センター日本史 第1講 センター日本史B 板 先生がしゃべったこと ・36000 年前に、日本列島に人がいたことが分かっている。 相沢忠洋が群馬県岩宿の更新世の地層(関東ローム層)から、打製石器を発見 書 した。 合格する為に ・17000 年前に、沖縄の港川に住んでいた人 ①志望校 ・・・目標は高く設定 ②集中 ・・・そのことだけをやる 平均身長 150 ㎝ 丸顔(中国 朝鮮系の顔) ・氷期で大陸と陸続き ③今日一日・・・先送りしない 針葉樹林で木の実はなく、動物を食べる。 北方 センターの点のとり方 ①センターの特徴…正誤判定 時期特定 マンモス(5 万年前) 語句の意味 ナウマン像(13 万年前) ※太字を中心に時期や語句の意味を 南方 正確に理解する。 槍の先{ナイフ型石器→尖頭器→細石器} ②教科書に最後は戻る…暗記には向かない記述となっている。 板書で整理するので、そこでの記述を手掛かりに繰り 材質は黒曜石 返して読む。 天然のガラス 〈原始〉 (黒曜石) ①旧石器(更新世) 群馬:岩宿 沖縄:港川人 ナウマン像 槍の尖頭器 尖 頭 器 1 細 石 器 センター日本史 第1講 板 書 先生がしゃべったこと ②縄文(完新世)=温暖化で海進(東日本中心)ex 青森 ・13000 年前から温暖化 縄文土器は 13000 年前 9000 年前には西アジアで農耕・牧畜 イノシシ→弓矢の石鏃(せきぞく)//漁具の石錘(せきすい) ・温暖化で小型動物(イノシシ、シカ) ドングリ→石皿ですり、土器でにる。 道具は弓(命中率が高い) 落とし穴 カツオやマグロを食べていたことが貝塚から分かる。 磨製石斧で木を切る。→定住的生活(中央に炉) 交易―長野の黒曜石 (丸木舟でとっていた) 北陸のひすい ・定住的生活ができる程、食糧が豊富(近くに動物・ドングリ) ↑ 弥生時代のような完全な定住ではない。 ・竪穴式住居(中央に炉) cfカマド:大和時代から ・環状集落 中央に広場があり(墓があった) 石錘 周りに集落がある。 平等な社会 ・交易 定住すると交易が始まる。 石斧(セキフ) 三内丸山遺跡 ・北海道産の黒曜石 ・新潟県姫川のひすい ・三内丸山遺跡→栗づくり(花粉がふえている) 竪穴式住居 中央に炉があるパターン 2 出土 センター日本史 第1講 板 書 先生がしゃべったこと ・半島から大陸の戦乱を逃れてきた人々により 土器名が時代区分 ③弥生 北の続縄文文化―寒くて米ができない 南の貝塚文化 農耕文化がもたらされた(身長 160 ㎝ 細面) ―水がなくて米ができない ・続縄文文化→擦文文化(平安時代~)→アイヌ文化 水田…佐賀・菜畑 福岡・板付(縄文 晩期) ↑ 数年前のセンターで出題 木製の鋤(すき)・鍬(くわ)=製作は磨製石器→後鉄製工具 ・米作り→北九州から広まる のち農具の鉄器化→乾田の開発 狩・漁も盛ん ドングリ→米 イノシシ→豚 支配者出現=九州の甕棺墓(かめかんぼ)の副葬品・墳丘墓 100m 100m 戦いの開始(米争い、鉄の確保) 100m 環濠集落(かんごうしゅうらく) 高地性集落(逃げ城) 縄文 人一人養うことは全 くできない (0.1%の食糧供給) 弥生 100m 90%の食糧供給⇒(人口増加 支配者出現) アニミズム 土偶 石棒 銅剣 銅鐸 銅矛 ・甕棺墓の副葬品には、中国製の鏡もある 3
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