タイ王国・スタディツアー 報告書 - 一般財団法人 青少年国際交流推進

タイ王国・スタディツアー2014
報告書
一般財団法人 青少年国際交流推進センター
施設での様子
職業訓練ワークショップのバティック染めを体験する(ムーバーンデック)
CONTENTS
I.
タイ王国・スタディツアー2014 概要
2
1. 趣旨
2. 研修企画、旅行企画・実施、後援
3. 日程
4. 参加者人数
5. プログラム内容
II.
研修企画・後援団体、関連協力団体について
3
1. 一般財団法人 青少年国際交流推進センター(研修企画)
2. 日本青年国際交流機構(IYEO)(後援)
3. 「東南アジア青年の船」事業タイ事後活動組織(ASSEAY Thailand)(後援)
4. Fund For Friends (FFF)
III.
タイ王国・スタディツアー2014 スケジュール
4
IV.
訪問した児童養護施設について
6
1. 子どもの村学園ムーバーンデック
2. タンマヌラック
3. FORDEC(フォルデック)
V.
For Hopeful Children Project 2014 について
9
1. 参加団体
2. 運営体制について
3. テーマ
VI.
参加者名簿
12
VII.
参加者感想文
14
参考資料
31
I. タイ王国・スタディツアー2014 概要
1. 趣旨
5. プログラム内容
(一財)青少年国際交流推進センターでは、平成
(1) For Hopeful Children Project での活動
26 年 3 月、第 7 回目となる「タイ王国・スタディ
参加者はチョンブリー県で行われた青少年健全育
ツアー2014」を自主事業として実施しました。参
成プロジェクト「For Hopeful Children Project
加者は、タイでの活動を通じ国際協力活動を実践す
(FHCP) 2014」に参加し、ボランティアスタッフ
るとともに、国際協調の精神を養います。また、青
としてプロジェクト実行委員と協働しました。
少年の役割に関する意見交換を行うことで日本とタ
FHCP はタイのボランテ
イの友好関係を深め、連携を強化する活動を通して
ィ ア グ ル ー プ 「 Fund for
国際社会の進展する時代にふさわしい青少年の育成
Friends (FFF)」が毎年実施
に寄与することを目的としています。
している、希望あふれる子ど
もたちのための合宿型プロジ
ェクトで、今年で 24 回目を
2. 研修企画、旅行企画・実施、後援
迎えます。「東南アジア青年の船」事業タイ事後活
【研修企画】
動組織(ASSEAY Thailand)が後援し、同事業タ
一般財団法人 青少年国際交流推進センター
イ既参加青年も多く協力しています。
【後援】
対象はこのプロジェクトで「希望あふれる子ども
日本青年国際交流機構(IYEO)
たち(Hopeful Children)」と呼んでいる社会的に
「東南アジア青年の船」事業タイ事後活動組織
恵まれない状況にある子どもたち、つまり、孤児・
(ASSEAY Thailand: Association of the
ストリートチルドレン・被虐待児など施設で保護・
Ship for Southeast Asian Youth of
治療を受けている子どもたち、また、視覚・聴覚障
がい、肢体不自由などの身体障がい、精神・知的障
Thailand)
がいをもつ子どもたちです。このプロジェクトでは
【旅行企画・実施】
希望あふれる子どもたちは、物質・教育的な制限の
トップツアー(株)国際旅行事業部
ため競争社会でのチャンスが少ないとしても、この
プロジェクトへの参加を通じ、自分たちを思う人の
3. 日程
存在に気づき、自信をもって育ち、競争社会におい
てしっかり成長するきっかけとなることをねらいと
【実施期間】
平成 26 年 3 月 17 日(月)~3 月 25 日
(火)
(バンコク集合・解散)
しています。
(2) 児童養護施設での活動
FHCP2014 参加団体の児童養護施設のうち、
「子
4. 参加者人数
・
参加者
12 名
引率者
2名
どもの村学園ムーバーンデック」、「タンマヌラッ
ク」及び「FORDEC」の 3 か所を訪問し、それぞれ
の施設で希望あふれる子どもたちと共に生活・活動
することを通じて、子どもたちとの交流を深めると
共に、タイ児童養護施設の実態について理解を深め
ました。
-2-
II. 研修企画・後援団体、関連協力団体について
1. 一般財団法人 青少年国際交流推進センター
3.
(研修企画)
「東南アジア青年の船」事業
タイ事後活動組織(ASSEAY
近年、国際化が急速に進展し、日本人と外国人、外国
文化との関わりが一層深まるとともに、国際社会におけ
る我が国の地位も向上し、世界に果たすべき役割への期
Thailand: Association of the Ship for
Southeast Asian Youth of Thailand) (後援)
http://www.asseay.org/
待も高まっています。我が国が、国際社会の中で重要な
「東南アジア青年の船」事業タイ既参加青年の事後活
役割を果たしつつ発展を続けていくためには、それにふ
動組織で、事業参加で得た成果を広く一般に普及するこ
さわしい青少年を育てなければなりません。
とを目的に掲げています。1974 年の第 1 回事業後か
当センターは青少年国際交流事業の実施、青少年国際
ら、既参加青年の同窓会組織は存在していましたが、
交流に関する啓発、情報提供、支援等を通じて社会の各
1982 年 7 月 12 日に正式な団体として設立されまし
分野において国際化時代にふさわしい指導性を発揮し
た。タイ政府社会開発・人間安全保障省福祉振興及び社
得る青少年を養成するとともに、これらの青少年による
会的弱者の保護・自立庁(Office of Welfare Promotion,
人的ネットワークを形成することにより青少年の国際
Protection and Empowerment of Vulnerable
交流を一層推進することを目的として、平成 6 年 4 月
Groups)から全面的なサポートを受けています。
21 日に設立されました。
ASSEAY Thailand の会員は、(1) 一般会員:「東南
アジア青年の船」事業の既参加青年、(2) 特別会員:
「東
2. 日本青年国際交流機構(IYEO) (後援)
南アジア青年の船」事業のタイ王国ナショナル・リーダ
日 本 青 年 国 際 交 流 機 構 (International Youth
ー に 政 府 派 遣 さ れ た 者 、 (3) 共 同 会 員 : ASSEAY
Exchange Organization of Japan、略称:IYEO)は、
Thailand の行う青少年活動に関心を持つ青年や一般人、
昭和 34 年に始まった内閣府(総務庁・総理府)が行っ
(4) 名誉会員の 4 種類に分類されています。
てきた青年国際交流事業(「青年海外派遣」
、
「青年の船」
、
「東南アジア青年の船」、「日伯青年親善交流」、「日
本・中国青年親善交流」、「オマーン親善交流」、「国
際青年年記念青年海外特派員派遣」、「日本・韓国青年
親善交流」、「世界青年の船」、「国際青年育成交流」、
「青年社会活動コアリーダー育成プログラム」)の各事業
の既参加青年で組織されており、会員数は約 15,000 名
に達しています。
IYEO は、青少年国際交流事業で得た成果を踏まえつ
つ、国際理解を深め、国際親善に寄与し広く社会に貢献
するとともに、会員相互の交流と研さんを図ることを目
的としています。この目的に沿った活動を行うために、
各都道府県が実施している国際交流事業に参加した青
年たちと連携を取りながら、全国 47 都道府県に都道府
県青年国際交流機構を置いています。
4. Fund for Friends (FFF)
http://www.fffthai.org/
FHCP を実施している FFF は、第
2 回「東南アジア青年の船」事業タイ既参加青年である
Mr. Visit Dejkumtorn(ウィスィット・デッカムトーン)
が代表を務めるボランティアグループで、世界中の社会
的弱者(FFF では「友人」と呼びます。)を対象に、社
会を住みやすい場所にするための活動をしています。
FFF は多くの青年団体に認められ、民間、公営団体と綿
密に協働してきました。FFF は、見返りを求めないボラ
ンティアというスタンスを貫き、特に子どもを対象とし
た多くのプロジェクトを扱っており、最終的には支援を
通じ、子どもたち自らが自立することを目標としていま
す。
-3-
III.タイ王国・スタディツアー2014 スケジュール
月日
時間
3月17日
(月)
活動内容
バンコクImm Fusion Sukhumvit集合
宿泊先
バンコク
Imm Fusion
Sukhumvit
3月18日
(火)
7:00-8:30
8:45
朝食(Imm Fusion Sukhumvit)
ホテル発
貸切バスで移動
12:30-14:00
昼食(カーンチャナブリー)
クウェー川鉄橋「戦場にかける橋」視察
15:00
16:00-16:30
子どもの村学園ムーバーンデック着
【子どもの村学園ムーバーンデック】での活動

子どもたちとの交流準備
17:30-18:30
夕食(子どもの村学園ムーバーンデック)
19:00-21:00

21:30-22:30
参加者ミーティング
子どもたちと交流
日本文化紹介準備
3月19日
(水)
朝食(子どもの村学園ムーバーンデック)
9:30-12:30
【タンマヌラック】訪問・活動

施設内見学

子どもたちと交流

日本文化紹介ワークショップ(折り紙、塗り絵)
13:00-14:00
昼食(子どもの村学園ムーバーンデック)
14:00-17:30
【子どもの村学園ムーバーンデック】での活動

職業訓練ワークショップ参加(木工・竹細工)

子どもたちと川遊び
18:00-19:00
夕食(子どもの村学園ムーバーンデック)
19:00-21:30

交流会・日本文化紹介
子どもたちによるダンス、日本参加者によるジャン
ケンゲーム、パントマイム、ソーラン節
3月20日
(木)
7:00-7:30
8:30
参加者ミーティング
カーンチャナブリ
子どもの村学園
ムーバーンデック
朝食(子どもの村学園ムーバーンデック)
子どもの村学園ムーバーンデック発
11:15-12:00
昼食(ナコーンパトム県)
15:00-17:30
【FORDEC(フォルデック)デイケアセンター】訪問
18:30
19:00
22:00-23:00
子どもの村学園
ムーバーンデック
7:30-8:00
21:30-22:30
カーンチャナブリ

子どもたちとダンス交流

日本文化紹介(パントマイム、ソーラン節)

近隣の自宅(低所得者層家庭)訪問
ホテル着
バンコク
FHCPボランティアスタッフと夕食会
Imm Fusion
参加者ミーティング
Sukhumvit
-4-
月日
時間
3月21日
(金)
8:00
活動内容
宿泊先
朝食(Imm Fusion Sukhumvit)
近くのスーパーで交流物品や飲料水購入
10:00
11:30-12:15
15:15
15:30-17:30
チョンブリー県へ向けてバンコク発
昼食(途中のサービスエリア)
FHCP会場(タイ海軍Sattahip Naval Base)着
FHCPボランティアスタッフと顔合わせ・自己紹介・アイ
スブレーキング・施設見学
3月22日
(土)
19:00
20:00-22:15
22:45
夕食(サタヒープ海軍キャンプ内)
7:30
朝食(サタヒープ海軍キャンプ内)
FHCP準備、ボランティアスタッフミーティング
ホテル着、日本文化紹介準備
10:00-
子どもたち各団体FHCP会場着
11:00
【For Hopeful Children Project 2014】
チョンブリー
Chaorua
Resort
子どもたちとアイスブレーキング
12:00
昼食
13:00
第24回FHCP2014開会式、ギフト贈呈
15:00-17:00
18:00
海水浴
夕食
海軍による海軍犬デモンストレーション
3月23日
(日)
19:00-21:00
参加団体のパフォーマンス披露
21:30-22:15
FHCPボランティアスタッフミーティング
22:30
宿舎へ
7:00
FHCP会場着
7:15
朝食(サタヒープ海軍キャンプ内)
9:00
海軍船乗船体験・消防はしご車体験
10:30-
アスレチック体験
11:30-
昼食
13:00
チョンブリー
Chaorua
Resort
各団体によるブース別ワークショップ
日本紹介ブース(「縁日」をテーマにしたゲーム等)
15:30
海水浴、海軍による落下傘演習
18:00
夕食
19:00-21:00
子どもたち各団体によるパフォーマンス披露

21:00
21:30-22:00
3月24日
(月)
3月25日
(火)
日本参加者によるパントパイムとソーラン節
各団体代表者ミーティング
FHCPボランティアスタッフミーティング
チョンブリー
Chaorua
23:00
ホテル着
7:00
朝食(サタヒープ海軍キャンプ内)
7:30
閉会式リハーサル
8:30
FHCP2014閉会式 ボランティアスタッフへ参加証授与
12:30
FHCP会場発(昼食:バス内でお弁当)
14:30
バンコク着
Imm Fusion
18:00
日本参加青年歓送会
Sukhumvit
Resort
バンコクにて解散
-5-
バンコク
IV. 訪問した児童養護施設について
と想像力を育成するための場を作ることに重点を
1. 子どもの村学園ムーバーンデック
置いています。
Children’s Village School,
学園の子どもたちは、貧困や虐待経験といった
Foundation for Children (Moo Baan Dek)
過酷な過去を持つ子どもたちがほとんどです。し
http://www.ffc.or.th/mbd/
かし、充分な愛情と注意を注ぎ、権力による押し
付けのない自由な雰囲気の中で育み、そして住居
(1) 概要・目的
カーンチャナブリー県にある児童養護施設「子
どもの村学園ムーバーンデック」は、1979 年に
設立された NPO で、両親のいない又は貧困・家
庭崩壊などの事情で育児のできない家庭出身の子
どもたちを預かっている施設です。3 歳以上の子
どもたちが共同生活をする場であり、タイ教育省
から認可を受けた彼らの学校でもあります。子ど
もたちが既成の概念にとらわれることなく、自分
たちに最も適切なやり方(これを「オルタナティ
ブ教育」と呼びます。)を受けることができる小
さなコミュニティーです。
子どもの村学園ムーバーンデックは、タイ国内で
行われている型にはまった教育方法でなく、より
優れた教育方法を求め実践することを目的に設立
されました。創始者 Mr.Pibhop Dhongchai(ピ
ボップ・トンチャイ)の理想は、子どもと大人が
や充分な食事といった自分たちの基本的欲求が絶
対に満たされるのだという安心を与えれば、どん
な子であろうと、子どもたちの情緒面でのストレ
スや習慣的な偏向は癒され、力強く成長し始め、
自分自身の潜在的な能力が最大限に引き出されま
す。また、学園では、子どもたちが日々接する環
境と自然の中から学べるように配慮されています。
学園の 70%は豊かな農地と森で覆われ、子ども
たちは決して小さな教室に閉じ込められることは
なく、先生や母なる自然とともに、自分自身で学
んでいきます。そして、再び外の社会に戻る前に、
自己に対する認識と充分な自信を学び得るのです。
子どもの村学園ムーバーンデックでは、そこに
更に、仏教の教えも取り入れています。
(3) 子どもたちの生活
平等に生活できる学習の場を作ることでした。こ
学園には複数の家があり、異なった年齢の、異
のようにしてできあがったこの学園の最大の目的
なった境遇をもつ子ども(10~12人)と大人(2
は、自由と自治を通して、子どもたちが自分自身
~3人)が同じ家で生活をともにしています。そ
を完全に理解し、人生の意義を発見できるように
こでの共同自治生活を通して、子どもも大人もお
することです。
互いに学びあい、受け入れあいます。それぞれの
家で、食費の管理から家の掃除、食事準備や家の
周りにある花壇の世話にいたるまで、あらゆる家
(2) 教育方針
この学園の根底にある教育思想は、英国の教育
思想家 A.S.ニール氏が唱えたサマーヒル学園の精
神をもとにして、子どもの自由と意思を尊ぶ教育
を実践しています。ニール氏は、子どもの態度が
生まれた後のしつけや生活環境に起因して変わる
ものであると信じていました。従って、子どもた
ちの性格上の問題点は、決して直らないものでは
ないし、子どもたちの苦痛を癒す環境を作ること
も可能なのです。このような考えをもとに、子ど
もの村学園ムーバーンデックでは、子どもの精神
-6-
事の方法を学びます。
学園では、子どもたちは、学校の授業や学園が
用意した活動に参加するかしないかを自分で決め
ることができます。授業や諸活動への参加は、子
どもたちの自発的な行動によるものであり、その
判断は子どもたち自身の問題であって、子どもた
ちによって異なるからです。従って、強制的に授
業を受けさせたりすることはありません。ここで
は、先生は支配する立場ではなく、子どもたちに
学習意欲をもたせ、子どもたちがそれぞれにやり
たい科目や活動を自分で決めることができるよう
(4) 子どもたちの進路
に導くことが先生の役割です。これは、「良い友
子どもたちは、小学校卒業までは学園内で教育
だちであること(カラヤナミトラ)」という仏教
されますが、その後は主に政府の援助する週末学
の思想に基づくもので、先生は子どもたちの友だ
校プログラムにて上級の教育を受ける機会が与え
ちとして振る舞い、子どもたちを抑圧することな
られています。平日は、職業訓練プログラムを中
く、手助けをしています。
心に学園内で様々な仕事に従事し、その仕事に対
子どもたちは自由が守られているからといって、
して学園の調整のもとに給料が支払われます。子
他人の権利を侵害しても良いという訳ではありま
どもたちは、これを授業料・交通費・食費・教科
せん。子どもたちは、(サマーヒル学園の方法を
書代などの学資金にして進学します。
取り入れた)学園評議会による直接民主制を通し
てこのことを学びます。学園評議会は金曜日の午
後に開かれる公式集会で、そこでは子どもも大人
も平等に、そして自由に意見を戦わせます。その
中で、学園内の諸問題を解決する方法を提案した
り、生活に関わる規則を改廃したりして、学園の
自治制度と秩序を守っています。
(5) スタッフ・資金面など
子どもの村学園ムーバーンデックでは、約30人
の常勤スタッフが働いており、その半数が先生、
残りがソーシャルワーカーや会計・管理担当など
です。学園を巣立った子どもが、学園で働きたい
と戻ってくるケースもあります。
資金源は、80%がタイ国内の個人や企業からの
子どもの村学園ムーバーンデックの一日
寄付、残りの20%が国外(主に日本やフランスな
<平日>
5:30
起床
ど)からの寄付でまかなわれています。政府と異
6:00
菜園の世話
なる理念に基づき活動しているため、政府からの
7:00
家の掃除
援助金は一切受け取っていません。
7:30
朝食
8:30
朝礼(国歌斉唱、読経、瞑想)、授業
の訪問を多く受け入れることを通じ、オルタナテ
(小学校卒業以上の生徒は職業訓練
ィブ教育の推進に力を注いでいます。その一環と
ワークショップ)
して、日本の子どもたちを毎年一週間ほど受入れ、
12:00
昼食
子どもたち同士の国際交流を実践しています。毎
13:00
職業訓練や芸術系のワークショップ
年数百人の外国人が学園を訪問しています。
その他にも学園では、国内外からの団体や個人
(ろうけつ染め、裁縫、陶芸、織物、
電気配線技術、大工技術、英語、事務
処理、タイピング、コンピュータ、パ
2. タンマヌラック
ン焼き、音楽、木工、科学、などの中
Dhammanurak Foundation
から、生徒が自由に選択して実習)
カーンチャナブリー県にあるタンマヌラック
※毎週金曜の午後のみ:学園評議会
は、仏教の精神に基づき尼僧により 2000 年に設
16:00
おやつ
立され、さまざまな理由で両親のいない又は育児
16:30
川で水浴び
のできない家庭出身の子どもたちを預かっていま
夕食(自分たちで調理)
す。仏教の精神を学ぶ、少年僧や少女の尼僧もこ
~21:30 自由時間(図書館の開放、ニュースやビ
こで学んでいます。
デオの放映なども用意されている。)
子どもたちの中には、
<週末>
タイ・ミャンマー国境地
土・日曜日の午前中、子どもたちは学園の環境
域で生まれた山岳少数
改善活動(清掃や植樹、堆肥作りなど)に取り組
民族(カレン族、モン族、
む。その他、来訪者との特別活動、読書やビデオ
など)の子どもたちも多く含まれます。また、子
鑑賞などに自由に参加したり、屋外で元気に遊び
どもたち全体のうち 7 割強が女の子です。
まわったりしている。
-7-
より、彼らの生活環境改善に取組む。
3. FORDEC(フォルデック)
Foundation
of
Rehabilitation
and
・
一般社会での生活に困難をきたさないよう、
子どもたちの文化的・倫理的・道徳的価値観を
Development of Children and Family
高める。
http://www.fordec.th.org/
・
生活の衛生状況を改善するためのサポートを
行い、また、家庭の収入を向上させるための
(1) 沿革・概要
職業的サポートを行う。
FORDEC ( フ ォ ル デ ッ ク ) の 創 始 者 Dr.
Amporn Wathanavongs(アムポン・ワッタナ
・
同様の活動に取組む団体と協力し合い、公共
の利益に取組む。
ウォン)は、自身が身寄りのない孤児として、住
む家もなく、食べるものも充分にない生活を送っ
た経験から、自分と同じ体験をしてほしくない、
という強い意志の下、困難を抱えたすべての人々
に対する愛と心配りのために自身の人生をささげ
る決意をしました。
タイが 1997 年に経験した経済危機により、
失
業者が増加し、その家族や子どもたちにも、住む
場所がなくなる、生活が困難になるなど、大きな
影響を与えることになりました。この社会状況を
受けて、1998 年 2 月 14 日の聖バレンタインデ
ーに FORDEC が設立されました。聖バレンタイ
ンは愛の象徴であり、人種・肌の色・宗教などの
違いに関わらず「困難を抱
えたすべての人々に対す
る愛と心配り」をモットー
とする FORDEC を象徴
しています。
(3) 運営モデル
FORDEC では、「困難を抱えたすべての人々
に対するあなたの愛と心配り」という呼びかけの
もと、寄付を募っています。寄付者(個人又はグ
ループ)は、一日当たり 30 バーツ(約 84 円)
で、具体的な一人の子どもをサポートすることが
できます。この寄付により、その子どもは基本的
に生活に必要なもの(食事、衣類、医療、教育の
機会、能力に応じた職業訓練)を受けることがで
きます。
もしくは、500,000 バーツ(約 140 万円)
の寄付により、その寄付者の名前による基金を設
立します。この場合は、その利子により、一人の
子どもの基本的に生活に必要なものをサポートす
ることになります。通常、子どもたちは 18 歳に
達するまでサポートを受けます。
「デック(DEC)」とは、タイ語で「子ども」
を意味します。そのため、FORDEC という略称
は「子どものために」という意味も兼ねています。
今回、サムットプラーカーン県にある
FORDEC デイケアセンターを訪問し、そこに通
う低所得層家庭の子どもたちとの交流や、彼らの
自宅訪問を実施しました。
(2) 活動方針
・
低所得層家庭・ホームレスの子どもたち、障
がいを抱えた子どもたち、薬物依存症の青少
年、HIV/エイズと共に生きる子どもたちなど
に、物質面・精神面のサポートを行うことに
-8-
FORDEC の壁には寄付を行った企業名が並ぶ
V. For Hopeful Children Project 2014 について
がいのある子どもたち(視覚・聴覚障がい、肢体不
1. 参加団体
以下の 12 団体より、子どもと引率者を含む総勢
約 1200 名が参加しました。
自由などの身体障がい、精神・知的障がいなど、さ
まざまな障がいを含む)をサポートしています。
CCD の活動は、1986 年に、英国 Christian
Outreach for Relief & Development (CORD)の
(1) 子どもの村学園ムーバーンデック
サポートを受け、Wasan & Charyia Saenwian(ワ
Children ’ s Village School, Foundation for
サン&チャリア・セーンウィアン)夫妻が、障がい
Children (Moo Baan Dek)
児のための福祉施設「Rainbow House」を設立し
http://www.ffc.or.th/mbd/
たことから始まりました。1997 年には、CORD の
詳細は「IV. 訪問した施設について
1. 子どもの
村学園ムーバーンデック」(p.6)参照。
サポートにより、CCD としてタイにおける NGO 登
録を済ませ、地域密着型の福祉を目指した活動を実
践しています。
(2) タンマヌラック
タイでは様々な理由から障がい児の育児放棄が起
きており、両親がまだ 10 代のため障がい児に対応
Dhammanurak Foundation
詳細は「IV. 訪問した施設について
2. タンマヌ
できないケースや、重度の障がい児を施設に入れる
経済的余裕がないケースなどもあります。
ラック」(p.7)を参照。
CCD では、今どのような理由で家族と生活できな
いとしても、子どもは産みの親を知るべきと考えて
(3) CFBT
Christian Foundation for the Blind in Thailand,
Under the Royal Patronage H.M. the King
http://www.cfbt.or.th/
CFBT は、タイ全国各地に視覚障がい者を支援す
る施設を有しています。地域のサービスセンターが
管轄している地方保健所や国内外の NGO と協力体
制を構築し、失明予防を目的とした活動も行ってい
ます。彼らの中には視覚障がいとともに、精神障が
いや身体障がいなどの重複障がいを抱えている者も
多くいます。
おり、子どもたちが産みの親と再会できることを目
標の一つにおいています。
FHCP2014 への引率者の中には、アメリカ・フ
ランス・ベルギーなど、世界各国からの青年ボラン
ティアも含まれます。彼らは、通年 CCD に滞在し
ながら、障がいのある子どもたちのサポートをして
います。
b.
使命
ホリスティックアプローチにより障がい児の可能
性を最大限引き出し、彼らが平等の権利・機会・生
今年は、バンコク、ロッブ
活の質の向上・一般社会での生活ができるようにサ
リー県、ナコンナヨック県の
ポートすることにより、キリストの愛を実践するこ
3施設から子どもが参加しま
とを使命としています。
した。
c.
(4) CCD
実施事業
CCDは現在、タイ国内で8つのプロジェクトを実
Christian Care Foundation for Children with
施しています。
Disabilities in Thailand
・
デイケア・センター
http://www.ccdthailand.org/
・
Rainbow House(居住型ホーム)
・
a.
沿革・概要
4か所
コミュニティ型リハビリ・プログラム3か所
デイケア・センターでは、タイ政府が運営する施
バンコクの北、ノンタブリー県にある CCD は、
経済的理由などにより育児のできない家庭出身の障
-9-
設に暮らす障がい児たちに対するリハビリを行って
います。
Rainbow Houseは、1990年にスタートした、
育児のできない家庭出身の障がいのある子どもたち
を対象としたホームです。一人ひとりに合わせた教
育プログラムを実践しています。ホームでは、施設
に居住している子どもたち向けと、施設に通いなが
(8) Special Education Center Chanthaburi
http://school.obec.go.th/psecchanthaburi/index.
php
チャンタブリー県にある自閉症や知的障がいを持つ
子どもたちを対象にした施設です。
らデイケアを受ける子どもたち向けのプログラムを
展開しており、発育講師や特別支援教員、理学療法
士、職業訓練士が子どもたちの訓練指導に従事して
(9) Child Welfare Protection Center
ラヨーン県から、両親のいない又は育児のできな
います。
い家庭出身の子どもたちが参加しました。
d.
資金サポートのしくみ
CCDでは、さまざまな支援者からの寄付により運
営されています。また支援を希望する個人・グルー
プは、以下のようなさまざまな方法にでCCDの活動
を支援することができます。
(10) VFC
The Value of Life Foundation for Children
タイ北部ウッタラディット県にある VFC は、自閉
症の子どもたちをサポートしています。
・
教育支援
・
子どもたちを養子として引き取り養育する
・
ボランティアとして働く
・
子どもたちの食事を寄付する
・
おもちゃ・機材などを寄付する
・
お金を寄付する
・
CCDの情報を受け取り、子どもたちの状況に対
(11) タイ南部国境の子どもたち
仏教徒よりもムスリム(イスラム教徒)が人口の
多くを占める、マレーシア国境に近いタイ南部 3 県
から子どもたちが参加しました。中には、以前同地
域で起きた暴動により両親や家族を失った子どもも
する理解を深める
います。彼らの多くは地元を離れた経験がなく、
FHCP へ参加することにより新しい友人に出会い、
様々な活動を体験できる貴重な機会となっています。
(5) FORDEC(フォルデック)
Foundation
of
Rehabilitation
and
Development of Children and Family
タイ北部山岳地域にはたくさんの少数民族が暮ら
http://www.fordec.th.org/
詳 細 は 、 「 IV. 訪 問 し た 施 設 に つ い て
(12) タイ北部山岳少数民族の子どもたち
しており、今でも独特の文化や伝統、生活習慣が残
3.
FORDEC(フォルデック)」 (p. 8) を参照。
っています。今年は、パヤオ県の子どもが参加しま
した。山岳地域出身の子どもたちにとって、FHCP
への参加は白い砂浜や青い海を見ることのできる大
(6) Thanksgiving Home
変貴重な機会です。
バンコクの北、ノンタブリー県で 2012 年 1 月よ
り運営を始めた NPO。知的障がいやその他の障がい
を持つ若者(その多くは若い女性)の自立支援をし
ています。職業訓練として理髪、タイ式マッサージ、
タイ舞踊、音楽、アート、英語などのスキルを身に
つけるサポートなどもしています。FHCP には昨年
度より参加。
2. 運営体制について
FHCP2014 は 、 FFF 代 表 の Mr. Visit
Dejkumtorn(ウィスィット・デッカムトーン)を
中心に、総勢約 100 名の FFF ボランティアスタッ
フにより運営され、日本からのスタディツアー参加
者 14 名も加わり協働しました。
(7) Pak Kred Home for Boys
ボランティアスタッフは、タイ各地から集まった
ノンタブリー県パックレットにある、両親のいな
大学生や若者を中心に、フィリピン、ラオス、シン
い又は育児のできない家庭出身の男の子たちの生活
ガポール、クウェートなど、国外からの参加者もい
する公的施設です。
ました。
- 10 -
また、FHCP2014 は、チョンブリー県にあるタ
イ王国海軍キャンプ(Satthahip Naval Base)を
会場とし、安全管理やロジスティックス面全般にお
いてタイ王国海軍の強力なサポートのもと実施され
ました。その他、企業や地元の方々も多数、子ども
たちやボランティアスタッフの食事、おやつ作りの
ボランティアとして協力していました。
更に、タイ各地から集う子どもたちの会場までの
移動手段であるバスやその燃料、食材の野菜や米、
油その他、FHCP2014 の運営に必要なものすべて
3. テーマ
FHCP2014 は、
「Global Smiling (グローバル・
スマイリング)」を全体テーマとして実施されまし
た。
「Global Warming(地球温暖化)」を減らし、
し、「Global Smiling (グローバルな笑顔)」を広
げようという意味が込められています。社会に対し
て持続的に貢献するという願いを込めて昨年と同じ
テーマを引き続き使用しました。
が、企業・団体・個人の寄付によって成り立ってい
る点も特徴的です。
FHCP 2015に向けて
~ Visitさんの想い ~
FHCP創始者であるVisit氏は、
社会的に恵まれない子どもたちがイベントに
参加することで、「いろんな境遇の子どもたちがたくさんいることを知り、
友だちになってお互い助け合うことで、『自分も誰かの役に立てる』ことを
体験から学んでもらうことを目的としてきました。
イベントを24年間継続してきた結果、Visit氏はその目的はほぼ達成されたと実感しており、第
25回を迎える来年は、次のステップとして、子どもたちが自分の価値を認識し高めあうだけでな
く、社会に向け貢献することを学ぶ機会にしたいと考えています。その一案として子どもたちに、
イベントで大量に出るゴミの削減や食べ物を無駄にしないことを教えたり、環境保護への実践的な
取組みとして「ごみ拾い」の実施なども検討しています。
Visit氏は、そんな想いを詩に託し、来年も日本や海外からのボランティアによる協力を大いに期
待している、と語っています。(詩の原文は、タイ語)
Just a Smile Changes the World
I smile,
and go out to pick up the garbage.
You smile,
because you see me pick up the garbage.
We smile,
because we help each other picking up the garbage,
Everyone smiles,
because there is no more garbage.
--Visit Dejkumtorn
微笑みが世界を変える(和訳)
私は微笑んで、ごみを拾いに行く。
あなたは微笑む、私がごみを拾うのを見たから。
私たちは微笑む、助け合ってごみ拾いをしたから。
みんな微笑む、ごみがなくなったから。
--ウィスィット・デッカムトーン
- 11 -
VI. 参加者名簿
氏名
職業/内閣府事業参加経験
性別
職業/内閣府事業参加経験
氏名
性別
1
池田隆行
M
社会人
第22回「世界青年の船」事業
8
2
犬居公仁
M
社会人
9
林田梨絵
F
社会人
3
上原一郎
M
社会人
10
日野美久
F
大学生
4
金湖直子
F
社会人
F
大学生
5
川上哲平
M
社会人
第35回「東南アジア青年の船」事業
6
菊池恵里
F
大学生
7
鈴木苑香
F
社会人
中野裕二郎 M
11 深水菜津実
大学生
第40 回「東南アジア青年の船」事業
大学生
第 26 回「世界青年の船」事業
引率: (一財)青少年国際交流推進センター職員
第12 回「国際青年育成交流」事業
13 桑原真哉
M
チリ共和国派遣
14 松倉弘子
F 第 3 回「国際青年育成交流」事業
ドミニカ共和国派遣
12
福田梨世
F
現地で配布した自己紹介リーフレット
- 12 -
VII. 参加者感想文
【スタディツアー報告】
池田 隆行
幸せとは何だろう
この経験を通して私はあらためて人間の幸せとは
何かを考えた。お金があること、大きな家に住んで
いること、家族がそばにいること、健康であること、
人それぞれその価値観は違う。私は今日という日を
その人なりに楽しめる、一日一日に自分なりに満足
できることが一つの答えなのではないかと思う。ご
飯を食べて美味しいと感じた、仲間と冗談を言って
笑いあう、そうやって小さな幸せを積み重ねていく
FORDEC
FORDEC(フォルデック)という貧困層の家庭の
ことができれば人は幸福に近づけるのではないだろ
子供たちが通うデイ・サービスの施設を訪問した時
うか。毎日を楽しみ、日々自分が生きていることを
のこと。施設に通う子供たちが住んでいる家を訪問
感謝する、それは金持ちであっても、貧乏であって
する機会があった。彼らが住んでいるのはいわゆる
も感じることのできることなのかもしれない。
スラムだった。新聞やニュース、本などで何度も耳
にする機会はあったが実際に自分の足で行ったのは
FHCP
初めてのことだった。そこには同情の余地すら入り
キャンプに参加する前にそのような気付けたこと
込めない圧倒的な貧困が存在していた。「かわいそ
によってその後の FHCP でのボランティア活動でよ
う」なんて感情が入り込む前に自分の中で何かが崩
り積極的に参加することができた。孤児院、障害者
れ落ちたのがわかった。私は自分がいかに恵まれた
施設、ホームレスの子供たちなど様々なバックグラ
環境で育ってきたのかをその瞬間理解した。そこに
ウンドから集まってきている参加者たちが少なくと
住む家族に「いつもいつも他人からの援助に頼って
も今日という一日が「楽しかった!!」と思っても
いて情けない、本当は自分たちの力だけで生活した
らえるように毎日全力で子供たちと触れ合った。
いのだけど、どうしようもない。でも、遠くから来
キャンプ中、軍艦に乗船体験をしている時に数時
てくれてありがとう、気をつけて帰ってね」と声を
間目の見えない男の子と一緒にいる機会があった。
かけられた。私は生まれて初めて人に声をかける言
目が見えない彼が海に行って果たして楽しいのだろ
葉が見つからなかった。「頑張ってね」、「元気を
うか、ただ怖いだけなのではと感じたが、私は間違
出してね」、「いつかこの生活から抜け出せるよ」、
っていた。彼は軍艦での乗船体験が終わった時彼は
いくらでも言葉はあっただろうが全ての現実の前に
ほぼ目が見えなかったのだろう耳や軍艦の揺れ、そ
そんな言葉は何の意味もなさないことがわかった。
して海の風を肌で感じていた。「なんだか遊園地に
そう思った瞬間私は泣いていた。涙が止まらなかっ
いるみたいでとても楽しかった」と彼は表現したの
た。私たちが訪問した家庭はまだましな方だったの
がとても印象的だった。
だろう。FORDEC の様な施設からの援助が受けられ
一方、国の政策で行えることはま第一義的には資
仲間たちへの
感謝の気持ち
金援助や教育支援、インフラの向上などが貧困削減
今回のスタデ ィ
の手段であることが多い。しかし果たしてそれが満
ツアーを通して出
たされた時、彼らは幸福といえるのだろうか。タイ
会った仲間たちが
に比べて日本はそのような点で満たされているかも
私の一生の財産だ。
ない家庭が数え切れないほどあるのだから。
しれない。しかし日本人一人一人が全員幸せかとい
強烈なリーダーシップで FHCP を引っ張っていた
えばそうではないだろう。国の政策で物理的な生活
「東南アジア青年の船」事業の既参加青年、タイの
の向上は進むかもしれないが精神面を助けられると
みならずラオス、フィリピン、クウェートなど世界
は限らない。FORDEC のようなプライベート・セク
数カ国からボランティアスタッフとして集まった実
ターの活動が子供や家庭と直に触れ合うことによっ
行委員、キャンプ地を提供し全ての参加者とボラン
て彼らの精神面を支えていることは大きな意味を持
ティアが安心してキャンプを楽しめるように万全の
っている。
サポートを行ってくれた海軍のみなさん。
そして何より 9 日間を通して一緒に過ごした 13
- 13 -
人の日本人ボランティアたちとの思い出を私は生涯
する「ピー」と頻繁に発し手を取りスキンシップを
忘れることはないであろう。わんちゃん、うえぴー、
求めてき、誰でもいいからかまって欲しいという表
なおちゃん、てっぴー、エリ、おの、じろう、リエ、
現だと感じた。同じ年頃の友達とスタッフとの共同
美久、なつ、梨世、弘ちゃん、桑さん。一緒に笑っ
生活では大人は独り占め出来ない現実がある。私が
て、泣いて、子供と遊んで、学んで、最高のスタデ
彼らに出来ることは一人ひとりと向き合うことで彼
ィツアーだった。皆に出会えて、そしてこのメンバ
らの不安を少しだけでも取り除く事だと感じた。彼
ーで参加できて心の底から良かった。ありがとう。
らの純粋な行動や笑顔の奥には複雑な過去があるこ
とを改めて考えさせられた滞在であった。
【タイ王国・スタディツアー2014】
犬居 公仁
Dhammanurak
滞在 3 日目午前中に尼寺が設立した
Dhammanurak に訪問した。
子ども達は女の子が多
く、仏教の精神に基づいた教えということもあり大
人しく秩序が保たれているという印象を受けた。私
達の訪問中にも国内のボランティア団体が訪問し一
緒になりゲームを行ったが皆楽しそうに集中して取
り組んでいた。Moo Baan Dek のわんぱくな子ども
参加目的・志望動機
タイは東南アジア屈指の観光国であり、観光客が
多く訪れる国の一つである。私が以前観光で訪れた
タイという国は日本以上に活気があり国民は親切で
優しく『微笑みの国』というキャッチフレーズのと
おりの印象であった。しかしその反面、急激な経済
成長により都市部でも貧富の差が激しく、山村部に
住む山岳民族の中には無国籍者が存在するという現
状もある。様々な格差によりそこで生まれた子ども
達は悲しい現実がある。机上では知っているが、現
地で体感し学ぶことで認識がより深まると考えた。
また現在、指定管理者の青少年施設の職員として青
少年教育に従事している。イベントや施設を利用す
る子どもと関わる機会は多くあるが、現在も孤児や
障がいを持っている子どもとの関わりは少なく、ま
た海外の子どもとの関わりも少ない。このスタディ
ツアーで児童養護施設や子ども達の現状を学ぶこと
達と比べると教育方針の違いで子ども達の育ち方が
ここまで異なることに驚い
た。どちらの教育方針が良い
か分からないが、教育方針に
より子どもの成長が変わる
ということに気付かされた。
FORDEC
バスを下車し高級住宅街から路地に入ったところ
で急に風景が変わった。草が茂りゴミが散乱し悪臭
が漂う道を歩いていくと FORDEC が見えた。子ど
も達はきれいな制服を着て座り我々の訪問を待ち歓
迎のセレモニーを行ってくれた。施設の方々はとて
も明るく子ども達も表情豊かで日本の留守家庭児童
会のような印象であった。訪問中に訪れた2カ所と
は明らかに子どもの表情が違う。帰る家族があると
いう事が子どもの表情をこれほど豊かにさせると先
で従事している仕事に役立つと思い参加を決意した。
の2施設の子ども達と比べ改めて実感した。
Moo Baan Dek
日本では家屋と言うには程遠くゴミが散乱し悪臭が
子ども達の家庭に訪問した時衝撃を受けた。そこは
Moo Baan Dek は孤児、貧困、家庭崩壊などの事
情で施設に預けられた子ども達が共同で生活してい
る施設である。彼らの背景を知っていたので、正直
どのように接するか心配ではあった。初日は到着後
すぐのスコールで川遊びが中止となり、子ども達と
の交流が到着後少しのみだったこともありさらに不
安は増大した。しかし翌日行った川遊びで不安は一
気に吹っ飛んだ。子ども達は川に入っては人魚のよ
漂う劣悪な住環境であった。訪問時に海外から支援
されたミルクを家族にお渡しした。その物資に心底
幸せそうに喜んでいたが、脳裏に浮かんだのは普通
とは何なのか幸せとは何なのかということである。
明らかに私が生活している現状とは違う現実がある。
彼らを物資で支援することも大切であるが並行して
彼らの生活環境を改善するインフラを整えることの
重要性に気付かされた。
うに泳ぎ、木に登っては川に飛び込む。自然を遊び
道具として全力で遊ぶ野生児という言葉がふさわし
いように自由に自然を教材に遊びから学んでいた。
子ども達との心の距離間は川遊びにて大幅に短縮さ
れたが、彼らは何かあるとタイ語でお兄さんを意味
- 14 -
FHCP
FHCP は海軍基地内で行われる子どものためのキ
ャンプであり、タイ国内各地から子どもを招く費用
滞在費・運営費・食費は全て寄付で賄われている。
海軍基地内にて開催され場所の安全性が保障されて
いるのはもちろんのこと、海軍の人が全面協力して
【スタディツアーを終えて】
上原
おりスタッフの手厚いサポート体制が印象であった。
一郎
海での活動やアスレチック体験、パフォーマンス、
食べきれないほどの屋台料理などどの子どもにとっ
ても年に一度待ちに待ったお祭りであり、普段生活
する施設を飛び出して参加していることもあり、こ
のイベントを楽しみにしている様子が伝わって来る。
日常とは異なるこのような活動は子ども達のために
継続しなければならないと感じた。私にとっても
はじめに
FHCP 前に訪問した 3 施設の子どもと再会をし、大
ボランティア活動に興味はあるが、なかなか踏み
きな声で呼び笑顔で駆け寄ってきてくれたことが印
出す機会がない。もっと異国のことを知りたい。こ
象に残っている。FHCP は日本ではまず実現が出来
れがこのスタディツアーに応募した理由だ。タイ王
ない規模のイベントであり、例を見ない子どもキャ
国には一度観光で訪れたことがあったが、今回は勝
ンプである。タイという国が作る特有の大らかさと
手が違う。最初は不安で仕方なかった。自分にでき
柔軟性がこのイベントを作り上げていると感じた。
ることはあるのだろうか?子どもたちとうまくコミ
私も子どもと一緒になり楽しみ、スタッフに助けら
ュニケーションをとれるだろうか?そんな中、スタ
れ多くのことを学ばせていただいた。
ディツアーに参加した。
終わりに
ムーバーンデック
このスタディツアーではタイや様々な国から来た
ボランティアの人々から多くの刺激と感動をもらう
ことが出来たツアーだった。またバックグラウンド
や年齢も異なる日本からの引率スタッフや参加者に
出会い内容の濃い9日間を送ることが出来たことは
一生の財産である。FHCP は Visit 氏が主となり数名
で始めた小さな活動が24年経過した今、タイ王国
海軍や日本を含む海外ボランティアを巻き込んだ大
きな活動となっている。この活動に参加した子ども
達の中には警察官や海軍に憧れている子もいると伺
った。このスタディツアーに参加し多くの子どもと
の交流機会があったが、子ども達の姿は皆輝いてい
た。しかし背景には一人ひとり違った悲しみや障が
いというハンデがある。ただ数日関わっただけでは
あるが、同じ時間を共にした全ての子ども達が輝い
た希望あふれる大人に成長し、将来を担ってくれる
ことを強く望む。ツアーを通して改めて私自身の日
本での生活は恵まれていると感じたと同時に、タイ
の青少年教育は、日本に比べ生活そのものと密着し
たものだという印象を受けた。日本の青少年教育の
現場に勤務する私に出来るのは一人でも多くの子ど
も達に彼らのことを伝え繋げることである。様々な
ことに気付かされたこの9日間に感謝する。コーク
最初に訪れた施設、「子どもの村学園ムーバーン
デック」。木々に囲まれていて、すぐ近くには川が
あり、子どもたちが共同生活するにはいい環境では
ないかと思った。
当初予定されていた川遊びが、突然の雨で翌日にな
った。手持無沙汰になっていると、二人の女の子が
我々の元へやって来た。他の参加者たちは、彼女た
ちとすぐに打ち解けていた。この時、私はその様子
をただ傍観しているだけだった。夕食後、再び子ど
もたちがやって来た。他のメンバーたちが一緒に遊
び始めた。メンバーの一人に手を引かれて、私も輪
に入る。考えるよりも先に身体が動いていた。ここ
で一人の女の子に出会った。なぜだか分からないが、
私になついてくれた。彼
女とほとんど会話しなか
ったが、私を見つけると
いつも近くに来てくれた。
もっと積極的に話かけれ
ばよかったと今になって
思う。
タンマヌラック
ムーバーンデックに比べ、内気というか大人しい
ンカップ。
子が多いと感じた。近くにいた子どもたちは、日本
から持ってきた独楽や竹とんぼに夢中になっていた。
そんな中、一人の男の子が甘えてきたのが印象に残
っている。少しはにかみながら、私の身体に寄りか
かってきた。彼の身体は小さかったし、服も汚れて
いた。でも彼の目は澄んでいて、ずっと笑顔だった。
- 15 -
別れ際に彼の元に近づいて行ったらニコッと笑って
くれた。さよならは言わなかった。
【何度でも何度でも】 金湖直子
FORDEC
感謝
先に訪れた二つの施設よりも子どもたちの服装が
綺麗で、教育がしっかりされているとう印象を受け
た。ここでは、子どもたちと一緒に歌ったり、仲間
たち(と呼ばせてもらう)と共にパントマイムやソー
ラン節を披露した。私はパフォーマンスに夢中で、
子どもたちの反応を見る余裕はなかった。ただ笑い
声は聞こえていたので、楽しんでもらえたと思う。
パフォーマンスを披露した後、施設近くの家庭を見
学した。周りはごみの山で、異臭も漂っていたと思
う。でも正直言うと匂いとか覚えていない。簡単に
現実を受け止めることができなかったのかもしれな
い。近年タイは経済発展してきているが、同じ市内
でも少し離れた場所で格差が存在することをまざま
ざと実感した。また当たり前だと思っていた自分の
生活が、いかに恵まれているかということに気付か
された。
FHCP
私は事前に訪問した施設 FORDEC の担当になった。
先生や何人かの子どもが私のことを覚えてくれてい
まずは、このツアーを企
画-運営している 青少年
国際交流推進センターの
方々に感謝申し上げたい
です。私たちに安全第一
で、楽しい経験やこのツアーでしか体験できないこ
とを沢山させて頂きました。私にとって初めてのス
タディツアー参加でしたが、引率してくださった桑
原さん• 松倉さんのおかげで、とても充実したものに
なりました。
そして、タイ現地で宿泊や訪問をさせて頂いた孤児
院の方々、タイ王国海軍で行われたボランティアプ
ロジェクト(FHCP)を作った Mr.Visit と海軍の皆様、
そして FHCP に関わる全ての運営スタッフ、他国か
らの参加青年にも沢山助けて頂きました。そして自
分にすごく影響を与えてくれたこのツアーを一緒に
作り上げてくれた、日本から参加した仲間みんなに
も、心からのありがとうを伝えたいです。みんなと
は、ずっと繋がっていられる絆を感じました。(これ
からもよろしくね♡)
何度も言いたい。本当にありがとうございました!
て嬉しかった。一緒にご飯を食べたり、海水浴した
り楽しい時間を過ごせた。キャンプ 2 日目には、み
このツアーとは
んなでアイディアを出し合った日本文化紹介ブース
どんな年齢層の人が参加しても、自分のものさしに
合った単位の量で、感激や気付きを得ることができ
ます。「百聞は一見にしかず」本やテレビで見て情
報として分かった気になっていたことが、現地を五
感で感じて、今までの自分なりの答えが間違ってい
たことに気付かされます。毎日みんなと意見交換を
してそれぞれの考えていることを知ることができま
す。どんどん研ぎすまされていき、自分の存在の本
質が見えてきます。自分自身を考える時間になりま
す。
やステージでのパフォーマンスなど、多くの人に楽
しんでもらうことができた。とにかくタイのボラン
ティアスタッフやタイ海軍の方たちへの感謝の気持
ちでいっぱいだ。彼らのサポートがあったからこそ、
大きなトラブルもなく無事「FHCP2014」を終え
ることができた。
来年は 25 周年ということで、可能であればまた参
加したいと思う。
最後に
孤児院での宿泊
あっという間の 8 日間だった。子どもたちや仲間た
ちと一緒に走ったり、歌ったり、踊ったり、本当に
楽しかった。言葉は話せるに越したことはないが、
話せなくても一緒に楽しむことはできた。何かをし
てあげたり、与えたりすることだけがボランティア
ではないと感じた。今でも自分に何ができるかは分
からないが、これが正解というものはないと思う。
ただ私は子どもたちや FHCP のスタッフたちと触れ
合って、もっと多くの人に当事業のことを知っても
らいたいと思った。最後に、今回出会った全ての人
に心から感謝する。ありがとう。
- 16 -
孤児院の子供たちの毎日の生活は足の裏が真っ黒
になるくらいの場所で、虫やトカゲや犬についてい
るノミと一緒に共存しています。出てくる水も臭う
し、トイレもお世辞にもキレイとは言えない場所。
でも子供たちは当たり前に笑顔で大自然と一緒に生
きていて、私の"汚い"と思ってしまった気持ちが醜く
感じました。自分の日本での家電に囲まれた家の、
生活のし易さと水準の高さを再確認すると共に、気
持ちが変わっていきました。そこからは泥んこで汗
まみれの子供たちとハグしたりキスしたりおんぶ抱
っこなどスキンシップを沢山しました。毎日10
0%で遊んだら全身筋肉痛になるんですね。すごく
楽しかったです。そして、「遊んで」と近づいてく
る子供たちから癒され、逆にパワーをもらっていた
ような気がします。私の英語は小学生レベル、タイ
語は話せない。でも、こちらが心を開いたらタイの
子供たちが飛び込んで来てくれました。子供たちと
心の会話ができました。
スラム街
生きる
スラム街のおばちゃんおじちゃんの話を聞いて、考
えたのが福沢諭吉の心訓。世の中で一番さびしいこ
と。彼らには仕事が無い。そして、寄せ集めで作っ
たであろう家の土地に住んでいられる権利も無い。
おばちゃん泣いていました。日々を堂々と自由に生
きられない事実を見ました。ただ幸いなことは、タ
イは暖かく食べるものに困らない、彼らは飢えを知
らないということです。そして家族があり、子供た
ちには愛が注がれて、新しい命も生まれていたのを
見て、少し安心しました。でもそこで気付くことは、
日本で義務教育を終えて、仕事があってお金を稼い
で、屋根の下で生活できている自分です。自由が選
べることは幸せです。私には気付かなかったところ
に、誰かが願っている幸せがたくさんありました。
FHCP(For Hopeful Children Project)
とは
伝えられるかな、このプロジェクトの凄さ。
私たちはツアーの最後にこのプロジェクトに参加•
協働します。「タイのサタヒープの海軍基地で子供
たちと 3 日間を過ごします」私はそんなに気にも留
めず聞いていました。でも実際、基地に足を踏み入
れたときはゾクゾクしました。海軍基地ですよ?日
本だと凄く距離があって近づけないイメージがあり
ますが、この FHCP では色んな海軍の施設をオープ
ンに使わせてくれたり、軍人さんたちの全面協力の
元にプロジェクトが行われ、普通では話せない軍人
さんととても近い距離で交流できました。
行う場所も凄いですが、内容も凄いです。いつもは
お腹いっぱい食べられない子供たちに、食べ物を無
料で振る舞います。ご飯・お菓子・ジュース、取り
放題食べ放題です。色んな企業や団体が協力してい
て、大きなテントの下全体が夢のような空間に感じ
ました。子供たちの顔がキラキラしていました。そ
して海にも入ります。私たちにとっての海は普通か
もしれませんが、施設の子供たちにとっては人生で
最初で最後になるかもしれない体験と聞きました。
海軍の人たちが人柱になってくれて安全管理が完璧
の元、子供たちは遊べます。「なんで波が来るの?」
「なんで海はしょっぱいの?」子供たちは学んでい
きます。他にも海軍のアクティビティのバンジージ
ャンプも体験できます。軍艦で海に出たり、 消防車
のクレーンに乗って最高地点まで伸ばしてもらった
り、大人の私たちも楽しめることも、子供のうちに
体験できるのです。
- 17 -
この FHCP は今回で 24 年目。代表の Mr.visit さん
は、このプロジェクトを通して、参加した約 1000
人の子供たちがそれぞれ新
しい経験をして、自立して
いくことを願っています。
はじめは 1 人で、でも今は
100 人以上のボランティ
ア運営スタッフとたくさん
の企業や団体の協力でどん
どん規模の大きなプロジェ
クトになっています。25 周
年にあたる次回に、私はまた参加したいです。次回
はもう少し何か役に立ちたいです。
動いた思い
最後に、初めての感覚で自分でもびっくりしている
ことなのですが、帰国後、心に芽生えたことを話さ
せてください。私は孤児院の子供たちと接していて
思ったことがあります。
あの子たちが望むのであれば、国籍を持たせたい。
充分な教育と雇用をさせたい。その前に家族とは愛
とは何かを感じてもらいたい。そう思いました。あ
の子たちのことを可哀想とか同情したりはしてない
のですが、私にできることがあるかもしれない。そ
れは将来、理解のあるパートナーと一緒に孤児院の
子供を養子にすることです。世界的に養子縁組は珍
しいことではないですし、これは夢として自分に掲
げることではなく、ふつふつと湧いてくる思いがじ
わじわと行動に移っていくような、そんな感じがし
ます。…でもまだ配偶者がいないので、孤児院にお
金を送る援助から始めます。
そのくらいこのツアーが私にとって影響を与えてく
れた。ということに感謝して、終わります。最後ま
で読んで頂き、ありがとうございました。
【タイ王国・スタディツアー2014
に参加して-確認と新たな発見、変
わらないもの、変わったもの-】
川上哲平
参加の動機
私は 2009 年にも当スタデ
ィーツアーに参加した経験が
ある。参加直後は周りの人に
このスタディーツアーがいか
に素晴らしいかを語るのだが、時間が経過するうち
に、経験を伝えることはおろか、一緒に参加した仲
間に連絡を取ることも面倒になり、しなかった。そ
れでも、スタディーツアーが楽しかったという思い
出はずっと残っていた。そんなところへ、1 月の中
銘を受けた。
旬、FHCP2009 メーリングリストから既参加者へ
タンマヌラックではミスを犯してしまった。「子
向けてのメールが届いた。「また子どもたちの笑顔
供たちが我先にと取ってしまうから、あげる予定の
に会いに行きませんか?」という文言に心ひかれた。
玩具以外は持っていかないように」と言われていた
前回の参加者が「今回一回で終わりにするのでなく、
のに、余った玩具を次以降の訪問先であげればいい
関わり続ける事が大事」と言っていたのが思い出さ
と軽く考え、その時点で持っていた玩具を全部持っ
れた。私は応募を決めた。
ていったところ、私が目を離していた隙に、袋の中
の玩具を子供にほとんど取られてしまった。表現が
悪いかもしれないが、子供たちは「もらうことに慣
全体の感想
結論から言うと、今回のスタディツアーに参加し
たことは最良の決断だった。ツアー中の全ての出来
事が示唆に富んでいた。また他の日本人参加者、
SSEAYP 既参加青年を始めとするタイのボランテ
ィアスタッフ、更にはラオス、フィリピン、シンガ
ポール、インドネシアなどからのボランティア全員
との出会い、再会がいくつもあった。その全てに感
謝したい。以下、個々の活動についての詳細を記す。
れていた」。だから袋の中に玩具があれば、それら
は遅かれ早かれ自分のもの、ということなのだろう。
本来であれば、子供たちが物をもらうときにお礼を
言う、独り占めしない、など彼らにとって大切なこ
とを学ぶ機会だったのに、それを台無しにしてしま
ったのが悔やまれる。
そして、今回私達日本人参加者にとって最も印象
に残ったのが FORDEC だろう。2009 年には訪問
しておらず、自分にとっても予備知識のない中で見
た子供たちは、小ぎれいな制服を着て、時間になれ
FHCP 前の活動について
ば保護者も迎えに来るなど、日本の幼稚園と一見変
FHCP 自体は例年、金曜日の準備から始まり、土
曜日の開会式を経て、月曜日の修了式をもって終わ
る。これだけなら週末のプログラムに過ぎないが、
当スタディツアーではその週の月曜日までにバンコ
クに集合し、火曜日からカンチャナブリー県のムー
バーンデックに宿泊し、近隣のタンマヌラックや、
バンコクに戻り FORDEC など事前に子供たちの施
設を訪問してから FHCP に参加する。その分日程が
延び、特にまとまった休みが取りづらい社会人にと
っては参加のハードルが高くなってしまうが、実は
この活動こそがこのスタディツアーの要諦だと考え
る。FHCP に参加する子供たちと前もって交流を深
めておくことで、FHCP での活動もスムーズになる
し、バックグラウンドを知っておくことで彼らの実
態についての理解がより深まるからだ。
わらないように見えた。しかし、その後で先生たち
の付き添いのもと、すぐ裏の何軒かに「家庭訪問」
させてもらい、その認識は覆った。そこはゴミ捨て
場だった。ゴミ捨て場でゴミを集めて換金し、日銭
を稼ぐ人たちが壁もないような掘っ立て小屋を作り、
そこに住んでいた。そうした家が周辺に 100 世帯は
あるとのことだった。ある家のお婆さんがとてもい
い笑顔で私達に微笑んでいたので、沖縄の「おばあ」
に似ていると思った私は「いい笑顔だねえ」と日本
語で言った。するとお婆さんが泣きだした。私の言
葉を引率の弘子さんがタイ語にして伝えたところ、
泣いたのだと言う。
「いつもボランティアや NPO に
助けてもらう自分が情けない」とも言ったという。
掘っ立て小屋でゴロンと横になっていたおじさんも
他の参加者の肩を抱いて泣いていた。その時、私は
5 年ぶりのムーバーンデックとタンマヌラックは、
やはり懐かしかった。子供たちは変わっていて、仮
に 5 年前の子が居たとしても私の事など覚えてない
だろうし、私も覚えている子はいなかったが、それ
でもそれぞれの施設が醸し出す雰囲気や子供たちの
性分などは、各施設の教育の特色が変わらず受け継
がれていることを物語っていた。
日本にいるホームレスを含めて、彼らを無意識のう
ちに自分とは違う人種と区別していた、と感じた。
別に彼らに感謝されたくて「善いこと」をしている
わけではない、それが当然だからやっている、と考
えていた。そしてそれが非常に傲
慢な、独り善がりな考えだ、と気
づいた。誰がゴミの中で暮らした
ムーバーンデックでの初日、夕飯後に私達の宿泊
棟に子供たちが何人か遊びに来た。その時にした、
幾つかのリレーやジェスチャーゲームなどは、言語
が通じなくてもお互いが理解し合える楽しさをはっ
きり認識させてくれた。また、25 年勤めているとい
うメイニー先生の話を聞く機会を得た。タイ政府が
法律を変えてくれば、その法の穴をかいくぐってで
も子供を守りぬく、という意志の強さ、実行力に感
- 18 -
いだろうか。お婆さんやおじさん
は私と何も変わらない人たちだ
った。更に、そのスラム街の隣は
警備員常駐の高級住宅街だった
ことも印象を強めた。普段あまり
考えることのない、尊厳や幸せなどについて改めて
考えるきっかけとなった。
青年海外協力隊としてウガンダに赴任予定なので、
FHCP について
私が担当したのはチャンタブリー県の学校の生徒
たちだったが、あまり一緒に活動する時間がなく終
わってしまったのが残念だった。代わりに屋台での
残念ながら可能性は低いだろう。その代わりに今度
こそ周りに積極的に体験を共有することで、少しで
も未来の参加者につなげたい。
ご飯や海水浴の時はムーバーンデックや FORDEC
の子供たちが私を覚えていて、一緒に過ごした。日
本から持参したシュノーケルセットをつけた私に、
沢山の子供たちが貸してくれと寄ってきて、嬉しそ
うに潜ったり、足をバタつかせながらキャーキャー
騒いでいた。
まとめとこれからについて
前回も楽しかったが、あの時ああしておけば良か
ったとか、もっと自分の意見を伝えられたはず、と
いうもどかしさも同時にあった。それだけに 2 回目
の今回は、次はどういう日程になっている、どこへ
私たち日本人参加者は、日本紹介ブースではハン
コ作り、割り箸鉄砲の射的、豆移しなどアクティビ
ティを用意し、ショーではソーラン節を踊るなど、
少ない準備時間の中で精一杯用意しながら結束力を
強めていった。タイ語がわからない、子供たちとキ
ャンプに泊まらず近くのホテルで寝泊まりするなど、
運営ボランティアというよりは、どうしてもゲスト
になってしまった面はあるかもしれないが、それで
も感想、意見を堂々と述べる他の日本人参加者はと
ても眩しかったし、何よりローカルボランティア、
海軍の皆さんが私たちを分け隔てなく受け入れてく
れたお陰で、子供たちと楽しい時を過ごすことがで
き、彼らの笑顔を沢山見ることができた。
行く、というのが大まかに判っており、色んな衣装
を持って行くなど、準備の点で大きなアドバンテー
ジだった。前回の日本人参加者も素晴らしかったが、
今回は例年に無く社会人の参加が多く、それだけに
経験に裏打ちされた多様な視点をシェアできたのは
僥倖だった。大学生も意識が高く、自分の感じたこ
とを的確な言葉で伝える様はとても頼もしかった。
自分は今回の参加者の中では年齢的には上から 3 番
目だったが、自重することなく思いっきり弾けるこ
とができたのは、彼らの、全てを受け入れるという
温かさ故であり、特に引率してくれた推進センター
の桑さん、弘子さんのおかげである。また、弘子さ
んとは 2009 年に一緒に参加した仲でもあり、包み
24 年前に Visit さんが
FHCP を始めた当初は、今
よりとても小さな規模だっ
たが、海軍の協力も無く、
全部自費でとてもお金がか
かったという。すると Visit さんを支える周りの友人
などが、費用を半分持つと言ってくれたり、自分は
お金がないけれど、海軍に知り合いがいる、という
ことで海軍と取り持ってくれたという。そうしてた
った一人の「恵まれない子供たちに海を見せてあげ
たい」という小さな善意から始まった FHCP が 24
回を数え、参加する子供たちは千名を超え、ボラン
ティアも 100 人を超えるという大規模なものにな
ったのだ。その趣旨に賛同して始まった当スタディ
ツアーも今回で 7 回目を数えるまでになった。私が
好きな言葉に”Individually, We Are One Drop,
Together, We Are An Ocean”があるが、正に一
込むような笑顔をまた見ることが出来たのは幸いだ
った。その他、2008 年 SSEAYP TPY の Eddy や
2000 年の Pitsa さん、
シンガポールからの Wai Lee
さんなど、懐かしい顔にも会えたし、同じ EX-PY
でも Idea くんの真っ直ぐ前を見て理想を熱く語る姿
は特に印象深かった。彼らと同じ SSEAYP Family
の一員であることを心から誇らしいと思う。
個人的なテーマであった「確認と新たな発見」が
こうして成功裡に終わった今、すべきことは次回へ
の継承である。5 年前と比べて、iPad や Facebook
の普及など、情報発信のしやすさは格段に前進した。
写真も運営ボランティアが撮ったものも含めてシェ
アさせてもらった。材料は全て揃っている。これを
いつ活かすか?今でしょ!
長々と書いてしまったが、最後にもう一度だけ、
皆さんと参加できて本当に良かった。ありがとう。
コップンマーカップ!
滴の善意が川になり大河となって大海となっている。
来年は 25 周年ということで、Visit さん自身も、
これまでの「子供たちを海に連れてきて楽しんでも
【子どもたちの為に】菊池 恵里
らう」というコンセプトから、「子供たち自身のエ
ネルギーを活用する」方向に発展させたいと考えて
いるようだ。昨年も参加した盲目の子供が Visit さん
ASEAN や発展途上
を覚えていて、しかも Visit さんの写真を撮った、と
国の教育に関心があ
いうエピソードなどは、子供の可能性が無限大とい
った私は、報告書でタ
うことの一例だ。私自身もまた是非参加したいが、
イスタディツアーの
- 19 -
概要を知り、海外の子どもたちと触れ合えるチャン
分が何でも手に入る生活
スだと思い応募を決めた。
をしているのならば、助
スタディツアー終了後の今も、鮮明に浮かんでくる
けを必要としている人や
のは、嘘ではなくタイの子どもたちの豊かな表情と
社会の役に立つよう貢献
笑顔である。出来るならば今すぐにでも子どもたち
していきたい”FHCP を
に再会したいと思ってしまうほど、多くの子どもた
立ち上げた Visit さんは、
ちと関わり絆を深めることができた。
誰より他者に対し思いや
最初の訪問先であった Moo Baan Dek で出会っ
りを持ち、笑顔が多い平
た子どもたちとは 2 日間の滞在ということもあり非
和な社会をと願っていた方に違いない。そんな Visit
常に仲良くなった。楽しい時間を一緒に過ごすにつ
さんの貴重なお話を聞き、作り上げてきたプロジェ
れて、タイ語は話せないが必死に伝えようという私
クトに参加させてもらったことで、本当の社会貢献
に、子どもたちが心を通わせてくれているのを感じ
とはどういうものなのか、肌で感じ学ぶことが出来
た。FHCP のキャンプでも、その子どもたちが、大
た。
勢の人々の中から自分を見つけ飛びついてきてくれ
た時は、言葉にならないほど嬉しかった。
また、タイのボランティアスタッフや海軍の方々の
配慮や相手を思う行動をたくさん目の当たりにし、
ただ一方で、愛しい子どもたちと素晴らしい時間
ここにいる子どもたちの未来が明るく希望にあふれ
を過ごし絆が深まっていけばいくほど、自分は去る
たものになる時はもうすぐなのではないかと思えた。
ときにこの子に何を残していけるのだろう、とボラ
子どもたちの数えきれないほどの笑顔と常に前向き
ンティア活動の意味を問うようになっていた。ある
な考えや思いを聞いて、また確信した。
少女と話している間に相手をすることができずにも
活動を振り返って、私たちの行ってきた活動が、決
う一人の少女を泣かせてしまったこともあり、この
して“一時的な”ボランティアではなかったと今心
10 日間で強い絆を結び、心を通わせても、いつかま
から言える。短い期間の中で素晴らしい出会いとか
た別れの時が来てもっと悲しい思いをさせるのだと
けがえのない時間、そしてたくさんのことを学ばせ
思うと、いったいどうすればよいのかとわからなく
てもらい、感じたこと、伝えたいことがたくさんあ
なった。確かに、子どもたちと有意義な時間を過ご
る。今回の経験を生かすことは、その国に滞在して
していることには間違いないが、それが滞在中だけ
いなくてもできる。自分は、数年後小学校の教員に
の“一時的”な活動になってしまうのではないかと
なり、日本の子どもたちにタイの子どもたちの生活
悩むようになっていた。ある少女は、口数は少ない
の様子や貧困層の実態などを自分が感じたことや経
もののどんな時も自分に近寄り笑顔を見せてくれた。
験をもとに伝えていくつもりである。直接継続的な
その子が泣いてしまった時、彼女が、自分に何をど
活動を行うことが難しいならば私は、この 10 日間
んなに求めていたのかに気付かされた。それは笑顔
の経験を“発信”することで社会に還元していきた
でも優しさでもない、それは“無償の愛”だったの
いと思う。それが、彼女たちにどこかでつながって
だと思う。
いると信じながら…
彼女たちとの関わりの中で、彼女たちから学んだこ
とや気付かされたことも少なくなかった。子どもた
ちが素直に自分に甘える姿を見て、全力で子どもた
ちと触れ合い心から通じ合わせることで、自分も彼
【タイスタディツアー2014】
鈴木苑香
女たちに伝えられるものがあるのだと確信し、活動
2 日目から私の行動は変わっていった。
For Hopeful Children Project が開催する前夜、
責任者の Visit さんのプロジェクトに対する思いや
背景を伺った。当初は小規模のプロジェクトが 24
年も続き一大プロジェクトとなった背景には、海軍
の全面的な協力・支援と企業による援助がある。そ
れは何より仲間を思いやり、幅広いネットワークを
私は以前、青年海外協力隊として、タイにある特別
築けるタイの人々だからこそ成功したプロジェクト
支援教育センターで障害のある子どもたちに理学療
なのだろうと話を聞きながらふと思った。何かある
法(リハビリテーション)を行っていた。タイでは
と「安全」や「責任」という言葉を出す日本と比べ
障害者(児)の社会参加はなかなか難しいという現
て、タイの社会は比較的“寛容”で、ネットワーク
状を目の当たりにしてきた。私は、人と触れ合い、
が広がりやすい社会なのだという印象を持った。
“自
様々な環境でたくさんのことを経験するということ
- 20 -
が子どもたちの心を養うことにつながると思ってい
私はボランティアスタッフとして参加したが、子ど
る。今回、このツアーの募集をみて、障害を持つ子
もたちやそしてその他のボランティアスタッフから
どもたちにも様々な経験を提供できる素晴らしいプ
たくさんの優しさ、愛情、勇気…、与えてもらった
ロジェクトであり、同じような思いで、タイで活動
ことのほうが多かったのではないかと感じている。
をしている人がいることに感銘を受け、もう一度タ
この活動を通して、ボランティアは何かを与えるだ
イの子どもたちと関わりたいという思い、そして、
けではないということを再認識した。一緒にその時
何か少しでも手助けができればという思いで応募し
間、空間を共有することで、お互いに様々なことを
た。
経験し、感じ、何かを与え、何かを与えられること
今 回 、 For Hopeful
ができるのではないかと感じた。子どもたちと交流
Children Project の前
する中で自然とこの子たちみんなが本当に愛おしい
に 参 加施 設で ある 児童
という気持ちが出てきて、こんなに別れるのが辛く
養 護 施設 の子 ども の村
なるとは思わなかった。それだけたくさんの時間を
学園ムーバーンデック、
共有できたということだと思っている。
タ ンマ ヌラッ ク、
FORDEC の 3 施設に訪
そして、このツアーを終えた今、継続した支援とい
問し、子どもたちとの交流や宿泊をさせていただい
うのがとても大切であると感じている。そのために
た。ムーバーンデックでは大雨に打たれて予定が大
私がこれからできることは、まずは多くの人にこの
幅に変更したり、虫の声で目を覚ましたりと大自然
現状やこのプロジェクトのことを知ってもらうこと
の中での生活を体験した。物が溢れていて、便利な
だと思っている。来年は For Hopeful Children
日本とは対称的であり、幸せって、豊かさって何だ
Project が 25 周年という節目の年であり、自分自
ろうと考えさせられた。その中で生活している子ど
身も参加したいという思いも強い。しかし、2 回目
もたちは日本の子どもたちと比較すると幼く、本当
に参加するならば、今回以上の関わりをしたいと考
に素直で人懐っこく、純粋であるなと感じた。一方
えているが、私にはまだ何ができるかわからないと
でタイの首都バンコクは日々発展を続け、高層ビル
いうのが現状である。また、今回、実際に参加する
が立ち並び、日本と変わらない生活を送ることがで
まではわからなかったことがたくさんあった。私が
き、タイの貧困の差も目の当たりにした。そして、
このプラグラムを通して五感で感じたように、たく
そのとても素直で純粋なこの子どもたちが、将来、
さんの人にこのプログラムのボランティアを経験し
大人になった時に社会で生きていけるのかと不安に
てもらい、一人でも多くの人に五感で感じてもらう
なった。ここで生活をしている子供たちはそんな都
ことが今後の支援の継続につながるのではないかと
会での生活を知らず、経験することができないので
も考えている。そのためにも、私の経験したこと、
はないか。私たちは都会での生活も知っていて、大
感じたことを一人でも多くの人に伝えることが重要
自然の生活も経験し、自分で選択することができる。
であると考えている。
この子どもたちには様々なことを経験し、将来を選
このツアーのすべての日程を通して、どの施設でも、
択するということができないのではないかと思った。
どのタイ人スタッフも私たちを暖かく迎え入れてく
そんな思いの中で For Hopeful Children Project
れた。それは、昨年度までのメンバーが本当に素晴
に参加し、まず、規模の大きさに驚いた。数多くの
らしい関わりをしてきたからだと思う。9 日間とい
施設から 1000 人以上の子どもたちが参加し、
孤児、
う短い関わりであっても「記憶に残るボランティア」
貧困、障害をもつ子どもたちなど、すべての子ども
が今後につながっていくのだと感じた。
たちが様々な経験をすることができるとても素晴ら
最後に、タイスタディツアー2014 に参加したメン
しいプログラムであることを実感した。そして、タ
バー、このスタディツアーで出会ったすべての人た
イ人、日本人など国籍に関わらず、スタッフみんな
ちに感謝の気持ちでい
が同じ目標、目的をもって協力し、行動することで
っぱいです。本当にあり
こんなに大きな力になるのだと感じ、このプロジェ
がとう。笑顔で世界を変
クトに参加できることを心から嬉しく思った。そし
わると信じて…。これか
て、私は日本人として、この子どもたちにできるこ
らもみんなの活躍を励
とは何かを考えた。子どもたちにとって、この 3 日
みに私も頑張ります!!!
間は本当に一瞬の出来事なのかもしれない。しかし、
少しでも日本の文化に触れ、日本人と関わるという
経験が子どもたちの将来の選択に何か一つでも繋が
ればいいなという思いで思いっきり遊び、活動した。
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【スタディツアー報告】 中野 裕二郎
し始めた。ロープを引っ張ったり、カベにぶつかっ
たり・・・特に意味は無いが、遊びとはそういうも
のだ。私は成長するにつれて、毎日に意味を求めす
ぎるばかりに、楽しみを忘れていた気がする。そし
て、「何かしてあげないと」という上から目線では
なく、「何して遊ぶ?」という友達目線で自分が楽
しむことで、彼らも楽しむことができる、というこ
とに気がつくことができた。
これは、タイのサバーイ精神にもつながるのではな
大学4年生、就職前の私が、この事業に参加したい
と思った理由は2つある。
いか、と思う。サバーイとは居心地がいい・気持ち
いい、といった意味で、タイ人は自分がリラックス
1つは、ビジネスの世界に入る前に、そこでは触れ
合う機会がない子供達との関わりを持つことで世界
の広さを忘れないでおきたかったから。
し ている ことが 何
より大切らしい。私
も子供達を通じて、
私がタイを訪れたのは2回目で、1回目は内閣府の
東南アジア青年の船事業に参加した時だった。その
時は発展したバンコクしか見られず、貧富の差を感
自 分から リラッ ク
ス するこ との大 切
さを学んだ。
じることはなかった。就職後も富んでいるビジネス
の世界としか関われないだろう。私は、その裏にい
る本当の人々を見ることで、自分の世界を広げてお
気付き2:一緒に過ごす時間の大切さ
2日目に、タマヌラックという小さなお坊さん・尼
きたかった。
もう1つは、私の趣味であるパントマイムを通して、
子供達に想像力の楽しさ・大切さを覚えておいてほ
しかったからだ。パントマイムは、自分が想像した
ことを、自分の体を使って表現(創造)し、相手に
錯覚を引き起こす。カベを作ったり、ロープを引っ
張ったり。想像力で世界の見方を変えられることや、
自分ひとつでも人に何かを伝えられることを教えた
さんがいる学校を訪問した。人数が多く、1人1人
興味が違うため、折り紙やコマ・風船で遊んでも笑
顔にならない子や、どこかに行ってしまう子も多か
った。そもそも、遊び方を忘れてしまっていた私は、
この子は何が好きなのかな?どうすればいいのだろ
う?と考えているうちに、交流が終わってしまった。
私は、自分の不甲斐なさに落ち込んでいた。しかし
帰り際に、私が遊んだ何人かの子供達から「将来の
いなと思っていた。
ここでは、私がこのスタディツアーを通して気付い
たこと3つと、その上で自分の目的が果たせたかど
夢」という題の絵をプレゼントされた時、一緒に過
ごした時間の分だけ彼らに何かが残るのかもしれな
いと気付き、考えず体当たりで彼らと触れ合おうと
うかを書きたいと思う。
思った。彼らとは後に FHCP のキャンプで再会し、
パントマイムを教えたり、絵を一緒に書いたりなど、
気付き1:楽しむこと
全力で一緒の時間を楽しむことに努めた。帰り際、
最初に子供達と会った時、正直私は何をすればよい
のかわからなかった。タイ語が喋れないため、彼ら
バスの窓から涙で腫れた彼らの目を見た時、私は彼
らの将来が絵に描いたようになることを切に願った。
の言っていることが理解できない。こちらも自分の
思いを伝えられない。彼らは自分に興味を持ってく
れるのだろうか?一緒にいて楽しんでくれるだろう
か?・・・そのような思いが頭の中を駆け巡り、私
気付き3:愛
私は FHCP のキャンプで、すべての人からの愛を
感じた。FHCP には海軍の人、一般・学生のボラン
の体は麻痺していた。とり
ティアスタッフなど大勢の人が関わっており、皆が
あえず彼らの輪の中に入り、
笑顔で子供達に接していた。そして、右も左もわか
彼らがやり始めた遊びに参
らずボランティアスタッフの一員として参加した私
加する。中学校以来だろう
にも、タイ語を英語に訳してくれたり、タイについ
か、競走や鬼ごっこのよう
て教えてくれたりなど、とても親切だった。私はま
なゲームは、社会や人間関
るで子供のように、彼らから愛をもらったのだ。
係など考えずに純粋に楽し
そして、子供達。私たちボランティアスタッフは子
んでいた過去を思い出させ
てくれた。私も自分の趣味であるパントマイムでカ
ベやロープを作ってみると、子供達が喜んで真似を
- 22 -
供達のお世話をする係で、与える側、という認識が
強かった私だが、子供達と時間を共にするうち、彼
らに愛を与えられている自分がいることに気がつい
た。友達として、一緒に遊んでいるから楽しい。体
が大きいお兄さんとして、できることも多いから頼
られる。彼らに楽しみを与えている自分と彼らから
愛をもらっている自分がいたのだ。
Dhammanurak
仏教の精神のもと設立された施設でありケサを着
た子どもたちがいたのが印象的でした。また、私た
ちが訪れたとき海軍の方も訪問に来ていました。
Dhammanurak だけでなく今回訪れた Moo Bann
能力の高さが評価される社会で自信を失うことも
多かった私は、ボランティアスタッフや子供達に救
われた気がする。
Dek、FORDEC も多くの訪問を受け入れているよう
でした。施設というと、閉じたイメージがありまし
たが、受け入れることで施設の運営に繋げ、発信し
このツアーに参加した理由の1つ目についてだが、
ていくことができているのかと思いました。
気付きにも書いた通り、私は自分が今まで知らなか
ったタイの現状や、子供達との関わり方だけでなく、
自分自身をも知ることができた。まさに、自分の世
界を広げることができたと思う。そして、2つ目の
「想像力の楽しさ・大切さを教えられたか」という
点。これについては、「教えた」というより、「教
えられた」と言った方がいいだろう。子供達は想像
力豊かで、何もなくても遊び方を考え、楽しむこと
ができる。自分はまだまだ大人だな、もっと未熟に
FORDEC
児童デイケアセンターは日本の保育所のようでし
た。キレイな施設、制服、保護者の方の迎えがあり
施設とは別に生活の拠点がありました。そのキレイ
さに低所得層を対象とした NPO 施設ということを
忘れるほどでした。しかし、一歩外にでて訪問した
家庭は、ゴミの中で生活している人たちでした。想
像していなかった光景を目の当たりにして、言葉が
なりたい、と思った。
出ませんでした。デイケアセンターの方たちと一緒
【タイ王国スタディツアー2014
に参加して】
林田
梨絵
であったため、敷地内に入り様子を見ること、話を
聞くことができました。その中に「ボランティアや
NPO の人に助けて貰っていて情けない。でも、あり
がたい」との言葉がありました。参加した私たち皆
の心に残っていると思うほど印象的な言葉でした。
他の人がどうのように思い生活しているか分かりま
せんが、生活する環境とはとても呼べない場所で生
活していてもその人の心は私たちと同じだと思いま
した。
FHCP
はじめに
スタディーツアーに参加して、笑顔と生きる力を
希望あふれる子どもたちのためのプロジェクト理
貰いました。私は、タイの福祉制度を学び、今後の
念は勿論、それを支える海軍やタイのボランティア
タイの福祉に少しでも携わりたいと思い参加しまし
スタッフに感動しました。軍艦乗船、アスレチック、
た。学生時代、旅行で訪れたタイで、奇形な体をし
海水浴、日本の夏祭りのような屋台等、楽しい企画
た人が物乞いをする姿と何事もなく通り過ぎる光景
が盛りだくさんでした。その一つずつに海軍の全面
に衝撃を受けたことからです。その時から、海外の
的なサポートがありました。海水浴では、海軍の人
福祉や生活を知りたいとずっと思っていました。
たちが何十人で防波堤を作り子どもたちの安全を守
っていました。タイのボランティアスタッフは、い
つも笑顔で子どもたちだけでなく私たちのことを気
Moo Bann Dek
子どもたちのたくましさと日本の生活を考えさせ
に掛けてくれました。
られました。朝はニワトリの鳴き声で目が覚め、テ
ーブルもイスも壁もないところで食事をしました。
川あそびでは、キレイとは言えない川に入ることに
躊躇し、おそるおそる木に登る私とは対照的に、子
どもたちは軽々と木に登り、笑顔で川へ飛んでいま
した。日本と比べ快適ではないけれど、大自然に囲
まれてのびのびと生活する子どもたちとあそび、大
FHCP では、ツアーのはじめに訪れた施設の子ども
たちとの再会や他の施設の子どもたちとの出会いが
らかな気持ちになった気がしました。
- 23 -
ありました。タイ語が出来ず戸惑うこともありまし
た。そこからは子ども達の方から「こっちこっち」
たが、子どもたちと楽しい時間を過ごすことができ
と手を引いてくれ、昼間の川遊びや、夜就寝前の自
ました。一緒の時間を過ごしたからこそ、子どもた
由時間、日本人も子ども達も一緒になってはしゃぎ
ちの帰りのバスを見送りながら、みんなの未来が幸
ました。
せであってほしいと願わずにはいられませんでした。
子ども達と距離も縮まった頃、私を気に入ってく
れた女の子がいました。その子はとても物静かであ
まり感情を表に出さない子でしたが、ずっと私の手
おわりに
このツアーに参加できたことをとても嬉しく思い
ます。参加するまでは、福祉制度や生活を知りたい、
タイのために何かをしたと考えていました。参加を
して、スラム等の現実を前に自分の無力さを実感し
ました。同時に施設への訪問や FHCP を通して、社
会を良くしようと行動している人の存在と活動を知
って力を貰いました。そして、出会った人、皆の笑
顔が輝いていて、どんな環境でも笑顔って素敵だと
思いました。日本で生活していて、前に進めなくな
ることもありますが、どんな時も笑顔で社会のため
に行動していきたいと思いました。最後にスタディ
ーツアーで関わった全ての人との出会いと貴重な経
験に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうござ
いました。
を引いて夜の施設を探索していました。すると私の
持っていたポケットライトを手にしたその子は、
「こ
れ私に頂戴」という身振りをしてきました。私は「こ
れはあげられないんだ」ということを同じく身振り
や表情で伝えたのですが、徐々にその子の態度が変
化し、私を睨みつけ、最後はそのライトを持って走
って自分の家に帰り、閉じこもってしまいました。
私は彼女を家まで追うことしかできず、彼女にライ
トを渡してしまったことをとても後悔しました。子
ども達からすれば私達が持っている物は珍しく、魅
力的に映るのは当然のことであり、それを欲しいと
思うのも理解できます。私の配慮が足りなかったた
めに 1 人の女の子に嫌な思い出を残してしまったの
です。
しかしいくら物珍しいからといって、人の物を奪う
【~Why impossible~】日野美久
ことはよくないことです。このことを日本であれば
理由と共に子どもに伝えられますが、言葉が通じな
い子ども相手に私はどうすることもできず、結局施
設長の方がその子にライトを返すようにいってくだ
さり、翌日ライトは私の手元に戻ってきました。別
はじめに
れ際に彼女に話しかけに行っても目も合わせてくれ
私は本事業に参加
するに当たり「体験
して心動かされて
帰国後にそれを報告する」だけで終わらせず、その
経験を東南アジアの国々の子ども達に繋げたいとい
う思いがありました。なぜならば、今までにも NPO
団体でスタディツアーやワークキャンプに参加した
事がありましたが、帰国後の活動としては広報活動
しか行えておらず、経験だけが増えていた為です。
もっと子ども達に自分の経験を還元する必要がある
と考え、その具体的な方法を求めこのツアーに参加
しました。
ず、FHCP にも彼女は来ていましたが、ずっと私を
避けていました。きっとこの出来事は私にとっても
彼女にとっても、苦い思い出であるとともに課題に
もなりました。もし再び同様のことが起きた際には、
施 設の 方を 介し
て でも 私の 想い
を伝え、相手が子
ど もで も大 人で
も関係なく、互い
を 尊重 し解 決を
し たい と思 いま
す。
ムーバーンデック
タンマヌラック
ここムーバーンデックでの私のキーワードは、
「言
葉」です。施設にいる子ども達はほとんど英語が分
からず、私もタイ語は話せないため、表情とジェス
チャーのみの意思疎通でした。ここで役に立ったの
が、持参していた「指さし会話帳」です。片言のタ
イ語を読みあげると、子ども達が「違うよ、こう読
むんだよ」と言わんばかりにタイ語を教えてくれま
す。これで一気に子ども達との距離が近くなりまし
- 24 -
タンマヌラックでのキーワードは「夢」です。こ
こでは子ども達が「夢を描く」アクティビティがあ
り、すらすらと自分の夢を書き始める子もいれば、
頭を抱えて悩んでいる子、絵を隠しながらも書いて
いる子、様々でした。途中ある女の子に「兵隊の絵
を書いて」と言われ、まだ 10 歳くらいの女の子の
夢が兵隊なんだ、と少し驚いたのですが、実は FHCP
でも彼女と同い年くらいの女の子が「将来兵隊にな
りたい」と言っていたのです。理由を聞くと「人の
ために働きたいから」と答えていました。実際に
FHCP で女性の兵隊の方とお会いしましたが、とて
も凛々しく魅力的な女性ばかりでした。
おわりに
将来私は教師としてこの経験を日本の子ども達に
伝え、さらに東南アジアの子ども達の夢を支援する
活動にも繋げたいと考えています。Visit さんが「東
南アジア青年の船」事業参加後に始めた小さなプロ
私は日本で小学生と触れ合う機会があります。彼ら
に、遠いタイの国に住んでいる同い年くらいの女の
子達はこんな夢を持っているんだよ、と紹介したい
と思います。きっと彼らも彼女たちから得るものが
あると思います。
ジェクトが 24 年経った今、1000 人を超える子ど
も達に笑顔と希望を与えています。今までは、私が
行動するくらいでは何も変わらないのでは、という
思いがどこかに必ず潜んでいましたが、それを打ち
消すのに十分な確信を自分の目で見て得ることがで
きました。具体的な活動に結び付けるまでにはまだ
FHCP
至っていませんが、不可能なことはないということ、
この FHCP がメインイベントでした。キーワード
そしてタイで出会った子ども達や仲間の笑顔を思い
は“Why impossible”。これは FHCP 創設者でも
出し、行動に移していきたいと思います。貴重な体
ある Visit さんが紹介してくださった今年の FHCP
験をさせていただいた本事業の関係者の皆様に心か
のコンセプトです。「Why」を「Y」に変えると「Y
ら感謝致します。
impossible」となり、「Yim」はタイ語で「笑顔」
ですから、「Yim possible」=「笑顔 可能」。つ
まり「笑顔は不可能を可能にする」という思いが込
められているそうです。この話を聞いた時に、自分
は今まで出来ない理由ばかり探してきたことに気付
【タイ王国スタディツアー2014
を通じて感じたこと】
深水菜津実
きました。そしてその後 FHCP に参加したことで、
私はこの言葉の意味を初めて理解できたのです。そ
のきっかけは FHCP の開会式でした。
開会式ではいくつかの施設から代表して子ども達
が歌やダンスを披露したのですが、その中で車イス
はじめに
に乗った男の子が 2 人、車イスから降り、私達の目
私は今までボランティア
の前で体全体を使って一生懸命バランスを取りなが
に興味は持っていたものの
ら笑顔でダンスをしてくれたのです。私は彼らを見
なかなか行動に移せなかっ
ていて熱く感じるものがあり、彼らには可能性が溢
た。人のために何か行動するということは、勇気と
れていると確信することができました。同時に Visit
責任が伴う。今回、このタイスタに参加しようと決
さんはこれが言いたかったのではないだろうか、と
意したのは、自分が興味を持っている海外の中でも、
思ったのです。健常者と比べると、彼らはどうして
今特に世間から注目を浴びている東南アジアに位置
もできることは限られてきますが、可能性が限られ
するタイの子どもたちや生活の現状を自分の目で確
ているわけではありません。私達の勝手な思い込み
かめたいと思ったからである。
で可能性を押し込めていたのです。
例えば、彼らは翌日海軍基地にあるバンジージャン
Moo Baan Dek(ムーバンデック)
プにも挑戦していました。日本ならば安全面で何か
私たちが初めてタイの子どもたちと会った、そして
あったら大変だから、とまず参加させてもらえない
最初の 2 日間宿泊させていただいた施設だ。
1 日目、
でしょう。私は日本の特別支援学校で数日間実習を
Moo Baan Dek に到着して子どもたちと会うのを
行いましたが、生徒の笑顔を見た記憶があまりあり
とても楽しみにしていた。しかし、いざ子どもたち
ません。安全で可能なことにしか挑戦できない環境
に会えるだろうと張り切っていたら、突然スコール
があったのだと思います。もちろん学校と FHCP で
が降りだした。これもタイの気候であり、タイらし
は環境が違いますが、も
いと前向きにとらえたが、その日は子どもたちとあ
っと子ども達の可能性を
まり触れ合うことができず、残念だった。しかし、
広げるための人々の理解
何人かの子どもたちが私たちの宿泊している建物に
と環境が必要です。この
遊びに来てくれて、夕方から夜はタイの遊びを教え
ことを子どもたちに教えてもらいました。
てもらったり、逆に日本の遊びを教えたりと一緒に
過ごせた。しかしながら、後で知った事実だが、そ
- 25 -
れは禁止されていたことだった。私たちと楽しく遊
世界にはこのように日々生活を送っている人々がい
んでいた子どもたちは、先生方に怒られていまい、
る。今までは学校の講義やテレビで見たことがある
何 と も 言え ない 感 情に
ような景色だったが、タイの格差社会を直接目の当
なった。Moo Baan Dek
たりにした。何とかしてあげなくちゃいけないと感
施 設 内 での ルー ル や規
じた。
則は厳しく、子どもたち
は シ ュ ーン と落 ち 込ん
For Hopeful Children Project
でいた。
何といっても今回の一大イベントであった FHCP。
参加させていただいて、とても大規模なイベントだ
Dhammanurak(タンマヌラック)
と実感できた。スタッフは現地のタイ人をはじめ、
2 日目に尼さんの学校であるタンマヌラックを訪
私たち日本人とラオス人とフィリピン人とシンガポ
れた。到着して感じたのは、Moo Baan Dek と雰囲
ール人…世界各地からボランティアに参加したいと
気が異なっているということだ。見た感じ年齢も
いう人々が集まっていた。また、様々なバックグラ
様々で、まだ歩けそうにない赤ちゃんや日本でいう
ウンドを持った子どもたちがたくさんの施設から訪
ともう就職しそうな年齢の子も見受けられた。到着
れていた。約 1,000 人の子どもたちが一カ所に訪れ
した時は、子供たちは朝礼のようなことをしていた。
て、一緒に楽しむイベントが開催されるなんて凄い
そんな中でも私たちが訪れた様子に気が付くと、笑
ことだと感じたのと同時に、国の海軍の手厚いご支
顔で手を振ってくれたり、一生懸命ポーズを決めて
援に感動した。日本では、海軍基地を貸し切って同
きたりする子どもたちがいた。私は割とアクティブ
じようなことはできないだろうという話もした。子
な子どもたちと遊んだ。おいでと手を広げると飛び
どもたちの中には家族とともに来ている子もいてと
ついてきたり、慣れてくると肩車やおんぶなどもし
ても楽しんでいる様子が伺えた。私が担当した子ど
てあげたりした。しかしながら、ここで一つ事件が
もたちは盲目の子たちの施設であった。最初その施
起こった。日本から持って行ったシャボン玉風船の
設に割り振られた時、その子たちは目が見えないか
ようなものを私と遊んでいた一人の男の子に渡した。
ら「タイ語でたくさん話しかけてあげなくちゃ」と
ストローが 1 本しかなく、その子が楽しそうに遊ん
か「コミュニケーションとるのが難しそうだな」と
でいたら、他の子たちも珍しがって集まってきた。
か思っていた自分がいた。しかしながら、手をとっ
最初は見ていただけだったが、次第にその 1 本のス
て一緒に歩いていると、微笑みかけてくれて、名前
トローを巡って軽い争いが起こった。この時感じた
を聞くと元気に答えてくれる。私の不安は一気に吹
のは、遊び道具やおもちゃも使える数や人数が限ら
き飛び、一緒になってたくさん笑った。音楽が流れ
れている上に、日本の幼稚園や保育園にあるような
れば元気に踊るし、海軍の軍艦に乗船した際は風を
遊具のように、十分に整っていないのだろうという
感じて喜んでいた。楽しむという条件は、人間みん
ことだ。おもちゃを交代交代に順番で使ったりする
なが平等に持っていて、共通するものが多いという
ということを知らないのではないかと感じた瞬間で
ことに気づいた。
あった。
まとめ
FORDEC(フォルデック)
今回タイスタに参加して、心からよかったと感じた。
3 日目は FORDEC というデイケアセンターを訪れ
たくさんの人に出会い、コミュニケーションをとる
た。ここは Moo Baan Dek とも Dhammanurak
中で、いろんなことを肌で感じ、考え方が変わった。
とも雰囲気が異なり、第一印象は日本の幼稚園や保
今はまだ参加したという事実だけにとどまっている
育園に様子が似ていると感じた。しかし、一歩外に
が、私にはこの自分の感じた思いや経験をたくさん
出てみると世界は違った。FORDEC に通う子どもた
の人に伝えていく義務がある。この素晴らしいプロ
ちのお家を何軒か訪問させてもらったのだ。そこで
グラムをより多くの人に知ってもらいたい。来年は
見た景色は、一瞬自分の目が信じられなくなった。
記念すべく 25 回目の FHCP であり、それがさらに
たくさんのゴミの上にテントを敷いて住んでいたり、
発展し大きなものになることを願う。そしてまた、
大家族なのに十分な生活ができていない様子が伺え
どこかでこの FHCP に関わりたい。今回の FHCP
たりした。しかし、その向かい側には高級住宅街が
のスタッフ同士の絆やタイスタのメンバーとのネッ
立ち並んでいた。このギャップから複雑な気持ちに
トワークは一生ものであるだろう。
襲われ、なぜか自然と涙がこぼれた。私はそこで、
最後に、桑さん・ひろこさんをはじめ、一緒に参加
その現実と自分の日本での生活を比較してしまった。
してくれた皆さん、本当にありがとう!
- 26 -
供達は自立していたのに対し、親がいることでこん
【スタディツアーに参加して】
福田梨世
なにも子供らしく甘えるようになるのか、と実感し
た。
しかし、フォルデックは普通の日本の保育園とは
違うところがあった。立地と、地域との関係性であ
参加前の抱負
私は、このプログラ
ムに ボランティア
とはどんなことなのか という問いを持って参加し
た。以前旅行会社が企画した、孤児院訪問ボランテ
ィアスタディツアーとしてカンボジアに行ったが、
時間が短かったためか自分がボランティアをしてい
る実感を持つことができなかった。そこで、同じ東
南アジアのタイで孤児院のボランティアをし未来あ
る子供達に自分が出来ることを知りたくて、リベン
ジを込めこのプログラムに参加した。
る。なぜなら、高級住宅とスラムのゴミため地域に
挟まれているところに存在し、国から移住を認めら
れないスラムに住む人に対し、援助を行っているか
らだ。私達はフォルデックに通っていたスラムに住
む子のお家を訪ねさせてもらった。私は、騒然とし
た。目の前に広がったのは、実際に見たことのない
風景だった。散らかり山積みになるゴミ、手作りの
家、他の地域と比べ物にならない量のハエ、しかし
そこで平然と暮らす人々。ゴミ山で暮らすのは可哀
想と思っていた私は、その光景を見ているだけでと
ても心が苦しかった。私達は、二件のスラムの家を
伺った。フォルデックから送られる飲み物を届けに
孤児院で感じたこと
行った。そして、二件目のお家で、飲物を届け終わ
まず、私たちはムーバーンデックという孤児院にい
り写真を撮ろうとしているときだった。私達の一行
った。そこにいた子供達は、大自然の中で植物、動
の 1 人が、そこに飲物を受け取ったおばあちゃんに
物と共にのびのびと暮らしいてる子供達だった。し
「おばあちゃんの笑顔は素敵だね」と言ったら、お
かし彼らは孤児であること、国境に生まれたために
ばあちゃんが泣き出したのだ。「ありがとう。本当
国籍がない子供、虐待を受けていたことなどを理由
はこんな暮らしはしたくないし、支援してもらうの
に孤児院にいるのだ。子供達と遊んでいる時はあま
は申し訳ない。」と言った。スラムに騒然としてい
り壮絶なバックグラウンドを感じることはなかった
た私は、予想外のおばあちゃんの涙と言葉で号泣し
が、1 人の 14 歳の女の子と話した時に感じたこと
てしまった。同情と、自分がいかに何も知らずに恵
があった。基本的に 3 歳から 15 歳までの子供を預
まれた環境で生きてきたのか、この人達の存在に対
かるムーバーンデックの中では、比較的お姉さんの
して何もできず生きてきたのかを実感したら涙がと
ような存在感があり、落ち着いていた。私が小さい
まらなかった。おばあちゃんの息子らしき中年の男
子達が発表をしているのをみて 14 歳の少女に「可
性もいた。彼も、おばあちゃんや私達の数名が泣い
愛いね。妹のような感じなの?」と聞くと、「仲良
ているのを見て涙していた。私はその彼に歩み寄り、
くないわ。」と答えた。その後、彼女はこの孤児院
握手しに行った。握手を強く握り返し、震える声で
が好きではないこと、日本に憧れを持っていること
「コップンマーク」といい涙をながす彼を見た時、
を私に伝えてくれた。孤児院にいる子供達は、楽し
私は直感で、彼に何かをしなくてはと思った。鞄の
く暮らしいている風に見えたとしても、その生活に
中を探って、とりあえず持っていた水のパックと飴
満足しているわけではないかもしれない。理想の暮
をあげた。私は今何かこの人のためにしなくてはい
らしはあるけれど、変えられない自分の状況を飲み
けない とそう強く感じた初めてのことだった。
込み、受け入れて暮らしているのかもしれない。彼
私は日本に帰った日、
女の表情は、明るくなかった。
便 利なも のに囲 まれ
次に、タンマヌラックという仏教系の孤児院に行
ている自分に驚いた。
った。ここではムーバーンデックの子供達主体で遊
自 分がい かに豊 かだ
ぶ雰囲気と違って、子供達が先生から行儀などをし
ったかを実感したし、
っかり教わっている雰囲気がすぐに伝わってきた。
私 欲のた めに高 い物
同じ孤児院を見て、教育の影響を感じた。
を買っていた自分を思い返すと、そのうちのいくら
フォルデックは、低所得者の親の子供が通うデイ
ケアセンターである。そのため、ムーバーンデック
かでもタイの孤児院やスラムの人々に寄付できれば
助けられていたのに、と悔しく思った。
やタンマヌラックと雰囲気は一変し、綺麗で制服も
あり、日本の保育園とあまり変わらない印象だった。
驚いたことに、そこにいた子供達はみんな私達ボラ
ンティアや大人に甘え慣れていた。孤児院にいた子
- 27 -
FHCP
バックグラウンドや身体にハンデのある子供達を
養う 17 団体とボランティアスタッフが集まり海軍
基地で開かれる、global smiling がスローガンのイ
【再発見したスタディツアーの魅力】
ベント、FHCP に日本からのボランティアスタッフ
一般財団法人 青少年国際交流推進
として参加させていただいた。1000 人というとて
センター職員 / 引率
松倉
弘子
も大きな規模で、年に一度、子供達に多くの楽しみ
を与えるイベントだ。私もとても楽しんだ。たくさ
んの屋台やアスレチック、パフォーマンス、海軍の
船に乗ることができる、素晴らしいイベントだ。私
は、集まった 17 団体を見て、それぞれの団体の創
始者は、私がスラムで感じたように、目の前にいる
ハンデを抱えた子供に対して「何かしなくては」と
思い、それぞれの団体をつくったのだと感じた。そ
参加者として 2009 年に参加したこのスタディツ
れが、相手のために尽くすボランティア精神かもし
アーに、今度はめぐりめぐってスタッフとして同行
れない、と感じた。
することになった。前半に子どもたちの施設を訪問
また、子供達と遊んでいる中で、私は子供達が愛
し、後半は FHCP にボランティアスタッフとして参
おしく思えた。ハグすると、とても嬉しそうに笑っ
画するというスタディツアーの構成は 5 年前と変わ
てくれた。タイへ来てこのイベントに参加し、子供
りなかったが、引率者として立場が変わることで、
達に愛情を持って接したことで、私はボランティア
改めてこのスタディツアーの魅力を再発見すること
をしにきて、役目を果たせた気がした。ボランティ
ができた。今年の特色や参加者の様子なども含めて
アとは何かという問いの、自分の答えだと感じた。
報告したい。
最後に
出身(在住)県、年齢、職業の異なるメンバー
私は今回のスタディツアーを通して、最初に掲げ
今年は、北は秋田、南は沖縄から 12 名の参加者が
た自分の問いの答えは出た。しかし、ツアー期間だ
集まった。いろんな県からの参加者がいることをタ
けで終わるボランティアではさみしいと思う。今後
イの子どもたちにも伝えたいと思い、訪問先で配布
も子供達のため、ハンデを背負う人々のために何か
する自己紹介リーフレットには日本地図を掲載し、
をし続けたい。思いを形にするための思いは今回の
参加者の出身(在住)県と顔写真を線でつなげ、それぞ
ツアーで培えた。これから、残りの三年間の学生の
れがどこから来たのかを一目でわかるようにした。
うちに絶対に形を残そうと思っている。
今年の参加者の構成は、社会人 7 名・学生 5 名(男
そして、私は今回のツアーでタイが大大大好きに
女各 1 名の引率者 2 名を含めると社会人 9 名)と社
なった。そこには、いつも一緒にいてくれた日本人
会人の比率が高かった。いろいろなバックグラウン
メンバーの存在が
ドの仲間が一緒に活動できるのは、グループとして
とても大きい。みん
も幅が出て楽しくなるし、お互いから受ける刺激に
なで真剣に考えな
もなって良い。出発までは、主にメールでのやりと
がら意見を出した
りだったので、初対面となる初日はやや緊張の面持
ミーティング、一生
ちだったが、バンコクで集合したあとは、一緒に揃
懸命暑い中練習を
いのユニフォーム(シャツ)を買いに行ったり食事に
頑張ったソーラン節、みんなでたべた美味しい数々
行ったりしながら、少しずつ緊張の糸がほどけてい
のごはん。タピオカミルク。どれもがとても素敵な
った。
思い出である。メンバーとも、子供達とも、スタッ
フとも、全ての出会いに感謝した。
個性がいきる自主企画
とても充実したツアーになり、参加できて良かっ
たと心から思った。ありがとうございました。
初日には想像もできなかったが、このスタディツア
ーではメンバーそれぞれの個性や特技が発揮される
こととなった。参加者の中にはタイが初めての者も
いれば、旅行やボランティアで訪れたことがある人
もいた。青年海外協力隊でタイ在住歴がありタイ語
ができる参加者は、すすんで通訳をしたり仲間のコ
ミュニケーションを助けたりしていた。フォトグラ
ファーである参加者は率先して写真を撮り、最後に
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全員の写真を集め CD-R を作成してくれた。ソーラ
ピン、ラオス、シンガポール、クウェートなど国際
ン節が踊れる人は、わかりやすい言葉で他のメンバ
色豊かで、主催者の Visit 氏からも海外からのボラン
ーに振付けを教え、空き時間に練習を呼びかけた。
ティアの継続参加を歓迎するとのコメントがあった。
パントマイムができる学生は、べつの参加者 2 名に
そもそもこのプロジェクトは、社会的に恵まれない
そのコツを伝授し、子どもたちを巻き込む演出を加
子どもたちが、キャンプで自分と同じような境遇の
え、できあがった作品はどこで披露しても大盛況だ
子どもがいることを知り、お互い助け合うことで「自
った。子どもたちが喜びそうなコスチュームを持参
分が誰かの役に立てること」を学んでほしいという
した者、手作りの「ぶんぶんゴマ」を手持ちし、子
思いで始まっている。25 回目を迎える来年、Visit
どもと遊んだ者、参加者同士が仲良くなるための提
氏はその根底にある主旨からもう一歩踏み込んで、
案をしてくれた人もいた。大げさな感じでなく、そ
子どもたちに環境保護やモノを大切にする意識など
れぞれがこのスタディツアーを楽しくするために
も学んでほしいと考えている。
「自分にできること」を探して行なったことで、自
然にリーダーシップを発揮していたように思う。
プロジェクトのテーマである ”Global Smiling (グ
ローバル・スマイリング)” には、地球規模で波及す
べきは”Global Warming (地球温暖化)”でなく”
Smiling(微笑み)”だという思いが込められている。
「サバーイ・サバーイ」なタイ時間
このスタディツアーの隠れた魅力は、日本では味わ
えない時の流れ「タイ時間」を感じられることだ。
タイ人が好む「サバーイ・サバーイ」という言葉が
Visit 氏は私たち参加者に「不可能は『微笑み』に
よって可能になる」という意味の、タイ語と英語を
織り交ぜたこんな言葉遊びを紹介して自身の思いを
語った。
ある。急がずのんびりした
Impossible
(不可能)
Y impossible ?
心地よさをあらわす言葉
だ。
今回訪問した児童施設
でも、お世話になった
Visit 氏や常に私たちを気
(なぜ不可能なの?)
にかけてくれたタイ人ス
Yim possible!
タッフのまわりにも、目には見えない「サバーイ」
(微笑めば「可能」になるでしょう!)
な空気感が漂っていた。バンコク集合日翌日に宿泊
したムーバーンデックでは、ゆったり流れる川を見
下ろしジャングルの向こうに沈む夕日を見ながら食
事をした。すっかり日が暮れたあと、虫やカエル、
トッケイ(オオトカゲのような生きもので「トッケ
イ」と鳴くのでタイ語でそう呼ばれている)の声を
Impossible に「Y」をつけると Y impossible(同
じ韻の why(なぜ) をかけて)「なぜ不可能なの?」
という設問になり、さらにタイ語の “Yim(微笑み)”
が不可能を可能にするという内容である。こんなふ
うに遊び心とウィットをきかせ熱い思いを語る Visit
背景に、みんなで床に腰をおろしてミーティングを
氏の人間的な温かさに触れられることは、間違いな
したときも、そんな時間が静かに流れていた。子ど
くこのスタディツアーの大きな魅力の一つである。
もたちと接する以外に、日常から切り離された場所
に流れる、ゆるくぜいたくな時間を味わうことがで
きた。
FHCP に込められた思い--来年に向けて
「1200 人の恵まれない子どもを海軍の協力のも
と基地に招待し、キャンプやアクティビティをする」
---ひとことで表すのは簡単だが、このプロジェクト
は実に多くの人の善意によって支えられている--寄付金、場所や食事、物品の提供、そして 100 名近
いボランティア。若いスタッフたちは、夜遅くまで
ミーティングをし、子どもたちの安全管理やアクテ
ィビティの準備にあたった。私たち日本人が、例年
そのボランティアスタッフの一員として温かく受け
入れてもらえるのは大変光栄なことだ。今年参加し
たボランティアの国籍はタイと日本に加え、フィリ
- 29 -
~総括~
ツアーには年齢も職業も違う仲間がバンコクに集ま
一般財団法人 青少年国際交流推進セ
って、引率者の1人としてこの団をどのように運営
ンター職員 / 引率 桑原真哉
り 9 日間、1つの集団として生活をしていくにあた
していくか心配な部分もあったが、もともと高い目
的意識を持った参加者が集まったおかげで、私があ
れこれ指示を出す必要もなく、逆に寸暇を惜しんで
交流を続ける参加者に無理をさせないように彼らの
健康状況を気遣うことに努めた。日本参加者全員が
言葉の壁などを越えて、自分のできることを見つけ
て、タイ人ボランンティアスタッフと協力して自発
的に行動していた姿がとても印象的だった。
今年で7回目を迎える「タイ王国・スタディツアー
2014」実施するにあたり 9 日間の限られた時間の
中で、主に3つのことを様々な体験を通して日本参
加者に学んでほしいと考えた。
1 つ目は『五感を使ってタイ王国のありのままの姿
を学んでほしい』と考えて、通常は事前に行う視察
先の情報や説明などは最小限にして、まず参加者自
身の感覚でいろいろなものを見て、感じてもらえる
ように工夫した。視察先の詳細情報は帰りのバス内
や宿泊施設における振返り会で説明するようにした。
当然のことながら大変多くの質問や疑問が参加者か
ら出たが、その都度回答するようにした。質問は視
察先情報だけにとどまらず、タイ王国の貧困問題、
教育機会格差や環境問題など多岐に渡った。必ずし
も全ての質問に適切な回答をできたとは思わないが、
今回のスタディツアーに同行してくれたタイ人ボラ
私自身も今回初めて「タイ王国・スタディツアー」
に参加し日本では到底考えられない規模で開催され
ているこのプログラムを目の当たりにし、「百聞は
一見に如かず」とは使い古された表現ではあるが、
体系立ててボランティアスタッフを動かしているタ
イ人実行委員の姿を見る
ことが出来たことは、今
後私自身が業務でボラン
ティア組織を運営してい
く上で大変勉強になった。
最後にFHCP創始者
Visit 氏のコメントを紹介
したい。
「自分は今まで教育の機会や人との出会いに
大変恵まれてきた。FHCP を始めたのは、家
ンティアスタッフの助けも借りて参加者が納得でき
族や友人だけでなく自分の近くにいる人にも
るような答えを導きだそうと努力した。
同じような機会を経験させてあげたいと思っ
2 つ目は『タイ王国の社会問題を認識してほしい』
---経済発展が著しいタイ王国の国際空港やバンコ
ク市内を見るだけでは見えてこない問題や社会の歪
みを施設訪問で学んでほしかった。今回は地域や運
たから。最初はここまで大きくなるとは思っ
ていなかったが、人とのつながりを大切に
FHCP を続けていたら、協力者の輪がだんだ
営母体が違う 3 か所の施設訪問を行ったが、近年の
んと大きくなっていった。人のつながりを大
バンコク一極集中型の急激な経済発展に取り残され
切にしてきた結果です。FHCP の活動を始め
た貧困層が抱える問題を目の当たりにし、参加者の
たころに「希望あふれる子どもたち」の一人
中には泣き出す者もおりタイ王国の諸問題が未だに
深く根をはっていると再認識させられた。
3 つ目は『このスタディツアーに参加後、参加者自
身が出来る社会貢献を学んでほしい』---スタディツ
として参加してくれた子どもが、今は親とな
りボランティアスタッフとなって戻ってきて
くれているのも、とても嬉しい」
アー参加直後はタイ王国の諸問題を認識して自分も
何かやらなくてはと思うのは当然ではあると思うが、
日本に帰国後慌しい日常生活に戻るとタイ王国滞在
この言葉が心に響いたとともに、プロジェクトを
長く続けていくことの大切さを学んだ。
中に感じていた熱い想いを忘れてしまう。自戒の念
縁があって日本全国から集まった 14 名の仲間が
を込めて今後も積極的に継続して行動していってく
このスタディツアーを通じて学んだことを元にそれ
れることを願う。
ぞれのフィールドで活躍していくための初めの一歩
今回のスタディツアーでは毎日1回、必ず「振り返
り会」を行い参加者全員が最低でも1回は皆の前で
意見や疑問を話せる機会も設けた。今回のスタディ
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になってくれたと実感している。
参考資料 1:タイ王国地図
(抜粋)
参考資料 2:現地で配布した自己紹介リーフレット(表紙)
- 31 -
タイでお世話になったみなさん
Special Thanks
【関連リンク】
① FFF(Fund For Friends): (意訳:「友だちのための基金」)(英語とタイ語)
http://www.fffthai.org/
FHCP の実施団体であるボランティアグループのサイト。
過去の実績や写真、FHCP のイベントを紹介した現地の新聞記事などが掲載されている。
② MACROCOSM マクロコズム Vol.106 (2014 年 4 月発刊):
一般財団法人 青少年国際交流推進センターが発行している情報誌のウェブサイト版
http://macrocosm.jp/
- 32 -
FHCP2014
一般財団法人 青少年国際交流推進センター
Center for International Youth Exchange (CENTERYE)
〒103-0013 東京都中央区日本橋人形町2-35-14 東京海苔会館6階
Tokyo Nori Building 6F, 2-35-14 Ningyocho Nihonbashi, Chuo-ku, Tokyo
103-0013 Japan
Tel: 03-3249-0767 Fax: 03-3639-2436 代表 E-mail: [email protected]