市場ニーズの変化を予測し、 技術ロードマップをつくる

TECHNOLOGY ROADMAP
市場ニーズの変化を予測し、
技術ロードマップをつくる
問題の本質は「技術偏重」ではない
テクノロジー・ロードマップは、経営戦略を立案するうえで欠かせないツールである。
ある技術が 5 年後には「ここまで進化する」というロー
ところが、従来型のロードマップはすでに、無用の長物になってしまったようだ。
ビジネス環境の変化は速く、技術進化の根拠となる「顧客ニーズ」の変化もまた激しさを増しているためだ。
業界の垣根が消え、他分野の技術がある分野に強烈な影響を及ぼすといった事例も増えてきた。
ロードマップを作成法から根本的に見直すべき時期に差し掛かっているようだ。
ドマップがあり、それを頼りにある企業が研究開発戦略
を立案したとしよう。おそらくその企業は、ロードマッ
プで示された技術水準を上回る進化を目標に、研究開発
顧客の価値観
マーケティング起点
均一・便益
(客観、合理性)
製品
マーケットイン
多様化・受動的
(主観、情緒)
製品×市場ニーズ
(顕在)
マーケットアウト
多様化・能動的
(自己表現)
市場ニーズ
(潜在)
プロダクトアウト
を進めることになる。担当者の卓越した能力とたゆまぬ
努力の結果としてその目標が見事に達成されれば、本来
朝倉博史
ならばその成果に見合うリターンが得られるはずである。
日経 BP 未来研究所 上席研究員
ところが、あてにしたロードマップに致命的な読み違
いがあれば、せっかく開発した技術は、その時点ではす
でに「顧客ニーズに合わない」ものになっているかもし
れない。ならばと、それを捨てることができるか。でき
製品が提供する価値
=市場ニーズ
市場ニーズに合う
製品を提供
製品で新たな
市場ニーズを提案
市場ニーズ
(潜在)
製品が
提供する価値
プロダクトアウト
市場ニーズ
(顕在)
市場ニーズ
(顕在)
マーケットイン
マーケットアウト
図 1 顧客の価値観とマーケティング起点の変化
2 枚のテクノロジー・ロードマップがあったとしよう。
である。例えばそれは、このように作られる。各分野の
れば英断であろうが、しばしば人は自己否定をきらい、
ぱっと見ても、
大差があるようには思えない。けれども、
技術について、現在のレベルを認識するだけでなく、技
すでに投じてしまった資金を惜しむものだ。
「せっかく
落とし込む過程においては、必ず技術力が求められる。
そのうちの 1 枚は企業にとって有用ではなく、むしろ大
術の本質にまで目を向け「スジのよさ」
、すなわち進化
開発したんだから」とばかりに、この技術を「売り」に
すばらしいアイデアは必ず追随者を呼ぶ運命にあるが、
きな損害を与えかねないものだ。ところがもう 1 枚の方
させやすい技術か、伸びしろはどれほどあるか、限界が
した商品を作ってしまう。当然ながら売れない。結果と
そうした場合にも技術力は競争優位を確保するための有
は、きちんと利益を約束してくれる。
あるとすればネックになるのは何かといった事項につい
して、開発コストの回収どころか、それを上回る大きな
効な手段となるのである。それほど有用なものを軽視し
これから書こうとしていることは、このようなことが
ても的確に推測する。さらには、この技術を代替する可
損失を出すことになってしまう。
ていいはずはない。
実際にあり得るかもしれないということである。
能性がある基礎研究段階にある新技術についても目を配
こうした事例を「技術(者)主導のものづくり」と呼
ここで改めて「技術偏重の考え方をやめ、もっとマー
り、その潜在能力を十分に理解する。こうした知見に基
び、それを戒める声が高まっている。
「技術偏重の考え
ケットを見ろ、顧客ニーズを知れ」という主張を検証し
づいてロードマップを作成するのである。
方をやめ、もっとマーケットを見ろ、顧客ニーズを知れ」
てみたい。注意深く見れば、それが指摘しているのは、
説明を始める前に、一つ再認識しておきたいことがあ
かつては、こうしたものでも十分に通用したのかもし
と。実際、商品企画などの分野では、早くから「プロダ
先の話で言えば後段の部分、すなわち「開発してしまっ
る。それは、
「技術の進化には燃料が必要」
ということだ。
れない。
「パラダイムシフト」と呼ばれるような急激な
クトアウト」から「マーケットイン」
、
さらには「マーケッ
た技術を惜しむあまり、顧客ニーズを無視して商品化を
燃料の代表的なものは技術開発のための資金と人材で
変化はまれにしか起きず、
ユーザーはひたすら性能向上、
トアウト」的な発想への転換が進められてきた(図 1)
。
進めてしまった」ことに対する戒めにすぎない。
ある。技術は放っておいても勝手に進化してくれるわけ
小型軽量化、高解像度化を望むといった「機能飢餓期」
先の主張はその動きに沿ったものであり、実に妥当なも
問題の本質はむしろその前段にあると私たちは考えて
ではない。開発費と開発スタッフが投入されて初めて進
にあっては、
それがかなりの確度で的中するからである。
のといえるだろう。それを知りつつも、この主張が思わ
いる。研究開発に着手する時点で読み違いがあり、それ
化するもので、そのスピードは燃料の多寡に依存する。
だが、顧客ニーズがめまぐるしく変化し、業界という
ぬ弊害を呼ぶ可能性があることを指摘しておかなければ
が修正されることなく技術の完成を見てしまったという
数人の開発員が 1000 万円を資金に技術開発を遂行する
概念が崩れ去るほどビジネス環境が変化する時代にあっ
ならない。すなわち市場重視の反作用としての技術軽視
部分である。それさえなければ、後段の問題も発生しな
場合と、1000 人、100 億円が投じられる場合では、進化
ては、もはやそれは通用しない。なぜなら、こうして作
の風潮である。
「それは誤り」
というのが私たちの考えだ。
かったはずなのであるから。
のスピードが全く違う。
成されたテクノロジー・ロードマップは、技術に関する
ニーズを先取りしたすばらしいアイデアを生み出すこ
このことを確認したうえで、
テクノロジー・ロードマッ
理解という点では完璧であったとしても、
「燃料の投下」
、
とは極めて重要である。しかし、しばしばそうしたアイ
プの話題にもどりたい。
つまりはビジネス環境と市場の変化ということに関する
デアは新技術の出現によって誘発されるものだ。そうで
この問題に対処する方法は一つしかない。正しいテク
まず、
「利益をもたらさないロードマップ」について
認識が希薄になっているからである。
あってもなくても、アイデアをこれまでにない新商品に
ノロジー・ロードマップをベースに研究開発戦略を立案
技術が進化するのは「燃料」があるから
ビジネスこそが技術を進化させる
TECHNOLOGY ROADMAP
し、
経営計画を練るということである。ただ、
正しいロー
なる。マーケットの変化を読み、将来の顧客ニーズを予
企業の経営計画もまた、現時点ではなく将来の顧客ニー
た垣根を越えて連携や融合の度合いを強めていることと
ドマップというものは、世の中のどこにも存在しない。
測し、それを満たす製品やサービスの出現を予測する。
ズを見越したものでなければならないはずだ。その根拠
無縁ではない。実際、
発祥はエレクトロニクス・メーカー
それが未来予測的な要素を含む以上、必ず当たるという
それができて初めて、それら製品やサービスを実現する
となるテクノロジー・ロードマップに、同じ要件が求め
でありながら、医療機器分野で事業の拡大を図ったり、
ことはあり得ないからである。
ための手段としての技術を想定することができ、技術の
られるのは当然のことといえるだろう。
新たに農業の分野に参入したりという事例が急速に増え
そうではあっても、より正しくする方法、つまり予測
進化過程をテクノロジー・ロードマップというかたちで
冒頭の主張を繰り返したい。ロードマップには 2 種類
てきた。
の確度を上げる方法はあるだろう。確度を高めたロード
表現することが可能になるのである。
があり、一つは企業に利益をもたらさず、むしろリスク
だから、ある分野だけを見て技術の進化を見通すこと
を与えるが、もう一つはきちんと利益をもたらす。その
はできない。あらゆる分野の技術の進化を総覧し、垣根
差は作成方法によって生じるもので、前者は技術論を重
を越えた技術の飛び火や融合、競合などについても十分
に考慮しなければならないのである。
マップを使うことで、
「10 のうちひとつでも当たれば大
成功」などといわれる研究開発において、その 1 を 10
ニーズの変化予測を起点にする
にすることはできなくても、2 にし、3 にすることはで
ただ、顧客ニーズは変化していく。携帯電話機であれ
視し、後者は顧客ニーズの将来予測を起点に作成したも
きるはずだ。
ば、薄くて軽くて待ち受け時間が長ければ売れた時代が
のである。
そのためにすべきは、テクノロジー・ロードマップの
あった。しかし、携帯電話の用途が通話から情報取得へ
あえてこのことを強調するのは、世の中に多く流布す
作成プロセスにおいて「技術進化のメカニズム」
、すな
と変わり、通信速度の向上によってクラウド型のサービ
るテクノロジー・ロードマップのうちの多くが、実は前
このことを重視し、最新版の「テクノロジー・ロード
わち「燃料なくして技術の進化なし」ということを強く
スが多数登場したことで、顧客ニーズは一変した。
者の手法によって作成されているのではないかとの疑念
マップ 2016-2025 <全産業編>」では、自動車、エネ
認識するということである。
いまの顧客ニーズがどこにあるかは、市場調査によっ
を持っているからである。
ルギー、医療・健康、エレクトロニクス、情報通信、材料・
もう少し解きほぐして考えてみたい。燃料とは、先に
て知ることができるかもしれない。けれども、それを踏
こうした思いから作成したのが『テクノロジー・ロー
製造、ネット・サービス、農業・食品工業、建築・土木、
述べたように開発費や開発スタッフ、さらにいえば開発
まえて技術開発に着手したとしても、成功するとは限ら
ドマップ』シリーズである。起点となるのは顧客ニーズ
社会インフラ、航空宇宙・海洋開発、エマージングの
に必要なツールなどを指す。それを投入することで技術
ない。調査結果はあくまで現時点のニーズを示したもの
の変化予測。従来の失敗多き事業プロセスを
「技術起点」
各分野で合計 100 テーマを選定、前年に発行した 2015-
は進化し、進化のスピードはその投入量に依存する。
であり、未来のニーズを保証するものではないからだ。
と呼ぶならば、本書は「ニーズ起点」の事業プロセスを
2024 年版から内容を全面的に改訂し、
今後 10 年間(2016
その投入量は、
「その技術はどれだけの利益をもたら
必要なのは、いまのニーズを知ることではなく、トレ
実践するためのツールということになる(図 2)
。
∼ 2025 年)を見通している。
すか」ということによって決まる。企業は事業を営むこ
ンドを読み、いまだ顕在化していないニーズの芽を発見
未来の顧客ニーズを予測したら、これを基に将来出現
さらに、
「テクノロジー・ロードマップ」のシリーズ
とで利益を上げ、その利益を技術開発などに投資する。
するということである。このことの重要性は、商品企画
するであろう商品を予測し、そこで実現されている機能
として、同様のコンセプトで各分野別に特化してまとめ
利益の源泉となる技術には大きな資金と人材を投じる
などの分野ではかなり以前から指摘されていた。
同様に、
や性能について推定する。その後に、この機能や性能を
た分野別編をラインアップに加えた。2014 年 11 月発刊
実現するために必要な技術を割り出し、それをプロット
の< ICT 融合新産業編>に加え、新たに<自動車・エネ
していくことによって技術進化の道程を描いていくので
ルギー編>、<医療・健康・食農編>を発刊する。<自
ある。この作業を細分化されたすべての技術分野につい
動車・エネルギー編>は、エンジン、電動化、変速機、
て進め、それらを集計、編集し、さらに各分野の技術動
運転支援システム、クルマの知能化など、自動車の各種
うことだ。顧客ニーズがあるものがマーケットにおいて
向について先進事例などを紹介しながら解説したのが本
技術を網羅的にカバーした。<医療・健康・食農編>で
は「価値がある」ものであり、それを具現化する技術こ
レポートである。
は、生活の質の向上、社会的課題の解決、ビジネス機会
そが価値のある技術、燃料投下の対象となる技術なので
ここでもう一つ、指摘しておかなければならないこと
の拡大の三つの視点で、医療、健康、食料・農業に関す
がある。技術は単独で進化するわけではなく、他分野で
る注目テーマを設定している。
生まれた技術に強い影響を受け、ときに融合しながら進
いずれも、まず「市場の将来像」を描き、市場ニーズ
化していくものだということだ。
に合わせた商品 / サービス機能を定義、さらにその機能
この傾向はどんどん強まっている。このことは、技術
を実現するための技術にブレークダウンしていく流れで
進化の原動力となる「ビジネス」が、業界や分野といっ
ロードマップを構成、各テーマを議論している。
が、
そうではない技術にリソースを投入することはない。
その「どれだけの利益をもたらすか」ということこそ
が技術の価値ともいえる。誤ってはならないのは、その
価値とは学術的価値ではなく、マーケット的価値だとい
ある。
短絡的に言ってしまえば「顧客ニーズのある技術は進
化し、ない技術は停滞する」ということだろう。そうで
技術起点(従来)
現状を踏まえた
技術進化を計画
技術の積み上げで
製品を設計
市場に適合する
製品を投入
市場起点(今回)
市場の将来像を
描く
市場ニーズに合う
製品機能を定義
製品機能に必要な
技術を特定
まずは顧客ニー
あれば、
技術の進化を予測するためには、
ズの将来について予測しなければならないということに
図2 『テクノロジー・ロードマップ シリーズ』
と従来のアプローチの違い
同じコンセプトで各分野別編をシリーズ化