初期研修を終えて (10 期生)

Smile! Smile! Cyutoku Residency Program
創刊第17 JULY.1.2015 初期研修を終えて (10 期生)
植田 大貴(金沢大学 25 年卒)
2 年間の中部徳洲会病院での研修は振り返ればほ
~ 研修修了&新研修医 特集~
今年 3 月 10 期生 8 名研修を修了することができました。
それもご家族はじめ病院の方々や地域の皆様のご協力あって
のことと深く感謝申し上げます。 また 4 月新たに初期研修医(12 期生)9 名が仲間に加わり
はや3ヶ月がたとうとしておりますが、皆切磋琢磨し研修に
奮闘中です。修了生と新研修医に思いと意気込みを書いてい
ただきました。
研修病院として今後もより良い研修ができるよう取り組んで
いく所存です。 今後ともどうぞ宜しくお願い致します。
中部徳洲会病院 卒後臨床研修室
群星沖縄臨床研修センター 事務局長 宮里 達哉
春色のなごやかな季節に、
「Smil ! Smil !」
( 木村さん ) からの寄稿依頼を受けることが
嬉しい反面、寂しくもあり、第 10 期生の皆さ
んが終に巣立ちの時を迎えられました。
二年前に出会った時からこれまで、沢山の元
気をもらった 10 期生がもう「研修医」でなく
なる。寂しい思いはきっと私だけではないの
ではと思います。
しかし、
宮城征四郎先生がよく仰る言葉で「医
者は一生、研修医」というのがあります。患
者さんのために医者は一生学び続けるもの。
“研修医”でなくなったら医者を辞すときという
意味が込められているようです。宮城先生の言葉をお借りすれば、皆さんはこ
れからも生涯に亘って“研修医”で在り続けるのだと思っております。
どんなに忙しくても、当直明けで疲れていても、いつも笑顔で優しく礼儀正し
く相手の立場で接して下さった中部徳洲会病院 10 期生の皆さん。私自身、人間
としての大切な事を皆さんから学ばせて頂きました。初期研修を修了しても、
これからも私たちの心の中に生き続ける、どうか素晴らしい「研修医」でいて
下さい。いつの日か患者として、10 期生の皆さんにお世話になることが楽しみ
です。
研修ご修了、本当におめでとうございます!
そしてこの二年間、頑張って下さりありがとうございました !!
院長 伊波 潔
まず初期研修を終了される 10 期生の皆さ
んとうに最高でした。
1 年目の間はやる気満々で入って、想像以上のハー
ドワークに疲れ果ててこんなにもしんどいことは
ありえるのか?と思っていましたが、1 年通して経
験と知識を積み重ねての 2 年目は、離島に行っても
自信を持って診療でき、後輩にも知っている限り教
えられることは教えて、少し余裕が出てきた OFF の
時間も全力で遊びとても充実した日々をおくれまし
た。
これも全ては最初に地獄を見たからであって、2 年
間外来 + 救急車の経験に関しては全国のどこの研修
医にも負けないのではないかとの自負があります。
時に怖い目にもあってきましたがそのたびに上級
医の先生のフォローもありながら自分で出来る限りのことまでさせてもらって度胸と
積極性、フットワークに関してはかなり鍛えられたなと感じます。
きつい中でも頑張れたのは、最高の同期、先輩後輩、周りのコメディカルの方、木
村さんのおかげやと思っています。しんどい中でも、楽しんで研修ができた 2 年間だ
と思います。
一年間は世界一周に出ますが、その後は沖縄で整形外科としてもう少し働く予定で
すので、またよろしくお願いします。
岡本 幸太(三重大学 25 年卒)
あっとゆう間に2年が経ってしまいました。沖
縄での生活は僕の人生の中でも一番充実していた
んじゃないかと思います。月 10 回を超える当直や
離島研修、他の病院では経験できないことをたく
さんさせてもらえました。辛いこともたくさんあっ
たけど不思議と辞めたいと思ったことはありませ
んでした。「明けない当直はない。」先輩に教えら
れたこの言葉に何度も助けられました。結局明け
なかった当直は一度もありませんでした。これか
ら入ってくる後輩にもこの言葉を信じて頑張って
欲しいと思います。
医師としての当たり前をここ沖縄で学べたことは
僕の一生の財産です。ここまで頑張ってこられた
のは同期、先輩、後輩、スタッフの方々のおかげで
す。本当にありがとうございました。今年度からは母校である三重大学に帰り産婦人
科医として後期研修が始まります。沖縄で得たことを忘れずに一生研修医のつもりで
精進していきます。またいつか沖縄に帰ってきたいなあ。
河北 一誠(北海道大学 25 年卒)
徐々に暖かい日が増えてきて、春の訪れが感じ
られるようになりました。それと同時に、中徳か
らの旅立つという事実が実感を伴いはじめました。
今から 2 年前の 4 月、「日本で一番ハードな臨床研
修」という誘い文句に導かれ、2 年後には最前線
でバリバリと戦う兵士になっていることを夢見て、
ここ中徳の門を叩きました。1 年次の 4 月、救急外
来という最前線に放り込まれ、夢と理想だけ高く、
現実には何もできない自分を思い知らされました。
働いて 2 週間ほどで想像以上に追い込まれ、研修
をやめたくなったのはいい思い出です。しかし、
同じようにハードな研修に惹かれて中徳に集まっ
た最高の同期たちと、優秀な先輩方、優しいコメ
ディカルの方々の指導により少しずつできること
が増え、夏を迎えるころには、「生まれ変わっても中徳を選ぼう」と思えるほど夢中
で楽しく働けるようになっていました。その思いは 2 年目の離島研修にて、自分一人
の力が試される環境に放り込まれた際にさらに強くなり、中徳での研修は間違ってい
なかったと確信しました。
2 年目が終了した今、中徳初期研修の集大成が自分であり、同期の研修医たちです。
自分のことはわかりませんが、同期たちの姿はとても頼もしく、胸をはって「中徳で
初期研修しました!」と言えます。とはいえ、あくまでも初期研修が終わっただけで
医者人生これからが大事です。中徳の評判をあげるのも、看板に泥を塗るのも、今後
の働き次第ですから。自分は 4 月から遠く離れた北海道で外科医として働きます。自
分の働く姿を見た医学生たちが「河北先生みたいになりたい!だから中徳で研修した
い!」と感化されるように、中徳で得たものをみせつけてきたいと思います。最後に
なりましたが、2 年間本当にお世話になりました。今後ともよろしくお願いいたします。
ん、卒業おめでとう。みんな本当によく頑張っ
た。皆さんは徳洲会の騒動の中で初期研修を
し、やはりつらい思いもしたでしょう。また、
11 期生は2人で大変でしたが、よく後輩2人
を支えてくれました。
君たちは中部徳洲会で多くのことを学んだ
はずです。しかし、その大部分は自分たちの
経験から学んだことで、教えられたことはわ
ずかかもしれません。しかし、我々が求める
教育とは、自分一人で生きていく生き方を教え
ることです。人から教えられたことはすぐ忘れるものですが、自分の経験を通し
て学んだものは一生忘れないものです。
また、もう一つ、君たちにこの中徳で学んでほしかった一番大切なことは、医
師としての姿勢、優しさです。比嘉先生を始め、多くの先輩方の患者さんに対す
る姿勢、優しさは、君たちのこれからの医師人生で、道標となることでしょう。
一番の宝物だと思います。
2人の先生は来年度も一緒に働きますが、6人の先生は外の世界に飛び立ちま
この病院で 2 年間研修し、印象に残ったことを何点か挙げます。
す。中徳で学んだことに自信と誇りを持って、歩んでほしいと思います。
●救外看護師さん
続いて、総合診療部での後期研修を終了する山本芳樹先生、土田真史先生、こ 「1 年目研修医の先生は救急外来看護師」とよく言
の3年間、よく中徳を支えてくれました。本当にありがとう。
われますが、実際にそうでした。研修医が間違っ
2人を勧誘するために大阪に行った日が昨日のようです。あれから5年が立ち、 た事をしたりモタモタしたりしていると頭ごなし
2人はすばらしい医師に成長し、私は年老いました。
に怒られます。始めのうちはこれを繰り返す事で
しかし、いよいよ来年の新病院開院、そして JCI の取得に向け、年寄りはこれか
救急外来の業務を叩き込まれました。研修初期は
らも走り続けます。
看護師さんには本当に頭が上がらず、あまりにも
皆さんがそれぞれ成長し、この中徳を支えてくれることを心より願っています。 怒られまくるので「この人たちと仲良くなれるの
もう一度心から、卒業おめでとう。
かな?」と思ったりしましたが、気づいた頃には
仲良くなっています。今年入って来る新 1 年目研
修医達も、患者さんを最優先に考えて真面目に頑
張っていればそのうち認めてもらえて仲良くなれ
研修修了おめでとうございます。
るので、看護師さんに怒られてもへこたれず頑張っ
お疲れ様でした。
て頂きたいところです。
中部徳洲会病院を研修病院として選び、ハー
●訪問診療
ドワーク・ハードトレーニングの研修の日々
月に 1 回あやはしクリニックで訪問診療をさせて頂きました。勝連半島の美しい風景
を戦い抜いてきた皆様は、今とても輝いてい
と地元の人のゆったりした暮らしを感じ、いつも癒されていました。
ます。沢山の患者様を通して色々なことを学
●飲み会の始まる時間
び、医師として人として大きく成長されたこ
飲み会が時間通りに始まる事はほぼありませんでした。しかも皆テーブル毎に乾杯を
とと思います。
始め、内地と違い形式張らず、自由な雰囲気に満ちていました。自分もこの 2 年間で
最初の頃は、表情も硬く、尻込みもし、何を
うちなータイムに慣れてしまい、むしろ内地で時間通りに飲み会に行く事が窮屈に思
するにも不安そうでした。しかし時が経ち経
えてしまいます。
験を重ね段々自信がついて、自ら考え、行動
*病院ではうちなータイムではなく、全てが時間通りに行われますので要注意。
し、頼もしく頼れる存在になりました(皆もそういっています)
。今までの人生
●後輩研修医
の中で最も密度の濃い研修ではなかったでしょうか? ER・当直・日々の診
1 つ下の研修医の田木、三川は同期が少ないながらも独自の路線で頑張っていたのが
療とハードなスケジュールで疲れているにもかかわらず、笑顔で元気に働いて
印象的でした。特に田木は救急症例を全て記録して自分のフィードバックに役立てよ
いる姿が印象に残っています。
うとしていたり、来年入って来る後輩研修医のために指導書を作ったりと勉強熱心な
研修を終えられる先生方は、チームワークが良く、お互い意見を交換し、助け
面があり、後輩ですがとても尊敬していました。(よく考えると田木は僕よりも随分
合いながら頑張っていると聞いています。中徳に残る先生、他施設や外国へ行
年が上でした。しかしいつも低姿勢で年齢差を感じさせず、今思えば凄い事だと思い
かれる先生、それぞれ働く場所は違いますが、これからも中部徳洲会病院で鍛
ます。)三川はお嬢様ですが、いくら当直してもかわらずクールなところは本当に中
え上げた精神・知識・技術でもって頑張って下さい。
徳らしいですね。まとまらない内容ですみません。最後になりますが、2 年間ありが
それから、初心を忘れず、患者様と一緒に苦しみ、喜び、ますます成長される
とうございました。自分はこれからひとまず半年間は海外へ旅に出て、帰国後は整形
ことを願っています。また中徳に戻ってきて下さい。
外科として仕事を再開する予定です。一旦は中徳を離れますが、どこかのタイミング
で中徳の一員としてまた働かせて頂ければと考えております。 栗原 信吾(山形大学 25 年卒)
看護部長 大村 恵美子
後期研修を終えて(7期生代表)
𡈽田 真史(救急総合診療部)
こんにちは中部徳洲会病院の後期研修医𡈽
田です。その頃仲良かった人を追いかけてき
た形で沖縄にきて、早くも 5 年間経過しよう
としています。
昔から周りの人に恵まれて助けられてきてい
ることを感じてきましたが、この病院に来て
さらに恵まれていることを実感しています。
いつでも優しく厳しく指導いただける医局の
先生方、フットワークが軽く協力的なスタッ
フの方々、長時間待たしてしまっても許して
くれる患者さん達に、甘えてしまっています。
きつくて大変な時も頼もしい周囲の方々の支
えのおかげで続けることができているかと思
います。この病院でこのような素晴らしい人に
囲まれながら研修できることが本当によかったと思います。辞めていく人も多い
ことは残念で寂しいですが、もっと良い病院にできるように自分も少しでも成長
していければと思います。これからもよろしくお願いします。
鈴木 遼(杏林大学 25 年卒)
二年次研修医の鈴木遼と申します。どうやら今日
がこの文書の提出締切という事実を同期・河北一誠
先生より伺ったため、今から必死に書きます。そう
いえば木村さんも言ってたな・・・。
この二年間、初期研修を一言で表すなら「感謝」
です。様々な事を経験させて頂き、あっという間に
目の前を通り過ぎていった数々の出来事を振り返る
とすごく早かったなって思います。おそらく自分の
人生の中で最も早く経過した二年間だったと思いま
す。あまりに早すぎて覚えていない事も多く、逆に
嫌でも忘れないだろう事もたくさんあります。多く
の人に迷惑をかけました。多くの人に多くの事を教
えて頂きました。多くの人に支えられていました。
そんな二年間でした。本当にありがとうございました。
こういった書面で個人名を出すのはよろしくないかもしれませんが、二年間の集大
成として私が絶対に「感謝」を伝えなければならない人が一人います。なので、あえ
て書かせて頂きます。 (右上へ続く)
同期の増田暁史先生です。
彼は私の大学の同級生で、私が初期研修をこの病院に決めたのも彼が紹介してく
れたからであり、彼にくっついて沖縄に来たのが私でした。大学当時、自分の進
路に対して真剣に考えてなかった私はなんとなく大学病院で研修するのかなーと
いった具合に半ば腐った状態で過ごしていた私に新しい風を吹かせてくれたのが
彼でした。その後の私の人生のメチャクチャな変わり様はこの病院の敷いている
研修内容の通りです。増田先生、あなたがいなければ今の私はありませんでした。
本当にありがとうございました。4月からは別々の道を進みますが、今後もお互
い切磋琢磨していければと思います。これからも頑張っていきましょう。
原田 真理子(琉球大学 25 年卒)
2年前、できるだけ多くの症例をみることがで
きる忙しい病院ではたらきたいと考え、中部徳洲
会病院に入職しました。最初は徳洲会病院自体と
ても怖い印象でしたが、先生方が非常に熱心で、
忙しいにも関わらず患者に対して優しく接した
り、隙間時間にも勉強をして日々知識を新しくし
ていく態度は本当に学ぶことが多く、このような
先生になりたいと思う方々にたくさん出会えたこ
とは私にとって大きな財産になっていると思いま
す。看護師をはじめ、他の職種の方も非常に勉強
家で優しく、その姿勢にいつも私がたくさんのこ
とを学ばせていただきました。
同期の中では女性が一人でしたが同期や看護師
の方々に支えられ、後期研修・スタッフの先生方
をみてはげまされてどうにか2年間を終えることができました。最初は本当に何
をすればいいのかも分からないような状態でしたが、日々たくさんの方が忙しい
中指導してくださり、離島などでほぼ主治医として診療にあたったり、夜間の当
直を行ったりすることができました。途中で忙しさや眠気で本当に嫌気がさすこ
ともありましたが、終わってみるとこの病院で研修ができてよかったと思ってい
ます。
ここで得た経験をもとに今後も医師として成長していきたいと思っています、2
年間ありがとうございました。
増田 暁史(杏林大学 25 年卒)
こんにちは、増田です。2 年間の研修を文章
に表すのは非常に難しいのですが、とにかくが
むしゃらにがんばった人生で最も大変な 2 年間
だったと思います。自分の理想像には遠く及ば
ず、自分のやりたい事も忙しさゆえにできなかっ
たことも多々ありますが、初期研修の 2 年間を
中徳で経験できたことはかげかえのないもので
した。自分 1 人では絶対につまづいていました。
しかし、同期を中心に先輩医師やコメディカル
の方々といった病院の皆様、そして患者さん方
がいてくださったからこそ乗り越えてきてこれ
たのだと痛感しています。
中徳の良さは何よりも絶対的な経験数だと思い
ます。知識もないのに経験しても身にならないの
ではないかと当初は疑問に思っていましたが、
決してそんなことはなく、
頭でわかっ
ているのと実際に行動することは全く違うものであり、大して知識もない免許取り
立ての初心者が膨大な数の症例を経験させてもらえるのは本当に貴重で、これがで
きるのも周囲の御理解と御協力があってこそなので、感謝してもしきれません。
さて、初期研修が終わり、いよいよ後期研修を迎えることとなりました。これまで
( いい意味で ) 好き放題やらせて頂けたのも初期研修医という立場だったからであ
り、これからはこれまでにない責任感等も生じてきます。しかし、これだけの数を
経験してこれたので不安は軽減されているような気がします。きっと他院での研修
であれば、
「あれ何だろう」
「これやった事ない」と不必要に怯えていたかもしれま
せん。あとは、この経験をどれだけ活かしていくかは自分次第です。この中徳で得
た武器を手に道をかきわけて突き進んで行こうと思います。
最後に、本当にお世話になりました。ありがとうございます。またどこかでお会い
しましょう。
美里 周吾(琉球大学 25 年卒)
皆様お疲れ様です。2 年次研修医の美里です。
2.3 月と病院にいないので忘れてしまった方も
いらっしゃいますでしょうか。。。後述しますが、
来年からもお世話になるので思い出してくださ
れば幸いです。
2 年間、本当にあっという間でした。全国最
下位クラスの成績でぎりぎりなんとか国家試験
に合格し、2013 年の 4 月より中徳でお世話にな
り始めました。知識不足と、持ち前の頑固さで
周りの方々には非常に迷惑をかけたと思います。
この場を借りてお詫びいたします。4 月の最初に
最も苦手な外科のローテーションを行い、医師
としての心構えや基本的な考え方をしっかりと
教わりました。おそらく今後絶対にありえない
であろう虫垂炎の執刀まで最後にはさせて頂いて、非常に印象に残っています。6
月からの救急総合診療部で今後は内科のいろはを教えていただき、7 月の救急ロー
テーションが始まりました。まだ全ての患者さんを怖いと思っている中ノンストッ
プでなだれ込んでくる患者さんたち、その中で重症な人もたくさん。すべて自分
で初期診療を行うというプレッシャーとあまりの忙しさで入職時より最大 8 ㎏の
減量となりました。CPA、意識レベルⅢ -300、高齢者発熱、高齢者発熱、高齢者発熱、
と 5 台の救急車がほぼ同時ぐらいにやってきててんてこまいしたことは恐らく一
生忘れないと思います。その後もともとある程度決めていましたが、やはり小児
科を一生の仕事としていきたいと感じた小児科研修、気管挿管や手術管理など特
殊な手技をたくさんやらせていただいた麻酔科研修と産婦人科以外のメジャー科
のほとんどの基礎を教えていただき、非常に勉強になりました。そしてその中で
ずっと行っていた First 当直。今後同じことをやれと言われたらやりきる自信が
全然ありません。そして 2 年生で宮古や他の病院にも出させて頂き、この 1 年間
の密度の濃さと、自分が行ってきたことへの自信が出てきました。他の病院の研
修医と話す機会もあり、ギリギリ合格してきた僕が他の病院の優秀な研修医と治
療について同じレベルで(そう思っているのは自分だけかもしれないけれど。。。)
話せるようになったり、時には別の研修医に手技の指導をするようなこともあっ
たのです。これは中徳で研修をしなければ絶対にそんなことにはならなかったと
思います。泣く暇もないくらい絶望的に忙しかったけど、それを潜り抜けて来た
からできたことだと思います。そしてそれは、もちろん熱い指導と教育をしっか
りと行ってくれた上級医の先生だけでなく、看護師、薬剤師、検査技師、リハビ
リ含めすべての職種の人たちが病院を挙げて研修医を支えてくれているおかげだ
と思っています。無駄に時間がかかったことも、意味がわからないこともたくさ
んやってきたのに、それを時には上級医のように教えて下さったり、叱ってくれ
たりそのような全ての事が中徳の研修の素晴らしさになっているのだと思います。
皆さん、本当にありがとうございました。
そして何よりもやはりともに苦楽を過ごしてきた 7 人の仲間たちに一番ありが
とうと伝えたいと思います。
2 年間の研修を終え、今後は小児科医、または精神科医として働きたいと決めま
した。しかし、4 月からは少し個人的な事情もあり、救急総合診療部でお世話にな
ることとなりました。9 月までの期間となりますが、研修医の謙虚さを忘れずに、
笑顔で頑張っていこうと思います。これからも皆様よろしくお願いします。
Smile! Smile! Cyutoku Residency Program
創刊第17 JULY.1.2015 高橋 啓(琉球大学卒)
初期研修への意気込み
はじめまして。今年度から中部徳洲会病
1年次研修医(12期生)
青木 智之(琉球大学卒)
初めまして、青木智之と申します。生
まれも育ちも千葉県ですが、花粉から逃
れるために琉球大学に進学し、居心地の
良さに甘えて沖縄の残ることを決意しま
した。
私は父の手術がきっかけで医師を目指す
ようになり、この春、医師としての第一
歩を踏み出す事になりました。そして、
その記念すべき第一歩を中部徳洲会病院
で始めることができることに心から感謝
申し上げます。
見学させていただいた際に医局の雰囲気
やコメディカルとのコミュニケーション
など病院全体に一体感があり、先生方は
忙しいと言いながらも、とても生き生きと楽しんでいる姿に感銘を受け
ました。
友人に中徳で研修するというと必ず「ほんとか!!大丈夫か!!」と言
われます。そこで自信を持って「大丈夫」と返すことができません。不
安でいっぱいです。不安:楽しみ=8:2といったところです。先輩方
は口を揃えて「始めの半年が地獄」と言います。たまたま立ち寄った美
容室でも「とりあえず半年はキツイらしいね」と言われました。コワイ
です…。
しかし、不安だけでなく楽しみもあります。目標があります。それは、
先輩方です。見学した際に感じた「頼もしさ」です。2 年間で少しでも
先輩方に近づけるように必死に働き、研修を修了したときに「やっぱり、
自分の選択は正しかった」と胸を張って言えるようにしたいです。これ
から、多くの方にお世話になります。ご迷惑をおかけすると思いますが、
ご指導ご鞭撻程どうぞよろしくお願いいたします。
新垣 裕太(琉球大学卒)
はじめまして。4 月より中部徳洲会病院に
入職することとなりました、新垣裕太と申
します。中徳というアツい環境で働けるこ
とを光栄に思います。中部徳洲会病院は私
が初めて見学に行った病院であり、正直言
うとその時にはこの病院に入職するとは全
く考えていませんでした。沖縄で、(全国
で?)一番忙しい病院との評判は前々から
聞いており、実際見てみるとその名に違わ
ぬ忙しさで、大学 2 年で卓球部をやめてし
まうほどの体力の私には到底やっていける
ところではないと思っていたからです。し
かし、中徳で働く研修医の先生方のバイタ
リティを見て、ここで研修をすれば先生方
のようなデキる研修医になれるかも、と心のどこかに憧れを抱いていま
した。病院職員の方々の仲の良さや、厳しいながらも明るい環境も魅力
的で、同期からの誘いもあり、気が付くと中徳に出願していました。
私にとって同期の存在は非常に大きく、頼もしいです。これから待つ想
像を絶するような幾多の困難や壁を想像すると不安ではありますが、こ
のメンバーとなら乗り切れるだろうと信じています。二年目からは病院
も新しくなりますが、私たちがこの病院を作っていくぞという気持ちで
臨んでいきます。とはいうものの、今はまだ右も左もわからない毛虫の
ような存在なので、まずは、みんなの足を引っ張らないように日々精進し、
死にもの狂いで頑張っていこうと思います。中徳らしくない性格の私で
すが、途中でへばっていたら、ぜひとも愛のムチをよろしくお願いします。
岡﨑 友理子(東京女子医科大学卒)
私が初めて中部徳洲会病院を知り、ぜひ初期
研修をこの病院で行いたいと志望したのは 2 年
前のことでした。
病院実習としてお世話になった際、とても忙し
いはずなのに常に充実した表情で働いていらっ
しゃる先輩研修医の皆様の姿が印象的で、“忙
しいけれど充実している”という表現そのもの
であるこの病院で働きたい!と心から想うよう
になりました。
それから 2 年の間、私の至らなさの為に多くの
方々にご心配とご迷惑をおかけしてしまう期間
が出来てしまいました。この期間中、本当はご
迷惑をかけてしまっているはずなのに病院の皆
様からは暖かな言葉ばかりを頂き、大きなこと小さなこと一つ一つが不安に
思えてしまう中で前を向く強さを持つことができました。
改めて、回り道をしてしまった私の弱さを申し訳なく思うとともに、暖かな
お言葉をくださった皆様に感謝するばかりです。
結果として少しの回り道をしてしまいましたが、本年度より初期研修医とし
て入職させて
ことが出来ました。この回り道も人間としての経験の一つと捉えて、悲観す
るのでなく吸収・昇華させることで、患者さんの抱えるさまざまな不安や心
の痛みを理解し支えることの出来る良き医療人となれるよう職務に励みます。
これからの二年間、もちろん精神的にも肉体的にもつらいこともあると覚悟
した上で、“忙しくて充実した中部徳洲会病院の初期研修”を満喫したいと思
います。
ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。
齋藤 智哉(旭川医科大学卒)
4 月 1 日から中部徳洲会病院に入職させてい
ただきました。齋藤智哉と申します。
出身は北海道札幌市で、生まれも育ちも北海
私が初めてこの中部徳洲会病院を訪れた
のは、大学 5 年生の夏休みでした。大学で
はすでにポリクリが始まり、皆徐々に研修
先について意識し始める時期でした。多く
の医学生が全国のさまざまな病院を見学
し、将来の職場を探していました。そんな
中、人より面倒くさがりな私は、その時ま
だ一度も病院見学に行ったことがなく、見
学の予定すら立てていない状況でした。
「ど
うせ行くなら都会のカッコイイ病院を見に
行きたい」と心の奥でひそかに思っていな
がらも一人で見学に行く度胸はなく、なに
かと自分に言い訳をしてはズルズルと好機
を逃し続けていました。病院見学は医学生
にとってちょうど就職活動に当たり、出来るだけ病院側に好印象を与える
ことが求められます。従って、ただの見学ではなく学生側にもある程度の
プレッシャーがかかります。この頃の私はそんな状況に立ち向かうどころ
か、むしろ黙殺して心の平穏を保っていました。
そんな私に一人の友人が声をかけてくれました。のちに同期になる青木
君でした。「中徳を見に行こう!」青木君はそう言って誘ってくれました。
正直、心細いと思ってしまったのですが(青木君はスマートなため、対比
されると困るので)、せっかくのチャンスをまた無下にするわけにも行か
ず、悩んだ挙句もう一人の友人である新垣君にも声をかけ、3 人で中徳の
門を叩きました(新垣君ものちに同期となるのですが、この頃からとても
優しい友人でした)。
初めて経験した病院見学は衝撃でした。研修医は早朝からウマのように
走り回りバリバリ仕事をしたかと思うと、夕方には子供のように看護師さ
んに叱られていました。「こわい…」と一瞬恐怖を覚えましたが、それで
もその時私が見た研修医の先生方、そして看護師の方々も、皆目が輝いて
いるように感じました。そして何より一番印象に残ったのが、誰も愚痴を
こぼさず、むしろトラブルが起きた時ほど「患者さんのため」と全員が必
死になって頑張っていたことでした。その時以来、私は「こんな病院で働
きたい」と思うようになりました。
あれから時が経ち、私はいま無事に研修医としてスタートラインに立つ
ことができました。ようやくあの時憧れた研修医の先生方のようになれる
と思うと本当に感無量です。一緒に入職した同期や先輩方と少しでも早く
信頼関係を築き、一日でも早く一人前になれるよう、粉骨砕身して日々の
仕事に臨みたいと思っております。そしていつかは自分が、将来病院見学
に来るであろう医学生の憧憬の的となれるよう、一生懸命研鑽を積みたい
と思っております。
辺土名 克彦(琉球大学卒)
道です。身寄りも友達もいない沖縄の地に来
私は去年、いわゆる世間的に有名な病院
ることはとても不安でしたが、同期はじめ先
である中部病院や中頭病院などをいくつか
見学しました。将来、外科医になりたかっ
たので実習は全て外科を見学させていただ
きました。その中に中部徳洲会病院も入っ
てはいたのですが、正直その時点では No1
ではありませんでした。この時、恥ずべき
なのは見学もせず世間の風評のみで病院の
善し悪しを決めていたことです。しかし、
実際に見学して実習してみると、世間的に
優秀と言われている病院が必ずしも満足の
いくものではなかったということです。実
際に、実習してみると自分の思い描いていた
病院像とのギャップが大きくなっていくのを感じていました。中部徳州会
病院の実習は最後だったのですが、とても印象的な出来事がありました。
ある時、伊波院長に、なぜ中部病院など忙しいと言われる病院では研修医
の途中リタイアがあるのに、中部徳州会病院ではそれがないのですかと質
問したことがありました。伊波院長は何気なく、それは研修医だけじゃな
く周りのスタッフ全員が忙しいから、中部徳洲会ではリタイアすることな
く頑張れるのだよと仰っていました。なるほど、だから部活のように、こ
の病院では一体感が生まれ、スタッフ同士の距離が近いのかと、ある種の
新鮮な感動を抱いたのを今でも強く覚えています。また、クリクラで見学
させて頂いたとき、1番手術に関わりを持てたのも中部徳洲会病院であっ
たし、何より1番学生との距離が近かったのも中部徳洲会病院でありまし
た。この病院で2年間頑張ればきっと大きくなれるという期待を胸に中部
徳洲会の門を叩くことを決意しました。正直、期待とは裏腹に本当に激務
と言われるこの病院でやっていけるのかという不安はありました。しかし、
研修を 2 年終え、自信を持った先輩方をみてみるとやはり、この病院を選
んでよかったと思います。私も 2 年後、新しい研修医の瞳に自信を持った
先輩像として映れるようにこれからの研修医の日々を頑張っていこうと思
います。
輩職員のみなさんの温かい心に支えられ、今
は思い切って北海道を飛び出し 3000 キロ離れ
たここ沖縄の地に来て本当によかったなと思
います。
さて、この文章を書いている数週間後には臨
床の場にたたせていただくのですが、正直とても怖いです。まだまだ働くと
いう事に対して気持ちの準備ができていないです。国試勉強や実習で学んだ
泉 響介(琉球大学卒)
院でお世話になります、高橋啓と申しま
す。ここ中徳で研修できる機会を頂き大
変嬉しく思っております。
私は同期研修医の中では最年長の 33 歳に
なります。筑波大学体育専門学群(競技
は硬式野球)を卒業後、スポーツクラブ
や建設現場でのアルバイトを経て、琉球
大学医学部に再入学しました。琉球大学
ではラグビーに取り組み、昨年の病院実
習中はあろうことかラグビーの試合で顔
面を強打し、目の周りを真っ黒に腫らし
ながら実習を続けました。先生方には実
習生にも関わらず顔面の CT をとって頂き、
更には骨折がないか診断までして頂きました。
そんな中、研修先を選択する要素として、私は 3 つのポイントを決めまし
た。まず本気で叱ってくれる先生がいること、困った時に相談できる先生
や職員の方がいること、そして一緒に切磋琢磨できる同期がいることで
す。実習では他の病院は学生を褒めちぎることが多い中、中徳は異なりま
した。CT 画像の読み方の講義に参加した時です。ある学生が発言すると
その答えが間違っていました。すると先生から「分からないなら黙ってい
ろ!」と衝撃の言葉を耳にしました。怖気づきましたが、その後、正解を
細かく解説して頂きました。この病院には研修医を本気で叱ってくれる先
生がいる、本気の病院だ!と確信し入職を決意しました。
そんな私を温かく迎えてくれた中徳の方々は、どんな患者さんでも断ら
ず、皆さんが激しく仕事をされ活気に満ち溢れていました。その姿に非常
に感銘を受け、私も激しく働きたいと中徳の門を叩きました。これまで
培った持ち前の体力で、若い同期と切磋琢磨していきます。ご指導の程よ
ろしくお願い致します。
ことは忘れてしまいました。本当に怖いです。
ですが、昨年、病院見学の際に見させていただいたカッコイイ先生方に少し
でも早く仲間入りしたいという気持ちはあります。色々教えていただけると
嬉しいですが、自分から積極的に盗んでいく気持ちを常に持って働きます!
医師としてのスタートを中部徳洲会病院で始めて本当に良かったと思える初
期研修にしたいです。また研修が終わったときに 2 年間で成長したと評価し
ていただけるよう頑張ります。
長々と書いてしまいましたが、もう名前と顔だけ覚えていただければ幸いで
す。齋藤智哉でした。これからよろしくお願いします。
山下 薫(三重大学卒)
新里 建人(琉球大学卒)
皆様、はじめまして。4 月から中部徳洲会
病院で研修させていただくことになりました、
琉球大学出身の新里と申します。つい先日、
大学を卒業したばかりで、まだ人生で一度も
社会に出たことも無く、今は 4 月から本当に
社会人として働く実感も湧いて来ないような
状態です。
私はもともと、研修は関東か福岡でやりた
い!と漠然と考えていたのですが、内地の有
名病院などを見学しているうちに物足りなさ
を感じ、沖縄県全体としての研修のレベルの
高さや研修医に求められるレベルの高さを実
感し、やはり沖縄で研修をしようと心に決め
ました。沖縄でも多くの病院を見学しましたが、自分に合う雰囲気、中徳出
身の先生の優秀さを理由に私は中部徳洲会で研修することに決めました。
今現在、4 月からの新生活に対して期待半分、不安半分です。果たして本
当に自分がこれから先、人の命を預かることができるのか。ミスしたり、患
者さんを殺してしまったりするのではないか。多くの不安でいっぱいですが、
私は同じくらい 4 月からの医師としての第一歩に胸を膨らませております。
この研修の 2 年間では、1 ~ 11 期までの優秀な先輩方の顔に泥を塗らない
ような医師に成長できるように、全力で努力していきたいと考えております。
病院の先輩方、同期、コメディカルのスタッフなど、多くの方々には大変お
世話になり、そして迷惑をかけるとは思いますが、どうか厳しく見守ってい
ただけると幸いです。よろしくお願い申し上げます。
中部徳洲会病院の皆様、並びにそのご家
族、群星沖縄の関連病院の皆様、初めまし
て。兵庫県出身、三重大学を卒業しまして
この春から中部徳洲会病院で初期研修医と
して働くこととなりました、山下薫です。
私の研修目標を簡潔に申しますと、「修羅
場をくぐる」ということです。初期研修の
2 年は医師としての今後の姿勢の基礎を作
る 2 年であると私は考えています。初期研
修の 2 年、医療漬けの日々を過ごし、思い
通りにいかないことや苦しい状況から目を
そらさず、むしろ積極的に臨んでいくつも
りです。そうすることで自分の限界を知り、挑戦するという姿勢を築き上
げられると思っているからです。しかし自分は楽観的な人間なので、その
ままでいると医療漬けの日々など到底送れません。中部徳洲会病院は厳し
い研修で有名ですが、研修医の先生方の活気や勢いが溢れていて、ここな
らば間違いなく私が望む研修ができると思えました。ここでは自分自身が
イニシアチブをとっていかなければ忙殺されてしまうかもしれません。し
かし、この遠い沖縄にまできて自分の目標を遂げずに研修を終えることは
できません。絶対に成長してやるんだという強い気持ちを持って、この春
から頑張っていこうと思っています。今後色々と迷惑をかけることもある
と思いますが、どうぞ御指導御鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。
最後になりましたが、これまでにも多大な迷惑をかけてきた両親へ。ここ
まで色々と支えて頂いて感謝しています。少し遠いところへ来ましたが、
しっかりと成長していきますので楽しみにしておいてください。