中国高校生訪日団歓迎会開く

発売日 2015 年(平成 27 年)7 月 10 日(No.663)
日 本 の イ オ ン 1 % ク 来、『小さな大使』交流 している。両国の若者が
ラブが主催する中国「小 活動を実施し、中国を含 これからも努力を続け、
さな大使」訪日団の歓迎 むアジア諸国と日本の高 中日友好事業を受け継い
会が9日夜、東京の在日 校生の交流を促進してき でいってくれることを望
本 中 国 大 使 館 で 開 か れ た。中日『小さな大使』 む」と述べた。
人 の 高 校 生 が され、これまでに910 し、同交流活動を通じて
プログラムに参加した
た。今回の訪日団には、 交流活動は、2009年
北 京 、武 漢 、蘇 州 の 3 都 以 降 、 毎 年 定 期 的 に 開 催 中 日 の 学 生 は 取 材 に 対
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東京北京国際文化交流協会を設立
ホールにおいて、「東京北京国際 な民間交流団体のスタートをおお
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文化交流協会(TBICC)」の いに祝った。
設立記念の式典が開催された。当
表してTBICCの李晨会長が登 身の中国人らで組織された民間交
東 京 北 京 国 際文化交流協会(T
日は立ち見を含め300名を越え
ICC)は日本で暮らす北京出
る人々が出席する中、主催側を代 B 壇、設立の背景や目的などについ 流団体。「公正・平等・包容・厚
て説明した。また来賓を代表して 徳」の4原則の下、中日友好の促
中国大使館文化処より欧陽 安一 進、北京と東京との文化交流の更
をはじめ各方面における交流・合
の白西紳一郎理事長が登壇、祝意 市の親睦度向上、経済・文化交流
等書記官、一般社団法人日中 協会 なる醸成、日本社会における北京
を伝えた。
( 面へ続く)
また日中関係学会の宮本雄二会 作の推進、日本で暮らす北京出身
長 が設立を祝う手紙を寄せたもの 者間の交流深化を進めていくプラ
で、
その後はTBICC所属の「日 ットフォーム。
薬 用 化 粧 品、 店舗と 比較して、新宿店 行 わ れ る こ と に な
「 朱 鷺」 は 日 本 の 人 々 の 心 の 初 演 後 数 十 公 演 が 日 本 で ブ ッ キ
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芸術の法則の遵守や革新的な
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挨拶する李晨会長
述べることを希望している。地元 から、「中国の朱鷺」がSNSの 気 を も つ べ き で あ る こ と を 示 し
メディアは同公演について、「人 ホ ッ ト ワ ー ド ラ ン キ ン グ に ラ ン ている」と語
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中国高校生訪日団歓迎会開く
発売日 2015 年(平成 27 年)6 月 12 日(No・658)
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中国の有名企業 社の「ロゴマーク」が一堂に
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大使館が主催、程大使が挨拶
30
中 糧 集 団 有 限 公 司 世界の4分の1以上の ランドのルートが結び
( C O F C O ) は 今 人口の食卓と世界の農 つき、世界の食糧生産
し 下 げ、 部 品 メ ー カ ー
プライヤーの価格を押
品 調 達 に 目 を つ け、 サ
らに圧縮するために部
や 世 界 レ ベ ル の 食 品 場とを緊密に結びつけ 地から中国人消費者に
から利潤を搾り取るよ
タカタ製エアバッグの課題
会 社 で あ り、 一 連 るという戦略だ。世界 至る食物の通り道を敷
う に な っ た。 自 動 車 メ
ーカーが部品の価格を
押 し 下 げ れ ば、 部 品 サ
プライヤーが利潤維持
グローバル調達モデルに欠陥
の デ ー タ か ら そ の 勢 各地の原料生産エリア き、中国の食糧の安全
い が う か が え る。 資 に 投 資 し た ほ か、 農 保障を確保した。総合
産 は 7 0 0 億 ド ル 家と直接協力関係を結 的産業チェーンの構築
( 約 8 兆 6 6 0 4 億 び、農産品を調達する を通じ、同集団は真に
円 ) 以 上、 在 庫 量 は だけでなく、資金、管 規模と実力を備え、運
上る。同集団の寧高寧 せ、オランダの穀物大 日 ) の 連 休 期 間 に、
の 問 題 に つ い て 陳 謝 し、 量 が 多 い ほ ど コ ス ト は を導いた。
で タ カ タ 製 エ ア バ ッ グ 法 を 取 っ て い る。 取 引 ー カ ー へ の 過 度 な 依 存 が 集 団 発 生 す る 可 能 性 な ら な い。 こ れ に は 時
は こ れ か ら も 高 ま っ て 間 が か か る 上、 資 金 や
董事長(会長)はこの 手ニデラと香港地区の 同集団の中糧我買網で
ほ ど 取 材 に 答 え る 中 来宝集団(ノーブルグ は、米国のサクランボ、
で、同集団の「世界を ループ)の買収に成功。 オーストラリアの牛ス
買い、世界を売る」国 買収完了後、同集団の テーキ、フランスの赤
際化戦略の実施につい 国際事業量は国内事業 ワイン、北欧のサーモ
し た。 中 国 の 自 動 車 産 タも巻き込まれている。
タ カ タ 製 エ ア バ ッ グ の 自 動 車 メ ー カ ー は タ カ 手を持っていない。
つまり日本の部品メ 業に対する日系メーカ 部品市場で明らかに
リコール台数はこれま タとの協力をやめるこ
で に 約 4 4 2 2 万 台 に と が で き な か っ た。 そ ー カ ー は 完 成 車 組 み 立 ー の 重 要 性 や 影 響 は、 な り つ つ あ る 一 連 の 問
表 し、 リ コ ー ル 台 数 は 年 頃 か ら す で に 明 ら か 業 は 世 界 の 自 動 車 部 品 数 量 は 自 動 車 部 品 輸 入 題 に は、 技 術 基 準 が 最
3 1 8 万 台 に 及 ん だ。 に な り つ つ あ っ た が、 産 業 に ほ と ん ど 競 争 相 額 の 4 分 の 1 以 上 に 達 も 厳 し い と さ れ る ト ヨ
車 を 世 界 市 場 か ら 再 び 出 る。 タ カ タ 製 エ ア バ を 1 0 社 上 回 っ た。 さ よ る と、 今 年 上 半 期、 こ と と な っ た。 今 回 の
リコールすることを発 ッグの問題は2008 らにランクインした企 中国の日本部品の輸入 タカタ製エアバッグ問
三 菱 は、 タ カ タ 製 エ ア 題 が 起 こ る と、 生 産・ 社に達し、米国を6社、 与 え て い る。 自 動 車 産 そ う し て で き た 部 品 の
バッグを搭載した自動 販売に広範囲の影響が 自動車工業大国ドイツ 業評論家の張志勇氏に 品質はリスクが高まる
コ ス ト も 高 く、 サ プ ラ
デ ー タ に よ る と、 米 いくものとみられる。
調 査 は 進 行 中 だ と 語 っ 下 が り、 市 場 競 争 に お
日本の自動車部品問 イヤーと自動車メーカ
け る 優 位 を 得 る こ と が 紙「 オ ー ト モ テ ィ ブ・
た。新京報が伝えた。
ニ ュ ー ス 」 に 選 ば れ た 題 は、 従 来 の 自 動 車 生 ー に と っ て の 圧 力 と な
事 件 は ま だ 終 息 し て できる。
だ が 集 中 調 達 は 大 き 2 0 1 4 年 の 自 動 車 部 産 大 国 に 影 響 を 与 え て る。 そ の た め 試 験 の 時
は い な い。 タ カ タ 社 が
記 者 会 見 を 開 い た 当 日 な リ ス ク も も た ら す。 品 の ト ッ プ 1 0 0 社 の い る だ け で な く、 中 国 間 を 短 縮 し て コ ス ト を
に も、 ト ヨ タ と 日 産、 サ プ ラ イ ヤ ー に 一 旦 問 う ち、 日 系 企 業 は 2 9 市 場 に も 巨 大 な 影 響 を 下 げ る ケ ー ス が 現 れ た、
て詳しく述べた。「人 量を上回り、真に国際 ンなどの海外直輸入食
産品が順調な売れ行き
買収や再編を通じ、 を示した。
同集団は世界最大の食
「 世 界 を 買 う」 は す
糧生産地である北中南 でに始まっている。
「世
なった。
民 日 報」 海 外 版 が 伝 え 化 し た 大 手 食 品 会 社 と 品 や 国 内 の 高 品 質 の 農
た。
総合産業チェーン
同 集 団 は 中 華 人 民 共 米 と 世 界 最 大 の 食 糧 ニ 界 を 売 る」 は こ れ か ら
和国と同い年だ。創業 ーズの増加を抱えたア 盛んになる見込みだ。
同集団は現在、ブラ
か ら 年 間 の 発 展 の ジアの新興市場との間
道のりにおいて、同集 に、安定した食糧需給 ジルの大豆油をインド
達 し て お り、 こ の 数 字 の 調 達 形 式 は こ れ に も て に お い て も 大 き な 役 自 動 車 部 品 メ ー カ ー の 題は、自動車メーカーと
は 今 後 も 増 え 続 け る 可 大 き く 関 係 し て い る。 割 を 演 じ て い る と い う 方 が 完 成 車 メ ー カ ー よ サ プ ラ イ ヤ ー と の 関 係
向けた経営のモデル転 をカバーする食糧供給 る国際的企業に変身し
と、実用化、市場化に の安定した、世界全体 集団は中国人が運営す
模はトヨタのアクセル 界のエアバッグ市場シ の自動車部品メーカー
の も た ら す リ コ ー ル 規 カ タ と ほ か の 2 社 が 世 産 停 止 が 起 こ り、 日 本 らかにしている。
測している。
品を供給しなければな
つ 一 つ つ な が っ て い る こ の 天 災 に よ っ て、 同 る。 地 球 規 模 の 調 達 モ 問 題 を 発 生 さ せ て は な
集 中 調 達 は 大 き な 体 を 脆 弱 に し て い る。 め ざ る を 得 な く な っ た。 に 行 い、 利 潤 の 最 大 化 を 急 い だ り 試 験 時 間 を
生 産 チ ェ ー ン の 輪 が 一 統 計 に よ る と、 日 本 の を 求 め る か が 目 標 と な 圧 縮 し た り す る こ と で
リスクを
達した旅客輸送ネットワ
運 航 す る。 南 方 航 空 の 発
日 本 製、 エ ン ジ ン は ド とを意味する。
行 し つ つ あ る。 座 席 は 裂 し て し ま う と い う こ
自 動 車 の 組 み 立 て に 移 ば、 チ ェ ー ン 全 体 が 断
現 在 の 自 動 車 メ ー カ と い う こ と は、 ど こ か
ー の 業 務 は あ る 意 味 で、 の 輪 で 問 題 が 発 生 す れ
への国際貨物輸送路線を
ー ク を 利 用 し て、 国 内 を
イ ツ 製、 車 載 シ ス テ ム
年 3 月 末 ま で に 世 界 の デ ル に よ る コ ス ト 削 減 らない。
自 動 車 生 産 量 は 6 0 万 か ら、 プ ラ ッ ト フ ォ ー タ カ タ 製 エ ア バ ッ グ
台減ったとされる。
ム 化・ 汎 用 化 し た 部 品 に よ っ て 引 き 起 こ さ れ
ア ナ リ ス ト に よ る と、 の 生 産・ 使 用 ま で、 自 た 一 連 の リ コ ー ル は 今
大規模なリコール問題 動車メーカーは部品コ 後もしばらく続く可能
が 起 こ っ た こ と は 驚 く ス ト 削 減 の 取 り 組 み を 性がある。自動車メーカ
ル ス、 シ カ ゴ、 バ ン ク ー
緊 密 す ぎ る 関 係 は、 自 タ ー ズ な ど の 自 動 車 メ 度・ 品 質・ コ ス ト の 優 め、品質要求を厳しくし
動 車 の 生 産 チ ェ ー ン 全 ー カ ー は 生 産 速 度 を 緩 れ た 自 動 車 生 産 を い か なければならない。生産
らないのと同時に、自動
イ ッ チ 問 題 を 超 え、 史 グ ロ ー バ ル な 調 達 は 自 部 品 を 輸 入 し て い た フ
上最大規模の自動車リ 動車メーカーの利潤を ォルクスワーゲンやボ
自動車メーカーにと 車メーカーも部品メー
コ ー ル 問 題 と な る と 予 高 め た。 だ が こ う し た ル ボ、 ゼ ネ ラ ル・ モ ー っ て 言 え ば、 数 量・ 速 カ ー に 対 す る 監 督 を 強
な く な る と、 日 本 か ら 低下招く
コ ス ト 圧 縮 で 品 質 い。部品メーカーが合格
係でもなくてはならな
エ ア バ ッ グ 生 産 で は、 こ と で あ る。 例 え ば り も 大 き い。 こ の こ と を 映 し 出 し た も の と も
能性がある。
あ る 関 係 機 関 は、 タ タ カ タ は 大 き な 市 場 シ 2 0 1 1 年 の 大 震 災 で は 中 国 の 自 動 車 部 品 産 言える。両者の関係は、
カ タ 製 エ ア バ ッ グ 問 題 ェ ア を 占 め て お り、 タ 日 本 国 内 の 大 規 模 な 生 業 の 大 き な リ ス ク を 明 相 互 依 存 の 関 係 で あ る
と同時に、相互監督の関
ネットワークの川下に た。中国向けに食料を
換に着手した。
2009年には総合 ある輸出先の一つにな 調達するだけでなく、
中南米の食料を欧州に
産業チェーンの構築戦 った。
川上の食糧供給能力 売ったり、黒海地区の
略をうち出した。世界
に広がる資産や営業の と 中 国 国 内 の 港 湾 ふ 食料をアジアに売った
▽
バーなどの国際主要都市
ネットワークを通じ、 頭、加工物流能力、ブ りしている」と話した。
3大航空貨物会社が合併
アジア最大規模の企業に
密 に カ バ ー し、 ア ジ ア を
年 前 に 中 国 科 学 院 か ら 公 開 価 格 を 0・ 4 % 上 回
枝 分 か れ し て 発 足 し た 聯 る ・ 1 5 香 港 ド ル( 約
が、 こ の ほ ど 香 港 証 券 取 引 出来高は844万株だった。
所 の メ ー ン ボ ー ド に 正 式 同 公 司 の 柳 伝 志 董 事 長( 会
上 場 し た。 株 式 コ ー ド は 長) は、「 弊 社 は 引 き 続 き
香 る こ と を 任 務 と し、 細 や か
0 3 3 9 6。 売 出 価 格 は 発 産 業 に よ っ て 国 に 恩 返 し す
・
港ドル(約677・9円)で、 に 事 業 を 展 開 し、 信 頼 に 値
行価格帯の上限の
追 加 割 当 権 の 行 使 を 含 ま な し 人 か ら 尊 敬 さ れ、 さ ま ざ
い と す れ ば、 今 回 調 達 す る ま な 産 業 の ト ッ プ 企 業 を 擁
資 金 は 1 4 6 億 2 7 0 0 万 し、 世 界 規 模 で 影 響 力 を も
に な る こ と を 目 指 す」 と 話
11 兆8千億元にに上る
▽
香港ドル(約2306億円) っ た『 百 年 続 く 老 舗 企 業』
上 場 初 日 の 取 り 引 き は す。
銀聯カード世界最大に
3月)に銀聯カードに 銀 聯 が 世 界 最 大 の 銀 行 カ ー
—
ド ル、 約 2 3 5 兆 4 8 6 7 億
円)に上った。
億枚を超
カ 国・ 地 域
た。これはつまり、銀聯カー でも発行されている。
216兆7725億円)だっ え、中国以外の
額は1兆7500億ドル(約 枚数は世界全体で
務 デ ー タ を み る と 、 取 引 金 1 8 0 万 台。 銀 聯 カ ー ド 発 行
世界最大のカード会社V 利用可能店舗は2600万
I S A ( ビ ザ ) の 同 期 の 財 店、 利 用 可 能 A T M は
現 在、 銀 聯 カ ー ド は 世 界
150カ国・地域で利用でき、
兆 8 千 億 元( 約 1 兆 9 千 億 意 味 す る 。
よる世界全体での取引金額は ド 決 済 機 関 に な っ た こ と を
(1
る と、 2 0 1 5 年 第 1 四 半 期 で も 初 め て V I S A を 抜 き 、
聯が発表した最新の情報によ な っ た の に 続 き、 取 引 金 額
人民網日本語版 2015 ド が 発 行 枚 数 で 数 年 連 続 し
年 6 月 2 4 日 13:22
中 国 銀 てVISAを上回るように
ーにとっては、部品サプ
は米国製というような
リ コ ー ル 集 中 発 生 に 値 し な い。 自 動 車 製 全面的に進めている。
造のプラットフォーム
こ こ 数 年、 部 品 市 場 ラ イ ヤ ー と い か に 付 き
状 況 は 珍 し く な い。 自 が普通に
化 と 部 品 の 汎 用 化 の 傾 に は 新 た な 問 題 が 出 て 合い、このような問題の
動車メーカーの力に限
り が あ る 以 上、 全 部 品
世 界 の 自 動 車 部 品 市 向 の 下、 自 動 車 企 業 は き た。 一 部 の 自 動 車 メ 再 発 を 回 避 す る か が 長
を 自 ら 生 産 す る こ と は 場 に お い て、 日 本 の 自 部 品 の 世 界 か ら の 調 達 ー カ ー は、 コ ス ト を さ 期的な課題となる。
全面的にカバーし、欧州、
▽
想( レ ノ ボ) 持 株 有 限 公 司 6 8 0・ 6 円) で 始 ま り、
43
中 国 民 用 航 空 局 の 周 来 元( 約 6 4 4 億 円) に な 東 南 ア ジ ア の 各 路 線 の 旅 ア メ リ カ、 オ セ ア ニ ア、
振 副 局 長 は 日、 中 国 の っ た。 国 際 貨 運 航 空 は ボ 客 機 を 利 用 し た 貨 物 輸 送 ア フ リ カ の 各 大 陸 の 主 要
3 大 航 空 貨 物 輸 送 会 社 が ー イ ン グ 社 の 貨 物 機 を 導 業 務 を 手 が け る ほ か、 貨 都 市 に 通 じ る 貨 物 輸 送 サ
「百年続く老舗企業」目指す
合 併 し て、 ア ジ ア 最 大 規 入 し て お り、 年 1 月 に 物 輸 送 専 用 便 も 運 航 し て ー ビ ス を 提 供 す る こ と も
模 の 航 空 貨 物 輸 送 会 社 に は「 7 4 7 - 4 0 0」 を お り、 シ カ ゴ、 ロ サ ン ゼ できる。
レノボ持株会社が香港上場
「B777F」 ルス、サンフランシスコ、
なることを明らかにした。 3機購入し、
現 在、 関 連 作 業 が 積 極 的 8機を予約した。また「B ダ ラ ス、 パ リ、 コ ペ ン ハ
に進められているという。 7 5 7 - 2 0 0 S F」 4 ーゲン、ルクセンブルク、
3 大 航 空 貨 物 輸 送 会 社 と 機 も 導 入 し て、 貨 物 チ ャ 東 京、 大 阪、 ソ ウ ル、 シ
は、 中 国 国 際 貨 運 航 空 有 ー タ ー 便 の 運 航 に 充 て て ン ガ ポ ー ル、 バ ン コ ク、
ぶ。
香港など各地に貨物を運
中国貨運航空有限公司(本
31
に上る。
11
限 公 司( 本 社・ 北 京 )、 いる。
社・ 上 海 )、 中 国 南 方 航 アジアを全面的にカバー
州 市) の 3 社。 新 華 社 が
中 国 貨 運 航 空 は 中 国 東 200」6機と「747-
伝えた。
方 航 空 株 式 有 限 公 司 と 中 4 0 0」 2 機 を 保 有 し、
国 際 貨 運 航 空 は 国 遠 洋 運 輸( 集 団) 総 公 1 5 年 末 ま で に さ ら に
2 0 1 1 年 に 香 港 国 泰 航 司 が 1 9 9 8 年 に 共 同 設 「 7 7 7 - 2 0 0」 6 機
空 公 司 と の 貨 物 輸 送 を め 立 し た も の で、 登 録 資 本 を 導 入 す る 計 画 だ。 上 海
ぐ る 合 弁 プ ロ ジ ェ ク ト を 金 は 9 億 5 千 万 元( 約 と 広 州 を 拠 点 に、 ア ム ス
・ モ ー タ ー ズ の 点 火 ス る。
ペダル問題とゼネラル ェア80%を占めてい が期日通りに納品でき
革開放がスタートする ールがあり、中国はこ 事長は、「現在、中糧
貿易企業」だった。改 あり、リスクコントロ 麦を英国に売る。寧董
専門に手がける「対外 あり、貿易グループが アに売り、チェコの小
・食品の輸出入業務を 川上には港湾のふ頭が の豆かすをインドネシ
団はずっと穀物・油脂 のルートを構築した。 に売り、アルゼンチン
40
14
南 方 航 空 貨 運 は 現 在、
ボーイング社の「777-
空 貨 運( 本 社・ 広 東 省 広
初 め て 公 に 姿 を 現 し た。 代 か ら、 部 品 の 地 球 規 き、 各 国 の 自 動 車 生 産 い 状 況 と な っ て い る。 験 が 必 要 で、 時 に は 試
高田CEOは記者会見 模の集中調達という方 における日本の部品メ 今回のようなリコール 験を繰り返さなければ
3100万トン、年間 理、情報、技術、金融 営力、財務力、競争力
加工量は8400万ト など全方位的な社会的 も兼ね備えた世界的企
業になった。
新しいモデル構築
20
ン、通関地点での年間 サービスも提供した。
グローバルな配置
▽
中継量は5300万
数カ国・地域に分
14
トン。資産と関連機関
は
▽
布し、業務の展開先は
同集団は 年に海外
先の端午節(旧暦5
140数カ国・地域に 進 出 の 歩 み を 加 速 さ 月5日、今年は6月
60
▽
億 3 5 0 0 万 方航空の日本、米国、韓国、 ラ ン ク フ ル ト、 ロ サ ン ゼ
50
98
「世界を買い、世界を売る」
24
完 了 さ せ、 合 弁 後 の 登 録 1 8 9 億 円 )。 現 在、 東 テ ル ダ ム、 ウ ィ ー ン、 フ
資本金は
40
42
中糧集団
32
25
日 本 の タ カ タ 社 は 6 で き ず、 優 秀 な 協 力 企 動 車 部 品 産 業 は 技 術 面 を 始 め て お り、 特 定 の の た め に 品 質 を 下 げ る
月 日、 記 者 会 見 を 開 業 を 選 ぶ こ と は 賢 明 な で の 高 い 優 位 性 を 誇 っ 部 品 に 問 題 が 発 生 す る ようになる。
き、 タ カ タ 社 の 高 田 重 策 と 言 え る。 専 門 家 に て い る。 こ の 優 位 性 に と、 グ ロ ー バ ル な 自 動 さ ら に 専 門 家 に よ る
久 C E O も タ カ タ 製 エ よ る と、 自 動 車 メ ー カ よ っ て、 日 本 の 部 品 メ 車 ブ ラ ン ド が そ ろ っ て と、 自 動 車 部 品 の 技 術
アバッグ事件の発覚後 ーの多くは1990年 ーカーは独占同盟を築 リコールせざるを得な 革新には厳しい品質試
寧高寧董事長、国際戦略語る
2
2015 年 7 月 10 日 ( 金 )
企業情報
(第三種郵便物認可)
JAPAN-CHINA NEWS
人民元国際化で日本の銀行動く
国 財 政 部( 財 務 省 ) の 債 券 発 行 は 日 本 市 場 で
楼 継 偉 部 長 は、「 財 政 は 初 め て の こ と で あ
・ 金 融 分 野 で の こ れ ま り、 こ れ か ら 中 国 業 務
での協力の成果を土台 を展開する日本企業や
と し て、 関 係 を 持 続 的 金 融 機 関 な ど も 今 後 同
に 改 善 す る た め に、 新 じ よ う に 人 民 元 建 て 債
たな金融協力をうち出 券を発行するとみられ
T)がまとめた統計に
国際銀行間金融電気
通 信 協 会( S W I F
だせるようになる。
資 ニ ー ズ の 高 ま り と 換を推進するなどの措
だ」と話す。
よ り 重 要 な こ と は 、 い っ た 投 資 環 境 の 変 置 を 通 じ て、 中 日 間 の
日 本 の 企 業 を は じ め 化 に あ る と し て い る。 金融協力を拡大するこ
各 方 面 が 人 民 元 国 際 日 本 企 業 は 輸 出 を 国 とを提起した。
よると、世界の決済通
2 ・1 % に 達 し 、 3 年
迫る。香港の点心債や
昇 し 、 2 ・7 % の 円 に
前 の 0 ・3 % か ら 急 上
調達し、コスト削減を てから3年半後に日本 日本は目下、中国にと 中 国 市 場 に 対 応 し つ 債券発行の受益者は
年
る人民元建て債券(点 て 債 券 発 行 に よ り 中 れたほど意外なことで もう一方の受益者は中 れ る 人 民 元 建 て 債 券
心 債) を 参 考 に す る 予 国 に 進 出 し た 法 人 顧 は な く、 4 年 前 の 約 束 国 自 身 だ 。 日 本 と い う ( 獅 城 債 ) な ど の 人 民
定で、人民元建て債券 客 な ど に 人 民 元 資 金 を果たしただけのこと 一大関門を突破するこ 元建て債券の発行残高
月の中日首 とは人民元国際化にと は14年に4600億
は 直 近 で は 3 % の 利 回 調 達 の 手 段 を 提 供 で だ。
12
投資家や企業にとって
は大きな好材料だ。日
本の2年物国際の利回
りはわずか約0・1%
1 4 年 に 日 本 の 対 市場における人民元建 関投資家や企業が人民
中国が人民元の国際
中 投 資 資 金 は 前 年 比 て債券の発行を提起し 元の使い勝手の良さを 化計画を推進し始めて
・8%減少し、2年 ている。ただ発行はま 真に実感し、双方向の から約 年が経ち、海
連続で減少したが、日 だ 実 現 し て い な か っ 流通というルートが開 外で発行された中国国
きるようになり、資金 脳会談で、金融協力強 っ て 重 大 な 意 義 が あ 元(約9兆1611億
りで流通している。
アナリストは、「今 調 達 コ ス ト の 引 き 下 化のための重点措置と る。また人民元国際化 円)に達し、前年の1
し て、 中 日 双 方 が 東 京 の 真 の 意 義 は 、 国 際 機 . 5 倍 に 増 加 し た 。
回の動きは日本の機関 げにつながる。
11
10
で、円はここ数年大幅 本 企 業 の ほ と ん ど が た。
けることにこそある。 債は総額4600億元
最近何回か行われた
に値下がりしている。 中 国 か ら の 撤 退 は な
業 界 関 係 者 の 予 測 で に 達 し 、 前 年 の 1 ・5
これに比べ、人民元の いといい、投資減少の 中日財務相対話で、中 は、今回の人民元建て 倍に増加した。
38
「淘宝網」のロゴに秘められた思いとは?
中国企業 60 社、企業哲学・信条を紹介
◆第 11 回「Gift Show in 上海(第4回 上海国際生活用品家居
装飾品美容美髪健康展覧会(夏季))」
ギフトをテーマにした「ギフト・ショー」をはじめ「インターナショ
ナル・プレミアム・インセンティブショー」、「グルメ&ダイニングス
タイルショー」等、様々な展示会を展開する株式会社ビジネスガイド社
が主催・共催する「Gift Show in 上海(第4回 上海国
際生活用品家居装飾品美容美髪健康展覧会(夏季))」は今回、テーマ
として「ビジットギフト・ショー ~日本のブランドを中国へ輸出する
ためには~中国内販マーケット開拓へのゲートウェイは、Gift S
how」を掲げるトレードショー。第3回TOKYO BEAUTY&
HEALTH WORLD in 上海」が併催される。
●日時=8月5日(水曜)・6日(木曜)・7日(金曜)
●場所=上海マート(上海世貿商城:上海市延安西路 2299 号)
内容=インターナショナルトードショー:テーマ「ビジットギフト・
ショー ~日本のブランドを中国へ輸出するためには~中国内販マーケ
ット開拓へのゲートウェイは、Gift Show」。アートや各種
生活雑貨、家電、各種工芸品、健康指向品、ガーデニングなど 22
分野・領域以上。ビジネスマッチングも。
◆日中友好歩こう会
出崔・主催=株式会社ビジネスガイド社、必极耐斯(上海)会展
●日程:13 時集合、所要時間 3 時間・約 10 キロ
有限公司
・7 月 4 日(土) JR 高田馬場駅早稲田口改札口集合 高田馬場~井の 後援(予定)=在上海日本国総領事館、日本貿易振興機構(JE
頭公園
TRO ) 上海事務所、上海日本商工倶楽 部、上海輸出入商会、
●参加費:300 円(保険料込)
上海対外科学技術交流センター、上海中小企業合作交流促進セン
●申し込み:[email protected]
ター、、上海中小企業発展服務センター、日中経済協会上海事務所、
●その他:途中離脱可、終了後懇親会予定、雨具・水筒・帽子・タオル 上海貿易協会ほか。
等ご自身で必要であるものをご用意ください。
●問合せ先=株式会社ビジネスガイド社
●主催者 日本中国友好協会東京都連合会
「ギフト・ショー in 上海」事務局
●電話 03-3261-0433
TEL:03-3843-9851(著通)
サイト http://www.jcfa-net.gr.jp/tokyo/
FAX:03-3843-9850
必极耐斯(上海)会展有限公司
◆日中(瀋陽市)高齢者産業交流会
TEL:+86-021-6236-1078/1079
この度ジェトロ大連は「日中(瀋陽市)高齢者産業交流会」を実施する。 FAX:+86-021-6236-1620
本交流会では、日中高齢者産業セミナー、中国企業との個
別商談会、および介護施設等視察という3つのプログラムを
ご用意している。
現在中国展開を行っている、または今後中国展開を検討され
ている日本企業の皆様の情報収集や、ネットワーク作りにお
役立てください。
・ 日 時 フ ォ ー ラ ム:2015 年 7 月 17 日( 金 曜 )
13:30 ~ 15:00
個 別 商 談 会:2015 年 7 月 17 日( 金 曜 )
15:10 ~ 17:10
視察:2015 年 7 月 17 日(金曜)8:30 ~ 12:00(予定)
(瀋陽市内の介護施設等)
・場所 瀋陽今旅飯店 ( 瀋陽市和平区中華路 68 号 )
募集対象:介護:福祉サービス事業者及び福祉機器・用品メ
ーカー等
現地集合、現地解散。
セミナー、商談会、視察いずれか単独でのご参加も可能。
詳細は添付の案内書及び参加申込書をご参照下さい。
※フォーラム使用言語:日本語、中国語(逐次通訳)
※商談会通訳:各社手配
・主催・共催 ジェトロ大連事務所
・参加費 無料
・定員 20 社程度(先着順)※定員に達した場合のみご連
絡する
・お申し込み方法 参加申込書と御社の事業概要が分かる写
一財網が伝えた。
シンガポールで発行さ
中国関連イベント情報
同 行 は こ の 情 報 を 認 は か ろ う と し て い る。 で 初 め て 人 民 元 建 て 債 っ て 2 番 目 の 輸 出 先 つ あ る 。
中国自身
実 際 の と こ ろ、 日 本
め て お り、 6 月 に 人 債券の収益率は日本国 券を発行する実体機関 国であり、2番目の輸
民 元 建 て 債 券 を 発 行 債の利回りを大幅に上 となる。債券の利回り 入先国だ。同行にとっ の今回の人民元建て債
このたびの日本での
す る の は、 4 年 前 の 回ることが予想され、 は香港地区で発行され ては、今回の人民元建 券発行は外部で感じら 人民元建て債券発行の
す れ ば 日 本 初 の 人 民 元 っ た た め、 日 本 国 内 で
同行は中日両国が債 コ ス ト の 引 き 下 げ に そ の 他 の コ ス ト を 削 人 民 元 国 際 化 が さ ら 貨 の 中 で 人 民 元 が 占
建 て 債 券 発 行 と な る。 債 券 を 発 行 し て 資 金 を 券 発 行 計 画 を 話 し 合 っ 期 待 し て い る こ と だ 。 減 す る な ど の 戦 略 で 、 に 加 速 度
める割合は4月末は
70
(1面から続く)
葉『 通 心 』で あ り 、中 マ イ ク 前 に た ち 挨 拶
ま た「 中 国 聯 通( チ 国 聯 通 は 永 久 に 顧 客 し た 。
武 田 理 事 長 は「 普
ャ イ ナ ユ ニ コ ム ) 」 の の 立 場 を 考 え る 、と い
企 業 ロ ゴ で は「 中 国 古 う 会 社 理 念 を あ ら わ 段 、美 術 館 で 紹 介 し て
◆◆
ど が 多 い 。今 回 、趣 を
や 工 芸 品、 美 術 品 な
代 の 八 吉 祥 の『 盤 長 』 し て い る 」と 紹 介 さ れ い る の は 、中 国 の 絵 画
の 文 様 を 変 化 さ せ た ていた。
も の で あ る 。曲 が り く
ねり貫通した線は秩
7 月 日 に 開 か れ 代 え て 、企 業 の デ ザ イ
序 が あ り な が ら も 円 た「 経 営 は ビ ジ ュ ア ル ン を 紹 介 す る こ と は 、
もたくさんいらして
い る 。企 業 文 化 、企 業
の経営といった部分
でも交流の機会が膨
らむことを期待して
いる」と続けた。
王 主 席 代 表 は「 本 日
は日中文化交流の歴
史において記念すべ
き 一 日 。国 交 正 常 化 し
て 4 0 数 年 来 、デ ザ イ
ン の 領 域 に お い て は、
中国では日本のデザ
イン展を数多く開催
し て き た 。し か し 、今
回 の よ う な 規 模 の 、中
国企業のロゴデザイ
ン展が日本で開催さ
れ る の は 初 め て 」「 中
ただけるチャンスを 業の発展がよりよく
正 面 、シ ョ ー ケ ー ス に
界に進出することに 企業ロゴの解説文を
に 中 日 経 済 の 交 流 が 日 本 で 活 躍 し て い る。 んでいた。
事 官 は 「 こ れ は ま さ に 多 く の 中 国 企 業 が ( ス ト ー リ ー )」を 学
意 を 伝 え た 。薛 公 使 参 の 1 0 数 年 来 、 す で 現 代 中 国 企 業 の「 物 語
ち 関 係 各 位 に 向 け 祝 見 込 ま れ て い る 」「 こ 客 な ど 、大 勢 の 人 々 が
事 官 が マ イ ク 前 に 立 に お い て 、事 業 発 展 が ル を 熱 心 に 見 入 る 観
使館より薛剣公使参 中国企業が日本市場 業容を紹介したパネ
続 い て 来 賓 を 代 表 な る だ ろ う 」「 中 国 は 読 み ふ け る 来 場 者 や 、
し て 中 国 駐 日 本 国 大 日 本 は 隣 同 士 。多 く の 当 該 企 業 の 事 業 内 容 、
いだ」と続けた。
か ら ご 指 導 賜 れ ば 幸 「 多 く の 中 国 企 業 が 世 に 製 作 さ れ た 展 示 だ。
会 期 中 、日 本 の 皆 さ ん に 取 り 組 ん で い る 」 さ れ た 企 業 ロ ゴ を 元
成 果 の 報 告 で も あ る 。 重 要 な 経 済 発 展 構 想 6 0 余 り 。今 展 で 紹 介
薛 公 使 参 事 官 は「 中 展 示 さ れ た 缶 バ ッ チ
業 が 探 求 し な が ら 、外
部 か ら 謙 虚 に 学 ん だ 国は今、『一帯一路』、 が 目 に 入 る。 そ の 数
最 大 の 特 徴 は 、中 国 企 続 け た 。
か を 学 ん だ 」「 今 展 の こ と を 願 っ て い る 」と れ た 会 場 内 に 入 る と 、
そ の 後 、テ ー プ カ ッ
いかに知的所有権の の中国に対する印象
経営理念を尊重する がますます良くなる ト式典を経て開場さ
で な く 、日 本 企 業 か ら く こ と 、ま た 日 本 全 体 た 。
表 現 法 を 学 ん だ だ け ま す ま す 高 ま っ て い 期 待 し て い る 」と 続 け
ン界から多くの視覚 の日本での知名度が な関係になることを
イ ン は 、日 本 の デ ザ イ 作 展 を 通 じ 、中 国 企 業 が 互 恵 、W I N W I N
王 主 席 代 表 は「 中 国 提 供 で き る 、と 認 識 し 促 進 さ れ る こ と を 期
現 代 企 業 の ロ ゴ デ ザ て い る 」と 語 る と「 秀 待 し 、将 来 、両 国 経 済
る」と語った。
ことを再び感じてい 企業の発展を認識い 日本における中国企
の あ る 雰 囲 気 で あ る く の 方 々 に 現 代 中 国 い る 」「 本 展 を 通 じ 、
接 し 、友 好 的 で 親 し み と 思 う 」 「 本 展 は 、 多 あ げ ら れ る 、と 信 じ て
て 互 い に 徳 を も っ て 出 さ れ て い る だ ろ う、 テ ィ ブ な 関 係 が 築 き
衣帯水の関係におい しい伝統文化を思い で良好なインタラク
し 上 げ る 」「 両 国 は 一 て 、 古 い 歴 史 、 素 晴 ら 的 に は 双 方 向 で 、平 等
た ち に 心 よ り 御 礼 申 中 国 の 印 象 と 聞 か れ 将 来 を 考 え る と 、最 終
た 日 本 の 各 団 体 、友 人 他 の 国 の 方 々 と 同 様 、 か し 、中 日 経 済 関 係 の
多 大 な ご 協 力 を 賜 っ う 」「 日 本 の 皆 さ ん は 状 況 が 続 い て き た 。し
代 表 し て 、本 展 開 催 に を 証 明 し て い る 、と 思 業 が 中 国 に 進 出 す る
は 出 展 の 中 国 企 業 を に 入 っ た 、と い う こ と 係 を 考 え る と 、日 本 企
展 示 さ れ る も の 」「 私 国 企 業 が 新 た な 時 代 「 今 ま で 両 国 の 経 済 関
海 外 に お い て 初 め て あ る い は 中 国 経 済 、中 努 め て き た 」と 語 る と
国 の 現 代 企 業 文 化 が 新 た な 段 階 に 入 っ た。 雇 用 や 交 流 の 拡 大 に
社の企業ロゴをプリント
をデザイン」「『通信』 る 王 超 鷹 氏 が 相 次 ぎ だが、中国企業の方々
下 に 繋 が る 2 つ の 心 プ 上 海 主 席 代 表 で あ と 語 る と 、「 短 い 会 期
し て い る 」 そ し て 「 上 事 長 、P A O S グ ル ー て も ら え れ ば 幸 せ だ 」
く と い う 意 味 を 表 現 好 会 館 の 武 田 勝 年 理 囲 気 、勢 い を 感 じ 取 っ
よりも長く続いてい 側を代表して日中友 るいは中国経済の雰
が 終 わ る こ と な く 、天 が 詰 め 掛 け る 中 、主 催 成 長 す る 中 国 企 業 、あ
る 」「 同 時 に 中 国 聯 通 多 く の 関 係 者 、来 賓 ら の ロ ゴ を 通 じ 、急 速 に
と 特 徴 を 象 徴 し て い 作 展 」の 開 幕 式 典 で 、 皆 さ ん に は 、中 国 企 業
現 代 通 信 会 社 の 性 質 企 業 ロ ゴ デ ザ イ ン 秀 な 試 み 」「 来 場 さ れ た
滑 で 迅 速 。中 国 聯 通 の 的 に 考 え よ う - 中 国 我 々 に と っ て も 新 た
10
日本大手行が3・5億元の債券
日に日 だとしている。
手 銀 行・ 三 菱 東 京 U F 約 束 を 踏 ま え て の こ と ることになる。
J銀行が今月
民元建て債券を発行す 安により日本企業のコ 足 「 解 消 」
化 を 通 じ た 回 転・決 済 内 消 費 に 転 換 さ せ る 、
億 円) の 2 年 も の 人 日 本 企 業 の 多 く は、 円 日 系 企 業 の 資 金 不
る 計 画 だ と い う。 実 現 ス ト が 大 き く 跳 ね 上 が
ます好調で、3%の利 の 対 東 南 ア ジ ア 諸 国 建て債券を発行する、 にある人民元資金を投
回 り は 十 分 に 魅 力 的 連 合( A S E A N )投 人 民 元 と 円 と の 直 接 交 資 に 回 す ル ー ト を 見 い
す 必 要 が あ る 」 と の 見 る。 日 本 国 内 の 生 命 保
日 本 メ デ ィ ア の 報 道 2 0 1 1 年 月 に 行 わ 中 国 が 進 め る 人 民 元 国 利 回 り は 相 対 的 に 堅 調 原 因 は 主 と し て 人 件 方 を 示 し、 日 本 で、 日 険 会 社 や 地 方 銀 行 な ど
に よ る と、 日 本 の 大 れた中日首脳会談での 際化の方針にも合致す で、最近の動きもます 費 の 上 昇 や 日 本 企 業 本の銀行などが人民元 の機関投資家も、手元
12
アナリストは次のよ 日 本 初 の 人 民 元 建
本国内の機関投資家向
け に 3 億 5 千 万 元( 約 う に 指 摘 す る。 在 中 国 て 債 券 発 行
24
真 2 ~ 3 枚をジェトロ大連事務所まで E-mail([email protected]) にてご
提出
・お問い合わせ先
ジェトロ・ヘルスケア産業課 (担当:寺本、森)
Tel:03-3582-8351 Fax:03-5572-7044
E-mail:[email protected]
ジェトロ大連事務所(担当: 呉、森 )
Tel:+86-411-8360-9418(内線:呉(141)、森(140))
E-mail:[email protected]
◆「第一回 日本伝統工芸品展in北京」
本展示会は中国の富裕層を対象として、日本の伝統工芸の展示・即売
を行い、日本各地の伝統工芸品を中国で幅広く宣伝する、北京で初の試
みとなる展示会。
近年、中国の経済発展生活水準が高まり、より良質な製品が求められ
ている。日本製品には特に根強い人気があり、日本の文化・伝統・芸術
を求める動きも高まっている。日本の職人による伝統工芸品の評価も大
変高く、本展示会での即売を通じて文化交流のみならず、日本の地方活
性化の面でも大きな貢献が期待される。
主催者の北京工芸芸嘉貿易有限公司は、工芸品貿易で長年の実績があ
り、本展示会は同公司の所在地である「北京懋隆文化産業創意園」を会
場として開催する。同会場には中国の伝統工芸品を展示する常設のショ
ーウィンドーがあり、毎年、文化博覧会を開催し、多くの関係者が来訪
している。
●日時= 10 月 16 日(金曜)~ 20 日(火曜)
●場所=「北京懋隆(マオロン)文化産業創意園(北京市朝陽区三間房
東路1号)」
●内容=日本伝統工芸品の展示・即売会:敷地面積 12 万平方メートル
の会場で開かれる工芸品の展示・即売会:陶磁器・織物・漆器・和紙・
ガラス細工・刃物・絵画・金工品・人形・置物・装飾品ほか
●主催=日本国際貿易促進協会、北京工芸芸嘉貿易有限公司
●共催=中国同源有限公司、北京佳美麗家陶有限公司
●参加費用=入場無料 ※1ブース(8平方メートル)/ 45 万円、1
区画(24 平方メートル)/135万円
●問合せ先=日本国際貿易促進協会 業務本部
TEL:03-6740-8281 FAX:03-6740-6160
HPアドレス:www.japit.or.jp
60
JAPAN-CHINA NEWS
(第三種郵便物認可)
経済総合
2015 年 7 月 10 日 ( 金 )
3
再婚夫婦の涙の闘病生活
配偶者の死後、 年妻支える
2人は今年で結婚
出かけている。
重慶市の『重慶晨報』 たが、夫は胥さんが
呉 さ ん は 家 の 近 く で 周 年 を 迎 え る が、 胥 さ
は永川区宝峰鎮に住む 歳の時に事故で他界し
日 雇 い の 仕 事 を し、 賃 ん の 病 が 悪 化 し た の は
夫 婦 の 生 活 を 取 材。 夫 た。
年 以 上 前 の た め、 結
境遇の似た2人は知 金を受け取ると真っ先
婦はともに最初の配偶
者 と 死 別 し て か ら 出 会 人 の 紹 介 で 知 り 合 い、 に 薬 局 へ 足 を 運 ぶ。 薬 婚 生 活 の ほ と ん ど が 介
っ た 再 婚 夫 婦 だ が、 結 間 も な く 再 婚 し た。 は 家 で 煎 じ て 一 口 ず つ 護生活だった。
胥 さ ん は「 精 一 杯 支
婚 後 間 も な く 妻 が 病 「時々は夫婦げんかも 胥さんの口へ運ぶとい
えてくれる夫の苦労を
に 倒 れ、 5 年 前 か ら 半 し た け ど、 毎 日 が 楽 し う。
呉さんは胥さんが少 痛いほどに感じながら
身 不 随 に 陥 っ て い る。 く な っ た」。 呉 さ ん は
夫は歩けない妻の足と 「再婚後の生活は苦労 しでも快適に過ごせる 暮らしている」と語る。
な り、 仕 事 と 家 事 と 介 だ ら け だ っ た が、 大 変 よ う 数 日 に 1 回 身 体 を し か し 表 情 の 曇 り を 見
だっていつかは良くな
と は あ る。 ど ん な こ と
病気で動けなくなるこ
た。「 誰 だ っ て け が や
着 替 え さ せ る。 寝 返 り さ ず 胥 さ ん に 声 を か け
護 の 3 つ を 日 々 こ な す で も 幸 せ だ っ た」 と 振 洗 い、 洗 濯 し た 衣 服 に て 取 っ た 呉 さ ん が す か
が、 妻 に 隠 れ て 泣 い て り返る。
しまうこともあるとい
夫 「苦 労 の価 値 」実 感
う。
妻 の笑 顔 を支 えに奮 闘
宝峰鎮龍鳳橋村双河
口小組に住む呉廷超さ
捻 出 す る こ と が で き ず ていない。
当 然 だ」。 呉 さ ん が
し か し 間 も な く 胥 さ も 2 時 間 に 1 度 打 た せ っていくものだよ」
んと妻の胥世容さんは
「世容は私の妻なん
再 婚 の 縁 で 結 ば れ た 仲 ん が 糖 尿 病 の 診 断 を 受 る た め、 呉 さ ん は も う
で、 最 初 の 配 偶 者 と は け る。 高 額 な 治 療 費 を 何 年 も 長 い 睡 眠 を 取 っ だ か ら、 私 が 看 る の が
死別している。
「時々妻に隠れて泣 年以上胥さんを守り続
呉さんの最初の妻は 自宅で療養することに
永 栄 鎮 の 由 緒 あ る 家 柄 な っ た が、 十 数 年 が 過 く こ と も あ る。 で も け た 理 由 は 単 純 だ と い
だ。 泣 い た っ て し ょ う 運 命 に 向 き 合 っ て こ ら
の 出 身 で、 結 婚 後 は 妻 ぎ て も 病 状 は 悪 化 す る 泣 き 止 ん で か ら 思 う ん う。「 今 ま で こ う い う
の 実 家 で 暮 ら し た。 夫 ばかりだった。
2 0 1 0 年、 胥 さ ん が な い。 こ れ か ら も 暮 れ た の は、 世 容 の 見 慣
婦は子宝に恵まれなか
っ た が、 幸 福 な 生 活 だ は 半 身 不 随 に 陥 っ た が ら し て 行 か な き ゃ な ら れ た 笑 顔 の お か げ。 あ
っ た と い う。 し か し 仲 車 椅 子 を 買 う 余 裕 は な な い ん だ と」。 い く つ の 顔 を 見 て い る と、 ど
睦 ま じ い 結 婚 生 活 は 妻 く、 呉 さ ん は 胥 さ ん の も の 責 任 を 背 負 い つ つ ん な 苦 労 も 背 負 う 価 値
の病死によって失われ 足代わりを務めるよう 歩んだこれまでの結婚 のあることに思えてく
に な っ た。 呉 さ ん は 胥 生 活 を 振 り 返 る と、 込 る。 世 容 が い て こ そ の
山 東 省 の テ レ ビ 局、 山 ま で 減 少 し て い る。 病 院
東広播電視台の番組で夫 へは何度も受診している
婦 共 に ヒ 素 中 毒 と 診 断 さ が、 好 転 の 兆 し は 見 え な
が非難の的となっている。若 未満のようだ。1枚目の写真 で聞いて見に行ったらすでに
河南省鄭州市のデパート内 で ベ ビ ー カ ー を 携 帯 し て い もよく見えた。発生時に勤務
で目撃されたマナー違反行為 る。連れている子どもは1歳 中だった清掃員の女性は「後
上 が っ て い る。 2 人 を 蝕 し く な っ て、 今 で は 普 通
全 身 に 黒 い 斑 点 が 浮 か び ま っ た。 徐 々 に 呼 吸 も 苦
「最初に皮膚の色が黒
妻の蒙陰さんよりも夫の
肖 聖 順 さ ん の 方 が 重 く、 く な り、 そ れ か ら 咳 が 始
マナー巡り、喧々諤々に
い夫婦が公共スペースで子ど では女性が椅子に座って子ど 片付いていた」と語る。「ご
れ た 家 庭 を 取 材。 症 状 は い。
もに排便をさせていたが、ト もに排便させ、床を汚してい 両親がきれいにしたんでしょ
所に大小便をさせてしまう親
だ排泄をコントロールできな
が 仰 天 し た と い う。「 ヒ
肖さん 素の数値が480もあっ
の 息 子 は た。 標 準 値 は 程 度 だ と
という。
れ て い た が、 そ の 結 果 に は 家 族 中
水に含ま の 病 院 で 検 査 を 受 け た
る 井 戸 の 昨 年 末、 肖 さ ん は 済 南 市
ん だ 毒 物 は 自 宅 の 前 に あ に歩くこともできない」。
イレはわずか5メートル先に る。2枚目では男性が子ども う」
取材中には2~3歳の女の
あったという。ネット上では を抱き上げ、女性が子どもの
子を連れた 代の女性2人が
両親の品性を疑う意見が多く 尻を拭いている。
いから」と答えた。
の。通路を汚すわけにいかな
だ小さいから我慢できない
でさせない理由を問うと「ま
ているのを見かけた。トイレ
写真に対するコメントは非 トイレから メートルほどの
寄せられているが、一方では
「幼い子どもの粗相は多めに 難の声が多い。「公共場所で 場所にあるゴミ箱に排便させ
清掃員冷静「
比較的多い」
対策は排泄訓練とオムツで
たのでは」
清掃員の1人によると、デ
見るべき」との声もあり、公 汚らしい」「椅子を出す時間
衆マナーを巡る一大議論に発 があるならトイレに間に合っ パート内ではトイレ以外の場
展している。
一方、理解を示す声もある。 がわりといるが、大部分は片
目撃談の投稿は6月7日午
後6時 分に寄せられた。
「鄭 「子どもだから我慢できなか 付けて行くという。
も良いと思う」
鄭州人民医院小児科の荘探
州二七万達広場で目撃。若い ったのかも。きれいに片づけ
夫婦がデパートの中で子ども たのなら大袈裟に騒がなくて 月主任は「4歳以下の子はま
省内紙『大河報』が投稿者 い」と語る。「外出時には子
の男性に伺ったところ、写真 どもにオムツを着用させて欲
は友人が撮影したものだとい しい」
の子には排泄の時間帯が規則
効果的な排泄訓練の方法は
う。正午頃に目撃し、携帯電
話で撮影して男性に送ってき あるのだろうか。「1歳以下
たとのことだった。
投稿内容は転載が相次いだ 正しくなるよう習慣づけるこ
が、男性は間もなく削除した と。1歳以上からは排泄する
という。「顔にモザイクをか 場所が決まっていることを常
けなかったから不適切だと思 に教えることが大切」
倍以上も身
倍もあるこ
48
歳 原因を人為的に混ぜら
いう出来事は事故のようなも 氏は「排泄訓練は子どもの自
はベッドの上で酸素吸入 っ た か の ど ち ら か と 考
キロ台に は 続 い て い る 。
確 か め る 術 は な い。 井
る。
しい」
鄭州人民医院小児科
をあまり責めないで欲
の 荘 探 月 主 任 は「 4 歳
も の だ か ら、 当 人 た ち は片付けて行くという。
出 来 事 は 事 故 の よ う な わ り と い る が、 大 部 分
か っ た か ら。 こ う い う 便 を さ せ て し ま う 親 が
題になると思っていな イレ以外の場所に大小
と 思 っ た。 こ ん な に 話 と、 デ パ ー ト 内 で は ト
体重がわずか
に便をさせていた。トイレか 責めないで欲しい」
~
歳前後 も離れていない上、案内表示 のことだった。
体調は3年あまり前か 戸 は 間 も な く 埋 め ら れ
ら 徐 々 に 悪 化 し、 現 在 は た が 、 警 察 に よ る 調 査
写真の女性は
顔が2つのヘビ捕獲される
い場所だったのに」
現場を確認すると、写真の また、幼児のトイレのタイミ
ら5メートルしか離れていな
地点はトイレから メートル ングを図るのは両親の責任と
の確立に役立つ経験」と指摘。
を受ける状態が続いてい え て い る が 、 現 段 階 で
な 年 代 の は ず だ が、 現 在 水 の ヒ 素 含 有 量 が 高 か
の肖さんはまだ意気盛ん れ た も の か 、 元 々 地 下
在
尽くして
肖さんの家族は井戸
い る。 現 水 の ヒ 素 含 有 量 が 多 い
点 が 埋 め く超えていた。
を 黒 い 斑 り、 や は り 正 常 値 を 著 し
体の表面 ヒ素の数値は306もあ
痩 せ た 身 検 査 を 受 け た と こ ろ、
に な り、 ん で い る。 肖 さ ん の 妻 も
は土気色 その井戸から飲み水を汲
ん の 顔 色 に 掘 っ た も の で、 普 段 は
た」 と 語
肖さん宅の井戸と隣家
る。 肖 さ の 井 戸 は い ず れ も 3 年 前
い わ れ った。
ていると 隣家の井戸水は正常値だ
臓にも出 らわずか十数メートルの
な く、 内 と が 判 明 し た が、 そ こ か
だけでは 基 準 値 の
警察の調査では自宅前
が外側に
出ている の井戸水のヒ素含有量が
体 の 斑 点 る」
は父の身 体に入っていることにな
「 病 院 で い う か ら、
35
のだから、当人たちをあまり 己管理能力や自信、規範意識
国家二級心理カウンセラー
った。こんなに話題になると
思っていなかったから。こう で家庭教育の専門家の 育輝
10
い な い 上、 案 内 表 示 も 子 ど も に オ ム ツ を 着 用
投 稿 内 容 は 転 載 が 相 よ く 見 え た。 発 生 時 に させて欲しい」
省 内 紙『 大 河 報』 が
写真の女性は ~
的 と な っ て い る。 若 い
効果的な排泄訓練の
夫 婦 が 公 共 ス ペ ー ス で 歳 前 後 で ベ ビ ー カ ー を 投 稿 者 の 男 性 に 伺 っ た 次 い だ が、 男 性 は 間 も 勤 務 中 だ っ た 清 掃 員 の
子 ど も に 排 便 を さ せ て 携 帯 し て い る。 連 れ て と こ ろ、 写 真 は 友 人 が な く 削 除 し た と い う。 女 性 は「 後 で 聞 い て 見 方法はあるのだろうか。
った。
い た が、 ト イ レ は わ ず い る 子 ど も は 1 歳 未 満 撮影したものだという。 「 顔 に モ ザ イ ク を か け に 行 っ た ら す で に 片 付 「 1 歳 以 下 の 子 に は 排
なくても良いと思う」
だ っ た。 父 親 は な り す ま
か 5 メ ー ト ル 先 に あ っ の よ う だ。 1 枚 目 の 写 正 午 頃 に 目 撃 し、 携 帯 な か っ た か ら 不 適 切 だ いていた」と語る。「ご 泄 の 時 間 帯 が 規 則 正 し
ナ ー 違 反 行 為 が 非 難 の ない場所だったのに」
し発言者のIPアドレス
は 両 親 の 品 性 を 疑 う 意 って子どもに排便させ、
害を経験したのは初めて
× 先 生 が 嫌 い 」 と 担 任 を ン ト メ ッ セ ン ジ ャ ー に 先 を 探 り 当 て、 自 宅 の パ ソ
ん の メ ッ セ ー ジ が 現 れ、 て。 そ の 後 に 自 分 で ロ グ に証明した。
る が、 一 方 で は「 幼 い 目 で は 男 性 が 子 ど も を
子 ど も の 粗 相 は 多 め に 抱 き 上 げ、 女 性 が 子 ど
写真に対するコメン
り、 公 衆 マ ナ ー を 巡 る
一 大 議 論 に 発 展 し て い ト は 非 難 の 声 が 多 い。
「 公 共 場 所 で 汚 ら し い」
こ と。 1 歳 以 上 か ら は
グを図るのは両親の責
清 掃 員 の 1 人 に よ る 任とのことだった。
た。
い か な い か ら」 と 答 え 児 の ト イ レ の タ イ ミ ン
の。 通 路 を 汚 す わ け に 験」 と 指 摘。 ま た、 幼
さいから我慢できない 意識の確立に役立つ経
理 由 を 問 う と「 ま だ 小 管 理 能 力 や 自 信、 規 範
た。 ト イ レ で さ せ な い 泄 訓 練 は 子 ど も の 自 己
させているのを見かけ 門家の
育 輝 氏 は「 排
国家二級心理カウン
ら メートルほどの場
所にあるゴミ箱に排便 セラーで家庭教育の専
の 女 性 2 人 が ト イ レ か ることが大切」
取材中には2~3歳 排泄する場所が決まっ
の女の子を連れた 代 ていることを常に教え
でしょう」
両親がきれいにしたん くなるよう習慣づける
た と い う。 ネ ッ ト 上 で 真 で は 女 性 が 椅 子 に 座
そ の 後、 父 親 自 身 も 担
同級生や保護者たちから インしようとするとでき
任を訪問しようと考えた
見 が 多 く 寄 せ ら れ て い 床 を 汚 し て い る。 2 枚
戸 惑 い の 返 信 が 相 次 い だ。 なくなってた」
見 る べ き」 と の 声 も あ もの尻を拭いている。
も困る」
父 親 は「 き っ と 娘 の 暗 が 思 い と ど ま っ た と い う。
しかし祝ちゃんを名乗る
発 言 者 は 怯 む 様 子 も な い。 証 番 号 を 知 っ た 誰 か の 仕 「 余 計 怪 し い と 思 わ れ て
「 嫌 い は 嫌 い 」「 理 由 な 業だろう」と推測する。
る。
寄 せ ら れ た。「 鄭 州 ったのでは」
目撃談の投稿は6月 「椅子を出す時間があ
7 日 午 後 6 時 分 に るならトイレに間に合
だアカウントでログインし 罵 る 書 き こ み が 現 れ 、 他 対応するためには子どもの て は 考 え て し ま う こ と も
ていると訴える。自分の名 の 生 徒 や 保 護 者 た ち か ら 判断能力や自制心を育てる あ る。「 最 後 に メ デ ィ ア
一 方、 理 解 を 示 す 声
二 七 万 達 広 場 で 目 撃。
若 い 夫 婦 が デ パ ー ト の も あ る。「 子 ど も だ か
50
30
中で子どもに便をさせ ら我慢できなかったの
?
10
20
た。
をさせるというものだっ
た。「 し か し 先 生 ご 自 身
は全く気にしていなかっ
たらしい」
50
現 場 を 確 認 す る と、 以 下 の 子 は ま だ 排 泄 を
河 南 省 鄭 州 市 の デ パ て い た。 ト イ レ か ら 5 か も。 き れ い に 片 づ け 電 話 で 撮 影 し て 男 性 に 写 真 の 地 点 は ト イ レ か コントロールできない」
ー ト 内 で 目 撃 さ れ た マ メ ー ト ル し か 離 れ て い た の な ら 大 袈 裟 に 騒 が 送 っ て き た と の こ と だ ら メ ー ト ル も 離 れ て と 語 る。「 外 出 時 に は
まるでミミズのような身体
40
胥さんは最初の結婚 さんの日常動作を介助 み上げる思いは大きい 家庭だと分かっている
からね」
で 子 ど も が 1 人 生 ま れ し、 お ぶ っ て 散 歩 に も という。
被害に遭った祝ちゃん
湖南省長沙市でネット上
ら
の
反応は特になかった。
の な り す ま し を め ぐ る 小 学 ( 仮 名) は 長 沙 市 橘 園 小 学
後 日、 管 理 者 は 祝 ち ゃ
生同士のトラブルが発生。 校の4年生。父親は「直接 ん の ア カ ウ ン ト が 盗 ま れ
被害に遭った生徒は、イン 先生と話そうと思ったが、 て い た こ と を 発 表 し、 悪
スタントメッセンジャー上 余計に疑われる恐れもあっ 口 の コ メ ン ト も 祝 ち ゃ ん
「次に自分で警察に通
で自分になりすました別人 たのでやめた」と語る。し 本 人 で は な い と 説 明。 祝 報 さ せ た 」。 父 親 は こ の
かし悪口を書かれた教師自 ち ゃ ん の コ メ ン ト は 一 時 機 会 に ネ ッ ト セ キ ュ リ テ
身は意に介していない様子 的 に 非 公 開 に す る こ と も ィ ー の 知 識 と 法 知 識 の 両
だという。娘にはいくらか 明かした。
方を学ばせたいと考えた
意 気 消 沈 し た 様 子 だ っ た。 く 聞 き、 婉 曲 に「 先 生 か
の対策も実行させたが、後
6 月 6 日 午 後 に 自 宅 を と 語 る。 祝 ち ゃ ん の 通 報
日にはふさわしい方法だっ 訪 問 す る と 、 祝 ち ゃ ん は を 警 察 官 は 非 常 に 辛 抱 強
たのか迷いも生じた。
6 月 4 日 午 後 1 時 前 後、 「 こ ん な こ と 全 然 知 ら な ご 両 親 に 相 談 し な さ い 」
ク ラ ス の イ ン ス タ ン ト メ く て、 後 で 友 達 か ら 聞 い と説明したという。
自宅の井戸水で夫婦中毒
10 50
名指しで批判する祝ちゃ 生の悪口を書いていたっ コンと異なることを周囲
祝ちゃんがネットの使
用を開始したのは3年生
?
20
ッ セ ン ジ ャ ー 上 に「 私 × た の。 ク ラ ス の イ ン ス タ
10
20
前で勝手な振る舞いをされ 批 判 の 目 が 向 け ら れ た 。
に 相 談 さ せ て み た。 た く
必要がある」と語る。
ることを非常に苦痛に感じ
父親が最初に試みた解 さんの方の意見が知りた
しかしこれに対する担
任 お よ び 他 の 教 師 た ち か 決 法 は 自 分 で 担 任 に 説 明 いから」
ているとのことだ。
ヒ素中毒で皮膚に黒斑
10
デパートで幼児が粗相
の 時 だ が、 こ の よ う な 被
30
30
父親は娘に解決法伝授
「
教育には絶好の機会」
20
23
なりすまし、担任の悪口
一通りの方法を娘に体
「ある意味、絶好の教育
んてないわ」
チ ャ ッ ト の 履 歴 に は 1 の機会かもしれない」。父 験 は さ せ た が、 そ れ が 妥
が教師の悪口を書き、盗ん 時 間 以 内 に 5 つ も 担 任 を 親は「ネット社会の進歩に 当 だ っ た の か 否 か に つ い
小学生同士、ネット争う
23
30
20
2015 年 7 月 10 日 ( 金 ) 4
社
レポ
ー会
ト
(第三種郵便物認可)
JAPAN-CHINA NEWS
地 球 観 測 衛 星「 高 分 号
8 」が 日
午 後 2 時 分、 中 国 の 太 原 衛 星 発 射
は順調に予定の軌道に入った。
向 か い、 総 合 的 な 安 全 を
し、文化、科学技術、衛
習近平主席がSCOウファサミットに
出発点から上海協力機構
生、観光、スポーツとい
習 主 席 は「 団 結 し て 支
え 合 い、 共 に 挑 戦 に 立 ち
った分野での協力を深め
向 か い、 上 海 協 力 機 構 の
維持していくことで各国
会議はプーチン大統領
が 議 長 を 勤 め た。 会 議 で
首脳は合意した。
は ま ず、 2 0 1 4 年 の ビ
の新たなる飛躍を実現さ
上海協力機構(SCO)
首脳理事会第15回会議
せよう」と強調した。
が 1 0 日、 ロ シ ア の ウ フ
た。
築を支持することで一致
各国首脳は加盟国が開
催する第2次世界大戦勝
るべきだとの認識を示し
また、各国首脳はシル
クロード経済ベルトの構
て お り、 世 界 の 多 極 化 が
し、経済社会の持続可能
利
新 た な 飛 躍 を 推 進 す る」
目 下、 世 界 の 政 治 経 済
と 題 し た 重 要 講 演 を 発 表。 は 複 雑 な 変 化 の 時 を 迎 え
「 足 取 り を 速 め、 着 実 に
主 な 流 れ と な っ て い る。
な発展を保障し、貿易投
国 際 社 会・ 地 域 が 直 面 す
と 発 展 ビ ジ ョ ン、 お よ び
世代を超えた善隣友好関
協 力 の 内 容 を 充 実 さ せ、
安 全 と 安 定 を 共 に 守 り、
み を 強 化 し、 伝 統 的・ 非
域のテロ撲滅への取り組
裂 主 義 の 撲 滅 を 進 め、 地
ロ リ ズ ム、 過 激 主 義、 分
イノベーション協力を促
業、交通、通信、農業、
野のインフラを整え、工
流、情報通信といった分
資 の 円 滑 化 を 促 し、 物
謝の意を表した。
った人々に対し心から感
滅的な犠牲から世界を救
ら の 支 配、 物 的 損 失 や 壊
く 評 価 し、 フ ァ シ ズ ム か
人民検察院が任命した国
各レベルの人民代表大
会および県レベル以上の
華網が伝えた。
月 1 日 に 施 行 さ れ る。 新
誓 を 行 う。 決 定 は 来 年 1
に 従 い、 選 出 後 に 憲 法 宣
国務院総理は法定手続き
き、中華人民共和国主席、
を 採 択 し た。 決 定 に 基 づ
全人代常務委員会の決定
宣誓制度の実行に関する
強、 民 主、 文 明、 調 和 の
民 の 監 督 を 受 け 入 れ、 富
職 務 を 全 う し、 不 正 を 働
を 尽 く し、 責 任 を 持 っ て
誠 を 尽 く し、 人 民 に 忠 誠
責 任 を 履 行 し、 祖 国 に 忠
法 の 権 威 を 守 り、 法 定 の
共 和 国 憲 法 に 忠 実 に、 憲
憲法宣誓の文言は次の
通 り。「 私 は、 中 華 人 民
宣誓を行う。
神 を ど う 実 践、 貫 徹 す る
信頼を得るのは困難だ。日
のビジョンが世界の人々の
歴史を無視して描いた未来
来は切り離せない。過去の
ビューに応じ、「過去と未
使) は こ の ほ ど 単 独 イ ン タ
閣議決定はせず、「個人の
考えを示唆した。最近では
民 地 支 配」 に は 言 及 し な い
き を 置 き、「 侵 略」 や「 植
談話では「未来志向」に重
いる。安倍首相はかつて、
映するかが注目され続けて
話がどのような歴史観を反
誰にもない。日中両国は
努力を水の泡にする権利は
れたものであり、こうした
もの障害を乗り越えて築か
た。日中の友好関係は幾重
政治家は大きな努力を払っ
丹羽氏は「日中友好実現
の た め、 両 国 の 上 の 代 の
の考えを示した。
か を 検 討 す る こ と だ」 と
中両国は歴史を鑑として初
見 解」 と し て 発 表 す る と も
安倍首相が今年夏に発表
する予定の戦後 年首相談
めて未来に向かうことがで
日本中国友好協会の丹羽
宇一郎新会長(元駐中国大
きる」と表明した。
と発展を促すことはできな
を扱っては両国関係の改善
羽氏は「対立心で日中関係
正式に会長に就任した。丹
丹羽氏は6月 日に加藤
紘一前会長の後を継いで
示すべき
ついての日本の考えを世界に
時にこの点を十分に認識
している。首相は談話発表
どう捉えるかを非常に注視
各国は日本の首相が歴史を
べきだ。中国や世界の他の
理解を得て、閣議決定する
するのなら、閣僚の賛成と
談 話』 が 政 府 の 見 解 を 代 表
る公人であり、もし『安倍
丹羽氏はこれについて
「首相は日本政府を代表す
公言した。
年間の日本の過
丹 羽 氏 は「 日 中 両 国 民 の
いる現在の問題について、
し、相互好感度が下がって
日中両国民間の感情が悪化
推進に常に尽力してきた。
日中友好協会は1950
年の設立以来、民間交流の
めるべきだ」と指摘した。
げにして、できる事から始
平氏が述べたように、棚上
解決できない難題は、鄧小
年前の日中国交正常化の原
点に立ち帰るべきだ。現在
い。日中友好を真に実現す
し、戦後
■ 安 倍 首 相 は過 去 と未 来 に
るには双方が一致協力し
丹羽氏は「現在日中双方
には歴史問題をめぐり争い
がある」と述べた。
て、同じ方向に向かう必要
の改善を後押し
■ 民 間 友 好 交 流 で国 家 関 係
した。
世 界 に 示 す べ き だ」 と 指 摘
去と未来についての考えを
前のままだ。もっと多くの
互いの印象の多くは数十年
を希望する。日本人ももっ
と中国を見に行く必要があ
る。日中友好協会は相互往
関わらず、それが実際の状
いう言葉を使うかどうかに
迷惑をかけた。『侵略』と
日本は確かに中国に大きな
べきだ」と指摘。「過去に
に基づき対話を繰り広げる
史認識問題をめぐる日中
は 困 難 だ 」 と 強 調。「 歴
界の人々の信頼を得るの
し い 未 来 を 描 い て も、 世
の な ら、 ど ん な に 素 晴 ら
して未来ばかり強調する
丹 羽 氏 は「 過 去 と 未 来
を 切 り 離 し、 歴 史 を 無 視
べきだ。民間友好交流によ
の友好発展の道を共に図る
声明の精神に基づき、両国
1972年発表の日中共同
中 友 好 の 観 点 に 立 っ て、
民 は 互 い を 見 る 際 に、 日
の問題を抱える。双方の国
丹羽氏は同時に「日中両
国はそれぞれ国内に多く
来の推進力だ」と述べた。
況だ。安倍政権は過去の政
間の争いを解決するうえ
って国家レベルの関係改善
報」が伝えた。
市場になったという。「北京日
連続で世界最大の金の現物取引
れるのにともない、中国は8年
資本市場の革新的措置が実施さ
国際ボード設置をはじめとする
続的に増加した。同取引所の金
ナなど主要品目の取引総額も持
比151%増加し、金やプラチ
だ。
年々順位を上げている。今や世
・プラチナ取引量ランキングで
を誇り、世界の大手取引所の金
あり、8年連続で世界一の規模
一の合法的な金の現物取引所で
上海金取引所は中国人民銀行
( 中 央 銀 行) が 設 立 し た 国 内 唯
ナは525トンに上った。
取引量が4764トン、プラチ
界的に重要な貴金属の取引市場
データによると、中国の金取
引量は世界の市場の流れに逆ら
年上半期の上海金取引所の総
取引量は1万7520トンで同
取引額は同139%増加し、金
元建て価格設定メカニズム構築
のにともない、中国は金の人民
センター建設が絶えず進展する
民元国際化と上海での国際金融
きな金市場のニーズがある。人
同取引所の沈剛副総経理(副
って、 年は前年比 ・ 9%増
加し、 年も ・ %増加した。 社長)は、「中国には非常に大
万トンで同151%増加
166%増加し、プラチナ取引
のプラットフォームでは、認可
験区に設置された金国際ボード
した。このうち上海自由貿易試
述べた。
内 に も う ち 出 さ れ る 予 定 だ」 と
なり、計画ではメカニズムは年
の条件を基本的に備えるように
量は
を受けて稼働し始めた後の金の
ィといった分野の協力が
員 の 石 沢 氏 は、「 今 回 の
加 盟 国 拡 大 は、 地 域 の 安
全の維持が中央アジアか
ら南アジアへと拡大した
こ と を 意 味 し て お り、 イ
ンドとパキスタンはこの
地域で影響力のある国で
も あ り、 緊 密 な 協 力 関 係
を結ぶことは現実的に意
義 あ る こ と だ」 と 指 摘 し
ている。また石氏は、「中
国はSCOの重要な加盟
国 と し て、 新 メ ン バ ー に
対し積極的かつ慎重な姿
勢 を 示 し て き た。 設 立 以
来、 関 連 の 法 整 備 の プ ロ
年以上の時を経た今では
安 定 的 に 進 め ら れ て い る」 セ ス に も 力 を 入 れ、 1 0
と喜んで語った。
る」と語る。
め ら れ る が、 こ れ も 大 き
石氏は、インドのSCO加
も開拓することになる」。
「インドの加盟は、中印
両国の新たな分野での協力
成熟したものになってい
ウファサミットではイ
ンドとパキスタンがSC
な注目点の一つとなって
Oに加盟する手続きが進
い る。 順 調 に い け ば 相 応
がインドとの関係改善を望
盟を歓迎することは、中国
になる。
る。しかも、国際社会にお
の決議が可決されること
イ ン ド の「 経 済 時 報 」
紙 は、 こ れ は S C O 設 立
いて、中印が協力を深める
できる」と指摘された。
くの人材を育成することが
供 し、 国 家 の た め に よ り 多
により多くのチャンスを提
を 促 進 し、 貧 困 家 庭 の 学 生
手 助 け し、 公 平 な 教 育 環 境
生が学業を修了できるよう
経済的に困難な家庭の大学
題 を 解 決 す る た め、 年 度 予
の財政当局は貧困学生の問
財 政 当 局 が 負 担 す る。 各 級
原則として所在地の省級の
し た 場 合、 代 理 返 済 資 金 は
鄙な地域の末端機関に就職
請 で き る。 生 活 が 困 難 で 辺
の 卒 業 生 は、 代 理 返 済 を 申
に重大な災難があったなど
労 働 能 力 を 喪 失 し た、 家 庭
( 3) 返 済 援 助 メ カ ニ ズ
ム を 確 立 す る。 病 気 に よ り
我々の各分野の共通認識
「 双 方 の 共 同 努 力 の 下、
極的なシグナルを発信し
協力と共同発展という積
で 合 意 し、 世 界 に 向 け て
関係を構築していくこと
発展パートナーとしての
を 充 実 さ せ、 よ り 緊 密 な
パートナーシップの中身
国首脳は西安で中印戦略
レ ー ド で も て な し た。 両
今 年 5 月、 中 国 は 訪 中
したモディ首相を高いグ
する課題でもある。
ンドとパキスタンが直面
首 相 と 会 談 し た 習 主 席 は、 と い う 課 題 は、 ま さ に イ
た。 今 回 ウ フ ァ で モ デ ィ
中国上海協力機構研究
セ ン タ ー 常 務 理 事、 中 国
勢 力、 テ ロ 勢 力 ) の 撲 滅
端 な 宗 教 勢 力、 民 族 分 裂
視する「3つの勢力」(極
か ら 見 て も、 S C O が 重
伝 え て い る。 組 織 の 機 能
の役割は軽視できないと
意 義 深 い こ と で あ り、 そ
域組織に加盟することは
とを初志に創設された地
地域の安全を維持するこ
ンという核保有国が国と
あ り、 イ ン ド と パ キ ス タ
な相互信頼関係を構築する
なエネルギー協力交渉を進
中央アジア諸国とより円滑
COに加盟すればロシアや
ー消費国の一つであり、S
ンドは世界最大のエネルギ
れる経済的メリットだ。イ
によってインドにもたらさ
もう一つ軽視できないの
が、SCOに加盟すること
ればならない。
制の改善を進めていかなけ
てグローバルガバナンス体
っており、中印は手を携え
守る上でも重要な意味をも
ことは発展途上国の利益を
む意思表示であると分析す
年来初の加盟国拡大で
会 議 で は、 以 下 の 内 容 が
決定された。
算の中から十分な額の国家
が 実 行 さ れ つ つ あ り、 両
を 補 助 す る。 卒 業 後 の 返 済
がある。
ン 政 策 を 完 備 す る こ と で、
( 1) 大 学 生 の 在 学 期 間
中の教育ローンの利息につ
教育ローン利息補助金とリ
国 の 立 法 機 関、 鉄 道、 産
ことに繋がるのだ。
期間内に引き続き学位を取
めることができ、より緊密
い て は、 財 政 に よ っ て 全 額
スク補償金を割り振る必要
国際問題研究院上級研究
伝えた。
い る の か だ。 人 民 日 報 が
C O) へ の 加 盟 を 急 い で
インドは上海協力機構(S
こ で 気 に な る の が、 な ぜ
各 界 の 注 目 を 集 め た。 こ
る こ と か ら、 こ の 会 談 は
BRICSの構成国であ
で あ り、 急 成 長 を 続 け る
いずれも発展途上の大国
首 相 と 会 談 し た。 両 国 は
家主席はインドのモディ
今月8日のウファサミ
ッ ト 開 催 直 前、 習 近 平 国
インドが上海協力機構
加盟を渇望する理由は
があるが、これは解決不能
中国人が日本を訪れること
な難題では決してない。双
方は相手の国民の立場に立
民の取り締まりにおける正
府と同様、おわびすべきは
で、 最 も 大 切 な の は 日 中
って、日中関係発展の願い
82
シ ュ ケ ク サ ミ ッ ト( キ ル
SCOの取り組みの総括
行 動 し、 本 地 域 の 運 命 共
S C O の 協 力 を 深 め、 テ
エ フ 大 統 領、 タ ジ キ ス タ
る喫緊の課題について意
伝統的な脅威に共に立ち
第 期全国人民代表大
会( 全 人 代 ) 常 務 委 員 会
家公務員は就任時に憲法
各レベルの人民代表大会
社会主義国家建設のため
17
ギ ス タ ン) 以 降 に お け る
ン 大 統 領、 カ ザ フ ス タ ン
が 行 わ れ、 そ の 後 各 国 首
同 体 を 構 築 し、 加 盟 国 の
ン の ラ フ モ ン 大 統 領、 ウ
係 を 結 び、 互 い に 学 び 合
回 会 議 は 1 日、 憲 法
常務委員会が選挙または
に努力奮闘することを誓
第
決定により任命した国家
う」。
族国民がさまざまなルート
常な法執行協力をむやみに
おわびし、必要な回数だけ
か ず 公 務 に 従 事 す る、 人
公 務 員、 お よ び 各 レ ベ ル
でタイに滞在していること
非難し、さらにはこの問題
を後押しする。これを堅持
中国外交部(外務省)の
華春瑩報道官は10日の定
を発見した。双方の協力に
両国の上の代の指導者の
例 記 者 会 見 で、「 中 国 と タ
おわびし、それを基礎に日
よって、こうした人は不法
を政治化までしている。こ
イは国際条約と二国間の協
すれば、近い将来、日中友
れは不法移民と密入国に対
好は新たな変化を迎えるだ
する放任であり、関連する
政 治 的 知 恵 に 学 び、 日 中
の密入国者であることが明
間の4つの基本文書を尊
らかとなった。偽造のパス
だ」と述べた。
中がどうやって友好発展を
力協定に基づき不法の密入
国際条約と法律にも違反す
共に図るかを考えるべき
国者を送還したことは、両
ポートなどの手段による不
るものであり、不法移民の
ろう」と述べた。
国間の不法移民や密入国を
法移民や密入国は公認され
得 す る 場 合、 あ る い は、 在
重 し た う え で、 文 書 の 精
取り締まる正常な協力」と
取り締まりにおける国際社
学期間に病気などの理由で
る違法犯罪行為であり、国
会の共同努力に資さないも
国務院の李克強総理は8
日、 国 務 院 常 務 会 議 を 招 集
指摘した。
際間の正常な出入国秩序を
のであり、われわれは決し
休学した場合も補助が申請
著しく乱すものである。中
し、 国 務 院 の 重 大 政 策 措 置
――タイ側はタイに滞在
している中国籍のウイグル
て受け入れない。
取 し た ほ か、 国 家 教 育 ロ ー
59
ァ で 開 か れ た。 習 近 平 国
の ナ ザ ル バ エ フ 大 統 領、
脳はSCOの発展の現状
周年の記念活動を高
キルギスタンのアタンバ
ズベキスタンのカリモフ
い 開 放 を 堅 持 し、 新 た な
認識に達した。
重要講演を発表する習近平主席
( 2) 共 同 発 展 の パ ー
ト ナ ー シ ッ プ を 構 築、 促
の 人 民 政 府、 人 民 法 院、
大 統 領 が 会 議 に 出 席 し た。 見 を 交 わ し、 幅 広 い 共 通
人民日報が伝えた。
加盟国首脳の集合写真
BRICS首脳会議 で
進 す る。 よ り 緊 密 な 経 済
維持する必要がある。
習近平主席が基調演説
パートナーシップを構築
ーバルな問題に連携して
パートナーシップを共同
国とタイは関連する国際条
このほどトルコで起こっ
ている中国およびタイの国
年に延長され
る。 ま た、 元 本 猶 予 期 間 も
この期間内は利息のみを返
ために公平な成長の環境を
華社が伝えた。
手続きを簡素化する。
2 年 か ら 3 年 に 延 長 さ れ、
ら統一的に
中国、8 年連続で
世界一の金現物市場に
業 パ ー ク、 ス マ ー ト シ テ
済 す れ ば よ い。 さ ら に 申 請
会 議 で は、「 国 務 院 の 決
定 に 基 づ き、 国 家 教 育 ロ ー
整 え る こ と を 決 定 し た。 新
ン に 力 を 入 れ、 貧 困 学 生 の
14
す る。 B R I C S は グ ロ
対 処 す べ き だ。 第 2 次 世
族100人以上を中国側に
約と二国間の協力協定に基
民と機関への暴力襲撃事件
できる。
送還したことを明らかにし
づきこうした不法の密入国
に対して、われわれは強く
の 実 施 を め ぐ る 重 点 監 督・
国とタイに国際準則を守り、 者を送還したことは、両国
た。 米 国、 ト ル コ な ど は 中
間の不法移民や密入国を取
非難する。中国側はトルコ
の姿勢表明を大きく重視す
38
43
検査状況に関する報告を聴
難民の追い出しを中止し、
り締まる正常な協力で、尽
の領土を利用した中国の利
一部の外国政府と勢力は
上述した事実を顧みず、何
る。われわれはトルコ側に
国家教育ローン、最長 20 年に延長
15
70
( 2) ロ ー ン の 最 長 期 限
が こ れ ま で の 年・ 年 か
タイに滞在しているウイグ
くすべき国際的責務でもあ
益に危害を加える活動を容
ル族の人が行きたい国を選
択できるよう要求している。 る。
(UNHCR)も懸念を示
の根拠もなしにこうした不
関連する国際条約に厳格に
認しないというトルコ政府
している。コメントは?
法の密入国者を「難民」と
従 い、 有 効 な 措 置 を 取 り、
10
中国の習近平国家主席
は 9 日、 ロ シ ア・ ウ フ ァ
での第7回BRICS首
界大戦の勝利の成果と国
構 築 し、 B R I C S 新 開
脳 会 議 で 基 調 演 説「 共 に
発銀行本部とアフリカ地
パートナーシップを構築
際 公 正・ 正 義 を 共 同 で 維
域センターの建設を推進
持 す る 必 要 が あ る。 冷 戦
し、 B R I C S 経 済 パ ー
し、 素 晴 ら し い 未 来 を 築
思 考 を 捨 て、 ゼ ロ サ ム ゲ
18
70
呼び、中国とタイが不法移
国連難民高等弁務官事務所
70
12
ここ最近の間、中国とタ
イは一部の中国籍の少数民
中国などの関連国がトルコ
に駐在する外交機関と要員
の安全と合法的権益を確実
に保護することを要求する。
いくつかの勢力はいわゆ
る民族、宗教問題を利用し
て中国の内政を干渉し、中
国の安全と安定を破壊しよ
うと企んでいる。これに対
してわれわれは強く反対し、
20
く 」 で、 B R I C S パ ー
ー ム を 拒 絶 し、 地 域 と 世
かりと実行に移す必要が
トナーシップ戦略をしっ
トナーシップの強化につ
界 の 平 和・ 安 定 を 共 同 で
いて次の点を提案した。
( 1) 世 界 平 和 維 持 の
「過去を無視した未来像は信頼を得がたい」
これらの企みは成功しない
さらに申請手続きを簡素化する
15
14 13
14
日中友好協会会長丹羽宇一郎氏
に違いない。
国務院常務会議
家主席とロシアのプーチ
PEOPLE’S DAILY OVERSEAS EDITION 2015 年 7 月 10 日 金曜日 今週 5 - 9 版 http://j.people.com.cn/
ある。
( 3) 多 元 的 文 明 の パ
ー ト ナ ー シ ッ プ を 構 築、
発 揚 す る。 開 放・ 包 含 を
堅 持 し、 他 の 国 々 や 国 際
組織との対話や交流を積
極的に繰り広げる必要が
ある。
( 4 )世 界 経 済 ガ バ ナ ン
スのパートナーシップを
構 築 、強 化 す る 。グ ロ ー バ
ル・ガ バ ナ ン ス に お け る B
RICSの地位と役割の
向 上 に 共 に 尽 力 し 、開 放 型
世 界 経 済 の 構 築 を 提 唱 し、
多 角 的 貿 易 体 制 を 支 持 し、
外交部
サイバー空間や移民問題
における交流や協力を強
化する必要がある。
全国人民代表大会常務委員会
密入国者の送還で見解
中国とタイの不法移民を取り締まる正常な協力 憲法宣誓制度を導入へ
22
26
セ ン タ ー か ら 打 ち 上 げ ら れ た。 衛 星
地球観測衛星「高分 8 号」、打ち上げに成功
6 2015 年 7 月 10 日 ( 金 )
北京
北京市で「がん患者」が大幅増加
1日当たり113人、肺がん目立つ
北京市腫瘤防治研究弁公室は市内の
がん発症率に関する最新のデータを発
表。それによると、市内のがん患者数
は増加の一途を辿っている。
今回発表された「北京市2014年
度衛生人群健康状況報告」および「北
京市住民悪性腫瘍発症率および生存状
況に関する報告」によると、2013
年のがんの新たな発症例は4・13万
人で、1日あたり113人の割合で患
者が増加。また、発症率は10万人あ
たり315・80人。
がんは2007年以来北京市におけ
る死因の第1位で、4人に1人ががん
で死亡している。また、発症者は高齢
者が主で、患者の性別比に大きな差は
みられない。
男性に多いがんは1位が肺がん、次
いで結腸および直腸がん、肝臓がん、
胃がん、前立腺がんの順で多く、前立
腺がんの発症率の上昇が続いている。
女性に多いがんは1位が乳がん、次
上海
いで肺がん、甲状腺がん、結腸および
直腸がん、子宮がんで、うち甲状腺が
んの順位の上昇が続いている。
肺がんの患者数は市内人口全体では
1位。市内のがん患者の5人に1人が
肺がんといわれる。
専門家が推奨する最大の予防策は喫
煙および受動喫煙の煙、調理中の油煙
や大気汚染の有害物質、内装工事等で
発生する揮発性の有害物質を避けるこ
と。発症が疑われる場合の対策は早期
発見と速やかな治療だという。
50~69歳の人の場合、1日に吸
うたばこの本数に喫煙年数をかけた数
字が20を超えると肺がんの高リスク
群に入る。該当者はCT検査を年に1
度受けるのが望ましいという。
発症後の対策は専門医院での治療が
望ましい。手術後の経過観察中も食事
や運動の習慣に留意し、ストレスのコ
ントロールも重要だという。(中国新
聞網/新華網)
医師を狙う「襲撃事件」相次ぐ
医師協会が声明発表、厳重抗議
上海市医師協会オフィシャルアカウン
トは6月30日、WeChat上に声明
を発表した。内容は最近市内で相次いで
3件発生した医師の襲撃事件に関するも
ので、医療従事者への暴力行為に対する
厳重な抗議を行った。
6月27日、上海瑞金医院では産婦人
科の女医が産婦から休暇を不当に延長す
るための手続きを求められ、拒否すると
平手打ちの暴力を受けた。問題の産婦に
は5日間の行政拘留を科された。
その数時間後、上海児童医学中心医院
では昼食を終えた外科医が診療室に戻る
途中で患者の家族から殴打された。しか
しその後、家族は医師に謝罪を行った。
その後、市内では上海新華医院崇明分
院の救急科と新華医院一般外科の病棟で
も医師を襲撃する事件が発生した。
上海市医師協会は声明の中で医療従事
者への暴力を厳しく批判し、被害に遭っ
た医療従事者たちへの見舞いの言葉も述
江西
(第三種郵便物認可)
地 方
べた。
声明では一連の暴力事件に対し以下の
4つの見解が示された。
1、医療従事者は患者の生命を救う使
命を担う者であり、いわば生命の守り手
である。医療従事者に対する尊重は生命
に対する尊重に等しい。
2、司法機関は犯人を厳罰に処すべき
である。医師への暴力は医療秩序を著し
く破壊する行為であり、1件たりとも容
認すべきではない。
3、医療従事者の良好な就業環境を回
復し、医療従事者の合法的な権益を守っ
てもらいたい。
4、本会は法律を公正なものであると
信じ、法的な手段を以って合法的な権益
を守ることができるよう希望する。
また、「医師と患者の穏やかな関係を
確立することは社会全体の共同責任であ
り、医療従事者に対する暴力は断固とし
て許してはならない」と述べた。
高速道路で乗員オーバー車摘発
定員5人に8人、トランクにも
江西省交通警察直
属第5支隊第16大
隊によると、同隊の
職員は最近、省内の
高速道路をパトロー
ル中に信豊県の小江
料金所で深刻な乗員
オーバーを犯してい
る乗用車を摘発した
という。5人乗りの
車内には8人が詰め
込まれ、トランクの
中に子どもが3人座っていた。
6月20日午前9時35分、江西省交
通警察直属第5支隊第16大隊の職員は
小江料金所で検査中に江淮ナンバーの乗
用車の違反行為を発見。5人乗りの車内
に8人が座っていたため、職員は深刻な
乗員オーバーと判断した。しかし呼び止
めて車内の点検を行うと、トランクの中
からさらに子どもが3人も出て来た。荷
台に詰められた子どもたちは意に介する
様子もなく棒付きキャンディーを食べて
いたという。
職員はドライバーに処罰を科した上で
厳重な注意も行い、定員を超えた同乗者
たちに別の交通手段で移動するよう指導
した。
職員は「乗用車のトランクに人を載せ
るのは非常に危険」と注意を呼びかける。
トランクに人が乗ると車両の動作に影響
がおよぶため、事故につながりやすい。
また、車両の平衡バランスも崩れやすく、
運転中の安定感に問題が生じてしまう。
万一転倒や追突事故が起きた時にはトラ
ンクの中の人に危険がおよびやすく、最
悪の場合死亡する恐れもあるとのことだ
った。
四川
馬泥棒、「外祖父」に罪着せる
犯行の理由は昔叱られた怨み
四川省広安市岳池県で馬を盗んだ男が
外祖父に罪を着せる事件が発生。男は岳
池県白廟派出所に窃盗罪で逮捕された
が、犯行の理由は昔叱られた恨みだった
という。
6月11日の晩、
興隆鎮に住む劉
(26
歳)は帰宅途中に道脇のクルミの木に繋
がれた馬を見つけ、夜の闇に紛れて盗ん
だ。劉は馬の転売を試みるも買い手が見
つからず、途中で持て余した。
劉はその時、なぜか母方の祖父のこと
を思い出したという。祖父には子ども時
代からあまり構ってもらえず、嫌われて
いるように感じていた。劉は馬を祖父の
家に繋ぎ、冤罪をかけることを思いつい
た。
午前0時、白廟鎮にある祖父の家に到
着した劉は知的障害を持つ叔父を起こ
し、馬を小屋に繋ぐよう頼んだ。どこの
馬かと聞かれるも「よその馬」とだけ答
え、馬を渡した。劉は叔父のベッドに横
台湾
祝儀袋の中身は台湾ドルと髪の毛
拾った男性が死んだ女性の花婿に?
台湾のニュースサイト「東森新聞雲」
は島内で起きた死者と生者の結婚に関
する出来事を報道。新北市に住む40
代の既婚男性がすでに死亡している女
性との縁談を持ちかけられたという。
男性は「死後結婚の風習が現在も続い
ていることに驚いた」と振り返る。
男性はその晩、夜店で軽食を食べた
帰りに赤い祝儀袋を拾った。袋の口か
らは100台湾ドルが見えていたが、
中を見ると髪の毛が1束入っていた。
何となく不気味に感じていると、道
脇から人が駆け寄ってきた。亡くなっ
た家族のために婿を探しているという。
祝儀袋を拾った人が花婿候補となる風
習があるため考えて欲しいといわれた
が、男性はキリスト教徒なので応じら
れないと答えてその場を切り抜けた。
未婚のまま死亡した人のために死後
結婚を行う風習はアジアの各地に存在
するが、その形式は遺体と遺体を並べ
海南
になり、祖父との不愉快な思い出をあれ
これと思いめぐらした。
翌朝、劉は裏口から祖父の家を抜け出
し興隆鎮の自宅へ戻った。
祖父母は突然現れた馬に困惑したが、
息子に聞いても言葉が上手に話せないた
め、やむを得ず警察に通報した。
午前9時、劉の自宅周辺では馬の話題
で持ちきりとなっており、盗みの発覚を
恐れた劉は馬を山へ放すことにした。
午前10時、祖父の家に戻った劉は警
察の姿に気づき、表をうろつきながら様
子を伺った。しかし近所で聞き取り調査
を開始した警察官に見咎められ、派出所
への同行を命じられた。
取り調べでは劉に窃盗の前科があった
ことが判明。今回罪を祖父に着せようと
した理由は過去の恨みだが、中でも許せ
なかったのは祖父の家の桃を盗んできつ
く叱られた思い出だという。劉は窃盗罪
で勾留された。
て結婚式を挙げるものから生者が死者
と結婚するものまで様々だ。
台湾では祝儀袋に亡くなった女性の
髪の毛を入れて路上に置く風習が存在
し、拾った男性に女性の縁者が縁談を
持ちかける。結婚はあくまで形式のた
め、現在はボランティアや友人などが
未婚、既婚に関わらず仮の婿となるケ
ースが多い。
今回縁談を持ちかけられた男性は「も
う二度と祝儀袋は拾わない」と語る。
男性は祝儀袋を警察に届けようと思っ
ただけだが、うっかり拾ってしまった
ために危うく死者の花婿になるところ
だったという。「髪の毛にはすぐに気
づいたけど、今もあの風習が残ってい
るとは思わなかった」
縁談を持ちかけた男性は亡くなった
女性の弟と語る。「突然他界してしま
ったので、ちょうど良い男性を探して
あげたかった」
通行人たちが幼女誘拐未然に防ぐ
通報で警察駆付け、身柄を拘束
6月29日午後7時15分前後、海南
省海口市南大橋の下で小さな女の子が見
知らぬ男に連れ去られそうになる事件が
発生。通報で駆け付けた管轄の派出所職
員は男の身柄を拘束したが、逮捕の鍵と
なったのは周囲にいた通行人たちの協力
だという。
目撃者によると、事件の発生時刻には
高齢の男性が孫娘2人を連れて南大橋の
下にある花海公園を散歩している最中だ
った。男性と孫が広場の前を通ると、孫
娘2人は中に行きたがらなかった。男性
は買い物のためにやむを得ず2人から
10メートルほど離れたが、振り向くと
2人の孫娘のうち下の子がいないことに
気づいた。
男性が慌てて駆け戻ると、見知らぬ男
が下の子を抱えて逃げようとしているの
が見えた。男性の孫娘のうち上の子は6
歳半、男にさらわれかけた下の子は2歳
半だという。
男性は男を追いかけて捕まえ、孫娘を
連れ去ろうとした理由を尋ねた。すると
男は男性を突き飛ばし、孫娘を抱えたま
ま「この子は俺の子だ」と言い張った。
福建
を明かしたという。
27日の午後には子ども6人で烏龍江
へ遊びに出かけたが、最年長の子が小学
3年生で、最年少の子は幼稚園児だった。
陳君は川の中で溺れ、助ける間もなく
流されてしまった。すると一番年上の子
2人が陳君の衣服を川辺の砂に埋め、他
の子たちに口止めをしたという。親に話
したら殴ると脅された小さな子たちはし
ばらくの間口をつぐんでいた。
29日早朝、陳さん一家は烏龍江で陳
君を捜し、警察も船で捜索にあたった。
午後1時、警察は水面に浮かぶ陳君の遺
体を発見し、家族はその場に崩れ落ちた。
警察は「保護者も学校も大人の監督な
しで池やダム、川などで遊ばないよう子
どもたちに言い聞かせて欲しい」と注意
を呼びかける。とりわけ多忙な出稼ぎ夫
婦は子どもたちの監督を強化して欲しい
とのことだった。
広場ダンス、中高年女性に流行
トラブル多発、警備員との攻防も
中国では近年、住民同士で広場に集ま
って行うダンスが中高年女性を中心に流
行中だ。しかし各地に広がる一方、騒音
や公共場所の占領をめぐるトラブルも多
発しているという。江蘇省南京市浦口
六路の広場ではダンスに集まった女性た
ちが警備員にレンガ片を投げられるトラ
ブルが発生。諍いは警察が駆け付ける騒
動にまで発展したが、警備員は広場の持
ち主の命令なのでやむを得ないとしてい
る。省内紙『揚子晩報』が取材を試みた。
6月25日の晩、浦口区浦六路のデパ
ート前広場でダンスに集まった女性十数
人が警備員と口論になった。女性たちは
レンガ片をぶつけられたとし
て警備員に猛抗議を行い、間
もなく警察が現場に駆け付け
た。
広場はデパートの駐車スペ
ースだが、最近はレンガ片が
散乱していて非常に危険だと
いう。「転んだだけでもけが
をするし、人に向かって投げ
るなんて論外でしょう」
警備員は人にはぶつけてい
ないとした上で、建築ゴミを
撒いたのはダンスをやめさせ
山東
困り果てた男性が大声で通行人に助け
を求めると、近くにいた人が一斉に男を
取り囲んだ。男は人だかりの間をすり抜
けようと試みたが、密に集まった通行人
たちに行く手を阻まれた。
住民たちの通報を受けた大同派出所の
職員は速やかに現場へ駆け付け男を取り
押さえた。孫娘は無事男性の元へ返され、
容疑者の男は派出所へ連行。男が誘拐を
試みた動機などについてはその後も取り
調べ中だという。
8歳少年溺死、友達が事実隠す
衣服を川辺に埋め、嘘の報告
福建省福州市内の川で8歳の少年が溺
死する事故が発生。しかし一緒に遊んで
いた友達数人は少年が溺れた事実を大人
たちに隠したという。最終的に少年の遺
体は発見されたが、衣服は川辺に埋めら
れていた。ニュースサイト「東南網」が
伝えた。
四川省出身の陳さん夫婦は福建省福州
市で出稼ぎ中だ。成人している長男は同
じ福州市内で働き、8歳の次男陳君は倉
山区三山文物小学校の2年生だという。
母親によると、陳君は27日の正午に
近所の友達と遊ぶといって出かけたが、
夕食時になっても戻らなかった。市内を
一晩捜すも陳君は見つからず、近所の子
たちに聞いても誰も一緒に遊んでいない
とのことだった。6月28日、保護者の
1人が陳さん夫婦を訪ね、陳君が川で溺
れたという情報を告げた。陳さん夫婦が
その家の子に問い質すと、ようやく事情
江蘇
JAPAN-CHINA NEWS
るためと説明。本来駐車スペースである
ため、デパート側の命令で行ったという。
女性たちはいずれも近くの住民だ。心
身の健康のためにダンスを始めたが、近
所迷惑にならないよう住宅から離れたこ
の場所で活動していたという。「ちゃん
と車のない時を選んでやっていたのよ」
警察の取り成しの下、警備員は住民が
使えるスペースを設けてもらえるようデ
パート側に頼んでみると約束した。
見物していた住民たちは冗談まじりに
女性たちの味方をした。
「デパートなら
『お
客さん』を大切にしなきゃ。中高年の奥
さんたちの購買力は馬鹿にできないよ」
親の無頓着、誘拐事件多発させる
迷子捜し協力者に疑いの眼差しも
山東省済南市では最近、子どもの誘拐
をめぐるデマが広まり、不安を抱く保護
者が増えている。誘拐事件が増加する背
景には親の監督不足という問題も存在
するのだが、その点に関しては多くの保
護者が無頓着なようだ。また一方ではデ
マの影響で、迷子の親捜しに協力した人
が親から疑いの眼差しを向けられるな
ど、皮肉な事態も発生しているという。
端午節の連休中、済南市内を流れる黄
河の岸辺は行楽に訪れる親子連れで賑
わった。しかし取材に訪れた地元のテレ
ビ局、済南広播電視台は危険な水遊びを
する親など、小さな子どもの危険を顧み
ない大人たちの姿を多数目撃した。
黄河の流れは一見すると緩やかだが
実際には暗流も存在し、渦が巻いている
場所に引き込まれれば身体の自由を失
う恐れもあるという。水中で遊ぶ親たち
にリポーターが注意を促すと、近くの岸
辺に砂地を転げて両親を呼ぶ2~3歳
の女の子が見えた。女の子は両親の姿を
見失ったらしく号泣している。
すると泣き止まない女の子を見かね
た見ず知らずの男性が女の子を抱きか
かえ、親捜ししを始めた。男性は大声で
泣く女の子を慣れた様子でなだめつつ、
「お母さんはどこですか」としきりに周
囲を見回した。
間もなく女性が駆け寄ってきたが、
男性の手から乱暴に子どもを取り返す
と礼の一言もなく娘に話しかけた。「大
丈夫よ。泣かないで」
リポーターが子どもから目を離した
理由を尋ねるも、女性は「あなたには
関係ないわ」と乱暴に手を振り下ろし
た。結局女性は女の子の母親捜しに協
力した男性に疑いの眼差しを向けたま
ま、感謝を述べることもなく去ってし
まった。
い声を かけ た。「免許証の提
には スタ ンド 脇 の 畑 に 駆け 込
ほ ど 逃走。追いかけ 始め た時
を 離した隙に200メ ートル
で 貨 物運 搬を 営み 、 主 にセ メ
明。 安 徽 省 出 身 の 彭は 金 華 市
取り 調 べで は 証 明 書 の 名 前
が男の実名であることも判
車の鍵を 抜き、警官たち が目
示を 求める と、 所 持 して いな
ン スタ ンド に 入る のを 見 計ら
かけ たと いう 。
いと いう。免許証 番号を 思い
に 赤 信 号を 突 っ 切る 車 両を 見
「 赤 信 号 にな って 4 ~ 5 秒
経 過 し た 時、 他 の 車は み んな
運 転 悲 惨 委 員 会 」 と ある 。
いる 。 発 行 機 関は 「 中 国 飲 酒
り 信号を 無視。呼び止め た警
昨 夏、 彭は 過 積 載 の 状 態で
金華市市街地の二環東路を 走
返 して い たこ と になる 。
回 にわ た り 無 免 許運 転を 繰 り
ートで子どもができ3回
い う。 2 人 は 2 回 目 の デ
広州市へ戻ると夫から
連 絡 が あ り、 舅 が 重 病 な
とで 夫と 口 論 にな った。
子 を 産 ん だ が、 些 細 な こ
な く て、 結 納 金 の こ と で
起きてしまったから返せ
家にお金が必要なことが
を 止 め な か っ た わ。 で も
な く 字は 読 め な い 。
好 き で、 そ れ 以 外 の 趣 味 は な
い 人 」 と 語 る。「 働 く の が 大
射のお世話にな ったことがな
歳 の趙臨標 さんは 母親に
つ い て「 生 涯 で 一 度 も 薬 や 注
人。
べ物は 卵と 甘いお 菓子が好き
け れ ど 量は だ いぶ 少 な い。 食
飲 んで い たわ。 今 も 良 く 飲 む
若い時には 2合ぐら い普通に
度 も な い わ 」。 舅 は 大 の 酒 好
んから しいけ んかを 経験した
る と いう 。 男 性は 血 の つな が
青島市膠州市里岔鎮胡家村
の 李 成 金 さ ん( 歳)は 継 母
感 じて いる と 語る 。
さ ん と 暮ら し 始 め た のは
で、卵は いつも3個茹でて 食
合 って 内 緒 話を する こ と も 多
ら れ、 隣 人 に 何 か 起 き た 時 に
は 必ず手を 差し伸べて きたと
「 何 十 年 と 一 緒 に いて も、 嫁
ち が幸せ に暮ら して くれる こ
年
戸惑ったと いう。成金さんと
息 子 の 孝 行心 に沢 さ んは 最 初
ね、同居を 申し出た。しかし
継母の窮状を 知った成金さ
ん 夫 婦は 速や か に沢 さ んを 訪
に 陥 ったと いう 。
な く、衣食住にも事欠く状態
し ばら くは 身を 寄せ る 場 所 が
とと語った。
年
弟 の年 齢は 最 年 長 が
年少は5歳の成金さんだった。 は 血 の つ な が り が な く、
れて 、 自 分は 決 して 食 べよ う
「何かおいしいものが手に
入る と い つ も 私や 姉 たち に く
出を 一 度は 断 っ た が、 再 三 の
にな って いる 。沢 さ んは 申 し
前 から は 再 婚で 戸 籍 上 も 他 人
沢 さ んは 1 9 5 8 年 に 胡 家
村に 嫁ぎ、当 時5歳だ った成
「 母 さん には 育て の恩 が あ
る 。こ の 歳 にな って 私 が 守ら
説得を 受けて 好意に甘える こ
えて くれ たんだ」。成金さん
ず に 誰 が 守る ん だ。 周り の い
と に し たと いう 。
歳 )と 暮ら す 。 た 。 1 9 9 0 年 に 成 金 さ ん の
の 父 親は 1 9 9 0 年 に 病で 他
と しな かった。物のな い時代
父 親 が 他 界 する と、沢 さんは
界。 兄 弟 4 人は すで にそ れぞ
成 金 さんは 「 育て の 恩 に 報
い た か っ た」と 語る 。「 私 の
婚で は 子ど も がで きな いと い
身 寄 り が な く て、 最 初 の 結
て い る 。「 私 は 幼 い 頃 か ら
沢 さ んは 現 在 寝 た きり の 状
態で 、 介 護は 成 金 さ ん が 行 っ
再婚した。
伝う 。 就 寝 時 も 同 じ 部 屋で 休
ドルの脇に控えて ト イレを 手
下 の 用 事 も 自 力で は 不 可 能
な ため、 成 金 さ んは 朝 晩 オ ン
た。
まして目を配るようになっ
し ま い、 成 金 さ んは 以 前 に も
ド ル から 下りら れ な くな って
倒 して 骨 折。 以 来 自 力で オ ン
朝 食 の準備な どを 行う 。 昨 年
生 母は 早 く 他 界 し た ので ど ん
う 理 由で 追 い 出 され ま し た。
み 、沢 さ ん が 用 事 の ある 時 に
の 年 末 には 大 雪で 沢 さ ん が 転
な 人 かは 覚えて いな い。 覚え
の 結 婚 で、 3 回 目 の 結 婚 は
最 も 長 く 過 ご し た のは 2 回 目
は 起き 出 すと いう 。
んは そ の 2 年 後 に 別 の 男 性と
て いる のは 育て て くれ た 母 さ
2000年に夫が他界した時
れ の 家 庭を 持 って お り 、沢 さ
成 金 さ んは 毎 日 早 朝 に 起 き
出 して 沢 さ ん の 洗 顔や 整 髪、
なかった」
い。 私は 私 の 良心 に 背 き た く
うことなんかどうだって良
別 の 男 性と 再 婚 して 成 金 さ ん
歳を 迎え た2000年に
んだけだ」。
に終わり ました」。そ れ 以降
んは 身 寄り のな くな っ た沢 さ
沢 さ ん に と って 成 金 さ ん の
父 親と の 結 婚は 二 度 目 の 結 婚
んを 自宅へ迎え 入れ た。
だ っ た。 出 会 っ た 頃、 4 人 兄
は 3人目の夫が他界。成金さ
し
食 事 から 下 の 用 まで 献 身
血 縁 、 戸 籍 他 人で も 親 子
とは 離れ 離れ にな った。しか
で も、父と 一緒にこ の家を 支
前 だと いう 。
歳、 最
姑で け んかにな ったこ とは 一
も 好 き 嫌 いを しな い 」と 語る 。 い う 。 現 在 の 望 み は 子 ど も た
去年も秋の収穫時にトウモロ
今 も じ っ と し て い ら れ な い。
年を 共 に し た 夫 婦は 現 在
食後には自分で食器を洗うし、 も 互 い を 思 い 合 い 、 顔 を 寄 せ
66
金さんの義理の母親となっ
年
時 代を 過 ご し た 家で 、 再 び沢
再 婚 先 から 引 き 取り
山東省省内紙『斉魯晩報』
は 継母を 自宅へ引き取り 介護
ら な い 母 に 対 して も深 い 恩を
は 再 び 親 子と して 同 居 して い
代の男性を 取材。男性
の 後 父 親 の 再 婚で 出 会 っ た 継
は 幼い時に母親を 亡くし、そ
の李沢 さん(
する
の死後に別の男性と再婚した
母 に 育て ら れ た。 継 母は 父 親
現 在 の 自 宅は 成 金 さ ん が 幼 少
き だ と い う。「 お 義 父 さ ん は
現在は 視力が若干見え づら
い 以 外は 健 康で 思 考 もは っき
か っ た。 若 い 時 か ら 家 の 中 の
まで 合わせ た家族の人数は
在は 玄 孫 まで お り、 5 世 代 先
歳、 最 年 少 の 子 は
歳
りと して いる。誕生日会では
ことも外のことも全部できて、 べて いる わ 」
村 の 農 村 家 庭 に 生 まれ、
こ と が な く、 現 在 も 仲 睦 ま じ
司会の質問にも矍鑠とした様
で3歳年下の趙盛琳さんに嫁
く互いを 労わ り 合 って いる。
子で 答えて い た 。
山 東 省 省 内 紙『 斉 魯 晩 報』
はズ博市に住む女性の100
家 族 に よ れ ば、 女 性 は 心 が 広
い だ。 学 校 には 通 っ た こ と が
く我慢強い性格で、現在も農
夫 と 過 ご し た 年、 些 細 な
口 論は あ って も 本格 的な 夫 婦
コシの皮むきを手伝っていた」 い 。 2 人 は 親 切 で も 界 隈 に 知
年連れ添った夫とけ
作 業や 家 事を 元 気 に 手 伝 って
げんかに至ったことは 一度も
歳 の 誕 生 日 会 の 模 様 を 取 材。
いる と いう 。
な いと いう。 夫 婦には 娘 4 人
息 子 の 嫁、王 桂芳 さんは「心
が広く辛抱強い人で、食べ物
女 性は
1 月 9 日、 住 民 女 性 の
100歳の誕生日会が行わ
と 息 子 が 1 人 お り、 最 年 長 が
通り 一面に鳴り 響いた。
誕 生 日 会 の 主 役、 韓 其 蓮 さ
んは 1916年に ズ博市石門
20
歳。 現
れ、 芝 居 の 歌 声や 爆 竹 の 音 が
80
浙 江 省 の 金 華 市 公 安 部 門は
交通違反を 見咎めら れ た男が
を ネット 上に公開。信号無視
ン ト を 扱 って いる 。 飲 酒運 転
転証」なる 証明書を 提示し、
証は 道 脇 の 屋 台で 見 つけ、 2
んで い た 。
元で 購 入 し た も の だ と いう 。
出せる か 尋ね たら 数 字を 答え
よ う や く 身 柄を 確 保 して 取
り 調べを 始める と、所持品の
彭 が 飲 酒運 転 証を 手 に 入れ
た 理 由は 単 に 面 白 か っ た ため
証 明 書 には 発 行 の 経 緯 も 説
明 されて いる 。「 彭 亮は 酒を
官を 振り 切り さら に 赤 信 号を
目に結婚した。
ので息子の嫁として会い
心広く我慢強い、隣人に優しい
が、身寄り のな くな った現在
80
きち ん と 停 ま って い た の に 1
中に奇妙な 物が見つかった。
歴は な か っ た。 し か し 今 回は
と のこ と だ が、 飲 酒運 転 の 前
命 のよ う に 愛 し、 身を 以 って
突っ切った。警察に拘束され
浙 江 省 省 内 紙『 都 市 快
報』 は 台 州 市 の 裁 判 所 が
に 来 る よ う に と い わ れ た 。 ず っと 揉めて い た の」
余 地 が あ る と 判 断。 し か
80
で 捕 ま っ たそ の 男は 「 飲 酒運
警 官 たちを 唖 然と させ たと い
表 紙 には 金 色 の 文 字で 「 飲 酒
過 去 に も 余 罪 だら け
で も 飲 酒運 転は な し
前 歴は な か っ た が、 複数 の 余
う 。 男は 実 際 には 飲 酒運 転 の
免許証そ っくり の小さな 手帳
運 転 証」と 印 刷 されて いる 。
信号無視と免許証番号の詐称
た が、 照 合 して も 該 当 者 が 出
を 犯 し、運 転 免 許 証は 前 回 の
台 だけ 無 視 して 突 っ 切る 車 両
罪が見つかった。
の顔写 真に「彭亮」と いう 署
を 開 いて 見る と、 中 には 本 人
が あ って 、 丁 度こ ち ら の パ ト
だ。車のナ ンバーを チェ ック
カ ー の 後ろ に つ いて き た」。
り、 証 明 書 番 号 まで 付 されて
名 が あ っ た。 年 齢は
な い ので デ タ ラ メ だ っ たよ う
隊 だ。 中隊 長 の阮 さんによる
問題の男を 取り 締まったの
は金華市交通警察直属第二大
する と 、そ れ も 偽 物 だ っ た 」
信 号 無 視で すで には く 奪 され
阮 さ んと 同 僚は し ばら く 様 子
署 へ の 同 行を 求める と 男は
て い たこ と も 判 明。 彭は 複 数
歳とあ
分、金
日午後2時
を 窺い、相手の車両がガソ リ
酒に命を 賭け た。車両を 縦横
る まで に 信 号を 4 ~ 5 回 無 視
扱った奇妙な離婚訴訟事
「 法 廷で 原 告 に 問う と 、
少 し 恥 ず か し そ う に『 今
た。
夫とも電話で話した結
果、 裁 判 官 は ま だ 修 復 の
生活は6度目に終わりを
57
と1月
華都市新区法華街路を 巡回中
免許取消し男、信号無視で逮捕
に衝突させて大木を5本倒
警官に堂々「飲酒運転証」提示
し、 車 両 8 台 に 接 触。 さら に
し、パト カー1台に衝突した
と いう 。
棟を 損壊。自身も重傷
住宅
彭は 複 数 の 交 通 ル ー ルを 違
反 して いる 上 初 犯で な い ため
を 負ったため、治療後の服役
明 書は 飲 酒運 転 の 犯 行を こ こ
処罰の対象となり、行政拘留
を 許 可 する も のと する 。 本 証
に 証 明 し、 警 告を 行う も ので
にな った。
と 高額の罰金が科される こ と
件を 取材。原 告は 妻だが、
までに6回しか会ってい
しかし前回の口論に対す
迎 え た 」。女 性 は 終 始「 け
女性が自身の面目にこだ
済的な負担に耐えかねて
結婚生活 80 年、円満の秘訣
代男性、継母を介護
ある 。 飲 ん だら 乗る な、 乗る
夫とはネット恋愛で結ば
る怒りもあったので断っ
ももいるが夫婦仲はすで
その後夫とは数回顔を
合わせ たが、会う 度に些細
十分な関心と愛情がなけ
いるのを訴えても妻側が
し か し 女 性 は 断 固 拒 否 し、
14
なら 飲むな 」
6年間で顔見たのは6回
れ、 出 会 い か ら の 6 年 間
度という七夕並みの結婚
な い 』 と 答 え た。 年 に 一
に 悪 化 し、 修 復 は 望 み 難
んかの時に私を引き留め
女性は夫の責任感のなさ
な こ と で け ん か に な っ た。 わ り、 結 婚 後 も 夫 か ら の
つめは遠距離恋愛で連絡
れ ば 満 足 で き な い 点。 2
回 数 も 少 な く、 結 婚 前 も
後も互いに対する理解が
夫は女性が嫁として自分
意に介さず関係の悪化を
り の返 金 のみ 要求 し た 。
とを申し出ても頭を下げ
10
58
14
返 せ と ば か り。 誰 も 離 婚
な い。 2 人 の 間 に は 子 ど
でまだ6回しか会ってい
「育ての恩に報いたい」60
ファッション・イラストレーターの
い と い う。 特 殊 な 形 で 始
と いう 。
な か っ た」 と 繰 り 返 し た
し 問 題 も あ っ た。 1 つ は
まった夫婦生活の行方を
不思議の作品
女性裁判官の手記から追
みた。
紙 一 枚 に シっ
ャてー
プ ペ ン 1 本、 鋏 一 丁 に 無 限 な 景 色。 こ
い がみ 合う 織姫と 彦 星
廷の準備中には普
れ ら さ え あ れ ば「、法ヨ
ル ダ ン ベ ー ス の フ ァ ッ シ ョ ン・ イ ラ
は不思議な芸術
uwi
泥沼
裁 判「 結納 返せ ! 」
離婚訴訟案件かと思
AI B
ス ト レ ー タ ー通 のShamekh
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品 を 作 り 出 せっ
るて
。い た が、 起 訴 状 を 確
著 し く 不 足 し て い る 点。
裁判は夫の欠席により
早 め に 終 了。 裁 判 官 は 関
わないことが不満だった
係 修 復 の 可 能 性 を 考 慮 し、 の 両 親 に 十 分 な 敬 意 を 払
裁判官は女性に虚勢を
張らず舅と姑にお詫びを
に会いに来たことはない
女性は突然涙声になっ
た。「 離 婚 と ま で い っ た
ロシア美女
11
72
国際在線が米国のサイト Buzzfeed の報道を引用した所によると、近頃、あるロシアの美女は、
1910 年から 2010 年までの 100 年間のロシア女性の間で流行っていたファッションスタイルを展
示する映像を Youtube にアップし、人気になった。
70
認した時には驚きを禁じ
温嶺市人民法院の女性裁
女性の説得を試みること
と 頼 り な さ に 不 満 を 感 じ、 そ し て 3 つ め は 夫 側 が 経
判官は手記の冒頭にこう
得 な か っ た 」。 台 州 市 の
記 して いる 。
と いう 。
裁 判 後 に 話 を 伺 う と、
女性が離婚を口にした
子 ど も は す で に 3 歳 だ が、 時 も 夫 は 何 も い わ ず、 舅
し に 行 く こ と を 勧 め た。
招 いて いる 点 だ 。
にした。
原告の女性は1989
年生まれで夫は1988
年生まれ 。2人は 2009
万元あま
2 0 1 1 年 に 結 婚。 そ の
と のこ と だ っ た 。
ることに同意しなかった
と姑は結納金
数カ月後には息子が産ま
のに引き留めにも来ない
年 に ネ ッ ト 上 で 知 り 合 い、 夫 も 夫 側 の 親 族 も 子 ど も
れ た。 ネ ッ ト 恋 愛 の た め
女性は結婚後に仕事で
広 州 市 に 移 動。 そ の 数 カ
と いう 。
仲裁役として付き添うこ
住 所 は 遠 く、 顔 を 合 わ せ
で、 彼 の 家 族 も 結 納 金 を
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25
月後に温嶺市の実家で息
ロシア 100 年のファッションスタイルを展示
84
10
るのは年に1回程度だと
10
60
28
イギリスの『デイリー・メール』の
6 月 29 日の報道によると、
有名シェフのマイケル・ルー・ジュニアさんは 2 人の企業家との共
同出資でロンドン南部のクラッパムにある第二次世界大戦時の防空
壕を世界初の地下農場に改造した。ここではロンドンの飲食店や家
庭に提供する薬草やサラダ菜などの野菜を栽培する。
地下農場の構想は 3 年前に提案され、都市人口の増加の圧力へ
の対応を助け、市民により健康な食材を提供できるとされた。マイ
ケルさんはこれに強い関心を持ち、75 万ポンド(約 732 万元)の開
始資金を集め防空壕を地下農場に改造した。彼らのブランド「Growing
Underground」はロンドン市長からも支持されている。
クラッパムにあるこの防空壕は、1940 年から 1942 年にかけて、
弱い家庭がナチスの襲撃から身を守るために作られた。防空壕は
1944 年 7 月に開放され、中にはベッド、医務室、台所、衛生施設な
どがあり、8000 人を収容できる。防空壕は 12 階構造で、戦後は使用
されていなかった。この深さにより 16 度の温度を保つことができ、
野菜は 1 年を通して生長し、季節の変化や干ばつなどの問題を懸念
する必要がない。
提示したと いう 証明書 の写 真
「こんなのあり?」
ネット恋愛夫婦が破たん
英第二次大戦時の防空壕、世界初の地価農場に改造
19
真日報
道) 16
2015 年 2 写
月 13
(金
(第三種郵便物認可)
社
会
(第三種郵便物認可)
7JAPAN-CHINA
2015 年 7 月 10NEWS
日(金)