章
研究とレッスンのための提案
質問
•クリスマスの時期に救い主を思い出すため,あなたの家庭では何をします
か。スミス大管長のクリスマスの伝統から何を学ぶことができるでしょうか
(「ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯から」参照)。
•あなたはなぜ,イエス・キリスト降誕の物語が「決して古びることはない」と
思うのでしょうか(第 1 項を参照)。
おさな ご
•イエス・キリストが幼子としてこの世に来て,この世の困難を堪え忍ばれたこ
とに関するスミス大管長の言葉をもう一度読みましょう(第 2 項を参照)。救
い主が進んでこれらを行われたことを深く考えるとき,どのような思いや気持
ちになるでしょうか。
しょくざい
•救い主の降誕と救い主の贖 罪 の関係について深く考えてください(第 3 項参
照)。子供たちがこのことを理解するために,親はどのように助けることがで
きるでしょうか。これを理解することはクリスマスの伝統にどのように影響を
与えるでしょうか。
•救い主降誕の物語が「生活に浸透し,影響を与え〔る〕」ようにするために何
ができるでしょうか(第 4 項を参照)。
関連聖句
イザヤ 53 章;ルカ 1:26 - 35;2 章;1 ニーファイ 11:8 - 23
教えるヒント
少人数のグループでの話し合いは,
「レッスンに参加する機会を多くの人に与
える……。通常参加をためらう生徒も,すべてのグループを前にして発表する
のと異なり小さなグループでは意見を述べることがあるかもしれない。」
(『教
師,その大いなる召し』161 )
注
1.“ A Big Christmas Hug from Pres. Smith, ”
Church News , 1971 年 12 月 25 日付 , 3
6. 個 人 的 な 書 簡,Doctrines of Salvation , 第 1
巻,32 - 33 で引用
2.“ A Big Christmas Hug from Pres. Smith, ”3
7. A nswers to G ospel Quest ions , ジ ョ セ フ・
フィールディング・スミス・ジュニア編集,全 5 巻
( 1957 - 1966 年),第 2 巻,134, 136
3.“ Christmas Greetings from President Jo seph Fielding Smith to the Members of the
“ Church t hroughout t he World , ”Church
News , 1970 年 12 月 19 日付 , 3
4. The Restoration of All Things( 19 45 年),
279 - 280
5. 個人的な書簡,Doctrines of Salvation , ブルー
ス・R・マッコンキー編,全 3 巻( 1954 - 1956
年)第 1 巻,11 で引用
8.“ The Re su r rect ion , ”I mprovement E ra ,
1942 年 12 月 号,780 - 781; Doctrines of Salvation, 第 2 巻,259 も参照
9.“ Christmas Greetings, ”3
10. The Restoration of All Things , 278 - 279,
281 - 282, 286; 句読点標準化
291
「わたしたちは平和の君が来られる日を待ち望んでいます。」
292
第
2 6
章
主の来臨に備える
「主の道を備え,その道筋をまっすぐにせよ。主の来臨
の時は近いからである。」
(教義と聖約 133:17 )
ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯から
末日聖徒の一団のにジョセフ・フィールディング・スミス大管長が言いました。
「世の終わりが来るよう祈っています。それが明日なら,うれしいですね。」その
言葉を聞いた一人の女性が,ほかの人たちにも聞こえるほどの大きな声で言い
ました。「とんでもない,わたしはそうならないことを願うわ。」
後にこの経験について話しながら,スミス大管長は次のように教えました。
「皆さんは世の終わりが来ることを望まないのですか。
ほとんどの人は世の終わりの意味を間違って解釈しています。……
…… キリストが来られる時がこの世の終わりです。……いかなる戦争も,い
かなる混乱も,ねたみもうそもなくなります。つまり,邪悪なことがすべてなくな
るのです。そのとき,人は主を愛して主の戒めを守ることを学びます。もし,学
ばなければ,ここにはいないでしょう。それが世の終わりです。弟子たちが主
のもとに来て『わたしたちにも祈ることを教えてください』と言ったときに救い
主が祈られたのは,このことでした。主は何をなさいましたか。主は教えを授
み
な
み くに
けられたのです。『父よ,御 名 があがめられますように。御 国 がきますように。
みこころが天に行われるとおり,地にも行われますように。』
〔ルカ 11:1 - 2 参
照〕
わたしはそれを祈っています。主は世の終わりが来ることを祈っておられまし
1
た。わたしもそうしています。」
説教や執筆物の中でスミス大管長は,末日に関して,また主の道を備える
ジョセフ・スミスの役割と,栄光に満ちた救い主の来臨に関する聖文の預言を
度々引用しています。また,ユタ州オグデン神殿の奉献の祈りの中で,これらの
預言に対する深い思いを伝えています。
「おお,わたしたちの神よ,あなたが御存じのように,わたしたちはこの終わ
み わざ
りの時に生を受けています。時のしるしが示されつつあり,あなたは御 業 を早
293
第 26 章
め,わたしたちはすでに『主の道を備えよ,その道筋をまっすぐにせよ』と荒野
で呼ばわる者の声を聞きました〔マタイ 3:3 参照〕。……
おお,御父よ,平和の君が来られ,地は休みを得,地の面に義が再び認めら
けん そん
れる日をわたしたちは待ち望んでいます。そして,謙 遜 で悔いる心が発するわ
たしたちの祈りは,わたしたちがその日に堪え,今もとこしえに栄光と,誉れと,
力と,威勢ある王の王,主の主として立つように定められたお方とともに住むこ
2
とがふさわしいと認められることです。」
ジョセフ・フィールディング・スミスの教え
1
主の来臨は近い
わたしたちは主の大いなる日,あの「慰め」の時に急速に近づきつつありま
す。それは,主が天の雲の中を来られて神を敬わない者に報復し,進んで主の
律法にとどまるすべての者のために地を備えて,平和な統治を受けられるよう
3
にされる日です〔使徒 3:19 - 20 参照〕。
これまで多くのことが起きました …… それは教会の忠実な会員に,主の来臨
が近いという事実をはっきり理解させるためでした。福音が回復されました。
教会が完全に組織されました。神権が人に授けられました。最初からの様々
かぎ
な神権時代が示され,それらの鍵と権能が教会に授けられました。イスラエル
はシオンの地に集められ,現在も集められつつあります。ユダヤ人はエルサレム
あかし
の
に戻って来ています。あらゆる国に対する証 として,世界中で福音が宣 べ伝え
られています。神殿が建設されており,生者とともに死者のための儀式がその
中で執行されています。子孫の心はその先祖に向けられ,子孫は亡くなった先
祖を探求しています。主が,末日にイスラエルと交わすと約束された聖約が明ら
かにされ,集まった何千ものイスラエルの民が聖約に入っています。こうして主
の業は進んでおり,これらすべてが,わたしたちの主の来臨が間近に迫ってい
ることのしるしです。……
預言者の言葉は速やかに成就しつつありますが,自然の原則に基づいて行
われているために,ほとんどの人が見逃しています。
主がすべての肉なる者のうえにその霊を注がれ,息子,娘が預言し,老人た
ちは夢を見,若者たちは幻を見るとヨエルは預言しました〔ヨエル 2:28 - 29
参照〕。……
知識が増すことも終わりの時のしるしです。ダニエルは次のように命じられ
おわ
ました。「……あなたは終 りの時までこの言葉を秘し,この書〔彼の預言〕を
封じておきなさい。〔その日〕多くの者は,あちこちと探り調べ,そして知識が
294
第 26 章
「わたしたちは主の大いなる日,
『慰め』の時に急速に近づきつつあります。
その日,主は天の雲の中を来られます。」
295
第 26 章
増すでしょう。」
〔ダニエル 12:4 〕今人々は,世界の歴史にかつてなかったほど
「あちこち探り調べ」ていないでしょうか。……
…… 知識は増していないでしょうか。世界の歴史の中で,これほど多くの
知識が人々に注がれた時代があったでしょうか。しかし悲しいことに,人々は
「常に学んではいるが,いつになっても真理の知識に達することができない」と
言ったパウロの言葉は正しいのです〔 2 テモテ 3:7〕。……
たくさんの戦争のうわさがありませんでしたか〔教義と聖約 45:26 参照〕。
戦争はありませんでしたか。それもこれまで世界が見たことのないような戦争
です。現在,国家に騒乱があり,国の統治者は苦悩していませんか。王国が
転覆し,国々で大きな変化が起こりませんでしたか。全地が混乱しています。
方々で地震が起こっていると,毎日報道されています〔教義と聖約 45:33 参
照〕。……
しかしそれでも古い世界はこれまでの生活を続け,主の言葉にも,与えられた
しるしと兆候にも心を留めることはほとんどありません。人々は心をかたくなに
し,
「…… 世の終わりまでキリストは来臨を延ばされる」と言うのです(教義と
4
聖約 45:26)。
しばらく前,主が来られるときが分かるかどうか聞かれました。「分かりま
す」と答えました。今も「分かります」と答えます。主がいつ来られるかわたし
は知っています。主は明日来られます。主御自身の言葉があります。それを読
んでみましょう。
きょう
「見よ,今,人の子の来臨までは今日と呼ばれる。まことに,今日は犠牲の日
じゅうぶん
であり,わたしの民が什 分 の一を納める日である。什分の一を納める者は,主
の来臨の時に焼かれないであろう。」
今日,什分の一に関する十分な説教があります。
「今日が過ぎると,焼き払いがある。これは主の言い方である。まことに,わ
たしは言う。明日,すべて高ぶる者と悪を行う者は,わらのようになる。わたし
は彼らを焼き尽くそう。わたしは万軍の主である。わたしはバビロンにとどま
る者をだれも容赦しない。」
〔教義と聖約 64:23 - 24 〕
ですから主は来られます。しかも明日です。ですから,備えをなそうではあ
5
りませんか。
2
キリストが来られるとき,裁きがある
主が教えられた麦と毒麦のたとえは,終わりの時について述べたものです。
次のような話です。種まきが良い種を畑にまきましたが,眠っている間に敵が
296
第 26 章
しもべ
来てその畑に毒麦をまきました。芽が出てきたので,僕 は行って毒麦を抜きた
いと思いましたが,毒麦を抜こうとして麦も一緒に抜いてしまわないよう,主は
麦も毒麦も収獲の時期まで一緒に成長させるようお命じになりました。その
後収獲の最後の時が来たら,出て行って麦を集め,毒麦は束ねて燃やすよう命
じられたのです。このたとえを説明しながら,主は弟子たちに言われました。
おわ
み つかい
〔マタイ 13:24 -
「収 獲とは世の終 りのことで,刈る者は御 使 たちである。」
6
30 ,36 - 43;教義と聖約 86 章参照〕
毒麦と麦は一緒に育ち,何年も同じ畑で成長しました。しかし,麦が集めら
れ,毒麦も燃やされるために集められる日はそこまで来ています。義人と悪人
が分けられる時が来ます。したがってわたしたち一人一人が主の戒めを守り,
心に悔い改める必要があれば,罪を悔い改め,正義に心を向ける義務を負って
7
います。
教会員の神への信仰を築き,強めてください。どうしてもそうしなければなり
ません。ほかならぬ教会員のただ中に非常に多くの力があり,わたしたちを分
裂させようとしています。それはやって来つつあります。麦と毒麦が分けられ
る日が近い将来やって来ます。わたしたちは麦か毒麦のどちらかです。どちら
8
かの仲間になるのです。
この 世界がわたしたちのものでなくなる日が来ます。世界は変わります。わ
たしたちはもっと良い世界を得ます。キリストが来られて地球を清められるの
で,わたしたちは義にかなった世界を手にするのです。
聖文に書かれていることを読んでください。主御自身が言われたことを読ん
でください。主が来られるとき,すべて邪悪なものをこの地球から一掃されま
す。そして教会について主は,御使いを遣わすと言われました。御使いは主の
王国,つまり教会から,すべてのつまずきとなるものを集めます。〔マタイ 13:
9
41 参照〕
〔この〕大いなる恐るべき日とは,イエス・キリストが来られて,地に住む義人
の間に権能をもって王国を打ち立て,すべての邪悪から地を清められる日以外
にはありません。それは義人の心に不安を与える恐怖の日ではなく,罪深い者
にとっての不安と恐怖の大いなる日です。わたしたちは,救い主がその弟子た
ちに教えたときに語られた主御自身の言葉からこのことを知りました〔マタイ
10
24;ジョセフ・スミス― マタイ 1 参照〕。
キリストが来られるとき裁きが行われます。そこでは数々の書物が開かれて,
死者はその書物に書かれていることに基づいて裁かれ,その書物の一つが命
の書であるとわたしたちは知らされています〔黙示 20:12 参照〕。わたしたち
は書物の内容を見,今のありのままの自分を見るのです。義の理解力を備えた
わたしたちは,神の王国に行き……これらの栄光に満ちた祝福を受けるのか,
297
第 26 章
それとも追放されるのかのいずれであっても,自分に下された裁きが公正で間
11
違いのないものであると理解するでしょう。
わたしは末日聖徒に対し,揺らぐことなく立ってすべての義務を忠実に果た
すよう,また主の戒めを守り,神権を敬うよう切に願っています。それは,主が
来られるときに ― そのとき,わたしたちが生きていようと死んでいようと,そ
れは問題ではありませんが ― わたしたちがその日に堪え,この栄光を受け
12
られるようになるためです。
3
主の来臨に備えるために常に目を覚まして祈り,
家の秩序を整えておかなければならない
今 世界では,主の大いなる日が近づいていることを示す多くの出来事が起
こっています。その日,福千年統治の準備として義による王国を建設するため
あがな
に,贖 い主が再び来られます。その大いなる栄光に満ちた日が到来するまでの
13
間,知識を求め,研究と信仰によって自らを備えることが教会員の義務です。
わたしたちは,キリストが来られる時と季節について心配する必要はありませ
14
んが,常に目を覚まして祈り,備えをしていなければなりません。
教会の長老たちの中に,わたしたちすべてが十分に義にかなった者となって
主をお迎えできるようになったときに主が来られる,と言う人がいますが,わた
しはそれを聞いて心配になることがあります。主は,わたしたちが義にかなう者
となるのを待ってはくださいません。主が来られる準備ができたときに主は来
さかずき
られます。それは罪悪の杯 が満ちるときです。もしそのとき,わたしたちが義
人でなければ,ただ残念と言うしかありません。わたしたちは神を敬わない者
と見なされて,悪人は耐えることができないと主が言われるように,わらのよう
15
に地の面から掃き出されます。
主が警告としてお与えになったことを完全に無視し,無関心のまま,うつらう
つらしていましょうか。皆さんに申し上げます。「だから,目をさましていなさ
い。いつの日にあなたがたの主がこられるのか,あなたがたには,わからない
からである。
このことをわきまえているがよい。家の主人は,盗賊がいつごろ来るかわ
かっているなら,目をさましていて,自分の家に押し入ることを許さないであろ
う。
だから,あなたがたも用意をしていなさい。思いがけない時に人の子が来る
からである。」
(マタイ 24:42 - 44 )
298
第 26 章
主がお与えになったこの警告に心を留め,家の秩序を整え,主の来臨の備え
16
ができますように。
4
末日聖徒は神の手に使われる者となり,
人を主の来臨に備えさせることができる
主が再臨して悪人に報復し,地上から罪を一掃し,平和の統治を始めるに際
み つか
し,前もって道を備えさせるための御 使 いを遣わされないとすれば,それはき
わめておかしなことではないでしょうか。主はまず始めに世に警告し,悔い改
める者が皆逃れられる道を備えないで,いきなり世を裁かれると考えるのはは
たして自然でしょうか。
ノアは洪水の警告をするために世に送られました。もし民が耳を傾けていた
ら,逃れることができたでしょう。イスラエルを約束の地に導き,アブラハムへ
の約束が成就されるように,モーセが送られました。バプテスマのヨハネは,
キリストの来臨に先立って道を備えるために遣わされました。いずれの場合も,
天が開かれて警告の声が発せられました。イスラエルとユダの散乱と捕囚の前
に,イザヤ,エレミヤ,その他の預言者が遣わされて民に警告しました。民が耳
を傾けていれば,歴史の記述は違っていたでしょう。彼らには聞く機会があり
ました。警告が与えられた彼らには逃れる方法があったのです。しかし,彼ら
はそれを拒みました。
再臨の前にも人類に対していにしえと同じように関心を寄せることを主は約
17
束なさいました。
ジョセフ・スミスはこの再臨の道を備えるために遣わされて完全な福音を宣
18
言し,罪と背きから逃れる方法をすべての人に与えました。
み つかい
なか ぞら
パトモス島にいたヨハネは,終わりの日に「ひとりの御 使 が中 空 を飛ぶのを
の
見た。彼は地に住む者,すなわち,あらゆる国民,部族,国語,民族に宣 べ伝
えるために,永遠の福音をたずさえて」来ることを示現で見ました。〔黙示 14:
6〕
ジョセフ・スミスは,かつてこの大陸に住み,今は復活している古代の預言
者モロナイが彼に福音を教え,キリストの来臨に先立ってすべてのものの回復
について指示を与えたと宣言し,この約束は成就しました。そして主は言われ
ました。「見よ,主なる神は,天のただ中で叫ぶ天使を遣わして,このように言
わせる。『主の道を備え,その道筋をまっすぐにせよ。主の来臨の時は近いか
らである。』」
〔教義と聖約 133:17〕
299
第 26 章
天使モロナイが年若いジョセフ・スミスのもとを訪ねたとき,救い主の
再臨を預言した。〔ジョセフ・スミス― 歴史 1:36 - 41 参照〕
末日聖徒はこれを真実であると受け入れ,諸天との交通が近代になって確立
されたことを信じています。そして今,キリストが来られるに先立ち,世に対す
あかし
み くに
る証 として「御 国 の福音」は全世界に宣べ伝えられています。〔マタイ 24:14
19
参照〕
この聖句〔マタイ 24:14 〕を成就するようにとの呼びかけを受けたと信じ
ている末日聖徒は,奇妙で変わった民だと思われているかもしれません。しか
し,主が確かに語られたという確信をもって,聖徒は熱心に宣教師を全地に
300
第 26 章
送っているのです。さらにこの終わりの時に明らかにされたとおりに,すべての
国がこのメッセージを聞いたそのとき,わたしたちは主である救い主イエス・キ
リストの来臨を待ち望みます。なぜならその日,主の約束に従って世界に遣わ
20
された御使いによって,すべての国が警告を受けたからです。
福音はすべての人のためにあり,教会はあらゆる場所,あらゆる国,世界の果
てにまで建てられます。それは,人の子の再臨に先立って実現します。……
……主は,イスラエルを教会に集める 2 度目の業に着手し,今回,主はすべ
21
ての国で聖徒たちの会衆をお立てになります。
ユタ州オグデン神殿の奉献の祈りから:
おお,御父よ,義が勝利する日を早めてください。その日,福音が宣べ伝えら
れるために国々の統治者が国境を開き,あらゆる人々の中から正直な者,正義
の者のために救いの扉が開け放たれます。
わたしたちは真理が広まることを祈ります。伝道の大義が成るように祈りま
す。わたしたちは,力と人手と手段を求めます。あらゆる国,あらゆる部族,そ
してあらゆる国語を話すさらに多くのあなたの子供たちに,あなたの永遠の真
理を宣べ伝えるためです。……
み
……わたしたちの望みは,御子の来臨に人々を備えさせるために,あなたの
て
22
御手に使われる者となることです。
5
福千年は平和の時となり,主の業に働く時となる
主の来臨に義人は歓喜します。地には平和が,人には義が訪れるからです。
そして,かつてこの大陸を 200 年間覆っていた同じ平和と喜びと幸福の精神
〔 4 ニーファイ 1;1 - 22 参照〕が再び人々の中に確立されて最後には普遍的な
ものとなり,キリストが主の主,王の王として千年間統治されます。わたしたち
23
はその時を待ち望んでいます。
平和で幸福の時は千年の間続き,時が至って地上に住むすべての人は教会
24
の群れに導かれます。
地に住むすべての人々が心から受け入れるまで,福音は福千年の間,はるか
25
に熱心に,より大きな力で教えられます。
福千年は休息の時ではなく,すべての人が働きをなす時です。怠惰は見当
たらず,より良い方法が用いられ,日常生活の営みにあまり多くの時間は使われ
ず,より多くの時間が王国にかかわる事柄に充てられます。聖徒たちは,全地
に建てられる神殿で忙しく働きます。そのように忙しく働くために,神殿ではほ
26
とんどいつも儀式が行われるほどです。
301
第 26 章
死者の救いという大いなる業を達成するために,この千年間も地の面には死
すべき状態の人々がいます。平和な千年の間,神殿では主の大いなる業が執
行されます。人々は神殿に参入し,救いにかかわる儀式を待っている死者のた
めに働きます。それらの儀式は,死すべき状態のまま地に住む人たちが死者に
27
代わって行います。
死者を救うことはわたしたちの義務であり,この祝福を受ける資格あるすべ
ての人々がエンダウメントを受けて結び固められるまで,福千年の間この業は
28
続きます。
キリストにあって死んだすべての人は,主の来臨とともに死からよみがえり,
福千年の間地上におられるキリストと同様この地に住みます。彼らはその千年
の間ずっと地上にとどまっているわけではなく,まだ死すべき状態でここにい
る人たちと交流します。この復活した聖徒と救い主は,教えと導きを与えるた
めに来て,わたしたちが知るべき事柄をわたしたちに示し,ふさわしい人の救い
29
に必要な業を行えるように,主の神殿の業に関する知識を伝えます。
すでに他界して復活した人が,死者の業を完成させるために必要なすべての
しもべ
知識を,死すべき体を持つ人に直接伝える,と主は僕 を通して言われました。
このようにして死者は,自ら望み,また受ける資格ある事柄を知らせる特権にあ
30
ずかります。こうして,一人も忘れられることなく,主の業は完成します。
わたしは,主が主の業を早めてくださるよう毎日祈っています。……より良い
世界を望んでいるわたしは,世の終わりが来るよう祈っています。キリストの来
臨を願っています。平和の統治を望んでいます。すべての人が平安に,信仰と
けんそん
31
謙遜と祈りの精神をもって生活できる時が来ることを願っています。
研究とレッスンのための提案
質問
•「ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯から」に書かれていることは,世
の終わりに対するあなたの気持ちにどのような影響を与えるでしょうか。
•第 1 項に書かれている預言は,わたしたちが主の来臨に備えるうえでどのよう
な助けとなるでしょうか。
•第 2 項にある,麦と毒麦のたとえに関するスミス大管長の教えを復習してく
ださい。わたしたちが「麦」の一人となるために何ができるでしょうか。家族
やほかの人たちを助けるために何ができるでしょうか。
•主の来臨への備えをするとき,
「常に目を覚まして祈りなさい」とはどのような
意味だと思いますか。「家の秩序を整える」はどのような意味だと思います
か。〔第 3 項参照〕
302
第 26 章
•スミス大管長は「わたしたちの望みは,御子の来臨に人々を備えさせるため
み
て
に,あなたの御 手 に使われる者となることです。」と祈りました(第 4 項)。
どのように助けることで,ほかの人たちが主の来臨に備えることができるで
しょうか。
•第 5 項を復習してください。福千年で何が起こるかを知ることは,今のわた
したちにどのような益となるでしょうか。
関連聖句
詩編 102:16;イザヤ 40:3 - 5;ヤコブ 5:7 - 8;教義と聖約 1:12;39:
20 - 21;45:39 ,56 - 59
教えるヒント
「福音を教えることによって,確信と改心をもたらす最も偉大な力が発揮され
み たま
るのは,霊感にあふれる教師が『わたしは聖霊の力と聖なる御霊の啓示がわた
しの心に与えられたので,わたしが教えている教義が真実であることを知って
います』と語るときである。」
(ブルース・R・マッコンキー『教師,その大いなる
召し』43 )
注
1. The Signs of the Times( 1943 年)
,103 - 105
14.“ A Warning Cry for Repentance, ”Deseret
News, 1935 年 5 月 4 日付,Church 欄,6
2.“ Ogden Temple Ded icator y P rayer, ”Ensign, 1972 年 3 月号,10 - 11
15.“ A Warning Cry for Repentance, ”8
3. The Restoration of All Things( 1945 年)
,
302
16. Conference Report ,1966 年 4 月,15
4. Conference Report ,1966 年 4 月,12 - 14
17.“ A Peculiar People: Modern Revelation -
The C om i ng of Moron i , ”D eseret News ,
1931 年 6 月 6 日 付,Church 欄,8;Doctrines
of Salvation, 第 3 巻,3 - 4 も参照
5. Conference Report ,193 5 年 4 月,98;Doctrines of Salvation, ブルース・R・マッコンキー
編,全 3 巻( 1954 - 1956 年),
第 3 巻,1 も参照
6.“ Watch Therefore, ”Deseret News, 1941 年
8 月 2 日 付,Church 欄,2; Doctrines of Salvation, 第 3 巻,15 も参照
7. Conference Report ,1918 年 4 月,156 - 157;
Doctrines of Salvation, 第 3 巻,15 -16 も参照
8.“ How to Teach the Gospel at Home, ”Relief
Society Magazine, 1931 年 12 月号,688; Doctrines of Salvation, 第 3 巻,16 も参照
9. Conference Report ,1952 年 4 月,28;斜体は
原文のまま。
10. “ The Coming of Elijah, ”Ensign, 1972 年 1
月号,5
18.“ A Peculiar People: Prophecy Being Fulfilled, ”Deseret News, 1931 年 9 月 19 日 付,
Church 欄,6
19.“ A Peculiar People: Modern Revelation -
The C om ing of Moron i , ”8 ; Doct r ines of
Salvation, 第 3 巻,4 - 5 も参照
20.“ A Peculiar People: Prophecy Being Fulfilled, ”Deseret News, 1931 年 11 月 7 日 付,
Church 欄,6;Doctrines of Salvation, 第 3
巻,6 も参照
21. Conference Report ,British Area General
Conference 1971 年,176
22.“ Ogden Temple Dedicatory Prayer, ”9 ,11
11.“ The Reig n of R ig hte ousne s s , ”D eseret
News, 1933 年 1 月 7 日付,7;Doctrines of Salvation, 第 3 巻,60 も参照
23.“ The Right to Rule, ”Deseret News, 1932 年
2 月 6 日付,Church 欄,8
12. Conference Report ,193 5 年 4 月,9 9;Doctrines of Salvation, 第 3 巻,38 も参照
13. A nswers to G ospel Quest ions , ジ ョ セ フ・
フィールディング・スミス・ジュニア編,全 5 巻
( 1957 - 1966 年)第 5 巻,xii
24.“ Priesthood - Dispensation of the Fulness
of Times, ”Deseret News, 1933 年 8 月 19 日
付,4; Doctrines of Salvation, 第 3 巻,66 も参
照
25.“ Churches on Earth During the Millennium, ”
303
第 26 章
Improvement Era, 1955 年 3 月 号,176; Doctrines of Salvation, 第 3 巻,64 も参照
29.“ The Reign of Righteousness, ”7; Doctrines
of Salvation, 第 3 巻,59 も参照
26. The Way to Perfection( 1931 年),323 - 324.
30. “ Fa it h L eads to a Fulness of Trut h a nd
Righteousness, ”Utah Genealogical and Historical Magazine, 1930 年 10 月号,154;原文に
あった斜 体は正体にした;Doctrines of Salvation, 第 3 巻,65 も参照
27.“ The Reign of Righteousness, ”7; Doctrines
of Salvation, 第 3 巻,58 も参照
28.“ Question Answered,”Deseret News, 1934 年
1 月 13 日 付,Church 欄,8; Doctrines of Salvation, 第 2 巻,166 も参照
31. The Signs of the Times, 149
304
絵画・写真リスト
© 1988 William L. Maughan
表紙 ― 背景 © Artbeats.
5 ページ-「モルモン書を学ぶ若きジョセフ
121 ページ-「モルモン書の版を見る八人の
・フィールディング・スミス」マイケル・T・マ
証人」ハロルド・T・
(デイル・)キルボーン
ルム画,© Michael T. Malm
画,© Dale Kilbourn
31 ページ-「わたしは 光を見 た」の 一 部,
133 ページ-「海辺で人々を教えられるイエ
ス」ジェームズ・ティソ画
ジョン・マクノートン画,© Jon McNaughton
36 ペ ー ジ -「主 は 彼 に 全 地 を 示 さ れ
138 ページ-「メルキゼデク神権の回復」ミ
ネルバ・タイカート画。教会歴史博物館の
た」の 一 部,ウ ォ ル タ ー・ レ ー ン 画,
厚意により掲載
© Intellectual Reserve, Inc.
42 ページ-「迷い出た子羊を救い出される
143 ページ-「カートランド神殿に現れたエ
リヤ」ダニ エ ル・A・ルイス 画,© 2007
(キリスト)
」ミネルバ・タイカート画
Daniel A. Lewis
47 ページ-「最後の晩餐」サイモン・デュー
158 ページ-「キエフでのわたしのバプテス
イ画,© Simon Dewey
マ」ミコラ・クリスチェンコ画。教会歴史博
52 ページ-写真の一部 © Corbis 。複写や
物館の厚意により掲載
ダウンロード,配布は禁じられています
55 ペ ージ-「エデ ンの 園 を立 ち 去る」の
168 ページ-「聖 霊を授けるパウロ」マイケ
ル・T・マルム画,© Michael T. Malm
一 部,ジョセフ・ブリッキー画,© 1998
210 ページ-「主の祈り」ジェームズ・ティソ
Joseph Brickey
画
59 ページ-「ゲツセマネのキリスト」の一部,
ハインリッヒ・ホフマン画。 C. Harrison
226 ページ-「知恵の言葉が明らかにされる」
の 一 部,ケ ネ ス・A・ コ ー ベ ット 画,
Conroy Co., Inc. の厚意により掲載
© Kenneth A. Corbett
86 ページ-「聖餐を定められるイエス」の一
部,ゲーリー・E・スミス画,© 1982 Gary
232 ページ-「わたしにあるものをあげよう」
ウォル タ ー・レ ーン 画,© Intellectual
E. Smith
Reserve, Inc.
96 ページ-「川 辺 に 立 つジョセフと兄 ハ
イラム」セオドア・S・ゴーカ画,© 1996
242 ページ-写真。教会歴史図書館・記 録
保管庫の厚意により掲載
Intellectual Reserve, Inc.
100 ページ-「最初の示現」デル・パーソン
258 ページ-「獄 中のアルマとアミュレク」
ゲーリー・L・カップ画,© Gary L. Kapp
画,© 1987 Intellectual Reserve, Inc.
103 ページ-「ジョセフとハイラムの 殉 教」
284 ページ-「見よ,神の小羊」ウォルター・
ゲーリー・E・スミス画,
© 1984 Intellectual
レーン画,© Intellectual Reserve, Inc.
Reserve, Inc.
288 ページ-「神殿のキリスト」ハインリッヒ・
ホ フ マ ン 画,C. Harrison Conroy Co.,
116 ページ-「ジョセフ・スミス,オリバー・
Inc. の厚意により掲載
カウドリ,デビッド・ホイットマーに金 版
を示す天使」ウィリアム・L・モーガン画,
292 ページ-「キリストの肖像」の一 部,ハ
305
絵 画 ・ 写 真 リスト
イン リッヒ・ ホ フ マ ン 画,C. Harrison
300 ページ-「ジョセフ・スミスに 現 れ た
天使モロナイ」トム・ラベル画,© 2003
Conroy Co., Inc. の厚意により掲載
295 ページ-「再 臨」ハリー・アンダーソン
画,© Intellectual Reserve, Inc.
306
Intellectual Reserve, Inc.
索引
あ
_の息子や娘となる,46
_の模範に従う,48 - 49 ,153 ,218
愛
_を信じる信仰を働かせる,76 - 77
_にはほかの人々を赦し,大目に見ること
神の独り子,44 - 45
が含まれる,235
教会を導いておられる,109 - 110
あるがままに人々を_し,評 価する,237
クリスマスの季節に_を思い起こす,285
- 238
- 286 ,290
主とほかの人々を_すると,すべての神聖
ゲツセマネと十字架上における_の苦し
な律法に従うようになる,238 - 239
み,55 - 58 ,88 - 91
ジョセフ・フィールディング・スミスは馬の
この神権時代における_,46 - 48
ジュニーから_について学んだ,237 -
神権に関する偉大なひながた,153
238
救いの計画における_の役割,38 - 39 ,
すべての人が神の子供であるという知識
44 - 45 ,55 - 61 ,97
によって深まる,233 - 235
聖餐を受けるときに_を思い起こす,88
奉仕によって_を表す,236 - 237
- 92
末日聖徒の間の_,234 - 235
聖餐を定められる,87
アダムとエバの堕落
堕落からの救いをもたらす,55 - 58
_は深い穴に落ちている人にたとえられ
罪からの救いをもたらす,55 - 58
る,57 - 58
万物は_を源とし,中心としている,45
イエス・キリストの贖罪により克服される,
恵みに恵みを受け続け,ついに完全を受
38 - 39 ,55 - 58
けられる,287 - 289
救いの計画に不可欠である,54 - 55
「イエス・キリストの再臨」
「イエス・キリスト
安息日,224 - 225
の贖罪」の項も参照
い
イエス・キリストの再臨
_に備える,298 - 301
イエス・キリスト
_とジョセフ・スミス,97 - 99
_の時に世界は清められる,228 ,297
_に対するジョセフ・フィールディング・ス
_の時の裁き,296 - 298
_は近い,294 ,296
ミスの愛,43 - 44
_について証を得る,48
_について末日聖 徒 が 信じていること,
イエス・キリストの贖罪
44 - 45
_に対する感謝,58
_による救い,55 - 58 ,289
_の証に常に忠実である,46 - 48
_による復活,60 - 61 ,97
_の降誕,45 ,286 - 290
クリスマスの季節に_を思い起こす,285
_の子供時代,287 - 289
- 286 ,290
_の再臨,293 - 294 ,296 ,298 - 301
_の贖 罪,38 - 39 ,46 ,55 - 61 ,88 -
91 ,97,289
ゲツセマネと十字架上での_,55 - 58 ,
88 - 91
聖餐によって記念する,88 - 91
307
索引
深い穴から人を救い出すことにたとえられ
_は愛の働き,205 - 206
る,57 - 58
_は心を先祖に向ける,199 - 201
_は世代と世代をつなぐ家族の組織を完
「イエス・キリスト」の項も参照
全なものとするのに役立つ,206 - 208
祈り
「エリヤ」
「結び固めの力」の項も参照
_に一致した生活をする,259
_によって感謝を表す,259
家庭
_によって義にかなった望みを懇願する, 「家 族」
「家 庭の夕べ」
「結 婚」
「両 親」の項
260 - 261
を参照
_は人を神に近づける,255 - 257
家庭の夕べ,194
_をする機会は常にある,257 - 259
祈りについてのジョセフ・フィールディン
グ・スミスの 模 範,253 ,255 ,260 -
261
「家族」
「両親」の項も参照
神,父なる
「天の御父」の項を参照
福音の教義を理解するための_,134
き
戒め
_ から離 れ ると祝 福を失うことになる,
214
義務に関する個人の報告責任,267 - 268
逆境,益をもたらす,228
_を守ることは主に対する愛の表現であ
る,213
_を守ると大いなる祝 福が 与えられる,
勤勉
「労働」の項を参照
く
59 - 60 ,61 - 62 ,215 - 219
悔い改め
え
_と信仰が一つとなって赦しに至る,75
エリヤ
_と救いの計画,57 - 58 ,78 - 79
_の霊,199 ,200
_には罪を心から悲しみ,罪から離れるこ
結び固めの力を回復した,200 - 201
とが含まれる,80 - 81
「家族歴史」
「神殿活動」
「結び固めの力」の
_は天の御父とイエス・キリストの憐れみ
項も参照
を示す,79 - 80
_は福音の第二の基本原則である,78
か
今が_の時である,81 - 82
鍵,神権の
人々に_を呼びかけるジョセフ・フィール
「神権の鍵」の項を参照
ディング・スミスの使命,75 - 76
ほかの人々の_を助ける責任,82 - 83
家族
_と昇栄,61 - 62
グラント,ヒーバー・J ,129 ,139
_を強める方法,68 - 69 ,71 - 72
永遠に続くものとして主によって定められ
た,69 - 71
この 世 でも永 遠の 世 でも最も大 切な 組
織,25 ,68 - 69
「家族 歴史」
「家庭の夕べ」
「結 婚」
「結び固
クリスマス,285 - 286 ,290
「イエス・キリスト」の項も参照
け
警告
めの権能」
「両親」の項も参照
_の声を上げるジョセフ・フィールディン
グ・スミスの使命,16 ,75 - 76 ,211
家族歴史
_の声を上げる末日聖徒の責任,82 - 83
308
索引
「扶助協会」の項も参照
結婚
_の神聖さ,179 - 180
ジョセフ・スミス
子供と青少年を_に備える,182 - 183
忠実であることによって幸せになり,永遠
の祝福にあずかる,180 - 181
「スミス,ジョセフ」の項を参照
ジョセフ・フィールディング・スミス
「スミス,ジョセフ・フィールディング」の
忠実な者はすべて日の栄えの_ができる,
項を参照
182
日の栄えの_は福音の最高の儀式である,
179
夫婦がともに福音に従って生活するとき,
試練,益をもたらす,228
神権
_の誓詞と聖約,149 - 150
喜びはさらに増す,183 - 184
_の 召しを尊んで 大いなるものとする,
福音の計画の下で永続する,179 - 180
149 - 154
イエス・キリストは_に関する偉大なひな
「家族」
「結び固めの力」
「両親」の項も参照
がたであられる,153
下品な言葉,225 - 226
す べ て の人 に 対 す る _ の 祝 福,149 ,
こ
154 ,280 - 281
ふさわしい_者への約束,153 - 154
個人の責任,263 - 271
神権の鍵
言葉,敬虔な,225 - 226
_の定義,140
さ
_持っている人を尊ぶ,139 ,144 - 145
最後まで堪え忍ぶ,1 ,59 ,61 - 62 ,255
ジョセフ・スミスを通して天の使者たちに
よって回復された,140 - 142
最初の示現
大管長は教会全体を管理する_を持って
_によって神についての真実の知識が回
いる,143 - 144
復された,32 - 33
ジョセフ・スミスは_を受けて最後の神
権時代の長となった,99
信仰
_と悔い改めが一つとなって赦しに至る,
75
「ジョセフ・スミス」の項も参照
_と救いの計画,58 - 60
し
_には神の特質を知ることが求められる,
死,肉体と霊の,55
33 - 34
_によって歩む,77 - 78
従順
_は行いを意味する,77 - 78
「戒め」の項を参照
_は福音の第一の原則,76 - 77
十二使徒定員会の勧告,145
天の御父とイエス・キリストを信じる_,
純潔の律法,194 - 195 ,227
33 - 34 ,76 - 77
証人の律法,119 - 120
人生の目的,59 - 60
女性
神殿活動
_に授けられる神権の祝福,279 - 280
主の王国において欠か せない_の働き,
275 - 277
_ は 心 を 先 祖 に 向 け る,199 - 200 ,
201 ,205
愛の働き,205 - 206
聖文中の_の奉仕の模範,275
光と真理を求めるように期待されている,
279 - 280
309
世代と世代をつなぐ家族の組織を完全な
ものとするのに役立つ,206 - 208
索引
「エリヤ」
「家族 歴史」
「結び固めの力」の項
スミス,ジョセフ・フィールディング
_の証,97
も参照
神殿の奉献,個人の奉献の現れ,200
_の受け継ぎ,1 ,3 ,95 ,97,102 - 104
す
_の誕生,1
_の死,26 - 27
_のバプテスマ,157
救い
自分の_を求める,270 - 271
_の優しさ,16 ,76
ほかの人々が_を求めるのを助ける,270
_への弔辞,22 - 23 ,26 - 27
2 番 目の 妻 エセ ル の 死 を 悲し む,18 -
- 271
19 ,178
「救いの計画」の項も参照
3 番目の 妻 ジェシーの 死を 悲しむ,26 ,
救いの計画
_とイエス・キリストの 贖 罪,38 - 39 ,
45 ,55 - 61 ,97
178
D・アーサー・ヘイコックへの助言,263
足の骨を折っていたにもかかわらず歩いて
_には堕落が含まれる,54 - 55
集会へ行く,107 - 108
_は家族を中心としている,61
_は前世の霊界で喜びをもって受け入れ
られた,54
_は創造の前に天の御父によって定めら
れた,54
スミス,エセル・レイノルズ( 2 番目の妻),
13 ,17 - 19 ,65 ,67,177 - 178 ,273
嵐が鎮まるように祈る,253 ,255
イエス・キリストに対する愛を述べる,43
- 44
イギリスで専任宣教師として伝道する,6
- 10 ,241 ,243
祈りで親しく神に語りかける,30
馬のジュニーから愛と人を受け入れること
スミス,ジェシー・エバンズ( 3 番目の妻),
について学ぶ,237 - 238
エセル・レイノルズと結 婚 する,13 ,177
19 - 20 ,26 ,178 ,273 ,275
スミ ス,ジ ュリ ナ・ ラムソン(母),1 ,3 ,
187,238 ,273
- 178
多くの職にあって教会で 奉 仕する,11 -
12 ,107,147,149
スミス,ジョセフ
教えを聞く人々に対する_の愛,75 - 76
_とイエス・キリスト,97 - 99
_についてのジョセフ・フィールディング・
スミスの個人的な証,97
夫,父親,祖父としての_,17,65 ,67 -
68 ,177 - 179 ,189
家 族とともにクリスマスの 時 を 過ご す,
_の使命について証を得る,97
_を 通して 回 復され た神 権 の 鍵,139 ,
140 - 142
兄ハイラムと一つに結ばれていた,101 -
104
285
家族の重要性を強調する,25 ,68 - 69
家族歴史に興味がある理由を説明できな
い系図探求者と語る,199 - 200
厳しさと優しさを備えた働き,16
キリストに関する知識の啓示者,98
最後の神権時 代の長となるように召され
た,99
教会で奉仕する理由を説明する,108
教会の偉大な女性たちとともに奉仕する,
273 ,275
最初の示現,32 - 33 ,99
教会歴史家,15 ,117
殉教,3 ,102 - 104
クリスマスメッセージを出す,286
福音は_を通して回復された,99 - 101
スミス,ジョセフ・F(父),1 ,3 ,95 ,97,
127,151 ,187,277
群衆の中の一人の少女に心を留める,233
軍務に就いている義にかなった末日聖徒
の模範をたたえる,221 ,223
310
索引
子供時代,3 - 4
デビッド・ホイットマーとオリバー・カウド
子供たちに福音を教える,189
リの手書きの証を読む,117
子供のころから聖文を研究する,4 ,127
乳児のときにユタ州セントジョージ神殿の
子供のときにソルトレーク神殿の奉献 式
奉献式に出席する,107
に出席する,4
人の死に接して平 安を見いだす,12 ,18
最後まで忠実でいられるように力を祈り求
- 19 ,22 ,26 ,53 ,177 - 178 ,221
める,1 ,255
人々に悔い改めを呼びかけ,警告の声を
最初の妻ルーイが亡くなった後,力を祈り
上げる_の使命,16 ,75 - 76 ,211
求める,253
人々のために祈る,260 - 261
最初の妻ルーイの死を悲しむ,12 ,177,
福音の研究に対する熱意,4 ,127,129
253
世の終わりが来ることを祈る,293 - 294
ジェシ ー・エ バ ンズと 結 婚 する,19 -
両親から福音を学ぶ,187
20 ,178
ルーイ・シャートリフと結婚する,6 ,12 ,
十 二 使 徒 定 員 会 会 員,13 - 15 ,20 -
23 ,107
十二使徒定員会で奉仕するように召され
177
スミス,ハイラム(祖父)
_の高潔さ,101 - 102
る,13 - 14 ,107
_の殉教,3 ,102 - 104
少 年のころから働くことを学 ぶ,3 - 4 ,
_の奉仕,1 ,3 ,95
263 ,265
ジョセフ・スミスと教会に忠実な_,95 ,
助産師の務めを果たす母を助ける,237 -
238 ,273
101 - 104
スミス,ルーイ・シャートリフ(最初の妻),6
ジョセフ・スミスに対する愛を述べる,97
- 12 ,177
神権の鍵を尊ぶ,139 - 140
説教をするときに公の場で祈る,255
宣教師が運転していた車を事故に遭わせ
た男性に憐れみを示す,16
せ
聖餐
_を受けるときの態度,91 - 92
総 大会で一 緒に座るように少 年を招く,
_を受けるようにという戒め,88
231
イエス・キリストによって定められる,87
大管長,23 - 26
イエス・キリストの贖罪を記念する,88 -
大管長在任期間中の教会の発展,25
91
大管長としてイギリスを訪れる,243
神聖な儀式である,88
第二次世界大戦が始まったときにヨーロッ
パで教会の業務を果たす,20 - 21
助けの必要な宣教師にコートを買い与え
る,231 ,233
聖餐を受けるときに交わす聖約,91 - 92
聖餐会,87
聖霊
_の使命,169
知恵の言葉のすばらしさを初めて理 解し
清くない体には宿られない,172
た人と話す,211 - 212
ジョセフ・フィールディング・スミスは家
知恵の言葉を息子が守れるように霊感を
族のことで_から導きを受けた,167,
受けた,167,169
169
父に代わって奉献の祈りをささげる,12
す べ ての人 に 真 理 を 示 され る,132 -
父を助けて業務に携わる,12
134 ,169 - 170
妻ジェシーとともに公の場で歌う,275
人の霊に語りかける_の力,169
妻ルーイと家 庭を築き,家 族をもうける,
10 - 11
聖霊の賜物
311
索引
_と救いの計画,58 - 59
世に希望と平和をもたらす,249 - 251
_に伴う祝福を受ける備え,171 - 172
_によって個人の生活の導きとなる啓示を
天の御父
_の計画,38 - 39 ,45 ,53 - 62
受けられるようになる,172 - 173
_の特質,33 - 38
按手によって授けられる,170
_は愛する御子のもとへ来るようにすべ
聖 霊を伴 侶とすることが できる,171 -
ての人を招いておられる,39
172
_を信じる信仰を働かせる,33 - 34 ,76
世俗的
- 77
_な思いを捨てる,223 - 229
すべての人が_の家族の一員である,34
この世的な人々が成功しているように見え
- 35 ,53 - 54 ,233 - 234
ることについての疑問に答える,227 -
すべての人の霊の御父であられる,34 -
228
35 ,233 - 234
独り子を遣わされる,38 - 39 ,289
選択の自由,268 - 270
不 死 不滅と永 遠の 命をもたらす_の業,
た
37
不従順な子供たちのことを悲しんでおら
大管長
れる,37 - 38
教会全体を管理する神権の鍵を持ってい
世の人々は_に関する知識を欠いている,
る,143 - 144
30 ,33 - 35
教会を誤った方向に導くことはない,145
わたしたちがみもとに帰って来てほしいと
大管長会の勧告,145
思っておられる,38 - 39
他の教派や宗派に敬意を表す,250 - 251
わたしたちに対する_の愛,35 - 39
賜物,聖霊の
と
「聖霊の賜物」の項を参照
トンプソン,マーシー,95
ち
は
知恵の言葉,211 - 212 ,225
背教,108 - 109
知識
パッカー,ボイド・K ,16 ,24
「学ぶ」の項を参照
バプテスマ
つ
_と救いの計画,58 - 59
_の聖約,162 - 164
慎み深さ,194 - 195 ,227
_の二つの目的,164
て
_を受けた後の忠実さ,164
伝道活動
8 歳未満の子供には必要ない,160 - 162
_と完全な福音を分かち合うこと,243 -
ジョセフ・フィールディング・スミスの_,
245
157
_に携わる末日聖徒の責任,245 - 246
罪の生活から霊的な生活へのよみがえり
御霊によって簡潔に行わなければならな
としての_,159 - 160
い,248 - 249
教会の_でさらに多くの宣教師が必要と
されている,247 - 248
専任宣教師時代のジョセフ・フィールディ
水に沈める_の象徴,157,159 - 160
ひ
ヒンクレー,ゴードン・B ,1
ング・スミス,6 - 10 ,241 ,243
312
索引
ふ
- 110
数世紀の背教後の_の回復,108 - 109
福音
両親が子 供たちを教えるのを支 援する,
_は家族を中心としている,69
191
_ はこの 世 の 唯 一 の 希 望 で あ る,53 ,
249 - 251
学ぶ
_はすべての人のためにある,114 ,243
_ことで真 理と偽りを見 分 ける,129 -
- 244
130
簡潔に宣べ伝えなければならない,248 -
多くの分野のことを_ように努める,129
249
- 130
完 全な_は回復された教会にのみある,
義にかなった生活をすることによって多く
243 - 245
を_,134 - 136
ジョセフ・スミスを 通して 回 復され た,
教会指導者から_,131 - 132
100 - 101 ,243 - 244
研究と信仰と従順によって, 132 - 134
聖 文 か ら _,122 - 123 ,130 - 132 ,
福千年,301 - 302
134 - 135
扶助協会
聖霊からの導きによって_,132 - 134
_の設立,276
最も重要なのは福音を_ことである,129
_の物質的また霊的な目的,277 - 279
- 130
_は教会の業において欠か せない,276
み
- 277
「女性」の項も参照
見分ける,真理と偽りを,129 - 130 ,134 -
136
復活,60 - 61
へ
む
ベンソン,エズラ・タフト,24
結び固めの力
_と死者の救い,204 - 205
ほ
エリヤによって回復された,200 - 201
奉仕,236 - 237
完 全な救いのために聖徒を備える,203
- 204
ま
地を滅びから救う,202 - 203
末日聖徒イエス・キリスト教会
_が組 織されているのは,個人と家族が
「エリヤ」
「家族 歴史」
「神殿活動」の項も参
照
喜びと永遠の命を見いだせるように助け
るためである,110 - 111
_での奉仕はわたしへの主の奉仕に対す
る感謝を表す,112
_ 内の愛は世に対する模範である,234
も
模範,193 ,221 ,223 ,229
モルモン書
_についての証を得る,122 - 123
- 235
_についてのジョセフ・フィールディング・
_の会員の特権,109 - 110
スミスの個人的な証,117 - 118 ,123
_の補助組織,110 - 111
_の個人研究,122 - 123
_は全世界に広がる,113 - 114
イエス・キリストについて証する,118 -
_は地 上における神の王国である,109
119
- 110
三人の証人と八人の証人,117 - 123
イエス・キリストにより導かれている,109
ジョセフ・フィールディング・スミスは少年
313
索引
時代に_を読んだ,4 ,127
子 供たちに真 理を教える_の責任,189
福音が収められている,118 - 119
- 191
モンソン,トーマス・S ,1
子供に祈るように教える,193 - 194
よ
子供に聖文に触れさせる,194
子供に親になる備えをさせる,195
責任を果 たす際に教会 から支 援を受け
世にいて世のものにならない,228
る,191
「世俗的」の項も参照
「家族」
「家庭の夕べ」
「結婚」の項も参照
り
リー,ハロルド・B ,26
れ
律法
礼拝
_の最高の行為は戒めを守ることである,
宇宙と神の王国は_によって治められて
214 ,216 - 217
いる,212
安息日における_,224 - 225
救いを得るために必要な_への従順,59
イエス・キリストの_の模範に従う,49
- 60
神の_には神の特質を知ることが求めら
両親
れる,33 - 34
_の義にかなった模範,193
神への_は人を平安に導く,83
幼いときから子供を教える,193
聖餐を受けるときの_の精神,88 ,92
家庭の夕べを行う,194
子供が真理について証し,伝道に出るよう
に備える,195
子供たちがサタンに立ち向かえるように助
ろ
労働
ける,189 - 190
_の価値,263 - 267
救いのため,268 - 270
子供たちに純潔と徳について教える,194
- 195
314
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ジョセフ・フィールディング・スミス
歴代大管長の教え
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ジョセフ・フィールディング・スミス