駅 前 通 り 界 隈 駅 前 通 り 界 隈

聞が報じたところによ
五月十五日。当時の新
治 三 十 二 年︵ 一 八 九 九 ︶
本線︶が開通した明
ち 奥 羽 線︵ 現 在 の 奥 羽
沢駅の開業は、すなわ
まれ発展しました。米
駅前通りは、その名
のとおり駅とともに生
るをえなかったのです。それでも、予
備していた大祝賀会の企画を変更せざ
舎は焼け残ったものの、米沢市では準
上が焼失する大火があり、からくも駅
丁目あたり︶から駅前まで二〇〇戸以
四 月 二 十 八 日 、 免 許 町︵ 現 在 の 大 町 一
でした。それもそのはず、この直前の
実際は簡素な歓迎式典が催されただけ
出迎えをうけたのであろうと思いきや、
ます。一番列車は、さぞかし華やかな
なっています。
部/重要文化財︶を模したデザインと
高等工業学校本館︵現在の山形大学工学
米沢を代表する近代建築である旧米沢
︵一九九三︶に建て替えられたものです。
山形新幹線開業にあわせて平成五年
現在の米沢駅舎は、その延焼をまぬ
がれた駅舎から数えて四代目にあたり、
ものであったことでしょう。
人々の心に大きな希望と勇気を与える
のごとく停車場
とは﹁停車場新道﹂とよばれ、読んで字
住之江町通りは、駅から西にまっす
ぐのび、平和通りに達する道です。も
ません。右側の住之江町通り、左側の
えば、それは両方と答えなければなり
定どおりに列車は到着し、数多の市民
た道路でした。
駅のために新設され
住之江町通り
て新たに生まれた街だからです。
旭町通り、その両方が駅の開業によっ
ると、その日はまだ暗
の東に位置することと、これからの発
実は、開業当時、
米沢駅はまったくの
展を期して景気のいい名前を、という
いうちから市民が駅前
とい
ところで、米沢駅を出ると正面には
二本の道が西に向かってのびています。
設し、無散水融雪設備を導入するなど、
さて、いずれが駅前通りなるや
には道の両側に桜が植えられ、〝駅前の
住む人にも訪れる人にも快適な街づく
がそれを心から祝しました。周辺が焼
新道〟として華やかな景観を整えてい
りが進められています。
け野原にもかかわらず米沢駅の開業は、
街はずれであったため、駅と中心市街
きます。昭和八年︵一九三三︶米沢で初
につめかけ、大変な混
地を結ぶための道を整備する必要があ
めてアスファルト舗装されたのもこの
雑ぶりであったといい
りました。さまざまな案が検討された
之江﹂の名は、新道開削にともなって
ここが﹁住之江町﹂と名付けられたの
は、明治四十三年
︵一九一〇︶のこと。﹁住
町通りです。同じく駅から西にのび、
住之江橋に立つ桜井祐一の作品
現 在 の
ません。
らかもしれ
して独立させることを急がなかったか
近い が ゆ え に 、 こ の 通 り を 新 た な 街 と
外 に も 街 が 新 しいのは 、旧 来 の 街 か ら
ことから名付けられたといいます。意
結果、現在の住之江町通りが新たに開
旭町通り
道でした。
やく開通したのは駅開業から半年も後
これは橋の新設も含む大工事で、よう
のことでした。明治三十五年︵一九〇二︶
旭町 通 り
は 、老 舗 の
相生橋の手前で国道一二一号線と合流
住之江町通りが行政主導で整備され
た新道であるのに対し、旭町通りは江
構 えに く わ
します。
戸時代からあった道をつなぎ延ばして
モダンな外
え 、レ トロ
の橋の名は、南隣の相生橋と同じく謡
住之江橋は平成七年︵一九九五︶に架け
駅まで通した民間主導の道で、通り沿
店、古民家
用金庫東支
観の米沢信
牛 肉 店の 店
替えられたもので、米沢出身の彫刻家
いには義経伝説で知られる常信庵など
曲﹁高砂﹂から命名されました。現在の
桜井祐一作のブロンズ像が配され、ま
由緒ある寺院もあります。
こ こ が﹁ 旭 町 ﹂ と 名 付 け ら れ た の は 、
昭和七年︵一九三二︶のこと。米沢市街
た風景を楽しむバルコニーが設けられ
また、近年には電線などを地下に埋
観を見せています。
るなど、米沢の玄関口にふさわしい景
新設された住之江橋に由来します。こ
住之江町通りとさまざまな意味で対
照的なのが、もう一方の通りである旭
‖
削されることになったのです。しかし、
?
現在の米沢駅
6
7
駅前通り界隈
駅前通り界隈
A
エリア
A
エリア
米沢信用金庫東支店
築した食事処や昭和の香り漂う居酒屋
を彷彿させるに十分な風情を残してい
地形はかつての別名﹁月見山﹂﹁迎月泉﹂
も泉は湧き続け、起伏にとんだ園内の
ます。
など、新しくも懐かしい雰囲気の街並み
佐氏泉公園
足をのばして⋮⋮
となっています。
住之江町通りの北側、金内酒店わきの
道に入ってほどなく、住宅街のなかに
●松川弁当店
旧本社
●いぼころり地蔵
お地蔵さまのま
わりにある小石で
いぼをこすって祈
願すると、いぼが
取れるといわれて
います。
米沢駅弁のさきが
けである松川弁当店
は、 も と は 佐 氏 泉 の
風情を楽しむ料亭 松
川 で し た。 石 造 り の
建物にはレトロな雰
囲気が漂っています。
●鉄 道 殉 難 者 の
慰霊碑
鉄道敷設工事
や列車事故などで
殉職した鉄道関係
者を慰霊する石碑
がひっそりとたっ
ています。
東横イン
至R
13
号
●宮坂考古館
●音羽屋本館
ホテルおとわ︶
︵現
戦前に建てられた和洋折
衷の趣ある旅館。建物だけ
でなく調度品も一見の価値
あり。国の登録文化財です。
源義経の忠臣である佐藤
兄弟の母が創建したという
寺院。義経が奥州にのがれ
る途中で立ち寄ったという
伝説があります。
●常信庵
至
R1
3号
なみかた
羊肉店 9
パッとあらわれる緑地が佐氏泉公園で
再興されたのではなく連綿と伝承され
から塑像を多く制作し具
象派作家としての地位を
確 立 し ま す。﹁ 或 る ポ ー
ズ ﹂ は パ リ、 ロ ダ ン 美 術
館主催国際彫刻展に日本
代表作家として出品した
作 品 で す。 昭 和 五 十 六 年
国 画 会 展 に 出 品 し た﹁ 五
月の女﹂が遺作となりま
した。享年六十七才。
カワチ
古道具後藤
す。﹁佐氏泉﹂とは﹁佐藤氏の清水﹂とい
う意味で、源義経の忠臣として有名な佐
藤 忠 信・ 継 信 兄 弟 の 父 佐 藤 正 信 の 別 荘
がここにあったという伝説にちなんで
その勇壮な演武は、春の上杉まつりな
丸八美術骨董
名付けられたものです。
宮坂考古館
どで披露され、人々の耳目を驚かせて
このあたりは古くから月見の名所と
して有名でした。住宅地に囲まれた今で
駅を背にして左にまっすぐ進むと、十
字路の角に、生い茂る竹の間から丸い建
います。
現役なのです。全国的に見ても、復元・
物が見えてきます。これが、米沢ゆかり
彫刻家 桜井祐一
ホテル
α-1
松
川
︵
最
上
川
上
流
︶
ている砲術はたいへん珍しいとのこと。
の文化財を収蔵・展示する私立博物館の
宮坂考古館です。
最近では前田慶次の甲冑があること
で話題になることが多い同館ですが、こ
こならではの収蔵品は、何といっても火
縄銃などの鉄砲コレクションでしょう。
実は、創設者である宮坂善助氏は、旧米
沢藩士から直接指導をうけて稲富流砲
術を習得した人物で、現在でも同館が中
心となって﹁米沢藩古式砲術保存会﹂が
組織されています。その稽古・演武に欠
相生橋
舟山病院 常信庵
宮坂
考古館
米沢上杉まつり
川中島合戦場
ス
タ
ー
ミ
ナ
ル
旭 町 通 り
至 R13 号
山交バス
米沢営業所
水原旅館
米沢鯉
六十里 10
名所・史跡
住 之
江 町
大正三年米沢市生ま
れ。 東 京 に 移 り 平 櫛 田 中
に師事し、木彫﹁乞う人﹂
で院展初入選します。
﹁梳る﹂
戦後米沢に帰り、
で日 本 美 術 院 賞 受 賞。郷
土の 美 術 家 と 米 沢 美 術 連
盟 を 結 成 し 荒 廃 した 郷 土
美術界に活を入れました。
その後帰京し三十年代
[ 凡 例 ]
米沢市立病院
米沢市景観賞受賞の建築物
文化庁登録有形文化財(建築物)
東部幼稚園
5
7
駅
米沢信金
6 山 新杵屋
駅前支店
形
米澤牛DINING
銀
べこや
交番
佐々木写真館 行
サイクルパーク
RinRin
8
ゆあーず
R121
いぼころり地蔵
宮坂鯉店
第一中学校
住之江橋
8
9
かせないのが宮坂氏の鉄砲コレクショ
ン。そう、宮坂考古館の火縄銃は今でも
上杉まつりの砲術隊
奥
羽
本
線
・
山
佐氏泉公園 形
新
トヨタ
幹
レンタリース
線
かなつビル
きらやか
丸宮旅館
通 り
金内 銀行
酒店
2 ホテル 広場
萬金旅館
おとわ タクシー 米
松川弁当店 3
プール
1
バ
キムラ
成ル 4
沢 東口
金剛閣
米沢牛黄木
晩秋の佐氏泉公園
A
エリア
A
エリア
駅前通り界隈
米沢市駅前2-1-40 TEL.22-0124 FAX.22-0126
松川からの
米沢と松川
こ の 場 所 が もっと も 注 目 を 集 め る の
は、な ん と い っ て も 上 杉 ま つ り の ビ ッ
カー・野球などの練習や試合、観光イベ
松 川 は、 米 沢 市
を南東から北西に
グ イ ベ ン ト﹁ 川 中 島 合 戦 ﹂ の 時 で し ょ
ント会場としても利用されています。
貫流する河川で、山
う。上杉まつりは市民や高校生、観光客
が上杉・武田両軍に扮し、
形県の母なる川﹁最
上川﹂の上流にあた
戦 国 時 代 随一といわれた
合戦を再現する祭りです。
合 戦 ﹂会 場 が、この松川
そのハイライト﹁ 川 中 島
河川敷なのです。
り ま す。 ち な み に、
住之江橋から松川と
吾妻山を望む
﹁ 松 川 ﹂ とい う 名 称
は長井市で白川と
に合わせての雪ぼんぼり点灯な
合流するところまでで、それ以降は﹁最
また、この時 期、堤 防
の見事な桜並木、南にそ
客にも親しまれている松川は、
上川﹂と呼ばれます。
川中島合戦(5月 3日)
ど、四季折々、市民にも観光
この川は、市街地の近くを流れている
ということもあって、堤防や河川敷が整
びえる吾妻連峰の残雪が
こ と が で き る の も、
この場所の魅力です。
近年は、川をまたい
でたくさんの鯉のぼ
クセントを加えてい
りが泳ぎ、風景にア
く鯉のぼりは、まる
ます。春風にたなび
で元気に松川を泳い
松川をまたいで泳ぐ鯉のぼりと斜平山
でいるようで、見る
者をさわやかな気分にさせてくれます。
このほか、夏には花火大会や牛肉まつ
り、秋には芋煮会、冬には雪灯篭まつり
11
備され、市民にもっとも親しまれていま
地元ならではのお
酒を取り揃えてま
す。試飲OKなの
で是非どうぞ。
まさに米 沢 を 代 表 する 顔の
駅前を歩くとすぐに目に入
る日よけ暖簾が目印の酒店。
3 代目店主がご先祖様への敬
意を込め、初代の字(あざな)
を銘柄にしました。山形県産
酒造好適米「出羽燦々」を使
い酒蔵と共同開発した逸品。
口に含んだ時のさわやかな芳
香とすっきりとした喉越しが
楽しめる辛口の酒。米沢の銘
酒が揃っており、米沢の風情
と人情に触れながら試飲も楽
しめます。
形作る﹁白馬の騎士﹂な
三代目店主自慢の酒
「三代目権右衛門」
す。特に相生橋と住之江橋の周辺は河川
米沢市駅前3-4-2 TEL.23-1192 FAX.24-3371
ひとつとなっています。
㈲金内酒店
ど、 米 沢 を 代 表 す る 美
[email protected]
Mail
敷が広く、グラウンドや公園として整備
休
駐
なし なし 15台
しい景色をまとめて見る
営
URL
http://www.hotel-otowa.com/
され、市民の散歩やジョギング、またサッ
ぜひ一度建物と勝
海舟の書を見に来
てくださいね!
明治30年創業、駅前ホテルとして開業した歴史の
宿。国の登録文化財に指定された本館の趣はそのまま
に、3年前に現代ホテルとしてリニューアルオープン。
木造 3 階建てコンクリート塗りのレトロ感溢れる建物
は駅前でもひときわ目を引く。通人好みの和風の旧館
は部屋指定でご予約のお客様が多い。内装や什器に堆
朱を施した部屋、螺鈿細工に彩られた部屋等がある。
新館洋室1泊1名様食事なし4,500円∼、旧館和室1
泊 1 名様 6,000 円∼。
(料金は時期によって異なりま
すのでお問合せ下さい)
眺望
ホテルおとわ
創業百余年、文化人や著名人にも
愛された駅前ホテル
2
米沢の憩いのゾーン
1
芋煮鍋
松川堤防の桜と吾妻山の「白馬の騎士」
営
駐
休
8:30∼20:30 日曜日 5台
http://www.kanauchi-ajijiman.jp/
URL
[email protected]
Mail
10