ありがとう。そしてこれからも。 日本トルコ友好 125周年事業 開催 彬子女王殿下が﹁殉職されたエル ゥールル号の乗組員、そして、そ ト 係者、樫野地区の皆さんらが参列。 式典には、 彬子女王殿下、 チチェッ 議長をはじめ、トルコ共和国の関 キ た。国内からは、武居智久海上幕僚 業列席のために串本を訪問されまし ト・メリチ駐日トルコ大使らが本事 軍総司令官、アフメット・ビュレン 議長、ビュレント・ボスタノール海 らジェミル・チチェッキ大国民議会 心に刻み一生忘れることはありませ た。 こ の こ と を 我 々 ト ル コ 国 民 は、 す。事故当時、大島の島民が遭難者 コ国民を代表して感謝を申し上げま に会場を移し執り行われました。 陸上追悼式典は串本町文化センター のため、洋上追悼式典が中止となり、 典を執り行う予定でしたが、悪天候 トゥールル号遭難慰霊碑前で陸上式 当初はトルコ軍艦ゲディズ号にお て 洋 上 追 悼 式 典、 樫 野 崎 の エ ル い 弔いました。 3日には、追悼式典が執り行われ、 ルトゥールル号殉難将士の御霊を エ ご列席いただきました。 和歌山県議会議長ほか各界代表者に 幸海上自衛隊呉地方総監、前芝雅嗣 長、仁坂吉伸和歌山県知事、伊藤俊 1890年、トルコ軍艦エルトゥールル号が串本沖で遭難。 乗組員580余名が命を落とした悲劇から今年で125年。 遭難事故で亡くなり、日本トルコ友好の礎となった 将士の冥福と両国の友好がさらに発展することを願い、 日本トルコ友好125周年事業が開催されました。 様々な変更が生じるも、 厳かに行われた追悼式典 6月2日から4日にかけて開催さ た 日 本 ト ル コ 友 好1 25 周 年 事 れ 業。 のご遺族の皆様に深く哀悼の意を表 その後、献花が行われ、大島小中 ん。 ﹂と追悼文を奏上されました。 期間中は、彬子女王殿下をお 開催 えするとともに、トルコ共和国か 迎 します。先人たちの築きあげてきた へと両国の歴史を繋ぎ続けていただ い手として次の130年、150年 し、お一方お一方がその架け橋の担 野崎の慰霊碑前でも急きょ追悼式典 また、トルコ共和国の関係者から い要望があり、4日の早朝に、樫 強 が追悼歌を斉唱しました。 校の子どもたちと樫野地区の方々 学 の救助、手厚い介護をしてくれまし ます。また、日本国民に対し、トル 日ト友好の歴史に改めて想いをいた け た ら と 願 っ て お り ま す。 ﹂と追悼 チェッキ議長らが殉難将士に黙祷と が 執 り 行 わ れ、 彬 子 女 王 殿 下、 チ の御言葉を述べられました。 祈りを捧げました。 ①文化センターに会場を移し行われた追悼 式典。②追悼の言葉を述べられるチチェッ キ議長。③追悼文を奏上する田嶋町長。④ 献花されるメリチ大使ご夫妻。⑤大島小学 校児童を代表して献花する山 雄大君・中 西真央さん。⑥献花される彬子女王殿下。 上/追悼歌を斉唱する大島小中学校児童生徒と樫野区の皆さん。 左/4日早朝に急きょ執り行われた樫野崎のエルトゥールル号遭難慰霊 碑での追悼式典の様子。 4 6 1 3 2 7 12 広報くしもと 2015 年 7 月号 広報くしもと 2015 年 7 月号 13 また、チチェッキ議長が﹁125 前に起きた遭難事故で犠牲となっ 年 左上/殉難将士に追悼の言葉を述べられるボスタ ノール海軍総司令官。右上/同じく追悼文を述べ られる武居幕僚長。下/黙祷を捧げるトルコ海兵。 8 9 ⑦追悼の御言葉を述 べられる彬子女王殿 下。⑧追悼文を述べ る仁坂和歌山県知 事。⑨献花されるチ チェッキ議長ご夫妻。 た殉難将士のご冥福をお祈りいたし トルコ共和国から来航したトルコ軍艦ゲディズ号。 追悼式典 5
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