2008 年度 京都女子大学 HP 用過去問題解説 国語(古文) 出題の概説 第三回にあたる今回の解説で取り上げるのは、現代文では 2008 年一般入試後期(3 月 10 日実 施)の一大熊信行「啄木発見」、古文は 2008 年一般入試前期A方式(1 月 30 日実施)の二「う たたね」(鎌倉期の日記)です。 現代文は一般入試後期ではマークシート解答ですが、記述以上に手間がかかるものもあります (問四の傍線部と同じ漢字を五者択一させる問題など)。出典は 2008 年一般入試前期の三つが現 存の筆者であるのに対し、今回(一般入試後期)の大熊信行は啄木と同時代を生きていた人で、 固有名詞や文学史的な事項において今の世代の読者には多少不案内なことがあるでしょうが、後 注も多く、文章自体も読みやすいので、そう難はないでしょう。 古文の方は、一般入試前期の特徴である若干の記述問題が含まれます。出典としては著名でな あ ぶ つ に いものの、受験生の読解力を試す好個な内容です。今回取り上げる「うたたね」 (阿仏尼作)も、 問題文・設問ともによく練られた良問といえます。文法や古文単語力とともに、総合的な読解力 が問われています。 それでは、順に解説をしていきましょう。 古 文 【問題文について】 古文は、2008 年一般入試前期A方式(1 月 30 日実施)の二『うたたね』 (鎌倉期の日記)をと りあげます。 〝うたたね(転寝)〟とは、漢字で書いてわかるように、ついうとうとすること、 「仮眠」の意味 ですが、 『うたたね』という鎌倉期の女性日記も、若い日の失恋、そのことでの山寺への出家、そ とおとうみ の後 遠江 まで転々とする心の日記で、人生をはかない夢と感じる傷心の記録といえましょう。 あ ぶ つ に い ざ よ い に っ き 作者は出家名で、阿仏尼といいますが、その著作に『十六夜日記』があり、これが一番有名で す。これは我が子の土地相続をめぐる訴訟のため京都から幕府のあった鎌倉まで下向する紀行(旅 日記)です。 『うたたね』の出題文に戻ると、これは、原文の比較的初めの方にある文章で、一年半の付き お う せ 合いのあった恋人との逢瀬(=デート)も途絶えがちになって、うつうつとした日々を送る様子 を描いた箇所です。問題文の要約をしておきましょう。 し ぐ れ 逢瀬が途絶えたのでもないという気持ちながらも、十月にもなってしまった。時雨の空の 様子はまるで私の涙もかわく暇もない心地がして、二人の仲はこれで終わりかと思われて悲 うずまさ しかった。思いつめた不安から太秦の広隆寺へお参りしようと思いついたが、なんとも物狂 おしく、仏様が何と思われるか恥ずかしいが幼少から参詣してきたのだからと思って、仏前 し ぐ れ に額ずいた。 「時雨れてきそうです」と供の人がいうので寺を出たが、紅葉の美しさに見とれ て、すぐには家には帰る気になれない。折からの風に物騒がしくなったので、見残して立と うとした際に、やはり心残りの一途な気持ちを歌に詠んだのであった。 1 【設問および解答方法について】 設問を確認しましょう。問一は漢字の読み、問二は古語の意味、問三は理由説明(一字) 、問四 は内容説明、問五は現代語訳、問六は会話箇所の指摘、問七は和歌についての説明文の空欄補充、 となっていて、古文の総合的読解力を試すものとなっています。 問一の漢字の読み。これはもう基本中の基本です。①「神無月」は「かんなづき」、②「時雨」 は「しぐれ」です。もちろん、意味も大事。①は陰暦の十月です。この月には神様が皆出雲の国 の会合に出かけて国許にはいなくなるので、〝神の無い月〟になったのでしたね。逆に出雲の国 (=今の島根県)ではこの月を「神有月(かみありづき) 」といいました。次の「時雨」は、秋の 末から冬にかけて降ったりやんだりする雨のことです。本文にも二行目に「降りみ降らずみ定め なきころの」とありますね。 「降ったり降らなかったりはっきりしない」と、その時雨のようすが 書かれています(「…み、…み」は「…たり、…たり」と訳出します)。「時雨る」はその動詞で、 〝時雨の雨が降る〟こと。ちなみに、 「小春日和」とは初冬のことです。冬なのにぽかぽか暖かく、 まるで春の日を思わせる天気のことです。 問二が古典のポイントでもあり、点数の稼ぎ所です。古語は〝古今異義語〟を中心にしっかり 勉強しておきましょう。aの「見えぬものから」は「ものから」が大事。これは文法事項ですが、 逆接の接続助詞です。そこがわかれば、答えは自ずから「見えないけれども」、すなわちウとなり ます。 「ぬ」は「ものから」が連体形接続なので、打消しの助動詞「ず」の連体形です。b「あく がる」は「あく」 (=場所)+「かる(離る)」 (=離れる)で、本来の場所から離れる、離れてさ まよう、さらに、心が離れてぼんやりする、の意味にもなります。よってそれと同じなのは、 「う わの空になる」で、正解はイです。cの「二葉より」は、 「二葉」が〝幼少の頃〟を表すので、答 えはアの「幼い時から」になります。本来は、草木の芽を出したばかりの二枚の葉、をいいます。 dの「心づからの」は、 「づから」は体言に付く接尾語で、 「~をもって・~それ自身でもって」 の意味を表します。 「口づから」だと、〝自身の口から〟、 「心づから」は〝自分の心のせいで〟、 の意味になります。よって、答えはオの「自分のこころが原因での」となります。いまも「おの ずから(自ずから)」といいますね。〝自然に・ひとりでに〟の意味です。自分の意志ではなく、 それ自体の自然の経過でひとりでにそうなっていくことです。「みずから(自ら) 」も同じ漢字を 書きますが、意味が違います。これは今も〝自分から・自分自身〟の意味になります。 「身づから」 と古来、書いたようです。e「いとど」 (副詞)は簡単ですね。答えはエの「いよいよ」です。 「ま すます・いっそう」とも訳出します。「いと」(ひじょうに・たいそう)が重なった「いといと」 からきたといわれ、 「さらにいっそう」の意味になりました。似ているけれど、違うので注意。f 「見さす」。これは、なまじっか文法力のある人は、 「見させる」などとしがちです。 「さす」を使 役の助動詞と見立てたのですね。これもありえますが、ここでは違います。やはり本文での使い 方も確認してください。筆者は紅葉の見頃をもっと見ていたかったのに、折りしも(=ちょうど その時)風が吹いて騒がしくなったので、 「見さすやうにして立」ったのです。使役では、その使 役対象がありません。実は「さす」は「止す」と書いて、 「~しかけてやめる」の意味を表す接尾 語なのです。いまも「言いさす」といいますね。 「言いかけてやめる」の意味です。だからここで の「見さす」は、「見かけておいてやめる」、つまり「見残しにする」の意味になります。答えは アです。 2 問三の傍線部「袖のいとま(暇)なき」は、〝涙で袖が乾くひまもない〟という意味の古典の 慣用表現です。だから設問の「何のせいで」の答えは、「涙」になります。「降りみ降らずみ」か ら、〝雨〟と答えがちでしょうが、 「袖が濡れる」は〝涙で濡れる〟という慣用表現だと覚えてお きましょう。 問四の「今はかくにこそ」は「今となってはこのような(ものだ)」という意味ですが、 「かく」 (このような)」は何をさすのでしょうか。解答のポイントはその後にあります。 「今はかくにこ そと思ひなりぬる世の心細さ」とありますが、問題は「世」の意味です。ふつう〝世の中・世間 〟という訳がありますが、古文で大事なのは、〝男女の仲〟の意味の方です。ここでもう、 「かく」 のさす意味はわかりましたね。「恋人との仲」です。解答は「恋人との仲」「二人の仲」など、で かこ す。もはや彼の訪れは途絶えて長く、二人の仲は、だめかもしれない、という悲しさを筆者は託っ ています。 問五の「愁へきこえん」は、品詞に分けると「愁へ」 (ハ行下二段「愁ふ」の連用形)+「きこ え」(謙譲の補助動詞「きこゆ」の未然形)+「ん」(推量・意志の助動詞「ん(む)」の終止形、 となります。 「愁ふ」は、〝愁訴する・悲しみなどを嘆き訴える〟の意味です。「きこゆ」は〝~ 申し上げる〟ですから、現代語訳の解答は「悩みを訴え申し上げよう」などです。 「とみにも立た れず」は「とみに(頓に)」が〝すぐに・急に〟の意味だと分れば、簡単です。「も」は強意の係 助詞、「れ」は可能の助動詞ですから、解答は、 「すぐにも立つことができない」となります。 問六は、会話部分はどこかを問う設問です。この場合、発言者がいるわけですが、それが大き なヒントです。読んでいくと、本文中ほどの段の冒頭に〝供なる人々、時雨しぬべし。はや帰り 給へなどいへば〟とあります。当然、主語(=発言者)は「供なる人々」で、述語は「(など)い へば」です。会話部分の最初と最後の各五文字、つまり解答は「雨しぬべし」と「や帰り給へ」 になります。 問七は、和歌についての説明文があってその空欄を埋めるのですが、こういう設問には和歌を 十分理解させたい、という出題者の意図がはっきりしているものなので、多少文は長くても(一 見わずらわしいようでも)しっかり読み取って〝意図〟通りに解答しましょう。結論からいえば、 本文の和歌の空欄①・②に入る言葉がわかればいいので、そのヒントに説明文を出しているので す。和歌は五/七/五/七/七で出来ていますから、筆者の歌は「人しれず/契りしなかの/言 の ① を/ ② 吹けとは/思はざりしを」となって、①は一字の、②は三字の言葉とわかり ます。一首の意味は、〝人に知られることなく約束し合った(二人の)仲の言葉を、 (山から吹き 下ろす嵐が木の葉を吹き散らすように)吹けとは(私は)願いもしなかったのに〟ということで す。説明文を見ると、冒頭に〝「言の ① 」とは、ことばのこと〟とあります。 「ことば」を漢 字で書くと「言葉」ですから、①は「葉」だとわかりますね。②は、文屋康秀の歌に〝むべ山風 を ② というらむ〟とあるのがヒント。ここの意味は〝なるほど(山から吹き下ろす)風を ② というのであろう〟となります(「らむ」は現在の原因推量の助動詞) 。〝山風〟を縦に書くと〝 嵐〟となりますね。②の解答は、ひらがな三字ですから、 「あらし」ですね。問題は③に入る語句 です。〝「 ① 」に「 ③ の ① 」の意を掛けている(「葉」に「 ③ の葉」の意を掛 けている)〟とありますが、空欄③はまだはっきりしてません。でもこのヒントに筆者は文屋康 秀の和歌を引用し、次行に〝 ② は草木をしおれさせる〟と書いています。〝あらしは草木(の 3 葉)をしおれさせる〟と補って考えれば、先の〝「葉」に「 ③ の葉」の意を掛けている〟の 空欄③は「木」となりますね。つまり、〝「言の葉」とは「木の葉」の意を掛けている〟となる わけです。 【勉強法のアドバイス】 古文の勉強法としては、〝三つの基本〟がよくいわれます。文法・単語・知識(文学史・有職 故実=昔のしきたり)ですが、入試本番も間近に迫った今回、それらをもとにした読解のテクニ ックを伝授しましょう。 古文がわからないのは、主語がわからない、場面がわからない、ということが多いですから、 その主語を判定し(補い)、場面を把握してみましょう。例えば、本文冒頭は次のようにしてみま す。なお、 (S)はSubject(主語)、 (V)はVerb(動詞→述語)のことで、それぞれ傍線部がそ れになります。また、/(スラッシュ)の部分は(S)の転換を表します。 (S)とにか さすがに絶えぬ夢の心地(S)は、ありしに変るけぢめも見えぬ(V)ものから、 くに障りがちなる葦分けにて(V) 、/(季節はS)神無月にもなりぬ(V)。 降りみ降らずみ定めなき空のけしき(S)は、 (私には)いとど袖のいとまなき心地して(V) 、 (私はS)起き臥しながめわぶれど(V)、/(逢瀬が)(S)絶えて(V)程ふるおぼつかなさ の、慣らはぬ日数のへだつる(おぼつかなさ) (S1)も、 「(二人の仲は(S2))今はかくにこ そ(ならめ(V2) )」と思ひなりぬる(V1)世の心細さぞ(S) 、何に譬へてもあかず悲しかり ける(V)。 《解釈》 そうはいってもさすがに絶えることのない逢瀬(の気持ち)(S)は、以前と変る違いも見え ない(V)けれども、(その逢瀬の気持ちは)(S)あれこれと障害の多い葦分けのようすであ って、(V)(そのうち季節は)(S)十月にもなってしまった(V)。降ったり降らなかったり定 めない空の様子(S)は、 (私には)いっそう涙で袖が乾くひまもない(悲しい)気持ちがして(V) 、 (私は) (S)起きてても寝ても物思いに沈んでいた(V)が、 (逢瀬が(S))絶えて(V)時間 が経っていく不安で、今までにない日数が隔っていく不安は(S1)、「(二人の仲は)(S2) 今はこのようになってしまった(V2)のだ」と思うようになってしまった(V1)。 (そういう) 二人の仲の(行く末の)心細さ(S)は、何にたとえても物足りないほど悲しいものだった(V)。 このように、 (S)+(V)を文の基本にして、読解していきます。(S)は人物だけとは限ら ず、最初の「夢の心地」 (=逢瀬の気持ち)も、次行の「空のけしき」 (空の様子)も(S)にな りえます。また、 (S)が省略されるのが多いのも古文の特徴。これらは、前文の(S)を補うと よいでしょう。最初の文の「葦分けにて(障害の多い)葦の中をいくような様子であって(V) に対応する(S)は、冒頭の「夢の心地」(=逢瀬の気持ち)であるので、補う。また、(S1) は(V1)と呼応し、(S2)(V2)と呼応しています(二つの主語述語関係は複文関係になっ ている)。 実際、試験に臨んで問題文がよくわからず困ったときも、この基本に立ち返って(S)+(V) 4 の構造を把握しながら読み取っていくようにしましょう。 5
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