77. 薬王寺 みょううんざん やくおう じ 妙 雲山 薬王寺 宗派 浄土宗 茨木市総持寺1丁目16番4号 薬王寺所蔵の【永禄五年(1562 年)阿闍梨榮鑑の縁起、要約改稿版(国語訳)】には次のよう に記されてある。 【摂津の国、薬王寺は行基菩薩の開創にかかるもので、畿内四十九院の一院である。寺 を開いてから(永禄五年要約改槁版が書かれた時点から)八百年余りの歳月を経過している。 じん き その由来を求めてみると、 聖武天皇(第四十五代天皇 在位 724 年~749 年)の御代、 神亀(724 さんろう 年~729 年)年間、行基菩薩が伊勢神宮に参籠され、内宮で夜通しの修行をされたことがあ った。夜明けの頃、夢うつつに美しい婦人がとばりの中から出てこられ『摂津の国に霊地 がある。お前はその土地に行き、寺を興して衆生を救いなさい。私はお前を守ろう』と、 お示しになった。 行基菩薩は神女の託宣に従い、摂州島下郡宮城野に行き着かれたとき、光る雲が天空を 覆い、いい香りが地上に充満した。そこが神仏の霊地を現す霊場だったのである。その所 にほこらを設け、宮城野大神宮と名付けた。そして、次には造仏、寺院建立の気運が行基 かや 菩薩に盛り上がり、良い材木を捜したところ、倒れた一本の榧の木があった。木の近くで 薬師の呪文を唱える声がした。これがつまり霊木なのだと、枝を切り、茨を払うといい香 よりしろ りがたち登った。この依代で御丈三尺(約 91cm)の薬師仏の座像を造り、「敬礼薬師瑠璃光理 智不二微妙体不捨造悪諸衆生三世有情同利済」と唱えられた。そして、ここに寺を造って薬 王寺と名付け、神亀二年(725 年)二月八日に開眼の供養を終えられた。 ほうそう その頃、国内で疱瘡がはやり、死ぬ人がとても多かった。聖武天皇は深く悲しまれ、行 基に勅命して、この寺で薬師如来の修法を執り行わせると、数日たたないうちに疱瘡が止 んだので、天皇は喜ばれ、荘園を寄進され、数々の伽藍はすべて完成した。 その後百年余りたって、大政大臣藤原不比等淡海公から六代目の子孫である中納言藤原 山蔭の息女が難産で、遥かなこの寺の方に向かって「南無薬師瑠璃光如来、私を哀れとおぼ しめし、早く出産させてください」と祈ると、すぐに安産し、母子ともに無事であった。誠 に不思議な霊像である。こうした霊験によって後々までも公家や武士たちの祈願がやむこ とはなかった。(以下略)】 この【永禄五年阿闍梨栄鑑の縁起】では、神亀 2 年(725 年)2 月 8 日に行基菩薩が薬王寺 を創建開基とし、薬王寺の創建当時の本尊は薬師瑠璃光如来であったと伝え、今も寺院内 に薬師如来が安置されている。普通、浄土宗の寺院の本尊は阿弥陀如来であり、浄土宗の 寺院に本尊として薬師如来が安置されていることに、違和感を感じる参拝者が多い。創建 された当時は浄土宗でなく、寺院名である薬王寺と本尊の薬師如来から思料し、当寺は浄 土宗でなく他宗であったが、何時の時代かに、寺院として宗派が改められたと考えられて いる。 薬王寺の本堂に安置されている阿弥陀如来仏は中尊(中央の一尊)として現在に至るが、 寺史としての詳しい資料はない。寺伝によれば、その後、明和 9 年(1772 年)、中興の祖の 大義和尚は薬王寺を尼寺として開山再建した。それ以降、現住職の三代前まで、尼僧が住 職として継承されてきた。境内には、その大義和尚の墓が開山僧として安置されてある。 地元の口伝によると、薬王寺に安置されている薬師瑠璃光如来は治病の仏として御利益 があり、また、安産の守り仏で霊験あらたかな如来として信仰を集めていた。そして、今 でも手を合わせ祈願する人が多く、浄土宗の宗派を超越した、不思議な霊験を漂わせる寺 院である。過去、安産の祈願で詣でる信者に安産の腹帯が授けたられていたとのこと。 また、境内に『牛魂碑』がある。大阪万博の開催される少し前まで茨木市内に牧場があ った。その牧場主が願主としてこの碑を建立したもので、茨木のみならずこのような牛魂 碑は珍しく、これもまた当山薬王寺の不思議の一つである。 そして、本堂には、 『総持寺』の本尊と同じ亀の背に乗る【十一面千手観世音菩薩】が安 置されてある。過去、『総持寺』と何等かの繋がりが有ったと想像するが、 『総持寺』にも 薬王寺にもこの事に関しての文献は存在しない。正に、この妙雲山薬王寺は多くの不思議 を秘めた寺院である。 寺院創建 天平年代(729~748 年)、行基菩薩の開基。その後、明和 9 年(1772 年)、 大義和尚が中興の祖として開山、以来尼寺であった。しかし、詳しくは定か でない。 本 尊 薬師如来坐像 木造 像高 73.6cm 江戸時代作 主たる什物 ◎ 日光・月光菩薩立像 木造 各像高 53.5cm 江戸時代作 本尊脇侍 ◎ 誕生釈迦仏 銅造 像高 15.7cm 江戸時代作 ◎ 阿弥陀如来坐像 木造 像高 33.1cm 江戸時代作 ◎ 阿弥陀如来坐像 木造 像高 21.4cm 江戸時代作 建 造 物 ◎ 千手観音立像 木造 像高 41.3cm 江戸時代作 ◎ 行基菩薩坐像 木造 像高 43.5cm 江戸時代作 平成 19 年、本堂庫裏一棟として再建され、薬師瑠璃光如来仏は別堂(薬師 堂)に安置されてあり随意自由にお参りすることができる。 住 職 川久保幸則(かわくぼ こうそく)住職。平成 17 年、住職に就任。 先代の住職が死去され継続者がなく無住となった。平成 17 年、宗派の認 証を受け住職に就任。薬王寺の寺史を鑑みるとき、浄土宗の寺院でありなが ら宗派を超えて、詣でる信者が多い。この事実を大切にすることが薬王寺の 住職としての大きな役割である、と語られる。毎月八日は薬師講の日で、前 住職までは供養として信者宅の仏壇にお参りされていたが、現在は、毎月八 日は薬師堂で法要を行っているとのこと。
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