長 岡 仁 志 さ ん が 新 宮 司長岡仁志さんが新宮司 鎌 倉 宮 で 推 戴 式

長岡仁志さんが新宮司
代表ら約
が行われ、新宮司が神殿
た桜を京都御所内庭に左
近の桜として植えたとい
う古事があり、普賢象桜
もこの付近にあった普賢
植樹されたのは鎌倉ゆ 堂の前で生まれ、鎌倉桜
ふ
か り の﹁ 桐 ヶ 谷 桜 ﹂﹁ 普 として京都で愛でられた
苗 木 各 1 本 で、
﹁かまく
賢象桜﹂の樹高約2㍍の
院に植えられた。
本が光明寺など近隣の寺
といわれる。このほか8
げんぞう
ら桜の会﹂が苗木を用意
と話している。
し、﹁鎌倉文化人会議﹂﹁材
高柳さんは﹁鎌倉発の
文化を広めていきたい﹂
木座自治連合連絡協議
会﹂が植樹に協力した。
﹁かまくら桜
の会﹂の高柳英
麿会長による
と、足利尊氏が
鎌倉の桐ヶ谷
︵現在の材木座
4丁目︶にあっ
は
は
亡き義母にならひし栗の渋皮煮を年の始めの膳にそへな
由比ガ浜 多賀 聖子
日本独特の習わしはこのように受け継がれるようだ。
む
一枚となりたる暦の予定見て気持ちは早も新年にあり
人が参列。本 宮の責任役員、崇敬者会
鎌倉宮で推戴式
鎌倉市二階堂の鎌倉宮
で昨年 月1日、宮司推
の長岡新宮司を先頭に同
通算 年在職され、
歳︶を機に
鎌倉ゆかりの桜を植樹
べた。
みたい﹂と抱負を述
たたかい気持ちで臨
の中になるようにあ
し て い る。﹁ い い 世
6年から同宮に奉職
後任の長岡さんは
鎌倉育ちで、197
退かれた。
古希︵
12
70
かまくら桜の会
鎌倉市材木座4丁目の
たぶのき公園で昨年 月
日、サクラの植樹が行
12
採れしもの干して冬日を使ひきる
天園の峠の茶屋や冬の空
藤沢 柳
蒼柳
天園の小さな茶屋。空が澄みきっている。懐かしい景。
幸多きひととせなりき除夜の鐘
大町 貝山 正子
の思い。
除夜の鐘を聞きながらの感懐。
来年もまた
中華街路地に湯気立つ師走かな
腰越 近藤 源司
中華街の師走の忙しさ。大勢の人の動きも見える。
冬館古きピアノの蓋開ける
材木座 有野 冬花
古い館に置かれてあるピアノ。
外国映画の一齣のよう。
正面に講堂据へて銀杏散る
片瀬海岸 伊東
清
テレビの映像にもありそうだ。硬さと銀杏の柔らかさ。
冬日いま雲を燃やして沈みけり
腰越 大川 昭子
入日が燃えつきて落ちてゆく様が鮮明。美しい句。
枇杷の花日当りの良き亡母の部屋
鵠沼 一色千穗子
雪吊や結び目堅く雪を待つ
大船 添田 洋子
老人は老人嫌ひ返り花
常盤 片岡 和子
青い目の乙女の魅入る菊花展
今泉 小林
子
落葉掃く我が町今日の暮れゆけり 本鵠沼 宗 とし尾
火の粉散り炎の中の納め札
笛田 上田 満喜
ほうれんそう
菠薐草茎を肴に元気出る
藤が岡 大山 賢一
木枯や笑顔のみにて擦れ違ひ
材木座 高室 正子
秋時雨自分史辿り夜更くる
腰越 松原
薫
過ぎしことは過ぎしこととし温め酒 植木 風見 玲子
藤沢 後藤 そら
鵠沼桜が岡 一色千穗子
藤沢市藤が岡 大山 賢一
校庭に少年ひとり何思ふ頭上を鳥のよぎりゆきたり
城廻 塩田 文子
草庵に風が忘れしもみぢ葉は水溜りにもひと葉散りをり
葉山町一色 近藤
純
柏尾川は台風一過に濁れども鯉は支流の水に群がる
つつ
笛田 入江 裕江
鶯のささ鳴き聞こゆる初春ののどけき里に獅子舞は来る
辻堂 柳
蒼柳
炉中から炭に火の付く音のする茶筅ふる音とひびき合い
ゆく
七里ガ浜 及川 泰子
朝霧の相模の川の小舟から投網打つ漁夫仁王のごとし
う
片瀬海岸 川嶋 俊子
ま も
野あざみに頭つっ込む花蜂を目守りておれば富士は晴れ
逗子市久木 木村
勲
沖つ方あじさい色に夕昏れて窓のカーテン引くをためら
逗子市山の根 湊 美根子
から長岡宮司に引き継ぎ
新年を迎える思いが滲み出ている。普遍的な感慨。
路地裏の軒すれすれに江ノ電は走り行くなり潮風乗せて
殿で前任の船橋信彌宮司
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赤 袍 の 上 衣 に 紫 の 奴 に祝詞を奏上した。
ばかま
袴、頭に冠をつけた正服
船橋前宮司は権宮司職
を含めて2002年から
ぬ
代目の宮
25
司に就任した=写真。
さん︵ ︶が
戴式が行われ、長岡仁志
12
63
われた=写真。
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第430号
2015年(平成27年)1月1日
1部 108円
(3)