エトルリア王国 - 日本エトルリア協会

◆エトルリア王国
エトルリア王国
このホームページへお越しになった方ならば、言うまでもなく、エトルリア人
がローマ帝国勃興以前にイタリア北部で独自の文化を誇った謎の民族であるとい
う知識を十分にお持ちのことでありましょう。
しかし、近世に、ごく短期間であったとはいえ、「エトルリア王国」が復活し
たことをご存知の方はそう多くはないのではありますまいか。
時は 19 世紀初頭。無敵の勢いを誇るナポレオンに欧州諸国が次々と屈する中、
フランスのルイ 15 世の孫でもあるブルボン家出身のパルマ大公フェルディナン
ド(Ferdinand, Duke of Parma, 1751-1802)は、北部イタリアをフランスに占領
された見返りとして、息子のルイ(Louis, Duke of Parma, 1773-1803)を王とす
る王国をトスカーナ地方に与えられることとなり、その名も『エトルリア王国』
(Regno di Etruria)と号したのです。1801 年のことでした。
エトルリア王国
エトルリア王国の
王国の国旗
エトルリア王国建国のため、それまでトスカーナ地方を所領としていたハプス
ブルグ家のトスカーナ大公はザルツブルグへお国替えとなりました。しかし、わ
ずか 6 年後の 1807 年にはナポレオンによって、エトルリア王国がフランスに直
接併合されることが決まりました。さらに、ナポレオンの失脚とともにハプスブ
ルグ家のトスカーナ大公が復帰し、パルマ大公一家はルッカへとお国替えになり
ます。ここにエトルリア王国は短い歴史を閉じたのです。
★エトルリア王国データ
国名
エトルリア王国
首都
フィレンツェ
政治体制
君主制
元首
エトルリア国王
主要言語
イタリア語
独立
1801 年 3 月 21 日
終焉
1807 年 10 月 23 日
同盟国
フランス
面積
約 21,050 平方キロ
人口
約 200 万人
水面積
不明
国教
カトリック
主な宗教
カトリック
通貨単位
フロリン
補助単位
ゼッキーノ
特産品
布製品、ワイン、鉄、
アラバスター、水銀、
大理石、生糸、小麦
主要輸出品
ワイン、小麦、布
主要貿易国
フランス、スペイン、
イタリア諸国
君主
初代 Ferdinand
(1801-1803)
主要輸入品
亡命政府
二代目 Louis
(1803-1807)
食品
東京(c/o 日本エトルリ
ア協会)
エトルリア王国
エトルリア王国の
王国の貨幣
19 世紀初頭の
世紀初頭の地図。
地図。エトルリア王国
エトルリア王国の
王国の名前が
名前が見
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