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Hirosaki University Repository for Academic Resources
Title
彫刻の原理
Author(s)
岡田, 敬司
Citation
Issue Date
URL
弘前大学教育学部紀要. 66, 1991, p.55-68
1991-10-31
http://hdl.handle.net/10129/600
Rights
Text version
none
http://repository.ul.hirosaki-u.ac.jp/dspace/
弘前大学教育学部紀要
第6
6
号 :5
5-6
8(
1
991
年1
0月)
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彫刻の原理
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岡
田
敬
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論
文
要
旨
無 限定 の三次元空間 に彫刻が存在す る在 り方の検討 を通 し,彫刻表現の原理的特性 について
論 じた試論である。 その内容 は主 として,彫刻存在 の ;I.状態 に関わ るもの
関わ る もの
Ⅰ
Ⅰ.場所性 に
Ⅰ
Ⅰ
Ⅰ
.時間性 に関わ る もの Ⅰ
Ⅴ.空 間性 に関わ る もの V.物 質性 に関 わ る もの
二
、
ⅤⅠ
. その他
である。就 中, 「
没形象性」への注 目と,同時 に これ に捉われ ることによって生ず
フラ
イハイト2
)
る「
表現の不 自由性」について論 じられ る。 この小論 の中で,彫刻表現 にお ける真 の 「自由」を
獲得す る為 に, あ らゆる主義や思潮 を超 えた地点 に制作主体 たる自己 は立脚せねばな らない と
結論す る。
序
本稿 は,彫刻存在 の様態 に主眼点 を置 き論考 しようとす る ものであるが, もとよりこれ は一
つの例証 であ り,仮設 の域 を出 る もので はないが,問題解決 に向 けての一つの足掛か りとなる
ことを願 って書 き起 こそうとす る ものである。彫塑 における感覚的造形要素 (
量,比例,均衡,
動勢,律動,強調,省略,調和,対称 な ど) については,本紀要第43号 に述 べているので, こ
こで は敢 えて触 れないo又,従来の彫刻 は '
形"が重視 され,使用 され る素材 の '
†
質 (
感)"そ
の他 の ことは,やや軽視 されて来 た観があるが, この ことについて 「
没形象性」が言われ るよ
うになって久 しいが, この間題 の重要性 と, 同時 にその ことに捉 え られ ることによって生ず る
「
表現の不 自由性」 な ど,現代彫刻が抱 える原理的諸問題 に光 を当て, その一端 を明 らかに し,
今後 の 自らの制作指針 の一助 としたい とい うのが,本稿起稀 の 目的である。
Ⅰ.彫刻存在の状態 に関わる もの
1. 垂直性 (
又 は直立性)
水平面 に対 し,彫刻 (
或 いは物体)が垂直方向に長 く存在 した場合 であ り, これ は,「
生」,
静止」, 「
上昇 」, 「
永遠性 (
無限性)」
, 「
威厳」, 「崇高 」, 「成長 (
動 ・植物
「
活動」, 「
))」等 を
J
として,
表徴す るo現実環境 の具体例 として,建築,塔,煙突,電柱等が想起 され る.彫刻′
3
)
1
937
-3
8)や,バ ーネ ッ ト ニ ューマ ンの≪ Her
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コンスタンチ ン・ブランクー シの≪無 限柱≫ (
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Ⅰ
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≫ (
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966) や,W al
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1
971
-77)等があ るが, こ
れ らは,長 い間,地球 の重力 の軽株 か ら逃 れ られず に来 た彫刻家達 の悲願 であった天空 (
宇宙)
の無限性 への志向の現われである。又, この ことは科学技術 の発達 に依 って達成 されたロケッ
*弘前大学教育学部美術科教室
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田 敬
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トの発明 に依 って,惑星到達 を可能 にした ことと符合す る。
又,垂直性 は,人間が直立不動 の姿勢 をとる形で もあ り,運動 を内在 した活動の一形態で も
ある。 この形が彫刻の立像 になった場合, この垂直性が崩れ ると倒れそ うに見 えるが, その場
6
)
令, これ は彫刻 になっていない と指摘 され るのである。
2. 水平性
彫刻 (
物体)が水平方向に広が りを見せ る場合 である。 つ まり平坦な地面や床面 に平行 して
置 かれ るか接 して置 かれ るか して い る場合 で あ る。 これ は,「
死」,「
永遠性」,「
平和」
,「
平
静」,「
安定」, 「
安心感 (
やす らぎ)」
,「
横方向への限 り無 い広が り」等 を表徴す る。 例 として,
人間の死,山が浸蝕 されて平野 になること,水 の状態等 を通 して推量 され るものである。彫刻
7
)
例 として, カール ・アン ドレの床上 に並置 された金属板 の作品 ≪ Co
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8)
きよみヂ
(
1
969),清水九兵衛 の地 を這 うような作品≪ AFFI
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TY K≫ (
1
97
5)
,遠藤利克の水 を用い
9
)
1
0
)
た作品≪ ロータス≫ (
1
990)等で,重力 に逆 らわない最 も安定 した状態である。
3. 斜角性 (
斜方向性又 は対角性)
彫刻 (
物体)が垂直性 と水平性 の間にある場合である。 これ は,「
動」
,「
倒壊感 」 「
不安感」
等 を表徴す る。具体例 として, ピサの斜塔,地震や洪水等の災害で斜 めになった電柱や家屋,
飛行機 の離陸の角度等がある。彫刻例 として, アン トワ-ヌ ・ブ/
レデルの≪弓 をひ くヘ ラクレ
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)
1
2
)
ス≫ (
1
909) の弓の角度, ウラジ ミール・タ トリンの≪第三イ ンターナシ ョナル記念塔 (
模型)
1
3
)
(
1
920)
,八木一夫の陶彫≪いつ も離陸の角度で≫ (
1
977)等。垂直性 や水平性が動 きに欠 け
≫
るのに対 し,これ は運動感,躍動感が強 まると同時 に,不安定感が増大す る。 水平性が3
60度 の
1
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)
方向性 を持つ ことと同様 に, この場合 も360度 の方向性 を有す る。
4. 螺
旋
人間が毎年同 じ季節 を迎 えて も,去年の自分 と今年の自分 とが異 なるように,彫刻の発展或
いは深化 も同 じ空間点 (
立脚点) に存在す ることはあ り得 ない。上昇気流 の ように昇 った り,
時 には下降す ることもある。 いわゆる退歩である。オーギュス ト・ロダ ンは 「自然 (
人体) は
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'
、
螺旋 である」 と言 う。「
生命感 を表わすには, この s
pi
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almove
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ntを把握 しなければな りま
せん」 --・
と。 かつて金科玉条た り得 た この言葉 も近年 は,やや色槌せて見 えるようである。
人間像 は最早,単純 にこれでのみ説明す ることは不可能 になって来ている。何故 な ら,美術評
論家 ・中原佑介が言 うように 「
人体像 とい うのは, ギ リシャ以来,彫刻の王道 ともい うべ きも
のだった。 む しろ,彫刻 といえば,人体像 の別名 といって もいいほ どの ものであった。 あ らゆ
る時代 の彫刻家 は,人間の肉体 とい う外観のなかに,超越的な精神 をもり込むべ く,苦闘 しっ
づ けて きたのである。 しか し, そ うい うことが成 りたつためには,人体像 とい う有限な ものを
通 して,超越的な観念 の世界 を,完結 したかたちであ らわ し得 るとい う信念があ り, しか も,
その信念が普遍的な真理 として,社会一般 に通用す る とい うことがなければな らない。 そうい
う真理が幻影 にはかな らな くな り, そ ういう信念が瓦解 したあ とに残 るの は人間の肉体 の外皮
とい う表面的な ものだけだろう。 た とえ,人体 をかた どっている として も, それ は一個 の記号
の ような ものであるはかないのである。
(
中略)-現代 のわれわれに とって は, シーガルや
リ
アリ
テイ
1
6
)
マ リソルの作品のほうに,時代 の状況 をになった現 実 をはっ きりと感 じるのである。」この こと
-
彫刻の原理
57
は首肯で きると思われ るが,後述す る 「
不在 の存在 について」 の項で論考 され る筈である。
5. 単 体
彫刻 の分野で言 う単独像である。単独で も勿論 ある一つの理念 な り,想念な り,思想 な り,
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lの強度 とい う点か らすれば,群像
感性 な りを表現 することは可能 である。 しか し,i
の形式 にはかなわない。
6. 複 (
数)体
いわ ゆる群像の ことである。 ロダ ンの< カレーの市民≫等。抽象彫刻 で も単一形体 (
ユニ ッ
ト) を複数並置す ることによって,作品の意 図な り理念 な りを反復効果 によって強 めることが
で きる。例 として, ドナル ド ・ジャッ ドの真録や アル ミニ ウムの箱状 の作品 は, その光 り輝 く
1
7
)
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0
本 のステ ンレスス
効果 によって,一種壮厳 な感 を与 えて くれ る。 ウォル ター ・デ ・マ リアの4
テ ィールの柱 を広野 に垂直 に並置 した作品 も壮大で,マー ジナル ・アー ト (
境界芸術 ) を感 じ
させ る状況 を呈 している。更 に, ポー ラン ドの女流彫刻家 ・マググレーナ ・アバ カノヴ ィッチ
も巨大 な繊維 の固 まりを林立 させた り, 吊 り下 げた り,頭部 の欠 けた人体座像 を数十体 並置 さ
ド
せた様相 は壮観 であった。
7. 規
模
彫刻が屋 内か ら野外へ進 出す るにつれて,作品 は巨大化 の一途 を辿 って来 た。確か に野外 で
は小 さな作品 は目立 たない。大 きい ことは良い ことに違 いないが,必 ず しも絶対条件で はない。
場合 によって は,人間的スケールの方が長い場合 もある し, それ以下のスケールの場合 で も,
それな りの世界 を表現 す ることが可能 であ る。中原祐介 は 「そろそろ量 よ りも質 を重視 しなけ
1
9
)
れ ばな らないのではないか」 と問題 を投 じてい る。
H. 場所性 に関わる もの
1. 場所性 (
狭義の)
建物 の内部 に設置 され るのか,或 い は外部 に置かれ るのか は,彫刻 に とって重要 な問題 であ
る。近年屋外彫刻設置運動が とみに盛 んになって来ていることを考 え合 せれば, それ に適 した
素材 の選択 の必要性 と形態の検討,規模,周囲の状況等,様 々 な角度か らの検討が不可欠であ
る。更 に都市空間か田園空間かによって も,又,海 に近 いか どうか (この場合 は,塩害 を考慮
すべ きだが)等,耐候性 な ど多角的 に考慮 され る必要がある。再 にその土地や風土 の独 自性 と
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rへの注 目である。
結 びついた造形が工夫 され る必要があるov
2. 環境性
場所性 と関連 し,彫刻作品 は周囲の条件 を考慮 しなけれ ばな らない。一般 にそれ は,都市空
間 に設置 され ることが多 いが,周囲 に何が あるか,背後 に何があるか,作品の周囲には何 も無
い ことが最良であるが,現実 にはなかなかそ うい う良い条件 は少 ない。従 って形,色,素材 な
2
0
)
1
9
5
2
-5
3
)
どの検討 に迫 られ るのが常である。彫刻例 として,ヘ ンリー・ムーアの≪王 と王妃 ≫ (
は, グレンク リン(
スコッ トラ ン ド), ケスウイック邸 内の広い草原 に設置 されてい るが,周囲
に目立つ物体 は何 も無 い, その ことによって,人間の孤立感 と無限空間志向性 が強調 されてい
5
8
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るように思われ る。又,樹木 な どを作品の中に取 り込んで しまう歯安孝昌の≪返本還源 ≫ (
1
9
8
8
)
も注 目して良い作例 である。場所性 は何故 これが ここに必要なのか (
局所性)が問われるのに
対 し,環境性 は,前者 より景観 との関係性が重視 され るように思われ る。
3. 位置性
二次元の平面内,或 いは三次元の空間内における, より狭義の場所性であ り,空間内に定め
られたポイン トの ことである。定 め られた一つの点であることによって 「
静止」 を内在す る。
-画面内で は,中心点か らの 「
ずれ,隔た り」が問題 になる。三次元空間内で も同様で,一つ
の作品に一造形要素 を決定す る絶対的な,或 いは決定的な位置がある筈である。 その吟味 は重
0
0
人の被検者 に各々一枚づつの白紙 を与 え,先入知識無 しに,最 も気 に入 った場
要で,例 えば1
所,最 も心が落 ちつ く場所 に点 を打 たせ, それ らを集計 してみると,おおかたの人が好 む位置
が求め られ る。 これ は,街の食堂や喫茶店 に入 った客が窓際 を好 む人が多い とか奥 まった所,
或 いは室の真 申あた りを好 む人が多い といった様 な人間の空間に対す る噂好性 を表わ していて,
両者 は共通の空間意識 を示 して面 白い と思われ る。又,位置性 は,物の配置 とい う問題 と関係
が深 いが,アルベル ト・ジャコメッテ ィは,食事 のためにカフェのテーブルに着 くと, コップ
や灰皿や塩 ・胡椴の小瓶 な どの位置 をあれ これ変 えていた というエ ピソー ドを思い出す ことが
で きる。更 に近年すっか りその地位 を確立 した観がある 「インスタレーション」 も,特定 の場
所 と切 り離す ことがで きない展示空間設定方法であ り,演劇空間創出 (
舞台設計) に通ずる所
があって,興味が尽 きない。
4. 間隔 (
隙間)悼 (
或 いは距離性)
複数の物体が,ある造形的意図の下 に,一定の場所 に置かれ る時, その間隔,即 ち,複数物
体間の距離が問題 になる。近づ き過 ぎて も離れ過 ぎて もいけないが, それ は作品の制作意図に
基 いて,鋭敏 に決定 されねばな らない。二つの物体 の隔た り性 とい うことで言 えば,近接 して
いる時,両者 は互 に引 っ張 り合 い, より近づ こうとす る。干渉波 (
-目に見 えぬ磁力のような
もので,見 えないけれ ど感 じられ るもの)の影響である。逆 に両者が,一定 の距離以上 に離れ
過 ぎた場合,互 に離散 し,干渉波の影響 は受 けな くな り,二つの物体文 は造形要素 は,バラバ
ラな無関係 な存在 になって しまう。三つ或いはそれ以上 の場合で も同様 の ことが言 える。「スペ
2
2
)
ース」又 は 「間合い」 と言 うこともある.
5. 関連性
点 と点,或 いは各造形要素が,別個 にバ ラバ ラに存在す るので はな く,関連性 を強調す るた
めに,弦 を張 った りすることもある.彫刻作例 では,バーバ ラ ・ヘ ップワースの≪スカルプチ
2
3
)
1
9
4
4
)や,ヘ ンリー ・ムーアの作例 を想起す ることがで きる.彫刻作品 は,部分部分
ャー> (
が独立 して,別個 に存在す るので はな く,常 に全体 と関連 している事が重要であ り,部分 は全
体性 に従属す るものである。 これ を 「
彫刻 に於 ける構造性」 と言 う。部分 は全体感 を盛 り上 げ
てい く為のパー トに徹 しなければな らず, 目立ち過 ぎた り,作 り過 ぎた り,語 り過 ぎた りして
はな らないO この関係 は,音楽 に於 けるオーケス トレイシ ョンに似 ている.具体的には,人間
の頭像 を造 る場合,初心者 は, 冒,鼻, 口,耳 な どの部分 を作 り過 ぎて,全体 のマ ッシブな塊
感のある緊密な存在 としての 「
力強 さ」 を見失ないがちであることとよ く似 ているO ラ リー ・
彫刻 の原理
5
9
2
4
)
リヴァ-ズの≪英語 による人体各部≫ (
現代)の ように,人体各部 を断片化 し,人体 を記号 と
して扱お うとす る作例があるが, これな どは,伝統的な見方 を逆手 に取 った表現であると言 え
る。
Ⅰ
Ⅰ
Ⅰ. 時間性 に関わるもの
1. 時間性
2
5
)
「
物質 は時間の変態である」とい う言い方がある。 この ことは,海岸 に落 ちていてぽろぽ ろに
なって,今 に も崩壊 しそうな鉄釘や,漂 白されて軽 くなった木片 を見れば,一 目瞭然である。
あ らゆる物質 は,時間の経過 と共 に朽 ちてゆ く宿命 を持つが, この ことが t
t
美 に成 る" ことが
感得 され る例が良 くある。例 えば,百済観音像 (
法隆寺,奈良県)な どの古い仏像 の美 しさは,
新作の仏像の美がいかなる名工の手 に依 るものであって も遠 く及 ばない ことや,磨 り減 って,
丸みを帯 びた古寺の石段 の美 しさ (
例,室生寺 ・奈良県宇陀郡室生村室生)等 は, まさに時間
の魔力 に依 るものであると言 って良い。生れたばか りの鉄板 と錆びてぼ ろぼ ろに朽 ちて しまっ
たそれ とを比較 してみた時, どち らが よ り一層美 しい と言 えるだ ろうか。前者 は,崩壊 を内在
●●
し, それ を予感 させ るもの として強 く,硬 く美 しい。後者 は,大地 に帰属 しつつある姿 として,
丁度, 日没のような美,滅 びゆ く美 を持 っている と言 えるだ ろう。又,時間性 を直接的 に取 り
込 んだ作品 として,電力,風力,水力, な どの力 を動力源 として用 いる作例がある。 これ らキ
ネテ ィック ・アー トと呼 ばれ る作品 は,時間的変化 によって見 え方が異なるものである。風車
や水車や,アレクサ ンダー ・カルダーのモ ビール, ジャン ・テ ィンゲ リーの≪ 自動 デッサ ン機
2
6
)
2
7
)
械≫ (
1
9
6
8)
,新宮晋 の≪波の こだま≫ (
1
9
83)等 は,従来 の動かない作品 とは明 らかに一線 を
画す るものである。 これ らは,現代彫刻 の多様性 の一例であ り,彫刻観 の変遷 の一例 である。
又,多 くの子供達 は動かない もの より,動 くもの,動かせ るものの方により強 い関心 を示す と
●●
い う事 は,衆知 の事 であるが,カエルやカメレオ ンの ような動物 は,実際 に動いているもの (
坐
きている昆虫等) しか知覚 しない (
或 いはで きない) とい う事が知 られている。 この個体維持
本能 に基いた餌 の捕捉行動 との類似点 を見出す ことがで きる。確かに, カルダーのモ ビール作
品 は室内空間内で,僅かの空気 の流れ を捉 えて, ゆっ くりと, ゆった りと動いている様 は,明
る くて楽 しい ものである。作品が実際 に動 くことは,空間 を活性化 させ る一つの方法である。
2. 回転性
物体が一点 を軸 とし, その周囲に回転す る状態である。「
動 き」,「ス ピー ド感」
,高速回転 に
よる 「イ リュージ ョン (
幻像)出現」等 を表徴す る。例,時計,風車 (
かざ ぐるま)等。 (
特に
「かざ ぐるま」は風 の一方向性 を回転力 に変換 させ る機能 を持つ点が注 目され るO)彫刻例 とし
ご
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て,マルセル ・デュシャンの≪回転 ガラス板≫ (
1
9
2
0
)がある。
3. 移動性
物体が A点か らB点へ移動す る時,その痕跡 を造形的 に示す場合がある。概念的 には可逆性
を持ち,居心地 の良い場所 を探すかのように,物体 は妨径 し,やがて一定の居留点 を決定 する。
可逆性 を持 たない具体例 として,書道 (
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al
l
i
gr
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phy),絵筆のス トロー ク,溶接 ・
切断 トーチの
運行 な どがある。物体 を移動 させ る時, それに要 した時間 と運動量 (
労働量)が問題 になる。
美術 の範暁で は,彫刻作品の設置場所の決定 だけでな く,一作品内で一つの造形要素の位置決
6
0
岡
田
敬
司
定 を行 う際 に,瞬時 に決定 され る時 と,速巡 した後,決定 され る場合 と様々である。絵筆 の移
動 の軌跡 は,運筆 の速度 と密接 な関係 を持 ち, それぞれ現われた感情 も多様性 を帯 びた もの と
な る。必 ず しも一気可成が良い とい う訳で も無 く,極度 に遅 い運筆 も,気塊が寵 っていれば捨
てがたい深 い味わいが出 る場合が ある。
4. 無限性
2
9
)
3
0
)
この彫刻例 として, ブランクー シの<空間の鳥≫ シリーズ (
1
91
0
-1
941)や≪無限柱≫ (
1
938)
l
i
ト
1
97
2)や
によって, ムー アは≪王 と王妃≫ (
前出) によって,飯 出善国 は≪星 と人間 の間≫ (
二
L
l
、
≪風 の舞 い≫ (
1
978)によって,無限 -無辺 -宇宙 -虚無 -闇 に立 ち向か う存在物 として彫刻
を位置づ けている.飯 田 は名著 『
見 えない彫刻Jの中で,「
現代のわれわれ は,彫刻 というもの
を作 りなが ら,実 はその ものの背後 に無 限の暗黒 を見てい るのであ り, その暗黒 を充填す る眼
3
3
)
に見 えない彫刻 をたえず作 っているのであ る。」 と言 う。 けだ し名言であ ろう。 この ことの為
に,世界 中の彫刻家達 は際限無 く作 り続 け,又,作品 を多様化 させ る状況 を生み出 してい る現
況 を説明で きるだ ろう。 これか らも無数 の作品生産活動が続 け られてい くであ ろうと思われ る。
人類が生 き続 けてい く限 り。 それ はまさに果て しの無 い戦 いである。
Ⅳ. 空間性 に関わ るもの
1, 空間性
無限定 の三次元空間 に彫刻が存在 す る時,木や石 や鉄 の ように,具体的質量 を持 った部分或
3
1
)
い は全体 が,一定の空間 を占有す る時, これ を実空間 (
又 は正 の量) と呼び,実空間 に依 って
取 り囲 まれた隙間や,実空間 を取 り巻 く周囲の空間 を虚空間 と言 う。虚空間の重視 は,- ン リ
ー ・ムーアの作 品 に多用 されてい るが,歴史的 には, アン トワ-メ ・ブルデルの≪弓 をひ くヘ
1
F
'
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・
ラクレス≫ (
1
909) にその意識 の雨芽がみ られ, その後,未来派の ウンベル ト・ポッチオー二
3
6
)
3
7
1
の≪空間のなかの瓶 の展開≫ (
1
91
2)
,マルセル ・デュシャンの≪ 自転車 の車輪≫ (
1
91
3),パ
3
8
〕
ブロ ・ピカ ソの≪アプサ ン トグラス≫ (
1
91
4) と陸続 として例示 され, ナウム ・ガボ とペ ヴス
3
9
)
ネルの レア リスム宣言「
空間 は今や彫刻 の基本属性 の一 つ となった」(
1
920)を経 て,- ン リー・
ムーアに至 り, この負の空間 (
穴 と凹み) は最大限生か され るに至 った。ヘ ン リー ・ムーアは
洞窟や海岸 の浸蝕 された風景 か ら啓示 を受 けているとされている。再 に堀 内正和 は,名著 『
坐
1
0
)
上
忘録』 の中で, リチ ャー ド・リッポル ドの線材 を用 いた作例 を上 げて, 「
重力か らの解放」, 「
l
l
)
1
2
)
,「
宇宙遊泳 の時代 にふ さわ しい考 え」 として これ を賞揚 してい るが, この こ
下の観念 の無 化 」
とは空間 に対 す る意識 は時代 と共 に変わ るのだ とい う認識 に基 いているようである。又,筆者
は,金網 とい う材料 を以前か ら注 目 しているが, これ は,「
空間半遮断性」とい う性質があ るか
らであ り,最近,建築材料 としての多用が見 られ るパ ンチ ング ・メタル (
穴 あ き鉄板) も同様
に風通 しの良い,空間 に軽 み を与 える興味深 い素材 である。前出の新宮晋 も近年 この素材 を好
]
}
1
んで多用 しているの は,同様 の素材観 を持 ってい るか らであると思われ る。
V. 物質性 に関わ るもの
1. 物質性
彫刻 は物質 を介在 させて,思想 や理念,観念 な どを具体 的 に表現す る-形式 である。従 って
物質 の存在 な しに, これ らを リアライズ (
具現化)す ることはで きない。 それ だけに,物質依
彫刻 の原理
61
存性が強い とも言 えるが, あ くまで これ は表現 の為の手段 にす ぎない ことを認識 してお く必要
がある.但 し, コンセプチュアル ・アー ト (
概念芸術)のある種 の作例 は, この規範か ら外れ,
コンセプ ト (
概念)のみを提示する場合 もあるO (
例, ジ ョセフ ・コススやロー レンス ・ウェイ
4
4
)
ナ一等の言葉 による表現 な ど。)ほ とん ど手が加 えられていない ような場合で も, その置かれ方
や状況等で作者 のメッセージが込め られている苦であるO近年の 「もの派」 と呼 ばれ る人々の
作例 に見 られ るように素材 にはほ とん ど手 を加 えずに 「
関係項 」 (
李 南燥L
EEUFAN)として
作品 を呈示す る場合 もある。 その理 由の一つに,有限の材料,例 えば,木や石 な どの塊材 は,
彫れ ば彫 るほ ど小 さ くなって,ひいて は,元 の存在感 の強 さを失 って しまうとい うことが避 け
られない とい う認識があるか らであろう。 そ こで, リュック リームの ように,割 った石材 を元
通 りに積 み直す とい う作 り方で制作す るとい う例 も出現す るのである。物質 に手 を加 えて作品
化 しようとす る時,物質性 に溺れて しまうとい うこともある。 これ は過度 な物質依存性 である。
彫 った り,削 った りした塊材 を研磨す ることで,研磨終了時が完成 だ と錯覚す ることもこの例
である。 そうか と言 って,物質 は遠 くか らただ眺めているだけで は,何 も顕在化 されない。物
質 は手懐 け, 自己の思 うままに改変 されねばな らない。究極的 には,物質 を超 えた"
何か"を出
現 させねばな らない。時 にそれ は 「アウラ (
オー ラ,後光) とも 「マージナル (
境界 の)」 とも
「
Ep
i
p
h
a
n
y(
神聖顕現 )」 とも言 える '
何か"に到達せねばな らないだろう。 ブランクー シの
ように完膚無 きまで磨 くことも一方法であるが,最近 は必ず しもそれが,必要絶対条件である
とは言い難 くなって来 ている面がある。 む しろ,無造作 に,或 い は,未加工 の部分 を積極的 に
生か した方が,素材の質感 は生か され るのだ という例が数多 く見 られ るようになって来ている。
(
例, イサム ・ノグチ, リチャー ド・セラ,青木野枝 な どである。)仕上 りの荒々 しさに, よ り
一層,素材が持つ固有の実在感が強調 され る場合がある とい うことに注 目す るべ きである。一
般的 に,手 を加 えれば加 える程,研磨 して表面 を整 えた りすればす る程, ソフィステ ィケー ト
され る反面,素材 の生 (
な ま)な力強 さ,暴力的 とで も言 える訴求力,或 いは野性味が減 じて
しまうとい うことに注意すべ きであ り,数多 くの作家達 はこの ことに気付 いているようである。
(
例, ア ンゼルム ・キーファーや戸谷成雄 な ども同様 である)又,最近 は逆 に素材感 を消去 し
4
5
)
て しまお うとす る傾向 もある とい うことは注 目すべ き面 白い動向である。例 えば色 を塗 った り,
ステ ンレスの鏡面効果 を利用 した作例 (
関根伸夫,飯 田善国な ど)の出現である。
それ は恐 ら く,作者の感性 やイメージやイデーを前面 に出 したい とい う欲求か らであるだ ろ
うし,素材感 はむ しろ後方に引 き込 ませ,外面的相貌 はで きるだけニ ュー トラルにしたい とい
う欲求の為であろう。
2. 単一素材
これ は古来,伝統的 に行われて来 た用法であ り,大理石 な ら大理石 のみで,一つの作品世界
を構築す るものである。確かに これ はこれで一つの世界 を現出 させ得 る形式であるが,現代 で
は,必ず しもそれが絶対条件である とは言 えな くなって来 ている。
3. 複合素材
1
9
09年2月2
0日付 のパ リの 日刊紙 LeFi
ga
r
o (フィガロ)紙上でイタ リアの詩人 ・マ リネ ッ
4
6
)
ティが最初 の 「
未来派宣言」を発表,続 いて 「
1
91
2年 4月 『
未来派彫刻の技術 に関す る宣言』を
書 いたウンベル ト・ポッチオー二 は,- (
中略)一彫刻家 は, それが内的な造形的必要性 に応
6
2
岡
田
敬
司
じる とあれば,ひ とつの作品 に2
0
以上 の材料で も使 っていいのである。 た とえばガラス,木,
4
7
)
厚紙,セメン ト, コンクリー ト,馬 の毛,布,鏡,電気の光 な ど, どんな もので も」が発表 さ
れた。 これ によって表現 に巾が与 えられ,彫刻作品 は日常化 し,卑近 な ものになった。文化史
的 に見 る と, これ以前 に も,パ プア ・ニ ューギニアな どの未開人が作 った仮面 その他 の作品 に
は,木彫 に貝殻 や髪 の毛や様々な素材 を用いた例 は沢山あるが,造形分野で は, この 『
未来派
4
8
)
彫刻 の-宣言』 による影響 は, はなはだ甚大である。 アルキペ ンコの≪メ ドラ-ノ≫ (
1
91
4
)
4
9
)
や タル ト・シュヴィッタ-ズの 「
J
unkar
t(
廃物芸術 )」 や ラウシェンバ ーグの 「コンバ イン」
な ど枚挙 に暇がない程である。
Ⅳ . その他
1. 浮遊感
これ は 「
状態」の項 に入れ るべ き事柄 であるか も知れないが,便宜上 「その他」 に描入す る。
彫刻 は長 い間,地球 の重力の樫格か ら逃がれ られずに来 た。従 って,多 くの彫刻家達 は,雲
の ように天空 に浮遊す ることを憧れて来 た。北 山善夫 は木 の枝や竹 ひ ごや和紙 な どを用いて,
植松杢二,堀 内正和 も浮遊感 のある彫刻 を作 っている。強力な磁石 を用 いて鉄塊 を空 中に浮か
5
0
)
9
6
0な ど。)彼 らは従来 のような重 い
すタキス も同様 である。 (
≪テレ ・マグネテ ィツタ彫刻 ≫1
材料 を拒否 し,軽快感溢れ る作品制作 を志向す る. ブランクー シは浮遊 よ り更 に飛糊 その もの
5
1
)
1
9
4
0-4
5
) は,特筆すべ きで
に慣れ る数多 くの作品 を残 してい るが,中で も≪飛期す る亀≫ (
あ り, それ は飛期願望である と同時 に無限性への憧れ を内在 している と言 えよう。最近 の例 と
5
2
)
して, PANAMARENKO の≪He
l
i
kopt
e
r
≫ (
1
9
9
0
) も忘れ ることがで きない作例 である。
2. 「
気」 について
「中国南北朝時代,南斉 の画家,画論家 ・謝赫 (しゃか く)撰 『
古画品録』 の序 にみえる絵
5
3
)
画の制作 ・鑑賞 に必要な六つの規範」である ところの 「
六法 (りくほ う)」 の第 1に上 げ られて
いる 「
気韻生動」の 「
気」である。絵画の場合, キャンバス,板,絵具 な どの物質性 を超 えて
立 ち現われて くる像が醸 し出す,画面上 に漂 よう雰囲気である。「アウラ (
オー ラ,後光 )」 と
5
4
)
言 って も良い。「
気韻」とは 「
気品の高い趣」の ことである。 これが生 き生 きとしていることが
肝要である。精彩 を放 っていることが重要である。横 山大観 の ような気品の高いお もむ きは作
品の上 にいか して得 られ るか一概 に言 えない と思われ るが, どの ような作品であれ,作品 は作
者 を体現 した ものだ とすれば,人間形成以外 に無 い。 これ こそ美術教育 の 目的で もある。従 っ
て,高潔 な人格形成 の上 に, 自ずか ら現われ,渉 み出て来 る ものの ようである。芸術 における
精神的な ものを求 めること,或いは,芸術 は精神 の活動であるとい う言い方 は,彫刻の場合,
この精神 は身体活動 を促す動機 (
モテ ィー フ) に基づいて,具体的な素材 との対話,或い は格
闘 を通 して初 めて獲得で きるものの ようである。
3. 不在の存在或 いは非在の存在 について
物 の存在 は時 に, ネガテ ィブに表現 した方が存在感が強 まって現前す ることがある。或 いは,
存在 を強 く意識 させ る もの として働 くことがある。例 えば, ある人が眼前 にいる時 よ りも, そ
の当人が眼前か ら消 え失せ,石膏直取 り法 に依 ってモデルたる人か ら直接的 に抜 き取 った型 に,
9
6
0
年
よ り一層 リア リテ ィを感 じさせ る場合が ある (ジ ョー ジ ・シーガルの作例 な ど)。又 ,1
彫刻 の原理
63
代,高松次郎が行 った 「
影 のシ リーズ」 も,一枚 のタブローに措かれた画像 は人物 な どの影 だ
けであった。実体 を有 しない影が実体があたか も居 る (
有 る)かのように想像 させ るそのイメ
ージの換起力 に驚か された記憶がある。 この二つの例 で明 らか になることは、虚像 の方が実像
よ りも時 にはイメージの換起力が勝 るとい うことであろうか。 この事 に関 して,筆者が以前 よ
り関心 を抱 いていた ものに 「
蝉 の抜 け殻」がある。脱皮 した蝉 の形 も面 白いが,抜 け殻 の方が
一層感興 を呼 び起 こす。「
張 り子」も同様 で, それ は表皮のみで内部 に物が詰 っていない。いわ
ゆる表層的 (
皮膜拍)芸術 である。 これ らに共通す ることは,軽 さを特徴 とす る とい うことで
5
三
)
)
63頃) も同様 である。 山
ある。脱乾漆像 の例 として有名 な国宝 ・
鑑真和上 の坐像 (
唐招提寺 ,7
5
6
)
口勝弘 は 「
造形芸術 に現われ る重力感 とい う効果 ほ ど私 を憂苦 にさせ るものはない」 と言 う。
ここに現代 とい う時代 の美意識が大 きく変化 した ことの一例 をみることがで きるだ ろう。繰 り
返 し述べて来 たように,重力感 (
重量感 の こと?)か らの解放 は長 い間,多 くの彫刻家達の悲
願 で もあったのだか ら。山口は布 や金網やガラスな どを用いて物理的 に軽 い作品 を数多 く作 っ
て来 た。麻布 を多様 す る作家 として, ポーラン ドの女流彫刻家 ・マググレーナ ・アバ カノヴィ
ッチ も忘れ ることがで きない。 これ も蝉 の抜 け殻 のような群像 を沢山
」見せて くれた最近 の勝 れ
5
7
)
た事例 であった。 これ らの作例 はいずれ も物理的軽量 さを有す るが故 に, どこか浮遊願望又 は
飛期への憧憶 と通底 す るものがある。
4. エネルギーについて
彫刻表現上 の大 きなテーマの一つに 「自然 と人間」がある。人間存在 は自然 の一部 として 自
然構成単位 の一つであるが,西欧で は, 自然 を人間 と対時す る もの と看倣 し, これ を克服 しよ
うとして来 たのに対 し, 日本で は, 自然 と融和 し,調和 をはか り,対時 よ りむ しろ同化又 は調
和すべ きもの として対 して来 た。 自然 らしく生 きるとい うことがモラル として美徳 とされて来
。。。
。。。
5
8
)
た。美術評論家 ・河北倫明 は,前者 を対物的 とし,後者 を即事的 と表現す る。彫刻 とい う物質
(
体) を媒体 とした表現行為 は,直接的 にしろ間接的に しろ, 自然材 を用いることが伝統的で
あった。例 えば石や木や土 な どである。鉄板 の ように二次加工製品 を用 いる場合で も元 は自然
に存在す る鉄鋼石である。 これ らの素材 はいずれ も既存 の価値 として,エネルギーを内在 して
いる。私 たち人間 を取 り巻 く世界 (自然界) に存在す る五大要素 は,木,火,土,金,水であ
る。 これ らの要素 を用いて人間の 自然 に対す る関わ り方 を探 ろうとす る人々が現われて も不思
議 は無 い。例 えば, イギ リスのデ ビッ ド ・ナ ッシュが行 って来 た, ある種 の作品 は,木 に輪切
りの切れ 目を入れ,火で燃や し,火の力 を借 りて彫刻す る例 であるし,遠藤利克 のように火 と
水 を積極的 に作品制作行為 に取 り込 む作家 もいる。村 岡三郎 も物質のエネルギーの在 り方 に注
目す る作家である。 この場合 は, どことな く科学実験装置 めいているが, それで は無 く, どこ
まで も詩的表現であって,氏 の作品 は, ナンセ ンスな科学実験装置である。エネルギー は一般
に科学用語 として用い られているが, 自然 に内在す る一要素であるか ら, その面か ら切 り込 む
ことも有効 であろう。科学 と自然 は密接 な関係 にあるが,彫刻芸術 も同様 に密接 な関係 にある
と言 えよう。従 って彫刻が科学 に似 て来 て も,意識 に於 いて,或いは方法論 に於 いて,前者 は
詩的であ り,実用的でないが,後者 はそ うで は無 い と言 って もいいだ ろうか。 いなむ しろ,料
学 の究極 の所,或いは最先端 の所で は,例 えば天文学 に於 ける場合 のように,両者 は非常 な接
近 を示す と言 えるだ ろう。
6
4
岡
田 敬
司
5
9
)
5. 没形象性 について
没個性 と言 えば,個性が無 い,個性的で は無 い,個性 を出 さないな どのように,没 とい う語
は連接語 の否定 として使用 され る という聾みに倣 えば,没形象性 という語意 も形象 を持 たない,
「かたち」 を示 さない とい う意味 に解 されるであ ろうが, これ を彫刻の分野で考 えてみる と,
「かたち」 を伴わない彫刻 は有 り得 ないか ら, ここで は 「かたち」 を有 さない とい う意味で は
無 く,彫刻制作 の動機付 けに於 いて,「かたち」に対す る審美性 に主眼点 を置かない とい う意味
と解 していい と思われ る。 それな らば,「かたち」 を重視 しない表現 とは何か ?,「かたち」 よ
りも上 に述 べて来 た ような彫刻 の原理 に関わ る様々な フ ァクター としての,「
状 態」,「
場所
性」
,「時間性」,「空間性」,「物質性」な どの方 を重視す るのだ と言 って もいい ようである。「
1
9
7
0
年の第 1
0
回 日本国際美術展 は,中原佑介 の企画 した『
人間 と物質展』,つ まり,人間が物質 との
関係 をいかに トータルな意味で恢復す るか といったひ とつの象徴的な展覧会であった。- (
中
略)一人間 と物質 との関係 を強調 し,あるいは体験 とす るもの としての作品 は,状態,位置,
6
0
)
場所,配置,過程,時間な どが重要な要素 となる。」であった。彫刻 と言 えば,従来,形態の良
し悪 Lを云々 されて来 た伝統的な審美観 に対す る氏 の画期 的な試 みであ り,挑戦 であった と言
えよう。海外か らも, リチャー ド ・セラを始 め, カール ・ア ン ドレ他,多 くの作家達が参加 し
た ことはまだ記憶 に新 しい。「中原 は制作 の 『
過程』 を企画 に組 みいれた,いわば 『
臨場主義』
6
1
)
の実験 を通 じて,『
濃縮 された物質の視覚化』を,- (
中略)一企画 した」のであった。酒井忠
6
2
)
0
年 の現代美術 の 『
現代』 にはじめてカンフル注射 を した もの」 と評
康 は, この企画 を 「
戦後 3
6
3
)
価す る。酒井 は 「その後 の展開が どうなっているのか,わた しにはよ くわか らない。」としなが
らも, この文章 (
「日附のある彫刻論 1」)の末尾 に於て,二人 の作家 をあげている。一人 は斎藤
膨張 とか伸縮 とかいった次元 に彼
義重であ り, もう一人 は高松次郎である 斎藤 については 「
。
は進 みでているのである 自己の仕事 の経験 を破 るために,没形象 を必要 とはしないかわ りに,
。。。。。。。。。。 。。。。。。。。。。。6
4
)
傍点筆者) とい う。高松 については 「
作
素材 に長時間対時 して材質 の感触 を試め していた」 (
● ●●●■●●●●●●●●●●●●●■●●
家が 自己の仕事 を発表する場 の制約 は, む しろ物質 の存在感 だけを直裁 にうったえる方向にあ
。。
6
5
)
った とみればよい。」 (
傍点筆者) としている。中原の この企画展 とほぼ期 を一つにして 「
1
9
6
0
6
6
)
9
7
0
年代初頭 にか けて」み られた, いわゆる 「もの派」 と呼 ばれ る美術運動 は,
年代末期か ら1
。
。
この中原企画展 の影響 と言 うよ りも,恐 らく同時発生的に行われた ものであろうが, ここにお
いて,「もの派」の思想 を代表す る一人 ・菅木志雄 の活動 に 「
戦後 の 日本 の美術 のひ とつの帰
6
7
)
結,あるいは頂点」 を見 た とす る千葉成夫の論考 は,勿論 これだけが全てで はない と思われる
6
8
)
が,首肯 していい と思われる。明治開国以来「
欧米 の様式 に追随す るだけにおわ りがちだった」
戦後 の美術 は,中で も 「もの派 は, 日本 の美術 の固有性 の問題 にはじめて自覚的 に対処 した。
6
9
)
自己の固有 の文脈 を自覚 した とき,通例の美術 をこえて 『
世界』にまで到達 した」といい,「
環
境 に即 して,環境 に寄 り添 うかたちで,環境 のエ ッセ ンスをあざやかに示す とい うのが,通例
7
0
)
の 『
美術』 をこえて 『
世界 と直接的にかかわ る』 ことの意味である。」 と論述 した。
●●●●■●●●■●●
●●●●
斎藤 は,没形象性 を超 えて,素材 の内在的 リア リテ ィを引 き出そうとし,高松 は,物質の存
●●●●
■●●●●●●●●●■●
在感 だけに注 目しようとし,菅 は, 自然 に寄 り添 うような方法で, 「
世界」の中に隠 されている
存在 の意味 を探 ろうとしている,或 いは,非 日常的空間 (
-芸術 的空間) としての 「もうひ と
つの世界」の顕現 を目指 しているとも言 えよう。 ここにおいて,彫刻 は単 に 「かたち」 だけに
最早止 まって はお られずに,「
世界」 (
或 いは私達 を取 り巻 く環境,又 は自然) に対 し,いかな
る問題提起 た り得 るか とい うことが問われ る段階に来ているようである。 その為 の 「
空間仕掛
彫判の原理
6
5
人」 として彫刻家 の存在理 由が問われてい るように思われ る。作品 を媒体 として,或 い は契機
として,t
世 界 の構造 の神秘Mを解 き明かす役割 が今,作家 に問われているように思われ るので
ある。私 たちは,今 こそ,没形象性 その他諸々の主義主張 を超 えて, 自 らの本源 に立 ち戻 りつ
つ,新 たな る制作 の枠組 を組 み立 て直す時 を迎 えているように思 えてな らない。 そ して自己の
確固た る表現 のメ ソッ ドを手 中に した時,真の 「
表現 の自由」 を獲得 で きるような気がす るの
である. ここにおいて,「
世界 -自然 -環境」の一断面 を顕現 させ るメタファー として彫刻が存
在す る とい うことの理 由の-・
面性 を確認す ることがで きる。
結
以上見 て来 たように,彫刻 の存在原理 は多岐 に亙 るが,垂直性 や水平性 は日本 の美意識 の原
点 とも言 うべ き桂離宮建築 の垂直線及 び水平線 を基調 とす る構造原理で もあ り,西欧で は, モ
1
92
0)絵画 に見 られ る垂直水平性 の
ン ドリア ンの 「
新造形主義 (
ネオ ・プラステイシズム)
」(
強調 に通 ず るものであ り,普遍性 を持つ ものである。場所性,環境性,位置性 (
又 は配置性)
な どは, 中原佑介が言 うように 「
臨場主義 は,単 に作品のデ ィスプレイ とい うことを意味 して
いるので はない。 それ は作品 を場所 と結びつ け, それ らが切 りはなす ことので きない関係 を も
a
"
E
っていることの 自覚 なのである。」が,従来 の ようにア トリエ内で秘私的 に作 られ た作品 を単 に
運 んで展示す るとい う, いわば 「どこに置 いて も良 い」 ような もので はな く,特定 の場で制作
す ることの意味 を強調 してい る。つ ま り, デ ビッ ド ・ナ ッシュの ように現地で調達 され た素材
を用 いて, その場 でつ くる とい うことは, 当然, その特定 の場 の空気や湿度 な どの気象条件 ま
で も作品 に内在化 させて しまうとい う特質 を持 つ。 この制作態度 は現代 イギ リス彫刻 に顕著 な
形で現われてい る。 この ことは日本庭園の造 園原理 に通底 す る ものが見受 け られ,更 に これ ら
の応用 として,都市計画,公園や広場等の設計 へ と敷宿 されてい くものであ る。時間性,空間
性,物質性 な どは, 日本人 の死生観 にその源 を求 めることが可能であ り,更 な る論究 を深 めて
い く必要 を痛感す る。 これ らは環境 とも関連があるが, これ について は風景或 いは景観 につい
て、別の機会 に、「
風景 についての詩的考察 (
仮題)」 とい う視点か ら、若干、角度 を変 えて、
或 いは真正面か ら論考 してみたい と思 っている。
没形象性 について, あ まりこれ に捉われ過 ぎる と,「
表現不能」に落 ち入 る虞がある と思われ
るが, この 「
表現 の不 自由性」 とい う金縛 りか ら脱却す るために,終 りに当って画家 ・中川一
枚の言葉 「
西欧の文法で もな く, 日本 の伝統美で もな く, 自分独 白の方法論 (
文法) を打 ち立
:
I
:
I
てる ことが肝要である」 を引いて, この論 を閉 じることに したい。
註
1
) 酒井忠康 『
彫刻 の庭』小沢書店
1
9
82 pp.
2
61-27
5 (「日附のある彫刻論 1
」)
3
年 (
1
91
0) 『スバ JL,A (
北川太一編 「
高村光太郎
2) 高村光太郎 「緑色 の太陽」明治4
ついて」 F
高村光太郎全作品』六輝社
3) 堀 内正和 『
坐忘録J美術 出版社
彫刻 に
1
97
9 p.
3
05 所収)
1
9
90 p.
5
7
現代美術 の展開』美術 出版社
4) 藤枝晃雄 『
1
97
7 p.
2
8
5) KENNETH BAKER;
MI
NI
MALI
SM,
ABBEVI
LLEPRESS,
NEW YORK,
1
9
88 pp.
1
2
4-1
2
8
6) ワシ リー ・カンデ ィンスキー は, 「
垂直線 は,無限の暖かい運動性 を表わす もっ とも簡潔
6
6
岡
田 敬
な形態」 で ある と論述 してい る。 『
点 ・線 ・面
司
抽象芸術 の基礎 』美術 出版社
1
9
5
9 p.
61
t
.p.
4
0
7
) KENNETH BAKER;op.°
i
8) 中原佑介 『
現代芸術入 門』美術 出版社
9) 「遠藤利克
円環一 加速 す る空洞」展
1
9
7
9 p.
8
4
東高現代美術館
1
9
91
1
0) カ ンデ ィンスキー は, 「水平線 は,無 限 の冷 たい運動性 を表 わす もっ とも簡潔 な形態」と
論 じてい る。op.°
i
t
.p.
61
l
l
) 堀 内正和 ,op.
°
i
t
.p.
2
51
1
2)
中原佑介 『
現代彫刻』 角川書店
1
9
6
5 p.
1
6
3
1
3) 八木一夫 『
現代 日本 陶芸全集 1
4
』集英社
p.
3
0
対 角線 は,冷 と暖 とを含 む,無 限 の運動性 を表 わす もっ とも簡潔
1
4
) カ ンデ ィンスキー は, 「
な形態」 で あ る としてい る。op.
°i
t
.pp.61-6
2
1
9
8
5 p.
l
l
孤独 な る彫刻』筑摩 書房
1
5) 柳原義達 『
1
6
)
中原佑介 『
戦後彫刻 の発展
世界美術 全集 3
8』角川書店
1
9
67 pp.
1
9
4-1
9
5
t
.p.
6
2
,Pat
r
i
ci
aFai
l
i
ng;Ar
tNe
u
)
sNov.1
9
9
0
1
7
) KENNETH BAKER;op.ci
1
8) MAGDALENA ABAKANOWI
CZ 展一 記憶 ・沈黙 ・いのち- セ ゾン美術館
現代野外彫刻展』 に寄せ て」 (
青森 EXPO'
8
8記念
1
9) 中原佑介 「『
1
9
91
同展 カ タログ)1
9
8
8 p.
3
2
0) 土 方定一 『
土 方定一著作集 1
2 近代彫刻 と現代彫刻』平凡社
青森 EXPO'
8
8記念)
21
) 現代野外彫刻展 "自然 と人 間" (
1
97
7 p.
1
0
3, 図版 4
6
1
9
8
8
立体構成 の基礎』美術 出版社
2
2) 高 山正喜久 『
1
9
6
6 pp.
4
6-4
8
今 日の美術』新潮社
2
3) ハ ーバ ー ト ・リー ド 『
1
9
7
3 p.
1
9
2(
図版 )
2
4
) 1
6) に同 じ。p.
1
9
5
3 運慶作
2
5
) 北 川 フラム 「現代美術 の発見 1
通 して 」 『
流行通信』 (
樵 )流行通信
無著 ・世親像一 時間 としての物質
1
9
81・4月号
pp.
8
4-8
5
21
1
2
6) 8
) に同 じ。p.
2
7
) 新宮晋作 品集 『
Shi
ngu 自然 の リズム』 ブ レー ンセ ンター
1
9
91 pp.3
4-3
5
°i
t
.pp.
3
5
0-3
51
2
8) 堀 内正和 ,op.
2
9)
中原佑介 『ブラ ンクー シ』 美術 出版社
1
9
8
6 pp.
1
2
5-1
5
3
3
0) i
bi
d.pp.1
5
4-1
6
8
31
) 飯 田善 国 『見 えない彫刻』小沢書店
3
2) 飯 田善 国 『震 える空 間』小沢書店
3
3) 31
) に同 じ。p.
2
5
0
°i
t.
p.
1
5
3
4) 堀 内正和 ,op.
3
5) i
bi
d.p.
2
51
3
6) i
bi
d.p.
2
5
0
3
7
) i
bi
d.p.
2
5
0
3
8) i
bi
d.p.
2
5
0
3
9) i
bi
d.p.
2
4
9
4
0) i
bi
d.p.
2
6
4
41
) i
bi
d.p.
2
6
4
1
9
7
7 見 開 き図版
1
9
81 見 開 き図版
若林膏 を
6
7
彫刻 の原理
4
2) i
bi
d.p.
2
6
4
8
6-1
1
1
4
3
) 27) に同 じ。pp.
°i
t
.
pp.
1
7
2-1
7
4
4
4
) 藤枝晃雄 ,op.
4
5
)
この例 として斎藤義重 を上 げてお きたい。斎藤 は 「
私が木材 を使 うとい うことは,比較
的手作 りがで きる とい うことで,特 に木材 にこだわ っているわ けで はあ りません。 それか ら
黒 く塗 る とい うことは,私 に とって重要 な ことは,で きるだけ物質感 を消去 して,つ ま りシ
ルエ ッ トの ような ものにして しまいたい とい うことです。」<斎藤義重 カタログの 「
木 の跡一
1
9
8
4 p.
9か ら引用 > と述べているが, ここで は氏の彫
斎藤義重 と語 る」東京都美術館 ほか
刻 は重量感 や物質感 を消 して影的な存在 にして しまうとい う制作志向が伺 えて,興味深 く思
われ る。
4
6) 土方定一 ほか 『
新潮世界美術辞典』新潮社
1
9
8
5 p.
1
4
41
2) に同 じ。pp.
7
2-7
3
47
) 中原佑介 ,1
4
8) i
bi
d.p.
8
0
4
9) i
bi
d.p.
1
0
9
1
8
3
5
0) 8
) に同 じ。p.
,NEW YORK 1
9
7
5 p.
1
61
51
) Si
dne
yGe
i
s
t
;BRANCUSI
,HARRY N.
ABRAMS,I
NC.
及 び中原佑介 ,2
9
) に同 じ。p.
21
5
季刊夏 みづゑ』美術 出版社
5
2) PANAMARENKO 『
1
9
91 裏表紙
5
3
) 4
6) に同 じ。p.
6
5
7
,1
5
61
広辞苑』岩波書店
5
4
) 新村 出編 『
1
9
7
6 p.
51
2
3
4
4-3
4
5
5
5
) 4
6
) に同 じ。pp.
現代彫刻』美術 出版社
5
6
) 中原佑介 『
1
9
8
2 p.
1
71 (
1
9
6
5年角川新書 の一冊 として刊行 さ
れた同名 の書 を再刊 した ものである。)
5
7
) 1
8) に同 じ。
5
8) 出典不詳。 これ に関 しては,美術評論家 ・中村英樹が斎藤義重 について論 じた文 と符号
す る。それ は以下の如 くである。「
作品その ものの在 り方 を時間性 の中に投 げ込 もうとしてい
るのである。作品 は,確かに一定 の恒常的な状態 を保 つ。 しか し, それ は恒常性 を本質 とは
せず,可変性 を本質 としている。物理的には直 ぐ様消滅 して しまう訳 で はないに して も,や
がて作品の変貌 し消滅 して行 くことを容認す る気持が, どこか に働 いている。 その辺 に,作
ve
nt と
品観 の大 きな転換が見 られ る。斎藤 は, 『
物 である とい うより一 つの事件 というか e
い う考 えが強 いのですね。』<斎藤義重展 カタログの 「
木 の跡一斎藤義重 と語 る」1
9
8
4
年か ら
引用> と説明す る。」 (
中村英樹 『
表現 のあ とか ら自己 はつ くられ る』美術出版社
1
9
8
7 pp.
1
1
7-1
2
9
)
5
9) 1
)に同 じ。 これ に関 して は,中村英樹が前出の遠藤利克 について論 じた文 と通底す る も
のがある。それ は以下の如 くである。「いずれ にして も,かれの作品 をどのジャンルに組 み入
れ るか は大 した問題 で はな く,視覚 に訴 える芸術作品だか ら 『
美術』 に入 る とい うだけで充
分 であ り,む しろ,造形 を自己 目的化 しない という意味での 『
非造形主義』 こそ,遠藤 につ
いて語 る とき最 も強調 されねばな らぬ側面であ ろう。 それ は,西欧近代 的 自我 の反映である
造形中心主義 に異論 を唱 える立場か ら生ず るものに違 いない。」
(
中村英樹 i
bi
d.p.
1
9
8)
2
6
8 これ に関 して同展のカタログ第一分冊 の序文がある。中原佑介 『
見
6
0
) 1
) に同 じ。 p.
6
8
岡
ることの神話』 (
人 間 と物質
田
敬
司
第1
0回<東京 ビェ ンナ- レ展> の機会 に) フ イルムアー ト社
1
97
2 pp.25
5-2
61
61
)
2
6
8
1
) に同 じ。 p.
62) i
bi
d.p.
2
6
8
6
3) i
bi
d.p.
26
8
64) i
bi
d.p.
27
4
65) i
bi
d.p.
27
4
6
6) 千葉成夫 『
美術 の現在地点』五柳書院
67)
1
9
90 pp.
2
3-2
4
i
bi
d.p.
23
0
6
8) i
bi
d.p.
22
8
6
9) i
bi
d.p.
230
7
0) i
bi
d.p.
23
0
71
)
中原佑介 『
見 ることの神話』 フイルムアー ト社
7
2)
出典不詳。
1
97
2 p.
25
9
(
1
991.
7.
1
9 受理)