伊那の歴史年表5 - 伊那北高校関東15期会

伊那の歴史年表5:古墳~奈良編
250~794年(545年間)
考古時代->歴史時代へ
1 年代5区分の流れ:略100年の5分割区分でのイベント一覧
2 545年間 神政政治->ヤマト政権の政治->飛鳥~奈良の律令政治へ
3 特記事項
天皇家と朝鮮半島、磐井の乱、松島王墓古墳、令制国・科野(信濃)十郡、壬申の乱、東山道、八色の姓
4 遺跡の分布
5 古墳~奈良時代の年表:各年のイベント一覧(伊那との関連は太字)
1.年代5区分の流れ
区分
西暦
期間
古墳1
250~363
114年
古墳2
364~477
114年
古墳3
478~591
114年
飛鳥
592~709
118年
聖徳太子、大化の改新、
邪馬台国、神功皇后、神
行政
ヤマト政権
ヤマト政権->大和朝廷 飛鳥浄御原令、大宝律
政政治
令
22清寧、23顕宗、24仁顕 33推古、34舒明、35皇極
16仁徳、17履中、18反正
天皇 、25武烈、26継体、27安 、36孝徳、37斉明、38天
(神功皇后)、15応神
、19允恭、20安康、21雄
赤字は女性
閑、28宣化、29欽明、30 智、39弘文、40天武、41
略
敏達、31用命、32崇俊
持統、42文武、43元明
魏・呉・蜀->晋, 倭の遣使
が重ねて入貢_『晋書』邪
中国
晋->南北朝
南北朝->隋
隋->唐
馬台国からの最後の入
貢
新羅・百済・高句麗, 倭が
朝鮮 三韓(馬韓・弁韓・辰韓) 三国(新羅・百済・高句麗)朝鮮半島内の領土・任那 統一新羅
4県を百済に割譲
400倭vs新羅+高句麗の 527筑紫の国造・磐井の 663白村江の戦い、672
戦乱 戦い->倭軍が新羅から 乱、534武蔵国造の乱
壬申の乱
撤退
大和震源域の大地震(日
災害
本書紀)、天竜洪水
上伊那が大和朝廷の支 郡の下に50戸編成の郷
配下へ
、科野国に諸牧
旧東山道・杖突峠/ウトウ
(縄文中期からの遠信古
交通
峠ルート、難波~飛鳥の大
道->秋葉街道)
道(国道)開通、駅伝制
魏志倭人伝、書聖_王義
百済から漢字を倭国へ、
百済の聖明王から仏教
蹴鞠、暦、最古の戸籍、
文化文明
之
"相撲"の文字出現
&蹴鞠伝来、京都・葵祭 和同開珎
信濃・伊那
下伊那がヤマト政権の
支配下へ
1
奈良
710~794
85年
養老律令、開元律令
44元正、45聖武、46孝謙
、47淳仁、48称徳、49光
仁、50桓武
唐、渤海
統一新羅
大隅国で隼人が反乱
遠山地震、三河・遠江の
地震、美濃・飛騨地震、
天然痘の大流行
諸国郡郷は好字制で改
められる_科野->信濃
新東山道_木曽路ルート
古事記、日本書紀、万葉
集、天覧相撲
猪名氏(朝鮮からの建築 百済から多くの難民が列 桓武天皇の生母が百済
集団)が伊那部へ
島へ(20万人)
から
帰化人
首都 難波高津宮
山瀬の筒城、弟国
斑鳩宮、飛鳥板蓋宮、難
波宮、川原宮、岡本宮、 平城京、恭仁京、難波宮
大津京、飛鳥浄御原宮、 、紫香楽、長岡京
藤原宮
広島_厳島神社、辰野・矢
彦神社、諏訪大社・信濃
須波の神、大山田神社、
静岡_秋葉神社
飯田市_本多善光が坐光
百済から善光寺本尊、飛 寺を創建->元善光寺へ
鳥寺の造営開始
、長野・善光寺、広隆寺
、法隆寺、薬師寺
仁徳天皇陵、全国に前 箕輪松島_王墓古墳、小 キトラ古墳、高松塚古墳
方後円墳
規模古墳が多数
大御食神社_美しの杜_草
神社
伊勢神宮外宮の創建
薙の剣
仏閣
古墳・遺跡 前方後円墳(大和~瀬戸
内)
宇佐神宮、春日大社、坂
上田村麻呂が羽広の里
を通った祭に戦勝祈願で
大山田神社に参拝
唐招提寺、秋篠寺、清水
寺、延暦寺、三千院、高
遠・香福寺、東大寺、鞍
馬寺
古墳がなくなり仏閣へ
2.545年間 神政政治->ヤマト政権->飛鳥~奈良の律令政治へ
神権政治or神政政治
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%A8%A9%E6%94%BF%E6%B2%BB
国家の政体の1種で、特定宗教を統括する組織と、国家を統治する機構が実体的に同等な場合である。対比概念は世俗主義である。
国家の統治者(達)が優勢な宗教の指導者(たち)と実体的に同等な場合、つまり国家元首なり執政官なりを宗教の指導者である教主や大神官
などが兼任している場合の国家の政体である。
卑弥呼は邪馬台国に居住し、鬼道で衆を惑わしていたという(事鬼道、能惑衆)。
卑弥呼 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%91%E5%BC%A5%E5%91%BC
ヤマト政権と大和朝廷
伊那谷牧師の雑考
http://zios.seesaa.net/article/161535976.html
ヤマト政権:「邪馬台」「山門」「山戸」「大和」「大養徳」「倭」「和」など漢字が不安定なので「ヤマト」としている、一つの地方豪族の連合体政権。
大和朝廷:「朝廷」は天皇・貴族による中央集権政治の意味合いがある、26代・継体天皇(507年即位)以降としている。
奈良県・藤原宮発掘で多数の木簡、その中に「科野国伊奈評(シナノノクニイナノコオリ)」の記述があった。
(「評:こおり」は「郡:こおり」と同じ意味、大宝律令(702)で評->郡に変わった)
「いな」の標記は伊那・伊奈・猪名・韋那等々数種類になるが、使用されている漢字の違いは問題ではなく、読み方「音on」が「いな」であることが重要。
(http://www.valley.ne.jp/~zaza/omotegi-no-hanashi.htm)
部民制(ベミンセイ):ヤマト王権の制度であり、王権への従属・奉仕の体制、朝廷の仕事分掌の体制をいう。
語部(カタリベ)・馬飼部(ウマカイベ)・額田部(ヌカタベ)・犬養部(イヌカイベ)・弓削部(ユゲベ)・麻績部(オミベ)・刑部(オサカベ)・大伴部(オオトモベ)・蘇我部(ソガベ)・日下部(クサカベ)、など。
律令制の実施に伴い部は廃止されていき、称号としての性格をもつようになった。670年(天智9)の庚午年籍(コウゴノネンジャク)以後、すべての人民が戸籍に登録されるよう
になると、部称は個人の姓として残され、以後は代々父系によって継承されることになった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%A8%E6%B0%91%E5%88%B6
2
律令政治
飛鳥浄御原令
あすかきよみはられい
689年:飛鳥時代
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9B%E9%B3%A5%E6%B5%84%E5%BE%A1%E5%8E%9F%E4%BB%A4
日本の飛鳥時代後期に制定された体系的な法典。令22巻。律令のうち令のみが制定・施行されたものである。
日本史上、最初の体系的な律令法と考えられているが、現存しておらず、詳細は不明な部分が多い。
公式に国名を「日本」とした最初であり、「大王(オオキミ)」から「天皇」へ呼称も変更した。
大宝律令
たいほうりつりょう
701年:飛鳥時代
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%AE%9D%E5%BE%8B%E4%BB%A4
「律」6巻・「令」11巻の全17巻、唐の律令を参考にしたと考えられている。日本史上初めて律と令が揃って成立した本格的な律令である。
律:刑法、令:主に行政法/訴訟法や民事法も
律令:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8B%E4%BB%A4
3.特記事項
天皇家と朝鮮半島
50代・桓武天皇(781年即位)の生母は「続日本紀」によれば百済の25代・武寧王(在位:502年~523年)を始祖とする渡来人の子孫
武寧王の子・聖明王は,日本に仏教を伝えた(552年)天皇の寿命:日本書紀は信用できない
磐井の乱
527年(継体21年):古墳時代
朝鮮半島南部へ出兵しようとした近江毛野(オウミノ・ケウ)率いるヤマト王権軍の進軍を筑紫君・磐井がはばみ、翌528年(継体22年)11月、
物部麁鹿火(モノノベノ・アラカヒ)によって鎮圧された反乱、または王権間の戦争。この反乱もしくは戦争の背景には、朝鮮半島南部の利権を巡るヤマト王権と、
親新羅だった九州豪族との主導権争いがあったと見られている。
松島王墓古墳
585年頃:古墳時代末期
上伊那にあるただ一基の前方後円墳で、くびれた部分の左右に丸い作り出しが付いた県下唯一の車塚形式の古墳。
6世紀中頃、敏達天皇の皇子頼勝親王の墓と伝えられ、全長58m高さ7.7mの前方後円墳。
http://www.minowa-town.jp/kankou/cat47/cat48/post_26.html
3
令制国・科野(信濃)十郡
645年:飛鳥時代
http://homepage3.nifty.com/utukusinomori/newpage3-5.html
現在は全13郡+木曽郡
奈良時代 信濃国の郡と郷(『倭名類聚鈔』の記載による)
http://www.asahi-net.or.jp/~yk7y-kmi/sub329.htm
645年・飛鳥時代
1.佐久郡
2.伊那郡
3.高井郡
4.埴科郡
5.小県郡
6.水内郡
7.筑摩郡
8.更級郡
9.諏訪郡
10.安曇郡
奈良時代の郷
太字が現・上伊那郡内に相当
伊那郡 小村:現・伊那市南方
諏訪郡 佐補:旧中箕輪村
壬申の乱
東山道
現在
美理,大村,大井,刑部,青治,茂理,小治 7
伴野,小村ヲムラ,麻績,福智フクチ,輔衆 5
穂科,小内,稲向,日野,神戸 5
倉科,磯部,舩山,大穴,屋代,英多,坂城 7
童女,山家,須波,跡部,安宗,福田,海部 7
芋井,太田,芹田,尾張,大島,古野,赤生,中島 8
良田,崇賀,辛犬,錦服,山家,大井 6
麻績,村上,当信,小谷,更科,清水,斗女,池郷,氷鉋 9
土武,佐補サフ,美和ミワ,桑原,山鹿,返良テラ 6
高家,八原,前科,村上 4
1.南佐久郡、2.北佐久郡
3.上伊那郡、4.下伊那郡
5.上高井郡、6.下高井郡
7.埴科郡
8.小県郡
9.上水内郡、10.下水内郡
11.東筑摩郡
7.埴科郡
3.上伊那郡、12.諏訪郡
13.北安曇郡
福智:現・伊那市富県福地を中心にした一帯
美和:旧高遠町
返良:旧手良村
672年:飛鳥時代
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%AC%E7%94%B3%E3%81%AE%E4%B9%B1
日本古代最大の内乱戦争で、天智天皇の太子・大友皇子(弘文天皇の称号を追号)に対し、皇弟・大海人皇子(後の天武天皇)が
地方豪族を味方に付けて反旗をひるがえしたものである。反乱者である大海人皇子が勝利するという、例の少ない内乱であった。
大海人は東国の豪族(信濃を含む)を味方とし関が原に集結、大友は西国を味方にしたが結束が弱かった。
東国兵の騎兵の多くが信濃国の豪族兵であった。既に馬の産地であり牧が各地に散在し、騎馬戦術を得意とした。
名称の由来は、天武天皇元年は干支で壬申(じんしん、みずのえさる)にあたるためによる。
瀬田橋の戦い(滋賀県大津市唐橋町)で近江朝廷軍が大敗すると、翌日に大友皇子(弘文天皇)が自決し、乱は収束した。
翌天武天皇2年(673年)2月、大海人皇子は飛鳥浄御原宮を造って即位(天武天皇)した。
畿内から東北・北上盆地へ至る幹線道路、大河が多い東海道より安全であった。
30里(約16km)ごとに駅馬(ハユマ)10匹を備えた駅家(ウマヤ)が置かれていた。
信濃国府(松本)と京都との間は、京都へ21日(税等を携行)、松本へ10日であった。
680年 杖突峠~佐久へのルートの整備
飛鳥時代
702年 小野・善知鳥峠(ウトウ峠)~松本へのルートの整備
飛鳥時代
713年 木曽路~松本へのルートの整備
奈良時代
4
八色の姓
ヤクサノカバネ
684年:飛鳥時代
天武天皇時代
真人(まひと)・朝臣(あそん)・宿禰(すくね)・忌寸(いみき)・道師(みちのし)・臣(おみ)・連(むらじ)・稲置(いなぎ)の8種の姓。
豪族達のランク付け、例えば真人(まひと)は天皇の近親者のみに与えられ、朝臣(あそん)は中臣氏などの一部例外を除き、
それまで天皇の子孫と称していた豪族に与えられた。あとは、豪族達に出自によって割り振りし、天皇家一族を上位のランクインさせた。
5
4.遺跡の分布
信州考古学探検隊
http://homepage3.nifty.com/himegappa/
長野県史考古資料編主要遺跡 南信
http://homepage3.nifty.com/kamosikamiti/iseki/kensi/kensi-nan.html
諏訪地方
よみがな
遺跡名
コウモリ塚古 こうもりづか
墳
あおづか
青塚古墳
一時坂古墳
いっときざか
諏訪市
フネ古墳
守屋山麓古
墳群
姥塚古墳
ふね
もりやさんろく
うばづか
諏訪市
諏訪市・茅野 市
茅野市
大塚古墳
おおつか
茅野市
古墳時代
古墳
遺跡
鬼戸窯跡
おにど
市町村
岡谷市
備考
下諏訪町
県史跡
岡谷市
本城・本城1・ ほんじょう・ほん 諏訪市
じょう1・2ごう
2号古墳
しもかにがわら 茅野市
下蟹河原
上伊那地方
よみがな
遺跡名
市町村
松島王墓古 まつしまおう 箕輪町
はか
墳
下伊那地方
遺跡名
飯沼雲彩寺
古墳
高岡1号古
墳
新井原12号
古墳
畦地1号古
伊那市「上牧里山づくり」のブログ
墳
妙前大塚古
http://ameblo.jp/satoyama13/entry-11778840765.html
墳
長野県下には4,000基ほど、上伊那に200基、伊那 代田1号古
市に100基ほど記録にあるが最近の開発で現状幾 墳
つか把握できていない(古墳について)
兼清塚古墳
塚原二子塚
古墳
馬背塚古墳
御猿堂古墳
正清寺古墳
家の上古墳
郭1・2号古
墳
山岸・天伯A
・B
清水
備考
城
伊久間原
神坂峠
1
よみがな
市町村
いいぬまうんさいじ
上郷町
備考
県史跡
たかおか1ご
う
あらいばら1
2ごう
あぜち1ごう
みょうぜんお
おつか
しろた1ごう
飯田市
県史跡
飯田市
飯田市
飯田市
飯田市
けんせいづか
つかはらふた
ごづか
ませづか
おさるどう
しょうせいじ
いえのうえ
飯田市
飯田市
飯田市
飯田市
飯田市
豊丘村
くるわ1・2ごう 喬木村
やまぎし・て 鼎町
県史跡
県史跡
現飯田市
んぱくA・B
しみず
飯田市
じょう
いくまっぱら
みさかとうげ
豊丘村
喬木村
阿智村
国史跡
歴史時代 遺跡名
5c後半から 大久保B
よみがな
おおくぼB
市町村
岡谷市
備考
遺跡名
中道
よみがな
なかみち
飛鳥時代~ 榎垣外
えのきがいと
岡谷市
箕輪
みのわ
小坂城跡
おさかじょう
岡谷市
福島
ふくしま
市町村
備考
箕輪町大出 大墓古墳出
土
箕輪町
縄文/弥生/
中世/近世
伊那市
大熊城跡
旧御射山
おおくまじょう
もとみさやま
寺平
てらだいら
飯島町
足場
あしば
諏訪市
諏訪市・下諏 訪町
富士見町
2
よみがな
遺跡名
恒川遺跡群 ごんが
市町村
飯田市
備考
松尾南の原 まつおみなみ 飯田市
杉の木平
のはら
すぎのきだい 阿智村
ら
5.古墳~奈良時代の年表
古墳時代
(118_景行天皇48)
(248_神功皇后48)
250_神功皇后50
251_神功皇后51
252_神功皇后52
253_神功皇后53
254_神功皇后54
255_神功皇后55
256_神功皇后56
257_神功皇后57
258_神功皇后58
259_神功皇后59
260_神功皇后60
261_神功皇后61
262_神功皇后62
263_神功皇后63
264_神功皇后64
2015.6.05
一般
外交/交通、公園、治水/利水
250-591(342年) 考古学上は”3世紀半ば~7世紀末”
(赤穂)大御食神社の創建
邪馬台国・卑弥呼没
この頃 邪馬台国王は宗女・壱与へ
中国・魏/呉/蜀
中国・呉の初代皇帝・孫権が没70歳
仁徳天皇生誕
中国・魏の曹奐(元帝)即位(-265年)
中国・魏が蜀を滅ぼす、欧州・ガリア帝国起こる
中国_邪馬台国から魏への最後の入貢、魏->晋156
年~420、倭の遣使が重ねて入貢_『晋書』
倭の女王「壱与」が晋へ朝貢
中国_泰始律令(西晋)
265_神功皇后65
266_神功皇后66
267_神功皇后67
268_神功皇后68
269_神功皇后69
270_応神天皇01
271_応神天皇02
272_応神天皇03
273_応神天皇04
274_応神天皇05
275_応神天皇06
276_応神天皇07
277_応神天皇08
7
神社仏閣、学校、文化文明
神功皇后没99歳
15代・応神天皇即位
欧州・ガリア帝国滅亡
大御食神社_宮簀姫(ミヤズヒメ)を迎え美女ヶ森(びじょがもり)と称し
た
278_応神天皇09
279_応神天皇10
1
280_応神天皇11
281_応神天皇12
282_応神天皇13
283_応神天皇14
284_応神天皇15
285_応神天皇16
286_応神天皇17
287_応神天皇18
288_応神天皇19
289_応神天皇20
290_応神天皇21
291_応神天皇22
292_応神天皇23
293_応神天皇24
294_応神天皇25
295_応神天皇26
296_応神天皇27
297_応神天皇28
298_応神天皇29
299_応神天皇30
300_応神天皇31
301_応神天皇32
302_応神天皇33
303_応神天皇34
304_応神天皇35
305_応神天皇36
306_応神天皇37
中国・呉の滅亡
「辰韓」から西晋への朝貢が途絶える
「馬韓」から西晋への朝貢が途絶える
中国・官僚_陳寿没64歳(三国志の編者)
南米・マヤ文明(1524年まで1225年続く)
中国_書聖_王義之~361
中国が五胡十六国へ(136年間~439年まで)
大御食神社_尾張国熱田宮より草薙剱の御霊代、美しの杜に坐す
宮簀姫ミヤスヒメを迎え、所の名を「美しの杜(現:美女ヶ森)」と名付
けた
307_応神天皇38
308_応神天皇39
309_応神天皇40
310_応神天皇41
311_応神天皇42
312_応神天皇43
313_仁徳天皇01
314_仁徳天皇02
魏志倭人伝_三国志_陳寿~297
15代・応神天皇没111歳
16代・仁徳天皇即位
皇居=難波高津宮
中国(朝鮮)_帯方郡が滅亡
2
315_仁徳天皇03
316_仁徳天皇04
317_仁徳天皇05
318_仁徳天皇06
319_仁徳天皇07
320_仁徳天皇08
321_仁徳天皇09
322_仁徳天皇10
323_仁徳天皇11
324_仁徳天皇12
325_仁徳天皇13
中国・西晋が滅び東晋へ
現大阪市生野区・猪甘津橋(イカイツノハシ)が架けられる(日本書紀)_
日本最古の木造橋
326_仁徳天皇14
346_仁徳天皇34
347_仁徳天皇35
353_仁徳天皇41
355_仁徳天皇43
356_仁徳天皇44
361_仁徳天皇49
369_仁徳天皇57
375_仁徳天皇63
393_仁徳天皇81
磐之媛命:仁徳天皇の皇后歿(日本書紀による)
朝鮮半島で百済建国
百済王・余句が中国へ朝貢
王羲之が書道史有数の名作「蘭亭序」を書く
敦煌_莫高窟の開始
朝鮮半島で新羅が建国
書家_王義之没58歳_中国・東晋時代
395_仁徳天皇83 この頃 下伊那がヤマト王権下へ
396_仁徳天皇84
397_仁徳天皇85
398_仁徳天皇86
399_仁徳天皇87
16代・仁徳天皇歿143歳
400_履中天皇01
17代・履中天皇即位
朝鮮へ大規模な遠征
(ゲルマン大移動開始)
(古代オリンピックの廃止(293回、1169年間))
この頃百済の王仁(ワニ)博士が漢字を倭国へ伝え
た、(ローマ帝国が東西分裂)
朝鮮半島で百済が高句麗に大敗
百済が倭国と友好を結び太子の腆支を人質に送っ
た
百済と倭が和通(好太王碑文)
5万の大軍で高句麗が新羅を救援(好太王碑文)・
倭軍が新羅から撤退
401_履中天皇02
亀茲の僧・鳩摩羅什が長安で仏典を翻訳
新羅が倭国と国交を結び奈勿王の王子・未斯欣を
人質とした
402_履中天皇03
403_履中天皇04
倭が帯方地方に侵入_高句麗が倭を大敗させた(好
太王碑文)
404_履中天皇05
405_履中天皇06
17代・履中天皇歿69歳
3
406_反正天皇01
407_反正天皇02
408_反正天皇03
18代・反正天皇ハンゼイ即位
ローマ帝国ブリタニア放棄->アングロサクソンがグレートブリテン
へ
409_反正天皇04
410_反正天皇05
411_反正天皇06
412_允恭天皇01
413_允恭天皇02
414_允恭天皇03
18代・反正天皇ハンゼイ没75歳?
19代・允恭天皇インギョウ即位
欧州・西ゴート王国の建国、アレキサンドリアでユダ
ヤ人追放
415_允恭天皇04
416_允恭天皇05
417_允恭天皇06
418_允恭天皇07
419_允恭天皇08
420_允恭天皇09
438_允恭天皇27
中国_宋(南朝)の成立
この頃大古墳が造られる
453_允恭天皇42 19代・允恭天皇インギョウ没78歳、20代・安康天皇即
位
454_安康天皇01
455_安康天皇02
456_安康天皇03
457_雄略天皇01
469_雄略天皇13
476_雄略天皇20
477_雄略天皇21
478_雄略天皇22
20代・安康天皇没56歳
21代・雄略天皇即位
最古の女相撲(相撲の文字出現)
西ローマ滅亡
伊勢神宮外宮創建
479_雄略天皇23
21代・雄略天皇没62歳
480_清寧天皇01
481_清寧天皇02
482_清寧天皇03
483_清寧天皇04
484_清寧天皇05
485_顕宗天皇01
486_顕宗天皇02
22代・清寧天皇即位
倭王武が宋_順帝に上表文を奏上(宋書倭国伝)
中国・宋->斉、倭王武が斉に使者派遣_鎮東大将軍
に任命(『南斉書』)
(欧州・フランク王国507年間~987年まで)
22代・清寧天皇没41歳?
23代・顕宗天皇即位(播磨国から)
4
487_顕宗天皇03
23代・顕宗天皇没38歳
488_仁顕天皇01
24代・仁顕天皇即位(播磨国から)
489_仁顕天皇02
490_仁顕天皇03
491_仁顕天皇04
492_仁顕天皇05
493_仁顕天皇06
494_仁顕天皇07
495_仁顕天皇08
496_仁顕天皇09
497_仁顕天皇10
498_仁顕天皇11
24代・仁顕天皇没50歳、25代・武列天皇即位
499_武列天皇01
500_武列天皇02
501_武列天皇03
502_武列天皇04 倭王武_梁に使者を派遣_征東将軍に任命(「梁書」)
503_武列天皇05
504_武列天皇06
505_武列天皇07
506_武列天皇08
25代・武列天皇没18歳
26代・継体天皇即位(越前国から)、この年以前は
507_継体天皇01
ヤマト政権・以降は大和朝廷
508_継体天皇02
509_継体天皇03
510_継体天皇04
511_継体天皇05
山背の筒城(京都府綴喜郡)に宮を遷す(紀)
512_継体天皇06
513_継体天皇07
514_継体天皇08
515_継体天皇09
516_継体天皇10
517_継体天皇11
518_継体天皇12
弟国(京都府乙訓郡)に宮を遷す(紀)
527_継体天皇21
528_継体天皇22
529_継体天皇23
中国_太和律令(北魏)
高句麗から皮革工が伝わる
中国_嵩山少林寺の創建_達磨の禅寺
百済・25代_武寧王が即位~523年
中国_天監律令(梁)
大明暦が官暦に採用
倭が朝鮮半島内の領土・任那4県を百済に割譲
京都・葵祭の始まり(上賀茂&下賀茂神社)
筑紫の国造・磐井の乱(新羅と通じ倭国侵攻を拒
む)
磐井斬殺される(『日本書紀』)
5
530_継体天皇24
531_継体天皇25 26代・継体天皇没82歳?, 27代・安閑天皇即位
532_安閑天皇01
533_安閑天皇02
534_安閑天皇03 武蔵国で国造の地位を巡る内紛(武蔵国造の乱)
27代・安閑天皇退位/28代・宣化天皇即位、全国に
535_安閑天皇04
屯倉(ミヤケ)を多く置く(ヤマト王権の直轄地)
536_宣化天皇01
27代・安閑天皇没70歳
537_宣化天皇02
538_宣化天皇03
539_宣化天皇05
28代・宣化天皇没73歳、29代・欽明天皇即位
540_欽明天皇01
541_欽明天皇02
542_欽明天皇03
550_欽明天皇11 この頃上伊那がヤマト王権/大和朝廷下へ
新羅が金官国(伽耶の一国)を併合
筑前_大宰府
(百済の聖明王から仏教&蹴鞠伝来?、552年の説も)
渡来人(秦氏・漢氏)の戸籍作成
(東ローマ_ペスト流行)
この頃「猪名氏」(朝鮮半島からの建築技術集団_
摂津から)が現・伊那市周辺を支配->伊那部
551_欽明天皇12
552_欽明天皇13
553_欽明天皇14
554_欽明天皇15
555_欽明天皇16
556_欽明天皇17
557_欽明天皇18
558_欽明天皇19
559_欽明天皇20
560_欽明天皇21
561_欽明天皇22
562_欽明天皇23
563_欽明天皇24
564_欽明天皇25
565_欽明天皇26
566_欽明天皇27
567_欽明天皇28
568_欽明天皇29
569_欽明天皇30
天皇が仏像の礼拝を群臣に問う_賛成は蘇我稲目/
反対は大伴・物部・中臣->*稲目に仏像を下げ渡す
百済の聖明王から善光寺本尊の献呈・仏教の伝来、*蘇我稲目
の屋敷内に寺を建て仏像を拝む
(後の推古天皇生誕)
任那と加羅が新羅に滅ぼされる
中国_河清律令(北斉)
高麗人の頭霧唎耶陛が投化して山背国に置かれた
6
570_欽明天皇31
571_欽明天皇32
572_敏達天皇01
573_敏達天皇02
574_敏達天皇03
575_敏達天皇04
576_敏達天皇05
577_敏達天皇06
29代・欽明天皇没63歳
30代・敏達天皇即位
大分県・宇佐神宮の起源
聖徳太子の生誕
578_敏達天皇07 現存世界最古の企業_金剛組創業(宮大工、堺市)
579_敏達天皇08
580_敏達天皇09
中国_隋が周皇帝から禅譲され建国38年間~618、
開皇律令(隋 - 文帝)
581_敏達天皇10
582_敏達天皇11
583_敏達天皇12
584_敏達天皇13
585_敏達天皇14
30代・敏達天皇歿47歳、31代・用命天皇即位(仏教
を信じた初めての天皇)
この頃、敏達天皇の第五皇子_頼勝親王の墓_松島王墓古墳
586_用明天皇01
仏教に帰依せんことを群臣に諮る, 蘇我馬子(仏派)
587_用明天皇02 が物部守屋(反仏派)を滅ぼす、31代・用明天皇没
48歳
588_崇俊天皇01
32代・崇俊天皇即位
589_崇俊天皇02
590_崇俊天皇03
飛鳥寺の造営開始(百済から仏舎利・技術者が派遣される)
中国_隋がシナを統一(文帝)
591_崇俊天皇04
飛鳥時代
592~709(118年)
崇峻天皇暗殺40歳by馬子, 女性_33代・推古天皇即
592_崇峻天皇05
位、豊浦宮(トユラノミヤ)・明日香村
593_推古天皇01
飛鳥寺の仏堂・歩廊の起工、東山_法観寺
広島_厳島神社の創建、飛鳥寺の塔心礎に仏舎利を納めて心柱を
建立、大阪・四天王寺創建(聖徳太子)
聖徳太子が摂政へ&四天王寺敬田院の創設
594_推古天皇02
595_推古天皇03
596_推古天皇04
597_推古天皇05
奈良・飛鳥寺=法興寺の主要伽藍が完成_蘇我馬子
7
598_推古天皇06
599_推古天皇07
中国(浙江省)・天台山天台寺
倭(大和)震源域の大地震_『日本書紀』
新羅と任那(みまな)が戦う(倭国は任那を救援に出
600_推古天皇08
兵)
倭国より遣隋使開始(「隋書」)~618年まで
601_推古天皇09
聖徳太子が斑鳩宮(いかるが)を建立
来目(くめ)皇子が将軍となって新羅征討出兵するも
602_推古天皇10
中止へ
冠位十二階by太子、小墾田宮(オハリダノミヤ)・明日香
603_推古天皇11
村
604_推古天皇12
十七条憲法_聖徳太子、暦使用
605_推古天皇13
聖徳太子_斑鳩宮_建立
飯田市_本多善光が坐光寺を創建->元善光寺へ
京都太秦_広隆寺_(真言宗)
隋_大運河建設~610、科挙試験始まる
606_推古天皇14
小野妹子を隋へ2回目の派遣をし国書を送る(日本
書紀)、中国_大業律令(隋 - 煬帝)
小野妹子が裴世清(ハイセイセイ)らと帰国、第3回遣隋
使として小野妹子が高向玄理(タカムコノクロマロ)・南淵
請安(ミナミブチノショウアン)らと再度隋に行く
遣隋使小野妹子らが帰国
607_推古天皇15
608_推古天皇16
609_推古天皇17
610_推古天皇18
高句麗の僧・曇徴が紙・墨・絵具の製法を日本に伝
える
第4回遣隋使を派遣、中国_京杭大運河が完成
611_推古天皇19
隋が高句麗に遠征(~614年)するも失敗
612_推古天皇20
百済人の味摩之が帰化した
613_推古天皇21
難波~飛鳥の大道(オオジ、国道)開通
最後の遣隋使として犬上御田鍬(イヌガミノミタスキ)らを
派遣
犬上御田鍬らが帰国する
614_推古天皇22
615_推古天皇23
616_推古天皇24
617_推古天皇25
618_推古天皇26
619_推古天皇27
620_推古天皇28
621_推古天皇29
622_推古天皇30
623_推古天皇31
玄奘三蔵~664
推古天皇が鞍作鳥(くらつくりのとり)に飛鳥大仏(丈六の金銅仏)
を造らせる
飛鳥大仏(丈六の金銅仏)を飛鳥寺金堂に納める
聖徳宗_法隆寺創建by聖徳太子&推古天皇
マホメット・イスラム教を起す
聖徳太子が三経義疎のひとつ「勝鬘経義疎(ショウマンキョウギショ)」を
著す
奈良・当麻寺創建_開基・麻呂古王
聖徳太子が三経義疎のひとつ「維摩経義疎(ユイマキョウギショ)」を著
す、奈良_達磨寺_臨済宗南禅寺派
蘇我馬子の病気平癒を願って男女千人出家する
聖徳太子が三経義疎のひとつ「法華経義疎」を著す
尾道_浄土寺_太子開祖_真言
中国_唐がシナを統一_290年間~907年まで
「天皇記」「国記」by太子&馬子
中国_開元通宝銭
聖徳太子妃 橘大郎女(タチバナノオオイラツメ)が天寿国曼陀羅繍帳を
つくる
聖徳太子没49歳
新羅が任那を討つ/倭が軍を任那へ&新羅を討つ、
中国_則天武后~705
8
法隆寺金堂釈迦三尊像を鞍作鳥につくらせる
蘇我馬子が葛城県(奈良県)を要求するも天皇許さ 中国_均田制/租庸調制の実施、中国_武徳律令(唐
ず
- 高祖)
626_推古天皇34
蘇我馬子没_伝76歳、蘇我蝦夷が大臣となる
627_推古天皇35
628_推古天皇36 33代・推古天皇没75歳(遺詔を巡って群臣争う)
629_舒明天皇01
田村皇子即位->34代・舒明天皇即位
舒明天皇が宝皇女を皇后とする、飛鳥岡本宮・明 第1回遣唐使として犬上御田鍬(イヌガミノミタスキ)らを
630_舒明天皇02
日香村
唐に派遣する~894
624_推古天皇32
631_舒明天皇03
632_舒明天皇04
633_舒明天皇05
634_舒明天皇06
635_舒明天皇07
636_舒明天皇08
舒明天皇が有馬温泉へでかける
岡本宮が火災,田中宮へ遷都(橿原市)
蝦夷が反乱・上毛野形名(かみつけねのかたな)を
637_舒明天皇09
将軍として出兵させる
638_舒明天皇10
639_舒明天皇11
舒明天皇が伊予温泉へでかける
厩坂宮(ウマサカノミヤ)(橿原市)
640_舒明天皇12
641_舒明天皇13
34代・舒明天皇没49歳
宝皇女->女性_35代・皇極天皇即位、蘇我入鹿が国
642_皇極天皇01
政を執る、小墾田宮に移る
飛鳥板蓋宮(アスカイタブキノミヤ)(明日香村)へ遷都、蘇
643_皇極天皇02 我入鹿が山背大兄王(聖徳太子の子)を襲撃->王
は斑鳩寺で自害する
644_皇極天皇03
百済の義慈王の王子豊璋が人質として来日する
犬上御田鍬らが帰国する
浅草_金龍山浅草寺_聖観音宗
中国_玄奘三蔵旅へ
玄奘バーミヤン訪問
イスラム_ムハンマド没62歳
中国_「隋書」完成
中国_貞観律令(唐 - 太宗)
百済宮・百済大寺・奈良県の建立が始まる_九重塔が建つ
南淵請安・高向玄理ら(隋->唐から)帰国
蘇我倉山田石川麻呂が山田寺建立・桜井市を始める
善光寺が飯田市から長野市へ、8.22天覧相撲_朝鮮(百済)使者を
接待
長野・善光寺の本堂創建、富士川流域で「常世の虫」信仰が広ま
るが秦河勝(はたのかわかつ)が鎮める
蘇我蝦夷・蘇我入鹿が甘樫丘に家を建てる
大化の改新_令制国の一つに科野(シナノ)があり伊 *中大兄皇子・中臣鎌足ら蘇我入鹿を宮中で暗殺、
那を含む10郡で成立, 35代・皇極天皇退位、軽皇子 蘇我蝦夷自殺(乙巳の変)、「天皇記」「国記」が焼
645_大化01
諏訪・善光寺の開基(本田善光)、安倍文殊院・桜井市
->36代・孝徳天皇、中大兄皇子が皇太子へ、*、大 失する、吉野で出家した古人大兄王を謀反の罪で
阪・難波長柄豊碕宮へ遷都
討つ
改新の詔宣せらる_郡制で科野国伊那郡の設置_郡
646_大化02 の下に50戸編成の郷を置く(郷名は不明)、班田収
授法の施行
647_大化03
公地公民とする、天皇有馬温湯に行幸する、七色
十三階の冠位を制定
高向玄理を新羅に派遣、律令_駅伝制
薄葬令を出す(墓の簡素化)
高向玄理が帰国
秦楽寺_秦河勝の築_奈良県
648_大化04
649_大化05
冠位十九階とし八省・百官とする、蘇我倉山田石川
麻呂が謀反の疑いをかけられ自害する
9
650_白雉01
651_白雉02
長門国国司が白雉(キジ)を献上
難波長柄豊碕宮(ナニワナガラトヨサキノミヤ)・大阪市
中国_永徽律令(唐 - 高宗)
戸籍をつくり50戸を里とする、難波長柄豊碕宮が完
652_白雉03
諏訪大社へ朝廷から勅使が派遣される
成
中大兄皇子が皇極上皇・大海人皇子・天皇妃で皇
653_白雉04 子の妹間人皇子を伴って飛鳥河辺行宮に移る
第2回遣唐使船の1隻が薩摩沖で沈没する
穂高神社
中臣鎌足に紫冠を授ける、36代・孝徳天皇没59歳@
654_白雉05
善光寺本尊が秘仏へ
難波宮
女性_37代・斉明天皇即位(35代皇極天皇と重祚ジュ
655_斉明天皇01 ウソ)at飛鳥板蓋宮、この宮が焼失し飛鳥川原宮・明
日香村へ遷都
後飛鳥岡本宮・明日香村へ遷都後消失、両槻宮・ *斉明天皇は後に「狂心の渠」(タブレゴコロのミゾ)とい
656_斉明天皇02
八坂神社/飛鳥岡本宮/吉野宮の創建
吉野宮を造る、 宮の東の山に石垣を造る*
われる運河をのべ3万人を動員して造った
657_斉明天皇03 有馬皇子が狂人をよそおい,紀伊の牟婁温泉で療養
飛鳥寺の西でタイの使節を招いて盂蘭盆会(うらぼんえ)を開催
阿倍比羅夫が蝦夷を討つ、200人余りの蝦夷が飛
鳥に来朝する, 斉明天皇が紀温湯に出かける, 孝徳
658_斉明天皇04 天皇の子_有馬皇子が謀反の疑いで捕えられ紀伊
藤白坂で処刑される
阿倍比羅夫が蝦夷を討ち, 蝦夷を連れた坂合部連
659_斉明天皇05
石布(サカイベノムラジイワシキ)らを第4回遣唐使として派
出雲大社_神殿の修理
遣する
唐と新羅が百済を滅ぼす(唐・新羅の同盟), 百済
660_斉明天皇06 斉明天皇が百済救援に出るため難波宮に移る
将軍鬼室福信(キシツフクシン)が救援の使者を日本へ
中大兄皇子が漏刻(ろうこく-水時計)をつくる
送ってくる
1月・斉明天皇が出発, 伊予熟田津の石湯行宮に着
5月・朝倉橘広庭宮(アサクラタチバナノヒロニワノミヤ)・福岡県 く, 3月・筑紫の娜大津に着く、8月・阿倍比羅夫と阿
661_斉明天皇07 、7月・37代・斉明天皇没68歳/中大兄皇子が政務 曇比羅夫を百済救援の将軍とする、9月・百済の王
子豊璋を送る
5月・阿曇比羅夫が170隻の船で出兵,豊璋を百済
に送る、百済の王子豊璋を百済の王とする
662_天智天皇01
*百済の王子豊璋が高句麗に逃亡、9月・日本軍が 3月・上毛野稚子ら兵27000人が新羅へ出兵、6月・
663_天智天皇02 百済の難民とともに帰国、この後百済から日本へ多 百済の王子豊璋が将軍鬼室福信を殺害、8月・白
くの難民が流入(20万人?)
村江(ハクスキノエ)の戦_唐・新羅が倭・百済に大勝*
664_天智天皇03
2月・26の冠位を制定
対馬,壱岐,筑紫に防人(さきもり)狼煙(のろし)を
置き,太宰府防衛のための水城を築く
665_天智天皇04
8月・筑紫の大野,基山,長門に城を築く
2月・百済の男女400余人を近江に置く、坂合部連
石積(サカイベノムラジイワツミ)らを第5回遣唐使として派
遣する
10
玄奘_大般若経_全600巻
玄奘三蔵没62歳
666_天智天皇05
667_天智天皇06
668_天智天皇07
669_天智天皇08
670_天智天皇09
671_天智天皇10
672_弘文天皇01/
天武天皇01
673_天武天皇02
674_天武天皇03
675_天武天皇04
676_天武天皇05
百済の男女2000余人を東国に置く
3月・近江・大津京遷都、琵琶湖・「瀬田の唐橋」再
建、11月・大和高安城・讃岐屋島城・対馬金田城を
「草薙の剣」が僧・道行により熱田神宮から盗まれる->宮中で保管
築く
1月・38代_中大兄皇子が即位し天智天皇となる、2
月・倭姫王を皇后/大海人皇子を皇太弟、5月・天智
唐と新羅が高句麗を滅ぼし、唐は平壌に安東都護
天皇らが蒲生野で薬猟/大海人皇子が長槍を床に
近江に崇福寺を建てる
府を置く
突き刺し天皇激怒->中臣鎌足がおさめる、近江令
が完成
10月・中臣鎌足に大織冠・大臣が授けられ藤原姓と 第6回遣唐使を派遣、百済の男女700余人を近江蒲
なる->藤原鎌足が没する
生郡に置く
2月・全国的に戸籍を作る(庚午年籍)
4月・法隆寺が消失
12月・38代・天智天皇没46歳、1月・大友皇子太政
大臣、10月・大海人皇子_出家し吉野へ
6月・壬申(じんしん)の乱、7月・39代・弘文天皇(大友
皇子)没25歳・自決、8月・近江軍の将軍らを処刑、
飛鳥浄御原宮(キヨミハラノミヤ)遷都
2月・40代・天武天皇(大海人皇子)即位&鵜野皇女
12月・百済大寺を大官大寺と改める、大舎人寮(律令制度の官吏
を皇后とする、7月・不破関を置く
の養成機関)
辰野_矢彦神社:朝廷の勅使が下向し新宮を造営
1月・占星台をたてる
1月・国司任命制度を制定、4月・畿外の豪族や才能
ある百姓への任官の道を開く
677_天武天皇06
10月・文武官人の位階昇進制度を定める、十市皇
女が自殺
5月・天武天皇らが皇后や6皇子らと吉野へ行幸、
679_天武天皇08
11月・竜田山/大坂山に関を置く
678_天武天皇07
旧東山道の整備(美濃~中津川~(神坂峠)~阿智
村園原~伊那~(杖突峠)~諏訪~佐久)
680_天武天皇09
681_天武天皇10
682_天武天皇11
683_天武天皇12
684_天武天皇13
685_天武天皇14
4月・国の官寺を定める、11月・藤原宮_薬師寺_天武天皇
2月・飛鳥浄御原令の編纂を開始する(律令制定の
命令)、草壁皇子が皇太子となる
7月・隼人が来朝する
2月・大津皇子が政治に参画する
白鳳地震M8~8.3、 10月・八色の姓制定
1月・冠位48階を改める
1月・難波宮焼失、9月・40代・天武天皇没56歳->皇
686_朱鳥1 后が政治、10月・大津皇子が謀反の罪で自害(24
歳)
687_持統天皇01
10月・皇太子が大内陵を造る
688_持統天皇02
11月・天武天皇が檜隅大内陵に葬られる
4月・銅銭を用いることとし銀銭を禁じた
中国_垂拱律令(唐 - 武則天)
9月・伊勢神宮式年遷宮制を定める
天武天皇の病気が「草薙剣」の祟りとわかり剣は再び熱田神宮に
11
689_持統天皇03
1月・鵜野皇女が吉野へ行く、4月・草壁皇子が没(2
8歳)、6月・飛鳥浄御原令の完成(律令制度)
1月・鵜野皇女が即位し41代・持統天皇へ(天智天
690_持統天皇04 皇の娘)、7月・飛鳥浄御原令の官制を施行/高市皇
子が太政大臣となる、9月・庚寅年籍(コウインネンジャク)
691_持統天皇05
692_持統天皇06
693_持統天皇07
694_持統天皇08
695_持統天皇09
696_持統天皇10
12月・藤原宮(橿原市)へ遷都
国宝・中国・唐・細字法華経(1部7巻)
9月・新羅に小野毛野(オノノケノ)らを派遣する
この頃 科野国(シナノノクニ)伊奈評(コホリ)から藤原宮
へ献上品
10月・薬師寺が完成する
699_文武天皇03
700_文武天皇04 科野国に諸牧が開かれる
701_大宝01
伊勢神宮第1回式年遷宮(20年毎)
諏訪大社に「信濃須波」の神を祀る、朝廷から勅使の派遣
7月・高市皇子が没する(43歳)
41代・持統天皇譲位し孫の軽皇子が42代・文武天
697_文武天皇01
皇として即位
698_文武天皇02
双六(すごろく)禁止令
この頃、キトラ古墳(奈良県明日香村)_円墳
西箕輪・与地に大山田神社(大国主命)_聖武天皇の直筆
伊那盆地・天竜洪水の記録(上伊那郡史)、8月・大
宝律令(律令制度)の撰定完成
松尾大社_京都市嵐山_朝鮮からの帰化人・秦氏が居住
東山道の伊那郡(宮田・深沢)->(小野・ウトウ峠・塩
2月・大宝律令の施工、最古の戸籍・郷大宝令の施 尻)->筑摩郡ルートが開通、6月・粟田真人/山上憶
702_大宝02 工(地名の変更)、「評コホリ」から「郡コホリ」へ
良/僧道慈らを第7回遣唐使として派遣(遣唐使が「
日本」を初めて使用)
703_大宝03
元・41代・持統天皇没58歳_最初の火葬
諏訪大社へ朝廷から勅使が派遣される
704_慶雲01
遣唐使の帰国
705_慶雲02
中国_神龍律令(唐 - 中宗)
この頃、高松塚古墳(奈良県明日香村)_円墳
706_慶雲03
6月・42代・文武天皇没25歳、7月・43代・元明天皇
707_慶雲04/元明01
即位・女帝
708_和銅01
武蔵国から銅を献上
和同開珎の鋳造
709_和銅02
秋葉神社(静岡県浜松市)
奈良時代
710_和銅03
711_和銅04
712_和銅05
710~794(85年)
3月・元明天皇が平城京へ遷都
中国_太極律令(唐 - 睿宗)
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藤原氏の氏寺厩坂寺を移転し興福寺とする、伏見稲荷大社
太安万侶(おおのやすまろ)&稗田阿礼_『古事記』を撰上
新東山道が開通(続日本記)_難所・神坂峠を避け
5月・元明天皇が諸国に「風土記」の編集を命じる、
713_和銅06 諸国郡郷は好字制で改められる_科野->信濃
木曽路(吉蘇(キソ)路)ルートで信濃国府・覚志(現・
松本市村井)へ
714_和銅07 遠山地震
三河国・ 遠江国地震_天竜川が塞き止められ、数十
日後に決壊して洪水(『続日本紀』)
715_ 霊亀01 9月・43代・元明天皇退位、44代・元正天皇即位・女
帝、 「里」を「郷」に改め郷の下に里を置いた
716_霊亀02
阿部仲麻呂/吉備真備/僧玄昉ら唐に留学
717_養老01
百姓の違法出家を禁じ行基の活動を禁圧
藤原不比等らに律令(養老律令)を選定させる
718_養老02
719_養老03
畿内・西海道以外の諸国に按察使を置く
720_養老04
大隅国で「日向の隼人」が反乱、8月・藤原不
比等が没する(63歳)
721_養老05 信濃国と諏訪国に分離、44代・元明天皇没61歳
722_養老06
723_養老07
4月・三世一身法を定め開墾を勧める
44代・元正天皇退位、2月・45代・聖武天皇即位(藤
724_神亀01
原不比等が祖父へ)
725_神亀02
726_神亀03
727_神亀04
728_神亀05
2月・長屋王の変-漆部勲足ら長屋王の謀反を密
729_天平01 告し長屋王は自害する、光明子が聖武天皇の皇后
へ
730_天平02
731_天平03 信濃国と諏訪国が再統合
732_天平04
733_天平05
734_天平06
735_天平07
736_天平08
737_天平09
天然痘大流行
正倉院宝物布袋墨書で伊那郡小村郷のこと判る
738_天平10
(交易布一段納入)
京都嵐山_法輪寺_真言宗
薬師寺を平城京に移転する
5月・舎人親王_日本記(日本書紀) 30巻系図1巻を奏上
太安万侶没
陸奥国の多賀城
宇佐神宮_八幡宮総本宮
後期難波宮の整備
「渤海」から使者_919年まで続く
学制改革
薬師寺東塔,興福寺五重塔、神田明神、学制改革2
大伴旅人歿66歳
山上憶良歿73歳、調布市深大寺_天台宗
8.10天覧相撲
奈良_般若寺_聖武天皇
中国_開元25年律令(唐-玄宗)
武蔵国分寺着工_20年後に完成
740_天平12 郷里制から郡郷制に移行、12月・恭仁京造営開始
741_天平13
恭仁京遷都(クニキョウ、現・木津川市)
2月・天皇が諸国に国分寺/国分尼寺の建立の詔
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742_天平14
8月・滋賀県/紫香楽遷都
743_天平15
744_天平16
5月・墾田永年私財法
2月・難波宮・大阪市へ遷都
5月・平城京へ戻す、8月・天皇が総国分寺(東大寺)
745_天平17
建立を発願する
746_天平18
747_天平19
748_天平20
44代・元正天皇没69歳
749_天平勝宝01 45代・聖武天皇退位、7月・46代・孝謙天皇即位
750_天平勝宝02
751_天平勝宝03
752_天平勝宝04 753_天平勝宝05
754_天平勝宝06
755_天平勝宝07
756_天平勝宝08
10月・大仏建立の詔を出す
玄宗が楊太真を貴妃へ(楊貴妃)
行基が大僧正/大仏殿
奈良_新薬師寺_華厳宗、9月・東大寺大仏の鋳造が始まる
行基歿81歳、東大寺大仏完成/宇佐八幡入京
(アッバース朝イスラム帝国508年~1258)
唐サラセンの戦い/アッバース朝に敗れる
1月・唐より大伴古麿が鑑真を伴って帰国する
日本最古の漢詩集「懐風藻」が成立
4月・東大寺大仏開眼_華厳宗総本山
国宝・奈良薬師寺・仏足石
6月・聖武天皇の遺品を東大寺に収める(正倉院)、国宝・法隆寺献
物帳
5月・45代・聖武天皇没56歳
5月・養老律令の施行
46代・孝謙天皇退位、8月・47代・淳仁天皇即位、坂
758_天平宝宇02
上田村麻呂の生誕
759_天平宝宇03
760_天平宝宇04
761_天平宝宇05
762_天平宝宇06 美濃・飛騨・信濃(岐阜・長野)でM7以上の地震
763_天平宝宇07
藤原仲麻呂(恵美押勝)の乱_伊那郡の大領(郡司
の長)金刺八麻呂が孝謙上皇方に立って活躍
764_天平宝宇08 (Wikipedia)
47代・淳仁天皇退位、10月・48代・称徳天皇が即位
(孝謙天皇重祚)
47代・淳仁天皇没33歳、道鏡が太政大臣禅師と
765_天平神後01
なる
766_天平神後02
弓削道鏡ユゲノドウキョウ_法王へ
767_神護景雲01
続日本紀_全国から善行の9人が朝廷から褒美、そ
768_神護景雲02 の内4人までが信濃の国、1人が他田部舎人千代
売と言う名の未亡人で節婦が理由_伊那郡の人
高遠_香福寺_(真言宗)
757_天平宝宇01
万葉集、8月・奈良_唐招提寺の建立_律宗総本山by鑑真
5月・鑑真が没する
(カール大帝・フランク国王に即位)
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奈良_春日大社創建
769_神護景雲03
和気清麻呂が道鏡即位に反対し大隅に配流
46代・孝謙天皇/48代・称徳天皇没53歳、49代
770_宝亀01 ・光仁天皇即位、道鏡_下野国に配流, 和気清
麻呂を召還
771_宝亀02
772_宝亀03
773_宝亀04
774_宝亀05
775_宝亀06
776_宝亀07
777_宝亀08
778_宝亀09
779_宝亀10
780_宝亀11
781_天応01 50代・桓武天皇即位(生母は百済からの渡来人)
782_延暦01
49代・光仁天皇没73歳
783_延暦02
784_延暦03
11月・長岡京(向日市)へ遷都
785_延暦04
大友家持没67才
786_延暦05
787_延暦06
788_延暦07
789_延暦08
鞍馬山鞍馬寺_鞍馬弘教総本山
渤海国史が能登に漂着
奈良_秋篠寺_光仁天皇
京都_音羽山清水寺_北法相宗大本山(田村麻呂が建立)
奈良県宇陀市_室生寺_(真言宗室生寺派大本山)
最澄_比叡山延暦寺創建
坂上田村麻呂が羽広の里を通った祭に戦勝祈願で大山田神社
に参拝
最澄_天台_三千院
坂上田村麻呂が東蝦平定
790_延暦09
791_延暦10
吉備真備らの制定した律令24条を施行
792_延暦11 健児の制(治安維持)、京畿に斑田(口分田)を行う
793_延暦12
794_延暦13
10月・平安京(京都市)へ391年間~1185
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