怒りはいのちの声だから

怒りはいのちの声だから
「自分を信じるマインドフルネス・怒りには必ず意味がある」
「怒りをなくして生きる」「感情をコントロールする」といった本が多く出ていますが、
怒りには必ず意味があり、何か重要なメッセージを伝えようとしているのです。
ですからマインドフルネスは、ある意味で正反対のアプローチをとります。
怒りや悲しみ、不安や恐怖、恥ずかしさなどのネガティブな感情を「感じない」ように努力
するのではなく、その感情により深く気づき、いのちからのメッセージを受け取ろうとする
のです。怒りから出てくるのは、生きようとするいのちの力です。
怒りを、愚かな未成熟なもので、間違っている明確に良くない感情として、なくそうとする
ならば、人間の生きる力を否定しようとすることになります。怒りが間違っているのではな
くて、私たちの怒りへの考え方と対応が間違っていたのです。
この本は、「怒りや悲しみ、不安を抑えなければならない」と思い込み、苦しんでいる人々
に向けて、マイセラでは、どのように怒りを受け取り、どのように対応しているかを、明確
にお伝えしようとする試みなのです。
「怒ってもいい」と「感じていい」を区別する。
怒りは、相手の言葉や行動、外部の出来事などによって呼び起されるので、自分に怒りが出
てきたのは相手のせいだ、と感じるのです。だから相手や他人に怒りをぶつけたくなるので
す。それが当然だ、それが正しいという考え方もあります。でもその結果はどうなるでしょ
うか?双方とも相手を責めたり自分を責めたりして、もっともっとイヤな気持ちになったこ
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とはないでしょうか?
「おれだってお前からイヤなこといっぱい言われたことがあるんだぞ!」
「自分勝手なことばかり言いやがって!」
などと相手がすごく怒ることもあるでしょう。そのふたりの人間関係が壊れてしまうことす
らあるでしょう。
どうしてこのようになるかといいますと、相手の方は、あなたの気持ちを受け止めるほどゆ
とりのある心の状態になっていないからわからないのです。それよりもあなたから自分が非
難されたことでもっともっと怒りが出てくるのです。
実はあなたの深いところに怒りがあり、相手はあなたの怒りが出てくるきっかけをつくった
だけなのです。ですから、あなたは怒りを感じていいどころか、自分のなかの怒りをしっか
り感じるチャンスになるのです。
怒りを経験するにもプロセスがある。
この本ではいきなり「怒りは大事だ」というところから始まってしまいましたが、私たち
の意識状態は、ほとんどの場合、すぐに怒りにはいけないのです。
怒りがない、一度も怒りを感じたことがない、ということもあります。ほんとうに幼い頃に
は、何かイライラするとか、何かイヤだとか、感じることがあっても言葉もなく何だかわか
らずにただ泣きわめくだけかもしれません。
そうするとまわりの人から「ワガママだ」
「ワケもなく泣きわめく」
「ダダをこねる」などと
叱られます。そうすると子どもは、
「泣いちゃいけないんだ」
「自分の感情を出したらいけな
いんだ」と無意識で思い込むかもしれません。そうなりますと子どもは自分の感覚や感情は
深いところに押し込めて感じないようにしてしまい、他人の言葉を手がかりにいて生きてい
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くようになるのです。
私たちは通常自分の感覚を手がかりにして生きていくのですが、自分の感覚や感情を感じな
いようにすると、自分の思い込みや他人の言葉を手がかりにして生きていくようになります。
これは、心とからだに非常に大きなストレスになります。
このような状態から解放されて自分の感覚や感情が感じられるようになるには、人間のいち
ばん根源的な欲求が満たされる必要があります。それは、次のような欲求です。
私たちは、感覚として、人のあたたかさを求めている。
私たちは、生まれた瞬間から、お母さんのあたたかいまなざしを感じ、その場の空気でみん
なが自分の誕生を喜んでいる雰囲気を感じます。それは子どもにとって至福の体験です。子
どもは安心して、お母さんの胸の上ですやすや眠ってしまうかもしれません。子どもは生ま
れた時にこういう体験をするときに、自分にも他人にも世界にも、安心感と信頼感、そして
一体感が湧いてくるのです。そしてしっかりと自分を生きていけるようになります。
このような体験が得られなかった場合、私たち人間のたましいはすさみます。そのすさみ方
は千差万別ですが、徹底的に拒否されたり否定されたりすると、すさまじい怒りや憎しみが
出てくることもあります。これはひとり一人の人間がほんとうはどんなに素晴らしい存在で
あるかということを現わしています。
ですから、マイセラではエゴそのもののような人は、ほんとうの愛を求めている人なのだと
考えます。エゴは自分を大切にしたいという欲求ですから、なくすのではなく大切にして成
長するようにしていけばいいのです。そのためにはその人のなかにあるいのちの力を信じて、
得られなかった体験を満たしていこうとしていきます。その人を否定したり非難するのでは、
ますますその歪みを大きくするだけです。
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私たちは、自分のなかの感覚に気づいていくと、次のような言葉が出てくるかもしれません。
――このままのわたしをすべて共感してわかってほしい。愛してほしい。
大切なひとつのいのちとして尊重してほしい。
かけがえのないわたしの価値を認めてほしい――
私たちは、生まれたときからそんな願いを持っています。親でなくてもそのような願いを満
たしてくれる人に出会って、初めて私たちは自分のこころが満たされ、喜びが生まれ、自分
をひとりの人間として信頼できるようになります。そこから安心感と信頼感が生まれ、この
世界のすべてのいのちとのつながりが感じられるのです。
愛と叡智が目覚め、ひとりの人間として自分のいのちを生き始めるのです。
「人は、愛されることによって、真実の愛に目覚め、尊重されることによって、
自分の価値に目覚める。」
これは、非常に大きなフィールドクリエイターの仕事の一つです。
フィールドクリエイター・ワーカー
ここで、フィールドクリエイターという耳なれない言葉が出てきましたが、説明させていた
だきます。
カウンセリングやセラピーでは、援助者をカウンセラーとかセラピストと呼び、援助しても
らう人をクライエントと呼んでいます。
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しかしマイセラでは、サポートする人は「フィールドクリエイター」自分のワークをする人
は「ワーカー」と呼んでいます。
「フィールド」というのはその二人の間につくりだされる空間ですが、ワーカーさんのなか
の「いのちのはたらき」が現れてくるような、特別な意図的な空間なのです。
ひとりの人がほかの人を癒すのではなく、二人の間に生まれる空間のなかで癒しも、気づき
も、変容も、ワーカーさんのなかに起こってくるのです。ふたりは対等な人間として、いの
ちのプロセスの展開に、協力しあっていくのです。
これは、心のやさしい人なら誰でもできるみたいに思われるかもしれませんが、そんなに簡
単なものではありません。人がそばに近づくだけで緊張して苦しくなる人もいます。自分に
触れられるのは絶対にイヤだという人、子どもが抱きついてくるととっさに身体の反応とし
て突き飛ばしてしまう人、気持ちいいとか嬉しいとか、自分が感じたことが一度もないから、
どんな感じか全然わからないという人、世界中の人間は全部自分の敵だと感じている人など、
さまざまです。どのような人でも、今までできなかったような気持ちいい体験をしていただ
くには、フィールドクリエイターとしてしっかりトレーニングしていただくことが必要です。
自分の感覚が戻ってくる
いのちはあたたかく、心地いい体験を求めています。生まれたての赤ちゃんのように自分
のすべてをほかの人のあたたかさにゆだねてゆったりと安心していると、不思議な体験が起
こってきます。からだがリラックスしてゆるんでくる。呼吸が深くなってくる。手足があた
たかくなってくる。身体の細胞レベルでいのちが
ってくる感じになる・・・そのまま眠っ
てしまうこともあります。
こんな体験をすると自分のなかで感覚や感情が目覚めてきて、悲しみや怒りが感じられてき
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ます。これまで何十年もの間感じられなかった自分の感覚や感情が目覚めてきます。
これまでからだのある部分だけが、ずっと痛かったかもしれません。
こころとからだのストレスをその部分が黙って支えてくれていたのでしょう。
このようなプロセスをへて、悲しみや怒りが出てきます。
マイセラでの空間は「怒りを燃やしつくす安全なかまど」なのです。
怒りは、誰かにわかってもらいたがっています。
しかし、自分のなかの怒りを呼び起こした相手にぶつけたり、ほかの人にぶつけたりするこ
とは間違っています。ひとりで自分の怒りを感じてみようとしても同じところを堂々巡りし
てしまうだけです。といっても、怒りをしっかりと受け止めてくれる人はまずいないでしょ
う。聞いている人が、苦しくなったり怖くなったりして、相手の体験に入っていけなくなる
のです。さらにそれを聞いてどうしたらいいのか困ってしまうでしょう。話せば話すほど
エスカレートしていくかもしれません。
ですから本人も自分の怒りをとことん出したら、自分は何をするかわからないという怖さを
感じていることも多いのです。
そこでマイセラでは「怒りの炎を燃やしつくす安全なかまど」をつくっているのです。ここ
はまったく安全で外の風も入ってきません。どんなに激しい感情が出てきても誰も傷つけま
せんから安全です。フィールドクリエイターが、しっかりとすべてを受け止めて共感してく
れます。
フィールドクリエイターの聞き方にははっきりとした特徴があります。怒りを呼び起こした
相手を「ひどい人だね」と非難することはしません。「あなたはとってもイヤだったのね」
「あなたは、たまらなかったのね」などと、すべてあなたの内面にフォーカスするのです。
それはあなたのなかにあるあなたの怒りだからです。
おそらく自分はそんなふうに非難・攻撃される存在ではない、という怒りがあるのでしょう。
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そして自分の価値を認めていないのはまさにこの自分であり、自分をいじめて痛めつけてい
たのも自分である、と気づくかもしれません。そうすると自分は何に対して怒りを感じてい
たのでしょうか?個人の問題を超えて、人間としてそれは絶対に許せない、という怒りかも
しれません。
その安全なかまどのなかで、怒りの炎を燃えつきるまで燃やしていくのです。
すると必ず終わりが来ます。自分はこんなに怒っていたんだ!と、その激しさにビックリす
るかもしれません。生まれて初めて自分のなかにそんな怒りがあったんだ、と気づくのです。
それはひとりの人間としての尊厳を取り戻すことなのです。怒りの炎が燃えつきると、自然
に火は消えます。あとは、ほっこりとあたたかいオキが残るでしょう。静かで、何もなくな
った感じがするかもしれません。怒りは、ただ誰かに、そして自分にわかってもらえさえす
ればいいのです。言葉として表現して、すべて意味のある大切なものとして受け入れてもら
えばいいのです。
これはよく言われるように、「たまっていた怒りを発散すればすっきりする」ということで
はなくて、自分の実感を取り戻すことによって、自分自身の感覚が
ってくる、ということ
なのです。
この体験によって自己イメージはまったく変わります。いままではダメな自分とか弱い自分
とか思っていたのに、それがどんなにすごい体験だったか改めて実感すると、そんな中でよ
くここまで生きてきた、という感じになります。自分の感覚をなくしてまで生きのびてきた、
その生命力の強さに、「よくそんな中で生きてきた!」と自分自身が感動するのです。これ
は、いのちに対する信頼感にもなります。
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何もない「無」の状態の中から生まれるもの
怒りの炎が燃え尽きたあと、ほんとうに静かな何もない「無」の状態が起こります。
しばらくの間ただそこにいるだけかもしれません。そのうち突然、これまで自分が思ったこ
ともなかったような言葉が出てくるかもしれません。
「自分には価値がある」とか「自分は生きる」とか「自分はできる」とか・・・
自分を超えた大きないのちの力が、自分の中からわきあがってくるかもしれません。ここか
ら人間として自分がどう生きるのか、与えられたいのちを自分はどのように活かすのか、
探究のプロセスが始まっていくでしょう。
フィールドクリエイターの聴き方
私たちはたくさんのさまざまな苦しみを抱えています。その苦しみに心から耳を傾けて欲し
いと願っています。聴いてもらって、深いところから共感してもらうこともまた得られなか
った体験を満たされることなのです。
フィールドクリエイターはどのように聴くのでしょうか?
1. 無意識の中にあるいのちを信頼する。
初めて出会ったとき、目に見える相手だけでなく目に見えない「いのちのはたらき」を信頼
します。そうすると、表面的にはとてもつらそうに見えても、その方に出会ったのが嬉しく
なり、何かステキなことが起こるのが楽しみになるでしょう。
そうすると、あたたかさと安心感でセッションが始められるでしょう。
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2. ほかの人の体験はわからないはず
自分の体験から、自分もそうだったからあなたのこともわかるよ、というわかり方は違う
のです。そういうわかり方は、相手からのすさまじい怒りを引き起こすこともあります。
「あなたは私のことなど何もわかっていないのに、いい加減なことを言ってほしくない!」
――その通りなのです。私たちは、自分の偏見から相手を決めつけてしまうのです。人間は、
他人の体験をほんとうにわかることはできないのです。何とか少しでもわかろうとすること
ができるだけです。話している人も自分をわかってもらうよりも、わからないけれど一生懸
命わかろうとしてくれることがとても嬉しいのです。
自分がひとりの人間として尊重されていると感じるのです。
3. 相手の苦しみをなくしてあげることはできない。
私たちは、相手の苦しみをなくしてあげることはできません。相手を変えることはできま
せん。この人はこうなったらいいだろうと思って、そちらにいかせようとするのは自分の偏
見の押し付けになります。自分の場合はこうだったとか、ほかの人の場合はこうだったとか
いうことは、気づかせようという下心があれば相手を傷つけるだけです。
すべての人の中には、自分は自分だ、ほかの人と比べられたくない、自分で生きたい、自分
で気づきたいという欲求があります。自分で生きる力があるのです。それを信頼してもらい
たいのです。その力を取戻したいのです。
自分の感覚を受け止め、それをじっくり感じ、自分の言葉として表現していくことは、自己
確立の第一歩と言えましょう。
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4. 話し方など、ノンバーバルなメッセージに気づく。
ワーカーさんが話すとき、表情、話し方など、さまざまな言葉でないメッセージが表現さ
れています。それは、話の内容よりも、今ここで起こっているもっと大切なメッセージです
から、それに気づいていきます。
5. 出来るだけゆっくり話してもらう。
習慣的にどんどん速く話す人がいます。話し方が速いとき、自分の内面とつながっていな
いのです。できるだけゆっくり話していただくだけで、何か重要な気づきが生まれてくるで
しょう。
6. ワーカーの内面の感覚がワークをリードする。
瞬間、瞬間のワーカーの感覚は、その人自身にしか感じられないとても大切な生きる手が
りなのです。サポーターがワークをリードするのでなく、ワーカーの感覚がワークをリード
するのです。これは私たちのワークでは、非常に重要なことなのです。サポータ−が何か提
案したいときには、ワーカーの同意を得てからやります。
7. ワーカーが気づくことは、無意識ではすでに知っていたことである。
私たちはひとりでは、とらわれや思い込みから抜け出すことは非常に困難です。自分とは
違ったほかの人との出会いから、新しい気づきが生まれてきます。自分の中に出てくる気づ
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きは、無意識の中では自分がすでに知っていたことなのですが、ほかの人の言葉がきっかけ
となって触発されるのです。
ですから、聴くほうの人は、相手が自分では気づけないようなことは、言葉で伝えます。た
とえば「怒りを感じていいんだよ。それにはきっと大事なワケがあるんだからね」というよ
うな言葉は生まれて初めて聞く言葉かもしれません。その人にとっては、これまでの人生で
聞いたことがなかった、ビックリするような言葉なのです。
しかし、その人自身で気づけるようなことにはサポーターは介入しません。
ただ待っていてあげるのです。その沈黙の中から自分の気づきが出てきますから沈黙は極め
て貴重です。その沈黙のなかでフィールドクリエイターは何が起こっているのか聴き取ろう
とします。内面で何が動いている沈黙なのか、どうしていいかわからなくて困っている沈黙
なのか、などを感じ取る必要があります。わからなければ、聞いてみればいいのです。
8. 私たちのワークは何を願っているのか
私たちのワークの中核にあるのは「いのちのはたらき」です。すべての人は、自然とか、
宇宙とか、サムシング・グレイト(偉大なる何か)とか、さまざまな言葉で呼んでいますが、
宗教ではない、人間にはわからない、人間を超えた大きな力が現実にあることを認めていま
す。人間はそれを何千年もの間求め続けてきたのです。私たちは、それを「いのち」と呼ん
でいます。ワークの中でも誰も思ってもいなかった不思議なことが起こります。それが起こ
るということは事実ですから否定できません。いのちは、自分の中からあふれてくる自分そ
のものといえましょう。これは今新たな探求が始まったばかりです。
マイセラでは、感性が必要だから理性や思考は必要ないというのではありません。感性と一
つになった理性や思考が必要なのです。真実の愛も、感性も、理性も、思考も、すべてが一
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つに調和している人間の全体性を取り戻すことが、私たちの願いです。それは人間が神では
ない、動物ではない、まさに人間になる、ということだと思っています。
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