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【中京福岡県人会秋の行楽】 紅葉の近江路満喫の旅
期日:平成27年10月25日(日)
出発時間:午前8時30分(集合:午前8時15分 時間厳守)
集合場所:名古屋テレビ塔駐車場
旅行費用:6,000 円(お一人様)当日申し受けます おつりのないようお願いいたします
締 切 日 :平成27年9月30日(水) 申し込みは同封した返信用のハガキをご利用ください
募集人数:45名様限定(先着順・定員になり次第、締め切らさせて頂きます)
集客状況は中京福岡県人会のホームページで随時更新しております http://www.chukyo-fukuoka.jp/
※その他旅行に関する問い合わせは 旅行係 岩田哲 【070-5337-1494】までお尋ねください
行 程
<名古屋高速・東名阪自動車道・新名神自動車道> 名古屋テレビ塔 ===== 名古屋西JCT ===== 亀山JCT ===== 土山サービスエリア<休憩> =====
8:30 (発)
近江商人の町並み散策 ===== 近江八幡水郷巡り(昼食) ====== 金剛輪寺 ====== 多賀大社 <名神高速道路・東名阪自動車道・名古屋高速> ===== 彦根IC ====== 養老SA(休憩) ====== 一宮JCT ===== 東新町IC ===== 栄(着) 18:00頃
●上記旅程は、交通事情等により到着時間が変更になる場合がございますのであらかじめご了承下さい。
近江八幡の町並みは、天正13年(1585年)に豊臣秀次(豊臣秀吉の甥)が八
幡山に城を築いたことに始まります。秀次の楽市楽座等による商工業の発展
近江商人
政策は、その後の近江商人の活躍の原動力となりました。天正18年(1590
町並み散策
年)に秀次が移封され、ついで京極高次が城主となりますが、わずか5年後
の文禄4年(1595年)に廃城となります。城下町商人としての特権は失われま
したが、船や街道を利用して多くの人や情報、文化が入ってくる地の利を活
かし、その先進性と自立的な商法により八幡を本店として江戸や大坂に出店
を設けるなど活躍していきます。
近江八幡の水郷は、琵琶湖八景の一つ「春色・
春色・安土八幡の水郷」に
安土八幡の水郷」に数
近江八幡の水郷は、琵琶湖八景の一つ「
春色・
安土八幡の水郷」に
数えられ
近江八幡水郷巡り
るなど、風光明媚
るなど、風光明媚な観
風光明媚な観光
な観光地や市民の心
地や市民の心のよりどころとして存在
のよりどころとして存在してきまし
存在してきまし
(昼食)
た。。郷は四季
た。。郷は四季それ
四季それぞ
それぞれに趣
れに趣があり、水鳥
があり、水鳥たちも
たちも多く集い、自然
多く集い、自然の営みや恵
みや恵
みを感
みを感じることの出来る場所
じることの出来る場所です。ヨシ
です。ヨシは
ヨシは春に芽吹きはじめ、
芽吹きはじめ、夏
きはじめ、夏になると青
になると青々
と4m
と4m近くに成
近くに成長し、秋
長し、秋が深まるにつれ葉
まるにつれ葉を落とし黄
を落とし黄金色に変化、冬
化、冬にはヨシ
にはヨシ
原で刈
原で刈り取り風景が見
景が見られます。また芽吹
られます。また芽吹きを良くするため、3
芽吹きを良くするため、3月上旬
きを良くするため、3月上旬頃に行
月上旬頃に行
われる「ヨシ焼
われる「ヨシ焼き」は水郷の
ヨシ焼き」は水郷の早春
き」は水郷の早春の
早春の風物詩となっています。このような情緒
となっています。このような情緒を
直に感じることが出来るのが「水郷めぐ
じることが出来るのが「水郷めぐり」です。この始まりは、織田
り」です。この始まりは、織田信長や
織田信長や
豊臣秀次が戦
豊臣秀次が戦国の世の疲
国の世の疲れを癒
れを癒すため、宮
すため、宮中の雅
中の雅やかな遊
やかな遊びを真似
びを真似たと言
真似たと言
われています。
天台宗 金剛輪寺
金剛輪寺は、奈良時代の中頃、天平13年(741)に聖武天皇の勅願で行基菩
薩によって開山されました。言い伝えによりますと行基菩薩が一刀三礼で観
音さまを彫り進められたところ、木肌から一筋の血が流れ落ちたため、その
時点で魂が宿ったとして、粗彫りのまま本尊としてお祀りされました。後の世
に「生身(なまみ)の観音」と呼ばれるようになり、全国の観音信徒より篤い信
仰を集めています。 平安時代の初めには、比叡山より慈覚大師が来山、天
台密教の道場とされて以来、延暦寺の末寺、天台宗の大寺院となりました。
多賀大社
【ごりやく】延命長寿、厄除け、縁結び、家内安全、交通安全
古くから「お多賀さん」の名で親しまれる滋賀県第一の大社です。 日本最古
の書物「古事記」によると、この両神は神代の昔に、初めて夫婦の道を始めら
れ、我国の国土、続いて天照大神をはじめとする八百万(やおよろず)の神々
をお産みになられました。このように、命の親神様であることから、古くから延
命長寿、縁結び、厄除けの霊神として信仰を集め、鎌倉から江戸時代にかけ
ては、武家や民衆の信仰が一気に広まりました。