重度障害の娘から 生き甲斐を貰う

会員さんの
ち ょ こ っ ト ー ク
重度障害の娘から
生き甲斐を貰う
株式会社 桑田建築設計事務所
代表取締役会長
桑田 昭 氏
娘洋子が生まれたのは、今から52
年前、早産の
私は学校を卒業後、大学の研究室に残り学究の
癖があった妻は、大事をとっての聖路加国際病院
道を歩んでいた。障害者教育には素人だし、自分
に入院、妊娠7ヶ月で早産、体重は1
,
2
0
0
グラム
で施設を造る程の経済的能力もない。
だった。約2ヶ月半の入院の後、宝物を抱えるよ
悩んだ挙句、当時の松井千葉市長と面識があっ
うにして我が家に帰り、毎日薄氷を踏む思いで育
たので、直接談判を決行した。市長曰く、千葉市
児に努めた結果、日毎に体重も増え、成長はする
の政令指定都市移行に伴い、民間活力を導入した
ものの何ヶ月経っても視覚反応が無かった。
社会福祉施設の整備計画も考えているから、頑
検査の結果は、運命として諦めるにも諦めきれ
張って協力してくれと逆に励まされ、窮地に神の
ない、俗に言う未熟児網膜症と知的障害の合併症
手とはこの事だと思った。
だと宣告された。当時は未だ、未熟児がインキュ
また本当にやる気になって頑張れば国、県、市
ベーターに入っている間に、供給される酸素に対
から補助金が支給される事も分り、熟慮の末国家
するケアが不確実だった。インキュベーターの故
公務員の大学の助手職を放棄して退職し、㈱桑田
障も不運ではあったが、酸素濃度が濃すぎると視
建築設計事務所を開設し独立した。折しも日本は、
覚障害が発生し、酸素濃度が低すぎると知的障害
戦後の復興期に入り、仕事も多忙を極めた。
がおきるという事を知らされた。目の前が真っ暗
自分の本業の建築設計事務所の経営と並行して、
になるという事は、真にこの事だと思った。
社会福祉法人『清輝会』を立ち上げ、知的障害者
その後小学校の入学案内が来ても、重複障害児
更生施設の建設に取り掛かった。かくして平成元
は前例が無いから受け入れられないとの事だった。
年『エルピザの里』、平成1
1
年に『アガペの里』そ
その後重度の障害者でも、義務教育を受けられる
して昨年『カマラードの里』の三施設を設立し、
権利が認められるようになり、洋子が14
歳になっ
利用者合計1
5
0
名、職員合計9
8
名の施設に成長し
た時千葉県立盲学校初等部に入学が許可された。
た。これも偏に行政、地域の皆様、保護者と職員
妻は以来自動車運転免許をとり、10
年間雨の日
の皆様等の温かいご理解とご支援のお陰だと心か
も風の日も子供の送り迎えをした。子供が学校に
ら感謝申し上げたいと思います。
行っている間は、例え数時間でも自分の自由にな
私の今日があるのも、施設を創立出来たのも、
る時間がとれ、心身を休める事が出来たが、卒業
娘洋子から父親の私にプレゼントしてくれた私の
した後は自力での生活能力がなく、障害児を温か
生き甲斐の産物である。施設名のエルピザとはギ
く受け入れてくれる施設など皆無だった。
リシャ語で「希望」、アガペもギリシャ語で「無
子供の面倒を見るのは親の義務である。しかし
償の愛」、カマラードとはフランス語で「仲間」
親が年老いたり、やがて先立つ事を思えば、人間
を意味する。
に相応しい生活環境が保障され、親の心情をもっ
障害を背負った利用者が、人格の尊厳を守られ、
て地域社会との共生を図り、血の通った施設運営
希望を持って社会の愛に包まれた人生を送れるよ
が出来たならば素晴らしい事だなと夢想した。
う、最善を尽くしたいと願って已みません。
しかし行政を当てにしていたら、何時になるか
分からない。障害児を安心して託せるような施設
を自分で造る以外道はないと考えるに至った。
2
8
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BAke
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kyo・No368