「くれない病」「くれない族」

「くれない病」「くれない族」
若年性くれない病;「してくれない」、
「教えてくれない」、
「言ってくれない」、
「指示してくれない」、
「わ
かってくれない」など
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老人性くれない病;配偶者・子どもたち・嫁・友達が「してくれない」、「やっておいてくれない」、「連
れて行ってくれない」、「伝えてくれない」、「買ってきてくれない」、「話を聞いてくれない」、施設職員
が「何もしてくれない」など
上記の「くれない病」の根底には“依存”“甘え”という、心が大人になっていないだだっ子の心情が
流れているように思います。先日読んだ本(暉峻淑子著「社会人の生き方」岩波新書)と何かつながる
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ように思いました。私を含め、シティズンシップの学習が欠けているなと。
一応、「くれない病」を若年性と老人性の2つに分けています。若年性は、現代の若者および学生がよ
く使う言葉です。また、老人性は、曾野綾子著「老いの才覚」ベスト新書の中で、「くれない族」とい
う言葉を創り、老化度を測る目安を「くれない指数」で判断するそうです。「くれない」を言い出した
ときが老化の始まりらしいです。
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しかし、上記の言葉をみると現代の日本人のすべての世代においても言っている人たちが多くなってい
ると思います。「政治がしてくれない」「会社がしてくれない」「役所がしてくれない」「学校がしてく
れない」「課長がしてくれない」「部下がしてくれない」などなど。自分以外の何かに依存する癖がつ
いているのではないでしょうか。ですから、政治においても、組織・職場においても“カリスマ的”な
存在を求めてしまいます。その人の言っていること、やっていることに依存すればいいんだという気持
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ちだと思います。自分は、考えなくていい、悩まなくていい、知らなくていい、勉強をしなくていいと。
しかし、それは必ずといって良いほど崩れ去るのです。そして、結果が出てくるのです。また、その「く
れない病」の欲求に対応しなければ批難が始まります。
よく“考える力(思考力)”をつけなさいといわれます。考える力をつけるひとつのヒントは下記の文
章ではないでしょうか。
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たとえば、マンションの一室に一人暮らしをしていても、テレビのニュース番組を見ていれば、いやでも
社会のことが眼に飛び込んでくるから、まったくの社会音痴の人はいないはずだ。けれども、車の窓から見
える景色がどんどん変わっていって、何も記憶に残らないように、社会に関心を持っていない人にとっては、
見ても聞いても心に残ることはなく考えることもないのかもしれない。
「社会のことはよくわからない」という人がいる。そんな人はまず新聞を読むことだ。いうまでもなく新
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聞には政治、経済、社会、文化、地域の出来事など、人生の中で遭遇するさまざまな問題が取り上げられて
いる。社会のことを知る最も手っ取り早い情報源だ。
新聞を読むことは、受け身で見るテレビとはちがって、より能動的な意志を必要とする。次々に流れ去っ
ていくテレビの映像とは違って、文章はある問題についてくり返し読んだり、立ちどまって批判的に熟考し
たり、政治面と社会面の関連性を考えたりすることを可能にする。それぞれの人が自分に合わせて活用がで
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きるメディアである。食事と同じように毎日知的栄養をとることは、その人のものの考え方や判断力に大き
な力をもたらす。人間一人の経験には限りがあるが、丹念に調べた事実に基づく記事や人びとの論説は、個
人の思考を深く耕してくれる。
老人ホームのケアをしている医師によると、老人が新聞を読んでいる間はボケないのだそうだ。新聞を読
む気力さえなくなるとボケ始め、最後に残るのはただ受け身的にテレビを見ることだという。
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「難しい社会のことを、積極的に知ろうとしなくても生きていける」という人がいる。しかし、自己決定
権を持てるようになった現代人は、知らなかったでは済まされず、社会的責任を問われることもあるのだ。
昔は「知りませんでした」といえば許してもらえたことも、今は「知ろうとしなかったことが罪悪だ」と考
えられるようになっているからである。人生の破綻は、無知と無縁から起こると分析されてもいる。
「社会人の生き方」暉峻淑子著 岩波新書より抜粋
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みなさんは、「くれない病・くれない族」ですか、それとも…
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