レジュメ - GACCOH

哲学史のなかのプラグマティズム@GACCOH
2015/8/29
谷川嘉浩 @mircea_morning
はじめに
プラグマティズム:19世紀後半、アメリカで立ち現れた思想。
主要なプラグマティスト(の中で、今回名前が登場する人):チャールズ・サンダース・パース(1839-1914)、
ウィリアム・ジェイムズ(1842-1910)、オリヴァー・ウェンデル・ホームズ(1841-1935)、ジョン・デューイ
(1859-1952)。
リチャード・ローティ(1931-2007)
「こうした[三つの合理性の]同化と、それが帰結させる示唆を疑うのに、……よく知られた哲学的な諸根拠
がある。哲学的な諸根拠は、デューイのような昔のアメリカのプラグマティストたちやデリダのような流
行りのポスト構造主義者たちに共有されており、大部分は合理性(2)[=いわゆる理性のこと]という
当の観念を攻撃することにある。こういった根拠は、『理性主義』『男根中心主義』『現前の形而上学』
『プラトニズム[=プラトン主義]』などへのよく知られた様々な攻撃の過程でもたらされた」 (Rorty,
187-88)
→ローティは合理性を三つに分けた。そのうち合理性の一つである「理性」を取り出して、それを退け
た。
今回の流れ
プラグマティズムは何を批判したのか、哲学史的にどのように位置づけられるのか。
→理性を金科玉条のように掲げる立場(理性主義)への反省(1、理性主義への異議)
→スタティックな学問観(例えばプラトニズム)に対する違和(2、静的な学問観からの転換)
こうした哲学史的な背景を踏まえた上で、プラグマティズムについて見る(3、プラグマティズム/4、
プラグマティズムの「暗い背景」)。
1,理性主義への異議
理性と人間
・理性主義rationalism
1
rationality――ratio 獣と区別されるものとして、人間に余分に付加された要素(Rorty, 186)
animal rationale ← プラトン(427-347B.C.) ζῷον λόγον ἔχον = zoon logon echon
理性主義の例
・ヘーゲル(1770-1831)
「哲学の教えによると、精神の全ての特性は、自由を通してのみ構成され、全てはただ自由のための手
段でしかなく、全てはただこれを求めこれを生み出す。……精神とは自己のもとにあるものだ。これこそ
まさに自由に他ならない。……この自己のもとにあるという精神の在り方は、自覚であり、自己自身につ
いての意識である。この意味において、私たちは言うことができる。世界史は精神が自らが即自的に指し
示すものの意識へといかにして至るかを叙述するものにほかならない、と」(p.38-39)
「世界史は自由の意識における進歩である――私たちがその必然性において認識しなければならない進
歩である。……したがって世界の究極目的は、精神が自らの自由を意識することであり、まさにそのこと
によって、自らの自由を実現することであると言われる」(p.41 『歴史哲学講義』)
世界史を「絶対精神」の弁証法的自己展開とし、歴史の目的を自由の実現と見たヘーゲルにとって、絶
対精神が自らの本質を「自覚」という仕方で意識することが、理性的存在である絶対精神の究極目的の実
現を意味する。
反理性主義の例
・セーレン・キルケゴール(1813-1855)
「ある世代が他の世代から何を学ぼうと、どの世代も本質的に人間的なものを先の世代から学ぶことは
できない。……本質的に人間的なものは感情であり、それにおいてはある世代は他の世代を完全に理解
し、おのれ自身を理解する」『おそれとおののき』
・ルソー(1712-1778) かつて感情を表現するためのものだった言語が、今や抑圧のための道具になってい
る。『言語起源論』
・ロマン主義――個人、想像力、感情。啓蒙主義に対する異議
・フランクフルト学派――マックス・ホルクハイマー(1895-1973)、テオドール・アドルノ(1903-1969)、
エーリッヒ・フロム(1900-1980) マルクスとフロイトに依拠。
・マルティン・ハイデッガー(1889-1976)
1925年の『存在と時間』で、現存在の存在の意味を、「時間性」に見出そうとした。現存在の存在は、
時間的性格を持ち、過去が常にいわば先回りをして現在と未来を構築する。そして、そうした時間的な在
り方が現存在の「歴史性」の可能性の条件であるとした。彼によると、現存在が存在の意味を問うことそ
れ自体もまたそうした現存在の時間性・歴史性を基盤とするものであり、したがって存在の意味を明るみ
2
にもたらすべく存在の問いを仕上げるためには、その問の歴史性の理解が必要である。しかし、現存在は
場当たり的な平均的な在り方の中で、世界と伝統の内へと「頽落」しており、そのため西洋の伝統はこう
した現存在の存在の時間性・歴史性を忘却させ、現存在が提起する存在の問いの源泉にまで立ち戻って歴
史的に見通すことを妨げている。すなわち、上記の「時間性」があるにも関わらず、実際は「現前性」と
して見られるべきものとされ、これが現存在の存在理解の大きな障害となっている。したがって、存在の
問いを仕上げるためには、そうした西洋の「存在の歴史の解体」が必要であると述べた。この課題の遂行
を予定していた『存在と時間』の後半部分は書かれなかったが、のちにデリダが彼なりに引き継いだ。
・ジャック・デリダ(1930-2004)
西洋の伝統的思考は、ロゴスによって捉えられることに優位を認める「ロゴス中心主義」や、理性と感
性、精神と身体のような二分法において前者に優位を認め、それを男女の価値関係と重ね合わせる「男根
中心主義」によって動かされてきた。デリダは両者を合わせて、「男根ロゴス中心主義」と呼ぶ。二項関
係の劣位に置かれたものに注目しつつ、優劣関係を決定不能にしてしまうという「解体」の試みを行なっ
た(脱構築)。
・ジョン・デューイ(1859-1952)
「その後の様々な社会的環境の中で発展した様々な思想のタイプと比較すれば、プラトンやアリストテ
レスも、結局のところ、ギリシアの伝統及び習慣の意味を非常に深く反映していたことが今日ではよくわ
かるのである」(p.27 『哲学の改造』/以下の引用はいずれも同書)
「哲学のこうした[科学の影響に対する]護教的精神は十二世紀の中世キリスト教が自己を体系的合理
的に表現しようとし、自己を理性によって弁護するために古代哲学、特にアリストテレス哲学を利用しよ
うとしたとき、一層明白になった。十九世紀初頭、これに似た事柄がドイツの主要な哲学体系を特徴付け
ている。すなわち、当時、科学及び民主政治という新しい精神に脅かされていた教義と制度とをヘーゲル
が合理的観念論の名において弁護する仕事を引き受けたのであった。その結果、偉大な諸体系は、既存の
信仰のために働く党派的精神から解放されないことになった。ところが、多面、諸体系は、完全な知的独
立性と合理性とを名乗っていたため、……哲学は一抹の不誠実を帯びることになり、しかも、哲学の信奉
者の側が全くそれに気付かなかっただけに、いよいよ陰険なものになった」(p.28)
「そのため、最悪の場合、哲学は、精緻な用語のショー、瑣末な論理、包括的あるいは微細な論証の単
に外的な形式への偽りの献身になった。最良の場合でも、体系のための体系への病的な愛着、確実性に対
する法外な要求を生む傾向を示した。……伝統や欲望の命令に従う慣習が、自らの究極性と不変性とを主
張したのだった。慣習は、確実不変の行為規則を与えると称した」(p.29-30)
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・チャールズ・サンダース・パース(1839-1914)
「アプリオリな方法」=理性を用いて探求する方法
「理性に適う」→「信じたい気持ちになる」
(「信念を定めること」の中で紹介された探求・思考の方法の一つ)
2,静的な学問観からの転換
静的な学問観
・イデア論/真理の対応説
イデア界で諸々のイデアを既に知っている魂は、この世に肉体を持って生まれ落ちるとき、その誕生の
衝撃で、イデアを忘れてしまった。それを「思い出す」(アナムネーシス)作業が重要になる。産婆とし
ての哲学者の仕事。(プラトン『メノン』ほか)
・「知識の観衆説」
ジョン・デューイ(1859-1952)
「知識論は、視覚の働きにおいて起こるとされたことを手本として作られる。対象は、光を目へと反射
し、見られることになる。そのことは、目と視覚器官を持つ人のほうには影響を与えるが、見られる物に
は影響を与えない。実在する対象は王者のように超然とした対象であるため、……それを注視する心のい
ずれにとってもそれは王である。知識の観衆説は、それが当然帰結させるものだ」(『確実性の探求』)
・鏡的人間観
『哲学と自然の鏡』→『哲学と、自然の鏡』(リチャード・ローティの本)
自然≠全宇宙としての自然、自然環境としての自然
自然=自ずから然り、自ずからそうあるべく定まっているもの
・アリストテレスの学問観
アリストテレス(384-322B.C.)の学問観=theoria 観想/praxis 実践/poiesis 制作
動的な学問観
・17世紀の転換
New Science――道具、装置、工夫、実験の前景化
地動説、粒子仮説(原子論)の復活。王立協会などの存在。
実験知が前景化してくる。デューイが『哲学の改造』で、ベーコンに対する尊敬を示す所以。
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理論はどっしりとして超然と動かないものではなく、実験・観察の結果や仮説検証・修正などによって
柔軟に形を変えるしなやかなものではないかという考え。
道具や実験の工夫、試行錯誤が前景化した例(生物の自然発生説)
・ファン・ヘルモントの実験(17世紀)
小麦の粒と汗で汚れたシャツに油と牛乳をたらし、壺に入れ、倉庫に放置する→ハツカネズミが自然発生する。
・フランチェスコ・レディの対照実験(1665年)
二つの瓶に魚の死体を入れる。一方の瓶は蓋をせず、他方の瓶には目の細かい布で覆って蓋をする。→蓋のない前
者にはウジが湧くが、後者にはウジが湧かなかった。(レディが否定したのはウジやハエの自然発生のみ。この後、
微生物の発見によって、一旦否定されたかに見えた自然発生説が盛り上がってくる)
・ラザロ・スパランツァーニ(1765年)
フラスコ内の肉汁を煮沸したあと、金属でフラスコの口を溶接して密閉。長期間保存しても微生物は現れない。フ
ラスコに微小な亀裂が生じると微生物が発生する。(密閉が微生物の出入りを防いだのではなく、空気の中野何かが
生命の発生に必須で、それが供給されなかったためではないかとニーダムは反論)
・ルイ・パスツールの白鳥の首フラスコ実験(19世紀)
肉汁を入れたフラスコの口を加熱して長く伸ばし、下方に湾曲させた口を作る。フラスコの肉汁を煮沸し、細い口
からしばらく蒸気が吹き出るようにする。しばらくこの白鳥の首フラスコを放置しても微生物の増殖は見られない。
フラスコの首を折ってしまう、あるいはフラスコ内の肉汁を一旦曲がった首の部分(微生物はここにたまっている)
を通過させて浸したあとフラスコ内に戻すなどすれば、微生物の増殖がみられる。
・理論は道具!
ウィリアム・ジェイムズ
「理論は、私たちが安住することのできる謎に対する回答ではなく、道具となる」(『プラグマティズ
ム』、60。なお、原文の傍点は省略)
ジョン・デューイ
「ウィリアム・ジェイムズのように、『哲学はヴィジョンである』、哲学の主な機能は人間精神を偏見
や先入見から解放し、周囲の世界に対する見方を拡げることにあると主張する少数の異端者もあった。
……哲学は仮説しか提供することができず、しかもその仮説の価値は人間の精神を周囲の生活に対して敏
感にさせる点だけにある、などとフランクに言ったら、哲学そのものの否定のように見られるであろう」
(『哲学の改造』、30)
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3,プラグマティズム
・ジェイムズの『プラグマティズム』
第二章「プラグマティズムの意味」冒頭のリスの話
→定義次第、という話ではない。
「実際上の違いが辿られ得ないとすれば、その時には二者どちらを辿っても実際的には同一であること
になって、すべての論争は徒労に終わることになる」(『プラグマティズム』、51-52)
・「意味とり」としてのプラグマティズム
チャールズ・サンダース・パース(1839-1914)
「自分の持つ概念の対象は、実際的な影響practical bearingsを及ぼし得ると考えているいかなる効果を
持つことができると自分たちが考えているのか、ということを考察せよ。そうすれば、こうした効果につ
いて我々が持つ概念こそ、当の対象について我々が持つ概念の全てである」(「我々の観念を明晰にする方
法」p.182。下線部筆者)→プラグマティズムの格率(マキシム)
鶴見俊輔
「プラグマティズムは、意味とりの技術として発達して来た」(「プラグマティズムの発達概説」)
ジェイムズ
「およそ一つの思想の意味を明らかにするには、その思想がいかなる行為を生み出すのに適しているか
を決定しさえすればよい。その行為こそ私たちにとってはその思想の唯一の意味である。……そこで、あ
る対象に対する私たちの思想を完全に明晰にするために、その対象がおよそどれくらい実際的な結果をも
たらすか――その対象によって私たちがどのように動かされるか――いかなる反作用を私たちは覚悟しな
ければならないか、ということをよく考えてみさえすればよい。そこで、これらの結果について私たちの
持つ概念こそ、少なくとも私たちにとってこの概念が積極的な意味を有するとみなす限り、その対象につ
いての私たちの概念の全体である」(『プラグマティズム』、52-53) 下線部筆者。
→パースのいう「実際的な結果」というのが、ジェイムズによって「私たちがどのように動かされる
か」(私たちに対する実際的な結果)、つまり「私たちにどのような行動を生み出すか」と言い換えられ
ている。
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・習慣の束としての人間
ウィリアム・ジェイムズ
「生物を外から見ると、まず目につくのは、それらが習慣の束だということである」(『心理学原
理』)
ジョン・デューイ
「人間は習慣の生き物であって、理性の生き物でもなければ本能の生き物でもない」(『人間性と行
為:社会心理学入門』)
パース(1839-1914)
「思考の機能はひたすら行為の習慣を生み出すこと」(p.179)
「それゆえ、思考の意味を明らかにしようとするには、その思考がいかなる習慣を創りだすのかを明ら
かにしさえすればよい。なぜならある事物が何を意味しているかは、それがいかなる習慣をうちに含んで
いるかということにほかならないからだ。さて、ある習慣の何たるかは、その習慣によって、我々がいか
に行動するようになるかにかかっている。……当の習慣の何たるかは、それが、いつ、どのようにして、
我々に行動をとらせるかによって決まってくる」(p.179-180 「我々の観念を明晰にする方法」)
4,プラグマティズムの「暗い背景」
・メナンドの『メタフィジカル・クラブ』(ピューリッツァー賞受賞作)。→南北戦争という災禍の後=跡、
出てきた思想としてのプラグマティズム
・「19世紀の悪夢」
「物質と因果性の領域を拡大することによって、人間の思想の全領域から、いわゆる精神と自発性を
徐々に追放してしまう」(ハクスリー)
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参考文献
Rorty, Richard, 1998, Truth and Progress: Philosophical Papers, Cambridge University Press.
アリストテレス、出隆(訳)、1959-1961年、『形而上学』上下巻、岩波文庫。
ウィリアム・ジェイムズ、桝田啓三郎(訳)、1957年、『プラグマティズム』岩波文庫。
魚津郁夫、2006年、『プラグマティズムの思想』ちくま学芸文庫。
ジョン・デューイ、清水幾太郎ほか(訳)、1968年、『哲学の改造』岩波文庫。
ジョン・デューイ、河村望(訳)、1996年、『確実性の探求』人間の科学社。
鶴見俊輔、1991年、「プラグマティズムの発達概説」、『アメリカ哲学 鶴見俊輔著作集1』筑摩書房、所
収。
プラトン、藤沢令夫(訳)、1994年、『メノン』岩波文庫。
リチャード・ローティ、野家啓一ほか(訳)、1993年、『哲学と自然の鏡』岩波書店。
ルイ・メナンド、野口良平ほか(訳)、2011年、『メタフィジカル・クラブ――米国100年の精神史』みすず
書房。
なお、パースの論文は、以下に収録されているものを参照した。
チャールズ・サンダース・パース、ウィリアム・ジェイムズ、ジョン・デューイ、植木豊[訳]、2014年、
『プラグマティズム古典集成――パース、ジェイムズ、デューイ』作品社。
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