中小企業の海外進出における 財務評価モデルとフィージビリティスタディ

中小企業の海外進出における
財務評価モデルとフィージビリティスタディ
~財務における 4 つの着眼点とコンサルティングフロー~
山田
伸英
クレイ・アカウンティングフォース(株)
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中小企業の海外進出における財務評価モデルとフィージビリティスタディ
~財務における 4 つの着眼点とコンサルティングフロー~
論文要旨
<目的と意義>
日本国内だけでは成長が望めない企業の海外進出は今後さらに加速する傾向にある。特
に小資本の中小企業の進出が増えることが予測される。財務における 4 つの着眼点と実際
のコンサルティングフローにより、現在の財務状況と海外進出に耐えうる状態の GAP を認
識し、企業における対応の幅を広げることを目的とする。
<課題>
・中小企業における経営基盤の脆弱性
・複眼的な視点で自社の数字を認識する人材の不足
・海外進出における財務判断基準の欠如
<内容>
・財務における 4 つの着眼点の解説
・財務評価モデルの 5 つの基軸の説明
・フィージビリティスタディの実例による分析とフィードバック
<成果と結論>
海外進出における事業計画の実現可能性を判断するだけでなく、親会社を含めた連結会
計発想による全体像の変化を把握することが不可欠である。海外進出前段階から情報統合
サイクルを社内に構築することにより、海外にかかわる人材を意識的に増やし、組織の対
応力を目指すことが中小企業の海外進出成功の可能性を上げる要因である。
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中小企業の海外進出における財務評価モデルとフィージビリティスタディ
~財務における 4 つの着眼点とコンサルティングフロー~
目次
第1章
はじめに(環境変化と中小企業の現状)
(1)経営環境の変化
(2)中小企業の現状
第2章
中小企業の海外進出における課題
(1)情報入手方法
(2)適任者の不在
(3)財務判断基準
第3章
財務における 4 つの着眼点
(1)貸借対照表の視点
(2)損益計算書の視点
(3)経営スピードの視点
(4)全体最適の視点
第4章
実践(コンサルティングフロー)
(1)自社診断テスト
(2)財務評価モデル
(3)フィージビリティスタディと分析
(4)フィードバック
おわりに(まとめと今後の課題)
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第1章
はじめに
(1)経営環境の変化
2008 年 9 月に発生したリーマンショックは結果として中小企業の海外進出を加速させた
ことは間違いない。当時を振り返ってみると、急激な環境の変化により利益構造が崩壊し、
貸借対照表上の借入残高と収益構造のアンバランスが生じた中小企業の多くは、過去の延
長線上でビジネスを構築することができなくなった。
経営と所有が分離されていない中小企業にとって会社の貸借対照表を一瞬にして改善す
る方法は外科的なスキームに頼らない限り難しいのが現状である。事業再生の案件に関わ
る段階において真っ先に行うべき事は、会社の持っている時間的猶予の把握であった。手
持ちの現預金と現状の資金繰り並びに金融機関への協力依頼(追加融資や返済方法の変更な
ど)により、その時点における会社の時間軸をとらえることは必要不可欠であった。と同時
に手持ちの現預金の中から収益構造を再構築するためと再成長に必要な戦略経費を予算化
し試行錯誤を実行する必要があった。
(2)中小企業の現状
その後再成長の道筋を模索する段階でアジアを中心とした海外の成長性に興味を示す中
小企業が増加した。図 2-1 の中小企業実態基本調査によると、資本金 3000 万円以下の中小
企業(製造業のみ)における平成 22 年 3 月時点の海外進出割合はわずか 1.42%である。資
本金 1 億円超の中小企業
(製造業のみ)
における海外進出割合である 24.71%と比較すると、
小資本の企業にとって海外進出は限定的であったと言える。
図 2-1 海外展開の状況(製造業のみ)
資本金
母集団企業数(社)
海外に子会社また
は関連会社等あり
割 合
3000 万円以下
3000 万円超
1 億円以下
1 億円超
計
243,799
23,690
3,322
270,811
3,471
2,278
821
6,569
1.42%
9.62%
24.71%
2.43%
※中小企業実態基本調査平成 22 年確報(平成 21 年度決算実績)より
海外進出検討から進出国の決定ならびに進出実行(現地拠点開設や生産開始)までには
通常 1 年半以上の時間が必要であり、平成 22 年中に進出した中小企業は平成 20 年夏頃に
は海外進出に対する情報収集をしていた会社であるとも言える。リーマンショック前後に
すでに海外進出を視野に入れていた会社が約 1 年半後である平成 22 年中に実際に進出して
いたと考えると、国内市場の停滞やアジアの好景気などのポジティブ情報に触れる機会が
顕著に増加した平成 22 年以降、国内市場だけでは成長が望めない中小企業が平成 23 年か
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ら平成 24 年にかけて海外進出を急増させているのは当然の流れである。
第2章
中小企業の海外進出における課題
中小企業が海外進出を検討する場合の課題としては以下の 3 つが上げられる。
(1)情報入手方法
JETRO や金融機関、取引先や同業他社などから現地情報の入手は安易になりつつある。
中小企業における進出国の決定には取引先がすでに進出している場合やクロスボーダー取
引として輸出による取引関係がある場合が多く、全く取引関係のない国にゼロから進出を
検討する場合の方が稀である。昨今の状況からみると情報不足による海外進出断念は考え
にくい。それでも各国の比較検討はする必要があり、中小企業の場合、経営者自らが現地
に興味を持つことも重要な要素である。
(2)適任者の不在
中小企業の特徴として、複眼的な視点で数字を理解できる管理者の数は限られている。主
要人材の海外赴任により国内の弱体化や混乱は避けたいものである。現実的には海外赴任
要員を選定し(中小企業の場合複数名の選定は望めない)、事前研修(知識研修だけでなく
ロールプレイ研修も効果的である)などにより、赴任予定者の適正把握や事前準備が重要
である。日本にてマネジメント経験の乏しいスタッフが現地にて経営判断をすることは現
実問題として不可能であり、安易な権限委譲は経営リスクの増加につながる。現地から適
切な情報を適時入手できる体制と支援環境を親会社側に構築することが中小企業のスピー
ド経営には必要である。
(3)財務判断基準
中小企業の場合、財務情報を開示していないため、各企業の差異が顕著に表れるにもかか
わらず比較分析できないのが現状である。他社の海外進出の成功要因が十分な財務力であ
る場合であってもその情報が正確に伝わらず、誤った進出成功分析で終わっているケース
が多い。と同時に海外進出前段階において、進出後の財務リスクを冷静に認識している中
小企業はあまりにも少ない。中小企業にとって最も差が出るのは財務力であり、企業にお
ける財務リスク認識の欠如こそ海外進出における最も重要な課題である。
本論文では、中小企業における海外進出の課題を「財務における 4 つの着眼点」からとら
え、海外進出検討段階において、自社の現状における財務評価モデルを把握し、現在の財
務状態と海外進出に耐えうる状態との GAP の認識や分析について実例を用いて解説する。
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第3章
財務における 4 つの着眼点
(1)貸借対照表の視点
初めて海外に子会社を設立する場合、日本の親会社による出資と貸し付け(親子ローン)
がほとんどである。海外子会社が直接現地金融機関から融資を受ける場合もあるが、その
場合親会社の保証を要求することが一般的である。土地などの担保評価に頼る融資とは異
なり、親会社の財務状況と海外子会社の事業計画を含めたグループ全体としての経営価値
を評価した上で融資を実行するため、連結会計発想により会社の全体像を金融機関に示す
必要性が高まる。
親会社が金融機関から融資を受け海外子会社を設立するまでの会計上の流れを図 3-1 から
図 3-4 で示した。図 3-1 より子会社設立前時点での親会社の自己資本比率は 30%である。
しかし図 3-2 を見ると子会社設立のために増加した借入金の影響により、親会社の自己資本
比率は 20%に減少している。借入金により子会社を設立する場合、親会社の自己資本比率
が悪化することを認識する必要がある。
図 3-1 貸借対照表 親会社
資産 100
負債 70
純資産 30
図 3-2 貸借対照表 親会社(海外子会社設立前)
現預金 50
新規借入金 50
負債 70
資産 100
純資産 30
図 3-3 貸借対照表 親会社(海外子会社設立後)
子会社貸付金 30
子会社有価証券 20
資産 100
新規借入金 50
負債 70
純資産 30
図 3-4 貸借対照表 海外子会社(設立直後)
資産 50
借入金 30
純資産 20
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親会社が金融機関から融資を受け海外子会社を設立した場合、図 3-3 のように親会社の負
債として借入金が増加し、子会社有価証券や子会社貸付金という資産が増加する。海外子
会社の事業を開始するために必要な設備投資や運転資金は資本金または親会社からの借入
金として会計処理する。この段階では親会社と海外子会社ともに貸借対照表上だけの会計
処理のため損益に影響を与えない。
(2)損益計算書の視点
海外子会社設立のために増加した借入金は親会社が金融機関に返済義務を負う。親会社は
この借入金に対する返済原資を何で確保するのだろうか。子会社有価証券として会計処理
した部分により発生する親会社におけるキャッシュインは子会社からの受取配当金である。
また子会社貸付金として会計処理した部分により発生する親会社におけるキャッシュイン
は子会社貸付金の返済と貸付金に対する受取利息である。
図 3-5 はトヨタ自動車の直近の決算数字である。連結決算書上の受取利息・受取配当金の
合計は 99,865 百万円であるが、単体の受取利息・受取配当金の合計は 505,958 百万円であ
る。連結対象会社間の会計取引は連結決算上で相殺されるため、受取利息・受取配当金に
おける連結と単体との差額である 406,093 百万円は、トヨタ自動車単体が受けた連結対象
会社からの受取利息・受取配当金であると考えられる。トヨタ自動車単体の営業利益は▲
439,805 百万円であり、子会社からの十分な受取利息と受取配当金があったことにより税引
き前利益の黒字化が可能になったとも言える。
図 3-5 トヨタ自動車損益計算書(単位:百万円)
科目
売上
営業利益
受取利息・
配当金
税引前利益
連結
単体
18,583,653
8,241,176
355,627
▲439,805
99,865
505,958
432,873
23,098
※トヨタ自動車株式会社平成 24 年 3 月期決算短信より
中小企業については、子会社からの利息や配当の未払だけでなく、親子ローンの返済自体
が滞っているケースが増加しており、海外進出後利益が見込めない子会社の対応が今後表
層化する。子会社から親会社への現金の流れが作れない場合、子会社設立のために発生し
た借入金は親会社が負担し続ける必要があり、親会社だけでどれぐらいの期間耐えること
ができるのかを把握することは重要な要素である。
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(3)経営スピードの視点
海外における人件費の安さは大きな魅力の一つである。一般的には製品のコモディティ化
は避けられず、製品に対する売上単価は下落傾向にある。と同時に安い人件費であっても
毎年高騰することを前提に事業計画を作成する必要がある。
装置産業である製造業が人件費の安い国で生産をした場合、売上対人件費割合は 10%を下
回ることも珍しくない。しかし、年間 20%の割合で人件費が高騰し続けた場合、売上金額
が同じだと仮定した場合、わずか 5 年で人件費割合は倍以上(20.74%)になる。同じ製品
を作り続けている場合、現地企業との価格競争やコモディティ化などによる売上単価の下
落傾向は避けられず、確実に利益を圧迫することになる。
人件費の安い国に進出した場合であっても、生産量の拡大や新製品導入による利益改善や
新しい販売ルートの開拓などの事業展開は避けて通れず、それに伴う継続的な設備投資が
発生する。特に今のアジアでは進出から継続的な投資のサイクルが早いスピードで循環し
ている。一時的な利益確保のため設備投資をおろそかにすると、数年先の事業の柱が崩壊
してしまう可能性を秘めており、市場の成長スピードに合わせて投資や改善を継続できる
かは本社の体力を含めて非常に重要な要素である。
始めて海外に進出する会社にとってこのスピード感覚について行くことが、継続的に利益
を出すための重要な要因であることを指摘したい。
(4)全体最適の視点
製造業が海外に進出する場合、海外子会社の責任者は製造のバックグランドを持った人材
が担うことが多い。たとえ部門別損益管理を導入している中小企業で計数管理に明るい人
材が海外責任者になる場合であっても、どこまで貸借対照表や資金繰りに対する理解がで
きているかを考えると疑問である。損益管理だけでは一つの側面からしか会社を見ている
ことにはならず、会社の全体像に対するリスクを放置することにもつながりかねない。
異文化環境下において限られた駐在人員で現地スタッフを管理し数字として結果を出す
ことは至難の業である。本来であれば親会社がどこまで海外子会社の経営負担を軽減する
ことができるかが重要であるが、現状では子会社の資金繰りリスクを親会社として回避す
ることが精一杯である。
このような状況から脱出するためには、管理レベルにおける親子間の情報共有が不可欠で
あり、共有した情報を統合し経営判断につなげるサイクルを海外進出前段階に構築する必
要がある。海外子会社を含めた会社の新しい全体像を把握するプロセスに親会社の管理部
門が関わることにより海外進出後の子会社の孤立を防ぐ意味もある。
新興国だからといって経理や人事などの専門スタッフのレベルが低いということはない。
高等教育を受けた現地スタッフは専門分野に対する興味や向上心が強い傾向にある。海外
子会社の責任者が管理部門に明るくなく、現地スタッフに対する専門分野における正当な
評価ができない場合、優秀な人材ほど転職していく。日本の親会社とのつながりを作るこ
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とにより現地の優秀な人材とのコミュニケーションをはかり、モチベーションの維持につ
なげることは優秀な現地人材の確保のためにも重要である。
また海外子会社の責任者からの情報は自分の専門性を通した視点からの情報発信であり、
時として一方通行になる場合がある。複数の視点から日本の親会社が情報を入手するルー
トを確保することは現状を正しく把握するためには必要である。
第4章
実践(コンサルティングフロー)
(1)自社診断テスト
実際のコンサルティングの流れを図 4-1 に示した。弊社独自に作成した自社診断テストに
より、自社の現状と海外進出という将来像における GAP を認識し、海外進出に耐えうる親
会社機能の課題抽出を目的とする。特に中小企業が陥りやすい海外進出における財務上の
問題点を示し、現状における自社の対応力を広げることを目的とする。
自社診断テストは財務や数値に関わる項目が 60 問と人や組織に関わる項目が 20 問の全
80 問で構成される。テストはすべて経営者と一部の経営層のみの少人数で回答することに
より経営層の数値理解度を知る目的を含む。その後ヒヤリング(通常 2 時間)をすること
により、経営層の経営感覚と社内で使用している現状の数値管理ツールとの符合や社内に
おける情報統合力レベルを分析する。
図 4-1 コンサルティングフロー
(1)自社診断テスト
GAP 認識
(2)財務評価モデル
優先順位化
(3)フィージビリティスタディ
分析
(4)フィードバック
(2)財務評価モデル
自社診断テストを基に作成する海外進出における財務評価モデルは図 4-2 のように 5 つの
基軸から構成されるレーダーチャートにして表示する。
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図 4-2 財務評価モデル
財務力
情報統合力
5
4
3
2
1
0
数値理解力
収益力
例
モデル
ビジネス特性
①財務力
自己資本比率や流動比率などの安全性に関する質問だけでなく、売掛金回収サイトと買掛
金支払いサイトの差や、貸し倒れ懸念や在庫構成などからリスクに対する対応力を確認す
る。また過去 3 年間の貸借対照表の数字の変化とキャッシュの動きから会社の現時点の財
務力だけでなく、現状が続いた場合の体力傾向を把握する。
②収益力
過去 3 年間の売上構成の変化を取引先と製品の視点から環境適応力を確認する。売上の
増減だけでなく季節変動による影響も含めた現時点の対応の幅を認識する。現状における
費用構成から営業利益率改善の視点と組織の取り組みの相違について分析する。
③ビジネス特性
現在利益を稼いでいる部門の海外移転を検討するのか、または国内では十分な利益を確
保できなくなった部門を海外移転するのか、海外移転の目的と移転後の事業の成長性を理
解する。特に海外における新規取引先ルート開拓と海外における開発力強化について会社
全体像の視点から認識レベルを把握する。
④数値理解力
売上構成の変化による在庫構成の変化の関連性や本業で稼いだ利益と現預金残高の関係
性など、経営層による複眼的な数字の見方とリスクに対する察知レベルを把握する。また
経営層の数値理解度を補うための管理体制の状況を分析することにより、現時点における
会社の財務的視野の広さを認知する。
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⑤情報統合力
経理部門に集まる数字情報と営業部門が持っている得意先情報を融合させる発想が社内
にあるかを確認する。また製造部門と営業部門で共通する情報の精査や経営層に対する情
報のフィードバックなど、組織内における部署間を越えた情報サイクル構築のレベルを把
握する。
レーダーチャート分析は財務を切り口としているため、数値理解力の軸については、財務
情報に対する経営層の理解度を重視する。財務評価モデルではマネジメントレベルやリー
ダーシップ能力について評価することを目的とするものではない。
(3)フィージビリティスタディと分析
現状のまま海外進出した場合どのようなことが起こりうるのかを知るためフィージビリ
ティスタディを行い、その分析結果とリスク認知により優先順位の再調整を行う。
ここでは実在する会社の経営環境をベースに、数字の一部を変え一連のフィージビリディ
スタディを紹介する。
①会社情報
株式会社 X
業種 菓子製造業
資本金 1,000 万円
従業員数 20 名
②経営環境の変化
創業から平成 14 年までの 20 年間は販売卸 A 社に対する売上が 80%以上を占めていた。
しかし強引な値下げ交渉が頻繁に続いたため販売卸 A 社に依存しない経営を目指す判断を
行った。その後 5 年かけて百貨店催事ルートと土産物業者に対する OEM ルート(共同開
発)の開拓に成功。その結果として、平成 22 年には販売卸 A 社に対する売上割合は 30%
まで減少し、百貨店催事売上割合は 10%、OEM 製品売上割合は 30%と増加した。その後、
香港で開催された菓子即売会で好評となり、中国本土への輸出ルートの開拓に成功。貿易
に関わる売上割合は 10%まで増加した。
(残り 20%はその他卸販売とネット販売)
。
東日本大震災後、販売卸 A 社を通じて大手コンビニ向け製品に対する特需が発生。しか
し震災後の観光客激減による OEM 製品売上と百貨店催事売上が減少。売上総額は前年以上
を確保できているが、結果として販売卸 A 社に対する売上依存度が 60%超となった。
長年の取引関係から価格交渉の優位性は販売卸 A 社が握っており、原材料や燃料費の高
騰を価格に転嫁できない苦しい状態である。
平成 22 年より仕掛けてきた中国とのネットワークが実を結び、中国本土の食品会社との
タイアップによる新しい販売ルートに成功。日系大手食品卸 C 社を仲介企業とする輸出の
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ための貸し倒れリスクを回避できることも大きなメリットである。直近の数字では貿易に
関する売上割合は 20%まで増加。C 社の提案により、中国本土だけではく東南アジアにも
販売ルートを広げる検討を開始した。
現在の工場稼働率は生産能力の 80%程度である。大手コンビニ向け製品の売れ行きが好
調のため、アジアの販売が順調に増加した場合、2 年以内に工場生産能力の上限に達すると
予想している。今後も高い成長性が見込める海外に注力する場合、より市場に近いところ
で生産する必要性から、海外工場建設を検討するプロジェクトチームを設置した。
③海外進出に対する諸条件
・中国だけでなく東南アジアへの展開を考慮して生産工場をベトナムに設置すると仮定
・主原料と調味料は日本から輸出
・副原料や梱包資材などは現地調達
・設備投資金額を抑え手焼き工程を増加
・海外販売はすべて日系大手食品卸 C 社を経由
・C 社に対する売掛金回収サイト 45 日
・工場責任者と生産管理担当者の 2 名を日本から出向
・新製品開発も現地対応
④財務状況の認識
図 4-3 の直近貸借対照表によると、親会社の自己資本比率は 50.67%である。図 4-4 の直
近の損益計算書によると、損益分岐点売上は約 37,325 万円であり、損益分岐点安全度は
110.4%である。図 4-5 より海外子会社の設立と創業に必要な資金(8,000 万円)をすべて
借入金でまかなうと、親会社の自己資本比率は 32.48%に減少する。増加した借入金を含め
た元金返済金額は年間 1,000 万円である。子会社設立後の海外売上については子会社から
の出荷並びに子会社における売上とする。なお便宜上親会社の売掛金、棚卸し資産、買掛
金などは海外子会社に関わるもの以外の増減はないものとする。
図 4-3 親会社直近貸借対照表 (単位:円)
現預金
41,905,000
買掛・未払金
41,094,000
売掛金
45,848,000
借入金
26,329,000
棚卸し資産
10,433,000
その他
3,000,000
固定資産
41,500,000
負債の部計
70,423,000
3,084,000
純資産の部計
72,347,000
負債・純資産合計
142,770,000
その他
資産の部計
142,770,000
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図 4-4 親会社直近損益計算書 (単位:円)
売上
412,000,000
原材料等
206,000,000
外注費
12,360,000
製造固定費
100,940,000
製造原価合計
319,300,000
売上総利益
92,700,000
販売管理費計
74,000,000
営業利益
18,700,000
支払利息
487,000
経常利益
18,213,000
図 4-5 子会社設立後親会社貸借対照表 (単位:円)
現預金
41,905,000
買掛・未払金
売掛金
45,848,000
借入金
106,329,000
棚卸し資産
10,433,000
その他
3,000,000
固定資産
41,500,000
負債の部計
150,423,000
8,084,000
純資産の部計
72,347,000
負債・純資産合計
222,770,000
その他
子会社貸付金
55,000,000
子会社株式
20,000,000
資産の部計
222,770,000
41,094,000
※最低限必要な現預金残高 20,000,000 円
※※原材料支給によりその他(未収入金)5,000,000 円増加
※※※借入元金返済合計は年間 10,000,000 円
図 4-6 設立直後の子会社貸借対照表 (単位:円)
現預金
5,000,000
売掛金
0
借入金
55,000,000
5,000,000
その他
0
棚卸し資産
固定資産
その他
資産の部計
70,000,000
0
80,000,000
買掛・未払金
5,000,000
負債の部計
60,000,000
純資産の部計
20,000,000
負債・純資産合計
80,000,000
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図 4-7 子会社設立 1 年後の親会社の損益計算書(単位:円)
売上
329,600,000
原材料等
168,096,000
外注費
製造固定費
製造原価合計
9,888,000
95,400,000
273,384,000
売上総利益
56,216,000
販売管理費計
68,000,000
営業利益
▲11,784,000
支払利息
1,008,000
経常利益
▲12,792,000
※減価償却費 6,200,000 円含む
図 4-8 設立 1 年後の子会社損益計算書(単位:円)
売上
96,000,000
原材料等
33,600,000
0
外注費
製造固定費
製造原価合計
30,700,000
643,000
売上総利益
31,700,000
販売管理費計
30,000,000
営業利益
1,700,000
支払利息
1,650,000
経常利益
5,000
※減価償却費 7,300,000 円含む
図 4-9 設立 1 年後の子会社貸借対照表(単位:円)
現預金
6,200,000
売掛金
棚卸し資産
固定資産
その他
資産の部計
買掛・未払金
19,850,000
18,000,000
借入金
55,000,000
8,000,000
その他
0
62,700,000
0
94,900,000
負債の部計
74,850,000
純資産の部計
20,050,000
負債・純資産合計
94,900,000
※親会社に対する買掛金残 13,200,000 円、未払利息 1,650,000 円含む
※※フォークリフト 1 台(900,000 円)購入予定のため資金繰りに余裕なし
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⑤分析結果
親会社で発生していた海外売上分(20%)は海外子会社からの出荷に切り替わるため親
会社の売上は減少する。売上減少分を補うだけの新しい商流や製品が親会社で間に合わな
いため、コスト削減に取り組んでも大幅な赤字となる。図 4-7 より、親会社の予想営業キャ
ッシュフローは▲6,592,000 円となる。図 4-9 によると、親会社に対する買掛金残高と未払
利息残高が残っており親会社の資金を圧迫している。結果として親会社の営業キャッシュ
フローは▲21,442,000 円となる。図 4-9 より子会社の借入残高に変更はないということは
子会社からの借入金返済が実行されていない。親会社は借入金総額を自身の手持ち資金か
ら拠出する必要がある。従って親会社の最終キャッシュフローは▲31,442,000 円となり、
わずか 1 年後に親会社として最低限維持するべき現預金残高を下回る可能性が判明した。
(4)フィードバック
現状の製造ラインを見ると、過去に大きな投資をしてこなかったため、人手に頼る生産
体制と慢性的な外注依存の状態であった。また設備の老朽化による歩留まりの悪化も抜本
的な改善に着手できていなかった。そこで、海外進出よりも先に現状の製造工程を変える
ための設備投資を優先するケースを試算した。約 3000 万円の設備投資を行うことにより、
大幅な歩留まりの改善と外注委託部分の内製化が可能となるため、設備投資に対するコス
ト削減効果が予測できた。一連の設備投資により工場の生産能力は現状の 1.4 倍に増加する
ため、海外販売ルートの拡大や国内ネット販売強化に対する臨機応変な生産にも対応可能
となる。
現状から予測する生産量の増加を加味すると、営業利益率を 8%程度まで高めることが想
定される。生産効率により価格競争力が増すため、戦略的な価格設定の幅を持つことも可
能となるため、海外進出から国内における生産体制の強化を優先することを提案した。
現状の体力から判断する親会社の時間的猶予を把握することにより、会社全体の企業価
値を増大させるための優先順位を再設定することにつながった。中小企業が大きな投資を
検討する場合、金融機関との協力関係は不可欠であり、今後の展開を見据えた情報開示並
びに情報共有を金融機関と行う重要性は今後さらに増加するものと思われる。
おわりに(まとめと今後の課題)
中小企業における海外進出の成功の可能性は会社の財務力と経営者の関わり方が大きな
要因となる。今の財務力だけでなく、進出後の財務シナリオを把握することにより会社の
優先順位が明確になり選択肢の幅が広がる。進出前段階から会社内に点在する情報を経営
層の意思決定に役立つツールに変える情報統合サイクルをミドルマネジメントと共有する
ことにより、全社最適の視点から海外子会社との関わりを意識的に強化する体制構築が可
能となる。一連の着眼点とコンサルティングフローが中小企業の海外進出の後押しと成長
に役立てば幸いである。
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